願い事
目が覚めると、強い光がハンガーに吊るした洋服を一線に照らしているのが見えた。昨日の台風による雨が嘘のように雲一つない青空がどこまでも広がっていた。
二十一回目の誕生日を迎えた僕は、これといって変わりなく、いつも通りの朝だった。いつも通り珈琲を淹れていつも通りタバコを吸っていつも通り散歩に出掛けた。歩いていると腋や背中にじんわりと汗が出てきて十月とは思えない暑さに辟易した。それでも憂鬱にならなかったのは、今日が誕生日だからかもしれなかった。
家からほど近いお寺に行って木陰のベンチで休みながら、地面の砂利をずっと眺めてたら、見つめている砂粒以外の輪郭が全てボヤけていって、柔らかい白い海のようになった。しかしそれを意識すると元の砂利に戻った。また見つめていると今度は横から数人が走ってくる音がした。目を向けると、枯れて硬くなった落ち葉が風に吹かれて砂利を這う音だった。そうしてまた砂利を見つめた。一年が経ち、二年が経った。僕の目の前にはお賽銭箱が置かれるようになった。毎日数人がそこに小銭を入れては僕に向かって手を合わせて帰っていった。住職さんが毎日、頭や体に乗った落ち葉や虫を払って掃除をしてくれ、最後には手を合わせた。やがて僕を囲うように院が建てられた。これで落ち葉に埋もれる心配は無くなった。僕の目の前にベンチが移された。そこへ毎日座って本を読んで手も合わせずに帰る若い男が現れるようになった。男はいつも帽子を被っていて顔を見ることはできなかった。僕に一度も手を合わせることはなく、ただ本を読んでは地面を眺めてたまに僕を観察して帰るのだった。ある日男はいつも通りにベンチに座って本を読んでいた。その日は珍しく帽子を被っていなかった。そして珍しく僕の前の賽銭箱にお金を入れて手を合わせた。しっかり顔を見ることができた。その男は僕だった。そして僕は僕にこう願った。
「髪の毛が早く伸びますように」
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