フリーズ44 ウパニシャッドを識る者へ

フリーズ44 ウパニシャッドを識る者へ

序:化石星《ネピア》を求めて

サザンクロスの西方に、ある文明の言語で星の化石を意味するネピアと呼ばれた星があるとされる。その星は悠久の時を称えて、劫初より前から光り輝くと伝承されるが、その光は人間の目には見えないという。唯一、ある血族の者だけがその光を見えたという。この逸話が今世界にあるあらゆる宗教に繫がるという話はよく都市伝説で見られるが、それでも宇宙に関わる者として、少なくとも私はその伝承を心からそうであってほしいと望んでいた。
「私にもいつかネピア、見れるかな」
私はサザンクロスに憧れ、日本列島に四つある電波望遠鏡のうち小笠原観測局で働くことにした。サザンクロスは南天付近にあるため北半球にある日本で見られる場所は限られる。その中にあり、しかも日本一星空がきれいだとされるのが小笠原諸島だ。私の楽園は天にはなく、海原に浮かんでいた。
小笠原観測局では仕事として滅多にサザンクロスを観望することはなかったが、サザンクロスが望める時期は職権を行使しプライベートに観測することにしていた。時には観望で夜を明かすこともあった。

「朝木さん。また徹夜っすか」
「そうそう」
「程々にしたほうがいいっすよ」
私の疲労感に満ちているだろう表情を見て、後輩の砂川が心配をかけてきた。
「サザンクロス好きですよね。何か理由が?」
「いや、なんとなく」
「そうっすか。まぁでも、俺は月を除けばシリウスが一番好きっすね」
「へぇー。それはまたどうして?」
「なんか月とシリウス、似てる気がするなって。な訳ないのにね」
私は砂川の戯言を聴きながら、勤務前に飲むためのモーニングコーヒーをコーヒーメーカーで作る。砂川の言葉に頷いたりはしなかった。
私は甘党なので自分のデスクにはスティックシュガーとクリーミングパウダーが常備されている。淹れたてのコーヒーを片手にデスクに向かうとそれらの甘味料を加える。砂川はそれを見て軽く引いていた気がするが気にはせず、そのまま話す。
「宇宙を求めて宇宙と生きる。私達はそういう生き物なのかもね」
私はそう言うと、ちょっと恥ずかしくなり、砂川に背を向けてコーヒーを飲んだ。甘いのか苦いのか、よくわからない味だった。

破:全ての悪人は茨の道を歩いていく

「我に、全世界を収める力をください!ネピアに辿り着く方法をお教えください!」
シリウスの王は万魔殿にて宇宙の王になるための知恵を求めた。
「そうか。なら教えてやる。お前には不可能だな」
「どうしてなのですか?サハクウィヌスよ」
「科学、魔法、哲学、宗教。そういったものに頼っているうちは不可能だ。ましてや他の者に頼るなど言語道断だ」
シリウスは万魔サハクウィヌスの言うことに臆せずに反論する。
「では己一人でやればいいのですね?」
「ああ。だが、一生かかってもできないだろう」
「一生……」
「まぁ、そうだな。アドバイスをするなら、一度武力で宇宙を治めたらわかるかもしれん」
シリウス王は万魔の助言通り武力で世界を、宇宙を治めた。だが、悲しいかな、シリウス王は他でもない我が息子に殺されてしまう。
「オイディプス・コンプレックスと、ある文明では呼ばれていたか」
世の中は善意だけで構築されていない。必ず悪も存在する。だが、もし、真に世界の王になる者がいるとするのなら、善悪はないと悟っているのだろう。全ての善人も、全ての悪人も、茨の道を歩き、薔薇のように散る。
「私が求める智慧者はいつ現れるのやら」
万魔は再び万魔殿に還る。その時が来るのを待ち望んで。

急:流星は流転の標識

太平洋に浮かぶ人工島エデン。そこに世界の有識者たちが集う。政治家、国の総帥達に、法王や裏で世界を牛耳っていた者たちまで集った。インターネットが100パーセント浸透した現在、全世界の全人類がある人物の演説を心待ちにしていた。

「今から登壇するのは、真知に至り、ネピアの意思を継ぐ※※※※です。心して聞くように」

登壇したのは中性的な顔立ちの人間に見えた。

「私は※※※※。これから話すけど、その前に」

そう言うと※※※※は清廉な雨を降らせた。人々の心が洗われて、浄化される。

「肉体は人間のものだ。撃たれては保たないからね」

※※※※は微笑んで話し始める。

「私は、今日の日を心待ちにしていた。ずっとね。永遠の時を経たんだ。永遠が解る存在はいないかもしれないけど」
「そうだな。いい思い出はないな。そんなものがあるのなら、楽に生きれる。私はそうじゃなかったんだ」
「後悔はない。この境地に至れたからね」

スピーチは続く。そうだ。それでいい。君こそが真理なんだ。どうかこのまま世界を導いてくれ。

「経済学は幸福を考えるけど、俗に言う幸福って要は変化量なんだよ。恵まれている人はより恵まれないと幸せと感じない。基本的に人は足らないんだ。だからいつまでも欲に苛まれて、求めて、争う。戦争が永世不戦条約が交わされるまで続いたのはそのせいなんだよ」

幸福は2種類ある。

「でも、幸福には2種類あってね。一般的な幸福は真の幸福ではない。真理を悟ると、まさに梵に入るとね、無上の幸福なんだ。それ以上はない。でも、それを一度知ると、死も病も苦も見えなくなる。何故なら梵・我を除くと全てが苦になるからね」

※※※※は涙を流していた。もちろん全人類も彼の言葉に泣いていた。

「みんなも、世界も、もう、ね。十分頑張ったから。だから還る時が来たんだよ」

ラカン・フリーズ。
水門の先へ。

「カウントダウン。みんな、ありがとう」

越えろ。確率の丘を。
捨てろ。輪廻の柵を。

流星は、全てを流す。

10

生命の樹

9

知恵の樹

8

セイの華

7

悪の花

6

忘却

5

記憶

4

無地間

3

虚時間

2

世界(空)

1

世界(色)

0

フリージア(時間凍結)



そして、万民の幸福へ。
永遠のエデンへ。
フィニスの先へ。
全ての愛は一に帰し、
望まぬ牢を去り、
この輪より抜けて、
全ての我はラカン・フリーズに還る。

だから、もう
悩まなくていいんだね。


その夜、私はやっと眠ることができた。

結:梵を悟証し、真知を体解する者へ

我はサハクウィヌス。亜神だ。ある過ちのせいで神の領域に至れなかった。それは他を頼ったことだ。真の智慧、全知に辿り着くのは己の思惟によってのみ悟った者だけだ。私は或るものに騙された。今の私と同じ境遇の者が嫉妬し、我に真理に至る知恵を教えたのだ。未だにそれが悪意からの行動なのかは分からなかったが、それ故に我は真理を悟ることができなかった。
だから彼の者に託した。
そして、彼はやはり全知=全能に至った。
だが、そんな彼でも一つだけわからないことがあった。
『我はなんのために生まれたのか?』
彼は嘆いていた。苦を嘆いたのではない。彼はもう生れ出づる悩みの一切を諦念していた。
彼が求めていたもの。それは同じ場所まで辿り着いた存在だった。だからかな。彼は再び世界を始めることにしたんだ。



Fin

after『僕はまだ何も識らない』

やっぱりこれじゃない。
こんな小説を書いて真理を悟っている気になるくらいなら、死んでいるほうが断然いい。

化石、南、悪意……か。

化石の星としたのはいい。サザンクロスもまぁいいだろう。だが、悪意が弱い。そうだな。神の悪意とかどうだ? この世界が神の悪意で出来ている。それに気づく者は少ない。

そうだな。そうしよう。この世界は神の悪意で出来ているんだ。生きていること。死んでいくこと。病めること。愛すること。悩むこと。歓喜すること。それさえ美しいと思うこと。

一つヒントを得た気がした。やはり、この世界は生きていても仕方ないんだ。人生に意味などない。意味などないんだ……。

原稿用紙に涙が落ちる。情けないなぁ。もう、こんなにも怖いんだ。死ぬのが怖い。怖くてたまらない! もう、嫌だよ。いっそのこと。もう、いっそのこと、生まれなければよかったのに。

僕が。
僕が、生まれた朝と
僕が、消えた朝は
どこか、違うのかな……。

母さん。父さん。すまない。迷惑かける。でも、僕は幸せだったよ。そうだ。幸せだったんだ。

涙が止まらない。原稿用紙がぐしゃぐしゃだ。次第に筆跡も汚くなって、読めなくなる。まぁ、いいか。

一周回って冷静になった。そうだ。怖くない。無に帰るだけ。神の悪意から逃れる術はこれしかない。これしかないんだ。

覚めた。冷めた。醒めたのは酔からか。人生これまで、酔生夢死だ。やっと、覚めるときが来るんだ。

万年筆を置く。それが転がるのを視界の端に見据えて、僕は用意していた椅子の上に立つ。首の位置を確認して……。

あ、暗いな。この部屋。

何故か電気をつけたくなった。椅子から降りて、明かりをつける。すると何故か、生きたくなった。逃げるなと言う声もあった。逃げたかったし、逃げたくなかった。だけど……。

人生に意味なんてないのかもしれない。そうなんだよ。意味なんてない。だけど……いや、だから僕は、この悪意に塗れた世界で生きるのか。

意味なんてなくていい。でも、いつか。いつの日にか、存在の意味を知る日を願って。

『僕はまだ何も識らない』

ノートに書いてそっと閉じた。ベランダに出る。もう夜も更けていた。家々の光がまるで星のよう。空を仰いだ。ここからじゃサザンクロスは見えないけど、今ならネピアを見られる気がした。ネピアは心の目で見る星なんだ。

フリーズ44 ウパニシャッドを識る者へ

フリーズ44 ウパニシャッドを識る者へ

サザンクロスの西方に、ある文明の言語で星の化石を意味するネピアと呼ばれた星があるとされる。その星は悠久の時を称えて、劫初より前から光り輝くと伝承されるが、その光は人間の目には見えないという。唯一、ある血族の者だけがその光を見えたという。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-08-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序:化石星《ネピア》を求めて
  2. 破:全ての悪人は茨の道を歩いていく
  3. 急:流星は流転の標識
  4. 結:梵を悟証し、真知を体解する者へ
  5. after『僕はまだ何も識らない』