(2021年完)TOKIの世界譚②栄次編

(2021年完)TOKIの世界譚②栄次編

TOKIの世界譚2巻目!

月夜1

 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。
 芽吹く春が終わり、蒸し暑い夏も終わりかけ。夜はセミではなく、秋の虫が鳴いている。自然と共存している静かな住宅街の中に時神達の住む、日本家屋があった。
 「……きれいだな。やはり」
 総髪で袴姿の青年、栄次はぼんやり枕草子の情景を思いだし、鋭い目を輝く月に向ける。
 「蛍でも見に行くか。儚き蛍を。もう遅いかな」
 「おーい、栄次(えいじ)~、なんで庭に出てんの?」
 障子扉を開けて、赤髪の軽い雰囲気の青年、プラズマが顔を出す。
 栄次は庭に出て、秋に近づく月をただ眺めていた。
 「ああ、プラズマ、月がきれいなんでな。眺めていた」
 「……夏目漱石のあれでは……ないよな? 俺、告白されたのかと思った。あれは違うんだっけか?」
 プラズマははにかみつつ、部屋に促す。
 「家、入れよ。アヤとリカがそうめん食ってる」
 「ああ……ゆうげ(夕飯)か。ぼんやりしていた。手伝わなくてすまぬ」
 栄次はプラズマにあやまり、縁側の踏み台に草履を置くと、障子を開けて中に入った。
 「アヤ、色つきの赤いそうめん、食べないでよ~! トマト練り込んであるんだって! 食べたいー!」
 畳の部屋に机を置いて二人の少女がそうめんをすすっていた。
 「リカ、あれだけミニトマト食べていたのに、まだトマト系食べるの? あなたのそうめんつゆにもトマト、そんなに入れちゃって……」
 橙色の髪に三つ編みの少女、リカの器は細かく切ったトマトが大量に盛られている。
 目の前にいる茶色のショートヘアーの少女、アヤはそんなトマト好きなリカをあきれた目で見ていた。
 「栄次は庭で月、見てたぞ」
 プラズマの言葉にアヤがにこやかに笑った。
 「そう、月見、いいわね」
 「手伝わなくてすまぬ」
 「いいのよ。とりあえず、食べましょう」
 「ああ」
 栄次は空いている座布団に座り、手を合わせ、食べ始める。
 「栄次さん、おいしそうに食べますね!」
 リカが無邪気に笑い、栄次はちらりとリカを見る。
 「リカ、ナスも食べなさい」
 リカのお皿にまるまる残っていた焼きナスを指差し、栄次は厳しく言った。
 「うっ……ごめんなさい……。ちゃんと食べます……」
 リカは叱られ、やや落ち込むが、ナスをすばやく食べ始めた。
 顔が渋くなっている。
 ナスは苦手なようだ。
 「トマトだって赤茄子(あかなす)って言うのよ、リカ。ナスは苦手なの?」
 アヤがあきれながら尋ねた。
 「ん……んん……うん。色からおいしくなさそう……。やっぱり真っ赤なトマトの方が!」
 「リカ、口に入れながら話すな。行儀が悪い」
 「ご、ごめんなさい……」
 栄次に再び叱られ、リカは大人しく口を動かし始める。
 「栄次、そんなに怒るなよ~、楽しく食事しようぜ」
 プラズマは箸でそうめんをとりながら、苦笑いを浮かべた。
 「怒ってはおらぬのだが……顔が怖かったか? リカ」
 「こ、怖いです……」
 「……いかんな……すまぬ。怒ってはおらぬのだ」
 栄次はリカが怯えながら食事をしているので、顔を柔らかく保つように努力を始める。眉間をこすると、シワが寄っていた。
 「栄次、あなた、少し……疲れているんじゃないかしら? ちゃんと寝ているの?」
 アヤに尋ねられ、栄次は「ああ」と軽く頷く。
 「寝てはいるが……」
 栄次はそうめんをすすり、焼きナスを頬張る。
 「……。まあ、栄次は真面目だからなあ」
 プラズマは一瞬何かを考える表情を浮かべたが、すぐに皿に盛られていた茹でとうもろこしと、ミニトマトに手をつけた。
 「ぷ、プラズマさん……あの……」
 「んー?」
 リカが控えめにプラズマに声をかける。プラズマはミニトマトをおいしそうに噛みながらリカに返事をした。
 「ミニトマト……」
 「え……欲しいの? もう食いすぎだぞ……。ほら、まだナスが残ってる。ミニトマト、残しておいてやるから、先にナスを食え」
 「はーい……」
 リカはプラズマにも叱られ、子供のように頬を膨らませると、ナスを素直に食べ始めた。

二話

 そうめんを食べ終わったアヤとリカ、栄次とプラズマはゆっくりお風呂に入り、眠りにつく。
 部屋がたくさんあるため、時神達はそれぞれの部屋で眠る。
 皆が寝静まった深夜、栄次は布団から起き上がった。長い髪をひとまとめにし、静かにドアを開ける。廊下を渡り、玄関で草履を履き、扉に手をかけたとき、声がかかった。
 「どこいくんだよ、こんな夜中に」
 栄次が振り向くと、プラズマが壁に寄りかかり、こちらを見ていた。
 「プラズマ……お前にはかなわないな。未来見をしたのか? ……季節外れた蛍を見に行く」
 栄次は扉に向き直り、プラズマに言う。
 「そうか。……なあ栄次、ちゃんと帰ってこいよ」
 「……はい。朝になれば帰ります故」
 栄次の返答を聞き、プラズマは軽く笑った。
 「嘘つき」
 「……では、行ってまいります」
 栄次はプラズマに軽く頭を下げると、そのまま出ていった。
 夜の空気がどこかひんやりとし始める。プラズマは去り行く栄次を止めることなく、ただ見守っていた。
 翌朝、朝ごはんを準備していたアヤは栄次が食卓にいないことに気がつく。
 「プラズマ、リカ……。あの、栄次は?」
 バターを塗ったトーストをかじりながらアヤがプラズマに尋ねた。
 「あー、大丈夫なんじゃね?」
 プラズマは茹でたブロッコリーを食べながらアヤにてきとうに答える。
 「栄次さん、朝早くからいませんでしたよ? お散歩ですかね?」
 リカは大量に皿に盛ったトマトをおいしそうに口に含みながら、首をかしげた。
 「……なんか、嫌な予感がするのよ」
 アヤがつぶやき、プラズマは顔から笑みを消す。
 「……嫌な予感ね」
 「プラズマ、あなた、何か知っているわよね? 栄次の未来……見たんじゃないの?」
 アヤに問われ、プラズマは苦笑いをした。
 ……アヤは勘が鋭い。
 そして頭が良い。
 「ねぇ、プラズマ……」
 「言いたくねぇが、桜と月が見えたんだ。銀髪の男……あいつは更夜(こうや)だったか、ほら、サヨの先祖だ。あいつと、全身黒い女の子がいて……栄次と更夜が斬り合っていた」
 プラズマは言いにくそうにアヤとリカに見たものを伝えた。
 「それ……まずいんじゃないの? プラズマ、なんで知っていて栄次を止めなかったのよ!」
 アヤは顔を曇らせ、プラズマにきつく言い放つ。
 プラズマはトーストをかじりながら、無言のままだ。
 「ねぇ、プラズマ? 聞いているの?」
 「聞いてる。……栄次は、ずっと過去を見ていたんだ。更夜と黒い女の子は、昔になんか関係があった奴らなんだろ? 俺が止めてどうする。何にも知らない俺達があいつを止めてどうすんだよ。あれは決闘かもしれない。口出せねぇよ、俺は」
 プラズマが静かに言い、アヤはあきれた。
 「そんなことを言ったって、私にはわからないわ。斬り合いなんて……」
 「俺もわからねぇよ。そういうの、避けてきたからな」
プラズマとアヤの会話を聞きながら、リカは怯えた顔で二人の会話を聞いていた。
 「でも、待って……。どこに行ったのかしら。更夜っていう人は霊魂の世界弐にいるのよね?」
 「そうだな。ああ、ごちそうさん」
 プラズマは味噌汁を飲み干し、淡々と答える。
 トーストにブロッコリー、味噌汁という、やや不思議な朝食を終え、プラズマは食器を片付けに流しへと向かった。
 「弐の世界に時神が入ったら、ここ、壱の世界の過去がおかしくなるんじゃないかしら?」
 アヤがプラズマの背に声をかける。プラズマはアヤとリカの食器も片付けながら、静かにつぶやいた。
 「過去はたいして現世に影響はない。人の記憶の管理をしているのは別の神だ。過去は過ぎ去ったもの、思い出すのは思い出。思い出さえあれば過去はいらない」
 「……そんな言い方……」
 アヤがひどく悲しそうな顔をしたので、プラズマは頭をかくと、再び机に戻ってきた。
 「なんかあったら、動こう。栄次は自分でなんかの決着をつけようとしている」
 「……そう」
 アヤはプラズマの言葉に頷いた後、小さくつぶやく。
 「プラズマ、食器を運ぶだけじゃなくて、洗ってくれるかしら?」
 アヤの一言でプラズマはあきれた顔を向け、リカは苦笑いをしていた。

三話

 時間はさかのぼり、深夜。
 プラズマから見逃してもらった栄次は家の近くにある山道を登っていた。
 ……この山、見たことがあったのだ。何度も何度も夢に見る。
 俺の過去が流れるのだ。
 銀髪の男と黒い女童(めのわらわ)。
 今回は酷い。
 あの男の過去ばかり見える。
 「なにか……あるのか」
 栄次は暗闇の中で、地に落ち、暴れているセミを横目に見つつ、舗装されていない山道へと向かう。
 「そうか。お前は三回もカラスに食べられそうになったのか、人間の子供にも捕まえられた。ああ、子をなせて良かったな。良く頑張った、安らかに眠れ」
 栄次に言葉をかけられたセミは動くのをやめ、安心したように死んだ。
 栄次は山の中腹にたどり着く。
 草が乱雑に伸びていて、よくわからないが、開けていて草を刈れば広場になりそうな場所だ。
 栄次は墓を探した。
 あの男が少女に向けて作った墓だ。
 さすがに見つからなかった。
 「当たり前か。戦国の世の話だ。……ん?」
 栄次は乱雑に生えた雑草の中から、白い小さな花を見つける。
 「この花……」
 「栄次、こっちにきてよ~」
 ふと、かわいらしい少女の声が聞こえた。
 「……この声は……」
 「栄次、こっちにおいで~」
 頭に響くように聞こえる少女の声に栄次は目を見開く。
 「スズだ……。霧隠(きりがくれ)……スズだ」
 「はーやく来てよ~」
 栄次は少女の声に導かれるように歩きだす。
 ……ちっと通して 下しゃんせ
 さあ、一緒に行くよ。
 帰さないけど。

※※
 
 平和を願う種族「K」の少女、サヨは、銀髪のカール髪をいじりながら、霊魂、夢、精神の世界である弐(に)の、「自分の夢の世界」にいた。ここにはサヨの先祖、更夜が住んでいる。
 「更夜さま~遊びにきたよ~ん!」
 サヨは大きな日本家屋のドアベルを鳴らす。
 サヨが作り上げた世界は白い花が沢山咲いている日本家屋の世界。広い日本家屋には暇なサヨがよく遊びに来る。
 弐(夢、霊魂、精神)の世界は人間や動物、神など、想像する生き物がそれぞれの世界を作り上げているため、沢山の世界があるのだ。
 「更夜さま~なにしてんの~?」
 サヨは何度もベルを鳴らす。
 「さまさま~、更夜ちゃん~、さまさま~ちゃんちゃんかわいいねー」
 サヨはてきとうに大きな声を上げるが返答がない。
 「……いない?」
 サヨは首を傾げ、つぶやいた。
 「先祖があたしの世界にいない……不気味だ。あのひとは『弐の世界の時神』なのに」
 サヨは誰もいない日本家屋を見上げる。ぬけるような青空が家をまぶしく照らしていた。

四話

 プラズマに食器を洗わせ、落ち着かない午前中をアヤとリカは過ごした。
 お昼近くになり、何を食べるかリカと話していたところで、インターフォンが鳴る。
 「誰かしら? 栄次?」
 「栄次さんなら、インターフォン鳴らすかな?」
 二人は唸りつつ、玄関へと向かった。玄関先には、すでにプラズマがいた。
 「はーい」
 プラズマはてきとうに返事をしながら、扉を開ける。扉を開けた先で銀髪をカールにしている少女、サヨがそわそわしながら立っていた。
 「サヨか」
 「あら? サヨ、どうしたの?」
 プラズマがつぶやき、アヤが尋ねる。
 「いやあ~どーもー、先祖があたしの世界にいなくてぇ、探してほしいなあ、なーんて」
 「あー、やっぱり、更夜(こうや)か」
 プラズマの言葉にサヨが目を細めた。
 「なに? なんか知ってるわけ? 知ってるなァ? 洗いざらい吐くのじゃ!」
 サヨは楽観的な雰囲気でプラズマに親指をたてる。
 「ああー、待て待て、俺もよくわからないんだ。だから、様子を見ている」
 「あのねぇ、『更夜さまさま』は、一応弐の世界の時神なわけよ、いなくなったらまずいっしょ!」
 サヨは腕を組むと、プラズマを睨み付けた。彼女の顔はあまり、深刻に見えない。
 「よく考えたら、弐の世界の時間を守る時神と、こちらの過去を守る過去神、栄次さんが相討ちしてしまったら、どうなるんでしょうか……」
 リカが恐る恐る小さくつぶやく。それを聞いたアヤは顔を青くし、プラズマは頭をかいた。
 「わかったよ……。調べよう」
 見守る予定だったプラズマがそうつぶやき、アヤとリカは顔をゆるめる。
 「じゃあ、よろー! あたし、これから学校だから! バイバ~イ」
 心配なのか、心配してないのか、どちらだかわからないサヨは、にこやかに手を振り、去っていった。
 「あの子は軽いなぁ……」
 プラズマがあきれつつ、サヨの背中を眺めながら、ゆっくり扉を閉める。
 「ちょっと待って。調べに行くのよね?」
 プラズマが扉を閉めたので、アヤは鋭く言った。
 「どこに? 栄次、どこにいったかわからないし」
 「プラズマさん、何かわかるんじゃないんですか?」
 プラズマの抜けた返事を聞き、リカも驚いて声を上げる。
 「いやあ、わからねーよ」
 「プラズマ、栄次は更夜って男の過去を見続けていたって言っていたわよね」
 アヤは考えながらプラズマを仰いだ。
 「あ、ああ。言ったな。俺は憶測で話したんだが」
 プラズマが慌てて答え、アヤが頷く。
 「それで、更夜も消えている。つまり、栄次は更夜を巻き込んだ大きな過去戻りをし、過去の世界(参)に行ったんじゃないかしら」
 「あー? そりゃ無理だろ。あいつは過去を見る能力しかない。過去に戻る能力はないぞ。まあ、決闘だったら、栄次がサヨに頼んで弐の世界に連れてってもらえばいいだろ? 霊なら弐にいるんだし」
 プラズマが苦笑いを浮かべた時、アヤがさらに言葉を発した。
 「栄次は更夜に会っていないわ。サヨの中にいるって知らなかったんじゃないかしら? つまり……栄次は弐に行ったってこと?」
 「俺は過去を見れないからわからないが、弐自体からいなくなったんじゃないのか? その、更夜ってやつ」
 プラズマがつぶやき、アヤが眉を寄せる。
 「……プラズマ、今、何か見えたんじゃないの?」
 アヤに問われ、プラズマは苦笑いを浮かべた。
 「アヤ、あんた鋭いな、ほんと……。ああ、未来が見えた。更夜と栄次は……過去に戻ったらしい。もう俺はやつらの未来を見ることは不可能だ」
 「過去に……。プラズマ、過去に戻れる力はないんじゃなかったの?」
 アヤが困惑した顔を向け、プラズマも頭をかく。
 「そのはずなんだが……」
 「栄次さん……って、今、まずいことになってます?」
 よくわかってないリカは首を傾げながらアヤとプラズマを交互に見ていた。プラズマとアヤは黙り込んだまま、深刻そうに一点を見据えている。
 リカは怯えながら口をつぐんだ。
 「アヤ、あんたは賢い。俺と同じこと、考えてるよな?」
 「……ええ。たぶんね」
 ふたりは同時に頭を抱える。
 「あ、あの……?」
 リカはなんだかわからず、ふたりに尋ねた。アヤはリカに目を合わせ、説明をする。
 「あのね、リカ。栄次は過去戻りをしたの。栄次に過去戻りの力はない、ならば、どうするか。高天原(たかまがはら)南に龍神が住む竜宮城があるの。そこはね……」
 アヤは一呼吸してプラズマを見た。
 「ああ、表はレジャー施設。裏は過去を映し出す建物。そして……参(過去の世界)を出現させることができる。過去に戻るのは幻想だ。高天原は幻想世界。過去を映し出す建物と幻想世界により、過去戻りができる。ただ……禁忌なんだよ」
 プラズマから『禁忌』の言葉が出て、リカも重大さに気がついた。
 「禁忌……栄次さん、どうなるんですか?」
 「……あそこのオーナーがどういう判断をするかで決まる」
 プラズマが曖昧に濁したので、リカは逆に心配になった。
 その時、アヤが小さくつぶやく。
 「プラズマが止めていれば良かったのよ……」
 アヤの言葉にプラズマの眉が跳ね、いらついたように口を開いた。
 「アヤ、あんたも昨日なんか気づいていただろ。あんたが止めりゃあ良かったじゃねぇか。人のせいにすんじゃねぇよ」
 プラズマはアヤを睨み付けると、言い返す。アヤもプラズマを睨み付けると、拳を握りしめて答えた。
 「私はなんとなくの雰囲気の違いしかわからなかったのよ。あなたみたいに未来が見えるわけではないし」
 アヤはプラズマの雰囲気に怯え、涙目になるも、プラズマを睨んだままだ。プラズマはアヤが怯えていることに気がつき、雰囲気を元に戻した。
 「ごめん。男に上から睨まれたら怖いよな。あんたは優しいやつだ。だから、アヤもそんなに睨まないでくれ。確かに、俺はあいつを止められなかった。思い詰めた顔、してたから」
 「……そう。ごめんなさい。私もあなたのせいにして」
 アヤは目を伏せ、涙をハンカチで拭う。
 「プラズマさん……」
 雰囲気にリカまで怯え、アヤに寄り添っていた。
 「ごめんな……。泣かないでくれ。俺が悪かったよ」
 プラズマはアヤの頭を撫で、目を伏せる。
 ……俺がぶれたら、ダメだな。
 アヤは鋭いが、怖がり。
 リカは産まれて一年目。
 まだなんにもわかっていない。
 なんだかんだいって頼りになる栄次は失踪。
 「俺があんた達を守るから」
 「プラズマ……」
 アヤとリカは不安そうにプラズマを見上げていた。

五話

 「じゃあ、まず……竜宮に行くか」
 プラズマは珍しく戸惑いながら、アヤとリカにそう言った。
 「そうね。プラズマ、どうしたの?」
 アヤに尋ねられ、プラズマは苦笑いを浮かべる。
 「いやあ、高天原に入ってから、高天原南の竜宮に行くだろ? 龍神は気性が荒いんだよ……」
 「あの、プラズマさん、襲われるってこと、あったりします?」
 プラズマの発言にリカは怯えながら尋ねた。
 「ないとは言いきれないんだよなあ……、組織で動いているとは言え、オーナー天津(あまつ)が見ていないところでアトラクションとしてじゃれてくることもありそうで……じゃれて来られたら、どうなるか、俺は怖いぜ」
 「あなた、もしや、竜宮に行くのが怖くて渋っていたの? あなたのことだから、前々からある程度、予想していたんでしょ?」
 アヤに問われ、プラズマは頭をかく。
 「あんた……本当に頭がきれるなあ……。ま、まあ、もういいや。さっさと行くか。ああ、あんたらはまだ高天原に入れる神力がないから、俺の付き添いって感じになるからな?」
 「……足手まといにならないよう、頑張りますー……」
 リカが小さくつぶやき、アヤは頷いた。
 プラズマは高天原南と書かれたチケットを取り出すと、神力を提示する。足元に五芒星が現れてから、プラズマはチケットを床に置いた。
 すると、ワープ装置らしきものが作動し、プラズマ、アヤ、リカを高天原へと飛ばした。

※※

 深夜の森の中。
 栄次はスズという少女の声に導かれ、入ってはいけない境界を超えようとしていた。
 「……どこに向かう?」
 栄次が尋ねると、スズは子供らしく笑いながら答える。
 「当時に戻って更夜と私を救ってみる?」
 暗い山道を歩いていた栄次は足を止めた。
 「私はね、あなたの奥底にある『後悔』に気づいている。あなたは、唯一殺してしまった更夜にずっと『後悔』している」
 「……なぜ、それを知っている。俺は人の子の前で神だと言った事はない」 
 栄次の声が鋭くなったので、スズは栄次をからかうように言葉を発し始める。
 「自分で考えなよ。私はあなたに『呼ばれただけ』だから」
 「……どういう……ことだ」
 栄次は訝しげに尋ねたが、スズは関係なく、話を進めた。
 「さあ、行くよ。帰っちゃ来れない、過去の恐ろしい『輪』の中へ。あなたの心が繰り返しを要求しているのだ。従え、栄次」
 スズの声はそこで途切れ、足元に時計の陣が現れる。栄次は口をつぐむと、素直に時計の陣の真ん中に立った。
 夜の闇に淡い緑色の光が多数舞う。栄次は緑色の光に抱かれながら、懐かしい『あの時』を思い出し、そのまま、その場から消えた。

竜宮1

 まぶしい光の中、アヤとリカは我に返った。青空が広がり、やや蒸し暑く、どこかリゾート地を思い出すような気持ちになった。
 なぜか坂道の上にアヤ達は立っており、太陽の日差しが直に当たってくる。下の方には和風民家が連なり、坂道の遥か下には海が広がっていた。
 海辺にある町……といった感じである。
 おそらく、ここは、『高天原南』なのだろう。
 「着いたな。さて……まずは……」
 プラズマは頭をかきながら歩き出す。
 「あの……プラズマさん、ここは……」
 リカが恐る恐る尋ねてきたので、プラズマは思い出したかのように振り返った。
 「ああ、忘れてた。説明してなかったな。ここは高天原南、リゾート地、竜宮城の城下町だ」
 「か、観光地みたいですね」
 リカの言葉にプラズマは軽く笑った。
 「観光地だよ。本来はな」
 プラズマは再び、歩き出す。
 「ど、どこに……」
 リカはさらに怯えながらプラズマに尋ねた。リカはとにかく、何もかもが初めてなのである。
 「ツアーコンダクターに竜宮城のツアーを組んでもらう」
 「ねぇ、プラズマ……」
 アヤの目線が鋭くなり、プラズマは慌てて言い直す。
 「あ、遊びにいくわけじゃねーよ! ツアーコンダクターと使いの亀以外、一般神が竜宮に入ることはできないんだよ」
 「ああ、そういうことね」
 プラズマはアヤが納得したところで歩き出す。しばらく坂をくだり、プラズマは木材でできている、古そうな小屋の前で立ち止まる。
 「ここだな」
 プラズマは引き戸を開けた。
 アヤとリカも恐々ついていく。
 中は薄暗く、やや不気味。
 奥の方に汚い字で『ツアーコンダクター』と書いてある看板が雑に上から吊り下げられている。
 そして、奥の机にいた荒々しそうな男がこちらを見てきた。
 黄緑色の短髪はパイナップルの葉のように尖り、なぜかシュノーケルゴーグルをつけて、黒地に金の竜が描かれている着物を半分だけ着ている男である。
 「あー? 時神かよー。どーもー。俺様、ツアーコンダクターの流河龍神(りゅうかりゅうのかみ)だぜ。なんだ? 竜宮のツアーっすかね?」
 なんだか男はだるそうに話しかけてきた。
 「なんか……いつにも増してやる気がないな、あんた……」
 プラズマがあきれつつ、後ろに隠れていたアヤとリカを前に出す。ふたりは怯えながら、怖そうな龍神を仰いだ。
 「なんだよ、三柱でいいのかよ? 女ふたりも連れていいなあ、俺様も女の子とデートしてぇー。つーか、女の子の友達ほしいー。しかし……今の竜宮はハードモード竜宮祭り中だから、そんな弱っちいそうな女の子で大丈夫かよ? あ、そこの少女ら、俺様をリュウ様って呼べ。リュウ様だ!」
 怖そうな龍神、リュウ様は腰に手を当てると偉そうに胸を張った。彼は客に対して、いつもこうなのだろうか。
 「えっと……リュウ様……」
 リカがとりあえず、リュウをそう呼んでみた。
 「あ、ああ……やめだ、やめ! 恥ずかしいっ! お前、恥ずかしくねぇのか! 初めて会ったやつに『様』付けしてんだぞ!」
 リュウが、ひとりで顔を真っ赤にして悶えているので、リカは戸惑う。
 「だ、だって……そう呼べって、リュウ様が言ったんですよ……」
 「……も、もういいっ! リュウでいいっ! リュウでいいんだよっ!」
 「は、はあ……」
 リカが気の抜けた返事をしても、リュウはまだ、何かに悶えている。
 「リカ、リュウは……なんというか、シャイなんだ」
 プラズマに言われ、リカはさらに困惑していた。
 「さあて、とにかく! ハードモードなんで入るのに適正か試すぜ! オラ、いくぜ。竜宮前の海に行くぞ」
 ツアーコンダクター失格とも言える荒い口調で、ほとんど説明のない言葉を話す。
 「なんか、嫌な予感……というレベルじゃない気がするのだけれど」
 アヤは怯え、プラズマの後ろに隠れていた。
 「リュウ、バイオレンスな感じなのか? 適正か試すっていうのは……」
 リュウについて行き、城下町を歩き始めたプラズマはアヤが怯えているので、とりあえず聞いてみた。
 「あー、戦って俺様に勝てねーと入れねーんだ。基本、女の子はボコしたくはねーんだが……『DP』……ドラゴンポイントをゼロにしたら勝ちなんでな……。ま、まあ、ゲームだからよ、ケガしても治るし……」
 「まさか、三人ともに『HP』……じゃなかった、『DP』があんのか? 三人で一つのDPじゃなく……」
 青い顔のアヤとリカを横目に見つつ、プラズマはリュウにさらに尋ねた。
 「三人で一つでいいぜ。俺様、女の子は殴りたくないんでね。ただ、俺様が手加減して負けたら、お前らは中に入れるが、竜宮内にいるヤベェ龍神に文字通り瞬殺されて、一生のトラウマと心のキズをおっちまうだろ?」
 リュウはため息をつきながら坂道をくだる。
 「レジャー施設だよな? 殺しに来るのかよ?」
 プラズマはあきれた顔をリュウに向けた。
 「だから、イベント、ハードモード中なんだって言ってんだろ! 頭おかしい戦闘狂しか来ない期間なの! あんたらみたいなのはこないの! ふつーは! 何しに行くんだよ?」
 リュウは眉を寄せ、威圧的に睨み付けてくる。
 「……ああ、白金栄次を探しているんだ。……だがまあ、あんたは言わないだろ?」
 プラズマの言葉にリュウは軽く笑った。
 「お客様の守秘義務だからなあ」
 「だろ? だから入って確認するしかねぇじゃねーか」
 「そういうことねー。んじゃ、しかたねーよなァ」
 リュウは坂道を降り、城下町を抜け、静かな海辺に足をつけた。
 美しく輝く青い海と白い砂浜、まさにリゾート地の海辺だ。
 ただ、ハードモードとかいうシステムのせいか、客がほとんどいない。
 「んじゃ、やるぜェい!」
 リュウは神力を高め、龍神の荒々しい力を引き出す。
 気がつくとプラズマ、リカ、アヤの頭の上に緑色のバーが浮いていた。横にはDPと書いてある。
 「残念だが、チュートリアルはねェ! 入るには俺様を倒した後に手に入る『入城券』が必要だ!」
 リュウは挑発的にこちらを見てきた。

竜宮2

 「めんどくさいシステムにしやがって……」
 プラズマがぼやいた刹那、目の前にリュウが現れた。ひしゃくを振り抜き、プラズマを攻撃する。
 「……っ! マジかよ」
 プラズマはひしゃくを慌ててかわしたのだが、プラズマのDPケージがやや減っていた。
 リュウは恐ろしいほどの水流をまとわせ、さらにプラズマを襲う。
 「てめぇがボスなんだろ?」
 リュウはにやつきながら容赦のない攻撃をぶつけてきた。水流はうねりをあげ、まるで竜のように唸り、なぜか鞭のように固い。
 「だから龍神は嫌なんだよっ!」
 プラズマは必死で逃げ始める。
 「すばしっこい! さっさと当たって泣けよ」
 リュウはひしゃくの攻撃も始め、プラズマのDPがわずかずつ減ってきていた。
 「プラズマ!」
 ふと、アヤが声を上げ、『巻き戻しの鎖』をプラズマのDPケージに巻く。すると、プラズマのDPケージが攻撃を受ける前に戻った。
 「へへっ! アヤには時間を操る力があるんだった!」
 プラズマは得意気に笑う。
 「へー、反則級な回復技だな」
 「おりゃああ!」
 ふと、リュウの後ろからリカが霊的武器『無形状のヤリ』を振りかぶり、リュウに攻撃を加えた。
 「うおおっ! なんだァ?」
 リュウはリカの槍をひしゃくで受け止めつつ、プラズマに水流をぶつける。
 「うう……手が痛い……」
 リカはリュウの力に負け、押され始めた。
 「やれやれ、勇敢だなァ。お前、なにもんなんだよ……」
 「こ、怖いよぉ……」
 涙目のリカは時計の針のような、光る槍を多数まわりに浮遊させていることに気づいていない。
 リュウは水流を二つにわけ、片方の水流でリカの謎の槍をすべて消滅させ、殴りかかるプラズマに水流をぶつける。
 「イッテェ!」
 水流は水とは思えないほどの衝撃音を発しながら、プラズマに当たった。弾ける音、まるで鞭のようだ。
 プラズマのDPは半分になり、腹を押さえて悶え、血を吐き始める。
 「プラズマ!」
 震えるアヤが再びプラズマを回復させ、プラズマのキズはすっかり消えた。
 「はあ……はあ……マジでイテェ……」
 「ひっ……」
 リカはリュウに怯え、涙目になりながら、ひしゃくを槍で受け止め続ける。リカは両手、リュウは片手だ。
 「……弱すぎる……」
 リュウがあきれたようにつぶやき、リカにさらに力をかける。
 「弱すぎんだよっ! 力比べで負けんのは仕方ねぇ、お前は女だからなっ! だがっ! 他に何かでカバーしろよ!」
 「ひぃぃ!」
 リカはリュウの荒々しい言葉に怯え、力が弱くなり、震えだした。
 「リカを叩くなよ!」
 「叩いてねーだろ! 力も半分も出してねーよ!」
 プラズマの言葉にリュウはイラついたように叫んだ。
 「泣いて怯えている女を殴れるやつは、頭おかしーやつだろ! 最低だ」
 「あんた、地味に優しいよな……」
 プラズマに言われ、リュウはさらにいらだちを見せる。
 「俺様は男だから、なんかちょっと女に手加減しちまうんだよっ! だが! 竜宮で主に戦闘ゲームを担当してるのはヤバい女だ。あいつは手加減を知らねぇし、戦闘に関してはバカみてぇに強えーんだよ。だからな、そんなメソメソ泣いてるような女でも手加減なんかしないんだぜ」
 リュウはリカを軽く突き飛ばし、ひしゃくを振り回す。
 「時神未来神、てめぇが盾にならねーでどうすんだ。そこの動きの鈍い女二人から狩られるぞ。DPなくなるまでボッコボコだ。見てられねーから、竜宮はあきらめろや。ゲームとはいえ、リアルゲーム。竜宮の、過去を勝手に巻き戻すシステムを使い、このゲームが産み出された! 負けても元に戻るが、痛みは覚えてるだろ?」
 「……だな。俺も身体能力が高いわけじゃないからな。栄次がいればなあ……」
 プラズマは肩を落とした。
 「わかったなら、やめろ」
 「ま、負けませんよ! まだ終わってませんし!」
 リカが間に入り、槍でリュウに襲いかかる。
 「若いねー」
 リュウはリカの槍を簡単に受け止めながら、プラズマに目を向けた。
 「どうするんだ?」
 「ああ、なんかな、あんたに負けるのは……なんだか癪だ」 
 プラズマはため息をつくと、霊的武器『光線銃』を手から出現させた。

竜宮3

 リュウはすぐに襲いかかり、プラズマのDPをなくし始める。
 「俺様はハードモード竜宮に入れるか試すツアーコンダクター。手加減したら、おめぇらは中にいるあいつに、瞬殺される。ワンショットキル」
 プラズマのDPが減り、再び血にまみれた時、アヤは慌てて時間の巻き戻しを行った。
 「へぇ、タイミングがいいな」
 リュウは感心したようにアヤを見た後に、嘲笑しながら言う。
 「だがっ! 弱すぎるんだよ!」
 リュウは再び飛びかかったリカの槍をひしゃくで受け止め、プラズマを水流で叩いた。
 今度のプラズマはもろい結界(バリア)で水流の衝撃をやや緩和させる。
 「イッテェっ! ムチ打ちされてるみたいだ。結界で弾いたはずなんだが……」
 「結界なんて意味ねぇよ。貫通させてやるからな……おっと」
 リカが無意識に浮遊させた槍がリュウを襲った。リュウは危なげにかわし、リカに強い神力を向ける。
 「お前、まだ神になって一年目だろ? 神力が弱すぎる」
 「……ひっ。な、なに……この力」
 リカが強い神力に震え始め、プラズマは光線銃を放ち、リュウをリカから離した。 
 「なんだ? てめぇ、攻撃がぬるいぜ、未来神。本気をだしやがれ」
 リュウはプラズマをてきとうに挑発する。
 「ちっ、避けられた……」
 「もう一発水流を当てて、戦意喪失させてやるぜ」
 「そうはいくかよ! アヤ、早送りしろ!」
 プラズマはアヤに突然叫んだ。アヤは肩を跳ね上げて驚くと、プラズマに早送りの時間の鎖を巻く。プラズマは水流をすばやく避け、着地した。
 「アヤに頼りすぎんのはダメだ。中の龍神と戦うことになった時、アヤの神力がないと死ぬ」
 プラズマはひとりつぶやくと、神力をやや解放した。
 うねる水流を目で追い、なんとか避けていく。
 「逃げるだけじゃ、俺様にダメージは与えられないぜ」
 リュウはさらに水流を出現させ、プラズマを襲う。プラズマは全部を避けきれず、何発か当たってしまった。
 「うっぎぎぎ……」
 歯を食い縛り、痛みに耐える。
 「イテェだろ? 龍神の攻撃はイテェのが基本だ。どうだ? やめるか? 精神壊れんぞ」
 「プラズマ……」
 アヤが怯えながら時間の巻き戻しを行おうとするが、プラズマが止めた。
 「多用するな。あんたがいないとこれからがもたない」
 「で、でもっ……血が……」
 アヤは震えながらプラズマを見る。
 「大丈夫だ」
 「そんな……」
 アヤが手をおろした刹那、リカがリュウに向かい再び槍の攻撃をおこなった。
 「おりゃああ!」
 「はあ……おめぇもあれ、食らいたいのか? のたうち回るくらい痛いんだぜ」
 リュウは苦笑いをしつつ、リカの槍を軽々とまた受け止める。
 「……うう……あ、あなたは……女性に酷いこと、できないんですよね? な、なら私が頑張れば……」
 リカは震えつつ、無意識に無形状の槍を多数再び浮遊させていた。
 「はあ、おめぇな、ケンカしたことねーだろ? 本気で俺様を倒そうとしてるか? ひとつ、言っておく。俺様はハードモード竜宮に入れるか試す役目。今まで弱い女が来たことはねぇ。手加減はしちまったかもしれねーが、俺様は全部負けてる!」
 自慢げにリュウは言う。
 「だけどな、こんな、弱いやつは初めてなんだ。こんなの、どう頑張っても負けられねぇぜ」
 リュウは飛んでくるリカの槍を軽く避けつつ、プラズマに水流をぶつけ始めた。
 「未来神のDPをゼロにしたら、あんたらの敗けだ。あいつは戦い慣れてないから時間の問題だぜ」
 「そうはいきません! 私はそんなに弱くないです!」
 リカが睨み付けてくるので、リュウはため息をつきつつ、口を開く。
 「じゃあ、一発、弱いやつ食らってみろや」
 「……うう……いいですよ……、く、食らってやりますよ!」
 リカが震えながら叫び、リュウは目線を合わせず、困惑しながら弱い水流をリカにぶつけた。
 「痛ぇぞ、泣くなよ。顔はやめといてやる」
 「リカっ! よけろ!」
 プラズマは叫んだが、リカはリュウのひしゃくを受け止めているため、動けない。
 リカは思い切り、頭から水をかぶった。
 「ひぃぃぃ! って……え?」
 「やべ……弱すぎた。コントロールすらうまくできなかったぜ」
 リュウがつぶやき、リカは目を丸くする。リュウの水流が弱すぎて、リカは頭から水をかぶり、びしょびしょになっただけだった。
 「チャンスだ。アヤ!」
 「……は、はい……」
 プラズマはアヤを呼び、アヤはプラズマに早送りの鎖を巻く。
 プラズマは光線銃をリュウ目掛けて発射させ、リュウのDPを減らし、さらにリュウのふところに入り込み、神力を拳に乗せ、打ち放つ。
 「よくもさっきはバカスカやってくれたな! 倍の痛みを与えてやる……」
 「マジかよ!」
 リュウはリカのことで頭がいっぱいになり、プラズマの攻撃に気づかず、光線銃に当たり、さらにプラズマの強烈な拳が顔面に入り、吹っ飛んでいった。
 砂浜に砂を撒き散らして激突したリュウはDP1で倒れこむ。
 「えっと、えっと……えいっ!」
 リカは迷いながら無形状の槍でリュウを軽く叩いた。
 リュウのDPはゼロになり、竜宮が時間を戻し始め、すべてが元に戻った。
 「ちくしょう……やられた」
 リュウは全回復し、悔しそうに頭をかいた。
 「リカ! 大丈夫か!」
 「リカ!」
 プラズマとアヤがリカに寄り、心配しつつ、怪我の有無を確認する。
 「あー、そいつは大丈夫だぜ。水を頭からかぶっただけ。女に攻撃したくなかった俺様の隙をついてマジでヤりにくるとか、最悪だぜ、てめぇら。地の底に落ちて飛龍にボコられちまえ!」
 リュウは悪態をつき、プラズマが苦笑いをした。
 「いやあ、すまん。なんかイラついて。じゃ、『入城券』渡せよ」
 「ほら、死ぬなよ。女ふたりが危うい。てめぇが守れよ、紅雷王(こうらいおう)」
 リュウは乱暴に紙を三枚取り出すとプラズマにかざす。
 「その名前で呼ぶんじゃねぇ!」
 プラズマは怒りながら、入城券を奪い取った。

竜宮4

 『入城券』を持った三人が一息ついたところで、海の中から龍神の使い、カメが現れた。
 まいこさんのような格好をしている黒髪の女なため、カメだとは気づきにくいが、緑の甲羅をもっているから、よく見れば気がつく。
 「入城券を確認するさね!」
 「あ、ああ、これだ」
 カメに問われ、プラズマは慌てて券を見せた。
 「はーい、じゃあいくさね~」
 気の抜けた声を出したカメは海へ飛び込んでいった。
 「え? ちょっとまって、竜宮は?」
 リカが戸惑いの声を上げ、アヤは首を傾げる。
 「まさか、海の中にあるなんて言わないわよね」
 「海の中にあんだよ、竜宮は。カメかツアーコンダクターがいないと溺れるようにできてるんだ」
 プラズマが答え、アヤは納得したが、リカはまだまだ慣れていないのか、頭を抱えていた。
 「一体、どうなってるんだろ……」
 リカの不安そうな顔を横目で見たリュウはため息をつく。
 「てめぇと、おめぇは高天原に入れる神格がねーんじゃねーのか? オーナー天津(あまつ)から怒られるぞ」
 リュウはアヤとリカを指差し、睨み付けながら言った。
 「ま、まあ、俺の連れということで、入ったからセーフだ。たぶん」
 「セーフかねぇ? 俺様は知らねーぞ。少女ら、怪我すんなよ」
 なんだか優しい言葉を言ってきたリュウは、手を振りながら去っていった。
 しばらく、リュウの背中を眺めていた時神達は、カメの声で我に返る。
 「とりあえず、早くするさね! 海に飛び込む!」
 海からちらりと顔を出したカメに叱られ、時神達は慌てて何も考えずに海に飛び込んだ。
 
※※

 栄次は霧の中を歩いていた。
 辺りは真っ白、前は見えない。
 だが、スズの声が聞こえるため、前に進めた。
 進んで行くと、森の中へ出た。
 森はどこか懐かしい雰囲気がし、夕日が栄次を照らす。
 「ここは……」
 栄次は少し開けた場所に木の棒が刺さっているのを見つけた。
 木の棒の前に白い花が供えられている。
 「……墓……」
 「そう、私のお墓かな?」
 栄次がつぶやいた刹那、目の前に忍装束を着た黒髪の幼い少女が現れた。
 「す……スズ」
 栄次は何百年ぶりに彼女に会ったため、体を震わせる。
 「紅色のくちなわ、久しぶり。蒼眼(そうがん)のタカに会いたい? もう一度、『殺しあいたい』?」
 スズは子供らしい顔で笑うと、栄次を見上げた。
 「……いや、助けたい。助けてやりたい。あの男の過去は壮絶だった。……そして、お前も救ってやりたい。苦しかっただろう? 痛かっただろう?」
 栄次はスズの頬に触れる。
 「そうだ。あんたはそういうやつだ。私にいつも優しいんだ」
 「ああ……更夜を止めねばな」
 栄次は墓を通りすぎ、夕焼けの森を歩き出した。
 「……ふふ。心が『過去に戻っている』。あんた、今は『令和』なんでしょ? くくく」
 スズはおかしそうに笑うと、栄次の後ろを、距離をとり、歩き始める。ちょうど三尺。
 九十センチほど。
 女は男の三尺後ろを歩く。
 本来なら刀が当たらない、女を守るための距離。
 敵から女を逃がすための距離。
 しかし、彼女はそのために離れたわけではない。
 「いつ、殺されるか、わからないからね」
 スズは、今度、悲しそうに目を伏せた。

竜宮5

 カメに連れられて海の中を進む。不思議と呼吸ができ、何もしていなくても海底へ勝手に向かっていく。
 海の中は澄んでいて、とてもきれいで、磯の香りはするものの、生き物が何もいなかった。
 いるのは人型ではないウミガメだけだ。
 「わあ、かわいい」
 呑気なリカが横を泳ぎ去るウミガメに声を上げる。
 「あー、そのカメは、イケメンなカメさね。人型になったらかっこいい方」
 カメがどうでも良い情報を横から入れ、リカは苦笑いを浮かべた。
 「お、男の人? ……だったんだ」
 リカがぼんやりつぶやき、プラズマはため息をつく。
 「いやあ、もうあんな痛いのは勘弁だな」
 「プラズマさん、ごめんなさい。なんか戦えなくて」
 「私も……ごめんなさい。怖くなってしまって」
 リカとアヤが申し訳なさそうにあやまるので、プラズマは頭をかいて再び息を吐いた。
 「あんたらがケガしなくて良かったってことにするさ。それより、アヤ、竜宮が近い。栄次の過去が見えたりするか? ここに来たかどうか。竜宮は対象の神の過去も映すから」
 プラズマに問われたアヤは眉を寄せる。
 「栄次がここに来たかどうかの過去は見えないわね」
 「リカは見えるか?」
 アヤの返答を聞いて、プラズマは今度、リカに尋ねた。
 「なんにも見えませんね」
 「……まさか、竜宮にいねぇってことあるか?」
 プラズマはアヤを不安げに見る。
 「……どうかしら。過去に戻れる方法は竜宮を使うしかできないはずでしょう?」
 「ああ、そのはずだ。やっぱ行くしかないか。情報がなさすぎるんだ」
 「……プラズマ……あんな痛い思いしたら、もう嫌よね……。あんなに血が……」
 アヤが泣きそうになっているので、プラズマは苦笑いを浮かべた。
 「ああ、怖いぜ、正直な。だが、俺がやるしかねぇから」
 「……ごめんなさい」
 アヤは手でプラズマの頬を軽く触った。プラズマはアヤに触られ、頬を赤くすると軽く笑う。
 「そ、そんな顔すんじゃねーって。もう着くぞ」
 気がつくとかなり深くまで潜っており、光が届かないところまできていた。辺りにはなぜか『ちょうちん』が浮かんでおり、あかりが灯(とも)っている。
 大きな赤い鳥居がちょうちんの先に見え、その奥に大きな門があった。門の奥には天守閣が見える。
 竜宮だ。 
 「結界を抜けるさね~」
 カメがそう言った時、アヤ達は突然地面に足を着けていた。水の中の感じもなくなり、地上に出たかような状態で、天井にはなぜか青空が見える。
 「不思議すぎる……」
 リカは状況についていけず、いつまでも戸惑っていた。
 カメに連れられ、門をくぐり、しばらく歩くと遊園地のような遊具があり、レジャーランドの雰囲気が出ていた。中にはどうやって乗るのかわからないような乗り物まであり、神の世界らしさを感じる。
 カメは遊具を通りすぎ、竜宮本館、天守閣の前で立ち止まった。
 「はいはい、この自動ドアから中に入ってくださいねぇ。ハードモード中なので、龍神は基本襲ってきますので、ご注意を」
 カメはその一言だけ言うと、逃げるように去っていった。
 「……オイオイ……受付、従業員、ツアーコンダクターすら同行しないのか……」
 プラズマはあきれた声をあげ、アヤはため息をつく。
 「もう、嫌な予感しかしないわね」
 三人はとりあえず、自動ドアから竜宮ロビーへ入り込んだ。
 ロビーは薄暗く、誰もいない。
レジャー施設なのか廃墟なのかわからない有り様だ。
 受付には受付係はおらず、汚い字で行く方向の矢印が書かれていた。矢印を追うと、階段にたどり着き、どうやら階段をのぼれということらしい。
 「天津(オーナー)がこんな酷い管理、しないと思うんだよな……。こりゃあ、勝手にやってんな」
 プラズマがつぶやき、アヤ達は震えながら階段をのぼる。
 のぼった先は廊下になっており、片方が全面ガラス張りで、竜宮の遊園地が見えた。
 室内アトラクションもあるようだが、どこも稼働していない。
 恐々先へ進むと、一つだけやっている場所があった。
 その名は『ドラゴンクワトロ』。
 「ドラゴン……」
 なんだか危なそうな名前のアトラクションだ。
 「ん!?」
 ふと、プラズマの目に栄次が映った。
 「プラズマ?」
 アヤとリカが心配する中、プラズマは意識を集中させる。
 「栄次……どこにいる」
 ……なんで、未来しか見えない俺に過去が映る……。
 栄次は夕焼けの森を歩いていた。雰囲気は荒々しく、剣気が辺りに舞い、後ろから黒髪の少女が歩いている。
 ……過去……じゃないのか?
 ひょっとすると……『未来』のことなのか?
 プラズマは頭を抱え、つぶやく。
 「俺に過去が見えるわけがない。俺は未来しか見えない。過去を映す竜宮にいても、それは同じだ。じゃあ、この栄次はなんだ? 栄次、どこにいる……」
 「プラズマ……もしかして本当に栄次は竜宮から過去に入っていない?」
 「わからない。いないかもしれない……」
 プラズマが不安になってきた所で、麦わら帽子をかぶった、ピンクのシャツにオレンジのスカートを履いた、やや地味めの少女が階段をおりてきた。
 「あ、お客さん? 三階へご案内しまーす」
 「あ、ちょっと待って……」
 アヤの制止もむなしく、三人は地味な龍神に背中を押され、階段をのぼらされてしまった。
 
  

竜宮6

 栄次が夕焼けの森を歩いていると、突然夜に変わった。
 場所も変わり、目の前に屋敷が見える。あきらかに『令和』の時代にはない空気だ。
 まず、あかりがない。
 栄次が歩くたびに、時間が戻っていく。
 「屋敷に戻らねば」
 栄次には違和感がないのか、そのまま屋敷の中へと足を進めた。
 当たり前のように、『いつも』のように屋敷へと帰る。
 この屋敷はどこかおかしい。
 なぜかと言うと、手柄をたてた者達を、殿がわざわざ離した屋敷に住まわせているからだ。
 殿に貢献した者がなぜか遠くに住まわされるのか。殿は腕のたつ者の中に、『忍』が混ざっているかもしれないことを恐れていたのだ。
 栄次は殿のために尽くしたのだが、遠くの屋敷に住まわされていた。
 そして、栄次は人を殺さないことで有名だった。失神させるだけで『首』をとらないのだ。
 失神させた武将の首は手柄をたてたい者が奪うため、栄次のまわりには常に『血に飢えたケモノ』達がいる。
 栄次はヘビのように避けていき、剣撃も鉄砲も当たらない強者として、『紅色のくちなわ(ヘビ)』という名で恐れられていた。
 「このまま、何も起こらなければ良いのだが」
 栄次は小さくつぶやくと、屋敷の廊下を歩き、自室に帰る。
 この屋敷は長屋のようになっており、障子扉一枚で部屋が仕切られていた。
 兵達の士気をあげるためか、遠くに住まわされた罪滅ぼしかはわからないが、この屋敷には男達を癒すため、女達が住まわされており、毎夜、女が夜遊びに部屋に来る仕組みである。
 殿が女好きであるため、こんなことになっているらしい。
 「今夜も憂鬱だ。さっさと寝るか」
 栄次はそんなことを思いつつ、着物を脱ぎ、畳の上に横になった。
 脱いだ着物をかけ布団がわりにかけ、目を閉じる。
 「……もし」
 ふと、障子扉の向こう側から消え入りそうな少女の声がした。
 「ああ……」
 栄次は頭を抱えながら、起き上がり、皿に入れた灯(とも)し油に灯芯(とうしん)を浸し、火をつける。
 この時代はキャンドルよりも火が弱い灯し油を使っていた。
 栄次は毎夜、やってくる女を無視できず、毎回部屋に入れてしまう。なにかするわけでもなく、話して隣で寝てもらうだけだ。
 「今、開ける」
 栄次はそう言うと、障子扉を静かに開ける。
 目の前に三つ指(親指、人差し指、中指)をついて頭を下げている少女がいた。赤い着物を着ている。
 「……ずいぶんと……幼いな」
 栄次が驚くと、少女は小さく縮こまった。どうやら、男の裸を見たことがないようだ。
 栄次は困惑しつつ、かけ布団がわりの着物を羽織る。
 「すまんな、怖がらせるつもりではなかったのだ」
 「……はい」
 少女は素直に栄次の部屋に入ってきた。
 「お前、いくつだ?」
 「……はい、七つでございます」
 少女は栄次と距離を取りつつ、栄次の問いに答える。
 「名は?」
 「スズでございます」
 「……親に売られたのか」
 「……はい」
 少女、スズは顔が険しくなる栄次に怯えながら小さく言葉を発していく。
 「心配するな、なにもせん。かわいそうに……俺が横で一緒に寝てやろう」
 スズは目に涙を浮かべると、素直に栄次の隣で横になった。
 「寒くはないか?」
 栄次はスズの頭を撫で、予備の着物をかけてやった。
 スズの胸あたりをゆっくりと優しく叩き、栄次はスズを寝かしつけ始める。
 しばらくして、再び栄次が声をかけた。
 「……子供がこんな夜更けまで起きていてはいかぬ」
 スズは栄次の優しい声に何とも言えない顔をする。
 「眠れぬのか?」
 栄次はスズにあたたかい笑みを向け、スズの胸辺りをまた、軽く叩き始めた。
 「大丈夫だ、安心しろ」
 よくわからない感情がスズを覆う。
 スズは声には出さず、心でつぶやいた。
 ……栄次様は優しい。
 平和な時代のお父様って、
 こんな感じなのかな……。
 親の愛を感じたことのない彼女は、悲しき運命を辿ることになる女忍だった。
 少女はかけられた着物の下で小刀を握りしめた。

竜宮7

 竜宮は驚くほど静かだ。
 けん玉で遊んでいる謎の女龍神に階段をのぼらされ、時神達はわかりやすく怯えていた。
 「あら? 不在だね」
 女龍神が辺りを見回してから、時神達を見る。
 「ふ、不在なら、このまま出るよ。竜宮に用がなくなったからな」
 プラズマは冷や汗をかきつつ、女龍神にそう伝えた。
 「ふーん」
 女龍神がつぶやいた横で、アヤとリカが同時に何かに反応していた。
 なにかの記憶を見ているようだ。
 「アヤ、リカ……大丈夫か」
 「栄次の映像が見える……っ」
 「俺には見えない。だから、過去のようだな」
 プラズマが、過去をみているアヤとリカを見据えながらつぶやく。
 栄次は全身黒ずくめの幼い少女を寝かしつけていた。畳を重ねて寝ており、栄次が着ていた着物をかけ布団がわりにかけている。
 リカは寝にくそうだと思っただけだが、アヤは目を細めて言った。
 「戦国時代か江戸時代……かしら?」
 やたらと部屋が暗く、電気もない。ろうそくすらないようだ。
 「……栄次さん、優しい顔をしてるね」
 リカがつぶやき、アヤが答える。
 「そうね。誰なのかしら、この子供」
 ふと急に時間が飛んだのか、なぜか黒い少女は縄に繋がれ、弱々しく上を見上げていた。
 「……なに?」
 アヤが意識を集中させ、少女の前に立った人物の輪郭をハッキリさせる。
 「……っ、更夜?」
 少女の前で刀を持ち、立っていたのはサヨの先祖である更夜だった。
 何かを話している。
 話している内容はわからないが、悲しそうな表情の栄次が映った。少女は静かに目を閉じ、無表情の更夜が刀を振りかぶる。
 なぜか彼は目を怪我していた……。
 更夜は一瞬だけ、せつなげな表情をし、目を泳がせると、少女を……。
 「ひっ!」
 アヤとリカは同時に悲鳴を上げ、手を口元へ当てた。
 顔色が青くなり、震え、目に涙を浮かべる。
 「……アヤ、リカ! 大丈夫か! 何を……」
 プラズマが声をかけるも、アヤとリカは言葉がないのか、口をわずかに動かしているだけだった。
 そのうち、リカが口元を抑えたまま、胃液を吐き出した。
 「リカ……。おいっ!」
 プラズマはリカの背中を優しくさすり、アヤを優しく引き寄せる。
 「……何が見えた? 言いたくなきゃ言わなくていいが」
 プラズマは会話ができそうなアヤに尋ねた。
 アヤは目に涙を浮かべ、震えながら小さな声を上げる。
 「幼い……女の子が、更夜に首っ……」
 切れ切れに言うアヤの言葉でプラズマは理解した。
 「ああ、そうか。これは栄次周辺の当時の記憶だ。今じゃない。……ただ、平和を生きていたあんたらからしたら、かなりショッキングか……」
 プラズマがアヤとリカを落ち着かせつつ、けん玉の龍神を見る。
 「……で、あんたは俺達を襲わないのか?」
 「何言ってるの? 私は戦わないよ。こんな野蛮なゲームしない。君達、ラッキーだったね。他のヤバい龍神にも出会わず、飛龍も不在ならかなりのラッキー」
 「お、おう、そうか。な、なら良かった……。地味な感じの龍神もいるんだなあ……」
 プラズマは言葉の地雷を踏んだ。何かの単語にけん玉の少女龍神は青筋をたてる。
 「地味……地味って言った? 私は地味子じゃないっ!」
 なんだか突然怒り出した少女は唐突に意識を失い、その場に倒れた。
 「ちょっ……え? あ、お、俺が地味って言っちゃったからっ……ご、ごめん……。ていうか、何?」
 プラズマが慌てている中、恐ろしく強い風が吹き、風は倒れた少女に集まり、包む。
 すると、少女は突然桃色の髪へと変わり、頭にツノが生え、龍を模した創作着物に身を包み、現れた。
 「えっ……」
 さすがにリカとアヤも目を丸くし、意識を少女龍神へと向ける。
 少女龍神は表情がなくなり、冷たい瞳のまま、剣のようになった霊的武器「けん玉」で襲いかかってきた。
 「お、おいっ! ま、待て待て! なんだかわからねーが、ごめん! ほんと、ごめんなさーい!」
 プラズマがあやまりながら必死に逃げ、アヤとリカも、とりあえず戦う準備をする。
 「あの龍神……感情がなくなってるみたいだわ。まさか、二重神格……」
 アヤがつぶやいた刹那、プラズマが一撃でDP(ドラゴンポイント)をゼロにされていた。
 ゲームオーバーのはずだが、勝手にコンテニューさせられ、プラズマのDPはまた満タンに戻る。
 かまいたちがプラズマを切り裂き、剣のように固い水を纏わせたけん玉に斬られ続けた。
 「いてぇっ!」
 DPは何度もゼロになり、プラズマは痛みに悶え、血を流す。
 アヤとリカも容赦なく襲い、震えて動けない二人をかばうため、プラズマが飛び込んで身代わりになっていた。
 「信じ……らんねぇ……。強すぎる……」
 プラズマは何度も来る強烈な痛みに足を震わせ、動きが鈍くなったため、何度も無慈悲な攻撃を受け続けることとなる。
 「ぐあっ……がはっ……ごほっ……」
 反撃の隙すらない恐ろしい攻撃が続き、プラズマの精神も病んできた所で、何かが飛んできた。
 少女龍神は吹き飛ばされて、地面に叩きつけられ、意識を失った。元の黒髪になり、服も先程の地味めなものに戻った。
 「はあっ……はあっ……なんだ?」
 プラズマが肩で息をしつつ、アヤとリカをかばうように前に立つ。
 「そいつは大丈夫だ。感情を高ぶらせると地味子は攻撃的な神格が出るが、長くは持たない。超強ええから好きなんだがねぇ。もう終わりかあ。タイムリミットの神力の後半だったから、ぶっ飛ばせた。ははは~!」
 プラズマの目の前に赤い髪の荒々しい女龍神が現れた。
 豊満な胸を動きやすい袖無しの着物で隠し、鋭い目は赤色で、紫に金の龍が描かれたハチマキを頭に巻いている。
 何本もロープのように結わいている髪は長く、まるで龍のようにうねっていた。
 まずい雰囲気しか感じない。
 「ま、まさかっ……」
 ……こいつは一番会ってはいけない、アイツかよ……。

竜宮8

 赤い髪の女龍神は狂気的に笑いつつ、挨拶をした。
 「あたしは飛龍流女神(ひりゅうながるめのかみ)。飛龍だ! あー、あらためまして」
 飛龍と名乗った女は鋭い瞳をさらに鋭くし、言い放つ。
 「ようこそ、いらっしゃいました! レジャーランド竜宮へ! ドラゴンクワトロを選ぶとは、すばらしい選択!」
 飛龍は意気揚々と語る。
 「やべぇのに見つかった……」
 プラズマは慌ててアヤとリカの前に立った。
 「ゲームで死闘ができるんだ、さいっこうだと思わないか? クワトロ、すなわち、『よん』、『し』、『死』だ! アハハハ!」
 飛龍の高笑いにアヤ、リカ、プラズマは顔を青くする。
 「始めようか! ここは、特に過去が映りやすい場所だ。お前らなら時神の過去かなあ?」
 飛龍は高速で動きつつ、攻撃を始めた。炎を操るのか、雷を操るのか、閃光と真っ赤な炎が時神達を襲う。
 「アヤっ! リカっ!」
 プラズマはふたりをかばい、炎の中に入り込み、結界を張る。
 しかし、プラズマの結界はあっけなく崩れ、DPが一撃でゼロになった。
 勝手にコンテニューされ、DPがもとに戻る。
 「アヤ、リカ……」
 プラズマが全く動こうとしないアヤとリカに眉を寄せた。
 二人は飛龍を見ていない。
 「……記憶を見てんのか……。……ちっ」
 上から飛んできた炎のヤリがプラズマを貫き、DPがゼロになる。
 再びDPが回復し、プラズマのケガも治った。
 「あァ……これはまいるな……。いてぇのが何回も来る。生きた心地がしねぇ」
 しかし、動けるプラズマがなんとかするしかない。
 一方でアヤとリカは栄次を見ていた。静かな夜更け、栄次は月を見上げていた。辺りは暗くてわからないが、屋敷の庭のようだ。
 「更夜が消えた。あの男は……」
 今度は栄次の声が響いた。
 次第に人々の騒ぐ声が聞こえてくる。たいまつを持った男達が走り去った。
 「殿がっ!」
 「寄り添っていた女ごとやられた!」
 「誰がやった?」
 「わからぬ!」
 人々は騒ぎ、混乱している。
 その中、栄次は目を伏せ、ため息をつく。
 「殿がやられたか。無関係の女まで……このようなむごいことができるのは、あの男だけだ。息子はかろうじて生きていたか。殿のみの暗殺……だな。嫌な予感がする」
 そうつぶやいた栄次は、雲に隠れてしまった月を再び見上げていた。
 「……切れ切れすぎて、なんの記憶か全くわからないわ。だけれど、栄次が仕えていた殿が暗殺されたようね。……はっ! プラズマっ!」
 記憶を見終わったアヤがつぶやき、我に返った。
 「……っ! プラズマさんっ!」
 リカも我に返る。
 プラズマはDPが回復した状態で震えていた。死ぬ寸前まで痛めつけられ、回復するのを繰り返し、身体が痛みを拒絶し始めたのだ。
 「い……いやあ、あの男(栄次)の精神力の強さ……今更ながら尊敬する」
 そう言った瞬間に、プラズマは炎のヤリに刺され、苦しそうに呻き、DPがゼロになり、また回復した。
 「ほんと……吐きそうだ……」
 プラズマは上から飛んできた炎の渦に巻き込まれ、DPがゼロになる。そして回復した。
 「……くそ……動けねぇ」
 プラズマは雷を纏った閃光に貫かれDPがゼロになる。
 そして、また回復した。
 「ちくしょう……」
 「何回、死ぬかなあ? 弱すぎんだけど。はーい、では、もう飽きちゃったんで、『時神全滅するでショー』を開催します! 皆さん、拍手ー!」
 飛龍は陽気に笑いつつ、先程よりも大きな炎を纏わせ、翼の生えた龍を具現化させた。
 「まずいっ! 全体攻撃だ! 逃げろっ!」
 プラズマの叫びもむなしく、炎の渦はフロア全体を飲み込み、激しく爆発した。
 リカとアヤは反応ができず、力なく空へ舞う。
 「リカっ! アヤっ!」
 プラズマはDP残り少なく立っていた。あちらこちらから血が滴っている。
 「ありゃ、運悪く残った! じゃあ、あんたがやられるまで、あの娘らはそのまんまだね」
 「……くっ」
 プラズマは飛龍を睨み付けると、神力を無意識に溢れさせた。
 髪が伸び、神力が漏れ始める。
 飛龍はそれを見て不気味に笑っていた。
 「ひひひ……」
 「あんたに聞きたかったことがある」
 「んー?」
 プラズマの問いに飛龍はおどけたように首を傾げた。
 「栄次はここにはいないだろ」
 「ふふふ、あたしに勝ったら教えてやるよ」
 飛龍はさらに神力を上げた。
 プラズマは息を深く吐くと、目を見開き、霊的武器『弓』を取り出す。
 「龍を狩ったことはねぇが……、遠慮はしねーぞ」
 「弓ね。……ん?」
 飛龍は後ろから何かを感じ、振り返った。神力の弓矢がなぜか後ろに出現し、飛龍を射貫き始める。
 「ふーん」
 目が良いプラズマは本気になれば、速いものでも見ることができる。未来を見、的確に物を撃ちにいけるのだ。
 飛龍はすれすれで避けていく。
 戦闘の才能で溢れている飛龍は、この程度ではかすり傷すら与えられない。
 プラズマは神力を矢のように発しながら、弓を射るが、まるで当たらない。
 「くそ……当たらねぇ……。俺では勝てない……。一回攻撃に当たってDPゼロにしねぇと、リカとアヤが……」
 プラズマは無理に飛龍の攻撃に当たり、呻きながらDPをゼロにする。コンティニューさせられ、アヤ、リカ、プラズマは全回復した。
 「アヤ、リカ、悪い。俺じゃあ勝てない。手伝ってくれ……。次は計画を立てるから。痛い思いをさせちまって悪かった。アヤは俺とリカに早送りの時間の鎖を、俺が攻撃を防ぐから、リカはアマノミナカヌシのヤリとやらで飛龍を攻撃しろ!」
 プラズマが叫び、リカとアヤの肩が跳ねる。
 「来るぞ! もう、食らわねぇようにしろっ!」
 プラズマが怯えているリカとアヤを呼び戻し、飛龍に集中させ始めた。
 「わ、わかったわ……」
 「……うん」
 二人は怯えつつ、辛うじて返事をし、飛龍に目を向けた。
 

竜宮9

 プラズマは神力全開の結界をリカに張り、リカにかかる攻撃をすべて弾いた。
 プラズマが神力を全開にしないと飛龍の攻撃が防げないのだ。
 アヤはプラズマとリカに全力で「早送りの鎖」を巻き、動きを素早くさせる。リカは飛龍の動きがのろく見えるようになり、攻撃を当てようと槍を振り抜く。
 しかし、飛龍にはあっけなく避けられた。
 「リカ! 右だ!」
 プラズマは未来見をして、飛龍の動きを読み、攻撃させる。
 「へぇ……」
 飛龍は少しずつDPを削られていった。だが、微妙に減っているのみだ。このままでは負ける。
 飛龍はまだ、何かを隠しているようだ。そもそも、飛龍は龍である。まず、彼女は龍になっていない。
 プラズマはそれを不気味に思っていた。彼女が龍になったら、間違いなく永遠のコンティニューだ。
 「はははっ! じゃあ、本気だしちゃおっかなあ!」
 「ちっ……リカっ! アヤ! 俺の後ろにまわれっ!」
 飛龍の発言から未来見をしたプラズマはアヤとリカを呼び戻した。ふたりは慌ててプラズマの後ろへ隠れる。
 「な、なに?」
 「まさか、龍に」
 アヤとリカの動揺の声を聞き流し、プラズマは飛龍が『翼の生えた真っ赤な龍になる』ところを黙って見ていた。
 炎を撒き散らした飛龍は大きな龍に変わり、鋭い目をさらに鋭くし、攻撃を仕掛ける。
 尾を軽く振っただけで闘技場の崩れた岩を吹き飛ばした。
 「……俺のミスだ……。竜宮から栄次が過去戻りをしたわけじゃない。アヤとリカには栄次の単純な『過去』しか映ってねぇじゃねぇか。栄次がここに来ていたなら、『竜宮内での過去』が優先されて映るはずなんだ。関連する過去から引き出されんだから」
 プラズマは目を細め、無駄足だったことを悔やんだ。
 栄次を探さないといけないのだが、飛龍は逃がしてはくれない。
 「……俺が神力をさらに全開にして、神力の使いすぎで倒れたら、アヤとリカを誰が守るんだ……」
 プラズマは神力をさらに上げる。飛龍が灼熱の炎を吐いた。
 アヤとリカはお互いの手を握り合い、怯えていた。
 「……ここは防ぐ。あんたらは……飛龍の攻撃の合間に逃げろ」
 「……プラズマ……」
 「プラズマさん」
 「……」
 プラズマはアヤとリカの声を無視し、神力全開の結界を張った。
 「俺は防ぐしかできねぇ。あいつには攻撃が当たらない」
 炎の渦をプラズマひとりの結界で弾ききった。
 すぐさま、飛龍は尾で時神達を凪払う。
 プラズマは未来見で攻撃が来る方向を予測し、片方に全力の結界を張り、衝撃を防いだ。
 「はははっ! 後三回くらいで神力きれるかな?」
 飛龍は楽しそうに時神達に雷を落とす。
 プラズマは落ちてくる雷を予測し、すべて結界で弾いた。
 ……どこでふたりを逃がす?
 肩で息をしつつ、かすむ目で飛龍の竜巻を、ドーム状にした結界で弾いた。リカとアヤは経験不足。
 飛龍の隙がわからない。
 だから、逃げずに立ち止まっている。
 「……竜宮に入る前に止まれば良かったかな」
 「プラズマ、栄次がいないとわかっただけでも良かったじゃない」
 アヤがプラズマに『巻き戻しの鎖』を巻き、神力を使う前に戻した。
 「……そうだな」
 「プラズマさん、なんとかして竜宮から出ましょう!」
 珍しく落ち込んでいるプラズマにリカも声を上げる。
 もう一度、皆で逃げる術(すべ)を考え始めた時、一つ目の、緑色をした龍が現れ、飛龍を止めに入った。
 「飛龍、何をしているのだ……」
 一つ目龍はあきれた声をあげる。どうやら竜神のようだ。
 「ゲッ! オーナー! い、いやあ、これは……その~」
 一つ目龍を見るなり、飛龍は急に大人しくなり、すぐに人型に戻った。
 「客が全くおらんのだが、また勝手に竜宮を動かしたか?」
 一つ目龍はやや怒りながら、若い男性の姿へと変わり、頭を抱えていた。

竜宮10

 「オーナー……天津彦根神(あまつひこねかみ)か」
 プラズマは目を細め、青年を見据えた。緑の長い髪にオレンジの瞳、頭に竜のツノ、ところどころに竜のウロコのようなものが見える。紫の袖無しの着物からは、たくましい腕が覗いていた。
 「て、敵っぽくはないね……」
 リカの言葉にアヤが小さく耳打ちする。
 「この竜宮のオーナーで、龍神のトップ、アマテラス大神の第三子よ……リカ」
 「え、偉い神様……」
 リカは人間離れしている男を恐々見始めた。
 「家之守龍神(いえのもりりゅうのかみ)、どういうことだ、起きなさい」
 オーナー天津(あまつ)は気を失っていた地味子を揺する。
 「……あいつ、そんな名前だったのか……」
 プラズマが地味子の本名に驚いていると、地味子が勢いよく目覚めた。
 「あ、あれ? 私……、って! オーナー天津様っ!? ヒィィィ! お許しを」
 地味子は顔面蒼白で叫び、さらに飛龍にも鋭く声をかける。
 「あ、あんたがオーナーがいない間にやるって言ったんだからね! 半分おどされたんだからね!」
 火の粉が飛んできた飛龍は冷や汗をかきながら、オーナーにはにかんだ。
 「ハードモードも悪くないかなって……」
 「……やはり、お前か。飛龍流女神(ひりゅうながるめのかみ)、また勝手に竜宮を変えたな?」
 「変えたなんてそんな……、竜宮自体はいじってねーよ。チュートリアルでよっわいツアコン置いて、勝てた奴を竜宮に入れるシステムにしただけ! 地味子は案内役と、能力使って竜宮外でもゲームができるようにしてくれていた。まあ、他の龍神はあんたからの罰を恐れていなくなっちまったがね」
 飛龍は苦笑いを浮かべながら、オーナーに言い訳をする。
 オーナーの目付きが鋭くなり、飛龍と地味子は口をそろえて言った。
 「あの! ツアーコンダクターも道連れに!」
 「当たり前だ……。お前達、全員厳罰。私がいなくなるといつもこうだ」
 「ま、待ってくださーい! 私は脅されたんだってばぁ!」
 地味子はあっさりオーナーに担がれ、情けない声をあげながら必死に言い訳をしていた。
 「ちょ、ちょ、マジで竜宮をいじってはないんだっ! ちょっと雰囲気を変えただけでっ!」
 続いて飛龍もあっけなくオーナーに抱えられる。
 あっという間のできごとに、時神達は呆然としていた。
 「ね、ねぇ、ぼうっとしている場合じゃないわ、プラズマ」
 アヤがふと、プラズマの脇をつついた。
 「な、なんだ?」
 「普段竜宮から出ないオーナーが外出していたのよ? 東西南北、太陽、月の会議に出ていたんじゃないかしら?」
 そこから先はわかるでしょと、アヤはオーナーに尋ねるよう、プラズマに目配せをする。
 「はっ! ……そうか」
 プラズマは気がつき、オーナーを呼び止めた。
 「天津(あまつ)、六神会議に出ていたのか? 俺達は時神過去神、栄次を探しているんだ」
 プラズマの言葉に眉を寄せたオーナーは地味子と飛龍を抱えたまま、振り返り、プラズマを見据えた。
 「……礼儀はどうした?」
 「え……ああ、失礼しました。私は時神未来神、湯瀬紅雷王(ゆせ こうらいおう)でございます。あなた様のお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
 プラズマは冷や汗をかきながら、慌てて丁寧に名乗った。
 それを聞きつつ、オーナーはあきれながらプラズマに返答する。
 「私は竜宮城で龍神をまとめている、アマテラスの第三子、天津彦根神(あまつひこねのかみ)である」
 「……んで、時神過去神、栄次を探してんだけど、見てない?」
 オーナーは再び軽くなったプラズマに頭を抱えていたが、しっかり答えた。
 「ああ、それについての会議に出ていたのだ。頭が重い。今回、竜宮は関係がないのだ。ただ、お前達時神が来たことで、無関係ではなくなってしまったが……」
 オーナーの言葉に時神達は目を光らせた。

栄次はどこに?1

 竜宮オーナーは最初に大きなため息をつくと、口を開いた。
 「時神過去神はどうやら弐(夢、霊魂)の世界に入ったようだ。霊的月の姫がそう言っていた。月神は弐の世界のうわべを観察し、生きた魂が睡眠時以外で入らないよう、監視しているため、気づいたらしい」
 オーナーは一度呼吸を整え、さらに言葉をつなげた。
 「この件は月姫が調べているようだ。私は関係ない故、竜宮へ戻った。この件が気になるならば、霊的月へ行け」 
 オーナーは飛龍と地味子を抱え直すと、時神達に背を向け、歩きだした。
 「待て……。あんたが参(さん)の世界……過去の門を開ける竜宮のオーナーだから、動けないことはわかっている。だが、関係ないと流すのはどうかと思うぜ。俺はな」
 プラズマはオーナーの背中を睨み付け、静かに声をかける。
 オーナーは再び足を止めると振り返り、ため息をついた。
 「私はタケミカヅチ(剣王)やオモイカネ(ワイズ)のように世界の状態を掴めていない。そういうデータはないのだ。私はこの世界の『海』と『太陽の姫』を見守り、竜宮で参(過去)の世界への扉が開かぬよう監視する役目だ。過去神は竜宮から参(過去)へ入ったわけではない。管轄外ならば何もできない。力になれず、申し訳ない」
 オーナーの言葉を聞いたプラズマは目を伏せると頭を下げた。
 「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。あなた様のお気持ちを考えていない、軽率な発言をしました。ご寛恕(かんじょ)願います」
 オーナーはプラズマの言葉に軽く頭を下げると何も言わずに去っていった。
 「ぷ、プラズマさん……?」
 リカがプラズマを心配そうに覗く。
 「……感情的になっちまった。あいつがあまりに冷たかったから……。世界創世に関係する、自然的な神は人間が『人間臭く想像してない』んで、あんな感じなんだよ。わかってたんだ。だが……」
 「プラズマ、霊的月に行きましょう。情報、教えてもらえたじゃないの」
 アヤはプラズマを冷静に見据える。先ほどの衝撃的な映像が心に傷をつけたはずだが、アヤは落ち着いていた。
 「アヤ、わりぃ。そうだな」
 「あなたがしっかり舵をとっているから、私達は怖さを克服できているの。あなたは失言なんてしてないわよ。私も言っていたかもしれない」
 アヤの言葉にプラズマは苦笑いをすると、アヤの額を軽く突っついた。
 「なにすんのよ」
 「別に」
 アヤとプラズマの話を横で聞いていたリカは、眉を寄せて首を傾げていた。
 
※※

 栄次は、倒れていた銀髪の青年にとどめを刺した。かなりの死闘だったのか、栄次の髪紐は切れ、長い髪が垂れ下がっている。
あちらこちらは血にまみれ、夕日が寂しげに辺りを照らしていた。
 「……はあ、はあ……」
 栄次は息を切らしながら、戦闘の興奮を沈めようと息を吐き続けている。
 「はあ……はあ……」
 栄次は目を見開いたまま、その場に膝をついた。栄次の体から滴る血が地面に吸い込まれていく。
 ……殺してしまった……。
 ヒトを……。
 人を殺してしまった……。
 栄次は唇を震わせながら、整わない呼吸を必死で沈めていた。
 栄次の霊的武器『刀』は生き物を斬ることができない。生き物を斬っても時間が巻き戻るだけであり、傷も塞がる。
 一瞬来る痛みに相手が失神するだけだ。
 「……なぜ、『人間の刀』を使ってしまった?」
 栄次は目の前で炎に包まれる青年を震えながら見ていた。
 「……なぜ、『殺そうと思ってしまった』?」
 ……戦が長すぎた故、俺は……止める理性を忘れてしまったのか?
 栄次は目に涙を浮かべ、唇を噛みしめる。
 ……いや……、この記憶は間違いだ。
 この過去は、本当はないはずだ。
 誰も死んでいなかった。
 ……そうだ。
 俺は誰も『殺していない』。
 スズも生きている……。
 栄次は再び立ち上がり、暗くなる山道を歩き始めた。
 するとすぐに、黒い髪の少女が目の前に出現した。
 霧が辺りを覆い始め、木の枝を刺しただけの墓が見えた所で、少女が口を開く。
 「紅色のくちなわ、久しぶり。蒼眼(そうがん)のタカに会いたい? もう一度、『殺しあいたい』?」
 そして栄次はこう返答する。
 「……いや、助けたい。助けてやりたい。あの男の過去は壮絶だった。……そして、お前も救ってやりたい。苦しかっただろう? 痛かっただろう? 更夜を止める」
 栄次はスズを連れ、歩き始めた。山道がいつの間にかなくなり、目の前に屋敷が現れる。
 「屋敷へ……戻らねば」

二話

 栄次は屋敷に戻り、寝る準備を始める。着物を脱ぎ、裸になったところで、障子扉の前で人の気配がした。
 「ああ……女か……」
 栄次はため息をつくと、皿に入れた灯し油(ともしあぶら)に灯芯(とうしん)を浸し、火をつける。
 部屋がわずかに明るくなったところで、障子扉を開けた。
 「……入ると良い。……ん?」
 目の前にいたのは幼い少女で、栄次の裸を見て怯えていた。
 「あ、ああ、すまぬ」
 栄次は予備の着流しを着ると、改めて少女を見る。
 ……だいぶん……幼いな。
 俺を閨事に誘おうとしているわけではあるまい……。
 売られてきて、男の部屋を回るよう、言われただけだろう。
 怯えているのか。
 かわいそうに。
 少女はどうしたら良いのかわからないのか、部屋に入らずに辺りを震えながら見回していた。
 「俺はなにもしない。部屋に入ると良い」
 栄次に言われ、少女は震える足で部屋の中に入ってきた。
 「かわいそうにな、いくつだ?」
 「七つでございます」
 少女は栄次をちらりと見つつ、答える。
 「名は?」
 「スズでございます」
 「親に売られたのか?」
 「……はい」
 素直に答える少女、スズに栄次は顔を曇らせ、それを見たスズは震えながら縮こまっていた。
 「心配するな、なにもせん。かわいそうに、俺が横で一緒に寝てやろう」
 栄次はかけ布団代わり(当時は布団がない)の着物を広げ、少女を横に寝かせる。
 少女は素直に従い、畳に横になった。
 「寒くはないか?」
 栄次の問いにスズは小さくうなずく。栄次はスズの胸辺りを優しく叩き、スズを寝かせようとしていた。
 ……この娘の生い立ち、売られる部分など見たくない。
 過去は見えなくて良い……。
 栄次はスズの過去が映らないことを願う。
 「……子供がこんな夜更けまで起きていてはいかぬ」
 スズはなかなか眠らなかった。
 「眠れぬのか?」
 スズは黙ったまま、栄次を見上げる。
 「大丈夫だ、安心しろ」
 スズは栄次の言葉を聞き、わずかに顔を歪め、目に涙を浮かべた。
 「辛かったんだな……」
 栄次がそうつぶやいた刹那、見たくもなかった彼女の過去が見えてしまった。
 ……ああ……また、見るのか。
 俺は。
 栄次は黙ったまま、流れる過去を見始める。
 年のいった男が、頭を下げているスズに何かを言っていた。
 見た所、身分の高そうな者が住む屋敷にいるようだ。
 ……ああ、貧しい農村の生まれではないのか。
 「スズ、蒼眼の鷹(たか)、紅色のくちなわがいる場所がわかった。お前はそいつらの暗殺に向かえ」
 男が威圧的にスズに命令をしていた。
 「お父様っ! ……わ、私に暗殺命令ですか? 私は……いえ、忍は諜報が主で……」
 スズは戸惑いながら父親だと思われる男を見上げている。
 「我々の家系は表向きは武士、裏は忍。お前の兄が霧隠家の当主だ。お前は我が霧隠家のため、働けば良い。暗殺も忍の仕事だぞ」
 「そ、そうですか……。わ、わかりました」
 スズは素直に男に頭を下げた。
 「さっそく、屋敷に入るぞ。私がお前を売りに出す父親をやる。お前は売りに出される娘、ひとりで屋敷に入り、ふたりを始末してこい。逃げたら、わかっているな? 我々は忍の家系だ」
 「……は、はい」
 「では、すぐに準備をしろ。今夜動くぞ」
 父親の言葉にスズは困惑しつつ頷き、再び頭を下げると去っていった。
 スズが完全にいなくなってから、男は口角を上げ、笑う。
 「ふぅ、これで使い物にならん娘を消せる。あの子はいても厄介なだけだからな。まあ、あの男らを殺せたら手柄は息子にいく故、別に良いのだが」
 スズの父親の不気味な笑みを残し、記憶は消えた。栄次は表情を変えないまま、目を閉じる。
 ……ああ、この娘は忍なのか。
 栄次が目を閉じた事で、寝入ったと思ったスズが小刀で栄次を刺そうと動いた。
 栄次はため息をつきながら、斬りかかってきたスズの手首を掴む。
 「……っ!」
 「こんな危ないものを振り回してはいかん。俺はお前に危害を加えぬと言っているだろう。そんな必死に殺しに来るな」
 栄次は気づいていないふりをした。スズは、暗殺をしにきたと相手に伝わってしまったか不安そうだったが、栄次の発言により、胸を撫で下ろした。
 栄次が勝手に、『正当防衛をしようとした』と勘違いしたと思ったからである。
 だが、反対にこれから、刃物を出せなくなった。
 栄次は初動で「危害を加えないから安心しろ」と言っているため、次に見つかった時に「正当防衛だった」と言い訳ができない。
 スズは自分が忍だとバレたら栄次に殺されると思っていた。
 情報を持ち出す忍は敵に捕まったらタダではすまない。
 とりあえず、小刀は奪われてしまったので、スズはあきらめて寝ることにした。
 翌朝、空が明るくなった頃、スズは目覚める。栄次の雰囲気が優しかったからか、今までで一番眠ってしまったようだ。
 「おはよう、よく眠れたか?」
 「……は、はい」
 スズは複雑な表情を向け、栄次に頭を下げると、部屋から出ようとした。栄次は小さな背中に目を向け、口を開く。
 「待て」
 スズは大人しくその場に止まった。
 「忠告だ。望月更夜……蒼眼の鷹(たか)には刃物を向けるな」
 「……っ!」
 栄次がスズの目的を見透かしているような発言をしたため、スズが身体を固まらせる。
 「……俺のそばにいれば、危険はないぞ。俺がお前を逃がしてやる」
 「……」
 栄次の言葉にスズは拳を握りしめ、静かに口を開いた。
 「逃げられるわけないじゃない……。殺されてしまう」
 スズが怒りを押し殺した声でつぶやく。その後、栄次に聞こえないような声で吐き捨てた。
 「なんにも考えてない兵士にはわからない……」
 スズは目に涙を浮かべると、栄次を睨み付けるように見てから、小さく頭を下げ、部屋から出ていった。
 「なんにも考えてない兵士にはわからない……か。短絡的だな。俺の発言にも気づかず、売られてきた子供にもなりきれてない。まあ、親に捨てられたというのは変わらんか」
 栄次は袴を履き、霊的刀を手から出現させ、左腰に差す。
 ……あの娘が、更夜を殺しに行かなければよいが……。
 ……いや、俺が守れば良い。
 「どうせ、戦は……俺には関係ない故」

三話

 栄次は忍の少女スズの監視を始めた。
 スズは庭で鳥を見ていた。
 いや、そういう風に見えているだけで、おそらく、屋敷全体の構造を見ているのだろう。
 栄次と更夜を殺した後に、すぐに逃げられる方法を考えているはずである。
 スズは栄次に見られていることにすばやく気づき、子供らしい笑顔を向けた。彼女は必死に売られてきた子供を演じているようだ。
 「栄次様、なにか?」
 「いや、特に用はないが、ひとりでいた故、遊んでやろうかと思ってな。迷惑なら良いのだが」
 栄次の言葉に、一瞬、スズはいぶかしげに栄次を見たが、笑みを向けて言った。
 「栄次様、遊んでくださるの?」
 「ああ、なんの遊びが好きか? 女の子の遊びは何が流行っている?」
 「じゃあ、おいかけっこ」
 「元気だな」
 少女が走りだし、栄次が軽く追いかける。
 「栄次さま~! こっちだよ~」
 スズは忍だけあり、かなり足が速い。この身軽さに周りが忍だと気づくかもしれない。
 そう思った栄次はスズに注意をした。
 「スズ、しっかり前を向きなさい。『お前は速いな、そんなに速く走ったら』転ぶぞ」
 栄次に言われ、スズは忍だとわかる行為なのだと気づく。
 足をゆるめ、わざと転んだ。
 「ほら、だから言ったのだ。大丈夫か?」
 栄次が駆け寄り、スズを抱き起こす。
 「うん。大丈夫です。栄次様、遊んでくださり、ありがとうございます」
 スズが栄次から離れようとしたため、栄次はすぐに口を開いた。
 「俺の部屋に来るか?」
 栄次は、スズが奪われた小刀を取り返しにくると確信し、部屋に呼んだ。
 「いきます」
 スズはすぐに返事をした。
 ……やはり、小刀を奪いに来るか。
 監視するならば、離れぬ方が良い。
 栄次はスズを連れ、屋敷へと帰っていく。
 「……バカ丸出しだな」
 庭の木に体を預け、それを黙って見つめている銀髪の青年がいた。いつ、いたのかもわからない。存在を感じない青年である。
 目が悪いのか目を細めて、状況を眺めている。
 「あいつ、寡黙なくせに女児好きか? 男が女(め)の童(わらわ)と部屋に帰るなど、怪しさしか感じぬではないか。……くくっ、違和感だらけだな。目を引いている事に気づいておらんのか。バカな男だ。あのガキが忍だとあいつが証明しているではないか。……くくく」
 銀髪の青年はおかしそうに笑うと、栄次とスズの後を追いかけ、屋敷に入っていった。
 スズと栄次は再び部屋に入った。スズは忙しなく辺りを見回し、小刀を探している。
 「そんなに怯えるな。何もせん。何もないが、何もせずに過ごすのも一日として良いものだぞ」
 「あの……栄次様、護身用の小刀を返してほしいのです。ないと怖くて」
 進展がないと思ったスズは栄次を騙し、小刀を取り戻そうとし始めた。
 「……戦慣れした男が沢山いるここでは、不安かもしれぬが、俺から離れなければ何も起こらん。逆に刃物は危ないだろう」
 「……そんな……」
 「俺が戦に出る時に返す。戦に子供を連れていくわけにはいかんならな。そうなったら、自衛をするのだ」
 栄次はスズの返答がすべてわかっているため、落ち着いて会話を進める。忍といっても七つの子供。当時三百歳を超えていた栄次を騙す事など不可能である。
 スズは幼いながらも栄次を暗殺する方法を必死で考えていた。
 そしてスズは子供だとは思えない恐ろしい計画を思い付くのである。
 「小刀は……もういいです。確かに栄次様から離れなければ酷いことはされなさそう」
 「……?」
 栄次は素直に引き下がったスズを一瞬訝しげに見たが、優しく頭を撫でた。
 「賢い子だ。わかればよい」
 「はい」
 スズは目を伏せてから、返事をし、栄次に寄り添ってにこやかに笑った。
 特になにもせずに時間が経ち、夕日が障子扉から漏れてきた頃、スズは立ち上がる。
 「どこへ行く? 飯なら飯炊きからもらう故……」
 「栄次様……あの……」
 スズが腿を擦り合わせ、恥ずかしそうに下を向いていたので、栄次は拘束しすぎていたことに気がついた。
 「すまぬ。恥じらわずとも良い……。行ってきなさい」
 「ありがとうございます」
 スズは安心した顔で部屋を出て行く。
 「……さすがに……ここでさせるわけにもいかぬ、監視するわけにもいかぬ……。子供だが、女の子だ。男にたいしての恥じらいもあることだろう……。仕方あるまい」
 栄次は彼女が帰ってくると信じ、黙って待っていた。
 しかし、しばらくしてもスズが帰ってこない。
 「いくらなんでも、遅すぎるな。……覗きに行くのは……やや抵抗があるが……」
 栄次は困惑しつつ、スズを探しに立ち上がる。
 「姿を確認したら、部屋に戻ろう」
 栄次は小さくつぶやくと、障子扉を開け、廊下に出ていった。

四話

 スズは栄次から離れると、安堵の表情を浮かべる。
 ……良かった。離れられた。
 なんであんなに、私に構ってくるんだろう……。
 まあ、だけど、もういいの。
 もう、刀なんていらない。
 私は子供だ。
 子供らしく……
 「殺せばいいんだ」
 スズは廊下を歩き、ある男の部屋へと向かう。その男はこの屋敷に潜入してから最初に見つけた異質な雰囲気の男だった。
 銀髪で青い着流しを着ている若い男。
 スズは直感で彼が忍であると気づいた。おそらく、スズに気づいているが、何もしてこない。
 「蒼眼の鷹(たか)」は背後から突然に現れ、人を殺していくという。姿をしっかりと見た者はいないのだが、忍の間では噂になっている男である。
 実は男かどうかもはっきりわかっていない。上の忍は関節を外し、女に化けることができる。
 つまり、謎である。
 「凄腕なのは間違いない。忍は忍だと知られてはいけない。有名になってはいけないんだから」
 スズは思考を巡らせる。
 「蒼眼の鷹」が忍ならば、城主が怯えているのもわかる。城主は城に忍がいることを恐れ、凄腕の兵達を遠くの屋敷に住まわせている。
 望月……更夜(こうや)が「蒼眼の鷹」、栄次がそう言っていた。
 おそらく、あの銀髪の男が望月更夜だ。
 接触しなくてもわかる。
 「私に向けられる時の視線だけ、あの男は異質だ」
 スズは息を深く吐くと、更夜の部屋前に立った。
 来ることを予想していたかのように、すぐに障子扉が開き、栄次とは真逆の雰囲気を持つ、冷酷そうな男が顔を出した。
 「なんだ? ガキのくせに盛んだな。そんなに男が好きか」
 初動で陽気な雰囲気を出されたスズは反応に困り、止まってしまった。
 「栄次が殺せないから、俺の部屋に来たとか? そんなとこかな、クソガキ」
 更夜はスズに冷笑を向ける。
 スズは更夜の雰囲気に怯え、体が勝手に震え始めた。
 「なんだ? 何をしにきた? 俺は何もせんぞ。……俺がお前を痛め付けたら、『栄次が黙っていないからな、俺は栄次と戦わなくてはいけなくなる』だろ?」
 更夜の発言にスズの顔は真っ青になった。スズは更夜に痛め付けられ、栄次に泣きつき、怒った栄次と相討ちにさせる方法を考えていたのである。
 更夜に見透かされ、スズの頭は真っ白になった。
 「図星だな。心配するな、まだお前を『忍』だと俺は認識していない。俺がお前を『忍』だと判断した時、俺がお前を殺す。殿は『敵国の忍』が城内にいるとおっしゃっている。お前がそうなのかな?」
 スズは反撃しようと口を開きかけたが、慌てて閉じた。
 スズは殿からの命令を受けた父から、忍を疑われている栄次と更夜を殺せと言われている。
 ここで、自分が『敵国の忍』ではない、殿から言われて来た『忍』だと発言してしまったら、先程の更夜の発言により、殺されてしまう。更夜の邪魔をする『忍』として。
 「賢いガキだな。ちなみに勘違いをしているようだが、俺は忍ではない。俺はこの屋敷に入ってきた忍を殿のために殺すのだ。くくく……」
 更夜は発言をかき回し、愉快に笑った。
 スズにはわかった。
 やはり、更夜が城主が恐れる『敵国の忍』なのだと。
 ただ、城主は更夜の本性を知らないようだ。むしろ、発言を聞く限りだと、更夜は城主の脅威を取り除き、信頼関係を結んでいるようにも思える。
 更夜は賢い男だ。
 おそらく、城主も彼が『蒼眼の鷹』だと断定できていない。
 怪しいとは思っているはずだが。
 とりあえず、腕が立つから怖い、殺せという事なのか。
 この国に『敵国の忍』として潜入しているということは、任務があるのだ。
 「……まさか」
 スズはうっかり更夜の前で口から言葉をこぼしてしまった。
 「なんだ?」
 更夜は冷たく笑いながら、スズを見る。
 「え……あ、いえ……な、なんでもありません」
 「そうか、何かに気づいたようだが、想像に任せる」
 「……な、なんの事でしょうか……」
 スズは更夜と目を合わさずに、はぐらかそうとした。
 「ほう、知らないふりをするのか」
 更夜は愉快そうに笑うと、タカのような鋭い眼でスズを射貫いた。
 「ひっ……」
 「で? 結局、お前は何をしにきた? 俺に抱かれに来たのか? 栄次に嘘までついて。くくっ」
 更夜は冷笑を浮かべつつ、スズを追い詰めていく。
 「ち、ちがっ……」
 更夜は、栄次との会話を聞いていたとスズに遠回しに教える。
 気がついたスズはさらに顔から血の気がなくなった。
 「違うとはどういう事かな? お前はずいぶんと嘘つきなようだ。嘘つきは悪い子だ。悪い子は……どうなると思う?」
 更夜は楽しそうにスズを見た。
 はたから見ると、更夜がスズをからかっている平和な雰囲気に見えてしまうのが、更夜の恐ろしさだと、スズは思い知る。
 「え、栄次様が……呼んでいるので……この辺で」
 スズは更夜に恐怖心を抱き、なんとか逃げようとし始めた。
 「心配するな、捕まえて拷問しようって話じゃあない。栄次はお前を呼んでいない。部屋で待っているぞ、バカみたいにな。で? 嘘に嘘を重ねるのか。次はどんな嘘をつく?」
 「……嘘じゃ……ないです」
 追い詰められたスズは一番稚拙な嘘をついてしまう。
 「では、栄次に確認しにいこうか。お前が嘘つきか、そうじゃないかを。お前が嘘に嘘を重ねる悪い子ならば、栄次の前で尻百叩きのお仕置きをしてやろう。真っ赤になったサルみたいなケツを、栄次にみてもらうといい。……くくっ」
 「……やめてください……やめて! お願いします……」
 スズは更夜に手を引かれ、無理やり歩かされる。
 「そんなに叫ぶと、悪い事をしようとしていたことが皆にバレるぞ。栄次の部屋に行くだけだろう。何を騒いでいるのだ? 嘘ばかりつくから、こういうことになる」
 「……」
 スズは顔を赤くし、唇を噛みしめ、黙り込んだ。
 スズが何かイタズラをし、更夜に叱られている……そんな風にも見え、周りの目線を集めていることにスズは気がつく。
 この屋敷に住まわされている兵達は興味深そうにすれ違うが、更夜の柔らかい雰囲気を見て、苦笑を浮かべながら通りすぎていた。
 少し廊下を歩き、更夜はちょうど部屋から出てきた栄次を見つけ、声をかけた。
 「栄次、悪ガキが俺の部屋に来たぞ。何をしに来たのかわからんが、邪魔だったんで、連れてきた。それで……どうやらかなりの嘘つきのようなのだ。栄次、このガキを呼んでいたか?」
 更夜の言葉を聞きながら、スズは目を伏せ、頬を赤く染めながら唇を噛みしめ続ける。
 スズはそもそも、栄次に嘘をついているのだ。栄次の黙っている期間が地獄のようであり、生きている心地がしなかった。
 本神の栄次はただ、スズの過去を見ていただけなのだが。
 スズや更夜は知るはずもないが、栄次はスズを見た段階で、更夜とのやり取りまで見えてしまった。
 「……ああ、先程から名前を呼んでいたぞ。スズ、良く聞こえたな、俺の声が」
 栄次の返答にスズが目を見開き、顔を上げる。
 「くくっ……機転がきくな、栄次。俺はこのガキを、仲良くしているらしいお前に返しに来ただけだ。ガキは邪魔だったんでな」
 更夜は心底おかしそうに笑いつつ、手を振り、去っていった。
 スズは蒼白のまま、目に涙を浮かべ、震えながら栄次を見上げる。
 「……わかったか?」
 栄次にそれだけ言われたスズは小さく頷いた。
 「スズ、俺の忠告を聞かなかったな。あの男には関わるなと言ったはずだ」
 「ごめんなさい」
 スズはとても素直にあやまった。更夜に強い恐怖心を持ったらしい。
 「とりあえず、部屋に入りなさい。握り飯がある」
 「……」
 スズはうつむきながら、栄次に背中を押され、部屋へと帰っていった。

五話

 しばらく時間が経過した。
 スズはその間、何の動きも見せなかった。ただ、顔色は暗く、二人をなかなか殺せない焦りだけが、顔に出ている。
 スズは隙のない栄次から小刀を奪う事もできず、更夜にも接触できなかった。
 「スズ、毎度、部屋を荒らすのをやめてくれ」
 「……」
 スズは毎回、刀を取り戻すため、栄次がいない隙に部屋を荒らす。
 それから、栄次が戻ると顔色を見て、いらついているのかを確認していた。
 「俺の顔色を疑っているようだが、気持ちは穏やかだ」
 栄次は表情がほとんど出ないので、スズは逆に心配になってきていた。
 こんなに怒らせるような事をしているのに、気持ちに高ぶりがない。
 「あの、なんで、そんなに怒らないんですか? 私、けっこう酷いことをしてると思うんですけど」
 スズの無邪気な発言に、栄次は軽く笑ってしまった。
 子供らしさが出てしまい、忍とは思えない雰囲気だったからである。
 「酷いことをしている自覚はあるのか。かわいい娘だ」
 「なんで……そんなに私に構うの? 私は栄次様を……」
 スズが思わず、重大な秘密を話しそうになったので、栄次が声を被せる。
 「それは言ってもいいことなのか?」
 全てを見透かすような栄次の発言にスズはようやく疑問を抱いた。
 「……っ」
 そうか。
 ……知ってるんだ。
 全部。
 栄次も更夜も……
 私に気づいているんだ。
 私はやはり、ダメな忍。
 敵に知られた上で、バカにされたように生かされているんだ。
 ……悔しい。
 惨めで情けない。
 もういい。
 このまま、栄次から殺そう。
 私は諜報もまともにできたことがない忍。
 だから、一つだけでも任務を成功させたい。
 スズは栄次を、子供らしさがまるでない顔で睨み付け、栄次が常に手放さないでいる刀を奪いに飛びかかった。
 栄次はスズの手を取り、初めて乱暴に床に押し付けた。
 「あうっ!」
 「……これは刃物だ。触るな」
 スズは栄次の力に抗い、刀に無理に手を伸ばす。栄次はため息をつくと、刀を消した。
 「……え……」
 スズは突然に消えた刀に目を見開く。栄次が神で、刀が霊的武器であることをスズは知らない。
 スズは悔しそうに涙を浮かべると、殺傷能力の低い『クナイ』を取り出し、栄次の腕を斬りつけた。
 「……お前の気持ちはわかる」
 栄次は腕から血を流しながら、せつなげにスズを見ていた。 
 「……え……」
 「お前は本当は良い子だ。父親のために一生懸命に尽くそうとしているのだろう」
 「……っ」
 スズは栄次がどこまで知っているのか、恐ろしくなった。
 「俺はな……お前みたいな子供が人を殺さねばならない時代になってしまったことを、悲しく思う。この時代はな、城主の子、幼い子供を串刺しにし、見せしめとして並べる恐ろしい時代だ。人間は……どうしてそんな残虐な事ができるのか、俺にはわからないのだ」
 栄次は目を伏せると優しくスズを離す。先程の物音のせいか、ずっと見ていたのかわからないが、更夜の気配を近くで感じた。
 栄次は腕の血を布で拭き取り、更夜を迎える。
 「何の用だ? 更夜」
 「なんだ? やたらと騒がしいな?」
 更夜は相変わらず、冷たい表情のまま、部屋の状態を見始めた。
 「ああ、スズが転んでしまい、俺が助けたのだ」
 「ほう、それにしては斬られたような血の跡だな」
 「ああ、これは、助ける時に重ねてある畳に引っ掛かったのだ。かすり傷だ。大したことはない」
 栄次は更夜に平然と言葉を発する。
 「斬られたんじゃないのか? この悪ガキに」
 「いや、この子はそんな事はせん」
 「そうかな、なあ、おいたが過ぎたようだな、小娘」
 「なめんじゃないよ」
 スズは更夜を見上げ、精一杯の気迫で睨み付けた。スズの気持ちは一周回ってしまい、変に肝が据わってしまったようだ。
 「口の悪いガキだな」
 更夜の挑発にスズが動いてしまった。クナイを構え、更夜の首を取ろうと飛びかかる。
 「やめろっ!」
 栄次の鋭い声が部屋に響き、更夜が手を上げた。更夜の平手がスズの頬に力強く入り、スズは意識が飛びかけたまま、舞う。
 「あぐっ!」
 大きな破裂音が響き、スズが血を撒き散らしながら床に叩きつけられた。
 「うっ……うう……ゲホっ……」
 スズは頬を押さえながら唸り、咳き込んだ。
 「危ないものを振り回した罰だ。やや思い切りいってしまったがな」
 「更夜……っ!」
 栄次が更夜を睨み付けるが、更夜は冷たく言い放つ。
 「なんだ? おいたが過ぎた悪ガキをひっぱたいてお仕置きしただけだ。ケツ叩きのが穏やかだったか? ガキらしく」
 更夜がさらにスズを逆撫でする。スズは悔しさで大粒の涙をこぼし、泣いていた。
 更夜はスズを一人の「忍」ではなく、「子供」としてバカにしているのである。
 更夜はスズの計画には、まるで乗らない。更夜に痛めつけられて、栄次に泣きつく、理不尽な暴力を期待したが、更夜は攻撃しようとしたスズの正当防衛しかしていないのだ。
 おまけに手加減をされ、平手で頬を叩かれただけで、相手にされていない。
 栄次と更夜が殺し合う方面に行くためには、スズ本人では不十分だと言うことである。
 「更夜、もうやめろ。かわいそうに、鼻血が出ている」
 栄次はスズを庇い、更夜の前に立った。それを冷ややかに眺めた更夜は、初めて栄次に長々と言葉を発した。
 「栄次、お前はもう少し上手く動け。ずっと見ていたが、お前達はかなり目立っている。お前はそいつの正体に気づいているのだろう? 状態を悪化させてどうする。優しくするだけでは、その小娘を生かしてやることは不可能だ」
 更夜の言葉に栄次はわずかに眉を上げた。
 「……更夜」
 栄次は言葉を飲み込む。
 ……更夜も、スズを殺さぬように動いている……。
 今まで殺しに来た忍達をすべて始末してきた男が、彼女を殺そうとしない。
 ……ああ、そうだな。
 お前もやりたくないんだな。
 子供は殺したくはないよな。
 栄次は更夜に「人間性」があることを知った。戦国の世では気性が荒く、人を平気で殺せる精神状態になることが多い。
 更夜は間違いなく戦国の人間だが、どこか雰囲気が違った。
 更夜と目が合った時、栄次の目に更夜の過去が流れ始めた。
 更夜の横で微笑んでいる若い女、そして更夜の腕の中に、幼い女の子がいた。更夜は幼い彼女の発言、返答に幸せそうな表情を浮かべ、頭を撫で、頬を優しく触り、頷いていた。
 「……ああ、そうか、そうだったのか」
 過去見で見えてしまった過去で、栄次は更夜の内部を知る。
 ……『妻』と『かわいい娘』がいるんだな。
 更夜はスズを「子供」だとバカにしていたわけではなく、周りに「彼女は忍ではない」と伝えたかったのだろうか。
 栄次は更夜を見据え、つぶやく。
 「すまぬ。目立ち過ぎていたようだな、俺が悪かった」
 栄次は脈絡なく更夜に言い、更夜は眉を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。
 「よくわからんが……悪ガキ、懲りたら大人しく栄次と過ごすんだな。次においたをしたら、こんなものではすまさんぞ」
 更夜はスズがイタズラをしたことにし、出ていこうとした。
 壁同士が薄いため、何か起こると周りがざわつくからだ。
 「待て……」
 スズは目に涙を浮かべながら、怒りを押し殺した声で更夜を呼ぶ。
 「あんたは……今、コロシテヤル……。脅しなんて、もう意味ない」
 「本当に口が悪いな。殺してやるなど、どこで覚えた?」
 更夜があきれた声を上げた刹那、栄次が後ろからスズの口を塞いだ。
 「スズ、目立っている。自分の発言を思い出せ。これ以上、なにもするな」
 スズはもがくが、栄次の力には敵わない。目に涙を浮かべたスズを横目で見た更夜は、特に何もせずに部屋から出ていった。

六話

 スズの気持ちが落ち着いてから、栄次はスズを離す。
 スズは床に座り込むと、クナイを握りしめ、静かに泣いていた。
 「何にもできない……私は……何にもできない。負けてたまるか……。望月更夜ァ!」
 「スズ!」
 スズは懐に忍ばせていた『手裏剣』を取り出してから、栄次をクナイで切りつけると、更夜を追いかけ、更夜の後頭部目がけて『手裏剣』を放った。
 更夜は頭をわずかにずらし、手裏剣を避けたが、飛んでいった手裏剣は運悪く、廊下を歩いていた別の男の腕をかすった。
 男はスズを見て、目を見開き、口を開く。
 「……っ! 忍だ。屋敷に忍がいるぞ。こないだここに来た、挙動不審な小娘か。これは手裏剣だな」
 「ああ、この娘、殿が言う『敵国の忍』のようだ。俺はこいつをずっと監視していたのだよ。ついに本性をあらわしたな」
 更夜は男に話を合わせ、冷たく言う。
 男は顔つきを厳しくすると、更夜に言い放った。
 「おい、コイツは忍だぞ! 捕まえろっ! 俺は他の者を集める。忍が見つかった! 更夜、捕まえておけ」
 「ああ、承知した。こちらで捕縛しよう」
 男は更夜に命令し、更夜は淡々と答え、動き出した。
 男が周りの者に伝え始めたことにより、突然に屋敷が騒がしくなった。
 「え……」
 スズはあまりの騒ぎに戸惑い、動きが鈍くなり、簡単に更夜に捕まってしまった。
 更夜はスズの腕を捻り上げ、悲鳴を上げさせ、スズの存在を強調、周りの人間を振り向かせる。
 「あぐっ! 痛い! 痛い!」
 スズは腕を折られる勢いで捻り上げられ、悲鳴を上げた。
 「ぎゃああっ! 痛いぃっ!」
 「ここまでバカだとは思わなかったな」
 更夜はいつもの冷笑を消し、淡々と言葉を発した。
 「手裏剣は忍の道具だ。お前は、忍だとバレずに俺達を暗殺するのではなかったのか。わざわざガキ扱いして気づかぬ振りをしてやったというのに」
 「……っ! そうやってバカにしてるんだ! 関係ない……もう、関係ないっ! アンタをコロシテヤルっ! 殺してやるんだ……」
 スズは泣き叫びながら、更夜の腕を噛む。しかし、更夜は顔色すら変えず、スズを離さない。
 「大人しくしていろ、もうお前の負けだ」
 そこへ、先程クナイで切りつけられ、一瞬だけ怯んでいた栄次がスズに追い付き、状況の悪化に顔色を青くした。
 「栄次、残念だったな。この小娘を救うことは不可能になった」
 更夜は抑揚なく、凍えるような冷たい声で、栄次に向かってそう言った。
 「こ、更夜……スズは……スズはな、俺の手裏剣を持ち出したのだ」
 栄次がスズを庇おうと更夜に必死に声をかけるが、更夜は栄次の話を聞かず、バカにしたように笑った。
 「それは痛い発言だな、栄次。残念ながら、お前を忍だと考える奴はおらん。殿が俺達を殺したくて『忍』を寄越してくる理由は、俺達が強すぎて殿が不気味に思ったからだ。もうすぐ戦が終わる。戦が終わった時、俺達が裏切れば脅威になる。殿と信頼関係を結んだように見えた俺達でさえ、始末しようとするのだ。この城の殿は小物だ。屋敷に入り込んだ『敵国の忍』とは、外部からこの屋敷に入った唯一の兵士、俺と栄次のことを疑った言い方だ。殿は忍がいるかどうかもわかっておらん。故、お前が忍だと今言った所で意味はない」
 更夜は栄次を一瞬だけ悲しげに見ると、スズの右腕を容赦なく、突然に折った。
 「いぎゃァ! 痛いぃ! 痛いぃっ!」
 悲鳴が響き、スズは子供相応に激しく泣き出す。
 「利き腕は潰しておかんと、何をしてくるかわからんからな。後は足だな。逃げられると困る」
 「イヤッ……助け……っ! やめてぇっ!」
 スズの叫び声が屋敷に響き渡る。
 「や、やめろ! 更夜! お願いだ……もうやめてくれ! なぜ、そんな残酷なことをする! スズを逃がしてやればよかろう……。その娘は殿からの刺客の忍だ。敵国の忍ではないではないか!」
 栄次はさらに言葉をかけるが、更夜は激しく泣くスズを引っ張り歩きだした。
 「まあ、足は良いか。どうせ、逃げられん」
 「更夜! 聞いているのか! 更夜っ!」
 人が集まり、スズは見せ物のように庭に連れ出され、更夜に赤い着物を無理やり脱がされて、下に着ていた白い着物一枚にされる。
 兵達の前で彼女が持っていた忍道具が晒され、心ない男達はスズを見て心底おかしそうに笑っていた。
 「こんな小娘が『敵国の忍』? 驚いたな、殿に逆に失礼だ」
 そんな言葉を投げかけられ、スズは怒りで顔を赤くした。
 「で、どうする? 殺すのなら、俺にやらせろ。アマっこを殺してみたかったのだ」
 「俺なら拷問して泣かせてから、殺すぞ」
 戦により考え方がおかしくなった残虐な男達が、スズに性的な目線を送る。
 「いや、俺がやる。凄腕の忍ならば、手柄になるだろうが、そちらがこの娘を殺しても手柄にはならんぞ。こいつは弱すぎる。いらん役目は俺が引き受けよう。お前達は処刑を見ていれば良い」
 更夜は嫌な役目を引き受けたと思われるよう、言葉を選び、周りに言った。
 「やめろ! この娘は俺と更夜を殺しに来た、お前達の『味方の忍』だぞ!」
 栄次は周りにそう訴えかけ、叫ぶ。しかし、栄次の言葉は誰にも刺さらなかった。
 人を殺す事になんの躊躇いもない戦国の人間達は、見せしめの処刑も楽しみの一つとなる。
 そして、忍である更夜は忍特有の話術を持っており、周りの人間をある程度話術によって操れるのだ。
 栄次はわからなかった。
 スズを殺さないように動いていたはずの更夜がなぜ、『忍』だとわかったとたんに、攻撃的になったのか。
 なぜ、スズを殺そうとしているのか。

七話

 更夜は娘と同じくらいの少女を殺したくはないと思っていたはずなのだ。
 「更夜……なぜ……こんな……」
 栄次が戸惑っていると、再び更夜の過去が通りすぎていく。
 映ったのは更夜にそっくりな銀髪の、年のいった男。
 どこかの屋敷内で、その男の前で更夜が平伏していた。
 「更夜、まず隣国に入り、城主を暗殺してこい。我が殿が国盗りを始めたのだ。天下統一に向けて、戦は終わりを迎え始める。我が望月家は影の者、殿に従え」
 「……はい」
 更夜はなぜか男に怯えながら、小さく返事をしていた。
 更夜に似合わない光景だ。
 更夜は男に従順だった。
 見える過去、すべてこの男に従っている。意見をしない。
 この銀髪の男はおそらく、更夜の父である。
 目まぐるしく栄次の瞳に過去が流れていく。
 幼い更夜が父だと思われる男から暴行される所が映り、泣いている幼い更夜が恐怖心に震えながら、父親に逆らえなくなっていく所が流れていく。
 これは忍術、『恐車(きょうしゃ)の術』。
 人を恐怖で縛る忍の技のひとつである。幼いうちから何重にもこの術がかけられた更夜は、父親と会話することすらもできなくなっていた。体が勝手に震えだし、動けなくなるのだ。
 金縛りに似ている。
 ……更夜……。
 お前も時代の犠牲者なのか。
 栄次はせつなげに過去を見ていく。栄次の頭の情報処理能力が勝手に動き、データを入れていくため、長い記憶でも長く見ているわけではなく、頭に直接焼き付けられていくので、おそらく一瞬の内に栄次はすべてを理解している。
 更夜が父に逆らえなくなってから数年、酷い記憶ばかり流れた。
 父の操り人形として、言われた事を淡々とやる更夜。
 ある時、更夜は望月家にいた奴隷、『下女』を任務に連れ出した。最初は家庭を持っていた方が怪しまれないと思ったためだったようだが、更夜は彼女を本当に愛してしまった。
 それは長期の任務……城主を殺す任務中だった。屋敷に潜入しながら近くの村で生活をしていたようだ。
 そして女の子が産まれる。
 屋敷で城主を殺す機会をうかがいつつ、別の場所で妻と三人で暮らす幸せそうな更夜。
 「このまま、任務を放棄し、ここで暮らしたい」
 更夜は女の子を抱っこしながら、そんなことをつぶやいていた。
 栄次は眉を寄せた。
 この記憶に出てくる屋敷は……。
 ここか。
 襲いかかる忍を瞬時に始末し、逆らえない父に城主暗殺の進行状況を報告する更夜。
 男も女も邪魔なものは排除し、城主暗殺の踏み台にしていく更夜。
 合戦が始まった時に、父に呼び出され、兵士として合戦に出るふりをして妻と娘を連れ、一度父の元へ帰らされた更夜。
 自分と結ばれた『下女』とその『娘』を望月家にしてほしいと更夜は父に懇願する。
 しかし、父は認めず、更夜を再び『恐車の術』にかけるのだった。
 下女との間で子をなすという、勝手なことをした更夜に制裁を加えるため、更夜の父はその下女をむごく殺した。更夜は精神的な術により、目に見えない鎖に体を縛られ、体が動かないまま妻を殺されてしまった。
 そして娘を人質に取られたのである。
 もう二度と逆らえないように。
 更夜の怒りに満ちた顔、震える拳が冷酷な男に向けられる。
 しかし、憎んでいても逆らえない。殺したくても殺せない。
 更夜は初めて唇を噛みしめ、泣いた。
 人の心を持ち合わせていないらしい更夜の父は、笑いながら更夜を見据え、最後にこう言ったのである。
 「この娘は下女の娘、なら俺の『下女』だな」
 と。

八話

 栄次は拳を握りしめ、更夜を見る。
 ……この男は『この国の城主を暗殺する、敵国の忍』。
 この過去が本当なのか、嘘なのかわからなくなるくらい更夜は感情を表に出さない。
 ふと視線を感じ、見回すと、更夜をじっと監視している男がいた。
 そこで栄次は更夜が見張られている事にようやく気がついた。
 ここにはいない父親の『目』となっている男なのか。
 ……更夜は逃げられないのだ。
 自身の娘を守るため、ここでスズを殺さねばならない。
 他の忍にしたように、邪魔者を排除し、殿の首に近づかねばならない。
 「スズだったか? なぜ、殿の首を狙う?」
 更夜は周りに合わせ、スズを『敵国の忍』にする。
 「バカだね! あたしはあんたと栄次を殺しにきたんだ! ここの城主は関係ないのよ」
 スズは更夜に噛みつくように言った。よく会話を聞くと、更夜はスズを殺さないよう逃げ道を用意して会話をしているようだった。
 「スズ!」
 栄次はスズをまっすぐ見据え、皆の注目を集めるよう、大きな声で名を呼んだ。
 スズが眉を寄せ、栄次を見上げる。
 「お前はっ! 『俺』を殺しにきた忍。故に俺から離れなかったのだろう? 俺が殿の首を狙っている事に気がついたのか」
 スズが『自分のみを狙いにきた忍である』と、栄次は周りに必死に教えた。
 しかし、周りの男達は愉快そうに笑い始める。
 「何を言っておる。お前は強いが、『首を取ったことがない』ではないか。冗談としてはかなり、笑えるな」
 周りの男達の笑い声を聞きながら、栄次はさらにスズをかばう。
 「俺は仕事以外の殺生はしないのだ」
 「お前が忍なら、殿の首を狙うなど堂々と言えるものか。忍は素性が知れない故、不気味なのだ。余興として盛り上げるなら、マシな嘘をつけ」
 栄次は散々バカにされ、笑われた。
 更夜は栄次の言葉を聞き流し、男達の視線が栄次に向いている間に、スズにだけ聞こえる声でささやいた。
 「小娘、殿の首を狙っていると言え。俺を狙っていると言えば、俺はお前を殺さねばならなくなる。殿を狙う忍だと言えば、俺がなんとかしてやる」
 更夜の言葉にスズは唇を噛みしめた。
 「……あたしは逃げられない。あんたらを殺さないと、生きてここを出られない。あんたもわかるでしょ。組織集団の怖さが。きっと逃げたら酷いめにあって、むごい殺され方をする。私は男が怖いんだよ。だって、皆、笑いながら私を苦しめようとしてくる」
 「……そうだな」
 更夜はわずかに目を伏せると、腰に差していた刀に手をかける。
 「でも、あたしは……初めて優しい男に出会った……。あのひとは、すべてを見透かしているようだけど、平和な時代の……いや、妄想の中のお父様みたいだった」
 スズは唇を震わせ、目に少しの涙を浮かばせた。
 「……」
 更夜は無言のまま、刀をゆっくり抜く。呼吸を整え、騒がしい野次馬達に声をかける。
 「静かにしろ。始める」
 更夜は男達を黙らせ、スズと距離を取り、もう一度、同じ質問を投げた。
 「なぜ、殿の首を狙う?」
 「何度も言ってるじゃないの、あたしはね、あんたと栄次を殺しにきたんだよっ!」
 スズの返答に更夜は目を閉じ、刀を握りしめた。
 「そうか、ならばここで死んでもらおう。俺は優しいからな、一瞬だぞ」
 更夜が歩きだし、スズは最期を悟る。
 「ここまでか。見逃してはくださいませんか?」
 スズはなぜか、命乞いを始めた。更夜は表情を変えず、スズの前に立つ。
 「更夜、女(め)の童(わらわ)だぞ。拷問も殺すのも見てられん……」
 栄次の震える声を無視し、更夜はスズに告げる。
 「忍は情報を持ち出す。この娘は俺達を殺そうとしたんだ。拷問はできんが、生かしてはおけん」
 更夜がそう発言した刹那、スズは持っていたクナイで縄を切り、左手で更夜の額めがけてクナイを投げつけた。
 「……っ!」
 周りが突然の事にざわついた。
 スズが投げたクナイは深々と更夜の右目に刺さり、真っ赤な血が飛び散る。
 「ほらな、油断は手を噛まれる」
 更夜は表情を変えずにクナイを目から引き抜いた。
 スズは更夜を油断させ、最期に殺そうとしたらしい。更夜はそれがわかり、わざとクナイを避けずに当たった。
 スズの無念を少しでも晴らしてやろうとしたのかもしれない。
 特に怯むこともなく、更夜はスズに向かい、さらに告げる。
 「なにか、言い残す事はあるか」
 更夜はスズにも監視がついている事に気づいていた。
 故に、その者に対し、伝言はあるかと尋ねたのである。
 スズは目を閉じ、自嘲気味に笑うと、口を開いた。
 「はい、では……できることなら、ケモノではなく、『ひと』なりたかった。私は……」
 スズは目を伏せ、子供らしく鼻水を垂らし、泣きじゃくりながら、続ける。
 「私は落ちこぼれの女忍でした。お父様、ごめんなさい。ちゃんと死にます。だから……」
 嗚咽を漏らしながらスズは最期に息を吐いた。
 「許してください」
 更夜は表情なく刀をスズの首に当てる。
 栄次は言葉を失い、動きを止めた。
 何もできなかった。
 どちらも栄次が介入できないところで何かに縛られている。
 栄次は動けなかった。
 スズを助ける方面に心を向けることができなかった。
 更夜の過去を見てしまったから。
 判断が遅れ、更夜を止められなかった。
 止められなかった……。
 「よく頑張ったな……俺が痛くなく殺してやる」
 更夜はそうスズに声をかけると、刀を振り下ろした。
 「やめてくれ……もう……やめてくれ」
 栄次は頭を抱え、静かに泣く。
 「もう……やめてくれぇ……」
 膝をつき、泣く栄次を遠くの方で少女が見ていた。
 「私が死んだね。これで何回目かな。もう少ししたら、相討ちをしてもらうんだ。復讐してやるよ、更夜。栄次だって殺してやるからね、相討ちでふたりとも死ね」
 少女スズは黒い忍び装束を着込み、悲しそうに笑っていた。
 ……栄次が私をそう『想像』するから、私はそれに従うんだよ。
 私は……霊だもの。
 私はね、相討ちなんてもう、本当は望んでいないんだよ、栄次。
 
 ねぇ、気づいてよ、栄次。
 
 私を勝手に変えないでよ、
 栄次……。

栄次を探せ!

 サヨは学校の帰りに、霊魂、夢の世界である弐の世界に入った。世界を守るシステムの一部であるサヨは『弐の世界』にも簡単に入れる。
 この弐の世界は、想像する生き物分の心の世界があり、霊はエネルギーを消費しつくして消滅するまで、誰かの心に住んでいる。
 サヨの場合は特殊で、弐の世界の時神、更夜がサヨの世界に住んでいた。
 しかし今は、いつもいるはずの更夜がサヨの世界にいない。
 「……どこに行っちゃったんだろ。よくわからないけど、ずっと更夜様の苦しい感情だけ伝わってくる。また、激しく感じる。アヤ達、まだ見つけてくれない」
 サヨは自分の心の世界をさみしく歩き始めた。
 白い花が沢山咲いている。
 この花は更夜が好きな花らしい。それを知ったサヨは『想像』し、心の世界にこの名もない花を咲かせた。
 「おじいちゃん、喜んでくれたっけ」
 サヨは小さな白い花を軽く触ると、また歩きだす。
 空は抜けるような青空。
 更夜は夜が好きではないようで、いつも早く寝てしまう。
 「でも、私が寝るまで寝なかったっけ。早く寝なさいっていつも怒られたなあ」
 サヨは小さい頃から更夜の所によく遊びに行っており、親よりも長い時間一緒にいた。
 更夜は二十三歳のようだが、年齢は四百歳を超えており、おじいちゃんのようでもあるので、サヨはおじいちゃんと影で呼んでいる。
 「……怒ると怖いんだよね、おじいちゃん……」
 サヨは苦笑いを浮かべ、空を見上げる。サヨは更夜の存在を、この世界に戻そうと必死に『想像』した。霊魂を呼ぶが更夜は来ない。
 「刀で遊んだ時、めっちゃ怒られたなあ。へらへら笑ってたら、説教されてからの、お仕置きだよ。お尻百叩き。めっちゃ泣いたね。ほんと、容赦のない平手でございましたぁ~。まあ、私が隠してあった刀を勝手に持ち出したのが悪かったんだけど、刀なんて置いとくなよって思った、正直」
 サヨは薄く目に涙を浮かべながら、更夜が住んでいた屋敷を回る。
 「悩みも聞いてくれたなあ。女の子の体について聞いた時、おじいちゃんは『なぜ、俺に聞く。女に相談しろ』ってちょっと照れてて、かわいかった。反応楽しんじゃったよね」
 サヨは再び白い花畑に戻り、顔を上げた。
 「ねぇ、おじいちゃん……今、どこにいるの? おじいちゃんの苦しい気持ちをずっと感じるんだけど。『あの娘(こ)』を何回も殺しているの? ねぇ、おじいちゃん」
 サヨは更夜に声をかけるが、更夜からの返答はない。
 ……やっぱり、あの『おサムライさん』か。
 更夜様を消したのも、『変えた』のも……。
 「そんなに泣くな……」
 泣いている幼い自分にかかる優しい声を思い出す。
 サヨは目を伏せ、うつむいた。
 ……優しい私のおじいちゃん。
 「何回、あのひとの娘と同じ年齢の子を殺させるつもりなの?」
 サヨは栄次にも語りかける。
 「おじいちゃんを返してよ、白金(はくきん)栄次……」

二話

 サヨは世界を歩き回り、立ち止まる。
 「待てよ、刀を持ち出した時……あの時……おじいちゃんが……」
 当時サヨは五歳だった。
 サヨは心の世界と呼ばれている、弐の世界に入れる力をもつ。
 サヨの心の世界内の和風屋敷に住むのはサヨの先祖、更夜。
 この弐の世界での年齢は四百歳を超えている。
 彼は弐(夢幻霊魂)の世界の時を守る、時神だ。
 サヨは彼をおじいちゃんと呼び、懐いていた。
 この日、いつものようにサヨは更夜の屋敷に遊びにいった。
 冷たい雰囲気で古風な更夜はサヨをいつもてきとうに迎え入れる。
 「また来たのか……」
 うんざりした顔をしつつも、更夜はサヨを優しく撫でる。
 しかし、その日はいつもみたいに楽しい一日にはならなかった。
 サヨは更夜が隠しておいた刀で野菜を切って遊んでしまったのである。
 前々から触ってはいけないと言われていた刀を見つけ出してしまったサヨ。
 どうしても触ってみたかった。本当に物が切れるのか試してみたかったのだ。
 当然、サヨはすぐに見つかった。
 「何をしている。刀は触ってはいかぬと何度も言ったはずだが?」
 更夜の恐ろしい雰囲気を感じ取ったサヨは体を固まらせる。
 「げっ……見つかったっ!」
 サヨは慌てて逃げ始めるが、すぐに更夜に捕まった。
 更夜は元忍である。五歳の娘が逃げきれる相手ではない。
 「逃げるとは悪い子だ。そこにまず、正座をしなさい」
 更夜は鷹のような鋭い目でサヨを見る。サヨは震えながら、とりあえず正座をした。
 「刀はな、人を斬ることができる。人を殺せるのだ。お前が軽々しく扱っていいものじゃない。怪我をしたらどうする」
 「うー……だって使いたかったんだもん!」
 サヨは頬を膨らませ、更夜に子供らしい顔で言い放った。
 更夜はサヨの目をしっかり見て、低い声で重要な部分のみ言葉にする。
 「人を殺せるのだぞ」
 「……」
 更夜に肩を掴まれて、サヨは目に涙を浮かべ、うつむく。
 「人を殺せる」
 もう一度言われ、サヨは刀の怖さに気がついた。
 「もう一度、言うぞ、人を殺せるのだ。お前が振るった刃は、俺をも殺せる」
 「ひとをころせる……おじいちゃんもころせる……」
 サヨは震えながら更夜の言葉を復唱する。
 「そうだ。人は簡単に死ぬ。刀を持ち、殺してみようと思う感情があれば、思いとどまらずに人を殺せる。今のお前と同じだ。お前は野菜を切ろうと思ったんだろう?」
 「……でも……野菜だもん。人じゃないもん」
 サヨは更夜と目を合わせずに、小さくつぶやく。
 「人にも置き換えができる。全てにおいて、元には戻せない。切った野菜を元に戻せるか?」
 サヨは首を横に振った。
 「お前自身の指や腕を誤って斬ってしまったら、元に戻せるか?」
 更夜は怖い雰囲気のまま、サヨに尋ねる。サヨは震えながら首を横に振った。
 「元に戻せるのか? 自分の口で言いなさい」
 更夜はサヨの肩を掴んだまま、鋭く命令した。
 サヨは目に涙を浮かべ、震えながら言う。
 「元に戻せない」
 「サヨ、手を出しなさい」
 更夜はサヨの手をとると、思い切り叩いた。サヨは肩を跳ねあげ、後からくる痛みに手をさする。
 「ひっ……いたっ……」
 「『戻せません』だ。もう一度」
 「うう……戻せません」
 叱っている時の更夜のしつけはとても厳しい。
 言葉の言い直しをさせられ、サヨは恐怖心で大粒の涙をこぼし始めた。
 「反省をしたら頭を下げ、もう二度と刀は触りません、ごめんなさいだ、サヨ」
 更夜は正座をし、サヨからの謝罪を待つ。
 サヨは子供らしく嗚咽をもらしながら泣き、手をついて頭を下げた。
 「もう二度と刀はさわりません、ごめんなさい……」
 「よし、では、逃げたことも含め、もう二度と忘れぬよう、今からお仕置きをする、わかったな?」
 「え……え? ごめんなさいしたのに……」
 更夜はサヨに容赦はなかった。
 「この世界には……『K』というシステムデータがある。お前は……世界のシステムのひとつ、平和を保つシステム『K』だ。『K』は武器を使ってはいけない」
 「……『K』?」
 「俺の血がお前をそうさせた。お前は俺の子孫。俺の霊的な力がお前を人間から『K』にしてしまったのだ」
 更夜の言葉にサヨは頷いた。
 「じゃあ、私は人間じゃないんだね」
 「そうだ。賢い子だな。おそらく、俺が神になったことで、世界のシステムが辻褄を合わせるために、望月家を人間から外したのだ。平和を守るシステム『K』のお前が人を殺せる武器を使ってはいけない」
 「ごめんなさい。もうしません」
 「わかったなら、尻百叩きだ。下に履いているものを全て脱ぎなさい。お仕置きの時間だぞ、サヨ」
 「……はい」
 サヨは目を伏せ、顔を少し赤くすると、スカートと下着を脱ぎ、更夜の膝に乗った。
 更夜の平手は手加減せずにサヨの小さなお尻を打ち、サヨは痛みに涙を流しながら耐える。
 「ひとつ、ふたつ……みっつ……」
 更夜が数える声と、尻を叩く鋭い音、サヨの泣き声と謝罪が静かな部屋に響く。
 更夜はしっかりお尻を百回叩くとサヨを許した。
 「この刀はな……」
 更夜は泣きじゃくるサヨを優しく抱きしめ、サヨが遊んだ刀に目を向ける。
 「時神過去神、栄次が俺を殺した刀なんだ」
 サヨは震えながら更夜を仰ぐ。
 更夜は真っ赤に腫れたサヨのお尻を撫でながら、さらに口を開く。
 「人間の血を沢山吸った刀をお前に触らせたくなかったのだ。この刀は俺から離れてくれなくてな。いまだにここにある。この刀で思い出したが、この弐の世界には時神を『破壊する時神』が存在している」
 「……」
 サヨは更夜に怯えながら黙って聞いていた。
 「俺は、『反対の神』もいると思っている。時神を『再生する神』だ。お前は平和を守る『K』。もしかすると……と」
 更夜はそこで言葉を切り、サヨを一度離して冷水に浸した手拭いを持ってきた。
 「冷やすぞ」
 「あうぅ……つめた……おじいちゃん……もう怒ってない?」
 「怒ってないぞ、サヨ。お前が怪我しなくて良かった。下を履きなさい。風邪を引く」
 更夜はサヨの頭を撫でると、サヨの好きなお菓子を取りに立ち上がった。
 「……今、何て言った……?」
 サヨは更夜の言葉を反芻した。
 ……『この刀は、栄次が俺を斬り殺した刀だ』って言わなかったか?
 私のおじいちゃんはあの時、そんなこと言ってない。
 「そうか」
 サヨは、あの時お尻を叩かれた例の和室に入ると、飾られている刀の前に立った。
 現代の世界、壱にはアヤがいた、過去の世界、参には栄次がいた、未来の世界、肆にはプラズマがいた。過去、現代、未来はいままで三直線に進んでいた。
 それが……
 「こないだ伍(異世界)の時神、リカが来たことでシステムが改変され、時神が別々の世界に別れる意味がなくなり、壱の世界に存在するようになった」
 少し前、異世界の時神であり、ワールドシステムに関与できるデータを持つリカがこちらの世界に来て、一事件が起こった。
 リカがシステムを改変し、時神が元の世界に帰ることなく、壱に存在を始めたという事件だ。
 しばらく考えていたサヨは刀を掴み、鞘から出す。
 「違う……。やっぱり私が触った刀はこれじゃない……」
 ここは壱の世界の弐だ。
 この、『栄次に斬り殺された刀だ』と言った更夜は過去、参の世界に存在する更夜。
 ……どの世界でも同じことが起こるから、壱の世界の弐にいる私は、刀で遊んだけれど、壱を生きていた私のおじいちゃんは『過去神に接触していない』ので、こんなことは言わなかった。
 過去神栄次は過去の世界である参の世界にいままでいて、参の世界に存在するおじいちゃんを斬った。
 だから、この記憶は参の世界を生きていた私の記憶であって『壱に住んでいる私の記憶ではない』。
 「リカが『栄次を壱の世界に存在させた』から、更夜様がおかしくなっているんだ。いままで、壱(現代)と肆(未来)の世界に栄次は存在してなかったんだから……」
 サヨは刀を元に戻すと、何かを感じ、障子扉を開けた。
 「……っ!」
 青空に、オレンジ色の髪をした少年が浮いていた。少年は無表情のまま、腿についたウィングを広げると、どこかへと飛んでいった。

三話

 プラズマ、アヤ、リカは行きとは反対で、穏やかに竜宮外へと出された。
 先程、リュウと意味不明に戦った竜宮のビーチに戻る。
 「……とりあえず……なんだっけ?」
 プラズマが抜けた声を上げ、アヤがため息をつきつつ答えた。
 「霊的月に行くんでしょ」
 「そうそう!」
 「で、どうやって行くんですか? また、襲われたりするのかな……」
 プラズマの閃いた声を聞きつつ、リカは顔色悪く尋ねる。
 「月のトップはクセが強い。だが、うまくやれば情報提供してくれそうだ」
 プラズマはどこかやる気に満ちた顔をしていた。
 「うまくやるって……」
 「まあまあ、とりあえず、神々の使い、『ツル』を呼んで、月まで飛ぼうか」
 プラズマの発言にリカは首を傾げた。
 「ツル? 神の使いって『狛犬』じゃないんですか?」
 「ん? なんだ? 狛犬って?」
 プラズマの言葉にリカは眉を寄せた。
 「神社には狛犬が置かれてますよね?」
 「……いや?」
 プラズマが困った顔で考えているので、リカは出身の『伍の世界』の常識であると気がつく。
 「ああ、いえ……なんでもないです。ツルで月に行けるんですね……。相変わらずわからない」
 リカがひとりつぶやいた刹那、駕籠(かご)を持った白い生き物が、遠くの空から飛んできていた。
 「えー……待って……なんか家みたいのを担いで飛んでる白い翼の若い男性が見えるんですけど」
 「ツルだよ」
 プラズマが当たり前に言うので、リカはこれが常識なのかと頭を抱えた。
 「ツルさんは……人型ですが、鶴(つる)……なんでしょうか? 動物の……」
 「よよい! やつがれはツルだよい! 要件をどうぞ、よよいっ!」
 頭を団子髪にした、白と黒と赤の美形な着物姿の男が、奇妙な言葉でリカに話しかけてきた。
 全体的に白いが、背中に生える翼の先端、髪の毛の先端、着物の一部が黒い。
 目元に赤色が少し入り、全体的に美しい。
 「きれいな人だなぁ……」
 「ヒトじゃなくて、ツルだよい! よよいっ!」
 整った美しい男が、なんだか不思議な言葉使いなことに異様さを感じた。
 「……顔と言葉があってない気がする……」
 「とりあえず、月姫のとこに行きたい。月姫はきれいな男が好きだろ? あんたなら月への門を開いてくれんじゃねーかと。後は俺が上手くやる!」
 プラズマはツルにそう言うと、駕籠に乗り込んだ。
 「え? え?」
 リカはさっさと駕籠に乗り込んだプラズマを驚いた顔で見つめた。
 「ああ、中は電車のボックス席みたいになってるのよ。霊的空間が広がっててね、駕籠は小さく見えるのだけれど、中はかなり広いのよ。さ、リカも乗って。月に行くわよ」
 アヤが説明をしてくれたが、リカがこの状況に慣れるまで、まだしばらくかかりそうであった。
 とりあえず、リカも駕籠に入る。
 「わぁ……」
 中に入ると、少し広めのボックス席があった。四人くらいは簡単に乗れそうだ。本当に中と外ではすべてが違う。外見は人を運ぶための小さな駕籠、中は広いボックス席。
 「ツル、とりあえず月に連絡。俺達を中に入れるように頼んでくれ」
 「よよい! わかったよい!」
 独特の話し方のツルは元気に返事をすると、駕籠を引き、羽ばたいた。三人乗っているのに、なんともないのか、普通に飛び立ち、不思議とまったく揺れなかった。
 「不思議なことばかり……」
 リカはぼんやりそう思いながら、何故か、はめこまれている窓から外を覗いた。
 浮く感じすらもなく、空を飛んでいる。
 「空、飛んでる……」
 リカが驚いている横で、アヤが目の前に座るプラズマを仰いだ。
 「ねぇ……、月姫にどうやって情報提供させるつもり?」
 「ああ、こうして……」
 プラズマは手を横に広げ、霊的着物、水干袴になる。
 神々は霊的着物を一着は持っており、手を横に広げるだけでそれを纏える不思議な仕組みだ。
 「少しだけ神力を解放して髪をやや伸ばす」
 髪の長さは神力の大きさを表していたりする。プラズマは神力が高いが、抑えているため、短い。
 「すると、ほれ、ちょっとアニメにいそうな男に……」
 プラズマは元々、顔が美しい。
 性格は残念だが。
 だからか、それなりに美しく見えてしまう。
 「ええ、なるほど。悔しいくらい、顔がきれいだわね、あなた」
 「へへーん! 女から顔がきれいって言われる優越感」
 プラズマは口角を上げて笑うと、アヤに絡み始めた。
 「これで……私は湯瀬(ゆせ)紅雷王(こうらいおう)でございます。聞きたいことがございまして、みたいな感じで」
 プラズマはアヤに跪くと、アヤの手を取り、頭を下げた。
 「……っ」
 「思わせ振りにアヤを見る俺」
 アヤはプラズマの真剣な顔を見、顔をわずかに赤くする。
 「ん? アヤ、赤くなってんの? 照れた? かわいいな、ほんとー」
 「……ばか」
 アヤは視線を外し、小さくつぶやいた。
 「あ、あのー……そういえばまだ月が出てないんですけど……。お昼過ぎだし……」
 リカが気まずそうにアヤとプラズマを見、控えめに尋ねてきた。
 「ああ、月は今、陸(ろく)の世界にいるからな」
 「え? また新しい世界が……」
 リカが戸惑う中、アヤが口を開く。
 「ここ、壱(いち)の世界と全く同じ世界で、バックアップの世界のことよ」
 「バックアップの……」
 「つまり、全く同じ私達もいるのよ。それでね、霊的月と太陽は壱と陸を交互にまわっているの。こちらに太陽が出ている時には、向こう(陸)には月がある」
 「あれ、でも……そしたら……、月に住んでる月神とかは二神いるの?」
 リカの質問にアヤは「よく気づいたわね」と頷き、話を先に進めた。
 「月神と太陽神は一柱ずつしかいないわ。彼らは特殊で、壱と陸の世界を見守る役目があるの。だから、壱と陸の世界を両方知っている。つまり、1日が四十八時間ある。片方は永遠の夜、片方は永遠の昼しか見れない」
 「……っ」
 リカは驚いて目を見開いた。
 そんなリカを見つつ、プラズマが追加で言葉をもらす。
 「んで、今は昼だから、太陽神しかいない。そこでな、天記神(あめのしるしのかみ)んとこにいく」
 「えーと……誰でしたっけ……。なんか聞いたことあるんですが……」
 「書庫の神。人間の図書館から霊的空間を通って行くんだよ」
 プラズマの説明でリカは思い出した。体は男だが心が女の優しそうな神だった気がする。
 「今回はツルを使い、神の図書館へそのまま行く。ツルは弐(夢幻霊魂)の世界にも行けるんで、連れていってもらうんだ」
 プラズマの言葉にリカは、さらに首を傾げる。
 「それがどう月と……?」
 「あの図書館の空間はな、『すべての世界』と繋がってんだよ。リカがこちらに来る前、俺達は別々の世界にいた。しかし、あの図書館の空間だけは、俺達三柱がそろって存在できた。だから、俺達はずいぶん昔からお互いを知っているんだ」
 プラズマは窓を指差し、リカに外を見るよう促す。
 「……え? なんか宇宙空間みたいになってるんですが!」
 「弐に入ったんだよ。ツルの仕組みはわからねーけどな」
 リカは過ぎ去る惑星を呆然と見つめてから、怯えた目をプラズマに向けた。
 「えっと……つまり、その図書館から……えーと、陸の世界にある月に行く……みたいな……」
 「そのとおり! ほら、ついたぞ」
 リカが動揺している中、ツルは霧深い森の中に着陸した。

四話

 神々の図書館へたどり着いたリカ、アヤ、プラズマはツルにお礼を言うと、駕籠を降りた。
 「よよい! 月の門を開いていただいたよい! やつがれはお先に月で月姫様のお相手をするよい。ではまただよ~い! よい、よ~い!」
 最後までおもしろい言葉を話していたツルにリカは固まったが、飛び去るツルはとても美しかった。
 「さすが……神の使い……。待って、私、ツルとカメに出会ったよね!? もしや、縁起がいいんじゃ……?」
 「リカ、行くわよ」
 独り言をもらしていたリカは、アヤの視線を感じ、慌てて歩き出す。
 「とりあえず、ツルが月姫の相手をするということで、月の門を開けてもらった。天記神には、この空間から月の門を繋げてくれるよう頼む」
 プラズマの説明を聞きながら、リカはぼんやり思った。
 ……縄張りみたいのがあるのかなあ……。
 霧深い森を抜けると古い洋館のような図書館が現れた。
 「おーい! 天記神(あめのしるしのかみ)!」
 プラズマは早々にドアを開けると中に向かって声をかける。
 「はいはい。いらっしゃいませ。栄次さんのことかしら?」
 天記神は来ることがわかっていたかのような発言をした。
 体は男性だが、女性よりもどこか女性らしい雰囲気がある。
 「あらっ! プラズマさん、かっこいいっ!」
 「あ……ほんとっすか? えー……ありがとう。……じゃなくて……なんだっけ?」
 天記神は、変身したプラズマを見て、頬を赤く染める。プラズマは困惑しつつ、アヤに目を向けた。
 「月に行くんでしょ」
 アヤにそっけなく言われ、プラズマははにかんだ。
 「そ、そうそう! 月っ! 月に行きたいんだ!」
 「月ですか。ええ、では、わたくしが、ここの結界を開ければよろしいのですね?」
 天記神が妖艶な笑みをプラズマに向け、プラズマは慌てて頷いた。
 「そうそう! よろしくっ!」
 「では、お外へ」
 「お、おっけー!」
 動揺しているプラズマはアヤ、リカを連れ、盆栽がたくさん置いてある庭へ出る。
 「結界を一度、一部分だけ解きますわ」
 天記神は手を前にかざし、結界を解いた。解いた直後に鳥居が現れ、鳥居の奥で夜空と共に大きな月が存在していた。よく見ると、鳥居から月へエスカレーターが通っている。エスカレーターの左右に等間隔で灯籠がなぜか浮いていた。
 「きれいだけど、不気味な月……。なぜ、エスカレーター……」
 「いいから、早く行くぞっ!」
 プラズマはリカの疑問を途中で終わらせ、リカをさっさとエスカレーターに乗せる。無機質な機械の音が聞こえるくらい辺りは静かだった。鳥居は時神達がエスカレーターに乗ると消え、手を振っていた天記神も霧に包まれ、いなくなった。
 あの図書館の空間は霧で覆われていた。もしかすると、あの霧が結界なのかもしれない。
 あの書庫の神とやらは何者なのか、実はよくわからないが。
 エスカレーターはゆっくり月へと向かう。空には綺麗な星。
 エスカレーターから下を見ると、どこかの町の夜景が広がっていた。
 「わあ……きれい」
 「よね? 夜景を上から眺めるのはきれいよね。今、夜の陸(ろく)の世界の町並みよ」
 アヤとリカはしばらく美しい景色で心を落ち着かせる。
 「デートにピッタリってか? お嬢さん方」
 プラズマが肘をエスカレーターの手すりに置き、かっこつけながら二人を見てきた。
 「役に入っているわけ?」
 「まあね」
 「そろそろエスカレーターの終わりが見えてきましたよ」
 気がつくと、辺りがクリーム色の空間に変わっていた。
 鳥居が見え、時神達はエスカレーターからおろされる。
 「ついたか」
 辺りはクリーム色の空間。
 他は何もない。
 「えーと……何にもないんですけど」
 リカが戸惑っていると、白い小さな生き物がリカの視線の下で飛び跳ねていた。
 「おおい、こちらでごじゃる!」
 「はあっ!?」
 急に下から声をかけられ、リカは驚いて飛び上がった。
 恐る恐る下を見ると、幼稚園児くらいの身長の女の子がたくましい前歯を覗かせ、こちらを見上げていた。紫色の肩なしの着物を着ている元気そうな少女で、なぜか真っ白のツインテールの髪がウサギのように左右に真っ直ぐ上に立っていた。
 瞳は赤い。
 「……因幡の……シロウサギ……みたい」
 リカはぼんやり思ったが、すぐに気がついた。
 「って、まさか、ウサギ!?」
 よく見ると手足がウサギで、肉球みたいなのがついている。
 「あれ……ウサギって肉球あったっけ……」
 「なーにをごじゃごじゃ言っておる! ウサギでありますっ! ウサギンヌっ!」
 ウサギと名乗った謎の少女はツル同様、謎の言語で話しかけてきた。
 「あー、相変わらずだな。……リカ、月神の使い、ウサギだ。月神のトップのせいで変な言葉を教えられてんだ。流しとけ」
 「は、はあ」
 プラズマの紹介を聞いて、リカはもう気にしないことにした。
 「月子さんに会いに行くでごじゃるか? ラビダージャンっ!」
 「そうそう」
 「こちらへドーゾー! 月の宮へごあんな~いでありますっ! ウサギンヌ!」
 ウサギがさっさと行ってしまったので、リカ達は慌てて追いかけた。
 「ラビラビダージャン、ウサギンヌ~!」
 「はあ……とりあえず、語尾が気になるんだよね……。ラビダージャンとかウサギンヌとか頭に残る」
 リカはため息をつきつつ、ウサギについていく。
 ウサギについていくと、クリーム色の空間がなくなり、立派な天守閣が見えた。
 ただ、天守閣は全体的にショッキングピンクに塗られており、わけがわからない。
 「かなりヤバそうな城が……」
 「月姫の変神(へんじん)さがわかったかしら……?」
 色々な事でお腹がいっぱいのリカは、さらにアヤの言葉で胸焼けしそうになった。
 とりあえず、通り過ぎるウサギらしき者達と、月神らしき者達にあいさつしながら、時神達は城に入る。和風なのかと思いきや、中身は子供用のオモチャのような雰囲気だった。
 全体的にピンクで、ウサギのぬいぐるみやら、アイドルのポスターやらが大量に飾られている。
 女性のウサギはなぜかメイド服を着せられており、さらに意味不明だった。
 なんというか、「ゆめかわいい」状態。
 「落ち着かねぇ!」
 プラズマが頭をかきながら、ピンクのエスカレーターに乗り、上階へ行く。
 「目が疲れる……」
 「はあ……あのね、月子はこういうのが好きなの」
 「月子?」
 アヤの言葉にリカは眉を寄せて尋ねた。
 「ええ、月子さんと呼べと人に強要してるのよ、彼女……」
 「け、けっこうヤバめな感じ……?」
 「ヤバめだわね」
 話している内に最上階へとたどり着き、一室にあったピンクのすだれに向かい、ウサギが話しかけた。
 「月子さん、連れてきたでごじゃーる! ウサギンヌ!」
 ウサギが声をかけると、すだれの奥で影が揺れた。
 「えー! もうきたのぉ! メイク終わってなぁい! ウサギ、もっとアイドルっぽくダンスしながら、声かけ! はい、もう一回! あー、それからツルは壱の世界が夜になってから来るって!」
 甲高い女性の声が聞こえ、ウサギが改まって変な踊りを始める。
 「わ、わかりました~! つ、つ、月子さん! 連れてきたよんよん~! ウサギンヌ! ついでに、ラビダージャン!」
 ハートと星がいっぱいつきそうなセリフを吐きながら、クルクル回るウサギを見、リカは顔を青くした。

五話

 「おっまたせ~! 月子さんだよ~!」
 しばらく待たされた時神達はすだれを乱暴に開けた月子さんを仰ぐ。
 とりあえず、月子さんのが神力が上なため、段差があり、月子さんのが上に来る仕組みである。
 「あたしは、ツクヨミ様の力を受け継いだ月照明神(げっしょうみょうじん)、月姫の月子さん! よろぴくっ!」
 月子さんは自己紹介をしつつ、指でハートを作り、時神達へエアハートを飛ばした。
 「ウサギ、後でハートが出てるっぽく加工しなさいっ!」
 「わ、わかったでありますっ! ラビダージャン!」
 横でカメラを回し始めたウサギは慌てて返事をする。
 「え……撮るの……?」
 リカが顔を赤くしながら服にホコリがないか確認した。
 「あたしがかわいく映ってればいいのよ。あんたはどーでもいいわっ!」
 「は、はあ……」
 リカは動揺しながら、とりあえず答えた。
 「あんたら、名乗りなさいよ」
 おされていた時神達は慌てて名乗る。
 「失礼しました。わたくしは時神未来神、湯瀬紅雷王でございます」
 「わ、わたくしは時神現代神、時野アヤでございます」
 アヤは名乗った後にリカをつつく。
 「あ、えっと、わたくしはなんかの時神で……リカです!」
 リカはかなり怪しいあいさつしかできなかった。
 三人が名乗り終えたところで、プラズマが本題に移行させる。
 「さっそくだが……白金栄次についてどこまで知っている?」
 「栄次……ああ、あの怖いサムライ? 月子さんコワーイ! 殿方コワーイ!」
 月子さんはセンスで顔を隠し、カメラに向かってウィンクした。
 「わかった。じゃあ、何をしたらいい?」
 プラズマは交渉に入った。
 ただでは話さなそうだったからだ。
 「なに……ね。うふふ。じゃあ、裸になれ。月子さんはね、きれいな男の体が好きなの。あたしの要求をすべて通したら、高天原会議の内容をお伝えするわ」
 月子さんの言葉にアヤとリカが顔を青くした。
 「ぷ、プラズマ……」
 アヤが心配そうにプラズマを仰ぐ。
 「……裸になりゃあいいのか? わかりました」
 「ちょっ……プラズマさんっ!」
 リカは顔を赤くし、目をそらす。
 「雑に脱いだらダメよ? あなたは皇族だったんでしょう?」
 「……わかりました」
 プラズマは霊的着物から通常の服に変わると、ゆっくり脱ぎ始めた。その後、服をしっかり畳むプラズマ。
 「やっぱり、とんでもない変態だわ……月子……」
 アヤは顔を手で覆いながら下を向く。
 「髪を伸ばして」
 「はい」
 プラズマは神力を高め、髪を伸ばす。
 「うーん、やっぱ、美しいわねぇ。赤いツヤのある髪、ほどよくしまった体、きれいな肌、スタイルも良し、なんてきれいなの……芸術だわ」
 「ありがとうございます。で? もういいか?」
 プラズマはため息をつきながら、服を掴むが、月子さんはまだ許さない。
 「ちょっと……鞭をいれてみてもいい? きれいな肌に赤い線をつけてみたいの」
 「ちょ、ちょっと! 月子! もういい加減にして!」
 アヤが顔を真っ赤にしながら、叫んだ。
 「あら、赤くなっちゃって。青いわね~。ちなみに、ツルは傷つけられないじゃない? 禁止されているし、同意がないとしたくないし」
 「だからって、プラズマはあなたのオモチャじゃないわ」
 「正論! だから、同意を求めているんじゃないの。傷をつけていいのかを。なんか悪い?」
 睨み付けるアヤを冷たい目で見た月子さんは、プラズマに視線を移す。
 「トケイを知っているかな? 弐の世界を飛び回っている時神。私達、月神は弐の世界の先、黄泉の入り口と海原も守っている。ツクヨミ様が元々、守っていたらしいもの。今、トケイはその周辺を徘徊している」
 「……?」
 月子さんはわざと、時神がわからないように言った。
 「今までのお礼はこんなとこかな? もういいなら、お引き取りを」
 不気味に笑った月子さんにプラズマは覚悟を決めた。
 「わかりました。許可します」
 「ちょっと、プラズマっ!」
 アヤの制止を無視し、跪くプラズマ。月子さんは嗜虐心(しぎゃくしん)が表に出たような冷酷な笑みを浮かべた。
 「……俺は過去が見れない。だから、月子さんの過去を覗けない。過去が覗ければ、交渉しなくてもいい。俺は未来なら見える……。見えた未来はサヨが傷ついていた」
 「……え?」
 プラズマの言葉にアヤとリカは眉を寄せた。
 「だから、サヨが傷ついてるんだ。オレンジの髪の男を泣きながら止めている。だから、こいつの情報がいるんだ」
 「なんでサヨが?」
 「知るかよ。そこしか見えなかった。たぶんな、月子さんの言葉にあったトケイってやつから見えた未来だ」
 プラズマの言葉を聞いたアヤは月子さんを睨み付ける。
 「あなた! 自分のために世界を犠牲にするの? プラズマは応じないわよ」
 「今、許可したよ~? 月子さんわかんな~い!」
 月子さんはおどけた顔でアヤを見た。
 「もう……わかったわよ。もし、私達が交渉するなら、どうするつもり?」
 「そ、そうだね、私とアヤが……代わりに……」
 アヤとリカはプラズマから離れるよう目で訴える。
 「ふーん? 美しい男のが興奮するんだけどー、まあ、今回はけっこう緊急そうだしぃ、女の子でもいいよっ!」
 月子さんはまた、ハートを指でつくると飛ばしてきた。
 「アヤっ! 俺は女の子が鞭打ちされんのを見るのは嫌だっ! 優しくないっ! 優しい世界じゃないっ!」
 プラズマは慌ててアヤとリカの前に立った。
 「前をっ! 前を隠してちょうだい……」
 「プラズマさん……見ちゃいました。ごめんなさい」
 アヤとリカは真っ赤な顔でそれぞれ目をそらす。
 「えーと……すまん……」
 プラズマは畳んだ下着をとりあえず、前に当てた。
 「あはは! 女の子にこういうことやる趣味はないよ~! 女の子ならね……」
 月子さんは楽しそうに笑いながら手を叩く。
 「アイドルになって、そこで踊って? かわいくね! 振り付けは月子さんが考えたの~! あと、衣装なんだけど、あたしがデザインしたこの、きゃわわな服で~」
 「……は?」
 アヤとリカは無意識に二、三歩下がっていた。

六話

 「さあ、これを着るの。早くしなさい! 着替えから萌えは始まっているの!」
 月子さんはやたらと露出の高い謎の衣装をアヤとリカに押し付ける。
 「じゃ、じゃあプラズマさん、ちょっと後ろを……」
 リカが頬を赤く染めながらプラズマに言った。
 「あ、ああ。……だな。女の子の着替えが俺の目に……」
 「紅雷王、彼女らの着替えを見ていなさい」
 月子さんはうっとりした顔で命じる。
 「バカか……変態かよ……」
 「いいの。男に見られているとね、女子特有の恥ずかしさが生まれて、最高に芸術的なのよ」
 月子さんは、顔を真っ赤にしたまま、着替えが進まないアヤとリカを満足しつつ見据える。
 「早く脱ぎなさい。下着も全部。あたしが作った下着を着るのよ」
 「プラズマ……見ないで……」
 アヤは先程の威勢がなくなり、涙目で恥ずかしそうに下を向いた。
 「……もう、いっそのこと堂々と着替えますっ!」
 リカは反対に顔を真っ赤にしたまま、大胆に着替え始めた。
 「アヤ、何をしているの? さっさとしなさい」
 うずくまったまま、着替えが進まないアヤの頭に、月子さんは足を乗せ、頭をつけさせる。
 「ごめんなさい、月子さん、今すぐ着替えます……でしょ? ねぇ?」
 「う……うう……」
 アヤは涙を浮かべる。
 「できないの? じゃあ、紅雷王に鞭打ちを……」
 「俺は別にそれでかまわないぜ。こんな屈辱をアヤは味わったことがないんだ。見てらんねぇよ、かわいそうで」
 プラズマがそう言うので、アヤは涙をこぼしながら月子さんを睨み付けた。
 「あら、生意気な顔」
 「わかったわよ、着替えてやるわ」
 アヤは自分の身体に『早送りの時間の鎖』を巻き、あっという間に着替えた。
 「ふーん、賢いじゃない」
 「なんなの? この服はっ!」
 アヤは着替えた後、身体を恥ずかしそうに隠した。
 下着に近い格好に短いスカートという、肌を露出する服。
 やたらとキラキラ光っている。
 「こ、こんなアイドル……いない気がする……」
 リカはため息をつきつつ、下を向いた。
 「はい、じゃあ、着てくれたから、情報を。銀髪の時神と黒い少女の霊が『栄次が開演させたステージ』で劇をやらされている。栄次はどこにいったのかなあ?」
 「栄次がどこにいるのかもわかってんのか?」
 プラズマはアヤとリカを視界にいれないようにしながら月子さんを見る。
 「さて、次は……ダンス!」
 「ちっ……」
 プラズマの舌打ちを聞きつつ、月子さんはアヤとリカに恥ずかしいダンスをさせ始める。
 「ハートを手で作って、胸を寄せて、お尻を付き出して~。あ、ウサギ、ちゃんと撮ってる?」
 「とってるであります! ラビダージャン!」
 「紅雷王! しっかり見なさい。恥じらう姿が最高なんじゃないの!」
 目を背けたプラズマにアヤとリカを見るよう命令しつつ、月子さんは楽しそうに手拍子をしながら話し出す。
 「後悔を持つ魂を、呼び出しちゃったサムライは~。自分の世界へ彼女を呼び、鍵をかけた~。銀髪の忍者も、呼ばれたよ~。彼らは役者、何度も舞うよ、ステージで。彼が望む、結末になるまで、何度も厳しい、殺(や)りなおし~!」
 「……っ!」
 「はいっ! そこでターン!」
 プラズマが月子さんの手拍子を聞きながら眉を寄せた。
 相変わらずサヨの未来が映る。
 もしかすると、今、一番真相に近いのがサヨなのかもしれない。
 「つまり……栄次は『後悔を持つ魂』とやらを呼んで、自身の肉体ごと弐の世界へ入った。で、栄次は自分の心に肉体ごと閉じこもり、更夜とその魂を使っていい結末になるまでループさせている……ということか?」
 「賢い賢い! せいかーい!」
 月子さんは楽しそうに手拍子をしている。
 「じゃあ、破壊する時神、トケイはなんなんだ?」
 プラズマは服を着替えながら、尋ねた。
 「何か? 栄次が銀髪の忍者を思い出したからだよ。どっかの時神のせいで、壱(現世)に栄次が居続ける事になった。だから、忍者の方の記憶がおかしくなり、トケイが作動。彼は弐の世界を守る役目もあるから、霊を閉じ込め、霊の後悔を増やし、『厄』を溜め込む栄次を許さない」
 月子さんは踊っているアヤとリカを満足げに見据えると、楽しそうに手を叩いた。
 「かーんぺき! やっぱり月子さんのダンスはさいっこうね~! 月子さん、て~んさい!」
 「……天災だよな……」
 プラズマは月子さんの独り言に独り言で返した。
 情報をある程度引き出せたプラズマは最後に重要な事を尋ねた。
 「……栄次には近づけたし、栄次の事はわかった。他にこの件に近いやつはいるか?」
 「ふふっ、わかった。要求を通してくれたから特別に。海神。ワダツミのメグはツクヨミ様から海原と弐の世界を深く見守るよう、言われているわ。あの女は弐の世界を良く見れる。栄次の世界も見つかるんじゃない? 黄泉の近くにいるのは知ってるー」
 月子さんはアヤとリカを解放し、満足そうに頷いた。
 「ワダツミのメグか」
 呼吸を荒くしながら、座り込んでいるアヤとリカを気の毒そうに眺めながら、プラズマは小さくつぶやいた。

栄次と更夜1

 栄次はスズを助けられなかった。唇を噛み締め、彼は先に進む。
 あれから少しの時間が経った。
 更夜が突然、姿を消す。
 不思議に思っていると、「殿がやられた」と屋敷内が騒がしくなっていた。
 「……暗殺、されたか」
 もうすでに近隣では戦がおこっており、殿を失ったこの城が国盗りにあうのは時間の問題だった。
 そこで、慌てた配下達がまだ若い息子を新しい当主にした。
 この息子は若い考えが抜けず、父のかたきうちばかり考えていた。
 そして、この屋敷内で一番強い栄次に、殿を殺した者の首を持ってくるよう命じるのである。
 「おそらく、更夜だ。あいつは消えた。追いかけて殺してこい」
 若い青年の言葉に栄次は目を伏せ、言った。
 「あの男を追ったところで、意味はありませぬ。それよりも、近隣をまとめねば、城が落ちます」
 「わかったような口を聞くなっ! あいつを殺してこい! 殺せなかったらあの屋敷に住む娘を十人殺してやる」
 「……こんな意味のない命令に、罪のない娘を十人も殺すのか。城が落ちると言っている。このままでは士気が下がっていくぞ……」
 栄次は若者を睨み付け、諭す。
 「お前が殺してくればいい。監視を五人つける。逃げたその段階であの屋敷に住む、女子供、皆殺しにしてやる」
 ……愚鈍、愚昧……愚行……。
 バカにつける薬はないか。
 この城は終わりだ。
 栄次はゆっくり立ち上がると、口を開いた。
 「わかりました。向かいます」
 栄次は振り返らず、乱暴に出ていった。この時期の栄次は戦乱の渦中にいることが多く、平和な時代よりもやや荒い。
 無関係な者を殺すと言ってきた殿の息子に栄次はどことなく、いらだっていた。
 ただ、栄次は人間の歳を超えているため、動き方も良くわかっていた。
 栄次は口を結び、表情なく歩く。
 ……うろうろしているだけで城が滅ぶ。俺が、あの男を探す必要はない。とりあえず、更夜がいそうな敵地へ向かうか。探すふりをしていれば屋敷の者に被害はない。屋敷の者が死ぬのは見ていられぬ。
 だが、城が落ちれば……弱い者から死んでいく。子供は売られ、女は……いや、俺は全てを助けることはできない。
 守れる者を守るしかできんのだ。
 
※※

 更夜は人質にとられていた娘を救いだした。父親の呪縛が解けたからだ。父凍夜の三人の妻と、更夜の姉の夫である婿養子、夢夜(ゆめや)が凍夜を相討ちで殺した。
 更夜の幼い娘、静夜は凍夜が奴隷のように彼女を扱っていたため、ほとんど笑わない子供になっていた。
 「……静夜……すまない」
 更夜は静夜の身体にできた無数のアザを見、唇を噛み締める。
 父の凍夜は更夜の妻、ハルを殺し、幼い静夜に暴力を振るった。
 ……俺が大切にしていた妻を殺し、俺の宝だった娘に傷をつけた。俺があの男を殺したいくらいだ。
 ……だが、今は……
 あいつがいない。
 「お父様……」
 いままで表情を出さなかった静夜が初めて涙を見せる。
 更夜は静夜を抱きしめ、頭を撫で、謝罪をした。
 「申し訳ない……遅くなってすまなかった。ひとりで……ずっと戦ってくれたのだな。さあ、行こう。ここにいる必要はないんだ」
 更夜も過ごした、この世の終わりのような場所。深い山奥の屋敷。
 叫んでも泣いても誰も助けに来ない。
 産まれた時から母親の泣き声を聞いていた。凍夜の妻達は戦によって親を亡くした少女達だった。
 こんな場所で、凍夜の支配に怯えながら生きたのだろう。
 静夜も同じ。
 静夜の細い身体を抱きしめながら、更夜は殺してしまったあの少女を思い出す。
 「この世界は……どこへ行っても幸せになれない……だが……静夜だけは……」
 幼い娘を抱きかかえ、更夜は歩き出した。娘がいるため、山を降りるのに三日はかかりそうだ。
 ずっと抱えながら歩き、コウモリがいる洞窟で寄り添って眠り、静夜をおぶってまた、歩き出す。
 食事は木の実や野草、魚などを沢山食べさせた。
 なるべく、干し味噌などを使い味をつける。
 そんな生活を一週間ほど、おこなった。
 ある日、暗殺した城主の息子が更夜を血眼で探しているという情報を掴む。追手がついているとも。
 更夜は横で眠る静夜を撫でながら、廃屋の天井を仰いだ。
 屋根が壊れており、空には満月と星が輝いていた。
 ……俺と共にいたら、静夜がまた傷つけられる。
 俺は静夜を育てられない。
 嫁に出そう……。
 俺から離すんだ。今すぐに。
 生き残ってもらうために……。

二話

 更夜は突然、静夜に対し、よそよそしくなった。
 常に気配を読み、動く更夜。
 静夜は更夜の変わりように怯えていた。親子であるとわかってはいけない。
 追手が静夜も殺しに来る。
 更夜は静夜を望月から離し、別の家系の家へ嫁がせることに決めた。
 更夜は凄腕の忍者集団、凍夜望月家なため、望月家と仲の良い忍の一族なら縁談もうまくいくと考えた。
 今は、縁談話が出ていた忍集団、木暮家へ静夜を連れていく途中だ。木暮の雰囲気は凍夜望月家とは違い、かなり穏やか。
 静夜も幸せになれるはずである。
 田舎道を静夜の手を引き、急ぐ。スズメが飛び、広い田んぼが広がり、きれいな青空。
 目立たないように歩いていても、子供を連れた男は目立つ。
 「おとうさま……」
 静夜はまだ六歳過ぎ。
 更夜の事など何もわからない。
 「……俺を父と呼ぶな」
 「おとうさま?」
 「……呼ぶな」
 更夜はいらだちながら、静夜を黙らせようとする。
 「どうして? おとうさま。おかあさまに会いに行くの?」
 死を理解していない静夜は、母親が死んでいる事を受け入れていない。
 「おとうさま、おかあさまはどこに……」
 「俺を呼ぶなと言ったはずだっ!」
 更夜はついに手をあげてしまった。静夜の頬を叩いてしまった。
 「……っ!?」
 静夜は優しかった父が突然に、冷たくなり、暴力的になったので、戸惑いながら更夜を見上げる。
 「わたし……何かやりましたか? おとうさま。わたし、悪いこと、してません」
 「俺を……父と、もう呼ばないでくれ……頼む……何度も言ったぞ」
 更夜は苦しそうに顔を歪めると、静夜を引っ張り歩き出した。
 もう、更夜は静夜を抱えることはしない。
 人買いと、売られた子供に見えるように振る舞う。
 親子とはわかってはいけない。
 更夜はそうしたいが、静夜は何も理解していない。
 田舎道を抜け、二人は再び山に入った。
 「おとうさま……どこにいくんですか? おかあさまのところ?」
 しっかり答えない更夜に静夜は不安げに尋ね続ける。
 「……お前の母様は死んだ。何度も言わせるな。次は打擲(ちょうちゃく)するぞ」
 更夜の脅しに静夜は首を傾げた。
 「ちょうちゃくってなんですか?」
 「殴ることだ。木の棒で叩く。痛いのが嫌なら黙ってろ」
 「……なんで……? おとうさま……どうして……」
 「俺はお前の父様じゃない! いい加減にしろっ!」
 更夜はまた静夜をひっぱたいた。
 「……いたい……」
 静夜は嗚咽をもらしながら泣き出した。
 「おとうさま、なんで突然、静夜を嫌いになったの? 静夜を捨てないでください。静夜にはもう……おとうさましかいないの……。捨てないで……おねがいします。ごはん沢山食べてごめんなさい。ごはん作れなくてごめんなさい。歩くの遅くてごめんなさい。夜寝てしまってごめんなさい」
 静夜は自分がやってしまった「わるいこと」を一生懸命に思いだし、更夜に謝罪する。
 更夜は呼吸を荒げ、拳を握りしめた。
 「違う……。俺を父と呼ぶなと言っているんだ」
 苦しかった。
 何をやっているんだと思った。
 なぜ、俺は静夜を叩いている?
 父と呼ぶな。
 こんな簡単な事もできない娘にいらだっているだけなのではないか。
 更夜の目に涙が光る。
 この子には俺しかいないんだ。
 守らねばならない。
 ああ……育てたかった。
 ハルとの大切な子を。
 きっと……きれいな娘になったんだろうな。
 優しくて、思いやりがある娘は平和な時代を生きて……。
 更夜は静夜の手を引くと、木暮家の山に入っていった。
 
 俺はどうせ死ぬんだ。
 ヒトをたくさん殺した「ヒトデナシ」なくせに、今さらヒトになろうとするな。
 復讐を受け入れろ。
 罪を償うんだ。

三話

 静夜と別れた。
 木暮の雰囲気は良く、優しく静夜を迎えてくれた。
 更夜はまともに祝言をあげられない事を謝罪し、将来の嫁として代わりに育ててくれるよう頼んだ。ちなみに、家は望月のが上である。
 「祝言も床入りも早すぎる。私は祝言まで生きられそうにない」
 更夜は木暮家に、自分の生が長くないことを伝える。
 木暮の当主は静夜を優しく撫でると、気の毒そうに承諾した。
 「私の息子が彼女の二つ上なのです。仲良くなれるでしょう」
 「……すまぬ」
 更夜は頭を下げた。
 静夜は木暮の息子になにやら遊びを教わっていた。楽しそうに笑っている。
 「中でゆっくりお話でも? 長旅でお疲れでしょう」
 木暮にそう言われたが、更夜は断った。
 「いや、このまま離れる。望月はまだ続く。姉、千夜の息子が望月を立て直してくれた。今後ともよろしく頼む」
 「……はい」
 木暮は更夜が死地へ行こうとしていると、悟った。
 更夜が離れようとした刹那、静夜がこちらを振り返った。
 「おとうさま」
 「……静夜、お前はこれから木暮だ。もう戦も終わる。幸せに暮らせ。ずっと愛しているぞ、静夜」
 更夜は今までで一番、優しい顔をすると、振り返らずに歩きだした。
 静夜の視線が悲しげに揺れているのがわかる。
 ……静夜、ごめんな。
 更夜は夕日に向かい、ただ黙々と歩き続けた。
 ……あの少女は俺を殺したかっただろうな。まさか娘と同じくらいの子が俺を殺しにくるとは思わなかった。
 ……俺は静夜を選んでしまった。
 だが……後悔はしていない。
 更夜はもう、気配を探ることもしない。守るものはもうない。
 ずっと歩き続け、何日も過ぎた。更夜は自分がいた屋敷付近の山にいた。かなり大胆な行動である。
 戻ってきた理由はひとつ。
 「墓を作る。あの子の」
 近くにあった木の枝を拾い、穴を掘り、枝を刺し、土を被せる。
 「平和な時代が……来るといいな」
 更夜はその場に座り込んだ。
 「本当はお前も……俺の娘にしてやろうと思っていたんだ。静夜の姉様になれるかと。だが俺は何も理想を叶えられなかった。それどころか、すべてをなくしたんだ。過去に殺したヤツらの恨みなら、受け入れよう。俺は、おそらくもう、幸せにはなれない。お前を殺した後にな、俺は静夜を捨てたんだ」
 更夜の拳に涙が一滴、二滴と落ちる。
 「全部なくなっちまったよ。嫁を殺されて、追手がついて望月から離れて、娘を捨てた。俺に何が残った? 俺の人生は……。俺の行き場のない怒りはどこにぶつければいい?」
 更夜が小さくつぶやいた刹那、背後で気配がした。
 ……ああ。
 やはり、お前か。
 「栄次」
 
 ※※

 栄次は運悪く更夜を見つけてしまった。
 「……更夜、なぜここに……」
 栄次は戸惑った。こんな近くにいるとは思わなかったからだ。
 「そんなことはいい。やはり、追手はお前か。栄次」
 更夜はいつもの軽薄な雰囲気で栄次に笑いかけた。
 「ああ、お前を殺さねばならなくなった」
 反対に栄次の表情は暗い。
 「だろうな。ああ、皮肉だな。行き場のない怒りをぶつける場所を、神がよこしたということか」
 更夜は開き直ったのか、不気味な笑みを栄次に向けた。
 そして、そのまま栄次に襲いかかる。栄次は霊的武器「刀」を取り出すと、更夜の隠し刀をすばやく避けた。
 しかし、栄次は避けきれず、胸を薄く斬られていた。
 「……っ」
 「本気で来い。お前は俺を殺しにきたんだろ? 後ろにそんなに見物客を連れて。俺を殺せなかったらどうするんだ?」
 「……本当は、やりたくない」
 栄次は更夜の挑発には乗らない。
 「では、俺がお前を殺してやろう。あの娘が叶えたかった相討ちだ。愉快だな。ああ、俺は男には……手加減はせんぞ」
 更夜は再び栄次の首を刈ろうと動く。忍だけあり、かなり速い。
 忍の中で高度な技、八ツ身分身を使い、残像で八人に見える。
 攻撃は鋭く、速く、栄次は防ぎ切れず、あちらこちらを斬られ、血を流す。流れ出る血を見ている内に、栄次の中に不思議な高揚感が芽生え始めた。
 ……まずい……。
 栄次は更夜に刀を振ってしまった。更夜は人間とは思えない運動神経で避け、飛び上がりながら、手裏剣を多数投げる。手裏剣は的確に栄次の急所を狙い、栄次は刀を使って手裏剣をすべて叩き落とした。
 すぐに鉤縄(かぎなわ)が飛んできて栄次に絡む。更夜はそのまま小刀で栄次を殺しにきた。
 栄次は更夜の攻撃を縛られた状態でかわし、縄を切った。
 そのまま刀がぶつかり合わない攻防戦へと突入。刀同士がぶつかると隙ができるため、お互いが、ぶつかり合わないよう刀を振るっている。
 「なかなか強いな。斬れそうで斬れない。まさにヘビ」
 更夜は風を斬る音が響く中、感心したようにつぶやいた。
 「俺の背後をこれほどとるとは、今まで戦った中で一番強い。まさにタカだな」
 栄次は気がつくと夢中に戦っていた。集中が高まり、死ぬか生きるかのすれすれを何度も乗り越え、高揚感が高まる。 
 更夜も同じようだった。
 夕闇の森に二人の血が散らばる。
 ……強い……。
 栄次は肩で息をしながら、いつまでも終わらない死闘をやり続ける。
 ……勝負がつかん。
 鋭い攻撃はすべて急所を的確に狙ってきていた。
 ……本当に人間なのか……。
 相当な手練れ。
 栄次が更夜を分析していると、
 「お前、強いな」
 と、更夜が声をかけてきた。
 「お前も強いな」
 栄次は更夜に短く答えた。
 「だが、次で死んでもらおう」
 更夜は小刀を構え、八ツ身分身をしながら栄次を襲う。
 八人になった更夜の本物を見分けようとした刹那、栄次の体が動かなくなった。
 「……っ!」
 「俺がタダで話すわけないだろう? 糸縛りと影縫いだ」
 良く見ると栄次の体に無数の細い糸が絡まり、影にクナイが刺さっていた。
 「はっ!」
 栄次は空気を震わせるほどの気迫を出すと、細い糸を覇気で解いた。同時に、心理的に動けなくさせる影縫いも簡単に解いてしまう。
 「そんなこともできるのか。お前には武神でもついているのか?」
 更夜の刃は一瞬の違いで栄次の首元をかすっていった。
 隙がわずかにできた栄次に更夜はクナイを投げ、栄次の刀を飛ばす。
 「しまった!」
 栄次の刀は霊的武器なため、栄次が手を離すと消えてしまう。
 「不思議なことに、刀が消えたな」
 更夜は特に戸惑うことなく、栄次を攻撃する。栄次は更夜の容赦がない剣撃を避けつつ、ここで最大の間違いを犯してしまう。
 「刀を貸せ!」
 後ろで見守る五人に栄次はそう叫んでいた。
 五人は栄次が死んだら、更夜に殺されると思い、怯えていた。
 「はやくしろっ!」
 五人の内の一人が怯えながら、栄次に刀を投げる。  
 栄次はすばやく刀を掴むと、すぐに抜き、更夜の刀を受けた。
 初めて刃がぶつかり合う。
 「こんなに強い男は初めてだ」
 「俺もだ」
 しばらく競り合った後、更夜が力を抜いた。栄次はそのまま刀で袈裟に斬る。それを関節を外し、あり得ない角度から更夜は避けた。低い位置から栄次の脇腹を切り裂く。
 「……うっ……」
 低く呻いた栄次は怯む隙すらなく、そのまま背後から斬りつけてきた更夜をなぎ払う。
 「……っ!」
 更夜だと思ったのは木の枝だった。
 「変わり身かっ!」
 下から突いてきた更夜を三歩さがり、かわす。
 「かわしたか」
 「片目だが、距離がわかるのか」
 栄次が尋ねると、更夜は冷たい笑みを向けた。
 「スズが目をやったおかげて、片目が潰れたが、元々俺は目が悪い。見えなくても、元々目には頼っていない」
 再び消えた更夜に、栄次の気持ちが高ぶる。
 ……こんなに強い人間が、この世にいるとは。
 もう二度と……こんな男は出てこないかもしれない。
 「強い……」
 栄次は自然と笑みをこぼしていた。
 「強いな……」
 栄次の瞳が赤く染まり、武神の神力が溢れ出す。
 「本当に武神がついているのか? 気が異常だな」
 ふと近くで更夜の声がした。
 栄次は刀を振り抜き、更夜の腹を切り裂く。
 「俺が見えたのか」
 更夜は栄次の刀をうまくかわし、近くに着地した。
 軽くかすり、着物が赤く染まる。
 「いや、見えなかった」
 「気を読んだな?」
 「ああ」
 二人はさらに斬り合う。
 やはり刀はぶつかり合わない。
 力負けした方が斬られるからだ。
 あまりに勝負が決まらないため、後ろで見ていた五人の一人が更夜に向けて弓を放った。
 「弓か。この男には当たらない。無意味なことをするな!」
 栄次はいらだっていた。
 獲物をとられた獣のように気が立っていた。
 しかし、更夜は何かを守るように、弓に当たった。
 「……っ」
 栄次は戸惑った。
 ……なぜ、当たった?
 どういうことだ。
 栄次の思考が一時停止したが、体が勝手に動いていた。
 更夜が見せた唯一の、「隙」。
 栄次の体は留まることを忘れていた。
 「……っ!」
 気がついた時には……
 栄次は更夜を袈裟に斬ってしまっていた……。

四話

 「なぜ……」
 栄次はゆっくり倒れていく更夜を震えながら見ていた。
 更夜は血を吐くと、苦しそうに呻きながら「なにか」が無事か確認する。
 「……っ」
 栄次は戦闘に夢中になりすぎて、更夜が守った物が何かわからなかった。我に返り、ようやく視界が広くなる。
 「……墓……」
 栄次は小さくつぶやいた。
 更夜の前に、作られたばかりの墓があった。
 あの少女の墓か。
 木の枝が刺さっただけの墓。
 木の枝の前に白いかわいらしい花がきれいに整えられて置かれていた。
 「更夜、骨すらもないのに……そこに墓をたてたのか」
 栄次は更夜の傷を見て震えた。
 治らない。
 霊的武器を人間に使えば時間が巻き戻り、傷は癒える。
 しかし……今回は治らない。
 ヒトの刀を使ったから。
 更夜は儚げな表情で空を見てから、自身の手を見る。
 「何を……やっていたんだろうな、俺は。償いなど、どうやってもできないというのに」
 ありえないほどの血が更夜から溢れ、栄次の足元も濡らす。
 思い切り、斬ってしまった。
 手加減すらせずに。
 更夜はまた、口から血を吐いた。
 もう助からない。
 楽にしてやらねば。
 『殺さねば』。
 栄次はそう思い、心とは裏腹に、とどめを刺すべく刀を構える。
 そして……栄次はそのまま、倒れている更夜を突き刺した。
 ……何をやっているのだ、俺は。
 何をしているのだ……。
 戦が長すぎた。
 俺は……戦で壊れた。
 歯止めがきかなかった。
 初めて霊的武器を使わなかった。
 初めて……人を殺した。
 殺してしまった。
 人間の世は戦ばかりだ。
 また、過去が見える。
 更夜が墓を作っている。
 泣いている。
 何か言っている。
 「俺を殺しにきた子供はお前が初めてだった」
 更夜は墓の前で優しい笑みを浮かべていた。
 「更夜、あの少女に墓を」
 栄次は更夜が、スズの墓をここにたてた事を確信した。
 「お前は立派だった。俺は目が悪い故、良い花がわからなかった。……これで良いか?」
 更夜は真っ黒になった手に白いかわいらしい花束を握っていた。
 必死に花を集めたのだろう。
 「女の子なんだ、好きな花くらいあるだろう? スズ」
 更夜がスズにそんなことを言うとは、栄次には思えなかった。
 過去見の更夜は、栄次に見せた顔と全く違っていた。
 「ずっと、ここにいた。更夜は俺が追手になってから、ずっとここにいたんだ」
 栄次の唇が震え始める。
 今さら、更夜を斬ってしまった事に対し、酷い後悔が襲ってくる。
 ……なぜ、殺そうと思ってしまった?
 ……なぜ、とどめを刺した?
 なぜ、仕留めようと考えた?
 なぜ、なぜ……と繰り返し、栄次は目から涙を溢れさせた。
 胸を締め付けられるような気持ち、心に穴があいてしまったかのような喪失感が栄次を襲う。
 ……そうか。
 俺は……『運命』が違えば、更夜と友になれたと……そう思ったのか。
 この喪失感は……それなのか?
 栄次はどうしようもない現実に震えた。
 栄次が震える横で、最後の最期、更夜が清々しい笑みを空に向け、言った。
 「俺はなんで、お前の墓なんて守ってしまったんだろうな。俺も弱くなったもんだ、スズ。次は俺を上手に殺せるぞ」
 苦しそうに一度呻いた更夜は優しい笑顔のまま、死んでいった。
 体が勝手に燃え始め、忍らしく顔の判別がつかない死に方。
 ……消える命の過去など、見たくない。
 俺は更夜を殺して得をしたか?
 なんの意味もない。
 過去は進まない。
 俺は、前には歩けないのだ。
 「……これでは……首を持って帰ることすらできんではないか……」
 栄次は更夜にそうつぶやき、情けなく泣いた。
 後ろに控えていた五人の男達は栄次とは反対に、仕留めたと喜びの声を上げる。
 ……そんなに嬉しいか……。
 この男が死んで、そんなに楽しいか。
 俺は……悲しい。
 なぜかな。
 
 「こんな死に方じゃ満足しないよ」
 嬉々とした少女の声がする。
 何度も聞いたかわいらしい少女の声。
 「スズ、そうだな。お前は相討ちをさせたかったのだからな。これでは、俺が生き残っている。失敗だな」
 「そうだよ。あんたらは二人とも殺さないといけないんだ。更夜を殺してくれてありがとう。だけど、あんたは死んでない」
 スズの声は楽しそうだが、顔は泣いていた。何かを訴えてくる。
 ……私は『そんなこと』思ってないよぅ……。
 栄次と更夜ともっとお話したい。お父様にはできなかったこと……甘えてみたい……。
 「……これではダメか」
 栄次にスズの言葉は届かず、血にまみれたまま、フラフラと歩き出す。
 「もう一回……」
 栄次がそう発言し、スズは子供らしく嗚咽を漏らしながら泣いた。
 そして、涙が枯れ、こう答える。
 「ねぇ? どうする? 次は私と更夜を救ってみる?」
 「ああ、次こそは皆が死なない過去にしてみせる」
 不思議だった。
 栄次は繰り返す内、「皆を助けたい」のか「スズの望みを叶え、二人で相討ちして死にたい」のかわからなくなっていた。
 栄次が歩き出すと、怪我が治っていく。時計の針が巻き戻り、笑顔のスズが現れる。
 ……俺は何がしたい?
 何度も繰り返す内、栄次に疑問がわく。助けたいのか、死にたいのか……。
 「俺は一体、何がしたい」
 もう一度、疑問を口にする。
 何回やっても同じ結末。
 それはそうだ。
 これは「過去」であり、「記憶」だから。
 「それはお前の葛藤だ、栄次」
 戻る記憶の中、死んだはずの更夜がおぼつかない足取りでこちらに来ていた。
 「……更夜……」
 「ここは、お前の心の中で弐の世界。『生かす』か『殺すか』の正反対な葛藤をお前自身がしているだけだ。気がつけ。ようやく言葉が届いたか。何十回やるんだ」
 更夜に諭された栄次は「真実」に気がついた。
 「スズもな、お前の感情で左右される。なぜなら、ここはお前の世界だから。霊は持ち主の心に染まる。夢で出てくる故人は生きている人間の心によって『恨んでいたり』、『微笑んでいたり』するだろ? 同じなんだ」
 「そんな……」
 栄次は頭を抑え、どこから「妄想」をしていたか考える。
 気がつくと、桜が咲く不思議な場所に栄次は立っていた。
 足を濡らす程度の浅さの、大きな水溜りの真ん中。辺りは薄暗いが、多数ある桜の木が淡く光っていた。
 澄んだきれいな水溜りに桜の花びらが落ちる。
 「なんだ……ここは……」
 「ようやく、おまえの『記憶』から出られたか」
 栄次の前にメガネをした更夜が現れた。当時の荒々しい雰囲気は消え、歳を感じさせるが、外見はほぼ変わらない。
 「更夜なのか?」
 「ああ」
 栄次の問いに更夜は短く答えた。
 「……ならば、やることは一つ……スズの無念を晴らさねば。スズが相討ちを望んでいる」
 「……なるほど。お前は疲れたのか。過去を見ることに。過去神でいることに。誰も救えないと気づいたら、俺達を使って消滅を希望するとは」
 更夜の言葉は栄次には届いていなかった。
 「……」
 「本当はもう気持ちが限界だったんだろう? 争いばかり起きる世界に」
 栄次は心に忠実に更夜を殺そうと刀を振るう。更夜は軽く避けると、手裏剣を投げた。
 「相討ちで俺を殺してくれ」
 「霊の役目は辛いな。生きた者を中で導かねばならない。世界の持ち主の心に染まってしまうのも、辛い」
 更夜はため息をつくと、栄次と戦い始めた。

弐の世界の真髄へ1

 サヨは飛び去ったオレンジの髪の少年を追った。
 サヨは弐の世界を飛び回れる「K」である。現世にいる者とは違い、弐の世界を動けるデータを持っている。
 更夜の屋敷から飛んでいった少年も弐の世界を自由に動けるようだ。
 「あの子はもしかすると、時神を破壊する時神……かも。ということは、おじいちゃん達を消しにいくのかもしれない」
 少年はすごい速さで宇宙空間を飛んでいく。腿についているウィングを上手く動かし、右へ左へ迷いなく飛んでいる。
 「動きに迷いがないから、きっとどっか目的地がある。……しかし、速いっ! なんであんなに速いの!?」
 サヨは滑るように飛びつつ、少年を追う。
 少年は桜の咲く不思議な場所に着陸した。どこなのかもわからないが、不気味な雰囲気を感じる。
 抜けるような青空に沢山の桜の花びらが舞う。音もなく、霊もいない。不気味だが、なんだか暖かい気がする。
 「……ここは……データの解析をすると……おサムライさんの上部世界? この下に本当の彼の心があるよね」
 サヨは、黙ったまま歩き出した少年の後を追う。
 「ちょ、ちょっと待って! あんたは……」
 サヨが呼びかけると、少年がこちらを振り返った。瞳が赤く光り、どこか機械のようだった。
 「破壊プログラムが起動しました」
 感情のこもらない声で少年は繰り返す。
 「破壊プログラムが起動しました」
 「……やっぱり、こいつが時神を破壊する時神……」
 サヨがつぶやいた刹那、少年がウィングを動かし、サヨに飛びかかってきた。
 「なに!?」
 「敵対率……七十パーセント。消滅しない程度に破壊します」
 少年は機械音声のように抑揚なく話し、サヨに攻撃を始めた。
 「ちょ、ちょっと! おじいちゃんとおサムライさんを消すのは待って!」
 サヨは結界を張り、少年の重たい拳を受け流す。
 しかし受けきれず、結界は破れ、サヨは尻餅をついてしまった。
 再び、拳を振り上げた少年にサヨは必死に呼びかける。
 「お願い! 言葉が通じないの!?」
 サヨの呼びかけに少年は反応せず、拳を振り下ろした。
 なんとか避けようとした刹那、サヨの手に何かが当たった。
 「はっ……」
 横目で見たサヨは手に当たった物が『刀』であることに気がつく。
 なぜ、刀があるのかはわからないが、栄次の心内の上部の世界であるため、サヨはあまり気にしなかった。
 「……刀」
 サヨは何かを考える前に、刀を前にかざし、少年の拳を傷つける勢いで受け止めた。
 少年は刀に気がつき、拳をわざと外し、空を切る。
 サヨは立ち上がり、震えながら刀を構えた。
 「更夜様……」
 サヨは目に涙を浮かべ、飛びかかる少年を見据える。
 「ごめんなさい。約束破ったサヨを許してください」
 武器を構えてはいけない。
 使ってはいけない。
 更夜との約束。
 でもサヨは結界を張った段階で少年が簡単に結界を破ってくると気がついた。刀がないと、すぐに攻撃が貫通する。
 ……ま、守るだけ。
 自分を守るだけ。
 相手を傷つけてしまうかもしれないが、仕方がない。

 少年は案の定、サヨの結界を簡単に破ってきた。
 「ごぼうちゃん! 弾けっ!」
 サヨがカエルのぬいぐるみに命令し、カエルのぬいぐるみがサヨの命令通りに動く。
 「K」は特殊能力を持っており、ぬいぐるみなどの物を動かせる能力があるらしい。
 しかし、このカエルのぬいぐるみが動いても、少年の攻撃を防ぐのは難しそうだった。
 今回はなんとか弾いたが、攻撃が早いため、サヨはまた体勢が崩れてしまった。
 「……強すぎる……」
 サヨは半泣きで結界を張り続け、刀で少年の拳、蹴りを防いでいく。
 「ごぼうちゃんっ! 弾け!」
 サヨは再びカエルのぬいぐるみに命令し、ぬいぐるみは少年の蹴りを弾いた。しかし、弾ききれず、カエルのぬいぐるみは真っ二つになり、光の粒になり消えた。
 「ごぼうちゃんっ! うっ!」
 カエルのぬいぐるみに気を取られていたサヨは少年の拳が腹に入ってしまった。
 「いっ……」
 腹を抑えて呻いている最中、少年の蹴りが目の前を通り、刃物のような風がサヨの頬を切り裂いていった。
 「……ひっ、ヤバッ! 早く立たないとっ……」
 うずくまるサヨを表情なく蹴り飛ばす少年。
 「……いっ!」
 少年は何かを壊すかのように足を振り上げ、サヨを潰す。
 「いたいっ! やめてっ!」
 サヨが必死に言うと、少年はサヨを踏みつけるのをやめ、そのまま歩き出した。
 「敵対率四十パーセント、攻撃をやめます」
 「……何コイツ……強すぎる。行かないで! そっちにはあの二人が! 待って!」
 サヨは痛みに悶えながら、少年に手を伸ばす。
 少年はサヨが呼びかけても今度は振り返らなかった。
 「おじいちゃん……」
 サヨは目に涙を浮かべる。

 ……あの時、私のお尻を叩いたおじいちゃん……、あの後、酷く後悔していたのをあたしは知ってる。
 おじいちゃんがお菓子を取りに行って、いままで優しく抱きしめてくれていたぬくもりがなくなって、寂しくなっておじいちゃんを追った。
 お尻も痛かったけど、おじいちゃんの言っていた事で、悲しくなったの。
 「おじいちゃん、サヨ、いっぱい反省したから、もう一回だっこ……」
 おじいちゃんはあたしに出すお菓子を手に持ちながら、震えていた。
 「おじいちゃん……?」
 忍なのに、後ろにいたあたしに気づかず、声をかけても何か独り言を言っているだけ。
 「早く菓子を持って行かねば、サヨを抱きしめてあげなければ……」
 おじいちゃんはあたしのお尻を叩いた方の手を見ていた。
 真っ赤に腫れた手。
 おじいちゃんも痛かったに違いない。
 「俺があの子に罰を与えたんだぞ、俺がこんなんでどうする……。あんなにサヨを泣かせたことはないんだ。かわいい笑顔で笑う子に、謝罪させ、許しを叫ばせ、悲鳴を上げさせたことを自覚しろ」
 おじいちゃんは自分に言い聞かせていた。
 その時……
 あたしは思ったの。

 ……おじいちゃん、おじいちゃんは弱いんだ。サヨは勘違いしていたよ。

 「だから……おじいちゃんを守りたいんだよっ……。大切なご先祖様なんだから……。だから……だから、行かないでよっ! 無視すんなっ!」
 サヨは動けないまま、消え行く少年の背に向かい、泣き叫んでいた。

二話

 アヤ、プラズマ、リカはうんざりしながら月子さんが呼んだ駕篭に乗っていた。
 もちろん、あの変なツルも共にいる。
 行きと同じように帰らなかったわけはエスカレーターが上りしかなかったからだ。
 しかし、バックアップ世界、陸(ろく)の世界なためツルが飛んでいるのは弐の世界である。
 ツルは生き物分の心の世界がある、弐の世界を自由に飛び回れるらしい。
 ただ、飛べるだけで目的の世界へ入る事は不可能。
 特定の心の世界には行けない。
 なので、壱(現世)の世界に戻してもらうだけである。
 「よよい! よーいよい!」
 「あー……もう」
 少しいらついているアヤはため息混じりで、駕篭についていた窓から外を眺めた。
 宇宙空間が広がっている。
 下方にネガフィルムが絡まり、誰かの世界が二次元に映っていた。
 「で、これからどうやってワダツミに会う?」
 プラズマは頭を抱えながら、アヤとリカを見た。
 「うーん……。私は一度、会ったことあるんですけど、本当に海の中にいました。溺れて死にましたし」
 リカが苦笑いをプラズマに向け、プラズマは困惑しながら、はにかんだ。
 「マジで溺死したの? あんた……」
 「ループしていた時期だったんで、すぐに生き返りましたけど、まいりましたね」
 「そりゃ、まいるよな……。かわいそうだなあ。海、怖くならなかったか? 俺、あの時知らずにあんたを泳がせちまったよ」
 プラズマが同情してきたので、リカは薄笑いを浮かべた。
 「もう、それどころではなかったですからね、あの時」
 「リカ、怖かったら、無理しないでね」
 アヤにもなぐさめられ、リカは微笑む。
 「大丈夫、ありがとう。今は皆がいるから、本当に平気。で、どうします?」
 リカはプラズマを再び仰いだ。
 「どうしよう……深海まで行けるか?」
 「大丈夫よ。今、電話するわ」
 「え……?」
 アヤは当たり前のようにスマートフォンを取りだし、ワダツミのメグに電話をかけ始めた。
 「ちょ、ちょ……電話番号知ってんのか?」
 「友達だもの、知っているわよ」
 アヤが平然と言うので、プラズマは目を見開いた。
 「すげー交友関係……」
 「あ、メグ、聞きたいことがあるの」
 テレビ電話を起動したアヤは、プラズマとリカにメグを見せる。
 「なにかな?」
 淡白なメグの声が駕籠に響いた。
 「栄次が行方不明で探しているの」
 アヤは恐る恐る尋ねる。
 「ああ、過去神はたぶん……桜花門(おうかもん)にいるかな。今、検索してみた」
 「検索……」
 プラズマは首を傾げながらつぶやいた。
 どういう仕組みかはわからないが、メグは弐を中から監視している神なため、特定の人物を検索して見つけられるデータがあるようだ。
 「この事件、けっこうまずいと思う?」
 アヤが尋ねても、メグは顔色を変えずに淡々と答えた。
 「私は観察をしているだけ。だからわからない。適切な情報を適切に必要としている者に話す。私は解決できない。協力はできるかもしれないが。弐の世界への関与、世界への関与は許可されていない」
 メグは少し困った顔をしつつ、アヤ、プラズマ、リカをそれぞれ見回す。
 「そう。わかったわ。それで、栄次がいる桜花門ってどうやっていくわけ?」
 「あそこへは、望月サヨの世界にある『刀』から飛べるはず。現代神、未来神がいれば、関係性があるため、『栄次の心の世界』に入れるはず」
 「ま、待てよ……。どういうことだよ? 桜花門ってのは『栄次の心』なのか?」
 プラズマは混乱しつつ、メグに尋ねた。
 「違う。桜花門は黄泉に一番近い場所。黄泉は魂のエネルギー成分、ソウハニウムを分解し、新しいエネルギーとして甦らせる所。後悔を持つ魂は汚いので、後悔の感情エネルギーが自然消滅するまで、黄泉には入れない。『栄次の心の世界』が黄泉に近くなっているが、彼は後悔があるので入れない。ただ、彼は肉体も入り込んでいるため、『消滅』を期待しているよう。リカの世界改変の影響で、時神がそれぞれの世界へ帰らなくても良くなった。だから、栄次と更夜とサヨに微妙なすれ違いができた」
 メグの言葉に一同はまた首を傾げる。
 「話が飛びすぎてよくわからないわ」
 アヤが代表して言うと、メグはさらに詳しく話し始めた。
 「つまり、栄次のデータが更夜との矛盾に気づき、追及を始め、栄次は『参の世界での記憶』を何度も繰り返して思い出し、彼の優しさから『繰り返し』と『消滅』の狭間をうろついていたということ。ついでに更夜のデータもおかしくなり、サヨはデータのおかしさに自ら気がついた。彼女は、栄次が更夜を斬った『刀』が、この壱の世界にあるわけがないと考えた。これは参(過去)の世界の令和に存在している、自分と更夜の記憶だと、壱……今を生きている自分達の記憶ではないと。気がついたサヨは桜花門に入った」
  メグは一通り詳しく説明すると、アヤの様子をうかがっていた。
 「複雑だわ……。なんとなくはわかったけれど」
 「だから、サヨの世界にある『刀』も記憶置換で栄次が使った刀になっている。つまり、栄次の記憶を持つ。栄次と深く関係するアヤとプラズマならば、栄次の心に直接干渉でき、栄次の心に入れるだろう」
 メグは的確な情報のみ話した。
 「んまあ、難しい事はわかんねーけど、とりあえず、更夜が住んでた、サヨの世界に行けばいいんだな。どうすりゃあいいの? ツルは特定の世界がわからないから連れてってくれないんだよ」
 プラズマがメグに尋ね、メグは軽く頷いた。
 「わかった。それだけなら、協力しよう。私は『K』だから皆を運べる」
 「おお!」
 プラズマが歓喜の声を上げるのと、横の窓が叩かれる音が同時に響いた。
 アヤがカーテンを開けると、横をメグが飛んでいた。
 メグはスマートフォンを片手に持ちながら手を振る。
 スマートフォンには驚いた顔をしているアヤが映っていた。
 「嘘、早すぎるわ」
 「急ぎかなと思ったから」
 メグは時神が戸惑う中、窓とは反対側の出入口にある簾(すだれ)をめくった。
 「行こう。そのまま降りて大丈夫。私がいるから」
 メグは時神達に出るように言った。辺りは宇宙空間である。
 一瞬ためらったが、アヤは勢い良く外へ足を踏み出した。
 「浮いてる」
 アヤを見たリカが次に飛び降りた。アヤ同様にメグの後ろを浮遊していた。
 最後にプラズマが冷や汗をかきながら飛び出し、全員がメグの後を電車のように強制でついていかされる。
 「俺達には動く権限はなさそうだ。このまま連れて行ってもらおう。ツル! もう自由にしていいぞ!」
 遠ざかるツルにプラズマは叫び、ツルは「よよい」と言いながら、反対側に飛び去っていった。

三話

 メグがどうやって進んだかが全くわからなかったが、リカがこちらに来た事件で、サヨが皆を連れていったあの感じと同じだった。
 メグはしばらく、宇宙空間を右へ左へ動き、ネガフィルムが絡まる世界の一つで止まった。
 「ここ。私は案内はできるけど、サヨとは会ったことがないから、中には入れない。サヨの心は『霊』と『サヨが招いた者』以外入れない」
 「……ここ……なの?」
 アヤは二次元に展開する絵のような世界を訝しげに見据えた。
 「うん。間違いない」
 「つ、つまり、時神の私達しか入れないってことだよね」
 「そう」
 リカの言葉にメグは淡々と答え、頷く。
 「じゃあ、さっさと行こう。メグ、ありがとな」
 「いいよ、これくらい」
 プラズマのお礼にメグは淡白に答えた。
 「ありがとう、メグ。えっと、これは……どうやって入るわけ?」
 「そのままドーン」
 困惑していたアヤの背をメグが軽く押した。
 「な、なにこれ。吸い込まれる!」
 「あー、リカの事件で、アヤはサヨの世界に入る時に意識がなかったんだったな。リカ、行くぞ。一回やったから平気だろ?」
 アヤが吸い込まれてから、プラズマはリカに目を向ける。
 「は、はい」
 「あー、月子あたりからかなり動揺してんな? 手、繋ぐか?」
 「あ、ありがとうございます! だ、大丈夫です!」
 プラズマが微笑んで手を差し伸べたが、リカは顔を赤くしながら自ら世界へ飛び込んでいった。
 「リカは恥ずかしがりやなんだよな~。メグ、じゃあな」
 プラズマは無言で手を振るメグを見つつ、リカへ続いた。
 プラズマが世界へ入るとアヤが驚いた声を上げていた。
 「いきなり、立体になったわ」
 「ああ、俺も初めての時はビビったよ。じゃあ、刀とやらを探すぞ」
 三人はかわいらしい白い花が咲いている場所を通りすぎ、日本家屋に入り込んだ。
 「部屋がいっぱいありますね」
 リカが障子扉を控えめに開けていき、刀を探す。
 静かな日本家屋はなんだか怖い。
 探しているうちに、三人はある一つの障子扉の部屋で立ち止まった。
 「なんか、異様な怖さがある部屋だな。他の部屋と変わらない感じだが、入るのをためらうような雰囲気を感じる」
 プラズマが顔をひきつらせながら少し広い畳の部屋へ入る。
 他の部屋と違うのは、家具がまるでない事か。
 「空き部屋な感じですかね……。でも、なんだろ、めっちゃ怖いんですが」
 「あー、なんかわかったぞ。ここ、子供のお仕置き部屋だ」
 プラズマが雰囲気の不気味さと、なにも家具がない部分からそう判断した。
 「お仕置き……部屋」
 「サヨが小さい時にここでお仕置きされてたんじゃねーの? だが、まだ使われている感があるな。そういやあ、サヨには年の離れた妹が……」
 「無駄話はその辺で、刀を見つけたわ」
 プラズマの会話を途中で切り、アヤは飾られてもない刀を拾い上げた。畳にそのまま置かれていたのだ。誰かが触って片付けなかったらしい。
 「サヨね。サヨがこの刀を触って自分の記憶が違う事に気がついた」
 刀が落ちていた横の柱に汚い子供の字で『さよは わるいこ。かたなを つかったから どげざに ごめんなさい、おしりひゃくたたき』と紙が貼られていた。
 幼いサヨが書いたのか。
 「あの男、マジで女の子のお尻、ぶったたいて叱っていたのかよ。女の子だぜ、俺、できないよ。泣いてる女の子見ると、かわいそうになってくる」
 「それより、刀をどうすればいいわけ?」
 アヤは重たい刀を危なげに持ちながらプラズマに渡す。
 「おお……危ないぞ、アヤ。刀を使ったから……これはお尻百叩きかな?」
 プラズマはにやけながら刀を受け取った。
 「ふざけないで! あなたね、ふざけてるのか、真面目なのかどっちなのよ……」
 「あんたらの顔が怯えてるから、少し柔らかくしてやろうかと思ったんだがなあ」
 「あ、ああ、そうだったの……。ありがとう。大丈夫よ。それより、どうすればいいのよ、この刀」
 アヤは眉間のシワを指で伸ばす。
 「鞘から出してみたらどうかな……」
 リカが恐る恐るアヤを見て言った。
 「ああ、そうね。プラズマ」
 「わかったよ。刀を抜くなんて久々だな」
 プラズマが慣れた手付きで刀を抜く。
 「なんもねぇな」
 刀を抜いてもなんともなかった。
 「……この刀から栄次の心に入れるのよね? 神力を解放してみましょう。反応するかも」
 アヤに言われ、プラズマはため息混じりに頷くと、神力を高める。
 プラズマとアヤは神力を少しだけ放出してみた。ちなみに、リカは神力の使い方がわからないため、待機している。
 神力を解放すると、刀が光って反応し、畳に五芒星の陣が広がった。
 「ついに栄次にたどり着いたか……」
 プラズマが光りに包まれながら小さくつぶやく。
 刀は時神達を飲み込んだ後、何事もなかったかのように畳に転がった。

四話

 「あ、あれ……プラズマさんとアヤは……」
 リカはなぜか部屋に取り残されていた。転がっていた刀を拾い、眺める。
 「もしかして、私……栄次さんの心に入れなかった? なんで?」
 「それは、リカちゃんが力を放出しなかったからだね」
 リカが動揺していると、後ろから声がかかった。
 「だっ、誰!」
 リカは上ずった声で叫び、振り返った。誰もいないはずの場所で声がすると不気味である。
 「こんにちは、リカちゃん」
 メガネに黒いツインテール、紺色ブレザーの学生服をきた少女……。
 「な、なんで……ここに……」
 リカは蒼白になりながら同い年くらいの少女を見据える。
 「なんでって、私はアマノミナカヌシの一部。過去神栄次周辺が変になったということで、ちょっと見にきたんだよ」
 「マナさん……」
 リカは全てを見透かしているマナに震えた。
 「ああ、言っとくけれど、リカちゃんがこちらに来て、私を無視して世界を変えたから、時神に影響がかなり出てるみたい。今回の原因も君だよ、リカちゃん。栄次と更夜、共倒れするかもね。サヨにもシステムエラーが出たみたいだし」
 「……全部私のせいなの?」
 「そうだよ」
 マナはリカを鋭く射貫いた。
 「君が世界を変えたから」
 「……それよりも……」
 リカはマナを睨み付け、気づいた事を負けじと聞く。
 「どうやって入ってきたの? マナさんはサヨの知り合いじゃないよね?」
 「あ~、リカちゃん、忘れてないかな? あなたは私の一部。あなたにはアマノミナカヌシの力がある。あなたが入れれば、もちろん私も入れるよね?」
 「……そういう……こと」
 リカは頭を抱えた。
 では、マナは何をしに来たのだろうか?
 「何しに来たか、知りたい? 私は世界を繋げたいだけ。過去神がいないなら、過去をいじれるかなって」
 マナは楽しそうに笑いながらリカを見た。
 「ダメ! 皆いなくなっちゃう! 壱と伍を繋げたら時神を私ひとりにするんでしょ! そんなの許さない」
 「あなたのデータはなかなか変わらないね」
 リカが戦闘体勢になったので、マナは不気味に笑いながら敵意がないことを伝える。
 「ふふ……戦うつもりはないの。リカちゃん、ワールドシステムに入って弐の世界の破壊システムを止めなさい」
 「……?」
 「わからないよねぇ? 弐の世界にはね、おかしなシステムを破壊して作り替えるシステムがある。栄次と更夜は『それ』に狙われている。あなたが止めなさい。元凶があなたなんだからね」
 マナは再び笑うと、ワールドシステムを開き、てきとうにリカをその中に放り込んだ。
 「まっ……」
 リカは何も抵抗できず、ワールドシステムに吸い込まれていった。 
 「さてと」
 マナは刀を鞘にしまうと、棚に置き、サヨの貼り紙を見ておかしそうに笑った。
 ……アヤが変えた『トケイ』をリカが元に戻す……。
 感情を思い出した彼とアヤがどうなるか、私は楽しみ。
 リカちゃん、色々やってくれるね。

 ……リカを壱と伍の上に立たせ、古い時神を排除できる日はいつになるかな。
 現代神が狂えば……自滅してくれるかもしれないしね。
 「あー、楽しい」
 マナが笑っていると、甲高い子供の声が響いた。
 「おじいちゃん! ただいまー! あれ?」
 「ああ……ワールドシステムめ、また余計な神を産んだか」
 マナが部屋から出ると、廊下に幼い少女が立っていた。
 「えっと……誰? お仕置き部屋から出てきた? おじいちゃんにお尻叩かれたの? 痛いよね、しばらく座れなくなるよね?」
 サヨに似た銀髪の少女は怯えながらマナを仰ぐ。
 マナは軽く笑うと、少女の頭に手を置き、すれ違いざまに一言、言った。
 「更夜はそのうち帰ってくるよ。だから待ってなさい」
 「え? えっと……おじいちゃんはでも、ルナが痛がると座椅子になってくれるよ! 本当は……優しくて……」
 少女は途中で言葉を切る。
 マナはもうすでに目の前から消えていた。
 「あれ?」
 少女はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
 
 

栄次の心1

 更夜は何度も栄次に負けた。
 栄次を殺すわけにはいかないからだ。栄次が納得するまで付き合う。
 「サヨが……サヨが泣いている……。もう戻りたい」
 更夜は血にまみれ、フラフラと歩きながら栄次に向かい刀を構えた。更夜の傷は歩く度になくなり、栄次の前に立つ頃には傷口は完全に消えていた。
 「もう一度か、何回やるんだ」
 更夜の問いに栄次は苦しそうな表情を浮かべる。
 「あの子は……復讐を望んでいない、泣いているぞ」
 更夜の呼び掛けに、栄次は答えない。
 「過去は変えられない。いい加減にわかれ、栄次」
 さらに更夜は声をかける。
 栄次はまだ更夜に刃を向けた。
 「お前があの子を苦しめている。このままだと彼女に『厄』がたまるぞ。負の感情を消さなければ、魂を消費できない。この世界に居続ける事になるんだぞ」
 更夜は一本の桜の木に視線を移した。栄次には何を見ているのかわかっていた。
 先程からそちらを見ていないのに、『そう言っているはずだ』、『こんな表情をしているはずだ』と彼女の顔が勝手に浮かぶ。
 桜の木の上にあの子がいる。
 栄次と更夜を相討ちさせようと企み、残酷な笑みを浮かべている少女が。
 「皆死んじゃえ! 私の計画通りに相討ちしてる! 憎い更夜を何度も殺してくれてる! 今度は栄次を殺してよ。あたしは二人殺さないといけないんだから」
 桜の木の枝が揺れ、忍び装束を着こんだ幼い少女が降りてきた。
 「スズ……、辛いよな。目に涙を浮かべて、憎しみを全面に出したような表情をさせられて……」
 「……」
 更夜にそう言われたスズはさらに目に涙を浮かべる。
 「栄次……、お前はスズが長い年月をかけて自ら消費した厄を増やしているんだ」
 更夜が栄次を睨み、鋭く言った。それに反応したのか栄次は頭を抱え、感情的に叫ぶ。
 「お前達はっ……そんな考えではなかったはずだ! どうして俺だけ取り残されるんだ! いつも、そうなんだ! スズは俺と更夜を恨んでいて、更夜は俺を殺そうと、今までのいらだちを俺にぶつけようとしてきたはず! それが過去だ! それがお前達だ!」
 「栄次、よく考えろ、そして思い出せ。俺達はもう、ずいぶん前に『死んでいる』んだ。『もう死んでいる』んだぞ、栄次」
 更夜に肩を掴まれ、栄次は目に涙を浮かべた。
 「……もしかしたらと」
 栄次が目を伏せ、悲しそうに涙をこぼし始める。
 「もしかしたら、自分は『戦国時代』のままで……お前達の『未来』を何かの間違いで見たのかと。故に、助けられると思ったのだ」
 「それが最初か。お前は自分の心で、『もうすでに死んでいる』俺達を巻き込んでループしていただけだ」
 更夜は栄次の肩を掴んだまま、まっすぐ栄次を見据える。
 「……ああ。もうとっくに気づいていた。俺はいつも取り残される。もう疲れていたのかもしれぬ」
 栄次は涙を流しながら肩を震わせた。
 「お前の心の真髄は、もう限界だったんだな。俺も神になってわかったさ。お前の気持ちがな」
 更夜は栄次の肩から手をそっと離した。
 「更夜……お前が神になったのは、『俺のせい』なんだろう?」
 栄次は袖で涙を拭いながら、更夜に尋ねた。
 「ああ、お前のせいさ。お前が唯一斬り殺した人間が俺だ。世界に矛盾ができてしまい、俺は神になった。この世界は、参(過去)の世界だけじゃない。壱(現代)、肆(未来)、陸(バックアップ世界)がある。俺は参でお前に殺されたんだが、他の世界ではお前に殺されていない。だから、世界が矛盾をなくそうと、俺を時神にした。神が決闘で人間を殺すと面倒なことになるんだ。お前は人間を殺してはいけないはずだ。なぜなら、お前は過去を守るだけの神だから」
 「……その通りだ」
 更夜の言葉に栄次はうなだれた。
 「スズもそうだ。お前がこのループを起こしたから、彼女も人間の霊ではなくなってしまうかもしれない」
 更夜はうつむいているスズを横目で見る。栄次はスズの本当に悲しそうな顔を見て、心をえぐられた。
 「……すまぬ。……ああ、もう消えてしまいたい」
 栄次は心の真髄でずっとこの言葉を叫んでいた。心を隠し、嘘の心を上部の世界に置いた。
 強く戦う自分の姿で弱い自分をずっと隠していたのである。
 「……何をしていたんだろうな、俺は……」
 自嘲気味に笑った栄次の後ろで不思議な少年が無表情のまま浮いていた。

二話

 アヤとプラズマは桜が咲く、青空がきれいな世界に立っていた。
 地面に刀が転がっている。
 どうやら、この刀から二人は出てきたらしい。
 「ここが栄次の?」
 「待て! リカがいねぇ!」
 アヤが辺りを見回し、プラズマがリカがいないことに気がついた。
 「リカ? まさか、一緒に来れなかったの?」
 「そういやあ、リカ、神力を出してなかったな。サヨの世界に取り残されたか」
 アヤが不安そうにプラズマを仰いだ。プラズマはアヤの肩を軽く叩き、続ける。
 「もう戻れないし、サヨの世界にいるんなら安全だろ……たぶん」
 「……心配だわ」
 アヤが目を伏せた時、近くで呻き声が聞こえた。
 「アヤと……おにーさん……」
 すすり泣く声が地面から聞こえ、アヤとプラズマは声のする方を向いた。地面を這いずるようにこちらに来ていたのは銀髪の少女、サヨだった。身体中傷だらけで痛みに顔をしかめている。
 「サヨ!」
 アヤとプラズマが慌てて駆け寄り、サヨを抱き起こす。
 「ひでぇ傷だ……。動くなよ」
 「おじいちゃんがっ! 破壊の時神に……おじいちゃんがっ!」
 サヨはアヤとプラズマに泣きながら叫んでいた。
 「サヨ……そいつにやられたんだな……。未来見であんたが泣く未来ばかり見えたんだ」
 「そんなことはいい! おじいちゃんが死んじゃう! はやく! あいつを追って!」
 サヨが泣き叫び、傷の痛みでうずくまる。
 「プラズマ、サヨの神力が落ちてるわ。傷は私が巻き戻しの鎖で巻き戻すから、あなたは……」
 「そんなこと、いいんだってば!」
 アヤの言葉を遮り、サヨが狼狽したまま、再び叫ぶ。
 「……なんであんたに神力があるんだ……? あんた、神じゃないだろ……」
 プラズマが動揺した声を上げた時、サヨがしゃがんでいたプラズマの胸ぐらを掴んだ。
 「早く行けって言ってんの! おサムライさんもおじいちゃんも両方死ぬっつーの! うぐ……お腹が痛いぃ……」
 「……動くな、叫ぶな……。状況はわかった。あんたを安全な状態にしてから、追う」
 「それじゃあ遅いっ!」
 サヨが無理に立ち上がり走ろうとしたので、プラズマは乱暴にサヨを押さえつけた。
 「動くな。いいか、栄次と更夜はいまんとこ平気だ。俺は未来が見える」
 プラズマはサヨの服の下に素早く手を入れ、サヨの腹を触る。
 「やめて! 何すんの! 傷ついた女の子にやることじゃないじゃん! 変態っ!」
 「襲ってんじゃねーって! そもそも俺は女の子に酷いことする男じゃねーよ。俺の神力をわけてんだけ。一部あんたのデータが壊れてんだ。破壊の時神ってやつに触れるとデータが破損していくようだ……。てか、腹を蹴るな!」
 サヨに腹を思い切り蹴られたプラズマは涙目になりながら、サヨを落ち着かせる。
 気がつくと、サヨに時間の鎖が巻かれていた。傷は徐々になくなっていくが、サヨは動けなさそうだった。
 「後は時間の鎖があなたの傷を巻き戻してなかったことにしてくれるわ」
 「……ありがと」
 サヨは少し落ち着き、アヤとプラズマにお礼を言う。
 「じゃ、ちょっとそこにいろ。後は俺とアヤがやる」
 プラズマが走りだし、アヤもサヨを心配そうに見つつ、プラズマを追って走り出した。
 「あー……おにーさんの股、蹴らなくて良かった……」
 後ろでぼんやりつぶやいたサヨにプラズマは青い顔をしつつ、アヤを連れて桜の咲く世界をひたすらに走った。

三話

 アヤとプラズマは走った。
 「ちょっとプラズマ! 走ったら栄次の所に行けるわけ?」
 桜並木が永遠に続いている。
 「わからねぇ……。どこまでも続きそうだな。この桜の道」
 「栄次を見つけるなら……たぶん、この世界の下に行かないといけないんじゃないかしら……。わからないけれど、なんだかモヤモヤするのよ」
 アヤの発言にプラズマは眉を寄せた。
 「……モヤモヤする……?」
 「あの子の気配がする」
 「……あの子?」
 プラズマがアヤに目を向けた刹那、アヤの足元に時計の形をした陣が浮かび上がった。
 「十四年……前……」
 アヤがつぶやき、辺りに電子数字が飛び出す。
 そのまま地面が丸型にくり貫かれ、時計の陣ごとアヤとプラズマは下へ強制的に下ろされ始めた。
 「なんかわかんねーけど、下に連れていってくれるらしいな、この陣。十四年前……立花こばるとの事か? アヤ」
 「……十四年経ったのね……。もう、十四年も」
 辺りは真っ暗に変わり、やたらとまぶしい電子数字が流れていく。
 「……泣くなよ。立花こばるとは……もういない」
 「……」
 アヤは静かに涙をこぼしていた。
 「自分が殺したなんて、思うなよ」
 プラズマはアヤを優しく抱きしめる。
 「私が……」
 「違うよ」
 やがて時計の陣が消え、辺りの風景が夜桜の風景に変わった。
 桜はやたらと桃色に輝き、地面は浅い水溜まりがずっと続いていて、まるで池のようだ。
 暗いが、桜がなぜか輝いているため、明るい。
 一瞬だけ時間が止まり、プラズマとアヤの瞳に電子数字が流れた。
 「ちょ、ちょっと! なんで私を抱きしめているのよ……」
 「え? なんで泣いてるの? てか、俺がアヤを抱きしめたから泣いてるの? ん? 俺、なんでアヤを抱きしめてんの?」
 アヤとプラズマはお互い戸惑い、顔を赤くしつつ離れた。
 「知らないわよ……」
 「……す、すまん。なんかやったか? な、何にも覚えてなくて……さっきの事なのに」
 「……私もわからないの。だから、大丈夫よ、たぶん」
 「……俺、マジでなんもやってねぇよな?」
 困惑しているふたりは足元を濡らしながら、夜桜の世界を歩き始めた。
 「まず、どこだかわからないけれど、栄次を探しましょう。誰もいなそうだから、誰かいたら音が聞こえるはずよ」
 アヤは火照る頬を元に戻しながら、プラズマを仰ぐ。
 「とりあえず、なんかすごい音が響いてる方向に向かうか」
 気がつくと、すぐ近くで破裂音や風を切る音が響いていた。
 「やだ……全然気づいてなかったわ……。すごい音がしていたのに」
 「……本当に俺、何もしてないよな?」
 二人は別々に動揺しつつ、音がする方へ走った。

※※

 一方、リカは電子数字が舞うだけの何もない世界を浮いていた。
 「弐の世界の排除システムに、更夜さんと栄次さんが狙われている……。どういうことだろう? 私はどうすれば……」
 この世界は、マナが言っていた「ワールドシステム」に違いない。
 「私がワールドシステムにふたりを狙わないように言えばいいの?」
 つぶやいてみるが、誰からの返答もない。
 「神力の出し方も実はよくわからない……」
 助けを求めるようにもう一度言ってみるが、本当に誰もいない。
 「どうしたらいいの? 栄次さんも更夜さんも……危ないみたいなのに」
 リカは辺りを見回し、打開策を探す。ここには本当に何もない。
 「ふーん、けっこう困ってるね?」
 ふと、後ろから聞いたことのない男の声がした。リカは体を震わせて振り返る。
 「だっ、誰……」
 「あれ? 僕に話しかけていたわけではないのか? じゃ、いいや」
 「ちょ、ちょ! 待ってください!」
 声は後ろから聞こえたが姿がない。
 「誰ですか? 姿が見えなくて……」
 「んじゃあ、ちょいとこっちに来なよ」
 男の声は手招いているように聞こえた。
 「そ、そちらにいるんですか?」
 「うん。いるよ」
 どこか抜けている男の声に、リカは警戒しながら近づく。
 歩くというか、泳ぐ感じでなんとか声に近づくと、突然塩辛い水に飲まれた。
 「んぐぅ!」
 リカは呻き、もがく。
 突然、水の中に入ってしまったリカは水面に向かって必死に泳いだ。足はつかない。波のようなものがリカの上を通りすぎていく。
 ……やだよ! 今度は本当に死んじゃう!
 必死でもがいていると、水干袴を着た、紫色の長髪の男がリカを引き上げていた。
 そのまま、海から出て、リカを抱いたまま空に浮く。
 「へ?」
 「大丈夫だった? 死んだ?」
 「い、いや……死んでませんが……」
 リカはようやく声の主を見ることができた。
 男は端正な顔立ちで、以前会ったスサノオに良く似ていた。
 「って、ここは!」
 リカは辺りを見回してようやく、場所がわかった。夕焼けの空、全てを飲み込んでしまうかのような海、そして……海に浮かぶ小さな社。
 以前、リカがこちらに来た事件で、スサノオに襲われた世界だ。
 リカは一人、海を泳ぎ、小さな社からワールドシステムに入った。ずいぶん前の事のように感じる。
 「ん? ここは僕の社だよ? そっちじゃなくて、上」
 リカは下に見える小さな社を見たが、男は上を指差す。
 あの時は気づかなかったが、小さな社の上に大きな社が遥か上に浮いていた。
 「神社が浮いてる……。ていうか、あの……あなたは……?」
 リカは混乱した頭で、とりあえず男に名前を尋ねる。
 「ん? ああ、名乗るの忘れてた。僕はツクヨミだよ。弐の世界と黄泉と海を守ってる。ワダツミのメグの上司って感じかなあ? メグは知ってるの?」
 「わ、ワダツミのメグさんは知っていますが……つ、ツクヨミ様なんですか……! 本当に?」
 呑気な声を上げるツクヨミにリカは目を回して驚いた。
 「なに? 大丈夫? 死んだの?」
 「死んでないですってば……。えっと……弐の世界を守る役目があるんですか?」
 「うん」
 「で、では、栄次さんと更夜さんを助ける方法を教えてください!」
 リカは動揺しつつも、ツクヨミに助けを求めた。この神はスサノオのように荒々しくはなさそうだったからだ。敵なのか、味方なのかはよくわからないが、害はなさそうである。
 「ああ、あの黄泉に入りそうな危ない子達かぁ。君なら止められるんじゃない? あの子を」
 「……?」
 「あの子はね、時神現代神に役割を変えられたんだ。そうだなあ、だから、元に戻しとけば?」
 ツクヨミは軽く微笑んできた。
 リカはツクヨミの言っている意味がわからず、顔を青くする。
 「全然、なに言ってるのか、わからない」
 「だから、君があの子に感情を戻してあげなよ。十四年前から破壊システムなっちゃってる。いままで何もなかったから放置してたけど、時神二柱が突然消えるのは面倒だ。だってほら、新しい時神を作らなくちゃいけないじゃない?」
 ツクヨミは淡白にそうリカに伝えた。ツクヨミはあまり人間らしい思考を持っていないようだ。
 その辺はスサノオにやや似ている。あまり気にしないようにして、リカは重要な部分を拾う。
 「破壊システムに感情を戻せばいいんですか?」
 「うん。そしたら、元に戻るんじゃない? もしくはあの時神達はエラーじゃないと世界に伝えるか。じゃあ、ちょっとやってきて」
 ツクヨミはリカを再び小さな社に押し込み、微笑んだまま、手を振った。
 「ちょっ……ちょっと待って! どうしたら……ワールドシステムに……」
 リカの声は途中で途切れて消えた。

四話

 「なんだこいつは……」
 更夜は突然襲ってきた少年を見据えた。栄次はなぜか反撃せず、少年の暴力を受け入れている。
 「栄次! 何してるんだ!」
 更夜が叫ぶが、栄次は動かない。少年は物を壊すかのように栄次を殴り、蹴り、踏みつける。
そこに感情はない。
 一撃が重く、栄次が今にも壊れてしまいそうだ。
 地面は栄次の血で埋め尽くされ始める。
 「こいつは異常だ! 栄次、防御をしろ! 受け身を取れ! 何やってんだ! あいつは! 死ぬぞ!」
 更夜は小刀を取り出すと栄次を守るため、動き出す。
 「スズ、危ない。桜の木の上で隠れているんだ!」
 「……えいじ……」
 スズは悲しそうに血だまりに横たわる栄次を見ると、近づこうとした。
 「行くな、俺がなんとかする。お前は……休みなさい。今はな、子供が皆笑える時代になったんだ。過去は変えられないが、これからは変えられる。俺は娘や子孫を見てそう思った」
 更夜はスズにそう言うと、小刀を構え、少年に向かい走っていった。
 「……こうや、娘さんと子孫がいるんだ……」
 スズは更夜の背中を見ながら、そうつぶやき、素直に桜の木の枝に飛び上がり、避難した。
 栄次はもう意識がない。
 「なにしてんだ! 死にたいのか!」
 更夜が栄次に声をかけるが、栄次の意識は戻らない。
 力なく倒れ、体から血が流れ続けている。
 ……ああ、そうか。
 栄次は破壊システムに忠実に従っているのか。
 気持ちが壊れたんだ、栄次。
 お前は気持ちが壊れたんだ。
 データじゃない。
 お前は優しすぎる。
 ……ああ、
 この少年は、「破壊の時神」か。
 「栄次を守らねば……殺すにはもったいない男だ」
 少年は栄次を狙い、機械のように動く。更夜は間に入り、少年の気を自分に向け始めた。
 「……感情を感じられんな……」
 少年は攻撃をしてきた更夜を敵と判断し、襲いかかる。
 少年は空に浮きながら、バランスを取り、高速で更夜に打撃を繰り出した。少年の拳は鉄よりも固く、攻撃すべてが重い。神力をまとっているためか。
 とにかく速くて重いため、更夜は刀で防御はせず、勘で避けていく事にする。
 手裏剣を投げ、小刀で致命傷にならない場所を狙い攻撃しつつ、少年の鋭い攻撃を避けている更夜は、栄次と互角に戦っていた当時のままだった。
 少年は表情なく更夜を壊そうと動いているが、気がつくとその目から涙が落ちていた。
 「……お前……泣いているのか」
 「……敵対立……八十パーセント」
 「感情があるのか? じゃあ、もうやめてくれ。俺はデータを自分で直す。栄次は連れ戻すからな」
 少年は更夜の言葉を理解せず、更夜に再び襲いかかる。
 「ちっ……」
 更夜は紙一重で少年の蹴りを避け、拳を飛んでかわした。
 少年は涙を見せたものの、感情を感じられず、ロボットのように更夜を殴り、蹴る。
 更夜はトケイの攻撃をすべてとりあえず避けているが、いつまでも終わらない戦いに打開策が見つからない。
 「更夜だ!」
 ふと、遠くでプラズマの声が響いた。
 「……あちらの時神が来たようだ……。栄次、お前はまだ戻れる。過去神としての役目を果たせ」
 更夜は気を失っている栄次に声をかけた。
 「まだ、死んでないだろ? 目を覚ませ!」
 「ちょ、ちょっと栄次が……」
 血にまみれた栄次を見、アヤが震えていた。
 「未来神、現代神! 栄次はコイツにやられた。こいつは破壊システムを持つ時神だ。栄次を連れて逃げろ! こいつはしばらく俺が抑える」
 プラズマとアヤが動揺しながら栄次を抱え、なんとか少年から離した。
 「まんまだな、破壊システムに狙われてるって、栄次がこんなになってるのは予想外だったけどな……。栄次、生きているか? しっかりしろよ……」
 プラズマが栄次を揺すると、栄次がうっすらと目を開けた。
 「栄次、ちょっと待ってて……今、時間を巻き戻すから……」
 アヤが泣きながら血にまみれた栄次の手を握る。
 栄次はぼんやりとアヤとプラズマを視界に入れていた。
 ……俺は何をやっているんだろう。
 このまま消えてもいいと思っていたが……。
 アヤが泣いている……。
 悲しそうに。
 俺を見て泣いているのか。
 プラズマ……気が乱れている。
 俺を心配しているのか。
 「栄次、すぐにアヤが治すからな。死ぬなよ……。まさかお前、死に場所を探してたんじゃないよな? 俺とアヤ達を置いて死んだら許さねーからな!」
 プラズマは必死に栄次に呼び掛け、アヤは泣きながら時間を巻き戻す。
 「あんたはもう、一人じゃねーんだぞ! 勝手に死のうとすんな! 俺は最初にあんたに帰ってこいと言ったはずだ! アヤもリカもあんたを心配していたんだぜ! こんなところまで……お前を追いかけてきたんだぞ……。皆傷ついた。アヤもリカもボロボロになりながらお前を探して……」
 プラズマは栄次を乱暴に揺すりながら涙を浮かべた。
 「プラズマ……傷が酷いの。揺らしてはダメよ……」
 アヤがプラズマの手を優しく握り栄次から離す。
 「ああ……わりぃ」
 「アヤ、プラズマ……すまない。もう俺は死んでしまおうかと思っていたのだ。お前達を忘れて……」
 栄次がか細い声で目を閉じ、そう言った。
 「そんな悲しい事を言わないで……。更夜だってあなたを守ろうとしている。私達もあなたを守りにきたわ。あなたは反対に私達を守らないといけないの。リカは置いてきたけれど、リカが一番守らないといけない存在でしょう? あの子は産まれたばかりの神。私達が守らなくてどうするの」
 「……ああ」
 アヤは涙をこぼしながら栄次を手を強く握る。栄次は時神達の優しい顔を思いだし、涙を浮かべた。
 「俺は……弱いのだ。強いふりをしているだけだ。強くなりたい。お前達のように……。あの少女のように、更夜のように……」
 「栄次、あんたは弱くてもいいんだ。俺らは皆弱い。だから助け合うんだよ。誰かか欠けたら皆崩れちまう。それが、俺達だろ。だから、勝手に死ぬなよ。あんたが死んだら俺は立ち上がれないかもしれない。あんたは俺の友達で家族だから」
 嗚咽を漏らす栄次にプラズマは優しく言葉をかけた。
 「ああ……俺もだ。お前達から離れたくない……。居心地が良かったのだ。俺はひとりではなかったのだな。皆、同じ気持ちだったのか」
 「そうよ、栄次。私も時神皆で同じところに住めて幸せなの。毎日、楽しいわ。だから、戻ってきて、栄次。……良かった……。怪我が治ってる……」
 栄次が安堵の表情を浮かべた時、アヤは神力の出しすぎにより、肩で息をし始めた。
 「アヤ……ありがとう。すまない。もう大丈夫だ。俺が泣かせてしまった。もう……死のうとは思わない。帰ろう」
 栄次はゆっくり立ち上がると、異様な動きを見せる少年を見据えた。 
 「更夜を助けねば」
 「栄次、俺達もお前を助ける」
 栄次はプラズマの言葉を聞き、軽く微笑んでいた。

※※

 一方リカは電子数字の海の中にいた。
 「どうすれば……。早くしないと栄次さんと更夜さんが死んじゃうかもしれない」
 リカは必死に考えた。
 しかし、何も思い付かない。
 「ワールドシステム! 何とかしてよ! 破壊システムってやつに感情を入れて、早く止めて!」
 とりあえず叫ぶ。
 リカの言葉は電子数字になり消えていった。
 「ワールドシステム! どうしたらいいの……」
 リカはこちらに来た時の事を思い出した。リカが分かれていた時神をひとつにした事件である。
 あの時はどうやって世界を変えたのか……。
 「お願い……ふたりが死んじゃう……破壊システムってのに感情を入れないといけないんだって! 聞いてるの?」
 わからない。
 どうしていたか思い出せない。
 あの時、リカは着物のようなものになった。
 「着物になったんだ、そういえば……。プラズマさんがやっていたやつ……神力の解放……」
 神力の解放。
 リカは一度こちらに来たとき、それをやった。あの時は必死だった。
 どうやったのか……。
 手に力を込めた。
 手を横に広げた。
 流れをイメージした。
 動揺しつつも、冷静に思い出したリカは静かに目を閉じ、血の流れをイメージする。
 そして手を横に広げた。
 オレンジ色の光が辺りに舞い、何かがずっと吸い取られていくような感覚が続くと思ったら、桃色の創作な着物姿に変わっていた。
 「できたのかな……。着物に変わってるよね? できた!」
 喜ぶのもつかの間、すぐに疲れてきた。集中していないと力がなくなりそうだ。
 「プラズマさんや栄次さんのすごさがわかった気がする……」
 そんなことをつぶやきつつ、リカは命じる。
 「破壊システムに感情を! 栄次さんと更夜さんに救いを!」
 今ならできる気がした。

五話

 リカは神力を無意識に一気に放出し、栄次と更夜の救済のみ考えた。
 「破壊システムに感情を! って意味わかんないけど、そうしないと二人は助からないみたいだから、お願いっ!」
 リカはただ願う。
 「おねがっ……やば……意識が飛ぶ……」
 その後、神力を放出しきったのかそのまま意識を失った。
 体から力が抜けたリカはそのまま電子数字の海をさ迷い始める。
 意識を失ってすぐに、機械音声のように感情のない声がリカから発せられた。

 ……アマノミナカヌシが世界改変を命じる。
 「トケイ」を元に戻せ。
 十四年前に戻すのだ……。

 エラーが発生しました。
 歴史神「ナオ」が矛盾に対するコンタクトを拒否しました。
 トケイのシステムを戻します。
 その他の時神はロックがかかっており、介入できません。
 インストール完了しました。
 時神に
 「エラーが発生しました」

※※

 栄次は神力を解放し、武神の神力を引き出す。そのまま破壊システムを退けるため、走り出した。
 「栄次。怪我が治ったのか?」
 更夜が少年の蹴りを避けながら栄次に声をかける。
 「ああ、もう大丈夫だ。加勢する」
 「気持ちも回復したようだな」
 更夜は少年の拳を紙一重で避け、軽く微笑んだ。
 「ああ。ありがとう。後で、スズとお前と話したい……」
 栄次は少年のウィングを狙い、刀を振る。
 「話そう。スズと」
 少年は高速で旋回し、鋭い拳をふたりに撃ち込むが、栄次と更夜は軽く避けた。
 「とりあえず、こいつはずっと俺達を狙ってくるぞ、どうする?」
 更夜が栄次に尋ね、栄次は眉を寄せ、少年に向かい声をかける。
 「俺はもう、死にたいとは思わない。お前はなぜ、攻撃をしてくる……」
 「……」
 栄次の問いに少年は何も話さなかった。
 「あいつは感情がないらしい」
 「……そうなのか。俺は……ちゃんと感情のある彼が見える……。うっ……」
 「栄次……?」
 栄次が一瞬怯み、更夜が栄次を引っ張り少年の攻撃を避ける。
 「……見えなくなった……先が見えない。こんなこと、今まで」
 栄次がつぶやいた刹那、少年の瞳が急に優しくなった。
 「……?」
 手を止めた少年は困惑した顔で栄次と更夜を見る。
 「……僕……誰?」
 先ほどの機械的な声ではなく、しっかり感情のこもった声でか細く言葉を発していた。
 「……っ。僕……僕は……。えいじ? プラズマ……アヤ……?」
 「……え」
 少年は突然に三人の名を呼んだ。三人は動揺した表情でお互いを見る。
 「なぜ、俺達を知っている……」
 栄次の言葉を聞いた少年はとても悲しそうな顔をすると、うつむいたままウィングを動かし、去っていった。
 「アヤ……」
 少年は最後にアヤの名を呼ぶと、振り返らずに消えた。
 「な、なんだったんだ?」
 更夜も困惑した表情になり、しばらく時が止まった。
 「ま、まあ助かったじゃねぇか」
 少年がいなくなり、安堵したプラズマとアヤが栄次と更夜の元にやってきた。
 安全になったと判断したスズも桜の木から降りてきた。
 「んじゃあ……とりあえず……三人で話すか?」
 プラズマがアヤに目配せをして、アヤが頷いた。
 「そうね。待っているわ。サヨもリカも心配だから早めに。私達はここから出る方法を考える」
 「……ありがとう、アヤ、プラズマ」
 栄次は目を伏せ、目の前に立つ更夜とスズを視界に入れる。
 「スズ、更夜……すまなかった。全部俺のせいだった。俺は自分の心の醜さに気がついた。こんなことを自分の心の中で思っていたとは思わなかったのだ。心は自分ではわからぬものだな……」
 栄次の言葉に更夜は頷いた。
 「そうだ。俺達は、お前が心の内部で計画した指示通りに動いて、演じていた。俺は霊だが神だ、まだ逆らえた。ただ、スズは……」
 更夜はスズに目を向ける。
 スズは目に涙を浮かべ、震えていた。
 「何度も何度も……忘れようとしていた後悔と憎しみを思い出させられたよ。自分は何回も死んだの。更夜に殺されたの。更夜が憎くなった。殺したくなったし痛かった。苦しかった。でも、栄次は許してくれなかった」
 「……すまなかった」
 悲しそうに泣くスズを栄次は優しく抱きしめ、謝罪した。
 「私はね、栄次……。こちらに来てからずっと寂しかった。だけれど、あたたかい何かに抱かれているような場所を見つけて、そこで寝ていたら、気持ちが穏やかになっていったんだよ。私は想像が乏しくてこちらにある自分の世界を飾り付けられなかった。でも、あのあたたかい場所は、私が想像したお母様とお父様の……」
 スズはそこで言葉を切り、嗚咽を漏らし始める。
 「俺がお前をそこから連れ出し、死ぬ直前までの記憶を何回もやらせたのだな。俺は……むごいことをしてしまった。まるで拷問ではないか。身を引き裂かれそうだ。本当に……すまない」
 涙を流す栄次に抱かれながら、スズは栄次を抱きしめ返した。
 「……やっぱり、あたたかいね。ひとりで想像するぬくもりより、あたたかい。あの時、私を必死で守ろうとしてくれて、ありがとう。私はこちらの世界で成長しようとしてなかったから、魂年齢を大人にできないの。だから、子供っぽいことしか言えないし、できない……。更夜がね……」
 スズは言葉を切ると、更夜に目を向けた。
 「更夜がこの繰り返しの中で、私をすごく気遣ってくれたの。殺された後、すぐに抱きしめてくれたり、抜け出せるよう頑張るからって励ましてくれたり、頭も撫でてくれて……生前なら考えられないくらい優しくしてくれた」
 「そうだったのか」
 栄次はスズにならい、更夜を仰ぐ。
 「ああ。俺は何回もスズを殺したからな。さすがに精神をやられかけた。俺は忘れてはいけない記憶だと何度も向き合ったが、心では必死にお前に話しかけていたんだ。もうやめてくれ、スズを殺したくないとな。スズを見捨てて娘を助けた事を何度も思い出させられた。俺も世界が憎くなった。スズと共に厄を溜め込むところだったんだ」
 更夜はあの時の軽薄な雰囲気はなく、スズを本当に心配していた。
 「更夜……ありがとう。私、頑張れたよ。更夜がこんなに優しいなんて思わなかった。……じゃあ、私はそろそろ行くね。元の場所に……」
 「待て」
 スズは離れたくなくなる前に、離れようとしていた。ただの霊が神に接触して良いのかもわからなかったからだ。
 離れようとしたスズを止めたのは更夜だった。
 「更夜……?」
 「俺達と暮らさないか? お前と同じくらいの年齢の子もいるんだ。ルナって言ってな、俺のかわいい子孫なんだ。友達になれるかもしれない」
 更夜はスズの手を握り、優しい顔でそう言った。
 「……でも、神様と暮らしちゃダメなんじゃない? 私、ただの霊だよ」
 「関係ない。厄をなくすには、お前には優しさが必要だ。それに、俺はお前に会えて良かったと思っているんだ。心に引っ掛かっていた後悔がなくなるような気がしてな」
 更夜の言葉にスズはせつなそうに口を開く。
 「更夜も苦しかったんだね」
 「俺はお前の方が苦しかったと思う。お前は七歳だったんだぞ……。七歳で俺に殺された。俺達二人を殺せと言われ、親に捨てられ、脅され、鼻血が出るくらい頬を叩かれて、腕を折られて、周りから嘲笑されながら、首を落とされた。こんな残酷な記憶がそう簡単に消えるわけがない。だから、今度はお前を助けたいと思ったんだ」
 今度は更夜がスズを抱きしめた。
 「俺は俺なりにお前を守ろうとしたのだが、俺は不器用だ。お前を怒らせることしかできなかったな。心ではな、お前を引き取って、娘の……静夜の姉にしたいと思っていたんだ。まあ、俺は静夜にも恨まれる事しかできなかったんだが。……もう一度、やり直せるならやり直したい」
 更夜の言葉を聞き、スズは安堵の表情を見せる。
 「やり直す……か。そうかもね。私、更夜を恨まなくて良かった。更夜がいいなら、一緒に住みたい」
 「良かった。俺の娘になってくれるか?」
 スズは首を横に振った。
 「娘じゃないよ、更夜の妻になる」
 「……ま、まあそれでもよい。では、共に」
 更夜が手を出し、スズがそっとその手を握った。
 「更夜、スズ……良かった」
 栄次は申し訳なさを感じつつ、幸せそうに笑う二人を微笑んで見つめていた。
 「一緒に帰ろう」

六話

 「大丈夫? またワールドシステムに入ったの?」
 青いツインテールの少女、メグがぼんやりと浮いているリカに話しかけていた。
 音もない静かな電子数字世界でメグは、気を失っているリカを引っ張り、宇宙空間を出現させると、外に出た。
 「私はワールドシステムに迷い込んだ異物を出す役目もあるから。このままあの子の世界に送ってあげるね」
 メグは気を失って動かないリカに小さくそう言うと、サヨの世界へ飛んでいった。

※※

 「話は終わったか?」
 栄次の表情を見たプラズマが静かに尋ねた。
 「ああ、すまなかった。お前達に怪我はないか?」
 「いまんとこはないな。心配すんな。とりあえず、出よう」
 プラズマはアヤに目を向ける。
 「アヤ、さっきみたいに神力を解放してみようか?」
 「あの時は私達が神力の提示をしたから、栄次の心が開いたのよ。逆はわからない」
 アヤがため息混じりにプラズマに答える。
 しばらくどうするか考えていると、サヨが光に包まれ現れた。
 「サヨ!」
 「あー、迎えにきたぽよ! あたしは『K』だから皆を運べるんだけど、状況は大丈夫? 全然わかんないんですけど~」
 サヨは先程の怪我がアヤにより巻き戻り、元気に戻っていた。
 「サヨ!」
 更夜がサヨを見つけ、慌てて駆け寄る。サヨと更夜は心が繋がっているのかお互いの感情をずっと感じていた。
 「おじいちゃん! 大丈夫? ずっと苦しそうだったから」
 「ああ……お前も悲しそうだったな。無事だったか?」
 「ああ~、まあ大丈夫だったよ!」
 「無事じゃなかったぜ。あの少年にボコボコにされてて、アヤが怪我を治したんだ。時間を巻き戻してな」
 更夜にプラズマがため息をつきつつ、言った。
 「なんだと……サヨ。そんな……」
 「おじいちゃん!」
 サヨは更夜に抱きつき、泣いた。更夜はサヨを抱きしめ、頭を撫でる。
 「俺を探しに来てくれたんだな。もう痛くないか?」
 「……うん。もう平気」
 「良かった。俺も大丈夫だ。怖かっただろう。お前は戦わなくていいんだ。平和を守る『K』が戦いに入らなくても良い。お前の世界を留守にし、申し訳なかった」
 「……」
 サヨは更夜の言葉で小さく震えた。
 「サヨ?」
 「と、とりあえずっ! あたしの世界に帰ろ!」
 「……」
 プラズマとアヤは訝しげにサヨを見たが、頷いた。
 「じゃ、じゃあ……」
 サヨは手を広げ、プラズマ、アヤ、栄次をふわりと簡単に浮かせ、指で円を描いて宇宙空間を出現させた。
 「俺とスズは後ろをついていく。ほら、スズ行こう」
 「……うん」
 更夜に手を引かれ、スズは幸せそうにつぶやいた。
 サヨに連れられ、あっけなく宇宙空間へ出られた一同はサヨに強制的に連れられ、右へ左へ動く。
 あちらこちらにあるネガフィルムを確認し、いつもの弐の世界に帰ってきたのだと気づいた。
 「どうなってるのかしら……。本当に」
 アヤがつぶやくが、サヨは珍しく何も言わなかった。なんだか、いつもの雰囲気がない。
 「ね、ねぇ……」
 アヤが心配して声をかけた時、サヨが声を上げた。
 「ついた! い、行こ!」
 気がつくとサヨの世界内に来ていた。大きな日本家屋のまわりに白い花が咲いている。
 「あ……このお花……」
 スズは白い小さな花を見て立ち止まった。
 「ああ、お前の墓に置いた花だ。返事を聞いていなかったが……この花は好きか?」
 更夜は少し恥ずかしそうにスズから目を離す。
 「うん。好き! ありがとう……更夜」
 スズは頬を赤く染めると、少女らしく微笑んだ。その顔に更夜も少し赤くなる。
 「そ、そうか。お前はかわいい顔で笑うんだな」
 更夜にそう言われ、スズはさらに顔を赤くした。
 「更夜、ここに住むの?」
 「ああ、いいところだろう? サヨが想像した世界なんだ」
 更夜は引戸を開け、時神達を中に入れた。
 「リカは……待っているのかしら?」
 アヤはプラズマに小さく尋ねる。
 「一緒に来てなかったなら、ここにいるだろ……たぶん」
 プラズマも不安に思いながら家に入った。
 「おじいちゃん! お姉ちゃんもおかえり!」
 家に入るなり、幼い少女が元気に更夜とサヨを迎えた。
 「ルナ、ひとりで大丈夫だったか? 遅くなったな」
 「大丈夫! ん? こんにちは~!」
 更夜にルナと呼ばれた少女は手を腰に当て、元気に挨拶してきた。
 「こ、こんにちは~……元気だな」
 プラズマは苦笑いでルナに手を振る。
 「あー! おともだちー! 一緒に遊ぼ!」
 ルナはすぐにスズを見つけ、手を取った。
 「え……えっと……」
 「すまん、ルナはいつもこんな感じなんだ。一緒に遊んでくれるか? ルナとなら先程の暗い気分もほぐれるかもしれない」
 更夜の言葉にスズは少し嬉しそうにルナを見た。
 「お友達……初めて。一緒に遊びたい」
 スズは更夜を嬉しそうに見上げた。
 「ああ、行っておいで」
 更夜は優しくスズの頭を撫でると、スズの背を押す。
 スズはルナと手を繋ぎ、昔からの友達のように楽しそうに子供部屋へと消えていった。
 「……ルナに友達ができた。良かった。あの子はサヨと俺以外遊ぶ相手がいなかったんだ」
 「そうなの? 壱(現世)で生活しているんじゃないの?」
 アヤの疑問に更夜は首を横に振った。
 「あの子はな……。産まれた時から現世の人間の目に映らない。サヨは『K』だからか人間の目に映った。ルナは……元水子だ。だが、霊ではないんだ。まあ、その話は今度する。今は……ほら、もうひとりの時神がここにいるのでは? 出てこないが……」
 「そうだ! リカ!」
 「リカ、帰ったわよ……。いないの?」
 更夜の言葉で慌てた二人はリカを呼んだ。
 返事がない。
 「いないわけないわよね……」
 「いるはずだが。上がるぞ」
 心配になった二人はあの「お仕置き部屋」に入る。
 「リカ!」
 アヤとプラズマは部屋で倒れているリカを見つけた。
 「リカ?」
 「寝てるみたいだな……」
 リカの寝息を聞き、プラズマとアヤは胸を撫で下ろした。
 「変な事ばかり起こるから、リカもどっか飛ばされたかと思ったわ」
 「ああ、寝てて良かった。このまま寝かせとくか」
 「待て……リカは……」
 後から追い付いてきた栄次が何か過去を見ており、プラズマとアヤは栄次を見据えたまま、固まる。
 「リカはメガネの少女にどこかに連れていかれている。そこからは見えない。次はワダツミに抱えられ、こちらに戻ってきた」
 「なんかしていたってことか」
 プラズマが答え、栄次は頷いた。
 「とりあえず、リカが起きるのを待ちましょう」
 「だな」

七話

 三人が座ろうとした時、更夜が入ってきた。
 「ああ、ここはお仕置き部屋だ。ここではなく、別の場所でリカを寝かせろ。布団を敷いてくる」
 「まっ……待っておじい……ちゃん」
 更夜が布団を出しに部屋から出た刹那、サヨが怯えた顔で更夜を呼んだ。
 「なんだ? どこか痛むか?」
 「それはもう大丈夫」
 「……どうした?」
 更夜はサヨが自分と目を合わせないので不思議に思い、部屋に戻ってきた。
 アヤ、プラズマ、栄次は不思議そうに二人を見ている。
 「あの……更夜さま」
 サヨは言いにくそうに下を向いた。
 「お前が俺をそう呼ぶ時は、昔から何かをした時だな」
 「……あの」
 サヨは震えながら涙をこぼす。
 「……」
 更夜は何も言わず、サヨから話すのを待った。
 「あたし……あたしね。ごめんなさいっ! あたし……更夜様との約束を破って刀を……使いました」
 「サヨ……座りなさい」
 更夜はサヨを落ち着かせ、時神達の前に座らせる。
 「刀を使ったのか」
 「はい」
 サヨはうつむきながら、震えていた。
 「体に不調はないか?」
 「ありません」
 「相手を傷つけたのか?」
 「……いいえ。しかし、たまたま傷つかなかっただけです」
 サヨの言葉を聞き、更夜は安堵し、ため息をついた。
 「俺はお前が五歳の時に、厳しく叱ったはずだ」
 「はい」
 サヨは久々に更夜の気にさらされ、肩を跳ね上げながら更夜の言葉一つ一つに怯えている。
 横に飾られていた刀を見たサヨはさらに小さくなった。
 「手を出せ」
 「はい」
 サヨは素直に手を出す。
 更夜はサヨの手の甲を思い切り叩いた。
 「いっ……」
 「俺が五歳のお前にあれだけ厳しくした理由がわからないのか」
 「ごめんなさいっ……ひっ!」
 更夜はもう一度、サヨの手を叩いた。鋭い破裂音が部屋に響く。
 「こ、更夜……」
 戸惑った時神達が更夜を見つめていた。
 「お前は『K』だ。武器を使えば消滅するんだぞ。俺は使うなと言ったはずだ」
 「ごめんなさいっ……いっ!」
 更夜はサヨの手を叩く。
 「『K』は戦いに入ってはいけないんだ。理由はどうあれ、約束を破るとは」
 「ごめんなさいっ……あうっ!」
 サヨは叩かれている手を見つめ、震えながら泣いている。
 「これは絶対に破ってはいけない約束だった。お前もわかっているはずだ」
 「ごめんなさいっ! ううっ!」
 更夜はサヨの手を叩き続ける。
 更夜の厳しさを見て、サヨがどうしつけられて来たのかを時神達は深く知った。
 サヨの手は更夜により赤く染まる。
 「ごめんなさいっ! もう二度としませんっ! 二度としませんから」
 サヨは更夜に頭を下げ、謝罪を繰り返した。
 「……お前が消えたら、俺は立ち上がれない……。あのループに入り込んだ時も……お前の元に帰る事を考え自分を保っていたんだ」
 「更夜さま……ごめんなさい」
 「更夜……もう仕置きは良いだろう。見ていられん。かわいそうだ。彼女はそうしなければ、もっと酷い怪我をしていた。言い訳をしない、良い子ではないか。彼女は防御しかしていないぞ。お前との約束を守っている」
 栄次が更夜を止め、目にわずかに涙を浮かべた更夜はサヨを抱きしめた。
 「もう危ないことはするな……。お前は普通の人間ではないんだ。……頼む」
 「……わかってる。許してくださいってあたしは言わないから。昔みたいにお尻叩かれるかと思ったんだけど……」
 サヨは叩かれた手をさすりながら、更夜を見上げた。
 「バカを言うな。お前は十七だろう。立派に女でガキじゃあない。辱しめるわけにはいかないからな。それから、お前は『K』なんだ。自覚をしろ」
 「それに関してなんだが……」
 プラズマが言いにくそうに更夜に話しかけた。
 「なんだ?」
 「サヨに神力があるのはなぜだ? 『K』は神じゃないだろ?」
 プラズマの言葉に更夜は眉を寄せる。
 「ああ、やはり……そんな気はした。まだ、神力が安定していないようだな。今後、歴史神『ナオ』にデータの検索をしてもらおう。それと……」
 更夜はちらりとリカを見た。
 「……俺達のデータがやや変わったようだ。俺は弐の世界から出られるようになった。なぜかはわからんがな」
 「確かに俺達もこの世界に来れるようになったようだぜ」
 更夜にプラズマがそう答えた。
 今回の事件で時神達の何かがまた、変わったようだ。
 「……更夜」
 話が一段落した辺りで栄次が更夜を呼ぶ。
 「なんだ?」
 更夜はサヨを優しく撫でながら栄次に目を向ける。
 「俺を救ってくれてありがとう。それと、スズも救ってくれたな。申し訳なかった」
 「俺もスズは心残りだった。俺はな、人をたくさん殺しているから魂がきれいに戻らず、この世界に居続けていたのだ。人を殺したことに後悔があり、厄を溜め込んでいた。時神になったのも、罰なのかもな。人間の恨みが、逃げるなと俺に言っているのかもしれない。サヨやルナを育てたのも娘に対する罪悪感を二人で埋めていただけなのかもしれない」
 更夜はサヨを抱きしめる力を強めた。
 「おじいちゃん……そんなこと言わないで。あたし達はね、おじいちゃんに感謝してる。だから、助けに行ったの。あんな強い男の子に襲われるとは思ってなかったけど」
 「よく無事だったな……。あいつは異常だった」
 更夜はサヨの頭を撫で、サヨの赤くなった手を優しくさする。
 栄次が他に言葉をかけようとした刹那、元気な少女の声が響いた。
 「あー! おじいちゃん! お仕置き部屋でなにしてんの? おねーちゃん抱きしめてる!」
 「お仕置き……部屋!?」
  ルナとスズがこちらを覗いていた。
 「そうなんだよー、スズもお尻ぺんぺんだよ! 悪い子だとここで椅子に座れなくさせられる~」
 「それはいやー!」
 「はあ……ルナ。大袈裟に言うのはやめなさい……。言っておくが、ルナはイタズラばかりするんだ。だが、サヨにしたみたいな厳しいのは一度しかしていない」
 更夜は栄次に小さくつぶやいた。
 「ああ、そのようだな。過去を見ると、お前は幸せそうだ。これからも様子を見に来る」
 「ああ、遊びに来い。皆喜ぶ」
 栄次と更夜は拳を軽く突き合わせ、軽く笑った。
 「栄次と更夜っていい友達なんだな、アヤ」
 プラズマがアヤにそうささやき、アヤもにこやかに頷いた。
 「そのようね。今回で栄次にあった後悔もなくなったみたいだし、皆無事でよかったわ。……リカは平気かしら」
 「ん……」
 アヤがリカに視線を移した時、リカが目を覚ました。

エピローグ

 リカは目を覚まし、ゆっくり起き上がった。ぼんやりしていて、今まで何をしたのかよく思い出せない。
 「リカ! 大丈夫?」
 アヤがすぐに駆け寄り、リカの背をさする。
 「あ、アヤ……皆も」
 栄次とプラズマも近づいて来て、リカを心配していた。
 「大丈夫か? 何かあったのだろう?」
 「怪我はしてねぇようだな」
 栄次とプラズマに声をかけられたリカは何をしていたのか必死に思い出す。
 「ああ……えっと……ワールドシステム内で栄次さんと更夜さんを助けるのと、『破壊システムに感情を入れる』っていうのを願ってて……後はよく覚えてません。あ、あと、ツクヨミ様にお会いしました」
 「……なんでリカが来てからいないはずの神が出てくるんだ? 前回はスサノオがいたな」
 リカの言葉にプラズマが頭を抱える。
 「破壊システムに感情を入れる……。さっきの少年に突然感情が出たのはリカの力が原因なのかしら」
 アヤがリカに尋ねるが、リカは首を傾げた。
 「わからない。私はマナさんに……」
 「また、そのマナって子か」
 「で、ですが、私は栄次さんと更夜さんを助けたくて……」
 プラズマの視線が厳しくなったので、リカは慌てて答えた。
 「まあ、とりあえずリカが無事で良かったわ。体調は? 大丈夫なの?」
 「体調は大丈夫」
 アヤがリカを心配していたので、リカは大丈夫なことをはっきりと伝えた。
 「結果的にあの少年がいなくなった故、俺達は助かった。あの少年については今後、調べていこう。リカ、ありがとう」
 「……あ、そんな大した事は……」
 栄次から感謝をされ、リカは小さな声を出しつつ、下を向いた。
 「リカの謎についても聞きたいところだな。ルナ、俺の頬を引っ張るな!」
 更夜はため息をつきつつ、頬を引っ張るルナを叱っていた。
 「おじいちゃんのほっぺ、めっちゃ伸びる! おもしろ~い!」
 「え、本当? やってみてもいい?」
 スズは目を輝かせてルナに尋ねた。
 「いーよ!」
 「ルナ! 勝手に返事をするな!」
 更夜はルナを叱るが、ルナは関係なしに更夜をいじる。
 「あー、あたしもちょっとやってもいいー? なんでそんなに皮が伸びるの? おもしろいんですけどー」
 サヨまで更夜の頬を伸ばし始め、更夜はうんざりした顔をした。
 「やめろ! ダメだ!」
 更夜を見つつ、リカは首を傾げた。
 「な、なんか知らない内に賑やかになりましたね?」
 「それは後で話す」
 戸惑うリカにそう答え、栄次は更夜とスズを見て微笑んだ。
 「栄次が笑ってる」
 プラズマが驚き、アヤが目を見開く。
 「珍しいわね。めったに笑わないのに。笑うとかわいいわね、栄次」
 「それは栄次に言わない方がいいな。顔真っ赤にしていつもの顔に戻っちまう」
 アヤとプラズマは安堵した顔で足を崩し座った。
 「良いこと考えた~! 皆いるし~、おじいちゃんのご飯食べてってよ! すごいおいしいよ~! おじいちゃん、ご馳走よろ!」
 サヨが陽気に更夜の肩を優しく叩く。
 「お前はいつも勝手に……疲れているんだが……」
 「やったー! 皆でごはん!」
 ルナが喜び、スズが戸惑う。
 「え……皆でごはん? そんなことしたことないんだけど」
 「皆で食事か、良いな」
 栄次が更夜に微笑み、更夜は頭を抱えた。
 「わかった。栄次、手伝え」
 更夜はルナを横にずらし、立ち上がる。
 「ごはん作るんでしょう? 手伝うわ」
 アヤが安堵の表情を浮かべた時、サヨがアヤの肩を抱いていた。
 「ニヒヒ、おじいちゃんは料理人みたいに料理が上手! 食べてみて! すんげぇうまいから」
 「ふふ、あなた、更夜が本当に好きなのね」
 「うん、大好きなおじいちゃん」
 サヨもようやく元の元気を取り戻し、いたずらっ子のように笑った。
 「んじゃあ、俺はお子ちゃまと遊んでるぜ!」
 プラズマがルナとおいかけっこを始め、リカは動揺しながら、あちらこちらを見回している。
 「え……えーと……」
 「リカも手伝う?」
 アヤに尋ねられ、リカは戸惑うのをやめ、元気に頷いた。
 「うん!」
 「それと、栄次」
 アヤが栄次に目を向け、プラズマ、リカも栄次を見る。
 「おかえり」
 時神達は皆、優しい顔で栄次を見ていた。
 栄次は目に涙を浮かべると、
 「すまない、ただいま戻った」
 と清々しい気分で涙をぬぐい、微笑んだ。

 栄次は気がつく。
 弱い自分を出しても良い事に。
 強くなくても良い事に。
 そして、栄次は帰る場所があることを知った。
 居心地の良い、仲間達がいる場所。
 同時に栄次は誓うのである。
 この大切な場所を守らねばならない、過去のものにしてはならないと。

(2021年完)TOKIの世界譚②栄次編

(2021年完)TOKIの世界譚②栄次編

SF和風ファンタジー日本神話! キャラクターや世界観をよくほめられる! 時代小説好きが書いてます。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-08

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. 月夜1
  2. 二話
  3. 三話
  4. 四話
  5. 五話
  6. 竜宮1
  7. 竜宮2
  8. 竜宮3
  9. 竜宮4
  10. 竜宮5
  11. 竜宮6
  12. 竜宮7
  13. 竜宮8
  14. 竜宮9
  15. 竜宮10
  16. 栄次はどこに?1
  17. 二話
  18. 三話
  19. 四話
  20. 五話
  21. 六話
  22. 七話
  23. 八話
  24. 栄次を探せ!
  25. 二話
  26. 三話
  27. 四話
  28. 五話
  29. 六話
  30. 栄次と更夜1
  31. 二話
  32. 三話
  33. 四話
  34. 弐の世界の真髄へ1
  35. 二話
  36. 三話
  37. 四話
  38. 栄次の心1
  39. 二話
  40. 三話
  41. 四話
  42. 五話
  43. 六話
  44. 七話
  45. エピローグ