【あのゾンビがあたしを見ている】後
頭の端から端まで、無数の金属片が飛び交っている。脳の壁にその欠片がぶつかっては、えげつないほどに大音量の高音で乱れ飛ぶ。それが連なってまた金属片になり、また飛び交う。
目が霞む。寒気が稲妻みたいに何度も奔る。腹が抉れて、バランスを崩した内臓が不快に擦れ合っているような。死にそうな痛みを堪えて彼女を制したとき、素直に去ってくれてよかった。もう立っているのもやっとだった。
壁伝いに移動して、運よく見つけたポリバケツの裏で腰を落とした。そのうっかりで身が裂けるような激痛が弾けた。息が詰まった。気持ち悪い鉄の味が広がってくる。口元のマフラーを少し引くと、そこにも生温い血が滲んでいた。
視界にかかった靄が濃度を増していく。暗いのか明るいのかもわからない。指先は冷え切って、スマホを操作しようにも手袋を抜く気力さえなかった。
誰かの顔が浮かんでは消えていた。誰なのかを識別する前に輪郭がぼやけ、顔だったはずなのに平坦な板になり、やがて霧散した。果たして誰なのかということより、誰を思い出せばいいのかわからないのだと気付いた。浮かびかけたこの人たちは、こんな状況に陥ったら、俺のことを思い浮かべてくれるだろうか。
「よお」
目を開けているのかいないのかもわからない。いろんな音が遠くなっていた。でもやたらとはっきりと聞こえた。これは現実だろうか。
首や手に何か触れている気がする。沼に深く沈みかけているところで腕を掴まれたような、意識の奥で一瞬覚醒しかけたような。
いや、で、どうしたんだっけ。学校は終わって、彼女とも会って、うちに帰ったのか? 今日はどこかにお呼ばれしていたっけ。
「体温やべえ、脈拍やべえ、血あ――」
あれ。誰か喋った。俺に喋った?
「――り、……し。ひははっ。噛みつきてぇ」
え、何? 気持ち悪い。でも何か、知っているような。そういう口癖の人間を知っている。欠けた奥歯が牙っぽく見える、如何にも性根の腐っていそうな顔。
ああそうか。俺、そうだった。全身に纏わりついていた浮遊感が、一気に全身を縫いつける重力に置き換わった。痺れた舌が再び鉄臭い血に浸っていた。
体内の熱が冷めていくのがわかる。このままでいれば、あと少しで完全に動けなくなって、永遠にそのままということもわかる。
死にたくないなんて思ったことが意外だった。絶対に助かりたかった。だから助けを求めた。だからあんな荒療治ができた。
「どうするんだ?」
今度はちゃんと聞こえた。どうしたんだ、ではなく、どうするんだ。歯を食い縛った。口の中が気持ち悪い。ざらざらといっぱい引っかかっているものがある。
自分が今どんな有様なのかわかっているつもりだった。だからこそこいつの悪趣味に付き合っていられない。早く助けろ。そう言おうとして言葉にならず、変な声が出た。
意地悪そうにそいつは笑うと、俺の顎を持ち上げた。淀んだ視界が薄く捉える、不恰好にでこぼこな下の奥歯がさも悪役だ。
「かしこまりだ、ウサギさん」
世界がすっと明るくなった。
どこまでも明るくなって、何も見えなくなった。
【あのゾンビがあたしを見ている】後
本当はここで、なんで生きてるか? どうやって追ってきたか? そしてこいつは誰か?
というのを書きたかったけど、うまいこと思い浮かばなかったのでやめました。