忠実な友人

忠実な友人

オスカー・ワイルド 作

文学フリマ東京36で発行した新刊、オスカー・ワイルド「The Devoted Friend」の翻訳本を一部抜粋して掲載します。
作中の方言は厳密にどこかの地方に準拠するものではありませんので、雰囲気で読んでいただけると幸いです。
完全版(書籍)はBOOTHで購入可能です:https://southnode.booth.pm/items/4737414

ある朝、一匹の年老いたミズネズミが巣穴から顔を出しました。抜け目ない輝きを灯した目と固い灰色のひげを持ち、長く伸びた尾はさながら黒い弾性ゴムのようです。池では、小さなアヒルたちが無数の黄色いカナリアのように泳ぎ回り、純白の羽根に真紅の足をした母アヒルが、どうすれば水の中で逆立ちできるかを教えていました。

「上流階級に仲間入りするには、逆立ちできなければなりませんよ」母アヒルは口を酸っぱくして説き、時に手本を見せていました。ところが、仔アヒルたちは母親の言葉に耳を貸そうともしません。母の訓示が世渡りにどれほど重要かを理解するには、幼すぎたのです。

「なんと、いうことを聞かない子たちなのだろう」年老いたミズネズミは嘆きました。「溺れてしまうがいい」

「とんでもないことをおっしゃらないでください」母アヒルは反論します。「はじめは誰でも初心者です。それにどこまでも付き合うのが親というものですわ」
「ふん。わしには親の情というものがわからんのだよ」ミズネズミは答えます。「所帯を持っておらんからな。だいたい、結婚したこともなければ、したいとも思っておらん。愛はそれなりに素晴らしかろうが、友情の方が尊い。じっさい、忠実な友情ほど気高く、そして得がたいものをわしは知らんね」

「では、忠実な友人の務めとはなにか教えていただけますか?」アオカワラヒワが訊ねます。すぐそばの柳の木にとまり、やりとりを聞いていたのです。

「ええ、私もそれが気になるわ」母アヒルは頷くと、池の端まで泳いでいき、逆立ちをしました。子どもたちに良い手本を見せるために。

「なんて馬鹿馬鹿しいことを」ミズネズミは嘆きました。「忠実な友には忠実であることを期待するものだろう」

「ではその友人にあなたはどうやって報いるのですか?」小鳥が問いかけます。小さな翼を羽ばたかせ、銀色の小枝の上を飛びながら。

「なにが言いたいのじゃ」ミズネズミは応じます。

「ひとつ、友情にまつわる物語を話しても良いでしょうか?」アオカワラヒワが提案しました。

「わしに関わる話なのか?」ミズネズミは疑わしそうな表情で訊ねます。「ならば聴かないこともない。作り話は大好きだからの」

「あなたにも覚えがあると思います」アオカワラヒワは頷くと、柳の木を離れ、土手沿いを飛びながら忠実な友人にまつわる物語を話し始めました。

「むかしむかし」アオカワラヒワはそう始めました。「ハンスという名の、正直な小男がおりました」

「そいつはえらく有名だったのかね?」ミズネズミが茶々を入れます。

「いいえ」アオカワラヒワは首を振りました。「彼はその思いやりにあふれた心と、丸く陽気な顔以外、これといって目立ったところはありませんでした。小さな小屋に一人で暮らし、日々庭いじりをしていました。ただ、その地方では、彼の庭ほど素晴らしいところはなかったのです。アメリカナデシコを筆頭に、ニオイアラセイトウやナズナ、白いラナンキュラスが育てられていたのです。ダマスクローズや黄色のバラ、あわい紫や金のクロッカス、そして紫や白いスミレも。オダマキやハナタネツケバナ、マージョラムにワイルドバジル、キバナノクリンザクラ、アヤメ、ラッパズイセン、カーネーションが月替わりで一種類ずつ、次々と咲くように整えられており、常に目を楽しませ、かぐわしい香りを漂わせていました。

ちっちゃなハンスにはたくさんの素晴らしい友人がいましたが、中でも一番忠実な友人は大男で粉挽き屋のヒューでした。

実際、金持ちの粉挽き屋はちっちゃなハンスのことをとてもに大切にしていました。ハンスの庭を通りかかるといつも、塀越しに花を摘んで大きな花束をつくったり、ハーブをひとつかみ摘んだり、果実のなる季節ともなればスモモやサクランボをポケットに詰め込んだりしていたのです。

『真の友人というのはなんでも共有すべきなのさ』よく粉挽き屋はそう口にし、ハンスは笑みを浮かべて頷いていました。そんな気高い考えを持つ人間と友人でいることが自慢だったのです。

実のところ、近所の人々はときどき、金持ちの粉挽き屋がハンスになんの見返りも与えないことに首をひねっていました。粉挽き屋は粉挽き小屋に小麦粉の大袋を百もため込み、六頭の乳牛を飼い、毛刈り用の羊の大きな群れを持っていたからです。ですがハンスは露ほども疑問に思いませんでした。それどころか、真の友情から生まれる無私の心の素晴らしさを説く粉挽き屋の言葉に、このうえなく嬉しそうに耳を傾けていました。

こうしてちっちゃなハンスは庭の手入れに精を出していました。春、夏、そして秋の間は幸せに満ちあふれていましたが、冬になると市場(いちば)に出す果実も花もなく、寒さと飢えに(さいな)まれ、夕食を干した桃や固い木の実だけでやり過ごして眠りにつくことも珍しくありませんでした。それだけでありません。冬の間、ハンスはひどく孤独でした。粉挽き屋が決してハンスの元に足を運ばなかったからです。

『雪の降っている間はハンスのところに行っても良いことはないからな』粉挽き屋はしょっちゅう妻にそう言っていました。『来客に(わずら)わされることがないよう、困っている時には放っておくのが良いんだ。俺の考える友情とは少なくともそういうもので、間違ってない自信があるね。だから春が来るまで待って、あいつのところに行くんだ。そしたら籠いっぱいのプリムローズを俺にプレゼントできて、あいつも幸せだろう』

『あなたは本当に他人への思いやりがある人だわ』大きな松の薪をくべた火のそばで、ゆったりとした肘掛け椅子に揺られながら、彼の妻は頷きました。『本当、思いやり深いわ。友情についてのあなたの話が聞けてほんとうに幸せ。こんな素晴らしい話、牧師様だってできっこないわ。三階建ての家に住んで、小指に金の指輪を嵌めていらっしゃるけど』

『なら、ハンスおじさんをここに呼ぶことはできないの?』粉挽き屋の末っ子は首を傾げました。『もしかわいそうなハンスおじさんが困ってるなら、僕のポリッジを半分分けてあげられるし、白ウサギたちを見せてあげられるのに』

『おい、馬鹿なことを言うもんじゃない』粉挽き屋は顔を(しか)めました。『まったく、なんのために学校にやっているんだか。なにも学んじゃない。ハンスがうちに来て、暖かい暖炉やうまい食事、それに極上の赤ワインがつまった樽を目の当たりにしてみろ。嫉妬するかもしれないだろう。嫉妬はとにかく厄介で、人の性根を歪ませるんだ。俺はハンスの気の良いところを台無しにするようなことは絶対にしない。俺はあいつの一番の親友で、いつも見守り、唆されたりしないよう目を光らせてなきゃならん。それにな、ハンスが来てみろ。つけで小麦を分けてくれって頼んでくるはずだ。だがそんなことはできん。小麦は小麦、友情は友情だ。混同しちゃならん。綴りが違えば意味もまるで違ってくる。誰でも知っていることだ』

『本当にお話が上手ね』あたたかいエールを手ずから大きなグラスに注ぎながら、粉挽き屋の妻は頷きました。『ああ、すっかり眠くなっちゃってしまったわ。教会の中にいるみたい』

『立ち回りの上手いやつは大勢いる』粉挽き屋は答えます『だが、話が上手い人間は一握りしかおらん。ということは、行動と言葉なら、話す方がより難しく、より素晴らしいということだ』そしてテーブル越しに幼い息子を厳しい目を向けました。末っ子は恥ずかしさのあまり項垂(うなだ)れ、顔を真っ赤にして涙を流し始め、紅茶の中にその(しずく)が落ちました。ですが、まだ幼いのだから許してやるのが妥当でしょう」

「それで終わりか?」ミズネズミは不満そうです。
「もちろん違います」アオカワラヒワは首を振りました。「これはほんの序章です」

忠実な友人

なんとも言えない読後感の作品ですが、何かご自身の心に残るものがおありでしたらWaveboxで絵文字を飛ばしていただけれると励みになります。
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忠実な友人

文学フリマ東京36で発行した新刊、オスカー・ワイルド「The Devoted Friend」の翻訳本の抜粋版です。 完全版(書籍)はBOOTHで購入可能です:https://southnode.booth.pm/items/4737414

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-04-23

Copyrighted
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