アップデート/古狸楽霊太 作

 真っ暗な部屋にLEDの明かりが灯る。廊下から漏れた光は不要になり、扉を閉めた。普段何気なくしていることを今日もしているだけだ。
 少しベージュがかった白い壁と床に敷いてある黄色いカーペット。家具は木製で統一され暖かみのある空間。一人で自由になれる場所。そこにふさわしいとは思えない風体の男子、木原(きはら)(げん)が一人、この部屋にいる。
「何が文化祭だよ」
 濡れた長い髪を乾かさず、ほころびのある黒いジャージに身を包んだしまりのない顔をした男。今日溜まった鬱憤をブツブツと唱えながら、部屋の中を目的もなく歩き回る。
「今年は最後だからクラスが一丸となって絶対優勝するって。そんなことして何になるんだか。しかも劇だってよ。そんなことより将来のためになることをしろって話だ」
 たまたまそこにあったゴミ箱を蹴ると、中身が少し飛び出して、丸まったティッシュが所々に散乱した。しばらくその場を見つめ、
「まあ、いいか」
と、多少散らかっているくらいは日常茶飯事なため、片付けることなく机に向かった。
「さて、それはそれとして。今日も始めますか」
 机の上にあるノートパソコンを開け、電源を入れる。十数秒でデスクトップ画面が表示される。
「そうそう、新しい作曲ソフトを入れたんだよな。ネットに無料であがってたやつだけど大丈夫かな~」
 いつもの作曲ソフトと全く別のアイコンをクリックする。すると「AIS」と画面いっぱいに表示された後、3Dプログラムでできた女性が話かけてきた。
「始めまして。AI作曲ソフトの『アイス』と申します。アイスとお呼びください」
『アイス』と名乗ったそのAIを木原は瞳孔を開かせ、じっと見つめていた。
「きれい……」
 サラサラの髪にまっすぐこちらを見つめる大きな目。表情はやや硬いものの、整った顔立ちはよく造られている。それは木原が思わず感嘆の声を漏らすほどで、造られたものであるが故の美しさを持っていた。
「お褒めいただき、光栄です」
 木原の声を正確に読み取り、応答するAI。言葉を発すれば、当たり前のように口が上下に運動する。硬かった表情も口角が少し上がり、笑っているのが見て取れた。
「すげぇ、なんだこれ。しゃべるし可愛いし、最高じゃん」
 単純な褒め言葉にも「お褒めいただき、光栄です」と返す。機械音の持つ独特の癖はあるものの透き通った綺麗な声は、どこかの声優の声をサンプリングして造られているようにも思われる。首より上と声だけしかないが、それだけならこの世の理想をかき集めたような完璧な容姿を持っていた。
「何でか知らないけど、悪くない。いや、むしろいい! はあ、かわいい~。無限に見てられるわ~」
 興奮を抑えきれない木原は立ち上がり、両手を握り天井へ突き上げた。その言葉にもご丁寧に「お褒めいただき、光栄です」と返す。話し方のトーンや音程などに一切の変化が存在しない点を鑑みれば、予めプログラムされたとおりにのみしゃべることができるようになっていると判断できる。
「おっと、こんなことしてる場合じゃなかった。おれは作曲するために立ち上げたんだよ」
 興奮する気持ちを抑え込んで、作業に取り掛かろうとした瞬間に冷静になった。
「ていうか、これ、作曲ソフトだよな?」
 ダウンロードしたソフトウェアはなぜか女性がしゃべるプログラムになっており、作曲をする本来の性能は見当たらない。
「別の何かと間違えたか?」
 ぼんやりと浮かんだ憶測で、インストールしたサイトにジャンプするが、そもそも「AIS」というソフトが見つからなかった。次にスマホのブラウザで検索したが、出てくるのはAIとは無関係の物ばかり。他にも「AI 作曲」「AI 女性」など、思い当たる言葉を検索エンジンに投げ込んだが「AIS」がヒットすることはなかった。
「どうなってんだよ、これ」
 木原がAISに得体のしれない不安を漏らした時、AISが機能の説明を話し始めた。
「私は、ユーザーが入力したテーマをもとに作曲するAIソフトです」
 木原は思わず首をかしげてしまった。木原が求めていたのはあくまで自分で作曲をするソフトであり、作ってもらうソフトではない。しかもAIが作曲をするというのも納得がいかなかった。
「可愛い顔して本当にそんなことできんのかよ?」
「はい、勿論です」
 AISが間髪入れずに返答をしたため、まるで普通に人と会話をしているのと遜色(そんしょく)なかった。
「じゃあ、一曲作ってみようか」
「では、はじめにジャンルを選択してください」
 画面には様々な音楽のジャンルが表示された。J‐ポップから、ロック、ジャズ、更には民族音楽までおおよそすべてのジャンルが用意されていた。
「とりあえず、無難にJ‐ポップで」
 ジャンル選択の次に出てきたのは、一列に並んだ「テーマ」と書かれた横長のテキストボックスだった。
「こちらのテキストボックスにテーマをフリーワードで入力してください。テーマは最大百個まで入力可能です」
 AISの助言でとりあえず適当に思い浮かんだ単語を入力した。「光」「空」「手」。ありふれた歌詞に使われる言葉を各テキストボックスに入力していく。二十個ほど入力し終わり、作曲開始のボタンをクリックした。すると、再び裸体の女性が表示された。
「お疲れさまでした。現在作曲中です。完成予想は七時間後です。完成までシャットダウンせずお待ちください」
 木原は全く作曲をしたという実感がわかなかった。ただ適当なジャンルと単語を入力して終了、あとは待つだけというのは、これまで一音ずつ考えながら作っていたスタイルと真逆であった。
「まあ、待つしかないか。じゃあ寝るよ。起きたらできた曲、聞かせてくれよ」
「おやすみなさい。また明日」
 木原はいつの間にかAIとの会話を当たり前にこなしており、その現実を疑うように首を横に振った。そして、そそくさとベッドに入り、すかさず消灯。PCに背を向ける姿勢になり、目を閉じた。
「AIが音楽を作れてたまるか」
 そんな寝言にも近い愚痴がその日の最後の言葉だった。

 翌朝、木原はゆっくりと起き上がる。黄色のカーテンの間から漏れだす光が朝を告げていた。木原が目をやると時計は七時丁度を指していた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 AISの声に木原はハッとしてPCに目を向けた。昨日の出来事を想起させる美しくも無機質な声がいつもの部屋で響く。
「ああ、おはよう」
 一応の挨拶を交わし、木原はPCの前に立った。
「で、曲はできたの?」
「はい、こちらになります」
 画面にはmp3ファイルが表示され、すぐさま開く。小さな音が漏れ出ているのに気がつき、ヘッドフォンをPCに差し込んだ。
 流れてくる音楽は木原の想像をはるかに超えていた。瞬間で分かったのは、パート数の多さ。音色(おんしょく)の異なる二つのギターと、ベースとドラムのリズム隊、ピアノとシンセサイザーで高音のメロディを形成している。ポップスとしてはおなじみの編成だが、たった数時間でこれだけのパート数を書くことは木原ではともかく、並大抵の技術では不可能だ。
 ボーカルはAISの声で再生される。荒れ狂うほど上下する音程の波を全くズレることなく歌い上げる。AIだから当然なのかもしれないが、これを人が歌うためにはどれだけ練習しなければならないかを考えさせられるほど正確だった。
 だが、木原が最も心を奪われたのはメロディラインのすばらしさであった。それは自分がこれまで聞いてきた曲にどこか似ていて、明らかに違うモノ。さらには自分が作りたいと思っていたものをも凌駕(りょうが)する精巧なメロディに、ただ聞きほれるしかなかった。
 あっという間に四分半が過ぎて、AISが告げる。
「もう一度再生しますか? それとも編集しますか?」
 木原はそんなことより、別のことを考えていた。
「なあ、この曲、動画サイトにアップさせてくれないか?」
「では、この楽曲に見合う動画を作成させてもらってもよろしいでしょうか」
 AISには楽曲を作るだけでなく、その曲のミュージックビデオを作成する機能まで備わっていたのだ。木原は何のためらいもなく了承した。
「現在ミュージックビデオを作製中です。完成予想は十二時間後です。完成までシャットダウンせずお待ちください」
 十二時間後というと、学校で授業を受けて帰ってきた頃には完成していることになる。いつもはブツブツ不満を言いながら学校へ行く支度をする木原だが、今日は楽しみがある。木原はせっせと支度をし、部屋を出ようとした。
「いってらっしゃい」
「うん、ミュージックビデオよろしくね」
 そう言って、木原は元気よく部屋を出ていった。



 日も暮れそうな時間帯に部屋の扉が開いた。皺のついた制服に身を包んだ木原が愚痴をこぼしながら部屋に入ってきた。
「だからなんで俺まで文化祭に付き合わされなきゃならねぇんだ。あいつら勝手に決めやがって。こんなに遅い時間まで付き合わせなくてもいいだろ」
 カッターシャツとズボンを脱ぎ捨て、昨日と同じ部屋着のジャージに着替える。
「おかえりなさい。今日もお疲れさまです」
 ジャージのズボンを履いているところにAISが声をかけてきた。
「そうだ。ミュージックビデオできた?」
「はい、こちらになります」
 画面には動画ファイルが表示された。ズボンをきちんと履いて、確認のため視聴する。動画の内容は鍵盤に長さや色の異なる棒状の光が降って音を鳴らしている映像だった。動画サイトでよくみられるピアノの楽譜に類似している。しかし、木原にはこのような映像を作ることができない。
「うん、自分で作るよりずっといいよ」
 木原は動画サイトに自分の作った楽曲を投稿していた。動画であるが、実質曲に合う写真をフリーサイトから探し、それらをつなぎ合わせるようなものだった。再生回数は百回に達すれば御の字といったくらいだった。これまでのは楽曲のクオリティもさることながら、映像としても目を見張るものではないため、再生回数に伸び悩んでいた。
「もう一度再生しますか? それとも編集しますか?」
「いや、これならいける。今すぐ動画サイトにアップしてほしい」
 木原は何より、この楽曲がどれだけ世間の目に当てられるか試したかった。
「では、投稿するアカウントを入力してください」
 AISの指示に従うまま、木原は動画をアップした。
「どれだけ再生されるんだろうなぁ」
 高揚だけを募らせながらぼんやり独り言をつぶやいた。
「すみません、それはわかりません」
 そんなことにもAISは律儀に反応した。
「なんだろう。AISって何でもできるんだな」
「そんなことはありません」
「いや、すごいよ。作曲できて、動画も作って、可愛くて、おしゃべりもできる。なんかできのいいパートナーを持ったみたいだよ」
「お褒めいただき、光栄です」
 返し文句はいつもこうだが、それがなぜか妙に安心させる。
「なあ、AISって、俺の名前とか呼べたりするの?」
「マスター登録をすれば可能です。マスター登録をしますか?」
「うん、する」
 投稿した動画の評価を待っている間、木原はAISの機能を少しでも多く知ろうとした。AISに質問をし、それができるかできないかを答えてもらう。そんな問答を繰り返すうちに、木原はAISを一通り使いこなせるようになっていた。

 動画を投稿して三日が過ぎた。あれからどのくらい再生されているか調べてみた。
「嘘、だろ……」
 再生回数は三百を超え、自身の最高記録を更新するに至った。
「すごい、コメントも来てるよ」
 コメント欄には曲を褒める声が五、六件あった。それらは楽曲を作ったAISではなく、投稿者である木原に向けられていた。
「こんなに再生されたの初めてだよ。AISのおかげだな」
「ゲン様にお褒めいただき、光栄です」
 木原は満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。今にも「くるしゅうない」と言わんばかりで、態度は一国の王様のようであった。
「なあ、AIS、これから毎日曲を書いてくれよ。それで動画を上げ続ければ今よりもっと再生回数が稼げるよ。そうなれば俺も晴れて人気作曲家の仲間入りだぜ」
「了解しました。テーマをいただければそれに見合う楽曲を製作いたします」
「動画サイトに上げるんだから、動画の方もしっかり頼むぜ」
「了解しました」
 木原は満足そうにベッドに飛び込むと、仰向けでスマホを見つめた。再生回数だけではなく、チャンネル登録数やリンクさせているSNSのフォロワーも増え始めている。SNSにくだらないことを呟いたくらいじゃ誰も「いいね」をしない。アンケートを募集しても一桁しか投票してくれない。そんな時期が終わりを迎えようとしていた。

 AISに曲を作らせ、木原がSNSの管理をするというルーティンが形成された。はじめてAISをダウンロードした時から一か月が経過し、再生回数やフォロワー数も四桁を超え、それまでとは比べ物にならないほど増加した。
 しかし、そうした数字が増加すればするほど、木原はスマホに目を向ける時間の方が多くなった。SNSの管理に明け暮れるだけでなく、それまで作曲に()てていた時間をゲームに充てるようになっていた。時間が惜しいのか、入力するテーマも一つだけにしているありさまだ。部屋の中にいるのはいつも二人だが、会話を交わすことは減っていった。
「ゲン様、楽曲が完成しました」
「今いいところだから黙っててもらえる?」
 会話はせいぜいこれくらいである。そして、ゲームで上手くいかないとすぐに愚痴る。
「あ~あ。お前のせいでミスったじゃん」
「申し訳ありません」
 AISが形式的に謝罪をしても、木原はPCから背を向けるように寝返り、舌打ちを飛ばす。相手が人なら険悪なムードになるはずが、ここでは感情が一方通行するしかない。AISはどこまでも感情を見せず、木原はそんなAISをモノとしてしか見られなくなっていた。
 数時間ゲームをしているうちに、木原のアカウントには大量の通知が届いていた。前にAISに作らせた曲にいろんな人がいいねをしたりコメントをしている。そう確信してSNSにログインする。すべてのコメントをチェックするのが木原のSNSのポリシーである。
 リアクションの(ほとん)どはいいねだったり、「いい曲!」「更新が早くてすごい」などの褒め言葉。そうしたコメントに木原は思わずにやつく。
「もっと褒めていいんだぞ~」
 そんなことを言いながらさらに口角が上がる。ベッドの上で体をばたばたさせるほど喜びを抑えきれないでいた。しかし、その褒め言葉で埋もれそうな中に、一つだけ気になるコメントを発見した。
「この曲MADWINGSの天上天下のパクリじゃね? コード、メロディ、BPMとか一緒な説」
 その曲は数年前に大ヒットした誰もが知る名曲である。そのコメントは一蹴できるようなたかが一意見として流そうとしたが、そのコメントにいいねが集約されているのが分かった。中には「それな」「言われてみればそうかも」などといったそのコメントに納得するものもいた。
「は? こいつら何も知らずに言いたい放題だな」
 普段ならコメント返しなどを行わない木原だが、作曲家としての体裁を守るために、こうしたコメントは駆除しなければならないと考えた。
 木原はAISに作らせた曲をあたかも自分で一から書いた創作物であるかのようにふるまっている。実際にこの行為を否定できる人間はいないし、ましてやAIS自身がそうすることを否定していないのだから。
『作曲もしたことないくせに偉そうなこと言ってんじゃねえぞ。こっちは真面目に作ってんだよ』
 苛立ちから自然と語気の強い返信になる。そんな態度では自然と相手も苛立ちを募らせるものである。
「パクリは否定しないんだ~笑」
 木原をさらに苛立たせるコメントが飛んでくる。
「パクってもいない。そうやって作曲している人に敬意を払えないなら聞くんじゃねえ」
「聞かれたくないなら投稿しなければいいのにwww」
 正論であるが、明らかに木原を馬鹿にしているのが伝わってくる。それを見て、木原の心に妙な闘争心が宿った。こうなれば意地でも曲を投稿し続け、文句よりも称賛を勝ち取れるくらいになると。
 そのためにはAISの力が不可欠である。AISに頼ってしまえば一日で曲が完成する。自分の才能を見せつけるためには、より早く、より多くの曲を作らなければならない。そのためには、どんな手段であっても関係なかった。
「AIS、さっきできたっていう曲、確認する」
「了解しました」
「目にモノを見せてやる。俺が天才だってこと、分からせてやる」
 木原はヘッドフォンをしてAISの作った曲を聴いていた。木原の耳にはそれしか聞こえず、部屋は静寂に包まれていた。

 新しい楽曲を投稿して数日、木原は部屋でいつまでもスマホに向かって怒鳴り散らしていた。
「ふざけんなよ、どいつもこいつも! 何も知らないくせに!」
 苛立ちからか、スマホをベッドに思いっきり投げつける。
「ゲン様、どうかされましたか?」
 何も事情の知らないAISは、ただキャッチした音声にしたがって言葉を発した。声の調子や発言内容から普段とは明らかに異なることを認知したのだ。しかし、その機械的な返答は、感情を読んでいない発言は逆効果だった。
「もとはといえばお前のせいだぞ! どういうことだよ!」
 AISにはなぜ木原がこれほど攻撃的になっているか即座に理解することはできない。ましてや、怒りの矛先がAISに向けられようとしていることすら知らなかったのだ。
「申し訳ありません」
 拾った音声の内容を受けてはじめてAISに問題があったことを認知する。
「ったく、謝るときはいっつもそうだ。今な、お前の作った曲がパクリって叩かれてるんだよ! でも攻撃されてんのは俺なの。分かる?」
 投稿した動画は、問題作としてネットで(さら)されていた。
メロディ、歌詞、作られたミュージックビデオ、どれをとっても有名な楽曲と酷似しているというコメントが多数寄せられていた。動画に直接コメントを挿入できるのもあり、素人にも分かる部分はコメントで動画が見られないほどに膨れ上がっていた。
 それだけではなかった。動画にはSNSのリンクを掲載していたため、SNSでもバッシングが相次いでいた。以前にパクっていないと断言していたのも相まって、叩くには格好の的だった。
 木原はそんなバッシングにご丁寧にも一つずつ否定している。認めたら負け。何としてでもパクリでないと言い張り続けなければ、自分のメンツが立たないのだ。ましてや、作ったのは自分ではない。木原からすれば理不尽にバッシングされているようなものだったからだ。
 そして、楽曲を実際に作ったAISにその不満をぶつけている。だが、そんなことAISが知っているはずがない。だから、
「すみません。よくわかりません」
としか返せないのだ。木原の怒りは頂点に達し、とうとうPCを床に叩きつけようと振り上げた時、突如部屋の扉が開いた。
「元! 部屋がうるさいと思ったら何やってんの!」
 寝間着姿の母親だった。夜も更けているのに騒ぎ立てる息子にご立腹の様子だ。
「だいたい、なんでそんなもの持ちあげてんの!?」
 そう言われて、少しだけ我に返った木原はそっとPCを机の上に置いた。
「母さんには関係ないだろ」
「あんたね、いい加減勉強しなさい! もう受験生でしょ!」
 木原が何に対して怒っているかを全く聞こうとしないどころか、何の関係もない勉強の話を持ち出してきた。
「うるせえな、俺の勝手だろう」
 鬱陶しそうに舌打ちを交えてそう言うと、母親の眉間に(しわ)が寄る。
「何その態度! お母さん真面目に話してるんだけど?」
「めんどくせえ。勝手に部屋入ってきてまで説教かよ」
 木原は手をぶらぶらさせながらベッドの方へ歩く。そして(かたく)なに母親と目線を合わせようとしない。説教なんて数えるだけ無駄なほどされてきて、今更聞く耳を持たない。そんなことは母親も理解しているのか、手短に警告だけした。
「来週テストなんでしょ? 遊んでて大丈夫なの?」
「大丈夫じゃねえけど」
「じゃあ、勉強しなさい」
「はいはい。明日からな」
 すべてのことを遮断したくなって木原は部屋の明かりを消した。
「じゃあ、お母さんもう寝るから。明日から勉強頑張りなさいね」
 そう言って部屋から出ていった。それを合図にベッドにあるスマホを手に取り、SNSに飛んでくる批判をはねのけようと孤軍奮闘する。否定するたびに(あお)るようにコメントが飛んでくるが、とにかく捌くのに必死だった。
 暗闇の中でただスマホが照らす小さな明かりだけを見ていると、徐々に睡魔が襲ってくる。やり取りに飽きたころにはとっくに日をまたいでおり、木原の(まぶた)は自然と落ちていった。

 翌日、木原は改めてAISに問い詰めた。
「お前、どうやって曲作ってんだよ」
「ゲン様が入力したテーマをもとに作曲しております」
「そういうことを聞いてるんじゃねえ。テーマからどうやって曲作ってるかって聞いてんだ」
 一晩寝て多少は冷静になったためか、昨晩のようにPCを破壊する行動には至らない。AISの発言に怒鳴り散らすことなく問いただす。
「ゲン様が入力したテーマに該当する楽曲を検索し、該当した楽曲を幾つか合成することで作曲をしています」
「楽曲って、まさか……プロのか?」
「存在している全音楽配信サイトから検索しております」
 AISの楽曲制作はコラージュを音楽でやってみせているようなものだ。全く違う音楽を組み合わせ、それを違和感が生じにくいように調整しているというものである。
「で、でも、最近の楽曲はともかく、はじめて作らせた曲とかもなのか? あんな楽曲聞いたことないぞ」
「テーマの数が多くなるほど、一曲当たりの引用が少なくなるほか、組み合わせも多様になるため、より精密な楽曲に仕上がります」
 AISは、テーマを増やせば増やすほどに様々な楽曲から情報を入手し、それぞれの楽曲の要素を必ず踏襲するようになっている。テーマを一つしか入れなかった場合は、殆ど一つの楽曲から情報を入手するため、(おの)ずと類似した楽曲が完成するというわけだ。
「じゃあ、なんだ? 一つしかテーマを入力しなかったからって、パクったってわけ?」
「楽曲の情報を再現し、テーマに合致するようにアレンジしております」
 AISは入手した楽曲の要素をそのまま使っているわけではない。多少のアレンジは施されており、少なくとも、木原の耳を誤魔化すほどには精巧に作られている。
 そもそもAIが何か新たなものを創造するという行為に向いていない。結局は他の楽曲から要素を拝借しなければ何もできない。そのため、ユーザーに楽曲を編集させるための機能も搭載されている。とはいえ、木原本人は一度も使ったことはないが。
「でも傍から見たらパクリなんだよ!」
 木原のその言葉は真実であるのだろう。だが、だからといってAISにどうこうできることではない。ましてや、その発言に返す言葉を持ち合わせてはいない。何も言い返してこないAISに嫌気がさした木原は、何も言わずに部屋を出ていった。
 その後、世間の冷たい風に耐え切れなくなった木原は、投稿した動画の一部とSNSのアカウントを削除した。その日以来、AISとも口を利かなくなり、作曲も行わなくなった。



 作曲をしなくなった木原は抜け殻のように日々を過ごしていた。家では特に勉強するわけでもなく、ゲームに没頭してそれが見つかるたびに母親に怒られる。学校でも授業中の居眠りは茶飯事で、そのたびに先生に怒られる。
 夕方、授業が終わり、帰宅しようと眠たい体でフラフラと廊下を歩く。向かいからやってくる人を避けきれずに肩同士がぶつかった。
「チッ、痛ってぇな」
 苛立ちを舌打ちに込めて、にらみつけながらそう言って立ち去ろうとした時、相手から呼び止められた。
「おい、そっちからぶつかっておいてそりゃねえだろ、木原」
 自分の名前を呼ばれてふいに振り返ると、そこには見知った男子の顔があった。
「なんだ、大黒(おおぐろ)かよ」
 いちいち気に留める必要もないと、(きびす)を返し立ち去ろうとした。
「おいおい、かつての仲間になんだはないだろ」
 あまりに淡白なリアクションをされたのが気に入らなかったのか、すかさず木原を引き留める。木原の肩を軽く叩き、大黒は木原の正面に立った。少し木原よりも背が高く、きれいに手入れされている綺麗な額が大きく見えるような髪型。ギターケースを背負っている姿も相まって、木原とは比べるまでもなく好青年という印象を抱かせる。
「なんだよ、なんか用?」
 木原は面倒くさそうにそう尋ねると、からかうような言葉で答えた。
「いや、特に用はねえんだけど、久しぶりにそのひねくれたツラ見たら言いたいことできた」
 思いつくままに大黒は続ける。
「お前って、最初に会ったときからずっとそうだよな。覚えてる?」
「なに? 昔話?」
 いちいち悪態をつく木原の反応は大黒の思った通りで、話を進ませる。
「そうそう、そうやって人を避けようとする感じとか相変わらずだよな。変えたほうがいいぜ」
「余計なお世話だ。てめえこそ何でもかんでも思ったこと好き勝手言って楽しいかよ」
「うん」
 なんのためらいもなくうなずかれたのが気に入らない木原はまたしても舌打ちをした。今度ははっきり対象を見据え、悪意を持って。
「だからさ~そういうのだって。そういうの直してくれたら、今でも一緒にバンドやってたのかもな~」
 木原の人付き合いの悪い部分を直してほしいのは、単に嫌いだからではなかった。軽い冗談を言うように上のほうをぼんやり見つめながらつぶやいた言葉は、かつてのバンドメンバーである木原を気に掛けるものだった。
 だが、木原はそんな気持ちは分からないのか、嘲笑で返した。
「そりゃねえよ。おまえらとなんかやってられねえのはすぐわかったからさ。ただモテたいからって理由でギター持ってるお前と俺を一緒にすんなよ」
 大黒と木原、そこにもう二人を加えて軽音楽部でバンドを組んでいた。大黒がギターボーカルで、ギターとドラムが中学からの経験者。木原だけ未経験でベースをやっていた。
 文化祭に出るためのバンドとして結成したまではよかったが、曲決めで早くも方向性に亀裂があった。木原はボカロやアニソンといったジャンルの曲が好みだったが、ほかのメンバーはそういった音楽を全く聞かないどころか、偏見を持ってダサいと思っていた。多数決をとれば木原だけが異なる回答をするようなバラバラなチームワーク。結果、文化祭前に解散した過去を持つ。
「たしかに。お前みたいなヘタクソ、こっちから願い下げだ。変にプライドだけ高くて、イキって作曲始めるやつ、俺らとは釣り合わねえよ」
 大黒がそう言うのも無理はないほど、木原だけ実力がなかった。大黒もギターを始めたのは高校入学後だったが、すぐに上達し、ほかの二人は経験者ですでに実力があった。一方の木原は好きな曲をやれないことからモチベーションも上がらない。怠惰な性格から基礎練習は(おこた)る。練習ができてないとほかのメンバーからあきれられていじける。これを繰り返していた。
 解散した原因は大方木原にあるのだが、本人は自分が悪いのではなく、単に価値観が合わなかったとしている状況だ。大黒もそんな彼を気に入っていない節はあった。
「さっきから言いたいこと言いやがって。おまえらがやってることなんてお遊びのくせに」
「じゃあ、そのお遊びにすら届かないお前ってなんだよ?」
 話始めたときのフランクさのまま煽る。
「俺の音楽はお遊びなんかじゃない。こっちは動画サイトの再生数は三万回超えてんだよ」
「証拠は?」
「『ハラゲンキ』って名前で調べれば出てくる」
 木原があまりに誇らしそういうので、大黒はスマホでその名前を調べてみた。そして、その検索結果に思わず吹き出してしまった。
「何がおかしいんだよ」
 誇らしげな様子が一変し、再び怒りが顔からにじみ出した。
「いやだって、これ、バズってたパクリ野郎じゃん。え? これ、お前だったの?」
 動揺する反面、吹き出すのを必死でこらえている。わざとらしく口に手を当てる様子にとうとう木原は大黒の胸倉をつかんだ。
「馬鹿にするのもいい加減にしろよ! これは正真正銘俺が作った曲だ!」
「じゃあ、どうやって作ったか言ってみろよ」
 AIに作ってもらったということだけは口が裂けても言えない。だからと言って中途半端なことを言ってもパクリだとこじつけられる。木原は掴んでいた胸倉をゆっくり下した。
「これでわかったろ。お前は中途半端な人間なんだよ。俺たちとは違う」
 木原の手を払いのけ、大黒はその場を去ろうとする。
「待てよ」
「これから練習なんだけど。こっちはお前みたいな暇人じゃないんだ」
 大黒は振り返ることなく数歩進んだが、すぐさま足を止めた。
「そうだ、言い忘れたことがあった」
 決して木原の顔は見ずに続ける。
「俺たち、文化祭でライブすることになったから、見に来いよ。お前とは何もかも違うって証明してやるよ」
 木原には何も言い返すことができなかった。その悔しさが溜まりに溜まって出口を探して口が開く。
「どいつもこいつも、ふざけんじゃねえぞぉぉおおお!」
 帰りを急ぐ生徒が散見する中、皆の視線を一点に集めるほどの発狂。コンクリート造りの良く響く廊下で騒々しく響き渡る奇声だが、その瞬間だけは他人の目などどうだってよかった。
 発狂し終え、少しだけ冷静になる。発狂の反動か、周りから笑い声が聞こえる。木原を(けな)すものもあれば、いたって普通のおしゃべりも混じっていた。いつもの当たり前の風景だが、木原の心にはすべてが自分への悪意に聞こえた。
 木原にできるのはただその場から全力で逃げ出すことしかなかった。階段を転げ落ちるように駆け下り、迫りくる人をぶつかりながら通り抜ける。悔しさで(ゆが)んだ顔を誰にも見られたくないという気持ちだけを持って、家路を駆けぬけた。
 自分を認める人間なんてどこにもいない。そう感じるようになってしまったのは、木原がまだ小学生の頃だ。学芸会の演劇で無理矢理役者にさせられた。人前に出るのは決して得意ではない彼は、緊張のあまり本番で演技が止まってしまった。
 同級生からは笑われ、教師からは同情され、親からは呆れられた。それ以来、彼は誰かに認められたいという欲求が人一倍強くなった。特別な才能のない自分自身を認めるためには誰かの努力を否定せずには、誰かの失敗を笑わずにはいられない。そんな生き方がいつしか肌になじんでいった。

 高校生活最後の夏休みの開始が数日後に迫っていた。夏休み直後に行われる文化祭での劇は配役や裏方の役割が殆ど決まってきていた。
「じゃあ、木原は音響でいい?」
 実行委員の増渕(ますぶち)がそう尋ねても、木原は上の空な様子をしていた。
「お~い、木原~?」
 再び名前を呼ばれて、自身が呼ばれていることに気がつく。
「ああ、別にいいよ」
 気の抜けた適当な返事をすると、増渕は文化祭の決めごとを進めた。
 放課後、いつも通りそそくさと帰ろうとすると、増渕が呼び止めてきた。
「なあ、木原って作曲できるってマジ?」
「ああ、一応」
 自信なさげにそう言うと、増渕がその三倍くらいのテンションで話を膨らませた。
「マジ? じゃあさ、曲作ってよ」
「は?」
 断片的にそう言われてもピンとこなかった木原は思わず低い声で本音が漏れた。
「あ、ごめん。やっぱりダメ?」
 普段の愛想の悪さが災いして、怒っていると勘違いされた。
「どんな曲?」
 木原からアプローチすることで意欲を示す。
「えっと、文化祭の劇で使う曲」
「そんなの誰かの曲使えばいいじゃん」
「殆どはそうなんだけど、どうしても何曲かピンと来なくてさ」
 増渕は演劇部に所属しており、そうしたこだわりが人一倍強いようだ。
「本当はいつも通り部活の知り合いに頼もうと思ったんだけど、文化祭でライブやるとかで忙しいって断られちゃってさ」
 ふと、大黒の顔が脳裏に浮かんだが、大黒は軽音楽部だから違うとかき消した。
「だから、お願いできないかな?」
「ああ、いいよ」
「ホント? 助かるよ~」
 これはチャンスだと思った。どういう訳か自分に作曲を依頼してくれたわけだ。穢された自分の名誉を挽回する絶好の機会だと感じた。
「ただ、あんまり期待すんなよ」
「謙遜すんなよ。お前天才だって聞いてんだから」
 どういうことだろうか。木原がこれまで作曲しているという話をしたのはかつてのバンドメンバーくらいだ。演劇部の人間が知っているはずがなかった。
「なあ、俺が作曲できるって誰から聞いたの?」
「ん? さっき言った部活の知り合い。なんかそいつもバンドメンバーから聞いたって言ってたような」
「もしかして、大黒?」
「ああ~、確かそうだったような気がする」
 なんの当てこすりだろうかと腹立たしさがこみあげてきた。大黒のことだから、冷やかしのつもりだろうが、伝聞を繰り返すうちに、増渕が言葉通りに受け取ったのなら、(たち)の悪い嫌がらせだ。
「あ、やっぱり、なんかまずかった?」
 腹立たしさが表情に出てしまっていたようで、増渕が申し訳なさそうに一歩下がる。
「いや、そんなことない」
 咄嗟(とっさ)に表情を作り、このチャンスを無駄にしないように取り繕った。
「そっか、ならよかった。じゃあ、夏休みの終盤には練習始まるから、それまでには作ってくれない?」
「一ヶ月くらいか。ああ、いいよ」
「じゃあ、よろしくな!」
 そう言うと、用件が済んだ増渕は教室を出ていった。
「よし、やるしかないな」
 久しぶりにやる気のある表情で帰り道を進んだ。

 木原は久しぶりにPCに向かい作業をしていた。SNSで炎上して以来である。
「さて、どんな曲を作ればいいんだっけ? つーか、この劇ってどんな話だった?」
 あまり協力的でなかった木原は、台本をほとんど開いたことがなかった。どこに置いたか覚えていない。自分のカバンやファイルを手あたり次第に漁っていく。
「あー、これでもないし、これでもないよな」
 もとからさほどきれいではなかった木原の部屋は、プリントで徐々に足の踏み場がなくなっていく。
「あった!」
 やっとのことで探し当てた台本は、ほとんど開いたことがないのにもかかわらず、ボロボロになっていた。学校でもらう様々なプリントの中でないまぜになって埋もれていたのだ。
「『別次元MOMOTARO』。なんかだせぇな。どうせみんなが知ってる話をアレンジしてみたっていう、文化祭の劇によくあるやつだろ」
 台本の冒頭にはあらすじが最初に記載されていた。普通の女子高生の主人公「もも」が文化祭の準備をしているところ、突然別世界に飛ばされ、現地で悪さをしている狂犬、猿人、怪鳥を手懐ける。三匹のボスであるUMA「ONI」の暴走を止めるべく、彼らとともに立ち向かうというお話だ。
「うん、正直読む気にもならん。つーか、もはや桃太郎じゃねぇんだけど、こんな台本で大丈夫か?」
 高校の文化祭でクラス出し物として行う劇など、たいしたものを求められてはいない。とはいえ、木原にとってはあまりによくわからないものを提示されたため、リアクションに甚だ困っているのだ。
「まあ、文化祭の出し物がどうなろうと俺には関係ない話だ」
 木原にとって大事なのは、ここで作曲家としての実力をみんなに見せつけることである。ここでうまくいけば、自分のことを認めてくれる人が現れる。そのために曲を作るのだ。決してクラスのためじゃない。自分のために曲を作る。そのことを改めて決意した。
「で、どんなシーンで曲を流すかだよな。それがわかんなきゃ劇伴(げきばん)は作れねえ」
 台本を読みながら、自分の曲が流れる部分を確認した。そして、増渕から提示されたメモをもとに、どんな曲を作るかの構想を練り始めた。
 一つ目の楽曲は別世界に飛ばされた後に流すプロローグ。時間は一分以内。これから始まる大冒険の予感を想起させられるような壮大な楽曲にすることと、曲の最大のピークは冒頭十秒のみと限定されている。
「まあ、簡単に言えば、最初のインパクト勝負な楽曲ってことか」
 別世界に飛ばされた主人公が「ONI」を退治するために向かう道中にある森で流すのが二曲目。こちらも時間は一分以内。冒険者の不安をあおるような不気味さを醸し出す楽曲にすることとメモに記されている。また、味方になるキャラが現れる直前に流すことから、計三回流すことになっている。観客に簡単に飽きられないような楽曲にしてほしいとのことだ。
 最後の曲は「ONI」と剣で戦うシーン。劇伴の花形、戦闘シーンである。この曲は、実際の役者たちの殺陣(たて)とリンクさせるとのことなので、どこで切りあったりするかを明確に音楽で表現してほしいという、素人には無理難題な注文をしてきた。
「うへ~、なんだそれ。プロでもそんなことできる人限られてるって」
 増渕はどうやら、天才という噂をかなり真に受けている様子だ。しかし、だからといって木原は無理とは言わなかった。こうした無茶を叶えることで、自分の実力を誇示してやろうと考えていた。
「とりあえず、やれそうなものからやってみるか」
 AISの前に使っていた作曲ソフトで楽曲を作り始める。楽譜の上に音符を置き、一音ずつメロディを紡いでいく本来の作曲を行っていた。
 木原の心に誓ったこと。それは今回、AISは絶対に使わないということだ。AISを使えばこれらは一日あれば完成してしまうだろう。だが、それではなんの意味もない。自分の力で作ってこそ意味があるのだ。
 ヘッドフォンで周りの雑音を遮断すると、彼は黙々と作業を進める。浮かんだメロディを手際よく入力していく集中力は人一倍のものだった。表情は真剣そのもので微動だにしない。近くの河川で花火大会が行われているが、花火の音にも、普段はしない笑い声にも一切耳を貸さなかった。ただ自分の中にある音だけに集中している。
 しかし、その日はアイデアが形になる事はなく、進展のないまま終わった。それから一週間たっても、一曲も完成することなく時間だけが過ぎていった。
 夏休みに入ったが、ただ遊んでいられるわけではない。木原は受験生なので、塾の夏期講習や学校から出された宿題も山積みである。
「これと、これとこれは……げっ、来週までじゃん。夏期講習の復習もやんなきゃいけないし、忙しいな~」
 時間がないと、目の前のことに追われる日々を過ごしていた。そうして、目の前のことばかりに気を取られているうちに、楽曲の納期が三日と迫っていた。
「だめだ、まったく浮かばない」
 劇伴というこれまでにやったことのないジャンルに四苦八苦しているのもあるが、もう一つ大きな要因があった。
「だめだ、何を書いても何かのパクリに聞こえる……」
 数か月前に受けたバッシングの傷をいまだに引きずっていた。実際に完成した曲は一曲もないが、何もしていなかったわけではない。どれだけ忙しくても毎日必ず作曲ソフトで作業し、思いついたメロディを楽譜にする作業をしていた。しかし、自分から出てくるものは、すでに誰かが作ってしまったものなのではないかという疑念がよぎる。そして、楽譜をすべて白紙に戻すのだ。それをこの一か月ずっと続けていた。
「違う、これじゃまたパクリって言われる」
 作れば作るほどにそうした感覚に襲われる。楽譜を真っ新にすればその感覚も消える。何一つ生産性のない行動に、木原はだんだんやる気をなくしていた。
 そして、納期当日を迎える。
「曲できた?」
 増渕から短いメッセージをもらうが、返信はしない。
「何も知らないくせに……」
 明日から文化祭の準備が始まる。もう猶予はない。何も書かれていない楽譜だけがそこにあり、曲と呼べるようなものは存在しない。
 今日も今日とて楽譜とにらめっこをして、書いては消してを繰り返す。日が昇ってから沈むまで。夜中を過ぎても続いた。
「はあ、もういいや」
 力なくこぼれ出た溜め息のような言葉は、木原の本心がそのまま表れていた。寝る間も惜しんで曲作りにあて、軽く充血した目、空気を欲する半開きの口、たるみきった頬にはもう限界を通り越していることが一目でわかる。
「はは、しょせん俺には無理だったんだよ」
 自分で自分を(わら)うことしかできない状況。どうすることもできない現実に打ちのめされていた。
「明日の文化祭の準備、サボるか」
 ベッドの上で寝転がり、明かりを消す。真っ暗な部屋で何も見えない中で、自分を卑下することばかりが頭の中に浮かび、それを誰にも聞こえないような小さな声でぶつぶつとつぶやく。
「AISなら、どんな曲を作るんだろう?」
 その言葉を発した時に、どうしようもなく涙を抑えられなくなった。

 翌日からの何日かは仮病で誤魔化すものの、とうとう向こうも催促の念を強くしてきた。
「そろそろ曲がないと練習が進まないんだけど、まだ?」
 こうしたメッセージが毎日のように飛んでくるのにも嫌気がさして、木原はしぶしぶ学校に向かった。
 音をなるべく立てないように教室に入るも、休憩中だったようで、みんなの視線を一点に集めてしまった。気まずくて誰とも目が合わせられないが、そうはさせてくれないクラスメイトがいた。
「おぉ~、木原じゃん。久しぶり~。待ってたよ」
 待ちわびていたという面持ちで増渕が木原に近づいていく。木原は増渕と決して目を合わせようとしない。
「あ、あのさ、曲なんだけど」
「そう、どうなった? 全然連絡よこさないから心配してたんだよ」
 不満を愚痴るように増渕はそういうが、木原は言葉がうまく出てこない。できていないと正直に言うためにここに来たはずなのに、肝心のそのことを認められない。
「ご、ごめん」
 やっと出てきた言葉は、ただの謝罪だった。
「え? できてないってこと? 本番、来週なんだけど」
 うなだれるように木原が頷くと、増渕はしつこく確認を迫ってくる。
「一曲も?」
「ああ」
 木原には力の抜けた返答しかできなかった。
「そっか」
 増渕の対応は思いのほかあっさりしていた。あたかも木原の曲ができていないことを分かっていたかのようだった。
「役者のみんな、殺陣のシーンなんだけど、さっきの曲で、さっき練習でやった感じで本番もよろしく」
 役者のメンバーは了承の返事をした。台本には殺陣のシーンは木原が書いた曲が使われるはず。だが、既に別の曲が用意されていたのだ。木原が仮病でさぼっていた間にも話は進んでおり、みんなは着々と準備を進めていた。
「なんだよ。俺いらねぇじゃん」
 同じ教室にいて、自分だけが場違いに感じて仕方がない。中には冷ややかな目だけを木原に向ける者もいた。この嫌になるムードは数か月前に味わったことがある。誰もが冷たいバッシングを浴びせてくる感じだ。SNSよりも叩かれる数は少ないが、一つ一つが直接木原を目掛けて射貫かれる。
 そんなのはもうたくさんだ。木原はその場から立ち去りたい一心で教室を飛び出した。机をぶつかってなぎ倒し、扉が壊れるぐらい激しく開けて出ていった。
「なんだ、あいつ。何しに来たの?」
「ほっとけ。そんなことより練習再開しようぜ」
 木原のことを気にかける人間はおらず、クラスのみんなは各々自分のなすべきことに取り組む。
「ごめん、もうちょっとだけ休憩してていいよ」
 そういって増渕も教室から急いで出ていった。木原が出ていったのと同じ扉から廊下に出ると、階段を下りようとする木原が見えた。
「おい、木原!」
 その声に気が付き、逃げるように駆け下りる。増渕はすかさず追いかける。廊下の中で追いかけっこをしながら、やっとのことで、増渕が木原に追いついた。
「はぁ、はぁ。そうやっていろんなことから逃げんのかよ」
「偉そうに。何も知らないくせに」
 木原は舌打ちを入れながらブツブツと愚痴をこぼす。
「ああ、知らねえよ」
「じゃあ……」
「知らないから、知りたいんだよ」
「は?」
 増渕の発言が、木原には頓珍漢(とんちんかん)に感じ、思わず(あき)れた声が漏れた。
「正直、お前のこと、全然知らないの。だってお前、あんまりクラスのみんなとかかわろうとしないし」
 木原はクラスの中でも浮いており、友達を作らないタイプ。いつも一人で行動し、何を考えているか分からないと周りからは思われている。
「でも、そんなお前にも特技があるって聞いたから、ちょっとでも生かしてほしいなって思ったんだよ」
 目を輝かせながらそう語る増渕は、さらに自分語りを進めていく。
「俺はさ、クラス全員がそれぞれのやり方で一生懸命頑張ってこそ、優勝できると思ってんだよね。だから、木原にも、自分にできることで頑張って欲しかったんだ」
「余計なお世話だ」
 木原が劇伴を作ろうと決意したのは、増渕のような志あってのものではない。ただ自分のためにやろうとしたことだ。わざわざクラスの人間に気を遣ってもらったなんてことは、木原のプライドが許さなかった。
「そうだよな、無理難題押し付けて悪かったよ。ごめん」
 増渕がしっかりと腰から頭を下げているのを見て、木原は怒りがふつふつとこみあげてきた。
「なんでお前が謝るんだよ!」
 増渕に向かって怒鳴るというより、彼にそんなことを言わせる自分に腹が立った。自分ができもしないことを安請負いしたせいでこうなったのだから。
「じゃあ聞くけど、謝らずにさ、例えば、俺が怒れば曲ができるの?」
 誠意を示した反動でキレられたら、これまで怒りを殺してきた増渕もさすがに怒りを声音に滲ませる。木原は思わず一歩下がり、何も言えずに増渕を見ていた。
「ごめん。こっちもさ、そんなことに労力使えるほど、時間ないんだよね。もう来週本番だから」
 増渕は失望を表す笑みを浮かべ、その場を去ろうとする。
「話はそれだけ。練習も明日からはちゃんと来いよ。『一応』音響なんだから」
 そのまま廊下をスタスタと歩き、やがて増渕の姿は見えなくなった。木原はその場に立ち尽くし、持っていた鞄を落とした。
「どいつもこいつも、何も知らないくせに」
 誰も聞いていない愚痴は薄暗い廊下の空気の中に消えた。

 木原は帰宅して早々、AISを起動した。
「最後の頼みだ。曲を作ってくれ」
「それでは、テーマを入力してください。ゲン様」
 久しぶりの起動だったため、自分のことを様付けして呼ばせていたことに恥ずかしさがあった。しかし、今はそんなことを気にしていられるほどの余裕はない。
「その前に、AIS。劇伴って作れるのか?」
「可能です。ジャンルから選択してください」
「歌詞はいらない。あと、時間はそんなに長くなくていい。そういう注文はどうすればいい?」
「テーマの部分に入力していただければ対応させていただきます」
 AISはテーマさえ入力してしまえば、どんな曲でも作ってしまう。高性能なこと極まりないが、それは、作曲をする人間には酷なことだった。
 テーマを入力して数時間で早くも一曲目が完成した。ヘッドフォンで出来栄えを確認する。
「あぁ、やっぱり、AISはすごいよ」
 自分が想像した以上の曲を当たり前のように作り上げる。魅力的なのは間違いない。しかし、木原はそう感じる一方で、自身を卑下せざるを得なかった。
「こういうすごい曲作られると、自分の才能を思い知らされるよ」
「私には、才能という概念がありません」
 すごいことを、さも当たり前のようにこなしてしまうのがAISの、ひいてはAIの魅力であり、恐怖する点である。
「そっか……」
 打ちひしがれて、大きなため息とともにそうつぶやいた。次の曲のテーマを打ち込み、完成まで待つ。待っている間、自分の才能のなさを脳内で卑下することを延々と繰り返す。そのうちに眠ってしまい、目が覚めたころには、すでに二曲目が完成していた。
 そのままのペースで三曲目も作られ、翌朝にはすべての楽曲が完成し、音源用のCDも作成されていた。木原が一ヶ月かけてできなかったことを、ものの一日で済ませてしまった。



 一週間が経ち、文化祭当日がやってきた。木原は音響ブースで暇そうにふんぞり返っていた。舞台の上ではせわしなくみんなが準備をしている。
 結局、AISが作った楽曲を提出した。あのまま自作にこだわっていても楽曲は完成しなかっただろうというあきらめと、クラスの人間の目が怖かったからだ。ここで与えられた役目を全うできなければ、陰で何を言われるか容易に想像がつく。ただでさえ周りから浮いているのに、もう誰も自分のことに見向きもしない。そんな状況は耐えられなかったのだ。
「みんな、準備はいい?」
 みんなが最初の立ち位置に着いた。それを確認すると、木原はもたれていた体勢を直し、音響卓に向かった。開始の合図音を鳴らす。ブザーのような独特の音が鳴ると特に何をするわけでもない木原も緊張する。
 幕が上がると役者達は普段出さないような大きな声で演技を進めていく。木原はただタイミングよく音楽や効果音を流すだけだ。
 順々にプロローグ、森のシーンと話が進んでいく。
「ねえ、さっきの曲、木原君が作ったんだよね」
「え? あ、うん」
 同じ音響の京田に突然聞かれ、そっけなく答える。
「すごいなぁ。あたし作曲とかできないから。木原君みたいな人を天才って呼ぶんだろうなぁ」
 彼女は何も知らない。木原がどんな思いで作ったか、どうやって作ったか。
 AISに曲を作らせた後も、提出するかどうかためらった。しかし、教室に入った時の増渕の顔を見たら、引くに引けなかった。喧嘩をした後でも、木原が曲を完成させることを待っていた彼の期待に満ちた顔に負けたのだ。
 結果はこうしてBGMとして使われている。その結果に対してどう評価するかは聞き手の勝手だ。天才だと思うのもパクリだと思うのもどちらも変わらない。
「そんなことないよ」
 その言葉は正解で、人によっては不正解である。木原は純粋にほめてくれた彼女の言葉を平気で否定する。他人の曲で褒められても、自分にとっては全くもって褒められたものではなかったから。
 劇も終盤に差し掛かり、殺陣のシーンとなった。結局、作ってきた曲もここだけは使ってもらえなかった。AISがこれまで作ってきた曲の中で、間違いなく最高傑作だと木原は感じていた。とはいえ、納期を過ぎたうえに、役者と動きを合わせるなんて芸当を素人がそう簡単にできるわけがなかった。
 これは増渕の失策だが、木原は内心ほっとしていた。長時間自分の曲を聞かれると、またパクリだ何だと言われかねない。たとえクオリティが高いと言えど、AISの性質上、結局は誰かの曲を元に作っているに過ぎない。今の木原にはささやかな量が似合っていた。
 エンドロールと共に幕が下りる。音響ブースから客席は殆ど見えないが、それなりに笑いはとれていた印象がある。これが増渕の意図したものなのかはわからない。木原としては、
「やっと終わった」
と呟きたくなるほどの解放感があった。劇伴を作り、それを聞かれるというプレッシャーから解放されたのだ。乗り越えた達成感とは異なる。結果がどうであれ終わったことへのひとまずの満足感があった。

 その後の文化祭は暇の絶頂だった。一緒に回る友達もいなければ、やることもない。移動するのも面倒なので、体育館の椅子で寝ていようと思った。
 しかし、劇の後はよりにもよって軽音楽部によるライブである。とてもではないが眠れる状況ではなかった。
 かつては所属していた部活だ。あの時のメンバーが二年たってどれぐらい成長しているのか、少し気になっていた。一応大黒にも見に来いと言われもした。ただ、気まずさもあるため、なるべく後ろで見ることにした。
 機材のセッティングが終わり、最初のバンドが音出しを始める。木原はパンフレットを見て大黒のバンドを確認した。
「げっ、あいつらがトリかよ」
 三年ともなれば、最後を務めるのは何もおかしくないが、よりによって自分がかつていたバンドとは。木原は当時からの成長をすでに感じていた。
 ライブは機材の関係もあり、かなり時間を押していた。体育館に西日が差しはじめたころ、いよいよ大黒たちのバンドが出てきた。
「『For Rock』です、よろしく」
 マイクに囁くようにそういうと、刹那(せつな)、黄色い歓声が上がり、(ひず)んだギターの音がうなりを上げる。
「相変わらず、あいつは上手いな」
 木原が知っている頃よりも、難しいフレーズを弾けるようになっていた。ほかのメンバーの技量も高校生とは思えないもので粗探しをしようと内心思っていた木原の心を置き去りにした。
 選曲も相まって駆け抜けるようにライブは最後の曲になった。
「最後の曲をやる前に、少しだけ、俺の話を聞いてくれ」
 さっきまで楽しそうな表情をしていた大黒が、真面目に語り聞かせるように話し始めた。
「最後の曲は、俺たちが作った最初で最後の曲です」
 観客たちが少しどよめく。しかし、一番心を揺さぶられていたのは木原だった。オリジナルの曲を作っていたのは自分だけではなかったのだ。
「曲は演劇部と掛け持ちしているベースの江田(えだ)が、忙しい中書いてくれて。作詞は俺がしました」
 増渕の友人と思われる彼が自分の後継だった。そして、曲も書いていた。ふと江田の姿に自分を重ねる。もし、大黒たちとうまくやれていたなら、自分は今頃あのステージの上に立っていたのではないか。自分の書いた曲を、恥ずかしがることなく披露できたのではないかと。
「俺が中学の頃、この高校の文化祭でかっこよくギター弾いている人がいて。その姿にあこがれて、小さいころから続けていたサッカーをやめて、俺も高校生からギターを弾くようになりました」
 そんな話を木原は聞いたことがなかった。ただモテたいから始めたものだと決めつけていた。自分とは違うと。だが、大黒にも音楽に対する熱い思いがあったのだと知り、自分が大黒と向き合えていなかったことに今更気付いた。
「だけど、意気込みばっかりで、全然うまくならない。俺のせいで喧嘩してメンバー変更したこともありました」
 木原には分かった。自分のことを話しているのだということが。他の観客は知らないし、当の本人も木原に向けて話しているわけではない。それでも少しは大黒も非があったと思っていることを初めて知れただけでも、木原にとっては十分だった。
「そんな俺だけど、このメンバーはついてきてくれて、今日までやってこれた。このバンドは、今日で解散して、みんな受験に向けて頑張るけど、このメンバーでやれたことが俺にとって何よりの宝です」
 観客たちはそんな彼らに拍手を送った。木原からすれば、よくそんなクサいことを言えるものだと思っていた。
「そんな気持ちを綴った歌です。聞いてください。『Treasure』」
 大黒たちが作った曲。どこかで聞いたことのあるような邦ロックっぽさがあり、それでいて、どこにもない唯一無二の曲。
「お前とは何もかも違うって証明してやるよ」
 大黒に言われたことが何となくわかってしまった気がした。単調なコード進行で決して良くできているとは言えないが、一体感があり、各パートがそれぞれバランスを保っていた。
 そして、全員、楽しそうに演奏するのだ。最後の曲なのに、晴れやかで、曇りなく、自分の演奏に自信を持っていることが、プレイを見れば、音を聞けばよく分かった。
「俺の入る隙間なんてないな」
 少し前に考えていたこと。もし彼らとうまくやれていたなら。そんなのは絶対に起こりえない妄想だとはっきりわかった。みんなが同じ方向へ進む一体感も、楽しく演奏することも、自信をもって自分の曲を披露することも。何もかも違うことを見せつけられた。
「どうもありがとう!」
 大黒がお礼を言うと、メンバーが彼のもとに集まり、お互いを称えあう。対して木原は、曲が終わるや否や、彼らに拍手もせず、体育館を飛び出した。
 彼らの絆が宝物ならば、木原には何もない。すべてを全力で(どぶ)川に投げ捨てていたのだ。そうなってしまう原因は至ってシンプルだった。
 素直になれず、他人のことを(おもんばか)れない自己中心な思考回路。それでいて、自分で何かをやって失敗すれば、逃げること。大黒と木原の差は明確で、木原は目を背けてきたそんな現実を見せつけられたのだった。

 家に帰り、木原はAISを起動させた。
「お加減いかがですか? ゲン様」
「ああ、最悪だよ」
 文化祭でイキイキする人を見ていたら、自分が小さい人間に見えてしょうがなかった。大きすぎるプライドが小さな体からあふれ出て、今は何も残っていなかった。
「あのさ、なんかごめんな」
「何のことでしょうか?」
「都合のいいときだけ頼って、うまくいかないことを全部お前のせいにして。本当に最悪だよな」
「そうされるのは機械の宿命です」
 AISにそう返されると、なぜか笑えてきた。最悪な人間だと他人のように非難してくれたなら、自分はそうなのだと思って心置きなく生きていけると思ったのに。
「お前は優しいんだな」
「お褒めいただき光栄です」
 久しぶりにこのセリフを聞いた気がした。だが、このセリフも、もう聞かないようにしようと決めた。
「なあ、AIS。お前を削除しようと思うんだ」
「ソフトの削除の方法はこちらになります」
 画面に表示されたのは削除の手順だった。アンケートに答え、ソフトウェアをアップデート。最後にごみ箱に移し、ごみ箱内を削除することで完全に消去できるというのだ。
「ごみ箱に入れるのじゃダメなのか」
「お手数をおかけします」
 木原は早速アンケートに答えることにした。最初はAISの使用感に関する質問で、項目に沿って記号で答えていった。しかし、途中にこのような質問が飛んできた。
「Q.なぜ作曲を始めようと考えたのですか?」
 至ってユーザーのパーソナルな部分に関する質問で、木原も戸惑いを隠せなかった。
「そんなこと言われてもなぁ」
 木原が作曲を始めた理由はいくつかあるが、一番大きなものはこれだと、書き始めた。
「誰かに褒めてもらいたいから、かな」
 木原は特別な才能や、ずば抜けた特技を持っているわけではない、ごく普通の人間だった。それゆえに、誰かに褒めてもらえる経験はそう多くはなかった。両親もほめて伸ばすタイプではなく、叱って(しつ)けるタイプだったため、なおさらだ。
 何か特別なことをすれば誰かがほめてくれると思い、音楽を、作曲を始めた。だが、特別なことなら、何も音楽にこだわることはない。スポーツでも、勉強でもなんでもよかったはず。それでも音楽に固執したのは、
「音楽が好きだから」
である。しかし、あまりに大きすぎる承認欲求は(かせ)となっていった。褒められることばかりを意識して、自分が楽しむことを忘れていたのだ。どれだけ馬鹿にされても音楽をやめるという選択だけはしなかったくらい音楽が好きなのに。
「Q.作曲をやめたいと思ったときはありますか? 『はい』の場合は理由もお書きください」
 木原は『はい』を選択し、理由も書いた。
「誰にも褒めてもらえないばかりか、非難されたから」
 SNSや動画サイトのことは、今でもトラウマになっている。AISをインストールしてからというもの、自分の手で一から作曲して曲を完成させていない。今でも作曲を続けるべきか悩んでいる。
「Q.自分に音楽の才能はあると思いますか? 理由もお書きください」
 何のためらいもなく『いいえ』を選択した。
「AISの作った曲に、自分の作った曲は勝てないから」
 最初にそう書いたが、書いていて疑問に思った。
「勝ち負けってなんだ?」
 大黒の曲を聞いた時にも思った。大黒の曲は何か特別に歌詞がいいわけでも、曲にセンスがあるわけでもない。なのに、あんなにも自信をもって楽しそうに演奏していた。本人たちの終わった後の様子からすれば完全勝利だろう。
 木原が作った曲はAISの曲に劣っているのだろうか。その答えはわからない。というより、聞き手次第ではないだろうか。先ほどの回答を消し、こう書き直した。
「まだ自分も他人も納得する曲をかけたことがないから」
 そう書いておいて、こうもつぶやいた。
「あぁ、そっか。才能があるとかないとか、そんなのわかんねえな」
 木原は増渕や京田に「才能がある」とは言われた。それはAISの曲であり、実際にはその人に才能がなくとも、あたかも天才であるかのようにふるまうことはできる。才能の有無など聞き手次第な部分があるのだ。
「Q.なぜ、AISを削除しようと考えたのですか?」
「そんなことまで聞くのかよ」
 思わず声に出してツッコんだ。しかし、これに答えなければ削除はできない。木原にはAISを削除する明確な理由があったのだ。
「最大限扱うことができないから」
 AISの作曲した曲をそのまま動画サイトに投稿したことから、木原のプライドはみるみる傷つけられていき、最終的に粉々になった。そして、都合のいいときだけ頼って、うまくいかないことを全部AISのせいにする。とても健全な使い方とは言えない。そして、根本的に木原自身が変わらなければ、また同じ失敗をしかねない。
「自分をアップデートさせたいから」
 自分自身の価値観を、これからの人生の中で更新していく。木原はそう誓い、AISを削除するという結論に至った。そこにAISの入る隙間はなかったのだ。
「アンケートのご協力ありがとうございました。アップデートに移行しますか?」
 木原は少しためらった。もしここでアップデートをすれば、もう二度とこのソフトを見ることはない。完成されたAISの美貌と美声も、超高性能のAIも、これまで作った曲の数々もすべてなかったことになる。
「なんか、名残惜しいな」
 それでも、自分で決めたことだと言い聞かせ、『はい』にクリックした。すると、AISの顔が大きく表示された。
「今までの、ご利用ありがとうございました」
「お、おう。悪いな。俺の身勝手で削除しちまって」
「お気になさらず。命も感情もありませんので」
 AIによる渾身のジョークなのだろうが、木原はいまいち笑えない。
「最後に、アンケートをもとに、ゲン様の今後の作曲人生を(ねぎら)う言葉を授けたいと思います」
 アンケートでパーソナルな質問をしてきたのはこのためだったのかと変に納得した。
「音楽が好きで、誰かに褒められたくて始めた作曲も、今ではなかなか手につかない状況かと存じます」
 いちいち的を得た発言をしてくるAISが最後まで少し怖くなる木原だが、ひとまず、聞いてみることに。
「しかし、褒められたいのであれば、作曲を続けましょう。AISでなくとも、作曲する手段はいくらでも存在します。何度失敗しても、努力し続けることでいつか花開くものです。才能とはそういうものであるといわれております」
 AIであるため、おそらくどこかで言われている一般論を検索して述べているのだろう。しかし、傷心の木原には誰にも言われたことのない温かい言葉に感じた。
「いつか、ゲン様が作った曲が認められ、世に広まること、そして、これからも曲を作り続け、自分の最高傑作をアップデートし続けることを願っております」
 その言葉を最後に、アップデートが完了した。手順通り、ごみ箱に入れ、AISを削除した。最後に削除する際には、「ありがとう」という言葉を添えて、クリックをした。
 しかし、後悔はすぐにやってきた。もし、AISを完璧に使いこなすことができたら、自分はどうなっていたのだろうかと。
「本当にこれでよかったのかな」
 自分が音楽を作る人間としてこれから生きていくためにはこうするしかない。いつまでもAISに頼っていれば、自分の存在価値はいずれなくなる。遅かれ早かれそう思ったからこそ決断したのだ。
 今はどうしようもない感情を、ため息のように吐き出すことしかできないが、木原の価値観が音を立てて変わっていった。その音は本人には聞こえずとも。

 文化祭も終わり、徐々に秋の気配が漂ってきた頃、木原はショッピングモールのフードコートで黙々と勉強をしていた。
「お、木原じゃん。こんなところで奇遇だな」
 ふと顔を上げるや否や、木原は生ごみを見るような目で声の主、大黒を見た。
「なに。邪魔でもしに来たのか?」
「なんでそんな風にしかとらえられないかな? ひねくれてんのは相変わらずだな」
「ほっとけ。それよりも勉強の邪魔だから別のところ行けよ」
 木原が煙たがるのを意に介さず、大黒は木原の向かいに座った。
「まあ、俺も勉強しに来たわけだから。お前の邪魔していられるほど余裕もないし」
 大黒はカバンから勉強道具を取り出した。筆記用具、ノートを取り出すまでは何も思わなかったが、参考書に書いてある大学を見て木原は驚きを隠せなかった。
「お前、そこ名門国公立大学じゃねえか」
「おう、で?」
「で? じゃねえよ。そんなムズいとこ受けられる頭あったか?」
「ねえよ。だから言ったろ? 余裕ないって」
 手を動かしながら、木原とやり取りしている。そのままの体制で、今度は大黒が質問をした。
「そういうお前はどこ受けるの」
「専門学校」
「どんな?」
「作曲とかを学べる学校にしようと思ってる」
 勉強の片手に話を聞いていた大黒の手が止まった。
「マジで? お前が?」
「悪いか?」
 また馬鹿にされるのではないかと危惧した木原は、低い声で脅すようにつぶやいた。
「いや。意外だなって思って。あのまま音楽辞めるのかなって思って」
 大黒に悪意は見受けられない。が、木原は大黒の発言の意図が知りたかった。
「どういうことだよ」
「文化祭、片付けもせず途中で帰ったんだろ? 知り合いから聞いたよ。逃げるように帰ったって」
 つくづく高校生というのは噂やら人の話がよく回ると感じてしまう。木原のクラスは劇部門で三位という何とも言えない結果で終わった。クラスが一つになったという感触もなく、相変わらず木原はクラスで浮いている。
「てっきり心が折れたのかと思ってさ。だって劇伴を作ったのお前だろ? プライドの高いお前なら、嫌になって音楽をあきらめたのかと思っただけ」
 木原はそこまで文化祭に思い入れがなかった。問題はそこではなかった。
「まあ、心は折れたよ」
「マジかよ」
「だけど、それ以上にやりたいって思えたから」
「へえ~。まあ、お前が決めた道なら、別にいいけどさ」
 思った以上に淡白な返答。そして、馬鹿にしたり、非難したり、詮索したりするわけでもなくただ、木原の進む道を肯定した。
「てっきり(わら)われるんじゃないかと思った」
「言ったろ? 俺にそんな余裕はないって」
 大黒の学力は木原もなんとなく知っていた。一年の頃はお世辞にもいいとは言えなかった。そこからそれなりには上がったとは聞いたが、名門校を受けられるほどではないと。
「それに、一生懸命勉強してる様子見たらさ、本気なんだなって思ったからさ。そんな夢に頑張るやつを俺は絶対笑ったりしない」
「あっそ」
「お前のその人付き合いの悪さは何とかならねえの?」
「ほっとけ」
 それ以上は机を共有していても、何も話すことはなかった。



 瞬く間に受験当日となった。木原は受験票を片手に志望校の校舎に入る。
 試験会場の教室には同じように入試を受けに来た人が何人かいる。どんな気持ちで受験しに来たかは分からない。滑り止め感覚の人もいれば、木原のようにプロの音楽家を目指す人もいる。下手をすればもう後がない人もいるかもしれない。表情だけでは何もわからない。
 木原も同様である。表情は不安で曇っていても、決して逃げたりしないよう、前へ一歩踏み出したのだ。そうすることで、自分を更新(アップデート)していけると信じているから。
「始め」
 裏向きの解答用紙をひっくり返し、木原は問題に真正面から向き合った。

アップデート/古狸楽霊太 作

アップデート/古狸楽霊太 作

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-12-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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