騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第一章 信者のはかりごと

第十一話の一章です。
スピエルドルフでの冬休みと神の国の現状です。

第一章 信者のはかりごと

「――っ! いきなり何なんだお前!」
「悪いがお互いに自己紹介して仲良くなりましょうって方向の出会いじゃねぇんだ! ただマトになっとけ!」

 とある国にある昔の文明の名残。見るからにという趣の石像が並ぶ一方で現在の科学、魔法技術でもどういうモノなのかさっぱりわからない謎の装置が壁に埋め込まれている奇妙な遺跡。
 自身が通う――いや、通わされている騎士学校の校長にして実の姉である『豪槍』、グロリオーサ・テーパーバゲッドから丸投げされた任務によってその場所にやってきた弟――ラクス・テーパーバゲッド。学校が女子校ゆえに一緒に来たクラスメイトは全員女子であり、どこか田舎者の青年に似た状況にある彼は彼女たちと共に、遺跡の中で見つけたあるモノを手に、遺跡の中で出会った謎の女の導きで迷路のような遺跡からようやく脱出し、既に暗くなっている空にため息をついたところで覚えのない人物から攻撃を受けた。

「くっそ、何なんだ一体! とりあえず助かったぞ、ユズ!」
「で、でもお兄ちゃん、これはちょっと――長くはもたないよっ!」
 かなり離れたところから「ラクス・テーパーバゲッドだな?」と聞いてきた謎の男に「そうだがあんたは?」と聞くや否や、男の方から超速の何かが雨あられと放たれた。咄嗟にユズと呼ばれた小柄な女子が岩の壁を出現させて防いでいるが――
「一発、一発がすごいパワー……! しかも何を飛ばしてきてるのかわかんないけど、ユズが壁を直すのよりもあっちの攻撃の方が速いの!」
「ジリ貧って事か……やれやれ、こちとら遺跡の大冒険で疲れてるってのに。」
「リテリアさん、合図をしたら炎で目くらましをお願いできますか?」
「そんなの自分で――ってなんでいきなり『ヴァルキリア』発動させてんの!?」
 翼のように広がる赤いツインテールの女子が振り向くと、螺旋を描く金髪が特徴的な女子が剣で出来た片翼と一振りの光の剣をまとっており、その場の全員が驚いた。
「プリムラ、いくらなんでも無茶だぞ! 今日それ使うの何回目だよ!」
「残念ですが、今日一番の山場は今のようなのですよ。」
 金髪の女子がそう言いながら指先で空中を叩くと、そこに小柄な女子が攻撃を防いでいる壁の向こう側の光景――つまりは敵の姿が映し出された。
「あの男が飛ばしているのは周囲にある遺跡、それを形作っているレンガなどです。ただし一度に飛ばす数と速度が尋常ではありません。加えてこの奇妙な風体――」
 そこに映っているのは月の光をバックに無数の瓦礫を周囲に浮かせている男の姿。長く青い髪をオールバックにして複数に結び、パンパンに膨らんだベストとウエストバッグを身につけて眼鏡でもゴーグルでもない箱のようなモノで目を覆っている人物が何者なのかを、金髪の女子は重たい口調で仲間に告げる。
「わたくしの記憶が正しければ、この男は『ベクター』――S級犯罪者です……!」
「S級!? いやいやそんなとんでもないのがこんなイキナリ登場するか!?」
「間違いではありません、マスター。データベースとも合致します。『ベクター』ことハート・キュピディアで正解デス。」
 アンテナのような髪飾りを頭にのせた、顔が整い過ぎて人形のような印象を抱く女子が――片腕がない上に身体のあちこちから火花を出しながらも淡々とそう言うと、ラクスは息を吞んだ。
「アリアが言うんじゃ間違いないな……ったく、狙いはなんだ?」
「遺跡で見つけたモノか、もしくはラクスさんの剣か……どちらにせよ、わたくしたちはどうにかしてこの場から逃げなければなりません。」
「勝てる相手じゃない……か?」
「完全に格上です。わたくしたちが元気一杯だったとしても勝ちは薄いでしょう。わたくしとラクスさんで注意を引きつけますから、皆さんでディアーブの準備を。」
「遺跡からの脱出用って姉ちゃんがくれた国王軍の緊急離脱のマジックアイテムか。結局遺跡の中じゃ無効化されてたが……いや、というか今使えばいいんじゃないか?」
「残念ながら未だ遺跡の影響下のようで使用できません。ですがあとほんの少しここから離れる事ができれば……」
「つまり俺とプリムラがあいつを抑えてる間に遺跡の力の範囲外に出てディアーブを使うってことだな?」
「ええ。ディアーブには一つが起動したら周囲のディアーブも同時に起動させる機能がありますから、誰か一人でも使える場所に移動できれば。」
「なるほど――あ、いや待て待て。その同時に起動ってのも遺跡の力に邪魔されて範囲の外にいた奴だけしか脱出できないって事はないか……?」
「遺跡の影響がディアーブの機能をどこまで妨げているのか――残念ながらこれは賭けですね。」
 そう言って金髪の女子が無理矢理作ったニヤリ顔を見て、ラクスは首から下げている指輪を握りしめる。
「やれやれ、マジで今日一番の山場みたいだな。出し惜しみは無しだ。」
「二人ともちょっと待って。」
 覚悟を決めた二人の肩に水色の髪をポニーテールにしている女子がその手を置く。すると二人の身体がシャボン玉のような膜で一瞬覆われ、それが弾けると同時に青い光が両者を包み込んだ。
「ふぅ……今の、あたしにできる全力の回復魔法を……かけたよ……ちょっとはマシに、なるはず……」
「おいおい無茶するなよ、プリムラと同じでそれも遺跡の中で何回使ったんだよ……でも助かったぜ、ヒメユリ。」
「お兄ちゃんっ! そろそろ――限界……!」
「よし――リテリア、一発派手な炎を頼む!」
「――あんたたちも無茶すんじゃないわよ!」
 赤い髪の女子のその言葉を合図に、小柄な女子が作った岩の壁の後ろから閃光のような爆炎が燃え盛った。彼らに攻撃を仕掛けていた男は遺跡ゆえに月明りしか灯りのない暗闇に突如広がった炎に驚くが、視界の左右――岩の壁の後ろから飛び出した二人の動きは逃さず捉えていた。
「マトが増えれば攻撃が弱まるとか、そんな方向の楽観してないだろうな!」
 走る二人それぞれに左右の手の平を向ける男。すると岩の壁へ向いていた集中砲火が二つに分かれてそれぞれに降り注いだ。
「「はああああああっ!!」」
 背後に六本腕で六刀流の青い巨人を従えたラクスと無数の光の剣を展開させた金髪の女子、二人はその攻撃を回避せず、向かって来る無数の瓦礫――砲弾と呼んで差し支えないそれらを凄まじい連続斬りで斬り進んでいった。
「おっと、これはとばすモノを適当にし過ぎた方向だな。」
 左右に分かれて一直線に駆け抜けた二人は互いに男を自身の間合いに捉え、斬れないモノはないと言っていい必殺の一閃をそれぞれに放つ。だが――
「「――!?」」
 刃が男に届く直前で二人の身体はおかしな所を軸にして奇妙に回転し、刃の軌道は男から大きくそれた。そして見えない何かに引っ張られるように元来た方向へとふっ飛ばされる。
「休憩は無しの方向だぜ?」
 自分の意思とは無関係の動きで飛ばされつつもどうにか着地したラクスだったが、間髪入れずに放たれる集中砲火を防ぐ為に脚が止まる。
「――っ!!」
 再びの連続斬りで男の攻撃を切り落としていくが、その均衡を少しでも崩せばハチの巣を通り越した肉塊――ラクスはその場所に縫い付けられてしまった。
「ん? そっちはもうちょい経験豊富な方向だったか。」
 対して、金髪の女子は位置魔法の『テレポート』を駆使して体勢を整え、再度男の攻撃を切り伏せながらの疾走を始めた。
「ホントに学生かって方向の動きだが……こっちはどうでもいいんだよな。」
 男がそう言い終わった瞬間、一体いつ、どこから放たれたモノなのか、どう見ても周辺の地形には合わない岩の塊――いや、もはや山と言っても過言ではないだろう大きさの岩石が金髪の女子の真上に来た。男が放つ攻撃の速度から考えればほんの一瞬の刹那、ラクスは今まさに金髪の女子を圧殺しようとしている岩石に目を見開き、金髪の女子自身は突如視界を埋めたそれに思考が追い付かない。全てが手遅れの回避不可能な一撃が――

 ズンッ!!

 凄まじい衝撃波で周囲の遺跡を粉砕し、岩石はその径の半分以上を地面に埋めた。
「……?」
 金髪の女子――がいた場所からラクスの方へと顔を戻した男は、ほとんど無意識に連射していた攻撃の先にラクスがいない事に気がつく。
「隠れた――いや、こりゃ逃げた方向だな。あいつ位置魔法が使えたのか? くっそ、普通に逃げられたぞ……」
 ラクスと一緒にいた他の面々もいなくなっている事に肩を落とし、男はため息をつく。
「『豪槍』のいる学院の外だからチャンスだったんだが……そろそろ『マダム』のとこに行かねぇとだし、おあずけの方向だな……」


 巨大な岩石がとある遺跡を木端微塵にしたのと同じタイミングで、そこから少し離れた所にある街の道の真ん中に、ラクスとそのクラスメイトらがゴロゴロと転がった。
「――!? な、なんだいきなり――いや、それよりプリムラ!」
「ここにいますよ……」
 突然の移動による混乱よりも直前の光景の恐ろしさに顔を青くしたラクスだったが、すぐ隣で座りこんでいる金髪の女子を見て深々と息をはいた。
「――ったは……助かったんだな、俺ら。誰のディアーブで逃げれたんだ?」
「知らないわ。ボタン連打しながらあたしら四人で四方向に走っただけだし。」
 赤い髪の女子の言葉通り、ラクスと金髪の女子と人形のような女子以外は全力疾走の直後のように全身で息をしていた。
「最後にとんでもないイレギュラーがありましたが、ともあれわたくしたちの任務は完了ですね。」
 スッと姿勢よく立ち上がった金髪の女子が掲げた今回の戦利品――遺跡の中で見つけた遺物。そこに視線を向けたラクスは、それを握る手が震えている事に気がついた。
 ともあれ――確かに何はともあれ目的は達成した。だがほんの少し前、あの瞬間、あと一歩ディアーブの発動が遅れていたら金髪の女子は死んでいた。もしも賭けに負け、ディアーブを発動させても遺跡の近くにいた自分たちは脱出できなかったら、その場合は自分も含めて死んでいた。
 それなりの経験を積み、強敵とも渡り合ってきた。だがさっきの相手はレベルが違う。突然やってきてあっさりと自分たちを殺して何事もなく帰っていく――それができる敵だった。
 またあの敵に、もしくはあれと同等の別の相手と戦う事になってしまったら……



「……」
「? ラクスさん? そろそろ到着しますよ。」
 フェルブランド王国ではまだまだ馬車が一般的だが、科学技術の賜物である自動車はそれなりに世界に普及している。運転手と案内役を除いても六人というそれなりの人数が全員ゆったり座れる大きな車の中、ラクスは少し前の戦いを思い出していた。
「……神の国か……テキトーな知識しかないんだが、死後の世界とか……死んでも祈りで復活、みたいな宗教があちこちにあるような感じか?」
「それはまた随分と大雑把ですね。確かにあの国の宗教は大きく分けると幸せを現世に求めるモノと死後に求めるモノの二つに分類できますが。」
「俺らを呼んだのは教皇様……だっけか? どんな宗教の偉い人なんだ?」
「彼女は第五地区の指導者で、その教えは――」
「ちょ、ちょっと待て、教皇って女なのか!?」
「この前説明しましたよ……ええ、国外からは一般的に女教皇と呼ばれています。ただし国内では差別的という理由で使われませんので気をつけてください。場合によっては聖騎士隊がやってきますからね。」
「聖騎士?」
「教皇直属の……騎士団のようなモノです。」
「はぁー……なんか全員第三系統を使いそうだな、それ……」
 やれやれと窓の外を見たラクスは、近づいてくる真っ白な壁を見て何とはなしに呟く。
「神様、か……」



 この世界のどこか、もしくは外側、あるいは一段階上の場所に、神と呼ばれる存在がいる――そう信じている人たちがいる。
 思想の統一という支配の方法の一つだったか、本当に超常的な出来事を体験した人がその話を広めたからなのか、始まりに関しては諸説あるだろうが、そんな存在に救いを求めたり生き方の指針にしたりしてより良くある為の方法を説く――それが宗教である。
 人の趣味嗜好が十人十色であるように宗教にも様々な教えが国や民族の中に星の数ほどあるわけだが、現在その規模から主流の宗教として数えられるモノが十二存在している。
 主流が十二という時点でかなりの多様性が見受けられるが、フェルブランド王国のように魔法技術の発展した国では宗教が広まりにくいという事もあり、人力で起こせる超常現象である魔法の影響が現状に繋がっていると学者たちは唱えている。
 ともかく、十二の宗教それぞれが自分たちこそ真理であると主張する為、宗教間の闘争は絶える事が無く、戦争と呼んで差し支えない争いも多々あった。
 そんな中、ある場所が発見される。そこにはどういうわけか天から一日中一筋の光が降り注ぎ、その光点を中心とした一定範囲内には何故か魔法生物が近寄らず、魔法を使えば系統に寄らず効果が上がるという場所だった。
 十二の宗教全てがその場所を神が降臨される場所だとし、それぞれの本拠地をそこに構え始めた。
 それぞれの主張がぶつかり合うこと数年、光点を中心とした円形のエリアが十二等分されて各宗教のテリトリーとなる奇妙な場所が出来上がった。
 異なる宗教が隣り合わせになっているだけで協力関係は欠片もないのだが、まるで競い合うかのようにそれぞれの宗教が自身のテリトリーを発展させていった為、一国の首都レベルの街が十二個集まっているという状況に至り、その規模になってしまうとその場所を一つの国として扱った方が良いという事で世界連合が各宗教の代表者を集め、信仰の正否は別として、その場所に生きる人々の生活の為にまとめ役――即ち王を決めさせた。
 それぞれの教えとは別に――とは言われてもその場所の王ともなればその宗教は間違いなく十二の中で優位な立場となる。代表者らは信者の数や資金、果ては武力までを引き合いに決闘などを行って王を――あくまで暫定的な、「今の」という条件付きでとある一つの宗教の代表者を王とした。

 こうして、後に「神の国」と呼ばれる事になる宗教大国、アタエルカが誕生した。



「古くから伝えられてきた愛の使徒――その訪れを告げた者として、そなたの名前は語り継がれるであろうな。」
 アタエルカのとある地区において一際大きく目立つ建物の中、まるで博物館のように見るからに古い品々がガラスケースの中に入れられて並んでいるが展示室というよりは応接室という表現が正しいだろう部屋にて、ソファに姿勢よく座っているシスターの正面に座る恰幅の良い初老の男が上機嫌にそう言った。
「使徒様のお力があれば暴力を振りかざす第五地区の者らも抑えられよう。聖騎士などと、おこがましい連中もこれまでよ。」
「ですが彼らの武力が強大なのもまた事実、使徒様をお迎えする為にも万全を期しませんと。」
「確かに。具体的な日時や人物はわからぬのか?」
「はい……申し訳ありません、私が未熟なばかりに……」
「いや気にするな、手はある。使徒様の方からこちらにやってくるというのであれば入国予定の者たちを調査し……ふむ、使徒様という事はふせて護衛を頼むとしよう。こういう時のために白の騎士団があるのだから。」
「ふせる――のですか?」
「念のためだ。他の地区が横槍を入れてくる可能性も――おおそうだ、他の地区と言えば件の悪魔だ。」
 上機嫌な顔がふと疑問を浮かべる表情になる。
「アレがやってきた時、多くの地区が追放や処刑を提案する中でそなた――ああいや、我らが愛の女神はその慈悲故か干渉を禁じた。それが今になって排除とはどういう事なのだろうか。使徒様に悪影響だというのであればもっと早くに行動する事も……」
「いけませんよ、大司教様。女神の御心を推し量ろうなどと。」
「! いかんいかん、失言だったな。アレに関わる事は今後無いと思っていたのでついな。」
「ふふふ、使徒様の来訪には大司教様も興奮されているという事ですね。」
 申し訳なさそうにする初老の男をくすくすと笑いながら、シスターはスッと立ち上がる。
「ですが懸念はごもっとも。更なるお告げが無いか、再度お尋ねしてみましょう。」
「おお、すまないな。」
 ひらひらと手を振る初老の男を置いて部屋を出たシスターは、くすくすとほほ笑んでいた顔を歪めてニヤリと笑い直す。
「バカのくせに鋭いわね。実際、この時の為に残しておいたのよ。」
 先ほどとは別人のような顔で歩くシスターは、ふと足止めて中空の一点を眺める。
「そう、来たのね。色々方法はあるけど、どうやって奪ったモノか……あら、やってくれるの? ふふふ、それじゃあ任せるわ。くれぐれも――ええ、わかってるじゃない。」
 誰かと会話するような独り言を呟くシスターの両の瞳には、先ほどまではなかった青い十字架が光っていた。



「お呼びでしょうか。」
 初老の男とシスターがいた場所とは異なる地区、様々な武器を握りしめた者たちの石像が並ぶ聖堂の最奥、王の謁見の間のように一段高いところに座っている女を見上げて全身を凝ったデザインの甲冑に包んだ人物がそう言うと、女はニコリとほほ笑んだ。
「時が来たのです。もうすぐ、わたくしたちが待ち望んだ力が届きます。」
「レガリアですか。では例の学生が近くまで?」
「そうです。奇妙な偶然が重なった結果ですが、わたくしの手の中まであと少し。」
「ついにこの時が……いわゆる「我々の神こそが真実である」と示せるわけですね。」
「ええ、ですから万全の準備を。他の地区の出方によっては白の騎士団や《オクトウバ》とやり合う事にもなりかねません。」
「ご安心を。我ら聖騎士隊、戦の備えは常に。」
「結構。」
 ゆらりと立ち上がった女は、段を降りて甲冑の人物の横に立つ。
「遅かれ早かれ、各地区の『預言者』たちが来る先を指導者に伝えるでしょう。聖戦は確実と思って下さい。」
「覚悟も常に。その時が来たら、どうぞ我らの命を。」
「戦力が減るのは困りますから、来ない方がいいのですけどね。」



『お久しぶりです。』
 初老の男とシスター、女と甲冑の人物がいた地区とは更に別の場所。カラフルな色合いの街並みの中心にそびえる塔の中の一室。本棚からあふれた大量の本が柱のように床から天井まで伸びている部屋。そんな場所の隅っこ、一体どういう体勢なのか、三匹の犬が机の上に頭を乗せて寝ていると、そんな声が部屋の中に響いた。
「……」
 同時に目を開けた犬たちは、しかし特に驚く事なく机の上に置いてあったペーパーナイフに視線を送る。
「あらまあ、懐かしい。」
「とっくに忘れ去られていると思っていたのだけど。」
「一体どうしたの?」
 三匹の犬がそれぞれ当たり前のように言葉を話す。三匹とも全く同じ声――人間で言うところの老婆のような声を出した事も驚きだが、部屋の中にはその奇妙な犬以外に誰もいないというのに、ペーパーナイフの刃にゆらりと人のシルエットのようモノが映り込んだ。
『突然申し訳ありません。私の手にはあまる代物がありまして、それの解析を手伝っていただけないかと。』
「「「ふぅん……?」」」
 三匹の犬が同時にそう言って目を閉じる。
「我らは既にスピエルドルフとは縁が切れている。」
「だから一応確認しておきたいのだけど……」
「これは知り合いからの頼み事? それとも一つの国から一人の研究者への依頼?」
 リレーのように言葉をつなぐ三匹の犬に対し、ペーパーナイフに映る人影はクスクスと肩を揺らす。
『相変わらずでいらっしゃる。そうですね、事態の重要性を考えますと後者でしょうか。可能であれば手をかして欲しいのではなく、確実に結果を出す為の人選なので。』
「それはまた……結構な案件ね。」
「スピエルドルフがこんなロートルつかまえて成果を求めるなんて。」
「相応の報酬も期待していいのかな?」
『成果に繋がるのであれば出来る限りの要望に応えるつもりです。』
「あはは、スピエルドルフが「出切る限り」、ね。」
「もはや望みのままと同義――っとそういえば……ああ、ちょうどいい。」
「正直行き詰って、何か起爆剤がないかと思っていたところよ。」
『? 何かタイミングの良いご所望が?』
「もしかすると姫様に怒られるかもしれないけれど……」
「もはや国外の者だからこそ要求できるというモノ。」
「報酬は人。会って話を……いえ、少し調べさせて欲しいの。」
『はて……スピエルドルフの者ですか?』
 ペーパーナイフに映る人影が首を傾げると、三匹の犬は同時にニヤリと笑った。

「「「ロイド・サードニクス。」」」

『……』
 ぞわりと、ペーパーナイフに映るだけの人影から無言の圧を受けた三匹の犬は少々緊張した顔で次の言葉を待つ。
『……少しお時間をいただけますでしょうか。後ほどまた連絡します。』
「構わないわ。」
「そっちの内容――期待する成果を我らが出せるとも限らないのだし。」
「じっくり考えて。」
 ペーパーナイフからゆらりと人影が消えると、三匹の犬は同時にため息をついた。
「やれやれ、前任という事で敬われるけれどあっちはレギオンマスター。」
「知識は我らでも戦闘能力は向こうが圧倒的。」
「久しぶりに冷や汗をかいたわ。」
 そしてようやく机から頭をあげた三匹の犬は――その首が繋がっている一つの身体でググーッと伸びをした。
「でも次期国王との面会が報酬として通るかもしれないなんて、フルトは何に手こずっているの?」
「そっちの方も興味深いけれど……まぁ、おかげで滅多にない機会を得られそう。」
「これが後押しになればいいけれど。」
 椅子から立ち上がった三匹の犬――いや、人間のような二足歩行に二本の腕を持つ身体から三つの犬の頭を生やしている奇妙奇天烈なその者は、机の傍に積んである本の上に置いてあったデザインの異なる三つの帽子をそれぞれの頭にかぶった。
「フルトの様子からして多少の変更はあるかもしれないけれど会話くらいは許可されるでしょう。」
「我らがここから出る事はないからこっちに招く事になるけれど……」
「さすがにこのままじゃ人は迎えられないわね。片付けをしないと――」

「おばあさん、いる?」

 別の本の上にかけてあったローブを羽織って部屋の惨状を前に肩を落とす三つの犬の頭の者は、かろうじてそこへ至る空間だけは確保されている部屋の扉の向こうから聞こえてきた声に三つの頭を向けた。
「ああ、いるよ。」
「足元に気をつけて。」
「転ばないように入るんだよ。」
 ゆっくりと扉が開かれ、まるでその部屋に入る事を見られたくないかのように素早く入って扉を閉じた人物は、その挙動にマッチするようにフードを目深にかぶったローブ姿で顔の下半分しか見えていなかった。
「わ、三日前に整理したのにもうこれ? 本当にもう、私がいなかったら一週間くらいで本に潰されそうよね。」
 どうやら女性らしいその人物は散らばった本を避けながら三つの犬の頭の者のところまでやってきた。
「片付けてもらえるのはありがたいけれど、あなたはここにいちゃいけない人間だって事をもっと自覚しないと。」
「『預言者』が他の地区の、こんなおばあさんのところに通い妻だなんて司教たちがひっくり返るわ。」
「それは、ふさぎ込んでいたあなたの息抜きになればいいと思って渡したモノなのよ?」
 三つの犬の頭の者が顔の見えない女性の胸辺りを指差す。
「だから、こうして息抜きの為に使っているのよ。私が知る限り、おばあさんが唯一私の知らない世界を知っている人だから。」
「「「……」」」
 どこか悲しみのにじむ口調で呟いた女性を見下ろしながら、三つの犬の頭の者は三つの口でため息をつく。
「……バレないようにしなさいね。」
「それと、片づけは片づけで丁度いいタイミングではあるの。」
「もしかしたらこの部屋にこっそりと、客を呼ぶことになるかもしれないわ。」
「お客さん!?」
 三つの犬の頭の者の言葉に見えない瞳を輝かせる女性。
「ついさっき、昔の知り合いが連絡をよこしてね。」
「ちょっとした取引を――ほぼ確定でするわ。」
「時間が合いそうなら会ってみる?」
「会いたいわ!」
 三つの犬の頭の者の服を掴んで引っ張る女性は――背丈的には大人だと思われるがはしゃぐ子供のようで、その様子を見て三つの犬の頭が同時にほほ笑む。
「じゃあ、早速片付けを始めましょうか。」
「いつもはあなたに任せているけど、今回はなかなかのお客さんだから。」
「我らも一緒にやるわ。」
「え……いいわよ、逆に散らかるから……」
 口調や声色は老婆のそれだが身体は屈強な騎士にも負けていない三つの犬の頭の者がググッと力こぶを作ったが、女性はあきれた声でそう言ってそそくさと片づけを始めた。



「ふむ。バーナードについて回らせたのは良い経験になったようだな。」
 アタエルカの各地区にいる様々な人物がそれぞれの思いを巡らせている事、これまた別の地区のレストランにて、クリーニングしたてかと思うほどにパリッとした白衣を着た老人は、身体にぴったりとフィットしたボディスーツのようなモノを着ている中等学生くらいの少女がマナー通りにキレイに食事をしているのを眺めながらそんな事を呟いた。
「野蛮に見えるがあれはあれで食事にポリシーのある男。表面的な作法などは本質を理解していれば自然とこなせるというわけだな。」
 年齢関係で言えばおじいちゃんと孫になるだろうが、その服装が普通の関係ではないだろう事を示している。だがそのレストランで二人に奇異の視線を送る者はいない。
 何故なら、白衣はもちろん奇妙奇天烈な格好をしている者が他にもたくさんいるからだ。
「しかしまぁ、なかなかに研究者向けの環境のようだな。アレがいるのも頷けるが……」
「おじいちゃんのお友達?」
 作法は整っていても中身は見た目通りのようで、もぐもぐと美味しそうに料理を食べながら幼い顔を向けた少女に、老人は難しい顔をする。
「友人ではないし、会った事もない。だが学問でもスポーツでも騎士でも、何かの世界に属していれば界隈のトップスターの話は耳に入り、自然と詳しくなるものだ。」
「知らないけど知ってる?」
「そのような感じだな。」
「ふしぎだね。」
 幼い思考を相手に、しかし面白そうにして会話をしていた老人は、少女が料理をきれいに食べ終わるとテーブルの上を指で数回叩き、すっと立ち上がった。
「さて、では向かうとしよう。」
「うん。」
 普通にレジに行き、普通に代金を払って普通に店を出た二人だったが、しばらく歩くと振り返ってさっきまでいたレストランの方を向き、老人は奇妙な色の眼鏡をかけ、少女は瞳の色を老人の眼鏡の色と同じモノに変色させた。
「ふむ、やはり機械と言えば電気なのだな。生体を動かしているモノもそれであるがゆえに行きついてしまうのは仕方がないが、そろそろ別の在り方を見たいモノだな。」
「わー……あ、でも頑張ってる人もいるー。強そうだよ?」
「過電流への対策をしていたのだな。まぁ、それくらい標準装備にしておいてもらわねば歯ごたえが無い。とりあえずアレが住まう街のレベルはおおよそ把握できたが……少々期待外れだな。」
「おじいちゃんの方がすごい?」
「今のところはな。コルン以外の作品も容易に持ち込めたところからして、どうにも国そのものの警戒心が武力に比例して弱いと見える。神を信じる連中はそれだけで加護を得ていると勘違いしがちなのがいただけない。」
 眼鏡を外し、やれやれと肩を落とした老人は少女と共にその場から去っていく。
 同時刻、二人が食事をして遠目に眺めたレストランの中では、多くの客がまるで雷に打たれように身体を硬直させて黒い炭となっていた。



 フィリウスとの旅の中で訪れた魔人族の国、スピエルドルフ。そこでオレにはユーリとストカという友達ができた。滞在期間は一、二週間だったがとても仲良くなったその二人とセイリオス学院のランク戦が終わった頃に再会したのだが、その時スピエルドルフの女王様と出会った。
 オレとしてはどうも初めましてというところだったのだが、なんとその女王様とオレは婚約しているのだという。
 そう、恋愛マスターによって願いを叶えられた際に起きたちょっとしたミスにより、オレのスピエルドルフにいた頃の記憶の大半は封じられてしまっていたのだ。
 実際には、オレがスピエルドルフにいたのは丸一年。ユーリとストカに加えてその女王様とも仲良くなったオレはいつしか彼女と恋仲になり、将来を約束するにまで至ったのだという。
 ついでにその一年の間に何か大きな事件があり、それを解決したのか何なのか、オレはスピエルドルフの魔人族の皆さんに女王様の結婚相手として認められており、次代の国王として挨拶されるような状態になっている。
 その影響で、女王様にはじまりフェルブランド王国で言うところの国王軍にあたるレギオンと呼ばれるスピエルドルフの軍、そのトップに立つ三人からも恭しくされていて、フィリウスに言わせれば、オレは世界でただ一人、人間というモノにほとんど関心のないスピエルドルフを――魔人族という人間よりも遥かに強い存在を国ごと動かす事のできる人間――という事になってしまっているらしい。
 ま、まぁそっちの方はひとまず置いておくとして……実は婚約するほどの中だったとわかった女王様――カーミラ・ヴラディスラウスは、以降オレを「ロイド様」と呼んで慕ってくれている。
 恋愛マスターの力の影響はミラちゃんを含めてスピエルドルフの国民全員に及んでいたのだが、ミラちゃんとユーリとストカが自力で思い出し、その内容を国民に伝えた事で全員の記憶が戻っているわけだが……依然としてオレの記憶は戻っていない。
 かつての記憶――いや、想いを胸にオレへ好意を向けてくれるミラちゃんだが、オレからすれば未だに――突然現れて好きだと言ってくれた女王様――という状態なのだ。
 だというのに……客観的に考えるとそのはずでそれでしかないのに……初めて会った時――いや、正確には再会したその時からじわじわと、そして今、急激に、オレの中から熱のこもった感情がこみ上げている。

 ミラちゃんが、好きであると。

 アンジュのように、好きだと言われたから意識し始めて好きになった――みたいな、何だかあんまりいい事のような気はしないのだが、結果、今のように幸せにしたいと思える相手になった――というパターンではない。記憶は未だに無いままなのに、まるで眠っていた感情だけが先に起き上がったかのような不思議な感覚。どうして好きなの? と聞かれると理由を答えられないのだが、ただただミラちゃんに対する好意だけが胸の中にあるのだ。
 この感情に嘘はないだろう。けれどそれを裏付けるモノが何もない……そんなふわふわした状態のオレで……オレが、こうしているのはダダダ、ダメなのではないでしょうか……?

「良いのではないでしょうか。」

 長々とオレの現状を説明し、だからまずいのではありませんでしょうかと言ってみたが、目の前のミラちゃんはニコリとほほ笑むだけだった……
 今は夜――いや、この国は常に夜なので正確には時間的に寝る時間。『ビックリ箱騎士団』の面々に妹のパムを加えた大所帯でゾロゾロとスピエルドルフにやってきた初日。冬休み期間である二週間を過ごす部屋として提供されたミラちゃんの部屋――即ち二週間のルームメイト状態の最初の就寝。当然のように一つのベッドに二人で並ぶ現状に、オレの心臓はバクバクしている。
 前来た時もそうだったが、ミラちゃんの寝間着は黒いネグリジェで、いつもそうなのかオレがいるからそうなのか、じゃじゃじゃ、若干透けている気もする薄手のモノで、ベッドに入ってしまえば見えはしないのだが、薄いという事はもしもミラちゃんがむぎゅっとくっついてきたらその時の感触はななな、生のそれに限りなく近いアレコレであるとエロロイドなオレの頭は勝手に考えていて……!!
「感情の方が先にというのは、しかし考えてみれば当然の事。ワタクシの場合は資料を頼りに順序を追ってロイド様に辿り着いたわけですが、ロイド様の場合は突然核心たるワタクシと再会したのです。記憶よりも強い感情が顔を出すのは当然でしょう。」
 部屋は暗く、光はカーテンの閉まった窓からさす微かな月明りだか星明りだかしかないのだが、吸血鬼であるミラちゃんには勿論、そんなミラちゃんの魔眼を片方持っているオレにも部屋の中は結構よく見えて、だからオレの方を向いて横になっているミラちゃんもハッキリと見えていて、どこかトロンとした笑顔のミラちゃんがそう言いながら少し近づいてきたのもバッチリと……!!
「そして……であれば、感情を引っ張る事で関連した記憶を引き上げる事も可能なのではないでしょうか。つまり今のロイド様に必要なのは……そう、ワタクシに対して抱いている理由不明な感情を、とりあえずワタクシにぶつけてみたりする事なのでは?」
 すすすっと布団の中――どうにも他人の布団という感じがしないのが不思議なのだが、その中を通ってオレの手をガシッと掴むミラちゃんの手……!!
「ワタクシの方はいつでも、むしろこちらから迫りたいところを少し我慢しているわけですが、ロイド様も同じ感情を抱いているというのでしたら問題はないかと……あぁ、ロイド様……」
 ベッド入る際に自然と壁際の方に寝かされたオレはバックするもすぐに壁にぶつかり、近づいてきたミラちゃんに捕まって――むぎゅっと抱き着かれ!!
「はぁ……あぁ……」
 腕の下から背中へまわった両腕からググッと力が入り、否応にも密着する身体。耳元で囁かれるミラちゃんの吐息。ゆっくりと絡む両脚――!!! あああああ! これはマズイ!
「ロイド様ったら……こうするのはお泊りデート期間である真ん中の一週間に入ってからと思っていましたのに……あぁ……ワタクシが好きって……そんな事を言ってくれるのですもの……ワタクシにだって我慢の限界というモノがありますよ……」
 同い年の女の子だが、吸血鬼であるミラちゃんがその気になったらオレはこの抱きつかれ状態から抜け出す事はできない。その上吸血鬼としての能力……普段はセーブしていると言っていたけど、こここ、こういう状態でも制御が効いているとは思えないというか、催淫とかが発動していたらいよいよオレはどうする事も出来ずに理性を溶かす……!
 スピエルドルフの人たちはミラちゃんとオレがこここ、こういう状態になることをむしろ喜ばしく思っているし、エ、エリルたちが扉を蹴破って止めに来るというのも……これまたその気になったミラちゃんが許すとは思えない。
 つ、つまり、魔人族最強の種族である吸血鬼にしてスピエルドルフの女王であるミラちゃんがオレのように理性をゆるくして本気になったなら、オレを含めて誰にも止められないのだ……!
「はぁー……んむ……」
 首筋に触れるミラちゃんの唇。キスをされたのかと思ったが、直後走る奇妙な感覚にそうではないと気づく。
 吸血――もはや血を主食にしなくてもよくなった現在の吸血鬼にとっては嗜好品のような扱いの血液だが、それでもどうしても血が欲しくなる瞬間というのがあって、それは……い、異性にヨヨヨ、ヨクジョウした時らしく――今、オレは、ミラちゃんに、血を吸われている……!!
 ミラちゃん曰く、素人ではないから痛みも傷跡もないという事で、確かに妙な感覚があるだけで嫌なモノではない。むしろ……な、なんだろう、もっとこうして欲しいような――
 ――は! こ、これが吸血鬼の唇に宿るという力……吸われている相手がもっと吸われたいと思ってしまう魔力! こ、これは確かにすごい――いやマズイ!

 経験上――と言ってしまうのもどうかと思うが、オ、オレという奴は押されると倒れてしまう感じの、流れに逆らえないダメな男でそうなってしまう段階がもう目の前にある。しかも今回はミラちゃんの吸血鬼としての力が更なる後押しをしているわけで、だだだ、だとすると完全に制御不可能な領域……!
 こ、このままでは――かかか、かくなる上は!!

「ミ、ミラひゃん!!」
「――!」
 危険な方向へと身体が向かわないよう、オレは全力で――ミラちゃんを抱きしめた……!
 何もしないように我慢するというのは無理っぽいので、一番軽いというか浅いという、そんな感じの状態に集中する事でそれ以上にならないようにする――これに全てをカケルノデス!
「あぁ、こんなに力強く……ロイド様……」
 オレを抱き寄せる程度だったミラちゃんの腕にも力が入り、お互いの身体ががっちりと固定される。みみみ、密着度はトンデモナイが、これでなんとか……!
「ふふふ、まぁまだ初日ですからね。今夜は照れるロイド様と抱きしめ合う事で良しとしましょう。ですが――」
 ググッと首を伸ばし、オレの耳に唇を添えたミラちゃんは、頭の中が溶けてなくなりそうな吐息と声色でささやいた。
「――今回、ワタクシは全てを捧げるつもりですよ。」



 一応、まだお泊りデート――とかいうあたしがいるのにどういう事よ、っていうイベントは始まってないはずなんだけど、一晩明けたロイドはロボットみたいにガチガチで、カーミラは満面の笑みでツヤツヤしてた……
「ロ、ロイドくんの表情的に軽微――さ、最後までは行っていないのだろうが、初日からやってくれるではないか、カーミラくん……!」
「ふふふ、これはロイド様のご意思の結果ですよ。一晩中、あんなに強く抱きしめていただいて……あぁぁ……」
「……ロイド?」
「びゃ! あ、ぼ、ここ、コレハデスネ――」
「ま、まぁ、おそらくは理性がとんでしまわないようにロイドくんなりに頑張ったのだろう……」
「ナゼワカルノデスカ!?」
 ロイドの事だからたぶんそんな感じだろうって――と、当然あたしもわかったけど、だからと言って一晩中……っていうのが軽いわけじゃないっていうか、攻撃力は高めっていうか……
「ボクそういうのしてもらったことないよロイくん!」
「びぇえぇっ!? ででで、でもあの、リリーちゃんは――あの、オトマリの時に……ににに、似たようなジョーキョーになりましたデスヨ……!」
「あれはあれ! これはこれなんだよ!」
 そう……ロイドのエロロイド的なアレじゃなくて、別方向の威力があるっていうか、ちょうどいい心地よさっていうか、心があったかくなる感じなのよね――っていうのをなんとなく思い出してるあたしを、ローゼルがジロリと睨む。
「そのニヤケ顔からして……ロイドくんにしてもらった事があるようだなエリルくん!」
「わー、お姫様ってばやらしーんだからー。」
「う、うっさいわね! あたしは――こ、恋人なんだから問題ない……のよ……!」
「ふふふ、ということは現状暫定一時的な恋人であるエリルさんだけのモノだった経験をワタクシは昨晩したという事ですね? ふふふふふ。」
「な――あ、あんたねぇ……!」

「これは……よもや姫様とロイド様は早速初夜を迎えたのか……?」
『いやいや、仮にそうだったならこんなモノではないだろう。』
「そうよ。だいたいそれなら昨夜の時点で何か起きてるはずだわ。城が崩れるとか。」

 女王との謁見の間でその女王とロイドを囲んで取り調べをしてると……やっと見慣れてきたけど、蛇人間のヨルムと水人間のフルトと鳥人間のヒュブリスがやってきた。
「あら、三人そろっておはようだなんて珍しいですね。」
『さすがにここまで姫様のお力が増大していると気になりますよ。』
「む、やはり気のせいではなかったか。」
 いつものように一歩離れた所からあたしたちの取り調べを眺めてた強化コンビのカラードが、蛇と水と鳥にちょっと驚きながらカーミラの方を見る。
「昨日会った時点でもおれたちとは別格の存在だとは感じていたが、今朝はその迫力というか、圧が大きくなっているような気がしていたのだ。」
「あー、あれだっけか? ロイドの説明じゃ吸血鬼ってのは恋愛で強くなるって事だったから、一晩の添い寝がバッチシ効いたってわけか?」
 カーミラ……というか吸血鬼の変な特性を大真面目に話す強化コンビ。ちなみにロイドの妹のパムは早速やらかした兄を……なんていうかふくれっ面で睨んでる。
 ……っていうか、つまり一晩中の――アレのせいで今のカーミラは凄く強くなってるってこと?
「ほう、人間にしては良い感覚を持っているな。ざっくりとした感覚ではあるが、今の姫様は昨日の姫様の十倍は強いだろう。」
「ふふふ、ロイド様の愛の力ですよ。」
 ニッコリ笑うカーミラ――って十倍!? 一晩でそんなあっさり強くなるわけ!? 蛇人間の感覚が正しいなら本当にデタラメな生き物ね、吸血鬼……
「それで、ワタクシのパワーアップを見る為にそろって来たのではないのでしょう?」
「朝から申し訳ないのですが……例の白い球体の件、少々厄介な事になりまして。」
「『魔境』の産物ですね? 確か帽子屋のおばあさんに協力を仰ぐという事でしたが……もしかして既に神の国から出てしまっていましたか?」
『いえ、まだあの場所にはいて話もできたのですが、協力の代わりに……ロイド様への面会と調査を求めてきました。』
 何の話をしてるのかさっぱりなんだけど、不意に出てきたロイドの名前にカーミラの表情がピリッとする。
「……彼女の研究テーマは神でしたよね……それゆえに神の国に移住したわけですが、そこにどうしてロイド様が登場するのです?」
『神へ至る為の足掛かりとして三人の王について研究していましたから、その一人の力を受けたロイド様に興味を抱いたのかと。』
「恋愛マスター……あの大罪人の運命の力を受けた人間はそれなりにいるという事でしたが……?」
『はい。ですがロイド様を……彼女の研究の調査対象として見た場合、大抵の場合願いを叶えてもらう時に一度会うだけのところを、姫様に関する記憶を封じてしまったミスなどの影響で王はロイド様に複数回接触しています。彼女からすればロイド様は非常に稀なケース、というわけです。』
 三人の王……ロイドが恋愛マスター本人から聞いた言葉。フィリウスさんとかに聞いてみようと思ってた言葉だけど、そういえば結局一度も聞けてないわね……
「…………」
 ついさっきまでとろけた顔をしてたカーミラが真剣な顔で考え込んで……そして何とも言えない顔をロイドに向ける。
「……ワタクシとしては気の進まない事なのですが……最優先はロイド様のご意見ですから、最終的な決定はロイド様に。折角の休暇、出だしから些事に巻き込んでしまって申し訳ありませんが、少々話を聞いていただけますか、ロイド様。」
「う、うん。大丈夫だよ。」
「ありがとうございます。ヨルム、フルト、事の詳細の説明を。」
「は。」
 見る見る内に朝のテンションが落ちて行って「またもや恋愛マスター……どこまでもワタクシとロイド様の邪魔を……」ってぶつぶつ呟くカーミラをよそに、ヨルムとフルトが状況を話し始めた。


 始まりはこの前学院にいきなり来て学院長を連れてったフィリウスさんの件。特殊な環境過ぎて危険だからって大昔に封じられた場所、『魔境』。その内の一つの『ラウトゥーノ』ってところの封印がS級犯罪者同士の戦いの影響で解けかかって、それを直す為に十二騎士であるフィリウスさんが向かった話からだった。
 その封印っていうのが今じゃ扱える人がほとんどいないくらいにすごい魔法らしくて、場合によってはフィリウスさんやロイドを通じてカーミラたち魔人族に協力を頼む――なんていう方向に話が進みそうだったところを、フィリウスさんは……自分よりもそういう感じに利用されやすいロイドに厄介事が行かないようにって、『ムーンナイツ』と学院長と寮長を連れて行ったわけなんだけど、そこでばったりスピエルドルフの面々と出会った。
 カーミラたちも当然『魔境』の封印の件は知ってて、自分たちと繋がりのあるロイドに迷惑が行かないようにっていう……要するにフィリウスさんと同じ考えで封印を修復しようとそこにやって来たって事だった。
 結局魔人族側と協力して封印の修復を始めたんだけど、そこにS級犯罪者が現れた。
 そもそも『魔境』の封印が解けかかったS級犯罪者同士の戦いっていうのは、他のS級犯罪者の……始末、をし始めた『世界の悪』ことアフューカスとそれに対抗する為にチームを作ったらしい他のS級犯罪者の衝突で、その対アフューカスチームは戦いの余波かなんかを利用して『魔境』の封印にヒビを入れて後から完全に破壊して中にいるんだかあるんだかしてる強力な何かをゲットしてアフューカスとの戦いに使おうとしたらしい。
 つまり、封印を直そうとしてるフィリウスさんたちの前に完全に破壊しようとするS級犯罪者が登場したって事で……それが『ベクター』ってのと『魔王』ってのだった。
 十二騎士のフィリウスさんとスピエルドルフのレギオンマスターのヨルムがいるんだからS級犯罪者相手でも余裕だと思いきや、『魔王』とそいつが率いる魔王軍ってのがかなりやばかったらしくて、最終的には勝ったし封印も修復したんだけど……一瞬、封印の一部が解けて中から変なモノが出てきた。
 それは白い球体と黒い立方体で、白い方は回収できたんだけど黒い方は魔王軍がとって逃げた。でもって調べてみたら白い球体はとんでもない代物だったらしく、同等のモノだと思われる黒い方が敵の手にある以上、その『魔境』からやってきたモノの使い方っていうか制御の仕方みたいなのをキッチリ理解しておかないといけなくなった。
 んで、今のスピエルドルフにはそれを解析できる人がいなくて、唯一いるとすればっていうので候補に挙がったのが今は国外に住んでる、元々スピエルドルフの魔法を研究するところの偉い人だったとある魔人族。そいつに協力を頼んだら交換条件としてロイドに会わせて欲しいって話が出てきた。
 何故かっていうとその魔人族が神様の研究をしてて、その過程で三人の王を調べてて、だから三人の一人らしい恋愛マスターと関わりのあるロイドをって事なんだけど……

「えぇっと……そもそも恋愛マスターがそうだっていう……三人の王って何でしょうか……」
 ――って、長い事ほったらかしにしてた質問をロイドがすると、恋愛マスターにぶつぶつと文句を言うカーミラを横目に――いや、元から顔の横に目があるから変な表現だけど、そっちを気にしながらヨルムが答える。
「ロイド様は三大欲求という言葉をご存知でしょうか。」
「えぇっと……食欲と睡眠欲と……せ、性欲だったかと……」
「そうです。そしてそれら一つ一つを司り、魔法を越えて世界に干渉する力を持った者を三人の王――別名欲の王と呼ぶのです。」
「魔法を越えて世界に……? 恋愛マスターの運命の力はそこから……えぇっと、この場合恋愛マスターは……」
「恐らく性欲を司る王です。歴代の王と目された者たちの記録から推測するに、恋愛など、性が関わる事象に関しては全知全能を誇る能力を持っていると思われます。」
「全知――ああ、そういえば全能の恋愛師って言っていました……」
「今代の王はそういう力の使い方をしているようですね。」
「そ、そうじゃない時もあったんですか……」
「あまりロイド様のお耳には入れたくない事をしていた王もいた――とだけ。」
 性欲を司る王……た、確かにその名前だと普通はいいイメージじゃないっていうか……恋愛マスターっていうふざけた名前を名乗ったあいつはいい方の王様だったわけね……
「居場所はつかめていませんが、どこかには食欲の王と睡眠欲の王もおり、何らかの理由で王が死ぬとその瞬間に世界のどこかの誰かに王位が引き継がれ、いつどの時代でも三人の王がいる――そういうシステムで動く存在なのです。どうしてそんな者――いえ、力があるのかは謎のままですが、運命すらも捻じ曲げる力は我々の知るあらゆる力を数段超えています。ゆえに神と呼ばれる者を研究するアレが注目した――というわけです。」
 力の方向が恋愛……だからあんまり凄さを感じなかったけど、言われてみればそういう魔法は聞いた事ないし、ロイド一人ならともかくスピエルドルフ全員の記憶まで操作しちゃうわけだし、とんでもないと言えばとんでもない存在だけど……でもまさか神なんてのが関係してくるレベルだったなんて……
「神様かー。あんまし考えたことねぇーけど、そーゆーのを信じてる奴もいんだろう? 確かしゅーきょーとかなんとか。」
「むしろ信じている者の方が多数派だぞ、アレク。剣と魔法の国と呼ばれる我らがフェルブランド王国は、その魔法技術の高さゆえに超常的な現象に存在を寄せがちな神を信じる考えが世界から見ても極端に薄いのだ。」
 カラードの言う通り、フェルブランド王国は無宗教とか無信仰な人が多い。神と言えば奇跡とか天罰とか、そんな感じの凄い技を使う人……人? じゃないんだろうけど、そういう存在がほとんどで……だけどそれって魔法で出来ちゃうわけで、だから世界で一番魔法を使ってる国には神を信じる人が少ない――っていう理屈らしい。
 別に他の国でも魔法は使われてるけど、いわゆる神の御業に匹敵するレベルの使い手がいるかっていうとそんな凄腕はそうそういないわけで、十二騎士が何人もいるようなフェルブランドは魔法に対する認識っていうか感覚が世間一般とはズレてる……らしい。お姉ちゃんが言うには……
「えぇっと……そ、そんな感じに実は神様に近い人……だった恋愛マスターの力を受けたオレにその……神様の研究をしている人が会ってみたいって事なんですね……」
「はい。ロイド様を……その、調査をしたいと言っていますから、害が及ぶような事は許可しませんが、ある程度の検査などはあるかと。」
「あ、はい、それは心配してなくて、オレに手伝える事なら是非にとは思うんですけど……事情的に早い方がいいんですよね……?」
「ええ……」
 ロイドとヨルムがなんとなくカーミラの方を向く。要するにこのスピエルドルフでの冬休み中にその魔人族に会いに行く事になるから、初日から人のこ、恋人とやらかすようなカーミラからすれば貴重な時間を奪われる感じなわけで……
「うむうむ! 良いのではなかろうか!」
 まぁ、あたしとしてはそっちの方がいいんだけどって思ってたらローゼルが満面の笑みでそう言った。
「カーミラくんのお泊まりデートは年末の一週間であってまだ始まっていないのだし、何より恋愛マスターという人物について調べているのであれば彼女の力で封じられてしまったロイドくんの記憶を呼び戻すヒントが得られるかもしれず、この滞在の目的とも合致するぞ!」
 あたしと同じようにこれをカーミラの攻撃を防ぐっていうか妨害するチャンスだと思ったローゼルが、割と反論しようのない理論でまくし立てた。
「ええ……ええ、そうですね……ロイド様に害をなし得る勢力に同等の代物がある以上、件の球体の解析は急務ですし、ローゼルさんの意見も一理ありますね……ええ……」
 ものすごく悔しそうにそうしぼり出すカーミラ……
『ま、まぁ科学の実験ではありませんし、ロイド様にどのような力が作用しているかという事くらいはすぐに調べ終わるでしょう。長くても一日で済むかと。』
「一日……」
 嫌そうっていうか絶望にも近い顔になったカーミラ――だったんだけど、直後何かにハッとしてパッと明るくなった。
「ではロイド様! 本来あるべきだった一日分、デート期間を延ばしてくれますか?」
「えぇっ!?」
「なにっ!?」
 予想外の提案にビックリするロイドと想定外の反撃に驚愕するローゼル……この女王、ただでは転ばないわね……
「う、うん? ま、まぁうん、そ、それくらいは……」
「いかんぞロイドくん! よく考えるのだ、失うモノと得るモノの釣り合いが――」
「決まりですね! では早速彼女に会いに行く準備をしましょう! ヨルムたちは用意を!」
「は。」
 有無を言わさず話を進めたカーミラの命を受けてヨルムたちがいなくなり、ローゼル……とあたしやリリーたちがロイドをビシビシ叩く。
「あいた、いたた、そ、そういえばその、その魔人族の人はど、どこに住んでいるの?」
「アタエルカですよ。」
「アタエルカ!?」
 何でもないように答えたカーミラに対し、リリーが目を丸くした。
「えぇっと、確か神の国だっけ……宗教大国? とか呼ばれていたような……ああそっか、神様の研究をしているっていうなら納得だけど……どうしたのリリーちゃん。」
「自分から好き好んであんな変な国に住むなんて理解できないよ! 商人の間じゃあ世界一めんどくさい国だもん!」
「そ、そうなの? ああ、でも確か宗教によってはお肉が食べられないとかのルールがあったような……」
「兄さん、たぶんリリーさんの言うめんどくさいはそういう事じゃないと思いますよ。」
「えぇ?」
 騎士とか魔法の知識はないけど国外の事ってなると色々知ってるロイドだけど、リリーの商人としての意見にはピンときてない感じで……そこを妹のパムが補足する。
「世界連合からはアタエルカという一つの国として見られていて、ちゃんと一番上に立つ人間もいますけど、実際はアタエルカという場所に十二の宗教小国が集まっている状態です。そこで商売をしようと思ったらそういう時に提出しなければならない書類の量が単純に十二倍になるんですよ。例え一つの地区にしか行かないとしても、他の地区に物資が流れた時の事――さっき兄さんが言ったようなルールも考慮しなければいけませんからね。」
「そっか、そうなるのか……そういえばオレもフィリウスが「全部の地区に行くぞ」って言ってぐるぐるまわった時、別の地区に入る度にたくさんの書類にサインしたな……あれの商人バージョンって事か。」
「全部? 兄さん、全部の地区に入ったんですか? それはすごいですね。」
「? な、何かすごい事なの?」
「あそこの宗教には相反する教義を掲げるところもありますから、どこかの地区に入ると別のどこかには入れなくなる、というルールがあったりするんです。それを無視できるとしたら各地区の要職か白の騎士団、もしくは……そう、十二騎士ですかね。」
「なるほど……オレはフィリウスのおかげで全部の地区に入れたって事か。本当にただの観光だったのに……」
「あのゴリラ、あれでも兄さんに色々と経験させようとしていたみたいですからね……」
 色々と経験……たぶんそういう考えでフィリウスさんはロイドをこのスピエルドルフにも連れてきたんだろうけど、その結果次期国王とかになっちゃってるわけだから……アタエルカに行ったら次期司教様とかなっててもおかしくないわね……
「あーおいおい、さっきから出てくるその「地区」ってのもわかんねぇーんだが、それよりも今白の騎士団って言ったか? なんか六大騎士団っぽいが強いのか?」
「地区というのはアタエルカの十二の宗教がそれぞれに自治管理するエリアの事だったと思うが、おれも白の騎士団というのは初耳だ。」
 強化コンビが突然出てきた騎士団の名前に目を光らせる。アンジュの師匠のフェンネルが元々所属してた赤の騎士団『ルベウスコランダム』みたいに、色がついた騎士団が六つあってそれが世界トップクラスの騎士団――六大騎士団って呼ばれてるんだけど、その中に白はないのよね。
「人によっては白の騎士団――『ダイアスディアスポラ』を加えて七大騎士団と呼ぶ人もいるくらいに実力のある騎士団です。ただあれはアタエルカの専属と言いますか、他の騎士団のように誰の依頼でも引き受けるという団ではないのです。なので基本的には六大騎士団と……」
 ――と、そこまで言ってパムは何かに気づいてあごに手を当てる。
「……白の騎士団で思い出しました……あれは十二の地区がそれぞれに抱えた問題を他の地区に悪影響を与えないという条件下で解決するのが仕事なのですが、ほとんどの地区が共通の敵として認識している存在がいて、もしもそれが現れた時は白の騎士団が排除する事になっているのです……」
「共通の敵? アタエルカに侵攻してきた魔法生物とか?」
「あの国では特殊な土地の影響で侵攻は起きませんよ、兄さん……アタエルカでは信仰上、ほとんどの地区において……その、魔人族は悪魔と認識されているはずです。」
「あ、悪魔? 魔人族のみんなが?」
 ビックリ……と同時に嫌そうな顔が混ざるロイド。あたしなんかはまだ魔人族っていうのに慣れ始めたばかりだからその認識は理解できちゃうけど、ロイドにとってはそうじゃないのよね。
「そもそも魔人族という存在自体、大半の人たちはおとぎ話だと思っています。実在を知っているのは会った事のある一部の騎士くらいですから……アタエルカでは人を惑わす想像上の存在である悪魔と魔人族が同一視されるわけです。」
「む? そうなると少し変だな。これから会いに行く相手は魔人族で、アタエルカで暮らしているのだろう?」
 ローゼルの当然の疑問にパムは……なんていうか、顔色がどんどん悪くなってく。
「ええ、そうなんです……ですから……いえ、言われてみれば合点が……ああ、よりにもよって……」
「パム? どうしたの?」
 そんなパムの顔をロイドが覗き込むと、パムは……何故かロイドをジトッと睨んだ。
「パ、パムさん……?」
「……ほとんどの地区では悪魔ですけど、ある地区において悪魔は悪い存在ではありません……むしろ魔人族が実在したと聞けば喜ぶでしょうから、住んでいるとしたらその魔人族はそこにいます……」
「う、うん……」
「神の研究の過程で三人の王……別名欲の王を調べているというのであれば、あの地区以上に適した場所はないとも言えます……」
「へ、へぇ、そんな地区があるんだ……」
「事あるごとに女の人とイチャイチャしてえ、えっちな事をする兄さんにはピッタリかもしれませんね……」
「コ、コトアルゴトではな、ないつもり――あぁっ! も、もしかしてあの地区の事!?」
 何かを思い出して……パムとは違い、顔を赤くするロイドのその反応に、あたしたち全員が目を光らせる。
「ほほう、何やら素敵な思い出があるようだな? どんな地区なのだ、ロイドくん。」
 冷え切った笑顔でロイドの肩に手を置いたローゼル……
「ひゃ、ひゃの……あの地区はその……お、教えの内容が……」
 わなわな震えるロイドに代わり、パムが答える。

「欲望に従って生きよ――これがアタエルカ第四地区の教義です。」

 その単語と、さっきまでの三人の欲の王の話と、恋愛マスターが性欲の王って事と、そこまでの話の流れの色んなあれこれがロイドの赤い顔に集中して……とりあえずあたしたちはロイドをボコボコにした。



「これがアタエルカ……本当に十二の地区がケーキのように……リーダーは以前にもここに?」
 アタエルカの中心にある、天から降りている一筋の光。魔法生物が近寄らず、魔法の効果が増す不思議な光の柱に沿った遥か上空にポツンと浮いているその男は、眼下に広がる円形の国を見てそんなことを呟いた。
 そしてジャケットにネクタイとスラックスという、スーツではないがカッチリとした格好のその男の問いかけに、彼と同じように浮いている女が答える。
「ええ。昔は事あるごとに内戦……と呼んでいいのか、宗教間の争いがたくさんありましたからね。世界連合の悩みの種でした。」
「それで十二騎士だったリーダーが派遣されていたと……その時に例のマジックアイテムの事を知ったってわけですね?」
「長らく行方がわからなかったのですけどね。アタエルカには悪いですが、平和の為にもあれの力は手に入れておきたいところです。」
「そのマジックアイテムも気になるけどよ、この光はなんなんだ?」
 カッチリした男と同じくらいに若いのだが、物腰や服装が老人のそれになっていてチグハグな印象を与える女がやんわりとほほ笑む横で、空中であぐらをかいた状態で空の彼方まで伸びる光の柱を見上げている男がそう言った。
「光の出発点はどこなんだ? 調べた奴はいないのか?」
 ボロボロの道着と長いハチマキに加え、そこらの廃材置き場から拾ってきたのか、ただの鉄板を曲げて縛っただけの籠手を身に着けた男がそう言いながら首を傾げると、カッチリした男とは別の男が同様に上を見上げながら質問に答える。
「かつてとある研究者が飛行能力に長けた騎士の協力のもと、この光の始点を調査した。だがある一定の高度まで行った瞬間、その騎士は遥か下方に強制ワープさせられてしまった。斜めに近づいても真横から行ってもある段階でそのワープは働き、結果、ある高度を越えると光の柱を中心とした一定範囲内に入ったモノは強制的に移動させられる――という事がわかった。これは探索系の魔法にも影響し、望遠でも手前の光景しか見えないという。」
 カッチリした男とは違った方向に品のある上下をまとっているその男は何故か目を閉じたまま上を見ているのだが、その点について道着の男は特に何も言わず、むしろ奇妙な質問をする。
「その眼でも何も見えないのか?」
「残念ながら。」
 男は目を閉じたまま、しかしちゃんと見えているかのように道着の男に顔を向けて肩をすくめる。

「景色を楽しむ為に来たのではないだろう。あやつは見つかったか?」

 カッチリした男、チグハグな女、道着の男、目を閉じたままの男。四人がそれぞれに上や下を見ている近く、少し離れた所にいた人物がパイプから煙を出しながらそう言った。
 自室で隠居する時のような部屋着をまとった初老の男で、道着の男を例外とすれば一番粗末な格好をしているのだが、他の四人と違い、その男の背中からは蝶のような羽がはえていた。
「ああ、見つけた。第四地区にいるようだ。お主らとは違い、中々インパクトのある外見をしているのだな。」
「人間に近いかどうかなど些末な事だ。某らからすれば、誰も彼もが目二つの口一つ、頭一つに手足が一組ずつという姿で固定されている方が奇妙だ。」
 ふぅーと煙を吐いた初老の男は、ジロリとチグハグな女を見る。
「それで、具体的にはどうするのだ? あそこには白の騎士団に第五地区の聖騎士、十二騎士の《オクトウバ》がいる。正面から行くのは愚策だぞ。」
「よくご存知ですね。人間側の事情には疎いのかと。」
「スピエルドルフの連中はそうだろうが、某らは国外に出て長い。騎士連中の常識程度は身に着けている。」
「そうでしたか、これは失礼をしました。ええ、その通り、正面突破は大変です。それに目的は一つのアイテムの奪取――街や人々に危害を加える必要はありません。」
「ではどうする?」
「利用できそうな者たちがいる――そうでしたね、クラドさん。」
「はい。国内――いえ、各地区でもあれの出現をキッカケにそれぞれの行動が始まっています。混乱を利用すればアイテムも帽子屋も手に入れる事ができるかと。ただ……」
「? どうかしましたか?」
「その帽子屋なのですが、どうも外部からの接触があったようで、妙な痕跡が見られます。」
「何?」
 目を閉じたままの男の言葉に初老の男が眉をひそめる。
「あれに接触など、スピエルドルフくらいしか思い浮かばないが……何故今になって? あやつの知識を必要とする事態が起きたという事か……?」
 ふむ、と考え込んでしまった初老の男を前に目を閉じたままの男とチグハグな女が顔を見合わせる。
「こういう時、色々と調べてくれるゾステロさんがいないのは痛いですね。」
「全くです。『紅い蛇』もいつまで連れまわすつもりなのか……あの情報収集と操作の力があればカゲノカとスフェノも救い出せ――」
 と、そこで目を閉じたままの男は口を止め、代わりに――その両目を開いた。

 ゾンッ!!

 何とも表現しにくい音が空中に響き、五人が浮いていた場所――空間に丸い穴が開いた。正確には突然黒い球体が出現したような光景なのだが、実際の所、出現したのではなく空間が球形に消滅しており、穴が開いたという表現の方が正しい。
 そしてその穴は、まるで周囲の空間が埋めるように次の瞬間には消え去り、五人の姿はなくなっていた。

「勘のいい……いや、目がいい、か……」

 上空で起きた一瞬の出来事に対し、遥か下方、ある地区のある建物の中の一室で天井を見上げていた男がポツリと呟く。
 ゴテゴテと飾りのついた服をまとい、どこかの祭司さんのような格好をしているその男は、眉間を押さえながらゆっくりと椅子に座った。
「一人として見覚えのない面々だったが……あの蝶の羽は飾りではなく本物だった。即ち悪魔――魔人族……」
 眉間を押さえたまま、トンッと指先で机を叩く。するとそこに置いてあった地図上に赤いシミのようなモノが浮かび上がった。
「……最近はよく国内にいるんだな、フィリウス……」
 そう呟くと祭司――世界最強の騎士、十二騎士が一角、《オクトウバ》の姿はその場から消え去った。

騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第一章 信者のはかりごと

神の国の物語の始まりです。
もう一人の主人公……とまで行く予定はありませんが、女子校唯一の男子であるラクスさんがそれなりに関わってきます。むしろアタエルカ側からすればそっちがメインでしょうね。

新顔が多いですが、実はかなり前に一度登場している《オクトウバ》やオズマンドの皆さんの登場でで神の国はひっちゃかめっちゃかになりそうです。
ただ今回の敵――最後に戦う相手だけは決まっていますから、そこへ向かって決まっていない物語が進んでいくでしょう。

神の国の面々が見慣れない言葉をあれこれ言っていきましたが、その辺りの解説が次のメインかなと思っています。

騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第一章 信者のはかりごと

悪党たちの大騒動が終わり、冬休みを迎えるもカーミラの早速の攻撃にいつものドタバタを起こすロイドたち。 スピエルドルフでの休暇が始まると思われたその時、ヨルムが相談事を持ってきて―― 一方、遺跡から見つかったある物を届ける為に神の国へとやってきたラクスたち。 だがその物をキッカケに、神の国では様々な思惑が動き出しており――

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-02-06

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