あれやこれや 11〜20

あれやこれや 11〜20

11 お隣さん

 マンションの隣のご主人の、欠伸なのか、大きな声だ。壁が薄いのかよく聞こえる。
「あああぁぁぁーーーー」
日に何度もある。夜中でも。
 この方は新築当初からお住まいだ。築40年も経つと入れ替わりも激しいが。奥様はだいぶ前に亡くなった。乳癌だった。廊下で話したことがある。
 床に新聞を広げて読んだいたら、胸の違和感に気付いたと。すでにステージ4。治療にお金がかかると言ってらした。
 保険の外交員だった。身内には掛けたが自分にはたいして掛けていない……そんなことを話したのを覚えている。

 奥様が亡くなり、旦那様のことを心配したがしっかりしていらした。退職すると、マンションの小さな公園で園芸を始めた。砂場はすでに使う子供はいない。砂漠化していた。そこに次々に花を植えた。小さな公園がきれいな花壇になった。何年かは誰も文句を言わなかった。旦那様は朝も昼も夕も花をいじっていた。

 もう、旦那様の耳はかなり遠くなった。マンションの総会で、公園は個人のものではないのだから、という議題が出て、旦那様の楽しみは取り上げられてしまった。公園には砂場が新しく作り替えられたが、もはや高齢者ばかりで遊ぶものはいない。
 旦那様は大丈夫か? 楽しみを取り上げられ呆けてしまうのでは? 
 心配はいらなかった。新しい仕事を見つけた。初めて見たときには驚いた。
 空き缶を集めていた。自転車で、自動販売機の空き缶をビニールに入れていた。そして、悪びれもせずに、片手を上げた。
「やあ、〇〇さん」
と私の名を呼んだ。
 旦那は自転車に空き缶が入った大きなビニール袋をいくつもかけて漕いでいく。
 1度見かけた。バスの窓から。橋の手前の空き缶買取所。そこで旦那は喋っていた。マンションから自転車なら40分くらいか……それを日に何度? よく見かけた。顔が合えば悪びれもせずに片手を上げる。うちの娘たちもいろんなところで見かけているようだ。

 この旦那は定年退職しているはずだ。ローンも完済してあるだろう。食うのに困りはしないだろうに。空き缶集めは金稼ぎか、趣味かスポーツか? 
 耳が遠い。もう、会話にならない。一方的に話しかけてくるがこちらの声は聞こえない。空き缶の入ったビニール袋を家の中に持ち込む。エレベーターに汁がたれる。誰かが文句を言っても聞こえない。片手を上げて降りていく。
 もう、80歳近いのではないか? すごい脚力だ。猛暑に帽子も被らず、コロナ禍でマスクもせず、日に焼け、痩せている。ベランダで洗濯物を干している。線香の香りが漂ってくる。奥様に手を合わせているのだろうか?

12 殴らせるために嫁にやったんじゃない

 父の古くからの友人がマンションを買って近くに越してきた。40年近く前のこと。私の母は50歳で亡くなり、父は酒浸りだった。友人は奥様と仲が良く、息子さんと娘さんがひとりずつ。奥さんは私に母がいないのを不憫に思い、出産前後よく来てくださった。人のいい世話好きな元気な方だ。
 ご自分の子供たちはそれぞれ結婚してすぐに別れた。娘さんの旦那は暴力を振るったらしい。おとうさんが怒った。
「殴らせるために嫁にやったんじゃない」

 妻を殴る……女を殴る……よくあることらしい。経験はあるが。噛み付いてやったが。

 知り合いは旦那のことを『ドメオ』と呼んでいた。優しい旦那様に見えた。出かける時は車で送り迎え。私も乗せていただいたことがある。奥様に心底惚れていた……感じ。なのに時々暴力が。知り合いは私が知る限り最強の性格。負けてはいない。「殺せ、殺せ」と叫ぶそうだ。そして子供たちが集まり『ドメオ』は怒られる。孫にもひどいジジイだと思われる。そんなことを隠しもしないで話してくれたので、悲愴感はなかった。喜劇のようだった。勇ましかった。
 暴力のあとは、預金を奥様名義に移してくれた、とか。働き者だった。自分の死後、妻が困らないように貯金をしていた。

 ○の高校からの友人が、同棲していた男に殴られた。○は相談にのっていた。顔のあざを見て憤慨し、それを母にも話した。男はそのあとは謝るらしい。中絶もしたと聞き○はまた怒った。
 ある日、○は取ったばかりの車の免許でトラックを借り、男が仕事中に友人を脱出させ、自分の住まいにかくまった(?)
 ○も彼氏と同棲中。1LDKのリビングに友人は寝泊まりした。母は布団を寄付させられた。ひと月後に友人はアパートを借り仕事も見つけ頑張っている。○の結婚の時には多過ぎるお祝いをいただき、引っ越しの時はよく動いてくれた。

13 貯蓄

 職場の若い人たちは堅実だ。ちゃんと貯金をしている。年金を当てにはしていない。昼食も弁当を持ってくる。

 私が働き始めた頃、生命保険会社の月給は7万くらいだった。退職した7年後には倍近くまで昇給した。ボーナスは年上の妻帯者の公務員に羨ましがられた。福利厚生施設は各地にあり、京都も鎌倉も軽井沢も安く泊まれた。大きな運動場もあり運動会には、デビューしたての片平なぎささんがいらした。トイレでお会いした。
 金利が高く面白いように金が貯まった。健康保険も厚生年金も安かった。厚生年金が引かれたのは84月。支払った総額は35万円。今いただいている年金額は年に12万円。3年で元が取れる。こんな時代が続くと思っていた。貯蓄は金利8パーセントの社内預金、率のいい団体の養老保険。給料から天引きされたものは、結婚して退職した時には夫の貯金よりもずっと多かった。隠しておけばよかった。
 しかし結婚式、新婚旅行、マンション購入。田舎の両親の病気と死。金はどんどんなくなった。そうなるともう貯めることはできない。ボーナス間際にはおろす金もなくなり、銀行からの帰り道には背中が寒くなった。
 友人はキャッシングをしていた。給料が入れば返済することから始まる。また足りなくなるが、節約はしていなかった。

 姉は子供がいなかったので、早くから老後の蓄えをしていた。当時は10年で貯金が倍になった。姉は目標をたてたが、いつのころからかほとんど利息のつかない金利に憤慨し、投資信託を始めた。
 姉はいつでも運がいいのだ。義兄は働き者だし義母はちょこちょこと小さな保険に入ってくれていて、よく小金をもらっていた。福引をすれば大物を当てた。
 投資信託も年に2割配当が出るから、と言われ、そんなうまい話があるものか、と思っていた。姉は毎月届く配当金の葉書を見せた。
 私はいつでも運が悪いのだ。夫の親戚が残してくれたのは借金だった。放棄したが。考えに考えて買った投資信託。銀座の銀行の最上階の個室。お茶は出てくるし、お偉いさんの肩書きの名刺……あとで買って読んだ投資信託の本に書いてある通りだった。私はカモだった。
 少額買った。私には大金だが。最初の年は良かった。なんたって1番高い時に買ってしまったのだ。最初の配当は良かった。それがずっと続くと思っていたが、やがて落ちる。落ちる。落ちる……無知な女が手を出すものではない。しかし、コロナ禍で上向いてくるものもある。
 ファイザー社の入ったものは配当が良かった。アストラゼネカのほうもまあまあだった。それまでどんな会社が入っているのか把握もしていなかった。

 貯金よりも年金よりも配当金よりもありがたいもの……給料だ。
 夫は現役中は高血圧、腰痛、心房細動、十二指腸潰瘍、尿路結石、副腎潰瘍、帯状疱疹、ヘルニア……忙しかった。すべて仕事のストレスのせいだと思っていたから、延長はしないと宣言していた。
 しかし……まだ働いてくれそうだ。私も短時間のパートだが。

 いつまで働けるのだろう?  
 豪快な友人の美容師は言う。
 死ぬ前の日まで働いていたい、と。
 客の中には金持ちがいる。ひとりではなにもできない。旦那様が自分の死後、困らないようにきちんと手続きをしてくれていた。その方は自分で銀行に行ったこともないそうだ。友人が家を掃除してくれる。買い物にはついてきてくれる。金がなくなる頃に担当から電話があり、持ってきてくれる。帯付きの札束。 
「いいなあ」
「え、それが、いいと思う? つまらないじゃない」

14 借金

 ブティックで働いていた頃、朝1番でいらっしゃる客がいた。時々はミーティング中にドアを叩く。いいお客様だから時間前だが中に入れコーヒーを出す。
 朝1番でパチンコで5万円スッてきた……
 前回の宝飾のイベントで高額商品を買っていただいたが、クレジットが通るまで大変だった。社長が信販会社にお願いしてなんとか通した。
 パチンコをする金はあるのに、水道を止められたとか、すごい会話をしていた。店に出入りしていたのは短い間だ。最後に店長に借金を申し込んだ。金がない、と断ると、
「クレジットカード持ってるでしょ? キャッシングして貸してよ……」
それを断ると客は来なくなった。おそらく宝石も金に変えてしまったのだろう。

 クレジットカード。うまく使えば重宝だ。数年前、光熱費その他をクレジットカードから落ちるようにした。ポイントが貯まる。年に百万円使うと更に1万円分のボーナスポイントが付く。

 ○は勤めると会社のクレジットカードを作らされた。給料を全部使い、母に前借りする娘がカードを持つと恐ろしいことに……
 宮部みゆきさんの『火車』という小説がある。クレジットによる借金で自己破産。恐ろしい借金。しかし、○には母がいた。
 母は尻拭いをすべきではなかった。払えなければ信用をなくすが、カードは使えなくなる。遅れても返済すれば何事もなかったように復活する。そして限度額は上がっていく。

 △は派遣で、カードローン返済の督促の仕事をしていた。短期間だ。短期間なのに偶然だった。電話したのは階下のご主人。残高が100万ほどあった。守秘義務も守られない……
 奥様は知っているのだろうか? 余計なお世話だろうが、会うたび思う。返済し終わっただろうか?

 ブティックに長年リボ払いで買っていた客がいた。いつも限度額はいっぱいだ。過払い請求すればかなり戻るのではないだろうか? しかし、高齢だ。生きている間に返済し終わるのだろうか?

 知り合いの話だ。旦那様は亡くなり、私も雑事に追われ行き来も少なくなっていた。ある年、年賀状がこなかった。電話も通じない。マンションの表札はなくなっていた。こちらも3人の子供達に翻弄され、極め付けは父の認知症であたふたしていた。
 ある日電話がきた。息子さんが仕事に失敗し借金……
 知り合いは住んでいたマンションを売り、できるだけのことをした。アパートを借り、都営住宅に入ることができようやく落ち着いた、と。何もできなかった私は謝り、会いに行った。息子さんは行方不明。おそらくタイにでも行ったのだろう、と。
 息子さんからは連絡がない。死ぬまで会えないだろうと諦めている。

15 邪悪の蛇

 美容院の豪快な女性とは20年来の付き合いだ。客と美容師という関係だが。いろいろな話をする。年は彼女の方が10くらい若い。
 先日は子供の頃は貧乏だった、という話から……

 叔父さんと幼い頃ふたりで出かけた。母親の弟。子供もいるが……
 その叔父さんに尋常ではないものを感じた。邪悪なものを。

 豪快な女は幼い頃から気が強かった。断固拒否した。母親には話さなかったが態度でわかったのだろう。叔父とは疎遠になった。従姉妹はたくさんいた。話すに話せない少女がいたのではないだろうか?
 
 Cが中学1年に引っ越すまで、家に出入りしていた米屋の親父。幼い頃の記憶だ。幼かった。
「どのくらい重くなったか抱っこさせてごらん」
そのようなことを言われた。疑いもしなかったが。
 母は何も気付かず米屋が来ると長話をしていた。いやな時間だった。
 中学の同級生の女子と話していた時に、
「あのおじさん、いやらしいんだよね」
カラッと言った。ああ、おまえもか……Cは同調することはできなかった。同級生はカラッと親に話したのだろうか? 話していたら大変だ。米屋の親父はどうなったのだろう? 町内の米屋、噂がたてば……娘を持つ親は許さないだろう。それほどのリスクを冒しても自制できないのだろうか? 家族も気の毒だ。

『邪悪の蛇』は英国ドラマ『主任警部モース』の12話です。妻は、地位も権力もある夫の長年の邪悪な行動に気がついていた。

 子供が3歳くらいになったら、触らせてはいけない、見せてはいけないプライベートゾーンを教えるように。男の子にも。

 夫が孫とふざける。★ちゃん、お尻触らせて。かわいいお尻……5歳の孫はキャッキャとはしゃいでいる。おじいちゃん、足、こちょこちょして……ダメなのか? そういうのも。

16 節約

 子供の頃、友達の家にはピアノがあった。下町だ。医者の娘、大工の娘、工場経営者の娘……その子たちは当時、進学教室というものに通っていた。クラスで数人だけ。 
 小学校高学年、中学の勉強は自力で上位にいけた。進学教室や英語教室に通う子よりもできることもあった。ピアノだけはどうしようもない。5本の指でドレミファソを、弾くとあとが続かない。習っている子に笑われた。

 働くようになるとピアノを買う金はあった。しかし置く場所がない。諦めた。
 子供が産まれたら絶対に習わせたかった。上の子は男の子だったが有無を言わさず習わせた。男の子にショパンを弾いてもらいたい。押し付けだ。先生は同じ幼稚園の園児の親だ。年長のとき。
 下の娘は年少だったがこちらは自分もやりたい、と言い出した。
 知り合いに77鍵のローランドの電子ピアノを譲ってもらった。娘は暇さえあれば弾いていた。当然進むのは速い。母は練習に付き合った。へ音記号が出てくると、息子は戸惑った。
 ピアノが欲しかったが、マンションのローンに車……ふたりの幼稚園の費用、交際費諸々。ピアノが買えるのはいつの日か? 

 そこから始まった食費の切り詰め生活。当時は毎日買い物に行っていた。家族4人の食費はかかり過ぎていたかもしれない。姉が1ヶ月の食費が3万円…‥とかの雑誌を持ってきてくれた。我が家は3倍近く使っていた。 
 大学ノートに食費とメニューを細かく記入した。金をかけずに手間をかける。野菜、乾物類が多くなる。給料日前はイワシにもやし。当たり前のように買っていた果汁100%のジュースは当時は200円以上した。それをやめて麦茶と牛乳だけ。ステーキ肉、巨峰……チラシが入ると買っていたが……

 不思議なことに家族から文句は出なかった。砂肝を味付けして揚げると娘は喜び、ステーキより高いと言うと信じた。そしておやつも手作りに。
 食費を1日千円減らした。千円札を袋に入れる。10枚貯まると、1万円札に。月に3万円。翌月には1日1700円減らし月5万円に。それでも月3万円ではできなかったが。楽しくなった。新しい通帳を作り数字をながめた。

 そして念願のピアノを買った。マンションだから消音機能付き。しかし、息子は小学校卒業まで。娘も中学を卒業するとやめてしまった。弾き手のいなくなったピアノを母が弾いた。先生について習った。10年続ければ弾けるだろうと思った。しかし、娘の10年とは大違いだ。

 孫がピアノを習い始めた。苦労して買ったピアノは、新たな弾き手のところへいく日が来るだろうか?

17 出産は命懸け

 友人の話だ。ふたつ下の妹を出産した時におかあさんが亡くなった。おとうさんは再婚し、生みの母親の記憶はない。

 お嫁さんの友人も数年前、出産のときに亡くなった。子供は無事だった。出産は今でも命懸けなのだ。私は3人とも安産だった。甘える母親はすでにいなかったから、産後も動いた。

 今、海辺の町に来ている。息子の家だ。お嫁さんは2人目を出産するので東京の実家に帰っている。上の子が小学校が始まるので世話と留守番を頼まれた。道路を渡り少し歩くともう海岸だ。8月も終わりだが、まだ海水浴客は大勢いた。

 出産予定日を4日過ぎた。お嫁さんの希望では予定日より早く産まれて、新学期には赤ちゃんを連れて帰れたら……私の思惑では、コロナのために新学期は遅れるかも……
 希望通りにも思惑通りにもいかない。8月の終わりにようやく産まれた。産まれたての赤ちゃんの写真が送られてきて安心していた。胎盤が出ずに全身麻酔が痛かったと。そのあと息子からのラインに既読がつかなかった。

 息子は連日、釣った魚をご馳走してくれた。キハダマグロはおろして刺身と、炙ってたたきに。アカハタの煮付け。ひとり暮らしでも食事の不自由はない。たたきは、からしと酢で食べるのだそうな。煮付けは私より上手だ。

 その時にお嫁さんから電話がきた。息子と話したあと孫に変わった。孫は、赤ちゃん赤い? とか聞いていた。

 お嫁さんは胎盤が剥がれず大量出血した。連絡のなかった5時間は大変だったのだろう。出産は今でも命懸けなのだ。

 上の子のことが気がかりだろう。孫もふざけているが不安で寂しいと思う。お嫁さんにはゆっくり休んでほしい。こちらのことは心配しないで。体力だけはあるからね。早く快復して会えますように。

18 家事が苦手な女たち

 豪快な美容師が若い頃、彼氏を部屋に連れてきた。彼女がトイレから出てくると、彼氏は消えていた。置き手紙を残して。
『部屋、掃除しろ』
 その後は? 
 彼女は掃除の仕方を知らなかった。田舎の実家もそうだったから。
 注意され、直した。店はきれいだ。時々はきれい好きの客が来て、2、3時間かけて掃除してくれるらしい。

 直さない女もいる。嫁いで来た時には姑がいた。自分は働いていた。食事の支度も姑がしていた。姑が亡くなるとどうしようもない。親戚が大勢来た。続けて舅も病気になり、亡くなった。その間、親戚は数年、見舞いや葬式や法事で来た。まだ新築の、大きくて旅館のようだった家は変わり果てた。

 まず、入ると靴下が真っ黒になる。とりあえず仏間で線香をあげる。仏間がすごいことになっていた。キャンプ用品が置いてあった。ぶん投げてあった。
 そのあとは掃除機をかけ、床を拭かなければならない。布団を点検しなければならない。シーツは持参していく。蕎麦殻の枕を持つと、破けていて蕎麦殻が床にザーッと。息子はくしゃみが止まらなくなり、自分で鼻と口をタオルで覆った。

 カレンダーは何年前のもの? 冷凍室には5年やそれ以上前の食糧が入っている。食べる日が来るのか? テーブルに伏せてあるコップを使った妹は台所に走って吐き出した。カビ臭い、と。
 洗濯機を借りようとすると、洗濯は途中だ。当時は2層式だった。最後まで終わっていない。終わらせなければこっちの洗濯はできない。風呂は3日取り替えてないけど……おっとりとおっしゃった。これも掃除する。
 お風呂、どうぞ、と言われ裸になって風呂場を開けたら、墓参り用の花が桶にたくさん。

 料理も苦手だ。もてなす気持ちはないのだろうか? こっちは夜中、寝ずに運転していくのだ。朝方着くのが悪いのか? 茶の一杯も出ない。自分で入れようとすれば、いつの茶葉だかわからないけど……と穏やかに。茶やコーヒーを入れて飲む習慣はない。湯を使うのはカップラーメン。
 サラダにはボロボロのゆで卵が丸ごと入っていた。青ものの茹で加減を知らない。前の晩に米と水を入れ放置しておく。米どころのおいしいごはんをおいしく炊けない。

 洗濯物はたたまない。山にしておき、その中から取っていく。合理的だ。夏に大勢が泊まるのに蚊取り線香がない。息子さんが自分の部屋のを持ってきてくれた。

 旦那と喧嘩をすると実家へ帰ってしまう。帰られた方も迷惑だろう。姉が婿を取っている。そんなことが何度かあったらしい。旦那はもう諦めたのか?

 風呂場のシャワーは何年も壊れたままだった。田舎に行くのは憂鬱だった。
 しばらくぶりに行った時、夫婦の歯はふたりともほとんどなかった。まだ40代だった。
 長男が結婚して同居した。お嫁さんに期待した。片付けるのではないか? と。
 しかし、妹たちは益々遠のいていった。墓参りをしても家には入らない。
 

19 雌雄同体の軟体動物

 海辺の家に来ている。古い一軒家だ。湿度が高い。
 虫が出るのは当たり前。覚悟していた。虫好きの長男を育てたのだ。カマキリをつかんだ時には子供たちに尊敬された。
  
 蚊、蜘蛛はいるだろう。殺虫剤がそこらじゅうに置いてある。窓を開ければ網戸にスプレーする。前日にはゴキさん用のホウ酸団子を家中に置いた。
 しかし……だから出てきた。弱って痩せ細ったのが1匹。息子は留守だった。孫が騒ぎ自分でスプレーをかけた。親の仇を相手にするように。顔つきも言葉も変わった。そして動かなくなったのを2枚だけのティッシュでつかみ、手でつぶそうとした。
 つぶすのはやめて。何枚ものティッシュでぐるぐる巻にして捨てた。

 次に出たのは……孫にも初めてのことらしい。リビングのフローリングの床の上を茶色い毛虫が這っていた。孫は手が出なかった。私はそっとティッシュでつかみ、外に出て逃した。つぶすのは嫌だ。
 次女が子供の頃、虫を捕まえると、殺さないで、殺さないで、と叫んだ。優しいのか、必ず言った。そのくせ、次女夫婦は揃って虫が苦手なのだ。1歳の孫が外で、ミミズをつかんでいた……まだ、気持ち悪いともわからない男の子だ。この先大丈夫か?
 そういえば長女の孫が言っていた。パパはトングでゴキさんをつかんだ、と。この孫もこの間までゴキさんを見ると、カブトムシだと思いさわろうとした……

 毛虫、ゴキさん、なんでも来い。しかし……
 風呂場に出た。体を洗っていたら排水溝のそばに……私は目が悪い。近くで見たら、小さな○○○○さん。それだけは勘弁して。
 シャワーで追いやろうとしても排水溝に流れてくれない。桶に両足を乗せて頭を洗った。浴槽に入って排水溝に追いやろうとした。数分の格闘ののちの勝利。

 翌朝、息子に言うと、棚の上の塩をかけるんだそう。きれいなボトルに入っているのはバスソルトだと思っていた。
 浴槽の水を抜いたら栓をしておかないといけない。排水溝は桶をかぶせて暗くしておかないと。
 まだ、当分こちらに滞在する。研究せねば。
 

20 家族

 7歳の孫がおにいちゃんになった。数年前も喜んだ。孫は期待し兄になる覚悟もできていたのに、ママのおなかの中で亡くなっていた。そのあとは子宮外妊娠。もう、ひとりっ子でもいいのでは、と口には出さないが思っていた。

 妊娠初期はつわりがひどく痩せた。息子は仕事から帰ると台所仕事。後期は妊娠糖尿病とかで心配した。予定日を過ぎると胎児に影響が出るので、遅くなることはない、と聞かされていたのに、陣痛がこない。促進剤を使っても……体力がなくなるのでストップ。心配した。ようやく出産した。コロナ禍で立ち会いも面会もできない。産んだあとには1500ccの大量出血。

 上の子の出産の時には息子は立ち会った。仕事の帰り、食事も取らずに何時間? 明け方生まれた。たいして休みもせずにまた仕事に。
 出産して半月ぐらい経った頃、息子が出勤時にバイク事故を起こした。車が寄ってきたのでよけて転倒。接触していないので息子にも2割の過失が。よけたのが悪いらしい。よけずにぶつけられていれば……?

 息子からの連絡は私にきた。お嫁さんは産後半月だ。私が動かねば。あたふたとタクシーを呼び病院へ。ショックで母乳が出なくなるのでは? と心配した。暑い夏に手術。狭いロビーで長時間待った。幸いにも正座ができないくらいの後遺症だけですんだ。
 この息子、病院の世話になりすぎだ。まずは気胸。ひとり暮らしの時、電話がきた。胸が苦しい……あれは入院が長かった。病院は職場のそばだから、バスと電車を乗り継ぎ乗り継ぎ。
 次は手を切った。仕事中、頭にきて、近くにあった紙の袋を叩いたら……中にガラスが……手術。この時には今のお嫁さんが、まだ紹介はされていなかったが、世話をしてくれたのだそう。
 結婚してからバイク事故、そのあとにはヘルニアの手術。付き合いで保険に入っていてよかった。

 手術から1ヶ月くらい、出産から1ヶ月半ほどで親子3人は家に戻った。息子は杖をつき、当分は休職。お嫁さんは、こちらも産後が辛かったようだ。娘と、交通事故にあったみたい、だと話していた。交通事故? 安産の私には? まあ出産年齢が違うが。
 それなのに、3ヶ月もすると短期の仕事を探し働きに出た。生活が心配だったのだろう。息子が日中育児をした。お嫁さんの弁当も作っていた。息子は通院の日は孫をあずけにきた。帰りには、おかずをたくさん持たせた。

 翌年仕事に復帰した。お嫁さんも孫が1歳になる前に保育園に入れ働きに出た。
 男の子はよく熱を出した。保育園から電話がかかってきた。私もちょうど仕事をしていない時期。自転車で25分の保育園まで迎えに行った。何度も行った。連れて帰ると熱は下がる。家の目の前が公園で助かった。祖母には楽しい3年間だった。私が笑うと真似して笑った。大袈裟に欠伸をするとやはり真似た。消防自動車が好きだから、近くの消防署まで歩いて見に行った。帰りにコンビニでお菓子を選んだ。長い時間かけてひとつだけ。
 孫は覚えていない。公園の前の家のことも保育園のことも。

 もうすぐ妹がやってくる。祖母は帰る。もう以前の家のように、簡単には会いにこられない。

あれやこれや 11〜20

あれやこれや 11〜20

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-12

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Copyrighted
  1. 11 お隣さん
  2. 12 殴らせるために嫁にやったんじゃない
  3. 13 貯蓄
  4. 14 借金
  5. 15 邪悪の蛇
  6. 16 節約
  7. 17 出産は命懸け
  8. 18 家事が苦手な女たち
  9. 19 雌雄同体の軟体動物
  10. 20 家族