嘘八百二

ひるや@さな

前の【嘘八百】の続きだけど、前の長いし別に読まなくても大丈夫。

 緑茶。コーヒー。ああ、敢えてジュースでもいいですよね。果汁100%。糖質を気にしてるんですよ。コーヒーだとやっぱりミルクなり砂糖なり入れたくなっちゃうし。決めた、このグレープフルーツのにします。あ、これは失礼しました。どうぞ。なんでも好きなのを頼んでください。ここなら警戒する必要もないでしょう。よくあるただのお洒落なカフェではないですか。
 改めましてお久しぶりです。ご無事で何よりでした。お屋敷を飛び出された後は、夜も近かったし、てっきり動物に喰われたとばかり。雨が続いたので痕跡がなかったのも疑わなかったんですよ。思えば、あの島に単身乗り込んで来られた貴方が、そう簡単にくたばるはずがなかった。私も詰めが甘かったです。人のことを言えませんね。
 あ、決めましたか? ブラック? 大人ですねえ。私、ブラックは苦手です。店員さんを呼んで……いえ、忙しそうですね。注文してきます。
 お待たせしました。ふふ。いえ、だから、警戒を解いてくださいよ。こんな昼日中の町中で私に何ができるというのです? それに今日はお休みなんです。仕事は致しません。
 ここの図書館はいいですね。司書さんも話しやすくて、常連さんも学生さんから主婦の方まで幅広くいらっしゃいまして。タイミングをずらしてちょこちょこ来ているんです。なんでわざわざ借りるのか? また面白いことを。そんなの外に出る口実に決まっているでしょう。兄なら今日は主治医を呼んでいますから、私が出てきても大丈夫です。ちゃんと考えていますよ。
 ……そうですか。兄を心配してくださるのですね。せっかく生き永らえたのに、あの島を告発しなかった理由はそれでしょうか。戯言ですかね。失礼しました。
 ところで貴方、もしかして、普段から飲まれているお薬とかあります? だって不思議でしょう。あのとき貴方はお茶もお菓子もお上がりになりませんでしたから、解毒剤の類はお持ちでなかったと思うんです。でも生還なさっているということは、常備薬がおありだとしたら、それがたまたま良い効果をもたらしたのではと思いまして。そういうことがあるみたいなんですよ。頻発する例ではないでしょうが。
 そろそろ注文の品が届きそうですよ。……あ、ジュースはこっちです。どうもありがとうございました。ふふ。可愛らしいお方。町にはいろんな方が、いろんなお仕事をされて暮らされているのですね。
 兄から話を聞きました。驚きましたよ。貴方が現れた時点で兄にも恐れるものがあるのだと驚きましたが。貴方を不幸にしたくないばかりに、貴方から離れたのだと思っていたんですけどね。まさか逆だったとは。
 なんと言いますかね。こんなところで貴方を見つけたのは偶然でしたけど。生まれたときから倫理の外にいると今でも思っておりますが、それってまだ良心的なんですね。
 倫理の外にいる自覚があり、だからこそ、これからも内側にいく気はない。外側の人間とだけ関わり、自分から首を突っ込んで来た内側の人間を弾くことはあったとしても、むしろ見境のない者は嫌悪するタイプ。あのときは機嫌が悪かったので散々不躾なことを申してしまいましたが、私は本来そうなんですよ。あんな離島で暮らしているので、社会情勢には疎いんですがね。兄が失踪したという7年前、某大学から少し離れた町ではありましたが、物騒な事件があったというではありませんか。公園やゴミ集積所で、人体の一部が発見されたという。海で見つかったのもありましたかね。あれは足でしたか。その件についてはニュースと無関係かもしれませんが、今はその話はいいでしょう。どちらにせよ生活圏内の人々にとっては不穏な話題です。
 発見された手も足も指も、果てには胴体の一部まで、身元は不明とされました。とある大学に通う20歳の男性が失踪しているので、もしかしたら彼なのかと囁かれたきり、その後の進展はないとのことで。
 ふふふ。私ね、恥ずかしながら、勘違いしていたんですよ。私もそのニュースを見て、顔が出ているその失踪者はまさに私の兄で、一緒に生活しているんだから、被害に遭ったのは別の誰かだと。可哀想にとね。そこは間違いではないんですが、それなら、もうひとりいなくなった人がいると声が上がってよかったですよね。実際上がったけれど、よくある行方不明者として対処されてしまい、ニュースにならなかったのでしょうか。普段ならそうかもしれませんが、このタイミングでそんな判断されるでしょうか。逆に、どうして件の男子学生だけが取り沙汰されることとなったのでしょうか。
 簡単ですよね。いなくなったと発覚はしていた。でもそれはずっと前のことだった。それだけのことです。
 私、思い込んでいました。貴方が兄と同じクラスの学生だったと。年も同じくらいに見えましたし、恋人と同じ学生時代を過ごすのは定番でしょう。疑っていませんでした。でも兄は学校をちょこちょこ休み、定期健診以外にも病院に行っていたと聞きます。そういった場所でも人と関わりを持つ機会があったのですね。
 家も家族も仕事もない、人格も危うく精神も破綻しかけている。様々な事情から記憶障害を起こし、自分の名前も言えないような人。そういった犯罪者ではない行き場のない人を一時預かる施設がありますよね。そしてそこの人たちだって、具合が悪ければ病院に行くでしょう。職員と連れだってね。貴方がその職員のひとりだったとすれば辻褄が合います。そういう施設ですから、わけがわからず脱走してしまう人も少なからずいると聞きました。おざなりに探すことはあっても、必死には探さないですよね。事情をわきまえている警察も大して動かないでしょう。そもそも数が多すぎてきりがないから、行方不明者の捜索なんてしないとも言いますしね。事件性がなければ。
 「事件性」と「最初から身元不明の人」を結びつけてしまったんでしょう。貴方は自ら「事件性」を創作し、警察による兄の捜索を誘発したんですよ。結果的に捜査虚しく兄が発見されることはありませんでしたが、独自に調査しやすくなった貴方はあの島に辿り着くことができたというわけです。ついでに教えて差し上げますが、貴方が知っている兄の名前は偽名ですよ。
 ふふふ。あ、すみません。やっぱり外に出るって大事ですよね。生活という意味でも、知識という意味でも。兄は大学で事件など起こしていなかったのですね。小さい頃から大人の隠蔽案件をよく目に焼きつけてきたものですから、紙面にないのはそのせいとばかり思っていましたよ。まして名門大学のことです。理化学部の事故で死者2名というのは見た記憶がありますが、あれがまさに工作の末かと。本当だったんですね。まあそんなに驚かないでくださいよ。兄が来るまで、私は完全に社会と隔絶されていたんですから。かつての主人に引き取られた以降はお屋敷の敷地の外に出たことなんてなかったし、世間のニュースなど知る必要なしとされていたんです。私だけではなく、他の年上の使用人たちもそうでした。インターネットにはびっくりしましたね。実在したなんて。本で一応知っていましたが、都市伝説かと思っていました。
 でもね。いろいろ考えて、たぶんこうだな、こうだと合うな、ということはあるんですけど。少しの違いは誤差ですしね。貴方がそこまで兄にこだわる理由がわからないんですよ。兄が罪を犯したとばかり思っていた私は――実際それ自体間違ってはいませんが――自首させるためではないということは確かですものね。今のところ逃れているようですが、貴方だってなるべく関わりたくないでしょうし。
 ……兄はね、やっぱり私を探してくれていたんです。私だけを助けるつもりで、弱い身体に鞭打って探し回ってくれていたんですよ。貴方には感謝していると言っていました。病院で何度も手助けしてもらったし、薬を持ってきてもらったこともあるし、入院中に車椅子を押してもらったこともあるのだとか。その節は私からもお礼申し上げます。でもそれだけです。貴方には人間として感謝こそすれど、女性としての好意など欠片もない。それとなく伝えているのに、倫理の外にいる自分と添い遂げることなんて絶対に不可能なのに、貴方は引かなかった。引くどころか、薬に異物を混ぜてきた。手が滑ったふりをして、坂から車椅子を落とそうとした。薬と飲み合わせてはいけないと説明していたはずのグレープフルーツを、細かく刻んでケーキに入れてきたとかね。ただでさえ苦労しているのに、自分の助けがなければより困難な状況にしようと画策してきた。あの兄がビビっちゃうわけですよ。少し間違えれば兄はすぐ動けなくなりますからね。

……実はですけどね。なんか私、ちょっと残念な気持ちになりまして。私をあの地獄から助けてくれた兄が、寒い朝に辛い水仕事を押しつけられた私にコートを貸してくれたあの兄が、たかだか恋に狂ったひとりの女性に怯えているなんてね。病身ながら冷静に的確に、人の弱点を突く才能までもを備えているのに。定かではありませんが弟まで手にかけておいて。私を救出してくれたのも、私の所在を掴んだタイミングとぴったり合ってこれ幸いと、ただ恐怖の対象から逃げてきたついでというのが真相だなんて。
 これが私の主人か? この腑抜けた笑顔を浮かべる男に、私は唯一縋ってきたのか? こんな情けないくらいなら、あの思い出したくもない少年期の主人、私の髪や脚を撫でてはおぞましく微笑む青年作家のほうがまだましだった。あっけない幕引きだったとは言え、あの方には怖いものなんてなかった。一度そう思ってしまうと、もうずっとそれが頭にこびりついてしまって。
 怖いなら殺してしまえばよかっただけなのに。兄にはそれができたはずなのに。私はずっとそう考えていました。
 兄が私を探していたのは嘘ではないと思います。私にこだわっていたからこそあの屋敷に辿り着いた、そのことについては嬉しいし感謝しているのに、貴方という存在が明らかになってからというもの、どこか心がしらけてしまう。兄に対して呆れた感情を抱いてしまう。弟としても使用人としてもあるまじき醜態です。それはもう思い悩みました。いっそ死のうかとも思いました。私にとって兄は世界のすべてでした。その兄を軽蔑するなら、もう私が見るべきものなどありません。いよいよ思い詰めていた頃、私はふと閃きました。
 醜態を晒しているのは自分ではなく、兄のほうじゃないか。
 実にバカバカしいその回答は、頭上に降り積もっていた重い鉛を一瞬で吹き飛ばしてしまいました。
 貴方は倫理の外に自分がいるなんてこと、到底お思いではないでしょうね。事実、ただ恋に狂ったというだけで、普通の生活をされてきたのでしょう。まあ無自覚に残酷なことをされてきたのかもしれませんが、それは今する話ではないですし。貴方自身、己の所業に罪悪感がありそうでもない。とんだモンスターがいるものですね。
 さて。話を戻しますけど。何せあのお屋敷には、普段私と兄しかいません。やるのは簡単です。でも果たして、私に兄のような鮮やかな一撃が放てるものか。なまじ現物を見ていなければ度胸で強行できたかもしれませんが、良いのか悪いのか散々現場に居合わせています。別に兄に苦しんで欲しいわけでも、家族に裏切られた絶望を味わって欲しいわけでもないのです。なるべくそういったことのないように葬れないものか。いつものように交わす兄との他愛ない会話の裏で、私は思案に暮れていました。
 兄が病身であること考えると、やはり薬でどうこうというのが良い。しかし、しがない使用人のひとりの自分には医学の心得などない。そこで常々お世話になっているお医者様にお訊ねしたのです。ストレートに問い質すわけにはいかないので、例えば、最近兄の食の好みが変わってきました。食事にうっかりお薬と一緒に摂取してはいけない品目を取り込んでしまっては大変なので、危険なものがないか教えてくださいませんか……とかね。
 あら。どうされたんです、そんなに震えて。やっぱりブラックは苦手だったんですか? そこにお砂糖ありますよ。
 私が嘘を吐くことくらい知っていたでしょう。一度奇襲をかけられたのに、まさか信用してくださったのですか? やはり貴方は人格も詰めもとてもお甘い。私なんかよりもね。いくら毒に強くとも、こうも隙だらけでは。それも人殺しのくせに。もしかしたら既に貴方には捜査の手が及んでいて、貴方に気取られないよう段取りされているだけなのかもしれませんよ。私が実は警察だとしたらどうでしょう。そんなはずないなんて、ここまで何ひとつとして嘘を見抜けなかった貴方にどうして言い切れるのでしょうね。……まあ意地悪はやめましょう。私は人里離れたお屋敷の単なる使用人。警察の方とご縁などありませんよ。
 種明かしついでに、もうひとつネタばらししましょうか。貴方をお見かけしたのは偶然などではありません。貴方を探していました。兄もさすがに現在の住所までは知らなかったようですが、お名前だけわかれば十分です。そして今日、やっとお会いできたのです。
 お見受けするに、またあの島に行かれるつもりでしょう。もう私の言っていることなんて信用できませんものね。その通りです。それでよろしいのですよ。兄は生きているかもしれません。貴方の一途な恋心が、意地悪い悪人に揶揄われているだけかもしれませんもの。行って確かめるのが吉でしょう。お連れ致しますよ。だって私の目的はそれですから。貴方をお連れしたかったのです。あのお屋敷に。
 そうぴりぴりなさらないでと言っても無理でしょうから、そのまま聞いてください。前はよければどうかとお誘いしたのですが、今は違うんです。私、貴方に住んで欲しいんですよ。そしてできることなら、お客様としてではなく、私の新しい主としてお屋敷に帰っていただきたいのです。
 おっと。お静かに。お店の中ですよ。すべて戯言とお思いでしょう。なら、もう少しだけお付き合い願いますよ。ほら、コーヒーまだ残ってますし。せめてそれを飲み切るまで。
 前回を含めてお話ししてきた通り、ずっと誰かの下につき、その方のお手伝いをすることでしか生きてきたことがないもので。つまり今現在、私は誰の役にも立っていない状況なのですよ。これは耐え難い。いつ何をするのも自分の自由というのは多少憧れではありましたが、あの感情、普段決まったお仕事があるからこそだったとは。勉強になりました。で、主不在というのがどうにも落ち着かなくて。
 偉そうなことを申しますとね。これって別に貴方にとっても悪い話ではないと思いますよ。貴方が兄のどの部分に惚れ込んだのかはわかりかねますが、私、少しくらいは面影がないものでしょうか。髪型や服装で雰囲気はかなり違っていたとは思いますけど、よく見てくださいよ。代わりになれるなんて大仰なことを考えているわけではありませんけど。少なくとも、私は貴方のような強情な女性に惹かれますから。だから探したというのもありますし。あ、もちろんその気がないのに強引になんてことはないので。確かに私は嘘吐きですが、そういうのは嫌です。美学みたいなものです。
 いい時間になってきましたね。そろそろお暇したいところですが……ねえ。ここまでお話ししてきて、気付くことってないですか? こんな普通のお店で随分物騒な話題だったもんだなとか、そういうこと思わないですか? いいえ、別に。他意などそんな。ただ、私だったら人目を気にしちゃうなと思って。近くで何か事件でもあったとして、ここでの会話を聞いている誰かがいて、そのせいで妙な疑いをかけられたら嫌じゃないですか。
 さて。では行くとしますか。お会計はお気になさらず。貴方がどんな選択をされようと、これくらいは当然私の役目だと思っていますから。お声かけしたのもこちらですし、大した額でもありませんから。
 ふふ。是非とも貴方を主人と呼びたいものです。良いお返事を聞ければ良いのですがね。では帰るとしましょう。私たちのお屋敷へ。

嘘八百二

おつかれちゃん

嘘八百二

うそはっぴゃくふたつ。 【嘘八百】の続きだけど独立も可。 些細なミステリー仕立て。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-22

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