心臓を掴まれている

 心臓を背後の見えざる何者かに掴まれた心地がする。

 街路樹の、その酷く乾き切った落葉の、はらりと積もる音色のように消え続けては現れる。
 踏み潰してしまってはいけない。彼らは未だ目的を達成していないのだ。本来掃くことすら厭われる。
 だから私は筆を執る。一度描けば肉体の欲は消えず、心は変わらないのに脳は筆を走らせる。

 嗚呼そうだ、筆先を伝い紙へ浸透するこのインクのように、この心持にも描かれることで初めて意味を持つ何かがある。何故か問われたって仕様がない。至極当然ではないか。むしろそうでなければ納得いかないだろう。なぜここまで不快なのに、向き合うことを選ばされるのか。

 もしくはこの不可視の腕が、これこそが「そう」なのか。

 夢を見た。海辺で流木に腰掛けた、虚な目をした少女の夢を。
 私は彼女に憧れた。恋なんて言葉で表すのは勿体無いし、本当は憧れるとも表現したくない。説明のつかない引力に私は惹きつけられた。
 砂浜に足跡を付けた。穢された景色は細波に直ちに修正された。妙に合点がいった。
 もう一度海へ誘われ歩みを進める。

 私は彼女に出逢いたかったが叶わぬ夢なのだろう。ざあざあと呻く音色のように現れ続けては消える。
 相も変わらず私の皮膚は熱を帯びて、私の心臓は奪われている。やはり私は心臓を何者かに掴まれている。そしてその何者かは確かに存在しないが、一方で確かに「いる」のだ。私は間違っていなかった。もはや疑う余地もあるまい。

 ……成程、君はそこにいたのか。君がそこにいたなら納得だ。この美しい世界に君が、そう貴方がいるのなら、私は握り潰された心臓と共に添い遂げよう。
 何はともあれ、これで疑問は解消された。だから見えなかったのか。だから惹かれたのだな。可哀想なお前は私の筆先を躍ることしかできない。しかし心配はいらない。私はこの美しい世界を愛している。

 水面に落ちた枯葉は波紋を描いた。

心臓を掴まれている

心臓を掴まれている

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-10-10

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