願いを叶える代償に人生で二番目に大切なものを買い取ります

ZOEAZ


 さながら誘蛾灯に引き込まれる羽虫のようだった。知らない建物なのに、入った瞬間に引き返せないことを確信する。エレベーターに乗り込み、指定の階数を押す。

「二階堂様ですね。お待ちしておりました。それでは、これまでの人生で二番目に大切なものを買い取らせていただきます」

 受付の女は開口一番にそう言ったが、二階堂はただ頷くことしかできない。

「安心してください。一番目に大切なものは残りますし、二階堂様がご所望された事柄はみなそれで叶います。二階堂様が失うのは、二番目に大切なものだけです」

 ――ご了承いただけましたら、これで契約は完了です。お帰りはこちらの階段からどうぞ。

 二階堂は一段ずつ階段を下りながら、聞いたばかりの言葉を反芻した。これで願いが叶う。彼の足が、次第に速くなっていく。


 × × ×

 二階堂が経営するプラスチック製造工場がここに来て遂に破綻したのは、ようやく決まった契約の手付金を、経理の女が持ち逃げしたからだった。
 工場は何年も赤字続きの自転車操業。従業員に頭を下げて退職を促していた矢先の出来事であった。
 経理の女は妊娠しており、堕胎費用を欲しがっていたのだと人づてに知らされても、それが二階堂が求めていた答えではないことだけは確かだ。
 手付金の喪失によって、工場だけではなく一軒家すら差し押さえられてしまった。
 二階堂は最後まで働いていた従業員にせめてもの償いだと雀の涙ほどしかない退職金を手渡し、覚悟を決めて自己破産をした。
 二階堂とその妻・加世子、そして一人娘・亜希の三人が路頭に迷うことになった。亜希は大学進学を希望していたが、当然、断念せざるを得ない。話を切り出し、頭を下げた父に、亜希は「仕方ないもんね」と言って頷いた。そのとき見せた顔は、親が子供にさせてはならない表情のひとつだったように思う。
 二階堂はひとまず社員寮のある仕事に就き、妻は住み込みのアルバイトを始め、娘も妻とは違った住み込みのアルバイトを始めたらしい。三人が必死に働けば、マンションの敷金礼金くらいは作ることができるだろう。ひとまずそれを目標に、再び家族が一緒に暮らせる日を夢見て二階堂家は再スタートを切ったのだった。

 バチンと激しい音を立てて、誘蛾灯に導かれていた羽虫が二階堂の目の前で死んだ。焦げくさい匂いが漂ってきた気がして、鼻を擦りながら目をそらす。
 七月に入って、日が沈むのが遅くなった。二階堂は星が見えない夜空を見上げる。
 人気のない路地裏には、むっとした熱気が立ちこめていた。汗で貼りついたシャツが不快で、どこからかまた、バチンと音がした。

「……本当に、願いが叶うんだろうな」

 二階堂は立ち止まって振り返り、すでに黒い影となった建物を見た。先ほどまでいたのはなんの変哲もないテナントビルで「願いを叶える代償に人生で二番目に大切なものを買い取る」なんて店があるようには思えない。行きはエレベーター、帰りは階段という一方通行なのも奇妙な点であった。しかし藁にも縋りたい二階堂にとって、それがどんなマジックやトリックの類であろうと頼りたい気持ちだ。

「亜希……待ってろよ、父さんが助けてやるからな」

 ぐっと拳を握り締める。脳裏には、わんぱくに走り回る幼少期の亜希の姿が映っている。亜希はすくすくと育ち、学生服を着て元気に学校へと通う。しかし、二階堂の頭の中の一人娘は、最後には「仕方ないもんね」と言って頷くのだ。自己破産し、大学進学を断念するように説得した父に対して言ったはずの言葉。
 しかし、その言葉は最近、別の相手に使われているようだった。妻・加世子から聞いたときには「そんな話、嘘でも言うもんじゃない」と叱り飛ばしたものだが、どうやら本当の話らしい。
 亜希は住み込みのアルバイトで知り合った男の家に住んでおり、稼いだ金を渡しているのだと。
 二階堂は噂の真偽を確かめるため、件の男の家を監視した。確かに亜希はその家で暮らしており、必要がない限りは外出していないようだった。

 メモを拾ったのはその帰り道だ。
 「願いを叶える代償に人生で二番目に大切なものを買い取ります」の文字と、住所が記された簡素なメモ。
 詐欺か、宗教か。二階堂はすぐにその紙を丸めて捨てた。しかし、なぜだか気になってもう一度拾い直し、しわくちゃになったそれを手で広げ、遂には住所の場所まで行ったのだ。
 かくして二階堂の二番目に大切なものは失われた。
 受付の女はそれが一体なにを指しているのかは言わなかったが、二階堂は「家族」が一番大切なものだと思っている。仕事はすでに失っているから、家族さえ守ることができるのなら二番目でも三番目でも買い取ってくれて良い。
 二階堂の願いは亜希が全ての悪縁を切り、金銭的に充実し、さらには希望していた大学に進学できるように計らってやることである。

 ひとまず家族に連絡を取ろう、と二階堂は思った。自己破産と共に携帯を解約した二階堂は原始的な連絡手段に頼らざるを得ない。
 人気の無い路地裏から出て、表通りを歩いて行く。相変わらず星の見えない夜空。等間隔に並ぶ街灯に頭上を照らされながらその足で妻が住み込みで働くアルバイト先まで行った。タイミング良く見覚えのある恰幅の良い後ろ姿を発見し、声をかける。

「おーい、加世子」

 振り向いたのは二階堂の妻・加世子で、街灯の光に照らされたその顔はやつれていた。それでも二階堂の姿を見た途端、目尻のしわを深くさせて微笑むのだから、それだけで救われる心地だ。

「ああ、お父さん。いま、ちょうど仕事が終わったところよ。お弁当もらってきたから、二人でわけましょうか」

 加世子のものだから一人で食べなさい。そう言っても、夫想いの加世子は全てを二等分にすることだろう。俺には勿体ないほど出来た妻だ、と二階堂は思い、それと同時にそんな妻に苦労をかけている自分を情けなく思う。

「それじゃあ、帰り道にある公園でちょっと話さないか。弁当でもつつきながら」

 二人連れだって、夜道を歩く。すれ違う人間は誰もおらず、それは公園に着いたときにも変わらない。人っ子一人いない夜の公園は、ひっそりとしていて不気味だった。
 ベンチに腰掛け、断続的に聞こえる夏虫の鳴き声を聞きながら、加世子は膝に乗せた弁当を開けた。煮物や焼き魚が入った、和風の弁当だ。

「そういえば、なにか変わったことはなかったか?」

 不自然な口調にならないように気をつけながら二階堂は妻に問いかけた。言外には「二番目に大切なものを売ったが、なにかそっちに異常はなかったか」と聞いたつもりだ。

「変わったこと? ああ、そういえば私の弁当工場が拡大するみたいでね、来週から第二工場が作られるみたいなの。好調ね」

 しかし加世子は二階堂の不安を吹き飛ばさんばかりに明るい表情を作って、そう答えるだけだった。二階堂はホッと胸を撫で下ろし、会話を続ける。

「おお、それは良かったな。何度も言うようだけれど、俺が苦労かけてすまん」
「もう、よしてください。私はあなたと添い遂げるために結婚したんですから。病めるときも健やかなるときも、ですよ」

 二階堂は自然と目頭を押さえる。熱いものが込み上げ、早く家族が集まって暮らせるようにしなければと志を強くした。そろそろ本題を持ち出そう。

「そういや亜希のことだが」
「亜希がどうかしたんですか」
「変な男のところに転がり込んでいるとお前が言っていたじゃないか。俺、やっぱりそれはよくないと思うから、一言言ってやろうと思うんだ」

 すると加世子が、きょとんと目を丸くして二階堂を見た。

「変な男って……淳弘(あつひろ)さんは亜希の旦那さんですよ。あなたも認めたから結婚したんじゃないですか」

 今度は二階堂がきょとんとする番だ。加世子はそんな様子の夫に「ずいぶん疲れてるんですね」と労りの目を向ける。

「確かに、最初は亜希が稼いだ金を淳弘さんに渡しているのかと思っていましたものね。でも淳弘さんは亜希が住み込んでいたアルバイト先の経営者だったじゃないですか」

 まあ、結果的には亜希を愛人として囲っていましたけれど。そう言って加世子は笑う。

「淳弘さんの奥さんが亡くなられてからはちゃんと亜希と再婚してくれてねえ……こう言っちゃなんだけど、タイミングが良かったなと思いました。あのときは、あなたが経理の女を孕ませたのがわかって、どうしようかと思いましたけれど、淳弘さんがお金を出してくれたおかげで女のことも片付きましたし、工場も潰さずに済んだし」

 二階堂はそこで、ハッとした。

「女は……いいや、工場が、潰れてないだと?」
「ええ。あなたが社長の席を淳弘さんに譲ってからは全てが上手くいきましたもの」

 加世子は心底嬉しそうに、箸で摘まんた煮物を口に頬張りながら言った。

「この弁当工場も、ようやく軌道に乗ってきました。淳弘さんから任せられなければ、私に経営の才能があるなんて気付きませんでしたよ」

 ウフフ、と加世子は声に出して笑う。こんなふうに笑う女だっただろうか、と二階堂は思い、じっと足元に視線を落とす。一番大切なものは「家族」で、確かに妻も娘も失っていない。なんなら工場すら失っておらず、全てが無事で……。

「大学は? 亜希の大学進学はどうしたんだ?」

 ようやくそこに思い至り、食い入るように加世子に詰め寄った。加世子はびくりと肩を揺らし「なに言ってるんですか」と眉を潜める。

「亜希は毎日大学に通ってますよ。卒業したら、淳弘さんに経営を教えてもらうんだって嬉しそうに話してくれたじゃないですか。お父さん、もしかして淳弘さんを悪く言おうとしてるんですか? そんな馬鹿なこと、やめてくださいね」

 二階堂は目の前にいる妻の瞳の中を覗いた。なにかを失った。だが、それがなにかわからない。
 聞こえるのは、誘蛾灯に焼かれた羽虫の悲鳴だ。



願いを叶える代償に人生で二番目に大切なものを買い取ります

願いを叶える代償に人生で二番目に大切なものを買い取ります

「二階堂様ですね。お待ちしておりました。それでは、これまでの人生で二番目に大切なものを買い取らせていただきます」/2019年製作。投稿サイトの企画に参加するために書いた作品です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-22

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