小夜啼鳥と薔薇の花
オスカー・ワイルド 作
南海アスカ/咸月 訳
翻訳講座で課題として指導を受けながら訳したオスカー・ワイルドの「Nightingale and the Rose」の抜粋版を掲載します。
完全版(電子書籍)はAmazonで購入可能です:https://www.amazon.co.jp/dp/B0C92V82XK
「赤い薔薇を捧げれば、彼女は僕とも踊ってくれるんだ」学生は嘆きの言葉を続けました。「だけどうちの庭には赤い薔薇が一本もない」
トキワガシにある自分の巣でその声を耳にしたナイチンゲールは、葉っぱの間から顔を覗かせ、目を瞠りました。
「ひとつも赤い薔薇がない!」彼はふたたび嘆くと、美しい目に涙を浮かべました。「こんな些細なものに幸せが左右されるなんて! 僕は賢人たちの著したあらゆる本を読み尽くし、哲学にまつわる真理をすべからくものにしている。けれど、僕の人生は惨めだ。たった一本、赤い薔薇がないばかりに!」
「ああ、待ちわびていた、真実の愛を持った人だわ」ナイチンゲールは喜びました。「夜ごとにまだ見ぬ真実の愛を抱く人を歌い、夜ごとにその物語を星々に語りかけたわ。今、やっとその人に出逢えた。その髪はヒヤシンスの花のように暗く、唇は彼の求める薔薇のような赤。けれどその情熱のせいで顔は象牙のように青ざめ、眉は悲しみに歪んでいるわ」
「明日の夜、王子主催の舞踏会がある」学生はぶつぶつと口の中で呟きます。「そして僕の愛しい人もそこに出る。一輪、赤い薔薇を捧げれば、夜明けまで僕と踊ってくれるはず。赤い薔薇さえあれば、彼女をこの腕に抱き、彼女は僕の肩に頭を預けるだろう。そして僕はその手をしっかりと握りしめる。だけど僕の庭には赤い薔薇がない。ということは、ひとりで座り込む僕の側を、彼女は素通りしてしまう。僕に一瞥もくれないで。そうなったら僕の心はズタズタだ」
「ああ、本当に、真実の愛を抱いた人だわ」ナイチンゲールは続けます。「私が歌う主題に彼は苦悩しているのね。私には喜びでも、彼には苦痛なんだわ。確かに愛は一筋縄ではいかない、素晴らしいもの。エメラルドよりも尊くて、極上のオパールよりも魅力的。真珠やザクロの実であがなえないし、市場にも売っていない。商人からは買えないし、金ですら秤にかけることが出来ないのよ」
「音楽隊は専用の席で弦楽器を奏でるのだろう」学生は言いました。「僕の愛しい人はハープとバイオリンの音色にあわせて踊るんだ。それは床に足が触れることがないほど軽やかな踊りのはずだ。そして煌びやかな衣装に身を包んだ廷臣たちが周りに群がるんだ。けれど僕とは踊ってくれない。赤い薔薇を用意できないから」そして彼は芝生の上に身を投げ出すと、両の掌で顔を覆い涙を流しました。
「なぜ彼は泣いているんだい?」小さなミドリカナヘビが、尻尾を振って学生の傍を走り抜けながら訊ねます。
「ほんと、なんでなの?」陽光を追って羽ばたきながら、チョウチョも不思議そうにしています。
「ねぇ、なんでなんだろう?」柔らかく小さな声で、ヒナギクが隣の花にささやきかけました。
「一輪の赤い薔薇を思って涙を流しているのよ」ナイチンゲールは答えました。
「一輪の赤い薔薇のためだって?」彼らは揃って呆れたような声を上げました。「あぁなんてくだらない」皮肉屋の小さなカナヘビは無遠慮に嘲ります。
ですが学生が心に秘めた悲しみを理解しているナイチンゲールは、それには答えず、トキワガシの枝に佇んで愛の神秘について考えを巡らせました。
不意に彼女は茶色の翼を羽ばたかせると、大空に向かって飛び立ちました。人目に付かないように木立の中を飛び、影のようにひそやかに庭を横切ります。
芝生の真ん中に美しい薔薇の木を見つけたナイチンゲールは、そちらに向かって翼を駆り、小枝に止まりました。
「赤い薔薇を一輪くださらないかしら?」ナイチンゲールは訴えます。「そうしたら私が知っている中で一番素敵な歌を歌って差し上げます」
ですが木はかぶりを振ります。
「私の薔薇は白いのだよ」木はそう答えました。「海の泡のように白く、山頂を覆う雪よりも白い。だが、古い日時計の近くに茂っている私の兄弟のところに行ってみるといい。君が求めているものをくれるかも知れない」
その言葉に従い、ナイチンゲールは古びた日時計の近くに植わった薔薇の木のもとに向かいました。
「赤い薔薇を一輪くださらないかしら?」ナイチンゲールは訴えます。「そうしたら私が知っている中で一番素敵な歌を歌って差し上げます」
ですが木はかぶりを振ります。
「私の薔薇は黄色いんだ」木はそう答えました。「琥珀の玉座に腰かけた人魚の髪のように黄色く、鎌を携えた草刈り人に刈られる前の草原に咲くラッパズイセンよりも黄色いのだよ。だが、学生の家の窓の下で枝を伸ばしている私の兄弟を訪ねてみれば、君が求めているものをくれるかも知れないよ」
その言葉に従い、ナイチンゲールは学生の部屋の窓の下に生える薔薇の木に向かいました。
「赤い薔薇を一輪くださらないかしら?」ナイチンゲールは訴えます。「そうしたら私が知っている中で一番素敵な歌を歌って差し上げます」
ですが木はかぶりを振ります。
「私の薔薇は赤だ」木はそう答えました。「鳩の足のように赤く、海洞の中で、波打つように見事な枝を広げる珊瑚よりも赤い。だが冬の寒さが葉脈を凍らせ、霜がつぼみを枯らし、吹雪が枝を折ってしてしまった。おそらく今年、私はたった一輪の薔薇すら咲かせることはできないだろう」
「赤い薔薇がたった一輪、あれば良いんです」ナイチンゲールは懇願します。「赤い薔薇をたった一輪だけ! どうにもなりませんか?」
「方法は、ある」木は答えました。「だが残酷すぎて、とても教えられないな」
「教えてちょうだい」ナイチンゲールは言い募ります。「怖いものなど何もありませんわ」
「赤い薔薇が欲しいなら」薔薇は厳かに口を開きました。「月明かりの下、音楽を奏でて薔薇の花を咲かせ、君の心臓から流した血で染め上げなくてはならない。その胸に棘を刺し、私に歌を捧げなくてはならないんだ。一晩中私のために歌い、君の心臓を棘で貫いて、そこから流れた血を葉脈に通わせる必要がある」
「一輪の赤い薔薇に払うには、確かに死は高いわ」彼女は叫びました。「誰のものであれ命はかけがえのないもの。黄金の日輪をまとう太陽を、そして真珠の輝きに彩られた月を緑の木から眺めるのは楽しいことだわ。サンザシの香りは芳しく、谷間にひっそりと咲くブルーベルや丘を彩るヘザーも美しいものよ。それでも愛は命より尊いの。まして人の心の尊さに比べたら、鳥の命なんて」
そう言うとナイチンゲールは茶色の翼を羽ばたかせ、大空に向かって飛び立ちました。影のようにひそやかに庭の上を横切り、人目に付かないように木立の間を縫うように飛びます。
小夜啼鳥と薔薇の花
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