視える人
視える人
いわゆる、わたしは「視える人」だ。
初めて見えるようになったのは、曾祖父が亡くなった時。小学校三年生の頃だった。
当時は誰にも信じてもらえなかったけれど、大人になってからは信じてもらえるどころか、視て欲しいという人が集まってくるようになった。
「麻里、お願い!」
今日は大学の友人の知佳が講義中だというのに懇願してくる。彼女からは以前にも頼まれたことがあったけれど、視えないと嘘を吐いていた。
「前にも言ったけれど、知佳には視えないよ」
「本当は視えてるんでしょ、そこをなんとか」
「そんなこと言ったって、視えないものは視えない」
小声の押し問答の最中、彼女の視線がすうっと動く。講義に遅刻してこっそり入ってくる一人の男子学生を、彼女の目が追った。
「彼との赤い糸が繋がってるか視てほしいの。最近、イイカンジだし、運命かもって」
そう、わたしが視るのは、人と人に結ばれた運命の赤い糸。
知佳は、彼と運命の赤い糸が繋がっていると信じて止まず、それを確信に変えるために見て欲しいと言う。
だけれど、わたしには言えない。
彼の小指からのびた赤い糸が、わたしの小指に固く結ばれていることなんて。
それはちょうど、一〇〇歳で死ぬまで添い遂げた曾祖父と曾祖母に結ばれていた赤い糸のように太く、濃かった。
視える人