あれやこれや 1〜10
1 クイーンもクラシックも
若い頃……友人がクイーンのフレディ・マーキュリーが好きで、カセットに録音してくれた。当時はフイルムコンサートというものがあって、よく引っ張っていかれた。
まだ、クイーンは男性には認められていなかった。評論家の渋谷陽一さんも、合唱団、なんて言ってらした。フイルムコンサートの最後がクイーン。始まる前に男性陣が席を立つ。聴いていられるか……と出て行き、女性だけが残った。
あのグループが、40年以上後にこんなに盛り上がるとは……
友人はピーター・ガブリエルが好きでそれも録音してくれた。ジェネシスにいた頃。長い曲ばかりだったが魅力的だった。
ソロに転向してからは、スティーヴン・バントゥー・ビコ(南アフリカの反アパルトヘイト活動家)の歌も作っている。ビコは黒人意識運動の代表として活動していたが、1977年9月12日、拷問をうけ30歳の若さで死去した。
イギリス人シンガーソングライターのピーター・ガブリエルは『ビコ』をリリースし、彼に捧げた。この歌は1980年のヒットソングである。そしてこれらの歌は、南アフリカ政府によってすぐに発禁となった。加えて、他の反アパルトヘイト音楽にも影響を与えた。これは西側の大衆文化と反アパルトヘイトという主題を統合することに貢献した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3
友人は音楽が好きだった。高校を卒業して入社した保険会社の研修で会った。私は7年勤めた。子供ができたときに辞めた。いい時代だった。7年で給料は倍に。ボーナスもよかった。社内預金の利息が8パーセント。
友人は今では音信不通になってしまったが、どうしているだろうか?
クラシック音楽を聴くようになったのは友人の影響だ。コーヒーのコマーシャルに流れていた曲を教えてくれた。
よい音楽は第1楽章から……
「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番第1楽章」
すごい! って尊敬した。
クラシックの名曲集のレコードを購入したのはこの頃だ。クレジットを組んで。ステレオも。
『嵐が丘』を調べていたらケイト・ブッシュのワザリングハイツの動画にいきつき魅了された。高音の歌声、パントマイム、踊り。
棺桶から出てきた白いドレスの亡霊も、野原の赤いドレスのも。
今ではそのダンスは各地で催されているらしい。赤いドレスを着た老若男女が、ケイトになりきって踊る。
私も歌をかけ、合わせて歌いながら踊った。鏡を見ながら。
娘たちに聞かせたら笑う。出だしで笑う。さんまさんのオープニングの曲だったそうで。さんまもケイトが好きなのね。
ケイトがピーター・ガブリエルとデュエットしたものがある。
『Don't give up』
いいなあ。動画観ると、終始ピッタリ抱き合って歌ってる。まだケイトは痩せている。
2 モルヒネ
飼っていたヨークシャーテリアが死んだ。
脳腫瘍。
同じ所をクルクル周り嘔吐。ソファーに飛び乗れなくなった。
病院から、大きな病院。さらに大きな病院でMRIの検査を。10万円吹っ飛んだ。検査をしない選択肢はなかったが、手術は選ばなかった。余命1ヶ月と診断され薬代が月1万円。
薬のせいで太った。トイレが近い。粗相する。
調べて取り寄せたユーグレナと冬虫夏草。そのせいかわからないが、9ヶ月生きてくれた。かわいそうなのは呼吸が苦しくなること。最後は安楽死か?
苦しいだろうからモルヒネを飲ませる。起き上がれないはずなのに吠えて立ち上がる。先生が言うには、頭の中はお花畑だって。
「戦争映画で撃たれると、モルヒネを腿に打つだろう」
映画が好きなのか、年配の先生は説明した。
最期がくるのはわかった。
夜の8時から夜中の1時までずっとついていた。
モルヒネの効果はあったのか? ときどき立ち上がる。苦しいのか?
ネットで調べた。同じような体験が。首を絞めて死なせてやりたい……とか。
しかし、見ているしかない。看取りだ。
あとで調べた。下顎呼吸。苦しそうに見えるが苦しくはないんだ……本当か?
最後に大きな声で泣いた。猫が死んだ時もそうだった。抱いた腕の中で犬はオシッコとうんちをした。
死んだあと、モルヒネはしっかり回収された。
今でもヨーキーが1番かわいい。あまり見かけなくなったが。
3 曲
J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番:シャコンヌ。気に入りすぎてメールアドレスにしようとしたら、既にいた。シャコンヌは数あれど……その方もこの曲から取ったのかな?
chaconne、この曲を知ったのは、ディヴィッド・ギャレットのCD。
何気なく録画したN響のコンサートに、ディヴィッド・ギャレットのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が。
衝撃! まだ14歳くらいの美少年。
映画『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセン、カナダの歌手『緑色の屋根』のルネ・シマール以来のトキメキ。
当時はまだパソコンはなかった。
たまたま来日した。運命だ。
行きました。子供はまだ小さいけれど夫に頼み込んで。
ヴァイオリン・リサイタル。オペラグラスで覗く。拍手に答えてアンコールを何度も何度も。初々しかった。
その後にCDを買い、並んでサインをしてもらう。なかなか出てこない……子供はふたり、夫が見ている。帰るのに1時間以上。
勘弁してね。今夜だけは。
間近で見た彼のなんとかわいくてきれいなこと……
その後、来日するたびにリサイタルに。情報があると飛んで行った。
今では検索すれば簡単に見つかる。パガニーニの映画『愛と狂気のヴァイオリニスト』にも主演。
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ベートーベンのピアノソナタ第17番、テンペストの第3楽章……月光、悲愴、熱情より好き。比べることでもないが。
ハンマークラヴィーアはやっと耳に馴染んできた。
テンペストは『冬のソナタ』でヨン様のママが弾いていましたね。
今は携帯からピアノソナタ全曲聴けちゃうから夢のよう。32曲をエンドレスで。
ベートーベンのピアノソナタ第1番。第1楽章は馴染みがある。娘が習っていたが、第4楽章は聴いたことがなかった。
速い。劇的。好きだ。
この曲を小説の主人公に弾かせよう。
名曲集には、せいぜい月光、悲愴、熱情、テンペスト、ワルトシュタイン、ハンマークラヴィーアくらいしか入っていない。
それが携帯のサブクリプションでは全曲聴けてしまう。それも何人かのピアニストのものを。
マーラーの交響曲も全部……
ベートーベンのソナタは流しっぱなし。知らなかった曲、後期の名曲。
ハンマークラヴィーアがいいってわかったのは最近。そういえばベートーベンのベストテンで、ゲストの方がハンマークラヴィーアが入ってなくてがっかり、憤慨してらした。
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モーツァルトはずっとわからなかった。今でも長調の曲はダメだなあ。短調のは好き。映画『アマデウス』の交響曲第25番ト短調。携帯の着信にしたこともある。
そしてピアノソナタ第8番イ短調。初めて聞いたピアニストがイングリッド・ヘブラー。他の人だと違和感が。この人だと明るくて涙が出そう。
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エルガーのチェロ協奏曲、ジャクリーヌ・ディプレの演奏。
たまたま『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』という映画のビデオを借りて観た。内容も衝撃だったが、第1楽章に魅了された。すぐに買った彼女のライブ盤には観客の咳まで入っていて、他の演奏だと違和感が……
コロナで中止になってしまったが、区のコンサートに行くつもりだった。プログラムにエルガーのチェロ協奏曲が。滅多にお目にかかれない。過去にも行ける範囲ではなかったと思う。あれば行ってただろう。目に触れなかっただけか?
残りの人生で生演奏を聴く機会があるだろうか?
中居くんのドラマ『砂の器』の途中に流れた。
4 粉と土
5年ほど前から趣味に加わった園芸。狭いベランダでハーブから始まりミニバラ、寄せ植え。ほとんど消耗品で金使った。
そして手を出した薔薇。ベランダなのに1メートルの丈のクイーンエリザベス他3鉢。
春に葉が茂った頃、必ずやられるうどん粉病。葉も蕾も小麦粉ぶっかけたみたい。薬剤使っても効果なし。手でひたすらこすり落とす気の遠くなる作業。空気感染の速さ、恐ろしさ。
懲りずに鉢は増え、秋にはまあまあの花を咲かせた。秋は花持ちも長い。
寒い時期に植え替える。土をブレンドして中腰で、大変な作業。春になるとまたうどんこ病。
調べて取り寄せた納豆菌の薬剤。これはいいみたい。臭いけど。おかげで今年は大きな蕾が全ての薔薇に。咲いた。りっぱな1番花。
南向きのベランダでは花の命は短い。せめて写真に。期待してます。秋に咲く、もっと深い色味の花持ちのいい素敵な薔薇を。
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
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西武ドームで行われていた『国際バラとガーデニングショウ』が2018年を最後に打ち切られた。打ち切り? 楽しみにしていたのに。素晴らしかった。庭がたくさん。憧れのイングリッシュガーデン。それに、ハンギングバスケット。壁に素晴らしい作品が。
写真を撮った。真似をして作った。庭のないマンションのベランダでも飾れる。
でも……植物は太陽に向かう。光源は上だ。葉牡丹が上を向く。横向きはいやだと。
寄せ植えに凝って、うちのベランダには置き場所がなくなり、ずっと通っている美容院にも置かせていただいた。
その美容院は東向きに窓があり、外に大きな寄せ植えを2鉢。窓ガラスの内側に多肉の寄せ植え。
うちは日当たりの良い南向きのベランダ。これがよくないのだ。日が強すぎる。遮光に苦労する。
東向きは植物には最高らしい。生まれたての日が当たり、強くなる前に行ってしまう。ガラガラだった多肉の寄せ植えが溢れるばかりに盛り上がり垂れ下がり、道ゆく人は立ち止まって覗き込む。
それに比べて我が家の多肉の貧弱なこと。
豪快な美容院の女は滅多に水をやらない。多肉にはそれがいいのだろう。外の寄せ植えは見知らぬ人が、水あげてくださーい、と声をかけるそうだが。
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久しぶりに花を植えた。数年前まで、ベランダは冬が1番花盛りだった。夏は暑すぎ、春と秋には感染症が。ほぼ南向きのベランダだが、去年も今年もちょっと違う。さすがに氷点下になると葉が茶色くなる。元気がない。大きく育ったサボテンは去年までは外に出しっぱなしだったが中に入れた。
マイブームの時は呆れられるくらい、足の踏み場もないくらい寄せ植えを作った。ハンギングバスケットも壁掛けやら丸いのやら、いくつも吊るした。長い時間、中腰の姿勢で作業をしていると夫が心配したが、好きなことをやっている時は平気なのだ。日に何度もベランダに出て花がらを積んだ。放っておけば見苦しくなる。
マイブームが投稿に変わり、花はどうでもよくなった。大きなプランター2個を残し、こまごまとしたものは片付けた。適当に枯れた花と入れ替えるだけでいい。ここにラナンキュラスを3苗入れたら見違えた。久々に土の感触が懐かしい。土には、抗うつ薬と似た効用があるという。土いじりは精神に良い作用を及ぼす。
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ホームベーカリーが壊れた。ずいぶん使っている。2台目だ。発売された時は衝撃だった。全自動でパンをこねて発酵して焼けるなんて!
初めてパンを焼いたのは50年くらい前。レシピ本は白黒の薄いものだった。材料は豪快だった。強力粉900グラム……発酵機能のオーブンレンジなどなかったので、苦労した。こたつの中、とか。
最初は発酵不足でうまくできなかった。ものすごく手間と時間がかかる作業だ。暇さえあれば作っていたので、母にパン娘と呼ばれた。だからホームベーカリーが発売された時にはすぐに購入した。
朝、焼きたてパンを食べたくてタイマーをセットしたが……音がうるさく家人から苦情が。
新しいものを買おうと検索した。当時より安い。安くて、餅、そば、うどん、ヨーグルトまで作れるものがある。これに決めよう、と思ったが、なんと値段が3倍以上するものがある。某有名食パンのようなパンが焼ける? 値段は3倍!
でも……惹かれる。
職場の人に話したら……彼女は自分でこねる人だ。この間はシナモンロールを味見させていただいた。常勤で忙しい方なのに、パン作りは趣味、ストレス解消なのだとか。
「自分でこねなさいよ」
と言われてしまった。それは……面倒くさい。
パンやお菓子作りは、ストレス発散に最適だそうだ。ストレスや不安を抱える人たちが『お菓子作り』に励んでいるとか。形のない粉や砂糖から、形あるものを作り出す喜びがある。
失敗すれば苛立つし、体重は増えるけど。
5 ゴルフ
何年か前からゴルフをやろうと言われていた。老後に同じ趣味もなく、捨てられたら困る……と冗談で。
球技はダメ。テニスはサーブが届かない。学生時代、ソフトボールもバレーボールも、体力測定のボール投げさえ飛ばなかった。京都のかわらけ投げも私のだけは飛ばずに落ちて行った。
母の日に、夫はゴルフクラブを、ハーフセットをプレゼントしてくれた。やらないと言っているのに……嬉しくないプレゼント。練習場に行ったって、みっともないだけ。ふたりでコースに出るのが夫の夢だという。
すぐそばにゴルフスクールがある。やるからには基礎から先生について……
大人になって習ったのは、水泳、テニス、社交ダンス、ピアノ、電子ヴァイオリン、どれも続かなかった。
夫もスコアが伸びないのでふたりで通い始めた。3ヶ月はつまらなかった。元々好きで始めたわけではない。90分が長い。でもコーチは優しい若い男性だ。生徒はほとんどが年配の女性。これが皆、高級車で来ている。ポルシェで帰ったのは隣にいた女性。ミニスカートで打っていた。夫は女性のコーチ。楽しそうだ。レッスン代はかなりの負担に。
静止しているボールを打つのになぜ空振りする? フォームを直された。若い男性のコーチが
「失礼します」
と言って腰に手を……
上体動かすな。目線、動かすな。頭、動かすな。腕は……呪文のように唱えてから打つ。
ボールはそこにあるのだ。やがて、目を閉じて打ったって当たる。閉じた方が当たる。
月の終わりにテストがある。パッティングやアプローチ。パッティングは夫とたいして変わらない。ロングパットがまぐれで入る。
習い始めてから5ヶ月が過ぎた頃、初めてのラウンドに。夫とふたりで。
ひどいものだった。走りに行ったようなものだ。後ろに迷惑をかけてはいけない、とクラブを持って走った。よく最後までやり終えたものだ。
1度だけ、すごいことが……グリーンのかなり手前、ここは7番アイアンではダメか? でもカートはずっと遠く。夫も遠い。下手っぴは何番で打とうが下手っぴ。格好だけは付けて一応旗を狙った。コン、コロコロ……消えた。あれがチップインというものか。打った下手っぴは小躍りした。12打目だろうが。
6 趣味と仕事
Tは幼児の頃から魚が好きだった。描く絵はいつでも魚。母親にも、
「おさかな描いて」
その後は虫に転向。幼稚園から帰ると手の中に青虫が。それを積み木の上で這わせる。飼って観察。やがて黒アゲハに。窓から逃した途端、鳥に……
世の無常を感じただろうか。
クワガタの幼虫を飼う。小遣いは腐葉土や蜜に。夏の暑い日に友達と遊んでも、外でジュースも買わない。小遣いはすべてクワガタのために。学校から帰ると一目散。糠味噌かき混ぜるみたいに……
子供ができた今でも育てている。近所の子供達に分けてやる。
中学に入るとブラックバス釣り。仲間ができた。父親が送り迎えをした。釣ってきたブラックバスは、タンスの上の大きな水槽に。餌は生きている金魚……見る間に飲み込まれていく。
いつか、バチが当たるからね。
働くようになると海釣りだ。家に釣り竿が届く。ン万円?
給料日はあさってだ。金がない。でも明日、釣りに行くから金貸して……
母親は長男には甘かった。Tは結婚しないつもりだ。釣りを選んだ時に決めた。他は質素だ。服も食事もどうでもいい。
釣りは、青森でも九州でも。年に何度も行けるわけではないが。
釣具のことはわからないが、いじっていて楽しいのか? 学生の時も落ち着かないTが、何時間も座ってルアーを作っていた。そのエネルギーを勉強に向けていたら……
ある時、船に乗るときに足をぶつけた。硬いものにぶつけたらしい。血が流れて……でも言えない。言ったら降ろされる。待ちに待ったのだ。この日を。
タオルで縛り平気な顔を。さすがに意識が遠のいていった……そこで、誰かが大物を釣り上げた。Tはこうしてはいられない……と覚醒した。
親はあとから聞かされた。
しかし、金のない釣りバカのTにも彼女ができた。親はずっと知らされなかった。金がないTはディズニーランドにも気の利いた店にも連れて行かない。プレゼントも……彼女がメガネを買ってくれた?
やがて子供ができた。母親は報告された。結婚するならいいが、相手の親御さんは? 早く挨拶に行かねば……
Tは言った。
「もう、釣り行けなくなる」
「ああ、釣り行けなくなる」
皆喜んでくれた。結婚して子供が産まれて、貯金もないTが家を買った。お嫁さんはすごい人だ。
ある時、九州の人気のある船の船長から誘いがあった。助手にならないか? と。いつも予約がいっぱいのテレビで紹介されたほどの船だ。Tはグラグラした。が、諦めた。さすがに九州は遠い。
それから何年? 次は決めたあとに聞かされた。
千葉のヒラマサ釣りの中乗りに誘われた。もう決めた。嫁さんも、嫁さんの親も賛成してくれている。
家はどうする? 1年は単身赴任。
その後は皆で行ってしまった。まあ、千葉は近い。
今ではお嫁さんは、東京で子育てなんか考えられない、と言う。
釣り船のブログがあるので様子はわかる。毎日のように更新する。時々は芸能人も乗るようだ。釣り番組には、Tの手とタモが。
7 学歴
高校1年の1学期で中退した**。父親の死で学業放棄を余儀なくされた彼は数度の転職ののち、某会社に入った。履歴書には高校中退と書いた。
彼は頑張った。朝早く出社していた。満員電車が嫌だと言って。
頑張って課長にまでなった。やがてその会社は上場した。
その頃にはもう大卒しか募集しなくなっていた。
酔うと話す。退職して20年近くたつが。
尊敬してます。**さん。
○は中学を卒業すると田舎から東京に出てきた。その頃はほとんどのものが進学した。最初の工場は、定時制の高校に通わせてくれるはずだった。しかし2交代、夜勤もあった。まあ、未成年でも酒も飲んだ。無免許でバイクを運転した。無鉄砲だが楽しかった。
何度か転職した。水商売もやった。田舎にもしばらく帰らなかった。母が、どうやって探したのか電話がきた。
まじめにやらねば……面接に行った小さな印刷会社。社長は東北人の頑張りを認めてくれた。小さな工場は少ない人員で大きな利益を出していた。
「もう少し頑張れば、ボーナスが立つよ……」
40年前の25歳くらいの時。現金でいただいた頃の話。腹巻きをしておなかに隠して帰って来た。
頑張った。頑張った。残業、休日出勤当たり前。3人目の子供の学校なんて行ったことない。そう思って休暇を取り、高校の卒業式に出てみたら、生徒の態度の悪さに怒っていた。
○は高校も行けなかった。もちろん大学も。会社は大きくなり工場を増やした。工場長になれと言われた時には断った。上に立つような柄ではない。縁の下でコツコツやるのが合っているんだ。人前で話すのは苦手だ。低音の声は聞き取りにくい。男の低音は魅力だが。
工場長になった。社長はいろいろな講習に行かせた。講師はテレビに出る人だ。泊まり込みの講習。皆大学卒。かなりのコンプレックスが……
彼は印刷の技術は追求した。クレームが出ると悩んだ。わずかなクレームでも。
専門書に数ページ執筆したこともある。定価ン万円の専門書。
スピーチも上手になった。結婚式に呼ばれると妻を相手に練習した。やがてスピーチは苦にはならなくなったという。
『社長は私に苦手なことをやらせた。会計、発表、スピーチ。いろいろな講習を受けさせた。高学歴の者ばかりが参加する……学歴など、口にしなければわからない者たちが口に出して私を見下した』
8 体力
10年前は体力に自信がなかった。1泊旅行でもぐったり。デパートへ行けば頭痛が。仕事は週に3日、10時から7時まで立ちっぱなし。ほぼ1日置きだが、休みの日は出かける元気もない。時々、イベントで4日連勤などになるとまぶたがピクピクし、最後の日は朦朧として、風呂の湯を入れていることも忘れた。
そんな時、娘がグァムで結婚するって? 4日間のグァム旅行?
無理だ。楽しめない。初めての海外だが。
体力つけなきゃ。
まずはウォーキングから。夜、歩いた。目標があるからできた。近くに1周200メートルのウォーキングコースがある。そこで皆歩いていた。走っている者も。私も走ってみた。半周走り、半周歩く。徐々に距離を増やしていく。1周ずつ交互に合計2キロ。
できるようになると欲が出る。次は2キロ続けて走れるように。これがすんなりできてしまった。続けて3キロ。アプリを取ってタイムを測る。次には遊歩道を走りスポーツセンターまで。そこの500メートルコースを1周し戻る。往復5キロを休まずに。
走れるようになるものだ。楽しくてしょうがない。
1度ランニングハイを経験した。知らない道を走った。今日は調子がいい……足も重くない。そろそろ、スポーツセンターの通りか? なんて思っていたら大通に出た。〇〇通り。そこはスポーツセンターの倍はある。
姉と話した。グァムに行くなら泳げるようになりたい、と。そしてふたりで通い始めたスポーツクラブ。ジムで筋力をつけて、プールでウォーキング。無料のレッスンの初心者コースにも入った。水中で息を吐く練習から。フリーだから、行ける日は週に何日でも。仕事があるから1日置きくらい。すでに体力はついた。
朝、40分歩いて通う。マシンで汗を流してからプールへ。やがて有料のクラスにも入り、クロール、背泳は25メートル泳げるように。昼も食べずに、帰れば3時過ぎ。
そして夜は走った。5キロ。私はすでに疲れを知らないおばさんに。
グァム旅行は楽しめた。朝早く起き散歩した。昼はイベント、観光、買い物。ビーチで遊び、夜はプールで泳ぎ、ジャズの生演奏を聴いた。
それでも夜中に目が覚める。眠れない。眠れない。ベッドでは眠れない。睡眠不足なんのその。朝は早くから夜遅くまで。元気でいられた。頭痛もなし。楽しかった。
家に帰っても、まだ走りに行けそうだった。
9 ダイエット
疲れを知らないおばさんも、雑事に追われスポーツクラブをやめた。ランニングもやめた。散歩さえ、犬が死んでからはいかなくなった。
一昨年の健康診断、酒も飲まないのに肝臓の数値が高く再検査になった。思い当たることはない。体重、体脂肪は5キロ、5パーセント以上増えていたが。
とりあえず痩せよう。今まで何度も思ったが実行はしなかった。若い頃からの経験で続かないのはわかっていた。2、3日我慢をしてもすぐに元通り。わざわざひもじい思いをすることはない。
しかし今回は再検査までに減らさねば。健康的に。
ダイエットは何度も試した。無意味だ。その時だけで必ずリバウンド。これからは、一生健康的な生活をするつもりで……
まずは1ヵ月目は脂質、糖質を減らす。好きなバター、ジャム、砂糖類を減らした。パンに何も塗らない。コーヒー、紅茶に砂糖を入れない。夜は具沢山スープにオリーブオイル少なめのサラダ。
そして歩く。そして、置いてあるだけになっている健康器具で運動する。置いてあるだけのダンベルも。追加したのはフラフープ。腹筋に効く、と聞いていた。玩具屋で購入。回してみたが2、3回で落ちる。それを100回まで数えた。
できるようになるものだ。次第に数十回。そして左右に永遠に。娘は歯磨きしながら回す。簡単に。ふたり目を出産後も45キロを維持している。母もそうだったが。確かに効き目がある。おなかが、へこむ。硬くなる。
体重は落ちない。筋肉がついているから最初は減らないのだ。自虐的にならない。減らなくても続ける。健康的な食生活に運動のある生活。ダイエットのためではない。健康のために一生やるのだ……
1カ月経った頃、1キロ落ちた。努力は報われる。2カ月目は少しのバターとジャムと砂糖を許した。それが嬉しかった。続ける健康的な生活。体重は1カ月毎に1キロ落ちた。面白いように。それを5カ月。5キロ減。再検査では異常なし。先生に褒められた。
Mサイズのパンツが入るようになった。着られなかった服がたくさんあるのだ。鏡の中の私は年齢にしては…
10 勉強しない子供達
母は真面目だった。真面目過ぎて思い返すとつまらない。小学校の通知表。
『忘れ物をしたことがない、クラスでただひとりだけである。几帳面すぎて逆に心配だ……』
もちろん、遅刻などありえない。宿題を忘れたこともない。予習も。塾に行かなくても成績は中の上かそれ以上。数学は好きだった。歳をとっても。
3人の子供達。揃いも揃って勉強しなかった。中学までは部活に夢中。上から、サッカー、陸上、吹奏楽。試合に、コンクール。充実していた分、勉強する余力がない。高校は……
高校の部活は、上から釣り同好会、水泳、1番下は忘れた。3人ともアルバイトをした。コンビニ、いろいろ、回転寿司。学業よりアルバイトを優先した。試験前でもアルバイト。
試験のあとは呼び出しが。留守番電話に伝言が。今回は赤点が○個。
進級できるか、もうやめるか? 退学していく子が多い環境で母は必死だった。その頃父は仕事にもっと必死だった。朝早くから夜遅くまで。よく泊まりに来ていた息子の友達が心配するくらい。
親は、やればできるのだと思うのだろうが、やらないのだ。いくら言っても。必死なのは母だけだ。怒りヒステリーに。子供はどこ吹く風……
上は商業高校。数学が苦手なくせに簿記に算盤。赤、赤、試験のたびに追試験。その頃原付バイクの免許を取りバイクを欲しがった。簿記の3級受かったら買ってやろうじゃないか、まさか、受かるまい……
やればできるのだ。高得点で受かってしまった。そのあとがひどかった。買ったバイクで禁止されているのに通学。放課後3人乗りを見つかり停学。どこまで母を泣かせるのだ?
長女は暗記が得意だ。楽譜を何ページも暗譜して弾いた。やればできるのだろうに。やったのは数学の丸暗記。試験は数字さえそのまま出すのだろうか? 丸暗記で高得点。意味もわからず数学の成績はよかった。
試験が終わると休みになるから髪を染めた。金髪に。そのあとに追試の連絡が。当日、三つ編みにしスプレーで黒く染めた。それですむわけないだろうに。もういい。母も疲れた。やってられない。落第でも退学でも、
「将来子供を産んでも、絶対に絶対に手伝わないからね」
先生も甘かった。バレバレなのにお咎めなし。
次女は輪をかけてひどかった。幼稚園から英会話を習っていたが……無駄だった。勉強もしないが、態度も悪かった。体育の時間真面目ではなかったのだろう。2年の2学期は赤点。どうすれば体育が赤に?
追試は学校の周りをマラソン100周。何キロ? 冬休みの間に。どれだけサボるとこうなるのだ? 無理だ。走れるわけがない。行かないで退学した子もいた。
次女は走りに行った。高校まで1時間、毎日自転車で往復していた。体力はついていたのか?
初日、30周したとか。足がパンパン。母は近くの温泉施設に付き合わされた。足をマッサージしてやる。
根性はあったのだろう。最終日は土曜日だったので、父の車で送り、時間を潰し迎えに行った。
走り終えた次女は体育教師に根性あると褒められ、シュークリームをいただいてきた。
今はそれぞれ親になっている。息子は孫に算数を教えていた。3人ともバカだった。勉強しておけばよかったのに。しかし1番バカだったのは母だった。どうすればいいのかわからなかった。
あれやこれや 1〜10