bye bye, peter 2

ハイリや他の友達はぼくをよく「人間に無関心」だと言うけれど、周りを見ていないって意味だったら見当違いだ。あえてそのことばを使うとすれば、「自分とは関係ないと思った人には無関心」が近いと思う。でもそれって普通のことじゃないか。
 たとえば今日、通学路ですれ違った初等科の生徒や近所のネコや、ほうきで店の前を掃いていた雑貨店のおばさん。そういった人や動物たちが一気にいなくなってしまったら、びっくりして悲しくなってしまうだろう。 
だけど、彼らを普段から常に気にしてるかといえばそんなことはない。たくさんのものがあって目や鼻や耳から情報が入ってくるんだ、全部受け止めようとしたって、ぼくの許容量はすぐにいっぱいになってしまう。だから自分に必要なものを優先している、それだけのことだ。取捨選択。そんな感じ。
 なんて考えている時点でよっぽど、人間に無関心なのかもしれない。
 じゃあ、きみのことは?
 転校してきてから約三か月、まともな会話をするようになって一か月半。そんな短い期間であっても、きみから受け取ったあれこれは、とても両手だけじゃ抱えきれない。
きみと話しているときは本当に楽しい。それはもう、楽しいという言葉しか思いつかないくらい。話題はたいてい、ちょっとした出来事や宿題で分からなかった箇所や読んだ本の感想だ。特に、きみが不意に口にする不思議な話題は、一番わくわくする。ぼくが考えたこともないような、きっとクラスメイトの大半は真面目に取り合わないだろう事柄を、きみは真剣に語る。
 正しい答えはない。数学の答えみたいに、決まりきった正答がないのだ。だからもどかしくもなるけれど、それでいいじゃないかときみが言うから、そうか、と思うようになった。きみがあの「困った笑い方」じゃない、心の底から楽しそうに笑うから、それならじゃあ、いいかな、なんて。
じっとり汗ばむ季節なのに、きみが笑うと、辺りに薄緑色の風が吹く感じがした。



「強制力、ってなんだろう」
 放課後、学校近くの図書館で明日の予習をしているぼくの向かいに座っていたきみは呟いた。
 顔を上げると、きみは恒星の写真集を眺めながら、パックのいちごオレを透明なストローですすっていた。飲み物の持ち込みは禁止されているのに、どうやって持ってきたんだ。バレると追い出されるんだぞ。
「バレなきゃいいの。それにバレない自信もあるしね」
「どんな自信だよ。図太いなぁ」
「へへ、お茶目でしょ。……ね、エギナル。いいから、答えて?」
 本当に図太い。
でもこんな態度も結局、ぼくといるときにしか見せない。クラスの皆と話すことも最初に比べれば多くなってきたらしいだけど、ぼくと話すときとはまるで表情は違っていて緊張しっぱなしで、そんな様子を隠れて笑っていたら見つかってめちゃくちゃ怒られたのはつい昨日のことだ。
「強制、だろ。……力ずくで押さえつけること」
「そのままだね。つまんないこと言う」
「じゃあ、きみはどう思う?」
 待ってました、とばかりに胸を張るきみ。前フリにぼくを使うのはどうかと思うものの、お互いさまなので黙っておく。
「ん。考えてたのはね、昨日のニュースボードを見ていてなんだ。泣ける小説ってキャッチコピーのさ、今売れてる本の紹介文。たくさんの人が読んでて重版もすごくって、レビューも高評価だったんだけど。その泣けた人たちって純粋な興味で本を手にとって、感動してすっごく泣いちゃったのかな。それとも、泣きたい気分だったとこに丁度よく泣けそうな本があって、読んで実際に感動しちゃったのかな」
「あー……ぼくはそういう本、読む気失くしちゃうんだよな。身構えちゃうというか、泣かなきゃって気持ちになって楽しめない。―あ。そういうことで、強制力?」
 きみの話はこうやって、関係がなさそうなことをつなげて進んでいく。テーブルマジックのように、小さなピースがどこにはまるのかを見せながらパズルを完成させていく。
「そっ。泣ける小説で涙がぜんぜん出てこなかったり、笑いに満ちたショーに白けちゃったり、怒ってる人を見てむなしくなったり、楽しいゲームが最高につまんなかったり。喜怒哀楽がかみ合わないときって意外とたくさんあるでしょ?」
「需要と供給の落差というかズレというか」
「あはは、その例え、面白い! ちなみに本はね、読んだんだけど、オチが見え見えで途中でやめちゃった」
「……なるほど」
「それもさ。先入観や事前知識を取り払えたら楽しく読めたのかなって思うと、さみしいよね。ぼくたち、ま、ぼくは違うけど、多くの人たちはよその誰かから気持ちを措定してもらわないと、娯楽に接することもできないのかもしれない。……楽しむのに必要な最低限の努力なんてもう、古くさいのかな」
「そのうち、最近の若者は、なんて言い出さないよな?」
 茶化すぼくを無視し、きみはそっと続ける。
「ね。ぼくたちの想像力って、そんなに弱くて脆くてちっぽけになっちゃったのかな?」
 ぼくたち、とは、どの範囲を示すのだろう。
「なんでもいいんだ。今日の晩ごはん。明日の予定。小テストの内容とか、期末テストの課題とか」
 指を折って数えながら、まるで小さい子が内緒話をするようにささやく。
「週末に何して遊ぼう? 来月のお小遣いは何に使おう? それくらい誰だって想像するよね? だから、ぼくがほんとに言いたいのはね、その先」
ぼくは、落ちそうになっている水滴が付いたグラスを見るときのように、きみから目を離せずにいた。いつものきみとは少し違う。
窓の外では雨と風の音が鳴っている。台風が近いんだ。
「ファンタジーやSFみたいな想像じゃないよ。そうじゃなくて、明日やあさってよりも先の、未来を描く想像力。誰か他人になったつもりで思考する想像力。共感力かな。どうしてこれが忘れ去られているんだろうね、エギナル。みんながみんな今のことだけ自分のことだけ考えて、それぞれ全然違うものを抱えてても、気づかれないようにひたすら隠して、気づかないように必死で目を逸らしてる。赤信号だって、見てる全員が青って言ったら青信号だ。いつか事故に遭っちゃうかもしれなくっても、今無事に早く渡れるんなら問題はないんだよ。……なんにせよ、想像力は必要なくなったんだ。世界を顧みなくたって、そこそこ楽しい明日の過ごしかたがあるって発見しちゃったから」
 次第に早口になるきみは、ぼくの知らないものに対して怒っているようだった。
 ぼくが口を開く前に、きみが次の言葉をつむぎ始める。ぱらぱらと、写真集をめくる手は天の川のページで一瞬止まって、また一定のペースで進んでいく。
「だからあんなことをしておいて、未来の幸福のためだなんて笑ってられるんだ。ぼくはここに、ぼくしかここにいないのに。ぼくのことなんか何も考えてないくせに」
 誰が、とは言わず、きみは更に続ける。
「目の前にいるぼくの幸福は? ぼくも、その未来の人たちの中にちゃんと含まれてるの。聞きたいよ教えてほしいよ、でもどうせだめなんだ。適当に聞き流されるばっかで、当たり前だから心配しないでっていつも相手にされないでおわっちゃう」
「…………だい、じょうぶ、か?」
 ぼくは両手できみの肩を軽く揺すった。きみはひとみを肩と一緒に揺らして、はっとしたようにぼくを見る。
 ひゅう、と息を吸い込んで、眉尻を下げて笑う。最近、分かってきたんだ―この顔は、きみがどうしようもないと感じたときに見せる顔だ。
 嬉しいときだけ人は笑うんじゃない。
 この曖昧で明確な笑い顔が、きみのポーカーフェイスだ。
「ごめんね。一方的に話しちゃった」
「そうじゃない」
 どうしてここで謝る言葉が出てくるんだ。
「そうじゃないよ。……嫌なことでもあったのか。きみ、いつもと違うぞ」
「……」
「黙られても、聞いちゃったんだし。なあ、できること、ない?」
「……だよね。エギナルには隠しごと、できないよね……」
「隠しごと?」
 なんだそれ、と聞き返す前に、きみはぼくの手を肩から外して、開いていた写真集を閉じる。写真集の裏表紙には、黒い宇宙にぼんやり広がった、こぼした牛乳みたいな星雲が大きく載っていた。
「これからもさ、話、聞いてくれる? 今まで通りでいいから。しょうもない話ばっかりたくさんしようよ」
「しょうもない? こんな風な?」
「うん。きみとならなんでも。いっぱい、いっぱいお話しよう」
 また微笑まれたら、本当にそれでいいのかとは聞けなくて、ぼくはぎこちなく頷くしかなかった。
 閉館のアナウンスが鳴る。続いて、どこかで聞いたことのあるオルゴール音。ここへ来るたびに、何の曲だったかを思い出そうとして分からなくなる。調べようって気持ちにはならないけど、聞くたび気になってしまうのはどうしてなんだろう。
小さなノイズのような音も聞こえてくる。雨だ。
 勉強道具を片付けている間に本を戻し終わっていたきみは、入口の自動ドアの前で待っていてくれた。ドアにはめ込まれたガラスについた水滴を見つめ、口を動かしている。雨音でかすかにしか聞き取れなかったけれど、それは芝居のかかった、小説か何かの台詞のようだった。
「――大人は空想ごとを嫌う。現実を見て、現実と戦って、現実を片付けるのに精一杯だ」
 ぼくが来たことに気付いていないのか、きみは外を見たままだ。リズムを刻むように、かかとが規則的に上下している。肩で切りそろえられた髪が揺れる。そのたびにひらひらと、白い何かがきみの周りを舞っていた。
 白くて、軽そうで――からだを包み込んでしまうくらいの大きさの翼がきみの背中にある、錯覚をする。
「だがしかし大人に立ち向かうには、彼らが捨てた想像力の残骸を片端からかき集めて、武装しなくてはならぬのだ」
 飛べると主張することばに嘘いつわりなくそのまま飛び去ってしまう気がして、ぼくは名前を呼んだ。きみは一度頭を振って、こちらを振り向く。
 大きな翼はもう、消えていた。

それからのきみは、あの日のようによく分からないことを話すことはなくなった。申し訳ないと思われたからなのか、それとも話す必要がなくなったのか。ああ言った手前後者がいいと思いつつ、目の前で椅子に反対向きに座ってぼくのノートを写しているきみを眺める。
 ぼくは暑さのせいもあって弁当を食べる気が起きなかったので、妹を説得して持ってきた栄養ゼリーをちびちびと吸い込む。心配されているのは身に滲みているけど、無理して食べてだめだったときのほうがつらいし、だいいち勿体ない。
 きみが写しているのは、先週一日だけ学校を休んだ(風邪だと言っていた)ときの分だ。なにも夏休み三日前にしなくても、休みに入ってからで良かったんじゃないだろうか。授業は午前中で終わるのに昼過ぎまで残る必要性を感じない。早く帰ってシャワーを浴びたかった。
 きみはペンシルを持った手を止めないで、
「昆虫ね、子どもを産むために生まれてすぐに死ぬのがいるんだってさ」 
「あぁ。そうだね」
「反応薄っすいなぁ。暑い?」
「……うん」
「…………うん」
 熱で遠くがぼんやりとしているグラウンドを眺めながら答える。あれは蜃気楼じゃなくて何て言うんだっけ。蜃気楼は砂漠で見えるやつだ。ここだって十分暑いけど砂漠ほどじゃないんだろう。砂漠には行ったことがないから、単純な比較はできないけど。
「……というか、ヒトの寿命が長すぎるんじゃないのか。一世紀近く生きる生物なんて、哺乳類の中でも長い方だ」
「ネズミがだいたい二年、ゾウが六十年だっけ。霊長類は長生きだって研究もあるよね。子孫の残し方の違い、成長のしかたの違いを見たら妥当な長さなのかもねぇ」
「その理屈だと、その、昆虫はどうなるんだろう」
「短さを妥当って判断をするのはヒトなのかな、神様なのかな」
「……意外だ」
「ぼくが神様なんて言うのが?」
「だって、神様とか信仰の話なんてしたことないだろ」
「でも、ぼくだって現代科学を “信じてる”からねぇ」
 そうかもな、とぼくはゼリーのキャップをしめた。ぬるくなったせいで薬品くさい甘みが強い。にやりと笑ったきみはすぐにノートに視線を戻した。上手いこと言った、とか思ってるに違いない。
「短命で有名な昆虫は、ええと、カゲロウとかだっけ」
「みたいだね。図鑑を見る限り、からだつきもすごく繊細だよ」
「あしや翅以外も細いな」
「どうしてそんななんだろ。……授業でさ、いつだったか忘れたけど、どんな生き物も等しく保護されるべき最大の理由は、生態系バランスのためって言ってたよね。そのバランス調整のためにバイオディレクタを使ってるって。レプリカもディレクタの一部なんだって。自分達で壊した環境を守るために機械を放って,ぼくたちは何様のつもりなんだろ。……生き物に似せた機械がつくりだす自然は、ほんとに自然かな」
「説得力は皆無だ」
「それにぼくたち、ディレクタがすごいことは知ってても、なにがどうすごいとか、どうしてすごいとかは知らないんだよ」
「きみの信仰対象はずいぶんもてはやされてるってわけだ」
「流行に乗った偶像崇拝だ。良い商売になるねぇ」
 より便利に安全に、快適に、生活をより良いものにさせてくれる科学はすごいものだ。「皆」がそう言うのならそうなのだろう。実際、どのくらいの人が説明や解説をできるのかはともかく。
「生まれてすぐ死んでしまう生き物だとしても生態系のバランスのためなら、役に立つなら、環境保全活動をしたい偉い人達も投資してくれるかな? 今絶滅の危機に瀕している個体の手助けをしてくれるディレクタをつくってくれるかな? それとも結局、自分達の利益を一番に考えて、旨味のない話は後回し? カゲロウだって生きてるだけなのにね。誰かの得になるように生きようとするのは、ありふれた生存戦略の一部であって全部じゃないよ。行き過ぎた好奇心やお金儲けから権利を掠め取られたり自分を奪われたりする必要なんか、ほんとはどこにもないんだ」
 きみは決意のように淡々と呟く。ノートの上には、強い筆圧で散ったペンシルの芯の粉がばらまかれている。
「……カゲロウに訊けたら良いのにな。毎日何を考えて飛んでいるのか、何を考えながら卵を産むのか。……や、昆虫を意思疎通がしたいんじゃなくて」
「どうして?」
 ぼくはことばを呑む。
 きみのまっすぐな問いに、喉を射抜かれる。
「どうして? したくないの、昆虫と―爬虫類や鳥や魚もそう―あらゆる生き物とお話できたらすごいよ、エギナル。飛ぶのと同じだよ。皆は出来ないって言うだろうし、こっちに越してからはぼくも飛べてないけど。でも、出来るんだ。飛びたいって強く思えば」
 物語やお伽話を語るのではなく、いつか実現できる未来を示すように。想像力を持ち続けているきみは言い放つ。
 だからぼくも、思ってしまう。思わされてしまう。きみができると言うのなら、叶えられるのだろうと。ヒトではないものたちと話すことも―空を、飛ぶことも。
 そのために、きみのために。
 できることはないか、考えてしまう。
「……きみのいた街に、山とか雑木林とか、あった?」
「え? ううん。砂防林はあったけどね。大きいの」
「じゃあレプリカもほとんどいなかっただろ。海沿いは、こっちほど配置が進んでないって聞いたことがある」
「そう、そうなんだ! だからぼく、こっちで見るのが、楽しみ……で……」
 ぱっと顔が上がって、口が半端な形で止まる。
 この町でも、本物の昆虫を見られることはそうそうない。ぼくだって見たことがあるのはハエやダンゴムシくらいだ。レプリカと本物と、見分けられる自信もない。
「町はずれの森林公園、行ったこと、ある?」
「まだ。ない」
「あそこは昔からの自然が残ってるらしいよ。初等科の遠足の定番スポットにもなってる。散策ルートがいくつかあって、一番簡単なルートでも、けっこう木が生い茂ってたはず」
「らしいねぇ。キャンプ場とかもあるんでしょ?」
「行ってみたら?」
「え!」
 がたりと音をたてて、きみは椅子から勢いよく立ち上がる。
「そこは一緒に行こうよ、じゃないの?」
「アウトドアは好きじゃない。手伝いならするけど」
「エギナルと行ってみたいよ。他の人となんて嫌だ」
きみのことばが真っ直ぐすぎて、心がたじろぐ。うまく反応できなくて、ぼくは一瞬だけ息を止めた。どうしてきみは、ぼくが言いたいことをぼくよりも先に、さらりと言ってしまえるのだろう。
「……じゃあ、探すか、虫。は虫類とかもかい」
「えっ昆虫がいいよっだってエアロビークルの原型にもなってるんだよ? どんなのか、人生で一度は見ておきた……って、今の笑うとこあった?」
 人生に一度、なんて神妙な顔で言うから吹き出してしまった。
 ぼくらがおとなになったら一体、どれほどの虫が生きているんだろう。それにレプリカを設計する人達だってレプリカと本物の区別がつかなくなっているのかもしれない。この夏が、ぼくらにとっての最後の機会になるかもしれないのだ。
「よし、決まり! じゃあ夏休み一日目の朝七時に、森林公園集合ね」
「えっ、一日目?」
 さすがに急ぎすぎじゃないか。
「もうちょっとちゃんとした予定を立てよう。公園って言ってもほぼ森だし、ぼくらどっちも運動苦手だし、念には念を」
「うーん、計画かー。海に行くみたいにはいかないかぁ」
 というかきみがあまりにも無計画だ。もとの街ではどうやって海に行っていたのか、怖くて聞けない。
「一週間後は? だから―夏休み六日目。天気も晴れるはずだから」
「うん……そうだね、そうしよっか。エギナル、体調は万全にね」
昆虫探しも、空を飛ぶのだって。きみができると言うなら何だって出来るような気がする。それでぼくは、きみがやりたいと言ったことを――大げさに言えば望みを――手助けしたい。
 だからまずは無事に昆虫を見つけられることを祈って、きみの勉強にもう少しだけ、付き合うことにした。

bye bye, peter 2

つづき→
https://slib.net/115779

bye bye, peter 2

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2022-08-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2