産めよ増やせよ、我らが未来!

【産めよ増やせよ、我らが未来!】

 駅前を歩けば、まるで悪い夢のようにこの手のスローガンを掲げたポスターが並んでいる。シラブアム博士は十年物のウールコートのポケットに手を突っ込みながら、色とりどりのポスターに向かって唾を吐いた。得意満面な表情を浮かべた口だけの権力者たち。市民の票と税金を集めるだけ集め、肝心の少子化についてはのらりくらりかわしているだけのでくの坊。こんな人間たちに未来を託さなくてはならないのかと、市民の誰もが胸の内に抱えている。
 シラブアム博士は歩く。駅を通り過ぎ、高架下に差し掛かる。そこにはホームレスが雨風をしのぐために作った段ボールとブルーシートが所狭しと溢れていた。ちらりと見える顔のそのどれもが、シラブアム博士と同じ歳くらいの老人だ。昨今、都市部に急速に増えた“村”である。少子化とは反比例して、老人の数は右肩上がりに増えており、一部の高所得者しか利用できない老人ホームはいつでも満員御礼。仕事にも住居にもあぶれた低所得、もしくは無所得の老人たちは当然の成り行きのように外に住まい始めた。彼らの息子や娘はどうしているのか、と一部の高所得者は思うことだろう。もちろん、若い世代は自らを食わせるために必死に働いている。子供を作る金もなく、親を養う余裕もなく、だ。今の若い世代が老いたとき、いったい誰が彼らを看取るのだろう。きっと誰にも見守られることなく、寂しく野垂れ死ぬに違いない。

 ――今に見ていなさい。この私が、全てをあっという間に解決してみせよう。

 シラブアム博士は胸元を探り、この日のために購入していた煙草を取り出した。中学の頃に年上のいとこに勧められるまま吸い始め、その十年後に願掛けのために禁煙した嗜好品。あれからもう三十年になる。彼の年齢は人生の折り返し地点を過ぎてから、ずいぶんと遠くまで来てしまった。それもこれも自分自身に課した研究の成果が全くでなかったからだ。分裂、クローン、遺伝子組み換え。とにかく彼は高齢者を助けるための人口を増やすことに並々ならぬ執念を持っていた。介護に疲れ、祖父と祖母と夫を殺してから自殺した母の影響は少なからずあっただろう。
 ラット、ラビット、モンキー。段階を踏んで成功させた動物実験の果て、有志の――どんな物事にも身を捧げなくてはいけない人間は一定数存在する――人体実験が成功を収めたのが今朝の出来事だ。
 その“第一世代”が、そろそろ産声をあげる頃だった。
 シラブアム博士の電話が鳴った。相手の第一声は「元気な女の子ですよ!」である。


 × × ×

 シラブアム博士の名が世に轟いてから、実にXX年が経過した。街には若い世代が溢れ、全ての老人が手厚い介護を受けられるようになった。子供たちは老人たちの幸福な顔を見るために働き、老人たちもまた、支えてくれる子供たちに資金を援助した。素晴らしいバランス。美しい調和。シラブアム博士がまだ存命であれば、きっと自殺した母の墓の前で祝杯を挙げたことだろう。
 今年も生まれたばかりの若い世代たちは、数少ない“男性”の死を偲ぶために“男性追悼ホール”に集まっている。五月中旬の出来事だ。今年は全国的に寒く、ホール前では季節外れの桜が咲いていた。

「――えっと、あなたってもしかして、一緒のクラスだった5月6日の岡田5さんかしら?」

 岡田5と呼ばれた女性は、声のするほうを振り返る。喪服に似た独特の追悼着を着た女性が、近付いてきて会釈をした。

「違ったらごめんなさい、なにぶん、人が多いもので……」
「いえ、合ってますよ。私は5月6日の岡田5です。それにしても、よく覚えてましたね。私ったら、全く人の名前が覚えられなくって。ごめんなさい、あなたは……」
「同じ、5月6日の犀川23です。卒業してから、私たち第二世代は各地に飛びましたからね。ちなみに犀川という名字はあと90人いるんですよ。私はそのうちの23番目に生まれた孫です」
「あら、あなたのお婆ちゃんったらやるわね。ううん、お母さんもとても素晴らしい功績だわ」
「ふふっ、実は密かに誇りに思ってるんです。“国”に貢献したわけですから……」

 ホール内に集まった若い世代の全てが女性であった。数ヶ月前――秋から冬にかけて――ならまだ男性も生きていたのだが、彼らは冬を越す前に死んでしまった。女性と交配し、子孫を残して死ぬ運命なのである。

「5月6日の岡田5さん!」

 手を振りながら近付いてきたのは4月1日の太田だ。太田は岡田5にとって憧れの存在である。岡田5は太田に犀川23を紹介し、犀川23に太田を紹介した。犀川23は「太田さんは“国”の誇りですね」と目を細めて彼女を見た。

「やだ、そう言われると恥ずかしいわ」

 顔を赤く火照らせた太田は、そうしていれば若い頃となにひとつ変わらないように見えた。しかし元気な彼女の言動とは裏腹に、その身体は痛々しいほどに膨張している。歩行も困難なのだろう。顔中に脂汗を浮かべ、ふうふうと荒く息を吐きながら、仰け反るようにして腹を突き出している。運動会の競技で大玉転がしというのがあるが、まさに太田はその玉に手足をチョンチョンと生やしただけのような容貌である。
 しかし、これこそがシラブアム博士が人生を賭して挑んだ研究の成果なのだ。
 太田が子を孕んでいることは一目瞭然だった。さらにいえば、この巨大な腹の中には“子を孕んだ子”が息づいているのだ。

「太田おばあちゃん」

 岡田5は彼女の腹を慈しむように撫でた。犀川23もそうした。彼女らの祖母はすでに亡くなっているため、まるで我が祖先に甘えているような心地だった。太田は嬉しそうに彼女らの愛撫を受け止めている。
 シラブアム博士は人間の遺伝子を操作し、ある爆発的な繁殖能力を持つ生物の繁殖サイクルをそこへ移植した。その生物は、大前提として卵から孵るのはメスのみである。そのメスはX染色体を二本持って生まれ、やがて自分とそっくり同じ個体――クローン――を産み落とす。その際産み落とした子が、すでに腹に子を宿した状態で生まれるのである。いわばマトリョーシカ。太田はその先頭の存在で、彼女の腹の中には入れ子状態で孫世代まで確定しているのだ。
 それではメスばかりにならないか?
 そんな疑問が浮かんでくるのは当然のことだ。だが、その愚問は“ある生物”の時点ですでに解決している。
 春から夏にかけてメスだけの大繁殖を起こし、秋から冬にかけて繁殖のためだけのオスを生み出すのだ。オスはメスと交配して卵を作り、冬を越せずに死んでいく。卵からは当然、孫を産むことまでが義務付けられたメスのみが生まれるのである。
 卵から孵った第一世代は、孫の代までに多くて90ほどの子孫を残すときたもんだ。シラブアム博士は、身近に存在していたこの害虫――アブラムシ――の繁殖力に気付いたとき、慌てて禁じていた煙草を買いに走ったのだった。

「――追悼式が終わったら、みんなでお花見しましょうよ! 太田おばあちゃんのために、胎教に良い歌を歌ってあげるわ!」

 5月6日の岡田5は声を弾ませてそう言った。シラブアム博士が想定していなかったことといえば、爆発的に増えた人口のせいで名前と誕生日と生まれた順番を告げなければならなくなったことと、もうひとつ――。
 視界の端で、老齢の女性がバタンと音を立てて倒れた。その場に居合わせた誰もが手を合わせ「ご愁傷様です」と目を閉じる。“アブラムシ”の寿命は短い。人間たちは爆発的な繁殖能力を得る代わりに、人生のサイクルが“一年”に凝縮してしまったのである。もちろん、人の寿命がそれぞれなように、大往生を迎えられずに死ぬ者もいる。
 太田は巨大な腹を揺すりながら「私の人生も残り少ないからね、楽しまなくっちゃ!」と花見に賛成した。犀川は、祖母や母や姉妹たちに挨拶してから参加させてもらいます、と笑みを見せる。

「ア、アー、みなさん。こんにちわ。本日はお集まりいただきありがとうございます。地区代表をさせていただいております、5月8日の吉村49です――」

 ホールに集まった全ての女性の視線が、壇上に向けられた。去年生まれて死んだ男性への追悼、そして今年の秋から冬にかけてまた生まれる男性に向けての感謝の意を表し、地区代表が拳を突き上げる。

「産めよ増やせよ、我らが未来!」

 力強く、そして高らかに響くスローガン。彼女らの人生はあと一年も持たないが、未来へのバトンはしっかりと渡されていく。老いも若きも、全ての女性が満面の笑みでシラブアム博士を称えたのである。



産めよ増やせよ、我らが未来!

産めよ増やせよ、我らが未来!

【産めよ増やせよ、我らが未来!】駅前を歩けば、まるで悪い夢のようにこの手のスローガンを掲げたポスターが並んでいる。シラブアム博士は十年物のウールコートのポケットに手を突っ込みながら、色とりどりのポスターに向かって唾を吐いた。/2018年製作。SFの練習用に書いた作品です。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-22

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