そこまで一緒/富田 作
女子と二人きりで、校舎裏、とか。
男子高校生ならば少なからず興奮するシチュエーションだと思うし、俺もその例に漏れないわけだけれど。ばく、ばく、と耳の後ろで爆発しそうに打っている鼓動は、それだけで高鳴っているのではない。
とん、と彼女の細い指がパッケージを叩いて、少しだけ頭を出したフィルターを桃色の唇が挟んで摘まみ上げる。するりと抜き出されたそれが反動でふんわり揺れるのを、俺はじっと──というと変態みたいだけれど、じっと、見つめていた。彼女は、今は使われていない焼却炉の上に座っていて、俺はそれを見上げている。けれどもずっと、彼女の視線は、俺に向かない。
陽が沈みかけて、もう薄紫の明かりしか残っていない世界の中で、ぽっと橙色が灯る。百円ライターの安っぽいピンク色が、彼女の白い肌に反射していた。化粧っ気の無い顔、二つ縛りの地味な黒髪。けれど、透明に見える、澄んで静かな無表情の下、着込んでいるのは校則通りの野暮ったいセーラー服。
そんな、学校生活の中ではちっとも目立たないだろう彼女が、非行の象徴みたいなものを咥えている光景が、俺には何よりも刺激的に見えた。これが隣のクラスの時代遅れのギャルだとか、そういう女子がやっているのなら、この一瞬の光景に目を奪われるはずもなかったのだけれど。
すぅ、と薄く息が吸い込まれると同時に、ぽっと赤く火が灯る。ふぅー、と深く吸って、白い煙を一口吐き出したと思うと、やっと、黒い真ん丸の瞳が俺の方に向けられた。ぼうっと、二口、三口、と吸い込む間、静かに俺を見ていた彼女は、うっすらと唇の端を緩める。
とん、と本当に軽い音だけを立てて、彼女は濡れた芝草の上へと舞い降りた。飾り気のない白いスニーカーに踏まれた地面が、ぴちょりと飛沫を立てるのが、どうにも幻想的に見えるのはきっと欲目も欲目なのだろうけれど。とん、とコーンポタージュの缶の中に灰を落としてから、どうぞ、と小鳥が鳴くみたいなか細い声が、静かな校舎裏に転がった。
あ、俺か、と思うに三秒間。そんな空白を待ってくれるような彼女ではなく、気付いた時にはフィルターは俺の唇に突きつけられていた。ほっそりとした指の腹が急かすように唇の上を撫でていって、慌ててフィルターを食んだ俺は勢いよく息を吸いこみすぎて、思いっきり噎せてしまった。
あぁ、あつい。あつくて、熱くて、ひりひり灼けて。
喉が痛んで、胸まで落ちて、ドキドキ脈打つ心臓を跳ねさせる。痛くて、いたくて、咳き込むたびに、俺の身体がじりじりと。熱に蕩けて、涙ぐむ。
おいしいか、と問いかけてくる視線に向き合うだけで精一杯な俺に、彼女はどうにも満足そうに頷いた。そうだよね、と同意するようにも、まだまだ子供だね、と──いいや彼女の方が後輩なのだけれど──言っているようにも思えて、俺はこの悪戯っ子みたいな笑顔が好きだった。彼女の顔に浮かぶ表情で嫌いなものなんて、ひとつもなかったけれど。
こほ、ともう一つ咳き込めば、俺の口から煙が零れる。
あぁ、ああ、苦いのも、辛いのも、痛いのも、ちっとも好きにはなれないけれど。この、世界に殴りかかっている感じだとか。自分の身体に悪いことをしている、取り返しのつかないことをしている、って感じは、堪らなくって、悪酔いしてしまって。ぼんやりした月明かりの下、どうだ、と精一杯悪ぶって胸を張った。それに、彼女が薄く笑う。
一口吸えば、俺への世間の信頼がなくなっていくようで。
一口吸えば、俺の未来が崩れていくようで。
一口吸えば、俺の寿命を殺してくれているみたいで。
一口吸えば、俺のざわついたこの心を、甘やかに蕩けさせてくれるみたいで。
この、毒が。俺は、きっと好きで、逃げ出せない。
いや。――これ、って何だろうか。煙草か、彼女か。あぁでもきっと、どちらにしても、きっと同じだ。
とん、と細く白い指先が、またパッケージを柔く叩いた。俺の咥えた煙草から、甘く紫煙が立ち上る。悪いことに、目が眩む。ちかちか、ちかちか、蛍の光を纏って輝く、彼女がそっと煙草を咥えて。
ずいっと身を寄せられるから、逃げられないままじっと固まる。数十センチの距離まで迫って、ちかい、と思う心臓が爆発しそうなところで、とん、と煙草越しの唇に柔い衝撃。
じり、と彼女の咥えた新品の煙草に、俺の煙草から火が移る。彼女の掌が作る影の中、熱が奪われて、白い紙が焼き焦げて、ぽっと蛍が移っていくのを、瞬きさえも忘れて見つめて。すぅ、っと離れていった彼女が、くるりと身とスカートを翻しながら焼却炉の上へと戻って寛ぐまで、俺はその場に立ち尽くす。
ふぅ、と吐き出す息が熱いのは。
煙に焼かれた肺か、喉か。それとも、彼女に呑まれた心か頬か。あぁ、確かに、首から額のてっぺんまで、赤くなっている気はするけれど。
じり、じり、と燻らせる間もない内に、俺の煙草が燃え尽きていく。灰が、一センチ、二センチ、と伸びては重力に負けて地面に落ちそうになって、流石にやばい、と我に返ってコーヒーの缶に落とした。まだ残ってたのに、と思ったのはとうに手遅れになった後で、あーあ、とぼやく元気もない俺は、濡れた芝には寝っ転がれないから、立ったまま空を仰ぐのだ。
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ぼうっとしながら煙を吸っては吐き出して、中空の月の中の兎を探す。昔から何回見たって兎の餅つきには見えないな、とは本当にどうでもいい話。と、カラリと音を立てて背後のガラス窓が開いて、キャミソール姿の彼女が隣へと寄り添ってくる。
ん、と強請るように出される右手は、俺のなけなしの一本が差し出されるものと疑っていない。最近また値上がりしたんだけどなぁ、とは思いながらも素直に一本手渡すと、リップに濡れた唇がゆぅるりと弧を描いた。やめたんじゃなかったっけ、と言えば、いっぽんだけ、といつもそう言う。
とん、とまた長いながい数十センチの間を置いた、けれども深いキスを交わせば。ぷかぷか幸せそうに煙を味わう彼女は、俺よりずっと様になる立ち姿でベランダにもたれ掛かった。おいしい、としっとりと染み入るような声。
いつも、いつも、こうして欲しがるものだから、俺はちっとも買う銘柄を変えられない。マンションの下のコンビニで、すっかり顔を覚えられてしまったからか、番号も言わずに差し出されるパッケージは見慣れたような、見飽きたような。辛い風味に喉が焼かれて、重たいタールに肺が痛んで、けれどもほんのちょっぴりと、チョコかココアか甘露の香り。デザートみたいでしょ、という彼女の言葉が何となく分かるようになってきてしまったのが、嬉しいような、悔しいような、どうにも言えない心地だけれど。
すぅ、と吸い込む心地良さに、もう、悪いこと、なんて気持ちは混じらなくなってしまった。合法、嗜好、自己責任。お好きなように、好きなだけ。
とは、やめられない自分を甘やかすような言い訳に過ぎないし、薄らと浮かぶ後悔も実のところは尽きないけれど。
吸った分の毒だけ、彼女と交わしたキスと。
吸った分の毒だけ、二人揃って早死にしては失う時間と。
どちらの方がより幸福をくれたのか、なんていうのは、どうせ。
月の光の届かない、地獄に落ちてから決まるのだ。
そこまで一緒/富田 作