騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第三章 女教皇のたくらみごと
第十一話の三章です。
アタエルカにおける騒動の始まりと狙い、そしてロイドくんの過去が顔を出します。
第三章 女教皇のたくらみごと
「……」
アタエルカの第五地区、教皇が住まう一際大きな建物の一室で、ボサボサの黒髪を寝ぐせで更に荒ぶらせた男子が目を覚ます。のそりと起き上がり、見慣れない室内に多少混乱していると、見慣れた人物が一瞬だけその表情を嬉しそうにし、しかしてすぐに不機嫌なそれに変えて男子――ラクスの横に立った。
「あんた、ようやく起きたわね。」
「リテリア……あーそうか、今はアタエルカだったな……俺、どれくらい寝てた?」
「丸一日よ。あんたが聖騎士にボコボコにされたのは昨日。傷は治ってるのにグースカ寝ちゃっていいご身分だわ。」
治りたてで起きたてのラクスにツンツンした言葉を飛ばし、翼のように広がった左右の髪を揺らすリテリアのいつもの態度にやれやれとため息をついたラクスは、ガチャリと部屋に入ってきた螺旋を描く金髪の女子――プリムラと目が合う。
「目が覚めましたか。大丈夫そうなら食事を持ってきてもらいますが。」
「ああ、頼む……ついでに、あの後どうなったか教えてくれるか?」
突如始まった聖騎士たちとの手合わせ。ほぼ実戦の形式で行われたそれを自分たち全員に対して行うという女教皇の言葉を思い出してそう聞くと、プリムラは厳しい顔をした。
「完敗です。ラクスさん同様にそれぞれが苦手な相手と戦い、ほぼ手も足も出ずに。魔法で完治させても寝込むほど消耗したのはラクスさんだけでしたが……やはりベルナークの力を引き出した影響でしょうかね。」
「苦手な相手……まんまと相手の罠にはまった感はあったが、あの短剣使いが俺にとっての天敵って事なのか?」
「ある意味……普段はそれほどではありませんが、ベルナークの真の力を解放したあの状態に対してはそうと言えるかもしれませんね。あらゆるモノを切断する六刀はリーチもあって強力ですが、動きが大振りになりがちです。対して相手は位置と数を駆使してかく乱させ、攻撃自体は刃物で一突きという単純なモノながら致命的な一撃を入れに行くスタイル。正反対ゆえにかみ合い方を間違えると一方的な展開になってしまう組み合わせですね。」
「一方的……確かにな……」
戦闘後に倒れてから今まで眠っていたのでその感覚は薄いが、昨日の事らしい短剣の聖騎士との戦いを思い出すラクス。前半はまだ何とかなっていたが、八人増えた聖騎士が無数の短剣を飛ばし始めてからはもはや自身の反射神経頼り。相当な速度で振り回す事が出来る六刀だが、それでも大振り故にああして手数の多い攻撃の前にはその場に釘付けにされてしまうのかもしれない。
先日のS級犯罪者の攻撃も……そういえば他校の曲芸剣術の使い手の攻撃も、その超速かつ膨大な攻撃にその場で斬りまくるという対応しかできていなかった。
空間を切り裂いて移動できるというのも、攻撃と同時に移動できる点は良いが小回りに関しては普通の位置魔法の方が上だろう。
凄い事ができるのは確かだがそれをそのまま使うだけで活かし切れず、自身の思考が追い付かない無数の攻撃の前では六刀を振り回す事しかできていない。要するに能力ではなく極々単純な力量がまだまだ足りていないのだ。
「――はぁ……やれやれだ……いい経験にいい気づきなんだろうが、何も冬休みの始まりに思い知る事はないよなぁ……既にまるっと一日眠りこけちまったし、気を取り直して楽しい休みに入りたいぜ。俺はもう動けるし、さっさと帰るか。」
「? もう帰るのですか?」
ラクスとしては自分が起きるのを待っていただろうプリムラたちに悪い事をしたという思いもあったのだが、プリムラからはそんな言葉が返ってきた。
「あ――いえ、その……」
本人も意図していなかったのか自分の発言に少し驚いた様子だったが、すぐに真面目な顔になるプリムラ。
「アタエルカの聖騎士と関わる機会なんてそうあるものではありません。強さの程は体験した通りですし、訓練の様子くらいは見学していくべきですよ。」
「やれやれ、休みだってのに熱心だな……まぁ、こうもそろってコテンパンにされて帰るってのはちょっとな……」
「なによ、あんたにしちゃやる気じゃない。」
リテリアにそう言われ、確かに我ながら珍しいなと思いつつもふと考えが至る。
「やる気っつーか……ぶっちゃけこのまま帰ったら姉ちゃんにキレられそうだし……」
負けて帰ったところを姉にドヤされる光景を想像し、ラクスは再度ため息をついた。
「いやだわ、こんなお客様をコッソリ呼ぶなんて。ヨナちゃんの事は大目に見てたけどこれはさすがに教えておいて欲しかったわね。」
カーミラの黒い穴もそうなのかは知らないけど、いきなり移動系の位置魔法が使えなくなったから外の様子を見に行った頭が三つの犬人間――ルベロは五分と経たずに戻って来て……何故かオカマのオッサンを連れてきた……
「あなた以外の魔人族なんて初めて会うわね。こんにちは、あなたはスライムかしら?」
『……私の種族はウンディーネだ。』
「わ、頭の中に声が聞こえるわ! すごいわね!」
見た目も服装も絵に描いたみたいなオッサンなのに口調と仕草は女のそれで、身体は男だけど心は女みたいな感じ……なのかしら。まぁ、正直ヨナの登場もちょっと心配なんだけど、気づけばあっちこっちで女を誘惑するエロロイドでもさすがにこういうのは対象外――
「びゃ、ど、びょ……」
――だと思って何となくロイドを見たら、なんでか本の山の裏で顔を隠してしゃがみ込んでた。
「あんた何して――」
いきなりかくれんぼを始めたロイドの顔を覗くと、そこには見た事のある表情があった。それはあたしを襲……あ、あたしと……その、アレコレをし、した時の……本人が言うに、な、なんかもう色々と我慢できなくなってどうしようもなくなった……そ、そんな時の表情で……
つまり……ロイドの顔は真っ赤だった。
「あ、あんたなんで――なんでそんなんになってんのよ……」
「ち、違うんです! な、なんか突然……その人を見た瞬間に顔が熱くなって……い、意味わかんないんだけど知らない女の人のヤヤヤ、ヤラシイ――こここ、光景が頭の中をぐるぐるしてるんです……!」
「はぁ!? 何言って――バカじゃないの!?」
オカマのオッサン見て……よ、要するにヨクジョウ――したとか言ってるバカロイドにバカって言ったら、そんなバカの様子に気づいたオッサンがズンズンとロイドに近づいてきた。
「あら? あらあら! まさかホントに!? すごいわ!」
「びゃああああ!? あの、すみません! こここ、こっちを見ないでもらえると――ひゃああああ!?!?」
急接近したオッサンに、まるでどっかの女に裸で近づかれたみたいな反応をするロイド……なにこれ、無性に腹立つわ……
「同性に感づかれる事はあったけど異性は初よ? 目がいいのか、それとも直感かしら?」
興味津々にロイドをジロジロ見るオッサンの肩に、カーミラがゆらりと手を置いた。
「失礼……ロイド様に一体何をしたのですか?」
同時にゾッとする気配がにじみ出て……それに気づいたルベロが慌てて説明する。
「こ、これは違うんです女王!」
「ロイド様に何かしたのではなくて――そう、ロイド様が鋭いゆえに気づいてしまったと言いますか!」
「どうかその殺気をおさめて下さい!」
視線だけで射殺しそうな横目でルベロをチラリと見たカーミラがオッサンの肩から手を離す。あたしたちもカーミラのこれには未だに慣れなくて冷や汗が出るんだけど……その殺気が向かったオッサン自身はケロッとしてて、もっと言えばなんか嬉しそうで……変態?
「深い愛を感じたわ。向ける側の愛情が大きいのは勿論だけど向けられる側にも相応の要因はあるもの……うふふ、そんな素敵な若い子からの情欲だなんて、ゾクゾクしちゃうわね。」
気持ち悪くペロリと唇を舐めるオッサンにカーミラからの圧が増し、ルベロが大慌てする。
「聖母はちょっと黙って!」
「今世界で最も怒らせてはいけない方を激怒寸前まで持ってきちゃってるのよ!?」
「この国が消えちゃうわ!」
……は? 今……「せいぼ」――「聖母」って言った? 何言ってんのこの犬……
「じょ、女王! こちらはその、この第四地区をまとめている人間です!」
「ロイド様同様に恋愛マスターの力を受けていまして、周囲の異性を問答無用で虜にしてしまうのです!」
「オンオフができないのでこういう姿になっていて、だけどロイド様は気づかれたみたいで――」
必死で色々説明するルベロなんだけど……え? 意味わかんないわ。
このオカマのオッサンが第四地区のトップで……実はオカマのオッサンに見えるだけ? 恋愛マスターのせいでそんな風にしてるけど女……女? これが?
「うふふ、いいわよルベロ、自分で話すわ。誰かの恋人を虜にしちゃうなんてこと、昔はしょっちゅうだったもの。」
気持ち悪く笑ったオッサンは、ふと姿勢を正して恭しく頭を下げた。
「お初にお目にかかりますわ、魔人族――いえ、スピエルドルフの女王様。私はアタエルカ第四地区の統率者、アディ・プローテ。信者たちからは聖母と呼ばれています。」
「……聖母、ですか……」
「その外見で、と言いたいのでしょう? 女王様の愛する人に影響を与えたのは私が恋愛マスターより授かった力――この世の全ての男を虜にしたいという願いによって得た特性。先のルベロの言葉通り、恋人や妻子がいようと全ての男は私を欲さずにはいられなくなるのです。ですが当時の私は若く、言葉の意味を理解できていなかった。幼児から老人、美形から醜男、男であればそれ以外は問わない無差別の魅了。これがなんとも面倒くさい。ですからその気でない時はマジックアイテムを使ってこういう容姿にしているのです。女と認識されなければこの特性は作用しないので。」
「……つまりロイド様はその慧眼であなたを女性と見抜いた……見抜いてしまったわけですか。」
「そういうこと。」
カーミラを敬うような態度がコロッと元に戻ったオッサン――アディ。いや、というか見抜いた……? このオッサンを見て女だと思ったって事?
「あんた……一体どうなってんのよ……」
「いひゃ、もう、オレにもその人はオ、オジサンにしか見えてないぞ! でもなんか――知らないけどなんか!」
顔を覆って物凄く恥ずかしそうにするロイド……
「うふふ、今、彼の頭の中では私が本来の姿で淫らに飛び回り、しかして目の前にはいないという状況。悶々とした感情が急速にたまっているでしょうねぇ。」
自分の肩を抱いてゾクゾクと震えるアディに再度殺気を向けるカーミラ……
「即刻止めて欲しいですがオンオフができないとなるとあなたを殺すしかありませんね。」
「うふふ、怖いこと言うわね。とりあえず私を視認しない事ね。目隠しでもしとけばとりあえず欲情状態は治まるわ。ヨナちゃんのを借りたらどうかしら。」
「いいですよ? はいこれロイドさん。」
「あ、ありがとうございます……」
こうしてロイドはラクガキみたいな目の描いてある変な目隠しをしてヨナとおそろいになった……これはこれでムカツク……
「全く、恋愛マスターはろくなことをしませんね。おばあさんもおばあさんですよ、どうしてこんな迷惑な方を連れてきたのですか。外の状況を確認しに行ったのでは?」
「ああ、それも私のせいよ。ルベロは何もしてないの。」
目隠し状態のロイドとヨナを眺めてうぷぷって笑うキモ……アディがひらひらと手を振った。
「突然周囲の信者たちが嘘をついてないのに根っこでは嘘をついてる、みたいな変な状態になったのよ。そんな妙な状況を説明できそうなのと言ったらルベロだから部屋に向かってたらバッタリ会ってね。そしたらルベロったら「げっ」って顔したのよ? だから聞いたのよ、私に何か隠してないかってね。」
「……? よくわかりませんが、つまりその質問におばあさんが正直に答えてしまったが為にあなたが来てしまったのでは?」
「そう、そこそこ。正直に答えてしまったんじゃなくて、正直に答えるしかできないのよ。私の前ではね。恋愛マスターの力には副作用と代償がある事は知ってるかしら?」
「……願いを叶えた事によって起きてしまう副次的現象と願いの対価ですね。」
ロイドの場合は運命の相手と出会えるようになったけど同時に運命の相手一歩手前の女まで引き寄せちゃうようになったのが副作用。代償の方は……前は失った記憶がそれだと思ってたけどそれは恋愛マスターのうっかりだったから今のところは謎。
他にはプリオル――『イェドの双子』の男の方はたくさんの女性との出会いっていうのを願って、結果副作用として恋人とか奥さんになるような唯一の女性には出会えなくなって、代償として第十系統の位置魔法しか使えなくなった……らしい。
そしてこのオッサン――に見える女の、男を虜にするっていう願いにも副作用と代償があるわけで……代償は願いに関係ない場合もあるけど副作用は関係があるはずで……こいつの場合はなんなのかしら……?
「私の願い――恋愛マスターから授かったこの特性は周囲の男を一瞬で虜にする。それはつまり、私の内面に関係なく外見だけで夢中にさせるって事。胸の内に誰もが持ってる異性に対する欲望を強制的に引っ張り出してその対象を私にするわけだけど、その過程が他にも影響を与えちゃってるみたいなのよ。欲望っていうのは嘘偽りのない純粋な思考で、それをさらけ出させるって事は――」
「……あなたの前では嘘がつけない――という事ですか?」
「そういうこと。男はそもそも私の虜になるから嘘をつくって事自体考えられなくなってるけど、問題はこの現象が女にも起きるって事。これが私の副作用であり、代償なのよ。」
「んん? 副作用の方はなんとなくわかっけどそれって代償か? いいことじゃねぇか。」
「嘘と表現すればそう見えるが、本音と建前はコミュニケーションに重要な事だ。周囲の人間が大小問わず本当の事しか言わないというのは恐ろしい事だと思うぞ。」
毎回いきなり会話に加わる強化コンビだけど、これはカラードが正解だわ。たぶんあたしたちが思う以上に面倒な状況に……ってあれ?
「……なんであんたらはロイドみたいにそのオッサンにメロメロになってないのよ……」
「ん? いや、話を聞いて女性だという事がわかっても……それを理解できていてもそうとは思えていないというか……」
「んああ、なんか「この猫、実は犬なんだ」って言われてるようなもんだぜ。」
アレキサンダーがわけわかんない表現したけど……要するに本当の意味で納得できてないんだわ……事実を聞いてもこれなのにロイドは何なのよ、まったく……
「む!? つまりその方を通して聞けばロイドくんの本音が丸わかりという事か! 聖母様、ロイドくんに胸は大きいのと小さいの、どちらが好みか聞いていただいても!?」
「ローゼルさん!?!?」
「あんたはいきなり何言ってんのよ!」
「うふふ、欲望に忠実なのはいいことよ。でも他人の欲望の手助けは私の望みじゃないわ。欲しいモノがあるならあらゆる方法を用いてそれを手に入れる――私を使う事がその方法だというなら、私を動かす何かを用意するところからね。」
第四地区……欲望に従う事が教義らしいこの場所のトップの人間らしいことを言ったアディは、ふと真面目な顔をルベロに向けた。
「んで、結局私が知りたかった事はあなたも知りたい事で、この状況の理由はさっぱりなのよね?」
「こ、これだけ引っ掻き回しておいてさらりと本題に……」
「ええ、そうよ。」
「聖母の方に心当たりは?」
「そうであって欲しくないモノが一つ……ちなみにこれはこの国の最高機密に関わるから教えることはできないわ。バレないように勝手に調べるなら別にいいけれど。」
なんか矛盾してる事を呟くアディにカーミラがため息交じりに尋ねる。
「事の詳細はこの際どうでもいいですが、問題は元に戻るかどうかです。ワタクシたちはアタエルカから出られるようになるのですか?」
「微妙なところね。これをやった者の意図によ――」
「これは……」
アディもアディでため息をつきながらやれやれって感じに答え――る途中で、また知らない奴が部屋に入ってきた。
「流石は第四地区と言ったところか。想定外の事が起きる。」
入ってきたというよりはいつの間にかそこにいたって感じで……そもそもどう考えてもドアをくぐっては入ってこられないだろうバカみたいな巨体で、カラードみたいに全身を甲冑で包んだ奴があたしたちを見下ろしてそう言った。
「何だお主ら、無礼だぞ! 私を第一地区の大司教と知っての事か!」
田舎者の青年らが甲冑をまとった巨人を見上げている頃、アタエルカの第一地区を統率する人物の私室にて恰幅の良い初老の男が甲冑をまとった者たちに囲まれていた。
「その甲冑、第五地区の聖騎士だな!? フラールの命令か! 何を考え――」
壁を背にして怒鳴り散らしていた初老の男は突如糸が切れた人形のように姿勢を崩し、その身体を一人の聖騎士が受け止める。
「弱いな。これが頂点に立つ者とは。」
「教皇様と一緒にしてはこの者が可哀そうだ。しかしもう一人はどこへ?」
「相手は『預言者』――こちらの動きを読まれたか。」
「可能性はある。だが教皇様が設定された優先度は高くない。少し探して見つからなければ次の場所へ移動しよう。」
ぐったりとした初老の男を抱え、聖騎士たちが部屋を後にする。そして誰もいなくなった部屋に静寂が広がる事数秒、突如天井の一部がパカリと開いて一人のシスターが降りてきた。
「性格的にこういう事もあるとは思ったけど、こんなに早く動くなんてね。備えあれば何とやらだわ。」
服についたほこりを払い、シスターは斜め上を見上げて目を閉じる。
「これは全地区に同時に仕掛けてるわね。ブラウンが回収する前に動かれたのは予定と違うけど、こんな強引なやり方でどうにかできると思ってるのかしら。あれって気づかれなければ気づかれない類だし、少なくとも《オクトウバ》は黙らせる事ができるかもだけど――ってあれ? 《オクトウバ》はどこよ……」
目に加えて両耳を塞いだシスターはそのままあっちこっちへ顔を向ける。
「いない……? 流石に事態には気づくだろうけど《オクトウバ》に限っちゃどうしようもない……魔法を封じられて徒歩で移動してるはずなんだけど……どこにもいないわ。たまたま知覚の範囲外なだけ……?」
部屋の真ん中で奇妙な動きを続けた後、シスターは誰かと話すような独り言をいくつか呟き、閉じていた両目を開いた。
「いくつ落ちるかわからないけど、白の騎士団は黙ってないはず。上手に聖騎士にぶつければいい塩梅よね……第四地区の悪魔はどのタイミングが使いどころか……遂にやってきたチャンス、慎重に動かないと。」
あごに手を添えて思案を始めたシスターは、不意にその瞳に青い十字架を光らせる。
「……? フィッシャー? 何よいきなり――」
真剣な顔で虚空を眺める事数秒、シスターはぐらりと体勢を崩し、引きつった笑みを浮かべた。
「……全く……このタイミングで悪魔の王を連れてくるなんてね……混乱極まるわ。」
「……?」
地区で暮らしている一般の信徒の気づかないところで大きな動きが起きる中、アタエルカの外――十二の地区を丸く囲っている塀の外で祭司の格好をした男が一人立ち尽くしていた。
「入れない……私の魔法に干渉するとは『イェドの双子』並みの――いや、違うな。これはもっと根本的な妨害……この感覚はまさか……? だとすると相当危険な状況だな……」
無表情に淡々とした口調だが、この男を知る者からすればかなり焦った顔で辺りを見回した祭司は、塀にそって走り出す。
「白の騎士団と合流できれば……!」
「んん? どうした?」
「なんか気持ち悪い。」
他の地区と比べると科学技術の進歩が目覚ましい第二地区の街並みをぶらぶらと歩いていた老人は、一緒に歩いていた中等学生くらいの少女が急に難しい顔で立ち止まったのを見て首を傾げた。
「気持ち悪い……具体的にはどの部位に違和感がある。」
「頭の中に何かが入ってきたみたい……おじいちゃん、これなぁに?」
「頭……ほう、ワレは何ともないが……何かを知覚したのだな?」
興味深そうに少女の顔を覗きこんだ老人は、パチンと指を鳴らして目を閉じる。
「ふむ、何かを仕掛けられた痕跡はなさそうだが……ワレにわからないとなると魔法ではないのか……? よもや神の力でも放たれたか。」
「うぅ、何が変なのかわかんないけど絶対に変だよ……どうしよう。」
「ふむ、もう少し情報を集めてからと思ったが……まぁ良かろう。ならばここでの現象についてはワレより詳しいだろうアレに尋ねるとしよう。」
ヨナさんの透視の力を抑える為の特殊な目隠し――というのは関係なくそもそも目隠しされると何も見えないオレは、少しずつおさまってきた……あ、頭の中をグルグルするアディ・プローテ――聖母様の本来の姿のヤヤヤ、ヤラシー光景とそれに対するヨヨヨ、ヨクボウと戦いながらミラちゃんたちの話を聞いていた。そして位置魔法が使えなくなった現状について聖母様が心当たりがありそうな事を言ったその時、知らない声が聞こえてきた。
聖母様に続いて新たに誰かが部屋に入ってきたようなのだが、その瞬間オレの手はコポンと水に包まれ、誰かがオレの前に、オレを庇うようにして立った。たぶんそれをしたのはフルトさんだが、なんとなく周りの空気がピリッとしたのを考えると、そのお客さんは危険そうな外見というか、雰囲気の人物のようだ。
「待て、こちらに戦闘の意思はない。」
妙に声が斜め上の方から聞こえるからもしかすると空中に浮いているのか……そして声の感じが甲冑を装備したカラードのようだから鎧を着ているかもしれないその人がそう言うと、聖母様が……完全に男の声なのに色っぽく聞こえてしまうのは恋愛マスターの力のせいなのかわからないが、そんな何とも言えない声でうふふと笑う。
「そんなフル装備で登場されたら誰だって警戒するわよ。確か第五地区の聖騎士よね? このタイミングで登場という事は、今のおかしな状況を作ったのはフラールって事なのかしら?」
「やはり気づいておいでか。教皇様も聖母アディ・プローテは感づくだろうと予想していたが……さすがに魔人族の客を迎えているとは斜め上だった。」
「うふふ、私もよ。それで要件は何かしら? フラールが何をしたか――いえ、何を使ったかはだいたい予想がつくけど、もしかして他の地区のトップを始末する電撃作戦?」
「そんな勿体ない事はしない。後の事を考えれば効率が悪すぎる。そもそも教皇様は……ああいや、ともかく集まって欲しいだけだ。」
「抵抗するなら気絶させて抱えていくぞ、ってのが聖騎士が来た意味合いね。」
「察しが良くて助かる。」
「うふふ、まぁいいわ、了解よ。だけど今あなたが一番に考えなくちゃいけないのはこちらのお客さんたちね。」
内情を知っている人同士の、無関係な人にはわからない所が多い会話の内容がオレたち――たぶん主にミラちゃんへと移る。
「簡単に言うと彼女たちは宗教とは無関係に、たまたまこの第四地区に所属してた魔人族のルベロに仕事を頼みに来たの。フラールがこの先各地区をどうするつもりなのか知らないけれど、その仕事の完遂に影響が出るようなら覚悟がいるわよ? あなたならわかるでしょうけど、こちらの黒いドレスの彼女は聖騎士隊が束になっても勝てない次元の強さよ?」
「ああ、理解している。少し待て……」
よ、よし……ざっくりと現状を整理しよう……十二の宗教がそれぞれに地区を持ってにらみ合うこの神の国でどこかの地区――どうやら第五地区らしいが、そこが何かをして、その影響で位置魔法が使えなくなった。その地区の偉い人は他の地区の偉い人たちを集める為に聖騎士という人たちを派遣したらしく、この新たに登場した人はその一人らしい。
だけど聖騎士が第四地区の偉い人――聖母様のところへ来てみると、オレたちがいた。お互いにタイミングが悪かったという感じだが……オレたちはともかくミラちゃんはかなりのイレギュラー。対応を間違えれば聖騎士や彼らをまとめている人の予定というか計画がダメになってしまいかねない。だから……目隠しのせいで何が起きているのかさっぱりだが、たぶん聖騎士の人が対応を考えているのだろう……しばし沈黙の時間が流れた。
「……正直に言うと、そこの三つ首の魔人族は優先度の高い確保対象だった。研究者とはいえ魔人族、下手をすれば我ら聖騎士や白の騎士団と同等の戦闘能力を持っているからだ。だがその者に手を出す事で遥かな格上を敵に回すというのであれば諦めざるを得ない。こちらにはまだ、そういう相手と戦う準備が整っていないからな。故に聖母アディ・プローテは連れて行くが魔人族には手を出さない。今後教皇様が何をするにしても、その者やこの部屋の状況を変化させない事を約束する。如何か。」
えぇっと……つまり聖母様にはついてきてもらうけれどサーベラスさんやサーベラスさんにお願いしようとしていた事に影響が出ないようにする……という事か。
「……人間の、宗教間の争いにも他国内のいざこざにも興味はありません。ワタクシたちの依頼が問題なく遂行されるのであればそちらの企みに手を出す理由もありません。あとはここから出してもらえればそれで構いません。」
聖騎士の人の提案に対してそう答えたミラちゃん。
状況的には聖母様が……会ったばかりで知り合いとすらも言えないだろうけど、その人が今、何かを計画している人たちに連れて行かれようとしている。何となく止める……助けるべきのような気がしたけれど、ミラちゃんの言う通りでもある。基本的に人間がする事に興味が無いスピエルドルフだからというわけではなく、オレからしても知っているだけでどこかの神様を信じているわけじゃない完全に蚊帳の外の宗教同士で起こっている事態な上にここは他国。情勢も内政も何も理解していないオレが「何となく」で動くのはたぶん間違いだし、何よりこの場合はミラちゃん――スピエルドルフに迷惑がかかってしまう。
んまぁ、これがフィリウスなら気に入らない事を全部平らにした後で「で、何があったんだ?」って聞きそうだけど……
「ではそのように。一つ確認するが、そこの第三地区の『預言者』、ヨナ・タルシュも手を出すべきではない対象か?」
「そ、そうね。この子も仕事――の為に必要よ。」
「確かに第三地区の『預言者』だけど、ここじゃ我らの助手みたいなモノなの。」
「連れて行かれると困っちゃうわ。」
第三地区の『預言者』だったらしいヨナさんについてサーベラスさんがそう説明する。実際のところは遊びに来ていただけというのが正解なのだろうが、ここで連れて行かれるとどうなるかわからないというのを考えたのだろう、優しいサーベラスさんの嘘に対し、聖騎士の人は「了解した」と答える。説明を信じたのか、それか事実を理解した上での黙認なのかはわからないが……
「では客人らを外に出す。そちらにかたまってくれ。」
そちらがどちらなのかわからないオレの手をコポンと引っ張ってくれるフルトさんに連れられて少し移動すると、周りにふんわりと魔法の気配が漂った。
「生憎、特定の人間を範囲から除外するというような器用な調節はできない。だが我々聖騎士には教皇様が設定した内容が共有されている為、思考の抜け道が存在している。これだけの人数を遠くに移動させるには距離が離れすぎているので国の外、塀の傍までの移動になってしまうが勘弁していただきたい。そこならば既に範囲外、後は各々の位置魔法で移動してくれ。」
難しい言い回しのせいなのか、どうにも言っている事がちょいちょい噛み合わない気がするが、どうやら聖騎士の人はオレたちをこの国の外まで位置魔法で飛ばそうとしているようで、ぶつぶつと呪文の詠唱を始めた。
これがリリーちゃんみたいに位置魔法が得意な系統って人なら呪文も魔法陣もいらないのだろうけど、この聖騎士の人の得意な系統はそうじゃないのだろう。
「……あまり上品には使えないのでな、酔わない為に目を閉じる事を勧める。」
目を閉じる……あ、目隠し……
「ヨナさん、これありがとうございました。」
魔眼の力を抑える為のモノだからそこら辺のお店で買えるモノじゃないはずで、そういくつも持っているわけではないだろう。このまま持って帰ったらヨナさんが困ると思い、オレは目隠しを外した。
「あ、う、うん。どういたしまして……」
突然の状況に困惑しつつも、ヨナさんが位置魔法の近くまでやってきてオレから目隠しを受け取る。そして目を開いた瞬間、視界に聖母様が入って頭の中の桃色の光景が盛大に復活したのだが、それを一時的に押さえるほどの驚きが傍に――いや、聖騎士の人デカッ!
「んん?」
鎧というか甲冑をまとっているのは正解だったが、てっきり空中に浮いているのだと思っていた斜め上からの声は単純に身長が高いからだったらしく、フィリウス以上の巨体にオレ一人だけ今更驚いていると、今まさに魔法を発動させようとしているその大きな聖騎士の人が首を傾げた。
「この気配……ああ、その目隠しのせいか。別の力も抑えてしまっていたようだな。」
足元に魔法陣が光り、キラキラとした光に包まれていく中で聞く聖騎士の人の呟き。それは――
「お前たち、パタタ村の生き残りか。」
――オレとパムが無視できない一言だった。
塀の外。このアタエルカっていう切り分けられたケーキみたいな国をグルッと囲んでる高い壁の外側。一つ一つの地区が国の首都並みの規模でそれが十二個もくっついてるのを囲んでるわけだからそれは相当な長さで、左右を見るとどこまでも壁が続いてるように見える。
そんな壁の傍に放り出されたあたしたちはいきなりの事にちょっと頭が追い付いてなくて思わずため息が出たんだけど……見ると、パムがロイドの手を握って二人で顔を青くしてた。
「兄さん……あの騎士……」
「うん……聞き間違えじゃないんだな……」
聞き間違え……そういえばあのデカい騎士、最後に何か言ってたわね……
「パタタ村……とか言ってたわね。その生き残り――ってまさか、ロイド、あんたの……?」
あたしの質問にローゼルたちも息を飲み、ロイドは……ぽつりと答える。
「……オレとパムの……故郷だ。」
ロイドたちの故郷。盗賊の手によって一晩で壊滅させられた村……ロイドが家族と死に別れて……今は地図にもないっていう、ロイドたちが生まれ育った場所。
村の名前を聞いたのはこれが初めて。それなりに気にはなってたけどこっちから聞くと……どうしたって辛い事を思い出すだろうし、ロイドとパムとでその時の記憶が違くて、それでひどい顔になったロイドを見てるからいつか本人の口から聞ける時でいいって思ってたその名前が、いきなり現れた騎士の口から出てくるなんて……
「い……いや待て待て……どうしてあの場面でいきなりロイドくんの故郷の名前が出てくるのだ……?」
ロイドの故郷の名前を聞けた事自体は嬉しいんだけど、ローゼルの疑問にハッとする。二人がその村の生き残りっていうのは確かな事で、たぶん調べればわかることだと思う。問題は――
「あの騎士、ロイドくんが目隠しを取った時に初めてそれに気づいたような感じだったが……その村の者には顔や目に何か特徴でもあるのか……? 仮にそうだったとしても、それならパムくんを見た段階で気づくはず……タイミングが変だぞ……」
「気配がどうとかって言ってたよね……ロイくんの村って何か特殊な――」
「あ、あの、ふ、二人とも……」
ローゼルとリリーがあの騎士の言ったことを分析し始めたのをティアナが止めて、青いままの兄妹を前に、二人はハッとして口を押えた。
「す、すまない、無神経だった……」
「ご、ごめんねロイくん……」
「う、ううん、大丈夫……」
全然そうは見えない。ローゼルの疑問に……あの騎士の発言の違和感に一番衝撃を受けたのはロイドだ。たった一言だけど……二人がその村の出身だって見ただけでわかるなんて事は普通あり得ない。リリーが言いかけた通り、その村には何かがある――そう考えるのが普通だわ。
そして、だからこそ壊滅したのだとしたら……ロイドたちの両親が……亡くなったのも、それが理由なんだとしたら……そんな風に考えが行きつくのも当然で、今……ロイドとパムはその状態……
「最後の最後に引きの強い言葉を残しましたね、あの騎士は。」
こういう状態のロイドを前に、だけどちょっと意外な事にカーミラがすごく落ち着いた声でそう言ってすぅっとロイドの前に立った。
「こうして無事に外に出られ、あの騎士が言ったように位置の移動も元のように可能になりました。ですがワタクシの力では再度入るのは難しいようで、そちら方面に特化している者の力が必要でしょう。」
「さ、再度……?」
「あの騎士に、もう少し聞きたい事がおありでは?」
「――!」
ロイドが目を見開く。この場の誰よりもそう思っているだろうロイドに、カーミラは……なんていうか、お姉ちゃんと話した時みたいな……女王――的な雰囲気で顔を近づける。
「スピエルドルフとしては今この国で起きている事に興味はありません。藪蛇も避けたいところですし、何より口頭とは言えこちらは手を出さず、あちらはこちらの目的の達成を保証するという約束を女王であるワタクシがしました。相手はただの騎士ですが、魔法か何かでバックの者と通信していましたからあちらも相応の地位の者が交渉に出ていた事になります。」
あの騎士、ちょっとの間黙りこくってたけど、あれはあいつのリーダーに相談してたって事……?
「その約束を舌の根も乾かぬうちに反故というのは、元々魔人族を悪魔呼ばわりしているこの国相手には……まぁ、今更印象を良くしようとも思いませんがあまりしたくない事です。争いのキッカケになってしまいますからね。ですが……」
ゆっくりと両手を伸ばし、ロイドの顔を左右からつかんだカーミラは……いえ、スピエルドルフの女王は息を飲むロイドに更に顔を近づける。普段ならそのままキス――とかしそうな体勢だけど、雰囲気的にそういうんじゃない。むしろ冷や汗が出るような光景……
「ここに、女王であるワタクシと同等の発言力を持つ方がいます。そのお方が命を下せばワタクシはそれを止められず、レギオンの者たちは全力で従うでしょう。神の国、アタエルカで起きている些事を収拾し、事情を知るだろう騎士を自分の前に連れて来い――そういう勅命を出すだけで。」
「ちょ……カーミラ、あんた何言ってんのよ……!」
「何って提案ですよ。一つの選択肢です。故郷の事を知るのがあの騎士だけとも限らない――バックにいた者も何か知っているかもしれませんから、どうしたって騒ぎを片付ける必要があります。そんな横槍を可能とする力があって――それはロイド様の意思一つで行使可能なのですよ。」
ふふふと笑みを浮かべるカーミラ。こんな時に……いえ、だからこそ……これはカーミラにとって一つのチャンス……なんだわ。
カーミラ……というかスピエルドルフはロイドを王様として迎えようとしてる。国から出たって言ってたあの頭が三つの犬人間ですら「ロイド様」って呼んでたわけで、その影響力っていうか……スピエルドルフの連中にとってそれはほとんど確定事項。女王カーミラの横に立つ王様はロイド……そうなる予定で、そうなって欲しいと思ってる。
でもロイドはこんなんだから喜んで王様になる、みたいな事にはならない。あたし……とか、他の連中の事とかを色々考えるだろうし……ロイドはあたしの――い、いえそれはともかく、今のままだとロイド本人がそう思ってない。
だからカーミラは……既成事実っていうか、王様としての力の魅力を教えようと……体感させようとしてる。どうしてもやりたい事が目の前にあって、普通ならそんな事は不可能だけど……スピエルドルフの力を使えば出来てしまう。それをロイドに味わわせようと……!
「いかがなさいますか、ロイド様?」
ひっそりと耳打ちするみたいにそう告げるカーミラ。近くにいて、これも普段ならロイドを守るように動くだろうパムもそんなカーミラに気圧されてるのか、怯えたような顔で吸血鬼の女王を見上げてる。全てはロイドの意思次第……!
「うん……ありがとう……」
張りつめた空気の中に、絞り出したようなロイドの声が通る。イエスともノーともとれるその一言に目を細めたカーミラだったけど、ロイドがカーミラの肩に両手でつかんでゆっくりと距離をあけるといつもの……女王じゃなくてロイドの事をす、好き――なだけのカーミラに戻って驚いた顔になった。
「しょ、正直すごく魅力的だけど……そ、それはたぶん、利用するだけで……うん、そういうんじゃなくて……あ、あはは……今の状態のオレじゃダメだ……あ、えっと……一度落ち着かないと……ちゃんと考えないといけない……そう……そうだよね。」
真っ青だったロイドも段々と元に戻り、大きく深呼吸する。
「……うん、ありがとうミラちゃん。あの聖騎士の言葉を聞いてから色んな事を考えちゃってたけど……スピエルドルフの力なんて大きなモノをいきなり出されたから逆に冷静になれたよ。だから……ありがとう、ミラちゃん。オレの為に。」
「いえ……それが……ロイド様のご意思であれば……」
残念そうな、だけど嬉しそうな顔になったカーミラも大きく息を吐く。
「……ワタクシも少し性急かと思いましたが……ロイド様はそれ以上でしたね。申し訳ありません、こんな試すような事……政治的機会の到来につい……」
『ふふふ、ロイド様はやはりロイド様という事でしたね。一先ず我らの未来の王の言う通り、一度落ち着きましょう。どうにも情報が多すぎます。』
油断も隙もないこの女王には毎回ヒヤヒヤするけど、いつものロイドを崩さないロイドもロイドで結構すごいような気もする。他の女……にあれこれされるとダメだけど、そうじゃないところでは割と安心できるわね、このバカ。
「まぁ、この場合ロイド様がノーと言っても結局ワタクシが調べさせますが。」
「えぇ!?」
「ロイド様の生まれ故郷ですからね。ご先祖様であるマトリア様の件もありますし、色々と把握しておきたいのです。単純に知りたいというのもありますね。」
「今のやり取りはなんだったのよ……ていうかただの興味だけで軍を動かすんじゃないわよ……」
「おや、愛する人の事は一から十まで知りたいと思うのが普通では?」
「ア、 アイスル……」
青から普通に戻った顔が今度は赤くなるロイド……全く、ちょっとアタエルカに来ただけで色んな事がいくつも起こり過ぎ――
『姫様っ!』
――たと思ったけどそれはまだまだ終わってなかったらしく、フルトがそう叫ぶ――いや、頭の中に響く声だから叫ぶっていうのは違うような気もするけど、そんな声と同時に何かが弾かれるような音がバチィンッて響いた。
「このタイミングに……またも魔人族……偶然、ではある、まい……」
あたしたちから少し離れた場所、壁沿いのところにポツンと……なんか全身で息をして疲労困憊って感じのどこかの祭司みたいな格好をした男が立ってた。
……あれ? ていうかあの顔、どっかで……
「うわ、《オクトウバ》!?」
リリーのその言葉にハッとする。そうよ、見た事あって当然よ。こいつ――この人は十二騎士の一人、第十系統の位置の魔法の使い手の頂点に立つ人――《オクトウバ》……!
『《オクトウバ》……十二騎士の一人に会えるとは嬉しいが、しかしいきなり攻撃される覚えはないぞ?』
どうやらさっきの音は《オクトウバ》が仕掛けた何かをフルトが防いだモノだったみたいだけど……確か《オクトウバ》ってこの国の所属だから、見るからに魔人族――ここで言うところの悪魔なフルトを倒そうと攻撃を……?
「白々しい……自分たちを……悪魔と、そう呼ぶこの国に続けて、偶然……何組も観光に来た、とでも……? あの蝶の仲間、なのだろう……? この事態はお前たちの、仕業か……何を企んでいる……!」
『蝶……だと……?』
何か心当たりがあるのか、フルトがカーミラの方を見る……いや、目が無いから向くと、カーミラは嫌そうな顔をした。
「お前たちが『預言者』の言った、嵐なのか……話してもらうぞ……!!」
そう言うと同時に《オクトウバ》が両腕を広げると、その背後にゴテゴテと翼みたいな装飾のついた剣が二本現れた。一本の豪華な剣を縦に二つに割ったみたいに対称的なそれには拳くらいの大きさの水晶がついてて、《オクトウバ》がパンッと手を叩くとそれらが光って――
ズンッ!
頭上で何かの音が響いた。見上げるといつの間にかあたしたちは水の膜で出来たドームの中にいて、その水面には見えない何かがぶつかり続けてるみたいに波紋が広がる。
「うぉおいおいおい! なんじゃこりゃ!? 《オクトウバ》って位置魔法の使い手だろ!? この――見えない何かが位置魔法だってのか!?」
「十二騎士の一撃だからな、どんなイメージを元に魔法を使っているか想像もつかない。単にあの武器の力という可能性もある。」
呑気に水のドームを見上げてそんなことを話す強化コンビ。まぁ、あたしもこの攻撃が放たれた事に気づかなかったわけで……いきなり降ってきた桁違いの技と状況にポカンとするしかないあたしたちを、カーミラが黒い霧みたいなのでグルリと囲んだ。
「ロイド様と皆さんはワタクシが。任せましたよ、フルト。」
『はっ。』
女王からの命を受け、フルトが一歩前に出ながら水の腕を鋭く横に振った。何かをとばしたのかただの腕力なのか、衝撃波が《オクトウバ》に走る。だけど《オクトウバ》が合わせてた手を離して片手を前に出すと、地面をえぐりながら迫ってた衝撃波は《オクトウバ》を避けるように二手に分かれ、地面にⅤ字を刻んで消えた。《オクトウバ》が手を離したからなのか、あたしたちの上に降ってきてた見えない攻撃は止んで……静かになった空気の中で二人の――あたしたちからしたら圧倒的な強さを持つ二人の気配がズシリと広がって張りつめる。
「水の、身体か……ならば……」
肩で息をしながら宙に浮いてる二本の剣を掴んで構えを取った《オクトウバ》。確かに十二騎士のトーナメントでも二刀流だったけど、あんなゴテゴテしたの使ってたかしら……
「相手が、相手だ……加減は、しない……話す気になったら、そう言え……」
『覚えはないと、そう言ったが?』
フルトがそう言うと、《オクトウバ》が荒い呼吸をスゥッと止めて――跳躍した。二本の剣を振りかぶりながら跳んだからそのままフルトに斬りかかるのかと思ったんだけど飛距離が足りてなくて、まだフルトが両手の剣の間合いのずっと外にいる場所で剣を振り下ろしながら着地した。
これだけだと《オクトウバ》がただのバカみたいなんだけど、実際は意味のわからない事が起きた。《オクトウバ》が跳躍した瞬間、何でかフルトが後方、つまりあたしたちの方に身体を向けて――そして肩と腰の辺りで両断された。
バケツをひっくり返したみたいにフルトの身体だった水がバシャリって地面に広がって、あたしたちはそんな光景に息を飲んだんだけど、一番びっくりしてたのは《オクトウバ》だった。
「……これで、――っ……倒せぬとは……」
『やれやれ、服をダメにしてくれたな。まぁ、これを斬れるという事はなかなかの剣の腕のようだが。』
バラバラになった軍服の中からトロンと水の塊が伸びて人の形になってく。人間だったら当然即死だけど、この水人間には意味がなかったらしい。
……っていうかあの派手な服、普通は斬れないような素材で出来てるわけ……?
『しかしさすが十二騎士と称賛したいのは剣ではなく魔法技術。まさか人間に騙されるとは思わなかった。』
騙す……フルトがいきなりこっち向いたのがその辺の事なんでしょうけど、そもそも誰もいない場所で上から下に剣を振ったのに離れたところにいるフルトが横向きに斬られるっていうのもチグハグだわ。
それにやっぱり、《オクトウバ》の武器が違う。十二騎士トーナメントで……年数は忘れたけどここ最近はずっと勝ち続けて《オクトウバ》であり続けてるあの男が使うのはあんなゴテゴテしたのじゃないもっと普通の剣。『テレポート』を駆使しながら戦う二刀流の剣士っていう、スタイルとしては珍しくないけどその速度や精度が異常で誰も追いつけない――っていうイメージだったのに変な剣によくわかんない大技……どうなってんのよ……
「あの人間は、位置をずらす事に長けているようですね。」
色んな事がわけわかんなくなってたら、カーミラが……ポカーンって顔してるロイドに説明する感じにそう言った。
「今の攻撃、傍から見ているとフルトが突然隙だらけの行動をとり、見えない攻撃にやられたという感じですが実際はもっと高度な事が行われていました。
「えぇっと、それってさっきフルトさんが騙されたって言っていたこと?」
「はい。剣を振りかぶって跳躍した瞬間、あの人間は自分自身の気配の位置をフルトの背後へ移動させたのです。」
「け、気配の位置?」
「目の前にいるはずの人間から気配が失せ、背後にそれが生じる。フルトは自分の方へ迫ってきている人間はフェイクで本物は自身の背後にいるのだと誤認し、本物に背を向けてしまったのです。」
「い、位置魔法でそんな事が……」
「そして勢いよく振り下ろした剣、そこから生じる斬撃の位置を剣先からフルトの身体へと移動させ、フルトを両断したのです。気配も斬撃も、位置魔法を使う故に普通であればフルトは魔力の流れを捉え、騙される事も両断される事もなく回避できたでしょう。ですがその流れすらも完全に掌握して偽装してみせた……十二騎士に相応しい実力です。」
位置を移動させる……位置魔法で戦うって言ったら普通は相手の死角に一瞬で移動したり何かを離れたところから飛ばしたりっていうのが使い方だけど……何よ気配の移動って。そんな何でもかんでも位置をずらされたら何を信じて戦えばいいのよ……
「ですがその技術の研鑽に時間を使ったのか……いえ、そもそもあの人間は騎士ではないようですから当然なのかもしれませんが、肉体の方は戦い向けに仕上がっているとは言い難いですね。」
「えぇ?」
「先ほどフルトが言ったように剣の腕……剣術がかなりの域だというのはその通りですが、根本的にと言いますか……そう、例えば先ほどの跳躍。あれはあの人間の全力です。」
「はぁ?」
カーミラの言葉に思わず声が出る。あの……足りない跳躍がわざとじゃなくて全力?
「既に疲労困憊のようですから全快時であればもう少しマシでしょうが、体術や剣術ではなく身体能力という一点に関して言えば、皆さんの足元にも及ばないでしょう。」
「十二騎士があたしたち以下なんてそんなわけ……だいたいすごい剣術の使い手なのに身体ができてないなんて事……」
「いやー、あり得るよー、そういうの。第十系統の使い手あるあるだよ。」
自分も位置魔法の使い手のリリーがなんかニヤニヤしながらそう言った。
「凄腕の位置魔法の使い手ほど、色んな移動を魔法でやっちゃうんだよ。そっちの方が速いし有利だからね。でもそれを続けると当然、体力が落ちていくの。たぶんだけど《オクトウバ》、国の中に入ろうとしたら位置魔法が使えなかったから出入口を目指して壁沿いに歩くか走るかしてたんだよ。それであんなに疲れてたんだろうけど、きっとボクたちが想像するよりもずっと短い距離の移動であの様なんじゃないかな。」
体力がない……十二騎士トーナメントって勝ち抜いた最後の一人がその時の十二騎士に挑むっていうのが決勝だから、一回十二騎士になったらその後は最後の一戦をするだけ。確かに《オクトウバ》の体力の有無を見る機会はほとんどない。
そして剣術も、要するに剣を的確な場所に的確な方向と速度で振り回せるように身体を鍛えるわけだけど、それを魔法でより正確にできるなら身体能力も必要ない。
つまり《オクトウバ》は二刀流の剣士じゃなく、二本の剣を使う魔法使いなんだわ。
「で、でもあの、《オクトウバ》の身体能力が低くても今みたいに色んな位置をズラされたらフルトさんはどうしようもないんじゃ……」
「そんな事はありませんよ。相手を攻撃するのに相手を捕捉する事は必須ではありませんから。」
ニッコリとカーミラが笑うと、その一言を合図にしたみたいにフルトが大きな水の球体をポーンと宙に放り投げた。それはフルトと《オクトウバ》の丁度真ん中辺りに来たところで破裂――っていうか空気に溶けるみたいに消えてなくなった。
「……! これは……」
『ほう、気づけるとはなかなか。では一つ言っておこう。』
何が起きてるのか全然わかんないけど《オクトウバ》は「まずい」って感じの顔をして、フルトはすぅっと片腕を上に伸ばした。
『私の得意な系統は、第二系統の雷の魔法だ。』
バチンッ!
静電気が走ったみたいな音がして、ほんの少しだけ周りが明るくなった。陽の光が強くなったとかじゃなくて、フルトと《オクトウバ》がいる辺りの空間がぼんやりと光ってる感じ。これが部屋の中だったらちょっとオシャレな雰囲気にもなるかもだけど――
「――っ……!」
――その光の中で《オクトウバ》はすごく苦しそうだった。
「えぇっと……ミ、ミラちゃん、フルトさんは何を……」
「今あの空間にはフルトが撒いた水を媒介としてかなり強力な電気が流れています。耐電魔法で対抗していますが、長くはもたないでしょう。」
つまりこの光は電気の光……十二騎士が耐電魔法を使っても苦しそうな顔をするって事は尋常じゃない威力の電気……それがあの場所を覆うっていうか、埋め尽くしてるってこと……? え、えげつないわね……
『あれこれと位置をずらされるのも面倒だからな。こういう時は広範囲攻撃に限る。さぁ、次の手はあるか、十二騎士。』
「……これ、しき……! 甘く見るなっ……!!」
二本の剣を地面に突き刺し、両手で素早く……なんかこう、印――って言うんだったかしら、それを何種類かやった後、両手で地面を叩いた。
「うわっ!」
「おや。」
『ほう。』
何をやったのかを理解してるらしいリリーとカーミラとフルトの反応と共に、ぼんやりと明るい空間とカーミラが作った黒い霧に包まれてるあたしたちを何かがドーム状に覆った。ぼんやり明るいわけでも色がついてるわけでもないんだけど何かに覆われたっていう感覚だけは確かにある……今度は何なのよ……
「あっさりとこんなとんでもない技を使うなんて、さすが十二騎士って感じだね。」
「リ、リリーちゃん、これはどんな魔法なの?」
「位置魔法の奥義みたいな魔法だよ。『エクセゴ』っていうんだけど、位置魔法の色んなルールを無視できる空間を作っちゃうの。」
「ルールって……えぇっと、自分以外は許可がないと移動できないとかそういうの?」
「そう。正確には一定の空間内の全てを「自分」として認識する事で相手を強制的に移動させられちゃう――みたいな事らしいんだけど、とにかく位置魔法の使い手から……しかも《オクトウバ》からこれを食らったら勝ち目なんて……あれ?」
相当やばい魔法が発動した――らしかったんだけど、不意にその『エクセゴ』とかいう魔法空間が消えて、気がつくと《オクトウバ》が倒れてた。
『魔法負荷で気絶したか。』
ぼんやりと光る空間を解除し、フルトが……テクテクっていうかヌルヌルっていうか、《オクトウバ》に近づいて顔を覗き込む。
『これほどの使い手の『エクセゴ』、味わってみたかったが魔法負荷と現状の自身の体力の限界を見誤るとは、よほど慣れない運動をしたらしいな。姫様、この者はいかがいたしましょうか。』
魔法負荷で自滅っていう、かなりカッコ悪い負け方をした《オクトウバ》……いえ、そうなるほどに疲れ切ってた状態でも、あたしたちだったら最初の一撃で終わってたと思うから……やっぱり強さが異常なんだわ、魔人族……
「そうですね……これ以上事態をややこしくしたくありませんから野ざらしにしておくのはどうかと思いますが連れて行くのも嫌ですし……何とかしてくれそうな人のところへ移動させましょう。」
めんどくさそうにそう言ったカーミラが手をかざすと、《オクトウバ》は黒い霧に包まれて消え――!?
「は――ちょ、あんた《オクトウバ》をどうしたのよ!?」
「ですから、何とかしてくれそうな人のところへ。さぁ、ワタクシたちはスピエルドルフに戻りましょう。ロイド様との蜜月を邪魔する諸々を片付けませんと。」
「ミツゲツ!?」
ロイドがいつものように赤くなったかと思ったら、いつの間にかあたしたちはスピエルドルフの王城、デザーク城の女王との謁見の間に立ってた。
「軽く情報を整理しましょう。フルト、時間がありそうならヨルムとヒュブリスにも集まるようにと。」
『了解しました。』
スルスルとフルトが謁見の間を後にすると、カーミラが何の前触れもなくロイドに抱きつい――!?
「ミラひゃん!?」
「申し訳ありません、ロイド様。既に国を出た者に頼ったことで妙な事に巻き込まれてしまいましたが、もとはと言えばそうせざるを得なかった現状、我が国の力不足故。ロイド様のお辛い記憶をも引っ張り出してしまうこの始末……どうかワタクシを罰してくださいませ。」
抱きついたままむぐむぐと身体を動かして、ドレスなのも気にしないで膝立ちになったカーミラは、まるで許しを乞う感じで――って、それなら抱きつく意味ないじゃない!
「えぇ!? いやいや、でもほら、サーベラスさんにお願いしたのもあの、『魔境』からのアイテム? を調べるためで、それはもともとフィリウスがオレに話が行かないようにって動いた結果であって……あ、あれ?」
「いえいえ、悪いのはワタクシ、さぁなんなりと。」
話の始まりを辿り始めてわけわかんなくなるロイドに更に顔をうずめてんじゃないわよ!
「罰する……ふぅむ、ロイドくんからのお仕置きとな……」
くっつくカーミラを引っぺがそうと手を伸ばしてたローゼルがカーミラの言葉にピタリと止まる。
「前にも考えた事があったが……お仕置き……ロイドくんから……ほうほう……」
「あんたはいきなり何を考えてんのよ……」
「いや、少し興味がだな……」
「兄さんはお母さん似ですから、そういう事はしません。そして女王は離れて下さい!」
ふくれた顔のパムがロイドを助けようと近づくと、ローゼル――とカーミラが興味深そうな顔をシュバッとパムに向ける。
「ロイド様のご両親! 詳しく聞きたいですね!」
「うむ、これを機に実の妹視点からのロイドくんを色々と知りたいところだ!」
「な、なに言ってるんですか! 兄さん、何とかして下さい!」
「オ、オレに言われても……」
ほんのちょっと前にバカデカい騎士と取引みたいな事をして、十二騎士とも一戦あったっていうのにもうこれなのはいつも通りっていうか逆にすごいっていうか……
「と、とりあえず謁見の間で変なことしてんじゃないわよ、エロ女王!」
「どわっ!」
田舎者の青年が一国の女王から許しを乞われている頃、フェルブランド王国の王城、国王軍の訓練場にある風呂場で汗を流していた筋骨隆々とした男――フィリウスは、自分が浸かる湯の中に何かが突然落ちてきたのを見て思わず飛び退き、全裸で戦闘態勢をとっていた。周囲の騎士たちも同様に、武器はないが構えをとる中、ぷかりと浮き上がったそれを見て……全員が状況を理解できずに首を傾げた。
「ん? おいおい、まさかその服、《オクトウバ》か!?」
バシャバシャと湯の中を進んでそれを拾い上げると、それはぐったりと疲れ切った顔をしている《オクトウバ》だった。
「風呂の時も関係ないみたいな事は言ってたがお前、実践するこたないだろう! しかも服着たままはさすがにマナー違反だ!」
びしょ濡れの《オクトウバ》を肩に乗せ、フィリウスはずかずかと風呂場を後にする。数分後、訓練場の談話室のソファの上に風の魔法で雑に乾かした《オクトウバ》を転がしたフィリウスは、いつものボロボロの服を着てぐびぐびと牛乳を飲みながら《オクトウバ》を観察する。
「慣れない運動した後みたいに全身の筋肉がピクピクしてるな。まぁ騎士じゃなくて祭司だから身体の弱さは別にいーんだが、本人がこの状態だってんなら誰がこいつをここまで移動させたんだ? ぶっちゃけこいつクラスじゃないと王城の敷地内のここに位置魔法で入ってくんのは無理――ん?」
ぶつぶつと――というには音量の大きすぎる独り言を言っていたフィリウスは、《オクトウバ》の服の隙間から黒い霧のようなモノがモクモクと顔を出し、自分の目の前までやってきてスゥッと消えたのを見て「だっはっは!」と笑った。
「そうか、結局そっち絡みだったか! しっかしここまでボコボコにするとは、あとで面倒だぞ、カーミラちゃん!」
神の国、アタエルカ。いつも通りの日々が過ぎているように見えるが、実のところ各地区の代表者が強制的に一か所に集められるという異常事態が起きており、それを主導した人物――第五地区の統率者、通称女教皇ことフラール・ヴァンフヴィートは大きな扉の前で足を止めていた。
「秘める戦闘能力は勿論、不測の事態というモノを招きやすい立場を考慮して優先度を高めたというのに、既に引き寄せていたとは驚きです。その上閉じ込める予定のはずがトーナメントの時くらいしか国の外に行かないというのに今日に限って外出していたとは。イレギュラーばかりですね、まったく。」
やれやれという口調ではあるが楽しそうに笑っているフラールは、姿勢を正して首の骨を鳴らす。
「さて、それでは第二段階と行きましょう。」
両手で扉を押し開いた先、本来であればどの地区にも属していない唯一の場所でしか顔をそろえない面々――各地区の代表者がここ第五地区にあるとある建物の一室に集まっていた。
「んー! んんー!!」
「んんん! んんんんっ!!」
集められた十一人の内、六人は猿ぐつわをされた上で椅子に縛り付けられ、残りの五人はそれぞれに本を読んだり出されたお茶を飲んでいたりしていた。その差の理由は明らかで、ジタバタと暴れている者が前者、大人しく座っている者が後者である。
「ふふふ、早速器の大きさが見てわかるとは、呻いている方々の地区は今後が心配ですね。」
一つだけ空いている席に座ったフラールは、微笑みを残した表情でそれぞれの顔を眺めた後、唐突に告げた。
「レガリアを回収しました。」
その一言で呻く六人が静かになり、自分の時間を過ごしていた五人も顔を上げてフラールの方を見た。
「気づいている片もチラホラいるようですが、この国は既にレガリアの影響下です。効果は絶大、その力も健在です。しかしこれはあくまで皆さんを集め、ついでに障害を排除できればと思ったまで。かつての惨劇の繰り返し……そう、例えば他の地区を支配下に置く、というような事は考えていないことを始めに伝えておきます。」
その言葉に猿ぐつわの一人が荒々しく立ち上がったが、背後に控えていた甲冑をまとった者――第五地区の聖騎士に肩を掴まれて座らされる。同時に、フラール以外の全員の背後にいた聖騎士たちが一歩前に出て威圧する。
「ただし手段としては使わせてもらいます。こちらの要求を飲まなければ今の例え話も――というわけです。ふふふ、そんな怖い顔をしないでください、別に無理難題というわけではないのですから。」
ふふふと笑い、フラールは椅子の背もたれに身体をあずけ、ゆったりとした面持ちでこう言った。
「わたくしの望みはただ一つ、封印の解除です。」
その言葉に、十一人の内の八人は眉をひそめ、何の事やらというように同じ顔をしている者同士で首を傾げる。だが他の四人は目を見開き、信じられないという顔をフラールに向けていた。
「予想通りですね。そうと知らずに受け継いだ者と理解した上で受け継いでいる者、その辺りはそれぞれの前任者らの考え故なのでしょうが、知らされていない方の為に説明しましょう。」
背もたれにもたれかかったまま、フラールは目を閉じて語り始める。
「この国は基本的に十二等分ですがどの地区にも属していない場所がありますね? そう、わたくしたちが毎年一回顔を合わせるあの部屋――神の光の真下に作られたあの空間です。そしてその更に地下には神のいたずらか気まぐれか、はたまた確固たるご意思か、誕生してしまった強力なマジックアイテム、レガリアがあの惨劇の後に封印されました。『大泥棒』に盗み出されるまでね。ですがご存知ですか? その場所よりももう一段下、十二の地区が出来上がるよりも前からその場所に置いてあったモノの存在を。そしてそれに施された封印がそれを知る者によって時々のアタエルカの状況に合わせて変化を加えられ、現在、ここにいる十二人によって封じられている事を。」
「それがこの騒動の目的という事なのね、フラール。」
今まで黙って話を聞いていた十一人の内の一人、この場に最も似つかわしくない、どこかの中年オヤジそのものの外見をしている者――第四地区の統率者、アディ・プローテが険しい表情で声を出した。
「あなたはあなたの教義に従い、レガリアの力は二の次にあれを引き抜く事で正しさを示すと……そういう事かしら?」
「そうです。かつて大魔法使いが試し、しかし結果が出る前に当事者が亡くなってしまった結果、今日まで無限と言っても過言ではない量のエネルギーがため込まれたあれの力を持って、わたくしはわたくしたちの神を証明する。レガリアのような力を使わずとも全ての人間が気づきますよ、それが真実であるとね。」
「危険過ぎる――そう判断されたからあれは今まで一度もあの場所から移動されてないのよ? それは理解してるわよね。」
「勿論。しかしいつかは移動させないとそれはそれで危険なような気もしませんか?」
何について話しているのか知っている者はともかく、そうでない者たちが意味不明な会話に混乱しているのを横目に見たフラールは、ニコリとほほ笑んで彼らに言った。
「要するに、わたくしは『聖剣』が欲しいのですよ。」
「『聖剣』……なんかそれっぽい場所にそれっぽいモノって感じですけど、すごいんですか?」
「すごいはず、というところでしょうかね。どちらかと言えば欲しいのはレガリアの方だったのですが、どうやら状況に動きがあったようです。欲張り過ぎるのもどうかと思いますが、見逃すには惜しい力です。」
ゼンマイ式の大きな古時計が置いてあるアンティーク調の部屋。数名が神の国アタエルカを模した模型の置かれたテーブルを囲む中、その内の一人――話し方や雰囲気的には高齢の女性のようなのだが見た目はかなり若いというチグハグな女が模型の中心を指差す。
「一体いつからそうなのかは不明ですが、皆さんで見た通り、この場所には神の光と呼ばれている光が天高くから降り注いでいます。魔法の威力を向上させたり魔法生物を寄せ付けなかったりと様々な効果がありますが、つまりこの光はただの灯りではなく、何かしらの力を――エネルギーを持っている……そう考えた魔法使いが大昔にいました。」
「あー、それはリーダーからしても大昔って事ですか?」
チグハグな女の話に、ジャケットにネクタイにスラックスという割とカッチリとした格好をした男が質問を挟む。
「ふふふ、私が生まれるよりもずっと昔の話ですよ。」
「す、すみません……」
「ふふふ。その魔法使いはマナや魔力といったモノをため込む事の出来る魔法をとある剣に施し、光の真下に設置しました。降り注ぐ光を取り込んで別の使い方の模索――武器を使ったという事は戦闘に利用したかったのでしょうかね、そんな実験を行ったのです。」
「なるほど……確かにどこからともなく無限に降ってくるエネルギーなわけですし、それを利用できたらすごそうですね。」
「実際中々に凄かったようで、ため込んだ光の量に比例して……いえ、指数関数的に剣の力が上がったそうです。」
「しすう……?」
「ふふふ、要するに一時間光をため込んだ時と二時間ため込んだ時を比較すると、単純な二倍ではなく四倍、八倍の効果があったという事です。」
「それはすごいですね!」
「光にそういう性質があるのか、根本的な理由は未だに明らかになっていませんが、その結果を見た魔法使いは自身が施す事の出来る中で最大容量の魔法を剣に施し、限界まで力をため込む事にしました。ですがここで問題が一つ、その魔法使いは腕が良すぎたのです。」
「え?」
「その者の最高の魔法が施された剣はいつまでたっても容量いっぱいにならず、かと言って途中で止めてしまうのも勿体ない。折角なら最大容量までため込んでから使ってみたい。そんなジレンマにそわそわしていた魔法使いは、ある時病気で亡くなってしまいました。」
「え!?」
「それから時が経ち、神の光を見つけた別の者たちは光の真下に突き刺さる一本の剣を目にするわけですが、そんな神々しい状態の剣ですからね、誰もが『聖剣』と呼んで崇めました。」
「ま、まぁ……状況的に仕方ない感じですね……」
「更に時が経ち、世界中の宗教が神の光の下に集まり、それぞれが街を作っていく中で例の魔法使いの研究資料が見つかり、『聖剣』の正体が明らかになりました。」
「一人の魔法使いが実験で作った剣……って事ですね。」
「そうです。『聖剣』でも何でもない実験の産物、神の光の下に置いておくにはあまりに俗物的だと撤去しようとしたのですが、ここで懸念が生じます。研究資料を読み解いた結果、その剣は既に容量いっぱいまで光をため込んでいる状態であると判明したのですが、であるならばあの剣にはどれほどの力が宿っているのかという問題です。」
「おお、充電がマックスまで行ったんですね。でも……そうか、しすう――なんちゃら的だから、とんでもない力が宿ってるかもしれないわけですか。」
「膨大な力をため込んだ剣、もしかすると引き抜いただけで力が暴発してしまうかもしれない。そうなった場合、研究資料から推測される被害は尋常ではない……結果、その剣は動かされる事なく、その場所に封印することになったのです。なるべく状況を変化させないよう、地下に封じ込めつつも神の光は届くようにと工夫がなされ、以来十二の地区が神の国アタエルカとして栄えるその下で、『聖剣』は封じられてきたのです。」
「ははぁ……そしてその封印っていうのが、各地区の代表者によって行われてると。」
「自覚していない者も多いでしょうが、現状、魔術的な回路はその者たちに繋がっています。つまり封印を解いて剣を引き抜こうと思ったら、その十二人が必要不可欠。正直なところ、封印の解除方法を調べ、全員を集めてそれを行わせるというのは難易度がかなり高いのですが……どこかの地区の代表がレガリアを使ってそれを行おうとしているようなのです。」
「なるほど、封印の解除はやってもらって、抜かれた剣をもらえばいいって事ですね。」
「小悪党のようですが、それが確実です。」
「要するに、目標が増えたわけだな。」
チグハグな女とカッチリした男の会話に、粗末な部屋着をまとった初老の男がパイプから煙を出しながら加わる。
「レガリアとかいう物は当初の予定通り。そこに『聖剣』なる強力な兵器と帽子屋。段々と規模が膨らんできたな、今回の行動は。」
「そうだ、そういえばちゃんと聞いてなかったが、その帽子屋とかいうの、仲間に入れる価値があるのか? 強いのか?」
「人間に比べれば遥かに強い。だが最たる理由はあれの研究内容――三人の欲王についての知識が有用だ。」
「よ、よくおう……?」
「魔法を越えて世界と繋がる力を持つ方々でしたね。確か性欲の王は恋愛マスターとして有名ですが、その知識がどのように?」
「戦闘、という点に関して考えた場合、睡眠欲の王は非常に使える。某らもお前と同様に無駄な殺戮は好まない。無血開城、これに最適な力が眠りの力だ。王本人を引き込む事ができれば良し、叶わぬのなら帽子屋の知識を使って――王の力を某らの誰かに移せば良い。」
「確かに魅力的ですね。王を犠牲にする事はしたくありませんが、ともあれその帽子屋さんのお話を聞く事の価値は高そうです。」
「丁度良い混乱も起きている今、事を成す好機と言えよう。まぁ、まずはどうやって中に入るかだがな。位置魔法は封じられているのだろう?」
「正確には何も封じられていませんよ。」
「なに? だが……実際に出入りができなくなっているぞ?」
初老の男の疑問に、チグハグな女はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「レガリアというのは、そういうモノではないのですよ。」
騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第三章 女教皇のたくらみごと
ついに『聖剣』が登場しました。ファンタジーには欠かせないと思うのですがようやくです。
そして既にあれやこれやとたくさんの勢力が顔を出している中、『聖剣』が出てくると登場せざるを得ない面々がもう1チームあります。困ったものです。
今回聖母様が登場しましたが、オカマ(ではないですが)キャラはやはり声がのってこそのインパクトなんですね。上手に表現したいところです。
何やら雑な扱いになってしまった《オクトウバ》ですが、S級犯罪者も控えていますし、聖騎士に謎の青い十字架の人と敵は多そうですね。誰が誰と戦うのか見物です。
一度アタエルカから離れたロイドくんたちですが、次は代わりに天使が暴れる予定です。