惑星崩壊と破滅のためのルール

 ひときわ強い風が吹いてファルの前髪が後ろに流れた。
 視界に飛び込んできたのは、雲ひとつない晴天と、天高く伸びた立派な巨木。繁茂する葉に瑞々しい太陽の光が当り、木漏れ日となってこぼれ落ちる。
 巨木の下に作られた真っ白なオブジェは、まるで神殿のようだった。光が反射して周りの景色からは浮いて見える。ファルは息を飲んだ。ここが惑星の中心にあるという神聖な場所なのだ。この場に足を踏み入れることが許されるのは、惑星でたったひとり、調律集団から選ばれた者だけ――。

「どうしたんですか? 二億五千人目の調律師」

 ファルの隣に並んでいた青年・リュディが、不思議そうな表情で問いかけた。調律集団の使いとして、小さな村で暮らしていたファルをここまで案内したのがこの男だった。ファルはそれまで進めていた足をぴたりを止めて、眼前の景色をじっと眺める。

「……怖いんですか?」

 リュディは目を細め、柔らかい笑みを見せた。ファルの華奢な肩に手を乗せる。

「恐怖なんて必要ないですよ。これはあなたに課せられた惑星のルールなのです。あなたがこの使命を全うすれば、誰しもがあなたを誇りに思います」

 しかし、自信に満ち溢れたリュディの瞳の中に映るファルは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。リュディは肩に乗せた手で彼女の背中を撫でると、青年らしく凛とした声で「耳を澄ましてください」と言う。
 ファルは彼の言っている意味がわからなかったが、それでも言われた通り、息をひそめ、聴覚に意識を集中する。
 初めは雑多な音の洪水だった。風の音――葉の擦れ合う音――小鳥のさえずり――すると、そうした中に今にも途切れそうな細い音が混じっていることに気付く。音は上下に揺れ、膨らみ、震えては断続的に続いている。
 これはなんだろう。限りなく空気に近い、それでも存在感が感じられる――。

「……歌」

 思わず呟いた。ファルが聞いたそれは、確かに歌だった。歌声には方向性があり、それは惑星の中心から聞こえてくる。

「二億四千九百九十九人目の調律師・オルペーの歌声です。もっと近くで聞いてみましょう」

 リュディに手を握られ、そのまま引っ張られるようにしてファルは小走りで巨木の下へと進んだ。足を前に出すたびに歌声が大きくなっていき、か細い空気の震えに感じられたそれは「儚さ」や「美しさ」となってファルの耳に届いた。

「こんにちは、オルペー」

 真っ白なオブジェの正面に辿り着くと、リュディがそこにいる幼い子供に話しかけた。オルペーと呼ばれた子供は、オブジェの真ん中に立ち、どこか遠くを見つめながら、薄い唇を開いている。ファルはオルペーが奏でる歌を知っていた。ファルの母が子守歌として口ずさんでいた歌だ。
 その母もファルが三歳のときに調律師に選ばれて村を去った。

「オルペーは昨日、ここへ来たのです。彼が歌い続けてくれているおかげで、僕たちは今日も無事に惑星で暮らしているのです」
「……こんなに小さな子でも、調律師に選ばれるんだね」

 歌い続けるオルペーを二人で見つめながら、ファルは呟いた。脳裏には、村に残してきた妹の姿が浮かんでいる。妹はファルの七歳下で、今年十歳になる。オルペーとは背格好が同じくらいだ。

「惑星を崩壊から守ることに、年齢なんて関係ないですよ」

 うっとりとした表情で、リュディはオルペーの歌声に耳を傾けている。かつて人類は、と言葉を重ねる。

「かつて人類は、惑星存続のためにエコロジーに務めました。しかし、いつ来るともわからぬ破滅のときを人類は軽んじた。一人一人が惑星への愛を怠り、ついには崩壊が始まってしまったのです。でも、我々はすぐに希望を見つけた。それが彼――オルペーや、あなたの存在です。あなたたちの歌声がこの惑星を調律するのです」
「歌わなければ、どうなるの」
「天災が起きます。海が荒れ、大地が揺れて、空が轟く。あなたも何度か経験したでしょう? 大勢の命が奪われるのです。たった一人の歌で怒りが静められるのなら、僕はそっちのほうが良い」

 ふと、オルペーが咳き込んだ。すぐに歌を再開したが、手のひらを握り締め、眉間にしわを寄せている。ファルは不安になって、彼に手を伸ばした。リュディが手首を掴まなければ、ファルはオルペーの背中を撫でてやったことだろう。

「どうして止めるの」
「触ってはいけません。ただ、見守るだけです」
「でも、苦しそうだよ」
「それは昨日から飲まず食わずで歌い続けているからです。でも、彼が歌い続けている間は絶対に惑星は崩壊しませんから。あなたは村に家族がいましたよね? あなたの命も、あなたの家族の命も彼に守られているのです」

 そこまで言うと、リュディは身体を翻した。

「彼が歌えなくなったら、すぐにあなたがここへ立って歌ってください」

 すでに背を向けたリュディの表情は見ることができない。ファルは、今にも走り出しそうな彼の背中に向かって「どこへ行くの?」と問いかける。

「滅び行く惑星に希望が持てず、絶望した者たちのところへ行くのです」
「……絶望した者たち……」
「ええ。彼らはいっそのこと、全てが滅んでしまえば良いと自暴自棄になっていてね。調律師を殺して、惑星もろとも消えてなくなろうとしている。惑星の中心は不動ですから、次から次にここを目指して来るんですよ」
「じゃあ私は命を狙われているってこと?」
「安心してください。僕たち調律集団がいますから。あなたはオルペーが歌えなくなったら、すぐにオブジェの前に立って、歌声を惑星に届けることだけを考えていてください」

 リュディはそう言って、どこかへ走って行った。残されたのはファルとオルペーだ。オルペーは相変わらず苦しそうな表情で歌っており、それでも歌声は儚さを帯びて美しい。

「ねえ、オルペー」

 答えられないとわかっていても、二人きりだと話しかけてしまう。ファルは目の前で歌い続ける十歳程度の子供の、小さな丸い頭部を見つめた。

「……私、今まで一度も歌が上手いと褒められたことがないの。オルペーはとっても綺麗な歌声だから、私、オルペーみたいに歌えるか心配」

 オルペーと視線が絡み合った。口角がふわりと持ち上がる。どうやら微笑みを返してくれたらしいと気付いたとき、ファルはとても嬉しくなった。同時に、彼の唇の端から真っ赤な血液が垂れ落ちるのを見て悲しい気持ちになる。

 ――私の出番なんて、来なければ良いのに。

 巨木の下、オブジェの正面。ファルは芝生に腰をおろし、木漏れ日を浴びながらオルぺーの歌声を聞いた。今はもう、顔も思い出せない母が歌ってくれた子守歌。次第に目蓋が重くなり、心地よい眠りがファルを夢の中へと誘っていく。


 激しい金属音が鼓膜を叩いた。
 ファルが慌てて飛び起きると、すぐそばでリュディの振り下ろした剣が、相手の男の剣をはじき飛ばした。丸腰になった男はリュディに切りつけられ、大きな音を立てて芝生の上に崩れ落ちる。

「リュディ! どうしたの!」

 険しい表情で戦闘を続けるリュディに声を投げかけたが、ハハハと笑って応えたのは、別の場所から走ってきた男だ。男の手には剣が握られており、血走った目はその男が正常ではないことを教えている。ファルに襲いかかろうとする男をリュディが後ろから切りつけようとしたが、ひらりとかわされて激しい剣戟が始まる。
 男はなおもハハハと笑いながらファルに向かって話しかける。

「あんたが次の調律師か! 可哀想になぁ! そんなに若いのに、こんなちっぽけな惑星のために、命を消費されちまうんだから!」

 また別の場所から走ってきた女が、今度はファルの背後にいるオルペーに向かって駆けだした。慌ててそちらに視線をやると、オルペーは虚ろな瞳で、血を吐きながら歌い続けている。ファルは息を飲んだ。

「ああっ……! ほんの少し前までは元気だったのにっ……! オルペーを……元気だった頃のオルペーを返してよ……!」

 女はオブジェの前で跪き、涙を流しながら狼狽えた。先ほどの男を切りつけたばかりのリュディが、肩で息をしながらこちらに走り寄ってくる。見れば、オブジェを中心として、調律集団と絶望した者たちが互いの命を取り合っていた。
 リュディの切っ先が、女の喉元へと突きつけられる。

「彼はこの惑星のために必要なんです! 彼の歌声で、何億人の命が助かる!」
「違うわ! こんなの、むりやり延命させてるだけよ! この惑星はもう、とっくの昔に死んでるの! 私たちは限られた時間を楽しく過ごすべきなのよ!」

 ドス、と鈍い音がして、リュディの胸から剣の切っ先が現れた。血でぬらぬらと光り、すぐにリュディは血を吐き出した。彼の背後には見知らぬ男が、悲しそうに眉尻を下げながら笑っていた。

「お嬢ちゃん。もう、こんな惑星のために命を削ったりしなくて良いんだよ。どうせ滅ぶんだ、滅ぶその瞬間まで、笑って暮らしたらどうだい」

 地面に転がったリュディを見つめていると、背後で音がした。振り返る。そこには白目を剥いたオルペーが倒れており、手足を小刻みに痙攣させている。
 明かりを消したように、空が急速に色をなくした。足の裏を伝って、地面が震動しているのがわかる。風向きが変わり、どこか遠くから、轟音が迫り来る気配がした。


 ファルは辺り一面に転がった無数の命を見つめる。
 リュディ、オルペー、惑星を守ろうとした者、滅ぼそうとした者。
 そして、死んでいった家族と、生きている家族と。

 静かに息を吸い、吐き出した。



惑星崩壊と破滅のためのルール

惑星崩壊と破滅のためのルール

「どうしたんですか? 二億五千人目の調律師」/2019年製作。投稿サイトの企画に参加するために書いた作品です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-22

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