騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第七章 悪の集結
第十話の七章です。
悪党側とロイドくんたちの物語の合流、戦いの前のプロローグです。
第七章 悪の集結
とある場所に建っている豪邸。周囲に住む人々はどこかの偉い貴族様が住んでいるのだと思っており、実際そこの主は貴族のような恰好で街を歩いていたりするのだが、その人物が裏の世界で何と呼ばれているかは誰も知らない。情報を操作し、かつ認識を曖昧にする魔法によって街中に堂々たる住まいを得ているその人物は今、計五十名ほどの男女が並び立つ広い部屋で一人一人の身だしなみを整えていた。
ただし、ここで言う身だしなみは服装の事ではない。その男女らは全員が裸であり、その人物は爪や髪などを整えているのだ。
「ひひ、ひひひ! こりゃまたとんでもない光景だな! 美男美女が素っ裸で並んでやがる! 食い放題ってやつだぜ、ロンブロ!」
「けけ、けけけ! おいおい姉貴、こんなそろいもそろって無表情でタッテんじゃタツもんはタタねぇぜ?」
うまいことを言ったというようなドヤ顔になったロンブロを見てチェレーザが吹き出し、下品に笑い合う。そんな二人を意に介さず、その人物――テリオンは黙々と男女の身体を整えていった。
「ひひ、ひひひ、しかしマジでやんのか? たまたま話しかけた相手が大当たりだったってのはラッキーだがそれが絶対正解ってわけでもねぇんだろ? お前だって言ってたじゃねーか、何百人もいる生徒の中でたまたま話しかけた一人が当たりなんてあり得ないってよ。あのフェルブランドのあのラパンのあのセイリオスに仕掛けるなんざ自殺行為だぞ? いーじゃねーか、冬休みなんだろ? 田舎に帰ったところをかっさらってお得意の調教で情報引き出しゃぁよ。」
「珍しい――というほどの付き合いはないが、お前が慎重さを語るとは驚きだな。」
美容師のような慣れた手つきで無表情に立つ男の髪形を整えていたテリオンがその手を止めてチェレーザの事を興味深そうに眺めた。
「バカ言え、だからアタシもロンブロもあそこじゃ別の身体で歩いてたんだろうが。いくら『ケダモノ』っつっても騎士のお膝下でどんちゃんするほど野良の脳みそつんでねぇよ。」
「なるほど、では説明すれば理解できるだろう。急がなければならない理由が二つある。」
「あん?」
「一つ目は『イェドの双子』。お前たちが私たちを集めてから今日までの短期間でアシキリとキシドロは死んだ。私のもとへやってくるのはそう遠くなく、戦闘になれば勝ち目はない。その時点で私たちの手元に『世界の悪』との交渉材料が無ければそこで終わりだ。」
「そりゃそーだが、にしたってなんでいきなりセイリオスに突撃すんだよ。」
「そこで二つ目、さっきお前が言った田舎云々の件。あの男子生徒にはセイリオスに入る以前の記録がほとんどなく、《オウガスト》の弟子として各地を旅していたという事しかわからなかった。ここから推測するに男子生徒の故郷は何らかの理由で既に無く、《オウガスト》が拾って育てたという可能性が高い。ならば休みの間はどうする? 《オウガスト》の家に行くか、妹がいる国王軍の上級騎士の寮に行くか……どちらにせよ、戦闘のプロがいる場所だ。対して今のセイリオスにはあの学院長がおらず、厄介な存在と言えば『雷槍』と『自己蘇生』……セイリオスにいてくれている現状がチャンスなのだ。無論、鉄壁である学院の外で仕掛ける事が必須になってくるが。」
「十二騎士か指導教官かの二択ってか。どこで襲おうが結局そいつらは出てくるんだろうが、鉢合わせるタイミングを遅くはできるってことかよ。」
「そう、比較的マシという程度の話だが、より良い方を選ぶなら今になる。幸い、男子生徒はまだセイリオスにいるようで――」
「んで、本当の理由はなんなんだ?」
淡々と説明していたテリオンに、チェレーザはニヤリと凶悪な笑みを向けた。
「……何だと?」
「ひひ、ひひひ! おいおいテリオン、アタシは金儲け大好きタイプじゃなくて欲望に忠実タイプの悪人なんだぜ? わかるんだよ、今の丁寧な説明の裏からにじみ出るお前の欲望が。偽善者があれこれ理由つけて自分を正当化する時の口調だったぜ?」
「……」
「ひひ、ひひひ! ぶっちゃけ何をいきなり死に急いでんのかと思ったが、そーゆー類の理由なら仕方がねぇよな! 言ってみろよテリオン! アタシはそっちの方が納得できるんだからよ!」
悪党が同じ悪党である自分の本心を見抜く。何もかもわかっているような顔でにやつくチェレーザと、会話に混ざらず女の物色をしているロンブロを交互に眺め、テリオンはため息をついた。
「……もはや……そう、あの男子生徒に出会った今となっては、私は『世界の悪』の行動に危機感……いや、関心がない。S級狩りからのA級狩りを危惧し、できることなら対策をとは確かに考えていた。だがそれよりも――そんな事よりも優先するモノができた。騎士に捕まるだの双子に殺されるだのというリスクはどうでもいい。今すぐに、彼の事を知りたいのだ。」
「ひひ、ひひひ! 偶然しゃべったガキにご執心とは、お前はそっちの趣味だったって事か?」
「……チェレーザ、お前は言っていたな。『イェドの双子』は自分たちと種類が違う。プリオルは完全にイカれていると。」
「ああ? 言ったか、んなこと。」
「しかし私には理解できる。プリオルがたかだか剣の為にあらゆることをなしてしまうその点が。プリオルにとっての剣が、私にとっては人なのだ。」
テリオンは髪形を整えていた男――たくましい肉体と美しい顔を持つその男のあごに手をそえ、まるで鑑定士が素晴らしい骨とう品を手にしたかのような表情で男の顔を見つめる。
「この世にこれほど多種多様で美醜を合わせ持つ存在があるだろうか。遺伝子、育った環境、天からの贈り物……無限の組み合わせによって構成されるこの一品を集めたいと思う事はそれほど奇妙な事ではないだろう。その過程で手に入りはしたが私の趣味ではないモノをそれが好みだという者に代金と引き換えに譲り渡し、それを資金に更なるコレクションを探す……プリオルの場合は殺戮になっている手段が、私の場合は商売になっているだけだ。」
そう言って男の隣の女の髪に指を入れるテリオンに、チェレーザは自分の身体にゾワリとした悪寒が走るのを感じた。
「ひひ、ひひひ、このアタシが……残念だぜテリオン。たぶんお前、もう少ししたらS級の仲間入りしてたぞ。」
「けけ、けけけ! こいつらが出てったら街中が乱交パーティーみてぇになって面白そうだ! 学院に入るってんなら、残ってる生徒の一人や二人、食っちまってもいいよなぁ!」
目の前の男に背筋を震わせたチェレーザに対し、並んでいる女を上から下まで眺めながら歩いていたロンブロがそう言うと、テリオンは――チェレーザが震えを感じた雰囲気をスゥッと消して眉をひそめた。
「まさかと思うが、裸のまま出すとでも?」
「? だって裸じゃねぇか。」
「それは内側の手入れをする為だ。服はこれから着せる。」
あきれながらテリオンがリモコンのようなモノを壁に向けてスイッチを押す。すると出入口のある壁を除く三方が扉のように開き、中から大量の服が現れた。男物に女物、下着を含めた全身を覆う多様な衣服が倉庫のように天井から床までギッシリと保管されている。
「衣服がその者の品位を示すように、所有物もまたその者を高め、貶める。手にした奴隷に布切れを着せて首輪を繋ぐ事を悪い事とは言わない。好きにすればいい。だがそれをそのまま外に出すのであれば持ち主の程度は低いと言わざるを得ない。奴隷は物であり、持ち主の品位を示す要素の一つ。他人の目に触れるというのなら、正装で然るべきだ。」
「けけ、けけけ! 『奴隷公』の矜持はわかんねぇな! 下着くらいはスケスケにしてもいいんじゃねぇか!?」
「そういう目的ならそれでもいいだろう。だがこれらは私の一番のコレクション……磨き抜き、洗練した美しき矛と盾。下着も相応しいモノを身に着けさせる。」
そう言うと、テリオンは再び裸の男女らの手入れを始めた。
「けけ、けけけ、こんなに面白い奴だったとは思わなかったぜ。んで姉貴、オレらはどーすんだ? テリオンが派手に暴れるんなら割と動きやすくなんだろ、オレら。」
「ひひ、ひひひ、さっきのお前の案を採用だな。テリオンの調べだとそのガキは『ビックリ箱騎士団』ってのの仲間と一緒に行動してる。学院の中を物色しつつ、アタシらはそっちを見てみようぜ。」
「んだその名前! つーかあのテリオンに大当たりくせぇ奴を任せていーのか? 『世界の悪』をどうこうできる鍵を壊しちまわねぇか、あれ。」
「ひひ、ひひひ、それはねぇよ。むしろこの上なく丁寧に扱うだろうぜ。それになんだかんだ、そいつが当たりってんならそれがどういう事なのか――どういう意味なのかを見抜くにはそこの変態が必要だ。」
「けけ、けけけ、ガキのお仲間相手か。ちょいガキ過ぎてオレの好みじゃねぇんだが、たまにはいいか。女もいんだろ? そのなんちゃら騎士団。」
「将来有望な粒選りだぜ? さすが《オウガスト》の弟子ってな。騎士の名家から王族まで選り取り見取り。」
「けけ、けけけ! 王族相手はやったことねぇな! 高貴な味わいってのがすんのかね!」
再度部屋に響く二人の下品な笑い声。そんな、男が裸の男女らの身だしなみを一人一人整え、異形の男女がゲラゲラと笑う光景の真上、その場の誰も気づいていないのだが――その部屋の天井近くを雲のようなモノが漂っていた。
「これはよくありませんね。」
フェルブランド王国の首都、ラパンの遥か上空。周囲には青空しかないような雲の上。いるとすれば大空を飛び回る鳥くらいだろう場所に、あろうことか人影があった。
腰まで伸びた黒い髪。左脚の方にスリットが入っているふんわりとした黒いドレスに黒いヒール。黒い基調故にドレスの赤い模様や赤いネックレス、そして黄色い左目が目立つその女性は、黒い傘をさして雲の上に立っていた。
『ご覧になられた通り、ロイド様に接触してきた男は人身売買を生業としている者で、その者がロイド様と話をした後に合流した二人は外道下劣を絵に描いたような者たちです。』
真っ白な雲の上に一人ポツンと立っている女性の周りに、どこから発せられているのか他の誰かの声が響く。
「ロイド様が騎士を目指す以上、その成長の機会を奪うような事はしたくありませんが……特にこの二人は目に余る。ロイド様に悪影響を及ぼし、お心を乱してしまうかもしれません。場合によってはあなたに処理を頼む事になりますが……」
『お任せ下さい。』
「こっそりとお願いしますね。それとあの城の下にあるモノは変わりありませんか? 小石程度の欠けでどうこうなるとも思えませんが。」
『変化はありません。件の時間魔法の使い手が展開させたという時間の壁も破られていませんので、この国の者は依然としてそこにアレがあるという事を知らないままです。』
「ずっと知らないままでいいのですけどね。他に何か、地下のアレ以外にも気づいた事はありますか?」
『気づいた――という事ではないのですが……その、自分の現状に驚いています。まさか全身に太陽の光を浴びる日が来ようとは……』
驚きに喜びの混じった声色を聞き、黒い傘の女性は嬉しそうにほほ笑み、そして少し申し訳なさそうな顔になる。
「経緯から見れば偶然ですがこれは運命的必然……吸血鬼であるにも関わらず太陽の光の下で数時間の活動が可能なワタクシの血液と、人間たちの間で最強の武器とされるベルナークシリーズの材料となる金属。加工方法を研究する過程で判明した特性により、双方を魔術的に配合する事で出来上がる魔法物質……結果的にバクさんで実験を行う事になってしまいました。」
『そんな! 魔人族の未来の礎となるのですから、光栄な事です! それに……ローブを羽織るでも夜の魔法をまとうでもなく、素の状態で太陽の光を浴びる事ができる……この経験だけでも自分は……』
「わかります。ですが喜びに制限を忘れないようにしてくださいね。確かバクさんの場合は一つで三、四時間ほどだったはずですから。」
『心得ています。しかし不思議ですね……自分のようなタイプの魔人族にのみ効果があるというのは……』
「未だ研究の途中ですが、バクさんの霧やフルトの水のようにより自然に近い身体を持つ方だけという点には理由があるはず。ワタクシに太陽の光を与えたのもあの金属にめぐり合わせてくれたのもロイド様――その愛、必ずや形にして全ての魔人族へ……!」
「『サイクロン』っ!」
各グループに分かれて行われた学院の案内。部室での模擬戦の後、いくつかの場所をまわって体育館に戻ってきたら……なんか物凄い竜巻が発生していた。そして――
「かるいかるい! 俺にはそよ風だぜ!」
その暴風の中を悠々と歩いているのはアレク。竜巻を起こしたのだろう人の方へスタスタと、バトルアックスを振りかぶりながら近づいていく。
我ら『ビックリ箱騎士団』には特殊な体質のメンバーが多い。エリルのように魔法負荷に対する耐性が普通よりも強い人というのはそこそこいるモノらしいが、常人を遥かに超えた視力を持つティアナのペリドットや、マナから変換したらすぐに使わないと空気にとけて消えてしまう魔力をためて置けるアンジュのフロレンティンのような魔眼――いわゆる魔眼使いとか魔眼持ちと呼ばれる人はそれほど多くいない珍しい体質だろう。
オレの……ミラちゃんからもらった――のかどうかはまだ思い出せていないが、ヴラディスラウス家にだけ発現する魔眼ユリオプスは例外中の例外として……そんな魔眼の使い手よりも更に珍しい体質を持っているのが……今バトルアックスを振り下ろして地面を砕き、その衝撃で竜巻を操っていた人を吹っ飛ばしたアレクだ。
相手の特殊な体質などを含む諸々の能力を見抜き、それを引き上げる事ができる女子寮の寮長――オレガノさんによって判明したアレクの特殊な体質――『ヴァラージ』。その特徴は、身体が負荷を受けた時、次に同じ負荷が来た時に難なく耐えられるようにと身体が強くなっていくというモノだ。
この性質自体は全ての人にあるモノで、筋トレという負荷を受けて筋肉が増強したり、折れた骨が完治した際に以前よりも太くなっていたりする事が例として挙がるだろう。この誰にでも備わっている身体の機能が常人よりも強力で、かつ負荷を受けた場所ではなく全身で発動する――これが『ヴァラージ』という体質だ。
オレガノさんが言うには心臓を五、六回貫かれれば鋼鉄の心臓にもなるという事で……んまぁ、実際にそんな事になったら一回目で死んでしまうと思うが、要するに普通なら強化魔法を使わないと実現できないような状態に素で至る事ができるわけだ。
実際、オズマンドのラコフとの戦闘や火の国におけるクロドラドさんたちとの戦いを経た今、術者であるカラード本人が三日間魔法を使えなくなるほどに強力な魔法である『ブレイブアップ』を受けても疲労で倒れる事なくケロッとしている。
筋トレと同じように身体を強化させるには休息期間が必要ではあるが……既に竜巻程度ではビクともしないアレクは、この先『ヴァラージ』の力でどこまで強くなっていくのだろうか。
そして……そんな強靭な身体を持つアレクにふっ飛ばされて愕然としている竜巻使いの人がセイリオスの一年生が全員あのレベルだと思ってしまわないか心配だ……
「ほう、アレクも挑まれたのか。見たところ他も一戦あったようだし、もはやこれも学院見学のメニューの一つなのだな。」
別グループの案内をしていたカラードが戻ってくる他のグループを眺めながらオレの横に来てそんな事を言った。歩いているだけの見学者のみんなを見てそれがわかるというのは一体どういう事なのやら……
「カラードも模擬戦したのか?」
「ああ。初心を思い出す良い戦いだった。先輩になるというのはああいう感じなのだな。」
おそらく『ブレイブアップ』は使っていないだろうから、挑戦した人はカラードの達人的体術を味わったのだろう。あれもセイリオス一年生の平均と思われると困るレベルだなぁ……
「ロイくん、ただいまー。新しい女の子作ってなぁいー?」
「作ってないよ!」
我ら『ビックリ箱騎士団』の面々も戻ってきて自然とかたまるのだが……そうなると周りから視線が一気に集まる。こ、この注目のされ方には慣れそうにない……
……ん? エリルだけまだ戻っていないな……貴族グループだからやっぱり心配だ……
「えぇっと……みんなは大丈夫だった? たぶん模擬戦はしたんだろうけど、他に何かあったりは……」
「うむ、大丈夫だぞ。わたしとロイドくんがラブラブだという事はきちんと伝えておいたからな。」
「ナニシテルンデスカ!?」
「あ、ボクも言っておいたよ。ボクが正妻って。」
「リリーヒャン!?」
「そ、そっか……あ、あたしもそうしておけば、良かった……」
「しなくていいですから!」
ハッとしてオレたちに集まる視線を再確認すると、何やら顔を赤くして「キャー」って感じにこっちを見ている人がちらほらいる事に気がつく。ななな、なんて事を!!
「あははー、さすがって感じだけど、これならいい感じに噂が広がって後輩に新しい敵はできなさそう――ってうわ、あれどーしたんだろー?」
取り返しのつかない事態にあたふたするオレに対してみんなが良かった良かったと頷いていると、エリルが担当した貴族グループが戻って――きたのだが、騎士マニアで全身甲冑の……ノグルアさん? が手足をだらんとさせてふよふよ浮いていた。
浮かせているのは貴族グループの案内役だったらしいレモンバームさんの魔法による電磁力だろうけど……な、何があったのだろうか……
「お、おかえりエリル……あれは一体……」
むすっとした顔――はいつもの事だが普段の二割増しくらいのムスりで戻ってきたエリルは、めんどくさそうにため息をついた。
「……あれと模擬戦する事になって……パンチの一発で終わったんだけど、いつもの魔法でダメージは回復してるはずなのに気絶したままなのよ。」
「えぇ? じゃあ……すごい魔法を使って負荷を受け過ぎたとか……?」
ケガなどは無かったことになる学院長の魔法だが、その戦闘の中で生じた魔法負荷だけは残ってしまう。だからこの前のランク戦では前の試合で魔法を使い過ぎてヘロヘロのオレとエリルは決勝戦をジャンケンで終わらせたわけなのだが、エリルは首を横に振る。
「ちょっと面白い魔法ではあったけどそこまでのモンじゃないわ。」
「ふむ……まぁエリルくんのパンチ一発は凄まじい威力だからな。身体は無傷でもかつてない衝撃に頭が追いついていないのかもしれない。」
そういえばオレもついさっき部室で気絶したわけだが、あれはくらった白い炎が痛かったからじゃなくて物凄い衝撃に意識がとんだって感じだったからな。貴族の人だからそれほど戦闘経験がないかもしれないってのを考えると、確かにエリルの一撃は強烈だっただろう。
「うわー、お姫様ったら六大貴族に容赦ないんだからー。」
「うっさいわね……」
「案内が無事に終わったようで何よりですね。」
毎度の事だが会話にするりと入ってくるレイテッドさん……
「この後は最後に少しだけ説明をして終了となるのですが、できれば皆さんにはもうしばらくここにいて欲しいのです。模擬戦はしませんが質問などはしばらく受けつけますから、できる範囲で構いませんので答えてあげて頂けると嬉しいのです。」
一度はグループに分かれたとはいえそれでもそこそこの人数がいたから、手を挙げて質問というのをしづらい人もいただろう。せっかく学院見学に来たのにわからないことがそのままではもったいない。
「わかりました。えぇっと……体育館の外にいればいいんでしょうか……?」
「ええ。中に教員、外に現役の生徒という分け方で質問を受けます。十分、十五分ほどお待ちください。」
そう言うとレイテッドさんは体育館に入っていき……たぶんオレたちのように生徒会から実演担当として頼まれたのだろう何人かの生徒がぽつぽつと外に残った。
「かー、微妙な時間だな。ぶっちゃけさっきの模擬戦が中途半端過ぎて身体がムズムズしてっからロイドあたりと一戦やりてぇんだが。」
「な、なんでオレ……」
「さっきの竜巻、お前がたまに使う突風に比べると歯ごたえがなくてな。やっぱ一瞬でも気を抜くと何十メートルも吹っ飛びそうなギリギリ感に勝ってこそだからよ。」
「えぇ? あれも結構凄かったと思うんだが……」
「そうかぁ? なんつーかこう、空気が粗いっつーか鋭さがないっつーか……上手い表現が見つかんねぇーが、真正面で受けても何ともなかったぜ?」
「恐らく精度――いや、密度の違いだろうな。規模こそ大きかったが実際に回っている空気はそれほど多くなく、対してロイドの風は回転の影響か小さな風でも殴られるような威力がある。」
「おー、それそれ。そんなイメージだ。」
「そ、そうなのか? 空気の密度なんて考えた事なかったなぁ……」
「そこを自然にできちゃうところがさすが先輩ってところだよね。」
風の魔法について新しいテーマみたいなモノが登場したところで、レイテッドさんのようにするりとではなく、唐突にオレたちの会話に知らない声が入ってきた。
「たぶん、曲芸剣術も密度の薄い風じゃああそこまでキレイには回せないんじゃないかなって思うんだよね。」
声の主は小柄な女の子。金色の髪をショートカット――ああいや、ああいうのはボブカット? って言うんだったか、丸っこい髪形にして上にウサギの耳みたいな大きな白いリボンをつけている。もこもこの白い上着にピンク色のスカート、茶色いこれまたもこもこした靴をはいている――ところまではまぁ普通なのだが、特徴的なのは首にかけているモノ。それは時計で、懐中時計のような小さなモノではなく、大きなベルが二つついたそれなりに大きい目覚まし時計。オシャレというにはあまりに違和感のあるモノを揺らしながら、その女の子は大きくて丸い……赤い眼でオレたちを見ていた。
「え、えぇっと……見学の人ですかね……最後の説明が体育館の中でされているので、早く行った方が……」
「だよね。でもきっと最後のヤツって事務的なお話で、それが終わったら見学してた人全員の質問タイムが始まるでしょ? ならちょっとフライングしてごった返す前にお目当ての人に会いに行った方がいいと思うんだよね。」
何と言うか……口にするとエリルに蹴り飛ばされるだろうけど、可愛い声と可愛い仕草で笑うその女の子のいたずらっ子のような顔を見ていると、説明を聞きに行きなさいと注意しなきゃいけないところをまぁいいかと思えてしまう。
「その考え方は個人的には良いと思いますが、立場上はオッケーを出せませんね。すみませんが、質問は中の説明を聞いてからにしてくれませんか?」
この子はきっと男の子にモテモテだろうなぁとか思っているとよそ行きモードのローゼルさんがやんわりと体育館に促す。それを聞いて残念そうに笑った女の子は――
「でもやっぱり――ありゃ?」
授業の中で先生が時々見せる一瞬の間合い詰め――フェンネルさんに教わったリズムを利用して相手の隙を突く技術。ほんの一瞬の意識の隙間、まばたきのような空白に割り込まれるあの感覚。数メートル先にいたはずの女の子は、いつの間にかオレの目の前に移動していたのだ。
急に近づかれた事でオレは反射的に後ろに跳び、みんなはそんなオレの行動を見て初めて女の子の移動に気づき、同様に距離を取った。
「すごーい。ボクが近づいた事に気づくのがその辺の連中の数倍早かったよー? いい眼してるよね。」
「き、きみは一体――」
「――何の目的でここに?」
ゾワリと温度が下がる空気。全員が一定の距離を置いた女の子の背後に、まるで初めからそこにいたかのような自然さで黒地に赤い模様の入ったドレスで長い黒髪にコウモリの形の髪飾りをつけた女性――ミラちゃんが現れて女の子の肩に手を置いた。
「びゃひゃっ!?!?」
ビックリした時のオレみたいな声をあげて文字通りに跳び上がった女の子だったけど、きっと見た目ではわからない凄い力がかかっているのだろう肩に置かれた手によって地面に着地させられる。
「ロイド様の後輩になるかもしれないという程度の人間ならば何を話そうとも構いませんが、同胞とあっては話が別です。何か良からぬ企みでも?」
「や、やや、やだなぁそんなこと……! ボクみたいなのでもスピエルドルフの未来の王様になる人間がいるって聞いたら気になるのも仕方ないと思うんだよね……! い、いつもはすっごい警備っぽい学校が解放されてたからちょっと顔を見に来ただけ――なんですよ!」
可愛く笑っていた女の子がわかりやすくミラちゃんに怯えている。今の会話からするとつまり……
「え、えぇっと……ミ、ミラちゃんがここにいる――のはあととして、そ、その人は――その、そっちの人、なんだね……?」
一応周りに他の生徒もいるので濁したが、どうやらこの女の子は魔人族らしい。
「そうです。やましい事がないのでしたら――そうですね、お名前を伺っても?」
「も、勿論! ボクはラビホア! ラビホア・トゥーレイトって言うんだよ――言いますよ!」
「そうですか。ではラビホアさん、ロイド様の事を知っているのでしたら、今後はあまり軽薄な行動をとらないようにお願いしますね。勘違いのもとですから。」
「き、気をつけます!」
ビシッと敬礼した女の子――ラビホアさんからミラちゃんが手を放す。するとラビホアさんはさっきの見事な移動からは想像できない……ドタバタした走り方で学院から出て行った。
「やれやれ、ああいうのは困りますね。」
「えぇっと……ミラちゃん、詳しく聞いても大丈夫かな……?」
「ええ、勿論です。ですがロイド様はもうしばらくお仕事のようですから、後ほどお部屋にて。」
そう言ってミラちゃんがすぅっといなくなるのと同時に、体育館の扉が開いて中から見学に参加した人が雪崩のように流れ出て――その後しばらく、オレたちは怒涛の質問攻めを受ける事となった。
「ひ、ひぃ! なんでいきなりあっちのボスが登場するのって話だよね! 殺されるかと思った!」
学院見学が終わり、教師や生徒たちが参加者からいろいろな質問を受けている頃、セイリオス学院から離れて街までやってきた白いリボンの女の子はとある本屋の前で息を切らしていた。
「寧ろ確定出来た事が僥倖と言えよう。女王が自ら出向く程の人物――やはりロイド・サードニクスが鍵であるな。」
そしてその隣、その本屋で買ったのか、大量の紙袋を左右の腕に下げた状態で分厚い本を読んでいる初老の男性が本から視線を移さずにぼそぼそと呟いた。
「しばらくの間あの老婆はこの国に手を出さないとの事。協力関係にある今、彼があの学院にいる以上は我々も表立っては動けぬな。」
「その辺はまた考えるって事にして今日は確認だけ――ってつもりだったのにいきなり出てくる!? 変な声出ちゃったし印象最悪だよね!」
「関係ないだろう、印象は。」
「この先何がどう転ぶかわからないでしょ? もしかしたら女王から……」
「それはまた、命が足りぬな。それにここで滅多な事は口にしない方が良いぞ。」
「なんで?」
「その耳は飾りか。この街はレギオンの者によって見張られておるのだ。」
初老の男性がそう言うと白いリボンの女の子は頭の上のリボンをほどく。ほどかれたそれはするりと落ちると思われたがそのまま頭の上に残り、より本物のウサギの耳のようにピンと立った。
「え、すご……この街を覆ってる?」
「種族は分からないが、恐らくは海のレギオンの所属だろう。フルトブラントの部下はどれもこれも不定形な者ばかりだからな。」
「人間一人にスピエルドルフがここまで動くなんてすごい事だよね。見た感じは普通の人間だったのに。」
「それでもあの一件の立役者であり将来的な実力も他者との繋がりも有望……いや待て、普通な訳が無いだろう。彼にはあの魔眼があるのだぞ?」
「?」
「……お前に行かせたのは間違いだったか……」
「あー、芋虫のくせに今ボクをバカにしたでしょ!」
「知らん。そろそろ時間だ、猫が来る。」
「いーや、絶対バカに――」
――と、白いリボンの女の子と初老の男性がしていた会話は本人たちの姿と共に、唐突にその場から消えた。
「あらあら。」
「これはこれは。」
本当に、何をそんなに聞くことがあるのかってくらいに大量の質問を受けたあたしたちは今まで経験した事のない種類の疲れでぐったりして、そのままそれぞれの部屋に戻ったんだけどあたしとロイドの部屋――っていうかロイドのベッドの中にカーミラがいて、それに蹴りを放ちながら、そういえばお姉ちゃんも来てたんだったって事を思い出したあたしはロイドにカーミラと『ビックリ箱騎士団』を部室につれてくように言って、生徒会室でお茶を飲みながらクッキーを食べてたお姉ちゃんを迎えに行った。
で……前にカーミラが持ってきたロイドとのこ、婚約書……の件で会った二人がまた顔を合わせる事になった。
「ロイドくんは順調に私の弟になる道を進んでいるわ。」
「巻き返しはこれからですよ。」
……か、仮にも王族同士なのに第一声がこの会話ってどういう事なのよ……
「先に言っておくと、私からエリーたちへのお知らせは特にないわ。六大貴族が集まるっていうから未来の弟とエリーのお友達に会うついでに見ていこうって思っただけだから。ま、こうしてスピエルドルフの女王からのお話を聞けるのはラッキーだけどね。」
「なるほど……となるとワタクシを警戒したエリルさんがたまたま居合わせた貴女を助っ人としてここに呼んだわけですね。」
「べ、別にそういうわけじゃないわよ! お姉ちゃんもあとで部屋に行くって言ってたから……は、話があるなら全員集めていっぺんにやった方がいいと思っただけよ……!」
……正直、お姉ちゃんがいて良かったとは思ってる……この女王、結構ヤバイし……
「ふふふ、いい判断よエリー。恋は戦争、戦力があるなら使わないとね。」
王族、クォーツ家のカメリア・クォーツからあたしのお姉ちゃんのカメリア・クォーツになったお姉ちゃんはやる気満々な顔で腕組みした……
「え、えぇっと……そそ、それじゃあ……ミラちゃんが来た理由からなのかな……さっきの魔人族が何か関係しているの……?」
二人の話の中心のロイドが顔を赤くしてワタワタしながらそう切り出すと、カーミラは……何かを考えるように視線を斜め上に向けて数秒後、「いいこと思いついた!」って感じの顔になってあたしたちに視線を戻した。
「先ほどのラビリスの方は偶然です。とある要件でやってきたところに出くわしただけですよ。」
「ラビリスっていうと……兎人か。」
「そうです、さすがロイド様。」
「なによ、うじんって……」
「えぇっと……わかりやすく言うとウサギな人、かな……」
ウサギ……ウサギ人間ってわけね……
「ミラちゃんが名前を聞いていたって事は、あの人はスピエルドルフの人じゃないんだね。」
「はい。スピエルドルフの人口と比較すると極々少数ですが、人間の国で暮らしている魔人族はいますからね。その内の一人かと。」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。名前を聞いたからって……あんた、スピエルドルフに住んでる魔人族全員の名前を知ってるって事……?」
「ええ、女王ですから。」
当然って顔であっさり言ったわね……
「彼らは自分たちが魔人族であるという事を隠して人間の中で暮らす道を選んだ方々ですが、それでもいざという時に頼る先であるスピエルドルフの情勢についてはそれなりに情報を得ているモノです。そしてロイド様の事を知って見に来たというのが先ほどの彼女でしょう。」
「そうか……じゃああの人がセイリオスに入学するっていうわけではないのかな。」
「……なに残念そうな顔してんのよ……」
「びょ!? い、いやいやそういうわけでは……!」
「ライアさんのように潜入している方はいますが、騎士を目指して入学するとなるとかなり珍しいですね。バレるリスクが高いですし、戦闘能力で言えば現役の騎士は軽く超えているはずですから。」
カーミラは別格としても同い年のユーリとストカでもその強さはかなりのモノ。魔法だって人間より上手に使えるだろうし、魔人族が騎士の学校に入学する理由はないわよね……
「あらあら、別に学校って学ぶだけの場所じゃないでしょう? お友達とワイワイする学校生活っていうのに憧れててもおかしくないわ。」
お姉ちゃんがそう言うと、カーミラは少し驚いてなるほどって顔をした。
「確かに……スピエルドルフの外に魔人族だけの学校は存在しませんから、人間の中で暮らしている方々がそういう憧れを持った場合、ロイド様がいるこのセイリオスならワタクシたちの支援が入るかもと考えてやってくる方はいるかもしれません。」
「えぇ? それじゃああの人だけに限らず他にも魔人族の人が入学するかもって事?」
「可能性はあるかと。」
「あらあら、そうなるとなかなか面白い事になるわね、セイリオス。」
楽しそうに笑うのと同時に仕事モードの顔が半分浮かんだお姉ちゃん。後輩に魔人族って、どう考えても面倒事が起こるじゃないの……
「ロイド様の進級に合わせて状況に変化が生じるとなると、やはり良いタイミングでした……ロイド様、一つご提案が。」
「? あ、もしかして今日来た理由?」
「えぇ……まぁそんなところです。確か学院は冬の長期休暇に入ったのですよね?」
「うん、今日からね。オレたちの場合は学院見学の手伝いをしたから実質明日からって感じかな。」
「きっとフィリウスさんや妹さんのところに行くご予定だったのかと思いますが――どうでしょう、我が国に滞在するというのは。」
その提案にあたしたちはハッとするけど、ロイドはすっとぼけた顔で目からウロコって感じにポンと手を叩く。
「スピエルドルフに――そうか、そういう選択肢もあるんだ。長い休みを使ってどうにか記憶を……」
「はい、そして先日お約束しましたお泊りデートをしましょう。」
「そしてお泊り……オトマリッ!?」
いきなり出てきた単語にロイドが顔を真っ赤にし、あたしやローゼルたちの視線がカーミラに集中する。
「こ、こらカーミラくん! どさくさ紛れに何を言っているのだ!」
「それほど唐突ではないかと。既に皆さまはロイド様と愛を語り合ったご様子ですし、次はワタクシの番で、たまたまお休みの時期に重なったというだけですよ。」
「アイヲカタリッ!?」
「あら? それってつまりロイドくんがみんなとあんなことやこんなことをし終えたってこと? あらあらまあまあ、ロイドくんたらさすがね。」
沸騰してるロイドのほっぺをニヤニヤ顔でつつくお姉ちゃん……!
て、ていうかあたしを応援するって言ってるのになな、なんでそんな楽しそうな顔になってるのよお姉ちゃんは!
「それぞれにそれぞれの熱い夜を過ごされたようで。最近はティアナさんでしょうか、相変わらず濃い香りを残しますね。」
「コイカオリッ!?」
もはやオウムになったロイドはともかく、あたしたちの誰がロイドと……どど、どういう事をしたのかってのを匂い――とかなんとかで把握しちゃうカーミラがローゼルみたいな笑ってない笑顔をティアナに向けると、ティアナは――
「え、えへへ……」
照れた感じに、だけどちょっと優位に立った雰囲気を含んだ挑発気味の笑顔を返す……!
「ワタクシもロイド様をお慕いする者の一人ですが、皆さんと違っていつもお会いしているわけではありません。その差分を埋める――いえ、そのハンデも考慮し、この休みの間はワタクシと蜜月を過ごしましょう。それに先ほどロイド様がおっしゃられた通り、長期滞在は記憶が戻るキッカケにもなるかもしれません。」
すすーっとロイドに近づいて身体をもたれさせるカーミラ……!
「ロイドくんはわたしの家で年越しするのだ!」
「ボクと二人っきり!」
「あ、あたしの家……一緒に花火……」
「うちで温泉でしょー?」
そして人のこ、恋人を家に誘うローゼルたち……! そうよ、お姉ちゃんもいるんだし、かかか、彼女としての自然な流れであたしの家に――
「あらあら、ロイドくんはどうするのかしら?」
ニヤニヤしたままロイドのほっぺをみょんみょん伸ばすお姉ちゃん――ってロイドで遊んでるわねお姉ちゃん!
「へ、へぇっほ……」
真っ赤なロイドはくっついてるカーミラをチラ見しながらうつむく。
「ススス、スピエルドルフというのは……いいアイデアかなと……」
「ロイド様!」
むぎゅっと抱きつくカーミラだけど――
「……ロイド……?」
「びゃ、そ、そんな怖い顔を――ち、違うんです! ミラちゃんとのオオオ、オトマリはア、アレとして! 思い出すキッカケとしては確かにやっぱりいいんじゃないかと!」
「昔のカーミラとの夜を思い出すわけね……」
「ソウジャナ――あ、いや、たぶんそれも含めて……ででで、でもそういう目的ではなくてですね! ミラちゃんやスピエルドルフのみみ、皆様には大変お世話になっておりますので! そろそろちゃんと思い出したい――思い出さなければと思った次第でありまして!」
目と口と両手をぐるぐるさせてわたわたするロイド……
……ま、こいつの性格だとそうよね……ラコフとの戦い、火の国でのあれこれに加えて今度は護衛までついたわけだし、世話になりっぱなしっていうのは……まぁ確かに……
それにあたしも、カーミラたちスピエルドルフの魔人族がなんでこんなにロイドを信頼してるっていうか、王様にまでしたいって思ってるのかがいい加減気になるし……何よりカーミラとの昔のあ、あれこれ――はハッキリさせとかないと……ダメなのよ……!
「ふ、ふむふむ、まぁまぁロイドくんの意見はもっともであるし、妻であるわたしも気になるところではあるが――しかし休みの間ずっとというのはななな、長すぎると思うぞ! カーミラくんとカーミラくんのテリトリーで二週間は!」
冬休みは年越しを真ん中に前後一週間の計二週間。その間二人っきり――ってわけじゃないけどあの国の連中は二人を二人だけにしちゃうだろうから実質そうなるわけで……そ、そんな事になったらこの吸血鬼は……!
「しかし先ほども申しましたようにワタクシは普段お会いできていませんから。」
「そ、それを考慮しても過剰だ! 顔を合わせるのと二人きりなのとでは密度が違うぞ!」
「ですがロイド様の記憶の事を考えますとやはり長期滞在の方が効果的ではないかと。」
「そ、それは――よ、よし! ならばわたしもスピエルドルフに行くぞ!」
「年末年始はご家族と過ごされた方が良いのではありませんか? 普段寮生活なのですし、ご両親も寂しがっておられるかもしれませんよ。」
「家の事は――いや……し、しかし……」
珍しい焦り顔になって「ぐぬぬ」ってうなるローゼルに対して余裕の笑みのカーミラ……!
でもカーミラの言った事はその通りで……さすがに年末は全員家に帰って家族と過ごすみたいなのはあって、あたしなんか王族――だから変な挨拶まわりみたいのがあったりするし、だから全員ロイドを自分の家に呼ぼうとしたわけで……ど、どうすれば……
「それじゃあ半分こはどうかしら。」
勝ち誇るカーミラにどうしようもないあたしたちに、お姉ちゃんが助け舟を出してくれた。
「女王様の意見は確かにだけど、ローゼルちゃんが言った密度の差は大きい気がするわ。だから妥協点として半分こ――ロイドくんは記憶を取り戻す為に休みの間ずっといるとしても、女王様と二人きりになれるのはみんながそれぞれの実家で過ごすだろう年末年始の期間として、その他は同行可っていうのはどうかしら。」
「そうですね……」
前にお姉ちゃんに会った時にかなり警戒してたからか、別に仕事モードじゃないニコニコ顔のお姉ちゃんをじっと見つめる事十数秒、カーミラは「ふむ」と呟いてこくりと頷いた。
「……いいでしょう。あまり角が立つのも後々に影響が出そうですし。」
「でも半分って事は一週間もあるよ! それでも長いとボク思う!」
「うふふ、残念ながら女王様は女王様。一日中二人きりというのは実際問題難しいはずだから丁度いい塩梅だと思うわ。」
あたしもちょっと思った事をリリーが言うとお姉ちゃんが補足する。カーミラなら女王権限でやりかねない気もする――けど、あの蛇人間とかが微妙にダメって言いそうな気配もするわね……お姉ちゃんの言う通り、この辺が妥協点なのかしら。
「では決まりですね。こうしてはいられません。」
シュバッと立ち上がったカーミラが何もない空間に円を描き、そこに真っ黒な穴を出現させる。
「本音を言えば今すぐロイド様をお連れしたいところですが、学院見学のお手伝いをされていたという事ですから出発の準備も整っていないかと思います。こちらもロイド様――と皆さんをお出迎えする準備をいたしますので、また明日お迎えに上がりますね。」
そう言うとカーミラは穴の中に入り、その場からいなくなった。
「やれやれ、危なかったわねー、エリー。お姉ちゃんを呼んで正解ね。」
一仕事終えたって感じに大きく息をはくお姉ちゃん。
「あ、ありがとう……」
「いいのよ。それでも一週間あったらあの女王様の本気でロイドくんが骨抜きにされちゃうかもしれないわ。今夜あたりは思いっきりイチャイチャしておきなさいね。」
「オネエチャン!」
お姉ちゃんにツッコミながら思わずロイドの方を見たけど……そういえば話の中心にいるくせに結構蚊帳の外で予定が決まったロイドは真っ赤なままでぶつぶつと呟く。
「スス、スピエルドルフで二週間――ミラちゃんと一週間……! そ、そうだ、冬休みだからパムも連れて行って……フィリウスも……!」
ロイドなりにやばさを感じてるみたいだけど……そういえば夏休みはパムと一緒だったわけだし、あの妹なら冬休みも一緒に過ごそうとするだろうから、そうなるとスピエルドルフに連れてく感じになるんじゃないかしら。もしかしたらあの小姑――が、いい感じに防御してくれたりするかも……
「よし! 年末年始は手出しできないが、その前後はロイドくんをあの吸血鬼から守るのだ! 何とか工作して女王としての仕事で忙殺する作戦を考えなければ!」
「協力するよ、ローゼルちゃん!」
「優等生ちゃんの言う通り、女王様の国が舞台だもんねー。ちょっと真剣に対応しないとだよねー。」
「あ、あたしもか、考える……!」
珍しくタッグを組むローゼルたち……を眺めてたらお姉ちゃんがツンツンってほっぺを突いてきた。
「それにしてもエリーには余裕があるのね? ローゼルちゃんみたいに大焦りってわけじゃないじゃない。」
「それは……わ、わかんない……けど……まぁ……」
「ふぅーん、へぇー。」
自分でも割と落ち着いてることに驚いてるあたしの微妙な顔を見て……なんかお姉ちゃんはすごく面白そうな顔をした。
「な、なによ……」
「可愛い弟ができるのは結構すぐかもしれないわね。」
「は、はぁ……?」
『――まいったな……』
とある森の奥、断崖絶壁の近くに建っているコテージの一室。バスタブほどの大きさがある洗面器のような容器に並々と入っていた水の表面にひとりでに波紋が浮かぶと、それはずるりと上に伸びてみるみるうちに人の形へと変形した。
『ヨルム、私はどれくらい眠っていたんだ?』
その人型の水――フルトブラントは容器の傍にたたんで置いてあった軍服のようなモノを身にまといながら、部屋の隅っこの椅子に座っていた、同じ軍服から蛇の頭をのぞかせる者――ヨルムに尋ねる。
「お前の感覚ではどれくらいだ?」
『数日……いや、一週間くらいか?』
「そんなところだが、その状態になってもそれくらいの感覚が残るなら本当にただの疲労だったのだな……力を倍増させるとは恐ろしい能力があったものだ。」
『力を……ああそうだ、最後『魔境』の封印が…………ああ、ダメだ、事の顛末があやふやだ。結局どうなった?』
「説明する。ちょうどあれの解析もある程度進んだ事だし、全員集めるか。」
数分後、コテージのリビング――と行きたかったのだが人数が多かったので外の草原にテーブルを置き、未だ疲労やダメージの抜けない者の為に椅子を並べた即席の集会場にぞろぞろと人が集まった。
ざっくり言えば人間たちと魔人族たち。人間側は十二騎士の一角、《オウガスト》ことフィリウスと彼が率いる『ムーンナイツ』であるサルビア、グラジオ、ドラゴン、オリアナ。そしてフィリウスが『魔境』の封印修復の為に連れてきたセイリオス学院の学院長と女子寮の寮長であるオレガノ。
魔人族側はヨルムとフルトブラント、そして同じく封印修復の為の人員としてやってきた十名ほどの魔人族。
この場所で起きた『ベクター』と『魔王』ことヴィランとその配下らとの戦闘の後、何人かがその場で気を失った為、同じ場所にいはしたが数日ぶりに全員が顔を合わせた。
『ん、もしや私が最後だったか?』
「連中に魔獣とやらに変えられていたフィリウスの部下たちがまだ眠っている事を除けば、お前が最後だな。」
『なんと。こう言ってはなんだがお二人よりも後とは面目ない。』
そういってフルトブラントが顔――にあたる場所を向けた先で椅子に座っている学院長とオレガノはひらひらと手を振った。
「ひひひ、お前さんの中にあった力が尋常じゃなく、わたしらジジババの中には大して力がなかったってだけさ。わたしの能力が力を増幅するって言っても結局は元になる力の総量がモノを言うわけだからね。」
『増幅……まだ見ぬ可能性とも言い換えられそうだ。未だに成長の余地ありとわかるとは、私もまだまだ――っと、腰を折ったな。悪い、話を始めてくれ。』
「ああ。それじゃあ本題に入る。まず人間の犯罪者連中が暴れていった結果だが、俺たちはそれを撃退し、『魔境』の封印を修復するという俺たちとフィリウスらの目的は達成された。一応あとでフルトブラントにも確認してもらうが、そこの老婆による力の増幅を受け、『魔境』の封印は以前よりも強固なモノとしてなされた。だがあの戦いの中、一瞬亀裂の入った封印から漏れ出たモノが二つある。」
ヨルムがそう言うと、全員の視線がテーブルの上の物体――白い球体に注がれた。
「それがこの白い球体と、敵側に回収されてしまった黒い立方体。正真正銘、『魔境』の中からやってきた規格外の代物だ。」
『見たところ生き物ではなさそうだが……どういうモノなんだ?』
フルトブラントの問いに始まり、ヨルムはその白い球体についての解析結果を話し始めた。
一つ、生物か否かで言えば生物に分類される。ただし明確な意思は持っていない為、植物のようなモノである。
二つ、敵側――魔王軍と名乗っていた者たちに回収されてしまった黒い立方体とこれは本来二つで一つの存在である。
三つ、『魔境』で生き抜く為に身についたと思われる自己防衛能力を持っており、この物体は自身に触れたモノの記憶を読み取り、そのモノが苦手とするモノに変身する事ができる。その対象に制限は無く、この物体に内包されているエネルギー量からしてこの世のありとあらゆるモノに変身する事が可能である。
四つ、記憶を読み取るという過程故か、この物体に具体的な変身後のイメージを持って触れた場合、変身は苦手なモノではなくそのイメージに引っ張られる。つまり、この物体の性質を理解していれば好きなモノに変身させる事ができる。
五つ、変身した後に壊されたり食べられたりしたとしても、この物体は一定時間経過後に散らばった自身を集めて元の状態――変身前の姿に戻る。
六つ、白い球体と黒い立方体に二分された結果、現状白い球体の能力は「あらゆる生物に変身することができる」というモノになっている。即ち、黒い立方体の能力は「あらゆる非生物に変身することができる」であると推測される。
『ふむ……『魔境』の中からやってきたモノに相応しい桁外れの力……しかしこうして二つに分かれて片側が敵の手の中というのは問題だな。あちら側は恐らくヨルムの推測通りだろうが、この白い球体の変身能力に意思があるかないかでパワーバランスはだいぶ違ってくるぞ……』
フルトブラントの懸念に答えるように、ヨルムが白い球体に手を置く。すると白い球体はその形状を一瞬歪ませたかと思うと次の瞬間にはヨルムの姿になっていた。
『驚いた……完全に同じじゃないか。』
「外見は勿論、身体能力や魔法能力に加えて知識や経験、記憶に至るまであらゆるモノが俺と同じだ。」
『記憶? それがわかったという事はそれと会話でもしたのか?』
「いや――」
言いながら、ヨルムは自身の姿をしたそれを軽く小突く。するとそれは一切の抵抗なくあっさりと倒れてしまった。
「お前が言った意思についてだが、そこだけはこれ本来の植物のような性質を引き継いでいる。完全な同一個体になっておいてこの有様というのは拍子抜けだが、代わりにこういう事ができてしまう。」
ぐったりと地面に倒れていたそれにヨルムが手をかざす。すると先ほどの糸が切れた人形のような挙動とは違い、誰もが当たり前にやるようにスムーズに立ち上がったそれは口を開き――
「意志が希薄かつ変身対象そのものであるからだろうな。オリジナルであれば変身したこれを自分の身体と同じ感覚で操作できる。」
――と、先ほどまで喋っていた本物のヨルムそのものにそれが声を発したのだ。
『これはまた……二つ目の身体というわけか。』
「自分本来の身体ではないという違和感はあるが、二つ目というほどの差は感じない。実際――」
瞬間、姿を消すヨルムとそのコピー。そして他の面々から少し離れたところに現れて向かい合った二人は、互いに超速の体術を繰り出して格闘戦を始めた。それは鏡写しのような同じ動きというわけではなく、それぞれに別の意志を宿すように異なった動きで複雑な体術をぶつけ合っていた。
『はは、これ以上ない完全なる互角だな。』
「ああ。」
あきれたようにフルトブラントが笑うと、その激闘が幻であったかのようにヨルムが元の位置に戻り、手にした白い球体をテーブルの上に置いた。
「変身で出来上がった身体でも普段の俺の動きが再現できる。」
『奇妙な光景だった。右手と左手を戦わせるような感覚か?』
「いや……こればかりは体験しないと理解できないだろうが、それ以上だ。俺としての意思は一つだが頭は二つだからな。普段よりも思考が加速し、もう一つの身体はそれが当たり前のように動かせる。」
『ややこしいな。脳が先か心が先かという議論になりそうだが……まぁ、そういうモノとして一先ず捉えておこう。しかしこのコピー……『魔境』由来のエネルギーと何度でも元に戻る性質からするとその真の利点は――』
「おいこら、二人だけで話すな!」
淡々と会話していた二人の間にフィリウスが太い腕でチョップを入れた。
「それのとんでもなさは理解できたし、どうせお前たちで管理するんだろう? そろそろ別の話題に行きたいんだがな!」
『ああ悪い、つい――ん? というかそれでいいのか? こちらで管理できるのは嬉しいが、フィリウス――いや、人間側もこれの所有権は主張できる立場だ。あの封印の修復は私たちとの共同作業だったのだから。』
「そうかもしれんが、ぶっちゃけ、たった今ヨルムがやった事をマネできる奴が人間の中にいるとは思えん。一つの意思で二つの身体とか、フルトが起きる前に一応ここにいる全員が試したんだが自分の身体かコピーの身体のどっちかしか動かせなかった。となると今さっきフルトが思い至った使い道しかやる事がないが、それで利を得られるのはそこの学院長くらいなもんだ。」
ビシッと指をさされた学院長は困った笑みをフルトブラントに向ける。
「確かに二、三やってみたい事はあるが、その片割れが敵側にまわった以上、より戦闘に活用できる者が持つべきじゃろう。」
『そうか……個人的な事を言うと『魔境』の中に戻すべきのような気もするが……まずは姫様に相談だな。しかし黒い立方体――恐らくあらゆる非生物に変身できる能力の実用性はこちらの比ではない。そもそもの話だが、あれを持って行った連中は何者なんだ?』
「おお、見事な前振りだ! そう、俺様が話したいのはそっちだ! その黒いののヤバさは各勢力の動き次第なところがあるんでな!」
そう言うとフィリウスはテーブルの上に小石を並べた。
「今回の一件、事の始まりはどういうワケかS級狩りをおっぱじめた『世界の悪』――アフューカスと、それに抵抗する『マダム』の衝突。諸々の理由はさっぱりだが、アフューカスの側近であるアルハグーエと『マダム』がバトり、迷惑な事に余波で『魔境』の一つ、ヤバイ魔法生物がうじゃうじゃいるとされるそこの『ラウトゥーノ』の封印が解けかかった。当然そのままにはできねーから俺様たちやヨルムたちが修復しに来たわけだが、完全破壊を目的にまず、『ベクター』がやってきた。」
コトンと小石を一つ前に出すフィリウス。そういう目的で使うのかとその場の全員が理解し――筋骨隆々とした大男がチマチマ小石を動かす様子を見て……どういう感情かわからないが、ヨルムがシュルリと舌を出した。
「フルトの話じゃ『ベクター』は『マダム』の名前を出し、追っ払われた後には『魔王』が来て『ベクター』も再度登場。つまりこの三人は手を組んでる可能性が高いわけだが、そうなると最初のアルハグーエとの戦闘が『魔境』の封印にヒビを入れる為のモノだったと考えられる。」
「目的は『魔境』の中の超生物ってことよねん? アフューカスとの正面衝突は無理だから利用しようって感じかしらん?」
「愚かな……人間如きにどうにかできる存在ではないぞ……」
「普通なら俺様もヨルムに同感なんだが、相手は頭のとんだS級連中だからな。さっきの三人で言えば『魔王』の部下の一人だったオーディショナーってのがどうにかできる奴だったかもしれねぇし、チームに俺様たちが把握してないS級がいる可能性もある。何にせよ、結果は予想と違ったろうが連中――打倒『世界の悪』チームは『魔境』産の強力アイテムをゲットしたわけだ。」
『なるほど……黒い立方体を手にした者たちがその力を使うとしたらまずはマルフィが所属する集団相手になるわけか。』
「人間の悪党同士で潰し合いか。しかもマルフィがいるところとなれば……倒す事は不可能だろうしあれを使いこなせるかも怪しいが、様子見というのは選択肢としてありかもしれんな……」
「あ、あの……」
テーブルに並んだ小石を眺めて考え込むヨルムたちに、おずおずと手を挙げたのはオリアナ。
「無学で申し訳ないのですが……マルフィというのは……」
「ん? おお! うっかり出ちまったな! マルフィってのはそいつがS級犯罪者だって事が十二騎士にしか知らされてない奴だ! 魔人族でスピエルドルフと因縁があって、アフューカスの仲間の一人だ! そういやこいつだけは騎士たちに『紅い蛇』のメンバーが知らされた時も内緒になってたな!」
「え――ええ!? 十二騎士にしかって――き、聞いちゃって良かったんですか!?」
「秘密にしとけよ!」
「よっぽど強いってことかしらん? 犯罪者を見つけたら捕まえなきゃって動く事を禁止する感じよねん、それ。」
「根拠はイマイチだしアフューカスはどうしたって感じだが、よくS級犯罪者最強って言われるな。」
「あらん、それはやばいわねん。」
「そういう奴相手に、あのアフューカス相手にとんでもアイテムが使われるってんなら騎士としてはどうぞ勝手にやり合ってくれってところなんだが、当然問題が一つある!」
せっかく『マダム』陣営とアフューカス陣営で小石を並べたというのにそう言いながらフィリウスがバンッとテーブルを叩いたせいで小石はあっちこっちに飛び散り、全員の視線が転がる小石たちに何となく向く中、フルトブラントがぼそりと呟く。
『……『マダム』とやらがいる集団が黒い立方体を使ってもマルフィらに勝てず、そのままマルフィらの手に渡ってしまう懸念、だな。』
「そうだ! そうなった時の対策をしておきたい!」
『対策か……この白い球体と同等の存在を抑える方法とは、なかなか難題だな。』
「ひひひ、そんなの決まりきってるじゃないか。」
フィリウスたちの話を聞いている時も腕と脚を組んでスタイリッシュな姿で座っていたオレガノがテーブルの上の白い球体を指差す。
「それと黒い方ってのは元々一つだったんだろ? たった今そこの蛇さんがやったみたいな一つの意思で二つを動かすっていうのをそれに対してやればいい。」
「蛇さん……ああいや、だが確かに……」
聞きなれない呼ばれ方に舌を出したヨルムは白い球体に視線を落とす。
「元々一つの存在が二つに分かれたというなら、これをより深く解析すればもう片方への干渉も可能やもしれん。これを通してあちらを支配する事もあるいは。」
『ふむ……しかしそれもそれで難題だな。使い方を知る程度なら私たちにも何とかなるが、『魔境』の存在を根本から調べ尽くすとなると……それができる心当たりは一人しかいない。』
「ほう! スピエルドルフの魔法研究機関を任されてるフルト以上にそういう事ができる奴がいるのか!」
『私の前任者だ。あの人に比べれば私などまだまだ浅い。だいぶ昔に引退と同時にスピエルドルフを出ているからフィリウスが知らないのも当然だが……困った事にあの人が今いるのは……』
表情はないものの言いにくそうにしている事は何となくわかるフルトブラントを横目に、ヨルムがため息混じりに続きを答える。
「……神の国、アタエルカだ。」
「なんでここにいんのよ、弟。」
「妹こそ。」
ある国のある街。善良な人間が一人もいない悪党の為にあるような無法地帯。街の性質を考えればどこもかしこも裏通りのような薄暗く小汚い雰囲気になりそうだが、外見上はどこにでもありそうな街である為に何も知らない旅人などが悪意の餌食になる、そんな場所にある一軒家。やはり普通の外見の家の玄関口でバッタリ出会った金髪の男女は見慣れた互いの顔から何の変哲もない家の扉へと視線を移す。
「……まぁ、追っている相手が同じだからな。こういう事もある。妹もボクと同じように、途中で消息が途絶えたから住処にやってきたというのだろう?」
「同じタイミングとか最悪だわ。仲良し姉弟とか思われたらどうすん、のよ!」
言いながら玄関の扉を蹴り破る金髪の女。瞬間、二人は同時に顔をしかめた。
「くっさ、何よこの臭い!」
「……想像はつく。早く入ろう。」
中に誰もいない事を知っているように、二人は挨拶無しに家の中に入っていった。
「てか、『ケダモノ』とか呼ばれてるクセにこっちは姉弟一緒に仲良く暮らしてるとか、意外とお茶目じゃない。」
臭いはともかく綺麗に整頓され、掃除も行き届いている各部屋を覗く金髪の女に対し、金髪の男は目的の部屋があるかのように奥へと進んでいく。
「何、あんたマゾ? 臭いのキツイ方に行って。」
「想像はつくと言っただろう……ここか。」
家の一番奥に位置する部屋。ガチャリと扉を開いた金髪の男は中の状況に不愉快極まりないという顔になった。
その部屋は一般的な家の一室と言うにはかなり広く、リビングの倍はあった。そしてそんな大きな部屋に対しては明らかに照度の足りない灯りの下に……大勢の女性がいた。いや、正確には――あった、と表現した方がいいかもしれない。
まるで子供がおもちゃを散らかしたように、何人かは壁際にいる――いや、並べられているがほとんどは床に寝ている――いや、転がっている。きちんと服を着ている者、下着姿の者、全裸の者、それぞれの外見はまちまちだが、全員が虚ろな目でどこともわからない場所を見つめていた。
「うっわ、ここまでのは初めて見るわね。これ生きてんの?」
ひょっこりと中を覗いた金髪の女が一番扉に近いところに転がる女性をつつくのを横目に部屋の中に入った金髪の男がその一歩を床につけると、ぐちゃりというおよそ家の中では聞かない音が足元でした。
「うげ、なにこの床、どうなってんのよ。ヘドロみたいなのが――うわ、あんたよく入っていけるわね。」
ぐちゃぐちゃと進んだ金髪の男は床に転がる女性の一人の傍でしゃがみ込む。
「……! ああ全く、妹の言う通り……ここまで酷いのは初めてだ……」
「初めてっていうかぶっちゃけどういう部屋なのかよくわかんないんだけど。『ケダモノ』の男の方の部屋で今日はどいつにしようかなってその女たちから選んで毎日ヤッテるってのはわかるけど、この臭い――このヘドロから出てんの? 何よこれ。」
「……これは魔法が込められた一種の薬品……その時、その瞬間だけ女性――女であればいいという目的の、そうでない間をそのままで保存する為の……!」
静かに、しかし強い語気で金髪の男がそう言うと、その部屋の天井が消失して床を満たしていたヘドロがきれいさっぱり消えた。そうして日の光に照らされた女性たちの首や腕にあざがあるのを見て金髪の男はギリッと歯を鳴らし、手元に一本の剣を出現させた。
「……すまないレディ……ここまで汚染されてはもはや手はない。せめて幸福な記憶と共に……」
呟きながら立ち上がった金髪の男はその剣を――女性の額に突き刺した。どういうわけか血は一滴も出ず、女性の方も痛みを感じていないのか無反応。だが数秒後、女性の虚ろな目から涙が流れ、微かな笑みを浮かべて……か細かった呼吸を完全に止めた。
「何よその剣。」
「斬った相手がその一太刀で死に至った場合、その者の人生で最も幸せだった瞬間を思い出させるという慈悲深い剣だ。」
「あほくさ、誰が作ったのよそんな無意味な剣。まさかこれ全員をそれで殺すつもり? あたしは別の部屋に行くわ。」
金髪の女の呆れ顔を特に気にする事無く、その部屋に転がる女性一人一人の額にその剣を突き刺していくこと十数分。全ての女性が笑みを浮かべた死体となった部屋の真ん中に、金髪の男は先ほどとは異なる剣を突き立てた。
「怒りと無念、その全てをあの男に叩きこむことを約束する。」
祈るように目を閉じ、剣の柄頭を人差し指でポンと叩く。すると剣を中心に部屋の床が真っ白に染まり、そこからモヤのような白い腕が無数に伸びて女性たちの亡骸を光の中へと沈めていく。
「ああ全く……あの男、完全に殺さなくて良かった。」
全ての女性を飲み込んだ光が剣の方へと戻り、そうして後に残った不愉快な道具類をひと睨みして金髪の男が部屋を出ると、同じタイミングで別の部屋から金髪の女が出てきた。
「ったく、こんな臭い思いしたっていうのに収穫無しじゃないのよ。」
そして、更に別の部屋からマフラーに隠れた口元をもぐもぐさせながら――
「レイゾう庫にあったパイはアタシがもらったわよ。」
――どう見ても人間ではない者が顔を出した。
「――!? マルフィ!?」
「はぁ!? なんであんたここにいんのよ!」
口元を隠す長いマフラーと桜の国の忍者のような服装。少しだけ後ろの方に伸びている頭に横二列に並ぶ八つの眼。手足の他に背中から蜘蛛の脚のようなモノが四本伸びているその人外は、金髪の二人の驚き顔をモグモグしながらしばらく眺め、口の中のモノをゴクリと飲み込むと「よくぞ聞いてくれたわ」という風に両手と背中の脚をやれやれという感じに広げる。
「セッカく『マダム』とか『魔王』とか骨のある連中と遊べると思ったのに十二騎士とスピエルドルフに邪魔されちゃったのよ。ソレトやるってのもあったけどあいつらの後ろには女王がいるし、衝動で挑むと厄介な事になるのよね。ダカラやる気満々だったアタシはぶつけどころを失ったこのやる気をどうにかしたくてアフィの秘密をA級なんてのに知られちゃったあなたたち双子のところに来たのよ。ドウ、シん捗は?」
「は? あんた喧嘩売って――」
「情報を得たあの二人が接触した三人の内二人には会った。けれど最後の一人――『奴隷公』テリオンは他の二人と違って大きな組織のボスというわけじゃない、言わば個人経営だから探し辛くてね。仕方なくあの二人の家にやってきたというわけさ。」
「テリオン? ソレナら明日辺りにセイリオスに襲撃をかけると思うわよ。」
「本当かい? それはいい事を聞いた。あの二人は恐らくテリオンと一緒だから、そこで――」
「勝手に話し進めてんじゃないわよ弟! 進捗なんか聞いて、この蜘蛛女は全部知っててあたしらを笑いに来てんのよ! ていうかそういう情報は早く持って来なさいよ!」
「ジョウ報は勝手に入るだけだし、そもそもそれはアタシの仕事じゃないもの。」
「――!」
その刹那に行われる、相当な腕の持ち主でなければ視認できないであろう攻防。銃を抜き、銃口を向け、引き金を引くという動作を過程が見えないほどの速度で行った金髪の女と、放たれた銃弾に細く、視認し辛い蜘蛛の糸のようなモノをひと巻きしてそれを空中で止める蜘蛛の女。両者の間でキュルキュルと音を立てながら徐々に回転力を失っていく銃弾が浮いているという光景に、金髪の女は舌打ちをして蜘蛛の女はゆらりとマフラーに手をかける。
「モシカして、久しぶりのアタシの戦闘欲をあなたがどうにかしてくれるの?」
「いいわよ別に、相手になってやっても。臭さにイライラしてたところにあんたの顔で更にイラついてんのよ。」
「イイワね。デモドうせなら二人一緒がいいわ。アナタたちって一人でもそこそこ強いけど、二人そろうとかなり強いじゃない? 『イェドの双子』の真髄を見たいわ。」
ゾワリと空気が震え、目に見えない圧が二人の間でぶつかるが、金髪の男は首を横に振る。
「女性の頼みではあるけど、ボクは女性とは戦えない。すまないね。」
「アララ、残念。ヤッパりあなたと戦うには剣のお土産がいるわね。」
ふふふと笑ってマフラーから手を放す蜘蛛の女。
「テリオンと『ケダモノ』の二人がアフィのお気に入りとぶつかるっていうのは中々面白そうよね。モシカしたら思わぬ相手とやり合えるかもだし、明日現地で会いましょう。」
そう言うと、蜘蛛の女の姿がほどけるように空気に散っていった。
「だー、ムカツクッ!! だから嫌いなのよ、あの蜘蛛女!」
標的を失った銃を乱射して家の中に穴を開けていく金髪の女。
「しかしさすがは世界に糸を張り巡らせる彼女だ。おかげでボクらの失態は明日で挽回できそうじゃないか。」
「あんなのでも女扱いするあんたの目は腐ってるわね!」
「ボクの目に関係なく、彼女は女性さ。」
ギャーギャー言いながら家を破壊していく金髪の女を残して外に出た金髪の男は、銃声をバックにふと空を見上げる。
「しかしこの流れだと思いがけずに再会となりそうだね、少年。」
学院見学が行われた次の日の朝。他のみんなよりも一日遅い冬休みとなった我ら『ビックリ箱騎士団』はぞろぞろと学院の外、ラパンの街を歩いていた。
昨日、急な話だからどうかなとも思ったのだけど、パムにスピエルドルフに一緒に行かないかと聞いてみたら「行きます!」と即答して、ミラちゃんの方にもパムを連れて行っていいか聞いたら「未来の妹ですからね。入国許可証を用意しておきますよ。」と言ってくれた……
ち、ちなみに強化コンビのカラードとアレクも同行する。べ、別に二人の場合はオレとミラちゃんのア、アレコレを見張る為というわけではなく、オレの友達としてついでに許可証を出しておくから良かったらどうかと、ミラちゃんが招待したのだ。
前回スピエルドルフに行った時はまだ『ビックリ箱騎士団』が部活になっていなくて朝の鍛錬にカラードが参加し始めたくらいだったけれど、二人は既にユーリとストカと面識があるからおかしくはないのだが……確か人間の中では数えるくらいしか持っていないスピエルドルフへの入国許可証をそんなにポンポン出していいのだろうか――と思っていると追加でミラちゃんが「きっとワタクシとロイド様の式にお呼びすることになりますからね。」との事……あぁ……
ん、んまぁ……と、とりあえず、ミラちゃんがオレたちを迎えに来るのはお昼頃になるという事なので、その前にパムと合流しようと思い……パムまで冬休みの期間中ずっとスピエルドルフにいるかはわからないけどそれなりの荷物になるだろうからパムの家まで迎えに行こうとしたら――
「そういえばロイドの妹さんは国王軍の寮に住んでいるのだったな。どんなところなのか気になるぞ。」
「あたしは見た事あるけど、さすが上級――セラーム用の寮って感じだったねー。結構豪華だよー。」
「む、アンジュくんは夏休みの間ロイドくんをストーカーしていたから知っているのだったな。危ない愛人よりも素敵な正妻を推すと共に、アンジュくんだけが知っているというのはなんだかアレなのでわたしも見ておきたいぞ。何せそう、未来の妹なのだから!」
――と、というやり取りがあり……オレたちはみんなそろってパムの家へと向かっているのだった。
「そ、そういえば今回は……み、みんな普段着で行くんですね……」
前回ドレスアップしていたのに対してラフな格好のみんなを見ながらそう言うと、ローゼルさんがニンマリと笑った。
「もはや女王様というよりは恋敵だからだが、もしもロイドくんがあの時の服がいいというのなら着替えてもいいぞ。」
「い、いや、あの時のは――素敵でしたけど、い、今のいつものでいいです……」
「服装はロイドたちがそれだから着飾るのは変だと思うが、おれとアレクは手土産の一つも用意した方がいいだろうか。」
そう言いながら道中にあるお店をキョロキョロと覗くカラードなのだが……全身甲冑をフル装備しているので妙な光景になっている。剣と魔法の国の首都だしセイリオス学院もあるから街中を武装した人が歩いているのは珍しくはないのだが、私服のオレたちの中で一人だけ臨戦態勢というのが変なのだ。
「今更だけどナイトくんはその格好でスピエルドルフに行く気なのー?」
「む? いや、せっかく国王軍の寮に行くのだから、もしかしたら訓練中の騎士と手合わせの一つもあるかもしれないと思ってな。」
カラードのチャンスを逃さないようにという気合いは凄いけど……この調子だとスピエルドルフでも延々と誰かと模擬戦をしそうだな……
「んまぁ、手土産とかは気にしなくていいと思うけど、もしも買うなら食べ物以外がいいかな。魔人族は見た目の違いの通りに味覚も結構違うから。」
「そうなのか?」
「人間に近い外見……というか身体の人はオレたちとも同じ感覚の場合が多いけど、そうでないとガラリと変わる。お饅頭とかを買って行ったとして、ミラちゃんやユーリとストカは美味しく食べるだろうけど、これがヨルムさんやフルトさんとなると難しいかもしれない。」
「なるほど、まぁ言われてみれば納得だな。しかし食べ物が難しいとなると選ぶのは困難――」
――と、腕組みしてうなるカラードがふと何かに気づいて……警戒するように周囲に視線を配った。
「……妙な気配だ……」
カラードのこういう感覚の鋭さを知っているオレたちはそれぞれに自分の武器に手を伸ばす。
「おいおい、普通に街中だぞ? 俺らを狙ってんのか?」
「いや、恐らく違う。ただ何か……こういう街中にあってはいけない敵意のようなモノがあちこちで急に湧いて出てきて感じだ……隠れ潜んでいた者たちが行動を開始したような――」
ドォンッ!!
突如響く爆発音。オレたちがいる場所から通りをいくつか挟んだくらいの場所で煙が上がる。そして同じような音がそれぞれ異なる方角と距離で続けて発生した。
「おお、おおなんだ!? オズマンドのテロか!? それともどっかの悪党か!?」
「落ち着くんだアレク。騎士には冷静さが必要だ。」
バトルアックスを構えて戦闘態勢になったアレクの背中をカラードがガシャガシャと叩く。
「この前のラコフ戦は緊急時故のイレギュラーだったが、こういう時はまず国王軍が対応する。おれたちは騎士の卵とは言えまだ学生、爆発の起きた場所に向かいたいところではあるが勝手に動いて彼らの邪魔をしてはいけない。要請があれば動けるように準備しつつ、一般人の避難誘導を行おう。確かセイリオス学院はこういう時の避難所にもなっているはずだ。」
一人だけ妙な格好をしているという光景が一瞬で一人だけいるベテランの騎士という構図になり、オレたちは頼もしいカラードの提案に頷いて悲鳴と共に逃げ惑う人たちの誘導を始めた。
「これは……」
爆発音を聞いて待機していた国王軍が出動し、田舎者の青年たちが避難誘導を開始した頃、突然の出来事に騒がしくなり始めた国王軍指令室の巨大なモニターに映るラパンの街の地図を見上げるどこぞの町娘のような格好をしている女性があごに手を置いて騒ぎの起きた個所を目で追っていた。
「ランダムではない……こちらの人員を均等に分けるかのような配置……何か狙いが……襲撃者の詳細は!」
「は、はい! 現状、報告のあがっている者は全てB級かA級の犯罪者です! 中には戦闘に特化している者も――え?」
巨大モニターの下、小さなモニターの前で情報を整理しながら答えていた軍服姿の男がふいに言葉を詰まらせる。
「どうした?」
「あ、いえ……これもこれも……その、襲撃してきた犯罪者たちなのですが……どれも……ひ、久しぶりに現れたと言いますか……」
「久しぶり?」
「はい……も、勿論全ての犯罪者の犯罪行為を記録できているわけではありませんが、最後に報告があってから今日まで全員一年以上の間が空いているのです。中には五年、六年という者も……」
「そんな者たちが一斉に、しかもこの配置……恐らく彼らはおとり、本命は別――」
「! 《ディセンバ》殿! 追加情報によると全員同じ首輪をつけているようです!」
「首輪だと? まさか全員――奴隷なのか?」
「! で、ではこの襲撃は――」
「仮にそうだとしたらこんな大勢の犯罪者を使える――いや、所有している者はそういない。場合によっては『奴隷公』の可能性も……! 首輪の形状を報告させろ!」
「はっ!」
「あの首ワ……」
あちこちで煙と悲鳴があがる街中、ある建物の屋上から双眼鏡を覗いていた女が、おそらく街で暴れている犯罪者たちを見ながらボソリと呟いた。
「間チガいない……あれは『奴隷公』の戦闘向け奴隷用の首輪……」
「テリオン……ここにあいつが……!!」
双眼鏡を覗いていた女の後ろにいた数人の女がその名前を口にしながらギリリと歯を鳴らし、拳を握りしめる。
「本ニンが来ている可能性は低いだろうが、情ホウは得られるかもしれない。《オウガスト》にアイに来てこんなチャンスに遭遇するとは……」
「どうしましょう、リーダー。」
「私タチは弱い。戦トウは避けて情報収集に専念する。テリオンへの糸グチが得られるかもしれないし、この状キョウなら《オウガスト》にも会えるかもしれない。」
「了解です。」
指示を受けた女たちがそれぞれに散っていき、リーダーと呼ばれた女は再度双眼鏡を覗いて辺りを見回す。
「……! あれはもしや……」
「こんにちは。また会ったね。」
これも騎士を目指すなら必要な事だと、授業の中で習ったことのある避難誘導。自分が何者であるかを示しながら人々を安全な場所へ誘導する……セイリオスの制服を着ていれば効果が大きかったのだろうが、生憎と私服なので見えにくいが学生証をかざしながら学院へと続く道の方にみんなを誘導していたオレは、見覚えのある人に話しかけられた。
「あ、えっと……シャ……ショ……」
「シャックルだよ。」
「あ、はい! す、すみません……」
この前学院で会った魔法の研究をしているという学者さんだ。最近セイリオスで起きている色んな事の真相……というかキッカケみたいなモノを調べている感じだったけど……うわ、名前覚えてないの恥ずかしいぞ!
「えっと――あ、いやそれよりも! ひとまずセイリオス学院へ避難を! 騒ぎは国王軍が解決してくれますから!」
「そうだね。そういう風にしたからね。」
この非常時にのんびりとそう答えたシャックルさんは眼鏡を外してポイッと投げ捨て――え、えぇ?
「事が始まってしまえば変装の必要はない。どうせ私の仕業というのは首輪辺りからすぐに判明するだろう。だから前置きは無しといこうか、ロイド・サードニクスくん。」
眼鏡を捨てた後、バサリと上着を脱いだシャックルさんは次の瞬間、できるビジネスマンという感じの格好からどこかの貴族のような格好に変わり、その背後にはいつの間にかスーツを着た十人ほどの男女が並んでいた。
「こ、これは……あ、あれ? 避難してくる人たちは……」
気がつけばオレがいた通りを走る人々はいなくなり、オレとシャックルさんとスーツの人たちだけになっていた。
どう考えても変……というかこの状況、この人は……学者じゃない……!
「……さっきの言葉……もしかしてこの騒ぎはあなたが……」
「ご名答。再度名乗らせてもらおう。私はテリオン。趣味と実益を兼ねて奴隷商をやっている者だ。騎士たちからはA級犯罪者にランク付けされ、『奴隷公』と呼ばれている。」
「奴隷……!」
フィリウスが聞いたら顔をしかめるだろう単語。旅の中でも何度か会った事のある人種――奴隷商人のテリオン……それが正体……!
「元々は全く別の理由でシャックルを名乗っていたのだが、君に会ってしまったからそっちがどうでも良くなった。そして今、こうして対面している。」
「オレに……? 一体何が狙いだ……!」
狙われるとしたら……『世界の悪』が関係しているのならそっち絡みだろうけど、それ以外ならスピエルドルフとの繋がりか、もしくはオレを経由して王族のエリルを……!
「何やら色々と考えを巡らせているようだが、私の狙いは君自身だ。」
「オレ……自身……?」
「私は奴隷商だから……八百屋が野菜の品質を、肉屋が肉の状態をその鍛えられた目で見抜くように、私は人間というモノを色々な角度で見極める。そんな私に君がどう映ったか……わかるか?」
オレの事をジッと見ながらすっと片手を、手の平を上にして横に出す。すると後ろにいたスーツの人たちの一人が輪っかのようなモノをその手に置き、シャックル――テリオンはそれを自分の首につけた。
「強烈な違和感だ。異常な何かだ。ただの人間――私がよく知っているはずの存在からかつて感じた事のない感覚――圧力がにじみ出ている。君は一体何なのか、それが気になって仕方がないのだ。」
そして首につけたそれのスイッチか何かを押すとその輪っかの一部が青く光り、背後のスーツの人たちが……一体どこから出したのか、それぞれが剣や銃などの武器を手にした。
「よく見せて欲しい。調べさせて欲しい。あれをしたらどうなるのか、それをしたらどんな反応をするのか、一つ一つ確認したい。私に――君を教えてくれ。」
その言葉を合図に、スーツの人たちが一斉に跳躍した。
騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第七章 悪の集結
S級犯罪者とA級犯罪者がぞろぞろと集まってきました。街中で戦闘が始まるというのは前から考えていた事ですが、ここまで悪党がそろうとは思いませんでした。特に出世(?)したのはテリオンでしょうか。A級の大物の一人程度だったのですが気づけば今回のロイドくんの敵です。
奴隷関連で少し有名な「エルガステリオン」が名前の由来で、偽名のシャックルも奴隷を繋ぐ鎖の意味という適当な名づけ方だったのですが……
チェレーザとロンブロも敵として大いに活躍します。「性」の方向に突出した悪党であるロンブロを書く事に戦々恐々ですが……
ちなみに初登場した人や初めて出てきた国名などがありますが、その辺りの活躍は先の話です。