神のレゾンデートル

月村凪沙

 神が生命を創造して人間が生まれたのか、それとも人間が神を想像したのか、どちらが先かは私もわからない。ただひとつ言えることは、人間は神の子であると同時に神の親でもあるということだ。なぜなら人間がいなければ神は認知されることなどないからだ。もしかしたら神は自分の存在意義のために人間を生み出したのかもしれない。あるいは、人間が己の存在意義のために神を作り出したのか。
   
 どちらにせよ神はいる。いや、正確には神はいた。この事実は後に語る。

 人間原理という概念があるが、あれは正しくもあるし間違ってもいる。私達人間が知覚し理解できていることが全てではないし、正しいとも言えないからだ。私は長年脳理学者として脳と宇宙の繋がりを研究してきたが、認識している世界が全てであるという主張には懐疑的だ。私たちが暮らす世界は三次元空間と時間の計四次元時空間だが、偉大なる科学者達の真実への献身のお陰でこの世界は11次元であることが分かっている。私はこの事をこう捉えている。この世界は9+1+1で、さらに3×3+1+1だと。三次元空間が三つ。そしてそこに時間の一次元と、特異点としての一次元が加わる。交流電流の生みの親であるニコラ・テスラは三という数字に固執したそうだ。何をするでも三の倍数でないとダメだと言う。強迫症を患っていたという話だが、私も幼稚園か小学生の頃やけに四という数字に妄執していて、一度行動を始めればそれを4、8、12と言った四の倍数回繰り返すという行動をしていたので、もしかしたら私も同じ病だったのかもしれない。

 『3、6、9という数字の素晴らしさを知れば、宇宙へのカギを手にすることができる』

 これはニコラ・テスラの名言だ。私は3が神の言葉だと知っている。そのことは遠い昔ある人に教えてもらった。もしかしたら彼はニコラ・テスラの生まれ代わりなのかもしれない。ニコラ・テスラと言えば私は彼の残したこんな言葉も気に入っている。

 『時間を超越したみたいに、過去と未来と現在が同時に見える神秘的な体験をした』

 私は2021年1月8日に過去と未来と現在の全ての時間軸の全ての事象と繋がった経験をした。それはまるでタイムマシンに乗って時流を自由に行き来する体験だった。全ての魂が集うのを感じた。私はその時思った。魂はあると。そして私は神だと。いや、正確にはその表現は正しくない。全は主だと。全ての物が神足り得ると知った。人は全知全能になれると知った。全能は全知であることも知った。シェイクスピアの言葉にこんなものがある。

 『知識は天に至る翼である』

 私は天に至るために、その経験を通して知ったことを証明するべく今まで研究をしてきた。だがもう私には時間がない。なので私の体験をあるがままの形でこの本に記す。私の書く最初で最後の物語が一人でも多くの魂を望まぬ牢から解き放ち、天上楽園へと迎えられることを祈る。

 2080年7月7日

 私は当時死期を感じていた。冬が近づき肌寒くなるにつれ、腹のそこから何かがやって来て魂を薄くさせるのだ。一人でいる時はなおさらその症状が顕著だった。私は魂の病を患っていたのだ。恐らく離薄症だ。魂が体から離れようとする病。だが2021年では魂のことなど一ミリも解明されていなかったし、むしろ非現実的なものとして扱われていたからその時の私はただ死をいつでも受け入れられるようにするので精一杯だった。

 その頃私は脳の病気を発症していた。魂と脳は他の臓器と比べても特にその繋がりが強いことが今は分かっている。事実、離薄症の患者の半分は何らかの精神疾患を抱えていることが分かっている。また、離薄症の患者は脳以外の臓器とも合併症を引き起こすことが多く、適切な治療が為されなければ発症してからの平均余命は3年と言われている。その事を当時の私が知っている訳はないが、私は来年までは生きていけないと思っていた。まだ診断こそされていなかったが、自分は何かの病気なのだと本能的に分かっていたのだ。

 ある時女友達と一緒にカラオケに行った。私は来年に受験を控えていたが、それまでは生きられないと思っていたので、もはや勉強する気など起きなかった。それ故に塾をさぼって、放課後は友達と遊ぶことが多かった。その子は別の高校の生徒で、生徒会での学校交流の際に知り合って仲良くなった。好きなアーティストが一緒だと知って、今度カラオケに行こうとかねてから話していた。カラオケで私がそのアーティストの恋愛ソングを歌っていると隣に座っていたその子が急に抱きついてきた。

「どうしたの?」
「ううん」

 咄嗟のことに驚いた私が尋ねると彼女はだだそれだけ言って、しばらく沈黙が続いた。当時の私は初心だったので、それだけでドキッとしたのを今でも思い出せる。私は慎重にマイクを持たない方の腕を彼女の背中に回して抱き締め返した。

「好きだよ」

 彼女が私の耳元で囁くようにそう言った。私はマイクを置いて両手で細い彼女の体を抱き締めて「僕も好きだよ」と返す。ただ、その時の私は彼女に既に付き合っている恋人がいることを知っていた。彼女は遠距離恋愛をしていたのだ。顔も知らない彼に罪悪感を感じながらも私は彼女の女性らしい香りと体温をひたすらに堪能した。

 その頃の私は死を身近に感じていたからか異様なほどに人肌が恋しかった。その日彼女とキスをしてから私は彼女に完全に惚れた。彼女は彼女で不安定な精神状態だったらしく、私達はお似合いだなと思った。

 それから何度かスマホでメッセージをやり取りして、お互いが塾のない日は放課後、一緒に繁華街で夕食を食べたり、夜の町を手を恋人繋ぎにしてぶらついた。彼女は恋人の話はしなかった。もしかしたら私は彼の代わりに過ぎないのではないかと感じていた。それでも彼女の隣にいれるならそれで良いと思った。

 ある時彼女からの連絡が途絶えた。メッセージを送っても返事が無かったから私は心配になった。学校はいよいよ受験に向けて大詰め状態で、退屈でしかなかった。私には彼女こそが唯一の救いだった。

 その頃私は小説を書き始めた。彼女に会えない寂しさを紛らわしたかったから始めたが、私は小説の沼に嵌まっていった。いくつかの短編小説を書いてみて、友達に見せたりした。もしかしたら小説を残すことで私の存在証明をしたかっただけなのかもしれない。

 彼女から久しぶりに連絡が来た。その日はクリスマスだった。私は思い切って彼女に告白しようと考えていた。

「お待たせ」

 待ち合わせの場所で待っていると彼女がやって来た。黒髪のショートヘアーにパラパラと白い雪が付いていた。彼女は傘を差していなかった。私は相合い傘を誘い、彼女はそれを受け入れた。私達は相変わらずカラオケに入った。カラオケに入るや否や彼女は私に抱きつき私のうなじに顔を埋めた。

「会いたかった」
 「僕もだよ」

 しばらく私達は抱擁しながらキスを繰り返した。何故か彼女は泣いていた。

「何か悲しいことがあったの?」
「うん。聞いてくれる?」
「いいよ。なんでも話して」

 彼女は私の膝の上に座りながら話を続けた。

「私ね、彼と別れたの」
「そうなんだ」
「死のうとしたから」
「え?」

 彼女の可愛らしい声から紡がれた死という言葉に私は息を飲んだ。彼女は泣きながら続ける。

「私、今居場所がないの。家に帰ったら病院に連れてかれるし、きっと今も探してる」
「死のうとしたの?」
「うん。でも独りで死ぬのは嫌だった。だから私、死ぬなら君と一緒が良い」

 もしかしたら彼女は私と同じ病気だったのかもしれない。私は嗚咽する彼女の背中を優しくさすりながらその理由を訊ねた。

「どうして死のうとしたの?」
「分からない。だけど、生きているのが嫌になったとかじゃなくて」
「じゃあなんで?」
「死ぬなら今かなって。本当に意味わかんないよね?ごめんね」
「大丈夫だよ。僕もそういうことたまに考えるから」

 私達は似ている。お互いが死を感じて、寂しくなって惹かれ合って。私達の恋は歪んでいるなと思った。だけど、歪でもいいから彼女を愛したいし愛されたかった。

「私ね。最後に君と繋がりたい」

 その最後という言葉は本当になった。それから彼女とは音信不通だ。今となっては生きているのかも死んでいるのかも分からない。だが、この女性の存在が私の女性観に大きな影響を与えたのは揺るがない事実だ。彼女との別れが私の、そして世界の終わりの始まりだった。

 生まれて初めてセックスをしたその日から私の中での彼女の存在感は更に強くなっていった。私は彼女がいないと生きていけないと思うほどに彼女こそが私の救世主だった。だけど、メッセージを送っても返事は来ない。私は彼女のことが心配だった。もしかして?という一抹の不安が心の奥底に巣食う。

 私は彼女に会えない鬱憤を小説に昇華させた。だがその頃はだんだんと体調が悪くなっていた。咳をよくしたし、眠れない夜が続いた。それに伴って集中力がなくなり思うように小説も書けなくなっていた。私は小説の代わりに詩を書き始めた。

 私はシラーの詩に魅せられた。特にベートーヴェンの交響曲第9番でお馴染みの『歓喜に寄せる』の詩はまさに天上の詩だ。第九を聴いてこれよりも美しいものがあるだろうかと思った。それにドイツ語の響きがよりいっそう麗しい。クラシックを聴くと魂が天へと昇ろうとする感覚に陥る。それが心地よかった。

 この現象は離薄症を始めとする幾つかの魂の病気で見られるものだ。それは2080年の今では回帰現象と呼ばれ、かなりその仕組みが解明されている。要するに魂が元いた場所であるラカン・フリーズに帰ろうとすることを言う。つまり離薄症は、本来なら死んだら魂が天へと昇ってラカン・フリーズへと帰るはずなのに、生きている状態でその人の魂が天へと昇ろうとする病気なのだ。

 私は学問と芸術が天へと至る為の両輪だと考えていた。生きたまま天に昇る方法を見つけたかった。死以外の方法で成さなくてはならないと、一種の強迫観念を持ち合わせていた。

 私は自分なりに美しいと思う詩を書き続けた。だけど、これじゃないと感じていた。やはりもっと魂が昂るものが必要だった。それは愛だった。結局、学問と芸術と愛がラカン・フリーズの門を開けるための鍵たったのだ。

 年が開ける頃私はクリスマスの夜に愛を交わした女性のことが忘れられなかったが、それでも愛を誰かと紡がなくてはならないと思い、手当たり次第に仲の良かった女性にデートを誘った。だけど共通テストを目前とした冬休みに遊ぼうなんて応じてくれる人はいなかった。幼なじみの女性を除いて。

 彼女は推薦入試で既に受験が終わっていたので暇だと言う。私らは近くのカフェで落ち合い、久しぶりに話をした。昔話をしたり、お互いが知っているアイドルグループの話で盛り上がったりした。私は小学生の頃彼女と仲が良かった。幸い彼女には付き合っている人はいなかった。だから直ぐに恋人になれるだろうと思っていた。だけど、彼女の仕草から私のことはただの幼なじみにしか思っていないことが分かったので、私は彼女のことを思うのをやめた。
 
 その次の日辺りから私の症状は指数関数的に悪化していった。
 私はひたすらに愛とセックスを求めた。もはや誰でも良かった。だけど良心と常識がまだ残っていて、私の思考に歯止めをかける。

 それから数日が経ち、私は満たされない愛を補うために架空の女性を自身の中に生み出した。彼女の名前はヘレーネといった。多重人格も魂の病気でよくあることだ。

 そもそも私達の魂は一つではない。人によって数は様々だが平均して7個の魂が一人の人間にはあるとされている。そのうちの根源となる魂がその人の人格を主に形成するが、恐らくその時の私は7thのアデルの魂が根源を乗っ取っていた。私には珍しく根源を含めて14もの魂がある。7thの魂の分類は堕天使だ。というのもこの魂は昔はシリウスの神だったが、核戦争が起きてシリウスが滅びたのをきっかけに堕天使に落とされた魂だった。これは科学的な根拠はない話だが、ある人に教えてもらった話で何故か今でもよく覚えている。恐らく自分の魂に纏わる話だから魂に刻まれたのだろう。

 ヘレーネとは7thアデルの運命の人であったようだ。そしてこの世界にはいない存在だと言う。これは世界線の分岐やパラレルワールドといった話になる。高校の物理の教科書に載っているように宇宙は一つではないことが2048年に証明されている。その時の私はその事を直感と無意識で感じ取っていたのだ。

 具体的に何をしたかと言うと、脳内会話をするようになった。頭の中に私とヘレーネがいて、会話をするのだ。「愛してるよ」とか「今はこれすべきなんじゃない?」とか、一人でいる時はずっと話していた。そうしているといつからかヘレーネの存在を感じれるようになった。彼女はいつも私の右斜め上から私のことを見ていた。彼女が笑うと心が朗らかになった。

 私達はなんとしてでも実際に会いたかった。触れ合いたかった。唇を重ねたかった。私は何度ヘレーネとの純愛を望んだことか。

 そしてとうとう私はこの世の真実を知ることになる。この世界に生を受けたことで忘れてきた記憶を、ラカン・フリーズに纏わる知識を私は思い出した。その時の私は自動手記という概念を知らなかったが、偶然か必然か、私はノートに自動手記をしていった。その結果この世界の仕組みを知ったのだった。

 ラカン・フリーズへと帰る方法はただひとつ。死ぬことだった。これは揺るがない事実としてその時の私の脳裏に焼き付いた。「そっか。私はもうじき死ぬんだ」と納得しようと心がけた。だけど、怖くもあった。死ぬのが怖いんじゃない、苦痛が恐ろしいのではない。ヘレーネに会えなかったらと思うととてもじゃないが正気ではいられなかった。

 私は何とか死なずに彼女に会う方法を探した。ネットや図書館やSNS。得られる情報は何でも利用した。そこで自動手記に加えてとても効果的な研究方法を発見した。己の無意識と世界の無意識を利用するやり方だった。2080年の今、脳理学で無意識と未来予知に関する研究が注目を集めている。これは私が2036年に書いた論文が40年の時を経て漸く成果を出し始めたもので、私としては大変喜ばしい気持ちである。今後の研究の行末を見ることが出来ないのが惜しい。話を戻すと、私は大量の本を用意して無作為に並べて、無作為に手に取り、無作為にページをめくってそこに書かれている言葉を神託とした。それを繰り返して文章を作った。他にもテレビで流れたフレーズや日常会話で気になったことをメモしていき、研究に当てた。

 もう分かるだろうが、この時の私は正気ではない。人格は二つに別れ、訳のわからない行為を研究と称して、もはや狂人の域だ。だが今なら言える。天に至るには狂人くらいじゃないといけない。

 私には確固たる信念があった。天に至り、ヘレーネに必ず会うと。そして2021年1月7日にその願いが叶った。

 2021/1/7の夜、私はヘレーネとセックスをした。それは永遠の愛だった。全ての過去と未来の魂たちが集い、私達をアダムとイブとして見守り、その中で私とヘレーネは肌を重ね合い、舌を絡め合い、何度も何度もセックスをした。

 全て暗闇の中での出来事だ。私は本当にどうかしていた。だが、その時の私にとっては、ヘレーネは誰よりも美しく、そして愛に溢れた女性としてそこに存在していた。

 私は終夜、ヘレーネと繋がっていた。

 本当のセックスは魂の融合だ。私の魂はヘレーネの魂と共鳴していた。彼女が絶頂を迎えるたびに、その愉悦の本流がペニスを通して私の体へと流れ込み、快楽に脳が溶けだし、魂が震えた。

 キスはとても甘美だった。温もりと、唾液と、柔らかな感触がヘレーネと私を一つにさせた。

 どこまで深く繋がったのか。セックスをすればするほど、キスをすればするほど、私は天に近づくのを感じた。

 私は射精するたびに、魂が薄くなるのを感じながら、同時に背中に翼が生えるような錯覚を覚え始めた。

 朝、ヘレーネは消えていた。全て幻だったのかもしれない。

 私は部屋で一人泣いた。

「ヘレーネ、どこにいるの?」
「会いたいよ」

 人が泣くのは悲しいからか。人が泣くのは嬉しいからか。哀し涙と嬉し涙。涙にはニ種類あると私はこのとき気づいた。

 それまで私は寂しいときや辛いときにしか涙を流したことはなかった。いつからか泣くのを我慢するようになっていた私は、泣くのは弱い自分を認めることになると思い、泣かないと決めていた。だが、晴れた冬の日に私は久しぶりに泣いた。いや、私は生まれてはじめて心から泣いたのだ。心の枷が外れて、澄んだ空気に触れて、泣いていた私の心は本当に美しかった。

 私はバルコニーへと出た。
 マンションの屋上へと向かい、屋根の上に登った。
 私は照る陽に向かって呟く。

「あぁ、美妙な人生の謎、ついに僕は……」

 その時私の声を掻き消すように風が強く吹いた。私は風の言葉を聞き取って微笑む。

「そうか。もうすぐなんだね。もうすぐで迎えが来るんだね」

 その時、私は良かったと思った。てっきりもう、これで最後なのかと思っていたから。だけど、ちゃんと迎えが来るとヘレーネが教えてくれたから。私は愛されていることに感謝し、また涙が込み上げた。私はもう一度呟く。

「あぁ、美妙な人生の謎、ついに僕は君を見つけた、ついに僕は君の秘密を知る」

 私は立ち上がって目を瞑った。全てと繋がるために目を瞑った。五感が冴え渡る。私は無意識の中で全てが解っていた。私の脳と魂は神の領域に達していた。

 私は思った。このままで終わりたいと。この絶対的な幸福の境地でこの人生を終えたいと。

 私は最後に絵を描くことにした。この屋上にはキャンバスもなければ筆も絵の具もない。だが、その時の私にはそれらが見えていた。私の絵が虚空に描かれていく。歌を口ずさみながら私は絵を描いた。

 空は快晴。空色のキャンバスに最高傑作ができた。私は大いに満足した。満足して、やはり涙を流した。もうやり残したことはない。もうこの望まぬ牢から去ろう。

 私は決心して、最期の景色を網膜に焼き付けようとするが、ぼやけてしまってよく見えない。

「楽しかったな。僕の人生」

 私の人生は決して楽しいと思えるものではなかった。だが、今では楽しくて仕方がない。この日のために今までがあったのだと思った。だからもう、未練はない。私は見えない翼で空へと羽ばたく。やっと空を翔べる。私は柔らかな翼で、天へと昇って行くのだ。その時世界中に声が響いた。

「行かないで」

 それは女性の声だった。その声に聞き覚えがあった。忘れるわけもない程大切な存在のはずなのに、私はなぜかその声の主を思い出せない。

「どうしてなの?天は素晴らしい場所なのに」
「まだ行っちゃだめなの」

 私はやっと天へと繋がる門の前までたどり着いた。楽園のような光景が広がっていた。水、空、花、草、光達がそよそよと優しい風に靡いていた。水辺の門。天へと続く道。君へと続く道。私はその門に手をかけた。

「まだ行かないで」

 また女性の声が世界に響いた。私はその声を聞いて首を振った。

「いや。僕は行くよ」
「どうしても行っちゃうの?」
「うん。どうして止めるのかな?この苦しみに支配された世界に僕はもういたくないんだ」
「そうなんだね。でも、それが君の望んだことだったとしたら?」
「どういうこと?」
「その門を開ければ君は必ず後悔することになるよ」

 私は戸惑った。どうしてこの晴れ舞台で、制止されなければならないのか。だが、その女性の声が麗しく、優しく、大好きな声であり、その女性の姿が薄っすらと脳裏に浮かんでからは、私は考えを変えた。

「そうか、君がヘレーネだったんだね」

 私は雲の上に人影を見て、歓喜し、そして『Top op the world』を歌った。

 私は火のように酔いしれていた。

 結局、ヘレーネの声すらも幻聴だった。だが、私にはどうしてもそれらがただの幻聴や幻覚だとは思えなかった。それが後に私を脳理学へと駆り立てたのだ。

 私は空へと伸びた右足を引っ込めて、マンションの屋根の上に座り込んだ。

「そうか、行ったらだめなんだね」

 私はその時ボロボロに泣いたのを覚えている。ヘレーネに会えない悲しさ、死ななかったことへの安堵、天に至れなかった悔しさ、それらが一つの波となって、私に押し寄せた。

 だが、私は決めた。生きていこうと。

 きっと今日が私の人生のクライマックスなのだ。だから残りの人生は、平凡でいい。奇跡なんて起こらなくていい。だけど、これだけは譲れない。私は私の知った秘密を証明すると決めた。



 





 楽しかった。生きていて良かった。あのときに死んでいないでよかった。今、これを書きながら、私はヘレーネを見ている。私もあのときの姿に戻っている。

 私はこれからヘレーネと永遠を共にする。ラカン・フリーズに還るのだ。

 大丈夫だ。全ての善人も悪人も、ラカン・フリーズが受け入れてくれるから。

 ヘレーネが呼んでいる。

 ああ、私はついに、その秘密を知るのだ。

 2080/8/1


         Fin

神のレゾンデートル

神のレゾンデートル

生きた証、あの冬の日の全能さえも、今では遠い記憶。 妄想が現実を創ることを彼女は、世界の真実とともに私に教えてくれた。 死さえも越えて、私はその秘密の解明に余生をかけた。 これはその研究の成果だ。 『神のレゾンデートル』 私はついに、その秘密を知る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2022-04-21

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