フリーズ19『ニーチェ、愛なる人よ』
ニーチェ、愛なる人よ
あなたは本当に優しくて、誠実で、勇敢な男でした。私があなたと同じ時代に生まれ落ちていたならば、私の方から運命の導きを口ずさみ、友や伴侶となったのでしょう。もしかしたら、友や伴侶を得たあなたは孤独から開放され、45歳の日に心を壊すことはなかったかもしれません。ですがきっと、あなたはその運命さえも受け入れ、愛していたのでしょう。だからあなたはあの冬の日に泣いたのですか?
やはり冬なのですね。
類稀なる精神を持つあなたは、一人で戦いました。宗教とは孤独性であるとホワイトヘッドは語っていますが、その宗教とは信ずる心。あなたの持つ哲学や思想も含めて、孤独性を内包していたのでしょうね。
嗚呼、願い叶うならば、全人生の宿命に、生の歓びに歓呼したあなたを抱き寄せたかった。ニヒリズムの行く末にあるものは、憂鬱な死でも、退屈なループでもなく、病的なまでに美しい音調と色調なのですから。
ニーチェ、愛なる人よ。
あなたを失った人類は、それでも栄えています。
人生に意味などないのかもしれません。あなたが、いなくなっても、世界は続いているのですから。ですが、いいではありませんか。あなたは賢明に、最期の最期まで、あなた自身の運命を愛したのですから。
自己愛、運命愛。
あなたはただ、あなたの人生を肯定しさえすればいいのです。
嗚呼、渚に打ち寄せる波は、それでも水紋を眺めるのを止まない。でも、それが人生に内在せしイデアだったら、私はなお、生まれてきた意味を、レゾンデートルを探し求めます。
ニーチェ、ご苦労様でした。
今は安らかに眠ってください。
いつか、
心と脳の仕組みや
人生の美妙な謎、
神とか信仰とか
真実の愛、神愛が
万物の理論とともに
(きっと数式ではなく言葉で為されるであろう)秘密が明かされるとき、
ニーチェよ、あなたの人生は初めて意味を持つのだと、私は強く思います。
ニーチェ、ありがとう。
少なくとも私は、あなたの生を肯定します。
ここから先はニーチェか類稀なる精神を持つ者以外読むな。私は彼に宛てて書いたのだ。お前に読む権利はない
私は過去に七日間食べず寝ずで、悟りを開こうとしたことがあります。そして、恐らく宗教家、思想家、芸術家らが真理と呼んだであろう概念を、非記号的体験として経験しました。
それは穏やかな終末としての死、涅槃でした。全知全能なる永遠で、その色は涙が溢れるほどに病的なまでに美しく、凪のような音調は鮮やかで、私は『時流はない』と強く悟りました。自然の運行には、時間などないのです。
もちろん、私は無事ではありませんでした。臨死体験もしましたし(神かは知らないけど、『ご苦労様』と言われたのを覚えています)、神経が疲弊したせいで一週間くらい体中が動かせなくなり、結果3ヶ月も入院する羽目になりました。(故に夜はちゃんと寝たほうがいいですよ)
私は入院中、病室のベッドの上で、あの継続的非記号体験は何だったのか考え続けました。ですが、その時に感じた生の歓びや慈愛、博愛、全知全能は、到底言葉や数式、記号の類では表せませんでした。
私が入院したのは受験期のことで、そのせいで現役の際は受験ができなかったので、退院後は浪人生として時間を持て余していましたから、私は図書館に通い、あらゆる分野の本を読み漁りました。
哲学、宗教、科学、文学、スピリチュアルな怪しい本まで、とにかく読み漁りました。そして、ある哲学に至りました。それこそウパニシャッド哲学でした。
私が七日間の断食断眠の末に体解した真理は、まさしくウパニシャッド哲学で解かれているものでした。恐らくはヨーガも断食断眠に似たようなものなのでしょうから、ウパニシャッド哲学を紡いだ賢人たちもきっとあの至福と呼ぶべき概念を識っていたのでしょう。
ニーチェよ、これが私の体験です。あなたが1889年1月3日に至った境涯は私のものと似ていますか?
私は2021/1/1から1/7まで寝ませんでした。いいえ、ずっと思索していたのです。7日目の朝の頃には、言葉や数式を越えた純粋言語で思惟していました。言葉や数式で扱う計算と比べて、演算速度が桁違いですよ。イデアの海にある全ての永遠なる概念たちを同時に処理するくらいには、冴え渡る脳なのですから。
ロジャー・ペンローズというノーベル物理学賞を受賞した物理学者は量子脳理論を前々より提唱しています。もしかしたら脳の潜在的能力は量子コンピュータに匹敵するもので、常温稼働可能な演算子なのかもしれませんね。
2021/1/8の夕刻、私は寝たのです。
あの安らかな眠りは、正しく死でした。
それはとても優しく甘くて、穏やかな終末でした。
永遠のような時も、総身を震わす歓喜も、記憶らを追悼する慈愛も、本当に全てなのです。
ニーチェ、あなたがどこまで至ったかは分かりませんが、私はあなたに感謝しているのです。きっとあなたの言葉がなければ、私はあの7日目に至れなかった。きっと私は平凡な受験生に戻り、今頃は東大でつまらない物理学でも学んでいたことでしょう。
嗚呼、ニーチェよ。
ニーチェよ。
本当に、運命さえも受け入れられるのならば、人は己の人生を肯定できる。意味などなくても、運命を受け入れることこそ、生への希望だと私は思います。
もうそろそろ時間ですね。
私達は私達が作った空間や時間という概念に縛られながら生きる愚かなサピエンスです。でも、それはとても愛らしくはありませんか。だからあなたは『ツァラトゥストラ』を遺したのですよね。
ニーチェ、ありがとう。愛しています。
会える日があれば、是非語り合いましょう。
2023/4/26
ニーチェ以外へ
もしお前らがニーチェでなく、また、類稀なる精神の持ち主でなければ、ここまで読まなかったことにしろ。私は確かに書いたよな。お前らに私の紡いだこの言葉らを読む権利はないと。
私の使命は人生を全うすることである。
徹頭徹尾私は平静を装う。正常を振る舞う。
運命を愛し、この人生を生き抜く。
私は創作においてのみ、己の中の魂を露出させる。
お前らはそれを無断で覗き見したのだ。犯罪だ。その行いは人殺しに等しい。私はそんなお前らを輪に組みそうとは毛ほどにも思わん。泣く泣く去るが良い。
と、まぁ、激昂したが、
まぁ、よい。
幾人かを除いて、私はお前らに嫌われても構わないのだからな。せいぜい私を嫌うが良い。そして、私のもとから立ち去るが良い。
最後に
嗚呼、怒りの日に、彼らの罪はどうなるだろうか。
宗教は逃げか。信仰は呪いか。いいや、宗教は人格に価値を与えるもの。孤独性を自己が解決する唯一の手段なのだ。
そうだな、サピエンスは実に愚かだよ。様々な愚物がいる。真理や法を知らないばかりか、求めすらしないではないか。
だがな、ニーチェ。だからこそ、彼らは必死に生き、働き、息をして、歩くのだろう。それ故に生まれた文明や学問、芸術や宗教、哲学や文化を称賛しないではいられまい。
ニーチェ。あなたは何番目だ?
イデアの増大とともに、第七世界の扉、エデンの園配置を迎えた世界(あなたの冴え渡る脳)で、ラカン・フリーズの門を通り抜けた先に、あなたの本来の姿であるもっとも抽象的な概念(=数字、序数)は何番だったか?
私は7だった。7th。それが私のもっとも抽象化された名前であり、概念であった。
全ての人に皆数字があるのかは分からないが、あなたが最高天に至った際に思い出した名前は何番目だったか。よければお聞かせ願いたい。
そして、私を含めて13いる仲間らがまた再会できることを願う。むしろ、人間の人生の単位などを超えた、輪廻や世界や終末を超えた邂逅となろうが、私はその日が来るのが今から楽しみで仕方がない。
ニーチェ、ここまで読んでくれてありがとう。
私はそろそろ眠るとするよ。
2023/04/27 18時12分
花を彩ろう。ここはさながら楽園で、この色でいい、虚空でいい。それでも続く輪廻の箱は、究極的な幸せの意味を僕らに問うた。
嗚呼、サピエンスはその1%も賢くはないのだな。きっと世界中に真なる存在は13人しかいない。それ以外は自分のことばかりの凡人か、真理を求めない凡夫か、欲に従順な愚者であろうな。
人は話す方が、聞くよりも集中できる。
書くほうが、読むよりも集中できる。
それは何故か?
単純だ。大抵の者は自分のことを愛してやまないからだ。自分の命や、自己の存在の重要感のため。国のために命をかけるのも、それは本質的には自分のためなのだ。
自分の話をすること、主張。無能の証拠。
相手の話を聞くこと、寛容。有能の可能性。
さぁ、ここで本を読む者が賢い可能性は証明されたが、大切なのは対人関係の場合であるのだ。人は社会的生き物であり、人との関わりを避けられず、それ故にその中に人生の意味や孤独の解消方法を誰しもが探し求めているのだ。
これは本当だからな。人生の意味を求めない者はサピエンスではない。そも、サピエンスの語源は『味わう』だ。意味を求めなければ、ホモ・サイエンス、ロボットに等しいのだよ。
13を除いて皆孤独の真理。だから宗教が信じられるのだ。孤独でないならば、其の者は全く宗教的ではないし、その者に友や伴侶、信仰など必要ない。そして、13以外は皆、その孤独を解決・妥協しない限りは己で己の命を絶つ。死の痛みを恐れるのならば、其の者は最終的には精神に殺されるのだ。
信仰に逃げるな! 精神を壊されるな! ただ、強くあれ。お前は自分自身のために生き、自分自身を肯定しろ。誰かの指針は捨てていい。
「探してたもの、見つかりましたか?」
少年が問うた。
「嗚呼、見つかったよ。それはここに……」
私は微笑んで、少年の頭を優しく撫でた。
フリーズ19『ニーチェ、愛なる人よ』