(2024年完)TOKIの世界譚⑤ルナ編
ルナは二人いる
「栄優(えいゆう)さん……、栄優さん……」
弐(精神、霊魂の世界)にある神々の図書館内。
ある時神と「同じ顔」の男が本を片手に閲覧席で眠ってしまっていた。
「栄優さん……お疲れなのですね」
この図書館の館長、天記神(あめのしるしのかみ)は優しく笑う。
天記神は中身は女性だが体は男性である。物腰の柔らかい、優しい青年だ。
「歴史神になってまだ、日が浅い……真実に気づき、時神について調べ始めましたか。あなたはまだ知らないでしょうが、双子だったために生き別れた弟がいるのですよ。当時の双子は嫌われてましたからね……。私は伝えませんよ。自分で知った方がいい。眠っていると……子供みたい……」
天記神は毛布を栄優にかけてやる。栄優は幼さがわずかに残る顔で眠っていた。
「彼は亡くなってから神になった。若くして亡くなった。十八だったのよね……。大変だったわね。同時期に栄次さんが時神に……。栄優さんの家系は初めから神格化していた、人間の皮を被った藤原氏だったのかもね」
天記神は栄優の頭を優しく撫でると立ち上がり、テレパシー電話を始めた。
「……ムスビさん、ナオさん、時神が新たに増えています。神力の確認に向かってくださいませ。え? ナオさんが寝ている? 起こしなさい! 真っ昼間で歴史書店が開店してるはずでしょう! 店長が寝ててどうするの! ……全くもう……」
※※
サヨはルナを連れてお墓参りに来ていた。
「ほら、ここが先祖様のお墓。で、ルナの片割れの双子の子がここにいる」
サヨは夕焼けで橙に染まる山々を眺め、流れていく桜の花びらを手にとる。
「桜ももう終わりだね」
「……お姉ちゃん……」
ルナは不安げにサヨを見上げた。
「なに?」
「小学校って楽しい……かな?」
「まあ、幼稚園とは違うけど、あたしは楽しかったよ! こないだピカピカのピンクのランドセル、買ってもらってたじゃん。脇に宝石みたいなキラキラついてるやつ!」
サヨは優しく笑う。夕日に照らされたサヨの顔は新しい気持ちで輝いていた。
しかし、ルナの表情は暗い。
「おともだち、できるかな。ルナ……おともだちに話しかけられるかな……」
「そんなこと考えたってしょうがないじゃん? 大丈夫だよ、たぶん。ほら、ママとパパとお兄が待ってる行こ!」
「……うん」
……あのね、お姉ちゃん……。
ルナは幼稚園の時に、友達ができなかったの。
ねぇ、お姉ちゃん……
聞いてほしいの。
ルナは言葉を発することなく、言葉を飲み込んでしまった。
ルナはお墓をちらりと見ると軽く頭を下げてサヨを追った。
二話
桜の季節が終わり、新一年生のルナは伏し目がちに学校へ向かっていた。新しいピンクのランドセルはお気にいり。
ルナが知ったことではないが、昔は赤や黒、青あたりが主流だったらしい。今は様々な色のランドセルがある。
朝は姉のサヨと通学している。
兄の俊也はいつも忙しそうなため、一緒には行っていない。
「もうあついねー! 葉っぱも緑になったじゃん」
サヨはいつも陽気にルナに話しかけてくる。ルナは姉のようになりたいとも思うが、あこがれのままだった。
新学期が始まってそろそろ二週間。ルナは友達との話し方がわからなかった。それによりすでにクラスから孤立していた。
もう見えない友達の輪ができている。ルナはその友達の結束を深めるための餌食になっていることに気づいていない。
故に、話しかけようとしてしまう。
……ルナはいつも無視されちゃうの。皆、ルナのこと、きらいなのかな。
はじめはそう思っていた。
「あ、ルナ、学校着いたよ! あれ? 大丈夫? ねぇねの話聞いてる? 寝ぼけてる?」
「あ……だ、大丈夫だよ。お姉ちゃん……! ごめんなさい」
ルナは小さくあやまると笑顔でサヨと別れた。
「……最近、なんか変だな……」
サヨは慌てて走り去る小さな背中を眉を寄せて眺めていた。
ルナはいじめにあっていた。
子供達は自衛のため、おもしろ半分のため、仲間を取られたくないため、様々な思いを抱え、ルナを仲間外れにする。
ルナは元々内気な性格だ。
何をされても軽く笑ったまま、言い返さない。
子供にとっては良き標的であり、返す言葉が遅いルナにいらついていた。
女の子達はからかい、無視を始め、男の子は女の子に合わせてか、手が出始める子が現れる。
「どいてー、ジャマジャマ!」
男の子がルナを突き飛ばす。
ルナは尻餅をつき、座っていた女の子の足に頭をぶつけた。
「え、やなんだけど。足に当たった」
「うわっ、かわいそ~、大丈夫?」
別の女の子が心配したのはルナではなく、ルナの頭が足に当たった女の子。
「ご、ごめん……ね」
ルナは慌てて立ち上がり、自分の机に座った。机には汚い落書きがしてある。新しくもらったルナの大事な鉛筆はすべてシンが折れており、机はその鉛筆でグルグルと塗りたぐられていた。
消しゴムがない。
ルナは筆箱の中を探す。
鉛筆削りもなくなっていた。
……ママに買ってもらった消しゴムと鉛筆と鉛筆削り。
「あ~、ごめんね! ちょっと踏んじゃってさ。あんなとこに落ちてんだもん」
女の子から消しゴムが返された。乱雑にちぎられて返ってきた。
女の子が指差した方を見ると、廊下にランドセルの中身ごとぶちまけられていた。
鉛筆削りは見つからない。
ルナは目に涙を浮かべた。
……パパに買ってもらったランドセル。
ルナは立ち上がって廊下に出てランドセルの中身をしまう。
ランドセルは傷つけられてなかった。子供は範囲をわかっている。ランドセルをやるとマズイこと、そこまではできないことがわかっている。
中身をしまっていると男の子がランドセルを蹴り飛ばしてきた。
「邪魔なんだけど。廊下の真ん中!」
「あ、ご、ごめん……ね」
ルナはずっとあやまっている。
なんで皆、ルナに冷たいのか。
ルナはまだ、理解できないでいる。皆の結束を高めるためにルナが使われていることを。
※※
ルナは帰り道を暗い顔で歩く。
本当はママが迎えにくるはずだった。でも、ルナはママに会いたくなかった。友達と校庭で遊んでから帰ると嘘をつき、ママに遅くきてもらおうとする。
友達はいないので、この嘘はとても寂しい気持ちになった。
しかし、今はスマートフォンで子供の登下校が管理されているため、ママはすぐに気がつくはずである。
「ママ、迎えにきちゃうよね……。ママ、ごめんなさい」
ルナはさみしい気持ちを抱えつつ、駄菓子屋の前を通りすぎる。駄菓子屋の中に和服を来たおサムライさんがいた。駄菓子屋のおばあちゃんとお話をしている。
一年生の帰りは早い。
お昼頃だ。
ルナは駄菓子屋のアイスが入っているケースの前で中をうかがう。
おサムライさんが気がつき、鋭い目でルナを見てきた。
おサムライさんが怖かったルナは涙目になり、入り口で固まっていた。
「あ、すまぬ。睨んでいるわけではないのだ。俺はこういう顔で……。な、泣かないでくれ……」
「……ごめんなさい」
ルナはあやまってばかりだ。
とりあえず、よくわからないが毎回自分が悪いのだ。
そう思ってしまっている。
「……お嬢ちゃん、何か買うのかい? ヒモ引きアメ、タダにしてあげるよ」
駄菓子屋のおばあちゃんがそう言うので、ルナはヒモを引いてアメをもらった。
「えー……お嬢さんは俺達の家の隣に住んでいた子だな。母上はおらぬのか? 学舎(まなびや)の帰りだろう?」
「まな……? おとなりさんですか?」
「そうだ」
おサムライさんは優しく笑いかけてきた。
「……そうですか。ママは……その」
「嘘をついたのか。悪い子だな。母上を困らせてはいかぬ」
おサムライさんはルナに目線を合わせて、しゃがみ、さらに言う。
「すべてはお前のせいではない。お前は何も悪くない」
おサムライさんの言葉にルナは突然に悲しくなった。
どうして皆と同じようになれないのか。どうして皆の輪に入れてもらえないのか。
……かなしい。
学校ではいつもひとりだ。
「かわいそうに。家族にお話しようか。心細いだろう。ルナ」
「え……」
おサムライさんはなぜか事情も名前も知っていた。なんだか怖くなったルナはおサムライさんに何も言うことなく、走り去った。
「ああ……待ってくれ!」
おサムライさんは困惑しつつ、去っていくルナを見つめていた。
「栄次さん、ちょっと突っ込みすぎですよ」
駄菓子屋のおばあちゃんがそう言い、おサムライさん……栄次は眉を寄せた。
「うむ……難しい……。店主さん、今日はこちらを……」
栄次はケースに入っている醤油ぬれせんを二枚取ると、おばあちゃんに支払いをした。
「はい、毎度。あの子はちょっと難しいですよねぇ。心配です」
「はい。本当に……」
栄次は頭を下げると駄菓子屋の外に出た。もうなんだか暑い。
梅雨前だというのに、夏のようだ。
「怖がらせてしまった……。向こうのルナと違いすぎて、対応が難しいな……。顔はそっくりなのだが……」
栄次が家への坂道を歩いている途中、たまたま学校が早帰りだったサヨと母親のユリが慌てて道を駆け上がっていた。
「ああ、サヨ!」
栄次が声をかけ、サヨが立ち止まる。
「あ、ラッキー! おサムライさん、ルナがとっくに学校出ていったみたいなの! ママが間に合わなくて、家に帰ったのかな?」
「ああ、今、坂を登って行った。……あのな、ルナは……」
栄次が最後まで言い終わる前にサヨが言葉をかぶせる。
「いじめにあってる、でしょ」
「ああ、そのようだ。あの子は隠そうとしている」
「いじめ……」
母のユリは悲しそうに目を伏せた。
「あの子は自分の意見がなかなか言えない。……だからおそらく、いじめのことは言わない。ユリさん、どうなさいますか」
「見守っていてはいけませんよね」
栄次の問いにユリは一言だけ答え、頭を下げるとルナを追っていった。
「ねぇ、マシュマロ、駄菓子屋でおごってくれない?」
サヨが栄次に手を合わせ、栄次はため息混じりに頷いた。
「……買ってやっても良いが……更夜に怒られないよう少しずつ食べるのだぞ……。俺も一緒に叱られてしまう」
「いっきには食べないよ! あっちのルナが過去見したら全部バレちゃうしね。こっちのルナと一緒に食べるからさ」
「ならよい」
栄次はサヨの手に三百円をのせた。
「え、こんなにしないよ? マシュマロ」
「ふぁみりーぱっく……とやらを買いなさい。兄者もいるのだろう?」
「おにぃの? ありがとう!」
駄菓子屋に入っていくサヨを眺めてから、栄次は家へと歩きだした。
「遊べる友が……できると良いな。ルナ……」
三話
「おじいちゃん! お腹空いた! おじいちゃん!」
ルナは銀髪メガネの着物の青年、更夜に叫ぶ。
「待て! 今作っている! ポテトチップスだろ! 今揚げてるだろうが! みてわからないのか!」
更夜はジャガイモを薄く切り、慌てて揚げ物鍋で揚げている。
「ポテチィ!」
「座っていろ! 近づくと油がはねる!」
「おじいちゃん! ジュースはリンゴがいいー!」
「わかった、わかった!」
更夜がルナをなだめ、リンゴジュースを横で注ぐ。
「おじいちゃん! 夕飯なにー?」
「夕飯? ああ、えー……ジャガイモの味噌汁と……」
「やったああ! ジャガイモだあ!」
「あのな、少しは落ち着け」
更夜が揚げたジャガイモを皿に盛り、子供用コップに入れたリンゴジュースをルナの前に置く。
「わあああい! いただきまーす!」
「待て! 揚げたてだ! ゆっくり食べなさい!」
「あちち……」
更夜の言葉が間に合わず、ルナは指に息を吹きかける。
「だから言ったんだ……。ほら、やけどしてしまう。とりあえず、冷たいハンカチだ。指を押さえて……」
「おいしー!」
ルナは関係なくポテトチップスを食べ始めた。怪我はしていなかったようだ。
「ふぅ……疲れた……」
更夜はルナの向かい側に座り、天井を見上げる。
「……疲れた。夕飯まで時間がある……。あいつらんとこに預けるか……。それより、スズはどこ行った?」
「こうやー!」
どこかでルナとは違う少女の声が聞こえた。更夜を何故か呼んでいる。
「なんだ……。どこにいるんだ、まず! スズ!」
「降りらんなくなっちゃった!」
スズと呼ばれた少女は今にも泣きそうな声で更夜を呼んでいる。
「んん? 上から聞こえるな……。どこにいる!」
「屋根の上!」
「なんでそんなとこにいるんだ……」
更夜は頭を抱えつつ、縁側から庭に出て、屋根を仰ぐ。
涙と鼻水を垂らした黒い髪の少女が困惑しながらこちらを見ていた。
「困惑なのはこちら側なのだが」
横を見るとハシゴが落ちていた。かけたハシゴが落ちて降りれなくなったらしい。
彼女は忍だが、高さが高いと降りられないようだ。
「はあ……」
更夜は飛び上がって屋根に手をかけるとそのまま指の力だけで屋根の上へ登り、あきれた顔でスズの方へ歩いた。
「屋根は登るところじゃないぞ。危ないだろうが」
「屋根の上から景色を見てるテレビがやってて、やりたくなってやってみたら、降りられなくなっちゃったの~!」
「やりたいなら、俺を呼べ」
更夜はスズを抱きかかえると、軽々と屋根から飛び降りた。
更夜は凄腕の忍であり、身体能力が異常だ。
「うう……」
「もう泣くな。大丈夫だっただろう? 珍しく怖がってるな……」
「だって、私の上をウィングついた変な子が飛び回ってんだもん。あの子、前に見たことあるんだけど」
「ん?」
スズの言葉に更夜は眉を寄せる。
「上見て、たまに来るから」
更夜が空を仰いだ刹那、足にウィングをつけた橙の髪の少年が困惑した表情のまま、空に浮いていた。袖無しのユニフォームのような服を着こんだ少年である。
「……あいつは……」
更夜は栄次を救った少し前の事件、『栄次のループ事件』を思い出す。栄次がおかしくなった時に、栄次を壊そうと『破壊の時神』として現れた神だ。
感情なく栄次を襲っていたが、突然に感情を取り戻し、せつなげにアヤを見て去っていった。
あの少年である。
「……会話はできるか?」
更夜が話しかけると、少年はさらに動揺しながら口を開いた。
「う、うん……ぼ、僕はその……」
「会話ができるようだな。降りてこい」
更夜が声をかけると少年は逃げずにゆっくり降りてきた。
「お前、名は?」
「あ、あの、トケイ……だと思います」
「だと思いますとはなんだ? 自分の名も言えんのか? しっかりしろ!」
更夜が強めに言い放ち、トケイと名乗った少年は怯え、震える。
「ごめんなさい……。自分が何をしていたのかも、何にも思い出せなくて……思い出そうと飛び回っていたんですが、わかんなくて、それでここに……」
「……ああ、そうだったのか。じゃあ、入れ。腹は減っているか? ポテトチップスを作っている。スズ……この子もこれからおやつなんだ」
更夜がスズの頭を優しく撫で言った。
「いいんですか! あ、ありがとう……ございます」
トケイは更夜の言葉に涙を浮かべた。
「大丈夫か?」
「……すみません。こんなに……家族みたいに迎えられたことが、初めてで……」
いぶかしげに見ていた更夜にトケイは優しげな顔で笑った。
「……お前も時神なんだろ? 色々、大変だったんだな」
更夜はトケイを家に上げた。
「お前、いくつなんだ」
「十六歳になったばっかり……だったと思います……曖昧です」
「そうか」
更夜は小さく頷くと、スズとトケイを連れ、廊下を歩き始めた。
四話
ルナは泣いていた。
あれからしばらく経っても友達ができない。いつまでもできない。むしろ、関係が悪化している。今日は校庭で突き飛ばされて膝を擦りむいた。
ママが何かを言ったのか、先生がいれば助けてくれるようになったが、登下校は関係がない。
授業中も隠れてやることにスリルを感じ始めたのか、見つからないように何かをやってくる。
ママに転んだと嘘をつき、絆創膏を貼ってもらって、布団に入った。
……明日……行きたくないなあ。
そんなことを思いながら布団に横になる。
気疲れていたルナはそのまま眠ってしまった。
「はっ!」
しかし、すぐに目覚めた。
「え……?」
目覚めた先は布団の中ではなかった。
「どこ……」
白い花が沢山咲いている世界の真ん中にルナは大の字で倒れていた。
「ねー、大丈夫? うわっ! ルナと同じ顔! まさか! あっちのルナ!」
ルナと同じ顔の少女がルナを覗き込んでいた。自分とは真逆そうな少女。
自分と同じ顔をしている少女が全然違う言葉を発している。
奇妙な感覚にもなる。
「え、えーと……」
「ああ、ルナだよ! 正義のヒーロー! ルナだー! ルナでしょ?」
少女は自己紹介をした後、ルナにルナか尋ねた。
「え、うん。ルナ……です。あなたもルナ……?」
自分とは真逆の友達が多そうな元気いっぱいの少女。
「ルナだよ! そう言ってるじゃーん! あそぼ!」
少女は自分とは全く違う笑顔を見せ、いたずらっ子のように笑う。
「え……ルナと遊んで……くれるの?」
「ん? どういうこと? あそぼ!」
少女はルナの手を引き、白い花畑で楽しそうに走り始めた。
「えっと……待って……」
ルナは少女を追いかけ走る。
そのうちに楽しくなってきた。
ルナは初めて楽しい気持ちを覚え、夢なら覚めないでほしいと願った……。
※※
気がつくと一緒に遊んだルナがいなくなっていた。
自分とは真逆の内気な少女。
「あーあー。いなくなっちゃったー」
ルナはつまらなそうに言うと更夜がいる屋敷に帰っていく。
ふと、あの子に興味を持った。
「過去とか未来とか見ちゃお!」
ルナは彼女の過去を見る。
ルナが産まれるところからスタートした。
「……あれ……?」
母親と思われる女性、父親だと思われる男性が寄り添い、二人の赤ちゃんを抱いていた。
ただ、嬉しそうではなく、二人で悲しげに涙を流していた。
見たことない人、おそらくサヨの兄と、隣にいたサヨも暗い顔をしている。
「生まれてうれしくないのかな」
ルナは不安になった。
片方の赤ちゃんが看護師におくるみで包まれ、もうひとりの赤ちゃんもおくるみで包まれた。
二人目の赤ちゃんは看護師さんの顔が暗い。
ひとりの赤ちゃんが母親に返された。動いている、泣いている。
もうひとりは全く動いてなかった。まるで人形のようだ。
「……ルナだ……」
動かない方の赤ちゃんを見て、すぐに自分だと気がついた。
少しせつなくなる。
母親だと思われる女が動かないの方の赤ちゃんを抱いて「生まれてきてくれてありがとう」と泣いていた。
「……ママ……」
ルナは初めて見る母の顔をせつなげにみていた。
そのままルナは父だと思われる男性へ渡り、サヨへ渡り、兄の俊也へ渡った。
「まだ、生きてるみたいだね……。あたたかい」
「……ママの体温が残ってるんだよ……お兄」
「わかってるさ」
記憶は生きている方のルナへ行く。ルナの過去見はあちら側のルナだ。
自分じゃない。
ルナは内気な性格のようだ。
言葉が遅く、お友達とうまく遊べない。引っ張っていく性格ではないため、いつも取り残されている。
「お友達になろうって言えばいいのに」
ルナはあちら側のルナがわからない。双子らしいが、性格が違いすぎる。
「いじめられてる……ひどい……」
ルナは怒りを爆発させた。
「あいつら、やっつけてやる」
ルナは過去見を終わらせ、更夜の元へ走った。
自分の両親のこと、双子の姉がいじめられていたこと、それらが悲しみの感情、せつなさの感情、怒りの感情に変わる。
「おじいちゃん……!」
「ルナ?」
更夜は走ってきたルナをとりあえず受け止めた。
「どうした?」
「わかんないっ!」
感情がよくわからくなっていたルナは更夜に泣きついていた。
「わかんないよ……おじいちゃん」
「そうか。わからないのか。じゃあ、こうだな」
更夜はルナを抱きかかえると、優しく背中を撫でてやった。
「よしよし……ルナ、俺はお前の味方だぞ」
「……おじいちゃん、ありがとう」
ルナの感情が不安定だ。
本当の家族のことを知ったのか?
更夜は過去見ができる栄次に相談することに決めた。
五話
「……こちら側にいる人間のルナがいじめられているようだ」
栄次とテレパシー電話をしている更夜は頭を抱えた。
神力データを送り、電話のように頭で会話できる。
「いじめ?」
「ああ。少年らには暴力を振るわれ、少女には無視をされ、嫌な言葉をかけられているらしい。アヤとリカがルナと仲良くなって友達になったようだが、場所が学校だからな。ひとりの時間ができてしまう。先生の目を抜けていくようだ。小学校にあがり、生徒達がどうも不安定で悪化している」
「……なんだと。かわいそうに。男のガキが無害な女の子に攻撃してんのか。世界が終わりだな」
更夜は荒々しく言いはなった。
「更夜、まだ子供だ。男児は上手いやり方がわからないのだ。故に手が出る。男女の感覚ではない。女子が支配的な組なのかもしれぬ。それは子供の心、わからぬ」
栄次はおだやかだ。ただ、ルナを心配している。
「俺はわからねぇな。俺がクラスにいたら、やつらをぶん殴ってたかもな」
「落ち着け、更夜。感情が乱れている」
「ああ、わかった。落ち着く。ありがとな、栄次。で、お前らは何にもできないもんな。見守るのか?」
更夜は感情のコントロールをし、落ち着くと冷静に栄次に尋ねた。
「見守る。俺達は神だ。見守ることしかできぬ」
「……ああ、しょうがねぇよな」
更夜はため息混じりにそう言った。更夜の話が気になったトケイやスズがこちらを覗いている。
そこで更夜は思い出したように続けた。
「ああ、うちにな、お前を攻撃していた『破壊の時神』が感情を取り戻し、やってきたぞ。うちに居候している。スズとルナのめんどうをよく見ている、十六の少年だ」
「なんだと……」
「監視はしている。今のところ、大丈夫だ。優しい少年だぞ。とりあえず、プラズマに話を持っていけ。今後、話を深く聞く予定だ」
「わかった」
「会話はそれだけだ。切るぞ」
「ああ、では、また」
更夜は栄次との会話を切り、立ち上がる。
「あ、あの……更夜、僕はどうなるの?」
トケイが不安げに尋ね、更夜はトケイの頭を軽く撫でると、「心配すんな」と一言言った。
「そうだ、更夜、今、スズちゃんと話してたんだけど、ルナが見当たらないんだ。探しに行った方がいい?」
「ルナがいない?」
トケイの発言に更夜が眉を寄せ、スズが答える。
「どこにもいないの。もうすぐ夕飯の時間だけど、ルナが帰ってきてない。一緒にアニメ観る予定だったんだけどさ」
「確かに、いつもお前と子供番組を観ている時間だな。……サヨが何にも言ってきてないから、現世にもいないか。トケイはスズを頼む。飯はもうできてるから、二人で食べていてくれ。俺はルナを探しに行く」
「待って、更夜! 僕が探しに行くよ! 更夜はこの『心の持ち主』の世界にいた方がいいんじゃ……」
「大丈夫だ。いる場所はわかる。ルナの世界に行ってくる」
更夜は顔を引き締め、トケイとスズを残し、廊下へ出ていった。
※※
「ルナちゃん、これもかわいいね」
橙の三つ編みの少女、リカはルナを家に招き、オモチャのネックレスを首にかけて、ファッションごっこをしていた。
「そ、そうかな……ありがとう……」
「こっちも似合いそうだね!」
リカはトマトモチーフの髪飾りをルナにつけてやる。
「わあ……これ、かわいい……」
「ルナちゃんはかわいいから、なんでも似合うよ!」
「ありがとう……リカお姉ちゃん」
ルナは顔を赤くして微笑んだ。
「ロールケーキ、食べる? おやつにしましょ」
茶色の短い髪の少女、アヤが青いスカートを揺らしながら、ロールケーキを持ってきた。
お盆にロールケーキとお皿とフォーク、コップを乗せている。
「わあ! アヤお姉ちゃん、ありがとう! おいしそうだね……」
「元気出て良かったわ。もうだいぶん暑いから冷たい飲み物にするわね」
アヤはルナにりんごジュース、リカにトマトジュースを渡し、自分は冷やした紅茶をコップに入れる。続いてロールケーキを切り分けると、それぞれお皿に配った。
「フルーツ入ってる!」
「そう、有名なケーキ屋さんのロールケーキよ。並んで買ってきたの。新作は毎回楽しみよね」
「ほら、ルナちゃん、どうぞ」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
リカは笑顔でルナにロールケーキを渡す。
アヤはおいしそうに食べるルナを優しげに見つめた。
……いじめが彼女の心を変えてしまいませんように。
「勉強なら、私が教えてあげるわ。しばらく、学校をお休みしても……」
アヤがそうつぶやき、ルナは目を伏せる。
「ルナは……同い年のおともだちがほしい……」
「そ、そうよね。ごめんなさい」
「……お姉ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃん達も大好きだよ……」
「イイコだね、ルナちゃんは……」
リカは優しくルナの頭を撫でた。
六話
ルナは自分の心の世界に過去見で見た、いじめっこ達を呼ぶ。
満月がやたらと大きい草原の世界。
「全員、やっつけてやる!」
ルナの世界に呼ばれた少年、少女達は戸惑い、不安げな顔を向けた。生きている魂が「弐の世界」に来たので、これは夢を見ている処理となる。
「ルナの世界に皆来たな」
「な、何? ここ。なんで皆いるの? てか……コイツ……ルナ?」
口の悪い少女がルナを下げずんだ目で見る。
皆、それぞれに動揺しているが、ルナにたいしては何も思ってはいないようだ。攻撃的な雰囲気の子は一部である。
まわりに合わせてルナをいじめていた子がほとんどということだ。
「ルナは許さない! あっちのルナが泣いていた!」
ルナは少年に殴りかかった。
「お前はルナのランドセルを蹴ったやつだ。蹴り飛ばしてやる!」
「なにすんだよ!」
ルナは多人数と喧嘩を始めた。
「全員ぶっ飛ばしてやる」
ルナの瞳が更夜の目付きに似る。更夜の荒々しい雰囲気をルナはそのまま受け継いでいるようだ。
「ルナは喧嘩、強い!」
反撃され、殴られるが関係なしに殴り返す。女の子を投げ飛ばし、男の子を蹴り飛ばし、笑う。
「弱いねー。くそがきども。こんなの痛くないよ? ルナのが痛かったんだよ!」
倒れて腹を押さえている少年の背中を思い切り踏み潰し、女の子の顔を蹴り飛ばし、泣き叫ぶ女の子の髪の毛を引っ張り、怯えている男の子の顔面を拳で振り抜く。
「何、泣いてんだよ。てめぇら……。ルナは許さねぇぞ! 全員、ルナにあやまらせてやる」
怪我をした男の子の胸ぐらを掴み、叩きつける。
ルナは血にまみれたまま、不気味に笑っていた。怒りを通り越した笑みだ。
更夜が見せるあの気性の荒さである。
「ハハハ! そんな弱さでルナをいじめてたの? ありえないんだけど? 中途半端にやんなよ。中途半端な気持ちで人をいじめんなよ。てめぇら、最低なんだよ! 怒りがおさまらない……。全員、殺してやろうか……」
月夜に照らされ、血にまみれたルナの、にやけた顔を見た子供達は涙を流し、震え、痛みに呻く。
「……ルナは優しいんだ。そんな優しいルナをお前らは傷つけた。誰も助けてくれないなら、ルナが助けなくちゃね……」
ルナは発散方法が暴力になっていた。これはルナをいじめていた子達と同じだが、ルナは気づいていない。
「もう、皆気絶しちゃったの? つまんないなあ。立ち上がってよ? 起きてよ? 起きろって言ってんだろ!」
ルナの声が反響する。
もう誰も答えない。
誰も立っていない。
「う……うう……」
ルナはその場に座り込み、静かに涙を流した。
「ルナをいじめた! 向こうのルナが泣いていた! いじめたな! 泣かせたな! ルナは許さない! こっちの世界で悪夢を見やがれ! 『ルナ』は絶対許さない……」
……違ったかもしれない。
この方法は違ったかもしれない。身体中が痛い。血が流れていることに気づいてなかった。
「起きろよ! 許してやらないからな!」
ルナは泣く。
ひとり、静かに泣いた。
「だって……ルナが……ルナが……かわいそうだったんだもん……。ルナは……悲しいよ」
満月がルナを照らす。
静かになった草原。
後ろから誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
「ルナ……間に合わなかった」
更夜がうずくまるルナの後ろに立っていた。
「おじいちゃん……ごめんなさい。ルナ……わかんなくなっちゃった……」
ルナは振り返らずに近くの草をいじりながら涙を流す。
「気分は晴れたか?」
「……ぜんぜん」
「派手にやったな。現実世界だったら、大変なことになっていたぞ……」
「……おじいちゃん。ルナ、許せなかったんだよ」
ルナは更夜にすがり、大粒の涙をこぼし始める。
「あいつら、ルナをいじめたんだよ……。ママとパパが大事にしてたルナを平気で傷つけた。だから代わりに……」
「ああ、そうだな」
更夜はルナを優しく抱きしめる。傷ついたルナを見て、更夜も悲しくなったが気持ちを抑える。
「ルナは死んじゃったから……パパとママに会えないんだね……。ルナが見えないのはルナが死んでたからだったんだ。ルナが産まれた時、皆泣いてた。なんでルナは死んじゃったんだろう……」
「……」
更夜はルナの言葉に何も言えなかった。
ただ、抱きしめた。
ルナの気持ちは伝わる。
だが、更夜は何も言ってやれない。本当の親がいること、親には会えないこと、理解はできても、納得はしない。
更夜はルナを大事に育ててきた。だが、本当の親にはかなわない。わかっている。
「ルナ……、……他人を心に呼ぶことはもちろん、他人の心の世界に入るのはいけないんだ。ここはあちらのルナの心……。お前は暴れてはいけなかった」
「……」
ルナは黙って聞いていた。
「向こうのルナが……どうするかは本人と『運命』だ。神は見守るしかできない」
少し離れて更夜の言葉を聞いていた赤髪の青年、プラズマは目を伏せ、黙ったまま二人を見据えた。
「……ルナ、お前が助けられるわけじゃないんだよ」
更夜は柔らかくルナに言う。
ルナは鼻血と鼻水が混ざったものをすすりながら、更夜にすがって泣いた。
「うわあああ! ルナはっ! だってルナが! ルナはぁっ!」
「……大丈夫だ。ルナ……落ち着きなさい」
更夜が落ち着かせようとしたが、ルナの神力が暴走を始めた。
「ルナ……落ち着きなさい」
更夜がなだめるが、ルナは気持ちの落ち着かせ方がわからない。
子供らしく叫ぶように泣いている。
「ルナ……」
プラズマが間に入り、ルナの頭に手を置き、神力を流した。
しかし、ルナは時空を歪ませ、更夜とプラズマは慌ててルナの神力を抑え込んだ。
「おじいちゃん!」
サヨのテレパシー電話が耳に響く。更夜はプラズマを連れてから、サヨにこの世界へ入れてもらった。
サヨの焦った声で更夜とプラズマは青い顔になる。
「あのね! アヤがっ! アヤが六歳くらいになっちゃった!」
「どういうことだ!」
更夜の声が静かな世界に反響していった。
時空が歪む
「アヤの年齢がどんどん戻っていっちゃう!」
サヨが叫び、更夜とプラズマはルナを観察した。
「あちらのルナの心の内部からルナが時空を歪ませたから、現代神がおかしくなったのか? 年齢が戻り続けてるのか?」
プラズマがサヨに尋ねた刹那、サヨがその場に現れた。
「たぶん、そんな感じかも! はやく来て!」
「現代神の時間が巻き戻ったら存在がなくなる可能性もあるのか」
更夜が尋ね、プラズマが冷や汗を拭いながら頷いた。
「そうだ。ルナを落ち着かせないといけない」
「プラズマ、あちら側のルナは今後どうなる?」
更夜がプラズマにだけ聞こえるように耳元で話す。
「……問題なく大人になる。いまのところな。ルナがやったことは悪夢の処理となり、ルナをいじめていた子供達は改心する。……だけどな、更夜。本来の未来は『あちらのルナが解決する』予定だった。おそらく、バックアップ世界、陸(ろく)の世界で微妙に狂う可能性がある。ルナの力は怖いな。時空を歪ませた余波が現代神にいった……」
プラズマが答え、更夜がルナを抱きしめながら静かに言った。
「そうか……ならば、ルナにあちらのルナが立ち上がれるところを見せにいく。悪夢処理となった子供達の様子も見なければ」
「どうするつもりだよ?」
プラズマが尋ね、更夜は優しくルナを離し、立ち上がった。
「未来見をルナにさせる。現実を見させてやらねば」
「……そうか。向こうのルナは大人になる。この子はこのままだ。傷つくんじゃないか?」
「現実世界との違いはもう、教えないとならない。トラブルばかり起こされたら、ルナも、お前も危ない」
更夜がそう言い、プラズマが目を伏せる。
「ルナはあんたに任せるよ。こちらはアヤのことで精一杯になりそうだ……」
プラズマがサヨを見、サヨが壱への扉を出現させた。
「じゃあ、早く……」
サヨが言いかけた時、栄次の焦った声が頭に響いた。
「プラズマ! 大変なことになった!」
「栄次か? 神力電話してくるなんて珍しいな……」
「リカが童に……アヤがさらに小さくなった!」
「ヤバイな……。リカは……幼少期がなかったはず……。なぜ、子供に?」
「プラズマくん、とりあえず、戻ろう! 壱に! おじいちゃん、ルナをお願い!」
サヨがプラズマを引っ張り、壱への扉を開けた。
二話
サヨに連れられてプラズマは壱の世界(現世)に帰ってきた。
時神の家に出られるようにサヨが扉を調整しているため、プラズマとサヨはいきなり、畳の部屋に足をつけることになった。とりあえず靴を脱いで縁側に置く。
「帰ってきたか! こちらのルナが眠り、アヤとリカが!」
栄次がアヤを抱えて慌てながらプラズマとサヨを迎えた。
アヤは四歳くらいに年齢が下がり、リカは六歳あたりになっていた。本当に子供に戻っている。
「これはまずい……」
「アヤは徐々に年齢が落ちていっている……。このままだと」
「消滅だな……」
プラズマは冷や汗をかきながら小さくなったアヤに目線を合わせた。アヤは心まで当時に戻っているようだ。
「……アヤちゃん、俺がわかるかな?」
プラズマは記憶の確認をした。
「……わかりません……。ぱぱ、ままのところに帰らなくて良くなったの?」
アヤは両親に顔が似てなかったため、虐待されていた過去を以前、プラズマに話していた。
アヤは親の元へ帰りたくないのだ。プラズマは震えているアヤの頭を撫でると優しい顔で微笑む。
「何にもしないよ。知らない人に囲まれたら、怖いよな。服は着替えたのかな?」
「はい。おうちにあった小さいのを着ました。……あの……お腹、すいた。おやつ……」
「さっきロールケーキ食べたんじゃないの? もうおやつはおしまい」
プラズマがそう言うとアヤは納得ができなかったのか泣き始めた。アヤは大泣きタイプではなく、静かに泣くタイプのようだ。
「しょうがねぇな……。かっわいい……」
プラズマはアヤをだっこしてなだめ、リカに目を向ける。
リカは外見六歳くらいで、紙とクレヨンで何かを夢中で描いていた。その横でこちらのルナが倒れ、眠っていた。
「ルナは寝てるだけか?」
栄次にプラズマは尋ねる。
「ああ、そのようだ。人間にはない現象がアヤとリカに起こったため、夢の処理となるようだ」
栄次が答え、プラズマはリカを見つつ、頷いた。
「なるほど……。服とかよく見つかったな……。ああ、うちによく遊びに来るルナの着替えか。リカは……なに描いてるんだ……? ……これは」
プラズマが覗き込むと、リカはプラズマと栄次を描いていた。
鏡文字も書きつつ「かこしん」、「みらいしん」と横に書いていた。
「俺達か」
「わたしのせかいを描いてます」
六歳のリカが笑顔でプラズマに言う。
「時間はだいじ。でしょ?」
リカの雰囲気ではない。
リカはもっと元気で明るい。
今はどちらかというと……マナ。
アマノミナカヌシ、マナだ。
「お絵かき楽しい。おはなし、作ったよ?」
リカがプラズマと栄次に描いた絵を見せる。
「お話、すごいな」
「時の神様が大活躍するおはなし! トキのせかいで時間を見てる。トキのせかいでは役割がある。役割とかルールを破った『かみさま』は罰が飛ぶ。女の子のかみさまがいてね、ルナにしようかな! ルナはルールを破っちゃうの。それでね……」
まるで今後の動きを話しているかのようにリカは作ったお話を語る。聞きながら栄次とプラズマは顔を青くした。
「それでね、時神のアヤが……お兄さん達、聞いてる? 『マナ』のおはなしおもしろくない?」
「……!」
リカから『マナ』の単語が出て、栄次とプラズマは驚き、言葉を詰まらせる。
「マナ……?」
「え? そうだよ? そういえば、ここはどこ? お兄さん達は『だれ』?」
リカが純粋な目で見つめてくる。
「俺はプラズマで、こっちは……」
「栄次だ」
「そうなんだ」
リカは楽しそうに笑うと描いた絵を眺めた。
「な、なあ、栄次。こちら側のルナはどうする? うちで寝かせておくか?」
気がつくとサヨが倒れているルナに薄手の毛布をかけていた。
それからタオルを持ってきて折り畳み、ルナの頭の下に入れてやる。
「寝かせておいた方がよい。このまま帰すと母上が心配する。あちらのルナが、こちらのルナの心の世界の時空を歪ませてしまったようだからな。時空をおかしくしたことで、世界が処理に追われ、現代神のアヤがおかしくなっているようだ。リカはわからぬ」
「この件が終わるまで目覚めないか?」
プラズマがさらに尋ね、栄次は首をかしげた。
「わからぬ。いままでこんなことはなかっただろう。こちらのルナが目を覚まさないということはないかと思われるが、意識がどこにいるかはわからぬ」
「ま、だよな……。あっちのルナは本当に手がかかる……。何をするべきか今回はわからねぇ……。まず、冷林に話を持っていく」
プラズマがおやつほしさに泣くアヤをだっこしながら困惑した顔を栄次に向けた。
「歴史神に修正を頼むか。東や西に話が行くのはまずいか?」
「お忍びで相談するか。ナオとムスビ、それから人間の子供達の歴史修正にヒメちゃんを」
プラズマが言い、栄次は頷いた。
「ルナ……。リカもアヤも……どうすんの?」
サヨは心配そうな顔で妹のルナの頭を撫でる。
「アヤちゃん、おやつはおしまい!」
「やだあ! やぁあ!」
プラズマがぐずるアヤを叱り、栄次は頭を抱えた。
「プラズマ、おそらくお昼寝だ。年齢が四歳なりたてあたりになったのだろう?」
「ああ、お昼寝か……。じゃあ、このまま冷林のとこに行くよ。鶴が引く駕籠の中で寝るかな。女の子、軽いよなあ……。男の子と骨から違うわ」
プラズマが暴れるアヤを軽々と抱えながら鶴を呼ぶ。
「俺はサヨと共にリカとルナを見ている。それから、飯は俺が作っておく。いつもアヤに頼りすぎているからな」
栄次がリカの様子を見ながら答えた。リカは絵を描くことに集中している。
「助かる。俺は何にもできねぇから、とりあえずアヤを連れてくぜ」
「ああ……。アヤがこれ以上、若くならなければよいが……」
栄次の心配そうな声を背中で聞きながらプラズマはアヤを抱え、廊下から外へと出る。
玄関先でツルが駕籠を引いて待機していたが、アヤを驚いた目で見ていた。
「なんだよい? 現代神?」
「ああ、話は後だ。とりあえず、冷林のところに行ってくれ。内密だ」
「わかりましたよい!」
プラズマが駕籠に乗り込む。駕籠は外からだとわからないが中は電車のボックス席のように広くなっている。霊的空間という特殊空間だ。
鶴は神々の使い。
口はあまり良くないが、決まりと命令はしっかり守る。
「あ、コラ! 窓から顔を出すな! 落ちるぞ!」
なんだか機嫌が戻ったアヤが空を飛ぶ鳥に手を伸ばし始めたため、プラズマは慌ててアヤを引き戻した。
「やぁあ!」
アヤが泣き始め、プラズマは困惑しつつ、アヤをしっかり持って外を見せてやる。
「ほら、見るだけにしなよ。落っこちちゃうぞ!」
「きれいね~」
アヤが楽しそうに笑い始めた。
寝る気配はない。
「……意外に問題児か? アヤちゃんは……。しかし……またなんかちょっと幼くなっている気がする……」
先程まで少しゆるかった服がさらにゆるくなっていた。
そしてなんだか温かいものがプラズマを濡らす。
「ん……!? アヤちゃん? 鶴! オムツと着替えが必要だ! どこかで調達だ!」
「うわあああん……」
アヤはただ泣き始めた。
年齢が三歳あたりに下がっている。三歳はオムツが外れていない子もいる……。
……これはまずい……。オムツ換えなんてやったことねぇし、女の子の着替え……しかもアヤ……。それより、現代神消滅の危機だ。のんびり冷林のとこに向かってる場合じゃねぇ……。あいつはうちに呼ぼう。神力電話で。
「鶴! オムツと着替えを調達したら冷林のとこには行かず、彼を呼ぶ! だからうちに戻れ」
「わかりましたよい! で、サイズは?」
「ああー……んー……」
プラズマは服のタグを見た。
100を着ていた。
それよりも今は小さい。
「……80か90か?」
「オムツは紙おむつ、パンツタイプとこれ以上小さくなると困るんで、テープタイプを調達するよい!」
「く、詳しいな……。ありがとう」
プラズマは顔色悪く答えた。
三話
「なんだ! どうした?」
慌ただしく帰ってきたプラズマに栄次は驚いた。
「ああ、年齢が戻るのが早い! だから、冷林をこちらに呼ぶ! 冷林! いますぐ来い!」
プラズマは新しい着替えを持ってきて、とりあえず服を脱がせる。
アヤは静かに泣いていた。
「気持ち悪かったよな……。オムツは……パンツタイプ……。履かせりゃあいいのか? アヤちゃん、ごめんな」
プラズマは慌てながらアヤのオムツを一枚取った。
「ああ、あたしがやるよ」
サヨが横からオムツを受け取り、慣れた手付きでアヤを落ち着かせる。
「アヤはまずいな……」
栄次はアヤの服を持ち、お尻拭きをサヨに渡し、唸った。
オムツを履かせた時、アヤの年齢がまた下がる。
急に小さくなり、オムツが大きくなった。
「……アヤ……これじゃあダメだ。テープタイプちょうだい!」
「どうすりゃあいいんだ……。栄次……」
プラズマがサヨにテープタイプの赤ちゃん用オムツを渡しながら栄次を見た。
「……ルナの過去戻りを使うか。過去に戻れるのはリカとサヨだ。過去に戻ってルナを止めるしかない」
栄次が不安そうにこちらを見ている六歳のリカを見つつ、小さく答えた。
プラズマは唸る。
「……あまり過去に戻ると参(過去の世界)の門を守る竜宮が介入してくるぞ……。サヨとリカは二回目だ。しかもルナは今、不安定だろ」
「そうだが、それしか思いつかぬ……。壱にいると時間が進んでしまう故、弐にアヤは入っていた方が良いかもしれん。弐は時間が壱とは動きが違う」
栄次も困惑しつつ、悩みながら発言している。
「過去に戻ってルナを止めればいいの? やってみてもいいけど、ルナは激情型タイプ。気持ちが鎮まらないかも」
サヨが冷や汗をかきながらアヤを抱きかかえる。アヤは指しゃぶりを始め、うとうとと寝始めた。
「二歳くらいだ……。歩くのに慣れてきたくらいの時期。次は離乳食やミルクの時期に年齢が落ちる……」
サヨがつぶやいた刹那、更夜から神力電話が入った。
「ルナがいない! ルナが消えちまった! すまない……ちゃんと見ていたんだが……」
「ルナがいない?」
サヨの一言に栄次とプラズマはさらに顔を青くした。
※※
「ルナがいなくなった!」
サヨが栄次とプラズマを仰ぐ。
「どうしてだ! どこに行ったかわからないのか?」
プラズマが更夜の神力電話に入り込み尋ねる。
「……わからんが、もうひとりのルナと同じ精神世界に行った可能性がある。今、トケイとスズが探しているが、今のところ見つからない」
「……とりあえず、栄次、アヤを連れて更夜のところで待機していてくれ……。サヨとリカはこちらにいてもらう。冷林がそろそろ来る」
「わ、わかった」
栄次はアヤをサヨから受け取り、サヨは弐の世界の門を開いた。
「おサムライさん、しっかり抱っこしてあげて! 寝てる子は首がふわふわする!」
「わ、わかった……」
戸惑っている栄次にサヨは追加で声を上げる。
「後はおじいちゃんがなんとかできるから!」
「そ、そうだな。更夜は子を育てている……。赤子はかわいいが、扱いがわからぬ……」
栄次は恐々アヤを抱きつつ、弐の世界の門をくぐって行った。
栄次が消えたらすぐに冷林が慌てた雰囲気で現れた。
「冷林、どうしたらいい? ルナの力が人間のルナの中で暴走した。アヤとリカが年齢戻りをしている。何をするのが最適だ? 東西南は動いているのか?」
プラズマがすぐに尋ね、冷林は頷いた。頭にキーボードを打つように文字が打ち込まれ始める。
……歴史神がなにやら動いている。東の天記神(あめのしるしのかみ)、稗田阿礼(ひえだのあれ)、太安万侶(おおのやすまろ)、西のナオ、ムスビ、ヒメ。
つまり、西、東はすべてを知っていてもおかしくはない。
冷林はまとめた文章を頭に流してきた。
歴史神は特殊で時神のように同じ軍にいない。
「何」を守っているかで東と西に分かれている。
歴史神がこの世界の秘密を守っているのは間違いないので、軍分けをした東と西はすべてを知っていることになる。
今回、歴史や記憶をルナが動かしてしまったため、歴史神が関わり、なおかつ、西と東に話が伝わっているようだ。
「ヤバいことになってんけど、歴史神らが隠してることがわかるかもしれない……。前々から俺達の記憶をなんかいじってんの、知ってんだよ……」
プラズマが唸り、サヨは眉を寄せる。
焦りと動揺が押し寄せる中、「あ……」と幼いリカが小さく声を上げた。
「ど、どうしたの?」
「過去神も小さくなったらおもしろいかな? おはなし、書いてみよう!」
リカの発言にサヨとプラズマは慌てた。
「待って……それを書くとまさか……」
サヨがなにかを察し、声をあげる。刹那、再び更夜から驚きの報告が届いた。
「どうなってやがる! 栄次がガキになった! ルナが原因なのか?」
「な……嘘……」
プラズマとサヨは血の気が引いた。恐ろしい事態になっている……。
「……更夜のところに行くか……とりあえず……冷林、高天原の様子を探ってくれ……」
プラズマの指示に冷林は頷くと、ふわりと浮き、部屋から出ていった。
四話
プラズマとサヨが幼いリカを連れて混乱しながら更夜がいる弐の世界へ入った。
「あねじゃー! あねじゃあああ!」
少年の泣き声が聞こえた。
「えいじっ!?」
プラズマとサヨは年齢が五歳あたりに落ちている栄次らしき少年を見た。
栄次は更夜に思い切りお尻を叩かれている。
「な、なにしてんだよ……」
「コイツ、いきなり刃物で斬りかかってきやがった。危なかったんでお仕置きをしている。とりあえず……だが」
動揺するプラズマに更夜は鋭く言ったが、かなり困惑していた。
お尻を叩いているチビッ子は栄次である。栄次が相手だからかわからないがかなり本気で叩いていた。栄次は大泣きだ。
リカはサヨの影に隠れ、サヨは顔を青くした。
「うっわ~……男の子には容赦ないわけ? かわいそうなんだけど」
「更夜、栄次だよな……。その子……」
「そうなのかわからんくらい危なっかしいガキだ! 赤子がいるんだぞ! わかってんのか、クソガキ!」
横で気持ち良さそうにアヤが寝ている。ちゃんとベビーベッドが用意されていた。
「……更夜、もしかすると栄次も当時の五歳に戻っている可能性がある。姉貴を呼んでいる……。お姉様が戦で亡くなった時期で、たぶん、大人の男が全部敵に見えているんだ。殺さないと殺されると思ってる。混乱してるんだ」
プラズマがそう言い、更夜は叩く手を止めた。
「……そうなのか? 栄次」
小さくなった栄次は子供らしく泣きながら頷いた。
「悪かったな……。乱暴なガキだと思っちまった」
更夜の言葉を聞きながら、栄次は包丁を元あった台所へと返し、お尻をさすりながら戻ってきた。
「あねじゃは……あねじゃが見つからん」
いつも着ていた袴や着物が着れなくなり、裸のまま、突然更夜を襲ったらしい。当時の栄次のまんまなのか、栄養管理ができておらず、かなり細い。
「……当時の農村、確かにガキは裸でウロウロしていたが、今は服を着ろ。あー……ルナのしかねぇ……」
更夜はとりあえず栄次にルナの服を着せた。
「なんだ、これは……服か?」
「服だ。着とけ」
「わかった」
栄次は更夜が危害を加えてくる男ではないと判断し、更夜に従った。
「さ、先ほどはご無礼を……申し訳ありませんでした」
栄次が更夜に頭を下げ、あやまった。更夜をお偉いさんの武家だと思っているようだ。
「本当に栄次なのかわからんくらいにガキだな……」
「あねじゃを知っていますか?」
鼻をすすりながら泣く栄次は姉をずっと探している。
「お前の姉は死んだ」
更夜は栄次の肩に手を乗せ、静かに言った。栄次は絶望的な顔になり、その場で崩れ落ちて大声で泣き始めた。
「……おサムライさん……こんな状態からひとりで立ち上がったんだね……」
サヨが栄次の頭を優しく撫でる。栄次は突然、サヨにしがみつき、震え、顔をサヨの胸に押し付け泣き始めた。
「あねじゃ……あねじゃっ」
「……皆……こんな感じで……どうするの? プラズマくん……」
サヨはプラズマを仰ぐ。
「……栄次はリカが思い付く物語に左右されてるな。アヤは本当にルナが原因なのか……? 俺もどうしたらいいかわからねぇ……。更夜、ルナはそちらに任せていいか? 俺はこれから歴史神に……」
プラズマが最後まで言い終わる前にリカがプラズマに絵を見せた。
「栄次お兄ちゃんもおそろい! プラズマお兄ちゃんも小さくなりました! なんか、『夢』の世界はマナの思いどおりになって不思議」
「……っ」
プラズマが怯えた顔をした刹那、体が突然、光りに包まれ、プラズマは五歳あたりの少年へと変わった。立ち上がると服が脱げて裸になる。
「なっ……プラズマくん!?」
「ガキになりやがった!」
サヨと更夜は目を丸くし、リカはきょとんとした顔をしつつ、裸のプラズマに頬を赤く染めた。
「……おたあさま? 我の本日のやることは終わりました。おたあさまは何処ぞ? また倉は嫌です! 今日はちゃんと我はやりました! 『未来見』は正しく行いました……。我は……」
プラズマは何故裸にさせられているのかわからず、サヨと更夜を怯えた目で見上げた。
「……なんだ、お前、『未来見』の仕事をちゃんとやらないと罰があったのか」
更夜が尋ね、プラズマは下を向いた。
「誰ぞ……おたあさまの付き人か? 本日のやることはやりました。我をほめてください……。倉は嫌です。我は……しっかり業務を行いました!」
「倉ってなに?」
サヨが動揺しながら聞いた。
「我が業務をこなせないと柱に縛り付けられて暗い倉に一日閉じ込められるのだ。怖い……」
「酷いな……」
サヨが唸る。
「まわりはプラズマの『未来見』が世界を左右していると思っていたんだろうな。プラズマの『未来見』にとりつかれてるんだ。だから、『未来見』で絞首刑の者の未来を見たプラズマが怖がるのを、何かしらの罰を与えて従わせていたんだろうな」
「そういうことか。かわいそうだね……」
サヨはなんとも言えない顔でプラズマを見た後、不安そうに更夜を仰いだ。
「おじいちゃん、どうする? これから……」
「とりあえず、ルナの服を着せる……。プラズマも栄次もかなり痩せてるな……。苦労したんだな、ガキの頃から」
更夜はプラズマにルナの服を渡した。
「……これはなんぞ?」
プラズマは服かどうかもわかっていない。彼は奈良時代の人間だった。あまりに時代が離れすぎていて、会話も通じなそうだ。
「服だぞ。ここに頭を入れる、ここに手を入れて着る」
横から五歳の栄次が声をかけ、プラズマは迷いながらなんとか服を着た。
「なんぞ、これは。軽い上、あたたかい」
「俺は少々、かさばる」
二人は男の子同士で安心したのか、なんとなくの会話を始めた。
「我は紅雷王(こうらいおう)。お前は誰ぞ?」
「俺は栄次だ」
「そうか。童(わらべ)を見たことがなかった故、お前は珍しき」
「そうなのか」
プラズマが静かに話し、栄次がてきとうに答える。
「おなごがおる」
「おなごだな」
二人はリカを見て首を傾げた。
「よろしく! マナっていうの。一緒に遊ぼう」
「何をするか? おなごを見たことがない故、わからない」
「おなごとは遊んだことはない」
二人が困っているとリカは満面の笑顔で笑った。
「おはなし、作ろうか! お絵描きもできるよ!」
リカは栄次とプラズマを机の前に座らせ、紙を渡し、クレヨンを見せた。
サヨは冷や汗をかきながら、三人を見て、言葉を慌てて発する。
「ね、ねぇ! もう子供にするネタはやめてくれるかな?」
「わかった。違うおはなし、書こうかな」
リカの発言にサヨは「嫌な予感がするけど……」と苦笑いをした。
「尻が痛くて座れん……。こんなに尻を叩かれたのは初めてだ。ズキズキする」
栄次が半泣きで尻をさすっていたので、更夜が座布団を三枚に重ねて、その上に栄次を座らせた。
「悪かったな。二百発くらい一気にマジでぶっ叩いたからな」
「おじいちゃん! かわいそうなんだけど! 泣いてるじゃん!」
「栄次だから大丈夫だろ。こいつらに夕飯を食べさせる。ガリガリすぎて見ていられん。リカはかわいいがな。それよりもトケイとスズだ。ルナは見つけたのか?」
更夜が未だに連絡がない二人を心配する。
「……うーん。見に行こうか?」
サヨが更夜にそう尋ねたが、更夜は首を横に振った。
「俺は動けない。だから、お前は歴史神に今すぐ助けを求めに行け。プラズマが歴史神に相談しようとしていたからな」
「そうだね。トケイって子は信頼していいの?」
「心配ではあるが、彼を頼るしか今はないんだ。仕方あるまい」
アヤが泣き出した。
更夜はアヤを抱きかかえ、あやし始めた。
「泣かなくていいぞ。俺はすぐそこにいるからな……。アヤ……。静夜に……ハルにそっくりだ。泣きたいのは俺だぞ」
更夜の優しい声を聞きつつ、サヨは顔を引き締め、壱の世界への扉を開き、壱へと向かった。
チルドレンズ ドリーム
壱へと向かい、時神さんの部屋に出るサヨ。こちらの世界にいるルナが寝ているのを見つけた。
「ルナは起きてない……。とりあえず、寝ちゃったって言って家に連れ帰った方がいいよな……」
サヨは目覚めないこちらのルナを重そうに抱え、時神さんのおうちの隣、自分の家に戻った。
寝ている子は重い。
サヨはインターフォンを鳴らし、ママを呼んだ。
すぐにサヨの母、ユリが出てきて寝ているルナに驚く。
「あ~……お隣さんのおうちで遊んでいたら寝ちゃってさ、おうちに帰ってきた。ママ、布団に寝かせといて。めっちゃ疲れてそうだからしばらく起きないかも!」
「え?」
サヨはルナをユリに渡した。
「ああ、超重かったわ。あたし、これからちょっと用事あるから、あたしは行くね! ママはのんびりしてて。……ちなみに、ルナへのいじめは終わってないよ。先生が見ていないところでエスカレートしてる」
「……そう」
ユリはサヨの去る背中を見つつ、小さく呟いた。
※※
「ル~ナ! ねー、あっちのル~ナ!」
ルナは全体的に桃色な世界で倒れているもうひとりのルナを起こしていた。
「ん……?」
「あ、起きた」
「……ルナ?」
壱の世界のルナは目の前にいるもうひとりのルナに寝ぼけた顔を向けた。
「なんか、わかりにくいよね。ルナ達、ルナルナだし。そっちのルナはルーちゃんって呼ぶ!」
ルナは壱の世界のルナをルーちゃんと呼ぶことにした。
「ルナは……また、夢の世界にきたの……かな?」
「うん! ここにいるなら、ルーちゃんはこっちにきてる!」
「よ、よくわからないよ……」
壱のルナは戸惑いながらルナを見ていた。
「ルナね、ルーちゃんの敵討ち……しようとしたんだよ。でも、なんか失敗しちゃったみたい。ルナ、なんかむなしくなっちゃった」
「敵討ちって……」
「いじめた奴らを夢の世界に呼んで、ぶっとばしちゃったんだ」
ルナの発言に壱のルナは目を見開いた。
「ちょっと待って……ルナはそんなこと、望んでないよ……。暴力は良くないんだよ……。ルナだってケガしちゃうじゃない」
「そうだよね。ルナ、間違えたのかもしれないなあって思った」
「……ルナ、怪我、したんじゃないの?」
壱のルナは心配そうにルナを見た。
「うん……まあ……。でも、夢の処理になったから、怪我は治ったけど」
ルナは無理やり微笑むと壱のルナにぴったり寄り添って座った。
「ねぇ、ルーちゃんはさ、なんでルナを呼んだの?」
ルナは壱のルナに尋ねた。
壱のルナは首を傾げる。
「呼ぶって……?」
「ルーちゃんがさ、ルナをルーちゃんの世界に呼んだから、ここに来たんだよ。ルナは霊だから、呼ばれたら行く!」
「ルナは呼んでない……のだけど。でも……会いたいとは思った……かも」
「……そっか! ……あ、そっか。ルーちゃんは……大人になれるんだ……」
ルナは壱のルナの未来見をしていた。
「え?」
「ルナは……変わらないんだ」
「ルナ?」
ルナはなんとも言えない顔で下を向いた。
「ルーちゃんはさ、ちゃんと大人になってさ、けっこんして、こども産む。この変ないじめ、すぐ終わるよ」
「……そうなの?」
「うん。ルナ、未来が見えるからね」
ルナは立ち上がると空を仰いだ。桃色な空間なのに、空は抜けるような青空。
「未来が……見える?」
「見えるよ。ルナはこのまま。変わらないんだ。ルナは大人になれないみたい。だったらいっそのこと、時神皆、子供だったらいいのに」
「……ルナにはよくわからないけれど、そんなこと言うのはよくないよ……」
壱のルナは心配そうにルナを見ていた。
「ルナはね、たぶん、怒られて責任とらなきゃならない。ルナはたぶん、ダメなことした」
「……暴力はダメだよ……。それはダメだったと思う。ルナのためにしてくれたのはうれしい。でも……やっぱりダメ」
「……うん、だよね」
「たぶん、ルナ達、お互い呼びあったんだ」
二人のルナは再び寄り添って座った。
二話
トケイはスズと共に世界を飛び回る。トケイのが速いため、スズはトケイの上に乗っていた。
トケイはスズを落とさないよう注意しながらルナを探す。
「トケイ、あんたをあたしは信用していいんだよね?」
「ええっ……信用してなかったの……」
トケイは動揺して立ち止まった。
「確認だってば。ほら、進んで」
「僕はまあ……突然来たからね……。そりゃそうだよね……」
「更夜が大丈夫って判断したんだから、たぶん、大丈夫だよね?」
「……大丈夫かを僕に確認するの?」
不安定な二人は不安定な会話をしている。
「ちょっと不安になっただけだから、ほら、ルナを探そ!」
「……うん」
トケイが返事をした時、ネガフィルムが絡む世界のひとつで赤髪にサングラスをかけた幼女が立っていた。
「……変な格好の子供がいる……」
スズがつぶやき、トケイも目線をそちらにうつす。
幼女はそのまま、世界の中へと入っていった。
「あやしい……。トケイ、追うよ!」
「ええ……全然違う案件かもしれないのに……」
渋るトケイを無理やり動かし、スズは怪しいサングラスの幼女を追った。
※※
サヨは歴史神が住んでいると言われている歴史書店に向かう。
坂道にできたオシャレなイタリアンレストラン。地面を平らにするためか、道路より一段下に入り口がある。
イタリアンレストランには入らず、サヨは道路の下の壁へと向かった。壁になぜか階段があり、サヨはためらうことなく階段を降りていく。
階段を降りた先に引き戸があり、サヨはため息をつきつつ、扉を開けた。
「いらっしゃいませ~」
ゆるい声かけで近づいて来たのはワイシャツに袴姿の和洋が合わさった格好をしている青年。
大正ロマンな雰囲気。
部屋の内装もそんな感じだ。
「ここ、歴史書店で、あんた、ムスビって神?」
サヨが尋ねると、青年はにこやかに笑った。
「ムスビだよ。あ~、俺、本のことよくわかんないから、自分で買いたい歴史書、選んでね」
「はい? そんな歴史書店員いる?」
「い、いないよね~、ははは。俺、興味ないんだよ、歴史書」
「ちょ、店長は?」
お気楽なムスビにあきれつつ、サヨは店長のナオを探す。
「あ~、ナオさんは……たぶん、この辺で……」
ムスビは机の上の歴史書をてきとうにどかした。歴史書を積み上げ作ったらしいベッドに袴姿の少女がだらしなく寝ていた。
「寝てます……。はい、すみません……」
「……やる気ねぇんかい……。店長も歴史書が興味ないわけ? どうなってんの、この店……」
「まあ、てきとうに営業中……ははは」
ムスビが笑い、サヨは頭を抱えた。
「起こして、今すぐ。大変なことになった」
「あ~、時神がなんかおかしくなってるね。君は再生の時神かあ」
「……」
サヨはムスビの発言に眉を寄せた。
「ねぇ、あんた達さ、あたしらの歴史、どんだけ管理してんの? あたしらにとっての重大な記憶をあんたらがブロックしてない?」
サヨの言葉にムスビの笑顔が消えた。
「そんなこと、してないぜ。時神の対応は我々がしている……。そのうち、時神の現象はなくなるさ。彼らは人間時代に戻っただけだ。ルナが時空を歪ませたことで、アマノミナカヌシを宿す現人神(あらひとがみ)も人間時代の幼少期に戻り、暴走してる。あんたや、更夜は子供時代に戻ることはないよ。更夜は死んでから神になり、あんたはこないだ神になったわけだ。これは神力が出てくる前に戻るっていう、時神特有の人間時代に体と記憶が、ルナの力により戻っただけ。心配しないで、そのうち直すから」
サヨは訝しげにムスビを見据えた。
「あんたらさ、どこまであたしらを管理してるわけ?」
「気にしなくていいよ。俺達は君達を守っているだけだ」
ムスビの言葉にサヨは唸る。
「情報開示はしないのね」
「関係ある奴が来ないとできない」
「関係ある奴って誰?」
「君ではないから安心してくれ」
「あっそ」
サヨが相手をしている神はプラズマと同等神力、プラズマの同期の神だ。彼もプラズマ同様に神力を出してサヨを押さえつけようとはしてこない。
ただ、落ち着いていて、情報の引き出しは固い。
「あんたさ、西の剣王軍だよね?」
「そうだね」
「今回、望月ルナに罰はいく?」
「東は動くかもね。剣王は傍観している。今のところな。時神は人間時代があるため、人間の歴史管理しているヒメちゃんや、図書館にいる天記神(あめのしるしのかみ)……俺達の主とか、深く関わっている。今、皆で戻している最中だ。テンキさんはワイズ軍だから、テンキさんとこに行ったら? ルナちゃんに関しては」
「テンキさんって誰?」
「ああ、天記神(あめのしるしのかみ)のあだ名だよ」
ムスビが何も話さなそうだったので、サヨは天記神のところへ向かうことにした。
「天記神って、どうやって会うの?」
「弐の世界から行くか、壱にある図書館から霊的空間に入るかだね。サヨちゃんは知らないかもだけどね、北に所属している歴史神もいるんだよ。ルナちゃんは北所属だから、北が色々判断するかも」
ムスビは付け加えると、サヨをまっすぐ見た。
「時空の歪みに関しては、時空神がなんとかするから君は情報共有だけでいいと思うよ。時神は一番厄介で一番複雑だ」
「あんたらも所属が固まってないし、厄介。なんで歴史神はバラバラに所属してるわけ?」
「……そういうもんだよ」
ムスビの発言にサヨは質問をやめ、引き戸を再び開けた。
「もう、いいや。子供になった彼らは戻るわけね」
「うん。なんとかするから、大丈夫。心配しないで過ごして。いずれ戻るからね」
「……わかった」
サヨはムスビに背を向け、扉を閉めた。
……怪しい。
壱の守護をしているワイズと剣王。様々な神を使い、元に戻すことはするだろう。
だが、プラズマが思い出しかけていた記憶はワイズや剣王にとって嫌な記憶らしい。
情報操作をされ、あの記憶をなくされるかもしれない。
「……なんとかしないと」
サヨは階段をのぼりながら、更夜へ連絡を入れた。
※※
扉が閉められた先で、ムスビはため息をついた。横目でまだ起きないナオを見る。
「ナオさん、俺はナオさんを守るからね……。トケイが復活したのが気になるよね。『立花こばると』をアヤが思い出すかもしれない」
ムスビはだらしなく寝ているナオの頭を優しく撫でた。
「……そろそろ隠せなくなるかもな。プラズマがアマテラスの神力を思い出しているようだ。リカの……せいなのか」
三話
ルナは壱のルナと寄り添って座っていたが、赤髪の幼女が入ってきたことにより、立ち上がった。
「……東のワイズだ」
ルナがつぶやき、壱のルナは首を傾げた。
「望月ルナ。人間の方はどうでもいい。話があるのはお前だYO」
赤髪の幼女、東のワイズは霊的武器『軍配』を手に持ち、こちらに近づいてきた。
「……やっぱり、ルナに話があるよね」
「クソガキ、よく聞け。時神が更夜とサヨ以外、ガキになった。お前のせいだYO。それにより、アマノミナカヌシが調子に乗っている。お前は厄介だらけだ」
「皆、こどもになっちゃったの? ルナの力で?」
「そうだYO。お前、壱を生きるアヤの時空を、壱を生きるルナの中から歪ませただろ? それにより、壱と伍を繋いでいたリカもガキになった。あいつはマナだ。あいつの力で紅雷王と栄次がガキになった」
ワイズが苦虫を噛み潰したような顔でルナを睨み付ける。
「……あれ? じゃ、じゃあルナは全員をこどもにしたわけじゃないんだ」
ルナの抜けた発言にワイズは怒りをあらわにし、ルナの胸ぐらを掴んだ。
「わかってねぇようだな。マナを知らねぇのか? マナは壱を破壊する神だ。このままじゃ、時神全滅どころか、壱が滅ぶんだYO。クソガキ!」
「ひっ! 壱が滅ぶって?」
ルナはワイズの威圧に怯えながら、震える声で尋ねた。
「んなこともわかんねぇのかよ! 世界が滅ぶんだって言ってんだよ!」
ワイズは乱暴にルナを叩きつけた。
「……痛い……。る、ルナは悪いこと、しました! ごめんなさい!」
「あやまってすむ問題じゃねぇ。神はな、人間とは違う。ひとつの事件が世界を滅ぼす!」
「ひっ!」
ルナは目に涙を浮かべ、小さくなった。ワイズに酷い目にあわされた少し前を思い出す。
「てめぇは……冷林軍を抜けろ。問題が多すぎる。次から私が管理する。お前、東に入れ。自由な行動ができねぇようにしてやる」
「や、やだっ! ごめんなさい! る、ルナはおじいちゃんと一緒が……」
「うるせぇよ。クソガキ。今回は冷林に責任をとらせ、お前をこちらに入れる。冷林ではお前を管理できねぇんだよ」
ワイズはルナの胸ぐらを再び乱暴に掴み、立たせる。
「いやだぁぁぁ!」
ルナはただ、絶望に泣き始めた。
「ただのガキじゃねぇかよ。こんなガキに左右される世界もどうかしている」
ワイズが呟いた刹那、壱の世界のルナが間に入り込んできた。
「そっ……そういうのっ……よくないと……お、思う……」
「人間には関係のない話だYO。次元が違う。人間は神と共存することを考えて生きりゃあいいんだ。人間がいなきゃあ、神はいない。神がいなきゃあ、人間はいない」
「わ、わからないよ……」
壱のルナは怯えながらワイズに答える。ワイズは壱のルナには何もしてこなかった。
ワイズは伍以外の世界を保たせる神だ。人間に情報を開示したり、世界のことを語ることはない。相手にしていない。
「さあて、望月ルナ、次の会議でお前は東だZE 。私は罪を犯す神を許さない」
「……っ! ルナは北のままでいる!」
ルナが必死に叫んだ刹那、勢いよく風が吹き、ルナともうひとりのルナをさらった。
二人のルナは気がつくと、トケイに抱えられていた。
「トケイ! そのまま飛んで!」
「ちっ!」
ワイズの舌打ちとスズの声が重なる。
「……る、ルナが見つかって良かったけどっ、あの女の子、こっわいよ……」
「……アイツ、女の子の外見してるだけだよ。かなり古参な神の雰囲気がする」
トケイの背に乗っているスズは冷や汗をかきながら答える。
トケイはとりあえず、腿についたウィングを動かし、空を飛び、壱のルナの世界から脱出した。
「更夜がいる世界に戻る!」
「わ、わかった」
スズの指示にトケイは怯えながら頷き、ウィングを動かす。
トケイの仕組みはよくわからないが、弐の世界を自由に飛べるらしい。
彼は弐に元々いた時神だと言う。霊なのかすらもわかっていない。本神に記憶がないのだ。
ただ、元々こちらの世界を飛んでいたのか、飛び方だけは覚えていた。
「人間のルナちゃん、連れてきて良かったのかな……」
トケイが心配そうにつぶやく。
「あそこが彼女の世界だったから、連れてきたらダメだったかもね……」
スズはなんとも言えない表情で答えた。
「も、もうすぐ着いちゃうから、このまま行くけど……」
トケイはネガフィルムが絡まる個人個人の世界を上手く避けながら宇宙空間を飛ぶ。
トケイが「K」のように特定の心の世界まで行けるのはなぜなのか、それはわからない。
弐の世界は変動しているため、同じ場所に同じ心の世界はない。
これを判別し、迷うことなく進めるのが「K」である。
なぜか、トケイにもある能力。
謎の多い少年である。
四話
トケイは更夜がいる世界へたどり着き、スズとルナ二人を降ろした。
珍しくルナに笑顔はない。不安と戸惑い、後悔、むなしさが入り交じり、震えていた。
それを壱のルナが心配そうに見つつ、寄り添う。
スズはなんと声をかけたら良いかわからないまま、ルナ達の背中を押し、皆が住んでいる一軒家へと入った。
玄関を開けると更夜が立っていた。ルナの様子を見、心配そうにつぶやく。
「お前、どこに行ってたんだ……。急に消えやがって……」
「……」
更夜の言葉にルナは何も言わず、小さく涙をこぼし始める。
今までこんなルナを見たことがなかった更夜はどのように声をかければ良いのかわからなくなってしまった。
「……ルナは……」
ルナはか細い声で下を向きながら話し始めた。
「皆を不幸にして……皆に迷惑かけて……いけないことばっかやって……元々生きてないし……いなくなったほうがいいんだ……。ルーちゃんは……おとなになって、いじめは自分とかまわりが解決できて、必要とされて生きてく……。でも……ルナは違う。ルナは皆のヒーローじゃない……。いなくなった方がいいヤッカイモノなんだ……。おじいちゃん……今まで気づかなくて、ごめんなさい」
ルナはその場に崩れ、静かに泣き始めた。ルナの小さな肩が小刻みに揺れている。こんな悲しい泣き方をしているルナを更夜もスズも見たことがなかった。
「ルナ……そんなことを言うんじゃない」
更夜は小さくなっているルナの背中を優しく撫でる。
「……言うよ……ほんとうのことだから……。ルナはたぶん、いなくなったほうが、いい」
「そんなこと、言うな!」
更夜が声を荒げ、心配した幼年のプラズマと栄次、リカが顔を出す。
それを見たスズは驚いたが、何も言わずにルナに目を向けた。
「……わかんないよ、おじいちゃん……。なんで、ルナをかばうの?」
ルナは不安と動揺で頭をかきむしる。
「俺はルナを大事にしてきた。ずっと……大事にしてきたつもりだ。俺はお前を嫌ったことはないし、これからも一緒にいられると思っている。俺の宝物なのに……お前からそんなことを言われると、俺はとても悲しい」
更夜はルナを抱きしめ、震える声で言った。
「……おじいちゃん……おじいちゃんの気持ち、考えないで言っちゃった……。ルナは……なんでまわりのことを考えられないんだろう……」
ルナは立ち上がると靴を脱ぎ、廊下に上がった。幼年の三人が眉を寄せる中、ルナは部屋へと入って行った。
「ルナ……」
更夜がルナを追おうとした時、壱のルナが更夜を止めた。
「あ、あのっ……ルナはひとりにしてあげた方が、い、今はいいと……思います……」
「……お前もルナ、なんだよな。とりあえず、上がれ。話を聞こうか」
更夜はスズとトケイも視界に入れた。なぜ、壱の世界のルナまで連れてきたのかと更夜の顔が言っている。
「せ、説明します……」
トケイが怯えながら答え、更夜はため息をひとつついた。
五話
「なるほど、そいつは東のワイズだな」
部屋の一室に壱のルナ、幼少に戻った三人、トケイとスズを迎えた更夜は赤子に戻ったアヤをあぐらをかいて足の上に乗せ、話を聞く。
「……ルナがかなり責められてた」
スズが言いにくそうに言葉を発し、更夜は目を伏せる。
更夜の足の上に乗ってるアヤは更夜をみて微笑んでいた。
「あの子はルナの未来見、過去見をして全てを知り、傷ついた上、ワイズに責められたのか」
「そうみたい」
スズが言った横で幼少のプラズマが口を開く。
「未来見ができるのか。我と同じである。傷ついたのなら、かわいそうだ。理解はできる」
プラズマが頷き、栄次も頷く。
「……いつも笑顔の子のようだが、先ほどはとても悲しげだった。俺も悲しい気持ち、一緒だ。姉者がおらん」
栄次は再び涙を流し始めた。
「栄次、いちいち泣くな。立ち直れないのはわかるが、どちらにしろ、姉はいない」
更夜は栄次に一言だけ言うと、壱のルナに目を向ける。
「ルナ、俺はお前の親族だが、もう死んでいる。霊なんだ。もうひとりのルナも実は死んでいる。俺達は霊だ。お前は霊魂の世界に来ている」
「……はい」
壱のルナは素直に返事をした。
「……わかっているか?」
「……はい。ルナに会った時に気づきました。もうひとりのルナはうちにはいないから。……お墓の中に……いるから……。たぶん、更夜様ですよね? 更夜様もお墓に入ってるってお姉ちゃんが」
壱のルナは今にも泣きそうになりながらそう言った。
「……そうか。サヨが教えたんだな。……一度、会えて良かった。はっきりと言うが、お前はいじめにあっているようだな」
更夜に言われ、壱のルナは目を伏せ、悲しそうに下を向く。
「家族とか、皆に知られてる……。情けないですよね。情けなくて……たぶん、望月家の皆から恥だと思われてると思います……。ルナは……辛くて消えたいです」
「ルナ、お前までそんなことを言うのか。……少し、ここにいなさい。現実から逃げるのも立派な行動だ。言っておくが……誰もお前を恥だとは思っていない。お前の問題ではなく、いじめている子供の問題だ。子供は皆、小さなことで様々な感情が暴走する。お前をいじめてる子供は皆、たいした感情じゃない。気に入らないから、クラスからはぶられるのが嫌だから、自分にないものを持つお前をうらやましく思っているなどの感情だ。たかだか三十人くらいの小さな世界。だが、子供はその世界から逃げられず、それがすべてになる」
更夜は壱のルナの頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「……ルナは……皆のためにいじめられてるってこと? お友だちはできないってこと?」
壱のルナは目に涙を浮かべ、更夜を仰ぐ。
「お前に友達はできる。お前の中に友達になりたい子、友達になれそうな子がいるはずだ。俺にはわかるぞ。いずれ、その子らはお前に話しかけてくるが、お前から話しかけていく方が勇気があるな」
「……そんな子、いないです」
壱のルナはふてくされたように更夜から目をそらし、口を結ぶ。
更夜はその子供らしい表情に思わず優しい顔をしてしまった。
更夜は守護霊でもある。
生きている親族を心の中から正しい道に向かわせる役目もあるため、はっきりとは言わず、ルナに気づかせようとしているのだ。
「全員がお前をいじめているわけではない。そのうち、見ているだけでは良くないと立ち上がる子が出てくる。その子達が立ち上がる前にルナが決着をつけるんだ。三十人程度の小さな世界だが、皆が皆、同じ考えじゃない。お前に対するいじめを良くないと思ってる子供もいるんだ」
「ルナは怖いです。できないです。ランドセルを蹴られたり、机に落書きされたり、消しゴムバラバラにされたり……転ばされたりしました。あの子達はルナが嫌いなんです。ルナはだから、学校にいかない方がいいんだと思います」
壱のルナの心の傷は深い。
「お前はなんで、そいつらのために生きてしまうのか。自分の人生、そいつらに捧げるのか? それこそ馬鹿馬鹿しい。お前は俺達親族の誇りであり、大切な子孫だ。皆がお前を守っている。本当に辛いのならば逃げても良い。だが、俺はお前に立ち上がってほしいと思っている。俺は望月更夜。お前を心の中から守っている。答えが出るまでここにいなさい。俺はお前の味方だ」
更夜はアヤを横にいたプラズマに渡し、壱のルナを優しく抱きしめた。ルナは大粒の涙をこぼし、更夜の背に手をまわした。
「ルナをいじめてこない子がいるのは、知ってる……。でも、怖くて話しかけられなかった。何を話せばいいのか、わからなかった……。皆がどう思ってるのか、わからない。皆、お面をつけてるように見えるの……。お面をつけてルナを笑ってるように見えるの……。ご先祖さま、ルナは怖いよ……」
「……ああ、怖いよな。気持ちを俺に話してくれてありがとう、ルナ」
更夜は壱のルナが落ち着くまで抱きしめながら好きに泣かせた。
いままでたまっていたものが一気に出てきたようだ。
心の世界は人の心を裸にする。
プラズマ、栄次、スズ、トケイは黙ったまま更夜とルナを見ていた。その中、リカだけは作った物語が現実になっていくことに喜びを覚えていた。
六話
壱のルナと更夜の会話をルナは隣の部屋から聞いていた。
ルナが何もやらなくても、更夜が壱のルナを癒していく。
「……ルナは何をやってたんだろ」
急にむなしくなる。
ルナは向こうのルナのために何もできなかった。迷惑をかけただけだ。
「ルナのせいで皆がおかしくなった。アヤが赤ちゃんになってた……。ルーちゃんが現実に帰れなくなった。おじいちゃんを傷つけた」
「そうみたいだねぇ?」
ふと後ろから声がした。
ルナは慌てて涙を拭い、振り返る。すぐ後ろに幼いリカが笑顔で立っていた。
「ちっちゃい……リカ……」
「リカじゃないよ、私はマナ」
「まな?」
「うん」
リカは軽く微笑んでルナを見た。
「リカじゃないの?」
「違うよ」
ルナは眉を寄せたが、リカは変わらずに口を開く。
「私ね、なんか不思議な力があるみたい。ルナちゃんの願いを叶えてあげられるかも」
「……どういうこと?」
ルナが尋ね、リカは頷く。
「なんかさ、消えたいって言っていたよね? だからさ、消してあげようか?」
「え、ちょっと待って! やだよ」
ルナが怯え、リカが不思議そうな顔で首を傾げる。
「なんで?」
「な、なんでって……」
「消える勇気がないってことかな?」
リカに追い詰められ、ルナはなんと言えばいいかわからなくなった。
「消えたいなら消してあげるって。大丈夫だよ、今までのやつ、全部成功したから」
「やだってば! 今、気持ちがぐちゃぐちゃ! ほっといてよ!」
ルナが叫び、リカはさらに近づく。
「ウソだったんだ? 更夜を困らせるために覚悟もないくせに、言ったんだ?」
「……それは」
ルナは気がつくと壁際に追い詰められていた。
こんなに大きな声で会話をしているのに誰一人こちらの部屋に来ない。
「誰も気づかないよ。まわりの音、なくしちゃったから」
「ルナをなんでそんなに消したいの?」
ルナはリカを睨み付け、鋭く尋ねた。
「え? 消えたいって言ったじゃない?」
リカは首を傾げてルナを見ていた。
「違うよ。リカ……じゃなくて、マナがルナを消したがってるように見えるんだ!」
「そうかな? そうかも? 自暴自棄にはならない?」
「ジボージキってなんだよ!」
ルナが声を荒げ、リカはため息をつく。
「自暴自棄だよ。どうでもよくなって世界を壊したりとかさ」
「……なにそれ」
「アヤが一回やったねぇ。あれ? 覚えてない? あー、君はまだ産まれてないか」
リカは不気味に笑う。
「……」
ルナに見覚えのない記憶が走る。過去見か?
血に染まったアヤが瞳を黄色に輝かせ、プラズマや栄次を襲っている。背後に浮いているのは橙の髪の少年、トケイ。
アヤが泣いている。
なにかを叫んでいる。
「……こ、ば、る、と、く、ん、は、わ、る、く、な、か、っ、た……?」
「ああ、見れた? まあ、気にしない、気にしない」
リカが声をかけ、ルナは我に返った。
「なに、あれ」
「なんだろうねー。私が書いた過去作と同じー」
「なに、言ってるのかわかんないよ」
ルナはリカを不気味に思い始めた。何を言っていて、何がしたいのかわからない。
「で、消えたくないの?」
「消えたくないよ。答えは自分で決めるから」
「そう、でもあんたは私のストーリーだと消えることになってる」
リカは神力を解放し、ルナをアマノミナカヌシの結界に取り込んだ。
「……やだよ。まだ答えが出てないんだ!」
ルナは無意識に神力を解放し、リカにぶつけてしまった。
ルナは不安定であり、現在は神力を出すことすらも制御できない。
「ち、ちがっ……」
ルナは戸惑った。
今は神力をぶつけるつもりではなかったのだ。
しかも、普通の神力が出たわけではなかった。出たのは『時間の鎖』だ。
アヤが出す神力に似ていたが、似ているだけの別物。
リカの時間を早送りしてしまった。
リカは唐突に成長し、元の赤いパーカー、緑の短パン姿に戻った。ルナはたまたまリカを元の時間軸のリカに戻せたらしい。
もし、リカを消滅させる方の巻き戻しをしてしまったらと恐ろしさを実感したルナは震え、尻餅をついたまま、動けなかった。
「ん……ルナ?」
リカが目覚め、辺りが元の部屋へと戻る。
「……リカ……だよね」
「ん? うん。リカだよ? どうしたの? そんなに震えて……。私、どうなって……」
ルナの問いかけにリカは頭を抱えた。何も覚えていない。
「……リカはマナって子だったよ……」
「え?」
ルナの発言にリカは驚いた。
「ルナを消そうとしてきた」
「だ、大丈夫だった? ごめんね、何にもわからなくて……」
リカはとりあえずルナを心配した。ルナは悩んだ後、頷く。
「うん。大丈夫だった」
ルナが発言した後、すぐに更夜達が部屋に入ってきた。
元に戻っているリカに全員が驚き、リカは幼くなっていたプラズマと栄次に驚く。
「何がどうなってるの?」
リカの目に知らない少年が映った。橙の髪をした気弱そうな少年。彼も何が起こっているのかわからず、ただ戸惑いの表情を見せていた。
「……知らない男の子がいる……」
リカは気がついていない。
少し前、リカが『感情を戻した』破壊システム、トケイであることを。
歴史神の隠し事
サヨは天記神(あめのしるしのかみ)の図書館に行くため、人間の図書館に来ていた。まだ夏は来ていないが夏のように暑い。
ただ、図書館内は涼しかった。
「夏かよ……。暑すぎ。中は涼しい。ふぅ」
サヨは手で顔をあおぎながら辺りを見回した。今日はあまり人がいない。天記神の図書館への行き道を探していると、ひとりの女性が近づいてきた。
「右の歴史書の棚を左です」
「……へ?」
女性はそれだけ言うと、元の持ち場へ去っていった。よく見るとまわりの人は彼女が見えていないようだ。
「霊的ななんかなわけか……」
サヨは頭を抱えつつ、歴史書棚を探し、左に曲がった。壁の先に空間があり、何も入っていない本棚が寂しく置いてあった。
「なに、この本棚……ん?」
下段に一冊だけ真っ白な本があった。手に取ると『天記神』と書いてある本なのがわかった。
「んん?」
サヨはとりあえず本を開く。
刹那、サヨは白い光に包まれ、どこかへと飛ばされた。
白い本がその場にむなしく落ちる。それを拾い上げたのは先程の女性。
「再生の時神で『K』、望月サヨ。いらっしゃいました」
女性は機械的な音声でそう発すると白い本を棚に戻し、去っていった。
一方サヨは霧がかかる森の中にいた。辺りを見回した後、眉を寄せる。
「どこ、ここ……弐の世界?」
道は一本だけしかなかった。森の中へと続いている。
サヨはとりあえず舗装されていない土の道を歩きだした。
森の中なのに動物の声もなし、鳥の姿すらみえない。
やたらと涼しく、不気味に静かな森だ。
森を抜けると古い洋館が建っていた。館の主が盆栽好きなのか、様々な盆栽が館を囲っている。
「ぼんさーい……かあ」
サヨは立派な盆栽を横目に、洋館の扉を開けた。たぶん、ここが天記神の図書館である。
「いらっしゃいませ~!」
扉を開けた瞬間、女性のような男性の声が響いた。
男性の声だが、雰囲気が女性。
きれいに並べられた本が天高く棚に詰められ、沢山の閲覧席がある中、サヨは声の主を探す。
サヨは閲覧席の椅子に創作の着物に星形の帽子をかぶる男性が座っているのを見つけた。
「どうもー、はじめまして……え~……天記神さん?」
サヨが頭の整理をしつつ、不思議な雰囲気の男性に話しかける。
「そうですわよ。お初ですね。こんにちは」
天記神は物腰柔らかく、サヨに挨拶してきた。
「……失礼だけども、オネェさん……? ハートは女の子?」
「あら! ハートは女の子! 良い言葉だわね! 好きよ」
サヨの発言に天記神は喜んでいた。天記神の中身は女性であることをサヨはとりあえず理解する。
「女なら話しやすいわ。あたしが来た理由、わかる?」
「ええ、わかりますわよ」
天記神は紅茶とクッキーをお盆に乗せ、サヨの前に優しく置いた。
「あんたさ、東のワイズ軍、なんだよね?」
「はい。そうですね」
天記神はゆっくりと紅茶を飲む。
「ルナにたいして、ワイズは動いてる? あんた、ルナも知ってるよね?」
「望月ルナちゃんは知っています。ワイズは……動いてますが、こちらの世界の修復のため、動いております。わたくし達も時神を元に戻す修正をしております」
「……ルナに罰はいくと思う?」
サヨは天記神を真っ直ぐ見据え、尋ねた。
「それはわかりません。わたくしはそこまで把握してませんので」
「修正って時神を元に戻すだけじゃないよね? 何か隠してない?」
「隠すとは?」
天記神は上品にクッキーを食べる。
「そちらにとって都合の悪い記憶を隠そうとしていないかなってことだよ。あんた、歴史神のトップだよね? 昔、あんた達さ、時神になんかやったんじゃないの?」
サヨは鋭く天記神にそう言った。天記神は紅茶を飲むと、カップをゆっくり置く。
「……わかりませんわね。何もしてませんわ」
天記神が答え、サヨは眉を寄せる。その時、少し離れたところから男の声がした。
「あ~……寝ちまった。誰か来たのか?」
「……ん? え?」
サヨは男性に気づかなかった。
端の方で別の男性が寝ていたようだ。サヨはその男性を見て言葉がないほど驚いてしまった。
「おサムライ……さん!? なんで元の大きさに?」
「ん? あ~、人違いしてんのか?」
「……そっくりすぎる」
目の前に眠そうな顔で立っていたのは時神過去神、栄次と同じ顔をしている青年だった。
ただ、言葉遣いが栄次らしくない。
「ああ、栄優(えいゆう)さん。起きましたか。新しい歴史神さんは色々調べてますもの、眠くもなりますわ」
「新しい……歴史神……」
天記神の言葉にサヨはさらに眉を寄せる。
「え~、お嬢さん。お嬢さんも神さんかね?」
「うん、時神だよ」
「なるほど。時神。今、調べている最中の神か」
栄次にそっくりな男、栄優の言葉にサヨはすばやく食いついた。
「あたしらを調べている? あんた、歴史神になりたてなんだよね? なんで時神を調べてるの?」
「謎が多いんだわ。謎だらけ。ワシは知りたいのよォ。謎だらけのあんたらの事」
栄優はサヨを鋭く見据えた後、天記神を見る。
「栄優さん、時神はこの世界にとってかなり重要な神達です。調べるのはかまいませんが、世界の仕組みを知ることはかなり困難ではありますよ」
「……だろうな。テンキさん、ワシはちょっくらこのお嬢さんと出るよ」
栄優はサヨに目配せをし、一緒についてくるように言った。
サヨはとりあえず、栄優についていくことにする。
「天記神(あめのしるしのかみ)、ちょっとこのおサムライさんそっくりの人と外に行くね」
サヨは一言、天記神に言い残した。
「はい、またいらしてくださいませ。……いくら調べても何も出てはこないけれど」
天記神は最後の部分を小さく付け加えた。
二人が出ていった後、天記神は人間の歴史管理をしているヒメちゃんに連絡をとる。
「ヒメちゃん、人間時代の時神の修復はできているかしら?」
天記神が問うと、頭の中からヒメちゃんのかわいらしい声がした。
「そろそろ終わりそうじゃ。これが終わったら『ナオ』に交代じゃな」
「ナオさんには手を焼きますが……まあ、なんとかできるでしょう。……以前のように、稗田阿礼さんや太安万侶さんに神の歴史改変の記録を残す必要はないと思いたいですね」
「アマテラス様がお隠れになったことにより、古事記を作った歴史神らが『先の世界改変の記録を残さねばならなくなったあの時代』までは世界が崩れることはないとは思うぞい」
「そう、かしらね。異世界の時神、リカが来たことにより、時神達が統合時代の記憶を戻していることも個人的に気になるわ。後、アヤがあの『改変』を思い出さないか、ナオさんが心配している。アヤにたいしての記憶のブロックをこの機会に強化するのかもしれないわ」
「それはできん。トケイが目覚めているぞい。アヤは近々、思い出す。ナオは罪神としての覚悟をそろそろ持つべきじゃ。天記神、どう動く?」
ヒメちゃんに問われた天記神はしばらく悩み、ため息をついた。
「歴史神の頭(かしら)として……彼女を守らないと……」
「まったく、お優しいボスじゃの。まあ、今回は良い。それより紅雷王と栄次はリカが原因じゃ。ルナはようわからん。人間のルナを見てみても、歴史に異常はなく、弐のルナが神力を放出した故に、アヤが赤子になったとは考えにくいのじゃが……」
ヒメちゃんの声に天記神は目を細めて唸る。
「リカが幼くなった理由も実はハッキリしないのよね。あの子はこちらが操作しなくてもルナが元に戻した……。時神が面倒なのは、『発生が皆違うから』なのよね。ルナとリカは実態がないところからスタートしたタイプ。このふたりは構造が似ているわけです」
「そうじゃな。ふたりは初めから人間の皮がないわけじゃ。ルナが動かせるとしたらリカじゃの。確かに構造の違うアヤをいじるのは無理そうじゃ」
ヒメちゃんの言葉に天記神は頷いた。
「そう。アヤは『あの時神』のバックアップだった。彼女が一番特殊で一番構造がまわりの時神と違うのよ。ルナが彼女を子供に戻せるわけはない」
「……ということは、やはり、アヤは昔の『転生時代の神力』を戻してきていて、なにかのキッカケで幼年戻りをした可能性が高いわけじゃな」
ヒメちゃんの言葉に天記神は頷いた。
「おそらく、そういうことです。ナオさんが知らないわけはないと思うので、弐の世界でなにか動いてるはずですわ。ナオさんに関しては栄優さんを通して監視していこうと思います。わたくしはここを出られませんのでね」
「……承知しました。こちらはこちらの仕事をします。引き続きお守りくださいませ。ではの、また何かあれば連絡をお願いするのじゃ」
ヒメちゃんは丁寧にしめると通話を切った。
「……まさか、『立花こばると』が復活した……? こないだ黄泉が開いたのよね……」
天記神は冷めてしまった紅茶をひとり静かにすすった。
二話
栄優(えいゆう)とサヨは図書館の外に出た。静かな霧深い森の中だが、不気味さはあまりない。
「歴史神はどいつもこいつも怪しい……。あんたもなんか怪しい。栄優サンだっけ?」
サヨに尋ねられ、栄優は眉を寄せたまま「そうだ」と答えた。
「あんたはね、時神過去神、栄次と同じ顔をしてるの。絶対栄次くんに関係あるでしょ。もしかするとあんたもさ、栄次くんを知らない可能性があるなと思ったんだよ」
「あんたも……と、いうと?」
栄優は何も語らず、サヨから話を聞き出そうとしている。
「あたしもそうだったんだけど、この世界は壱(現代)、参(過去)、肆(未来)がわかれた世界で、三直線に進む世界だった。だからね、現代に存在するあたしが時神過去神と未来神を知るはずがなかったわけ。だけど、伍(異世界)からリカって時神が来て世界を繋いじゃったの。それであたしは栄次くんとプラズマくんを知った。だから、あんたも壱の世界のあんたなら、栄次くんと関係があっても栄次くんを知らないよねって話。でも、世界がくっついたから知らない記憶が、参の世界の記憶があんたに流れている最中なのかもって思ったわけ」
「なるほど。この謎の違和感はそれか。ああ、時神を調べていたのは本能だったわけか。今、知らないワシが姉と名乗った女と話している過去が流れてきた。参(過去)のワシか? こりゃ、ワシも姉も死んだ後の記憶だな。その時神ってやつ、無関係ではなさそうだ」
栄優の発言でサヨは呆然とした。
「ねぇ、本当に栄次くん、知らないの? なんか思い出さない?」
「知らんもなんも、会ったことがないからな。なんとも言えんがね」
栄優は手を横に広げ、お手上げのポーズでサヨを見た。
「……性格は違うけど、顔が同じ。双子かもしれない。うちにもね、性格全然違う双子がいるよ。あんたももしかすると、違う環境でそれぞれ育った双子なのかも」
「まあ、あるんじゃねぇかね、そういうのは。ワシの時代は双子は呪いみたいな扱いだったからねぇ。ひとり隠蔽された可能性があるわな」
栄優の言葉にサヨはまた心を痛める。
「隠蔽か。望まれてなくて捨てられたってことだよね?」
「ワシんとこは藤原氏、公家だ。ワシは跡取りだったわけだから、栄次ってやつは捨てられたかなんかしたんだろうな。双子という事実自体知らねぇし、一歳差の弟はいたが姉もいたことすら知らない。さっき、弐(死後の世界)で姉と名乗る女と話したらしい、知らんワシの記憶が流れてきただけだ」
「……実際、会ってみなよ。時神過去神に。連れていってあげる。今、理由あって子供の姿だけど。あんた、死後、今になって歴史神になったんでしょ? 神になったら例外を除いて、霊の時と違って弐の世界を自由に動けなくなる。栄次くんは今、弐の世界のあたしの心の世界にいる」
サヨの話を聞いた栄優は実際にはよくわかっていなさそうだった。神になったばかりで世界についてもよくわかっていないらしい。
「興味深い。時神が一番わからねぇ神だ。連れてけ」
「なーんもわかってなさそうだけど、偉そう……」
サヨは小さくつぶやくと、自分の世界への扉を出した。
ここは弐の世界でもあるが、他の世界とも繋がる不思議な場所だ。壱の世界のように扉が出せた。
「はい、この扉から入る」
「どうなってやがんだ? 興味深い」
栄優はどこか楽しそうに扉のまわりを回っていた。好奇心旺盛で、年相応な気がする。
死んで魂になり、弐に来てから変わらぬ年齢のまま過ごしたようだ。栄次と同い年ならば、彼は十八だ。十八で亡くなったかはわからないが、深い後悔があり、弐の世界で今までさ迷っていた魂であることは間違いない。
「ほら、あけたよ! 入る!」
サヨに怒られ、栄優は渋々戻ってきた。
「お嬢さん、気が強そうだねぇ……。コワイコワイ」
「はいはい」
サヨは栄優をとりあえず開けた扉の先へ押し込んでおいた。
三話
ルナはなんだかわからないまま、大きくなったリカについて説明をする。
皆が不安そうな顔でルナを見ている中、更夜は年長者として、ルナの親として話を聞く。
「つまり、マナだった幼少のリカがルナを消そうと動いたわけか」
「うん。で、ルナは身を守ろうとした。リカに神力をぶつけるつもりじゃなかった!」
ルナは話しながら興奮し、涙を流し、唇を噛む。思い通りにならない様々なことがヒーローになりたかったルナの心と離れていく。
「もうやだ……」
ルナは怒りにも似た感情で小さくつぶやくと、神力を再び暴走させた。
「もうやだよ! どうしたらいいんだよ! もう!」
「ルナ! 落ち着け」
ルナが放った神力はまるでかまいたちのように部屋を切り刻む。
更夜はすばやく結界を張り、子供のプラズマ、栄次、壱のルナ、スズ、トケイ、そして戸惑っているリカを守る。
「……っ」
ルナは皆を守った更夜を見て、自分がやってしまったことに震えた。
同時に。
ルナは悲しくなった。
これでは、自分が悪者だ。
いじめたあの子達と同じだ。
むしゃくしゃした気持ちをぶつけたあのいじめっこと、同じ。
耐えられない。
気持ちが抑えられない。
弱いものに、力を、ぶつけたい。皆を守ったおじいちゃんを傷つけたい。気に入らない。
これは、
ヒーローの感情なのか?
「……ルナはここにいちゃダメだ」
「ルナ……そんなことないんだ」
更夜が優しくルナに声をかけるが、ルナは更夜を睨み付けた。
「ルナは! もともとヒーローじゃねぇんだよ! ルナはもうイヤだ!」
「ルナ!」
ルナが部屋を飛び出し、更夜は呆然と立ち尽くしてしまった。
追いかけられなかった。
更夜らしくない行動。
更夜は動けなかった。
「苦しんでいるルナを助けられない……。俺はどうしたらいいんだ」
更夜は拳を握りしめ、絞り出すようにつぶやいた。
それを見た壱のルナは更夜の拳に手を置くと優しく声をかけた。
「ご先祖様、ルナと一緒に、こちらのルナを探しに行こう? こちらのルナ、もしかするとルナと同じ気持ちかもしれないです。ルナも、どうしたらいいか気持ちの整理ができないの……」
「……ルナ、ありがとう。お前の気持ち、こちらのルナの気持ち……子供の気持ちは単純なのに……複雑だよな。偉そうにものを言っているが、俺は感情豊かなお前達の気持ちがしっかり理解できていない」
更夜は壱のルナの頭を優しく撫で、子供になったプラズマと栄次を見てから、大人に戻ったリカを見る。
「リカ、俺とあちらのルナは今からこの世界から出ていってしまったルナを見つけに行く。お前は栄次やプラズマ、赤子のアヤを頼む。そろそろ、サヨも戻って来そうだから、戻ってきたら協力してくれ」
「更夜さん、どうやって世界から出ていったルナを見つけるんですか?」
リカが不安そうに尋ね、更夜はトケイに目を向けた。
「トケイ、二回目だがルナを連れ戻す。一緒に来てくれ。スズはここにいろ」
スズが一緒に行こうとしたので、更夜がすばやく止めたが、スズは首を横に振った。
「更夜……あたしはルナの友達で家族だよ! 一緒に行く!」
「……そうか。そうだよな……。わかった。来てくれ」
更夜はスズの気持ちを理解し、連れていくことに決めた。
「ど、どうなってるのかわからないけど……僕は更夜とあっちのルナちゃんと、スズを連れて弍の世界を動けばいいのかな」
トケイは戸惑いながら小さく更夜に声をかけ、更夜は「頼む」とそれだけ言った。
「ルナは不安定だ。お前達に先程の力を飛ばしてくる危険がある。だが、頼む、ルナを守ってくれ……。俺はどうしたらいいかわからない。お前達の声かけ、言葉が頼りだ」
「更夜、皆、行こう」
更夜の背中をスズが叩き、壱のルナが更夜の手を引く。
「えーと……リカ、だっけ? 僕、また行かなくちゃだから、子供ちゃんの相手、お願いします!」
トケイは困惑中のリカにそう言うと、部屋から去っていった。
「ルナは心配だけど、自分が栄次さん、プラズマさん、アヤのお世話ができるか不安だよ……」
別の部屋で寝ていたアヤが起き、泣いている。栄次とプラズマはリカの服を引っ張り、どうしたらいいか不安そうな顔でリカを見上げていた。
とりあえず、更夜が先程作っていたらしい子供向けの夕飯を二人に食べさせることにした。
「あ、アヤはミルクか……。ミルク……えーと、粉ミルク、人肌……最後にゲップさせる……あってる?」
栄次、プラズマに聞いても二人は首を傾げるだけ。
リカは突然の子育てに迷うことになった。
四話
リカは台所で作りたての味噌汁が入った鍋と三人分のオムライス、茹でたブロッコリーにバターコーン、付け合わせのトマトを見つけた。
三人分。
「私が子供になっていたさっき、作ってくれたんだ……。覚えてない……。本当に子供だったんだ」
「なんだ、これは。食べ物か?」
横から栄次が興味津々にオムライスを眺める。
「お料理だ。我は見たことなし。大陸のお料理か?」
さらに横からプラズマが顔を出す。
「そっか……栄次さん、プラズマさんは鎌倉時代と奈良時代なんだ……。オムライス知らないですよね。おいしいですよ。今はアヤのミルク作ってるから待っててください」
「先程、見たぞ。人肌だ。あったかいくらいが飲みやすいようだ。腕とか手に少し出して確認するのだ」
「乳は飲まないのか? 女は乳が出るのでは? 出ないのか?」
栄次とプラズマはミルクを作るリカを不思議そうに眺めていた。
「あちち……もうちょい冷やさないと……」
「アアァ!」
アヤの泣き声が大きくなる。
「ああ、待ってて……」
リカはオムライス一つをレンジに入れて温め、アヤの元へ走る。
アヤを膝に乗せて哺乳瓶を口に入れた。
「ヤバイ。この間、なんもできない! 動けないよ」
焦っていた時、サヨの声が元気に響いた。
「ただいまぽよ! 皆、大丈夫かなぁ?」
「サヨだ! サヨ、ちょっと栄次さんとプラズマさんにご飯、出してあげて!」
リカはミルクを飲ませながら叫んだ。
「えー? わかった! ちょいまち! 栄優サンはそこらに座っといて」
サヨの声が聞こえ、リカは少しだけ安心した。
「ん? ……栄優さん? え、誰?」
安心したのもつかの間、リカはすぐに初めて聞く名前に気がつくが、とりあえず後回しにする。
サヨは手早く味噌汁を温め、レンジに入れたオムライスを回収し、もう一つのオムライスの皿をレンジに入れた。
栄次とプラズマは子供らしく興味が尽きず、サヨの後ろをついてまわっている。
「お椅子に座ってなってば!」
サヨは栄次を抱えて椅子に座らせ、プラズマも抱えて横の椅子に座らせる。すばやく子供用フォーク、スプーンを机に置き、オムライスのお皿にトマトを乗せて机に置き、味噌汁もよそって横に置く。
「はい。オッケー! いただきまーす」
サヨが満足げに頷き、栄次とプラズマは美味しそうな匂いに喉を鳴らした。
「ど、どうやって食べる?」
「この食器はなんだ?」
二人はフォークとスプーンの使い方がわからないらしい。
「ウソ……子供用のこれ、逆に使い方がわかんないの? 箸のが良かった? フォークは突き刺して食べるんだよ。スプーンはこれ、オムライスを崩して食べたり……ほら、すくって口に入れる」
サヨの説明で二人はなんとなく理解し、慣れないながらも食べ始めた。
「美味だ! 美味だな!」
プラズマが感動し、栄次は黙々と食べ始める。
「うまい……」
思わず声が出ていた。
サヨが一息つくと、リカがアヤを抱っこして台所前の机にやってきた。
「哺乳瓶、からになった……」
「てか、リカはなんで元に戻ってるの? おじいちゃんは? ルナは?」
サヨが辺りを見回しながら尋ね、リカは困った顔で答えた。
「実は色々あって……そっちこそ、栄優さんって誰?」
「あー……ほら、あのひと」
サヨが軽く指をさした方向を見ると栄次そっくりの男が子供になった栄次の顔をじっくり覗き込んでいた。栄次は顔にケチャップライスをつけたまま、栄優を不安げに見返す。
「おお……ワシのチビッ子の時と同じ顔だぞ! 同じ顔だな!」
「どうなってるの?」
なぜか喜んでいる栄優を眺めつつ、リカは眉を寄せた。
「お互い、説明しよ」
「……だね」
サヨとリカはため息をつくと、それぞれの状態の説明を始めた。
五話
弍の世界内、入り込める誰かの世界に入ったルナはどうしようもない気持ちを抱えながら道を歩いていた。この世界は夕暮れの一本道が続く田舎の世界。どこか昭和あたりの夏休みを思い出させる世界だ。
ひぐらしが鳴いている。
ルナは地面の小石を蹴りながら一本道を歩いていく。
ここを歩く意味は特にない。
気持ちが整理できないため、ルナは何にも考えずに道を歩く。
石を蹴りながら歩いていたら、目の前に赤髪の少女が現れた。
「……?」
「こんにちは。望月ルナさん。正義の味方になれる方法を教えさせてください。あなたは世界を救えるかもしれません」
少女は袴姿で優しく微笑んだ。
「……ん? 誰? ルナを知ってるの?」
「はい。私は霊史直神(れいしなおのかみ)、ナオと申します。神々の歴史の管理をしている神でございます」
ナオは丁寧に頭を下げるとルナをまっすぐに見た。
「神か……。ルナはヒーローじゃないんだよ」
「ルナさんは正義として戦う方法があります。どうか、こちらの世界をお守りください」
「どういうこと?」
ルナが眉を寄せたのを見たナオは話を先に進める。
「アマノミナカヌシ、マナを倒し、追放し、伍の世界に封印しなければなりません。今、こちらの世界がマナにより脅かされております。神々、生き物の命を守るため、私に手を貸してくれませんか?」
「……んん」
ナオの言葉でルナは先程の子供のリカを思い出す。
ルナを消してこようとしたり、世界を思い通りに動かそうとしていた。
もしかしたら、マナは世界の敵なのかもしれない。
そう思ったルナはヒーローを模索していたこともあり、ナオの言葉が魅力的に聞こえた。
「ルナはヒーローじゃない」
「いいえ。あなたにはマナを抑える力があります。世界を救ってくれませんか? あなたは染まってないんですよ。こちらの世界のデータにも、あちらの世界のデータにも。だから、自由に動けるのです。マナを抑えることができたら、あなたは英雄です」
「……」
ナオの言葉はなぜか、ルナにとって大切な言葉に聞こえた。
彼女の言葉を胡散臭いとは思えないほどルナは純粋で、子供だ。
そして、傷ついた心に挽回できるかもという希望が芽生える。
役に立つかもしれない、世界を救えるかもしれない。
「マナは時神や我々を壊す害悪な神でありますが、私達はこの世界に縛られ、彼女に直接干渉できません。だから、あなたの力を借りたいのです」
ナオは本当に困った顔をしていた。
「……ルナはたいした力になれないかもしれないけど、皆を助けられるなら……力を貸すよ」
「ありがとうございます。では、一緒に来ていただけますか?」
ナオが手を伸ばし、ルナはその手を握る。ルナはたいした理解ができていないまま、ナオに連れられ世界から出た。
世界から出ると、弍の世界を飛べるらしい神々の使い鶴が宇宙空間で駕籠を引き、待っていた。
月は隠れる
サヨとリカは栄次やプラズマの食事中にアヤをあやしつつ、情報の交換をした。
「ルナ、大丈夫かな……」
サヨは心配そうにつぶやき、リカは栄次のオムライスを摘まんでいる栄優を視界に入れる。
「俺の……ごはん……」
「あ~、悪い悪い。うますぎてなァ」
栄優は悲しげな栄次を見て、苦笑いを浮かべながらつまみ食いを止めた。
「はぁー……で、あの人は……最近歴史神になった、栄次さんと同じ顔の神様と」
リカが言い、サヨが頷いた。
「そうそう。謎でしょ? たぶん、双子。お互いに顔を知らないみたい。おんなじ顔だけどー。てか、連れてきても同じ顔だってわかるだけで、お互い知らないんじゃ何にもわかんないよねぇ……」
サヨはあきれた顔をしつつ、栄次を泣かせてしまっている栄優を見る。
「な、泣くなって! ちぃっともらっただけだろうがい!」
「この赤いすっぱいの、取っておいたんだ……」
赤いすっぱいのとは、どうやらケチャップのようだ。栄優はケチャップがたくさんかかっている部分をまるごと食べてしまったらしい。栄次は静かに泣いている。
ちなみにプラズマはオムライスに夢中だ。育ちの良さからか上品に食べている。
「はーいはい……」
サヨは栄優を軽く睨みつつ、栄次のオムライスにケチャップを足す。
「あかい、すっぱいのだ!」
栄次は喜び、栄優から皿を微妙に離して食べ始めた。
「いやあ、しっかし、こいつは俺にそっくりだ! 見た瞬間笑っちまったぞ」
栄優がリカ達の前に座り、にこやかに笑った。
「クセ強めな神様ですね……」
リカが小さくつぶやくと、寝てしまったアヤを抱えて膝に乗せ、栄優に目を向けた。
「ふむ。お嬢さん、ちと変わってる時神さんかい?」
栄優は突然に栄次と同じように目を細め、リカを見る。
リカは不思議な威圧に少し怯えてしまった。
「あー、怯えんでいい。ワシは元々、こういう顔なんだ。それより、あの子供らとお嬢さんらについて詳しく聞かせてくれ。ワシはナオのように歴史を検索できる神じゃあない。過去を時間方面ではなく、歴史方面で管理する神だ」
栄優はそこで言葉を切ると、頭を指差した。
「全部、ココに叩き込む必要がある……。全体をな……。ワシは鎌倉時代初期の産まれ。『旧世界』を知っている。時神の役割は違ったはずだ。しかし、ワシは時神の歴史を何も知らない」
「旧世界……」
リカやサヨには考えが浮かばない世界だ。プラズマや栄次ならわかる話なのかもしれない。
そもそも壱(現世)と伍(異世界)がわかれたのはいつなのか、くっついていた世界を旧世界と呼んでいるのか、それもよくわからない。
「時神の役割が変わったのは最近だよ。リカがこちらに来てからだいぶん、変わった。けど、ワールドシステムがリカを受け入れているんだ。危険性はないよ」
サヨが軽く説明を入れる。
「そもそも……なんで神がいないはずの伍から神が来た? 価値観が違いすぎるだろう」
栄優は神になりたてだが、世界の仕組みがある程度わかっているようだ。以前のリカのように情報を集めている。
サヨとリカは栄優が敵になるか味方になるかわからず、情報をどこまで話すか迷っていた。
「あー、はいはい。何か知ってるが、ワシの存在がよくわかんないから言わないのな? リカは本神からの説明を期待したんだがね」
「ごめんなさい。こういう判断はプラズマさんやアヤがしてるので……」
リカはマナの話や仕組みのせいで壱の神に消されそうになっていることなどを話せなかった。
「ま、これはいいか。とりあえず、時神の確認をさせてくれ。お嬢さん達は何の時神なんだね?」
栄優が現在皆が知っている質問をしてきたので、サヨがすぐに答えた。
「あたしはナオに確認してもらう前になんとなく理解しちゃったけど、時神再生神らしいよ。今じゃあ、ナオが怪しすぎて検索も怖いって……あの神、何か隠してるよねぇ?」
サヨの言葉に栄優はただ眉を寄せる。
「さぁ? ナオについてワシは知らん。まあ、あのお嬢さんはよーく寝るお嬢さんなんだ」
「よく寝る……」
「いつも寝ている印象だなァ。んで? あの子供らは……?」
栄優は栄次とプラズマが何の時神か聞いた。
「あー、えーとね、あんたと同じ顔なのが時神過去神(ときがみかこしん)、栄次。もう一人が時神未来神(ときがみみらいしん)プラズマ。ああ、それで、リカの膝にいる赤ちゃんが時神現代神(ときがみげんだいしん)アヤ。なんでか皆、子供とか赤ちゃんになっちゃったんだけど、歴史神が元に戻すらしいよ」
サヨが答え、栄優は黙って聞いていた。藤原氏の主だったからか、会話にあまり隙がない男だ。
常になにかをさぐっている。
「なるほどなァ。いずれ戻るってんなら、戻るのを観察してようじゃないか」
栄優は呑気に言う。
サヨとリカは元に戻るのをただ待っていて良いのかと心の中では思っていた。
二話
更夜、スズ、壱のルナはトケイに掴まり、ルナを探す。
「見つからんな……。そんなに遠くに行くとは思えないんだが」
「更夜……ルナはワイズってやつに責められていたから、何かに巻き込まれたかも……」
更夜の横でトケイに掴まっていたスズは不安そうに答えた。
「他の霊魂さんにルナちゃんを見てないか聞いてみる?」
トケイは高速で動きながら、ネガフィルムが絡まる二次元の世界を眺めていくがルナはいない。
「……いや、神力で見つけよう。穏やかに過ごす霊魂を不安にさせてはいけない」
「更夜、じゃあ、前にいる女の子に聞かなくていい? あの子、ただの霊魂じゃなさそうなんだけど」
トケイの発言で更夜は慌てて前を見た。宇宙空間で着物姿の銀髪少女と目があった。
少女は十歳程度の年齢に見える子供だった。
「……なぜ……こんな近くに?」
少女を視界に入れた刹那、更夜が意味深な言葉をつぶやく。
「……え?」
トケイだけでなく、スズや壱のルナも首を傾げた。
「トケイ、止まれ」
更夜に言われ、トケイはとりあえず止まった。
「れんっ……憐夜(れんや)……なのか?」
更夜がそう尋ねると、少女は目を見開いてこちらを見た。更夜の手は震えている。
「お兄様……」
更夜に憐夜(れんや)と呼ばれた少女は更夜を見ると酷く震え始めた。
「お兄様……?? えーと……」
トケイは二人を交互に見て困りながら、最後になぜかスズに目を向ける。
「トケイ、あたし見てもわかんないって。どういうこと? 三きょうだいだったんじゃ……? 更夜、妹がいたの!?」
スズが驚きの声を上げ、更夜は辛そうな顔で目を伏せた。
「……憐夜は望月ではないんだ。抜け忍になって、俺から逃げた」
更夜は唇を震わせる。
「だから……だから……」
更夜らしくなく、先が続かない。
「俺が自由にしたんだ……」
更夜は壱のルナがいたため、残虐な事が言えなかった。
本当は……自由にしてやりたかったが正解だ。
更夜はあの時、彼女を逃がしてやった。今は亡き、すべての父、望月凍夜(とうや)は妹を逃がした更夜を罰するだけでなく、連帯責任という独自ルールにて兄の逢夜、姉の千夜にも、罰を与えた。
抜け忍となった憐夜を、一番きょうだいを大事にしている逢夜に殺させるため、千夜を拷問し、逢夜に「憐夜を消すのが先か、千夜が死ぬのが先か」と脅し、殺しにいかせた。
逢夜は気性が荒いが、優しい男である。
更夜は逢夜が泣きながら妹を殺すのを震えながら見ていたのである。
望月を抜けた妹を死後、望月に縛りたくないと、墓を立てた三きょうだいは彼女を望月から外した。
憐夜はおそらく、三きょうだいに起こった事情は知らずに亡くなったのだろう。
「お前は……絵描きになりたかったんだよな。夢を応援できず、すまない」
更夜があやまり、憐夜は唇を噛みしめ下を向いた。
「何を今さら……お兄様に会うとは思いませんでした。まだ、こちらにいらしたんですね」
憐夜は冷たく更夜に言い放った。
「……話しかけられたくは、ないよな」
更夜はつぶやくと、さらに続けた。
「もう、会うことはないかもしれない。会えて良かった」
更夜の言葉に憐夜は一瞬だけ悲しげな表情をすると、頭を下げて去っていった。
「更夜、これで良かったの? 彼女、ただの霊じゃなさそうだったけど」
トケイが更夜に尋ねるが、更夜は何も答えなかった。
「更夜……あの子、たぶん『K 』だよ。ルナについて知ってるかも……」
スズも話しかけるが更夜の返答はなかった。
三話
鶴に連れられ、しばらく宇宙空間を進み、再び降ろされたのは先程と同じような世界だった。
ルナはナオに「待っていて」と言われ、その場で待機していた。
夕焼け空の夏の世界。
先程の世界と同じか?
微妙に昔の時代のような雰囲気を感じた。
ひぐらしが沢山鳴いている。
ルナが少しの不安を覚えつつ、ナオと待っていると、銀髪の少女が現れた。ルナよりも少しだけ年が上だと思われる少女だ。
青い瞳で千夜や更夜に似ているような気がする。
「……誰?」
ルナは現れた少女に恐る恐る尋ねた。相手が子供だったため、自然に会話ができたようだ。
「私、憐夜(れんや)。よろしくね。私の世界へようこそ」
憐夜と名乗った少女は優しげに微笑んだ。
「憐夜……。夜がつくの? よろしく」
ルナはやはり名前が引っ掛かったが、あまり気にせずに握手をかわした。
「憐夜さんは『K』なので、目的の世界へ簡単に行くことができます。一緒に行きましょう」
「……そうなんだ」
ルナはよくわからないまま頷いた。
「私ね、絵を描くのが好きなの。私から生まれたもう一柱の神様がね……」
憐夜はルナに饒舌に話し始める。
「ああ、どこから説明がいるんだろう? 私、酷い死に方したんだ。絵描きさんに出会って、筆をもらって、夢を叶えるために家族から逃げたの。でも、その家族に殺された」
「……家族から……逃げた……」
ルナがつぶやいた刹那、過去が流れた。唐突に起こる『過去見』だ。
更夜に似ている少年が憐夜を木の上から悲しげに見ているのが見えた。憐夜は山を必死に降り、逃げている。
「殺されちゃった後にね、私と仲良かった絵描きさんのおじいちゃんが、私を昔話にしてね、私は長い年月で祭られたの。昔話の私はお話でキャラクター。私じゃないから、神社が建ってから別の神が産まれた。それが……」
憐夜はそこで言葉を切り、沈む太陽を眺める。沈む太陽から突然にドアが現れ、中から一人の少女が現れた。
「あの子……芸術神ライ。夢見神社の祭神。ドアを描くことでどこにでも行ける。描いたものを具現化できる能力がある。弐の世界から人の心に干渉して、『芸術のひらめき』を引き出して信仰を集めてる神だよ」
「わかんないよ……」
ルナはそっけなくつぶやいた。
「ああ、ライさん、いらっしゃいましたか」
ナオがベレー帽をかぶった金髪のかわいらしい少女に話しかけた。
「先程は私の世界に来てくれてありがとう。これで憐夜と世界を繋げられた。私、ワイズ軍だから大した協力できないかもだけど、私の産みの親、憐夜ちゃんの頼みだからね。まさか世界を恨んでアマノミナカヌシを倒す方面に行くとは思わなかったよ? 『K』なのに」
ライが心配そうに憐夜を見るが憐夜は目を伏せただけだった。
先程、ルナがうろついていた世界は芸術神ライの世界だったらしい。そして、こちらは憐夜の世界のようだ。
ルナは過去見で憐夜の事が見え始めていた。
憐夜の死に際の感情が手に取るようにわかる。
「自分はなんで産まれたのか。ひどい目にあって死ぬために産まれたのか? この人生はなんだ? 私には産まれた時から自由がなかったというのか? これでは牢に入れられ鞭で打たれるだけの奴隷ではないか」
憐夜は殺した逢夜、自分を拘束し続けた更夜、非道に押さえつける千夜を恨み、おかしな状態を作り出した凍夜望月家を恨み、自分をこの世に産んだ世界を恨んで、死んだ。
「産まれた意味がわからなくて、恨みになったんだ……」
ルナは小さくつぶやき、憐夜を仰ぐ。
「ちょっとわかるな。ルナは産まれてもないけど」
ルナがつぶやいた直後、柔らかい風が通りすぎる。風が通りすぎるのを眺めながら、ルナは『運命』とは何かを考え始めた。
産まれることすらできなかった自分の運命は何なのか。
向こうのルナとは違いすぎる自分。自分は本当に今、『存在』しているのか。
ナオが手を伸ばしてきた。
「行きましょう。ルナさん。憐夜さんとライさんの世界が繋がり、ライさんがこちらに入れました。準備ができましたよ」
「……うん。何してるかわかんないけど」
ルナはナオの手を優しく握った。
「これから、ワールドシステムに不正アクセスします。こないだ、黄泉が開いたので黄泉も閉じておきたいところです。古い害のある記憶が出てしまう……」
ナオはライと憐夜に目配せをし、ルナを見る。
「ルナさん、あなたのその不思議なデータ、壱に縛られていない自由なデータが世界を変えるのです」
ナオは巻物を取り出し、ルナの神力を引き出す。弐の世界の時間が曖昧になり、世界が歪む。
そしてそのまま憐夜が皆を浮かせ、ルナ達は世界から離脱した。
四話
「彼らが子供のうちに……アマノミナカヌシを……」
ナオはルナ達を連れ、ライが空間に描いたドアのドアノブを握る。
「ルナさんの『世界から外れた力』と憐夜さんのKの能力でワールドシステムにアクセス……」
時間が歪んでいる。
黄泉の扉が緩くなり、過去の世界が覗き込む。
「まずはドアからワールドシステムに。そして黄泉を私の歴史管理能力で完全に閉じます」
ドアを開けて次の世界に入った。足を着けた世界は夕焼けの海辺の世界。しかし、太陽はない。
夕日はどこにも見えないが、なぜか海はオレンジ色に染まっている。砂浜に打ち寄せる波のみ生きていて、生物がまるでいない不思議な世界だ。
不思議というより不気味。
少し離れた海の上に小さな社が浮かんでいた。
「あーあ、来ちまったか」
ふと男の声がし、ナオ達は体を固まらせた。目の前に紫の髪を肩先で切り揃えている甲冑を着こんだ男が現れた。
「スサノオ様ですね?」
ナオはすぐに相手が『今、この世界にはいないはずの神』だと気がついた。
「歴史神だからな、旧世界で記憶をなくさなかったのか、意図的に記憶を残したのかで俺を覚えていたか」
スサノオは軽く笑っている。
「黄泉が開きかけ、旧世界を思い出す者が増えてきました。不正でしたが、歴史検索にてアマノミナカヌシにたどり着きました。アマノミナカヌシから分離した彼女を我々はこちらの世界を守るため消滅させなければなりません」
ナオは冷や汗を拭いながらスサノオに答えた。
「お前、ただ自分の罪を隠したいだけだろ? そこのK は世界を作ったらしいアマノミナカヌシに恨みをぶつけたいだけ、芸術神はK に感情移入してるだけ。で? お前は……」
スサノオはルナを見ておかしそうに笑った。
「正義の味方気取りに見せて、そこらのガキと同じように感情のぶつけ先を探してるだけ」
スサノオの発言にルナは眉を寄せる。スサノオのふざけて笑っている様子がルナをいらつかせた。
おそらく、図星だった。
少し前(更夜編)にすごい強い神としてルナの前に現れたスサノオ。
あの時は動揺していたが、今は怒りのが勝る。
「……マナに会わせてください」
ナオは静かにスサノオに言った。
「はあ、めんどくせ……。次から次へと壱を守るようなツラしたやつらが現れやがる。でも、まあ……暇潰しにはなりそうだ」
スサノオは神力を高め、剣を手から出現させた。
「うわわっ、ナオ、この神、すごく強そう!」
芸術神ライはスサノオを知らないようだ。スサノオの神力に怯えている。憐夜はK なため、神力を感じていない。
「大丈夫です。私にも考えがあります」
ナオは巻物を取り出した。
「俺とやる気か。女に子供、普段なら手加減してやるところだが、お前らの行動は死んでも文句は言えない行動だぜ? なあ?」
「……あなたに勝つしかなさそうですね」
ナオは深呼吸すると戦闘になることを仲間に伝えた。
「まあ、わかんなけりゃあ全員でかかってこい。俺は女子供をズタズタにする趣味はねぇんだが、どっかなくして動けなくする方が手っ取り早い。足かな?」
スサノオの発言にライは震え、憐夜も息を飲んだ。
ルナには意味がわからなかった。
「……火の神、カグヅチ!」
ナオは巻物を読み、スサノオを襲い始める。スサノオはため息をつくと、「アメノオハバリ」とつぶやき、以前、剣王が持っていた剣と同じ剣を取り出した。
そしてあっけなくカグヅチを切り捨ててしまった。
「で? 次は?」
「やはりアメノオハバリを持っていましたか……。カグヅチを斬った剣を……」
ナオが冷や汗を流しつつ、つぶやくと、スサノオは神力を飛ばして来ていた。
鋭い刃物のような神力。
憐夜が手を前に出し、「K」の能力を解放させる。ウサギのぬいぐるみが飛び出した。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス、『消去』! うーちゃん、『弾く』!」
憐夜が叫ぶとウサギのぬいぐるみが動きだし、スサノオの神力を弾く。うまく弾ききれず、そのまま光に包まれ消えてしまったが、神力はナオに当たらず、横に逸れていった。
その後、憐夜の消去命令がスサノオの神力を危なげにかき消す。
その後、ナオは巻物を再び取りだした。
「武神ヤマトタケルノミコト!」
ナオが巻物を読むと、悲しそうな表情の男性が現れ、剣でスサノオを攻撃し始めた。
ヤマトタケルノミコト。
命令通りに戦い、勝っていくが、兵が揃わないまま戦いに行かされ、「父は私に早く死んでほしいのか?」と泣きながら力尽きた若い勇者である。
戦い、傷つき、瀕死のまま都まで帰ろうとしたが、それは叶わなかった。
怒り、悲しみにも似た感情部分をナオは歴史から引き出し、スサノオを襲わせている。
「俺とは違う悲劇なヒーローじゃねぇか。お前のことはよく知ってるぜ。お前もこの世界のどこかにまだ、いるのか?」
ヤマトタケルノミコトはスサノオになにも語らず、ただ、攻撃を仕掛ける。
「悲劇のヒーロー……」
ルナはヤマトタケルをなんとも言えない気持ちで見つめた。
このヤマトタケルはナオが歴史を読み、その時代を具現化した彼である。つまり幻だ。
ナオの神力が作り出しているにすぎないのだ。
スサノオは偽物の力で勝てる神ではない。
あっけなくヤマトタケルを斬り捨て、ナオに神力を向ける。
「くっ……」
ナオは神力が高い神を二柱出現させたことにより、神力を消耗し始めた。ナオは神力の高い神ではない。
「つ……次は……」
肩で息をしながら別の巻物を取り出した刹那、スサノオの神力をもろに浴びた。
「まずい!」
ライが叫び、憐夜が「K」の力を使い、うさぎのぬいぐるみと『排除』を行う。
しかし、スサノオの力のが早く、ナオは鞭のようにしなる神力に当たり、激しい音と共に倒れた。
「がふっ……」
腹を抑え、呻くナオ。
血が滴る。
「な、ナオ!」
ライが戸惑いながら叫び、筆を取り出した。
「……トロンプルイユ!」
ライは体を大きく動かし、巨大な迷路を描く。迷路は立体になり、スサノオを塞いだ。
トロンプルイユは騙し絵。
道だと思う場所は全部平面の絵だ。スサノオがしばらく迷うという、ただの時間稼ぎにしかならない。
「ナオ、大丈夫?」
ライはナオを心配し、憐夜は傷を見る。
「あの男、スサノオは私達を全く相手にしてないよ」
憐夜はナオの怪我が大した傷ではなかったことに気がつき、つぶやいた。
「……致命傷ではないですね……。ですが、あの男を抜けないとおそらく黄泉を閉じるどころか、アマノミナカヌシにすら会えない……」
ナオは腹を抑えながら立ち上がった。
「ダメだよ、あの神、破格すぎる! ワイズと同等な雰囲気があるよ……」
ライはナオを止め、逃げる方向を考え始める。ライは東のワイズ軍の末端。スサノオがどの位置付けかよくわからないのだ。
一方で後ろに立っていただけのルナは怪我をしたナオを怯えた目で見つめていた。
……ルナは何かできないか?
仲間を早く救わないと。
いや……ルナはなんかヤバいことに巻き込まれてる?
これはヒーローになれる行動?
ルナはよくわからないまま、立ち尽くす。
「なんか……取り返しのつかないこと、やってる気がする……」
ルナが小さくつぶやいた刹那、ライのトロンプルイユが音を立てて崩れ、スサノオが砂煙の中、ゆっくりと歩いてきた。
「さっきから何してんだ? 足止めか? 手加減してやったんだ、大したことないだろ? ほら」
スサノオは神力をさらに飛ばし、ナオを神力の鞭で叩きつけ、頭を下げさせる。
「自分で喧嘩ふってきたんだ。頭を下げて命乞いをしろ。主犯はお前なんだろ?」
「……黄泉を完全に閉じないといけないんですよ! アマノミナカヌシが余計なことをするから、『統合時代』からの記憶を、消した記憶を思い出してきた者が現れました! あなた達、上位神が記憶を消せと歴史ごと消せと私に命令したのではないですか!」
血にまみれたナオは珍しく声を荒げた。
「はあ? お前はそのことに必死になってるわけじゃねぇだろ? 『お前が勝手にシステムをいじって消した立花こばるとの存在を時神が思い出していること』に危機を覚えてんだろうがよ。あれはお前の罪だ。いつまでも逃げてんなっての」
スサノオはあっという間に距離を詰め、芸術神ライを神力で気絶させ、隣にいた憐夜の首上に手刀を叩きつけ気絶させた。
ライと憐夜は同時に呻くとその場に崩れ、倒れる。
ルナは残された。
「俺は英雄と邪神、両方の神力を持つ……。俺の逸話は記述ごとに様々だ。ある時は邪神、ある時は英雄。前の世界では色々あったもんだぜ。今はどっちかな?」
冷たい目をしたスサノオがヘビのようにナオを見下ろしている。
スサノオが座り込むナオの頭に足を置き、砂浜に顔をつけさせた。
「アーァ……振れる触れる。俺は今、どちらか? 女にあんま、ひでぇことしたくないんだがね。お前が喧嘩売ってきたんだから、仕方ないか? なあ、罪神」
「……害は害でしょう……。世界はこのままのが……」
苦しむナオに冷たいスサノオ。
ルナはナオを助けようと無意識に神力を解放してしまった。
「た、助けなきゃだよね……」
「ま、待ってください! その力はっ!」
ナオが焦り、スサノオが咄嗟に飛び退く。
ナオとその周辺にいたライ、憐夜を巻き込み、弐の世界でなぜか大規模な過去戻りが発動した。
「な、なんで……? ルナは時神のリカと『K』のお姉ちゃん(サヨ)しか過去に連れていけないのに! ルナはしかも何にもしてないっ!」
ルナが叫んだ刹那、辺りが森の中へと変わった。見たことのない森の中。
そこにルナとナオだけがなぜかいた。
空気がなんだか今の時代とは違う。どこか冷たく、厳しい。
「ど、どこにいるの?」
ルナが戸惑いながら辺りを見回していると、木の影で憐夜がこちらを覗いているのが見えた。
しかし、憐夜はルナとナオを見ているわけではなく、何か違うものを見ているようだった。
「えっと……ルナ達が見えてないの?」
ルナは声をかけるが憐夜は反応しない。
「……どうなってるの?」
ルナは腹を抑えているナオに寄り添いながら不安げに憐夜を見ていた。
憐夜とライ
「あ、来た! おじいさん!」
憐夜はルナを通りすぎ、走り去る。ルナは慌てて振り返った。
ルナの後ろで杖をついたおじいさんが憐夜に優しげな表情をしながら歩いてきていた。
「……?」
ルナやナオはまるでいないかのような扱い。
やがておじいさんは杖で地面に絵を描き始めた。
「わあ! おじいさん、これはお馬さん?」
憐夜は目を輝かせて地面に描かれた馬を熱心に見つめていた。
「今日はお馬さんを描いてみたよ。描き方はこんな感じで……」
「教えて!」
二人は楽しそうに笑い合っていた。ルナは憐夜の楽しそうな顔を見つめた。
木の枝で馬を描く憐夜の袖から青アザだらけの腕が見える。
……アザがある。
でも、すごく楽しそう。
お馬さんを描いてるだけなのに。
楽しそうだ。
絵ってそんなにおもしろいかな。
気がつくと夕方になっていた。
時間の感覚がよくわからない。
ここにいたのは本当に少しだ。
なのに、もう夕方になっている。
「おじいさん! 今日もありがとう! また、明日ね!」
「また、来るね」
おじいさんは一言だけ言うと手を振り、山を降りていった。
憐夜はその後、走りだし、何かを集め始める。
なぜか風景が憐夜を追い、ルナが動いていないのに森が動きだした。
「ただの過去戻りじゃない……。これは、あの子の過去だけど、普通の過去戻りじゃない」
ルナはつぶやくが過去は流れていく。まるで映画を観ているような感覚だ。
憐夜は食べられそうな木の実や木の枝を拾っていた。
どこか焦っている。
暗くなる前に家に帰りたいのか?
「憐夜、遅いぞ。忍がのろまでどうする」
家の近くにある川岸の岩に腰かけていたのは、若い更夜。
「おじいちゃん……?」
ルナは若い風貌の更夜に驚いた。初めて見たからだ。
「ごめんなさい……お兄様。木の実がなかなか見つからなくて……」
憐夜は絵描きさんに会っていたことを隠しているようだ。
「……出来が悪すぎる……。お前はすべてにおいて、忍としてできていない。これでは使えない」
更夜は木の枝を組んで火をつけた。とったらしい魚を木の枝に刺して焼き始める。
「……次は早く調達します……」
「余計なことをしていたのはわかっているぞ……憐夜。本日、教えた忍術の練習もしていないだろう。練習すると嘘をついていなくなった。俺はお前を監視していないが、わかるぞ」
「ひっ……」
人殺しの冷たい目をした更夜に睨まれ、憐夜は小さく悲鳴を上げた。
「わた、わたしは……人を殺す術など覚えたくないです……」
「覚えないとお前が死ぬ! お父様は使えない忍は処分すると言っている! このままではお前がそうなるんだ! 何度言えばわかる!」
更夜は憐夜を怒りに任せて蹴り飛ばした。
「……痛い……。なんで、こんな思いをしなくてはいけないのか……。他の子供達は楽しそうにしてるのに」
憐夜は唇を噛み締め、拳を握りしめる。
「更夜、また憐夜が言うことを聞かねぇのか?」
気がつくと更夜の兄、逢夜が立っていた。
「毎回、聞き分けがないと困るな、わからせるか」
逢夜の横に姉、千夜も現れる。
ルナは千夜を見て震えた。
自分が知っているおばあちゃんと全然違うからだ。この時代の千夜は更夜、逢夜の上に立つ、残忍な少女。
憐夜は兄、姉の冷たい瞳に体を震わせていた。
凍夜望月は命令違反、口答えを許さない。
逢夜が憐夜を引っ張り、近くの岩に手をつかせ、腰から尻まで着物を脱がせる。千夜に背を向けたまま、逢夜に押さえつけられた憐夜は涙を浮かべ謝罪を始めた。
「ごめんなさい! 逆らいませんから!」
「憐夜、命令違反の罰だ。暴れず受けなさい」
「嫌だァァ! やめてぇぇ!」
更夜が憐夜の口に布を噛ませ、食い縛りを防ぐ。
「……百叩きだ、いいな」
千夜は木の枝を思い切り憐夜の背中に打ち付け、憐夜は痛みにのけ反りながら呻き、泣く。
「……な、なにやってるの……。ね、ねぇ……」
ルナは憐夜の背中が痛々しくなっていくのを震えながら見ていた。憐夜は岩に食い込む勢いで手を握りしめている。
その赤くなる背中に怒り、憎悪、悲しみすべてが混ざっているような気がした。
「け……ケジメでしょうね」
隣にいたナオがようやく言葉を発してきた。
「こ、これ……ケジメじゃなくてイジメだよね……。ダメだよね……」
「ええ。押さえつけて三人で痛め付けている。非人道的ですよ。ですが、これが彼らの日常でした。彼らは悪いとは思っていません。あの子を生かすため、必死なのです。……これは本ですね。私達は今、本の中にいます。この能力……」
ナオは空を見上げた。
雲の端にページ番号が書いてあった。
「天記神の図書館にある、木々の記憶の本。弐の世界の特殊な世界観と天記神の能力で作られた歴史を追体験できる本ですよ。木々は紙になりますから、もう今は亡くなった木から記憶を引き出して天記神が編集してるのです」
ルナは眉を寄せる。
「わかんない」
「ま、まあ、ですよね……。なんでここに飛ばされたかわかりませんけど、本から出るには『しおり』か物語を最後まで見ないといけません」
ナオの説明にルナは目を細めてから憐夜を見た。
「わかんない。でも、あれはイジメだ! ルナ、許せない」
「ルナさん、物語の登場人物達に読者を認識させてはいけません。干渉したら気づかれます」
「でも、あれは!」
ルナが叫んだ頃には憐夜は解放されており、その場にうなだれて泣いていた。きょうだい達は焼いた魚を無言で食べ、憐夜にも魚を渡す。
「さっさと食え。食ったら修行だ」
「……はい」
憐夜は逢夜の冷たい一言に素直に返事をした。
その後、小さくつぶやく。
「もう嫌だ……。『この記憶』をなんでもう一度繰り返さないといけないの……。私はなんで記憶通りにしか動けないの?」
その言葉はルナ達の耳に届いた。
「もしかすると、憐夜さんだけ物語の憐夜さんではない? これはルナさんの力で本来の憐夜さんを『本の記憶内の憐夜さん』に上書きしてしまったのでしょうか? 過去戻りは憐夜さん、ライさんを巻き込んだはず……」
「わかんないけど、ルナは憐夜を救う!」
ルナは走り出していた。
「ま、待ってください!」
ナオはルナの手を掴んだ。
「何?」
「もっと様子を見ましょう……。天記神に気づかれたら、私の立場が……」
「誰? それ。ルナ、知らない!」
ルナがナオを振り払った時、ページが進んだ。
「なぜ、言うことを聞かない! お父様に従え! 死ぬぞ!」
若い更夜が憐夜を叱りつけている。
「あぐ……」
憐夜は殴られ、木に打ち付けられた。
「手裏剣は! 当たったら怪我をしてしまいます! 刃物を持つなら筆を持ちたい!」
憐夜は泣きながら更夜に叫んでいた。
「許されるわけないだろう……。そんなこと。お前はお父様に尽くして望月のため、生き抜くんだ。それしか道がないんだよ!」
「そんなわけ……そんなわけない! 私は自由になりたい! 人を殺したり、騙したりしたくない! 私には意思が……意思があります! 絵を描いて皆に喜んでもらう人生を歩みたいんです!」
憐夜は全く忍らしくなかった。
初めから忍になろうとせず、ずっと家に反対し続けていた。
「そんな人生、お前には存在しない。あるわけねぇもんにすがるな!」
更夜も感情を抑えられていない。憐夜のような考えに触れたことはなく、父、兄、姉の言いなりだった更夜。
更夜は心のどこかで困惑していたのかもしれない。
「兄に逆らうなら……」
「それもおかしいとは思わないんですか! また、暴力振るうんですか! 痛みを与えれば従うとそう思っているんですか?」
憐夜は震え始める。
憐夜は暴力が嫌いだ。
叩かれるのも殴られるのも縛り付けられるのも焼かれるのも全部嫌いだ。
痛いから、苦しいからやめてくれと懇願し、謝罪し、従うことを約束する。
いつも同じことをしているのだ。
「上に逆らう、それは望月では大罪だ。仕置きは足の爪二つ」
「嫌っ! 嫌アァ!」
憐夜は狂ったように叫び出した。
「……両足の小指でいい。出せ」
「そんなこと……じっ、自由になれないなら、自由を掴みます!」
憐夜は近くにあった木の枝を掴み、構え、涙を流しながら更夜を睨み付けた。
「ウワアアア!」
憐夜は叫びながら更夜に殴りかかる。
更夜は憐夜の木の枝を軽く弾き、胸ぐらを掴んで地面に叩きつけた。
「いっ……」
憐夜が呻く。
更夜は憐夜に馬乗りになると口を開いた。
「修行もしてないのに、俺に勝てるわけはない」
「はな……離して……」
「仕置きが終わっていない」
「ひっぐ……」
憐夜は変わらないきょうだい達に悲しくなり、憎しみが深くなり、静かに泣いた。
同時にこの世に自分を産み落とした世界を恨むようになった。
ルナは更夜の残虐さに震え、何も動けなかった。
「ギャアア! いだい! いだぃ! もうやだ! もうイヤァ!」
憐夜の血にまみれた叫び声が響く。
「おじいちゃん……酷いよ……。酷すぎるよ……。ルナは……胸が苦しい」
ルナは拳を握りしめ、泣く。
「許せない! ルナはおじいちゃん嫌いになる! だいっきらい!」
ルナは怒りに任せて叫んだ。
更夜がふとこちらを向いた。
更夜はルナを見て、すごく悲しい顔をした。
そのままページは進む。
「なんで……そんな顔、するの……おじいちゃん……。こんな怖さと痛みで支配するなんて、おかしいんだよ……」
ルナは自分がやってしまった暴力支配にまた、心を痛め始めた。
……やっぱり……痛みでわからせるのはおかしい……。
ルナはおかしいことしてたんだ。あのおじいちゃんの顔……きっと、思いどおりにならなくてあの子達を殴った自分と同じ顔だ。
「また、先へ進んだ……」
ルナの心は限界を迎えていた。
今までの更夜、千夜像がすべて崩れ去っていたからだ。
なぜ、自分にはあんなに優しくしてくれていたのに、こんな酷い事をしていたのか。
ルナにはわからない。
わかるにはルナは幼すぎる。
「憐夜……今日はお前が……食料を調達してこい……」
「……え?」
更夜の言葉に憐夜は眉を寄せた。今までは枝拾いや食べられる物を見つけてこいなどの指示だった。
それが食料調達だ。
望月家はある程度裕福である。
ただ、外に出る仕事なら食べるものを見分けるのは必要だ。
憐夜はそれの修行中だった。
望月家にはそんなに食べ物がないのか?
「山を降りて村から野菜をわけてもらってこい」
「……それは……」
「何も言うな、さっさといけ」
更夜は憐夜に米を少量持たせ、その場から去っていった。
「……山を降りて逃げろということ?」
憐夜は兄の行動を疑い、眉を寄せた。
二話
憐夜は更夜の気持ちがわからないまま、山を降り逃げ出す。
「逃げるのは今だ。逃げるのは今だ!」
憐夜は少量の米を包んだ布を握りしめ、必死に山をかける。
「はあはあ……」
自然と涙があふれてくる。
更夜のことは嫌いではなかった。兄はいつも何かと戦っていた。自分をかばって父親に暴行されていたのを見たこともある。
兄も逃げたかったに違いない。
もうひとりの兄逢夜も、姉の千夜もなんだかんだ言いながら憐夜を守る。
元々はどういう性格だったのか。皆、優しかったに違いない。
人を殺すことなんて、人に感情なく攻撃することなんて、できなかったはずだ。
……あの父親のせいだ。
あいつがこの世に産まれたから、人生に差が出ている。
なぜ、この世は幸せな人と不幸な人がいるのか。
なぜ、平等に幸せになれないのか。
憐夜は涙を拭い、山のふもとで立ち止まった。
「私はこれから……自由を掴めるだろうか?」
夕日が沈む。
眩しい橙の光は憐夜の気持ちを救うことはなく、沈んでいく。
……明日の朝、野菜を米と交換して更夜の元へ帰るか、このまま米を財産として持ったまま逃げるか。
「私を逃がしたお兄様は……どうなるのだろう……」
憐夜はわかっていない。
望月の山から出たら『抜け忍』になることを。
『父』の命令なしに望月一族は山から出られないことを。
更夜の命令が独断であったことを。
「……山を出て……絵描きに……」
憐夜は村近くの道に足をつけた。
一方で、逢夜は父親に呼び出しを食らっていた。
灯し油に火をつけただけの暗い部屋で逢夜は父親を前に震えながら正座をしていた。
「憐夜が山を降りたようだが?」
「わ、私は……把握していません……」
「逃げた。更夜が逃がした」
父、望月凍夜はなぜか愉快に笑っている。彼には『喜』以外の感情と興味しかない。
「なぜだろう?」
単純な興味で逢夜に聞く。
「わ、わかりませぬ……。こ、更夜はどこに?」
「あー……どこ置いたかな? 拷問しても何にも吐かないから、そこら辺に」
凍夜は軽く微笑み、逢夜に再び聞いた。
「なんで、あいつは憐夜を逃がした?」
「……憐夜は……」
逢夜が何かを言おうとした時、凍夜は質問に飽きたのか「まあ、いい」と答えた。
「じゃあ、お前、憐夜を殺してこい。我々の他一族は抜け忍に対し甘いが、これではいけない。抜け忍はコロセ」
「あ、あの子はっ……逃げても大した情報を持っていませんので……殺しても……」
逢夜が憐夜を守ろうとする発言をしたが、凍夜は不気味に笑っていた。
ゆっくり立ち上がると逢夜についてくるように目配せをする。
逢夜は震えながら、凍夜についていき、いつもだいたい暴行を受けている別棟の拷問部屋に入れられた。
ただの小屋のような場所だが、置いてあるものが凶悪な物ばかりだ。
「私が代わりにすべての罰を受けます……。連帯責任なのはわかっています! 私が……」
逢夜は更夜、千夜、憐夜すべてをかばう発言をするが、凍夜は笑いながら扉を開けた。
「……っ!」
扉を開けた先の暗い部屋に千夜が吊るされていた。
「お姉さま……」
「逢夜……憐夜を殺すな……」
千夜は力なく逢夜に言っていた。
「連帯責任だが、お前達の管理をしていた千夜は一番罪が重いよな? そこで提案だ。十数えるごとに千夜に何かしらの罰を与える。逢夜が憐夜を殺した段階で千夜を解放しよう。それでいいよな」
凍夜は陽気に微笑むと庭への扉を開き、木を組んで火をつけ始めた。千夜は火を見て震え始める。
「では、ここから……数を数えようか」
「お……お父様……お許しください! お許しください!」
千夜が珍しく泣き叫び出した。
逢夜はどうするべきか悩み、過呼吸に近い症状になっていた。
千夜は幼い頃、父親に焼いた鉄を押し付けられたのがトラウマとなっており、これに一番の恐怖を持っていた。
逢夜はそれがわかっている。
「十だ」
「ギャアアア!」
千夜の悲鳴が逢夜に届く。
逢夜は千夜を見ることができず、目を瞑り、耳を塞いだ。
……どうしよう、どうしよう……。
逢夜は葛藤している。
姉を助けるか、妹を助けるか。
……俺はどうしたらいい?
誰か……誰か……。
逢夜が動揺しながら目を動かしていると、小屋の端で血まみれで泣いている更夜が視界に入った。
「……更夜……」
苦しんでいる姉は逢夜に何かを言っている。
逢夜は更夜から目をそらし、千夜に目を向けてしまった。
弱々しい表情で逢夜を見ていた千夜は泣きながら「憐夜を殺さないで……」と必死に言っていた。
「……十か?」
感情のない声が聞こえ、千夜の悲鳴が響く。
「お姉様! ……もうしわけありません……」
逢夜は耐えられずに走り出しだ。憐夜を殺すことにしたのである。
「憐夜を殺さないでェ!」
千夜の叫び声を背に逢夜は怯えながら走った。
ルナは歪なきょうだいに恐怖を抱いたが、価値観のわからない優しさがあることを感じ取った。
「こんなの、怖いよ……。怖いよぉ……」
ルナは震えながら泣いている。
ナオがルナの肩を優しく抱きながら、なんとも言えない顔をしていた。
「子供はただ、恐怖に思うだけ。もう、天記神に謝罪し、助けてもらう方が良いのかもしれません……。これは、この小屋に使われている木が見た記憶を天記神が編集し、本にしたのでしょうね。それで、次は……憐夜さん周辺に生えていた木の記憶が……」
ページが変わり、視点が憐夜に飛ぶ。星が輝きはじめ、夕方と夜が共存している時間帯か。
時期は夏の終わりのようで、生き残ったヒグラシがむなしく鳴いている。
憐夜が村に向かって歩いているところへ逢夜が現れた。
「……! お兄様?」
「……憐夜。山を降りたら抜け忍になるんだ。抜け忍を望月は許さない。お前は死ぬしかない」
逢夜は辛そうに顔を歪めて憐夜を見ていた。
「……そうですよね。あんな好意、あるわけない。邪魔な私を殺したかったんですね。おかしいとは思っていました」
憐夜は淡々と言い、逢夜に米を差し出した。
「いりません、これ」
「……米? 更夜が持ち出したのか……ばか野郎……」
「私は死ぬしかない。なんだろ? この運命。私、産まれても産まれなくても良かったじゃない」
憐夜は空を仰ぎ、涙を堪えて笑った。
「なんだったんだ、この人生。こんな人生なら、産まれたくなかった。『存在』したくなかった。消えてしまいたい……」
憐夜の言葉は逢夜に刺さる。
逢夜は憐夜の生を否定できなかった。妹が産まれてすごく愛おしかった。更夜は影で妹をかわいがり、千夜は妹を抱きかかえて優しく微笑んでいたこともある。
産まれてこなければ良かったなんて思ってほしくなかった。
壊れてしまったきょうだい。
いつしか、妹を『生かす』ことしか考えられなくなった。
逢夜はそっと小刀を出す。
空を見上げる憐夜の首目掛けてすばやく小刀を振り下ろした。
大量の血が辺りに散らばる。
憐夜はゆっくり倒れた。
憐夜は最期の力を振り絞り、自身の血を使い、指で馬の親子を描いていた。
仲良しに見える馬の親子。
「きゅ、急所を外した……」
逢夜は震えながら憐夜の首にもう一度、刃物を突き立てトドメを刺した……。
「うっ……うう……」
逢夜は茂みに嘔吐する。
「……ゲホゲホ……もう嫌だ……」
星が輝く夜空の下、秋の虫が鳴き始め、逢夜は座り込み声を上げて泣く。
「俺は……俺達は誰も欠けないはずだった……。お前は裏切り者だ!」
冷たくなった憐夜を抱き、逢夜は歯を食い縛りながら歩き出す。
血溜まりの中に筆が落ちていた。
「こんなもののために、望月家を裏切るなんて……。お姉様と更夜を助けないと……殺した証明を持っていかないと……」
逢夜は涙を流しながら、千夜の元へと向かった。
ルナは何にもできなかった。
ただ、怖くてナオにすがる。
「怖い……怖い……」
「……子供が見る記憶ではありませんからね……。ですが、これは事実。憐夜さんはこうやって亡くなりました」
「なんで憐夜はこんな酷いことされていたの? 理不尽だ! ルナはなんでこんな生活をしている人がいるのかわからない! 誰も助けてくれないなんておかしい!」
ルナは泣きながら怒りの感情で叫んだ。
「そうだね、こんな運命の人もいるの。納得できないでしょ? 幸せに何の不自由なく生きている人もいる。なぜ、こんなに差があるんだろうって。こんな世界、おかしいよねって」
ルナとナオの後ろに暗い顔の憐夜が立っていた。
「私はね、この村への道に『世界を恨む気持ち』を置いてきてしまって、それが具現化して怨念になってしまった」
憐夜は自分が死んだ場所を指差した。次の日、絵描きのおじいさんが山道へ入ろうとこの道を通り、血溜まりと筆を見つける。
血溜まりの上に馬の親子が描いてあった。
自分が教えた馬の描き方。
自分があげた筆。
おじいさんはあの少女が殺されてしまったことに気がついた。
死体がなかった。
おじいさんは彼女が虐待をされ、山に囲われていることに気がついていた。
「……いい子だったのにな……」
おじいさんは血にまみれた筆を持ち上げ、優しく抱きしめ、泣いた。
その後、この道を通る人に災いがふりかかるようになった。
怪我をする人も現れた。
被害にあった人々が口々に言うのは幼い銀髪の女の子の霊が膝を抱えて泣いているのを見たと。
おじいさんと村人達はあの少女の霊が深い悲しみの感情をここに残したまま亡くなったことを知り、災いが起きないようにと近くに神社を建て、手を合わせた。
その神社は芸術の神様がいらっしゃることになり、時が経つにつれ、芸術神の神社として村の名所となった。
そしてライが産まれた。
芸術神の神社と言うことで、願い事は芸術のことばかり。
ここ、夢見神社は芸術関係の願い事をすると、夢の世界で閃きへのヒントを教えてくれると有名な神社となった。
しばらく時間が経ち……ライの目の前を暗い顔をした三人の親子が通りすぎる。
銀髪の青年、青年に寄り添う少女、そして小さな女の子。
「更夜様、大丈夫ですか?」
少女が青年に声をかける。
「大丈夫だ。凍夜に娘を望月にしてもらうよう、交渉もできたらしてみる……。大丈夫だ。守る」
ライは心配そうに三人の親子をうかがっていた。
しばらくして、帰ってきたのは青年一人。
青年は神社の社を仰ぎ、せつなげな表情で吐き捨てるように言った。
「神様は、いない」
青年、望月更夜は目を伏せると、静かに去っていった。
「……いるよ? ここに」
ライは届かない声で不思議そうにつぶやいた。
時間が経つにつれ、村は町になり、夢見神社は芸術の神の神社として大きくなる。
夏祭り、例大祭、おみこし、正月など様々な行事で賑やかになった。
絵が好きな子供達が七五三のために訪れたり、イラストレーターの学校に入りたい人が願いにきたり、アニメーター、映画作家、画家など様々なクリエイターがゲン担ぎにきたりなど、かなり有名になった。プロジェクションマッピングなども受け入れている神社で、お祭り開催中はかなり賑わっていて、テレビ中継もしている。
そんな変わってしまった神社だが、ライは変わらなかった。
ずっと自分の産みの親、憐夜の悲しみ、想いを心にライは幸せを願い続けていた。
「おしまい」
「はっ! 私は?」
ライは急に我に返った。
目の前に怪我をしたナオ、泣いてるルナ、暗い顔をしている憐夜が立っていた。
「物語がようやく終わりましたか。憐夜さんとライさんは物語の登場人物とすり変わっていたのです。あなた達の記憶なので、過去のあなた達が今のあなた達と置き変わった感じでしょうか」
ナオの説明にライは首を傾げた。
「なんでそんなことに? スサノオって男は?」
「ルナさんが過去戻りを発動させました。ただ、なぜ私達三人まで過去戻りに巻き込まれたのかはわかりません。そして、ここは天記神の本の中です」
ナオは頭を悩ませた。
アマノミナカヌシを倒しに行ったことが歴史神のボス、天記神にバレてしまう。
「もしかしたら、旧世界の木々の記憶とルナさんの過去戻りが何かしらで繋がってしまった? スサノオがいたあそこは今は存在しないはずの場所……三貴神のうち、ツクヨミが守る弐の世界内の海原と黄泉の空間です」
ナオは次を悩んでいた。このまま外へ出たら、天記神と対面することになる。
本を閉じたら、天記神の図書館に出てしまう。
「再確認したわ。私、世界を壊したい。皆が平等になる世界じゃないから」
憐夜がそうつぶやき、ライは迷った顔をした。
「でも、憐夜、破壊は『K』から遠ざかってしまうよ……」
「私は皆を平等に幸せにしたい。これは『K』のデータで間違いない」
憐夜はアマノミナカヌシを倒し、世界のシステムを変えるつもりだ。
世界は相変わらず、幸福な者と不幸な者にわけられている。
「これは、『個性的な人生』なんかじゃない。不平等だ」
憐夜はルナを見た。
「あなたも、相手(向こうのルナ)が生きていて幸せに暮らしてて、自分は生きるべき世界で存在が許されず、こちらの世界で生きる意味もなく生かされているはず。私とはちょっと違うけど、辛いよね?」
「……それは」
憐夜にそう言われ、ルナは戸惑った。自分は今の人生をどう思っているのかわからない。
ルナが答えを出せずにいると、ナオがある提案をしてきた。
「ライさん、あなたはもしかすると、この本の中からドアを描いて、天記神の図書館に出ずに別の場所に行けますか?」
「えーと、わからないけど、やってみるよ」
ライは筆を取りだし、慣れた手付きでドアを描いた。
三話
ライはドアを描き、恐る恐るドアノブを握る。
ドアノブを握った所で警告音が鳴った。
「しまった……」
『警告! 警告! 不正に本から出ようとしています』
警告は鳴り続ける。
「はあ……天記神は私達が本に入った段階で気づいていたようです」
ナオはため息をついた。
「え、じゃあどうするの?」
ライが不安そうに尋ね、ナオはしばらく考える。
そして閃いた。
「この記憶にある木々から、旧世界時の別の本にそのまま飛びます」
「え、どういうこと?」
「天記神が作る本は他の木々の記憶とリンクした本があります。つまり、本になっている木が見つかれば、違う本に入れるわけです。それを渡っていき、今、生きている木の心の世界、弐へ入ります」
ナオは慎重に歩き出す。
とりあえず、ライと憐夜、ルナはナオの後をついていった。
「そんなこと可能なの?」
「ええ」
ライは疑いの目を向けるが、ナオは頷いた。
気がつくと辺りが真っ暗になっていた。
「ここは?」
憐夜がナオに尋ね、ナオは歩きながら答える。
「ここは、本の最終ページとあとがきの間です。私は神々の歴史を検索、見ることができますので、座標を合わせて、『この近くの神を記録した木々の記憶』を本にしたものの中に侵入します」
「そんな裏技みたいな……」
ライは怯えながらつぶやき、ナオは座標を計算している。
「右に三十、上に二十五……左に十五の位置にある木……。この木は逢夜さんの奥さんの記述をしている木の一つですね」
ナオは決まった順に歩き出す。辺りは真っ暗で木すらもないが、裏でプログラムが書かれているのだろうか?
よくわからないまま、ナオについていくと突然に森の中へ出た。
「ええっ……」
ライは驚き、ルナは不安そうに辺りを見回した。
『留女厄神(るうめやくのかみ)誕生』
横にタイトルが書いてあった。
「あ、ワイズ軍で一緒のルルちゃんの歴史書?」
ライの言葉にナオは頷く。
「はい。逢夜さんの妻、厄除け神のルルさんの歴史書です。望月家は神との記述が多く、旧世界の本に沢山書いてあります」
「おうや……憐夜のお兄ちゃん……」
ルナがつぶやき、憐夜はため息をついた。見たくないようだ。
「はい、ここから……また別の歴史書に……」
その時の木の記憶部分を編集しているため、途中から物語は始まった。
逢夜はある姫の殺害を命じられる。敵国の姫。
望月は殿の国盗りを円滑に進めるべく、敵国のある城を落とすことに決め、それを逢夜に任せた。
この木は逢夜が通りすぎる時を記録するため、編集されたようだ。
ページが進む。
場所は姫がいる敵国の城周辺。
本の中なので気温などはわからないが、雰囲気は秋から冬のようだ。
木々に葉はあまりついておらず、枯れ葉が飛んでいく。
「全然違う地域に飛びました。この周辺の木でまた、別の歴史に飛びます」
ナオが座標計算しているうちに内容は進む。
逢夜は言葉巧みに敵国の主と仲良くなり、姫と結婚した。しばらく潜伏しながら殿と姫を殺害し、城を落とす予定なため、偽装結婚したらしい。
城の一室。
「何度も言わせんじゃねぇ!」
逢夜は姫を殴り付けていた。
「でっ、ですが……子をなさないと……」
「子はいらねぇって言ってるだろ! 俺に指図すんな!」
逢夜はセツ姫に度々暴力を振るう。セツ姫は思い通りになかなか動かない。逢夜は気性の荒い青年になっており、愛を受けたことがないため、偽装でも愛し方がわかっていなかった。
「あなたは優しい方なのに、なぜ……急に暴力的になるのですか」
「……」
セツ姫の言葉を聞き、逢夜は悲しげに下を向いた。
ナオはページを飛ばし飛ばしめくり、今、現在生きている木か、歴史書になっている木を探している。
ページをめくると城が燃えていた。城主は死に、セツ姫は燃える城を呆然と眺めていた。
夜中のことだった。
「なんで……逢夜さま」
セツ姫は目の前に立つ逢夜に涙を流しながら尋ねる。
「どうして、お父様を!」
「……もう夫婦じゃねぇ。お前にも死んでもらう」
逢夜は小刀を持ち、ゆっくりセツ姫に近づいた。
「……もしや、敵国の……忍。……私は嫁になかなか行けなかった女……。そんな私に一時的な幸せをくれたあなた……。あなたには優しい心がありましたね。嘘で塗り固められてない心……。私には感じました」
「そんなもんねぇよ」
逢夜はセツ姫と目を合わせずに吐き捨てた。
「……そう……ですか」
「……さっさと死……」
逢夜が小刀を振り上げた刹那、憐夜を殺した時と重なってしまった。気持ち悪くなり、小刀を下ろす。
「……私を殺さないのですか?」
「……殺せない……殺せねぇよ」
「どうしてですか?」
「うるせぇ……」
逢夜はセツ姫の前に膝をついた。
「お前は俺なんかに関わってはいけなかった。俺はお前を殺さないといけないんだよ……」
「……あなたも何かを背負っているのですね」
セツ姫は逢夜の手を優しく撫でた。
「こんなにお前を殴っちまったのに、なんで俺に優しくするんだ」
「あなたこそ、なぜそんなに悪者になろうとするのですか? 私に恨まれたいからですか?」
「……恨まれた方が自分が人でなしだと思えて殺しやすい」
逢夜は燃える城を見上げてから目を伏せた。
「あなたも私も……戦国を生きられる人間ではない……ですね」
背後で複数の足音が聞こえ、声が聞こえ、セツ姫は敵国が攻めてきたことに気づいた。
城にいる兵達を皆殺しにするつもりか。どこからともなく、火矢などが飛んでくる。
「セツ……来い」
逢夜は殺すつもりだったセツ姫を連れて、逃げてしまった。
「逢夜の過去も……救われない」
ルナはナオの横でつぶやいた。
しばらく逃げていたが兵達は敗走し、攻める兵が残党狩りを始め、誰が誰だかわからない状態になった。流れ弾が激しく、矢などがセツ姫に飛んでくる。
逢夜はセツ姫を必死で守っていた。なんで守っていたのかわからない。
セツ姫を守り、矢に刺された。
沢山の矢が逢夜を突き刺した。
それでも逢夜はセツ姫を守り、安全な場所まで逃げた。
「がふっ……ごほ……」
人里離れた静かな山の中、逢夜は血を吐いた。
「逢夜さま……」
心配そうに泣くセツ姫は無傷だった。逢夜はこんな簡単に討ち取れる人間ではない。セツ姫を守るため、自分が盾になったのだ。
「……俺はもうダメだな。この山の上に集落がある……。そこまで逃げろ……」
「逢夜さま……手当てを……」
「俺はいい! さっさと行け!」
「ひ、人を……人を呼んできます!」
セツ姫は涙ながらに優しく逢夜の頬を撫でると山を駆けていった。
「……俺はもう死ぬよ。セツ」
逢夜はセツ姫の背中を優しい顔で見ていた。
……助けちまった。
本当は好きだったんだよ。
夫婦になれて幸せだったんだ。
お前との子供……ほしかったよ。
情けねぇ死に方。
憐夜を殺して、更夜を不幸にして、幸せになんて生きれねぇよ。
「ははは……バカな死に方」
逢夜は自嘲気味に笑い、死んだ。
寒い夜だった。
雪がちらつき始める。
その後、セツ姫は村人を連れて戻り、逢夜の亡骸を見つけた。
セツ姫は逢夜の亡骸に寄り添い、泣き、村人にかくまってもらうも、再び逢夜の亡骸の元へと戻り、寄り添って凍死した。
雪が二人を覆い、やがて春になる。
村人達が悲劇の夫婦の後ろにあった大きな岩を『絆岩』と名付け、二人を供養した。それはやがて神格化し、そこに厄除けの神社がたてられた。
留女厄神(るうめやくのかみ)、ルルが誕生する。
山の中腹、ちょうど集落と山の下との真ん中。登山客はこの絆岩をパワースポットとして手を合わせていく。悪い人生を良いものにしてくれる……悪い方向を変えてくれる。そんな場所となった。
神社は分社が山の下にある町の近くにもできた。
お祭りは毎回、こちらで開催される。山の上の集落は村人が山から降りたためなくなり、だいたいの登山客はパワースポット『絆岩』まで登山し、下山するのが一般的となった。
夫婦は死後にあちらで出会い、厄除けの神として仲良く暮らしている。
「おしまい」
「……死んじゃったんだ。二人とも。生きていた時、幸せになれなかったんだ」
ルナはせつなげに『絆岩』を仰ぎ、周辺になぜか咲いているピンク色の花を眺める。
「幸せに……。皆が普通に暮らしてるのに、こうやって救われない人がいる。なぜ?」
ルナはだんだんと『世界』への疑問が強くなっていった。
「不思議だ。これは不幸だよね。不平等だよね。すごい幸せでなんでもできる人がいるけど、何にもできない人もいる」
ルナはナオの座標計算を見ながらぼんやりとそんなことを思った。
「ルナは生きられなかった。ルナは幸せじゃなかった。パパとママに会えなかった。もしかしたら、逢夜とお姫様のとこに行きたかった子供、いたかもしれない。でも……『存在』すらできなかった」
「座標、計算しました。今も生きていて、本に組み込まれている木を見つけました。まずはその本に入ります」
ナオが再び歩き出す。
また、真っ暗な場所を的確に歩いている。
しばらくすると、望月凍夜の屋敷付近に出た。
「また、ここですか……。場所は微妙に違いますが。つまり、望月家の誰かの歴史の中に今も壱を生きているが本としての記憶提供をしている木があるみたいです」
「木って不思議だね」
ライがつぶやく中、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
屋敷のすぐ近くに小屋が建てられており、赤子を抱いた千夜がその屋敷から出てきた。
「今日はいい天気だ、明夜(めいや)。日光浴だ。泣き止め、泣き止め、ああ、おっぱいか?」
赤子を抱いた千夜は優しげに微笑んでいる。
「……おばあちゃん……」
ルナは今とあまり変わらない千夜を複雑な表情で見つめた。
四話
「今日はいい天気だな」
小屋から千夜の婿養子、他望月家だった夢夜(ゆめや)が千夜の肩を優しく抱いた。
「そうですね。心地良い春の風」
蝶が飛んでいき、あたたかい、のどかな1日。
「まだ、体が戻ってないだろう? 休んでいたらどうだ」
「先ほど昼寝をしていましたので、もう寝られません。明夜がかわいいのでついつい見ていたくなってしまう」
千夜が泣き止んだ明夜をまだまだあやしつつ、夢夜に寄り添った。
「赤子はかわいいな。指を明夜の手にいれるとな、握り返してくるんだ。ちっこい手で」
夢夜が手足の曲げ伸ばしをしている明夜の頬を軽くつつく。
明夜は再び泣き出した。
「ああっ……ごめんな……」
「やはりおっぱいかな?」
二人は微笑みながら小屋に帰っていった。
幸せそうに見えた。
千夜だけ幸せになったのか?
いや、ルナは千夜が子供を育てられなかったことを知っている。
話が進み、小屋に凍夜がやってきた。
「男を産んだようだな」
祝福しているようには見えない笑みを浮かべた凍夜は千夜から突然に息子を奪いとった。
「お父様……返して……。そんなに乱暴に……」
千夜は泣き叫ぶ明夜に手を伸ばすが奪い返すことはできなかった。
「跡取りだ。望月はまだまだ続くぞ」
凍夜は乱暴に赤子の首を掴んでいる。
旦那の夢夜が千夜をかばい、立ち上がった。
「返せ……。その子は俺と千夜の子。お前の子じゃあない」
夢夜は凍夜に怒りをぶつけるが、凍夜はわかっていない。
夢夜を無視し、凍夜は話を勝手に進めた。
「コイツは乳母に預けるからお前は仕事に行け」
凍夜は千夜に戦場に行くよう命令を出した。
「そんな……まだ、おっぱいも出るのに……」
千夜は悲しさに泣き、夢夜は怒りに震えていた。
「お前に人の心はないのか。千夜は体が戻っていない!」
「だからなんだ? 望月を留まらせる理由になるのか?」
凍夜の発言に夢夜は刀をとった。積もりに積もった怒りが凍夜に向く。自分の愛した妻を傷つけていた、こいつのせいで幸せになったやつがいない、明夜を奪われた……。
何より言動がおかしい。
「お前は……俺が殺す……」
「ほう」
凍夜は愉快そうに笑った。
夢夜が刀を構え、攻撃しようとした刹那、千夜が叫んだ。
「言うことを聞きますから! 夢夜様に何もしないで!」
「千夜……なぜ」
「夢夜様……あなたの実力ではお父様には勝てない。今のかかる寸前の忍術がわかりましたか? あなたはわかっていなかった。今、斬りかかっていたら返り討ちに合い、死んでいました。それに、明夜がいます」
千夜は静かに涙を流し、せつなげに夢夜を見た。
「私、行きますね」
「千夜……待て!」
「……明夜を守ってください」
千夜はそれだけ言うと、凍夜と共に去っていった。
夢夜は呆然と立ち尽くし、やがて膝を折り、刀を床に落とした。
「俺は弱い……。弱すぎる。妻も息子も守れなかった……」
話は飛び、千夜に視点が動く。
千夜は敵国の撹乱をしていた。
人を産んだのに、人を殺している。殺した人間にも家族があり、誰かの子供なのだ。
千夜は息子を産んでから躊躇いなく人を殺せなくなった。
誰かの子供……誰かの父……誰かの母……。
自分の子供が死ぬために駆り出されるのは価値があることのようには思えなかった。
千夜は母の気持ちになってしまっていた。他人のことを考えてしまうようになってしまった。
この一瞬のために死ぬのは意味のあることなんだろうか。
千夜は木の上から敗走している兵士、近くで燃えている村をせつなげに見ていた。
村人も逃げている。
千夜がいる木の下で手を繋いで走る親子がいた。親子は泣きながら逃げている。母と息子。
負けた国は悲惨だ。
勝った侵略者は敗戦国に何をしても良い。
親子を追いかけている複数の兵士は戦によって精神が壊れた男達。女を殺したい、犯したい、敗戦国に自分達の強さを見せつけたい、子供を殺したい、支配したい……。
破壊の力が強い時代。
男達もどこかの親の子供だった。誰かの父だった。
戦はすべてをおかしくする。
「……悲しい時代だ」
千夜は手裏剣を手に持つと、追いかける男達の首に手裏剣を投げた。
男達の首に手裏剣が刺さり、うめいているうちに、すばやく下に降り、千夜は男一人一人にトドメを刺していく。
中には少年もいた。
敗走者を逃すまいと追いかけていたのか。
震えている親子を千夜は血にまみれながら、優しく見つめ、言った。
「まっすぐ走れ。我々はこの道の先には行かず、引き返す予定だ。次に攻める時までに遠くに逃げるのだ」
「……ひぃ……」
母は息子を抱きしめるようにかばいながら悲鳴を上げて走り去った。
「……助けてどうするんだ。私」
千夜が下を向いた刹那、毒矢が千夜の胸に刺さった。
「がふっ……」
千夜は急に体が痺れ、動けないままふらつく。そこへ何本もの弓矢が千夜を貫いた。
血が溢れ、千夜は倒れる。
「違反……か」
千夜は望月家の制裁だと思い、望月家を探す。目の前に無表情の幼い銀髪の少女が立っていた。
若い時の自分のような子だった。おそらく凍夜にしつけられた異母兄弟のひとり。
「……お前も……かわいそうにな」
千夜はそうつぶやいて、息子と旦那のことを想い、涙を流しながら死んだ。
千夜が肌身離さなかった小刀を少女はそっと手に取った。
「これがあれば……夢夜様が凍夜を殺してくれる動機になる」
少女は急いで走り去っていった。
千夜の遺品として夢夜の元に少女から小刀が届いた。
「華夜(はなや)……千夜は死んだのか……」
「はい」
華夜は目をそらして答えた。
「千夜……そんな……だから……体が戻ってないと……妻は産んでから時間が経ってなかったんだ……それなのに……。戦場に……。なぜ妻が行かなければならなかったのか」
夢夜は泣き叫んでいた。
華夜は夢夜がずっと泣き叫んでいることに恐怖を覚えた。
自分がやってしまったことに恐怖を感じた。華夜は夢夜が恨んで凍夜を殺してくれるという単純な気持ちで千夜を殺した。
「千夜……千夜……」
妻の名を呼び、泣きつづける夢夜。華夜は震えながら夢夜の前から去り、屋敷に戻ったが、屋敷内で夢夜の子が激しく泣いており、華夜はさらに恐怖した。
母が死んだことを感じ取っているのか。
「家族を壊してしまった」
華夜は幼いながらそう思った。
自分が彼らを不幸にしてしまった。
自分には幸せは何も来ない。
自分の存在は、命を絶ち、罪を償うこと。
華夜は泣きながら姉にあやまった。
「お姉さま、ごめんなさい。あたし、間違ってたみたい」
華夜は自分の小刀を取り出すと、森の深くまで行き、誰にも知られずに自身の首を刺して果てた。
一方、夢夜は凍夜の妻、三人と凍夜殺害計画を立て始める。
凍夜に勝つため、夢夜は凍夜に従うふりをし、修行を積んだ。
息子が十歳になった日、夢夜は立ち上がった。凍夜の子供達はもう、ほとんど残っていない。
皆、なにかを背負って死んだ。
一度も見たことがない千夜の弟達は一度もこちらに帰って来ていない。二人とももう亡くなっているのだろう。
他の異母兄弟もほとんどが死んだ。彼らの子供達はまだ、幼い。
凍夜の呪縛にかかる前に元凶を倒す必要があった。
「今日は凍夜が屋敷にいる」
夢夜は刀を抜くと屋敷に入り、凍夜を突然に襲った。
三人の妻達も懐に忍ばせた小刀を持つ。千夜の母は千夜の形見の小刀を構えていた。
凍夜は咄嗟に振り向き、夢夜の刀を受け止める。
「殺りにきたか」
凍夜は刀で夢夜を抑えつつ、襲いかかる妻達を蹴り飛ばす。
夢夜は凍夜の影縫いにかからぬよう、すばやく飛び退き、再び刀を構えた。
夢夜と凍夜はその後、激しい攻防を続けた。
凍夜は「喜」しか感情がないため、躊躇いがない。故に強い。
夢夜は凍夜の腕を斬る。
しかし、凍夜には痛覚がない。
笑ったままだ。
夢夜は肩で息をしながら、身体中切り刻まれながら凍夜を殺そうと動く。
疲弊した夢夜は凍夜に腹を刺された。
「ぐっ……」
血を吐いた夢夜だったが、そのまま凍夜を抑え込む。
「今だ! 俺ごとやれ!」
夢夜が凍夜の腹に同じように刀を突き刺し、凍夜の妻三人は恨みの感情のまま、凍夜を夢夜ごと小刀で刺し続けた。
凍夜は「死とはこういうものか」と笑いながら死に、夢夜は達成感と後悔を持ったまま死んだ。
息子と妻と過ごしたかった。
最期の気持ちはそれだった。
凍夜の三人の妻は「次は幸せな人生を。子供達に会いたい」と涙を流しながらお互いの首を刺し、自害した。
なんとも悲しい最期だった。
望月家はその後、明夜によって新しく生まれ変わった。
残った凍夜の孫達は夢夜を武神として祭り、悲惨な時代を悲しんだ。
夢夜の子、明夜は望月の主としての人生を生き抜き、夢夜はいつしか望月家を守る武神から地域を守る武神へと姿を変えていた。
そして千夜は望月の守護霊として神格化されることとなったのだ。
「おしまい」
「最後まで読ませてしまいまして、すみません。天記神の干渉がない、ページとページの間に行くために最後のページとあとがきの間に行く必要がありました」
ナオは皆の暗い顔を見て、謝罪した。
「これは……だいぶん」
ライは続けて残酷な歴史を見てしまったため、頭を抱えていた。
憐夜は何かを考えるように下を向き、ルナは悲しい記憶は幸せなのかを考えた。
望月家の歴史は皆、なぜか悲しい。救いのない戦国時代。
生きている内に誰も助けてくれなかった。
希望がなかった。
「成長するための試練を神は与える……みたいなこと、よく聞くでしょ」
ふと、憐夜がそんなことを言った。
「……そうなの?」
「そんなわけないよね」
憐夜は冷たく言い放つ。
「うん、ルナもそう思う」
「頑張れる人に神は試練を与える? バカじゃない? そんなわけないじゃない。病気になった人は死んでるし、弱い立場の人はどう頑張っても生きられずに死んでしまう。乗り越える、乗り越えないの域じゃない人だっているじゃない。人間が都合よくそう解釈しただけ。私はね、怒りすら覚えるわ」
「……確かに」
ルナは憐夜の言葉で納得してしまった。自分の先祖は救いのない人生を生きてしまった。
誰にも助けてもらえず、命を落とした。
なんで、こんな人生を歩まなければいけなかったのか。
こんな人生を望んで産まれたわけではないではないか。
不幸な人生なのは生まれ変わる前の人生で何か悪事をやったから?
そんなわけはない。
人は産まれた時にその人になる。
神がわざわざ成長できる人に試練を与える?
幸せに生きて成長している人はなんなのか。
どうしようもなくて死しか道がない人は成長するための試練だと言えるのか。
「……ルナはわかんなくなった。いじめられてたルーちゃんは成長するためにいじめられてるのか? おかしいよ。いじめられてなくて、成長してる子だっているよ。世界がおかしいよ」
「そうだね」
憐夜はルナの頭を優しく撫でた。
「さあ、準備ができました。生きていて書物に協力している木を見つけました。憐夜さん、弍の世界のシステムにアクセスしてください。その後、ライさんは扉を作って下さい。ルナさんは神力を放出して時期を現代に固定です」
ナオは冷や汗をかきながら三人に指示をした。
進む先は
ナオの言うとおりにライと憐夜はシステムにアクセスし、ドアを作った。警報は今のところ鳴っていない。
その生きている木の心の世界へ飛ぶため、ルナは現代の時間を固定しなければならないようだ。
「ルナ、わかんないよ……」
神力もうまく制御できない今、どうすればいいかわからない。
「ルナさん、神力を出してください。私が調整します」
ナオが助け船を出し、ルナは自信なさそうに頷いた。
ルナがとりあえず、神力を放出し、ナオが何か調節をしている。
皆はどうやって神力を調節しているのか、ルナはわからずに下を向いた。
ルナが何もできないまま、ライがドアノブを握り、警報も鳴らずに四人は本からの脱出ができてしまった。
「うまくいきました」
ドアの先の世界は単純に森が広がる世界だった。
木の心の世界。
弐の世界だ。
木が想像した人や動物がいない木だけの幸せな世界。
木の大きさも一定で全体に光が当たるようになっていた。
「その場で動けない木ですら争いがある。自分が誰よりも太陽に近づこうとする……か。不幸な者は虫にやられたり、産まれた土壌が悪くて枯れたり、まわりの競争に負けて死ぬ。切り倒されてしまう木もある」
憐夜がつぶやき、ルナは憐夜を仰いだ。
「この世界は常にそう。光と影がある。平等じゃない」
「平等……」
ルナは皆が同じになって幸せかを考えた。確かに幸せなのかもしれない。
ただ、幸せを感じられるかはわからず、そこに「楽しい」などの感情があるのかルナにはわからなかった。
「ここからもう一度、ワールドシステムに……」
ナオが日差しの強い空を見上げ、覚悟を決めていた。
マナを今度こそ、倒す。
※※
『栄優(えいゆう)さん、霊史直神(れいしなおのかみ)が違反を犯しています。K のサヨさんに協力を仰ぎ、私が指定した世界へ向かってください。道筋は私が教えます。サヨさんと一緒にいますよね?』
更夜が住む一軒家で栄優の頭に天記神(あめのしるしのかみ)の声が響いた。
「……サヨのお嬢さんちで時神がでかくなるのを見守ってるんだが……」
栄優は夕飯を食べ終わった子供の栄次とプラズマに遊ばれていた。
「栄優殿は誰と話しているのだ?」
栄次が栄優の側をまわり、プラズマは栄優の膝に座っていた。
「お膝の上は落ち着くな」
「そうか、そうか、良かったな。ワシが生きてたら息子とこんな風に遊べたんかねぇ。ワシは息子をずっと見続けていたが、向こうはワシを知らんから、まあ、死んでから会いに来てくれたが」
栄優がプラズマの頬を突っつきながら、そんなことを言っていた。
『栄優さん! 急いでくださいませ! 私はここから動けないのですよ!』
天記神に怒られ、栄優はため息をつきつつ、サヨを呼んで事情を説明した。
「天記神がナオのお嬢さんを止めろって」
「えー……ルナも見つかってないのに……。連れていけばいいわけ?」
「ワシ、神になっちゃったから動けんしなぁ」
栄優は楽観的に笑っている。
「ナオは何してるの?」
「わからん。世界を壊そうとしてるらしいぞ?」
「歴史神さんらが時神を確実に戻してくれるんだよね? ちょっと天記神と話させてよ。情報提供のチャンスじゃん」
サヨが鋭い目を栄優に向ける。
洗い物をしていたリカも気にしてこちらにやってきた。
「えー……テンキさん? なんかサヨのお嬢さんが……」
『わかりました。サヨさんに繋ぎます』
天記神はすぐに対応した。
「天記神サンさ、あたしが栄優サンを連れていってもいいんだけど~、あたし、北の冷林軍なんだよね。勝手に動けないわけ。どうするのかな? 情報開示してさ、時神をそのまま何にも変えずに元に戻すとか、こちらにメリットがあれば冷林に相談せずに連れていってあげるよ」
サヨは普段、他の神がやるような交渉に入るつもりだった。
『時神はそのまま元に戻しますよ。データが変わると今はリスクなので……。私はナオさんを守る立場にあります。ですが、今回の件でナオさんを全力で止めなければならなくなりました』
天記神は普通に答えてきた。
「何があったの?」
サヨは入り込むように尋ねた。
『望月ルナさんと望月憐夜さんというK 、それからワイズ軍の芸術神、西の剣王軍のナオさんがアマノミナカヌシを排除しようとしております』
「ルナが!? え、なんで?」
『わかりません。なぜかナオさんと行動しております。一度、私が管理している本の中で確認しました』
サヨは顔色悪く息を飲んだ。
アマノミナカヌシを排除する戦いに六歳になったばかりの子がいる……。ルナは子供だ。
まだ、判断がうまくできないはず。
「危険は……?」
『わかりません。今はワールドシステム外にいるので、追いかければ捕まります』
サヨは呑気に話を聞いている場合ではないと考えた。
「わかった。栄優サンと行く!」
「なんだい? 急に下ネタ発して……」
栄優が顔を赤く染めて驚いていたので、サヨは頭を抱えた。
「バカやろう! 今、そんなアホなことを言ってる場合じゃない!」
「だ、だってよぉ、ワシとイクっていうから……なんでいきなり……と」
「説明する! ルナが、私の妹がナオに加担してる! 早く連れ戻したいの! ナオって剣王軍でしょ? ワイズ軍の天記神は何もできないわけ?」
サヨが栄優に怒鳴り、栄優は肩をすくめながら小さく答える。
「え~……ワイズ軍関係なしにだな、テンキさんはあの図書館を動けないんだよ……。まあ、とりあえず、いくかいね?」
栄優は膝に座っていたプラズマを抱き上げて「ボウズはそろそろ歯磨きして寝ろ」と横にずらした。
栄優の周りを無駄に回っている栄次にも注意をしておく。
「ちょ、ちょっと待って! 私は!? 栄次さんとプラズマさんを寝かしつけしないといけない? もしかして! ひとりで!」
リカは慌てて声をあげ、サヨはリカの肩を優しく叩いた。
「うんうん。男の子二人の寝かしつけだよ! 大丈夫、大丈夫。おサムライさんもプラズマもイイコだから! たぶん……。えーと、歯磨きさせて絵本でも読んであげて……そしたら寝るよ、たぶん」
「サヨォ……」
不安なリカに微笑んだサヨは栄優と共に部屋を出ていった。
二話
「おじいちゃん! ルナの居場所がわかった!」
サヨは高速で栄優と共に宇宙空間を飛んでいた。
更夜に連絡をとる。
『サヨ、どこだ? 俺達はまだ、見つけてないぞ。ルナの神力が急に消えたり、現れたりして場所が特定できないんだ』
更夜の慌てた声を聞きつつ、サヨは興奮しながら話し出した。
「あのね、ルナはヤバいことに巻き込まれてる! 歴史神が創造神を排除するつもりで、ルナはそれに連れてかれてる! えーと……、そのメンバーの中に望月憐夜っていう望月家に関係ありそうな人も……」
サヨが話している中、更夜は無言になった。
「ちょっと! おじいちゃん! 聞いてるの?」
『ああ、すまん。聞いている。サヨの気を追いかける故、先に行ってくれ。無茶はするな!』
更夜は慌てて声を上げ、通話を切った。
「切れた……。おじいちゃん、なんか変だったな……。望月憐夜は間違いなく望月家だな……確信したわ」
「サヨのお嬢さん、速すぎで気持ち悪くなってきたぜぃ……。もっと優しく労いを……」
栄優が青い顔でサヨに連れられているが、サヨはかまえなかった。
「こっちか。天記神が頭にどこを曲がるか指示してきているから、わかるけど、全然わからないな、もう」
サヨが頭を悩ませながら高速で宇宙空間を飛んでいると、ルナの神力をわずかに感じ取った。
ルナは神力を出すのを怖がっているのか、なるべく出さないように無意識に動いているようだ。
「この世界か」
サヨは真下のネガフィルムが絡む世界へ急降下した。
「お嬢さん、キツすぎ!」
栄優の言葉を流し、サヨは世界がなくなる前に世界に入り込んだ。
弐の世界は常に変動しているため、同じ場所に存在していない。
すぐに世界は移動する。
二人は森の世界に足を着けた。
太陽が輝き、すべて同じ大きさの木、生き物の気配がない世界。
「ルナ! ルナいる!?」
サヨは世界に入り込んですぐにルナを呼んだ。
「アァ、ナオのお嬢さんがいる位置がわかった……先にいく」
栄優はサヨを置いて走り出した。
「栄優サン! なんだ、足はっや……。あの男、身体能力高いな……きっと」
サヨはとりあえず栄優を追いかけて行った。
※※
「誰か来る……」
ナオは素早く反応した。
「え?」
ルナは首を傾げた。
よく見ると草むらの奥から若い男が歩いてきていた。ルナはその男を見て驚く。
「え、栄次!?」
「えいじ……神違いだな。間違えられたのは二回目……かね? ワシは栄優だ。よろしくね」
栄次と同じ声、同じ顔で全く違う言葉を話す青年。ルナはすぐに「ふたご」の文字が浮かんだ。
「えいゆう……えいじのふたご?」
ルナが尋ねると栄優は唸った。
「それがわからんの。だがね、まあ、そうだろうねぇ」
ルナが幼い少女であるためか、栄優の声音は優しい。
栄優は子供好きなようだ。
「さてと、ワシはチビちゃんに用はないんだよ。ナオのお嬢さん、ワシがなんで来たかわかるよな?」
栄優は鋭い目をさらに鋭くし、ナオを睨んだ。
「天記神に止めろと言われたのでしょう? ここまできてそうはできませんよ」
ナオはライや憐夜に目配せをし、巻き物を取り出した。
「ん?」
「タケミカヅチ!」
ナオが叫んだ刹那、強力な雷が栄優に落ちた。多数の雷がうねりをあげて栄優を襲う。
「なんと」
栄優は軽く雷を避けていき、一発も当たることなく飄々と地面に足をつけた。
興味深そうに地面の抉れを見ている。
「……やはり、栄次さんと同じ武神……天御柱(あめのみはしら)!」
ナオは再び巻き物を読む。
今度は強烈な台風、竜巻が栄優に飛ぶ。
尋常ではない雨風にルナは目をつむり、身体中濡れながら目を見開いた。
栄優は感心しながら風を利用し、ありえない身体能力で避けている。
「歴史神らしく巻き物を読んで神の歴史を出す能力があるのか」
栄優が分析していた刹那、憐夜がKの能力を解放した。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス、『排除』」
憐夜が栄優を目で捉えようとしたが栄優はすばやく動き、憐夜の視界から外れた。
『排除』されたのはナオが出した竜巻の一つだった。
「なんなの、この神……私より神力が低いはずなのに、私の神力を受けても動きが変わらない……」
ライが神力で動きを縛ろうとしたが、なぜか栄優には効かない。
「ワシの用はナオのお嬢さんだけよ。ナオのお嬢さん、アンタなんで怪我してんだね? 危険なことはお止めよ」
栄優はナオが飛ばしてきた炎を避けながら軽く声をかける。
「と、とりあえず……トリックアート!」
ライは筆を使い絵なのか現実なのかわからない絵を描いた。
栄優を閉じ込める。
「ナオ! あの神、何?」
ライが尋ね、ナオは冷や汗を拭った。神力が高い神を三回も続けて呼び出したため、ナオは神力の消費が激しい。
「こないだ歴史神になった神……ですよ。元人間なのですが、恐ろしい強さ……まるで時神の……」
ナオが最後まで言い終わる前に栄優はライの神力がかかった結界のような絵を破壊してきた。
「ウソ……私よりも神力が下なのに……こんな簡単に破ってくるなんて」
ライは顔を青くした。
「管理者権限システムにアクセス、『排除』!」
憐夜が再び叫ぶが栄優はまたも憐夜の視線から外れた。排除されたのはライが描いた絵の一部。
「はあ~、困った困った。ナオのお嬢さん、いい加減にしなさいな。怪我してんだから……」
栄優があきれるのを見つつ、ナオが肩で息をしながら巻き物を取り出す。
「天記神の命令ですか? アメノワカヒコ!」
ナオの巻き物から多数の矢が飛んだ。神力を纏い、的確に栄優を襲う。
「しかたねぇな!」
栄優は手から霊的武器『刀』を取り出し、飛んでくる矢を次々に切り落としていく。
「剣術は趣味だがね」
栄優は神力を纏った矢を簡単に落としていき、かすり傷一つ負っていなかった。
「さて、わりぃな。止める方法が思い付かないんで」
栄優がすばやく近づき、動けないナオに峰打ちをした。
ナオが呻き、崩れ落ちる。
「よっと」
栄優はナオが倒れる前に上手く支えた。
「頭打ったら痛いからなあ……」
「ナオがやられた! ライ!」
憐夜がライに目を向け、ライは慌ててドアを描いた。
「ルナ! 神力放出! ワールドシステムに入るわよ!」
「え……えっと……」
憐夜はルナにも命じ、ルナはよくわからないまま、神力を放出してしまった。
憐夜はライとルナを引っ張り、ドアから別世界へと消えていった。
「ありゃりゃ……とりあえず、ナオのお嬢さんは確保したからいいんかいな?」
栄優はナオを抱え、一緒にきたサヨを探した。
ちょうどサヨが栄優を追いかけて走ってきていた。
「ちょうどいい頃に来たな。ナオのお嬢さんを捕まえた」
「ルナは!?」
サヨは息を上げて栄優に尋ねる。栄優は思い出したように口を開いた。
「あ、さっき、憐夜ってお嬢さんとライってお嬢さんがチビちゃんを連れて行ってしまったよ」
呑気な栄優にサヨは頭を抱えた。
「なんで追いかけなかったの!」
「……ナオが主犯だろ? 他は逃げただけなんじゃないか?」
「ルナは葛藤してるし、子供! いいように使われてるんだよ! 連れ戻さないとヤバいじゃん!」
サヨが怒鳴り、栄優は眉を寄せる。
「あの子達だけでなんかできるかい? ワシは逃げただけに見えたがね」
「ルナはね、すごい今、傷ついてるんだよ。双子の生存しているもう一人がいじめにあってて、助けようとしたんだけど失敗して時神を子供に戻しちゃってさ、自分が母親から産まれることができずに死んでいたことに気づいて……本当のパパとママの存在にハッキリ気づいて、どうしたらいいかわからなくなってる」
サヨは栄優に切なげに語った。
「……チビちゃんには辛い状態だな。まあ、ワシもそりゃあわかる。ワシは十八の誕生日あたりで病気で死んだから、死ぬために産まれたのかってだいぶん考えた。前々から体が弱かったんだよ。十七手前で妻が身籠ったんだが……ワシ、子供と妻をおいて死んじまったんだ。そんときにな、なんだろうな、この人生って思った」
栄優は珍しく悲しそうな顔で空を見上げた。
「不幸自慢みたいになったかな……」
サヨは栄優の背中を見てつぶやく。
「あのチビちゃん、双子なんだな。ワシも双子のようだし、なんだか似てる気がするねぇ」
栄優ははにかみながらサヨに目を向けた。
三話
「ね、ねぇ……」
ルナは別世界に足をつけてすぐに憐夜に声をかけた。
「なに?」
憐夜は夕日の照らす世界を背にルナを振り返る。
「もう……やめようよ……」
「やめる? なに言ってるの?」
憐夜はルナを睨んだ。
「だ、だってさ……」
ルナはいまいち「やめる」理由が思い付かなかった。だけれども、何かしらの不安がルナを引き留める。
「えーとさ……」
ルナが困っているとライが横から口を挟んだ。
「憐夜、これ以上、恨みとか怖い感情のままだと……『K』じゃなくなるよ……」
「アッハッハ! もう『K』なんてどうでもいいわ。この世界を作ったアマノミナカヌシを殺してやる。平等な世界は正義。皆が一定。それが一番いいじゃない。ようやくアマノミナカヌシへのアクセスの仕方がわかった。私がどうしようもできなかった『運命』をいじれる!」
憐夜は何かに触れたように笑いだした。
「ナオなんていなくても、世界を見ている『K』はワールドシステムへの入り方を理解できる!」
「ま、待って……」
ライが止めるも、憐夜は何かおかしくなっていた。
「だって! こんな近くに! 不平等を産み出したやつがいるのに! 待ってられるか!」
憐夜は『K』の力ではなく、怒り……負の感情の力が溢れだしていた。破壊衝動だ。
何もかもを壊した後に残ったものが「平等」であり、「無」。
「な、何……? ちょっと、憐夜……」
ライが怯える中、憐夜の瞳が赤く光り、怒りの『神力』がかまいたちのようにライやルナに飛んだ。
「……ルナちゃん!」
ライはルナを引っ張り、逃げ出した。憐夜は怒りに任せ、ライやルナをまず殺そうとしてきていた。
「な、なんで? 憐夜……。それ、破壊神の神力だよ……! ねぇ!」
破壊神の特徴。
産み出す女から殺す。
何もかもをまっさらにする。
覚醒すると声は届かない。
『K』の力はもうない。
憐夜は『K』から破壊神にデータが変わってしまったようだ。
「まず、世界をまっさらに……最後にアマノミナカヌシを!」
憐夜は黒い雷を何度も落とし、この世界を破壊する。
「待って! この世界! 憐夜の世界だよ!」
ライは泣きながら憐夜に叫んだ。
夕日にヒグラシ、少し寂しい夏の終わりの世界。
憐夜が最後に見た、絵にしたかった世界。
同時に彼女にはトラウマの世界でもあった。
「ちょっと! 憐夜!」
黒い雷がライとルナの目の前に落ちる。木が燃え、地面は抉れ、ライとルナは吹っ飛ばされて地面に転がった。
「ルナのせい? ルナがやめるって言ったから?」
「ルナちゃん……違うよ。憐夜は産まれてからずっと……世界を恨み続けてる。それがアマノミナカヌシを知ったことで爆発したんだよ。元々……『K』は騙し騙しだったんだ」
「憐夜は元々、すごく怒っていたんだね」
ライはルナの手を引き走る。
憐夜は我を失っているかのようにライとルナを追いかけ回し、世界を壊していく。
「憐夜には『K』の力がなくなっちゃってる……。憎しみの感情が強くなってる。破壊衝動へ変わった……」
ライは戸惑いながら憐夜を見てつぶやいた。
「ナオも捕まっちゃったし、どうしよう」
「る、ルナは……憐夜を止めた方が……いいと……思う」
ルナは今までの望月家を見て、憐夜の言葉を聞いて、最初の過ちを思い出し、自信がなくなってしまった。怒りに任せる憐夜はいじめっこに暴力を振るった自分と重なり、なんだか悲しくなった。
「……ルナは……止めた方が……いいと思う?」
ルナ自身が決断できず、ライに聞いてしまう。
「……止めた方がいいよね? ねぇ、ルナは止めた方がいいよね?」
「……止めたいけど、私は戦闘ができる神じゃないよ……」
ライはルナを引っ張り、爆発を回避する。すれすれで避けられた。
憐夜は止まらない。止め方がわからない。
「れんや……ルナはどうしたらいいの? れんやの気持ち、ルナはわかるよ……でも」
ルナは自分の運命がなかったら違ったかもしれないと思ってしまっていた。自分が生きていたら向こうのルナを守れたかもしれない、こんなに迷惑をかけていないかもしれない、ママとパパに今の自分を見てもらえたかもしれない。
それよりも、自分が元々いなければ、家族は自分で悲しむことはなかったのではないか。
考えてもその道には行けない。
「……ルナはその道しかなかったんだよ……。ルナは産まれてもないんだから」
自分が産声をあげられなかった理由はわからない。
双子のリスク、高齢出産、向こうのルナに栄養や酸素がいっていて、こちらのルナは低酸素の状態だった、遺伝子構造が初めからルナだけ欠陥で外で生きるための成長ができなかった……など、壱の世界では医学的に考えられることはある。
だが、それは誰に命じられたわけでもなく、ルナがそうなりたいと思ったわけでもない。
親も同じだ。親だって元気な子供を望んでいて、子供が死ぬなんて考えていない。
ルナは産まれる前から親を泣かせ、家族を不幸にしてしまった。
『存在する』意味はあったのだろうか。
自分がいなかったら、皆笑えて幸せだったはずだ。
誰かを成長させるためにルナは悲しみを連れてきたのか?
違う。
それは人間が前向きに進むために発せられる言葉。
そう考えないと人間は自分を保てないのだ。
これはルナの意思でも親の意思でもない……そんなこと、誰も望んでいない……そう言ってしまうと、何も残らないのだ。
悲しみを通り越した『無』しか残らないのだ。
ルナはわかっていない。
感じてはいるが、わかっていない。
ただ、なぜ『存在してしまった』のかをずっと考え続けている。
憐夜も同じ。
状況は違うが、憐夜も同じだ。
たぶん二人は似ているのだ。
時代や環境に適応できなかった憐夜、壱の世界に適応できなかったルナ……、運命という言葉を使えば簡単だが、結局は『自然淘汰』なのである。
「……なんか、悲しいな」
ルナは憐夜を見て、小さく言葉を発した。
四話
「望月 憐夜(れんや)は私を消したいのか」
ふと、ルナとライの後ろからツインテールの少女が現れた。
「……!?」
二人は恐怖が表に出た顔で振り向く。
「え……っと……」
「私はアマノミナカヌシ、マナ。私になんか用? 私に何かしてほしいの?」
ツインテールの少女、マナは微笑みながらルナ達を見ていた。
「……アマノミナカヌシ……」
ライはなんとか言葉を絞りだし、マナを見つめる。
「なるほど、望月更夜の関係か。この家系は本当に困るね」
マナは憐夜の黒い雷を簡単にはね除け、憐夜に鋭い神力をぶつけ始めた。
「世界を破壊するなんて、何を考えているんだか」
マナは憐夜を攻撃し、憐夜は標的をマナに変えた。
「アマノミナカヌシ……お前のせいで不幸な者達が産まれる……。運命から周りと違う、どうしようもない者達が産まれてしまうんだ!」
憐夜の怒りはまっすぐマナに向かう。マナはため息をついた。
「憐夜、私には何もできないね。私は世界を変えようとしているが世界はプログラムされていて、なかなか動かせない。それが現実。『私達』、アマノミナカヌシは元々、この地球が形成される前にいた存在。前の世界を記録として残すため、我々アマノミナカヌシは『存在』している。私達は『前の世界』の生き残りで、『存在しない世界を知っている』。我々が古事記で『世界を作った』とされているのは、前の世界の生き残りとしてバックアップされた存在であり、最初に世界で存在したと誤解されているからだ。日本での名称はアマノミナカヌシ。世界ではそれぞれ我々の名前が違うけど、皆同じ私達。つまり、我々が世界を作り上げたわけじゃないの。恨まれるのはお門違い」
マナは憐夜を真っ直ぐに見据えたが、憐夜はいらつきを全面に出した顔でマナを攻撃した。
憐夜の雷を神力で弾きながらマナは続ける。
「私ですら、世界の運命を変えられていないのに、世界を壊して新しくしようとするなんて笑える。私達が、地球ができる前の世界にいたという事実さえ、今は『存在してない』のだから、私達だって人間が考えたただの空想かもしれない。あなたは迷惑。消えてもらっていいかな?」
マナは憐夜に槍のような神力を多数飛ばし、憐夜を消滅させようと動き始めた。
「……ちょっと……何これ」
ライは憐夜とマナが攻撃をし掛け合い始めたため、戸惑いながら立ち尽くした。
「……やっぱり……よくわかんないけど、ルナが……止めるしかない!」
ルナは現状がよくわかっていないが、何かしなければという気持ちのみでとりあえず動き始めた。
ルナは答えが出ていない。
二人をなんで止めようとしているのか、どうやって止めるのか、何も考えられていない。
「お互い攻撃し合うのは間違いだと思う!」
ルナはよくわからないまま、どうしたらいいかの結論も出ていないまま、イメージもできないまま、神力を放出した。
ルナは憐夜の世界で時空をおかしくする方面の神力を放出してしまい、マナは驚き、振り向いた。
「望月ルナ……」
※※
栄優は空を見上げ、少し過去を思い出す。
……ワシは産まれた時、そりゃあ体が弱かった。何の病気だかわからんが、熱を出してばかり、咳をしてばかり……肺が弱かったのかなんなのか。
双子らしいから名前的にワシは長男で栄次は次男だったんだろう。だから、栄次は捨てられた。
おそらく、栄次の方が丈夫で長く生きられたはず。
でも、ワシが長男だから生かされた。
頑張って十二まで生きた時、二歳下の嫁さんができた。当時のワシに選択肢はなかったが、藤原氏の主として嫁さんを守ろうと思った。
なかよし夫婦だったんだ。
ワシは体が弱いから相変わらず具合が悪い日が多く、無理しながら主として頑張っていた時、嫁さんに子供ができた。
十七の時だ。
そりゃあ、嬉しかった。
それと同時に不安になった。
自分がいつまで生きられるのか。
自分はなぜ、産まれた時からこうなのか。
どんどん体が動かなくなる焦り。嫁がワシを泣きながら看病する日々……。
情けない。
ワシはまだ、十七だぞと。
嫁は腹に子がいるのにワシのために無理をしてほしくない。
産まれた子を導くのは誰だ。
ワシじゃないのか……。
こんな背中を子に見せていいわけない。
……まだ死ねない……。
まだ死ねない……。
当時は神に人生を、運命を握られていると思っていた。
神を何度も恨んだ。
お前には呪いがかかっている……。そんなことも言われていた。
今思えば、処分予定だった栄次が姉に連れられて生きていて、家族がそれを知っていたから、藤原氏は呪われたということか。
双子は呪われている……。
昔はまともに双子が産まれることはほとんどなかった。
同じ顔だし、産まれたら呪いだと思われていた。
人間は余計なことを考えられるほど賢いのか、単純に頭が悪いのか。まあ、考え方はわかるがな。
有名なエビス神さんは産まれた時に足が動かない子だったから海に流されてなかったことにされたと聞いた。
今はなにがなんでも生かす治療をすると聞く。親が望んでいなくても、赤子が望んでいなくても、医者は子を生かそうとする。
子供には「人権」があり、赤子でも「治療をうける権利がある
」と。
それは本当にいいことなのか、ワシには判断がつかない。
産まれてから生きられる体ではない赤子を無理やりでも生かす医療……、親が自然に任せたいと言っても「虐待」として流されて、勝手に生かされる治療をされる。
日本はどうやらそうらしい。
ワシは主として生かされて良かったのか、産まれてからすぐに死んだ方が幸せだったのか、よくわからんが、気持ち的には辛いことの方が多かった。
ワシは子供が産まれてすぐに死んじまった。
嫌だったねぇ……。
子供はかわいかった。
もっと一緒にいたかった。
嫁さんとも仲良く子を見守りたかった。
ああ、ダメだな。
「まだ、こんな気持ちになるのかよ。死んでから……嫁さんと息子に会えたのに……」
栄優の独り言にサヨは眉を寄せ、話しかけるのをやめた。
人間は賢いのか、馬鹿なのか。
個人個人に意志がありすぎる。
だから、自分が幸運だ、不幸だと考える。それをなくすために、試練を与えられただの、成長するためだの、あの子のためだの、余計な気持ちで気持ちを前向きにする。そうしなければ、生きていけないのが人間なのだ。
不幸を認めたくないから、前を向く。それが人間だ。
ワシも……それだな。
五話
栄優はため息をつくと、振り返り、サヨを見た。
「ワシはナオを天記さんに渡すよ」
栄優は地面に寝かせておいたナオを天記神の元へ転送させようとしていた。
「転送ってどうやってるわけ?」
サヨは不思議そうに栄優を見ていた。
「天記さんはだいたいワシらの動きを把握している。天記さんの神力と高天原で買ったらしいワープ装置で天記さんの図書館なら一方通行だが送れる。動けない天記さんだからこそか、ワシら歴史神には図書館に帰るワープ装置が渡されているんだ。ほとんど使わないがなぁ。今回はナオさんを連れてこいと命じられているんで、図書館への回線が繋がっているのよぉ」
「相変わらずよくわかんない神の世界」
サヨがつぶやいた刹那、慌てて更夜達が現れた。
「……っ!? 栄次……」
更夜はサヨを確認した後、栄優にそう言葉を発していた。
「いんや、ワシは栄優だ。なんで皆さん、栄次と間違えるかねぇ」
「……顔が同じだからだ……。えー……あなたは栄次ではないのか」
更夜は眉を寄せながら栄優を見据える。確かに栄次とは何かが違う。
「ワシは栄優だ。歴史神ナオを止めたからテンキさんに返すところだったんだが」
「本当に栄次にそっくり……」
一緒に来ていたスズも驚き、トケイと壱のルナは首を傾げていた。
「先にやっていいかね? 仕事なんでね」
栄優はナオにワープ装置を使い、図書館へ転送した。
神々が電子データであることを使った、腕時計型のワープ装置で高天原東の技術である。
「これでよし。ああ、そちらさん、厳しそうな顔、してるな? 何さんで?」
栄優はナオを転送してから更夜に目を向けた。
「……望月更夜だ」
「望月家かあ。色々やらかしてくれんなァ……」
「なんだ?」
「ああ、いや、サヨのお嬢さんの祖先かね」
「まあ、そんなところだ」
更夜が栄優の性格を掴もうと探りを入れていたところに横からスズが声をかけてきた。
「更夜……ルナがいない」
「……ああ、歴史神が倒れていたところを見ると何かあったな……」
更夜は栄優を観察する。
サヨと共にいるということは、今のところ協力者か。
「で、君は?」
栄優は今度、不思議な神力を纏っているトケイに目を向けた。
「え! ぼ、僕? 僕はトケイです!」
「『僕』とはご丁寧に。何の神さんなのかな? 中身はやや『幼い』ようだねぇ、君」
「ええっ……その……十六ですが、中身を聞かれると……たぶん、『十二』くらいかも……ははは。一応、時神です……」
トケイが、はにかみながら怯えつつ答え、栄優は表情を柔らかくした。
「時神ねぇ……しかし、トケイ君か。どっかで聞いたな……」
「それより! ルナを追いかけないと!」
サヨが栄優に声をかけるが、栄優は呑気に更夜の影に隠れていた少女に目を向ける。
「ルナちゃんだな。さっきの子と顔が同じだねぇ」
「あ……はい。双子……です」
「そうかい。女の子はかわいらしいわなァ。頭の髪飾り、似合ってるぞ。とっても美人さんだァ」
「あ、リボン……? ありがとうございます」
栄優の優しい声でルナは顔を緩めた。更夜は栄優の対応を見て、さらに眉を寄せた。
「失礼な質問をするが……子がいたか? ずいぶんお若そうに見えるのだが」
更夜は栄優の発言で自分に似ているものを感じた。子と向き合う父親は子がいない男性とは子供の対応、雰囲気の柔らかさが違う。
「ああ~、いたよ。かわいい息子がねぇ」
「そうか」
栄優が少しせつなそうな表情をしたため、更夜は踏み込まないようにした。
「話は脱線したが……ルナはどこだ」
「それがね、ちょっと複雑で……」
サヨが思い出しながら今までの内容を更夜に語る。
「天記神(あめのしるしのかみ)にルナが世界を壊すグループの一団にいることを伝えられて、その主犯がさっき天記神の図書館に転送されたナオで、この……栄優サンが実は歴史神で、天記神に命じられてナオを止めに来たわけ。あたしは協力者としてルナを助けるため、栄優サンをこの世界まで運んだんだけど、ナオを倒してからルナともう二人が逃げちゃったの。その内のひとりが望月……憐夜(れんや)だと思う」
サヨは更夜の顔色をうかがう。
更夜は悲しげに少しだけ下を向いた。
「そうか、なるほどな。今からルナを追いかけられるか?」
「たぶん……」
サヨが先を続けようとした刹那、トケイの瞳が赤色に変わった。
「エラーが発生しました。弐の世界の一部崩壊。対象を消却します。破壊プログラム発動。すみやかに弐を守ります」
「え!」
トケイは機械的に言葉を発すると表情がなくなり、そのままどこかへ飛び去っていった。
「トケイ!」
「エラーが発生しました。弐の世界の一部崩壊……」
更夜はトケイを呼ぶがトケイは同じ言葉を機械的に繰り返し、反応しなかった。
「破壊システムが作動したのか! サヨ、トケイを追えるか?」
「うん! 皆連れていける!」
サヨはすぐに皆を浮かせると、トケイを追って急上昇して世界から離脱した。
「あのトケイって少年……何者なんだ……」
栄優は気になっていた時神の状態を観察していたが、さらに不思議になった。
歴史神が……天記神が、ナオが隠している『何か』を栄優は掴みかけていた。
ルナが思うこと
ルナは真っ白な世界でなぜか浮いていた。どこなのかわからない。どこまでの範囲の時空をおかしくしてしまったのかもわからない。
そもそもルナは時空をおかしくしたと思っておらず、なぜこうなったのかわかっていない。
「わかんない……。もう、わかんない」
ルナはひとり力なくつぶやいていた。
「なんでこんなにわかんないんだろ……」
色々な心に触れてルナは最善がなんなのかよくわからなくなっていた。「運命」だの「存在」だの、考えすぎて自分が固まらない。
「もうこのまま何も考えなければいいのかな。わかんないし……。わかってるけど……なにが正しいかわかんない。このまま、何も考えないでこの場所で浮いているのがルナにはいいのかも……」
……どうせ、ルナはこの世界にいなくてもいいんだし。
マナや憐夜、ライもいつの間にかいなくなってしまった。
ルナがひとりの世界。
心地良いとも言えないが、悪いとも言えない。
ルナは目を瞑る。
憐夜を客観的に見るような謎の映像がルナに流れた。
「もう、考えたくない」
ルナはつぶやきながらも映像を眺める。
更夜の記憶だった。
憐夜を生かすため、必死に考える若い更夜。
絵描きになりたいという夢を応援してやりたいと独断で違反を犯すことに決める。
その更夜に陰ながら賛同する千夜。
何かあれば自分の責任にすると心に決める千夜。
憐夜を殺す前に「生かす」道はないか泣きながら考える逢夜。
憐夜はきょうだい達から愛されていた、必要とされていたという事実は「現実」として「存在」している。
憐夜はこの世界に産まれた段階で関わった人達に深く影響を及ぼし、きょうだい達はこのことを忘れぬよう成長する。
そしてそこから産まれたライは憐夜がいなければ「存在」がなかった。
「運命」とは自分のものだけではないのかもしれない。
他の関わった者達の「運命」にも食い込んでいるような気がする。
「……ルナもか」
ルナは目を瞑ったまま、静かにつぶやく。
では、「平等」とは何か。
「運命」や「存在」がなければ「平等」なのか。
確かに何もなければ「平等」だ。考えることをやめ、世界のモノがすべて一緒に消え去れば、「平等」になる。
運命も存在も、平等という感覚さえなくなる。存在しないということは「無」であるということ。
今の世界ができる前に、滅んだ世界があったとしたら、生命体はここに行き着いてしまったのかもしれない。
「存在」がないのだから、確認したり認知したりすることはできないが。
「難しい」
ルナはやはり、考えることはしたくなかった。わからないものはわからない。
人がここにたどり着いてしまったら、「幸運」や「不幸」という考え方すらなくなり、神が消え、プラスもマイナスもない何にもない世界になり、人は絶滅する。
そのうち、それに気がついてしまった人間の後続になりうる賢い生命体も生きる意味を失うだろう。
難しすぎてルナには理解ができなかったが、ひとつだけ思うことはあった。
それは、
「今じゃない」ということ。
「運命」が絡み合って別の生命体の「運命」に関わるなら、今、この世界を消すのは間違いである。
「幸運」も「不幸」も繰り返しながらお互いに作用している「運命」は「はい、消しましょう」で済む問題ではない。
この世界のすべての生命体に「世界を滅ぼしていいか」聞かなくてはいけないのではないか。
皆、心がある。
「不幸だから消えたい」、「幸運だから世界にいたい」、「普通に生活したい」……これを一気に無くしたら、それはそれで「平等」ではないのではないか。
憐夜のように世界を恨み、なくす方向で動くのは裏から見ると「独裁者」で「自己中心的」だ。
一定の者達からは「ヒーロー」と呼ばれるかもしれない。
ルナが思い描くヒーローはこうではない。
ルナは自分のことをよく考えてみる。
更夜に愛され、サヨにかわいがられ、千夜に守られ、時神達が自分を気にかけてくれる……憐夜の件や様々な「運命」を彼らが乗り越えたからこそ、自分は皆から幸せをもらっているのではないかと。
憐夜がいたからこそ……彼らは変わったのかもしれない。
少なくともルナは自分の想像する恵まれた人生ではなかったが、不幸ではないのだ。
それはまわりからの「愛」で感じる。
「……」
ルナは静かに涙をこぼした。
ルナのように生きられなかった子も……誰かから「愛」や「喜び」を与えられていたに違いない。
「こんにちは」
泣いているルナに「誰か」が声をかけてきた。
「……だれ?」
「俺は名前もなにもないんだ」
ルナと同じくらいの銀髪の少年だった。
「……?」
「ああ、ごめん。俺のパパは望月逢夜でママはセツだよ」
少年はルナの手を握ってきた。
「……おじいちゃんの……お兄ちゃんの……こども? でも……」
逢夜とセツは子を欲しがったが、子供を作ることなく終わった。
「……パパとママ……今はルルかな……俺を想像するんだよ。俺は幸せ。『存在』はしてないけど、俺はパパとママにずっと気にかけてもらえてるんだ」
銀髪の少年は幸せそうに微笑んだ。
「そっか……でもそれ……産まれてないのに幸せなの?」
ルナは純粋に尋ねる。
少年はルナに微笑みながら頷いた。
「俺は幸せだよ。俺は想像でしかないかもしれないけど、存在してるんだ」
「……幸せって……なんだろうね?」
ルナは「存在していない少年」に話しかける。
「幸せかあ……人によってバラつきありそうだけど、『今、幸せだと感じるなら幸せ』なんじゃないかなあ。幸せと感じるのは人生の中でどこだかわからないけど、小さくても幸せだと感じる部分が皆にはあるんじゃないかな。俺が今、幸せに感じてるように」
少年はそれだけ言うとゆっくりと消え始めた。
「待って! 名前! 名前とかなんかないの? おじいちゃんのお兄ちゃんとかルルとかなんか言ってなかったの?」
ルナがなんとか尋ねると、少年は軽く笑って振り返った。
「名前ってさ、産まれたり、『存在』してから決めるもんだぞ」
「じゃ、じゃあなにがいい?」
「なにが……うーん、ヒカルかな」
「え、なんで?」
「なんとなく。ちなみに妹はユメって名前らしい」
少年はそのまま消えていった。
「……ヒカル……ルナは覚えとくね。ユメも覚えとく。また、会えたら……」
ルナは真っ白な世界にまた、取り残された。
もしかしたら逢夜とルルは夫婦の会話の中で子供について語り合ったのかもしれない。
上が男でこういう外見になりそうだ、名前はヒカルとかいいかな?
妹がいたらかわいいな~。
など……。
弐の世界は想像の世界でもある。誰かが『想像』すれば、こちらに『存在』してしまうのかもしれない。
ルナは少しだけ考えてしまった。
この世界に、親に、知ってもらっている自分は『彼ら』より『幸せ』なのかもしれないと。
「それって……誰かを下に見てることにならないのかな」
ルナはいじめを思い出す。
「……ルナのくせに……そう言っていた子が……いた気がする」
ルナは自分の手を見る。
「ルナは……いじめっこが弱かったから、下に見てた。弱いくせにって……」
ルナは望月家の闇を思い出した。
「皆を苦しめていたあの人(凍夜)はすべてを下に見ている感じだった」
……ルナ、わかんない。
ルナはわからなかった。
あの人より「幸せ」だから、私は「幸せ」なんだ、あいつのくせに「幸せ」になるなんて許せない、あいつは自分より「幸せ」だ……人だけではなく、この世界の生き物は誰かより上かが好きで、下を作らないと気持ちが安定しないのだ。
生き物の本性。
純粋な子供は徐々にそれを理解していく。
自分の感情に気づき、その気持ちを隠すようになるのだ。
そして、「あいつのことはもう知らないけど、自分が幸せならいい」という結論になっていく。
人を羨んだり、下げずんだりしないようにするのは自分の心を守るためでもあるのだ。
そのようなことをしないようにしようとするのは、知能の高い人間の理性であり、動物にはないものだ。
人間は「欠陥」なのか「完全」なのか……ヒトからの想像でできた神々は、人間に近いに違いない。
二話
ルナはただ、白い世界を漂い続ける。答えがないまま、流されている。
「ね、ねぇ……ルナを呼んだ?」
ふと、もう一人のルナの声を聞いた。
「え? ルーちゃん?」
ルナはいつの間にか横に来ていた向こうのルナに目を向けた。壱のルナはルナを何とも言えない顔で見つめていた。
「双子でもルナ達、全然違うよね」
ルナは壱のルナであるルーちゃんに軽く微笑んだ。
「そうだね……」
「ルーちゃんはいじめられてる、ルナはママとパパに会えないし、会話もできない……どっちが『幸せ』だと思う?」
ルナは純粋な気持ちでルーちゃんに聞いた。
「……わからない……ルナはいじめられて辛いよ? でも、ママとパパに会えないルナの気持ちはわからないから、辛い気持ちがどれだけなのかルナもわからない」
ルーちゃんの言葉を聞き、ルナは下を向いた。
「そうだよね。気持ちってさ、自分だけのものなんだよ。立ち上がるのも諦めるのも自分なんだよね」
「……そうだよね……」
ルナの言葉にルーちゃんも何かを考え始める。
「ルナはさ、いじめっこに暴力したらダメだったんだよね? ルーちゃんが立ち上がれるわけじゃないんだからさ。……ルナはさ、ルーちゃんの『運命』には関われない『運命』だったんだ。気づいたよ。元々、助ける助けないの位置にすら立ってなかったんだって」
ルナはルーちゃんを横目に見てから、再び目を伏せた。
「……ルナは……暴力はダメだと思ったけど、ルナのおかげでこのままじゃダメかもって思ったの。ルナに会えて良かった。一緒に遊べて楽しい気持ちを知ったから。お友達とね、ルナと遊んだみたいに遊びたいって思ったの」
ルーちゃんはルナの手を優しく握った。
「……ルーちゃん……ルナはね、ルーちゃんの未来を見たんだよ。ルナはルーちゃんの横にいなかったんだ。ルーちゃんは『運命』が重なる人達と一緒に大人になれる。ルナはさ、このままなんだ。でもルナにもさ、『運命』が重なる人達がいて、その人達と一緒にルーちゃんとは別に道を進むんだ」
「……ルナ」
ルナは言っていてなんだか悲しくなってきた。未来を見ることができるルナは何通りもあるルーちゃんの未来を見ることもできる。
ルナは神。
ルーちゃんとは「運命」が交差しない。ルナが関わるのは神や世界だ。ルナは弐の世界に存在する。ルーちゃんとは元々住んでいる世界が違うのだ。
「ルナはね、ルーちゃんを直接助けること、できないんだよ」
ルナは真実に気づき、涙をこぼしながら微笑んだ。
「だって、ルナはもう死んでいて……時神……なんだから」
更夜が言っていたことがよくわかった。ルーちゃんに語ることで、ルナは心がまとまっていく。
「ルナのこと、夢の話になって、ルーちゃんはルナを忘れちゃう。でも、少しだけでも『運命』があるのなら……ルーちゃんは自信持って生きてほしい。逃げてもいいし、頼ってもいいし、喧嘩しても立ち向かってもいいと思うけど、『こっち』には来ないで……」
「え……?」
ルーちゃんはルナを不安げに見上げた。
「こっちはね……死んだ後の世界なんだ。ルナは最近知ったんだけど、だから……ルーちゃんとルナは関われないんだよ」
「……うん。ルナの言ったこと、覚えていたいけど、自信ないかも。ルナ、夢見てることになってるんだよね? たぶん」
「そうみたい」
ルナはルーちゃんの手を握り返した。
「もう一度、頑張ってみようかな……」
「……ルーちゃん、ルナもね、ルーちゃんが頑張るなら、頑張るよ。ルナ、ルーちゃんともうちょっと一緒にいたくて、今、たぶん無意識にルーちゃんを呼んだんだ。もうちょっと、一緒にいてくれる?」
ルナは白い空間でルーちゃんの手を握り、自分とは違う「人間」をただ感じていた。
※※
「待て! あちらのルナが消えた!」
更夜がサヨを呼び止めた。
サヨは弐の世界特有の宇宙空間を飛ぶのを一旦やめ、更夜を振り返る。
「え? 一緒に来たよね?」
サヨの問いにスズが答えた。
「さっきまで横にいたよ」
「下の世界に落ちるわけないし、あたしがいるからさ」
サヨは困った顔で下にある個々の世界、ネガフィルムの世界を見つめる。
サヨが「K」の力をとかない限り、壱の神や人間が落下することはない。
「消えたんだ。現世に戻ったわけでもない。ルナだ。こちらのルナに呼ばれたんだ。あの子達は双子で、関わってしまった時から心が繋がっている。だから、弐の世界内で魂を呼べば壱のルナの魂はルナの元へ寄せられる……」
更夜は少し考えてから答えを出した。
「つまり、ルナに呼ばれたから、もうひとりのルナはこっちのルナのとこに行ったわけね。てか、あっちもこっちもルナ、ルナでわけわからなくなりそう。うちの両親、なんでおじいちゃんと同じ名前つけてんの?」
サヨは眉を寄せつつ、頭を抱えた。
「……お前の父、深夜(しんや)がお前の母ユリと死んだ片方の赤子を連れて俺の元へ夢として来たんだ。赤子を俺に託した後、俺がその赤子をルナと名付けたんだが、夢を見ていた彼らは記憶が曖昧で、覚えていたその名前が気に入ったらしく、生存した向こうの赤子にルナと名付けたらしい」
「あー、やっぱりそうかあ。『夢』の処理になったんだね……。で、ルナルナに……」
「それより、トケイを追え! 壱のルナはルナの所にいるはずだ……おそらくな……。弐を破壊したのは誰だ……? あの子か?」
更夜は珍しく不安げに宇宙空間の先を見ていた。
「まあ……ルナか、憐夜(れんや)って子……だろうね……。あの少年を追うならルナを先に見つけた方が良さげ?」
「ああ。なんだか時空が歪んでいるところがある……そこか」
更夜はサヨに指示を出し、時空異常の部分へ案内を始めた。
一緒に来ていたスズは友達として、ルナの元へ行きたいと強く願っていた。
栄優はそれを見、スズに小さく声をかける。
「スズちゃんだったか? あんたは霊だ。神じゃない。支えたい人のことを願えば、その世界に行けるんじゃないのか? ワシらみたいに神になったら無理だがね。ああ、なるほど。あんたも色々あったんだねぇ。戦国時代は嫌だァね、頭のおかしいやつが多すぎる」
「……それはもういいけど、ルナに呼ばれてない」
スズはどこか落ち込んでいた。ルナが呼んだのはスズではなく、双子のルナ。
スズの方が双子の片割れよりも長い時間を過ごしているのに、ルナは双子を呼んだ。
「子供はこういうことで簡単に傷つくんだなァ。こちらから行ってやりゃあいい。あんたは霊だ。親密な神の魂くらい、居場所わかるだろ? 説明できなくてもな。行ってきな。あんたなら、友達の世界に入れるよ」
栄優がそう発言し、スズは前向きにルナの元へ行くことに決めた。
「ありがとう。やっぱ、行ってくるね」
スズは栄優にお礼を言うと、ルナを想い、その場から消えた。
「子供は単純でかわいいねぇ、うんうん」
栄優がにこやかに笑っていた刹那、更夜はスズがいないことに気づいた。
「スズはどこだ……」
「ええ? スズもいなくなっちゃったの!」
サヨが辺りを見回し、更夜はため息をつく。
「ルナが呼んだのか?」
「可能性はあるね……。スズは霊だし……」
更夜とサヨが慌てているのを眺めつつ、栄優はのんびりと「あの少年を追った方がよくねぇかい?」と言葉を発した。
三話
「ルナ!」
スズは真っ白な空間を泳ぎながらルナを探していた。ルナに会いたいと願ったら、このよくわからない真っ白な空間にいたのである。
どこかはわからないがルナがいると確信を持っていた。
「ルナ!」
スズはルナを呼ぶ。
この不思議な空間は時間の感覚がおかしい気がする。
なんというか過去、現代、未来がない世界のように感じた。
時間がない世界は何もなく、真っ白。世界全体がこうなってしまったら、時神がいなくなってしまったら、世界は本当になくなってしまうのだとスズは実感した。
しばらく前に進んでいるのかどうかもわからない状態が続いたが、目の前にルナの姿が見えた。
ルナは二人いた。
「ルナ!」
スズはとりあえず、両方のルナを呼ぶ。
「スズ!」
ルナが嬉しそうに声を上げ、微笑んだ。その顔には涙が光っていた。
「泣いてたの?」
「泣いてないよ」
ルナはそっぽを向いた。
「私も呼んでほしかったよ。呼んでくれなかったから自分から来たの」
スズの言葉にルナは再び微笑む。
「スズ、呼びたかったけど、一瞬だけやめようって思ったんだ。ルナ、強くなりたかったんだよ」
「……そっか。あたしはあんたのオネエチャンみたいなもんだから、呼んでくれてもよかったんだよ」
「うん、呼べば良かったよ」
ルナが頭をかくと、横にいたルーちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ、そういえば、この子はルナのお友達……なの?」
「そうだよ! 初めてのお友達! ルーちゃんにもお友達、できるよ! スズはユーレイだからルーちゃんとはお友達になれないけどさ、すごい広い世界を生きる中でさ、お友達って絶対できるんだ。ルナはそう思ってる」
ルナの言葉にルーちゃんは目を伏せた。現実は仲間がいないかもしれない。ルーちゃんはまだまだ信じられなかった。
「あのさ、あたしもね、死ぬ前はずっと一人だったんだよ。ひとりで寂しくて、殻に閉じこもってた。でもさ、閉じこもっても何にも変わらないの。行動しないと、君の気持ちは外にはわからない」
スズはルーちゃんの肩に優しく手を置き、強い光を瞳に宿して言葉を口にした。霊は生きた者を導く役割がある。
「……でもルナは……今、誰も話を聞いてくれないかもしれないの」
ルーちゃんはスズに助けを求めるように言ってきた。
「誰もってことはないって。気づいてないんだよ、あんた。あたしもそうだけど助けてくれる人が見つからなかったんだ。でね、敵だと思っていた身近な人が実はあたしを助けてくれる人だった。ひとりだと気づかないことがある。思い込んで視野が狭くなるんだ」
「……そっか」
ルーちゃんはまだまだ気持ちが固まらず、不安な顔をしていた。友達はほしいが話しかけた子が友達になってくれるかわからない。
また、いじめられるかもしれない。いじめにあきらかに加担していない子もいることにルーちゃんは更夜に言われて気づいていた。
だが、ルーちゃんの心は簡単には修復できない。
「迷ってるね」
「うん、勇気が出ないの」
「わかるよ」
スズは優しくルーちゃんに微笑んだ。
「でも、やってみるしか先に進めないの」
スズは隣にいたルナにも目を向ける。
「でしょ? ルナ」
「うん。ルナもそう思うよ」
ルナは自分のあやまちを心にしまいつつ、苦笑いをした。
三人はまだまだ何かを話そうとしていたが、突然スズがルナ二人を突き飛ばした。
「え!? なに?」
「ごめん。やばい気配が……」
スズは咄嗟にルナ達がいたところに目を向けた。
先程ルナ達がいた場所に足で踏みつけるように立っていた橙の髪の少年が感情なくこちらを見ていた。
「……っ! えっと……トケイ!」
スズに名前を呼ばれたがトケイは答えず、こちらに飛んできた。
顔に表情はなく、ロボットのようだ。
「逃げて!」
スズが叫び、ルナは動揺しながらルーちゃんを引っ張った。
しかし、狙われていたのはルナの方だった。
ルーちゃんは目に入っていない。
「……狙われてるの、ルナか。トケイ、こんなにロボットみたいだったっけ……。なんでルナが狙われてるの?」
ルナは尋ねるがトケイは答えない。ルナはひとり走り出した。
狙われていたのはルナ。
スズとルーちゃんは関係がない。逃げるしかなかった。
体すれすれに拳が通りすぎた。
当たっていないのに服が一部破ける。
「えっ……」
ルナは目を見開いたが、考える暇はなく走る。
遠くでスズが叫ぶ声が聞こえた。気にしている余裕もなく、走るしかない。
「こんなの……避けられない……。ねぇ、なんでルナを攻撃してくるの!」
ルナはトケイに話しかけるが、トケイは何も答えなかった。
「……っ!」
ルナの真横を拳が通りすぎる。
ルナはじぐざぐに走ることにした。真っ直ぐ走っていたらいずれ、当たってしまう。
真っ白な空間をひたすら走るしかない。
「トケイ! なんで? ルナが何したって言うの?」
ルナは時空をおかしくしてしまったことに気づいておらず、トケイが無感情に自分を襲う理由がわからなかった。
「なんとかしないと……」
迷っていたら急に誰かに手を掴まれた。そのまま上に引っ張られる。
「え?」
ルナは驚いた声をあげ、トケイの攻撃をかわしてくれた誰かを見た。緑の髪をひとまとめにしたメガネの青年だった。傘を手に持ち、ウエスタンハットのような帽子に橙の着物と不思議な格好をしていた。
「だ、だれ?」
「拙者は天光御柱屋 (てんこうみはしらや)幻ノ進(げんのしん)。時空神でござる! 時空をおかしくしてはいかぬぞぉ!」
なんだかやや抜けた話し方でルナに声をかけた青年はルナを抱えると傘を使ってトケイの蹴りを受け止めた。
「傘は拙者の霊的武器! そうそう壊されん! 幼い時神よ、弐の世界の時空をおかしくしてしまったことに気づいておる? 拙者が出てきたのもこれが原因でござる」
「えっと……アヤとか子供にしちゃったりしたよ」
「そっちもであるが、先程でござる。アマノミナカヌシと少女の戦いを止めようとしたでござろう」
緑の髪の青年、ゲンさんにそう言われ、ルナは先程神力を出してしまったことを思い出す。
「あ、あれで時空が歪んだの?」
「そう。それで、歴史神ではどうにもできないということで拙者が出てきたわけでござーる!」
ゲンさんはトケイの攻撃をうまく避けながら得意気に笑った。
「えーと、何さんだっけ?」
「天光御柱屋 (てんこうみはしらや)幻ノ進! ゲンさんでござる!」
「ゲンさん、ルナを助けてくれるの?」
ルナはトケイの攻撃に怯えつつ、ゲンさんを仰ぐ。
「なんとかはするでござる! このままでは弐が壊れるのでな」
「トケイはなんでルナを襲うの?」
ルナは右へ左へ振られながらゲンさんに尋ねた。
「弐を壊す悪者だと思われてるのでござる」
ゲンさんはトケイの攻撃をうまく避けつつ、ルナにわかりやすく言った。
「トケイは元に戻る?」
「戻さんとお嬢さんが消されてしまうぞ?」
ゲンさんは傘を開き、パラシュートのようにユラユラと飛びながらトケイの攻撃を避けた。
「どうするの?」
「まず、この真っ白空間を排除する!」
ゲンさんはメガネを光らせ、電子数字をたくさん流し始めた。
何をしているかわからないが、空間の計算をしているようだ。
「空間把握、魂を二つ感知。魂をうまく外に出しつつ、空間を排除します」
ゲンさんはそう言うと、トケイの攻撃を避けつつ、五芒星を描いた。
感知した二つの魂とはこの空間に入り込んだスズと壱の世界のルナだろうか。
ゲンさんはトケイを避けつつ、白い空間を少しずつ消していった。
その過程でルナは意味深な映像を見てしまった。
アヤが世界を壊している映像だ。
時計の針のような槍を持ち、栄次を襲っているアヤ。
プラズマがなにかを叫んでいる。
「アヤ! 過去を消すな!」
アヤは泣きながら栄次を槍で刺そうとし、栄次は困惑した顔をアヤに向け、必死にプラズマをかばった。
「未来は消されてはいかぬ! プラズマ……逃げろ!」
栄次がプラズマを庇うが、プラズマは栄次を守った。
世界が歪んでいる。
どこかの崖で栄次が今にも落ちそうなプラズマの手を握っていた。
プラズマの胸には時計の針のような槍が突き刺さっている。
「栄次……手を離せ。もうダメだ。あんたは生きるんだ」
「プラズマ!」
「や、やっぱり最初に俺を狙ってきたか。栄次、アヤを守れ……アヤを殺すな」
プラズマは血を流しながら弱々しく栄次に言った。
栄次はすぐにルナの方を向いた。ルナは肩を震わせる。
後ろからアヤが槍を持ちながら歩いてきていた。不気味に笑っている。
崖は逃げ場がない。
プラズマは何があったか崖に落ち、栄次に手を握られているのだ。
「ルナ! 巻き戻せ! 未来神が死ねば世界は終わる……」
栄次がルナに突然そう言い、ルナはよくわからないまま涙を流し立ち尽くしていた。
プラズマが叫んでいる。
「早く手を離せ! お前が死ぬぞ!」
それに対し栄次は最後にこう言った。
「プラズマ、『次』は俺が盾になる」
そしてアヤの口が小さく動く。
「『こばると』君は悪くなかった。時神のシステムなんて消えればいい」
白いモヤがかかり、ゲンさんが空間を消していた。
「……な、なに?」
「あー、見てしまったか」
「え?」
ルナはゲンさんの言葉に首を傾げた。
「今のは『過去』であり、『存在してない未来』の記憶でもある。同じようなことが起こっているが、時空を戻したことであの三人の『過去』が、お嬢さんが介入した『ありえない過去』になった。お嬢さんが例えば過去戻りをしていたら、栄次殿と紅雷王殿はお嬢さんを使い、巻き戻しを選択していたという『もし』の記憶。つまり、今後、お嬢さんが『過去戻り』をしたら、今見た記憶のような過去に変わるということでござるな」
「ルナが過去戻りをしたらの記憶? 今、同じようなことが起こったって言ってたけど、昔にアヤがあんなことした記憶があるの? 似たような過去があったんでしょ?」
ルナは眉を寄せ、ゲンさんに尋ねた。時間を動かすと基本、厄介らしい。
「あったといえばあった、なかったといえばなかった……でござるかな。お嬢さんが見たのは最悪の『過去』。アマノミナカヌシ、マナが『考えた』バッドエンドでござる。世界滅亡ルートってとこでござるかな?」
「マナ……」
ルナは幼いリカが言っていた事を思い出す。
幼いリカはマナだった。
彼女はシナリオを考えたらその通りになったと言っていた。
「未来も過去も、存在しなかったものは山ほどある。ただ、どっか別の時空でこの記憶は存在し、時神はすでに滅んだのかもしれない。そういう世界線はあったが、今、時神が存在している世界線に統合され、あったかもしれない『過去』がなかったことにされた可能性もある。時空神の拙者にはすべての『過去』、『未来』、『現代』が見えるが、実際にその世界線があったかはわからぬ」
「……それはお話や予想も含まれるってこと?」
ルナはそう尋ねた。
ゲンさんは驚いていた。
幼いルナが理解できていることに驚いたのだ。アマノミナカヌシ、マナは伍(異世界)の世界で小説を書いている。あちらの世界には神がいないが、信じられ始めているという。
その理由がリカが好んで読んでいたという『TOKIの世界書』というマナが書いた小説だ。
この小説に影響され、再び『存在しないもの』が注目されている。
ルナはこちら(弐の世界)の住人であるため、伍に存在する小説は知らない。
この『TOKIの世界書』には時神アヤが狂う過去も記載されている。ある時神、『立花こばると』の暴走によりアヤは深く傷つくことになるのだ。
こちらの世界にはこの『過去』は存在していない。
「どこかの次元にはあるかもしれないという空想の『過去』や『未来』も拙者は見えるのでござる。お嬢さんはこちらよりの神なのかもしれん。まあ、立花こばるととの過去は存在していたといえば存在していたが……時神は覚えておらんかな」
ゲンさんはそんなことを言いながら、トケイに向かって五芒星を描いた。
「……空間は消え、弐への脅威は消えました。『破壊システム』は『時神アヤの心』を沈め、元に戻りましょう」
ルナが不安げな顔をしている横でゲンさんはトケイに優しく話しかけた。白い空間は消え、元の宇宙空間に戻っていた。
「拙者は滅多に対応しませんが……時神に様々な状態が出ているとのことで対応いたしました。アマノミナカヌシと少女に関して、解決は拙者ではありません故、傍観させていただきます」
ゲンさんはさらに、トケイではない誰かにそう声をかけた。
「誰に話してるの?」
ルナが尋ね、ゲンさんは悩んでから答えた。
「世界でござるかな」
「世界……」
「では、拙者は失礼するでござる。アマノミナカヌシと少女はそちらで止めてくだされ」
ゲンさんはルナの手を離すと、蜃気楼のように実体なく揺れて消えていった。
「あれ、僕は……?」
トケイが急に元に戻り、呆然と立ち尽くすルナに首を傾げていた。
四話
しばらく宇宙空間で立ち尽くしていたルナに声がかかった。
「えーと、僕は……」
もとに戻ったトケイは状況がわからずルナに困惑した顔を向けていた。ルナも何が起きたのかよくわからない。
「トケイ、元に戻って良かったよ……」
安堵したルナはとりあえずそう言った。
「ルナ!」
二人で立ち尽くしていた時、スズが現れ、慌ててルナを呼んでいた。
「スズ! ルーちゃんは?」
「白い空間がなくなって、元の弐に戻ったからか下に落ちちゃったの! 彼女、霊魂じゃないでしょ!」
スズは早口で言った後、トケイを見て驚いた。
「危ない! ……ん? トケイ、元に戻ってる?」
「あ、うん。それより、ルーちゃんを助けにいくよ!」
トケイは思考が追い付いていないスズとルナを連れてルーちゃんが落ちていった場所へと飛んで行った。ルーちゃんは悲鳴をあげながら宇宙空間をまっ逆さまに落ちていた。下はネガフィルムが絡まる個人の世界だ。
「よっと、危ない」
トケイはウィングを使い、飛びながらルーちゃんを受け止めた。
「えっと……」
ルーちゃんは先程のトケイを見ているため、今のトケイに戸惑っていた。
「とりあえず、助けたよ!」
「あんた、元に戻ったの?」
スズに言われ、トケイは首を傾げる。
「……ん? あれ? 皆は?」
トケイは破壊システムになり、飛び去ってここに来たことを覚えていないようだ。
「……記憶、ないの?」
スズが眉を寄せながら尋ねると、トケイは戸惑った表情を向けた。
「記憶?」
トケイが困惑しているところに黒髪の少女、マナが現れる。
「……時空神まで出てきた。ことごとく厄介な子」
マナはルナを見てそう言うと、横に出現したもう一人の少女、憐夜(れんや)の黒い雷を避けた。
「あんたを倒せれば……」
「まだそんなことを言ってるの? 世界平和の『K』が。……いや、もう『K』じゃないか」
マナは憐夜を見て軽く笑った。
『K』の末路。
平和システム『K』は他人を攻撃してはいけない。システムに矛盾ができた時に待つのは『消滅』だ。以前、更夜がサヨを厳しく叱ったのはこの現象のためだった。
『K』は恨んではいけない、憎んではいけない、正の感情を生む『K』が出した負の感情は世界のバランスを崩してしまう。
「消えるのも時間の問題だね」
マナは黒い雷を避けながら、正常な判断を見失った憐夜にそう言った。
「憐夜! もうやめようよ!」
さらに宇宙空間から突然現れたのは芸術神、ライ。
時空が戻り、消えた三人はこの場に現れたようだ。
「憐夜は『K』なんだよ!」
ライが呼びかけるも憐夜は憎しみに支配された瞳でマナを襲う。
「憐夜! 私は憐夜の優しい心から産まれた神! 憐夜はもう、祭られている神でもあるんだよ! 厄神じゃないんだから、もうやめてよ!」
「アマノミナカヌシは殺す! それが世界平和でしょ。なんにもなければ平和なんだよ!」
憐夜はさらに破壊神の神力を放出しマナを攻撃し始めた。
「お前なんて、世界のシステムなんて、なくなってしまえ!」
憐夜は眼を見開き、恨みを全面にマナへと向ける。
それを見たルナは記憶でアヤが言っていたことを思い出した。
……時神のシステムなんてなくなってしまえ。
そう言いながら栄次やプラズマを消そうとしていた。
アヤも憐夜と同じ感情から破壊衝動へ発展してしまったのか。
ルナはこれから先へと進むルーちゃんの未来を守りたいと思った。友達のスズの幸せはこれからだと感じた。更夜の、おじいちゃんの時計もハルに会い、今やっと動き出した。
「止めなきゃダメだ。でも、神力を使っちゃいけない。ルナはまた、世界を壊してしまう」
迷ったルナはトケイやスズ、ルーちゃんを見た。
「あの子、止めないとって考えてるよね? 手伝おうか」
スズが言い、トケイも頷く。
「このままだと憐夜ちゃんって子、やばいよ。止めよう」
「……ルナに、何ができるかな? ただの小学生でもできるかな?」
ルーちゃんは憐夜を怯えた目で見つつ、言った。
「うん。あの子、十歳なんだ。子供なんだよ。ルナ達と同じなんだ。こちらの世界で心が成長しなかったんだね。トケイ、ルナ達を乗せて黒い雷を避けて! 憐夜に近づこう」
ルナがそう言い、トケイはルナ達を連れて宇宙空間に舞い上がる。
「ねぇ! どうするの!」
ライが不安げにトケイにしがみついた。トケイには今、三人の子供とライが引っ付いている。
「わかんない! とりあえず、近づいてから考えようよ!」
不安そうなライにルナがそう答えた。
「憐夜、世界を恨む感情が強すぎて、話を聞いてくれないかも……」
「……ルナは憐夜を止めなきゃいけないんだ! だって、皆、これから前に進むんだから! 世界を壊されたらダメなんだよ! トケイ、雷を避けてね!」
トケイに向かって飛んできた雷をルナが無意識に『未来見』で予想し、叫んだ。
トケイは目の前に迫る黒い雷を余裕をもって避けた。
「あたしはマナって女の攻撃を防ぐよ!」
スズはマナが飛ばした神力のかまいたちをクナイで切り裂き、当たらないように動いた。
マナはこちらを攻撃するわけではなく、憐夜を攻撃している。
たまに間合いに入ったトケイにマナの攻撃が飛ぶ。それをスズが切る。
ルーちゃんは小さい悲鳴をあげながらもトケイにしがみついていた。
「……もしかしたら、さっきルナが見た記憶を憐夜に見せたら考え直してくれるかもしれない」
ルナは先程覗いた『第三者から見た憐夜の過去』を憐夜に見せる方法を考え始める。
「……ルナの『過去見』をうまく映像にできるなにかを……」
ルナは考えながら辺りをとりあえず見回し、視線がライへと向かった。
「あ……」
「な、なに?」
ライは飛んでくる雷に悲鳴をあげながらルナに怯えた目を向けた。
「ライ、ルナの『過去見』をなんとか映像にできないかな? 映画にしよう!」
「ええっ!? やったことないんだけど! ルナちゃんの頭の中にある映像を私が映像にして見せるってこと? できないってば! ……ん? 待てよ、できる」
ライは悩んでから自分が『芸術の神』で、夢の中にいる人の脳内の奥底にある『考え』を外に出し、現実世界で『閃き』としてその人間に気づかせるのが仕事の神であることに気づき、目を輝かせた。
「ルナは……今、できそうなんだ、過去見が……」
ルナの瞳が澄んだ青色に変わる。先程見た過去に自分の気持ちを乗せた。
次にライが静かに目を開き、無意識に筆を動かしていく。
ルナの映像がライによって具現化し、映画のように映り出した。
「憐夜! 憐夜は自分以外がどうやって生き抜いたか知らないよね!」
ルナは叫び、映像を見せる。
「見てよ! 皆、憐夜のために頑張ったんだ!」
憐夜を逃がそうと掟を破った更夜、絵描きを応援しようと賛同した千夜、憐夜を殺したくないと泣き叫ぶ逢夜……。
第三者目線の憐夜の記憶が流れ去る。
産まれたばかりの憐夜に笑顔を向ける三きょうだい。
優しく世話をし、産まれたことを祝福した母と兄、姉。
「産まれてこなければ良かった」と言った憐夜に悲しい顔をしたきょうだい達。
皆、妹が産まれて幸せを感じていたのは事実だ。
守りたかった。
憐夜の「運命」があって、ライが産まれた。きょうだい達はルナに優しくした。自身の子を大切に思えた。
ルナが伝えたかったのは、憐夜の「運命」が皆を変えたこと、自分が幸せになれたこと、そして憐夜は愛され祝福されて産まれたこと。
……そして、きょうだい達が今も憐夜の後悔を引きずって悲しんでいること……。
憐夜はふと手を止めた。
黙って映像を見続ける。
憐夜の瞳から涙がこぼれ始めた。
「そんなのっ! 知らないよっ! 知らない!」
「……知らないなら見て! ルナは世界を壊すのは間違いだと思うんだ! これ見てそう思わない?」
「思わないっ!」
憐夜は泣きながら頭をかきむしる。黒い雷が多数辺りに落ち続けた。
「憐夜のおかげなんだよ! ルナが幸せに感じたのも! ライが産まれたのも! 周りの人達にこういうことがあったと知ってもらえたのも! 幸せになるために皆、憐夜のことがあってから気をつけたんだ! 憐夜のお母さんはずっと憐夜を探してる! こちらの世界で探してる! 世界を壊そうとする前に少しだけ……少しだけ考えて!」
ルナの叫びに憐夜は止まった。
涙を流しながら震えていた。
「だって……だって……」
憐夜は拳を握りしめ、上空をトケイと共に飛んでいるルナを仰いだ。
「私の気持ちはどうなるの! 私の幸せはどうなるの! あんたなんか……私がされた仕打ちをされたこともないのにっ!」
「うん。そうだ。憐夜のことはわかんない。でもさ、ずっと不幸だって言っていたら先に進めないよ。憐夜は先に進めるじゃん。これから幸せになれるかもしれないじゃん。それなのにさ、先の『運命』を全部捨てちゃっていいの? まだ途中なんじゃないの? やらなきゃならないこと、やり残したこと、いっぱいあるんじゃないの!?」
「……っ」
憐夜は言葉を詰まらせ、ルナの叫びを聞いていた。
「絵描きさんになりたかったんじゃないの!? まだこちらの世界で絵描きになってないじゃんか! 絵を描いて、皆を元気にしたいんじゃなかったの? 自分が勇気をもらえたように! 憐夜は『世界を壊している』暇はないんだ! わかるよね! ここにいる皆はそれぞれ何かを抱えながら生きてる。これから幸せになる未来を持つ人もいる! あんたが世界を壊したらその運命を持つ人はどうなる? 平等にはならないよ! 皆、それぞれ自分の道があるんだから! 最初も最後も皆が違うんだ!」
「……」
憐夜は上げていた手をゆっくり下ろした。
目には涙が光っていた。
「『世界』を恨んだ先に何もないこと、わかってた」
憐夜はうつむきながら小さく呟いた。
「『世界』は個人の集合体で、固定された存在がないこと、わかってしまった。でも、私のどうしようもない気持ちを受け止める場所がほしかったから『世界』を恨んだ」
憐夜は自分と攻撃を合わせていたマナに目を向けた。
「あんた、私に合わせて攻撃してたでしょ。私を殺そうと思えば殺せたはず」
「ええ、そうだねぇ。ここで君を消したら、その後の展開がやや面倒になるのよ。君の親族はあの不安定な『時神』とそこのわけがわからない能力を持った『時神』、そして『K』で安定している『時神』と、厄除けの神、人間の守護霊だ。さらに言うと、太陽神に現代神に芸術神と細やかな分岐まである。君を消したら、この全てが狂う。自分のシナリオ通りじゃなかったからね。ここで全員が狂うのはまずいと判断をしたの」
マナはメガネをかけなおすと続けた。
「君が一人で狂って誰にも知られずに消えるなら別に良かった。今は皆が君のことを知っている。君はたくさんの関わりを生んでしまった。重要神との重なりがある以上、簡単には消せなくなった。理由はそれだけ」
マナは笑みを浮かべながら宇宙空間を歩きだした。
「ただ、『K』ではなくなった。いずれ君は消滅するだろう。今、破壊衝動すらなくなっているから、破壊神としても生きられない。中途半端な魂だ。せいぜい余生を楽しむことね」
マナは手を振るとホログラムのように消えていった。
「……相手にする価値すらなかったってことか……」
憐夜はうなだれ、拳を握りしめた。
「もう、どうでも良くなった。誰も悪くなかったと言うなら、私の気持ちはどうなるの? ……はは、なんて『運命』なの?」
憐夜は自嘲気味に笑った。
「ルナはね、憐夜はおじいちゃん達に会った方がいいと思うんだ。もう一度、話した方がいいと思う」
「……」
憐夜は黙り込んだ。
「皆、スッキリしてないんだよ、ね? 憐夜」
「会いたくない」
憐夜は冷たく言い放つ。
「なんでよ」
「わざわざ話すことなんて、ない」
「憐夜……」
ルナが先を続けようとした刹那、更夜達がこちらに来ているのが見えた。
子供は知っている
「ルナ! ここにいたか! スズもここに……」
更夜、栄優、サヨがようやくルナ達を見つけた。
「あ、あれ? 彼は元に戻ってる?」
サヨがトケイを指差し、首を傾げる。
「トケイ、ルナを襲ってきたんだけど元に戻ったよ」
ルナがサヨに答えた。
「ルナ! お前、大丈夫だったのか?」
更夜が震える声で尋ね、ルナは軽く微笑んだ。
「ルナ、色々頑張ったよ、おじいちゃん……」
更夜はサヨの力でルナの元へ寄り、ルナを抱きしめた。
「無事で良かった……」
「……色々、考えたんだ、ルナ」
ルナは小さく更夜に言う。
「ルナ……」
「ルナは……色々、考えた」
「そうか……答えが見つかったなら、いい」
更夜は深くは聞かなかった。
ルナは答えが出ていても上手く説明ができない。
「おじいちゃん、ルナは難しいこと、よくわかんないけど、憐夜と話した方がいいと思うんだ。おじちゃんとばあばも呼んでさ」
ルナがいうおじちゃんは逢夜、ばあばは千夜だろう。
更夜はルナを抱きしめながら目の前に立つ憐夜を見た。
憐夜はルナを優しく抱きしめていた更夜に困惑した顔をしていた。
彼はこんな優しい顔をする男ではないし、勝手に出ていったらしいルナを許すはずはない。
容赦ない体罰を平気でする男なのだ。
「……違う」
憐夜は頭を抱え、後退りをする。先程の記憶を思い出したが、信じたくなかった。
彼らが本当はちゃんとした「人」であったこと。
「ひとでなし」ではなかったこと。
「なんで……」
憐夜は顔をひきつらせ、笑う。
「なんで……」
言葉が喉につまった。
顔を手で覆った。
「なんで……」
自分の時は優しくしてもらえなかったのか。
憐夜は拳を握りしめ、下を向いた。
……だから、会いたくなかった。
みじめになるから。
「だから嫌だったんだ」
重なる。
ルナと重ねてしまう。
「なんで、その優しさを、私に向けてくれなかったの……」
ほら、みじめになる。
悲しくなる。
……帰ろ。
自分の……世界に。
「どうせ私は長く生きられない。もう『K』でもない中途半端ななにかだ」
「ま、待て……憐夜……」
憐夜が消えようとした寸前で更夜が声を出した。
刹那、憐夜の前に千夜、逢夜、そして母が現れた。
世界が歪み、憐夜はなぜか自分が住んでいた望月の屋敷の前にいた。兄、姉、母以外の者はなぜか消えてしまった。
「……なんでまた、ここに……。思い出したくないのに」
憐夜が絞り出すようにつぶやいた時、母が憐夜を抱きしめてきた。
「やっと……見つけた」
「……お母様」
「ずっと、探していたの」
「なんで、私を?」
憐夜は優しく抱きしめられ、声を詰まらせる。
「大事な子供だから……あの時はごめんね……。私はあなたを産んだ時、凍夜の言いなりにされてた」
「望月……凍夜……」
憐夜は怒りの感情を持ったが、母に止められた。
「憐夜、凍夜の問題は終わった。あなたは考えなくていい。あの男もかわいそうだった。『運命』があの男を『感情がない怪物』にした。どこかの世界線で子供をかわいがるあの男がいるかもしれない。こちらでは狂った男だったけれどね」
「もう、あの男はいないの?」
「いないわ。私は現実世界であの男を殺してしまったけど、こちらの世界では同情の気持ちもあった。あの男は散々暴れた後、『愛』を知りたがっていた。あの男に『愛情』はわからない。知りたいのに、理解できなかったまま消えた」
母は憐夜にそんな風に凍夜を語った。
「あの人は……本当にわからなかったんだ」
憐夜は自分を心配している千夜、逢夜、更夜を見つめた。
「やっと、みんな、見つけられた。大好き……愛してるわ」
母はそう言って憐夜を抱きしめ、ゆっくりと消えていった。
「お母様……ありがとう……」
憐夜はなぜかお礼を言った。
なぜ、母に感謝をしたのか。
自分をこの世に産んだ本人なのに。
「お母様……ありがとう……」
もう一度、つぶやく。
母の魂は憐夜を見つけられたことですべての負の感情、心残りをなくし、安らかに消えていった。
……私は優しい四人の子を授かれて幸せだった……。
あなた達に会えて良かった。
母は最後にそう言った。
消えた母のぬくもりを抱き、憐夜の目に涙が溢れた。
「もっと……前から私を抱きしめてほしかった……。優しくしてほしかった……。お母様、私は愛されていたんだね」
憐夜の言葉に千夜、逢夜、更夜はそれぞれ下を向いた。
「私は……この世に産まれなければ良かったなんて、言ってはいけなかったんだ。私は母親の希望で産まれたわけじゃない。父に無理やり子を作らされた。でも……」
憐夜は言葉をつまらせた。
「私達の母は……お前を産む決心をしたんだよ。母は産まれる前のお前と一緒に死のうとしていたんだ」
千夜が母の当時を語る。
「憐夜……私も母になったのだ。身ごもった時、お前がよぎった。幸せにしてやらねば、夢を叶えてあげなければと思って、希望を込めて明るい夜、明夜と名付けた。お前を守れなくて、本当に申し訳なかった」
千夜は憐夜に近づかずに少し離れて頭を下げた。
「お前が会ったルナは、私の子孫だ。更夜が育てている。お前も更夜を見ただろう。更夜の本質は優しいんだ。お前を最初に逃がそうとしていたのも更夜だった」
「……そんなの、知らない」
憐夜は冷たく姉を見た。
更夜は珍しく悲しそうに下を向いていた。
「子供ができて変わったから何よ。私にしたことは消えないんだから」
「それはそうだな……。更夜も逢夜も、私も……許される立場にない。お前が嫌ならばもう、関わらないつもりだ。望みがあるなら……言ってほしい。ただの償いにしかならぬが……」
千夜は憐夜とは違い、かなり落ち着いていた。その正しく思えるような発言がなんだか気に入らなかった。
「いらない。さっさと消えて」
「憐夜……あの時、逃がしてやれず……すまない。俺はお前と一緒に逃げるべきだったのかもしれないと後々思うようになった。だから……下女として来たハルを連れて逃げたんだ。だが、結局、逃げられなかった。お前と逃げてもきっと死んでただろうか。言い訳になるが」
更夜が目を伏せたまま憐夜に言った。
「だから知らないって言ってるでしょ! 私の時はダメだったって言われて、なら仕方ないで済む話じゃないのっ! あんた達なんて大嫌い! だから、話すことなんてないって言ったの!」
憐夜は怒りの感情をきょうだい達にぶつける。
「恐車(きょうしゃ)の術……俺達にはそれがかかっていた。父に逆らえない呪いだ。俺はお前を殺したくなかったよ、憐夜」
最後に口を開いたのは逢夜だった。憐夜を殺した本人だ。
「……思い出させないで。さっさといなくなれ!」
憐夜は叫んだ。
わかっていた。
彼らも『憐夜の運命』の被害者であること。
だが、憐夜は納得できない。
してはいけないと思った。
「……いなくなっていいのか? 本当に……。俺もお姉様も更夜も……憐夜が……お前が気がかりなんだ」
逢夜も落ち着いて憐夜を見ていた。子供みたいに叫んでいるのは自分だけだ。
なぜ、そんなにきょうだい達は成長したのか。
憐夜は下を向いた。
「自分は……勝手に自分の時を止めてたんだ。先を見ようともせず……あの時のまま……十歳のまま、何百年とそのまま……」
憐夜は上を向く。涙がこぼれないよう必死に耐えた。
「自分の気持ちに向き合わず、恨むだけの苦しい状態を永遠に続けるつもりか。いや、私はもう……先を進める気持ちが……」
憐夜はひとり笑った。
「もう、正しい道がわからない。彼らを恨むことしかたぶん、できない」
憐夜は三人に背を向けて歩きだした。
「消えよう。私はもう……この感情をきれいにできない。もう後悔はない。逆にすがすがしい気持ちだ」
「待て……憐夜……待ってくれ……」
逢夜が声をかけてきた。
憐夜は立ち止まる。
足先から憐夜は消えていた。
「……俺も姉も弟も守る方向性がおかしかった! みんな、お前が大好きだった! 俺はお前が産まれた時、誰よりも泣いて喜んだ。ずっと抱いていた……。守っていく命だと本当に思っていた。それだけは……それだけは事実として『持っていって』くれ。母が産む決断をしてくれたこと、お前が無事に産まれたこと、俺は本当に良かったと思ったんだ」
逢夜は情けなく泣き叫び、憐夜に頭を下げた。
「恨んでくれ。許されようとは思ってねぇ。なんで……お前を殺してしまったんだろう。なんで、お前と一緒に姉を助けにいかなかったんだろう。更夜を奮い立たせなかったんだろう。どうして凍夜に逆らわなかったんだろう……。当時の俺を俺は恨んでる。この気持ちを俺は消えるまで『持っていく』つもりだ。姉も弟も……おそらくそれぞれ気持ちを『持っていく』つもりだろう。消えるまで。だから、お前も『持っていけ』。憐夜、産まれてきてくれて……ありがとう」
逢夜は情けなく泣いていた。
更夜も千夜も威厳もなく、同様に泣いていた。
彼らがすごく小さく見えた。
許すつもりはない。
だが……絵描きになりたい夢をこの長い時間で叶えれば良かったと、きょうだいと和解すれば良かったと思う。
「許すつもりはない」
憐夜はつぶやいた。
「……でも」
憐夜は続ける。
「逢夜お兄様はこれから子供を考えてるんでしょ? 私、生まれ変わるから……皆で大事にしてね。私はお母様のとこに行く。もう人生に疲れたの。私は甘えん坊だから、沢山困らせると思うよ」
憐夜に『消えた後』のことはわからない。ただ、そう言っただけだ。
「気休め程度に。……一枚、絵を描こうかな」
憐夜の下半身はもうない。
紙とペンを手から出現させると、さらさらと何かを描き始めた。
「……皮肉を込めて……皆が幸せに……なりますように」
憐夜は丁寧に柔らかい線で絵を描くとそれを放り投げた。
「私は男の子に生まれ変わりたい……なんてね」
自嘲気味に笑った憐夜はきょうだい達を優しく見つめ、消えていった。
「憐夜……」
三人はそれぞれ、せつなげにつぶやくと落ちた絵を見た。
その絵はお父さんとお母さんと子供達が楽しく笑っている絵だった。
「……できたら……一緒に暮らしたかった。幸せな時間を四人で過ごしたかった。お父さん、お母さん、きょうだい達……皆幸せそうに笑っている……」
千夜がつぶやき、逢夜と更夜はただ泣いていた。
「幸せそうに……笑っている」
憐夜は気持ちを前向きにすることなく、後悔を消した。
……私はこれでいい。
きょうだい達に深い傷を負わせて消える。最高の復讐だ……。
そんな声が……聞こえた気がした。
二話
憐夜が消え、空間は戻った。
急に現れた千夜、逢夜は黙ったまま宇宙空間を眺めた。
「呼ばれたんだ」
千夜がつぶやき、逢夜は頷いた。
「憐夜と母に私も呼ばれました。お姉様」
逢夜は目を伏せ、考える。
「憐夜が無意識に呼んだのか。さっきの世界は憐夜の世界だった。本人は思い出したくないと言っていたが……彼女はあの世界しか知らないんだ。だから、彼女の心の世界はあそこだけだ。……つまり……」
「彼女は私達に救いを求めていたのかもしれないな。ぶつけることで気分が晴れると……」
千夜はうなだれている更夜を見る。
「更夜、お前のせいではない。私達は憐夜との和解ができなかった。私達は憐夜との後悔をなくすことはできず、まだこの世界をさ迷うだろう。彼女からすれば、復讐になる」
「……はい」
更夜は短く千夜に答え、立ち上がった。
「憐夜は消えたんだね」
芸術神ライがつぶやき、ルナは悲しそうに三きょうだいを見た。
「なんで……消滅を選択したの!? 憐夜はバカだよ……」
納得しないルナにライが答えた。
「そういう選択肢もあるってこと……。運命を恨んで、残ってる者に復讐することで気分を晴らして消える。私も、私の元が存在しないまま、神として生きないといけない。憐夜の運命に関わった者達に引っ掛かりという復讐をして消える……か」
「なんか寂しいね」
ルナは単純にそう思った。
「憐夜はきっと今も世界を恨み続けてると思う」
ライがせつなげに答え、ルナは口を閉ざした。
ルナにはわからなかった。
「えーと……」
サヨが状況わからず、とりあえず声を上げる。
「お姉ちゃん、憐夜、消えたよ」
「消えたって……あの子、Kだったんじゃね?」
サヨはルナに尋ね、ルナは頷いた。
「うん。弐を壊そうとしたんだ。平和を願うKが……」
「そっか……何も言えないわ」
「お?」
複雑な表情のサヨの横で栄優が声を上げた。
「なに?」
「歴史神が栄次とプラズマを元に戻すようだ。元に戻るところが見たい!」
「えー、空気読んでよ……」
「……帰ろう」
きょうだい達を眺めながらつぶやいたサヨに更夜が小さく言った。
スズを撫で、トケイを見、更夜はもう一度言う。
「帰ろう」
「でも……」
「憐夜は……俺達を許さなかった。それで、いい。墓を……作ってやりたいんだ」
更夜の言葉に千夜、逢夜も頷いた。
「……うん」
サヨは深く聞かなかった。
ただやはり、Kは平和的思考を持たなくなると消滅してしまうのだと再確認した。
Kが狂うことは世界のバランスを崩すこと。即座に別の何かにならなければ種族は意味をなさなくなる。
「よくあること、なんだろうな」
サヨはそうつぶやくと、皆を連れて進みだした。
「あの……お姉ちゃん」
か細い声を出したのは壱のルナだった。
「ルナやっと見つけたけども、あんたはもう、帰りな。全部、夢の処理になるけど、学んだこと、いかしなよ。ママもパパもあんたが目を覚まさないから今頃パニックかも」
「え、ええっ……」
壱のルナは戸惑い、涙目になる。
「あ、僕が現世に送ろうか?」
トケイが小さくサヨに声をかけた。
「あー、そうだね! そうしてくれる?」
「ルナも、ついていっていいかな?」
こちらの世界のルナが小さく手を上げた。
「あんたは、現世手前の天記神の図書館辺りで引き返しなよ。トケイ君と戻ってきて」
「わかった!」
トケイはふたりのルナを連れ、サヨと反対方向へと飛んでいった。
「ルナ、ルナに……さよなら言うんだよ、ちゃんとね……」
サヨはふたりのルナに向かい、せつなげに言葉を発した。
トケイはウィングを広げ飛んでいく。ルナ二人はトケイにしがみついたまま、宇宙空間を進んだ。
「ルーちゃん、ルーちゃんは向こうに帰った方がいいよ。ここはこういう世界だから」
「ルナ……本当はもう少し話していたいの」
壱のルナ、ルーちゃんはルナを見て寂しそうに言った。
「わかるよ。ルナも一緒にいたい。だってさ、双子だからさ」
ルナは悲しげに微笑んだ。
「うん……わかってる」
「色々……あったね。ルナも混乱してる」
「うん。……色々見たから、わかったこともあるわ。だから、現実へ戻る気になったの」
ルーちゃんは珍しく不安そうな顔をやめた。
「頑張ってね。ルナ、応援してるから。お姉ちゃんからルーちゃんがあっちで頑張ってるお話聞くからね」
ルナが笑顔でブイサインを送る。
「ねぇ、本当にもう会えないし、ルナはルナを忘れちゃうの?」
ルーちゃんがそう尋ねた時、トケイが声を出した。
「話してるところ、悪いんだけど……ここから先に行けば現世に帰れるよ。天記神(あめのしるしのかみ)の図書館前から、気づいたら現世で目覚める。天記神が魂の管理もしてるらしいし、肉体のある魂はちゃんと元に戻してくれる」
「ここから……ひとりで行くの?」
ルーちゃんは不安げにトケイに尋ねた。
「……うん。僕とルナはここまでしかいけない。弐から出たらどちらにしろ、僕らは君に見えない」
「わかった」
ルーちゃんはゆっくりトケイから離れた。
今まで浮いていたが突然重力がかかり、地に足がついた。
「ここからまっすぐ……」
足がついて歩けるが辺りはまだ宇宙空間だ。
「る、ルーちゃん!」
ルナはルーちゃんに叫んだ。
「……ルナ」
「一緒に遊べて楽しかった! ルーちゃんには明るい未来がある! だからまっすぐ……歩いて! ありがとう! さようなら!」
ルナは笑顔で叫んだ。
「ルナも! ありがとう! ルナのおかげでまた、頑張ろうと思ったの! ルナ……さようなら……」
ルーちゃんは涙を浮かべ、走り出した。とどまっていたらいけない気がした。
もう二度と会えない双子。
片方は死んでいて、片方は生きている。
「大丈夫。心はずっとルーちゃんのそばに……ルーちゃんが幸せになりますように」
ルナはルーちゃんの背中に言葉をかける。言霊。
神からの言霊だ。
神のルナから発せられた言葉は優しく人間のルナを包み覆った。
壱のルナは消えた。
現世に戻った。
もう、ルナを思い出さないし、今会ったことも夢の処理となり曖昧だ。
「う……うう……」
笑顔だったルナから涙が溢れた。不思議な喪失感。
もうルナが会いに行っても姿も声も届かない。
一緒に生まれたはずなのに、運命が変わってしまった双子。
ルナは泣いた。
「ルナちゃん、大丈夫だよ。僕はいるから。僕らは僕らの世界があるから。最後まで笑顔で、えらかったね」
トケイはそう言うと、優しくルナを抱きしめてあげた。
三話
サヨ達はルナを心配しつつ、サヨの世界へ帰った。
サヨの世界は朝焼けが美しい明け方になっていた。
「ルナ、大丈夫かな……」
スズはすごく心配した顔をした。
「スズ、ルナは大丈夫だよ。あたしが向こうのルナもこちらもちゃんと見ていく」
サヨが答え、スズはため息まじりに頷いた。
「サヨさん、わたし、役に立ったかな」
「役に立つか立たないかじゃないよ、ルナの友達でルナを想ってくれるだけでルナは救われてるんだよ。あの子は幸せよ」
「……ルナが帰ってきたらまた、一緒に遊べるかな」
スズはサヨに不安そうに尋ねる。
「あの子はけっこう単純だから、寂しくなってスズに突撃すると思う。これは予想だけど、ほぼ百パー」
サヨの言葉がおもしろかったのか、スズは微笑んだ。
「さあ、半分死んでるだろうリカを見に行こ!」
サヨは扉を音をたたせながら開けると古民家に入っていった。
「さ、サヨ……そんな楽しい雰囲気じゃないんだって……」
すぐに目にひどいクマを作ったリカが文字通り死にそうに顔を出した。
「リカ、プラズマと栄次、イイコだったでしょ? あ、アヤで?」
「アヤは定期的に泣くし、寝ないし……プラズマさんは絵本いっぱい持ってくるし、栄次さんは暗いところが不安みたいで泣くし」
リカは涙目になっている。
「あ~あ」
「栄次さんが怖がるから電気つけてたら、プラズマさんが『なんだ、夜まで明るくできるのか、ではこの絵巻を読むのだ』っていっぱい……アヤは泣くし……」
「ぷっくく……」
サヨはなんだかおもしろくなり笑ってしまった。
「笑い事じゃないんだって! マジで!」
「お疲れ!」
「軽い!」
サヨはリカの肩に手を置くと中に入り、更夜達に目を向ける。
「おじいちゃん達は、憐夜さんのお墓、作ったら? こっちはなんとかするから」
サヨに言われ、更夜は目を伏せた。
「ありがとう、サヨ」
更夜は少し遠くで待機している千夜と逢夜の方を向いた。
「……先に憐夜の墓を作りましょう。お姉様、お兄様」
「いいのか? 時神が大変なのでは……」
千夜が尋ね、更夜はサヨを見た。
「サヨが、なんとかすると。リカもいるし、何かあれば来るはずですから」
「……なんでも自分で抱え込まない、とても良いと思う」
「ああ、本当に」
千夜と逢夜はせつなげに朝日を仰いだ。
「……まぶしいな。私達はようやく、日の元を歩けるようだ」
「そうですね。更夜、行こう。この白い花畑のどこかに、墓を作ってもいいか?」
逢夜に聞かれ、更夜は頷いた。
「ええ。サヨもいいと」
「行こう」
きょうだい達は朝日に向かい歩き出した。憐夜に対する最後の優しさのために。
※※
場所は変わり、すこし前……。
「よく顔を出せたな、冷林」
金色の天守閣の最上階、ワイズの居城に現れた冷林。
ワイズは半笑いで冷林を見ていたが顔からはそこそこの怒りを感じた。
冷林はワイズに呼び出されたので、当然怯えている。たよりのプラズマに連絡がつかないのだ。
「何があったか、わかるかYO?」
ワイズの問いに冷林は首を振った。
「はあー、部下の把握ができてねぇなァ……てめえ……本気で言ってんのか? ああ?」
冷林は怯え、渦巻きの下の方から涙を溢れさせる。
冷林は人型クッキーのような見た目に顔に渦巻きが描いてある人形のようだが、中身は幼い男の子である。
安徳帝。
かつてはそう呼ばれていた、天皇家だ。
「望月ルナ。アイツは世界の均衡を崩し、不安定な破壊神……。お前にはあれを扱うのは無理だYO。私が管理しようと決めた」
ワイズに言われ、冷林は首を横に振った。
「第一、お前は望月ルナが起こしたことを何もわかっていない。現在、時神は問題だらけだ。今回は時空神まで動いたと我が軍、天記神(あめのしるしのかみ)が証言したZE。おまけにおかしくなった時神を元に戻しているのは天記神率いる歴史神。当然西の剣王も知っている。あそこにいる流史記姫神(りゅうしきひめのかみ)は剣王軍だ」
冷林は下を向いた。
「この件は高天原南、天界通信本部にてすべての神へ通達されるだろうYO。高天原南の天界通信本部には神の歴史を書き記す歴史神、稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶(おおのやすまろ)がいる」
冷林はワイズに這いつくばった。
「私にあやまってどうする? そういえば、お前の所には一柱いたな。『白金栄次とそっくりな歴史神』が」
ワイズは軽く笑った。
「ま、そんなことはどうでもいいが、お前は高天原会議で裁かれる。公平にいこうじゃあないか、クソガキ」
ワイズは冷林の頭を力ずくで掴んだ。冷林が泣きながら暴れている。
「ついでに、リカの件も話そうか、冷林。お前、リカを北に入れたな?」
冷林は頭を掴まれ、泣きながら頷いた。
「なぜ、管理もできねぇくせに勝手なことをすんだよ、てめえ。リカは高天原会議にて無所属にすることを決めただろうが! アイツの力は強大なんだ。お前はアマテラスの何を知ってる? すべて忘れてしまったくせに」
ワイズは冷林を床に叩きつけ、足で踏みつけた。
「お前はどうせ、罪神なんだ。高天原会議のルールまで破っている。今回の件は覚悟しておけ」
ワイズが踏みつける足の力を強めた刹那、突然に肩先が刃物で斬られたかのように斬れた。
「アァ、そうだったな。コイツもアマテラスの『子孫』か。『制約』とは厄介なものよ。紅雷王の時と言い、いなくなっても機能すんのか。誰もオマエらの顔なんて覚えてねぇのになっ!」
ワイズは冷林の顔を蹴り飛ばした。冷林は涙を流しながらひれ伏している。
ワイズの顔から切り傷が突然に現れ、血が吹き出した。
「もう、オマエの賢者じゃねぇんだよ、アマテラス……。お前の子孫は、誰一人お前を覚えてねぇじゃねぇか……」
ワイズは冷林を再び蹴ると、神の使い、鶴を呼んだ。
「さっさと集めろ。今から高天原会議を開く。今回は面倒な話だZE……」
四話
壱のルナは自室のベッドで目覚めた。
「ん……んん?」
ルナはなぜ朝まで寝ていたのか、よくわからなかった。
とりあえず、部屋から出てリビングへ向かう。
今日も学校だ。
外は雨が降っていた。憂鬱だ。
梅雨が早めに来たのか、ルナの気分で雨が降ったのか……。
二階の部屋から階段を降りてリビングについた。ママが朝ごはんを作っていたがルナを見た瞬間に飛んできた。
「ルナ! 大丈夫? 昨日からずっと目を覚まさなくて……熱があるわけでもないし、疲れていたの? それとも……」
ママが続きを話そうとしたので、ルナは止めた。
「ママ、大丈夫。ルナは元気に学校行くよ。今日は……戦える気がする」
ルナは卵焼きとご飯と味噌汁をたいらげ、歯磨きをし、顔を洗い、帽子をかぶり、ランドセルを背負った。
……ルナだって負けてられない。
ルナは夢でいじめっこを倒したんだ。
どうやら向こうのルナがやったことが夢として自分がやったことになっているらしい。
……暴力はダメ。
でも、仲間はいるかも。
誰かに言われた言葉。
皆が皆、同じ考えではない。
だから、きっと……。
ルナは傘をさし、色々考えながら通学路を歩く。いつもの駄菓子屋を通りすぎた。シャッターを上げていた駄菓子屋のおばあちゃんが心配そうにルナを見ている。
「おはようございます」
ルナはおばあちゃんに挨拶をして微笑んだ。
「おはよう、車に気をつけてね。雨だからすべらないようにね?」
おばあちゃんは一言心配そうに言うと軽く手を振っていた。
ついに学校の前に来た。
緊張で手が震えながら校門をくぐる。ママに学校に入ったことを伝えるアプリをタップする。
……えーとそれから……
ルナは早くなる心臓の音を聞きながら唾を飲み込んだ。
はぶかれているクラスに足を踏み入れることがどれだけ怖いかはいじめられた人しかわからない。
クラスに入る。
皆がこちらを向いているように感じた。そして皆が自分の悪口を言っているようにも思える。
来たばかりで惨めな気持ちになった。
机には悪口が、嫌がらせの絵が書かれている。手紙が置いてあった。開くと「がっこうくるな、ちび ぶす ぎざば」と書いてあった。
ルナは震えた。
いつもと変わらない景色。
悲しくなり唇を噛む。
「くるくるザメ」とルナはいつもギザギザの歯とカールした髪をバカにされる。
「くるくるザメ……」
ルナはひとりつぶやき、席についた。
「くるくるザメ……」
もう一度つぶやいて、うつむき、拳を握りしめ、涙を堪える。
「ちび、ぶす……ぎざば」
その言葉がルナをどれだけ傷つけるだろうか。
「ちびだよ、ぶすだよ、ぎざばだよ……くるくるザメだよ……」
ルナは鼻水をたらしながら泣いた。
「うわ、きもっ!」
ルナが泣いているのを見たいつもの女の子が嫌そうにルナを見た。
「キモい……かな」
ルナは小さくつぶやく。
「え、泣いている、鼻水きたなっ! よらないでくれる? キモいから」
別の女の子もルナにそう声をかけた。
「ルナ、そんなに気持ち悪い?」
ルナは小さくつぶやく。
先程下駄箱付近にあった傘立てに入れた傘が泥だらけでルナの机に置かれた。
「これ、おちてたー」
「うわっ、ドロドロじゃん、きたなっ!」
見知った男の子達が騒ぐ。
ルナは泥だらけになったお気に入りの傘をただ眺めた。
……仲間がいるなんて、幻想だった。皆が皆、違う考えなんて幻想だった。
パパに買ってもらったお気に入りの傘だった。
望月とウサギがかわいい傘だった。
ルナの大好きな色、ピンクだった。
初めて自分の持ち物に自分で名前を書いた。
学校に行ける、お姉さんになれる……そういう想いがつまっている傘だった。
ランドセルの中身が出されていた。ランドセルが蹴られていた。
パパに買ってもらったランドセル。
筆箱が放り投げられていた。
ママに買ってもらった筆箱。
「だっさい上履き袋~、イチゴ柄」
「あははは! ダサッ!」
お姉ちゃんが慣れないミシンで作ってくれたかわいい上履き袋だった。
かわいい、ありがとう、大事に使うね……そう言ったら照れくさそうに笑っていたお姉ちゃん。
「ルナは……かわいいと思うな……ダサい……かな」
ルナは精一杯の愛想笑いを浮かべながら泣いていた。
ルナは孤独を感じた。
また、これだ。
ママ、パパ、お姉ちゃんに……なんて言い訳をしたらいいんだろうか。
雨で……汚れちゃった。
ころんじゃった。
ダメだ。
また皆を心配させちゃう。
違う言い訳を……考えなくちゃ。
ルナの瞳から光がなくなった。
違う言い訳を……考えなくちゃ。
周りは騒いでいる。
もうルナの耳には入らなかった。
いつもの日常だ。
「もう、やめなよ」
ふと、知らない声がした。
その声はルナにはっきりと届いた。
「そうだよ、もう見てられないよ。いつもいつも、楽しい? それ」
「じぶんがやられたら、どんな気持ちか考えたことないの?」
「私、この上履き袋、かわいいと思うよ。手作りなんていいなあ。ホコリまみれになって、かわいそう」
「さっき、あんたが傘を校庭に投げ捨てて踏んでたよね? かわいい傘だったのに」
「筆箱、私と同じだね!」
ルナは今まで聞いていなかった。毎日の言い訳ばかり考えていた。どうせ全部悪口だと耳を塞いでいた。
「……え」
ルナは涙でいっぱいの顔を初めて上げた。
「大丈夫? ティッシュ使う?」
目の前に男の子が立っていた。
手にティッシュを持っている。
「あ、ありがとう……」
ルナは初めてお礼を言った。
「この傘、かわいいね、どこで買ったの? この辺にはないよね? 私もママに買ってもらおうかな」
女の子が泥だらけの傘を持って笑っていた。
「……そ、それは……ポップキッズっていうお店で……パパが……」
「これ、ポップキッズのなんだ! 私も土曜日行くんだ! 傘を買いに行くの! そろそろ雨が降るから。これ、あるかなー。その前に水道で洗おうよ」
「……あの……」
ルナは言葉が出なかった。
「望月さん、タブレット、落ちてたよ。はい。あ、俺、そうすけって言うんだ。いい加減、名前覚えといてよー」
「えっと……うん。ありがとう」
ルナはタブレットを優しく受け取った。
色んな子がルナに話しかけていた。
これはすべて「悪口」だと思っていた。ずっと耳を塞いでいた。
彼らはきっとルナにずっと話しかけてくれていたに違いない。
そういえば、いじめが始まった初期よりルナを傷つけてくる子が少なくなった気がする。
「やっと声が届いた……」
「……え?」
ティッシュを差し出した男の子の隣にいつの間にか別の女の子が立っていた。
「望月ルナちゃん、ずっと下向いてるから……話しかけてたんだけど……」
「あ……ご、ごめんね! 気づかなくて……ぜんぶ……悪口だと思っていたから……」
ルナは鼻をかんでから女の子を見た。そういえば、いつも話しかけてきていたような気がする。
「おともだちになろうと思って……私、かりんって言うの」
「かりん……ちゃん」
「僕も友達になろうと思ってて」
ティッシュをくれた男の子もルナにそう言った。
「えっと……」
「あきと。あきとって言うんだよ」
「あきとくん」
「あ、朝の会始まる! じゃ、後で」
「あ……」
ルナは呆然としていた。
ルナはひとりではなかったらしい。狭い世界でものを考えていた。いじめは気持ちをすり減らし、やがて自分に鍵をかけてしまう。
誰かが言っていた。
泣きながら言っていた。
「ルーちゃんには手を差しのべてくれるひとがいる」
その誰かは最後にこう言った。
「ルーちゃんには明るい未来がある! だからまっすぐ……歩いて」
誰だったか思い出せない。
でも、優しい子だった。
「ありがとう……」
ルナは夢の中の誰かにそう言った。
「ありがとう……」
ルナは窓から空を仰いだ。
いつの間にか雨がやんでいて、雲の切れ間から光がさしていた。
五話
天記神の図書館内。
天記神は捕まえたナオに問いただしていた。
「ナオさん、今回の件はまずいですね。わたくしもかばいきれません。西はあなたを裁くかもしれません。それで明るみに出るものは多い。ヒメちゃんは同じ西軍として困ってますわ」
「……私がやったことは間違いだったのでしょうか……」
ナオは天記神と対面に座り、小さくつぶやいた。
「もうどちらにしろ、いままで通りにはいかなくなる。立花こばるとさんの件は逃げ切れないでしょう」
「あれはアヤさんのが適応だと判断しただけです!」
「ですが、あなたは『偽の記憶』を時神に渡しましたよね?」
天記神は扇子を広げ、鋭い目付きでナオを見た。
「そ、それはっ……こちらと向こうに分かれる時に記憶を消せと三貴神に……」
「アマテラス様、ツクヨミ様、スサノオ様を悪く言うことは許しません。記憶を消した後に、あなたがしたことが問題なのです」
ナオは蒼白になり、天記神に頭を下げた。
「お許しくださいませ……」
「歴史神に相談なく、あなたの独断で現代神として機能できなくなっていたこばるとさんを『偽の記憶』で存在を消させた……その罪がもうかばいきれないと言っているのです。そして今回、こばるとさんを思い出してきているのはリカさんがこちらに来たせいであると気づいたあなたは、アマノミナカヌシを消滅させようとしましたね?」
天記神に睨まれ、ナオは下を向いた。
「わたくしは東軍ですが、歴史神の主として西軍のあなたを裁かなければならなくなるかもしれません。西軍タケミカヅチ、剣王への報告はヒメちゃんにやらせます。ムスビさんは今回、外します」
「む、ムスビは……」
「あなたの味方でしょうから」
天記神は青い顔のナオにはっきりと言った。
「……はい」
「それで、少し前にトラッシュボックスである黄泉が開いたことで世界統合前の記憶を思い出してきた時神達にロックをかけたいのですが、どうも収拾がつきません。南の天界通信本部所属の稗田阿礼さんと太安万侶さんに今回の歴史を記載させ、あなたの書店に保管させます」
「そ、それでは私がやったことが明るみになってしまいます!」
ナオは冷や汗をかきながら立ち上がった。
「おかけなさい。少し、やりすぎましたね。わたくしはすべてあなたをかばってきましたわ。こばるとさんの件はもう言い逃れができないのです。アヤさん、栄次さん、紅雷王さんを元に戻す過程で、こばるとさんを消滅させた部分を切り取ることは不可能。わたくしの上司、ワイズはとっくにこの件は知っておりますよ。ただ、
あなたが剣王軍なため、傍観しております。知ってか知らぬかわかりませんが、タケミカヅチの神力の元はスサノオ様です。あなたはスサノオ様に攻撃をしましたね? どうなるかわかりませんわよ。どちらにしろ、以前の記憶に戻すのは不可能です。あなたは時神を元に戻すための歴史の確認をし、時神の修復作業をするのです。その歴史をムスビさんに結んでもらい、修復は完了します。そしてその後、時神の歴史にロックをかけることは不可能です。以前は紅雷王さんはアマテラス様の力を封印されてましたが、リカさんの影響で思い出しました。ワイズが紅雷王さんのアマテラス様の力を封印しようとしましたが、アヤさんの巻き戻しにより封印はできなかったようです」
「……望月凍夜の事件の話ですね。わかりました……。もう逃げられないということも……。仕事は全うします……」
ナオは静かに席に座り、うなだれた。
「リカさんの影響を考えておけばよかったと考えていますか? あの時、リカさんが剣王に消されれば良かったと思いますか? リカさんのループ時に彼女の歴史を知らなかった自分を責めますか?」
「ええ。あの時、歴史書店に栄次さんとリカさん、剣王がやってきて、剣王がリカさんを殺そうとしていて……彼女は時神になるためループしていたこと、別の世界の神なため私の情報がなかったこと、剣王が現れた時、ムスビに『自分達を裁きにきたんじゃないようだ』の一言で安心しきっていたこと、すべてが甘かったんでしょう」
ナオは天記神に助けを求めるように切羽詰まった顔で答えた。
「……かばいきれないとはいえ、あなたは神々の歴史管理、修正が仕事で、わたくし同様に世界改変から『思い出してはいけない過去』を覚えていなくてはならない歴史神。あなたを守ります。ただ……」
天記神は鋭い瞳でナオを射貫き、続ける。
「わたくしに隠れておこなったことは許しません。わたくしは木々や本からあなたを見ることができます。あの後、望月憐夜さんが暴走し消滅、望月ルナさんは時のない空間を出し、弐の世界の破壊システムトケイが作動、時空神に対処を頼む事態になりました。罪は重いですわ」
「も……申し訳ありません……」
ナオが震えながら額をつけて謝罪をする。
「好き勝手やっておいて、見つかったらあやまるのね。あまり古参の神をなめるんじゃないわよ。霊史直之神(れいしなおのかみ)」
天記神がナオを睨み付け、強い神力にあてられたナオはその場で平伏をさせられた。
「も、申し訳ありません……。お許しを……」
「許しません。わたくしも背負うものがございます。では、速やかに時神を戻しなさい。人間時代の彼らの歴史は結び終わりました。あとは神々の歴史を元に戻し、ムスビさんに結んでもらうだけです。後はわたくしと時空神がおこないます。一年一年の年を結ぶ年神、クゥさんにも協力をしていただかなくては。もう一度、一年毎に歴史を確認して時神を形にします。いいですね? もうこばるとさんの記憶の封印はできません。彼らは覚えています。あなたは罪を認めるのですよ。あなたを守りはしますが」
「……はい」
天記神はナオの小さな返事を聞き、扇子を閉じた。
※※
サヨとリカと栄優、スズは寝ているプラズマと栄次の部屋に赤ちゃんのアヤを連れてきた。
「さあ、いつ彼らは戻るのか!」
栄優はひとりだけ楽しそうだ。
「……そんな簡単にいくのかなあ。弐の世界だから?」
サヨがアヤを抱っこしながら苦笑いを浮かべた。
「サヨ、私はルナが戻したらしいんだけど……」
リカはサヨに困惑した顔を向け、言葉を発した。
「ね、ルナがリカを戻せるんだよ? そんなに簡単なわけ?」
サヨは軽く栄優を睨む。
「あー、睨まれても困るがね……。リカちゃんとルナちゃんは発生の仕方が同じだったとかそういうのじゃねぇのかい?」
「発生の仕方……」
「いや、知らんよ、本当は」
栄優が答えた時、床に大きな五芒星が現れた。
「テンキさん、始まりましたかい?」
栄優は神力電話で天記神に尋ねた。
『ええ、ようやく。修復作業も問題なく終わりましたわ』
天記神の声が聞こえたすぐに、栄次とプラズマが元に戻った。
その次にアヤが白い光に包まれ元に戻った。
元に戻る、文字通りの反応で単純に大きくなったのではなく、一瞬で彼らの時間だけ『元に戻った』。
服が着れなくなり破れたりすることもなく、小さくなる前の彼らの時間だけが巻き戻った感じだろうか。
「一瞬で元に戻ったけど、大丈夫なのかな?」
リカが心配し、呼吸を確認する。寝ているようだ。
「寝てるね」
「時間、巻き戻した感じだよね」
サヨとリカは歴史神がどうやって三人を元に戻したかわからず、不気味に思っていたがとりあえず、元に戻ったことに安心をした。
最初にプラズマと栄次が目を覚ました。
「んあ?」
「む……」
それぞれの反応で起き上がった。
「俺はなんで寝てるんだ? 栄次も寝てたのか? アヤも……」
「サヨ、リカ、スズ? 俺達はどうなっていた? ……む! えー……」
栄次は起きて早々に同じ顔の男に驚くことになった。
「栄次が二人いるぞ!」
プラズマも驚き、何度も目をこすった。
「あー……ワシは栄優、藤原栄優だ。歴史神で栄次とは関係ない」
栄優の言葉に二人は一時、固まった。
「どうやら、双子らしいんだけど、お互いがお互いを知らないみたいなのよ。それより良かったね、元に戻って。なんか不気味現象ではあったけど」
サヨが答え、栄次はずっと栄優を見つめていた。
「で、俺達もアヤも昼寝してたのか?」
プラズマは混乱しながらリカに尋ねた。
「えー、覚えてませんか? 私も含めてサヨとルナ、更夜さん達以外、皆子供に戻っていたんです。どこまで記憶あります?」
リカに逆に尋ねられ、プラズマは眉を寄せた。
「……栄次、どこまで記憶……」
プラズマが栄次に話を持ちかけ、栄次の顔を見て口をつぐんだ。栄次が悲しそうに泣いていたからだ。
「オイ、なんだい?」
栄優は半笑いで栄次を見ていた。
「ああ……」
プラズマ、他の時神は皆理解していた。
……過去を見ている。
栄優から流れる過去を見ているのだ。
楽しい過去なわけはない。
時神達は言葉を発せず、黙ったままでいた。
六話
栄次が見ていた過去は悲しいものだった。
こんな過去は見たことがない。
藤原栄優(ふじわらのえいゆう)。
兄だ。
栄次と栄優は双子として産まれた。栄優の方が先に産まれ、栄次が産まれた時は祝福の声がなくなっていた。
忌み子であった。
どこかの天皇が碓(うす)に向かって叫んだというが、まさにそれであり、家はざわついた。
ヤマトタケルの伝説にそっくりなことがおこり、後から産まれた息子をどうするかの話が始まった。
「殺してなかったことに……」
「名家から呪われた子が産まれたことをまわりに知られたら……」
兄の方は栄優と名付けられた。
弟はどうするか、名前は決めなくて良い。どうせ死ぬ。
弟は誰からも愛されなかった。
ただ、ひとりだけ弟を愛する者が現れる。
姉だった。
姉は常に弟を抱っこし、こっそり乳母から乳をもらって育てていた。
姉はまだ幼かった。
だが、弟を必死で育てた。
しばらく経ち、乳離れをした弟は元気に育っていた。
反対に兄栄優は体を壊すことも多く、大変だったという。
このままでは兄栄優が殺され、弟が栄優にされる……そこまで考えた姉はまだ、九つになったばかりで弟を連れて近くの村へ逃げた。
いつの間にか弟が栄優の次、栄次と呼ばれるようになっていたからだった。
隠れて村で生活を始めた姉と栄次は優しい村人達に感謝しながら成長した。
しかし……
村は一揆を企んでいるのではとありもしない噂をされ、武士と戦いを始めるのであった。
年貢は故意に年々きつくなり、納められないと武士にたてつくようになった。
栄次は姉が死んだ理由が戦の通り道だったと勘違いしていたことに気づいた。
実際は……
逃げた姉と栄次が藤原だと知れ渡るのが嫌だったから、藤原が、武士と協力し、村ごとなくすことを決めたのだ。
反発していると言いがかりをつけ、それにより年貢をきつくし、村人が一揆を起こすのを待っていたのである。
「……わかった、もう良い……」
栄次は目をつむり、つぶやいた。
ありもしない一揆が始まり、まわりへの見せしめもかねて、村人は殺された。
首を見せしめに飾られ、赤ん坊はまとめて捨てられ、酷い有り様だった。子供と若い女を狙って殺しているようにも見えた。
なぜか。
「やめてくれ……」
栄次はその場でうずくまった。
村へ隠れた栄次と、姉を確実に始末するためだろうか。
しかし、栄次は死ななかった。
ヤマトタケルが乗り移ったかのように強かった。
生き残った村人を助け、武士を何人も撃退した。
襲ってくる男達は男の子を狙って殺しているようだったから栄次は何人も守った。
村人は散り散りに逃げ、降伏し、姉の死亡が確認された段階で藤原は栄次も死んだとした。
万が一生き残っていたら、栄優が死んでから藤原に迎え入れると決めた。
姉だけは事情を知っているため、殺さねばならなかったようだ。
そして生き残った栄次は
「……はあはあ……」
無意識に呼吸が荒くなる。
知りたくなかった事実が栄優により明るみになる。
栄優が見せる過去が栄次の最後の人間時代の過去だった。
「俺は……村を襲って皆殺しをした武家に、姉を殺した武家に拾われたと言うのか! 一所懸命(いっしょけんめい)に生きろと、跡取りになれと、そう言われたのか! 自分は無知だった……文字も書けない童だった。姉者にどんな顔をすれば……」
栄次は泣きながら拳を畳に押し付けた。知らない方が良かったかもしれない。
「あー、栄次だったか? 辛かったな。ちょっくら話がある。成長したお前さんなら話ができそうだ」
栄優が栄次にそう言った。
「……兄者」
「ワシを恨んどるか?」
「いえ……忌み子となった自分の『運命』を恨んでおります」
栄次はゆっくり立ち上がった。
「……そうかい。じゃ、ちょいと一緒に来てくれや。まだ残ってる姉上の世界へ行こうぞ」
「……!」
栄優は優しく微笑み、栄次の肩を抱いた。
「……で? あたしなわけ? 送迎係じゃないんですけどー!」
サヨがため息混じりに尋ねる。
「サヨのお嬢さん、お願い!」
栄優が軽く頼み、サヨは頭を抱えつつも頷いた。
「じゃ、プラズマくん、リカ、スズ、アヤがまだ目覚めてないけど、よろ! おじいちゃん達はお墓作ってて、ルナ達はうちの妹のルナとお別れして帰ってくると思うからー」
「わかった。サヨさん」
「……?」
スズは真剣な顔で頷き、プラズマとリカは首を傾げつつ、とりあえず、サヨ達を見送った。
すべての結果は?
プラズマとリカは残されてしまった。スズはアヤを心配している。
アヤはまだ目覚めないが元に戻っていた。
「プラズマさん、子供になった時の記憶、あります? 私にめっちゃ絵本読ませてたこととか」
リカに言われ、プラズマは首を傾げた。
「俺、リカに絵本読ませてたの? まあ、そういうの好きではあったけどなあ」
「覚えてないんですか……。栄次さんは暗いのが嫌いだし、夜が明るいってプラズマさんは喜んでるし、オムライスを初めて食べて感動してたし、倉に閉じ込められるって泣くし」
「倉……ねぇ。未来見を嫌がると閉じ込められたな。俺だって暗いところは苦手だったぜ。俺の場合さ、更夜みたいに子供を叱るって感じじゃなかったんだ。従わせるって感じだった。まあ、だからさ、かか様みてぇな雰囲気で優しくされれば調子に乗るさ、俺なら」
「なるほど……」
リカはなんだかプラズマが少しかわいそうになった。
「今回は俺は全然わからん。一体、何があったんだか。俺達はなんで子供になって、大人にまた戻ったわけ?」
「……全然覚えてないんですか」
「……ああ。記憶がごっそりない。ただ……なんだか……」
「……どうしました?」
リカが尋ね、プラズマは小さく言葉を発した。
「立花こばるとって知ってるか? あいつ、どこ行ったかな」
「……えっと、誰ですか?」
リカの言葉、表情を見たプラズマは首をかしげたまま、口を閉ざした。
しばらく二人は話さず、止まっていたが、プラズマに神力電話がかかってきた。
「ん……なんだ?」
『プラズマ! 冷林が高天原会議に出てるけど、連れてかれているみたいだった! 罪神……みたいな……』
プラズマの元になぜか集まっている高天原北所属の稲荷神の一柱の少女、ウカからだった。
「……よくわからねぇな……。どうなってんだ。俺は呼ばれてないが……行くか」
『あー、あたしが直接見たわけじゃないの。ミノさんがね、そう言ってて。ね、ミノさん』
ウカの後に焦った青年の声がした。
『お、おう! なんかそんな感じに見えたんだが……おたくは高天原に行ってねぇのか?』
「冷林からの連絡はなかったぞ」
『連絡がつかなかったのかな』
ウカがつぶやき、プラズマは頭を抱えた。
「さっきまで子供だった……つまり人間の皮を被った状態で神じゃなかったから神力電話が通じなかったんだな。わかった、向かう」
『気をつけてね』
ウカからの電話は切れた。
彼らは百合組地区の稲荷達だ。
稲荷神は全国で信じられており、それぞれ形を変えて個々で存在している。
百合組地区稲荷はプラズマをなぜか慕い、集まっている。
彼がアマテラスの神力を持っているからかもしれない。
「プラズマさん、どうやって高天原に?」
リカが怯えつつ聞いてきた。
「誰かが帰ってくるまで待つしかないか?」
渋い顔でそう言った時、ルナの声がした。
「帰ったよ!」
ルナ、トケイが戻ってきた。
「あ、トケイに連れていってもらいなよ!」
スズが思い出したようにプラズマに言った。
「ん? トケイ?」
「弐の世界を飛び回れる特殊な時神だよ!」
「弐の世界を飛び回れる……」
プラズマはなにかを思い出そうとしている。
「ま、まあいいや。まず、現世まで行ってもらおう! 緊急なんだ」
ルナとトケイが顔を出し、プラズマはすぐにトケイに頼んだ。
トケイは戸惑いながらも頷く。
「僕、現世の手前までなら行けるよ、えっと、トケイです。初めまして……?」
トケイも何か引っ掛かるようにプラズマに挨拶をした。
「ああ、プラズマだ。よろしく頼む……。緊急で……話は後でしよう」
トケイとプラズマはすばやく部屋から出ていった。
スズはプラズマとトケイを心配しつつ、ルナに目を向ける。
なんだか、スッキリした顔をしていた。
「ねぇ、大丈夫?」
「うん、大丈夫……だけど、プラズマ達、大人になったの?」
「そう、歴史神がなんかやったみたい」
スズがルナに小さくそうつぶやき、ルナは唸った。
「ナオはどうなったんだろ? それと、おじいちゃんは……」
「更夜は花畑にいるよ」
「花畑……」
ルナが遠くを見るような目をし、部屋から飛び出した。
過去を見たのか、更夜達が墓を作りに行ったのがわかったらしい。
「ちょっと!」
スズがルナを止めた。
「ルナも行ってくる」
ルナのせつなげな瞳を見たスズはそのままルナを行かせた。
憐夜とルナは少ない時間だったが会話をし、仲を深めていたに違いないと思ったからだった。
「今日はお別れする人がいっぱいだね……ルナ」
スズは走り去るルナの背中に言葉を投げかけた。
「二人になったけど、なにしてる?」
スズがリカを見る。
「えっと、皆が帰ってきたらお腹がすくと思うから何か作ろうか。本当は寝たいけど」
「私が見習いで料理を振る舞う!」
「えーと、とりあえず応援!」
リカはとりあえず、スズと料理をすることにした。
二話
トケイはプラズマを背負い、宇宙空間を飛んでいた。
「……プラズマ、僕を覚えていない?」
トケイが確認するようにプラズマに尋ねた。プラズマは眉を寄せ、唸る。
「ごめん、記憶があるんだか、ないんだか……立花こばるとに似ているような……」
「……以前のプラズマは僕にそんな言葉すらかけてなかった。僕は、アヤと共に……」
「アヤと……?」
プラズマが不思議そうにトケイを見た時、トケイは立ち止まった。
「ここから現世に行けるよ。まっすぐ歩いて」
「あ、ありがとう」
プラズマは戸惑いながらトケイから降り、歩き出す。
「二十年前……ほどかな、もう」
トケイはプラズマの背に小さくつぶやくとウィングを動かし、飛んで行った。
プラズマはとりあえず真っ直ぐに歩いた。
……トケイとは何者なのか。
思い出そうとしてもうまく思い出せない。
宇宙空間を歩くと天記神の図書館にでた。
「情報が少なすぎる。俺達を戻したらしい歴史神に話を持っていくべきか……。いや、今は急いでいる。とりあえず、ツルを」
きっとプラズマが来る前に会議を終わらせようとするはずだ。
だが、今のプラズマだと内容がわからなすぎる。
……サキだ。
交友関係が広いアヤにサキの連絡先を聞いていた。発言権を持つ太陽の主。
そして……アマテラスの加護を一番に受けた少女。それから、南組であるアマツヒコネ……竜宮のオーナーも、天界通信本部社長のヒルコもアマテラス寄りの神だ。
南と太陽は味方をするに違いない……。裁かれているのはアマテラスの子孫、冷林だ。
冷林は俺も含めてアマテラスの神力がある。
「……」
そこまで考えた時、プラズマは震えた。以前の自分はここまでアマテラスのことを知っていただろうか?
どこから出た考えなのか?
「アマテラス様は今、どこに? いつから太陽が『サキ』になった? 立花こばるとはなぜ、『消えた』?」
頭痛がする。
頭を押さえていると、ツルがやってきていた。
「よよい! 高天原会議に無許可で参加だよい?」
「……ああ、内密だ」
プラズマはふらつきながら駕籠に入り、ツルは高天原へと飛び立って行った。
天記神の図書館から壱へ出ると雨が降っていた。そろそろ梅雨入りなんだろうか。
※※
「今回は西の剣王タケミカヅチの天守閣にて会議を行うYO」
ワイズがタケミカヅチの居城内の会議室で畳に座布団を敷き、緑茶を飲んでいた。
今回の参加者は東と西、南……そして北だ。南の代表は竜宮のオーナーではなく、『歴史神』が所属している天界通信本部の社長ヒルコが来ていた。
「ヒルコ」
「なんでしょう?」
ワイズに呼ばれた黒髪の青年は静かに緑茶を飲んだ。テンガロンハットにワイシャツ羽織袴という明治の時代のような格好で肩先までで切り揃えた清楚な髪を持つ落ち着いた青年であった。
「今回は歴史神の問題もあるYO。お前、稗田阿礼と太安万侶にどこまで書かせる?」
「……西の霊史直神は東の天記神に守られていると聞きますが、東としてはいかがか。場合によっては新聞や書籍を公開しない場合もございます」
ヒルコはそう答え、ワイズは剣王に目を向けた。
「傍観していた剣王はどう判断するかNA? 私の立場でいうと……天記神は歴史神の主としてナオを守ろうとしている。ただ、今回の行き過ぎた行動には怒っており、おそらく我々が罰を下さずとも天記神が罰を下す。そういう判断だ。スサノオにまで喧嘩を売ったらしいからなァ」
ワイズは笑みを浮かべながら、三貴神の兄であるヒルコとスサノオの神力を奥底に秘めるタケミカヅチを眺める。
「まあ、ずいぶんと、面倒なことになったもんだねぇ。ヒメちゃんも動いててなんか変だなあとは思っていたよ。で、時神の神力が一時なくなり、人間時代に逆戻りしたそうじゃない。北所属のあの幼少の時神か、うちのナオか、両方か、時空神まで出てきて壱も弐も一部混乱したよね」
タケミカヅチは愉快そうに笑っていた。
「笑い事じゃねぇんだよ。お前はなんだかわからないスサノオ側だ。あいつ(スサノオ)の神力は抑えろ、面倒だ。ナオはこちらの保持に務める神のはずだが、自らこちらを……いや、時神を壊しにかかっているYO。なにか隠したいことでもあったか? 西よ」
「ご存知のくせに~。ナオは厳罰にするよ。ただ、君のとこの天記神が守ろうとするんだろうがな」
剣王は相変わらず飄々としている。
「……私からも天記神に罰を受けさせるよう言う。今回はナオを放置したお前にも責任があるだろうYO。お前も罰が行くぞ」
「まあね~。そりゃね~。でも、一応言っておくと、望月ルナの時間巻き戻しを見たナオが好機だと判断したらしいのと、天記神の叱責によりヒメちゃんと時神を元に戻すことにしたということで、なんとか収まったようだよ~。今回の原因は望月ルナだ」
剣王は不気味に笑いながら、おとなしく座る冷林に目を向けた。
冷林は縮こまっている。
「それに関してなのですが」
話さない冷林に代わり、天界通信本部社長ヒルコが話し出した。
「我が歴史神、稗田阿礼と太安万侶が時神は発生が違う故に、簡単には動かせず、望月ルナが巻き戻すことができるのは例の時神リカのみだそうで」
「そうだYO。以前弐で起こった望月凍夜のマガツヒ事件で、黄泉が一瞬開いた。ナオにトラッシュさせた記憶が時神に戻ってしまい、時神が神に代わる手前辺りのデータから更新しなければならなくなったわけだYO。つまり、世界改変前の記憶が奴らに戻ったわけだ。ただ、奇妙なことがある。アヤの存在だ。時神は総じて五歳辺りのガキの頃から神力を持ち始め、元服前後で神力が満ちる。しかし、アヤはどうだ? 天記神の報告によると赤子になったそうじゃないか。あいつは赤子の段階から神力を持っていたというのか? なあ、タケミカヅチ」
ワイズは剣王を睨む。
「ふう、ご存知でしょうにー。だからまだ、『アレ』が罪を認めてない上に、君のとこの某歴史神が守ってるんでしょうが」
「まあ、アヤの件はいずれ明るみに出る。あいつが重罪になるのも時間の問題だZE」
「まあ、でしょうねぇ~」
ワイズの発言を軽く流す剣王。
冷林はなんの話かわからず、渦巻きの下方から涙を流した。
アヤがなんなのか、どうなってしまうのかを心配していたようだ。
「そんで、こそこそ聞いてないでさっさと入れ」
ワイズが障子扉に向かい突然声を上げた。
「バレていたな。今回は天通(てんつう)の社長がいたか」
「あたし、いらなかったんじゃないかい?」
障子扉を開け、入ってきたのはプラズマとサキだった。
「時神の主と太陽の姫は呼んでないんだが。まあ、いいか。これからちょうど望月ルナの相談、冷林の悪行を話す予定だYO」
「冷林の悪行だと……」
プラズマはワイズを睨み付けた。
「まあ早い話……リカのことだYO。お前も時神や北に害が行かないようリカを北に入れてなかったんだろ?」
「……バレてたのか。北所属に見せかけていたこと」
「ハッ、私を誰だと思ってる。そもそもリカは高天原会議にて、どこも加入してはいけないと決まっていたんだYO。そこの太陽の姫も月の姫も全員が『同意』したんだ。それなのに、北がリカを軍に加入したわけだYO」
ワイズは緑茶を飲むと湯呑みを机に乱暴に置いた。
「……リカを時神として北に入れた方が良いと判断したのは俺だよ。リカの所属先を決めないと、あんたらが無所属のリカを自由に消してしまえるじゃないか。いままで北っぽく見せかけてたけど、意味ないよなって思ってな。どっかに所属してれば管理をしているトップのもんだ。お前ら、自由にできないぜ」
プラズマは言い放った。
「リカを消すなんてそんなこと、我々は一言も言ってはいない。ただ、無所属のままでいさせる、これに関しては高天原で決まっていたんだZE」
「よく言うぜ」
プラズマが何かを言おうとした時、となりにいたサキが困った顔でプラズマを見ていた。
「プラズマくん、実はリカの件は本当で、あたしらは書面でも同意したんだよ」
「ああ、それはいい。問題はな、東と西がリカを消そうとしていて、俺がリカを守るために北に入れたことだろ?」
「消そうとはしてないがねぇ。妄想すごいんじゃない?」
剣王は笑う。
「あんたらは何かを隠してる。無所属のままにしておく意味はないだろ? 彼女は時神なんだからな。俺が管理する、それでいいじゃねぇか」
「まあ、これに関しては高天原の決まりごとを無視したんで、神力を交換した冷林は厳罰YO」
ワイズが冷林に言い、冷林はそれに関して堂々と頷いた。
「冷林は罪を認めているYO」
「……お前……罪になる前提でリカを北に入れたのか。俺はこの決まりごとは知らなかったぜ」
プラズマが冷林を見ると冷林は小さく頷いた。
「そうか……なあ、ワイズ、剣王……そして天通社長……冷林は決まりを破ってはいるが、北にいれてはいけなかった理由はなんだ?」
「リカが……壱を壊す神だからだ」
ヒルコが答え、サキはうつむく。
「リカは……壱と伍の両方を守ると言っている。壱を壊そうとは現在思っていない」
プラズマは一同を見回し、はっきりと言った。
これはワイズと剣王が内容を漏らすことはしないはずだと判断したからだった。
リカが破壊する神だったとしても、破壊する神だからと現在無害のリカを消したいとは言えないだろう。
「現在はな。今後、どうなるかわからんだろうがYO。だからこその保留だ」
「保留ねぇ、リカはアマノミナカヌシ、マナと対立関係にあるようだが、マナの方が危険なんじゃねぇのか?」
マナの単語に首を傾げたのはヒルコとサキ。
「マナ?」
「知らないならいままでのことをここで語る。スサノオにも会ったぜ」
「マナは」
プラズマに被せるようにワイズが声を上げた。
「マナは、時神をリカ一柱にし、壱を支配するつもりの神だYO。リカは従っていない。だが、リカはマナから産まれている。警戒するだろう、なあ?」
ワイズはどこまで知っているのだろうか。プラズマが先を話そうとしたら核心をずらして自分達を正当化し始めた。
口止めとして冷林を許すかと思ったが、そう簡単にはいかなそうだ。リカは警戒している……その態勢を崩さない。
プラズマはワイズには勝てないと悟った。冷林も今回は勝つつもりはなく、リカの件は罪を認めている。冷林からすると時神は守護対象であり、決まりを破っても傘下に入れる気持ちでいたようだ。
リカは間違いなく、放置していたら西と東に消滅させられる。
アマテラスを思い出しかけている冷林にとってリカは消されたくない存在だ。リカは伍からきた特殊な神なのだ。
「……わかったよ。冷林が罪を認めたなら話を続ける必要はない。サキと天通社長が聞いてるんだ、理不尽な処分にはならないだろう。で? 他には?」
プラズマがワイズを睨み、ワイズは薄笑いを浮かべた。
「望月ルナだ」
「……ルナか」
「あいつは問題が多い。私が管理することにしたい。今回の件の主犯はナオだが、ルナの危険な能力は冷林では管理ができないYO。お前達がご存知の通り、時空神が出ることになった。人間の心の世界にて神力を放出し、混乱をうんだ段階で冷林は動かなかった。特性理解、強大な力……それが冷林はわかっていなかったので、わかる私が管理する方が良いと思われるYO。私は弐に出入りができる」
「そういうことか」
プラズマは軽く笑った。
「……なんだYO」
「ああ、実は、ルナはまだ北に入れていない。更夜もだ」
「なんだと……」
「神力なんて冷林にはわかんないだろうな。彼らは弐にいる。北に入れる意味はないからね。時神の主として俺が管理してただけ。今回はルナじゃない誰かさんのせいで俺が子供になってしまったので、管理不足でした」
プラズマはそう言った。
歴史神がいる権力者達は今回の件を知っている。プラズマが子供に戻ったのは幼少リカのせいであり、マナのせいだ。プラズマがそれを知らなくても権力者達、主に東と西は誰のせいだったかわかっているわけだ。
そして先程のリカを傘下に入れた話に繋がる。リカはマナから産まれたがリカがマナには従っていないことをワイズが証言した。
つまり、リカの話を持ってきて悪く言うことはできないのだ。
ワイズ達は周りにマナの存在を大して話していないため、話したくないのだろう。
話せないのかもしれない。
壱のデータを狂わせないために。
「……考えたな……」
ワイズは心底おかしそうに笑った。
「……さあて、じゃあ問題をおかさないよう、北に彼らを入れようか。こんなことが起きたら俺としても困る。冷林はルナと更夜を傘下に入れてからリカを勝手に傘下に入れたことへの罰を受ける。それで良いか」
「あたしはそれでいいと思うね」
「賛成する」
サキはすんなり賛成し、ヒルコも賛成した。
「じゃあ、それがしも~」
剣王は何を考えてるかわからないが同意してきた。
「賛成が多数です。それでは、ご意見がなければこれでよろしいでしょうか? 冷林への罰は適切な判断をお願いいたします。……それと、ひとつだけ言わせていただきますが、北を傾かせるような判断は許しません。あなたもわかっていらっしゃると思われますが、冷林を故意に傷つけたらすぐにわかるぞ……オモイカネ」
「ふっ、了解した。何も言うことはないYO。残念だ」
ワイズは素直に退き、罪は望月凍夜事件後に傘下に入れたリカのことだけとなった。
プラズマは心の中で冷や汗を拭った。
三話
栄優、栄次、サヨは姉の世界の前にいた。
「しっかし、Kというのは不思議なもんだ。なぜ、個々の世界がわかる? すべての心がこの世界にあるというのに」
栄優は不思議そうにサヨに尋ねた。
「教えてもらえば、わかるもんはわかるの。ほら、なんか話があるなら待ってるから行ってきて」
「わかったよ、お嬢さん、ちょいと待っててな。栄次、行くぞ」
「はい」
栄次は一応兄ということで、丁寧に返事をした。
二人はサヨを置いて、姉の世界に入った。姉の世界は夕焼けが美しい村の世界だった。
栄次が過ごした村の世界。
「いいか、栄次。姉上はもうこの世界にいない。残り香のように世界だけあるんだ。ここも後に消える」
「……はい」
「消える前にここに来れて良かったろ?」
「ええ」
栄次からは淡白な答えしか返ってこない。
「あんたはずいぶん、泣き虫だったようだねぇ」
「ええ、姉には迷惑をかけたと思います」
「生前、姉上には会ったことはないが、ここで実は出会ってるんだ。ついこないだだよ。壱と参(過去)、肆(未来)の時神が統一されたんだろ? それでワシに知らん記憶が流れてきてだな、おそらく参(過去)のワシだ。あんたがいた世界、参に存在したワシの記憶」
栄優は夕焼けの世界を見回してから栄次に目を向けた。
「……そうですか」
藤原の残酷な歴史を見た後なため、栄次は栄優を好きにはなれそうになかったが、栄優は自分と同じく何も知らなかったのだ。
「あんたの姉上……姉者がな……」
栄優は夕日に照らされた田畑を観ながら続けた。
「なんでワシを呼んだのか、よくわからんのだ。どういう状態だったのかもよくわからん。ワシなんて全く関わってなかったのに」
「……」
「だが、栄次に伝えてくれと言われた。あんたが栄優の次なんかじゃないこと、立派に力強く生きたこと……」
「……」
栄次の背中から柔らかい風が通りすぎる。この村は気持ちの良い風がよく通りすぎていた。
「あらためて……伝える。栄次、姉者はもういない。姉者は死んだ後、お前が時神になったことを知った。立派な神になったのですね、ならば後悔はないと消えていったよ」
栄優が話している途中から栄次の目に姉と栄優が話しているところが映った。
三直線に並ぶ過去、現代、未来のうち、参(過去)の世界の栄優か。
「栄次にそっくりですね、栄優」
何百年前から変わらぬ姿の姉が栄優に笑顔を見せていた。
「姉上で?」
「そうですよ」
「栄次とは?」
「あなたの双子の弟です。あの子はこちらにきていないようで」
「まさか……生きているわけはないでしょう?」
栄優は苦笑いを浮かべ、姉は「あるいは……」と続ける。
「神になったのかもしれません。あの子は昔からそういう所がありましたから」
「神……まさか」
「まあ、それは良いのです。もし、あの子に会ったら伝えて下さい。私は……」
柔らかい風が栄次を撫でていく。栄次の頬を涙がつたう。
「当時、不吉と嫌われた双子だが……姉者はお前をかわいがったようだな」
栄優は栄次が過去を見ることができると知り、多くは語らなかった。この世界で姉が話したことはこの場の過去見でわかるはずだ。
「……俺は……いえ、それがしは……姉者がかか様でした」
栄次は涙を流しながら微笑む。
「姉者……それがしは……姉者が思うような立派な男ではございませぬが……姉者がそれがしを立派と呼ぶならばそれは大変誇らしく思います」
栄次は夕焼けの空を見上げた。
「話はこれだけだ。言っておかにゃあならんだろと思ってな」
栄優は夕焼けに照らされた村を栄次と眺める。
「ワシは外の世界など知らなかったんだ。ワシは体が弱くてずっと寝ていたよ。短い人生だったもんだが、死んでから色々起こるとは思わなかった。あんたはどうだったよ?」
栄優に尋ねられ、栄次は少し考えて口を開いた。
「……俺は神になってから様々なことが起こりました。こんな長い神生になるとは思いもよらず」
「なるほど、ちがいない。他に聞いておきたいことはあるかね?」
「……ございません。すべて……『見えた』ので」
「そうかい」
栄次と栄優は淡白な会話をすると、生き別れた双子同士でお互い挨拶をかわした。
「私は藤原栄優です。白金栄次殿、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、白金栄次です。藤原栄優殿、よろしくお願いいたします」
二人は双子としてお互いに握手をした。
※※※
更夜、逢夜、千夜は憐夜の墓を白い花畑の横に作り始めた。
ここなら墓から白い花畑のすべてが見える。
「墓を作るのはいつぶりか」
更夜はスズの墓を作った時を思い出した。
計画性がなかったので、花が見つからず、必死に歩いて探した。
妻の時はただ土をかぶせた。
何も考える余裕がなかったのだ。
更夜が石を積み重ね、千夜が線香を持ってきて、逢夜が花を摘んできた。
石の前に花と、筆、死ぬ間際に憐夜が描いた絵を置いた。
ここはサヨの世界で季節はあるが動物などはいないため、墓を荒らされることはない。サヨの世界なため、暴風雨などの天候でも、お墓だけ何も被害はない、永遠にそのままという不思議な現象も起こせる。
三人はできた墓を眺めた。
墓を眺めている内に、やはり和解したかったという後悔が襲ってくる。
残された者のむなしさを深く知った。
しばらく何も話さずに三きょうだいは個人個人で手を合わせ続けた。
「おじいちゃん! ばあばっ!」
ふとルナの声がし、三人は振り向く。
「ルナ……」
千夜、更夜は小さくつぶやき、逢夜はただ見つめていた。
「ルナはね、憐夜とお友達になってたんだ」
「……そうか」
千夜が微笑み、ルナを撫でた。
「一生懸命、引きとめたんだ……」
「そうか」
ルナの目から涙があふれ、更夜がルナを優しく抱きしめる。
「なんで……こうなっちゃったんだろ」
「これは憐夜の選択だ。ルナが心を痛める必要はない」
「憐夜は、絵描きになりたかったんだ。皆の過去を見たよ。なんであんなヒドイことを憐夜にしたの」
「ああ、ひどかったよな」
ルナに更夜は静かに答えた。
「……」
千夜は目を伏せ、逢夜は墓をじっと見つめた。
「ひどかった、本当に」
「おじいちゃん……」
更夜は震えながらルナを抱きしめ、泣いていた。
「なぜ……あんな非道なことができていたのだろうか……。俺はずっと考えてるんだ。もし、まだ父が生きていて……俺達が支配されていたら、お前にもサヨにも俺はヒドイことをしていたのかと。自分の娘も支配していたのかと……」
「……更夜、それは私もそう思う」
震える更夜に千夜が優しく同意した。
「私も父の支配から抜けられず、あの時に死んでいなかったら、息子を虐待していたのかと」
千夜の横で逢夜も口を開いた。
「俺も、もしあの時に生き延びて、子供ができていたら、虐待していたかもなと感じる。俺はおそらく、殺してしまうだろう。そして凍夜の術でずっと支配されていたにちがいない」
三人はそれぞれ憐夜を思い出しながら語った。
「おじいちゃん、ばあば、おじさん、ごめんね」
ルナは三人にあやまった。
三人は自分達のことがよくわかっている。ルナが責めても状態は変わらない。憐夜はもういない。
「ルナは……憐夜とお友達になりたかったよ。興味なかったけど、絵を教えてもらおうかって思ってたんだ。一緒に暮らす未来もあったんじゃないかなって」
ルナと更夜、逢夜、千夜はお墓を前にたたずんだ。あたたかい風が通りすぎ、四人を優しく包んでいた。もうすぐ、夏なのかもしれない。弐から消えたらどうなるのか、誰もわからない。
弐ですら壱とは次元が違うのだ。ルナ達が知らないような旅をしていくのかもしれないし、この世界に甦るのかもしれない。
「残念だよ。憐夜はまだ、楽しいことがこれから起こったかもしれないのに」
ルナは憐夜が描いた絵を眺めながら、子供らしい発言をした。
「これから一緒に遊べると思ったのに、友達になれたかもしれないのにさ」
ルナの言葉は風に乗り、空へと舞って消えていった。
「……さよなら、憐夜」
エピローグ
「ん……」
周りがやたらと賑やかでアヤは目を覚ました。よくわからないが、更夜の屋敷で布団を敷いて寝ていたようだ。
「なんか……長い夢を見ていたような……私、なんで更夜の屋敷で寝てたのかしら?」
「アヤ、起きた?」
リカが心配そうにやってきた。
なぜかエプロンをしている。
「えっと……リカ?」
「そう、子供に戻っていた記憶はあるかな?」
リカに唐突にそう言われ、アヤはなんのことかわからず戸惑った。
「わからないよね? 実はアヤ、赤ちゃんになってたんだよ、かわいかったけど、なんか怖い現象だった……」
「赤ちゃん?」
「歴史神が元に戻したんだって」
「……どういう……」
「説明が難しい……というか、アヤが赤ちゃんになった理由は実はよくわからなくて……」
リカは眉を寄せたまま頬をかいた。なぜか左手にお玉を持っている。
「あの……何か作っていたのかしら?」
「うん、まあ……トマトスープだけど、皆の口にあうかはわからない。スズがちょっと……」
リカが濁した刹那、更夜の怒った声が聞こえた。リカは首をすくめる。
「お前はなんで毎回、火薬で火をつけようとするんだっ!」
「だって、ドーンってやった方が一発で煮えるでしょ!」
スズの声も聞こえる。
「煮えるか! 炭になるだけだっ!」
更夜が叫び、反対側ではルナがなにやら騒いでいた。
「プラズマー! どうやって冷林と神力交換するのー! 早く北に入りたい!」
「わかったから、落ち着けよ。冷林、ルナに合わせて神力を……」
隣の部屋ではルナとプラズマと冷林がいるらしい。
「ああ、アヤ、目覚めたか」
騒がしい中、栄次が障子扉から顔を出した。栄次はどこかスッキリしているように見えた。
「栄次……」
「アヤ、記憶でおかしなところはあるか?」
「おかしなところ……」
アヤは少し考えた。
なんか忘れていたものを思い出している気がする。
「なんか……忘れていたことを思い出したような……」
「……そうか」
栄次はしっくりこない顔で頷いた。
「栄次も?」
アヤに聞き返され、栄次は眉を寄せた。
「……ああ、少し気になる」
「そう……」
違和感が残る。
「……あの」
障子扉からトケイが顔を出した。その瞬間、アヤは言い様のない違和感に襲われた。
以前、栄次を襲った神が平然とこの場にいる、無害なのかといった話ではなく、違う違和感だ。
昔から隣にいたような……。
「かいへきまる……」
「……アヤ、あのね……僕を」
トケイは何かを期待した顔をした。
「かいへきまる? 何? えーと……名前は……? 今は普通に会話ができるの? 時……神?」
アヤにそう返されたトケイは落胆した顔をした。
「あの、ごめんなさい。何か聞いてはいけないことがあったかしら」
「ううん、ないよ。僕はトケイ。寂しくなってここにきた時神だよ。更夜が受け入れてくれたんだ。よろしくね」
「ええ……よろしくね」
トケイはアヤと握手をした。
「海碧丸、ママだよ、良かったね」
「え? 何?」
「いや、なんでもない」
トケイは意味深な発言をすると、せつなげに微笑んだ。
「ま、まあ、とりあえず、ご飯作ってみたんだけど食べる? トマト料理しかないけど」
リカが声をかけ、アヤは頷いた。
「ええ、あなた、トマト愛してるものね。いただくわ」
「リカの手料理、ありがたくいただく。そろそろ、赤茄子の季節か」
栄次が優しげに言い、
「ぼ、僕は甘いもの、作ったんだ! 昔から得意で」
トケイは照れくさそうに笑った。
「甘いもの……私も大好き。あの子はよく甘いものを作って私に食べさせてくれた」
アヤはなんだか穏やかな顔をしていた。
あの子って誰だろう……。
黒い髪の男の子だった気がする。
「私は……あの子が作った甘いものが好き……」
アヤはどこか遠い目でトケイを見ていた。
……あの子はどうなったのかしら。私の息子、海碧丸(かいへきまる)……いや、立花こばると。
……私達は転生していた。
あなたは今、どこに?
※※
夏はきていないはずだが、暑い。梅雨入りをしたかしないかのくらいだ。今年はなんだが蒸し暑い。
望月ルナは姉のサヨと学校への道を歩いていた。朝から小雨であまり天気は良くないが、ルナはどこか楽しそうだ。
「お姉ちゃん、あのね!」
ルナがお気にいりの傘を差しながら笑顔を向けた。
「ん?」
「ルナ、明日からお友達と一緒に学校行っていい?」
「……お友達……いいよ!」
サヨはルナの笑顔を見て、嘘ではないと感じた。そこからルナはサヨに色々と話してくれた。
梅雨があけたら友達とプールに行くだの、キャンプに参加するだの、ゲーム大会するだの、今後の予定を嬉々と語るルナ。
「ルナが楽しそうだ」
サヨは笑顔で話を聞いてやった。
「あと……」
ルナはランドセルを背負い直して言う。
「お墓参りしなくちゃ。お姉ちゃんが言ってたもうひとりの『ルナ』がお墓にいるんでしょ?」
ルナの言葉に一瞬驚いたサヨは「そうだね」と優しく微笑んだ。
「お姉ちゃん! 虹!」
ルナが急に空を指差して叫ぶ。
子供は会話がすぐに変わり、慌ただしい。
いつの間にか雨が止んでおり、朝露が滴るなか空にうっすらと虹が浮かんでいた。
「わあ、きれい」
サヨも目を向ける。
二人は虹を見ながら歩いた。
「お姉ちゃん、ありがとう、行ってきます」
学校の前に来てルナが嬉しそうに言ってきた。
「いってら!」
サヨが手を振ってからしばらくして、何人ものお友達が自然とルナに集まり、ルナはこちらを振り返ることもなく学校の中へと消えて行った。
サヨは校舎を仰いでからもう一度、「いってらっしゃい」とつぶやく。
空は一瞬だけ晴れて光が射し、濡れた校庭を輝かせていた。
「ルナ、こっちのルナは元気に学校行ったよ。あんたのおかげかな。後でそっち行くわ。お土産なにがいい? えー、じゃがいも? おじいちゃんに料理してもらいなよ……もー」
サヨは傘を閉じると手で仰ぎながら蒸し暑い中、道を歩いていった。
もうすぐ夏が来る。
ルナの楽しい夏休みにどう付き合うか、サヨは考えるのだった。
(2024年完)TOKIの世界譚⑤ルナ編