思考供養

 いったいどんな顔をして現れるのかと思えば、なんのことはない。十年ぶりに再会した疋田(ひきだ)の印象は当時と変わらず、ただそこにいるだけの凡庸な男であった。ではなぜ、高校を卒業してから一度も――学生の時分じぶんですら連絡を取り合わなかった彼が、私の電話番号をわざわざ探し出してまで、接触を図ろうとしたのだろうか。

「すまんな、急に呼び出して」

 私の猜疑心(さいぎしん)余所(よそ)に、疋田は間延びした声で謝罪する。少しも悪びれた様子はない。思わず私は「なにが魂胆だ」と問いかける。

「いや、なんもないねん。なんとなくお前のこと思い出した。高校んとき、お前、人気者やったやろ。久しぶりに会ったらおもろいかな、て」

 彼は慣れた手つきで斧を振るい、用意した(まき)を割っていく。小気味良い音の連続。
 どう返答すべきか。私は、困惑と手持ち無沙汰から、視線を空へと逃がす。
 あるのは静謐さ。ただそれだけだ。頭上に(またた)く無数の星々は、数こそあれど、景色に賑わいを与えようとしない。他人行儀な個々の存在。私はぶるりと震え、ダウンジャケット越しに自らの身体を掻き抱く。
 疋田とは二時間ほど前に駅で落ち合った。そうして行き先も告げられぬまま、彼の軽自動車に揺られ揺られて、市街地から離れたキャンプ場まで連行されたのである。聞けば、すでに二名分の料金を先払いしているらしい。

「着火剤、仕込んどいたで、あとは火ぃつけるだけや。もうちょい辛抱な」

 適切な太さに処理された薪が、互い違いの井桁(いげた)状に組まれている。焚き火の準備は整ったようだ。
 それだけではない。いま私が座っているアウトドア用の椅子も、背後に設置された二張りのテントも、全て彼が問答無用で組み立てた。不慣れ、かつ、事情を理解していない私は少しも協力しなかったわけだが、彼がそれを咎める気配はない。

 ――『おもろいかな』だと?

 彼の言葉をたった今まで消化しきれずにいた私は、ようやく問い(ただ)すまでに至る。

「そんな理由で、特に親交のない相手とキャンプしようなんて、普通、考えるか? 言っとくが、マルチやネズミ講ならお断りだ。神も仏も信じない。先祖は大事だが、降霊して話そうなんて気持ち、微塵もないぞ」
「ふふ、薄情なやっちゃな」
「現状に満足してるんだ。宗教でもなんでも、なにかを押し売りするつもりなら諦めてくれ」

 彼の運転で長い山道をぐるぐると登っていたとき。私は自分自身の危機感のなさを痛感した。もしかすると、知らぬ間に疋田から恨みを買っていて、彼は今日、私に対して復讐を遂げようとしているのかも知れない。恐らく、怯えや焦燥が顔や身体に現れていたのだろう。彼はハンドルを器用に操作しながら「殺して埋めへん。安心し」軽快に笑い、私をさらに不安にさせた。

「諦めてくれ」

 もう一度、念を押すように言葉を重ねる。
 どこかで獣が鳴く声が聞こえた気がして、私はびくりと肩を揺らす。思い過ごしなら良い。だが――。

「ほんまになんもないねんて」

 疋田は視線をそのままに、また笑ってみせた。

「楽しみたくて、誘っただけや。なんや陥れようとか、そういうあこぎなことは一切せん」
「嘘を言うな」

 気味が悪い、と言いかけて、言葉を飲み込む。復讐を考えているかも知れない相手を、過剰に刺激するのは得策ではない。代わりに、はあと白い息を吐き出した。着火ライターを操る彼の手元をしばし見つめ――やはり耐えられなくなり「正直に言えよ」と抗議する。彼は火加減を確認しながら「気温低いで、着き悪いかも知らん」答えをはぐらかした。なおも抗議しようとする私に「意外と神経質なんやな」ようやく視線を上げる。
 瞳には少しの敵意も宿っていない。少なくとも、私はそう感じてしまう。

「金は俺が払てんねやから、どんと構えて座っとったらええねん。先に、乾杯だけ済ませよか。ビールでええか」

 そうして彼は素早くクーラーボックスから二本、発泡酒ではないビールを取り出して寄越した。掴まな落とすで、と脅され、慌てて受け取る。キンキンに冷えたそれが私の肝をも冷やす。

「ほな乾杯」

 疋田は勝手に、私の持つビールのプルタブを引いた。

「か、乾杯……」

 ひとまず彼の言葉に従い、私は缶を傾け、唇を濡らした。目の前の相手は、ごくごくと景気よく喉を鳴らしている。
 疋田との出会いは、高校二年生の夏――夏休み明けの出来事だった。記憶違いでなければ、親の事情で一人、関西から関東の高校へと転校してきた、はずだ。つまり、共に過ごしたのは一年半。非常に短い期間なのである。

 ――転校してきた彼に対して、私たちはどう接したのだったか。
 ――新しいおもちゃを手に入れたように感じていたのではなかったか。

 教壇の前に立たされた疋田。彼の口から発せられる、馴染みのない方言。恐らく、面白おかしく誇張して真似る生徒が続出したはずだ。私も例に漏れず、若者特有の思慮の浅さで同じことをしでかしたかも知れない。たがそこに悪意はない。なかった。そう思いたい。
 私はそわそわと周囲を見回す。キャンプ場はかなり広いが、全くといって良いほど、ひと気が少なかった。凶行に及ぶつもりなら、誰にも邪魔されずに成し遂げられる。逃げ出すタイミングはいくらでもあったのに、どうしてのこのこ着いてきてしまったのだろうか。私は下唇を噛んだ。
 私たちの間に鎮座する焚き火から、緩やかな煙が立ち上り始める。

「――なあ、俺のこと、なんか聞いてる? 他の奴らから」

 彼はふと、飲み終わった缶をゴミ袋に移しながら問いかけてきた。
 私は首を横に振った。十年間、全く交流がなければ、彼の名前すら聞く機会がなかった。連絡があってようやく思い出したくらいだ。

「せやろな。俺は誰とも、仲良くなれんかった」

 どう答えたものか、誤魔化すように私はビールを飲む。疋田はと言えば、焚き火台の上に棒を渡し、火が底を舐めるように、水を溜めたやかんを設置した。沸騰するまでの間に焼酎の瓶を取り出し「お前もやるか」と首を傾げる。

「いや、やめておく」
「欲しなったら、いつでもゆうてくれ。ようさん持ってきとる」

 とてもじゃないが飲む気にはなれないが、ひとまず頷く。
 焚き火の勢いが次第に増し、火の粉を散らしながら顔面を火照らせる。私は様々な思考を漂わせながら、ぬるくなったビールをちびちびと飲んだ。

「もう、不味なっとるやろ」
「いや、大丈夫」
「気にすんなや、サラ出したる」
「いや、大丈夫……」

 そんな調子で、やかんの水が沸騰しても、私は彼と当たり障りのない会話を繰り返していた。疋田はそれでも楽しいのか、口角を上げながら焼酎を湯で割って嗜んでいる。普段なら全く酔わない私も、次第にアルコールで頭がぼうっとしてきた。

「せや、忘れるとこやった」

 疋田がなにかを思い出した様子で、ポケットに手を突っ込み、小さな黒い塊を取り出す。私の目の前に提示したのは、黒いUSBメモリである。これを見せて、どうするつもり――瞬間。なにを思ったか、疋田は突然、燃え盛る炎の中にそれを投げ入れた。

「おっ! おい! なにをっ」

 私は思わず立ち上がった。

「有害っ、有害物質とかっ、出たらどうするっ」

 USBメモリはあっという間に火の中に消え、プラスチックが溶ける嫌な臭いが辺り一面に漂い始めた。目から生理的な涙が流れ、私は、わあわあと狼狽えた。そんな姿を見ながら、疋田は笑っている。
 どういうつもりだ、と詰め寄った。私の手から離れたビールが、乾いた地面を黒く濡らす。
 疋田はしかし、すぐに答えなかった。たっぷり時間をかけて湯割りを飲み干す。とても美味そうな表情だ。ようやく、焦れた私のわめき声を遮り、口を開く。

「――俺な、この十年間、仕事もろくにせんと、なにやってたと思う?」
「わかるわけないだろ! 仲良くなかったんだ!」
「ふふ、そやな。わかるわけない。俺な、毎日、小説書いててん。さっきのUSBに、それが全部入ってる」

 私は彼と、焚き火を交互に見る。

「もちろん、バックアップは取ってへん。これで終わり。これで最後や」

 なぜか、予感めいたものがあった。神や仏は信じないが、これ以上聞いてはいけない、そう感じさせるなにかが、彼と私の前に横たわっていた。疋田はゆったりとした仕草で、何杯目かの湯割りを作り始める。

「ふふ、いつから書いてたか、聞いてみてや」
「……嫌だ。聞きたくない」
「お前の顔、最後に見たときや。卒業式のあとやな。なんや知らんが書こうと思って、今日まで、ずっと書いてきた」

 私は彼の手元を、呆然とみていた。

「そうか、有害か」

 疋田はただ、満足そうに笑っている。



思考供養

思考供養

いったいどんな顔をして現れるのかと思えば、なんのことはない。十年ぶりに再会した疋田の印象は当時と変わらず、ただそこにいるだけの凡庸な男であった。ではなぜ、高校を卒業してから一度も――学生の時分ですら連絡を取り合わなかった彼が、私の電話番号をわざわざ探し出してまで、接触を図ろうとしたのだろうか。/2020年製作。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-21

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