禁忌の味

ZOEAZ

 叫びたくても、口に詰め込まれた布がそれを許してくれない。可奈は、真っ暗な視界の中で必死に酸素を取り込んだ。かび臭いような、腐肉のような、不快な臭いが嗅覚を刺激する。自然と嗚咽が込み上げるが、この状況で嘔吐すればもっと最悪な事態を招くことは五歳の可奈でも十分に理解できた。

 ――ワン、ツー、問題なし。スリー、遂行中。

 連続して、揺さぶられている。どうやらこのリズムは、人が歩いている動きに由来するらしい。可奈がもっと大人で“誘拐”に慣れていれば、麻袋に詰め込まれた自分が誰かに担がれていることまで判断できたかも知れない。だが、彼女はまだ五歳なのだ。小学校受験のために通っている塾の帰り道に何者かに襲われ、あっという間に車の中へ引き込まれてしまった。だから彼女の記憶は、ペストマスク――可奈はただ鳥を模しただけのマスクだと思っている――を被った者たちに、刺すような臭いの薬品を嗅がされたところで途切れている。意識を取り戻したときには、すでに麻袋に身体を押し込まれ、両手両足を縛られた状態であった。

 ――ワン、ツー、スリー、問題なし。フォー、遂行中。

 先ほどから、可奈のすぐそばで声がしている。その声はひどくひび割れていて、黒板を引っ掻いたような甲高いノイズが乗せられていた。可奈は塾で英語を習っているため、相手の話している言葉が、なんらかのカウントであることを混乱の中で知った。相手の歩数が増えるたびに、カウント数も増えていく。可奈の目からは止めどなく涙が溢れていた。すでに恐怖は、限界まで膨らみきっていたのだ。
 どうにかしてここから出なくてはいけない。その決意は全身に行き渡り、可奈は出せる限りの力で身体を跳ねさせた。麻袋のざらついた感触が可奈の肌を擦る。反動で相手にぶつかったのか、弾力のあるものが布越しに可奈の四肢に衝突した。

 ――フォー、問題発生。

 可奈は大きく痙攣した。相手のノイズが聞こえるよりも早く、可奈を詰めた麻袋にスタンガンが押しつけられたのだ。五歳の子供はそれっきり抵抗するのを止めた。麻袋の下から黄色い尿がぼたぼたとこぼれ、遙か遠くに意識を手放していた。


「――じゃあ、説明しますね。もうわかっていると思いますけど、あなたは誘拐されました。さっきは電流を流してあなたを気絶させましたけれど、それはあなたが抵抗したから、仕方なくやったことなのです。あなたがこちらの要求に従ってくれるのなら、手荒なことはいたしません」

 冷たいコンクリートが周囲を取り囲んでいる。可奈は立ち上がろうとしたが、締め付けるような頭痛が襲い、同時に身体の節々が痛みに悲鳴を上げた。倒れ込むようにして床に横たわり、ノイズ音声の聞こえたほうへ顔を向ける。

「理解しましたか? 理解したのなら、あなたの足に繋がっている鎖を鳴らしてください」

 鉄柱の間から、ぬっとクチバシが差し込まれる。それが相手の被ったペストマスクの先端だと気付くまで、少しの時間が必要だった。なぜ相手が、十七~十八世紀に大流行したペスト、もといその瘴気を防ぐためのマスクを着用しているのかは不明だったが、可奈の思考は幼く、疑問がそこまで到達することはなかった。可奈は言われるがまま、視線をゆっくりと自身の足下へ移動する。両足首にはめられた金属製の足枷。そこから伸びる鎖は、牢の両端に突き出た金具に繋がれていた。鎖を持ち上げようとしたが思った以上に重量があり、可奈はかすかな音を立てるのが精一杯だった。

「賢い子ですね。では、しばらくここで大人しくしていてください。排泄は、備え付けの便器で済ませてください。失禁されると後片付けが手間ですから。以後、なにかあれば、こちらからあなたのところへ伺います」

 ああ、となにかを思い出したのかクチバシが上下に揺れた。

「この牢は、全く人のいない場所に作られていますから、叫んでも無駄です。あなたはただ、私たちの命令に従ってくだされれば良いのです」

 そうしてノイズを発するペストマスクは去って行った。可奈は、しばらく呆然としていた。そして小さく身体を丸め、その際に聞こえる鎖がぶつかり合う音に、ビクリと驚いて涙を流した。
 このとき、可奈が一番に恐怖したのは“きっとあの人たちに殺される”ということである。あの人というのはもちろんペストマスクを指しており、可奈を殺害するために誘拐したのだと、幼いながらにも考えたのだ。しかしすぐに思い直した。可奈が塾から帰ってこなければ、不審に思った両親がきっと警察に通報してくれるはずだ。可奈の両親は、一代で手塚コンツェルンを国内最大手と呼ばれるまで築き上げたやり手である。不測の事態でもきっと機転を利かせ、可奈を助け出してくれることだろう。
 少しだけホッとした気持ちになった可奈は、疲れから眠りに落ち、再び目覚め、また深い眠りに身を預けた。
 だが、両親や警察はおろか、ペストマスクたちすら可奈の前に姿を現さなかった。
 可奈はようやく、本当の恐怖の意味を知った。ぎゅるぎゅると胃が収縮する音がして、息をするたびに、乾いた喉からヒューヒューと奇妙な音がこぼれている。空腹。脱水症状。あれからどれだけの時間が経過したのかわからないが、可奈の身体は着実に飢えに苦しみ始めていた。

 ――なんで……なんで誰も来てくれないの……。
 ――食べ物……。なにか……。なんでも良いから食べさせて……。

 冷蔵庫を開ければ、いつも家政婦が作り置いてくれた食事が入っている。腹が空けば、好きなタイミングでそれを取り出して電子レンジで温めるのが可奈の食事習慣であった。可奈の母親は料理をすることが嫌いなため、家族は可奈と同じように定期的に冷蔵庫を漁っていた。今はそれができない。

「そろそろお腹が空いた頃だと思って、持ってきました」

 ペストマスクが檻の前に現れたとき、可奈はほとんど獣といった様子で檻に駆け寄った。ガシャガシャと足枷から伸びる鎖が金属音を立てる。すでに、とてつもなく香ばしい匂いが、この狭苦しい牢の中をぐるぐると巡回していた。可奈は「食べさせて!」と、声を張り上げる。なにかを焼いた匂いだ。きっとなにか、肉、肉を焼いた匂いだ。

「落ち着いてください」
「無理に決まってるでしょ! お腹空いたの! 水もちょうだい!」
「落ち着かなければ、あげませんよ」

 可奈は低く唸った。噛みしめた下唇には血がにじんでいる。ペストマスクは、待てを食らう可奈の姿を三分ほど見下ろしてから「ちゃんと私の話が聞けますね?」と問いかけた。その指は可奈の足下の鎖を指しており、可奈は以前のやり取りをようやく思い出して、鎖を持ち上げて鳴らしたのだった。

「よくできました。では、あなたに食事をあげます。その前に、こちらをご覧ください」

 可奈の前に一枚の写真が提示された。それは写真立てに入っており、写っているのは躍動する鶏の姿である。可奈は「にわとり」と言った。ペストマスクは頷く。

「そして、これが、写真に写った鶏を捌いて調理したものです」

 そうして可奈の前に差し出されたのは、こんがりと焦げ目のついたチキンソテーである。食欲をそそる香ばしい香り。それに伴い、冷え切ったコンクリートの牢を温めんばかりの湯気が立ちこめていた。「今回は、ハーブと岩塩を使用しました」ペストマスクはノイズを響かせながら、まだ待てを続ける可奈を見下ろす。

「良いですか。これが、私たちがあなたに下す命令です。あなたにはこれから、命に感謝しながら食事をしてもらいます。スーパーマーケットで簡単に食肉が手に入る昨今、あなたのような小さな子供は、つい先日まで元気に生きていた命を、意識することなく食らってしまっている。私たちはその事実に嘆いているのです。ですから、あなたには、この写真を見ながら食べていただきたいのです」

 ペストマスクの言葉は、ほどんど可奈には聞こえていなかった。可奈はよだれをだらだら垂らし、収縮する胃の痛みに耐え続けていた。わかりましたか、との質問に、可奈はハッとして鎖を鳴らす。ペストマスクは溜息をつき「今回は許してあげます」と、手のひらを見せて食事を許可した。
 これほどまでに美味しい肉があっただろうか。可奈は、火傷するのもはばからず、手づかみでチキンソテーを口に放り込む。その間、命令にあった通りに、鶏の写真を穴が開くほど見つめた。躍動する鶏の静止写真。シャッター音が響いたとき、この鶏はなにを思ったのだろう。これから殺され、食べられることを理解していたのだろうか。可奈の舌の上を、羽根を毟った後の皮膚のざらつきが通過した。

「いま、ひとつの命が、あなたという人間の血肉になっているんですよ」

 顎を動かし、歯で肉を裂く。ごくりと喉を上下させると、あっという間に皿の上のものはなくなってしまった。喪失感が可奈を襲う。だが、無情にも皿は下げられ、ペストマスクは踵を返した。可奈は相手の後ろ姿が消えるまで、檻から手を伸ばして欲し続けていた。

「今日は豚です」

 鶏肉を食べた日から、また再び飢えるほどの時間が経過していた。
 可奈は鎖を持ち上げてガシャガシャと鳴らし、皿が目の前に差し出されるや否や、豚肉と野菜にかぶりつく。写真立ての中に飾られた豚の写真。丸々と太っていて、柔らかそうな皮膚だ。茹でた豚肉と野菜にはポン酢がかけられており、その酸っぱさが食を進ませる。前回、あっという間に食べてしまったことから学習して、今回は少しずつ食べて満腹中枢を満たそうという作戦だったが、もちろん失敗に終わった。可奈はポン酢で顔中を濡らしたまま、物乞いのように檻に縋り付いていた。
 どうやら、空腹を過ぎ、飢餓状態手前になったときが食事のタイミングらしかった。
 あまりの飢えに排泄するものもなくなり、なんとかしのげないものかと可奈が牢の床を舐めていたとき、ペストマスクの足音と共に、ねっとりと濃い匂いが漂ってきた。現れたのは、椀に盛られた琥珀色に煮えた肉である。

「牛のすき焼きです。あなたは関東育ちですから、あえて関西風に作りました。割り下を入れずに、焼いた牛肉に直接しょう油や砂糖、酒などを入れて煮込むんですよ。味覚が敏感になってきた頃ですから、味の違いがわかることでしょう」

 毛並み豊かな、雄々しい牛の写真。可奈は自然と「いただきます」と手を合わせるようになっていた。自宅で家政婦が作ったご飯を食べるときには、したことがなかった行為である。被り物でその表情は見えないが、ペストマスクは何度も頷き、可奈の様子を見つめている。最初はスタンガンで黙らせてくるような危険な存在だと思っていたが、従っている限りは優しい奴なのかも知れない。可奈はそんなふうに考え始めていた。
 その日からペストマスクは毎日、牢へ食事を運ぶようになった。可奈が飢えるのを待っていたのが嘘のような変貌ぶりである。

「――イノシシです。鍋が続いてしまって申し訳ないのですが、やはりイノシシはぼたん鍋に限りますので」
「今日は鴨です。以前の鶏肉とは違って、やや脂っこい肉質です。三度目の鍋はさすがの私でも食傷気味ですから、燻製にいたしました」
「羊です。羊は、やはりジンギスカンでしょう」
「昨今はめっきり見ることが少なくなりましたが、クジラは給食にだって出ていたんですよ」
「馬刺しです。さっき捌いたばかりですので、とっても新鮮です。舌の上でとろっと溶けると思います」
「迷ったのですが、シチューにいたしました。ピーターラビットでは父親がパイになっていましたね」

 様々な種類の肉を日替わりで提供される生活。可奈は次第に、ペストマスクの来訪を心待ちにするようになっていた。理由はいわずもがな、新鮮で美味しい肉を食べさせてくれるからである。家政婦が作るご飯が不味かったわけではないが、ペストマスクのように肉の持つ特性を考え、こだわりを持って調理された料理は格段に美味しいことに気付いたのである。
 可奈の舌は微細な味の変化も読み取るようになっていき、ペストマスクとの会話はどんどん弾むようになっていた。

「今日は、とても珍しい肉を持ってきました」

 檻を開け、牢の中に腰を下ろしたペストマスクが小さな皿を差し出して言った。可奈は写真立てを受け取り、その中に写った動物を見て驚いた。「リス」と指を指して答える。

「ええ。リスです。鶏豚牛に比べると格段に食べるところが少ないので、あまり量が取れないのですが」

 皿の上には、ピンク色をした肉の刺身がちょこんと乗っていた。指で摘まんで食べると、独特の食感があり、後味に若干の苦みがあった。だが獣臭さは特になく、するりと胃に落ちていった。可奈は「もっと色んな肉が食べてみたい」と鎖を鳴らした。ペストマスクは「良いでしょう」とまるで友人のような仕草で頷いた。
 どこから調達してくるのか全くもって不明であったが、ペストマスクは次々に可奈の前に珍しい肉を捌いてよこした。ワニ、クマ、カンガルー、ダチョウ……でっぷりと太ったふてぶてしい顔の写真を見ながら、カエルを食すこともあった。そのどれもが個性的な味や食感で、可奈はそのひとつひとつに感謝し「いただきます」と言って食べ続けた。可奈は親から学ぶべきことを、誘拐犯から学んだのである。

 ――明日は、この世で一番、特別な肉をお持ちいたします。期待しておいてください。

 ペストマスクがそう言ったとき、可奈にはどこか予感があった。だから翌日、二つの皿の前に写真立てが二つ、伏せられて置かれているのを見たとき。可奈は、自分の唾液が口腔内に沸き上がってくるのを、信じたくない気持ちで受け止めていた。ピンク色の、艶やかな肉。見るからに弾力があり、奥歯で噛みしめた途端、ジュワッとした甘みが広がるに違いない。
 可奈の前で、鳥を模したマスクを被った誘拐犯が「人間の肉は、やはり食べたくないですか?」とクチバシを揺らした。
 これまで様々な動物を食らってきた可奈にとって、人間を食べることへのハードルは極端に低くなっていたのは事実だ。だが、その人間が“誰であるか”によって話は変わってくる。
 可奈は、皿の前に伏せられた写真立てをめくった。左の写真立てには可奈の父親、右の写真立てには可奈の母親が写っていた。可奈は、教科書の中の偉人を見るような遠い目でそれを見た。

「――実は、あなたを誘拐したあと、すぐにあなたの両親に身代金を要求したのです。もちろん、警察に通報すれば娘の命はない、と言い添えることも忘れていません。身代金の額も、手越コンツェルンで一財産を築いているであろうあなたのご両親にとって、無理のない額にいたしました。世間体を考えれば、取るべき行動は決まっています。あなたのご両親は身代金を払い、私たちは娘を返す。たったそれだけの穏便な取引なのです」

 老人が自身のヒゲを撫でるように、誘拐犯はゆったりとした仕草でクチバシを手でなぞる。

「しかし、あなたの両親は金を払わなかった。なぜだと思いますか?」

 可奈は静かに首を横に振った。

「手越コンツェルンは、もう何十年も負債を抱えていて、誘拐犯に払う金などどこにもなかったんですよ。私たちはまんまと彼らの作り上げた理想像に騙され、誘拐計画など企てる羽目になったんです。となれば、私たちの手元にはただただあなたの命が残されることになりました。なにか利用する手立てはないか。私たちは聞きました。いくらなら払えるのか。あなたの両親は、いくらも払えない、娘の未来すら保証できない、いっそのこと娘はそのままあんたらに殺してもらったほうが幸せになれるんじゃないか、とまでのたまう始末。私たちはなんだか、あなたのことが可哀想で仕方なくなりました。ですから、最後に聞きました。あなたたちの娘の命を、膨大な資金で私たちが買い取るとしたらどうしますか、と」

 答えは聞かずともわかった。可奈はぼうっと、目の前の肉塊に視線を落とす。
 食べない理由はどこにもなかった。 
 可奈は床に両手をついて皿に顔を突っ込み、一心不乱にその肉を貪った。顎を上下に動かし、歯で肉を千切りながら、何度も何度も噛みしめる。ジュワッと湧き出る肉汁は、今まで食べたどの肉よりも味が濃く、食べれば食べるほど食欲が増すようだ。興奮で息が荒くなり、皿の背面に垂れ落ちた血液すら啜る勢いだった。可奈は憎しみから両親を食ったのではない。娘の未来を勝手に決めようとした彼らを、ただただ、食らってやりたかったのだ。
 美味い、と心の底から可奈は思った。そして彼らの命に感謝した。

「これを食べ終わった時点で、あなたを解放します。あなたは、自分の好きなように生きてください。次に命を食らうときも、感謝を忘れずに。最後の一欠片までしっかりと自分の血肉にするのですよ」


 気が付いたときには、真正面に太陽が輝いていた。
 犬の散歩に出向いていた老人が、港のコンテナ置き場に可奈の姿を見つけたのは明け方の出来事である。その日のうちに、行方不明だった五歳の少女が無事に生還したというニュースがあっという間に日本全土に広まった。マスコミに周囲を嗅ぎ回られてはいたが、保護された可奈は自宅で静かな日々を過ごしている。
 穏やかな風が、カーテンを揺らしながら室内に入り込む。可奈は、唇を指でなぞった。可奈の目の前には、“二人の人間”がいた。

「可奈ちゃんが無事に帰ってきてくれて、本当に良かった……! もう、なにも心配しなくて良いからね、私たちがずっと、可奈ちゃんの側にいるからねっ……!」
「そうだぞ、可奈。あんなことは二度と起こさせやしない。可奈には二度と、怖い思いなんてさせないからなっ……!」

 人間たちはそれぞれ涙を流しながら、我が子の生還に打ちひしがれている。
 可奈が保護されたとの一報を聞いた彼らは、すぐに可奈を迎えに出向いたのだ。可奈は、食べたはずの両親が生きた姿で目の前に現れたのだから、あまりの恐怖に悲鳴をあげた。

 ――どうして生きているの? 私が食べたのは両親じゃなかったの?

 様々な疑問が浮かんでは沈み、解消することなく澱となって可奈の心の底に沈殿していく。生きていることはまごうことなき事実である。だが、誘拐事件も実際に起こった出来事なのだ。
 可奈は考えた。ペストマスクが嘘を言っていて、両親は身代金を払って娘を解放させたのか。それとも、ペストマスクに娘の命を売り、代わりに資金を受け取って、たまたま娘が生きて帰ってきただけだったのか。そうして蓄積し続けた疑問は、歪ながらも一つの形となった。可奈が求めているのは、事実などではない。

 ――最後に食べた肉は、今まで食べたどんな“動物”とも味が違った。濃厚で、ジューシーで、歯ごたえがあるのに、舌触りはなめらかで――。あれは絶対に、動物とは違う“なにか”の肉だ――。

 最後に食べた肉のことを考えるだけで、可奈の口腔内は唾液で溢れかえる。もう一度食べてみたい。噛みつき、千切り、喉を鳴らして、胃に落とし、私の血肉にしたい――。可奈の頭の中で、ペストマスクが残した最後の言葉が何度も何度も繰り返される。

 ――次に命を食らうときは、感謝を忘れずに、最後の一欠片までしっかりと自分の血肉にするのですよ。

 可奈が微笑むのを、両親たちは愛おしそうに見つめている。だから可奈は心を尽くして、これまでの気持ちをその一言に込めた。



禁忌の味

禁忌の味

叫びたくても、口に詰め込まれた布がそれを許してくれない。可奈は、真っ暗な視界の中で必死に酸素を取り込んだ。かび臭いような、腐肉のような、不快な臭いが嗅覚を刺激する。自然と嗚咽が込み上げるが、この状況で嘔吐すればもっと最悪な事態を招くことは五歳の可奈でも十分に理解できた。/2019年製作。年齢制限なしでカニバリズムを書く試みです。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-22

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