再び不自然な無作為
「筆跡は女の人ですが・・・・・・」
と、僕は答えた。
「そんなの詮議だてしたってしょうがないと思いますけどね。文字はすっかり退色し、ちょっと古風な書き振りでした。亡くなってからもうずいぶんになるんでしょうね」
彼女はおもむろに手紙を手に取り、静かに音読を始めた。
「彼は対象までの距離を決めれない。遠近法で処理しない。ルージンは釈明する。明白の度合い、対象の輪郭、色の単純さ。ルージンは聡明だ。多少は明確に愛を認めることもいい。そういう人って単純で、簡単で、いつもはてしない空を眺めている。すぐに地平線に眼を向ければ、それは歪んで垂直に聳え、こう言う『いや、実を言うとね、僕は以前は犬だったんだよ』と」
彼女はそこに書かれた文章を出鱈目に読んでいる。書かれていないことを読んだり、書いてあることを読まなかったりする。
僕は意味なんて無意味だと知った。彼女はそれを僕に優しく教えてくれた。静かな声で、部屋を奇怪な響きで震わしながら、悲しげな彼女の手は手紙の字を飛びとびになぞっていた。やがてその手は何もない中空を舞い、空っぽの物語を細く白く、艶かしい指先で描き始めた。
「地平線の声を聞いてごらん。彼女は何て言ったのかな。そんなの知らないなんて言わないで。君は知ってるんだもの」
彼女から色や輪郭が失われていく。中空を舞う指先が虚無に溶け、僕は彼女を認識できなくなる。無の認識はありうべきものだろうかという問は、彼女が描く物語と一緒に複雑な家具や絵画の寂しげな表情を麗しい森林の木漏れ日へと変じ、慈悲を求め手を合わせて祈りたいという感情が目の前で明滅する。
僕にとって一番はっきりしないものは光だ。
「ルージン、あなたは知ってる。初対面の地平線は異人さんのように雲がお好き? さぁ、ルージン、ラスコーリニコフに聞いてごらん。ルージンが知ってるかどうか、を、ラスコーリニコフが知ってるかどうか。現実生活ではいつも女の子が相手になってるんだ。夢に限らずね。現実だって一緒。女の子が相手。そして地平線は再び言う『いや、実を言うとね、僕は以前は犬だったんだよ』とね。さぁ、あなたのお話を聞かせて。愛する人の話。目的のための手段としてセックスするのは結局マスターベーションに過ぎないでしょ? ならセックスはいつでもマスターベーションに過ぎないってことにはならないの? あなたはいつも女の子を使ってマスターベーションしてるだけ。馬鹿みたい。誰がセックスを手段以外の何かにできるって言うの? そこに愛がある限り、人は、セックスなんて出来ないでしょ? 衝動と本能による緊張を緩和する道具としてのセックス。こんな思想は精神経症の一種です。そんなルージン、あなたは死んでしまったのですね。ルージン、あなたは知ってる。なぜあなたが死んだのかを。ね、ルージン。愛に関する神経症的な歪みがあなたを殺してしまったのでしょう?」
時に彼女の声は意味と無意味の間を彷徨している。意味ある語は無意味と共に意味を紡ぐ。意味のない語は意味と共に無意味に沈んで消える。
「慣習の圧制は人間の進歩の障碍以外のなにものでもない。でもきっとエヴァルトはあなたに尋ねる。『どんな死にかたをしたの?』って、何度も何度も尋ねる。しわがれた声で、執拗に、絡みつくように、身体の隅々を舐める様に、何度も何度も。ルージンもラスコーリニコフも、何も答えることが出来ず、恐怖のせいでただじっと佇むだけ。眼を閉じると二人の前には反転した世界が広がり、垂直の地平線が二人に語りかける。『水死ですよ。深く、森閑とした悲しみの沼に身を投じて、ね。水面に生じた幾重もの波紋がゆるやかに拡がったんです。その波紋があなたの悲しみと共に睡蓮のしたまで伸びてゆくと、水の上に浮ぶ沢山の白い彼女の掌がいっせいにゆらぎました』と。でも、私たちがルージンやラスコーリニコフ、エヴァルトを責める事は許されない。外的な現象の原因や作用に、真の生命の原因や作用を見られないということが私を困惑させる。どうして私は私なの? 私は私特有の私を持ち、他のワタシはまた特有のワタシを持ってる。どうして時にワタシは死に、私は生き続けるの? 地平線は私に答える。『生存前に現在のあなたが生まれた原因とは何か、あるいは私の死後、私の人生は何かの原因となるのか、答えはない』」
「でも――」
僕は思った。
『人生とは良いもんだ』
「『さっきみたいに感じたなんて馬鹿みたい』と地平線はマルメラードフの苦悩に満ちた舞踏を見ずに言った。屈み込んだ時からずっとこう言っていた。『さよならが迎えに来ることを最初からわかっていたとしたって何度でも君に逢いたい。めぐり逢えたことでこんなに世界が美しく見えるなんて想像さえもしていない。君はこれを、単純だって笑うかい?』マルメラードフはそれに答えて言う『What has passed, has gone; What is past, will come. haha』森は答えを梢の隙間から洩れる日光の中に隠した。道や杉、蝋燭で照らしたような白い私、頭の影、淡い日、冷たい露、全てが散りぢりバラバラに、収束と拡散を繰り返し、現れては消え、現れては消えを繰り返した。ねぇ、どう思う? 本当にあなたはそこにいる? 淡い火や草の葉が思慮分別や人格的威厳を欠いている。地平線から招く他人の軽侮と権利の侵害は彼に加えられる非難を名目上区別する。統御の権利を不快な権利に対する相違が行動を著しい嫌悪に貶める。どうしてあなたは死んでるの、ねぇ、ルージン。彼が私を不快にするなら、私は嫌悪の情を示す権利を持つ。不快から逃げ出すことも、不快の中に漬かりきって自分がどこにいるかわからなくなったていい。彼の過失は私の過失に要請されたことによる刑罰を十分に生活の反省へと帰することは不可能に思える。どう、ルージン。ラスコーリニコフはあなたを殺さない。ルージン、あなたを殺すのはあなただけ。生活を駄目にしてしまおう。更なる悪へ、悪の上に悪を重ねて、腹の中で蠢く汚濁と共に、黒い血をその腕から流して浄化するしかないの。ラスコーリニコフはあなたを殺さない」
『人生とは良いものだ』
僕は彼女の奏でる物語を、心地よい静謐に満ちた夜に聞く。響きは心に突き刺さり、心臓に刺さる音と音が新しい光を放つ。赤い焔と青い焔が合わさって消える。
僕は思う。
『人生とは良いものだ』
彼女の物語は終わることを知らない。手紙など、もう、どこにもない。ただ、もう、物語は終わらない。
『Die unendliche Geschichte』
彼女の名前は『Die unendliche Geschechte』というそうだ。名付けたのは誰だろう。僕かもしれない。彼女自身かもしれない。ウロボロスかもしれなければ、ミュンヒハウゼンかもしれない。
鳥の歌をうたうミュンヒハウゼン男爵。いや、公爵。伯爵か? 優しい歌。
「理由と意味、一層の生涯を駄目にしようと欲しては、罰を求め、害悪を求め、自己憐憫に溺れることを欲する。嫌悪と憤怒、怨恨は互いに干渉しあって自愛を生み出し、更なる憂慮から、ようやく彼女は生まれた。『Die unendliche Geschichte』という名は少々長い。『Die unendliche Gesicht』にしよう。果てしない顔。少々長い。『end』にしよう。終わりがあるほうがいい。『finis』にしよう。目的があるほうがいい。社会の敵である彼女。社会の敵である私。『finis』を求めたとたんに『finis』は掌から零れ落ちて、粉々に砕け散る。はかない『finis』に彼女も私も頼らない。保護を求め、規則を犯し、あらゆる事情を破壊せよ。全くだ。ねぇ、どう思う、まさか、あなた、『実は犬だった』なんて言わないでよ。あなたが犬であるかどうか、自分で知ることなんてできないんだから」
この場合、彼女の物語はすでに物語られた物語だと言える。いや、どの場合でも、すべての物語はすでに物語られているし、いずれは物語られる。人が生きるとは、それ自体は行為ではない。行為がもたらすのは邪悪な結果のみ。峻厳な判決を人類に下す。彼女は裁定者だ。終わらない物語。はてしない物語。
「ゼロからゼロを引くとゼロになる。ゼロからゼロを百個ひくと、百個のゼロを引かれたゼロになる。ゼロと百個のゼロを引かれたゼロは同じゼロ。ゼロに百個のゼロを足しても同じゼロ。ゼロの中にはすべてのゼロが含まれてる。ところで、あなたは本当に一になれたの? あなたは、まだ、ゼロじゃない?」
僕は・・・・・・?
「ゼロだ。僕は、どこにもいない。僕は、何も持たない。何も捨てない。ゼロだ」
「彼自身の上に落ちる邪悪な結果は苦痛に快楽を覚える地下室の住人からの贈り物。来るのではなく、行け。進め。光なくても、ただ進め。さすれば、他人の上、邪悪な結果は落ちる。自分なしに自分は自分でありうるか? 苦痛は生の証明だと思っては敗残者の哀哭を聞いて涙を流す。敗残者! 地下室の敗残者! ラスコーリニコフは勝利者だ!! ラスコーリニコフはついに勝利を得た。涙を流し、大地に平伏した。消す。自分は、自分を、もう必要としない。報復はもう、おしまいにする。苦痛の侵食が止まらない。そのまま私を食い尽くす。人が権利を侵害する場合、我々は判決を下す。だが、自己の欠点を曝す人間を罰する権利を我々は持たない。はたして? 持たない? 醜いもの、偽りのあるもの、悪いもの、すべて、壊せ。対立は不要。ゼロからゼロを引くことも、足すことも、不要。犯罪者を裁け。犯罪とは、醜さのこと。善とは美しさのこと。すべて、壊せ」
「僕はゼロでよかった」
僕の声は彼女に届かない。彼女は物語続ける。
「自分の自由を行使する彼の苦痛はやむことを知らない。苦痛に溺れて醜悪な森から白いうさぎを探す出すのは困難だ――」
物語は終わらない。
再び不自然な無作為