手さぐり婚~殿下と私と気になる彼女~

01.大聖堂にて

 私の名前はサーシャ・イル・マーレ。マーレタリア伯の末娘で一応貴族。だけど貴族ってあまり好きじゃなかった。つまらないおしゃべり、噂話、悪口ばかりのサロン。見かけだけ豪華で中身は空っぽの人たち。社交界デビューしたら、私もそういう人たちの一員になっちゃうのかな。
 全く気は進まなかったけれど、国王陛下のご招待をお断りすることもできなくて。十八になってすぐ、宮廷舞踏会へ行かされることになった。

 マーレタリアは辺境にある島だから、本国までは船に乗って丸二日。でも晴れて海も凪いでいたからとても気持ちいい。陸に着いたら四日、宿を取りながら馬車を乗り継いで王宮まで。遠いなあ! でもようやく旅行気分になってきたかも。親の付き添いなしで、しかも王都まで行くのは初めてだったから、見る物すべてが新鮮でちょっとウキウキしていた。


 荷物を持った二人の従者には先に行っているよう頼んでおいて、私は散歩がてらのんびり王都を歩いた。ちゃんと整備された石畳の町、綺麗な布地や可愛い小物のお店。やっぱり都会はいいなあ。
 のんびりてくてく広場を歩いていくと突き当りに立派な大聖堂があって、オルガンの美しい音色が聴こえてきた。せっかくだから祈っていこうかな。そう思って聖堂に近づいてみると、入り口に美しい女性がひとり、少しだけドアを開けて中の様子を覗いていた。

 こんなところに立ってないで中に入ればいいのに。私がそう思いながら声をかけずにいると、彼女は振り向いて背後にいた私をじっと見つめてきた。美しい銀髪に藍色の瞳が神秘的で。その人はしばらく私を見ると何も言わず去ってしまった。綺麗な白いバラの首飾りをしていた。誰だろう? 美人だったな、気が強そうで。身なりが綺麗だったから、あの人も貴族かもしれない。

 彼女が去って一度閉じてしまった聖堂のドアを私がまたギイと押し開けると、ちょうど知っている聖歌の最後の一節が聴こえて。私は久しぶりに神への祈りを込めて歌った。やがてオルガンの響きが止んで、祭服を着た司祭様が近づいてこられるのがわかった。

「祈っていかれますか」

「あ、はい」

 司祭様は緩く波打つダークブロンドの長髪をそっと肩で束ねて、背が高く、若い方のようだった。オリーブグリーンの瞳をしていて、手に持っていた祈祷書を私に渡して下さる。綺麗なお顔だけれど、私を見るとき両目を眩しそうに少し細められていた。眼がお悪い……のかな? その方は説教壇まで歩くと、丁寧に祈りの文句を唱えて。私たちは共に祈った。

02.有難いお誘い

 私が今日は宮廷舞踏会に呼ばれたので王都に来たことを話すと、司祭様は

「お連れの方はおられないのですか」

 と優しく私に尋ねられた。

「一緒に行くはずだった兄に急用で断られてしまって。今日は一人なんです」

 私は少し恥ずかしく思いながら答える。舞踏会に女一人なんてありえないよね……。でも一度「出席」とお返事したのを断るのも失礼かもしれないと思い、田舎者の私は困って、結局一人で来てしまった。

「よろしければ、私とご一緒しませんか」

 司祭様は、初対面の私をとてもあっさり誘って下さった。

「えっ……でも、いいんですか?」

「私もちょうど相手がいなくて困っていたところですので」

 司祭様は私を見るとそう仰って、にこっと優しく笑った。さっき聖堂のドア越しに見ていた女の人はいいのかな? と私は思ったけれど、有難いお誘いなのでお受けしようと決めた。

「じゃあ、お願いします。でも私、着いたばかりで着替えができてなくて」

「では夕刻、お迎えに参りますね。宿にお泊りなのですか?」

「はい」

 私は宿の名を伝えて、司祭様と別れた。都会では司祭様も舞踏会に出るんだなあ。とても端正な方だったし。さっきの女性、司祭様のことが好きなのかな?
 私は王都に取ってある宿まで歩いて戻ると、ドレスを着て髪を整えてもらった。バラの首飾りの彼女にまた会えるかな。どんな男性よりあの人と会えるのが楽しみな気がして、我ながらおかしかった。何か彼女は気になって仕方ないんだ。


 司祭様は約束通り、夕方宿まで私を迎えに来て下さった。私の手を取ると馬車の戸を開けて、親切に乗せて下さる。

「あの、失礼だったらごめんなさい。その……目がお悪いのですか?」

 私はどうしても気になってつい司祭様に尋ねてしまった。

「ええ、気づきましたか」

「私を見るとき、少し目を細めておられるようだったので」

「ぼんやりとは見えているのですが、はっきりした形までは。ガラス越しのような状態でしょうか。かなり近づくと見えるのですが」

 司祭様は私の不躾な質問にも丁寧に答えて下さる。

「できれば私と腕を組んで歩いて下さいますか。誰かにぶつかることは無いと思いますが、つまずくと危ないので」

「はい。こんな感じですか?」

 私は司祭様の左腕に自分の右手を絡めて添えると、感覚を確かめてもらった。

「ええ、ありがとう」

 司祭様はやっぱりにっこり笑って下さって。とても癒される笑顔をなさる方だなあと私は思った。

03.音楽家の司祭様

 王宮に到着すると、私たちは馬車を降りて二人で歩いた。本当に大きなお城……。天に届きそうなほど高い扉が内側から開かれて、広場ほどもある巨大な広間に通される。天井には落ちてきたら即死かなと思える重そうなシャンデリアがいくつも吊り下げられ、着飾った大勢の貴族たちが来ていた。

 私は会場のあまりの規模に目を丸くしながら、司祭様がつまずかないようエスコートしなきゃと磨き上げられた床ばかりを見ていた。司祭様はこの広間にも来慣れたご様子で、迷いなくスタスタ歩かれる。
 周りの人が司祭様を見ると黙礼して道を開けてくれるので、皆からとても尊敬されている司祭様なんだと私は思った。私がサポートする必要もない感じだけれど……。司祭様は大きなピアノの前まで歩いてこられると、

「少し弾きたいので、待っていていただけますか」

 と私に仰った。

「はい。そばで聴いていてもいいですか?」

「ええ」

 司祭様がうなずいて下さるので、私は司祭様のピアノを聴いた。
 とても優しくて、会場全体を包み込むような音色だった。春風に戯れる蝶のようによどみなく指が動いて、優雅なワルツを奏でる。オーケストラも加わって音は大きくなり、周りの人々が誘われるようにダンスを始めたので私は嬉しくなった。オルガンで聴く聖歌もいいけれど、ピアノもいいなあ。私は首を左右に揺らしながら、皆のダンスを見ていた。


 一曲目が終わると交代の奏者が来て、司祭様はスッとピアノ椅子から立ち上がられたので、

「司祭様は音楽家でもいらっしゃるんですね!」

 私は興奮気味に言った。もっと言葉を尽くして褒めたいけれど、この場ではそれも失礼かもしれないし。一言だけ気持ちをお伝えする。

「とても素敵な演奏でした」

「ありがとう」

 司祭様はにっこり笑ってお返事をして下さった。そんな私たちの元へ、立派な衣装に身を包んだ若い男性が近づいてくるのが分かった。
 皆が順に挨拶していたから、この方が国王陛下かな。初めて見たので自信は無かったけれど、私は自分もご挨拶しようとスカートの裾を持ち、習った通りにお辞儀した。

「はじめまして。ご招待ありがとうございます。サーシャ・イル・マーレです」

「お越し頂きありがとう。リベルスタン国王、レオナルド・サルヴァトー・リ・ベルテです」

 国王陛下は王様(キング)と言うより王子様(プリンス)という感じの、若くお美しい方だった。輝く金髪に、南の海のような澄んだ瞳をなさっている。

「叔父上、サーシャ様とお知り合いだったのですか」

 陛下がさりげなく仰るので、私は誰のことだろうと辺りを見回してしまった。

「ええ、先ほど聖堂で」

 私の隣に立つ司祭様がそう仰って陛下に頷かれる。……えっ?

「こちらは私の叔父です」

 国王陛下は司祭様をさして、そう紹介して下さった。

「申し遅れました。ルースタッド・レバンテス・リ・ベルテです」

 音楽家の司祭様はそう仰ると、やっぱり優しく微笑んで私に挨拶して下さった。

「サーシャ・イル・マーレです……」

 私は驚きと恥ずかしさで耳まで真っ赤になるのが分かった。

「すみません、とんだご無礼を」

 深く頭を下げてお詫びする。

「いえ。私は司祭の資格も持っていますから、正しいですよ」

 ルースタッド殿下はにこっと笑って私の失態をお許し下さった。初対面で一緒に舞踏会に来てもらってまでいたのに、私はこの方に名前をおききするのを忘れてたんだ。「司祭様」というだけで安心していて。まあ名前をきいても陛下の叔父様とはわからなかった気がするけれど……。
 私が恥ずかしさと申し訳なさで落ち込んでいると、

「殿下、あちらへ参りましょう」

 艶やかな銀髪を縦に巻いた優雅な令嬢が近づいてきて、ルースタッド殿下の腕に自分の腕をスッと絡めた。白いバラの首飾り。さっき大聖堂のドアで見たあの人だ。
 彼女は冷たい瞳でチラと私を一瞥すると、殿下を連れていなくなってしまった。やっぱり貴族のご令嬢だったんだ。私は彼女にまた会えて嬉しかった。彼女からは好かれていない気がするけれど。

「サーシャ様、私と踊って下さいますか」

 独りになってしまった私に国王陛下がそうお声をかけて下さったので、私はびっくりした。でも陛下からのお申し出を私ごときが断れるわけもなくて。

「はい」

 私はドキドキしながら国王陛下の手を握ると、ダンスの姿勢を取った。

04.柱の陰で

 国王陛下とのダンスは緊張した。元々ダンスは得意じゃないから……。ドレスの裾を踏まないように、背筋を伸ばし、視線は上げて……私は自分のことばかり考えて踊っていたけれど、陛下は私のステップに常に合わせて下さって、美しく優雅だった。

「叔父上のことが気になりますか」

「はい」

 さりげなく問いかけられ、答えてしまってからハッとして、私は陛下の目を見つめた。

「さっきからずっと見ているようだったので」

 たしかに私は、白いバラの首飾りの彼女に連れて行かれたルースタッド殿下を目で追っていた。二人は恋人同士なのかな? 少なくとも彼女は殿下のことが好きなようだけれど……。なんて、国王陛下とのダンス中に他の方を目で追うなんて、失礼すぎるよね。

「すみません」

「いえいえ。私は嬉しいのです」

 陛下はニコッと微笑まれると、自然と柱の陰にくるようダンスしながら私を誘導して下さった。

「叔父上は私の叔父ですが六歳しか離れていないので、兄みたいなものなのです」

「そうですか。お若いとは思いましたが」

「とても優しくて良い方ですよ!」

 ニッコリ笑ってそう仰る陛下もとてもいい方そうに見えた。ホッとする笑顔が殿下と似ておられて。優しいご家系なんだと思う。

「叔父上は凄いのです。乗馬やピアノもうまいし、祈りに必要な聖句も全て暗記しているんですよ!」

「それは凄いですね」

「優秀で努力家で、少しでも国に貢献できるようにと司祭の資格もお取りになって。眼はお悪いですけど、とても立派な方です」

「そうですね」

 陛下が我が事のようにルースタッド殿下をお褒めになるので、私も嬉しくなって頷くと、

「叔父上ともっとお話されませんか。呼んできますから!」

 陛下はそう仰って、私を置いて跳ねるように駆けて行ってしまわれた。国王陛下を使い走りにしたようで申し訳なく思ったけれど。待てと言われたので、私はそのまま柱の陰で待つことにした。

◇◇◇

 音楽が流れ、人々が躍り、舞踏会は進んでいく。私は誰のおしゃべりにも興味がなかったけれど、私に背を向けてある給仕がサッと白い粉をシャンパンに混ぜるのを目撃して、見て見ぬふりをしながら聞き耳を立てた。給仕の耳元でしきりに何か囁く令嬢がいて、どうも彼女が指示を出しているようだ。

「よく混ぜて。入れすぎてはダメよ。一晩眠らせられればいいの。既成事実さえ作ればいいのだから」

 お酒に薬を混ぜるのは危険なので、私は止めようと思った。でもここで止めてもまた別の場所で同じ物を用意されては困ると思って、一体誰に飲ませる気だろうと私は給仕の後を追うことにした。
 給仕は令嬢の指示をうけ、何食わぬ顔で薬入りのシャンパンを運んでいく。私は給仕に気づかれないよう、時々立ち止まりながら後を追った。その給仕はなんとルースタッド殿下の元まで歩いて行くと、例のシャンパンを差し出した。私は何と言ったらいいか困ってしまって、シャンパンを受け取った殿下の袖を思わずひしと掴んでしまった。

「すみません、殿下」

「ああ、サーシャ様ですね。今そちらに行こうと思っていたのです」

 ルースタッド殿下はそう仰って微笑んでおられる。

「ここは騒がしいですから。どこか静かな場所へ行きましょう」

 さっきのように私の手を自分の腕に絡ませて下さると、ルースタッド殿下は静かに歩き出した。私は殿下の持つシャンパンが気になって仕方なかった。薬が混ぜられていたのは多分これだと思うけれど、間違っていたらどうしよう。何と言って飲むのを阻止したらいいかな?
 背の高い殿下はゆっくりながら人混みを器用によけて、私をバルコニーまで連れてきて下さった。別の給仕に声をかけ、私の分のシャンパンも受け取って下さる。いけない、乾杯したら口をつけてしまう。私は焦って、薬入りのシャンパンを持つ殿下の右手ごと両手でぎゅっと掴んだ。そして

「ごめんなさい!」

 急に頭を下げると、細いグラスの殿下のシャンパンを一気に半分ほど飲んでしまった。

05.叱られる夜

 目が覚めるとまだ夜で、私は天蓋つきの大きなベッドに寝かされていた。頭が、痛い……。ゆっくり上半身を起こすと、首を振って辺りを見回す。広い部屋のようだった。窓からは遠く王宮の灯りが見えたので、敷地内ではあるけれど別の建物のようだと思った。

「気が付かれましたか」

 奥のソファに座っていた人がすっと立って私の枕元に来て下さるので、私は驚いてしまった。このお声はルースタッド殿下かな? 私がベッドから上半身を起こした程度の物音にも気づかれるなんて、鋭い耳だ。

「ご気分はいかがです?」

「大丈夫です。ちょっと頭が痛いですけど」

「水をどうぞ」

 ルースタッド殿下は枕元の水差しから水をグラスに注ぐと私に下さった。私はお水をゴクゴク飲んで、ほっと息をついた。

「一体何があったのですか。なぜ急にあんなことを?」

 ルースタッド殿下は暗くて私が見えにくいのか、かなり顔を近づけて問われた。私は返答に困ってしまったが、正直にお話するしかないと思った。

「給仕がシャンパンに白い粉を混ぜるのを見てしまって」

 あの令嬢が誰だったのか、もっとしっかり特徴を覚えておけばよかったと思った。皆似たようなドレスを着ているから、初めての私には見分けがつかなくて。

「私を助けるために、そのシャンパンを飲んだのですか?」

「理由をお話してお止めすればよかったですね。すみません」

「なんてことを……」

 ルースタッド殿下は驚きとも呆れともつかない表情で私を見つめると、私の手をギュッと握って強い調子で仰った。

「私を助けて下さるお気持ちは嬉しいですが、こんな危険なことはもう二度としないで下さい」

「はい……すみませんでした」

 私は謝りながら、

「私の言うことを信じて下さるんですか?」

 不思議な気持ちになって尋ねた。

「あなたが急に倒れられたので、急いで医師に診せたのです。医師もただの酔いではないと言っていました」

 宮廷舞踏会の会場で倒れてしまったんだと思って、私は恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになった。

「ごめんなさい、舞踏会をお騒がせしてしまって」

「謝るのはこちらの方です。大切なお客様をこのような危険に晒して……必ず犯人を調べさせます」

 ルースタッド殿下は厳しい口調で仰る。

「今夜はこちらで休んでいって下さいますか。急変しては困りますから」

「はい」

 私は申し訳ないなと思いながら、入院患者のように素直にルースタッド殿下の言うことをきいた。殿下は私のそばにスッとお座りになると、

「あなたが無事で、本当によかった」

 ため息をつくように仰って、私をギュッと抱きしめて下さった。私は広くあたたかい胸に抱きしめられて、何も考えられずに、しばらくじっとしていた。殿下の香水だろうか、アイリスのいい香りが部屋いっぱいに優しく満ちている。

「何か召し上がりますか?」

「いえ、このまま休みます」

 殿下は私の額に手をあてて熱がないことを確認すると、私をベッドに寝かせて布団をかけて下さった。私は子供に戻ったような気がして。厳しいお兄さんのような殿下に髪を撫でられると、安心して眠った。

06.幸せな朝食

 翌朝目を覚ますと、奥のソファでルースタッド殿下がスヤスヤ眠っておられて。私はこの立派なベッドはたぶん殿下のもので、昨夜は殿下のベッドを占領してしまったんだと気づいた。どうしよう、悪いことをしちゃった……。薄い毛布があったので、今更だけどそっとお掛けする。
 どうしてこんなに優しくして下さるんだろう? 私は不思議で仕方なかった。叱られるのはわかるけれど。私はソファの端に座って、しばらくじっとこの優しい人の寝顔を見つめていた。スヤスヤ心地よさそうで、素敵な寝顔だと思った。

「……サーシャ様?」

 ソファにもたれて二度寝してしまって、昨日の薬はまだ効いているのかもしれない。私は寝顔を見ていたはずのルースタッド殿下に起こされて目が覚めた。殿下はいつも心配そうに私に触れて下さる。

「お加減は?」

「大丈夫です。本当にお世話になりました」

 私はペコリと頭を下げながら、酷い格好だなと思った。ドレスのまま寝てしまった……。どうやって着替えて帰ればいいだろう。

「朝食を召し上がっていかれませんか。昨日からお酒だけですから」

「はい……でも着替えが」

「すぐ用意させましょう」

 殿下は素早くドアまで歩くと、執事にいろいろ注文を出した。やはりご自分のお部屋なのか、家具の位置なども全て把握なさっていて、ぶつかったりしない。広いお部屋なせいもあるだろうけれど。
 部屋にはすぐメイドたちがやってきて、昨日私が着ていたものより軽くて美しい絹のドレスを着せてくれた。考えてみれば、昨夜は殿下のお部屋で二人きりで夜を明かしてしまったんだと思うと、私はこのメイドたちにも恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになって、よく顔も見られなかった。

「ごめんなさい、私、泊めて頂いてしまって」

「いいんですよ。私がそうお願いしたのですから」

 殿下は昨夜の厳しい調子ではなく、いつもの優しい感じに戻ってそう仰った。やがて軽い朝食が運ばれてきて。温かいお茶を頂くとホッとする。

「よく眠れましたか?」

「はい、おかげさまで。夢も見ないでぐっすりでした」

「それは良かった」

 殿下はにこっと笑って下さると、高そうなカップでお茶を飲まれた。食べる姿もお綺麗で。手が届く範囲のものは正確に捉えられるみたい。私はあまり食欲もなかったのでスープだけ頂きながら、ルースタッド殿下がお食べになるところを見ていた。

「この朝食は、お気に召さなかったですか?」

「いえ。美味しくて、お腹いっぱいです」

 殿下を見ているだけで幸せになれる気がして。でもあまりじっと見つめ過ぎたかなと反省して、私は少し下を向いた。

07.運命の恋の噂話

「サーシャ様は恋をなさったことがありますか」

 朝食の後、ルースタッド殿下はとてもさりげない様子で私に尋ねられた。

「いえ、まだ……。男の方と話したこともあまりないです」

「男性が嫌いなのですか」

「兄が二人いるんですけど、二人ともちょっと意地悪なので。男の人に苦手意識があるかもしれません」

「そうですか」

 ルースタッド殿下はフフフと優しく微笑まれると、食後のお茶を軽くかき混ぜながら仰った。

「実は私も、女性が苦手なのです。私を国王の叔父のルースタッドだと知って近づいてくる方は、良い意図を持っていない場合が多いので」

 これほど綺麗なお顔をなさっているのに、いやお顔が綺麗だからこそ余計に悩みは深いのかもしれないと私は何となく思った。

「昨夜の件も、本来なら私を眠らせようとしていたということですよね?」

「そう……ですね」

「上手くあしらえない私もいけないのでしょうが、私と半ば強引に恋人関係になろうとする方もおられるので、困ると言いますか……。もっと信頼関係で結ばれたお付き合いがしたいのですが、難しいです」

 白いバラの首飾りの彼女は、殿下の恋人じゃないのかな? 私は気になったけれど訊いてはいけない気がして、ぐっと言葉を呑みこんだ。

「どんな方が好みなんですか?」

「好み、と言うほどの条件はないのですが……。お互い信頼できる方がいいですね。一緒にいて安心できると言いますか」

「そうですね」

 私は殿下といると安心できます、と思ったけれど、あまり軽いかなと思ってこれも言わなかった。

「お互い『この人しかいない』という方と出会えるといいですよね。コングラッド公爵ご夫妻の恋のお話などは有名ですよね」

「ヒュー・ヴァンディエット殿下のことですか。陛下のはとこの」

 ルースタッド殿下は少し驚いたお顔をなさって仰った。

「はい。父祖の因縁も越えて育まれた愛ですものね。私はお二人が結ばれて本当に良かったと思いました」

 お二人の恋の話は王都から遠く離れた私の島にまで伝わるほど有名だった。本来なら敵同士、罰を受ける可能性もあった女性を許すばかりか、妻にお選びになるなんて。愛の力は凄いと思ったものだ。
 私はこの話が好きなのもあったし、殿下ご自身の話からそらした方が良いのかなと思ってこの話題を出したつもりだったけれど。あんなに嫌がっていたくせに、私も噂好きの貴族の端くれになってしまったと思った。噂話は隠れ蓑、なのかな。

「まあ、女性は憧れるでしょうね」

 殿下は苦笑しながら私の噂話に付き合って下さる。

「ヒュー殿下はどんな方なんですか?」

 私が何心なく質問すると、ルースタッド殿下は少し考えてから慎重にお答えになられた。

「一言で申し上げると、かなり怖い方です。非常に有能で、かつ手段をお選びにならないので」

 私は意外な気がした。ヒュー殿下と言えば、陛下とよく似たお顔に優しい笑顔が印象的な、いかにも女性の憧れの的となるような方だと思っていたけれど。

「国境管理を任されている方なので、そのくらいでないと務まらないのでしょうが」

「でも陛下からの信頼は絶大ですよね」

「陛下は聡明な方がお好きですからね。一を聞いて十を知るような」

 ルースタッド殿下はそう仰ってしまってから少し言葉がきつすぎると思われたのか、フォローするように柔らかい調子でつけ加えられた。

「怖いと言うのは職務上のことで、女性には優しいと思いますよ。非常な愛妻家でいらっしゃいますし」

「そうなんですか。昨日はいらっしゃってたんですか?」

「奥様がご懐妊なさったので、今回は来られませんでしたね」

「それはおめでたいですね!」

 ヒュー殿下は私くらいのお年だと思ったけれど。もうそんな大人な方もいるんだと思って私は感心した。恋がまだなんて言ってる場合じゃないよね。

「奥様がお体の弱い方だそうで、心配なさってよくついておられます。女性には理想的な夫かもしれませんね」

 ルースタッド殿下は目を伏せると、静かにお茶を飲まれた。私、話題選び間違っちゃったかな。やっぱり男の人と話すのって難しいと思いながら私が殿下と同じタイミングでお茶を飲んでいると、

「この後一緒に乗馬をしませんか」

 殿下はまたさりげない様子で私を誘って下さった。

08.楽しい午後

「乗馬、ですか」

 私はちょっと戸惑ってしまって、お茶を飲みながら曖昧に笑った。

「お嫌いですか」

「小さい頃馬から落ちたことがあって、それからあまり乗れなくて。ドジですよね……」

 私はハハハと情けなく笑った。貴族のくせに馬にも乗れないなんて、ガッカリだよね。

「では二人で乗りましょう。私も手綱を持ちますから」

 ルースタッド殿下は私を嘲笑なさることもなく、すんなりそう仰って下さった。そこまで言われると断ることはできなくて。私は広いお庭に出ると殿下の馬に乗せてもらった。
 艶やかな栗毛で、とても賢く、優しい馬だった。殿下との息もぴったり合っていて、私が乗っても怒らない。殿下は私を前に座らせて下さると、ご自身は後ろに座って私と一緒に手綱を持って下さった。
 私は殿下と密着するので緊張したけれど、殿下はとても落ち着いているので、私も姿勢だけは真似しようと背筋を伸ばして座った。殿下はお庭をゆっくり二周された後、馬の歩調を早め、軽く走ってくれて。私は馬上で風を切る楽しさをはじめて知った。

「わあっ! 乗馬って、楽しいん、ですね!」

「ええ」

「今日は、ありがとう、ございます!」

 私は馬に合わせて揺れながらルースタッド殿下にお礼申し上げた。私を乗せてくれた馬のたてがみも何度も撫でて、ありがとうを言った。
 殿下は馬を下りると労わるようにその首や背を撫でて、手綱と鞍を外し、放牧用の草地に放してあげていた。殿下の馬は他の馬たちと戯れるように駆けまわっていて。仕事を終え、自由にしている時の馬っていいなと思う。

「疲れましたか?」

 馬たちの様子を確認しながらルースタッド殿下がそう訊いて下さるので、私は息を弾ませて答えた。

「全然。とっても楽しかったです。殿下は乗馬がお好きなのですか?」

「ええ、昔から好きで。馬は信頼できますから」

 さりげない言葉に本音が詰まっている気がして。王家の方って大変なんだと私は思った。

「次はピアノを弾きませんか」

 殿下は私を連れてお邸に戻って下さると、昼食をはさんで、今度はピアノを勧めてくれた。お邸というか、お城のような感じだけれど……。他の王族方は住んでおられないようなので、殿下専用のお住まいなんだと思う。
 長い廊下を突き当りまで進むとピアノ室と呼べるような部屋があって、立派なピアノが置いてあった。他の楽器と合奏もできそうな、ちょっと広めの部屋だ。

「私、ピアノもあまり弾けなくて」

 私は何もできないことを次々露呈していくのが恥ずかしかったけれど、正直にお伝えした。

「私が合わせますから、大丈夫ですよ」

 ルースタッド殿下はそう仰ると、私をピアノ椅子に座らせて、ご自身はピアノに片手をつき、私の後ろに立たれた。先生みたいかな?
 楽譜もないから戸惑ったけれど、私は右手だけで適当なメロディを弾いた。すると私の音に合わせて殿下はきらめくようなフレーズを即興でお弾きになられる。触れた瞬間に音楽が生まれてくるかのような指先だった。
 ルースタッド殿下は前に座っている私に覆いかぶさるように長い腕を伸ばして弾かれるから、私はただドキドキした。私の指と殿下の指が触れて、あっと思って離すと、息もかかりそうなほど近いし。全然集中できない……。

 殿下って凄くモテそうだなと私は思った。お顔が美しいのはもちろんだけれど、これは、女子は、誤解しますよ……。私みたいな男の人に何の免疫もない人間には毒だと思う。やっぱり貴族の男性って、こういうの得意なんだろうな。殿下も「恋が苦手」と仰っておられたけれど、よくあるセリフなのかもしれない。私は寂しく思ってそっとピアノから手を離した。

「お嫌でしたか?」

 殿下がすぐ尋ねて下さるので、

「いえ、楽しかったです」

 私は何とか笑顔を作ってそう答えた。

09.つらい思い出

 そのあと午後のお茶まで頂いて、朝帰りってレベルじゃない時間になっていることに私はようやく気付いた。何と言って従者たちに言い訳すればいいかな? ルースタッド殿下のお部屋に泊めて頂いたけれど何もなかった、とか? 何もなかったは余計かしら。私は今更恥ずかしい気がして、何とも言えない気持ちになった。

「何か心配事がおありですか?」

 ルースタッド殿下はとても鋭い方なのか、またさりげない様子ながら私にそう尋ねて下さった。

「えっと、宿の従者たちに連絡するのを忘れていたなと思いまして」

「それなら私がしておきました」

 殿下がそう仰るので、私は驚いて目をぱちくりしてしまった。

「大変ご迷惑をおかけした旨を、深くお詫び致しました」

 殿下は当たり前のように仰る。

「いえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらです」

 私は恐縮して言った。

「大切なお嬢様にもしものことがあっては、ご両親にも申し訳が立ちませんから」

 ルースタッド殿下は私の両親にまでお気遣い下さったが、

「両親はそんなに、私のことは気にしていないと思います」

 私がついそう言ってしまったので、首をかしげて私をじっと見つめられた。私は引っ込みがつかなくなってしまって、ぽつりぽつり、言葉を継いだ。

「実の母は、もう亡くなってしまったので。今の母は父の連れてきた愛人の方で、私のことは邪魔にしか思っていないと思います」

 人を悪く言うのは好きじゃないけれど。この人のことだけはどうしても好きになれずに、私はそう説明した。

「そうですか。それは、おつらいですね」

 殿下も暗いトーンになってしまわれて。私は変な話をして申し訳なかったと思った。何とかこの場を盛り上げなきゃと思うけれど、他に良い話題も見つからなくて。私は半ば投げやりになって、このつまらぬ身の上話を聞いてもらおうと思った。

「両親はよくある政略結婚だったんです。父は母のこと、何とも思ってなかったみたいで。でも母は父のこと、だんだん好きになってしまって、それでも父は外に愛人を作るのを止めなくて。母は病気になってしまいました」

 私はなるべく他人事みたいに聞こえるよう努めた。

「母が療養のため別荘へ移ると、父は一番お気に入りの愛人を家に入れて一緒に暮らし始めました。兄たちも、父に嫌われまいと何も言えなくて。みんなうわべだけは楽しそうに笑って暮らしてるんです。それがつらくて」

 長い闘病の末、母は息を引き取った。バカみたいだと思った。みんな、バカみたい。でもそんな皆に合わせられない私が一番バカなんだろう。

「愛人を作られたくらいで心を病んじゃう母がダメだったんですかね。弱すぎたのかな……」

 私は悲しく思って、誰に訊くともなく言った。愛のない政略結婚、貴族には当然のことだ。お互い愛人作って楽しくやりましょうって決めてる、形だけの夫婦もたくさんいる。夫や妻に本気で惚れるなんて野暮なのかもしれない。

「そんなことありませんよ」

 ルースタッド殿下がそう仰るので、何を否定しているのかわからなくて私はぼんやり目を上げた。

「お母様はダメなんかじゃありません」

 殿下はやっぱり強く仰る。

「夫婦が愛し合うのは当然のことです。どんな事情があろうと、夫を好きになるのが可笑しいということはありません」

 そう仰るのが殿下と言うより司祭様の口調なので、私はなぜか安心できる気がした。

「ありがとう、ございます」

 殿下は私に喜びばかり下さると思って、私は心からお礼申し上げた。お礼を言っているはずなのにぽろぽろ涙がこぼれて。殿下が柔らかいハンカチを下さったので、私はそれで潤む両目を押さえた。

10.告白

 もう夕方近くになってしまって、私はそろそろ帰らなきゃと思った。帰りたくないけど、帰らなきゃ、宿へ。生まれ故郷の、息の詰まるようなあの家へ。ふーと息を吐くと、お茶のカップをテーブルへ置く。

「サーシャ、お願いがあるのですが」

「はい」

 不意に名を呼ばれて。私は何だろうと思ってルースタッド殿下を見つめた。

「今夜もここに泊って下さいませんか。できれば、これから先もずっと」

 私は何を言われているかわからず、しばらく殿下を見ていた。

「私と結婚して下さい」

 あまりにも突然の告白に、息が止まりそうになる。

「私はあなたほどくつろいで過ごせる人と出会ったことがありません。あなたといると地位や立場を忘れて、自然体の自分でいられます。とても安らぐ」

 ルースタッド殿下はそう仰ると、私の手に自分の手を重ねた。

「あなたのつらい体験を聴いた後、このようなことを言うのは軽率に聞こえるかもしれませんが。あなただけを終生大切にすると誓います」

 その言葉と態度があまりにも誠実に見えるので、逆に不安になってしまって。私はせっかく止まった涙がまたぽろぽろ流れ出すので困った。

「やはり、私が信用できませんか」

「いえ、あの、私……。今まで男の方と付き合ったこともないので、どうしたらいいかわからなくて」

 この方と結婚してしまっていいの? 私は不安だった。私の何を気に入って下さったんだろう。その気持ちは今後も変わらないと言えるの……? 怖かった。この方と結婚するのが。この方をこれ以上好きになるのが怖い。

「では、私と結婚前提で付き合って下さい。私をよく吟味して、その結果断って下さっても構いませんから」

「殿下……」

 ルースタッド殿下は私の目を見ながら真剣に仰って、私の手を離してはくれなかった。

「私のことはルースと呼んで下さい」

 そう言うと私の手を掴んだまま立ち上がり、私を強く抱きしめて下さった。あったかい……。昨日もだけれど、この方の胸は本当にあたたかくて心地いいと思った。

「すみません、急にこんなことを言い出して。戸惑いますよね」

 ルースさまは私を抱く腕を少し緩めると、あのホッとする笑顔で私に笑って下さった。

「結婚を申し込むのに、もっと手順を踏むべきなんでしょうが。今を逃したら、もうあなたに会えない気がして」

「私もそんな気がします。何件かお見合いの話も来ていたので」

 義母が私を早く片付けようとしていることはわかっていたので、私は家出しようかとすら思っていた。

「それは危ないところでした」

 ルースさまがそう仰るので、私も思わず苦笑する。

「私もルースさまと一緒だととても落ち着いて安心できます。こんな素敵な方とずっと一緒にいられたら、と思ったりはしましたが……まさか現実になるとは思っていなくて」

 私はそう言った後、少し悲しくなって尋ねた。

「あの、舞踏会で一緒だった方とは付き合っておられないのですか?」

 彼女の、大聖堂のドアからルースさまを見つめる瞳は確かに恋する女性のものだと思ったのだけれど。

「シシリーですか」

 ルースさまはふっと寂しそうに微笑なさると、

「シシリーとは昔付き合っていたことがありますが、今はいい友人です」

 と遠い目をして仰った。その言い方がどこか切なげで、何かのっぴきならない事情があったのだろうと私は察した。これは、深入りしてはいけないと思う。

「シシリーのことを気にして下さるのですか」

 ルースさまは穏やかな瞳で私を見つめられた。

「あっ、はい。ちらとお見かけしただけですが、とても素敵な方だと思ったので」

「ありがとう。サーシャは優しいのですね。ますますあなたが好きになりました」

 ルースさまはホッとしたように笑うと、もう一度私を抱きしめて下さった。優しいのに強くて、抗えない気がして。私はルースさまの体温を感じて、そっと目を閉じた。

11.恋の勝負

 夜になり、美味しい夕食を頂いて。私は今夜もここに泊るのだということが不思議な夢のように感じた。

「あの……ひとつお尋ねしてもいいですか?」

 私は失礼かもしれないと思ったけれど、どうしても訊いておきたくてルースさまを見上げた。

「私のどこが好きなのでしょう?」

 ルースさまはオリーブグリーンの瞳で私をじっと見つめると、懐かしそうに話して下さった。

「私の目がまだ今より見えていた、子供の頃のことです。私は司祭見習いとしてある地方への慰問に同行し、今のように聖堂でオルガンを弾いていましたが、地元の聖歌隊に白いベレー帽をかぶった少女がひとり、小鳥のように可愛い声で歌っていましてね。あの頃はまだお母様もお元気そうでしたが……」

 白いベレー帽……六歳くらいの頃かな? 私はあいまいな記憶を何とか引っ張り出そうと努めた。

「昨日あなたの歌声を聴いたとき、あの時の少女があなたなのでは、と思ったのです。それを確認したくてバルコニーに誘ったのですが、私のシャンパンをあなたが飲んで倒れられて。びっくりしました」

「そうですよね。本当すみません」

 何度思い返しても恥ずかしくて私がまた謝ると、

「あなたにもしものことがあったら、私は一生償いの人生を送るつもりでした」

 ルースさまが冷静にそう仰るので、私は心底驚いてしまった。

「そこまで、ですか……?」

「私が飲むはずだったものを代わりに飲んで倒れられたのですから。生涯祈りと償いの人生を送るつもりでした。昨日から丸一日ほどたちますが、お体は何ともありませんか?」

「はい、大丈夫です」

「それは良かった」

 なんて真面目で責任感の強い方なんだろうと思って、私はルースさまをまじまじと見つめてしまった。

「私も一つ、訊いてもいいですか」

「はい」

 この場を和ますようにルースさまがにっこり微笑んで仰るので、私は安心して頷いた。

「私のどこがお気に召しませんでしたか?」

「えっ……」

「私と結婚できない理由が知りたくて。やはり目のことですか」

「いえ、そんなことはないのですけど」

 私はどぎまぎしてしまって、首と両手を振って否定した。

「マーレタリアは小さな島ですし、私なんかと結婚なさって大丈夫かなって。その、体面的にも」

 どんな社交の場もたいてい男女ペアで参加するので、ルースさまの隣が私で恥ずかしくないか、私は心配だった。ルースさまの格を下げるんじゃないかって。

「私は八人きょうだいの末子ですし、眼鏡がないと字も読めないくらい目が悪いので、王家の戦力としては数えられていないと思います。そのせいで飾・り・として狙われるところはあるのですが」

 ルースさまはその程度の理由かというようにホッと息をつかれると、優しく仰った。

「私も、形だけの結婚は好きじゃありません。結婚するなら好きになった人と、とずっと思っていました。これでも一応司祭ですから。自分に嘘はつきたくないのです」

 ルースさまが同じように考えて下さっていたことを知って、私は嬉しく思った。

「私はあなたを好きになりました。他の方に心を移すつもりはありません。一生かけて証明してみせますから、私のそばで、ずっと見ていて下さい」

「はい」

 これほど真摯な告白を受けて、私はもったいないような、身の引き締まるような思いがした。この方は本気なんだ。私も本気だけれど。お互い絶対に浮気しないことを証明する、これは一種の勝負だと私は思った。

12.同居からの恋人

「では、サーシャの部屋を用意させますね」

 ルースさまがそう仰るので、私は思わず問い返してしまった。

「お部屋、ですか?」

「要りませんか?」

 ルースさまは顎に手を置いて少し思案なさると、

「私と同室はまだ早いと思いましたが。私と寝ますか?」

 とお尋ねになる。

「えっ?! あ、じゃあ、やっぱり……」

 私は最高度にビックリしてしまって、かなり失礼な答え方をした。

「用意しますね」

 ルースさまは怒るご様子もなく、にっこり笑って頷いて下さる。そっか、そうだよね、部屋いるよね……。

「あの、私、本当にここに住まわせて頂いて大丈夫ですか?」

 私は今更ながらルースさまに尋ねてしまった。

「私もこういうことは初めてなのですが、サーシャとは結婚前提でお付き合いしたいと思っているので。それともやはりおうちへ帰りますか? 遠いとなかなか会えなくて寂しいのですが……」

 ルースさまが優しい笑顔を少し曇らせて寂しいと仰るので、私は胸がキュンとしてしまった。

「私も寂しいです。私、家があまり好きじゃないので、ここに置いて頂けるととても有難いです」

「じゃあ、そうしましょうね」

 ルースさまは嬉しそうに頷かれると、ルースさまのお部屋と同じ階にある客間を私の部屋にして下さった。

「カーテンや壁紙、部屋の調度などはどうしましょう?」

「今のままで結構ですよ。立派な物ばかりで、変えるなんてもったいないですから」

「ありがとう。控えめなんですね。ただ、私はサーシャの好みが知りたいのです」

 ルースさまがそう仰るので、私はちょっと返答に困ってしまった。確かに私の好みじゃない物もあるけれど……。

「じゃあもっと好きな物を見つけたら、おいおい揃えていってもいいですか。私の好みは田舎寄りだと思いますし。ルースさまに教えて頂きたい気持ちもあるので」

「そうですね、おいおい」

 ルースさまはおいおいという言葉がお気に召されたのか、にこっと笑われた。この笑顔、本当に癒されるなあ……。
 ルースさまは今日から私の部屋になった客間の窓を大きく開けて空気を入れ替えて下さいながら、ふと思いついたように仰った。

「恋人なのにいきなり同居なんて、ロマンがなさすぎたでしょうか? もっと会えない切なさやすれ違うドキドキがあったほうがいいですかね?」

 真剣にそういうことを悩んでおられるのが何かおかしくて、私は苦笑してしまった。

「いえ、私はいつもおそばにいられるほうが嬉しいです」

 私は恋に非日常感を求めてはいなかった。ドキドキなら、今もしていますよ。あなたの笑顔に。

「そうですか」

 ルースさまはちょっと恥ずかしそうになさると、

「私は、時間で言うと八割くらいは司祭の仕事をしています。後の二割は王家の一員としての外交や付き合いと言ったところでしょうか。あまり華やかな暮らしではありませんが、よろしいですか」

 と丁寧に私に確認して下さった。

「大丈夫です。私の方こそ田舎者で至らぬ点ばかりだと思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 私もペコリと頭を下げて。ルースさまのお邸での同居生活が始まることになった。

13.お邸のアウェー感

 ルースさまの朝はかなり早かった。小鳥のさえずりと共に起き、たかはわからないけれど、私が起きて朝の支度を終えた頃には、もうお邸を出てしまわれたそうだ。

「旦那様は早朝馬たちの様子をご覧になられてから聖堂に出向かれ、お勤めをなさいます。夜までお帰りになりません」

 召使いたちは冷たい口調で私に教えてくれた。何となく感じていたけれど、私はこのお邸のメイドさんたちに嫌われている気がする。これは、アレだな。このお邸の人にとって、私が一番嫌っていた父の愛人みたいな存在に今の私がなっちゃってる感じかな。違いといえば、実家では私は召使いたちと共に愛人を避けていたけれど、今は避けられる立場ってことかしら。

 私は丸腰で敵地に赴いてしまったようだと思った。こういう時メイドたちを上手く掌握する術も世間にはあるんだろうと思いながら、それも寂しい気がして私はなんとなくそのままにしておいた。いきなり異物が入ってきたんだから、嫌われても仕方ないよね。

 メイドたちはそれでも職務には忠実で、お茶と食事の提供に続いて、宿に置いてあった私の荷物を従者が持ってきたからと私の部屋まで届けてくれた。従者たちはそのまま主である父の邸に帰ってしまったらしい。まあ、そうなるよね……。


 私はルースさまと一緒にいられればそれで満足なのだけれど、召使いたちに嫌われたままなのは悲しいなと思った。とはいえ、いい考えも思い浮かばずに。私は昨日一緒に乗馬をさせてもらったお庭へ行った。馬たちは朝ごはんを食べた後なのか、草地を気持ちよさそうに走り回っている。

「君たちはいいね」

 私は賢そうな馬たちの首を一頭一頭撫でさせてもらった。君たちと話せたら。ルースさまのこと、もっとたくさん聴きたいのにな。荷物まで送り届けられて、いよいよ退路を断たれた感じを私は受けた。もともと実家を出るつもりではいたけれど、このアウェー感。ルースさまに相談するのも告げ口みたいになって嫌だし、これは踏ん張りどころだよね。

 お花でも贈ればいいのかな。美味しいお菓子や、綺麗な洋服とか? なんて、露骨なわいろは下品か。私がいろいろ無い知恵を絞って考えながら歩いていると、半開きになったドアの陰でメイドたちがひそひそ話をしているのが聞こえた。

「シシリー様を差し置いて」

 その単語だけが聞こえて。やっぱり彼女が奥様の第一候補だったのだと思うと、私は嬉しいような悲しいような複雑な気分になった。どうしてこんなに彼女のことが気になってしまうんだろう。じっとルースさまのことを見ていた彼女の姿が亡き母と重なる気がして私は苦しかった。私が略奪しちゃったのかな。

 ルースさまに選ばれたのは私なんだから、自信をもってどーんと構えていればいいんだろうけれど。私はできれば召使いたちとも信頼関係を築きたいと思っていた。彼らにまで好かれるシシリーさんって、どんな魅力を備えた方なんだろう。お会いしてお話してみたいな、なんて……。お仕事を終えて帰ってこられたルースさまと一緒に夕食を頂くときも、私はぼんやりそんなことばかりを考えていた。

14.シシリーとの出会い

「サーシャ? 大丈夫ですか」

 何度目の呼びかけだったんだろう、私はルースさまにそう呼ばれる声でハッと我にかえった。

「はい」

 ナイフとフォークを持ったまま、無心でルースさまを見つめる。

「何か考え事ですか?」

 ルースさまは優しく問いかけて下さった。

「あ、はい、えっと、大したことでは」

 私は給仕のために控えるメイドたちを意識しながら言った。ここで話すと聞かれちゃうよね。
 ルースさまは私の様子をしばらく心配そうに見つめておられたが、やがて穏やかに微笑むと私のことを誘って下さった。

「明日は、私と一緒に聖堂へ来ませんか」

「いいんですか? お仕事のお邪魔になりませんか?」

「共に祈って下さるなら。邪魔にはなりませんよ」

 ルースさまは司祭様の笑顔で答えて下さる。私はルースさまと一緒にいられると思うと嬉しかった。

「明日は早起きしますね!」

 私が気合いを入れてそう言うと、ルースさまはフフフとお笑いになって、

「馬車を寄越しますから。準備ができてからでいいですよ」

 と朝に弱い私を甘やかして下さる。お気持ちは嬉しいけれどやっぱりルースさまと同じ時間に行きたいと思っていたのに、結局遅れてしまって、次の朝、私は朝食もそこそこにお邸を出た。

 馬車に乗って十五分くらいだろうか、舞踏会の日ルースさまと初めて会った大聖堂に到着すると、ちょうど礼拝中のようで老若男女たくさんの人が来ていた。ルースさまは祭服をお召しになられ、静かに祈りを唱えておられた。
 カッコいいなあ。私はそっと入って一番後ろの椅子に腰かけると、お仕事中のルースさまに見とれていた。神様に感謝しなきゃ、ルースさまと出会えたこと。皆で祈りを捧げ、礼拝が終わり人々が帰ってしまっても、私はしばらくそこに座っていた。壁面一杯に嵌まったステンドグラスから光がさして、ここだけ時が止まったかのように静かだった。

「サーシャ、来てくれたのですね」

 白を基調とした祭服をお召しになられたルースさまはいつも以上に尊い感じがした。

「はい」

 私はゆっくり頷いて、ルースさまの御顔を見上げる。

「そうそう、サーシャに紹介したい人がいるのです」

 ルースさまはそう仰ると、聖堂の奥から一人の女性を連れてこられた。艶やかな銀髪に藍色の瞳の、私が会いたかったあの人だ。

「シシリー、こちらは私が結婚を前提にお付き合いしているサーシャです」

 ルースさまが何のためらいもなくそう仰るので、私は内心ヒヤヒヤしてしまった。

「ビュッテンバフェット公爵家のシシリー・レイチェルバルトよ」

 シシリーは強い瞳で私を見ると、サッと右手を伸ばした。私より背が高くて年上の、しっかりした女性のようだ。

「サーシャ・イル・マーレです」

 私は頭を下げると、右手を伸ばしてシシリーと握手をした。シシリーは乗馬服だろうか、白いブラウスに細身のパンツ、黒いブーツがとてもよく似合っていて、凛々しく格好良かった。

「あなた、何かできる? 馬とか弓とか」

「いえ、特に何も……」

「そう」

 シシリーは嘲笑するふうもなくそれだけ確認すると、ルースさまと何かお話していた。「ルース」「シシリー」と親しげに呼び合うのも格好良くて、舞踏会のドレス姿も良かったけれど今日の姿もとても良いなと思った。私は初対面の彼女に一目惚れして、一瞬で彼女のファンになってしまった。

15.馬車の中で

 ふわっと優しいルースさまと、キリッと凛々しいシシリー。二人並ぶと例えようもなく美しくて。
 これはお似合いだわ……。
 私は自分がルースさまのお邸で働くメイドだったとしてもシシリー派になるだろうと思った。これは皆の反発も当然ですわ。

 私には彼女に負けて悔しいという感情は一切なかった。ただ、これほど素敵なシシリーを間近で見ながらなぜルースさまは私を選ばれたのか、心底謎で仕方ない。家柄、立ち居振る舞い、能力、顔。私がシシリーに勝っている要素、何一つないと思うんだけれど……。

 私はそんなことを考えながら、ただぼんやりルースさまとシシリーを見ていた。二人は何か重要な会話を重ねていたようだったが、やがてシシリーは馬に乗って先に帰ってしまった。白馬にまたがるシシリーもカッコいい……。私はぽわっと上気した顔で聖堂を出ると、ルースさまと共にシシリーを見送った。

「サーシャ、少し手伝ってもらえますか?」

 ルースさまはシシリーに見とれる私を微笑んで眺めておられたが、やがて促すように声をかけて下さった。

「あっ、はい」

 外の掃き掃除をはじめ、花壇の水やり、聖堂内部の雑巾がけなど仕事はいくらでもあった。殿下ともあろうお方がこんなことまでなさるんだと私は驚いたけれど、これも司祭としてのお勤めなんだろう、ルースさまは平然とこなしていらっしゃる。
 私はじっとしている方が落ち着かなかったので、喜んでお手伝いさせて頂いた。ルースさまのお祈りやオルガン演奏も聴けて、私は得した気分だった。

「今日はありがとう。疲れましたか?」

 帰りの馬車の中で、ルースさまは優しく訊いて下さった。

「いいえ、楽しかったです。明日も来ていいですか?」

「ええ、いつでもどうぞ」

 ルースさまは嬉しそうに微笑んで下さる。

「シシリー、素敵でしたね!」

 私はそのことばかり印象に残って、興奮気味に語った。

「馬に乗る姿も凛々しくて、乗馬も上手なんでしょうね」

「ええ。シシリーとはいい乗馬仲間です」

 ルースさまも笑って頷いておられる。

「芯のある、とても頼りになる女性ですよ。私の最も信頼する友の一人です」

 ルースさまの言い方がしみじみと心からの感じなので、シシリーファンの私は嬉しい反面、それほど信頼する人と結婚しない理由も何かあるのだろうと思った。したかったけれど、できなかったのかな。私にはわからない、今まで培ってきた二人だけの時間があるんだと思う。

「サーシャ」

 ルースさまは私の耳元で、シシリーのことで頭がいっぱいの私に優しく微笑みながら囁かれた。

「キスして、いいですか」

「……えっ?」

 私はハッと我に返って、ルースさまを見つめた。馬車が少し揺れたので、ルースさまは私の手を取って支えて下さった。

「嫌なら、やめます」

 手を握られたままじっと見つめられると困ってしまって。やめられるのも惜しくて、私はついルースさまにすがるように言った。

「やめないで……下さい」

 時折揺れる馬車の中で。私は初めてルースさまとキスをした。

16.ぎこちない二人

 同居しているとはいえ、ルースさまはお邸でもとても折り目正しい感じなので、私にそんな思いを抱いて下さっているとはつゆ知らず、私は嬉しいのに恥ずかしいような妙な気持ちになった。つゆ知らずっていうのもおかしいよね、結婚前提のお付き合いなんだから……。

 夕食を頂いても、恥ずかしさでいつもほどお顔を見ることはできなくて、それはルースさまも同じなようだった。私は言葉少なにさっきの唇の感触を思い出していて。ずっと覚えておきたくて、何か食べるのが惜しいような気持ちになってしまう。

 その夜はなかなか寝付けなかったけれど、それは幸せな不眠だった。うたた寝の夢にルースさまが出てきて、抱きしめあって、目が覚めるとがっかりして。ルースさまは今頃どうしておられるだろうと思った。ぐっすり眠っておられるかな。
 翌朝廊下でお会いしても妙にぎこちない感じになってしまって、私は残念に思った。この日も一日中聖堂でお手伝いさせてもらって。帰りの馬車でご褒美のキスをもらうとやっと息ができる気がして、昨日より長く求めてしまう。

「何と言うか、その……。一緒に住んでいると、逆に触れ合いにくいものですね」

 ルースさまがため息をつくように仰るので、同じことを思っていて下さったんだと私はホッとした。

「そう、ですよね」

 誰にも知られてはいけない関係を結んでいる気がして、私は落ち着かなかった。同居までしているのだから、知られないどころか周知の事実のはずなんだけれど。どこまで進んでいるのか逐一バレているような気がして、あまりにも恥ずかしい。

「今度デートしましょうか」

「デート、ですか?」

 ルースさまは確かめるように私の頬に触れると、髪も撫でて下さった。

「二人きりになりたいのです。少し不便かもしれませんが……」

「どこにでも、お供します」

 私はルースさまの鼻に自分の鼻を触れ合わせるようにキスすると言った。このままどこかへ連れ出してほしい。

「懇意の宿を貸し切れるよう、手配してみますね」

「お仕事のほうは大丈夫ですか?」

「あの聖堂は私を含め四人の司祭で職務を分担していますから。予定を調整すれば問題ないでしょう」

 ルースさまは私を抱きしめてまたキスを下さった。私は次に進みたいけれど怖いような、もどかしい気がして。でも邸のメイドたちの前では手をつなぐのもはばかられて、ただデートの日を待っていた。

17.初めての夜

 私たちはとある郊外の宿に三日ほど泊めてもらえることになった。普段は巡礼者で混み合う宿だけれど時季外れだから可能だったみたい。デートに使うなんて何となく罰当たりな気もするけれど……。神様、お許し下さい。

 川のほとりに建つ小さな宿で、私はとても安心できた。浅い川だったので私は裸足になって入り、冷たい水の感触を楽しんだ。ルースさまは木陰でのんびり本を読まれている。丸眼鏡をかけたお姿も素敵だけれど、ルースさまご自身は眼鏡を好きじゃないようだった。

「頭が痛くなるので」

 王家の方でルースさま以外に眼鏡をかける方はおられないので、目立つのが嫌だったのかもしれない。
 パンとチーズ、豆のスープと宿の食事は簡素だけれど、それも巡礼者の宿という感じがして私は好きだった。夜は星が綺麗で。いつかまたここに泊って今度はちゃんと聖地巡礼をしてみたいなと思いながら、私はルースさまと手を繋いで星を見た。


 お部屋も豪華じゃないけれどとても落ち着く空間で、枕元には見慣れた祈祷書が置いてあった。私は空で言えるけれど形だけページを開いて、ルースさまと一緒に夜のお祈りをした。何かとても神聖な雰囲気になってしまった……。また失敗したかな? でもルースさまが不意に抱きしめて下さったので、私はまた甘えて、しばらくルースさまの体温を感じていた。

「灯りを、つけたままでもいいですか」

 小さなランプだったけれど、顔も見えるくらい照らしてくれるので私は恥ずかしい気持ちになった。

「むしろ、真っ暗にしませんか?」

 自分でもいい思い付きだと思って明るく提案してみる。

「それでは危なくないですか? ケガをさせてもいけませんし」

 ルースさまは少し言いよどまれていたが、

「あなただから白状してしまいますが、私はこういうことは自信がないのです」

 寂しそうに苦笑して、私に教えて下さった。

「じゃあ、やっぱり暗くしてどれだけ失敗してもいいことにしましょう!」

 私は良い提案をしたつもりだったのだけれど、

「失敗する前提なんですね」

 ルースさまが心外そうに仰るので、私はあっ、やってしまったと思った。

「いや、えっと、誰だってはじめから上手な人はいませんし」

「私は初めてではないんですけど?」

 ルースさまはニコッと笑っているけれど内心怒っておられるようで、私は恐縮した。いけない、墓穴掘ってる。

「なんか、すみません……」

 ルースさまの男心が繊細すぎて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。

「ただ経験豊富なわけでもないので、女性からすれば不安なのは同じことですよね」

 ルースさまは私の頭をナデナデして下さると、そう仰ってため息をつかれた。何かつらい経験があったのかな。男の人って大変なんだ。私はつい心配になって、ルースさまを励ましたく思った。

「じゃあ私を実験台にして、私でいっぱい練習して下さい」

「練習……? なぜですか?」

 ルースさまは怪訝な顔をして問われた。

「ルースさまの思い出に残れたら嬉しいなと思ったので。いつかとても上達なさっても、私のこと忘れないで下さいね」

 私は言ってしまってから恥ずかしくなって、急いで付け加えた。

「とは言っても、私も素人ですからお役には立たないかもしれませんが……」

 ルースさまはしばらく黙って私を見つめておられたが、私をベッドに座らせてくれると枕元のランプをフッと吹き消された。

「あなたが他の人にとられなくてよかったです」

 淡い瞳の光だけを残してそう仰ると、私を抱き寄せ、静かにキスをなさった。

18.休日の前夜

 ルースさまとの夜はとても気持ちがよくて、私はやっと一つになれたんだとホッとする気がした。ルースさまはやっぱりとてもお優しくて、どんな些細なことも耳元で囁くように確認して下さる。それが色っぽく、ノーなんて言えるわけなくて、私はすっかりメロメロになってしまった。夜のルースさまは言動はお優しいのに眼光だけは冴えて尖っておられるようで、それも私には魅力的だった。よく見ようとして目を細めるからかな?

「精一杯、努力しますね」

 ルースさまはいついかなる時も真面目で真剣だった。

「だからどうされるといいか、教えて下さい」

 私にそう言って下さるのだけれど、私は細かいことを説明できるほどの余裕は全然なくて。

「えっと、じゃあ、一緒に楽しみましょう? 私たちの、ペースで……」

 やっとそれだけ言うとルースさまに抱きついた。私だけを愛して下さるという約束はありがたいのだけれど、責任重大だよなあ。生真面目なルースさまは、私との夜にどんなに不満があってもご自身で立てられた誓いを守られきっと浮気なさらないのだろうと思うと何か申し訳なくて、私が一生懸命頑張って満足させて差し上げないと、と妙な使命感がわいてくる。でも頑張るってどうすればいいんだろう? 全然わからないんだけれど……。

「どう、したらいいですか? 私にも教えて下さい」

 私はルースさまの御手にキスしながら言った。私はこの宿で生まれて初めて、昼も夜もないような自堕落な日々を過ごした。

◇◇◇

 帰るのが惜しいようだけれど、それでも日常に戻らないといけなくて、私たちは帰路についた。帰りの馬車の中でも私たちは無言で。互いに身を寄せ合い、ホッとため息をつく。満足しているようでまだ足りないような、微熱を帯びた不思議な感覚だった。お邸に戻った後もその感覚は続いていて。ルースさまは休日の前夜になると私の部屋へ来て下さるようになった。

「ルースさま、怒ってますか?」

 私はある夜、ずっと気になっていたことをおずおず尋ねた。

「怒ってますよ」

 ルースさまはあの尖った瞳で、私をまっすぐ見てお答えになる。

「私を忘れないでってどういう意味ですか? どこかに行ってしまうのですか?」

 私は答えに窮してただルースさまを見つめていた。

「どこにも行かないで。長生きして下さい」

「はい……ごめんなさい」

 ルースさまは私の返答をきくと、少し笑って私を愛して下さる。
 私たちは私の部屋で二人の時間を楽しむようになった。ルースさまは用事があってお部屋をノックされることも多いけれど、私に用がある人はいないので。ルースさまは優しい笑顔はもちろん、飾らない姿も見せて下さるようになって私は嬉しかった。

「会うたびにあなたのことが好きになります、サーシャ。もっとよく顔を見せて」

 そう言われると恥ずかしくてつい目をつぶってしまうけれど。ルースさまは何度もキスをして下さるので、私も嬉しくてたくさんお返しをした。お互いすればするほどもっと欲しくなって、時間を忘れて求めあって、こんな幸せがこの世にあるのかと私は思った。こんな、尽きない泉のように湧き上がる幸せが。

「ルースさま、大好き……」

 私は周囲がどう思うかなんてことはもう完全に忘れてしまって、ただこの方を愛した。私自身知らなかった面まで引き出される気がして、私はルースさまに深く溺れていた。

19.バカンスのお誘い

 ある晴れた朝のことだった。私はルースさまと朝食を済ませると広いお庭に出て、やっぱり馬たちの鼻を撫でていると、

「サーシャ、おはよう!」

 元気よく後ろから声をかけられた。このお声は……。私が振り向くと国王陛下が、ニコッと笑って立っておられる。

「サーシャ、綺麗になりましたね! 叔父上は本当にサーシャのことが好きなんだろうね。愛し合う二人か、いいなあ……」

「はい……おはようございます」

 私は唐突に言われたのでびっくりしたけれど、何とかお辞儀して陛下にご挨拶申し上げた。

「叔父上はおられますか?」

「ルースさまでしたら、おそらくお部屋に」

「ありがとう!」

 陛下は私に手を振られるとタタタッと行ってしまわれた。本当に明るくて爽やかな方だなあ。私は駆けていく陛下の後ろ姿を見送りながら、耳まで真っ赤になるのがわかった。
 今日はルースさまの休日で、つまりその、私たちは昨夜も愛し合っていたので……。私は自分の髪や服がおかしくないか急いで確認してしまった。こういうことって一目でバレてしまうものかな?? 陛下にお褒め頂けたのは嬉しいけれど。綺麗になったというのはお世辞だよね、きっと……。

 私はかなり恥ずかしかったけれど、陛下がいらっしゃったのに馬たちと戯れているわけにもいかないと思ってお邸に戻った。玄関に入りかけるとちょうど陛下がお帰りになるところで、私はルースさまと一緒に礼をしてお見送りした。

「すみません、遅れてしまって」

「いえ、陛下もお急ぎだったようですから」

 ルースさまはいつもの優しい笑顔で私をお許し下さった。

「陛下が私たちを船旅へ連れて行って下さるそうなのですが、サーシャも行きますか?」

「船旅ですか?」

「ええ。王家の避暑地のようになっている離島があって、夏はよくバカンスを楽しんでいるのです。何もない島ですから、のんびりするだけですが」

「いいですね!」

 私は水辺が好きなので二つ返事で同意した。ルースさまは私の即決に安心したご様子で微笑まれると、

「良かった。では行くという返事を出しておきますね」

 私ににこっと笑って下さった。夏のバカンスかあ、王家は凄いなあ。私も小さな島出身だから、毎日バカンスのようにのんびり暮らしていたのだけれど。

◇◇◇

 お仕事の日はお手伝いに行って、お休みの日は乗馬やピアノを教えてもらって、私はいつもルースさまと一緒に居られて幸せだった。新鮮味がなくなって、恋人としては良くなかったのかもしれないけれど……。
 その日も聖堂を掃除したりお花を飾ったりして、私はルースさまのお仕事を少しお手伝いした。それから一緒にお祈りして、ルースさまのオルガンに合わせて歌って。明後日はお休みだなあ。やっぱりお休みの前の日が一番嬉しい。

「このような生活は退屈ではありませんか?」

 この日のお仕事帰り、馬車の中でルースさまは静かに問われた。

「いいえ。ルースさまのオルガンが聴けるし、一緒にいられるので嬉しいです!」

 私は張り切って答えた。ルースさま、ちょっと元気ないかな……?

「サーシャはいい子ですね」

 ルースさまは私を優しく見つめられると、また頭をナデナデして下さった。

「ルースさまは退屈なのですか?」

「いいえ。私もこの静かな生活が気に入っているのですが、あまりにも地味なので、若いご令嬢は嫌がるかと思いまして」

「私はちっともご令嬢じゃないですよ。地元では船を出して魚を捕ったりして遊んでました」

「船が操れるのですか!」

 ルースさまは少し感動したご様子で私を見つめられた。私は照れてしまって、

「小さな帆船ですけど」

 恥ずかしそうに付け加える。たぶんルースさまのイメージする船じゃないと思うなあ。

「凄いですね! 今度乗せて下さい」

「はい、喜んで」

 今度バカンスで行く島にも船があれば乗せられるかもなあなんて思いながら私は笑った。ルースさまも笑って下さって。ルースさま、船がお好きなのかな? 私も海が好きなので嬉しいな。ルースさまが喜んで下さることなら何でもしたいなと思いながら、私は船旅の日を楽しみに待った。

20.不運な事故

 リベルスタン王国にも夏が来て、照り付ける太陽がじりじりと肌を焼く季節になった。いよいよ待ちに待ったバカンス。私は持っていくドレスや靴を選びながら、楽しみで仕方なかった。
 港町まで馬車で移動してから、停泊している王室専用の大型帆船に乗る。マストが三本もある立派な船で、速度も出るらしい。見た目もカッコよくて素敵な船だった。船員さんたちの仕事も手早くキリリとしていて、普段から船に乗り慣れている人達だろうと思った。

「わーい、みんな早く行こう!」

 レオナルド陛下はいつにもまして明るくウキウキしておられた。陛下が一番この催しを楽しみにしておられるのかもしれない。陛下のご両親である先王ご夫妻をはじめ、ルースさまのごきょうだい、ご親戚など乗客は王室関係の方ばかりだった。私の大好きなシシリーもいて、私たちを見つけると軽く手を振ってくれる。

「ルース、サーシャ、久しぶりね!」

 船上で見るシシリーもやっぱりクールで格好良かった。

「私の姉がルースのお兄様と結婚してるの」

 シシリーがそう言うので、二人は親戚でもあるんだ、さすが公爵家だなあと私は感心した。家柄も釣り合っているし、安定した幸せな結婚なんだろうな。

「そうそう、サーシャをみんなに紹介しましょうね」

 ルースさまはそう仰ると、私を連れてご家族の間を回り、丁寧に紹介して下さった。皆さん上品で優しくて。私もこういう方々の仲間に入れるのかなと不安だったけれど、

「あなたがサーシャね。ルースが選びそうな子ねえ」

 とご年配の女性に納得した様子で言われて、それで少し安心できた。


 大きな帆いっぱいに風を受けて、船はスイスイ飛ぶように走った。海も凪いでいて、青空を映してきらめいている。三時間ほどで目当ての離島が見えてきたので、私は嬉しくなって甲板の手すりにつかまりながら背伸びをした。ルースさまは帆を操る船員の仕事を丁寧に観察されながら時折質問なさっていて、本当に船がお好きなようだ。
 島もだいぶ近づいてきてあと少しで港に着くかなと思った時、ドンと重い響きがして船体が大きく揺れた。船は止まってしまったようで、船員たちが慌てて走り回っている。私は船底をこすったのかなと思ったけれど、事態はもっと深刻なようだった。

「このままでは浸水します。ボートで脱出して下さい」

 船員たちはそう言うのだけれど、救命ボートは四艇しかなく、全員を運ぶには何度か往復しなければならないので船上はちょっとしたパニックになった。
 でもちょうどいいタイミングで離島から漁船が何艘も駆けつけ、私たちを島まで乗せて行ってくれることになったので、私たちはホッと胸を撫でおろした。怪我人も出なくて不幸中の幸いだったのだけれど、

「一体何に衝突したんだ? こんなところで座礁するはずがないんだが……」

 私は船員さんのこの一言が気になって。座礁した船体と海の様子をじっと見つめながら、しばらく考えを巡らせていた。

21.悪い人魚

「酷いことになったわね」

 王室のバカンス史上も初の事故だったのか、いつもクールなシシリーもさすがに眉を曇らせていた。
 王室専用の大型帆船は沈没こそしなかったものの、船内に水が溜まってしまったらしい。満潮時を狙えば船を動かせるらしく、荷物の運び出し、船底の補強など船に残った船員たちは作業に追われていた。私は濡れても透けにくい服を選んできて良かったと思いながら、人気のない浜辺まで歩くとルースさまにあるお願いをした。

「ルースさま、ちょっと泳いできてもいいですか」

「えっ? 今ですか??」

「船が座礁した理由、どうしても確かめたくて。お願いします」

 私はそれだけ言って頭を下げると、脱いだ靴をルースさまに預けた。そして夏用の薄いドレスに裸足のまま海に入ると、大型帆船に向かって泳いでいった。
 ルースさまは後から「気が気じゃありませんでした」と仰っておられたけれど、私はこの程度の海なら子供の頃から泳ぎ慣れていたので造作もなかった。夏で水温もちょうど良かったし、穏やかで澄んだ海にはカラフルな魚もたくさんいて、バカンス中また泳ぎにこようと思ったくらいだ。
 今は座礁した原因を調べないと。私は船体の周りを一周してから、海に潜って何にぶつかったのか調べた。海底には最近沈んだと思われる漁船があって、これにぶつかって座礁したんだなと私は思った。
 私がスイスイ泳いで浜辺に上がってくると、シシリーが待ち構えたように言った。

「サーシャ、あなた泳ぎが上手ね!」

「子供の頃から海で遊んでいたので」

 私はシシリーに褒められて照れたけれど嬉しかった。

「海底には漁船が沈んでいました。魚たちもまばらなので、沈没してまだ数日だと思います」

「じゃあ、それにぶつかって座礁したのね」

 シシリーは顎に手を当てながら考えている。

「でも妙です。こんな浅瀬に沈没船があったら危険ですから、すぐ片付け始めるはずです。王室の帆船が到着するとわかっていれば余計に」

 私は疑問に思って言った。さっき絶妙のタイミングで島から救助の船がやってきたことも妙だった。何か匂う。

「誰かがわざと沈めたということ?」

 シシリーは鋭く問うた。

「まさか。この島には子供の頃から来ていますが、皆親切な人ばかりですよ」

 ルースさまがそう仰るので、私はある仮説を半ば確信しながら言った。

「これは人魚の仕業じゃないでしょうか」

「人魚? 神話の?」

 シシリーが怪訝な顔をして言うので、私は静かに続けた。

「海に妨害物を沈めわざと船を座礁させておきながら、何食わぬ顔で助けにきて謝礼を受け取る狡い人たちがいて。私の島では人・魚・と呼ばれて嫌われているんです。一種の海賊でしょうか。地元民を武器で脅したりお金で黙らせたりするので、皆何も言えなくて」

「可能性はあるわね」

 シシリーはルースさまと顔を見合わせると鋭く頷いた。

「船員たちに知らせましょうか?」

「はい。ただ海賊が地元民に化けている可能性もあるので、大っぴらにはしない方が良いと思います。安全に帰れるめどが立つまでは、騙されたフリをしていた方がいいかと」

「卑怯なことするわね」

 シシリーはキッと目を尖らせると向こうへ行ってしまった。

「サーシャ、無事で良かった……」

 ルースさまは海水で濡れた私を大きなマントで包んで下さると、滞在先の別荘まで連れて行ってくれたので、私はそこでシャワーを浴び、着替えさせてもらった。

22.シシリーの笑顔

 ルースさまが仰るように、この島の人は皆親切で優しそうだった。昔から王家のバカンスを支えているせいもあり、ささやかながら裕福でもあるみたい。私たちは最初のほうこそ警戒していたものの、美味しい海の幸をごちそうになったり浜辺を散歩したりして、すっかりバカンスを満喫していた。
 王家の方はそれぞれの別荘をお持ちらしく、私はルースさまの別荘で二人きりだったのでゆっくりくつろぐことができて、危うく人魚疑惑のことを忘れるところだった。

「陛下に妙な女が付きまとっているわ」

 数日後に会ったシシリーが開口一番そう言うので、私はシシリーはずっと調査を続けていたんだと尊敬した。

「人魚という表現も、あながち間違ってないようね」

 シシリーは苦虫を噛み潰したような顔で前を睨んでいる。

「船の修理が済むまで二週間はかかるそうですね」

 ルースさまが残念そうに仰ると、

「お父様に艦隊を連れてこの島へ寄って頂くようお願いしたわ」

 シシリーがすました顔でそう言うので、私は「艦隊……?」と疑問符の顔でルースさまを見上げた。

「シシリーの御父上は海軍提督なのです。今でもこの近海を回っておられます」

 ルースさまがそう仰るので、私は改めて凄いなと思ってシシリーを見た。シシリーの凛々しいカッコよさはお父様譲りなのかもしれない。

「あなたたちは満喫してる?」

 シシリーがフッと口調を変えてそう言うので、私はキョトンとしてしまった。

「ええ、楽しんでますよ」

 ルースさまはにっこり優しい笑顔でお答えになる。

「今日はサーシャに船を出してもらって釣りをする予定なんです。シシリーもどうですか?」

「あら素敵ね。ご一緒していいかしら?」

「あ、はい」

 私は以前から約束していたかのようにすんなり頷いて、私たちは三人で船釣りをした。ルースさまとシシリーには信頼し合った阿吽の呼吸があって、私は一緒にいてすごく落ち着いた。私たちは小さな船を沿岸にこぎ出すと、青い空と海に囲まれ、三人でのんびり釣り糸を垂れた。話が弾むこともあったが、無言になってもちっとも気まずくなかった。

「今日は楽しかったわ。ありがとう」

「私も楽しかったです。またご一緒しましょう!」

 夕暮れの海でシシリーからお礼を言われて、私は嬉しかった。シシリーは少し笑ってくれて、その笑顔が夕陽に輝いている。

「あなたといると和むわ」

 シシリーにそう褒められて、私は嬉しさと同時に心配も感じてしまった。シシリーは例の海賊についてだいぶ神経を尖らせて調べているようなので、せっかくバカンスに来たのに疲れがたまっているのかもしれない。
 ルースさまは釣り道具を仕舞いに行って下さっていて、私たちは二人きりだった。シシリーの藍色の瞳には燃えるような夕陽が映って、幻想的に輝いた。

「ルースと、幸せにね」

 シシリーは微かな笑顔のままそれだけ言うと、私の元から去った。夕陽が最後の光を残して沈み、夜のとばりが降りようとしている。
 このまま私がルースさまと結婚してしまったら。清廉潔白な二人はもう二度と恋人として肌を触れ合わせることはないのかな。私は妙なことを考えた。今後二人の心が再び通いあったとしても、もうどんな間違いが起きることも無い……。

 どうしてこんなに寂しい気持ちになるんだろうと思った。私にとってはそのほうが都合がいいはずなのに。今日の二人の雰囲気はとても良かった。別れても仲良しなんだ。余計なお世話だよね。私が現れる前から、二人の関係は終わっていたようだし……。
 私はひとり浜辺に座ると、ただ海を見ていた。ルースさまにもシシリーにも笑っていてほしい。私はそれだけを願っていた。

23.確かな幸せ

 いつまでそうして座っていたんだろう。

「寒くありませんか」

 ふわっと後ろからストールを掛けられて。振り向くとルースさまが微笑んで立っておられた。

「隣、いいですか」

「はい」

 私がうなずくと優しく笑って、私の隣に座って下さる。

「今日はありがとう。シシリーを急に誘ってしまってすみません。少し元気がないようだったので、気になって」

「いえ。シシリーと一緒に釣りができて私も楽しかったです」

 やっぱりよく見ておられるんだと思って私は嬉しくなった。私にとってもシシリーは大切な人になっていて。海賊の件、上手く片付くといいけれど。
 私がそんなことをボンヤリ考えていると、ルースさまは私の腰に手を回して横からぎゅっと抱き寄せるようになさった。あまりされたことのない姿勢なのでちょっと緊張しながら、私はルースさまの肩にもたれかかる。静かな波がザザンザザンと打ち寄せて、他には何の音も聞こえなかった。

「この島の生活はどうですか?」

「とっても落ち着きます。やっぱり海はいいですね」

 この島の海は故郷の海に似ていて、私はとても好きだった。

「サーシャは私といて無理をしてはいませんか」

 ルースさまがおもむろに仰るので、私は少し困惑しながら答えた。

「いえ、申し訳ないほどリラックスさせて頂いてますが……」

「なら良かった」

 ルースさまはホッと胸を撫でおろすようになさると、黄昏の海を見ながら続けられた。

「以前あなたが言った『私を実験台にすればいい』という言葉は私には衝撃でした。それは親が子にするような、わが身を削る献身です。それほどのことを男に許してはいけません。もっと自分を大切にして下さい」

「……はい、すみません」

 私は恐縮したが、ルースさまは落ち込む私をそっと抱きしめて下さった。

「怒っているんじゃないんです。あなたのことが心配で……。今までよほどつらいことがあったのですか?」

「えっ?! えと、どうなんでしょう」

 私はあまり意識していなかったけれど、そこまで心配されると不安になってしまっていろいろ考えた。母のことは確かにショックだったけれど……。

「サーシャは本当に放っておけない感じがします。もっと私を頼って、甘えて下さい」

 ルースさまの体温はあたたかく、胸は広くて。抱きしめられながら私は幸せを感じた。

「心配させちゃってごめんなさい。いきなり海に入ったりして、不躾でしたよね」

「いえ、それは素敵でしたが。無理はしないで下さいね」

 もったいないお言葉で、私は涙が出るほど嬉しかった。ルースさまの胸にそっと頬を寄せて。私は手が届く範囲の確かな幸せをしっかり守ろうと思った。

24.国を沈めるセイレーン

 現役海軍提督であるシシリーのお父様は、がっしりした体躯に口髭を蓄えた立派な方だった。座礁した帆船の修理も終わり、皆でそろそろ帰ろうかという時、艦隊を率いて迎えに来て下さる。
 小さい島でとても海軍艦隊は入港できないので、提督と部下の方々は島周辺の海に錨をおろし、わざわざ小舟に乗り換えて来て下さった。

「陛下、お久しゅう」

「提督もお元気そうですね!」

 白い軍服に身を包んだビュッテンバフェット公爵の堂々たる佇まいに私は完全に萎縮してしまったが、陛下は親しげに握手してご挨拶なさっていた。

「ご不便はござらぬか」

「ええ。もうすぐ帰るのが惜しいくらいですが、提督も楽しんでいって下さい」

 陛下はそう仰ってにこにこ笑っておられる。陛下のそばにはいつの間に親しくなったのか亜麻色髪の若い女性がいて、シシリーが気にしていたのはこの人のことかと私は思った。
 提督はちらとシシリーに目くばせすると、部下を引き連れ観光するフリをしてのしのし島中を歩いて下さった。私たちが帰国するまであと一週間ほどあったけれど、提督の島民を見て回る視線は非常に鋭く、文字通り睨みを利かせていたので、島民に成りすましている海賊たちも少しは肝を冷やしたかもしれない。
 提督の見回りのおかげもあって、私たちは無事大型帆船に乗って帰路につくことができた。

「この子が王都を見たことがないと言うから、見せてあげたいと思って!」

 人の良い陛下はそう仰って、亜麻色髪の女性を伴って乗船なさった。陛下とこの人が恋仲なのかはわからないけれど、この人が陛下を狙っていることははた目にもよくわかったので、王族方の中には陰で不快がる人もいた。取り繕ってはいるけれど、貴族出身とは思えない感じの女性だった。
 どうなるのかなあ……。いかにも怪しい女性だけれど、陛下がお気に召すなら誰も文句は言えないしと思って私は為す術がない気がした。

「座礁させられた件も含めて、兄に話してみます」

 ルースさまは、二十も年の離れたお兄様であり陛下のお父様でもあられる先王陛下へ相談してみると仰ったけれど、シシリーは険しい表情で首を振った。

「国に着くまで無用な心配をおかけしない方がいいわ。それに、諫める言葉なら陛下も既にお聞きでしょう。それでも連れ帰りたいんだろうから」

 シシリーはふうとため息をつくと、件の怪しい女性と、彼女と親しげに話す陛下を遠くから眺めた。そして、

「私、昨夜陛下の寝室に忍びこんだの」

 と何気ないことのように言うので、私だけでなくルースさまも驚いて思わず言葉を失ってしまった。

「陛下を少しでも傷つけるようなら刺してやろうと思って、短剣を持って。陛下はスヤスヤ寝てたわ。その隣であの女は勝ち誇ったように笑ってた」

 シシリーはキッと鋭い瞳で遠くを見た。陛下と彼女はそこまで進んでいるのかと私は絶望的な気がした。リベルスタン王国はどうなってしまうのだろう。海賊に国ごと盗られてしまうのだろうか……。

「結婚までは周りがさせないでしょうが、子供くらいは産むかもしれないわね。マーメイドなら大人しく泡に還ってほしいものだけど。あの人魚は国を沈めるセイレーンのようね」

 シシリーは甲板の手すりに寄りかかりながらそうつぶやくと、藍色の瞳で海を見ていた。

25.夫婦で働く憧れ

 海軍艦隊がずっと護衛してくれたおかげもあって、私たちは無事出発した港に帰ってくることができた。お世話になった王家の皆さまとの別れを惜しみつつご挨拶して、帰路につく。
 ルースさまのお邸は王宮のそばなので、私たちの乗る馬車は陛下の馬車のすぐ後ろを走っていた。陛下は島から連れ帰った怪しい女性を同じ馬車に乗せて、やっぱり親しげにお話しておられた。二人はどうなるんだろう。私がルースさまのお邸に住まわせて頂いたように、彼女も王宮に部屋を与えられるのかもしれないと私は不安に思った。

「サーシャ」

 私が沈んだ顔で国の未来を憂いていると、ルースさまが私の手をそっと握って仰った。

「私たちの結婚のことなのですが」

「はい……えっ?」

 私はハッと我に返ってルースさまを見つめた。

「私との結婚、考えてくれましたか?」

「あ、はい」

 お断りする理由は何もなくて、私はコクンとうなずいた。そうか、まだ結婚していなかったんだ。

「今までお待たせしてしまってすみません。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」

 私は姿勢を正すとペコリと頭を下げた。私の方こそ、ルースさまに吟味されて及第点だったのかな。久しぶりに海を見てはしゃいでしまって、だいぶ粗野な本性を見せてしまった気がするけれど……。

「ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」

 ルースさまはにっこり笑まれると、私に丁寧に確認して下さった。

「サーシャさえよければ近く式を挙げたいのですが、いかがですか。衣装やしきたりなど古くからの決まり事が多くて、自由にはできないのですが」

「はい、仰せのままに致します」

 やっぱり私は頷いた。陛下の心配をしている場合じゃなかった。私だって田舎伯爵の末娘なのだ。王家の方から見れば、怪しい海賊娘と同類に違いない。ちゃんとしなきゃ。私がきゅっと身を引き締めると、ルースさまは少し悲しげに微笑まれた。

「若いあなたを閉じ込めて、私の生活に無理やり従わせるようなことをしてしまいましたね。すみませんでした」

「いえ、そんな。私の方こそ助けて頂いて、ありがとうございます」

 ルースさまが謝って下さるので私は恐縮した。私のほうこそ帰る場所がなくて、ルースさまを利用したような形になってしまったのに。

「私、舞踏会が終わったら家出しようと思ってたんです。無理やりお見合いさせられるのも嫌だったので」

「家出、ですか」

 ルースさまは生まれて初めてその単語を口にするかのようにビックリなさっておられた。

「今回遊びに行ったような離島がマーレタリアにもあるので、そこで漁師さんに弟子入りして網の打ち方から習うつもりでした」

「マーレタリアでは女性も漁に出るのですか?」

「船が沈むって嫌われますよね。うちも本島ではそうなんですが、人の少ない離島ではそうも言っていられないので、夫婦で漁をする人もいます」

 ルースさまを次々ビックリさせてしまっているなと思いながら、私は本音を話した。

「私、夫婦で働くの素敵だなってずっと憧れてて。ルースさまのお仕事を少しでもお手伝いできるの、とっても嬉しいです」

 貴族っぽい考え方じゃないんだろうけれど、私はそう思っていた。支えあうって感じで好きなんだ。女は引っ込んでろ! って思う人もいるだろうし、力仕事では邪魔になるかもしれないから、万人向けとは言えないと思うけれど。

「ありがとう……。私も、私の生き方を尊重してくれるサーシャに出会えて幸せです」

 ルースさまは少し声を詰まらせてそう仰ると、私を抱きしめて下さった。私たち、いい夫婦になれそうかな? 私はシシリーのためにもルースさまをお支えして、幸せになりたいと思った。

26.私にできること

 ある晴れた秋の日、王室ゆかりの古い寺院で私たちの結婚式は厳かに執り行われた。国王陛下をはじめ王族の皆さまが参列して下さり、私たちの結婚を祝福して下さった。
 ロングスリーブのドレスにマリアヴェールを被り、長い裾を引きながら、私は一歩一歩踏みしめるように歩いた。ルースさまはいつもの笑顔で待っていて下さって。私の手を取り、じっと見つめて下さる。

「あなたを愛し、慈しみ、支え、どんな喜び、悲しみもあなたと分かち合い、共に歩むことを誓います」

 ルースさまは静かに、でもはっきり宣誓して下さった。

「この命尽きるまで、あなたを愛し、寄り添い、どんな時も共に在ることを誓います」

 私も静かに誓った。意志の強いシシリーではなく、私にできること。それはルースさまの生き方に合わせることなのかもしれない。
 私にはあまり自分がない。どうしても叶えたい夢、希望、野心はない。一生目立たない、地味な生活のままでも私は全く構わないと思っていた。静かな生活のほうが好みだし、むしろ縁の下の力持ちができたら嬉しい。ルースさまがそばで笑って下さるなら、それだけで私は幸せだと思った。ルースさまのお母様から譲り受けた大切なダイヤモンドが施された指輪を薬指に頂いて、誓いのキスをする。

「おめでとう」

 ドレス姿のシシリーも目を細めて祝福してくれた。私は事前の打ち合わせ通り、白いバラのブーケをそっとシシリーに渡すと軽く頷きあった。


 この一時間ほど前、婚礼衣装を整えた私とルースさまの控え室にシシリーがやってきて、人払いをしてこんなことを言った。

「実は二人にお願いがあるの。一生に一度の大切な日に、本当に申し訳ないんだけど……」

 私が渡したブーケの中には拳銃が隠されていた。シシリーによると、寺院での結婚式の後、陛下は馬車で王宮までパレードなさるのだが、その道中もしものことがあってはいけないからどうしても守りたいのだと言う。

「ここ数日不審な者たちが次々入国しているの。おそらくあの海賊娘が親族と偽って手引きしてるんだと思うわ」

 シシリーはロングドレスに上げ髪の艶な姿ながら、藍色の瞳に宿る眼光だけは鋭かった。

「お父様に頼んで警備を重くして頂いてるけれど。市民に混じって襲撃してくる可能性もある。私は陛下の馬車に同乗してお守りするわ」

「でも、シシリーは大丈夫なの?」

 私は心配になって思わず尋ねた。陛下をはじめ位の高い方から順に進むパレードで、ルースさまと私の馬車も末席に連なるのだけれど……。

「そんな危険があるなら、陛下にお話してパレード自体を中止にしたほうがよくない?」

「私もそう申し上げたんだけど。『叔父上の最初で最後の結婚式なのですから!』って聞く耳お持ちじゃなかったわ」

 シシリーは肩をすくめて言った。

「あの女が『陛下のパレード姿をぜひ見たい』とせがんでいるらしくて。嫌な予感がするの」

 シシリーがそう言うので、私は結婚式におよそ相応しくない拳銃を花嫁のブーケに隠してシシリーに渡したのだった。シシリーは拳銃の入ったブーケを持ったまま、陛下と同じ馬車に乗った。もうすぐパレードが始まる……。私は自分も馬車に乗りながらあまりの不安に青ざめてしまったが、

「シシリーは射撃の名手なのです。それに一度言い出したら聞きませんから。ここは任せましょう」

 ルースさまが私を抱き寄せてそう仰るので、そっと頷いた。

27.もう一つの結婚

 シシリーがパレードの馬車に同乗すると言うので、レオナルド陛下はとても喜んでおられた。いつもよりウキウキしたご様子で沿道の市民に手を振って下さる。陛下は特別女好きという感じではなかったが、とにかく明るく朗らかで、

「僕は全国民を愛し、全国民に愛される存在ですから!」

 と常日頃笑顔で言っておられるくらいなので、老若男女誰からも慕われるお方だった。お爺様の代から大きな戦争もなく国が平和だったため、人を疑うことをお知りにならない感じもあるけれど。

 私はシシリーの無事が気になって陛下の馬車ばかり目で追っていたが、シシリーが陛下の隣で市民に手を振る、ということはなかった。馬車の中でじっと身を潜めているようだ。
 私はルースさまに合わせて、馬車の窓から沿道の皆さまに笑顔で会釈しながら気が気ではなかった。ルースさまは大聖堂の司祭様として町の人々にも身近な存在なので陛下と共に人気があり、祝福の歓声が止むことはなく、パレードはとても盛り上がっていた。

 普段から町を守る警察に加えて、海軍兵士も長銃を提げ、一定間隔に立って警護してくれていたので、パレードは順調に進んでいった。
 大丈夫、そうかな……。
 私はルースさまをじっと見つめると目で尋ねた。ルースさまも穏やかにうなずいて下さる。
 陛下の馬車が王宮の門に近づき、そのまま滑るように中に入るかと思われたとき、つと馬車を止めて、中から陛下が出てこられた。

「みんな、どうもありがとう!」

 東西南北と向きを変えながら、陛下は取り巻く市民へ大きく手を振って下さる。一分近く歓声に応えられてから、馬車に戻ろうと陛下が踵を返された時だった。陛下の前にスッとドレス姿の美人が降り立ち、城門に掲げられていた国旗を抜き取るとバサッと大きく掲げた。そこへバン、バンと乾いた銃声がして。陛下は地面にうずくまるようになさる。
 ドレス姿の美人は馬車の底に隠していた長銃を取ると狙いを定めてズドン、ズドンと二発撃った。近衛兵が陛下に駆け寄り、辺りは騒然となって。私はあまりのことに声も出ず、ルースさまにしがみついて震えていた。
 陛下の後ろに連なっていた王族関係者の馬車が次々王宮に入り、私たちの乗る馬車まで入ると、近衛兵に抱えられた陛下も馬車に乗せられ、王宮に戻られた。騒ぐ市民たちとそれを制する警備隊の声を残して、王宮の門は固く閉ざされた。

◇◇◇

 王宮の大広間にはこの後行われる晩餐会の準備が整っていたが、私はとてもそんな気分になれそうもなかった。陛下はお怪我もなくご無事だったようで、私たちはホッと胸を撫でおろしたけれど、

「シシリー、大丈夫!?」

 陛下はむしろシシリーの心配をなさっておられて。シシリーは長いスカートの裾に弾丸を受けていたが、無傷なようだ。あの場で国旗を広げたのは標的である陛下を見えにくくするためらしかった。

「シシリー……」

 私も思わずシシリーに駆け寄ったが、

「平気よ。あんな弾、当たらないわ」

 シシリーは平然としていた。そして

「二人の肩と脚に命中させました。陛下、狙撃手を捕えて今すぐ調べて下さい」

 と、ほとんど命令するような口調で陛下に言う。

「うん、わかった!」

 陛下は大きくうなずかれると、

「シシリー、すごいねえ! すっごくカッコよかった!」

 感動した様子でシシリーの両手をぎゅっと握られた。

「ありがとうシシリー! 僕を守ってくれて!」

「いえ、当然のことをしたまでです」

 シシリーは陛下に両手を握られ動揺していたが、冷静に答えた。

「僕、シシリーにハートを射抜かれちゃった。シシリー、僕と結婚してくれない?」

 陛下が興奮気味にそう仰るので私は驚いてしまった。確かにドレス姿で長銃を撃つシシリーはめちゃくちゃカッコよかったけれど……。

「私、陛下のような軽い方、好きじゃありません」

 国王陛下からの求婚をにべもなく断るシシリーに、私は再度驚いた。

「うんうん、そうだよね。僕軽いもんね。シシリーはどんな人が好きなのかな?」

 陛下はシシリーの拒否に動じるご様子もなくうんうん頷かれると、会話を続けた。

「私より強い方でないと嫌です」

 シシリーは迷うことなくそう言って。私の隣に立つルースさまが、少し目を細める。

「僕、陸軍と海軍の統率権を持ってるけど、他に何軍を作ればいいかな?」

 陛下が無邪気にそう仰ると、

「そういうことではございません。心身の強さということでございます」

 シシリーはイラッとした様子で返した。

「そっか、僕頑張るね! 手始めにシシリーから射撃を手取り足取り教わりたいな!」

「えっ?」

 陛下がシシリーの手を握ったまま笑顔でそう仰るので、シシリーは初めて困惑した様子を見せた。

「僕と一緒にこの国を守ろう! シシリー」

「……」

 こ・の・国・を・守・る・という単語が効いたのか、シシリーは黙ってしまった。何より、あのクールで何事にも動じないはずのシシリーが少し頬を染めていて、私は陛下って凄いと思った。最高権力者らしい怒涛の攻めだ。陛下、軽いけれどお強い……。

「と、とにかく、狙撃した者の調査を」

「そうだったね! その話は二人きりでじっくりしようか」

 陛下は照れるシシリーをなだめるように肩を抱き寄せると、向こうへ連れて行ってしまわれた。私は陛下のあまりにも見事な手腕に舌を巻きながら、思わずルースさまを見上げた。ルースさまも苦笑して肩をすくめておられて。

 国王陛下を凶弾から護ったシシリーが全国民から祝福されて王妃となられたのは、それから半年後のことだった。シシリーのおかげでリベルスタン王国にも平和が戻って。私たちは次の夏、海賊を駆逐したあの島で新婚旅行を兼ねたバカンスを楽しんだ。少し大きな釣り船に今度は陛下もお乗せして。

「シシリー、僕のハートも釣り上げて!」

「レオ、糸を見て」

 ご結婚なさっても相変わらずのご様子のお二人に癒されて、私とルースさまはふふふと幸せに笑った。

手さぐり婚~殿下と私と気になる彼女~

手さぐり婚~殿下と私と気になる彼女~

  • 小説
  • 中編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-01-03

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 01.大聖堂にて
  2. 02.有難いお誘い
  3. 03.音楽家の司祭様
  4. 04.柱の陰で
  5. 05.叱られる夜
  6. 06.幸せな朝食
  7. 07.運命の恋の噂話
  8. 08.楽しい午後
  9. 09.つらい思い出
  10. 10.告白
  11. 11.恋の勝負
  12. 12.同居からの恋人
  13. 13.お邸のアウェー感
  14. 14.シシリーとの出会い
  15. 15.馬車の中で
  16. 16.ぎこちない二人
  17. 17.初めての夜
  18. 18.休日の前夜
  19. 19.バカンスのお誘い
  20. 20.不運な事故
  21. 21.悪い人魚
  22. 22.シシリーの笑顔
  23. 23.確かな幸せ
  24. 24.国を沈めるセイレーン
  25. 25.夫婦で働く憧れ
  26. 26.私にできること
  27. 27.もう一つの結婚