【戯曲】検察側の罪人

シーン① 検察官新人研修・ホール

   (回想)
   【最上にスポットを当てる】
   最上、防犯カメラを持って下手から登場。観客に向かって語り掛ける。
最上「なにゆえ皆さんに検察の暴走についての映像を見てもらったのか、その答えはこれだ。」
   最上、防犯カメラを掲げる。
最上「ここにカメラがある。検察における取り調べの可視化は三年前の証拠改ざん事件で決定的になった。今後取り調べは原則すべて録音・録画される。検事が被疑者に対して「このバカ!」(叫ぶ)と怒鳴れば、人格攻撃だと弁護士から糾弾されることになる。「バカ!(叫ぶ)なことを言うな」だったら逃げきれるかもしれない。世の中には悪党も醜悪な奴もいるが、善玉もいる。全員に共通して言えるのは、法律という抜群によく切れる真剣を手にしているということだ。それが否定されて、新時代の法の正義が生まれてくる。
三か月の研修も今日で終わり! 検事の卵である君たちは、大阪と東京に振り分けられてそのあと全国各地に散らばって実務に入る。手がけるのは生の事件で相手は生身の人間だ。しかし、今の君たちの手にあるのは切れ味の悪い真剣だ。悪人の面をたたき割ることもできないだろう
そういう時武器になるのは何だ? 沖野。」
   沖野、観客席の向かって舞台下手側で立って発言。
   【沖野にスポットを当てる】
沖野「武器になるかどうかは分かりませんが、有効なのは、教官がおっしゃっていた動的事実認定力です。」
最上「言い換えると?」
沖野「独自の捜査を手動でできる力であり、また、事件のストーリーをイメージできる発想力。」
最上「弁護人は必ずアナザーストーリーを作ってくる。それを排除できるのは事件の真相を解明したいという強い気持ちだ。それだけが武器になる。そのことを忘れて自分の正義、自分のストーリーに固執する検事は犯罪者に落ちる。罪を洗い流す雨……そんなものないからな。」
   (回想終わり)
   【暗転】
沖野(声のみ)「まさかあの言葉が現実のものになるなんて、想像だにしなかった。」

シーン② 挨拶と諏訪部の参考人聴取・執務室

沖野(声のみ)「それから五年の月日が流れ、僕は東京地検の刑事部に配属された。僕は、尊敬する最上検事と一緒に仕事ができることを心から喜び、また、最上さんは僕に期待してくださっていた。」
   【明転】
   (回想)
   最上、上手から登場する。
   沖野、下手側で仕事を中断して起立する。
最上「よう。同じ庁舎にいてもなかなか会わないものだな。」
沖野「ずいぶんご無沙汰してしまって。」
最上「まあ、座って。」
沖野「はい。」
   沖野、座る。
   最上、沖野の目の前に立つ。
最上「今、ここでの俺の仕事は本部係といって、大きな事件の帳場が立つとそこへ覗きに行って、捜査の指導、相談、あと裁判に向けた証拠の整理をする。起訴まで面倒をみることになる。」
沖野「最上さんが担当する本部事件に自分が応援に入る可能性もなくはないってことですよね。」
最上「君はせっかちで直情的だからなあ。程よい相手で、緩めてやるよ。」
沖野「自分はそんな風に見られてたんですか。」
最上「人生最大のテーマは即断即決だろ?」
   最上、上手に退場。
   橘、上手から登場。
橘「た、立会事務官の、橘沙穂です、よろしくお願いします……」
沖野「(不愛想に)沖野です。これからやるのは、参考人の聴取。最上検事から応援を頼まれた。警察が頑張ってもしゃべらないとのこと。諏訪部といって、美術品、宝飾品、拳銃……闇社会のブローカーだ。じゃ、連れてきてくれる?」
橘「はい。」
   橘 上手に退場する。
   沖野、机の上を片付ける。
   橘と諏訪部、上手から登場。
諏訪部「ずいぶん若い先生ですねえ。最上検事のポチかい?」
   諏訪部、沖野に向かい合って着席する。
   橘、沖野から向かって右側に着席する。
沖野「そんなことはどうでもいい。質問するから答えて。あなたは六月十六日の夜十時頃、六本木のバー・ジュピターで飲んでましたよね? そこには暴行事件主犯の北島・通称ペッパーと中崎・通称ボンズもいた。」
諏訪部「先生ねえ、私は物売りですよ。物は売っても人は売らない。それは業界の人間が知ってる。」
沖野「うん、でも人が一人死んでるんですよ。それに関係する人を売るとか売らないとか。ねえ、言ってる場合じゃないでしょ。犯罪捜査の協力は市民として当然の行いですよ。」
諏訪部「説得力がないよねえ。」
沖野「じゃあ、調書にするかは別問題として、あの日ジュピターでボンズと出くわしたんだよね?」
諏訪部「いや、知りません。」
沖野「ジュピターでボンズに出くわしたことはない?」
諏訪部「答える義務はないね。」
沖野「ねえ、これ、ただの世間話だよ。答えない意味が分からないよ。」
諏訪部「答えない意味がわからない以前に、私には答える意味が分からない。」
沖野「いい年して突っ張るなよ。」
諏訪部「その言い方ショックだわ。」
沖野「俺もさ、ここの刑事部に配属されてこれから頑張ろうって時に、さびしいよ。世間話もしたくないなんて言われたら。」
   沖野、紙と鉛筆を取り出す。
沖野「(紙に鉛筆で図を書きながら)バーテンの話によると、あんたはいつも同じ席みたいだから、あの夜も、あんたはここに座ってたわけだ。」
   沖野、書いた図を諏訪部に見せる。
諏訪部「バーテンに聞いてんなら私に聞かなくてもいいでしょうに。」
   諏訪部、紙を手に取る。
諏訪部「知らない。」
   諏訪部、紙をポイっと投げる。
沖野「あんた、知らないとか答えたくないとはいうけど、覚えてないとは言わないね。」
諏訪部「そうかい?」
沖野「そうだよ、さっきからずっと。
 バーテンはね、あんたとペッパーのことは覚えてるけどボンズのことは覚えていないんだって。だから、あの夜、あんたがボトルを入れたばかりのバランタインを飲ませた相手がボンズかどうか、あんたは、覚えてないんじゃなくて答えたくないっていうんだよ。覚えてないんじゃなくて答えたくないって言うんだよ。これって客観的に聞いたら俺はもう認めてるように思えるんだけどどう思う?」
諏訪部「あはははは。お兄ちゃん結構おもしろいね。童顔で偉そうにぐいぐい来られると相手にする気がなくてもついついカチンと来ちまう。いいキャラしてるよベビーフェース沖野!」
沖野「どうしたんだよ、話そらして。ダウン寸前のボクサーが必死こいて効いてないアピールしてるみたいだけど?」
諏訪部「攻め込んでるつもりが瞼が腫れあがってるのはベビーフェースの方なんだけどな。リングサイドのお姉ちゃんもハラハラしてるよ。
いずれにせよ、お兄ちゃんは最上検事のポチだろ? しかも相当期待されてるポチだ。諏訪部は変わり者だが参考人聴取くらいならポチにも取れるだろう、最上ちゃんそう思ってる。その期待を裏切ったら彼の失望は大きい。想像しただけでポチがかわいそうになる。
 かわいそうだからクイズやってやろうか。
 答えを当てたらサインしてやる。何日の何時にどこそこで誰それと会いました、そういう調書をお兄ちゃんが書けばいい。法廷に立たされたら俺はなんだかわけがわからないままサインさせられたと答える。お兄ちゃんはお兄ちゃんで何か言い繕って取り調べの正当性を主張する。裁判的にはそれでOKだろ?
沖野「どういうクイズだ?」
諏訪部「エアー麻雀で俺が積み込んだ役満を当てる。」
   諏訪部、役満を積む動きをする。
沖野「当てられなかったら?」
諏訪部「お姉ちゃんに一日付き合ってもらう。」
沖野「バカ言ってんじゃないよ。」
諏訪部「人を売らない俺が売るんだぜ、そのくらいの条件呑めよ。」
沖野「だめだよ。」
諏訪部「最上検事は当てたよ。」
橘「受けてください。私は構いませんから、どうか検事、やってください。」
沖野「まずいよ、それは。」
橘「その一日をどう付き合うかは、私の自由ですよね。」
諏訪部「お互い納得できる大人の時間を過ごすだけ。」
橘「検事、受けましょう。この勝負に乗らない限りこの人は喋りませんよ。」
諏訪部「お姉ちゃんこう言ってんだからさあ、やろうよお。」
沖野「分かった。決めた。調書は要らない。だから彼女も差し出したりはしない。でも勝負はするからクイズ出せよ。」
諏訪部「誰との勝負だよ、最上検事かい?」
沖野「答える義務はない。」
諏訪部「切り返しがいいね。だが景品のつかない勝負はごめんだ。」
   諏訪部、上手に退場。
   橘、慌てて立ち上がり、諏訪部を送る。
   最上 上手から登場し、執務室に入る。
最上「聴取終わったか、どうだった?」
沖野「心証としては、ボンズと会っていることは間違いないのですが、はっきりとは認めませんし、また、調書の作成にも応じるつもりはないようです。」
最上「ふーん、じゃあ適当に帰しとけ。」
沖野「えっ 」
最上「証人は他にもいるからそっちでカバーできそうだ。」
沖野「力足らずでした。」
最上「そうシュンとすんな。この世界、そういう相手もいるということだ。じゃ、仕事頑張って。」
   最上、上手に退場。
   沖野、シュンとしたまま黙っている。
   橘、戻ってくる。
   橘、沖野を元気づけようとする。
橘「検事、さっき諏訪部をここに連れてくるときに面白い話を聞いたんです。取り調べに関係ないときは、あの人、すごく饒舌でした。」
沖野「どんな話?」
橘「主に戦争です。」
沖野「ウクライナ?」
橘「いえ、インパール。」
沖野「ああ(納得)。無謀な作戦の代名詞だ。」
橘「諏訪部の父親はインパールから生還したそうです。死屍累々の街道を歩いて、司令官を殺すまでは死ねない、と。」
沖野「どうしてそんな話になったの?」
橘「最上検事と根っこは同じという話でした。」
沖野「最上さんのお父さんもインパール?」
橘「お祖父さんがインパールから生還して、作家になって、体験を小説に書いたそうです。「白骨街道」。どんな奴かって調べたらそういうことだったと諏訪部は言ってました。」
   【暗転】

シーン③ 話し合い・捜査本部

沖野(声だけ)「その翌日、蒲田で殺人事件が発生した。殺されたのは都築という高齢夫婦だった。」
   【明転】
   (回想)
   最上と沖野、ソファに座って待っている。
   青戸、資料を手に上手から登場。
青戸「こんにちは。」
最上「今度は殺人ですか。」
   青戸、資料を最上に渡し、最上と沖野の向かい側に座る。
   最上、資料を読み始める。
青戸「ええ、遺体は刺されていました。二人はこの家に住む老夫婦で、都築和夫七十七歳、明子七十二歳。次男は、あのヤクザです。」
沖野「千鳥ですか?」
最上「紹介します。うちの若手です。」
沖野「沖野です。」
青戸「青戸です。」
最上「この事件に付くと思うのでよろしくお願いします。しかし、流しの物取りっていうよりは顔見知りの線が強そうですね。」
青戸「旦那は居間で、奥さんは裏の倉庫で倒れていました。いずれも死後二日以上経過しています。そう簡単には片付かんでしょう。」
最上「部屋はそれほど荒らされていないみたいですね。」
青戸「見た感じはそうですね。この夫婦はネジの卸しをやっていて、その保管倉庫が裏にあります。他にもアパートや貸家を持っていて、家賃は現金でもらっていたらしいです。」
最上「じゃあ事件当日も現金があったと。」
青戸「それと、知り合い何人かに金を貸していたという話も出ていて、その辺のことも調べています。怨恨も含めて交友関係を重点的に洗ってみるつもりです。」
最上「凶器は見つかったんですか。」
青戸「小さめの文化包丁ですが犯行時刃が折れたらしく、半分は奥さんの身体の中に刺さったままになっていました。柄の部分は犯人が持ち去ったとみられます。それから押し入れの金庫から十数枚借用書が見つかりまして、都築和夫が何人かの知人に貸し付けた金の証書です。金額としては、一人あたりの合計で二十万から八十万ほど。」
最上「なるほど。見通しは?」
青戸「もう少し時間がかかると思います。決め手となる目撃証言や物証が、意外と少なくて。警察の方は、借用書に名前が残っている人間を第一の調査対象として、一人ひとり、アリバイ等洗い始めているところです。」
最上「金庫から夫婦以外の指紋でも取れました?」
青戸「指紋は綺麗に拭き取られた形跡がありました。もう、夫婦のも残ってないくらいです。」
沖野「でも自分の借用書抜いたなら束には触ってますよね。」
青戸「それは鑑識が今慎重に調べてるところんなんですが、借用書の方は……目の粗い和紙を使用していて……。」
沖野「じゃあ、犯人が触っていたとしても、使える指紋が取れるかどうかは分からないということですね。」
青戸「そうなんです。」
沖野「被害者のギャンブル仲間なら調べを進めるうちに必ずどっかで名前が挙がってきます。借金していたはずなのに借用書がないとなれば、そいつが怪しいっていうことになりますね。」
最上「えっ⁉」
沖野「どうしました?」
   【暗転】
沖野(声のみ)「あの後の最上検事は、今思えば明らかにおかしかった……。」
   (最上の回想)
   久住、下手から走って出てくる。。
   【久住と、最上と沖野が座るソファにスポットを当てる】
   久住、最上の方を向いて誘うが、距離は離れたままにする。
久住「モガ兄! モガ兄! 一緒に歌ってよ! ♪Cry me a river~」
最上「♪Cry me a river~」
   (最上の回想、終わり。)
沖野「最上さん? どうしました?」
最上「……」
   最上、固まっている。
沖野「最上さん?」
   【暗転】

シーン④ 参考人聴取・取調室

沖野(声のみ)「都築夫妻殺害事件において、初めに最も疑われたのは松倉重生だった。」
   【明転】
   (回想)
   松倉、ノソノソと下手側から入ってくる。
   田名部と青戸と沖野と最上と橘と最上の事務官、マジックミラー越しに見ている。
田名部「松倉ぁ……。」
取調官「殺した?」
松倉「誰を?」
取調官「都築夫妻」
松倉「まさか」
取調官「いくら借りてた?」
松倉「四十万」
取調官「お前、都築さんに電話とメールした日あったろ、今からお邪魔していいかって。その日のことを細かく思い出してほしいんだよ。」
   松倉、口をパッとする。
取調官「何だ、それ。」
松倉「偉い弁護士の先生が言ってたけどさ、俺は事件に巻き込まれやすい体質なんだってさ。」
取調官「体質の問題じゃない。」
   取調官、呆れる。
松倉「事件が寄ってくるんだよねえ。今働いてるリサイクルショップでもさあ、事件が寄ってくるんだよ。店長がガキでさ、知性ゼロでさ。ゼロじゃねえ、マイナスだよ。俺は人生の先輩だよ。」
   松倉、どうでもいい話を続ける。
   取調官、呆れた様子で聞く。
田名部「松倉はモンスターです。向き合ってると何とも言えぬ不快感がある。」
沖野「田名部さんは、松倉を取り調べしたことがあるんですよね。」
田名部「時効になった事件ですが。学生寮の寮母の娘が殺されました。久住由季という子です。松倉は、限りなくクロに近い容疑者でした。」
沖野「なぜこの事件は迷宮入りになったんですか。」
田名部「十五回に及んだ任意聴取で自供を引き出せなかったのが大きかったですなあ。その時の捜査陣から、松倉のマエを聞いたんですわ。」
最上「マエ?」
田名部「三十七年前、入谷で起こった一家四人殺しです。」
最上「松倉は少年犯罪もやってるんですか。」
田名部「十六歳でしたからね。実名報道されてません。少年Aです。五歳上の兄と2人で盗難車を乗り回し、十四歳の少女を撥ねた。そのあと、車に乗せて、松倉は強姦した。少女が逃げると、彼女の家まで追いかけていき、母親および祖父を刺殺。少女は三日間連れまわされた挙句、絞殺されました。」
最上「実質的な主犯は少年Aだったってことですか。」
田名部「兄貴の方は事件発覚後に自殺しましてね、罪を一人でひっかぶる結果になりました。松倉は、少年院に五年いただけですわ。」 
   田名部、一同に資料を配る。
田名部「ああ、頭が痛い」
青戸「管理官はお休みになってください。」
   田名部と青戸、上手に退場。
沖野「驚いたな。少年Aの弁護団に大物の名前がある。」
最上「白川勇馬か。ゲームチェンジャーともいえる裁判だったようだな。」
沖野「ええ。」
最上「橘さん、ずいぶん静かだね。」
橘「率直に言わせてもらってもよろしいでしょうか?」
最上「率直さは大歓迎だよ。」
橘「聴取を聞いている限り、松倉が警察に敵対心を抱いていることはよくわかります。でもそれ以外、田名部管理官の特別な思いに支配されている気がします。」
最上「具体的に言ってごらんよ。」
橘「確かに松倉の過去の事件は衝撃的です。でも、それを考慮しても、暗い部屋にいる私たちは、今度こそこいつを落とすぞ、犯人にするぞ、といった管理官の意気込みに引っ張られている気がするんです。」
最上「俺は俺なりに冷静に情報を分析して松倉は怪しいっていう心証を持っただけだから。」
橘「もちろんそうだと思うんですけど。でも今の時点で彼一人に狙いを絞るのはどうなんでしょう。」
沖野「橘さん、別に誰もひとりに絞るなんて言ってないよ。捜査班の何組かが松倉の周辺を洗いまわって、そこで出た情報を精査して見極めるんでしょ。まだ一方的に疑ってかかる段階じゃないことくらいみんなわかってんだよ。」
   青戸、田名部を休ませて戻ってくる。
最上「松倉は極端な若者蔑視を持っています。ここはあえて沖野をぶつけてみるのはいかがでしょう。」
青戸「別件逮捕ですか。なかなかおあつらえ向きなのがなくて。」
最上「リサイクルショップの社長に横領で告訴させます。冷蔵庫やテレビを横領したという情報があります。いかがですか?」
青戸「おお、では早速。」
   青戸と最上と最上の事務官、連れ立って出ていく。
沖野「久住由季がいた北豊寮ってさ、北海道出身の市ヶ谷大学の学生寮じゃんか。最上さんって、市ヶ谷大学の法学部卒で、北海道出身なんだよ。」
橘「卒業したのは事件の二年か三年前です。事件当時の寮生も法学部の学生ですね。」
沖野「もし最上さんが北豊寮に住んでいたらさ……?」
橘「だとしたら事件のこと知らないはずがないですよ。」
沖野「いや、でもあの様子じゃ、知らなさそうじゃないか。」
橘「知らないふりをしていたのかもしれません……」
   沖野と橘、見つめ合う。
   【暗転】
   (回想終わり)
沖野(声のみ)「松倉を逮捕し大がかりな捜査を行ったが、事件の証拠は何一つ見つからなかった。しかし殺人容疑で松倉は再逮捕され、送検後は僕が松倉と対峙した。」

シーン⑤ 取り調べ・執務室

   【明転】
   (回想)
   沖野、下手側に座っている。
   松倉、上手側に座っている。
   橘、沖野から向かって右に座っている。
沖野「この取り調べはもう録音録画してるからな。それとあんたには黙秘権がある。いいね。
 お前、都築さんに四十万借りてたのか。なんだこれ、競馬か? お前、都築さんに金借りようとして断られたことあるか? メールとか電話した日あっただろ。あの日なんだよ、都築さんと奥さん殺されてるの。」
松倉「犯行の時間帯、銀龍っていう居酒屋で飲んでたよ」
沖野「店主は覚えてないってよ。」
松倉「いいんだよ、俺は覚えてるから。」
   (回想終わり)
沖野(声のみ)「この日の取り調べは、いつものごとく執り行われた。しかし、口の堅い松倉に自供させるため、最上検事は、ギアを入れ替えろ、と僕に指示を出した。翌日、僕のテーブルの中に携帯を仕込み、部屋の外にいる最上検事と僕がリアルタイムでやり取りできるように細工を行った。」
   (回想)
沖野「なんであんたは事件が起きた日、都築さんの家には行かなかったなんて嘘ついたんだ?」
松倉「……」
沖野「じゃあ、荒川の事件のことは覚えてるよな。久住由季っていう女子高生が強姦されて殺されたやつ。今回の捜査本部にあの事件に関わった人間も入ってるんだよ。だいぶ疑われたらしいな。そのことが影響しちゃったのかな? 変に警察に疑われたくないからとりあえず嘘ついちまおう、みたいな、なあ。正直ここだけの話さ、荒川、あれあんただろ。もう時効を迎えた事件ごまかしたって何も得することないんだから。」
松倉「あっちの刑事にも言われたよ。」
沖野「なんて?」
松倉「だから、時効になった話はある種の自慢話だってさ。」
沖野「自慢話したのかよ。」
松倉「したらしたで悔しいって刑事が言ったって話だよ。」
沖野「なんだかよくわからない話だな。」
松倉「だからそんな話がでりゃあさ、整理がつくんだってさ。」
沖野「どんな話が出れば何の整理がつくの?」
松倉「だから、あの事件はさような事でしたかと納得すりゃ出来の悪い刑事の頭でも整理がつくでしょ。」
沖野「なんだかよくわかんない話だな。」
松倉「とぼけてんのか、お前。」
沖野「何だよ、その言い方。」
松倉「その教訓を今後に生かすという考えで悔しい一方でありがたいと言ったんだよ、森崎警部補が。そのあとでDNA鑑定知ってるかと来たよ。」
   松倉、沖野と警察をバカにする。
松倉「ふっ。時効が過ぎた事件だろうが証拠品はある。すぐに再鑑定だってさ。フハハハハ。つまんない揺さぶり! 鑑定に使える検体が、残ってるわけがない。」
沖野「喋るときは喋るね、頭もいいんだ。
 ラッキーだったよな、入谷の事件は。少年法に守られて……あ、違う。人のいい兄ちゃんが罪を全部かぶってくれたんだった。兄ちゃん、車盗んで乗り回すのが趣味だったろ? でも可哀そうに。弟がクズでさ。辛かっただろうなあ、兄ちゃん。悲しかっただろうなあ。」
沖野と松倉、沈黙する。
松倉「ちょっとさ、録音と録画切ってくれる?」
沖野「どういう理由で?」
松倉「誰にも聞かせたくないから。」
沖野「じゃあ切って。」
橘「はい。」
   松倉と沖野、沈黙している。
松倉「荒川の事件、俺だよ……」
沖野「……お前が殺したのか。」
松倉「荒川の土手でさ、あの子、由季。友達と一緒に膝にスケッチブック置いて絵描いてた。入谷のあの子……フッ、名前忘れたけど、生き返ったと思ったね。懐かしくて後付けたよ。その時は、表から部屋を確認しただけ。二日後行ったら、窓が開いてた。
 いい匂いだったからよく眠れた。
 その一週間後だな。やろうと思って行ったのは。
 細い声で歌ってたよ。 ♪Cry me a river~
 いい歌だよ。俺が触ったらよ、カセット投げてきたんだ。草むらに押さえつけても暴れてさ。」
   松倉、息を切らす。
松倉「首絞めたのが先だったのかな、イッたのが先だったのかな。ふわふわしていい気持ちだったよ。ジェットコースター乗ってるみたいだ。」
沖野「首の骨も折れてたよ。」
松倉「だから?」
沖野「反省の心はないの?」
松倉「眼鏡落として踏んだら反省する?人が死ぬのも物が壊れるのもおんなじだよ。」
   橘、ぽろぽろと涙を流す。
松倉「ちょっと休憩しようか。事務のお姉さん、気分悪そうだよ。」
沖野「ああ、休憩しよう。上にも報告してくる。」
   沖野、執務室から出る。
   橘と松倉、沈黙している。
   沖野、ドアを開けて執務室に入る。
   沖野、机の中から写真を取り出し、松倉の前に並べる。
沖野「いつまでシラを切るつもりだ? クズ。人殺し。強姦男。
 何人殺しゃあ気が済むんだ? ああ?
 この人たちはみんな知ってるんだよ! 誰に殺されたか、自分たちみんな知ってるんだよ。見ろよ、この無念の顔! 目え見開いてちゃんと見ろよ!」
松倉「俺は都築さんらはやってない。やったらやったって言ってるよ!」
沖野「お前の人生に守るもんなんて何もねえだろうよ!酒飲んで馬券買ってあと何年かすりゃ働き口もなくなって役所の世話になって。何なんだよ、そのクソみてえな生き方は! さっさと見切りつけろよ!」
松倉「殺してない……。殺してない……。(ずっと繰り返す)」
沖野「塀の中で被害者の冥福を祈ってひたすら読経でも上げてるほうがよっぽど人間らしい生き方だろうが!
 何だよ、あっ?
 キレてんのか?
 たったこれだけでキレてんのかよ、たったこれだけでキレるのかよ、たったこれだけでキレてんのかよ、なんなんだよおめえよ!こっちはよ、人殺しと同じ空気吸って、反吐が出る思いでやってやってんだよ! さっさと吐いて、俺を解放してくれよ!
 お前、兄貴も殺してるからね。最初の殺しやったときに、てめえで死刑宣告兄貴に出してんだよ。
 耳閉じるなよ、耳塞がないでちゃんと聞けよ!」
松倉「耳なんか塞いでないよ!」
沖野「耳塞いでんじゃねえか、なめんなよこのチンピラが! おい!
 こっちはな、裁判やりゃ勝つ手がすべてそろってるんだよ、このまま否認し続けたら裁判での印象は最悪だよな。二人殺した事件の厳罰ってわかるか? 情状酌量で無期懲役だよ。酌量の余地がなかったらな、どうなるかわかってんだろ? めんどくさいからその辺で勝手に首吊って逝ってくれるか?」
松倉「あああああ…… あああああ……」
沖野「何だよ、おい、泣いてんのかよ。鬼畜の目にも涙か?
 泣く余裕があるんだったらさ、思い出せよ! 命乞いした人の顔をさ! 泣く余裕があるんだったら思い出せ。みんな血の涙流してんだよ。」
松倉「俺は耳も塞いでないし、泣いてもいないし、チンピラでもないし、都築さんを殺ってもいないよ!」
沖野「うるせえなてめえこの野郎! お前のお袋が生きてたらな、同じように詰ってやるよ。こんな鬼畜をこの世に産み落とした罪で、お袋のことを罵ってやるよ!」
松倉「ママ! ママ! ママ!」
沖野「じゃ、被疑者を蒲田署へ戻してください。」
   橘と松倉、上手側に退場。
   (回想終わり)
沖野(声のみ)「松倉の取り調べは難航した。橘さんによる独自の調査で、最上検事は大学卒業するまで北豊寮に住んでいたことを突き止めた。」
   (回想)
   橘、上手から登場し、資料を沖野に手渡す。
沖野「このこと、誰かに言った?」
橘「いえ。」
沖野「じゃあここだけの話にしておこう。」
橘「このまま放置しておくとおかしな方向に進んでいきます。」
沖野 「いやいや、ちょっと待って。まだわかんないから。」
   最上と田名部と青戸、話しながら上手側から入室する。
田名部「仮にこのままですと、再逮捕の見解はどうなりますか?」
最上「検察上層部の考えは消極的です。」
沖野「自分はこの拘留中に割れると思っています。」
青戸「実は昨日、窃盗容疑でこちらの刑事課がしょっ引いた男がいるんですが、とんでもない話が出ましてね。その男、矢口というんんですが、そいつがいうことには、居酒屋で飲んでいた時にたまたま隣になった男が上機嫌に酔っぱらっていて、都築夫妻殺しを吹聴した、と。相手の男は、弓岡嗣郎で間違いありません。」
田名部「酒場の悪自慢といえばそれまでですが、凶器の包丁が折れたという事実は報道されていないのにもかかわらず矢口はそれを知っていましたし、妙に符合するんですよ。」
最上「その矢口の送検はいつですか?」
田名部「明日送検します。弓岡に関する資料も送ります。では。我々はこれで。」
青戸「ああ、最後にひとつ。また千鳥が来ましてね、松倉一本に絞るなら俺が弓岡を吊るし上げる、と。既に嗅ぎつけたようです。諏訪部だって立派なヤクザですから、最上さん、気を付けてくださいよ。では。」
   田名部と青戸、退場する。
   千鳥、上手から登場する。
沖野「弓岡の件は、どうとらえたらいいんでしょう?」
最上「余計な事は考えなくていいからさ、松倉に集中してくれよ。」
   (回想終わり)
   【暗転】
沖野「あの日、捜査態勢は弓岡にシフトすることが決定された。松倉にこだわる最上検事にとって、邪魔な者は、弓岡。」

シーン⑥ 最上の犯罪・懺悔室

   【明転】
   (最上の回想)
諏訪部「松倉は自供し、明日からは捜査の軸が弓岡にシフトされる。1+1の答えが諏訪部。まあ、考えていることは何となくわかりますわ。この部屋は懺悔室といってね、諏訪部は神様の闇商売もやってまーす。で、何をご所望で?」
最上「拳銃。」
諏訪部「いつまでに?」
最上「今夜。手付けで三十万。」
   最上、金が入った封筒を諏訪部に渡す。
   諏訪部、受け取る。
諏訪部「オール三十でいいけど……今晩松倉の首取るのは無理でしょ、蒲田署に殴り込む人でもないし。」
最上「松倉はやらない。」
諏訪部「やらない?」
最上「松倉を裁判で死刑にすることが大命題だ。」
諏訪部「面倒なことを。」
最上「簡単にあいつを楽にさせてやるつもりはない。俺は何としても、松倉を罰する。」
諏訪部「今夜の狙いは?」
最上「銃。用意できるのか?」
諏訪部「手見せて。」
   最上、両手を諏訪部に差し出す。
   諏訪部、最上の手をよく観察する。
諏訪部「マカロフかベレッタ。」
   諏訪部、電話をかけながら舞台上を歩き回る。
   最上、諏訪部についていく。
諏訪部「ああ、俺だ。今晩中に手に入るロシア娘かイタリア娘いる?、それから携帯、車……」
   諏訪部、上手側に退場する。
   諏訪部、出てきて銃と携帯を最上に渡し、再び退場。
   最上、一人でウロウロする。
   最上、上手側に立ち、携帯で電話をかける。
弓岡(声のみ)「誰だ、お前?」
最上「お前の味方だ。蒲田の焼き鳥屋で都築夫妻殺し吹聴しただろ。ヤクザが嗅ぎつけた。被害者の息子で凶暴な男だ。警察は、明日の時点で捜査のシフトをお前に移す。逃げられるのは今晩だけだ。俺はお前が捕まると困るんだよ。だから逃がす。」
弓岡(声のみ)「なんだよ、わけわかんねえ。」
最上「凶器はどこだ?」
弓岡(声のみ)「家。」
最上「分かった。それ持って、今すぐ『チンデュインの奥』に来い、恵比寿三丁目の信号を右だ。」
   【照明を暗くする】
   最上、落ち着きを失いつつ、弓岡を待つ。
   弓岡、鞄をもって下手から登場。
   弓岡と最上、距離を保ったまま話す。
弓岡「味方はお前か?」
最上「よく来たな、礼を言う。」
弓岡「これ、包丁。」
   弓岡、鞄を差し出しながら最上に近づいていく。
   最上、銃を弓岡に向ける。
   弓岡、息を呑む。そのまま後ろに下がる。
   最上、発砲する。
   弓岡、奇声を発して悶え苦しみながら尻もちをつく。
   最上、怯える。そしてがむしゃらに発砲する。
   弓岡、頭を下手側にして倒れ、息絶える。
   最上、弓岡の脈を確認し、そのまま前に(下手側に頭を向けて)倒れる。
   最上と弓岡、そのままの状態で。
   【照明を明るくする】
   諏訪部、上手側から登場。
   諏訪部、倒れこんでいる最上に話しかける。
諏訪部「最上ちゃん。」
最上「遺体と銃を、早く処理しないと。十時に蒲田署に集合だ。急いで戻って、シャワーを浴びて、着替えないと……」
諏訪部「何も心配ないですよ。アフターケアをしっかりするのが我が社の営業方針でして。 ま、それより蒲田署に行くまえにすり合わせしましょうや。ゆうべは、まあ、」
   【暗転】
諏訪部「いろいろあったからねえ。」
   (最上の回想、終わり。)
沖野「僕は最上検事が暴走するのを止められなかった。間近で見ていたにも関わらず。罪が明るみになった今、最上検事は拘留され、そして僕は、アクリル板のこちら側から、彼に語り掛けようとしている。僕に何か力があるわけでもない。でも、僕は決めたんだ。」

シーン⑦ 沖野と最上の対面・使用接見室

   【明転】
   沖野、入室する。
沖野「お久しぶりです。」
最上「元気か?」
沖野「はい。最上さんは、寒い日が続いてますが、お体の方は?」
最上「ありがとう。まあまあ元気でやってるよ。」
沖野「そうですか。」
最上「弁護士の仕事のほうは始めたのか?」
沖野「いえ……。昨日、ようやく登録の書類をそろえて送ったばかりです。」
最上「そうか」
沖野「でも、橘さんが事務官をやめて手伝ってくれるそうなので、小さな事務所を構えてでもやっていこうかと。」
   最上、うなずく。
   沖野と最上、沈黙する。 
最上「悪かったな。」
沖野「え……?」
最上「君には悪いことをした。君のような将来のある人間を検察から去らせてしまった。そのつもりはなかったが、結果的にそうさせてしまった。それだけが痛恨の極みだ。ほかには何も、悔いることはない。俺はそれだけだ。」
沖野「最上さん……。僕に、弁護人を、やらせてください(涙声で)。」
最上「ありがとう。
 だが、気持ちだけで十分だ。俺を助けてくれる人は他にいる。
 君は、他の人間を助けてやってほしい。君にしか救えない誰かが、きっとどこかで途方に暮れてるはずだ。君が本当に救うべき人間を見つけて、力を注いでやってくれ。」
   沖野、鼻をすする。
   沖野と最上、沈黙する。
   沖野、次の台詞が終わる時に舞台の真ん中に立っているように。並行して照明ををだんだん落とす。
沖野「最上検事は、ずっと検事だった。時効で罪の償いから逃れた男に、とてつもない代償を負わせることを思いついた。やってもいない罪で極刑を科す……およそ考えられるどんな手よりも。苛烈で凄まじい制裁方法だ。冤罪が持たらす、地を這うほうな惨苦を知り抜いている検事だからこそ、選んだ手だともいえる。ただ一つ、それをするには、彼自身も大きな代償を払わなければならなかった。また新たに、罪の償いから逃れる人間を作るわけにはいかなかった。それもやはり、彼が検事だったからだ。」
   橘、登場してゆっくり沖野の方へ近づいていく。
   【橘と沖野にスポットを当てる】
沖野「僕は、もう、わからない。何をしたかったのか。何を信じ、何の味方のつもりでいたのか。正義とは、こんなにいびつで、こんなに、訳のわからないものなのか……」
   沖野、がっくりと膝を折る。
   橘、沖野に駆け寄って身体を支える。
沖野「うおおおおおおおおおおおおおおおお‼」
   【ゆっくりと暗転】

【戯曲】検察側の罪人

【戯曲】検察側の罪人

この作品は二次創作です。「検察側の罪人」という雫井脩介さんの小説と、それを元に原田眞人監督のもと制作された同名の映画を参考にして書きました。 読む際にはお手柔らかにお願いします……。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-01

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. シーン① 検察官新人研修・ホール
  2. シーン② 挨拶と諏訪部の参考人聴取・執務室
  3. シーン③ 話し合い・捜査本部
  4. シーン④ 参考人聴取・取調室
  5. シーン⑤ 取り調べ・執務室
  6. シーン⑥ 最上の犯罪・懺悔室
  7. シーン⑦ 沖野と最上の対面・使用接見室