where is here?
「君たちは今日から晴れて音速商事の一員になります。君たちはまじめであると聞いて……」
入社式、社長の話が長いうえに中身がない。私は欠伸を押し殺すのに必死になっていた。私は志望業界も職種も考えていなかった学生だった。加えて、キャンパスライフはお世辞にもエンジョイ出来ていたわけでもないし、軽く大学時代を振り返っても、それなりに学業に勤しみ、サークルは入会するだけして幽霊になり、アルバイトは一切しないという陰の大学生活であった。得たのは大卒という学歴と親に取れと言われた教員免許ぐらいである。
「これで音速商事の入社式を終わります」
そんな薄すぎる自分の回想を脳内で流していたら、拷問のような時間が終わり、私は思わず体を伸ばした。
「あのー、井山さん。だっけ?これからよろしく」
少しおどおどした感じで話しかけられた。同期の一人に確か、こんな感じの子がいたような。私は脳内の箪笥からぼやけた写真を取り出して確認する。
「よろしく」
とりあえず返事しておく。
「よかったぁ、井山さんがいて。同期に女の子がいないのかなぁって思って。あっ、ごめん、私対馬鼓子って言います」
対馬はため口と敬語が混ざった口調で焦りながらそう言った。確かに内定式の時より参加者の数が明らかに減っている。特に女性は私以外にも数人いたと記憶していたが入社式には私と対馬しかいない。
「これから一緒に頑張ろうね」
笑顔で対馬は私の手を握る。
「まぁ……うん」
私は少し戸惑いながらそう言った。
5年後
「ご苦労さん、井山。今月もノルマ達成か、本当に優秀で助かるよ」
上司が私の肩をたたきながらそう言った。
「はい、ありがとうございます」
私は熱を帯びていない返事をする。
「音速商事」私が勤めている会社だ。何をやっているのか、何を売っているのか、働いている私にもわからない。ただわかっているのは毎月、目標という名のノルマを課せられる数字至上主義の社風である。
そして、ノルマ未達の者は人間に非ずと言わんばかりに非難される。はっきり言って限りなく黒に近い会社だ。
「これはお前のためを思って言ってるんだ、よく聞け、わが社の寄生虫が!」
今日も全く商品を売ることが出来なかった後輩社員が上司に激しく詰められていた、最早そこに愛情などはなく、どこかで聞いたことのあるような全く刺さることの無いたとえを乱発しており、一種の上司の自慰行為にすら感じた。その時の後輩の顔は青白く、そのまま朽ち果てていきそうな表情だった。それに先日は同僚がセクハラを訴えて退職した、その後セクハラを行ったはずの上司が平気で昇進していて、軽く吐き気を催したものだ。そんな弊社の空気は触れれば火傷しそうなほどに冷たく、張り詰めている。そして、仕事のできない人間はほぼゴミのような存在として扱われる。そんな職場環境で掲示されている、ポスターに書かれている「アットホームな職場」という単語が一周回って面白いボケに感じる。そんな質の悪い緊張感が常に張り巡らされたオフィスで私は働いている。ただ、私は自分で言うのもあれだが優秀な社員らしく、ノルマ未達成だったことが入社して以来一回もない。結構、重役たちからも将来の幹部候補だとか期待が大きいとか言われているらしい。まぁ、たとえ昇進の話があっても断るだろうけど。
「お疲れ様です」
私は18時を指す時計を確認して、席を立つ。皆は必死の形相でPCやファイルとにらめっこしている横を通り私はオフィスを後にした。
「ふぅー」
少しため息をつきながら、二輪車にエンジンをかける。そして私はライダースを羽織った。
「これからどうしようかな」
国道を走る車をすり抜けながら私は今後のことを考えた。
「ふぅー」
私はコンビニに二輪車を止め、フルフェイスをはずす。今日もコンビニ弁当かな。そう言いながら店内に入っていった。私立大学の宣伝と流行りのJ―POPが流れる店内で私は割引シールのはられたチキン南蛮弁当と大盛りペペロンチーノをかごに入れる。
「あれっ?井山ちゃん。」
妙に甲高い声が横から聞こえた。
「やっぱ、井山ちゃんじゃん。久しぶり」
声の主は近田だった、学生の時と違い眼鏡をかけているがすぐにわかった。近田は大学時代の同級生だ。何かと私についてくる男で、独特な声と感性でよく私に迫ってきた。ツンデレ的な感じではなく、本当に苦手なタイプである。
「確か、井山ちゃんって。㈱音速商事だったけ?」
近田は私の返答も待たずズケズケと聞いてくる。
「俺はバリバリのIT系の大手、㈱ワクバンドウネットワークなんだけど」
いや、聞いていないのだけどと思わず言ってしまいそうになるが、私は喉元でその台詞を抑え込んだ。
「せっかくだし。なんか食べに行こうよ。勿論俺のおごりでさ、実はおすすめの高級レストランがあるんだ。」
近田がそういうと、私はそっと30%オフのシールが貼られたチキン南蛮弁当を棚に戻した。
「まぁ、好きなだけ食べてよ」
近田は笑顔で明らかにいつも私が食べている物と3ランクぐらい違う料理たちを前にそう言った。天井には眩いシャンデリア。壁には全く感性のない私には響かない画伯たちの傑作が飾られている。
「どうしたの、お腹空いてないの?」
近田はそう言って、フォークとナイフを器用に使い、上物を食べ始めた。残念ながら私は小食である、それに普段から食べなれていない高級な食材が体に適していないのか面白いぐらい喉を通らない。結局のところ私の舌はこってりとしたジャンクフードを望んでいるのだろう。
「それでさ、井山ちゃん。最近疲れてない?」
近田は怪しさ満点に尋ねてきた。
「マルチならやらないわよ」
私は即答した。
「マルチ?違うよ、失礼だなぁ」
近田は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
「俺はそう言うのが嫌いって、大学の時から言ってんじゃん。ましてや弱者から搾取するようなそんなクソビジネスを君に提案するわけないよ」
近田は目を見開きそういった。近田は大学時代から弱者を救い、強者を挫く。これが信念だとか何とか言っていた。だから、大学時代はもっぱらボランティアに行ってきたとか、デイサービスでアルバイトだとか、そんなエピソードを聞かされた。それに、ながらスマホを行う運転手や歩行者にもよく腹を立てていたし、私もスマホをいじりながら話に相槌を打っていたら、顔を真っ赤にして怒られたこともあった。ただそんな彼が、コンビニで週刊誌を立ち読みしていた時は心のなかで激しく蔑んだものだ。
「まぁ、聞き方が悪かったね。それは謝るよ、それよりさ、今週の日曜は暇?」
近田は水素のような軽さの謝罪を挟みながら、私のプライベートエリアにまたズケズケと入ってくる。
「暇じゃないけど、先約いるし」
私はカウンターパンチのごとく即答した。
「そっか、残念だなぁ。せっかく一緒に映画見ようと思ったのに、まぁさっきまで見てたんだけど、一人で」
私は残念そうな顔をする近田と対照的に心の中で胸をなでおろした。
「まぁいいや、それで、さっきも聞いたけど。疲れてない?」
近田はすぐに表情を変え、冒頭の質問を掘り返す。
「まぁ、疲れてるけど。別に問題はないわ」
私は紅茶を片手にそう言った。
「そうだよね、音速商事、あそこあんまりいい噂聞かないもん、特にノルマがエグイとか」
近田はお洒落なティーカップを口元に運びながらそう言った。
「別にそこまでだけど」
私はつめたくそう言った。まぁ、一般的には厳しいノルマなんだろうけど、私にとってはそうでもない。
「へぇーすごいじゃん。まぁ、井山ちゃんって営業うまそうだもんね」
営業がうまそうね……私はその言葉を心のなかで復唱しながら鼻で笑った。
「ただ、そんな会社でよく仕事できるよね。確かネットの情報だけど意味の分かんないカスみたいな商品を売ったりするんでしょ。ほぼ詐欺だよね。俺にはできないな、心病みそうだわ」
近田は笑顔で言う。私もそのことについて否定はしない、現に何やっているか私自身も理解していないのだ。
「まぁ、元気そうでよかったよ」
近田は食後のデザートを食べ始めた。
「こっちは大変だよ。上司がさ……」
近田が今度は自分のターンと言わんばかりに愚痴をこぼし始めた。
「それでさ、俺がパワハラ上司から後輩を守ったってわけよ。でもさ、それが原因で昇進話がパーだってさ。俺は正義の味方なのにさ」
近田の愚痴と自慢のようなものが入り混じった口撃が続く。まぁ、私は聞いている風を装い聞き流すいつもの営業スタイルを採用し、デザートを食していた。
「まぁ、心機一転頑張るってことだよ。ごめんね、しゃべりすぎちゃって」
勝手にしゃべり終えて満足げな顔を見せる近田。
「そう、別にいいわ」
まぁ、ほとんど頭に入ってないし、満足そうならそれでいいやと私はナプキンで口を拭った。
「ちょっと、花を摘みにいってくる」
近田は不似合いな言葉を残し、席を立った。改めて辺りを見渡すとあふれ出す高級感に少し不安になった。決して私は経済的に不安があるわけではないがこんな高そうな飲食店に行ったことは人生で一度もない。近田は常連客らしいが、金銭的にそんなに余裕があるのだろうか。それだけ稼いでいるということなのだろうか。まぁ給与は高水準なのだろう、昇進がなくなったとは言っていたが。
「ごめん、戻ってきたよ。あと会計は済ませておいたから」
そう言って近田は戻ってきた。
「そう、ご馳走様」
私はそう言って徐に席を立った。
「きょうはありがと、井山ちゃん」
近田は二輪車にまたがった私に笑顔で手を振った。私は腕時計を見ながら家を目指した。
私は家に到着した、私の独壇場となっている駐輪場にバイクを置き、101の角部屋を目指す。築30年越えの年季の入ったアパートである。ただ押し入れや風呂、洗面所など生活を行えるものは備えつけてあるので私にとっては十分だ。
「ただいま」
「ふぅー」
家に着くや否や今日何度目かわからないため息をつく。
まぁ明日は休日だしとゆっくりと座椅子に腰を下ろした。脱力感満載でスマホをいじる、代わり映えのしない情報が私の目に映し出される。時計を見るともう日付が変わろうとしていた。
「よいしょ」
私は重い腰をあげ、押し入れを経由してゆっくりと浴室に向かった。
「はぁー」
43度に設定した湯に私は思わず声をあげる。テレビで言っていたが風呂に浸かるときに出す声というのは人間が生命を守るために出す声らしい、まぁスマホいじりながら見ていたから理由はどうとかは覚えていない。私は熱めのお湯や絶叫マシンは元来好きな方だし、体がスリルを求めているのかもしれない。
「ぷはぁー」
私は冷蔵庫にあった、ペットボトルに入ったミルクティーをラッパ飲みした。風呂上りは基本的にミルク系の飲料を飲み干すのが私の一種のルーティンである。そして、空になったペットボトルをテーブルに置き、私は壁掛け時計を見る、もう日が変わっていた。
「はぁー」
私は体を伸ばし、一息をつく。そして、そのまま洗面台に向かった。
「私はここだ」
「あなたは私の子供たちの中で一番よくできる子だから」、「あなたのためを思って言っている」洗脳のように聞かされる言葉、それは鎖となって私の自由を縛り付けていた。私は心の通った人間だ、親の理想を体現するための玩具ではない。そう言う思いが蓄積していくのと同時に私は日々鎖を解こうとあがくのだった。
「敷かれたレールを走りたくない」
誰かの言いなりになりたくない人間の常套句。自由を求めあがく私は学習指導要領を投げ捨てながらこの言葉を一言一句違わず親に言い放った。親の答えはノーで、私の頬には痣が出来た。そして私は其のレールから自ら降りた。否、降ろされたのだ、勘当という形で。
今思えば親の言うことが正しかったのかもしれない。そんな後悔の波に漂いながら、真っ暗世界に身を預け私は今日も心の中で叫ぶ。「私はここにいる」と。
「……」
私は無言で目を覚ます。時計は6時を指している、せっかくの休日というのに、まぁ体に刻まれた時間はそう簡単に崩れないのだろう、ベッドから徐に起き上がった。
「プルルルル」
朝食中、私のスマホが震えだす。画面には三神林檎と映し出されている。彼女は高校時代の友人である、今でも誕生日プレゼント送り合うぐらいに仲は良い、今年はテディベアが送られてきた。今も部屋に飾っているがまるで監視されているみたいでたまにゾクッとする。
「もしもし、優李?林檎ちゃんだけど。食事中ごめん、今日は12時にカラオケ集合だよね、うんわかった。楽しみ」
林檎は私にしゃべる間も与えず、一方的に話して電話を切った。
「はぁー、準備するか」
昨日とは少し質の違うため息をつきながら私はスマホをいじる。
「遅いなぁ」
私の腕時計は12時を指そうとしている。まぁ、彼女は基本的にルーズな人間だし、いつも通りと言えばいつも通りなのだが。
「わあああああああ」
言ったそばからギャグマンガのような声をあげながら走ってくる人の姿が見える。
「どりゃあ!」
走り幅跳びの如く跳躍し私の前に着地する林檎。
「セーフ」
汗だくで両腕を横に広げながら叫ぶ林檎。まず私に言うことがあるのでは?
「ふぇっ、どうしたの?優李。そんな目くじらを立てて」
どうやら私はわかりやすいぐらい不機嫌な顔をしているらしく、林檎は心配そうに私を見ながら言った。私は腕時計をじっと見た。
「えーっと、遅刻?いや大丈夫、今ちょうど正午だから」
笑顔で林檎はそう言うとスマホを見せつけてきた。画面には12:00と映し出されている。まぁ、遅刻ではないのだが予約した本人が時間ギリギリなのはいかがなものかなと思う。
「よーし、じゃあいこっか」
林檎はノリノリのテンションで店内に入っていった。
「~♪」
林檎の熱唱が終わる。すると画面が切り替わり採点結果発表画面になる。
「よし、こいこい」
受験生のように祈る林檎。様々なメータが円を覆い出し、中心に得点が映し出される。
「うわぁー、また89点だよぉ」
落胆する林檎、どうやら彼女は90点を目指し日々奮闘しているらしい。
「いいよねぇ、優李は。息を吐くように90越え連発するんだもん」
少し頬を膨らましながらこっちを見つめる林檎。私はどうやらこの採点マシンに好かれているらしく高得点がよく出る。これに関しては、出したくて出しているわけじゃないし、勝手にマシンが出すんだよなぁと心の中で呟く。
「どうせ、出したくて出しているわけじゃなく、マシンが勝手に出しているんだよとかいう。某異世界転生系畜生チート性能の主人公のようなことを心の中で思っているだろうけどさ」
こいつエスパーかよと私は思った。屡々彼女はエスパーの如く私の心の中の秘め事を言い当てることがある。
「まぁ、いいや。ちゅぎ……次は優李の番だよ」
そう言って林檎は恥ずかしそうにマイクを私に渡した。もしかして噛んだのが恥ずかしかったのだろうか?
「……つも通りのある日のこと」
完全に私は気をとられて曲の出だしに遅れた。しかし、その後90点をたたき出した。その時林檎は乾いた拍手と羨むような目で私を見つめた。
「まぁ、私も優李も、日々お疲れの乾杯」
「乾杯」
居酒屋にて林檎は高らかに乾杯を宣言する。林檎はジョッキ、私はコッブを合わせる。
「ぷはぁー」
気持ちよさがあふれる声で生ビールを飲み干す林檎。
「どう、最近の調子は?辛いんじゃない、お仕事」
林檎はフライドポテトを食しながら私に尋ねる。
「まぁ、それなりにやれてるって感じかな。もう5年間やってるし」
私は烏龍茶を飲みながら答えた。
「本当?この前は上司がセクハラ常習犯とか言ってたじゃん」
林檎は懐疑的な目で尋ねる。
「まぁ、確かにあいつは嫌だったけど、もう関係ないし。私は対象じゃないらしいから」
私は生春巻きを食べながら言った。
「そう、まぁ優李が元気そうでよかった」
林檎はどこか安心したような表情でメニューを見ている。
「あなたはどうなの?」
逆に私は林檎に尋ねた。
「勿論絶好調……って言えればよかったんだけど」
林檎の表情が曇る。
「はっきり言って、絶不調だね。また連載会議に落とされたし」
林檎は漫画家である。かつて彼女は大学在学中に賞を受賞し、一度だけであるが連載を持っていた。しかし、2年前ぐらいに単行本の売れ行きが不調といった様々な要因によって連載終了となった。それで現在彼女は二度目の連載を目指して奮闘している。
「もうわかんないよ、編集部は君の作品にはキャラには魅力がないよ、ビジュアル的にも性格的にもとか言われたし、もっとストーリーに厚みを持たせることはできないのとか、簡単に言うなっての」
少し酒が入っているのか林檎の愚痴めいたものが強くなっていく。
「私がそもそも連載終了したのは、無料犯罪漫画サイトのせいだし、クリエイターの苦労を何だと思ってんだあのクソサイト。それにホント立ち読みだけして『この漫画終わるんだ、面白いのに』とかいうやつが一番むかつくわ。もっと作品に金を落とせってんだ。あとはようつべに蔓延るネタバレ動画とかマジでやめてくれ。」
彼女の愚痴は止まらない。
「店員さん、焼酎水割りお願いします」
勢いのままに頼む林檎。
「まぁ、私の実力不足なんだろうけどなぁ。環境に文句を言っている時点で」
突如として自己嫌悪モードに入る林檎。
「大丈夫?」
私は完全に酒に飲まれている林檎を心配する。
「大丈夫、私強いので」
べろべろな状態で天才ドクターみたいなこと言われてもまるで説得力はない。
「まぁ、私もなんやかんやで元気でやれてるから、心配しないで。今書いてるやつは私史上一の傑作だから」
林檎は親指を立てながらそう言った。
「そう、じゃあいいんだけど」
私はフライドポテトの最後の一本を口に運んだ。
「ねぇ、優李。本当に大丈夫、隠し事とかない?」
林檎は急に真面目な顔で尋ねてくる。
「えぇ、ないわ」
私は唐突な質問に驚きながら答えた。
「そう……じゃあいいけど」
少し林檎は顔が曇り、懐疑的な目で私を見た。何を疑っているのだろうか?
「いやぁ、最近放火事件とか起こったじゃん、心配でさ」
なにかごまかすように林檎は先日起きた火災事件に話を変える。
「プルルルル」
電話のバイブ音がなる。
「ごめん、優李。電話」
林檎が電話をとる。
「もしもし、三神です。あっ!コータロー。」
電話の主は林檎の彼氏小竹耕太郎だろう。小竹は私たちの高校時代の後輩で現在記者として働いており、林檎と同棲しているらしい。
「うん……うん……だから言ってんじゃん、今日は優李と食べるから、夕食は勝手に食べててって!放火事件の取材が忙しい?知るかそんなもん!」
林檎の語気が強まる。まぁ、見た感じ小竹は完全に林檎の尻に敷かれているようだ。
「そのぐらい、自分で作りなさい。レンチンするだけでしょ、もう。切るね」
林檎は少し怒り気味に電話を切った。
「ごめんね、優李。見苦しいとこみせちゃって、コータローって信じられないぐらい家事とかの知識がないから本当にうんざりしちゃう。まぁそこが可愛いところでもあるんだけどね」
文句に見せかけ急に惚気てくる林檎。
「そう」
私はよかったねと少し冷めた返事をした。
「でも、本当に高校の時のことは今でも昨日のことのように思い出すなぁ」
林檎は懐かしむようにそう言った。
「そう」
私は淡白な返事をした。
私は二輪車の後ろに林檎をのせて、林檎宅に向かっていた。
「今日はありがとう、優李。」
林檎はふやけた声でそう言った。
「困ってたら、相談に乗るよ。」
今度ははっきりとしたトーンで言う。
「そう、ありがと」
私はここでも温度のない返事をした。
「本当に相談してよ」
林檎は少し不満そうにそう言った。林檎の私を掴む力が少し強くなった気がした。
「着いたわよ」
私は林檎の家の前に二輪車を停める。
「ふわぁぁぁ、ありがとう優李」
体を大きく伸ばし欠伸をする林檎。
「おかえり、林檎ちゃん。あっ!井山先輩、久しぶりです。」
小竹がそういって、私のもとに向かってくる。
「コータロー、ただいま。」
千鳥足で小竹のもとに向かう林檎。
「おっと」
力尽きたように倒れ込む林檎を支える小竹。
「大丈夫、林檎ちゃん?」
小竹は林檎に問う。
「……zzzz」
わかりやすく寝息を立てる林檎、まぁあれだけアルコールを浴びるように摂取していたのだから眠くなるのも無理はないだろう。
「今日はありがとうございました、先輩」
小竹は林檎を支えながら頭を下げる。
「本当に久し振りですね、この三人が一緒になるのは」
小竹は笑顔でそう言った。
「今でも思い出しますよ、僕が入部したあの日を」
私と林檎と小竹は新聞部に所属していた。林檎と小竹が付き合い始めたのも高校時代からである。はっきり言って私はこの男のことが好きではない。
「実は、僕が大きな記事を書くことが出来て、林檎ちゃんが連載を持つことが出来たら、結婚しようと思ってるんです」
小竹は少し小声でそう言った。
「そう」
私はつめたく返事をした。
「もしその時は、結婚式参加御願いします。あと挨拶も」
小竹は笑顔でそう言い頭を下げる。
「考えておくわ」
私は平坦な声でそう言った。
「今日はありがとうと伝えておいて」
私はそう言って二輪車にまたがる。
「了解です。さようなら」
そう言って小竹は林檎を支えながら手を振るのだった。私は唇を噛んだ。
「ただいま」
そう言って部屋に明かりをつける。
「はぁー、明日からか」
家に着くや否や私はため息をつき、洗面台に向かった。
「職業選択の自由というものがこの国の憲法には定められています。これがあるからあなたたちには無限の可能性が保証されているわけですね」
その単語を授業で聞いた時の希望に似た感情、私は今でも覚えている。みんなが眠たそうに聞いている政治経済の授業で私の目は輝いていた。
「私には、職業選択の自由が存在しているの。だから……」
私は消え入りそうな声で今日身につけた知識の武器を装備し、親に立ち向かった。
「何を言っているの?あなたは教師になる、それが最良の選択、あなたの歩むべき道」
しかし、私が身につけた知識の鎧は親の圧に一瞬で吹き飛ばされた。
「はい、娘さんの進路はこれでいいと思います」
進路相談、職業選択の自由を説いてくれた教師は私の方を一回も見ることなく、親をしっかり見つめて面談を終わらせた。
私は帰宅後A判定と書かれた書類を片手に枕もとで泣き続けた。
「ふわぁぁあ」
大きな欠伸と共に目を覚ます。今日も面白いことに時計の短針はいつも通り6を指している。今日も頑張ろう、私は少し勢いをつけて体を起こす。
「いってきます」
そう言って今日も駐輪場に向かった。
車をいつものように器用によけながら会社を目指す。
「おはようございます、井山さん」
会社の駐輪場で後輩社員の安井と出会った。
「今日も頑張りましょう」
安井は少し熱い男で私は苦手な部類にファイリングしている。
「それより、井山先輩。対馬さんの話とか聞いてませんか?」
安井の言う、対馬とは私の同期で先日セクハラが起因で退職した社員だ。
「……」
私は安井そっちのけでスマホをいじる。
「そうですか。僕も知らないんですが、どうやら現在誰も行方を知らないんですよね、それに対馬さんの住んでたアパートが火災にあったていう話も聞きましたし、心配ですよね。はぁー、せっかくおいしいパスタ屋さん見つけたのになぁ」
安井は残念そうな表情でそう言った。
「今日もノルマ目指して、頑張りましょう」
元気いっぱいにそう言って安井はオフィスにキラキラとした表情で向かった。
「はぁー、頑張るか」
私もため息交じりのマイナスのガッツを出しながら向かうことにした。
「はい……はい……わかりました。」
私は顧客に対して淡々と相槌を打つ。
「じゃあ、こちらの商品を購入したいと思います。」
また今日も契約が成立した。
「本当にありがとうございます、これで老後も安心ですね」
客は笑顔でそう言った、これが何ら科学的に効果のないグッズであることを理解しているとは思えない表情だ。
私は巧みなセールストークのスキルがあるわけでも、高圧的に買わせるわけでもない。ただ営業として顧客の話を聞く、もっと言えば聞いている風に聞き流しているだけだ。なのに面白いぐらい契約が取れる。結局人は話したがりなのだろう、聞いてもないことをべらべらと喋り勝手に満足し、商品を買っていく。ただ話を聞く、そして商品の何とか絞り出した利点だけをぶつける、その一連の作業こそ私が学んだ営業スキルである。
「ありがとうございます」
私はそう言って顧客のもとを後にした。
「もしもし、井山です。本社に戻ります」
私はそう言って、社用のMT車に乗り込む。そしてコンビニで購入したサンドイッチを食した。私はこの社用車を軽く私物化している、例えばモノを運ぶときとか勝手に利用している。まぁこれがバレたら会社からお叱りを受けるのだろうけど、そんな罪悪感0のまま今日もこの社用車で一旦家によって、会社に向かった。
「おーい、井山君」
課長の平野が声をかけてくる。
「はい、何でしょうか?」
私は尋ねた。
「いや、この前の昇進の件だけど、考えてくれたかなと思ってね」
昇進か、はっきり言ってするつもりはない。はっきり言ってこの企業でのキャリアアップはメリットがない、ただ仕事量が増えるだけなのは目に見えている。
「そうですね、検討しておきます」
私は用意された台本を読むかのような平坦な言い回しで答えた。
「はぁー」
休憩所にて私はため息とスマホ片手に缶コーヒーを飲んでいた。
「あっ……井山」
瀬良古子が私を見るなりそう言った。瀬良は対馬へのセクハラを働いた犯人である。現在は係長まで昇進している、上層部に気に入られており将来のエース候補らしい。対馬へのセクハラも結構上の人物にもみ消してもらったらしい。
「お疲れ様です」
あくまでも儀礼的に私は挨拶をした。
「……お疲れ」
瀬良はどこか覇気のない声で挨拶を返した。何かに疲れ切って憔悴しているようにも感じる。まぁ私には関係ないけど。
「よぉーす、井山ちゃん、瀬良係長」
休憩所に新たに現れたのが、勤続30年目で未だに平社員の藤威、社員には陰で永遠のヒラ、会社の七不思議の一つと言われている男だった。彼は仕事ができるわけではないのに会社に居続け、くわえて早稲田の大学院卒であることを理由にひたすらマウントをとる典型的な学歴コンプレックスの人間。そのため人望もゼロに等しい、ぶら下がり社員筆頭のベテランである。
「君たちは期待の新星だからね、本当に平凡大学卒とは思えないな。まぁ、僕は地方公立大学からの早稲田の院卒だけどね」
いつも通りの学歴ロンダ漫談を見せつけてくる藤。
「まぁ、若き力がこの社会にも会社にも必要だ。だから頑張ってくれたまえよ、君たち女性陣の活躍で私たちの会社の多様性が評価されるってもんさ」
そう言って藤は休憩所を去った。
「じゃあ、私、仕事に戻るから」
藤に追随するように瀬良も休憩所を出た。何かに追われているかのように。
「お疲れ様です」
私は定時であることを確認し、会社をでた。
いつものように二輪車にまたがり、我が家を目指す。定時退社のはずなのに辺りは暗闇、秋の夕暮れはつるべ落としという言葉を改めて感じながら、夕食を手に入れるためコンビニへと向かった。
私は割引シールのはられたおにぎり弁当とアラビアータをかごに入れ、レジへと素早く向かった。
「ただいま」
私は両手に持っているビニル袋をテーブルに置いた。
「はぁー、食べるか」
私はため息をつきながらおにぎり弁当を食べ始めた。
翌朝
「いってきます」
私はそう言って家を出る。二輪車にエンジンをかけ、朝の空いている国道を走り抜ける。
「はぁー」
そんな爽快にも思える状況に不似合いなため息をついた。そんなため息とも今日で……
「今日もノルマ必ず達成、いくぞ音速商事。」
体育会系丸出しの部長の朝礼で業務が幕を開ける。私は外回りの準備を始めた。
今日も何件か契約を取り付けることが出来た。本当に購入者は何を考えているのだろうか?あんな見える地雷を勧められて買う決断ができるものだ。信じることは美徳かもしれない、しかしそれは裏を返せば疑う努力、考える努力を放棄しているともいえるだろうに。まぁ、これで購入者が損失を伴ったところで私は何も感じることは無い。私は会社で日報をつけ乍らそう思うのだった。
「ねぇ……井山」
もうそろそろ帰ろうとしたところに理外の外客がやってきた。瀬良だ。
「今日、仕事終わり。ちょっといいかしら」
この会社で働き始めて、瀬良から初の飲みの誘いだった。
断るという選択肢はもちろんあったが、瀬良の明らかに生気のない表情に何かの理由を感じた私は誘いのまま飲みに行くことにした。それともう一つ理由があるなら……
「ごめん、井山。急に誘って」
悪気があるなら態々誘うなと言いそうになるが、そのワードを喉元で抑えた。
「実は、少し聞いてほしいことがあって」
まぁ、大体そうでないと私のような存在を誘うわけがないだろうけど。
「私、もうこの仕事をやめようと思ってるの。管理職になって業務が増えて、それに上から仕事を押し付けられるようになってる。もう限界」
瀬良は沈んだ表情でそう言った。
「……」
勝手にすればいいのに……と私は思った。なぜ私に相談するのかがわからない。
「勿論、無責任なのはわかってる。係長という立場にも関わらず、過労を理由にやめようとしているのは」
私は相槌しながらフライドポテトを食べ続けた。
「でも、上層部はやめようとすれば、私があの子にはたらいたことを業界に流布すると脅されてるの」
まぁ、自業自得と言える。何を悲劇のヒロインの様に語っているのだろうか。
「それに……あなたはわかってくれるでしょうけど。ねぇ……?」
瀬良はもう一つ悲しい表情をした。彼女が言わんとしていることはわかる。彼女はレズビアン、とどのつまり世間一般的に性的マイノリティと言われる存在である。つまり彼女はセクハラを流布され、セカンドキャリアを脅かされること。またアウティング、性的マイノリティであることを公にさらされることへの恐怖を覚えている。それを理由に上層部は管理職という名を与え以前よりもはるかに多い仕事量を課している。それも以前と変わらない賃金で。そんな働かせ放題という苦しみを今彼女は味わっているのだ。ただ何度も言うがこの状況を作り出したのは彼女自身に他ならないので私は一切の同情は持ち合わせない。同性愛者だろうが異性愛者だろうが関係はない。
「本当に私はどうすれば……」
瀬良は私に答えを求めているようだが、そんなもの私が知るわけない。憎むべきはこの状況を作り出した自分自身ではないかと私は思う。瀬良は泣いているが、この上なく身勝手な涙だと私は思った。
「ねぇ、井山。鼓子は許してくれるかしら?」
同情の成分が低い涙を拭きながら瀬良は尋ねる、鼓子とは対馬の下の名前である。そんなの知るわけがないというのが私のアンサーだ。
「まぁ、許してくれるわけないわよね。本当に私ってなんであんなことをしたのだろう」
懺悔の様に瀬良は言い放つ。ただこの一言に私は違和感を覚えた。この言葉から彼女の事件に対する加害者意識の低さが集約されていると感じた。反省し、改善しようとする人間の放つ言葉とは言い難いものであろう。この一言をもし対馬が聞いたらどう思うのだろうか、私は何かを我慢するように拳を強く握った。そしてテーブルの下に置いていた鞄を開ける。
「係長」
私はそう言って、鞄から退職届と書かれた封筒を取り出す。
「えっ?どういうこと?」
瀬良は驚きの表情を見せる。
「もう、やめます。この会社。大丈夫です、もう今月のノルマも業務も終えているので、あとは係長が渡してくれれば問題ないと思います」
私は早口でそう言った。
「ちょっと、うそでしょ?何で?」
瀬良は動揺しているようだ。
「お金置いときますね、ごちそうさまでした」
私はそう言って瀬良を置いて店を出た。
「最後に良いですか。私は係長がどうなろうが知りません、自分が蒔いた種である自覚のないあなたにかける言葉も水もありません。」
私はそう言い切り、店を後にした。
「はぁー」
私はため息をつきながら、スマホの画面を見る。やっときたか、私はそう思いメールのフォルダを開いた。
次の職場の採用メールである。会社を辞めると決めた時から転職サイトで新たな職場を探していたのだ。何社か落選したが、一番適当に面接を受けた会社の営業部に採用された。どうやら5年間の営業のスキルが評価されたらしい。まぁ、無駄な5年間というわけではなかったのだろう。全く楽しくなく且つやりがいとは程遠い業務だったが。次の職場は黒くないことを願うばかりである。私はスマホを座椅子に投げ捨てるように置き、ゆっくりと浴室に向かった。
「映画館で映画の盗撮を行い、ネット上に無断アップロードをしたとして男性が逮捕されました。近田容疑者は眼鏡にビデオカメラを仕込むという方法で盗撮を行い……」
退職初日、久しぶりにニュースを見るといきなりこれである。学生時代の友人として取材が来ないことを祈るばかりだ。
「近田容疑者は『これは皆に作品を届けるためにやったことだ』と供述しており……」
やはり彼は歪んでいる、結局これも立ち読みして何が悪いのかという延長線上にあるのだろう。何が恐ろしいって彼はこれを純な心で正義だと思っていることだろう。実に平面的で無知な正義感が暴走するとこうなるのだと私は思い、私は洗面台に向かった。
人生の夏休み、人はキャンパスライフをそう評する。ただ、私にとってそんなウキウキとした表現とは程遠かった。授業も周りの生徒も大学の雰囲気もすべてが私の肌にミスマッチだった。もう何もしたくない、そんな私が選んだのは他の大学の編入だった。それも親にばれないようにひそかに行った。でもそんな行動すぐにばれるのが世の常で。「気の迷い?」、「まさか、やめるなんて言わないわよね」なんて声は優しそうだが限りなく脅迫のような雰囲気を纏っている。
「許されると思っているの」
あまりに私が何も言わない状況にしびれを切らし、ついに怒号が飛ぶ。
「……私は……私は」
今にも凍り付きそうな私の唇、震えながら私は今まで縛り付けていた鎖を引きちぎる。
「敷かれたレールを走りたくない」
普段出したことのない声量、喉に血がたまる感覚が私を襲った。その瞬間私はレールから飛び降りたのだった。
2か月後
「井山さん、すごいなぁ。もう契約を十件もとってくるなんて」
私は新たな職場のオフィスにて働いている。ただ音速商事の時と変わらぬスタイルで商品を売っている。結局この職場でも目標という名のノルマが課され、未達は詰められるという環境自体は変わらない。
「これはまさに次期エースかなぁ」
そう言って営業部の主任は業務に戻った。先の職場よりも雰囲気はよい、ただ気になるのは数人血が通っていない顔をしている面子がいることだろう。この点は音速商事と同じ匂いがする。まぁ、最悪またキャリアチェンジをすればいいと思いながら、私は顧客を整理した。
帰り道、数か月前まで勤めていた、オフィスを通る。そこには白黒の警官の社用車が停められていた。そしてオフィスから、手錠をしている課長らしき人間が出てきた。ただもう関係ないやと私は少し速度を上げて通り過ぎた。
家に帰りつく、転職をしたが引っ越さなかった。そんなに職場も遠くないし、問題ないと考えたからだ。私は夕飯の準備を始めるため、冷蔵庫に向かう。入っているのはあさり、パスタ、もやし、豆腐、魚肉ソーセージ、3割引きのシールが張られた鶏肉……とりあえず鶏肉を炒めるかと私はフライパンを用意した。
「ごちそうさま」
私は名状しがたい創作料理を完食した。私は味の機微を感じられる程のグルメな味覚は持ち合わせていないので、味に関してはノーコメントである。
「脱税行為が発覚しました」
夕食を食しながら、TVに目を向けるとそこには見慣れたオフィスが映し出された。
「逮捕されたのは音速商事に勤める……」
まさか……とは思わなかった。会社の体質的にこんな事件が起こっても不思議でも何でもない。そしてこの脱税事件から芋づる式に違法行為や犯罪が明らかになった、これが私のキャリアに傷をつけないかが心配である。
後日判明したのだが、窓際族の藤がこのことをリークしていたらしい。彼がこの会社に長いこと成果もなく勤め続けれていたのはこの弱みを握っていたからだったらしい。そして退職と共にこのことを新聞社に告発したそうだ。それで退職金をゲットし、新聞社からは報酬をもらい、罪からも逃れて万々歳だろう。まぁその学歴は伊達ではなかったということなのかもしれない。
「今日もご苦労さん」
私は今日も数件契約をとってきた。どうやら現在社内でもトップクラスの営業成績らしい、まぁ、ノルマさえ達成できればいいので私は社内の成績に興味はさほどない。ただ、他社からやってきたぽっと出が成績上位に食い込むのをよしと思わない連中もちらほらいるようで、この前休憩所に立ち寄ろうと思ったら、がちがちの陰口をたたかれていた。どうやら私のやり方は邪道だのなんだの、あんなの営業じゃない、彼女の前の職場は犯罪組織なので私はほぼ犯罪者とまで言われた。まぁ、結局のところ、私は弊社の異分子らしい。憎むのなら人事部だろうに、こんな人材を採用したのだから。
「へぇー、新しい職場でも頑張ってるんだ。」
久しぶりに林檎から連絡が来た。どうやら、読み切りが評判だったらしく、連載が決まったようだ。内容としては同性愛と歪んだ恋愛について描いた少し重めのお話らしい、林檎の描く話はコメディタッチのモノが多い印象だったので意外だなと少し驚いた。何より主人公の見た目が私にそっくりだったので見せてもらった時は少し驚いた。本人に聞いたら、優李がモデルなんだよと笑顔で言っていた。
「私も頑張らないとね」
林檎は決意を新たにする。
「それでさ、優李。本当に大丈夫?」
林檎は先までの声と違うシリアスなトーンで尋ねる。
「何が?」
私は思わず聞き返した。
「隠していることとかないかなと思って」
何かカマでもかけているのだろうか。
「ないけど」
私は即答した。
「そう……じゃあよかった」
どこか残念そうな声を出す林檎。
「これからもお互い頑張っていこう、バイバイ」
林檎はそう言って通話を切る。どこか今までにない寂しさのようなものをなぜか感じた。どこか胸に引っかかる感覚を残しながら私は洗面台に向かった。
「もうだめだ」
せっかく手に入れた自由。しかしその先は私が思う程ポジティブなものではなかった。徒に消費されていく日々に充実感などなかった。私は何がしたいのだろう?そんな自問自答を繰り返す。結局レールを走っていた時の方がよかったのではという後悔に似た気持ちが毎日湧き上がる。結局私が欲しがっていたものでを手に入れたはずだった。なのに、こんなにも自分自身を苦しめるなんて、身勝手だとわかっていても私の目からしずくがこぼれていく。今さら遅い、そんなことわかっている、分かっているからこそ悲しい。「ごめんなさい」と心で泣き叫ぶ。誰に対しての謝罪かはわからないけど、私は自由という名の不自由に苦しみながら暗闇の世界に身をゆだねる。
「コンコン」
ノック音が響く、暗闇に閉ざされた押し入れの中で。
翌日、貴重な休日。ただ、特に予定はない。私はのんびりと朝食を作っていた、パスタを塩水でゆでて、塩抜きしたあさりと適当な調味料で作ったソースを完成させる。そしてアバウトな時間でパスタをお湯からあげてソースをかける。
「いただきます」
普通の味だ、感動するほどおいしくなく、かといって不味くもない、そんな味。まぁ美食家が食べようものなら一口で箸を止めるだろう。今日の味は彼女にあうだろうか。私は押し入れに向かう。
「おはよう、鼓子ちゃん」
私は押し入れを開けてそう言った。押し入れには世間的には約3か月前に行方不明になっている対馬鼓子がいる。手と足を縛り付けている状態で。
「朝ごはんだよ」
私はそう言って朝食セットを鼓子の前に置く。
「そっか、食べられないもんね。」
私はそう言って、彼女の口に張っているガムテープを剝す。
「もうやめて、優李ちゃん」
彼女はかすれた声でそう言った。
「何を?」
私は聞き返す。
「優李ちゃん、確かにあの日助けてといったけど、これじゃあただの犯罪だよ」
そう、私は鼓子の家が燃えたその日、助けてと言われた。だから私は鼓子を守るため、私の家で保護することにした。彼女は私の家にいるのが一番安全のはずだから。
「今ならまだ、優李ちゃんもやり直せるから、だから今すぐ私を解放して」
鼓子が私をにらむ、その迫力に少し私は震えた。
「解放……?何を言っているの?私は鼓子のためにやっているのに」
鼓子の強烈な目線に私の体に突如緊張が走った。
「もう、優李ちゃんの助けはいらない。だからここから出して、私はもう前に進みたいから」
鼓子は震えた声でそう言った。どういうこと?私はすべて鼓子のためにやってきたはずなのに。
「何で……わかってくれないの」
その時私の何かが切れる音がした。
「何で……わかってくれないの?」
優李ちゃんの顔色が豹変する。そこにはいつもクールでどこか皮肉めいた彼女の姿はない。
「私はあなたを守っているだけなのに」
私の体は震えた、恐怖、動揺、失望、軽蔑……なんの感情かは分からないけどとりあえず今目の前にいる優李ちゃんの姿を見て、私は震えている。
私対馬鼓子が会社を辞めてから数日が経った。未だに私の心は癒えていない。親という鎖を解いて、得た自由は私に絶望を与えた。大学生活は全くと言っていい程うまくいかず、就職活動も落選に次ぐ落選、やっと内定をもらった企業では毎日精神を削るような労働環境。そんな中で信じていた上司から性的なハラスメントを受けて、私は崩壊した。そんな私にとどめを刺さんとばかりに突如として私の住んでいたアパート「ジュエルミナージュ林」が燃えた、実家を勘当されている私にとって唯一の住居が。何でよと心の底から思った、退職して職もない、家もない。最悪だと絶望し、私は涙を流した。そんな私が頼れるのは一人しかいなかった。数少ない私の同期で親友の女の子、井山優李。私は思わず彼女に頼んだ。
「助けて、優李ちゃん」
その瞬間私の視界は真っ暗になった。
目覚めるとそこは優李ちゃんの家だった。優李ちゃんは食事を作ってくれたり、寝床を用意してくれたりと私のために動いてくれた。その時、普段見れない優李ちゃんの笑顔もたくさん見れてうれしかった。そして、数日後、私は精神的に回復したので社会復帰しようと考えた。
「ねぇ、優李ちゃん、ありがとう。優李ちゃんのおかげで大分立ち直れたよ。明日から頑張ってみるよ、ハロワに行ってみようかな」
私がそう言った瞬間、優李ちゃんの顔が恐ろしいぐらい曇った。
「何を言ってるの?」
優李ちゃんが私に物凄い勢いで迫る。
「えっ……?」
私は軽く動揺した。
「いつまでも優李ちゃんにお世話になってもらうわけにもいかないしさ」
私は自分が正しい意見を述べていると自問自答しながらたどたどしく言った。
「ダメ、外は危険。鼓子は私の家にいるのが一番安全なんだから、そんなこと言わないで」
壊れた機械の様に優李ちゃんがそう言った瞬間、私の視界は真っ暗になった。次に私の目が開いた時には私の自由は奪われていた。そして私の軟禁生活が始まったのだ。
「私は助けてと言われたから、やっているだけなのに」
優李ちゃんは突き刺すような鋭い視線で私を見る。
「確かに私は助けてといったけど、こんなことは望んでいないよ。」
私は少し震えた声でそう言った。
「私は鼓子のために……鼓子のために」
優李ちゃんはぶつくさとそういい始めた。
「本当に私の為にという思いがあるなら、ここから解放して。お願い優李ちゃん」
私は強く願うようにそう言った。
「だから……だから……なんでわかってくれないの!」
普段の優李ちゃんからは考えられないほどの強い怒声に、私の震えはより強くなった。
「私が鼓子を守る、そのためには私の家で私がしっかり保護するのが一番安全。これは鼓子のためなのに」
優李ちゃんのエゴにも似た私の軟禁理由はクールな優李ちゃんからは想像できないほどにインセイン染みている。暴走した正義感、欠如した倫理観の怪物、私はそんな優李ちゃんに軽蔑と同情の相反する念を同時に抱いた。
「そんなの、優李ちゃんのエゴじゃない」
私は反論が悪手だと分かっていながらもそう言った。
「エゴ……?」
優李ちゃんが一瞬フリーズする。
「うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ!」
頭を抱える優李ちゃん。
「私は鼓子のために、動いていたはずなのに」
私が突き付けた言葉に優李ちゃんは激しく動揺しているようだ。自分を突き動かしていた正義が崩壊したことでメンタルがぶれ始めている、そんな感じに見えた。
「私は……」
崩れ落ちる優李ちゃん。
「優李ちゃん。ここから解放して」
私は諭すようにそう言った。
「……」
優李ちゃんは全く動かない。
「優李ちゃん?」
部屋に一瞬の沈黙が流れる。
「……わああああああああああ!」
急に優李ちゃんは叫び出す。走り出す。
「優李ちゃん!」
狂う優李ちゃんにかける言葉が無かった。その手に包丁が握られている。
「ああああああああ!」
そんな狂気の刃が私のもとに向かおうとする。
「バリーン」
「どりゃあああああ」
ガラスの割れる音とヒーローのような叫び声が部屋に響いた。
「優李!」
すると部屋に乱入した女性は刃物を弾き飛ばし優李ちゃんに手刀を加える。
「貴方が対馬鼓子さん?とりあえず逃げて」
女性は私にそう言って、拘束しているものをはずす。そして起き上がった優李ちゃんを素早く抑え込む。
私は必死に逃げた、その足はふらつきながらも確実に遠くへと向かっていた。
「ピーポー、ピーポー」
私を安心させるサイレンが聞こえた。その安心感のまま私は倒れこんだ。
私を助けた女性は三神林檎さんという優李ちゃんの親友だった。彼女は私の危機を悟り、助けに来てくれたようだ。しかし、あんな絶妙なタイミングでやってきてくれるとはまさに主人公のようだった。その後、優李ちゃんは監禁罪と殺人未遂で逮捕された、意外に優李ちゃんはその罪を素直に認めているようである。
そして私は社会復帰のため職安に通う日々を送っている。意外と新居は早々にきまり、不自由ない暮らしを送らせてもらっている。社会保障の手厚い国でよかったと改めて感じる。
「次、えーっとこの企業は、少数精鋭で自由な社風、それにアットホームな職場で未経験でも若手でも活躍可能かぁ。いいかもしれない」
そう思いながら私は求人票の連絡先に電話した。
「はぁー危なかったぁ」
私はテディベアを触りながらそう言った。
「プルルル」
電話?コータローからだ。
「藤様、藤威様。五番ゲートにお越しください」
空港のアナウンスのようなものが聞こえる。
「あっ、もしもし、林檎ちゃん、ちょっと僕出かけてくるね。もしかしたら帰りはすごく遅くなるかも」
私の彼氏、コータローはそう言って電話を切る。
そして私はテディベアから隠しカメラと盗聴器を取り出す。
「まぁ、これは取材のためだし、大丈夫でしょ」
私はそう言って自分を納得させた。私は井山優李の生活を盗み見ていた、テディベアを使って。その結果、漫画にものすごい深みが生まれたと思う。キャラの深み、二面性。編集者からも「これですよ、これ」と言われた。本当に優李と鼓子ちゃんには感謝しないとね。
「ピンポーン」
インターフォンが鳴る。編集さんは今日は来ない予定なんだけど、誰だろう。
「はーい」
私は応対する。
「すいません、警察です」
まさかの警察に私は軽く動揺する。何で?
「すいません、小竹耕太郎さんはいらっしゃいますか?」
ふぅー、盗撮のことではなかったのね。ってコータロー?
「今は外出してますけど、何かあったんですか?」
私は思わず尋ねる。
「いやぁ、少し先日の『ジュエルミナージュ林の火災』のことで聞きたいことがありましてね」
もしかしてコータロー、私は嫌な予感と共にコータローの部屋に向かった。そして、部屋を見た瞬間全てを悟った、もぬけの殻となったコータローの部屋が眼前に拡がり、私は軽く絶望した。そしてぽつんと置かれた小箱を私は拾う。その中には薬指への光り輝くアクセサリーが入っていた。
「くそ、逃げられたか」
警察はそう言って私のもとを去っていった。私の体から力が抜けていく、視界がぼやけ、心が折れる音がした。
where is here?