ヒトとして生まれて・第3巻
第3巻・人生百年時代の家造り
はじめに
ヒトとして生まれて、今や人生百年の時代と云われており終の棲家
として建てた住居も、建て換えを迫られる住環境となってきた。人と
いう漢字も、友白髪の夫婦が枯れた身体を寄せ合って、なんとか支え
あうという象形文字に、見えてくる時代に、なってくるかもしれない。
ヒトとして生まれて「大人になる条件」は・・・
〇 なんとか食べて行ける職業を身に付けて
〇 伴侶を得て、家庭を作り上げ、次世代につなげる子育てをする
とは、かつて「生活学入門」大久保孝治早稲田大学教授著で学んだが、
当時は、まだ「人生百年時代」という発想はなかった。
したがって、当時は人生を見据えて終の棲家を建てれば、だいたい
が子供たちに後を託して、旅立って行ったものである。しかしながら
人生百年時代を視野に入れて住環境を考えると古希(70歳)くらい
から、さらに「終の棲家(Ⅱ)」を視野に入れて、家の建て替えなど
を考える必要が出てくる。
従来ならば・・・
ヒトとして生まれて、人間的な成長を果たしながら所帯を持ち家族
と一緒に「マンション暮らし」を始め、やがて子供の成長に合わせて
「戸建て住居」に移り、次のフェーズにおいて「終の棲家」としての
グレードアップやダウンサイジングを試みて終活に備える。
(これで良かった)
ところが「人生百年時代」になってくると・・・
終の棲家と考えて手入れをしながら住んでいても住居の老朽化など
により次善の策として「子供ファミリーとの二世帯住宅にするか?」
「ダウンサイジングの道を選択して、終の棲家(Ⅱ)を建てるか?」
の選択を迫られることになる。
我が家の場合は・・・
南隣に住むテニス仲間が 「二世代住宅の道」を選択して、家内が
明日から定年後の日々を我が家で迎えるタイミングで挨拶に見えた。
お隣の建築図を拝見すると、南側の家屋は、我が家にギリギリまで
寄せた計画になっていて横幅も敷地内の全幅という間取りで、我が家
は、ほぼ隣家の陰にスッポリと覆われてしまうことに気付いた。
(これにより冬季は寒く洗濯物は乾きにくいことが想像された)
この時点から本稿「第3巻」の物語が始まるのだが窮すれば通じる
で、この時にかつてフルムーンの旅で、ニュージーランドに出掛けて
多くの先輩夫妻から老齢期の生き方を学んだことがパートナーシップ
に磨きをかけて、窮地を脱するための 「大作戦」を引き出すことに
なるとは、まだ想像すらしていなかった。
第1部 あなたと超えた天城越え
プロローグ
隠れ家的な雰囲気のあるこの場所は、自然環境に囲まれているため
か鳩が飛んできて、楢の木でくつろいでいる姿を時々見かけることが
ある。この庭には欅や紅葉・楓なども植えてあり、四季を通して窓の
外の景色を楽しむことが出来る。
窓は横長に大きく広がっており、木々を眺めながら心に語りかけて
来るようなアルパの音色を聴いていると、そこには、小宇宙が出来上
がったような感覚に陥る。
私は、演奏を聴きながら、演奏者と聴き手の間にある微妙な空間の
存在が気になりだした。演奏会場は小規模ながら天井は高くドーム状
になっており、アルパの音色がやさしく響き渡る。
この会場は通常は喫茶店として運営されており、店主の趣向で演奏
会場や英会話の交流会の場に早変わりする。
演奏会場への早変わりは「土曜コンサート」として、土曜日限定で
開催されている。演奏種目は楽器演奏によるものが主体になっており、
バイオリンやギター演奏などが人気種目であるが、ときには、二胡に
よる演奏なども披露されている。
私が、土曜コンサートに、参加するのは初めてのことである。
この土曜コンサートをプロモートされている野仲先生に取材するに
は、実際の演奏会に参加させていただき臨場感を共有した上でのほう
が良いのではないかと考え、喫茶店の店主に演奏会参加の申し込みを
して、アルパの演奏会に出席させていただいたのであった。
アルパの音色は大型のハープの音色にも良く似ており、演奏を聴い
ている自分の気持ちが、だんだんと、やさしくなって行く過程が自覚
できる。演奏の曲目「月下想」「さくら色のしずく」の後で自己紹介
した演奏者倉品真希子さんの声は凛としていて、歯切れも良く、歌声
は澄んだ声で耳に優しい。
倉品さんは、ANAインターコンチネンタルホテル東京のラウンジ
演奏においてアルパの演奏を続け、この経験の積み重ねの中から独自
のライトミュージックという演奏スタイルを編み出して行き、自らの
作詞・作曲につなげていったというだけあって、ごく自然に親しみが
湧く演奏会であった。
演奏者と聴き手の間の空間は、この歌声に合わせて、オーケストラ
演奏の指揮者でもある野仲先生が設けた独特の間合いであった。野仲
先生は大会場から中・小会場にいたるまで各種の演奏会のプロモート
をこなされており、大きな会場においては自らが指揮棒を振る。
アルパは素手で持ち歩ける手軽さがあるため倉品さんのオリジナル
企画では全国の農業地域を廻り「オーガニック・コンサート」という
呼称で演奏会を開催しているという。
このコンサートの特徴は、各地で採れた有機無農薬野菜や・果物と
物々交換をする方法を仕掛けて、演奏会に参加する楽しみを盛り上げ
ているという。また、演奏会の形態もアルパのソロ演奏だけではなく、
マンドリンとのコラボ演奏やハーモニカとのコラボ演奏など、多彩な
催しを企画してファン層を増やしているようである。
南米の民族音楽と、オリジナル曲とを、組み合せた演奏会も好評な
ようである。今日の演奏会でも「アメージンググレース」は拍手が多
かった。アルパは、スペイン語でハープという意味があり、アルパの
奏者をアルピスタと呼ぶ。
日本では女性の奏者が多いという。倉品真希子さんも日本のアルパ
奏者として有名な方で、その豊かな演奏の音色は、自らの作曲による
創作と独自性から癒し系の演奏会として再来を待つ人が多いという。
当日も、アルパの演奏会が終わるやいなや会場からは満足げな表情
をした聴衆からアンコールを求める拍手が会場内に沸き起こり、まさ
に聴き手の気持ちが一つにまとまって大いに盛り上がったことは云う
までもない。
演奏会の後は喫茶店の店主とプロモーターの野仲先生、それに本日
の主役アルパ奏者の倉品真希子さんの三人で、この場所からは歩いて
行ける同じ入間市内のホテルのレストランにおいて、懇親会があると
いうので所期の狙い通り臨場感を共有出来た野仲先生との取材の時間
は、後日と云うことで、日時と場所を決めて再会を約した。
演奏会の会場出口では、アルパの音色の余韻を自宅でも楽しみたい
という人が列を成して「CD」を買い求めた。もちろん、私も、倉品
さんが手作りしたというCDを買って帰ることにした。
演奏会の会場では 「さくら色のしずく」 の曲が印象に強く残った
ので、帰宅後、早速、拝聴することにした。演奏会で興味深く聞いた
曲だが、あらためて一人で聴くとまた違った味わいが感じられて癒し
感が心の中に沁み込んでくる印象であった。
自宅で日本的な琴の音色にも似た音感のある「さくら色のしずく」
の曲を聴いた後で、倉品さんが手作りしたという栞を拝見していると
最終頁にこんな記述があった。
「主役は、いつもお客様です。いろいろな・想いを抱いている人たち
の心に、一瞬でも、アルパの音色に触れて、その人が元気になったり、
生きる力が湧いてきたり、自分の大好きな人や、自分のことを大切に
想ってくれる人の存在に改めて感謝したり、そんな気持ちになっても
らえたら、私は一番嬉しいのです。そんな空間は、私が主役ではなく、
いつも、お客様が主役です」
このメッセージを拝見して、演奏していたときの倉品さんの笑顔と
優しい語りかけを想い出し、各地で演奏会の再来を待つ人が大勢いる
ことが私には皮膚感覚で理解できた。
さて、主題に、話を戻そう・・・
野仲先生は、音楽教室も運営されており、たいへん忙しい方なので、
演奏会場となった喫茶店に、後日、演奏会場で使った荷物を引き取り
に見えるということで、その時間に合わせて再会させていただき無事
取材をさせていただくことが出来た。
私が取材を担当することになった経緯は生涯学習として学んでいる
大学および科目履修のみを選択している大学院の学習を振り返る過程
で地域における実践活動が必要となり、市役所に出向いたところ、
地域に根付いて生涯学習を実践している方々の紹介記事を担当して
みないかということになり、市役所で年2回発行している記事の一部
を担当することになったのである。
野仲先生は、武蔵野音楽大学を卒業されて、東京フィルハーモニー
交響楽団で活躍され、現在は、地域の子供たちの音楽教育および地域
における大規模な演奏会から中・小規模演奏会まで幅広くプロモート
されるなど、まさに生涯学習的な観点から大活躍されている方と云う
ことで取材が決まり、私が担当することになったというのが大まかな
経緯である。
野仲先生には、今回の取材の趣旨を先ずはお伝えして予め用意した
質問項目に沿って、お話をお伺いした。たいせつなポイントは手元の
メモ帳に書き留めて、後日、記事にするときの備忘録とさせていただ
いた。同時に記事に添えて掲載する顔写真も撮影させていただいた。
取材後、先日のアルパの演奏会に話が及び・・・
「アルパの演奏会に参加させていただいて良かったです」と、お伝え
すると、次は、この夏に、群馬方面に出掛けてピアノによる演奏会を
開催するという話題が紹介され、その演奏会場について思いがけない
話が飛び出して、私は思わず身を乗り出して聞きいってしまった。
群馬県では日曜コンサートという呼称で演奏会を開催しているとの
ことで、野仲先生も定期的に群馬県まで出掛けているとのことである。
次回の群馬県での夏の演奏会の計画もあって、野仲先生がカバンの中
に群馬県の音楽堂施設のパンフレットを、持参されていたので、早速、
拝見させていただいたのであるが、立派な音楽堂であり、演奏会場も
広々としていて150名が収容できる本格的な音楽サロンである。
まさに、そこは、快適な音楽空間として設えてある。
パンフレットには土地探しから始まり、ご夫妻の手で施工した土地
の造成現場や基礎工事の施行写真、さらには、建設現場の進捗状況を
推し量ることが出来る写真などが手に取るように紹介されていた。
ご夫妻だけで、これだけの建造物を約5年間の歳月をかけて建設さ
れたとは、ただただ驚くばかりで、まさに、想像の及ばない芸術作品
が写真に写っている。
しかも奥様は魔女ではなく、指先を大切にするピアニスト。ご主人
も建築士や大工さんではなく声を大切にするオペラ歌手であるという。
その後、野仲先生とは別の機会にお会いする幸運に恵まれて思いが
けず群馬県の音楽家ご夫妻の建築日記(コピー)をいただけることに
なり、人生の不思議なめぐり合わせを感じた。
この建築日記は音楽堂を訪問した人々に来訪記念としてプレゼント
されているものであり、表紙には 「美音里ホール(Vinely
Hall)建築日記」と表記されている。
どうやら、奥様による著作のようである。表紙には音楽堂を正面から
撮影した写真が掲載されており全部で36枚の構成による冊子となって
いる。音楽家ご夫妻の建築日記は、簡潔な文章でまとめてあり、読みや
すく書かれていて、内容的にも「冒険小説のような書き出し」になって
いて読んでいて楽しい。
野仲先生はこの建築日記を手にされたとき奥様に「出版されたらいか
がですか?」と声をかけたところ、
「そのような考えはないこと」が返事として返ってきて少し残念な思い
をされたのだという。
そして、今回の取材を通して、野仲先生としては、
「野仲先生が音楽を好きなように」
「私が文章を書くことが好きであること」
を知り、私に音楽堂の建築日記を渡したら、多分、私の執筆などの参考
になるのではないかという直感が働いて、コピーしてみたのだという。
第1章
001 作家(散文家)としての目覚め
建設(建築)日記という意味合いにおいて、私も「T&Kのついの
棲家Ⅱの建設日記」を、執筆して、自分のパソコンの中に収めていた。
これは、私と家内が、定年後のある出来事を機会に共同設計して建設
した、二度目の「ついの棲家造り」の経過を記したものである。
この場合 「つい」 は、シルバーエイジからゴールデンエイジに
つながって発展して行くところの 「終の棲家」 であり、鳩などの
鳥類に代表される一対の象徴としての「ついの棲家」でもある。
私と家内との初デートにおける昼食が中華料理店で店からのお土産
が鳩の置物であった。鳩の置物はそれぞれが家に持って帰ったが今は
並んで一対の鳩の置物となっているので、そこからの「縁」を考える
と「ついの棲家」と云う表現は、イメージ的には「終の棲家」よりも
「ついの棲家」のほうに感覚的には近いのかも知れない。
そして、私の建設日記は、日常生活を過ごす中で、日々、建設工事
が進んで行く過程を、文章としてパソコンに書き込んでいた建設日記
であると云える。
私は、この自分が記述した建設日記と、音楽家ご夫妻の建築日記を
読み比べているうちに、方丈記と、徒然草に、書いてある記事のこと
を思い出した。
生涯学習の一環として、古事記をはじめとして、古典を繰り返して
読み通すという学び方の魅力は、放送大学の人間学における島内裕子
教授から学び取ったものであるが・・・
「生涯学習を進める上で脳内を活性化させ思考行為を鍛える」という
意味あいにおいて、極めて、有効であるということを感じ取ることが
出来た。
これらの古典を通じて、学び取ったことの一つに・・・
「人間は、日々の暮らしの中において自分の生活の中心にある職業観
や存在感を意識して五感を働かせ居住空間を設計するのではないか」
という推論である。
先日も、私にとっては生涯学習の一環である放送大学の対面授業に
参加して方丈記を、皆で、声を出して、読み通すという学びの機会に
恵まれたが、そこでも面白いことに気付いた。
「方丈記の書き手である鴨長明は、作家的な人物というよりも、報道
記者的な人物という見方が適切なのではないか?」
「方丈記は、住まいについて追求した著書である」と云われているが、
そこに書かれている内容は一般論としての住居論ではなくて、報道
記者的な鴨長明が求めた鴨長明ならではの「執筆者としての望ましい
住居論と云えるものではないか」と、私は考えるようになった。
方丈記は、源平の争乱期を生きた鴨長明が建歴2年(1212年)
の人生の晩年期に書き上げた体験記であり「400字詰めの原稿用紙
にして20枚程度のもの」であるが、内容的には・・・
「大火事や飢饉」そして「平家による遷都の混乱の状況」などが精緻
に描かれており、作家というよりも、報道記者としての鴨長明の辣腕
がうかがえる。
住居論については最終段階で自分好みの1丈(約3メートル)四方
の小さな庵を理想の閑居生活として実現させているが、これは執筆者
としての庵でもあると云える。
鴨長明にとって形のある理想の住居は晩年になって実現するのであ
るが、鴨長明にとっての好ましい空間認識は「若い時からあったもの
ではないか」と、私は考える。その理由は・・・
「長明は葵祭で有名な京都の下鴨神社の神官と云う名門の家系に生ま
れて18歳の時に父親が没しているとは云え神官にはなれずに50歳
の時に出家している」
「長明は、父親が没した後で、父方の祖母の家屋敷を受け継いでおり、
長い期間にわたってそこに住んでいたものの家とは縁が切れて30歳
過ぎのときに前の住居に比べて、十分の一の大きさの庵に移り住んで
いる」「何故、30歳の時に家と縁がきれたのか?」
「ここに長明の居住に対する空間認識として、方丈の居住空間に似た
ところの眼には見えない、日常生活のバリアー(防壁)が存在してい
たのではないか?」
「これは、推測の域を出ない見方であるが祖母から受け継いだ大きな
家屋敷がありながら、家に住む人々との交流が少なく自分だけの方丈
の空間に閉じこもっていれば、家の人々には異なった世界の人として
認識されてしまう」
(そこに長明と共存する必要性はなくなってくる)
「家の中にあって、将来は神官として家の人々を引っ張って行くだけ
の存在感が、そこにあれば、家と縁が切れるようなことにはならない
のではないか?」
「このことからの推測として長明の職業観と存在感は神官として家の
人々を引っ張って行く頼もしい存在感ではなくて、執筆活動を第一に
考えて自分の執筆の世界に没頭するという生活スタイルを求め、それ
を貫き通したのではないか?」
そうであるとすれば、方丈の庵は、自らが求めた究極の選択であり、
もはや迷いはない筈であるが、それでも最終段階で、仏道に照らして
心の迷いを見せているところが、また、長明ならではの魅力なのかも
しれない。
(時に建歴二年、弥生のつごもりごろと記している)
一方で、興味深い史実として「枕草子」を著した清少納言は・・・
老いては家族との賑やかな共同生活を理想として掲げており個々人
による違いはあると考えるが「女性の求める家族との暮らし」の在り
方と、男性が求めるところの「老境における住まいや暮らし」の理想
像には乖離があるのかもしれないと感じた。
また「徒然草」の著者である吉田兼好の場合、清少納言の枕草子を
愛読していたことは良く知られているが「住まいの理想像」としては、
鴨長明の思いに近く、独居での庵をイメージしていたことが、徒然草
の文面から推測することが出来る。
群馬県の山中に音楽堂と居住区を併設させた音楽家ご夫妻の場合は
「職業観からの要求」と「自分たちの生活感」を、合体させた建造物
を「ご夫妻自身の素手」によって納得が行くように建造した訳であり、
そこには生き活きとした建造物としての知見が豊富に詰まっているに
違いないと考える。
ところで、兼好の徒然草については・・・
「家の作り様は、夏を旨とすべし、冬は、いかなる所にも住まる」と
いう書き出しが、あまりにも、有名であり建築関係の書籍にも、この
書き出しが引用されていることがある。
実際、私が、放送大学のテキストで学んだ住いの環境学にも涼しい
住いの環境の章で、徒然草の「家の作り様は夏を旨とすべし」の文章
が紹介されていて私も長期間にわたってこの文節を鵜呑みにしてきた。
徒然草は、多くの読者が承知している様に 「徒然なるままに」と
云う書き出しでテーマを決めなくても執筆が出来るということを確立
した文学である。それだけに、滑らかな文体には引き込まれるものが
あり思わず信じてしまうところがある。
また、その縦横無尽な執筆には、いかにも、傑作という印象があり、
説得力も伴う。
そして兼好が書いた徒然草の文章には、それぞれの事柄が深く物事
を考えるための「思考の窓」のような役割も果たしており、本を読む
ことの楽しさを実体験として示唆してくれる存在である。
しかしながら、私は、あるとき熟読の過程で徒然草に書かれている
「家の作り様は夏を旨とすべし」の記述に、疑問をもつようになった。
私は、放送大学の授業において「徒然草を読み通す」島内裕子教授
担当を選択して、予習の段階で・・・
「兼好は決して最初から人生の達人ではなかった。徒然草を執筆する
ことによって、成熟していった人間である」と、いう記事を見つけて、
それならば、徒然草を予め読み通すことで、どこかに、達人になって
行った経過を読み取れるかも知れないと考えて徒然草の最終段である
ところの第243段から序段に向けて、逆読みをしてみた。その結果、
第41段において・・・
「兼好が見知らぬ群衆の中に入って行き何気なく兼好が発した言葉が、
人々の心を動かすことになり、その瞬間こそ兼好が自らの殻を破って
脱皮、人生の達人の道へと歩を進めることになる」のであるが、
そのことは、放送大学の授業において、みんなで徒然草を序段から
読み通す過程においてもこの「41段」こそ兼好をして、成熟の域に
踏み出した瞬間であることが再確認できた。
しかし、皆さんと一緒に音読していて疑念として感じ取ったことは
「家の作り様は夏を旨とすべし」と、する第55段であった。
あらためて熟読してみたが「家の作り様は夏を旨とすべし」の書き
出しで始まるこの段の文章の末尾には、
「家の作り様は・・・(中略)・・・人の定め合い侍りし」と、ある
ではないか。末尾のこの文章のいわんとするところは 「人々が定め
合った」と、いうことであり兼好の自分自身の意見ではなくて、皆で
いろいろと話し合った時の談話を書きとめたものである。
これは、この段の文章を最後まで読んで、初めて気付く云い回しで
あり、そのことに、後日、気付いたときなどには、唖然とする書き方
になっている。
確かに、読書百篇とは云うが、兼好としても好んでそのような末尾
で驚かすような書き方をしたとは思えないが、第55段の初めだけを
読んで、早呑み込みして・・・
「兼好が云うのなら間違いないだろう」と云う人が出てきても不思議
ではない状況ではある。
一方で、私は後日になって「家の作り様は夏を旨とすべし」の話し
合いが行われても不思議ではない場面に遭遇することになる。
熊本県における旅の体験において、昔、武士たちが役所務めをした
という大きな屋敷を見学した時のことである。
屋敷内を案内する係の方に連なり大広間に出た。場所的には大きな
屋敷の中央部に位置しており、当時は、役どころを中心に重要な会合
などが行われていたようであるが「場所的に風通しが良くない印象」
であり、案内の方に、
「梅雨時や夏場は蒸し暑くてたいへんだったでしょうね?」と、問い
かけたところ「その蒸し暑さは尋常ではなく、武士たちは、丘の上に
設えられた風通しのよい茶室に憧れた」ようですという回答があった。
「ああ、これが兼好の云うところの夏の堪え難き状況に似た場所なの
だな」と直感した。仮に、このような状況での話し合いなら・・・
「暑き頃、悪き住居は、堪え難き」と云って、皆で 「家の作り様は
夏を旨とすべし」と話し合ったという経緯も納得出来る瞬間であった。
それにしても、現代において「住居論」を述べるのであれば・・・
「それは方丈記に記された住居論でもなく」
「徒然草に記された住居論を引用することでもなく」
「現代における最大の課題であるところの温暖化や・それに伴う酷暑、
そして厳寒や大雪への対応など、今日の気象状況の激変や日々に変化
の激しい気候に合わせた住居論の見直しが必要ではないかと考える」
同時に、大地震という生命にもかかわる大災害にも対応できるとこ
ろの「住居論の在り方」が必要になってきていると考える。
そして、それは、個々人の日常の生活レベルにおいて、採り入れる
ことが出来るレベルまで「咀嚼された住居論」につながっていること
が望ましいと考える。
個々人が日常的に生活して行く住居は、四季を通じて暮らしやすい
ことがベストであるが、実際的には・・・
◯ 「酷暑か・厳寒か」の、どちらかに、重心をおいて
◯ 「酷暑でも」快適に暮らせる設計仕様にしておいて
◯ 「厳寒への備え」を加えて行く
または
◯ 「厳寒でも」快適に暮らせる設計仕様にしておいて
◯ 「酷暑への対応」を加えて行く
という方法を採れば、結果的には、四季に対応出来る。
したがって「この二つの方法」が国内で暮らして行くには現実的で
あると考える。しかしながら、賢者は「第三の設計仕様」を考え出す
かも知れない。
私たちにとって次世代となる子供たちは既に家庭を持ち住居も入手
しているので、私たちとしては、さらに、次の世代にあたる孫たちが、
賢者として「第三の住居論」を考え出すことを願っている。
そこで、私たちに出来ることはと云えば、自分たちが体験してきた
事柄を「家造りの経験知」として孫世代に伝えて行くことではないか
と考え始めた。
私たちの場合は家内と共同設計した「T&Kのついの棲家Ⅱ」造り
に、今まで積み重ねてきた家造りの経験知がもっとも濃厚に詰まって
いると考えて、今回の稿をまとめて行く上での、中心に据えることに
した。
また、世間で良く云われるところの・・・
「家は、三軒建てて、初めて納得の行く家が出来るものである」 と、
いう説があるが、自分の経験に照らしても 「その通り」と、考える
ところがある。そして、そのことについては一軒目、そして二軒目の
失敗談などについても紙面に織り込むことを考えてみたい。
私は本稿の執筆に取り掛かるに当たってパソコン内に収めてある私
の「建設日記」を取り出して約2年間にわたる記事として分散・保存
されていたものを編集しやすいように一本化することにした。
大方の準備が完了して書斎の窓から外の景色を眺めると、そこには
私の大好きな「黄昏の風景」が、ゆったりとした感覚で大地に広がり
をみせていた。
その時に私は今回の執筆のきっかけとなった群馬県の山里の音楽堂
に想いが及んだ。
~そして、脳内には 「山のあなた」 の詩が浮かんだ~
山のあなた (カール・ブッセ 上田敏訳)
山のあなたの空遠く
幸(さいはひ)住むと人のいふ
噫(ああ) われひとゝ尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ 山のあなたになお遠く
幸(さいはひ)住むと人のいふ
そして黄昏の風景を楽しみながら・・・
愛聴のモーツアルトの 「ピアノ協奏曲第20番二短調」に、耳を
傾けた。私にとってピアノ協奏曲第20番については「第二楽章」が、
一番のお気に入りである。
ピアノ曲を聴いていて脳内に浮かんだイメージは 映画「黄昏」で
見た紅葉のシーンであった。
そして、連想ゲームのように、ニュージーランドで見た丘陵地帯の
秋の景色が眼前に浮かんできた。あの時は、自然保護運動を展開した
政治家ハリーエルが建てたという英国風の建築物を見に行った。
その建築物には石造りならではの、独特の、どっしりとした風格が
あった。建物内に入ってロビーに設えられたテーブルに座ると「なん
となく気持ちが落ち着いた」記憶が蘇ってくる。
そこからは外の景色も居ながらにして手に取るように見えた。外観
的にも石積みされた外壁は魅力的であった。
T&Kの 「ついの棲家Ⅱ」 は・・・
ハリーエルが建てた「なんとも居心地の良かった居住空間に、どこ
まで近づくことが出来るだろうか」と云う思いを巡らしながらピアノ
協奏曲の「第二楽章」を、もう一度、聴くことにした。
002 春から夏にかけて
春から始まった土地探しは最重要テーマであった。日当たりの良い
土地探しは、何処も手遅れ感がありなかなか思うように進まなかった。
そのような厳しい状況の中で、地元の建設会社Jグループに出会った
ことで予想外な展開があって 「T&Kのついの棲家Ⅱ」 の建設に
弾みがついた。
今回の土地の取得については、中途半端な妥協はしない考えで臨ん
だため、連日にわたり、辛抱強く日当たりの良い土地を見つけ続けて
走り廻る日々が続いた。
しかし、その努力はようやくにして報わることになった。家造りの
出発点となる土地探しは妥協しない姿勢で取り組めば、ワンチャンス
かもしれないが、ご縁はあるものだと、私と家内が笑顔で迎えた朝の
ことを昨日のことのように思い出す。
8月26日(木) 酷暑 建設工事の開始記念日
この日は室内のテニススクールに出掛けたが、室内コートとはいえ
気温は37℃を超えていた。そして外壁の気温は43℃という酷暑で
ある。今夏の暑さは異常であり処暑を過ぎても涼風が吹く気配はない。
テニスクラブの仲間が交わす会話において・・・
「冬の寒さに比べたら、夏の暑さの方が好き」という人も結構多いが、
今年の酷暑は全く別世界の話である。私にとっては、毎週、木曜日は
室内テニスの練習日である。
今日もコーチを入れて、8名による実戦練習を楽しんだ。狭山市の
テニススクールで大汗をかいた後は入間市のスポーツクラブで家内と
合流して軽い昼食をとり、その後、風呂で汗を出し切って家路に着く
ことが我が家の生活習慣として根付いていた。
今日は、帰り道に、楽しみが待っている。
予定では、本日は、入間が丘で私と家内の「T&Kついの棲家Ⅱ」
の建設工事が開始される日なのである。現地の建設現場の暑さは室内
テニスどころではなく、炎天下の作業なので、その暑さは我々の想像
を超えるものと想像しながら、家内と一緒に車を走らせ現地に着くと、
敷地内にはトラックが止まっていて建設機械のシャベルで掘り出した
土を盛んにトラックに積載していた。
敷地の周囲には、板囲いが出来ていて、建設機械を巧みに旋回させ
ながら、手際良く整地作業をこなしていた。道路を挟んだ向かい側の
敷地では建設工事が先行していて、既に、上棟も済み屋根がかかって
いる状況にあった。
この造成地は、私と家内がようやくにして、探し当てた区画であり
「日当たりの良さ」から即断即決で購入を決めた。
昔からたまに買うことのあったケーキ屋さんの脇に入って坂を登り、
左手に曲がって、すぐに、この土地に出るのだが、今までは、この坂
を登りきることはなかった。
Jグループの営業の松本さんから初めてこの土地を案内されたとき
には、それまで住んでいたところから、自転車で5分ほどの距離にも
かかわらず、まったく訪れたことのない土地であった。
(先ず二人で気に入ったのは土地の配置であった)
南側には6mの道路があり、西側には4.5mの道路。さらに北側
にも4.5mの道路がある「終日、陽が当たっている家がいいわ」と、
云い続けていた家内にとっても、私にとっても、申し分のない土地で
あると云える。
当時「建設工事の開始記念日に寄せて」と、題して、まさにピンチ
をチャンスに変えて、夫婦力を発揮した軌跡を、次の様に記している。
それは、家内が定年退職した翌日(2010年4月初め)に勃発した
一大事であった。その日、テニス仲間でもある、南側の隣家のご夫婦
が我が家を訪問して・・・
「今年の冬から、長男ファミリーと一緒に暮らすことになり、現在の
住居は手狭なので二世帯住宅に建て替えることになりました。つきま
しては建築現場の騒音などで、ご迷惑をおかけするかもしれません」
と、挨拶にみえたのである。
建築図面を持参されていたので、拝見させていただくと・・・
「隣家の土地の面積は約60坪であり、建屋を当方の土地にぎりぎり
まで寄せて建てないと建屋の収まりがつかないという。しかも東西の
長手方向に大幅に拡幅する設計になっており、我が家の南側は全幅に
わたって大きな建屋で覆われてしまうことになるようである」
「唖然として、図面に食い入る様に凝視するも、埼玉県入間市の建築
基準は満たしているという」
玄関先での挨拶でもあり、家内も出掛けているので概略の状況だけ
お聞きして頭の整理をすることにした。いずれにしても、これからの
日常生活を考えるとたいへんなことである。
間もなくして、外出先の家内から電話がかかってきて駅まで迎えに
行くことになった。家内が企業に勤めている間は、二人でそれぞれに
車を所有していたが、私の定年に続き、家内も定年退職となったので
我が家の車は一台に集約した。
(緊急用の移動手段として電動自転車を1台購入)
したがって、お互いに外出した時の駅までの出迎えは、二人の約束
ごとになっている。電話での会話のやり取りをいくぶんは察知できる
我が家の飼い犬も駅まで一緒に迎えに行くというので、車に乗せて駅
の待機場で一緒に待っていると、隣家の二世帯住宅の計画をまだ知ら
されていない家内は飼い犬の姿をみて笑顔で車に乗り込んでくる。
自動車を発進させてから・・・
「今度、お隣のTさんのお宅で二世帯住宅を建てることになったみた
いだよ」と、云うと驚いた様子で状況を聞き返してきたので、隣家の
概略の建築計画を紹介する」と、
「今までは、休日以外の昼間は、会社で仕事をしていたので、さして
気にもしていなかったけれど、これからは終日を通して家に居るよう
になるのでなんともタイミングの悪い話だわね」と、いうことになり、
お互いに、不安気な顔を見合わせた。
◯ その翌日からは、日々、過密なスケジュールを過ごすことになる
◯ 約三か月間というものは、連日のように朝から晩まで動き廻った
◯ 企業人として活動する中で、身に着けた考え方はフル活用した
最初は、フィージビリティー・スタディー(実現の可能性の調査)
という考え方をフル活用した。先ず試みたのは 「現在の住居地で
日当たりの良い住いに建て替えが出来ないか」という実現性の調査
から始めた。
土地の地形は東西に20メートル・南北に10メートルの土地なの
で約60坪はあるが南北方向のエリアが足りない。そこでとりあえず、
東西の余裕を生かした計画を5案ほど考え出して地元のK建設に持ち
込んだ。
K建設の設計担当の方には親切・丁寧な対応をしていただき終日に
わたる日当たりの状況をシミュレーションしていただいた。
◯ 結論として、どの計画も日当たり改善は期待できないことが明ら
かになった
現在の住居は、子供たち4人が中学生や高校生となり独立して勉強
が出来るようにしようという考え方で「従来の3LDKから7LDK
に大改造」した。その際は、まさに夏向きの住居仕様にして徒然草に
記述のある「家の作り様は夏を旨とすべし」に沿ってリフォームした。
当時は、それが一番と思い込んで暮らしてきた。
ところが今回の隣家の二世帯への建て替え計画により、冬場は日当
たりの悪さから「洗濯物の乾き具合の悪さ」や「冬場の日陰から来る
寒さ」が、襲ってきそうである。
このことを東京都内の友人に話したら・・・
「都内の土地に制約のある住居では日陰になる一階は物を置くように
して、二階の日当たりの良い部屋を工夫することで、快適に暮らして
いるよ」という話を聞かされた。
この話をヒントにして、二人で二階の日当たり具合を調べてみたが、
階段を上がって一番奥の西側の部屋まで行けば日当たりは良いが・・・
一階の西側に位置する・リビングやダイニングキッチンから、二階
の奥に位置する西側の部屋までは大きく動き回るUターン移動を繰り
返すことになり、日々の暮らしを考えるとたいへん不便である。
東側の二階につながる段階口を見上げながら二人で気付いたことは
「子育てが終わった今では、家が横長的に、広すぎると云うこと」に
気付いた。今まで住んできた住居は、まさに、終の棲家として・・・
◯ 子供たちの成長期には建屋を倍増させるほどの大改造を実施
◯ 定年を迎えるに当たっては終の棲家として住み心地の良さを追求
してリフォームを実施
◯ 昨年は子供たちが孫を連れての帰省に備えてゲストルームを新設
などなど、これからの終の棲家としての維持を熟慮して大掛かりな
リフォームを3回も実施して資金投入してきただけに、突発的な日照
問題に端を発するトラブルにはつくづく頭が痛い。
しかし、このままでは、なんら問題解決にならないと考え住み難さ
が目の前で現実化する前に問題解決の糸口を探し出す狙いから、今度
は、二人で住宅展示場に出掛けてみた。
今時の住まいの状況はずいぶんと進化しており・・・
「なかでもS林業の住居に対する考え方が際立っており、我々夫婦の
住まいへの発想に近いことを知った」
また、S林業の女性の営業職の方は、とても対応が丁寧でありかつ
親切であり、住宅展示場の展示物は大家族向けであるため、もう少し
小規模で我々二人の要求仕様に近く、実際に、これから住み始めると
いう住居を見せていただけるというので、営業職の方のご案内で坂戸
地区まで自動車を走らせていただき、今風のモダンタイプな設計住居
を見学させていただいた。
坂戸地区には、現在売り出し中の物件も多く手頃な大きさのものが
揃っているという。しかしながら、現在の入間市には30歳代のとき
から暮らしてきており、日常の買いものなど住環境も優れており二人
とも住み慣れた街を離れることには抵抗感があった。
そこで入間市でも熱心に土地を探してくれたのであるが、ちょうど
300戸の規模の戸建団地の売却が最終段階になってきていて大家族
向けの物件のみが残っており、土地の販売はほぼ完売となっていた。
念のため、S林業でも二人で住むためのダウンサイジング(小型化)
した住居の間取りを再設計して、現在住んでいる60坪の土地に当て
はめて計画してみたが南北の幅が10メートルと云う土地の制約から、
日照問題の目に見える改善は無理と判断した。
それからは、二人で市内の日当たりの良い土地探しに方向転換して
近隣の地域を含めて二人で走り廻ったが気に入った土地は、ほとんど
が売却済みであり、これから建設を開始すると云うところが圧倒的に
多くタイミングとして後手に回っていることが分かった。
そのような手詰まり状態の中で駅に近い茶畑を造成して、これから
住宅を建てるという広告のチラシが新聞に折り込まれてきた。早速に
電子メールで現地を見たい旨を営業担当に発信して約束の時間に現地
に出向くと、建設会社Jグループの営業の松本さんが待機してくれて
いて、現地を丁寧に案内してくれた。
しかし、ここでも広告のチラシを入れる前の段階で現地の造成現場
を目撃した人々から先約が入っていて、我々二人が気に入った土地は
売却済みであった。
そこで、発想をガラリと変えて息子ファミリーが住んでいる西武線
のひばりが丘駅周辺のマンション暮らしを計画。よく云われるところ
のスープの冷めない距離に住むのも一案かと考えて、現地の不動産の
営業マンの案内であちこち見て回ったが、気に入った日当たりの良い
物件にはお目にかかれなかった。
ただし物件の一つにこれから建築に取り掛かるというモデルルーム
を見付けて気に入ったのだったが、マンションの建つ土地には、借用
期限が課せられており熟慮して購入を断念した。
そのような折に先日の営業担当の松本さんから電話が入って、現在、
土地探しで苦戦している状況を伝えると・・・
「一度、我が社の店長にも会っていただいて、現在、抱えている問題
や住まいへの要望・希望などを、洗いざらい話していただけませんか」
と、いうことになり、今まで想定していなかった建設会社Jグループ
の入間店を訪問することになった。
Jグループの入間店長は、現在、我々二人が住んでいるところまで
わざわざ足を運んでいただき「何故、こんなにりっぱな住まいで暮ら
しているのに、それを売却してまで新しい土地を求めるのですか?」
と、いう投げかけから始まり、その後は、入間店に移動して長時間に
わたり、会議室で、親切かつ丁寧に相談に乗ってくれて、最終的には、
我々二人の決心として「日当たりの良い土地でなければ決着しない」
ことを、お互いの共通認識として散会とした。
それから三日後のことである・・・
◯ 建設会社Jグループの営業担当の松本さんが朝の8時に、我が家
に見えて「ご期待に添える土地が見つかりましたのでこれからご案内
します」ということで、
◯ 私と家内は、松本さんの車に乗り込み現地に到着すると、我が家
から自転車で5分程度の近さであるが、我々二人ともに、このような
造成地があることを、全く知らなかった
◯ しかも南側には道路があり道幅は6メートルあるという。そして
西と北も道路に囲まれており、それぞれに道幅は4・5メートルあり、
当然のこととして、日当たりは抜群である。
我々としては「即断・即決」で土地の購入を決めたことは云うまで
もない、好条件であった。
土地の形状は、南北に15メートルそして東西は10メートルやや
手狭とも云える約45坪の土地であるが南側の道路を考慮すれば建屋
の南側に、幅10メートルの空きスペースは確保できる。
したがって「終日を通して、日当たりが良い建屋を確保出来る」と、
云うことになる。
しかも、南西の角地であるので、夏場は暑すぎるほどの日当たりの
良さと云える。今回は、あくまでも中途半端な妥協をしなかったこと
もあり、晴れて、我々二人の願望が叶った。
これも、建設会社Jグループの入間店長が、自ら「日当たりの良い
土地を探してくれた」おかげである。
振り返って考えてみれば、現在の住まいは、かつての妥協の産物と
も云える物件であり、初めての持ち家となった、マンション暮らしの
時代に「子供たちから一戸建てに住みたい」という希望が寄せられて、
住宅供給公社の戸建て物件の二期目に応募して、購入が決まった物件
であった。
子供たちからの一戸建てに住みたいと云う要望は、特にしっかりと
した根拠があった訳ではなく学校の宿題で「自分の家の絵を描いて」
来なさいと云われて、住まいの絵としての見本が示され、子供ながら
に我が家を絵に描くものの 「家の屋根は、どう描けばいいの?」と
聞かれて、マンションの2階住まいの私は返事に窮した。
その時には、学校側も「酷な・宿題を出すものだ」とは、思ったが、
本質的な部分で戸建てへの住み替えを考える時期に来ているのかなと
も考えた。
その時に、丁度、住宅供給公社の戸建て物件の二期目の公募があり、
早速、応募してみたのだが最初に希望した購入物件は抽選から外れた。
しかし資金調達の見通しがついているということで、住宅供給公社側
からは「購入を辞退した物件があるので購入しないか」と、云う話が
我が家に寄せられた。
そこで、既に、同じ一戸建団地の一期目に住んでいたテニス仲間の
住まいを見せていただき 「住みやすそうな造り」 であることから、
住居の外観の形状が気に入らなかった物件ではあったが妥協して購入
したのであった。
しかし、その後、西側の空き地は広目であり、なんの問題もないと
安心していた土地が売りに出され、その土地が広すぎて売れないこと
から、東西に、二分割されて再度売りに出されることになった。
そして、我が家に隣接する土地を購入された方は土地の制約もあり、
当方にぎりぎりまで隣接させて家を建てた。結果「西側は封鎖された
状況」となった。
そして、今度は南側に、二世帯住宅の建設が決まったので、購入時
の安易な妥協のツケが容赦なく我が家に廻り廻ってきたことになる。
今回は、当時に比べると、住居に対する学習経験も積み上げてきて
おり、今回の日照の問題発生に対しても「二人で根気よく日当たりの
良い土地を求めて」中途半端な妥協をしない姿勢で臨んだため・・・
Jグループの入間店長の支援もあり「南西の角地を取得すること」
が出来た。まさに、ピンチをチャンスに変えることが出来た奇遇に
対して云いつくせない喜びがある。
それにしても 「現住居の築28年となる我が家」 は、今まで
「T&Kプラン」と、して、二人のイニシアルを並べて、大改造や
リフォームを施工、その都度快適さを求めて、具現化してきた。
おそらく、今回の隣家の二世帯住宅の話がなければ、ずっとその
まま快適さを求めながら「終の棲家」と、して暮らし続けていたに
違いない。
T&Kプランの愛称は、親戚の間でも良く知られており・・・
自分たちのファーストネームの「Tで始まり・Kで完結する単語は
THINKである」として、常に、二人で考えに考え抜いて住居問題
を解決してきた。
子供たちの学習環境が、大切と云っては、夫婦力で知恵を出し合い。
私の定年後にも「終の棲家を住みやすくして行こう」と、いっては、
知恵を出し合い。孫たちを連れた家族の帰省も、楽しく過ごしてもら
おうと云っては夫婦力で知恵を出し合い、その度にアイデアを出し合
い資金投入をしてきた。
考えてみれば、この積み上げ努力が「ついの棲家Ⅱ」の建設計画に
大いに役立ったことは間違いなく、これらの経験は大きな知的財産に
なっていたと云える。
それは、建屋だけでなく、庭造りにも云えることであり、我々二人
でやってきたことには、無駄はなかったと確信している。
したがって、今まで住んでいた家の売却に当たっても、ありがたい
ことに二世帯で住むことになったご家族の方々が、現在、住んでいる
快適なホームに集合したいので・・・
「ついては物置も兼ねて活用したい」と、いうことで、住居の広さを
気に入っていただき、即、ご購入いただいた。それに「室内は、二階
など昨年リフォームしたばかり」であり、一階のガスオーブンや給湯
機器も入れ替えたばかりである。
それもあって、購入者の若いご家族には、物置を兼ねた住居として
使えるということで、すっかり気に入っていただくことが出来た。
ただし住居の三回にわたる大改造やリフォームの費用回収までには
至らなかったが住居が解体されることもなく、そのまま継続使用され
るということがなによりも嬉しいことである。
~かくして8月26日の建設工事の開始は記念すべき日となった~
003 家の間取り図は25通りのイメージを創案
今回、ついの棲家Ⅱは「冬場の日当たりの良さ」に、重点を置いて
間取りを設計しており、夏場の涼しさは外構の設計で補って行く必要
がある。
8月27日(金)酷暑 地鎮祭でみせた設計士の男気
彩の森入間公園の下池に着いて飼い犬を自転車の前かごから降ろす。
携帯電話で時刻を確認すると、午前5時37分。池の面には彩の森の
樹木が涼しそうに映っている。
(最近は開門が午前6時になって早い時間の入場は不可となった)
この時間帯は夏の太陽がまだ顔を出していないために園内は涼しく
て気持ちが良い。そして早朝にも関わらずウォーキングや犬の散歩を
している人は老若男女を問わず多い。今夏は、異常とも思われる暑さ
なので「朝は、5時に起きて飼い犬と散歩」と、決めたのは地鎮祭の
日のことであった。入間が丘に建設する「T&K:ついの棲家Ⅱ」の
宅地の地鎮祭は、8月1日に行ったので、あれから早や3週間が経過
している。
農業関連の人々にとって「この朝食前の時間帯活用は常識となって
いる」が、一般の人々には「まだ夢心地のレム睡眠の時間帯」である。
今年のような酷暑の続く日々の生活を考えると、建設関連でも早朝
の施行は有効な気がするが「建設場所が住宅地の中となると安眠妨害
の苦情が来る」恐れがあるかもしれない。
現住居の我が家の北側にお住いのご夫婦は、3年前から朝5時起き
のウォーキングを彩の森入間公園内で続けている。しかも公園の外周
を毎朝3周されるというから凄いことである。
今朝も、公園内の入り口でお会いしたが、ご夫婦揃って健脚である。
この健脚ぶりは、ニュージーランドの山路でも、確認されたと云う。
本日の彩の森入間公園からの帰り道でのお楽しみは・・・
「入間が丘の我が家の基礎工事を見せていただき、建設工事の基礎を
学ばせていただく」ことにある。
「昨日、大活躍していた建設機械は、宅地の脇に片付けられて、ひと
仕事終わった」と、いう印象であった。
土を掘り起こした現地は、建屋外壁となる部分が深く掘り下げられ
ており、ここが配置図に書かれていたところの深基礎に該当する部分
だなと独り納得する。これらのことと併せて確認済証に書かれていた
着工予定日の8月20日には地盤調査をしっかりと行っておりこれで
地震への備えは十分と云う印象をもつに到った。
地鎮祭のときに設計士の宮崎さんが「エイッ、エイッ」と、鍬入れ
の儀を元気良くこなされていたときには正直驚いた・・・
毎週、月曜日に、デザイン・ミーティング(設計会議)を宮崎さん
と私と家内との三人で行なっているときには、物静かな雰囲気で対応
していただいていたので、男気の溢れる鍬入れの儀をみて 「男たる
ものやるときゃやるものだ」と、家内と顔を見合わせながら元気ぶり
に習って二人して見よう見まねで「エイッ、エイッ」と真似てみた。
それもあって「建築確認のための書類と設計図がまとまりましたの
で申請手続きをしておきます」と、云う言葉に対して 「頼りにして
おります」と、二人で素直に頭を下げた。
そして、8月6日には確認済証が発行されて建設会社Jグループの
夏季休暇明けに工事着工となったのであった。
地鎮祭には、営業の松本さんもコーディネーター役として同席され
我々夫婦と一緒に玉串奉納の儀にも加わっていただき、神様のご加護
のもと、我々夫婦と宮崎さん・松本さんがそれぞれ顧客・Jグループ
代表として「安全・無事な建設工事の遂行」を祈念させていただいた。
現地では、私も、心の中で、日頃から慣れ親しんできた安全5原則
を唱えて帰宅した。
「一つ、安全は全てに優先する」
「一つ、危険な作業はしないさせない」
「一つ、災害要因の先取り」
「一つ、ルールを守る」
「一つ、自ら努力する」
(こうして、建設現場の安全を、心から祈願させていただいた)
8月28日(土)酷暑 深基礎にコンクリート注入
このところ夕立もなく快晴続きで、猛暑を超えた酷暑が続いている。
しかしながら朝の5時頃は相変わらず、別世界のような快適さが続い
ている。今朝は、家内も、彩の森入間公園に一緒に行けるというので、
飼い犬も車に同乗させてのショートドライブである。いつもは自転車
のためにその分も運動になっていた。
今日は、自動車で行くので、ウォーキングの距離を多目にする必要
がある。そこで「先ずは二人だけで彩の森入間公園の外周をひと廻り
して」その間、飼い犬は車内で留守番となる。
「車の窓は開けておいたほうがいいわね」ということで話がまとまり
二人で歩き出す「ウォーキングすると猫背を直す効果があるようだよ」
と、云うと・・・
「どうかしら、私の背中まっすぐに伸びているかしら?」と、聞いて
くるので、背中を見ながら「大丈夫、背筋シャンとしているよ」など
と会話を交わしながらのウォーキングが続く。
「一般的に女性は油断していると猫背になりやすいので、先ずは大空
に向かって両手を突き出し、そのまま下に降ろすと、ウォーキングの
姿勢になる」と、放送大学の体育担当教授から学んだことがあるので、
その記憶をそのまま家内に伝えた。
ウォーキング教室も生涯学習の一環で・・・
「夏の盛りのなか、野外授業において、生徒全員が胸に心拍計を貼り
つけて、自分自身にとっての最適なウォーキングペースを、把握する
ための試し歩きをした」私の場合は「背筋にうっすらと汗をかく状態」
が、最適であることを実体験として把握した。
「踏み出した足は、踵から着地してリズム良く後方に蹴りだして行く
と良い」と、教授から教えていただいたので、そのままを家内に紹介。
二人でウォーキングするとあっという間の一周である。
家内は、そのままウォーキングを続けて、さらに一周すると云う。
私は、飼い犬を迎えに行くことにする。その後は、家内と合流して
朝の6時30分に開始と決まっているラジオ体操の第1と第2の音楽
に合わせて手足を動かして、ほど良い感じで身体全体をもみほぐして
から帰途に着く。
今朝の建設現場のウォッチングは彩の森入間公園に来る途中で立ち
寄ってきた。「深基礎の部分にコンクリートが打ち込まれているよ」
と、云うと家内が「綺麗な仕事ぶりね」と返して来る。
~昨日の安全5原則を思い出して今日もさらなる安全を祈念する~
8月29日(日)酷暑 気持ちが20歳も若返った
入間ケ丘の地域は落ち着いた静寂が保たれており居住区として申し
分ないロケーションである。我が家の建設現場では基礎部分に鉄筋が
組み込まれていた。
鉄筋はまだ横方向のみに配置された状態で縦方向の鉄筋との出会い
を待っているかのように見えた。
(横方向に走っている鉄筋のせいか全体的に広がり感がある)
入間が丘での日常生活は「一階のエリアのみでも、暮らせるように
しよう」と、いうことで、設計士の宮崎さんと間取り図を練り上げた。
そして、二階は子供たちの家族が訪れた時の、ゲストルーム(来客用)
として計画を立てた。
最終的な間取り図に到達するまでに「25案のドラフト(素案)を
作成」した。また、これは不思議な体験であったが「明け方になると
間取り図の案が脳内に湧き上がってくる」現象が楽しかった。
もちろん「一般人の浅知恵という自覚は自分自身でも持ち合わせて
いる」ので月曜日の定期的なデザイン・ミーティング(設計会議)に
おいて、設計士の宮崎さんの知見から、貴重なアドバイスをいただき
修正案を加えて行くのだが、これに対する家内の反応は、と、いうと
「よくも、まあ飽きずにやるわね」と、半分は呆れ顔であった。
しかしながら、そう云う家内も・・・
「計画案としては、それを上回るグッドアイデアを出してくる」ので、
私の案を次々と紹介することは、それなりの相乗効果が期待できる。
どうやら私と同じ発想法で「その間取りの中で、二人の生活シーンを
想像して快適さを総点検した上で代案を出してくる」ようである。
T&Kの「K」で存在感を示す、家内には、カラーコーディネート
(色彩調和)は、すべて任せることにした。
「構造物が色塗りされたイメージを想像しながら全体的な色彩の調和
を頭の中で点検する能力が優れていること」は、既に、現住居の外壁
工事で証明されている。今までにも、終の住処と決めた上で、現住居
を大改造およびリフォームしたときにも、カラーコーディネート関連
は、すべて、家内に任せて成功してきている。
実際的に、我々二人で考えて成功した外壁のリフォームは・・・
「二人でニュージーランドに旅行したときに石造りの家の外壁が気に
入って、これをなんとか、外壁を張り付けることで実現できないか」
と、考えて見積を取り寄せたところ「費用的には一般の塗装に比べる
と約3倍かかること」が、分かったが思い切って実行に移した。
それに合わせて「外柵は、ウッディーにしよう」と、申し合わせて
それも実行に移した。結果、購入時には外観が気に入らなかった家屋
も、構造的な大改造および石造り風の外壁の実現によってイメージが
激変「お気に入りの外観」に、変身させることが出来た。
そのような大掛かりな「リフォーム体験」は、「ついの棲家Ⅱ」の
設計に際しても大いに役立った。私と家内の間で間取り図の意見交流
を活発に交わせるのも、二人にとって「繰り返しのリフォーム体験」
と、いう共通の下地体験があるからと云える。
しかし、大掛かりなリフォームを3回も実施すると費用もかさんで
来る。当然、住んでいる家屋にも愛着が湧いてくる。それだけに土地
を探して「ついの棲家Ⅱ」を建てることには、相当の抵抗感があった。
しかし、腰を据えて改めて考えてみると・・・
「たしかに、夫婦と飼い犬だけで暮らすには、7LDKは広すぎる」
今回は、家内の定年退職の翌日に起こったところの日照問題を起点
に、可及的速やかにフィージビリティスタディー(実現の可能性調査)
を行い、私にとっては得意分野であるので始めれば楽しいが、なにせ、
予備調査を開始したのが4月初め。
建設会社Jグループに出会い建築に関する契約をしたのが5月初旬、
それまでの間は驚くほどのハイペースで、いろいろな角度から、現地
調査に次ぐ現地調査を重ね、息子家族が住んでいるひばりが丘近郊の
マンションを、はじめとして入間市の戸建団地300戸の調査や仏子
の戸建団地など、あちこちの戸建団地を見て廻り、当初は、現住居を
壊して建て直す計画まで練り上げた。
~振り返ってみると「二人とも気持ちが大いに若返った」気がした~
8月30日(月)酷暑 スピード感のある基礎工事
早朝の彩の森入間公園でのラジオ体操を終えて、帰宅後にシャワー
を浴び、朝食が済むと、連続テレビの朝ドラ「ゲゲゲの女房」放映の
時間である。これで、夏の朝の快適な生活リズムが出来上がった感じ
がするから不思議だ。
これからは、冬に向けて日の出の時間をみながら、少しずつ時間を
ずらせて行けばこの快適さは持続できそうである。朝の8時の時間帯
といえば、現役の頃には業務を開始していた時間であることから朝の
イベントとして、特別なことを始めた印象はない。
一般的に、製造業の始業開始は早い。入社以来、早起き型の生活を
続けてきているので早起きの方が体質的に合っているのかも知れない。
新入社員だったころは、午前8時には設計図を書き始めて、午後4時
(当時の定時)には仲間と一緒に仕事を切り上げて、渋谷などに繰り
出すこともあった。
週休2日制になってからは、終業時間が午後5時となり・・・
「終日を2分割して、楽しむ生活スタイルは出来なくなった」が週休
2日を丸々楽しむことは可能になった。
昨日は、日曜日であったので、朝は建設現場には寄らずに、午後の
郵便局への用事のついでに入間が丘の建設ウォッチングをした。基礎
の鉄筋は縦方向にも入っていて丁寧な仕上りが目に入った。
基礎工事はコンクリ養生があるので頻繁な人の出入りはない。この
建屋の引渡しは「12月10日」と、決められているがJグループの
俊敏さからは十分に可能な日程であろう。
現在の住居の南隣りにおいても家の建て直しが、4月下旬から開始
されているが、完成は11月下旬と聞いているので、建設工期という
面からJグループの建築工事進捗には格段のスピード感があり、建設
現場を見ていても建設力の差異によるものであることは明快である。
Jグループでは、材料の切り出しから建設現場への資材搬入や建築
業務などが極めて手際良く進められており、一貫性をもって進められ
ているので「人手に無駄がなく」 かつ「途切れることがない」ので、
連続性をもって作業が進められている。
当然 「スピード感のある建設工事」と、なってくる。豊臣秀吉の
「一夜城」の例を引くまでもないが、30年超の技術と知恵の結集が
成せる技ということであろう。
「心技体の研鑽」を掲げて、匠の世界を目指している約500名規模
の職人集団の集合体であることも技術力の積み上げに一役買っている
ものと推測する。
かつてハウスメーカーのプレハブ工法を支えている量産工場の現場
を異業種交流会の管理工学(IE)研修で見学させていただいたこと
があるが、住宅がコンベアに乗って流れて行く光景は圧巻であった。
(作業者は流れるプレハブ内において手際よくビスを締めて行く)
Jグループの仕事に、そこまでの徹底さは必要ないと考えるがその
俊敏さにおいて、技術集団として構築してきた仕組みとしての力強さ
が強く感じ取れる。
~今後も「安全は全てに優先する」で工事を進めていただきたい~
8月31日(火)酷暑 基礎はコンクリ養生の期間に突入
朝の佇まいのなかで、コンクリ養生をしている建設現場を見ながら、
昨日届いた外構図面のことを思い出す。外構というのは、建物の外側
の造りのことであり、植栽などを含めて採光や風通し、暑さ避けなど、
四季を通しての配慮が必要になってくる。
今回、ついの棲家Ⅱは「冬場の日当たりの良さ」に、重点を置いて
間取りを設計しており、夏場の涼しさは外構の設計で補って行く必要
がある。
外構には「オープン・スタイル」と「クローズ・スタイル」がある。
最近では、オープン・スタイルが多くなってきているという。現在の
住居は典型的なクローズ・スタイルであり敷地も60坪あることから、
植栽を内側からの眺めとして楽しんできた経緯がある。
今度の入間が丘の敷地面積は約45坪ということもあり・・・
「セミ・オープン・スタイル」で計画することにした。外構プランの
基本的な考え方としては 「家屋の周りに中・低の高さの植栽を寄せ
植えにして」建屋外周を緑の植栽で包むようにして夏場の暑さを和ら
げることにした。
西側の窓辺にはゴーヤを植えて、緑のカーテンで夏の日差しを遮断
する。南側の庭には、低い草花をプランターに植えることで風通しを
良くする。北側の玄関脇には坪庭風の庭園を配置する。
(キッチンの出入口には薔薇のアーチを配置しようと考えている)
東側の細道は、隣家との境界なので白砂利を敷くことにする。また
西側のオープン感覚で開かれた印象の出窓の前には、シャラ(夏椿)
を植えて、細窓の3連を配した出窓の前には姫沙羅を植える。
防犯面では、外構に頼ることなく、建屋の構造を工夫して一階にも
二階にもシャッターを取り付ける。風呂場やトイレの窓には、外側に
菱面格子を取り付けて、お洒落な感じを出しながら防犯をする。
明日「外構図面に承諾印を押して、Jグループに郵送すれば」これ
にて、外構プランは確定という次第である。
004 ホップ・ステップ・ジャンプで詳細設計
我が家となるコンクリ養生中の基礎は「実尺の間取り図」そのもの
という印象を受けた。
9月1日(水)酷暑 飛行機に縁のある人生
俳句の季語でいうところの「葉月」に入った。彩の森入間公園でも
意識して木々の葉を観察すると、まだ葉の緑が濃くて残暑という気配
である。突然、近くから、起床ラッパが鳴り響く。
彩の森入間公園に、隣接する航空自衛隊のテニスコートの方角から、
その音は聞こえて来る。時刻は午前6時。時計の針は縦一文字であり
区切りの良い時間である。
(最近は園内への入門時刻は午前6時になり、この体験は出来ない)
私の人生は飛行機に縁がある。入間が丘からも東方に入間航空基地
に飛来する飛行機の姿を目にすることが出来るが、地形的には飛行機
からの音響が届く地域ではない。
私の出生地は群馬県の太田市であるが、これは群馬県前橋市出身の
父親が太平洋戦争の最中に中島飛行機で働くようになって社宅に入り
私は1942年(昭和17年)に太田市で生まれた。
戦争が真っ盛りのときに、赤ん坊であった私は、母親に抱えられた
まま防空壕に逃げ込み、戦闘機からの機銃掃射のまさに間隙を抜けて
「生き延びた」と母親から聞いているので、まさに「生かされた」と
いう体験の持ち主なのであると云う。
そのような経緯で私が生まれた土地にも飛行場があり戦後は飛行機
が燃やされる姿を子供ながらに見て「背筋を寒くした思い」が、今で
も脳裏に残っている。
学校を卒業して入社した会社での初仕事は純国産ジェットエンジン
の量産設計であった。全社的に航空エンジン部門に人材を集めている
時期で、私も航空エンジンの設計部門に就業することが出来た。
今回、お世話になっている建設会社Jグループのキャッチフレーズ
が「Jから始まる物語」であるが、私の企業人生活も 「J」 から
始まっている。ただし、私の場合は「ジェットエンジン」のJである。
9月2日(木)酷暑 コンクリ養生中の基礎は実尺の間取り図
今夏は、テニスをしていても異常な暑さで、ヘッドコーチも水分の
補給をするようにと頻繁に給水を促している。そして、小刻みな休憩
時間を意識的に設けてコーチも注意深く水分の補給をしている。私も
「その通り」と、考えながら口に含むようにして水分補給をする。
(実戦練習の約2時間が終わる頃には水筒は空になっている)
今朝の新聞では「113年間で一番暑い夏」の見出しで記事が紹介
されていた。
「気象庁は、今夏が観測史上において最高に暑い夏であった」と発表
した。この厳しい暑さについては、9月中旬まで続くとみられており
最近のテニスコートにおける暑さを実経験しているだけに納得である。
私が毎週通っているテニスクラブは会員制とスクール制の2部構成
となっており、会員は屋外の炎天下でテニス練習をしている。
(スクール生は室内コートを使う)
今日の室内コートは、気温が37℃を超え、外壁の温度は42℃を
超えていた。屋外に出て準備運動などをしていると、灼熱の太陽が肌
に突き刺さるようで暑さが痛い。
飼い犬が屋外で熱中症になるケースが出ているというが室内の冷房
の効いた場所で人間と共存している飼い犬とでは、当然、天国と地獄
ほどの違いが出てくると云える。
我が家の早朝ウォーキングは今夏から始めたものだが、彩の森入間
公園に、早朝に集まって来る人々は確実に増えて来ている。これにつ
いては当然の成り行きと云える。テレビニュースなどによれば・・・
「今夏から工事現場などでも気温と湿度を並べて表示するペンダント
風のものを工事現場の作業者が、首からぶら下げて、熱中症の予防に
努めているという」
(熱中症に向けた安全対策としてはたいせつな配慮である)
基礎コンクリート養生中の建設現場では、酷暑の中で周囲の外枠に
支えられながら、まさに、図面に観る間取り図を実尺に拡大したよう
な形態で、次の展開を待っている。
良き建築設計は、細部設計にこそ秘策を宿しているというが、基礎
工事の全景をみながら、今回「細部設計の段階でこだわった階段下の
スペースと和室の押入れを連結させた収納エリア」に、思いを馳せる。
Jグループの入間住宅展示場を見に行ったときに、細部設計として
「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのアイデアに納得」それを
採用したが「トイレ内から利用する階段下の収納エリアの使い難さ」
については、問題点と考えて「その解決策」に心が動いた。
そこで、こだわりの細部設計としては、階段下の収納はトイレでの
活用ではなく、隣接する和室の押入れとの連結によって・・・
「和室内にクローゼットを誕生させるという冒険である」それが何故
冒険かと云えば「間口半間に対して奥行が一間という使い難さ」への
挑戦となるからである。これを無理やり設計士の宮崎さんにお願いし
て実現させた。
したがって「このエリアを有効活用する責任は私にある」と、自覚
しているので、この内部の使い方をなんとしても「グッドデザイン」
にもって行きたいのである。
私と家内は、設計士の宮崎さんの助けも、お借りして・・・
「細部の設計にトコトンこだわってみた」結果として標準設計に収ま
らずに「オプション仕様」に、なるものもあったが「こだわりを貫き
通すことで、二人のアイデア合戦は幕開け」となった。
(幾つかのアイデアを、ここで、挙げてみることにする)
◇◆◇ 玄関を上がってリビングへの入り口となる扉はバリアフリー
を考慮して、引き戸にした(これによって、フラットな床を実現)
この大型の引き戸には設計士の宮崎さんからの配慮で、V字型の
レールを採用(これにより大型ドアであっても開閉が軽くなった)
引き戸には、細長型の強化硝子の窓を四つ設けたので、向こう側
のシルエットが確認出来て、安全面からも優良設計となった
◇◆◇ リビングから外部を確認する出窓は、細窓の3連式にした。
このアイデアは出窓も細窓も両方欲しいという、二人のわがまま
を、宮崎さんに聞いていただいて実現したものである
◇◆◇ 二階の出窓はやめて一階に出窓を集中させた。これは外観
のイメージアップにもつながった
◇◆◇ リビングと和室の間は三連式の引き戸にして夏場は大きく
解放して、冬場は閉め切るようにして、春夏秋冬の四季を通して
のバリエーションを考え使い易さにも配慮して頑丈な造りにした
◇◆◇ 1階のリビング南面の大型シャッターは電動にして、操作
を容易にした
◇◆◇ 和室8畳の天井は標準仕様のプリント柄ではなく、木目調
の天然材にした(割高にはなったが気に入っている)
◇◆◇ 玄関口の脇には、シューズ・イン・クローゼットを設けた。
これにより玄関前がワイドサイズとなり自転車2台を置けるよう
になり、合わせて郵便受けのエリアが設計しやすくなった
◇◆◇ 階段はゆったりとした設計仕様にして、途中には踊り場を
設けて、階下の床まで一気に滑り落ちないように配慮した。登り
は左手側、下り時には右手側に手すりが来るようにして、利き腕
を生かせるようにした
◇◆◇ 二階の北側クローゼットは中には入らずに、外側から洋服
が取り出せる設計仕様にした
(これはジェットエンジンからのヒントであり我ながら最高傑作)
◇◆◇ ゲストルーム(2階)の南側の大きな硝子戸は、4分割に
して軽く動かせるようにした
◇◆◇ 二階のバルコニーは、L型にして、排水口を東西に2か所
設置。これにより、排水能力を倍増させた
(これもジェットエンジンの潤滑機能からのヒント)
「デザインミーティング(設計会議)」は狭山台のデザインセンター
において、毎週「月曜日」に定期的に行なわれて、私と家内と設計士
の宮崎さんとの間で、前述の様な細部の設計について、お互いに納得
が行くまで意見交流が行なわれて、結果、グッドデザインを生み出す
ことにつながった。
【T&Kの細部設計への思いと気配り】
建設計画における細部設計は、今までの人生経験と知恵をデザイン
センターで共有して「ホップ・ステップ・ジャンプ」で推進した。
初めて、狭山台のデザインセンターを訪れた時には、営業スタッフ
の松本さんに同行していただき、最初に、土地の購入契約を済ませた
上で、建屋建設の契約を済ませて、建設計画の具現化が始まった。
契約上では「設計仕様はユーザーが自由に計画できる」ものとして
おり、細部にいたるまで、自分たちで設計出来るということは嬉しい
ことだ。ただし、契約金の基準には標準仕様が設定してあり、それを
超える特別仕様については、個々にオプション契約となる。
狭山台のデザインセンターは、ブレントウッドテニスクラブに近く
毎週木曜日にはテニス練習で狭山市に通っているので、親しみのある
街である。この頃は、営業スタッフの松本さんとも、気軽に・親しく
会話が弾むようになって来ていて、二人で「松ちゃん」と、呼ぶよう
になっていた。
デザインセンター内部はフロントの案内スタッフが入り口で出迎え
る構えになっており、入ってすぐのエリアが、デザインミーティング
(設計会議)の場所として用意されていて、それぞれの打合せが干渉
しないように低いパーテーション(衝立)で区切られている。
机の上には、パソコン端末などが、それぞれのブース毎に設置して
あり、設計内容などの打合せも、パソコンを活用して行われている様
である。デザインセンターの奥部のエリアは建材や調度品などの展示
場としての設えとなっている。
デザインミーティング(設計会議)の日時の設定については、営業
スタッフの松本さんからの提案で・・・
「土曜日や日曜日は、若い人たちが、休日を利用してのミーティング
で混み合う」と云う貴重なアドバイスをいただき、私と家内は、毎週
「月曜ミーティング」を定例的に行うことで日時を設定した。
手始め感覚で第1回目の「デザインミーティング」のために狭山台
のデザインセンターを訪問すると受付カウンターの担当には、私たち
の訪問が徹底されている様子で・・・
設計ブースにスムーズにご案内いただき、すぐに設計士の宮崎さん
が見えて名刺をいただいた。「名刺には一級建築士と記されていた」
挨拶が終わり三人揃って席に着くと、すぐに、デザインミーティング
が始まった。
早速、資料が机の上に並べられて、最初に「マスタースケジュール」
の説明があった。印象として「これならば、設計ガイドにしたがって、
個々の細部設計についても、無理なく・無駄なく・進めて行ける」と
確信的な安心感を持つに到った。
個々の細部設計への思いやこだわりのようなものは私と家内が共同
提案者となって、設計士の宮崎さんからアドバイスをいただきながら、
建築図面に、反映させて行けるので 「三人寄れば文殊の知恵の陣形」
が組めたことになると直感した。
マスタースケジュールによれば、本日(5月21日)が設計開始日
であり、7月10日には「設計の全日程を完了」 建物の引き渡しは
「12月10日と明記されていて」Jグループの気配りを感じ取った。
◇◆◇ 設計の進め方は・・・
「ステージ1 (ホップ)」
「ステージ2 (ステップ)」
「ステージ3 (ジャンプ)」
と、三段階(三段跳び)に分けて、進める日程が設定されている。
◇◆◇ ステージ1では 「基本となる間取り設計から始まって」
「間取りへの細部の要望」「建坪の設定」「屋根の形状」「ライフ
スタイルへの思い(要望)」「駐車区画」などを、細かく設計者と
相談しながら進めて行くように案内している
◇◆◇ ステージ2では 「住まいの仕様について細部の打合せを
進めるよう」に設定してあり「ドアや引き戸に始まって収納関係」
「窓の最終確認」「台所及びトイレ・標準小物などの置場」および
「屋根材の選択」へと進んで行く
◇◆◇ ステージ3では 「インテリアの色関係に始まり」やがて
「ショールームにおける住宅設備機器の選択」へと、進んで行って
「外構関係は必要に応じて別途調整」となっている
全体の日程の進め方については、冒頭に説明のあった設計開始が
5月21日、設計完了が7月10日、住居の引き渡しは・・・
「2010年12月10日」として顧客と設計者との間の心づもり
を再確認し合った。
私と家内が事前に相談して決めておいた間取り図の案は第1回目
の打合せで披露することが出来て、デザインミーティングは順調に
スタートした。それもあって、その後は、電子メールでのやり取り
で宮崎さんとの連絡を取り合い・・・
「5月23日には間取り図を最終決定して」電子メールの添付資料
として宮崎さん宛てに電送「間取り図の最終版」を決定した。
その後も月曜日定例のデザインミーティングは順調に進み最終的
な設計書の確認となる 「デザインレビュー」については、カラー
デザインも含めて「6月28日には細部設計」を完了させた。
ここまで、順調に進めることが出来たのは、かなり早い段階から、
間取り図の計画を細部の家具の配置までを含めて考え抜き「全25
通りの間取り図」を、用意して、自分たちなりに最終案を絞り込み、
設計士の宮崎さんとの「初回のミーティング」に間に合わせたこと。
および宮崎さんからのアドバイスも俊敏であり・・・
全25通りの間取り図についても参考的に、的確な「長所と短所」
に基づいた助言があり、私と家内も迷うことなく決心出来た結果で
あると考えている。間取り図には、私と家内が生きてきた人生経験
が反映されているといっても言い過ぎではないと考えている。
持ち家としては、一軒目のマンション暮らしの間取り図。二軒目
となる一戸建ての間取り図。その後の大改造を含めた3回にわたる
大掛かりなリフォーム。そして池袋のサンシャインから徒歩で5分
のセカンドハウスの間取り図などなど・・・
自分たちの暮らしを振り返っての間取り図は、お気に入りを取り
入れて、失敗策などを見直すという思考をとっているので「夫婦と
飼い犬で暮らし、そしてたまにゲストを迎える」という狙いからは、
バランスの取れた間取り図になったと考えている。
池袋のセカンドハウスは、ワンルームでありながら、必要な機能
はすべて整っていたので「風呂場のデザイン」及び「セキュリティ
の考え方」「訪問者への対応」「キッチン周りの調度品」「今風の
クローゼットの在り方」などの面で近頃の建築スタイルを把握する
上では大いに役立った。
また、S林業の営業職の方に案内していただいた坂戸の規模的に
親近感のある間取り図や、息子たちの住んでいるひばりが丘の地域
で見ることの出来た新築マンションの間取り図なども参考になった。
そして、お世話になったS林業の営業職の女性の方には「建築を
条件とした土地の購入であった」ため建築工事をお願いできなくて
申し訳ない旨を連絡して、住宅展示場に菓子折りなどを届けさせて
いただいた。Jグループの営業スタッフの松本さんを始め営業職の
方は皆さん親切である。
細部設計の段階では、それぞれのステージ毎にチェックボックス
(レ印)が設けられていて、大まかに・・・
◇◆◇ 第1ステージで 「17のチュックボックス」
◇◆◇ 第2ステージで 「28のチュックボックス」
◇◆◇ 第3ステージで 「26のチェックボックス」
ホップ・ステップ・ジャンプの合計で「71のチェックボックス」
が設けてあり、すべてのチェックボックスに 「レ点が入った」とき
には二人で乾杯をした。
そして、一通りの細部設計を完了したときに感じたことは細部設計
の要所・要所において 「企業人とした活躍した時代の体験や経験が
すべて生かせた」ことであった。
「それぞれの体験や経験が、どこで、どのように生かせたのか」その
詳述については、後日、機会を見て書き出すことにする。
005 ニュージーランドで培った夫婦力
家内の定年退職日の翌日に、南側の隣家から持ち込まれた日照問題、
そのピンチをチャンスにパラダイムシフトさせた夫婦力は、ニュージ
ランド(NZ)の旅で培われたものと確信している。
我々夫婦は、三連休や大型連休を活用して、お互いに企業内活動で
溜まってくるストレス発散を狙いとして一緒旅に出ることが多かった
が、国内旅行が主体であった。そのような・私と家内にとって、最初
の海外旅行先は、ハワイであった。
二人揃っての海外体験となるハワイ旅行は「フルムーンの旅」と
して位置付け、観光旅行を満喫することに終始した感があり豪華版
として費用も張り込んだ。
その点、二度目の海外旅行先となったニュージーランドの旅では
二人共に地に足が付いた感じで日頃からの日常生活を離れて・・・
「これからの行く末を考える」のに良い機会となり、二人にとって
チームワークが大いに培われたという意味において「ニュージーラ
ンド合宿」と、云っても良い有意義な旅となった。
結果、その成果は久保稲荷四丁目の「終の棲家Ⅰ」の大掛かりな
リフォームおよびその後の入間が丘における 「ついの棲家Ⅱ」の
新築の際に、大いなる夫婦力の発揮につながった。
◯ 「終の棲家Ⅰ」の大掛かりなリフォームは6人家族の子供たち
4人が、それぞれに個室を持つための大改造であり、合わせて妥協
の結果、購入したがゆえの外観上のどうにも気に入らない形状から
脱却するための狙いもあった
◯ 「ついの棲家Ⅱ」の新しい土地を探しての新築は、日照問題の
解決と夫婦と飼い犬だけの小家族に向けた家屋のダウンサイジング
に狙いがあった
(ニュージランドの旅では、ダウンサイジングは視野にはなかった)
【オータム・ショック】
あの日、成田空港に集まったツアー仲間は、なんとも多彩であった。
新婚組の若手が2組、60歳代後半の夫婦が3組、親子連れの混成が
2組、70歳代の友人ペアの二人、他のお二人はシングルで参加され
ていた。そして年齢的には平均に位置する私と家内であった。
(あらゆる年齢層の意識調査が可能であった)
まだ初対面で気心も分からず、ツアーの女性コンダクターが掲げる
旗に連なってぞろぞろと歩いた。出国手続きが済むと出発時刻までは
それぞれの自由時間となっている。成田の出発ゲートで、私は手荷物
だけを持って、家内と一緒にベンチに腰をかける。
「この待機の時間は、なんとも夢があっていいわね」と、家内が云う。
「すぐにでも海外に向けて飛び立つ時間が刻一刻と近づいてくる感覚
が好きなのかな」と、想像する。それとも松尾芭蕉の「奥の細道」の
序章の風情「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」と
いう心境なのかなと、次々に想像を膨らませる。
当時の私自身の心境としても・・・
◯ かつての欧米のエアラインや航空エンジン製造メーカーにおける
管理工学(IE)活用の実態調査の際には、上司と共々寝る間も惜し
んでのレポート書きに追われていたので、旅を味わうと云う気持ちの
余裕はまったくなかった
◯ 生産性の船に乗船の際は、飛行機でシンガポールに行き、復路は
豪華客船の旅であったが、当時は担当講師として約50名の研修生を
預かっていたので、香港にての停泊時などは受講生全員が無事に帰船
するまでは緊張の連続であり心休まる船旅ではなかった
その様なことを思い出すと、家内と一緒の旅は「寛ぎそのもの」で
あった。やがてNZ090便に乗り込むとJL090便と共同運航便
になっていた。機内では通路を挟んで、隣り合せとなったツアー仲間
のご夫婦と挨拶を交わす。
ご主人が名刺を差し出して挨拶される。私も財布のポケットに名刺
が入れてあることを思い出して名刺を差し出す。いただいた名刺から
新橋で弁護士事務所を開設されていることが分かる。
他のツアー客にも、機内を歩き回って盛んに名刺を配っているので
「ご自分の仕事に全力投球する商売熱心な方」なのかなと、想像する。
私も、弁護士さんに習って、家内を挟んだ隣席の親子連れの母親と思
われる60歳代後半の女性に名刺を渡す。
こういう場面での名刺交換の経験はあまりないが、しかし、それも
自然な成り行きであったと云える。私も弁護士さんの気さくな態度に
学んだのと同時に「新幹線における5分間の理論」を思い出していた。
「新幹線に乗ったときに東京駅などで隣席の方がシートに座ったとき
に目安として、5分間以内になんでもいいから、一言でも声をかけて
おくと、後の時間を気持ち良く過ごせる」と、いう経験則である。
(黙していれば、そのまま、黙していられる)
そんなことを思い出していると、名刺を渡した女性が唐突なことを
云い出す 「あなたは、出世をあきらめての海外旅行ですか?」と、
「なんということを」と、絶句する思いではあったが 「そのまま」
しばらくは沈黙を守ることにした。
しばらく、間を置いて「会社の永年勤続の表彰旅行です」とお答え
すると 「おみかけするところ、まだまだ・働き盛りのご様子であり、
そのような時期に、海外旅行とは、出世をあきらめた方か」と。
(なんともハッキリとしたものいいには恐れ入った)
「そうでしたか。永年勤続のご旅行でしたか。銀行関係では勤続15
年くらいで、皆、海外旅行させるようです、そして、本人が旅行中に
身辺調査をして不正が起きていないか審査するそうですよ」と、女性
が言葉を続ける。
その後、ツアーに単身参加の銀行員が、まさに、勤続15年で参加
していることを知って、この女性の話題には真実味が帯びてくること
になる。まさに新々人類を思わせる情報通のその女性には旅の途中で
何度も貴重なアドバイスをいただきお世話になることになる。
飛行機がニュージーランドに近づくと、女性コンダクターからそれ
ぞれに、入国手続きの書類が手渡され記入を終わって身の回りの整理
や整頓が始まる。
クライストチャーチに到着すると、空港には見るからに頑丈そうな
ベンツ製のバスが待機していた。大型バスということもあり「快適な
観光ツアーの始まり」と、いう印象を受けた。やがて、バスは花壇が
よく整備された建物の前に到着する。
(これは大いに庭造りの参考となった)
花壇を抜けて行くとエイボン川のほとりに出た「あら鴨がゆうゆう
と泳いでいるわ」と、いう声をきっかけにツアー仲間がいっせいに、
鴨を背景にして、お互いの連れや家族にカメラを向けて、写真を撮り
始める。
その場所で、一時、みんなでゆっくりとして奥に行くと、グランド
一面がバラ園になっていた。ほとんど、同時に、全員が歓声をあげる。
良く手入れされたガーデニングの眺めを楽しんで、全員がバスに乗り
込むといっせいに「疲れた、疲れた」と、口に出しはじめた。思えば
成田空港で飛行機が出発したのが17時55分。
(クライストチャーチには現地時間で朝の7時35分着であった)
日本とニュージーランドでは時差が3時間あるので日本の現地時間
に換算をすれば、明け方の4時半に、叩き起こされての入国手続きと
いうことになるので、まだ気持ちの上では、脳の機能の半分が寝って
いる状態での観光であった。
やがて、バスは市内の大聖堂に到着する。英国ゴシック様式の大建
築物は尖塔が濃い青色で、大窓のエンジ色とのコンビネーションがと
てもお洒落な印象で見栄えが良い。建物の縁取りは、白色で統一され
ている。
次に、カンタベリー博物館を訪問した。ここで、ニュージーランド
の歴史を学ぶことになる。ニュージーランドは地形的に日本列島から
北海道を取り外した大きさであり、北島と南島からなる。
クライストチャーチは、南極寄りの南島の東岸に位置している。
クライストチャーチの丘陵地帯からの眺めは、素晴らしく、市内を
一望できる。旅程における天候が快晴ということも手伝って旅先での
秋を大いに満喫できる幸運に恵まれた。丘陵からの視界には背の高い
建造物はなく秋が一面に横たわっていた。
私は、この旅行の出発前に東京で暮らしていて、これが初めてとも
云えるほど見事な桜を会社の桜祭りで満喫した。そして、地元の稲荷
山公園でも桜を楽しみ成田を旅立った。
「海を越え一瞬にして、秋の眺望に変わるなんて、なんとも不思議な
体験だね」と、家内に呼びかけると「素晴らしいわ、これがほんとう
のオータム・ショックね」と、目を丸くして喜んでいた。
「ニュージーランドにおいては、眺めの良い丘陵地帯に家を建てるこ
とが、ひとつのあこがれとなっています」と、女性コンダクターから
説明があり、丘陵から広がった視界の良さを見て 「なるほどね」と
納得した。
この眺望を楽しんでいるとき、私と家内だけで「ミセスCIA」と
呼んでいる奥さんが、隣で、一緒に風景を眺めていた。
(なんでもご存知の奥さんに敬意を称しての称号である)
「たしかに高級住宅が丘陵地帯に密集して建っているわね」と、いう
家内の感想に続けるようにして、ミセスCIAから・・・
「この丘陵地帯には自然保護運動を展開した政治家ハリーエルが建て
た英国風の建築物があるのよ」と、いうことで、皆で見に行くことに
なった。
006 理想的な居住空間
環境保護運動を展開する「政治家ハリーエルが建てたというところ
の英国風の建築物」への道筋は、ミセスCIAによる案内に連なって
スムーズに現地に到着した。この建物への道筋はシステムエンジニア
のお嬢さんからの情報提供だろうか。その英国風の建築物はさすがに
どっしりとした風格を成していた。
現在はレストランに改造されていて一般に公開されている。入って
すぐのロビーに設えたテーブルに座ると「なんとなく」気持ちが落ち
着くから不思議である。
ロビーからは、外部の景色が居ながらにして手に取るように見える。
外観的にも、外壁は石積み風になっており、どっしりとした落ち着き
が感じられる。
その時の「居心地の良さから来る好印象」の衝撃は大きく私と家内
にとっては、理想とする我が家のイメージを目の当たりにした手応え
であった。たとえ、建屋の規模は違っても、この落ち着いた佇まいは
参考にしたいと考えた。
当然のこととして帰国後「終の棲家Ⅰ」の大掛かりなリフォームや
その後「T&K:ついの棲家Ⅱ」を新築する際に、次のような視点で
大きな影響を与えたことは云うまでもない。
◯ 居住性という内部構造としてのデザインの良さは当たり前として、
外観面からもバランスの良いイメージの工夫については両立させる
必要がある
◯ この点について「終の棲家Ⅰ」については間取りの工夫に加えて、
外観の景色は、自分で、スケッチを描いてイメージを確認した。
(結果、割高にはなったが外壁は石造りのイメージを採用した)
内部の間取り図については、家内や子供たちから、アイデアを募集
して「2階は女性専用フロアー」そして「1階を共有の混在エリア」
と、した。
◯ その後の「T&K:ついの棲家Ⅱ」では、設計士の宮崎さんから、
内部構造の図面類と一緒に、外観のイメージ図面もコンピュータで
アウトプットしていただき内外両面からのチェックを容易に行なう
ことが出来て大助かりであった
外観上のカラーデザインは家内にいっさいを任せたが、周辺の住居
では「ツートンカラー仕立てが主流」であったが、我が家では家内の
センスを最優先「一色仕上げ」の洗練された配色となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クライストチャーチの市内観光も終わり今晩の宿泊ホテルに着くと、
それぞれに部屋の鍵が渡されてディナーでの再会が女性コンダクター
からアナウンスされる。
部屋に入り、旅行カバンを片付けてから、二人で、ロビーに行くと、
ツアー仲間の若いカップルから声がかかる「すいません教えて下さい」
と云われて「なんでしょうか」と、答えると女性から「ディナーへの
案内がありましたが、どのような服装で出ればいいのでしょうか」と、
ここは家内の出番である。
「くつろげる感じの気軽な服装で大丈夫じゃないかしら」と、やがて
暖炉の火が燃えているレストランにツアー客が集まって来る。どうや
ら席は自由席のようである。先程の若いカップルがこちらに向かって
近づいてくる。その後から情報通として有名人になったミセスCIA
親娘と60才代後半のご夫婦が談笑しながら歩いてくる。
私と家内も、レストランの係りの女性に案内されて席に着く。私達
の前には新婚夫婦、隣の席にはミセスCIAチームの4人が席に着く。
大きな8人掛けのテーブルがたちまちいっぱいになる。隣のテーブル
には弁護士さんたちが友人と一緒に案内されて席に着く。一方こちら
のテーブルでは最近出かけた旅行の思い出から話しが始まっている。
ミセスCIAとは親友と思われる女性がスイス旅行の話しをご主人
と掛け合いよろしく、とても楽しそうに紹介して下さる。
「スイス旅行では登山電車での山登りが一番楽しかったわ」と、云う。
「あっそうそう、ビデオがあるから、今度、家に遊びにいらっしゃい」
という話しに発展する。
ミセスCIAの友人夫婦が「どちらにお住まいですか」と、聞いて
来るので「埼玉県入間市です」と、答えると「私たちは新所沢よ」と、
地球儀的に見れば、ここニュージーランドからの距離感ではほとんど
ピンポイント的に同じ地域といって良い「世間は、狭いものである」
新婚夫婦の新居は相模原だという。
「今度この旅行から帰ったら我が家に遊びにいらっしゃい」と両家で
誘って下さる。 「ありがとうございます」と云いながら、ご近所の
隣組という親近感が湧いてくる。
その後、地理的に、休日になると、よく出掛けていた野菜市場から
100メートルの場所に、ミセスCIAの友人夫妻がお住いのことに
気付き、予め電話を入れて市場の帰り道に寄らせていただき、スイス
旅行のビデオを見せていただいた。
私も欧米の出張の際に、スイスの航空会社に管理工学の実態調査で
立ち寄った時に有名な登山電車に乗ってみたいという願望はあったが、
出張業務上、時間的な制約があって果たせなかった。
それだけに、登山電車におけるご夫妻のビデオ録画は、車窓からの
風景や駅から観えるカラフルな建物の光景など楽しく拝見することが
出来て長年の宿題のような「登山電車に乗ってみたかった」と、いう
思いが間接的だが果たせた様な気がした。
しかし、我々の出張も夕食時などは自由に行動できる時間の余裕を
持つことは出来たので、スイス料理の「エスカルゴ(かたつむり)」
にチャレンジするなどの冒険を楽しむことは出来た。
エスカルゴを食せる大型のレストランは、地下室に店を構えていた。
当日は、上司と共に、店の入り口に差し掛かった時にインタビューを
受けて「はて・さて何事?」と、思いながら、地下への階段を降りて
行くと場内アナウンスで「ただいま日本からのお客様が到着です」と
いう紹介に続いて「桜・さくら・・」のお馴染みの曲の演奏が始まり、
場内は一瞬「日本色」に染め上げられた。
新所沢のご夫妻のおもてなしで紅茶などをいただきながら、お互い、
スイスにおける思い出話などを交換しながら庭先に眼を転じると柴犬
が庭を駆け廻っていた。
「お庭でワンちゃんは放し飼いですか?」と、家内がおたずねすると、
「はい、晴れた日は、いつも庭で遊ばせてます」と、ご主人が答えて、
「私が手作りした犬小屋をご覧になりますか?」と、云われ外に出て
拝見すると、その場所はご主人の趣味の工作室になっていていろいろ
な工具類が並べてあり、万力なども工作机に据えられていた。飼い犬
は工作室の番犬としての役割も担っているようである。
そこで、私も庭先での放し飼いのコツなどを伝授していただこうと
考えて詳しく丁寧なご指南をいただいた。広い庭は周囲がよく囲われ
ており、飼い犬は、外には抜け出せないように工夫されていた。
我が家の飼い犬であるところの先代のシェリーは、庭先に目一杯に
番線を張って、自由に、動き回れるようにしていたのだが、番線だと
すぐに切れてしまうという欠点があったので、庭先の内周を柵で塞ぐ
という方法は参考になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、暖炉の火がチロチロと燃えるニュージーランドのレストラン
に話を戻そう。
やがて会話の隙間を縫うようにしてディナーの料理が運ばれてくる。
「どちらかというと薄味だね」と、お互いの感想を述べあって運ばれ
てきた料理を口に運ぶ。新婚のご夫婦は 「海外旅行は初めて」だと
いって、とても楽しそうに皆さん方の話しを聞いていた。
食事の途中で女性コンダクターから今回の旅程の概略が紹介された。
「昨日は、機内泊のため、皆さんそろそろ眠くなる頃と思いますので」
と、云う心遣いで要点だけが説明される。明日はマウントクックから、
クイーンズタウンにバスで行き、4日目の旅程はオプションとなるが
ミルフォードサウンドの観光が計画されているという。
そして、後半には、北島のオークランド泊が、旅程の仕上りとして
用意されているという説明があった。かくて、話題満載のディナーは
あっという間に時間が過ぎた。的確な会話は食事の調味料とはいうが、
今回について云えば「話題そのものがメインディッシュ」と、いう盛
りあがり様であった。
「それにしても、皆さんパワーに満ち溢れていて、パワーを分けてい
ただいた気がするし、ご一緒しているだけでお互いに気持ちが明るく
なってくるね」と、二人してその日のことを振り返りながら、その晩
は早目にベッドに入ることにした。
充分に睡眠をとったこともあり翌朝は早起きして外に出るとテカポ
湖の水面が目に入ってきた。 「あら、もう霜がおりているわよ」と、
家内が枯れた芝生の上を先に歩いて行く。「テカポ湖の風景も一緒に
撮っておこうか」と、家内に振り返ってもらってカメラに収めた。
やがて、朝食が済むと 「希望される方には今からバスの出発前に
テカポ湖周辺のご案内を致します」と、いう案内があってガイドさん
に付いて行くことにする。
「善き羊飼いの教会です」と、説明があり、内部に入って行くと外部
からの見た目には小さな教会であったが、内部からの景色は大きく広
がっており厳粛な空気が伝わってくる。「きれいにしているわね」と
感動の声があがる。たしかに内部の掃除が行き届いている。
近くには犬の銅像が建っていた。
ニュージーランドの犬たちは、羊たちの面倒を良くみる。犬たちの
活躍が羊毛産業を支えているといってもよいだろう。その中にあって
銅像になっている忠犬は、ある時、牧場主の危機を救ったのだという。
007 南島の屋根マウントクック
雪をかぶったマウントクックの姿は美しく、ずっと観ていても飽き
が来ない。ミセスCIA親娘は、バスの最前列に陣取り娘さんが盛ん
にビデオで前方の風景を撮影している。
南島の屋根と称されているサザンアルプスの最高峰マウントクック
は探検家キャプテン・クックの名前を記念して命名されたものである。
しかしながら、ニュージーランドを三回も訪れたという英国の探検家
キャプテン・クックは、この秀麗な山を一度も見ていないのだという。
ベンツ製の頑丈なバスは、全員にシートベルトを着用させて、制限
速度なしの高速運行で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には秋
の野原が一面に広がっている。
「春には、この野原一面が花でいっぱいになります」と、ガイドさん
の説明がある。なんとこの野原で採れる蜂の巣は、そのままスライス
カットされて天然産の蜂蜜として売られているという。右手には湖が
続いている。空が写っているような青さが印象的である。
このバスに、地元からの案内役として、同乗した日本人ガイドさん
は、ニュージーランドがすっかり気に入って、そのまま住みついてし
まったというだけあって、土地の事情に詳しい。
「皆さまの右手に見えております湖には2メートル級のうなぎが棲ん
でおります」「ときには、水を飲みにくる子羊を呑みこんでしまう」
と、聞いておりますという説明には、思わず背筋が寒くなった。
目の前にあるトンネルは最近の雪崩のときに大雪で埋まってしまい
必死の思いで、ブルドーザーで掘り出したのだという。ミセスCIA
親娘が「あっ虹よ」と、いって盛んにビデオを回している。地平線上
に完全な形で跨ぐ虹を見たのは初めてのことであった。
地元のガイドさんからは「虹はあちこちで頻繁に見られますよ」と
説明があり「このトンネルを抜けると向こう側にはマウントクック村
があります」と、期待感をもたせる案内がある。
話題は変るがニュージーランドに来てから随所で環境保護への配慮
を感じ取った。「例えば、ゴミ捨て用の袋には燃えやすく工夫された
特別製のものを使い」「公衆トイレにおいては施設全体がステンレス
製で建設されており天上から一気に水が流れる仕掛けになっている」
「トイレ内の洗浄についても、小まめに実施されている様子でトイレ
特有の異臭感はまったくない」と、いって良い。
ハイキングコースなども、有名な景勝地を訪れる登山者は登録制に
なっていて、登山者に対しては、登山をする上でのエチケットが徹底
されていて厳格に守られているという。
マウントクック村に着いて、最初に目から入ってきた印象は、ゴミ
ひとつない清潔感であった。
最近も新型コロナウイルスによる被害をいち早くコントロールして
沈静化に導いていった国家主導型の姿勢についても、日頃からの衛生
観念の徹底が全ての国民に当たり前のこととして習慣化しているため、
いざというときに機動力をもって対応出来る素地がある。
マウントクック村からのマウントクックの眺望は、その姿が目前に
迫ってきて圧巻である。標高が3764メートルもある最高峰は最近
の大きな雪崩によってで標高が変ってしまったのだという。この頂上
まで登って、マウントクックを味わい尽くしたいという人のためには、
軽飛行機で頂上付近の氷河に着陸する航空サービスが用意されている。
「風の強いときに軽飛行機に乗ると、機体がかなり大揺れしますよ」
と、ガイドさんから説明があったが「私たち、早速、飛んで来るわ」
と即答でミセスCIA親娘と友人夫婦は一番乗りの名乗りをあげる。
さすがに好奇心旺盛である。新婚夫婦も同行するという。
私が「どうする」と、家内に聞くと・・・
「私はまだ子供たちを育てきっていないからやめておくわ」と、云う
返事が返ってきた。私と家内はミセスCIA親娘と新婚夫婦の乗った
軽飛行機が飛び立つのを、しばらくの間、見送ってから、レストラン
で昼食を取ることにした。
昼食後には、秀麗なマウントクックの山岳美を眼前で楽しむ場所が
用意されており、目の前の大きなガラス窓にマウントクックの美しい
風景が広がっている。
そして、この場所でマウントクックを背景にして、自分専用の一眼
レフで写真撮影をしているときに蝶ネクタイの紳士の案内で休憩時間
を活用して異次元体験をすることになるがそれについては、星空文庫
に掲載の第9巻で詳述しているので、ここでは省略することにする。
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マウントクックの山岳美を堪能して外に出ると、弁護士さんご夫妻
たちのグループが森の中を楽しそうに散策していた。
「森の中がどこに行ってもきれいね」
「空気が澄んでいる印象で、とても気持ちが良いわね」などと、いう
会話が交わされ、バスが定置されている広場に戻ると皆さんが集まり
始めていた。
広場では、ミセスCIA親娘が盛んにマウントクックの山頂付近の
氷河への着陸体験の感想を飛行機に搭乗できなかった人たちのために
熱心に説明していた。
「飛行機は揺れも少なくて氷河にはスムーズに着陸できたわ」
「思わずみんなで拍手したわよ」
氷河に、自分の足で降り立ったときの感動は素晴らしくて、忘れる
ことのできない体験だったという話をされているミセスCIAの眼は
まるで幼児のように輝いていた。
「そういえば飛行機の車輪の内側にソリを二つ付けていましたね」と
私が口をはさむと、
「そうなのよ、ソリを使って、飛行機を上手く滑らすのよね」
「名人クラスのパイロットだったわよ」と、話は続く。
ミセスCIA親娘の搭乗体験の報告も終り、まだ、バスの発車まで
には時間があるので考えていると・・・
「マウントクック村の国立公園事務所をのぞくことにしましょうよ」
と、ミセスCIAが誘うので、ちょうどそこに居合わせたツアー仲間
が、ぞろぞろとミセスCIA親娘に連なって公園事務所に向かった。
「サザンアルプスの全容は、3千メートルを越す高峰が27もある」
「氷河はというと大小合わせて360という規模」
「この一帯は1億5千年前には海底であった」と、声に出して読む。
私と家内は、案内板を読み上げながら、周辺の地域の地形の変わり
ようには驚くばかりである。更にその後の激しい造山活動が加わって
今日の姿になったというがまったく想像もつかない変遷ぶりである。
国立公園内にはホテルが建っているが、過去に数回も雪崩によって
建物が破壊され、その都度再建を繰り返しているために、ホテル代は
通常よりも割高でありという。
公園内から正面に見えるマウントクックはサザンアルプスの最高峰
であり南島の屋根といわれている。その山岳美については、スイスの
マッターホルンと、比較されるようである。
マウントクックの景色をすっかり堪能した私と家内は、バスに乗り
込んだ。そして、バスは今晩の宿泊地になっているクイーンズタウン
に向かった。途中で立ち寄った果物屋さんの前で、家内が珍しく興奮
気味に声をあげた。
「あなた見てよ店先がカラフルだわ」
「ニュージーランドの果物をここに全部集めていますという光景よ」
「あなた・道路の向こう側を見て」
「ポプラ並木があんなにも続いて光に映えて奇麗だわ」
と、云うので、思わず振り返ると・・・
皆さんも気付いたらしくて感嘆の声が飛び交っていた。
「こんなにも綺麗なポプラ並木は初めてだね」
「まさに黄金色の輝きとはこのことだね」と、いう感想を口にすると
周りでも、皆さん、同じように、感動の声をあげていた。
店先で、皆さん、それぞれに旅の友に果物を買い込んでバスに乗り
込むと、バスは一挙にスピードを上げた。運転席のスピードメーター
をのぞき込むと針は時速130キロ相当の位置にあった。
やがて、バスがホテルに到着すると、ホテルの庭にも紅葉と黄葉が
競うように景観を成していた。夕食までに時間があるので二人で散策
に出かけると目の前が開けた景色になった。
「澄んだ空気」
「それに美しい山々が連なっているわ」
「ワカティプ湖は青い水色なのね」
「まるでお伽の世界のようね」
と、家内は感動の言葉を連発している。
この澄み切った風景は四季を通して美しく変わって行くため一年中
観光客の途絶えることがないのだという。ホテルに戻ると計ったよう
に夕食の時間であった。
夕食時に、翌日のミルフォードサウンドへの案内が、ツアーの女性
コンダクターからあり、それぞれのテーブルで会話が弾んだ。そして
「明日も楽しみだわ」と、いう言葉が交わされて、部屋に戻った。
008 ミルフォードサウンドの大滝
翌日のミルフォードサウンドへのツアーは往復で600Kmもあり
信号が一つもないというドライブであった。まさに、ノンストップで
かっとびな高速運転なのである。ニュージーランドでも日本と同じく
車は左側通行、日本と違うのは右折車が優先すること。
(ただし市街地に限ってのみ制限速度がある)
ミルフォードサウンドの港に着くと、それぞれにチケットが手渡さ
れて、早速、乗船した。狭い渓谷を案内する船は一階が日本人、二階
はイギリス人で満杯になった。船が進んで行くと両側が岸壁になって
いて、たくさんの滝が目に入って来た。
およそだが、千メートルを越すといわれる絶壁はけっして人を寄せ
付けないような厳しい表情を見せつけている。船内からの眺めは岩山
がライオンに見えたり、象に見えたりと、しばらくの間は、不思議な
光景が続いた。
天候は局地的に変化が激しく晴れたかと思うと雨や曇りに変わった。
そして、あっという間に晴れ間になる。湾内は寒帯らしくアザラシが
岩の上で昼寝をしていた。
「滝また滝の圧巻だね」と、お互いに感動しきりである。大きな滝の
下で合羽を着て船首に立ち記念写真に収まると、合羽姿に弁護士さん
のご夫妻が気付いてカメラを向けてくる。
ミルフォードサウンドからの帰途はバスの運転手さんの粋な計らい
で時間的な余裕を稼ぎ出してくれた。そして、皆さんが是非とも寄り
たいといっていたロブスターを養殖している漁場にガイドさんの同意
も得て、バスを漁場に廻してくれた。
その夜は、弁護士さんの友人ご夫妻が持ってきたところの外国でも
使えるという電気コンロを、ホテル内の部屋のコンセントにつないで
漁場で買ってきたロブスターを茹であげて、皆んなでご馳走になった。
この集まりは、深夜まで続き満腹のお腹をかかえての談笑となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、この先輩ご夫妻チームと共に漁場で買い求めてお土産にした
ロブスターを茹で揚げ、その団らんの中で、住居論においてその中心
を成す「ヒトとしての話題性のコア」の存在を強く認識した。
昔ながらの住居論における一つの考え方としては 「台所があり」
「食卓テーブル」が置かれていて、側には「リビングルームがある」
と、いうそれぞれが独立した存在感として位置付けられてきた過去の
歴史的な事実がある。
極端な家訓として「食事の時には、黙って、食べるもの」と、いう
躾けも一昔前には一部の地方に存在していた。
(一方で、コロナ禍にあっては、これが当たり前になった)
しかし、先輩ご夫妻チームと一緒に、ロブスターを茹で、茹で釜を
囲んでの懇談と寛ぎの空間では 「食べること」と「談話すること」
および「寛ぐこと」の三つは、広い空間の中で、共に・自由に・行き
来できる「コア」として一体的に共存している。
考えてみれば・・・
自分たち6人家族の生活スタイルも 「食べる・懇談する・寛ぐ」
は大ぐくりな一つの空間の中で営まれている。そこで「終の棲家Ⅰ」
の大掛かりなリフォームにおいても、この大ぐくりな一体空間を創り
出せないかと、試みたが果たせなかったという経緯がある。
既存の建屋の構造は、調理スペースと、食卓テーブルと、リビング
が、それぞれに独立した存在になっているため、大型ガスレンジなど
を主役にしたピザパーティなどは容易に催せる仕掛けはあったのだが
理想とする大ぐくりな「コア」は創りだせなかった。
したがって「T&K:ついの棲家Ⅱ」においては、一階の南西部に、
大ぐくりなコアとなる空間を出来るだけシンプルなデザインで、用意
する工夫をした。
要するに、調理するスペースと食卓テーブルとリビングを、フリー
スペースにして、自由に行き来出来るように工夫、またレイアウトは
自由に変えることが出来る様にして、人間と飼い犬は、勝手気ままに
共存出来るという欲張りプランにした。
(短距離だがドッグランも内包させた)
ただし 「T&K:ついの棲家Ⅱ」は、ダウンサイジングが眼目に
あるので大きなサイズは取れないが、子供たちファミリーが集合して
も窮屈にならない程度のエリアの余裕は設けたい。
このヒラメキは、かつて 「リビングが三十畳もある」お宅を拝見
したときの経験がベースになっている。
このお宅は西武池袋線のひばりが丘駅から歩いて、7・8分の距離
にある邸宅で昔は駅からご自分の所有する土地だけを通って、自宅に
帰ることが出来たという資産家で、遠い親戚筋であった。
普段からのお付き合いはなかったが、私が、建物に興味を持つ人物
であることを、ご子息から聞いて「新築の邸宅」を、見学する機会を
いただいた。
新築のお披露目は既に済んでいて、当日は、ご子息と私だけの訪問
であった。ご子息の説明でなにしろ凄いなと思ったのは旧宅を壊した
ときに、当分の間は取り敢えずの住居を同じ敷地内に建てたと云うの
だが、その取り敢えずの住居そのものがりっぱな造りなのである。
ご子息が、お屋敷の奥の方に顔を出しに行ったので玄関を上がった
処で待つことになったのだが、当然、厳寒時でも玄関口には暖房など
は設えていないため震えるほど寒かったことを覚えている。
間もなくしてリビングに案内されて、ほっとする様な温かいお茶が
振舞われて、母君が顔を出された。
「広いリビングですね」と、感想を述べると、
「気軽にパーティーなどが出来る様に三十畳ほどの広さにしました」
と、ご子息のほうに視線を向けた。
「それでも、パーティーの人数が集まり過ぎると、少し、狭く感じる
ことがあります」
ご主人は銀行にお勤めなので、いろいろな方とのお付き合いがある
のだという。レストランなどの堅苦しい場所よりも、アットホームな
雰囲気で調理人を自宅に呼んだ方が、打ち解けた雰囲気で、フランク
な会話が出来るのだという。
もちろん、この場で 「ホームパーティーを仕切る」のは、母君と
いうことになる。ご子息のフレンドリーな生き方も母君に習っている
のかもしれない。
私は母君のお話しをお伺いしていて、欧米の管理工学(IE)など
の実態調査の一環でアメリカン航空を訪問した際に上司がアメリカン
航空のキングさんと一緒にアメリカのGE社において最新のジェット
エンジンに関するトレーニングを受講した仲間という・フレンドリー
感覚で、休日に自宅に招かれたことがあるのだが・・・
「その奥様に似た印象があることを思い出していた」
キング婦人に初めてお会いした時に、当時、海外出張前に、吉祥寺の
英会話スクールで習った・丸暗記の・挨拶文を述べると、
「今時のアメリカ人は、その様な・堅苦しい挨拶は・しませんよ」と
云って、今時の挨拶の仕方を教えていただいた。
その時、キングさんはニコニコ顔で近づいてきてご自分でミキサー
にかけたママレードの飲み物を私に手渡しながら・・・
「我々、アメリカ人でも、ビジネスで交わす会話とホームパーティー
などで交流する時では、異文化と感じるくらい・話法も変わってくる
ので、あまり気にされないように」と、云うことであった。
「習うより慣れろ」ということかと、その時に感じたが、ひばりが丘
の邸宅内で奥様が登場されてのホームパーティーでは参加された方々
も格段の親しみを体感されて、その親しみも格別のものになるのだろ
うなと強く感じ取った。
邸宅の設計ポイントも、随所に驚かされる様な工夫が施されていて
驚きの連続であった。それにしても「三十畳のリビング」とは三十畳
に「何か意味付けがあるのか?」と、気付いたのは後日のことであり
質問は出来なかったが・・・
何気に三十畳の半分は十五畳、十五畳の半分は「七畳半」である
ことに気付いた。昔、植木職人の方からお聞きした話で・・・
「家を建てる時に一部屋でもいいから七畳半の部屋を造ると良い」
「七畳半の部屋は蓄財につながる?」と、
そのように考えると、三十畳というサイズは、七畳半のモジュール
が四つからなる構造になるので「金融面からの縁起物なのか?」など
と想像した。仔細は良く分からないが、ひばりが丘の邸宅で体験した
「三十畳のリビング」は、その広さから来るところの好印象は記憶に
強く残っていた。
そのような過去の好印象も手伝って・・・
「T&K:ついの棲家Ⅱ」では南西の角に三十畳のスペースを設けて、
そのエリア内に「食べる」「懇談する」「くつろぐ」場を、一体的に
配置する。
具現化に当たっては、西側に日除けとなる植栽を外構部として設け、
反対側の建屋中央に当たる部分に直線的な通路を設けて、室内ドッグ
ラン兼用としたために正味のスペースは二十畳ほどになったがホーム
パーティー的な黄金ゾーンを創り出すことは出来た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日は、底冷えのする寒い朝であったが、朝食が済む頃には気温も
上がり、ミセスCIA親娘のお薦めで、ジェットボートに乗りに行く
ことになった。ジェットボートは水しぶきをあげて走り、岩や断崖の
端が顔をかすめて行くスリル満点の迫力ある運転で川をさかのぼって
行く。それは船に乗っている全員が悲鳴も出ない迫力であった。
その晩は、ジェットボートの迫力に圧倒されてすっかりお腹を空か
せて、私と家内は新婚組を誘って日本食を食べに行った。店の名前は
ニュージーランド国旗にもなっている「サザンクロス」(南十字星)
私は寿司と天ぷらを気絶するほど食べた。食後は家内の顔もほんのり
と紅潮していた「よかったね」「おいしかったわ」と、言葉を交わし
店の外に出ると店先には大漁旗が飾ってあり・・・
「MINAMI JYUJISEI」と、刺繍されていた。
「店に入るときには、気が付かなかったね」と、云うと
「だって、全員が、日本食に向けてまっしぐらでしたから」
と、新婚組のお二人も加わって大笑いした。
その晩は4人とも用心してニュージーランドで買い込んだばかりの
セーターを着込んで出かけたため寒さ対策は万全であった。それでも
外に出るとさすがに、外気は冷えきっていて、コートの襟を立てた。
この寒い夜におけるファッション指導は、家内による、お出かけ前
のワンポイントアドバイスであった。これがきっかけで、この旅では
皆んなが、家内のファッション指南をあてにするようになっていた。
翌日は、クライストチャーチの空港に出て、そこからオークランド
に向けて飛ぶ旅程になっている。
009 眼下に名門オールブラックスのグランド
オークランドに着くと、暖かな陽気で満開の薔薇に迎えられた。
南半球のニュージーランド北島に位置するオークランドは、南半球
換算で考えると、日本の東京とは対の位置に在り昼間は半袖でも過ご
せる秋の陽射しである。
南島のクイーンズタウンでは、セーターを着ていても朝方の寒さが
こたえたことが信じられないような温度差である。ただオークランド
でも朝夕は上着が必要であり、一日の間で温度差は大きく秋の陽射し
の落差の大きさをあらためて感じた。
太陽の陽射しがいっぱいの海沿いの景色は、特に素晴らしく、ここ
では高級住宅が海岸線に沿って建てられている。やがて、海沿いから
それて丘の上に登って行くと大きな公園に出た。
「ラグビー界の名門オールブラックスのホームグランドが見えます」
と、案内があって、丘の上から、眼下の景色を食い入るように見た。
広大なグランドである。あの試合に臨む前のオールブラックス独特
の民族の雄たけびのような踊りが目に浮かんでくる。
その日はオークランドの薔薇園の近くに建てられた郊外のホテルに
泊まり、翌朝は「当日の行動が終日を通して自由」という説明があり、
偶然、朝食をご一緒したミセスCIA親娘と、新婚組と、私と家内の
6人組で「オークランド観光」に出掛けようということになり、当日
の具体的な行動計画がまとまった。
「皆で、タクシーをチャーターして、貸しきりで市内観光をしていた
だけるところを探しましょう」と、いうことになり、ホテルで教えて
いただいたタクシー会社に電話をすると・・・
「人数が6名なので特別にランドクルーザー型の車でホテルまで迎え
に来てくれる」と、いうことになり、しばらく待機していると、その
車はトヨタ製であった。
全員が乗車してから「今日は、終日コースで、市内観光をしたい」
と、あらためて、こちらの希望を伝えると・・・
「私は、地元出身なので、オークランドのワイン工場の経営者などと
も幼友達であり、他にも知り合いが多いので皆さんにとって、きっと
喜んでいただける、楽しい一日になることでしょう」と、云って目の
くりくりとした印象の運転手さんから皆を喜ばせる言葉が発せられた。
「運転手さんは、かつては、セスナ機による観光飛行のパイロットで
あった」と、云うとても、陽気な方で、楽しいドライブが予感された。
間もなくして「ズー・ロジカルガーデン」に到着。名前の頭にズーと
付くので動物園である。
「ここでは、キウイバードに対面できます」と、云う説明が、運転手
さんからあった。鳥舎の手前には詳しい説明書きがあった。
「体長は30センチくらいです」
「夜行性のために特別な鳥舎に入っております」
「キウイバードは、ニュージーランドの国鳥に、指定されています」
「我々の好きなキウイフルーツの呼び名は、その形がキウイバードに
似ていることから、名付けられたものです」
「ニュージーランドには、蛇が一匹もおりません」
「したがって、キウイバードにとっては、天敵のいない、幸せな生活
が続くことになり、空中を飛ぶことを忘れました」
「天敵がいないため、目もまた活発に動かす必要がなく視力も衰えて
行きました。その様に・食べては・寝るの生活を、日々、繰り返して
いたため、くちばしのみが長く伸びて、やがて、ずんぐりむっくりな
体形になっていったのです」
概略の説明を聞いた後で鳥舎のなかの暗がりに目を凝らすと、私は
そこに自分の姿を見ている思いがしてきた。2年前に、東京の大手町
本社に新しいプロジェクトが発足して、私もプロジェクトメンバーと
して参画、2年間その勤務が続いた。自宅からの通勤は片道で2時間
近くかかり、その間は、電車で立ちっぱなしのため、それまで1時間
以内の通勤に慣れていた私には応えた。
週末には必ず続けていたテニスも止めてしまった。そして、週末を
家で過ごすことが多くなり、家族からは「あれ食べる・これ食べる」
と、差し入れがあり、食いしん坊の私は片っ端から食べていた。
プロジェクトが終了してからも、この生活習慣が続いていた。同僚
たちからは「幸せ太りですね」と冷やかされ、結果、体重は10キロ
も増えた。スーツ類のズボンのウェストは寸法直しを二回も行った。
「体重5キロ増の時に、ズボンの寸法直しは、これで目一杯ですよ」
と、洋服屋さんに云われた。それがまたしても10キロ増となったの
である。その時、なんと、ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。ズボン
のお尻の縫い目が朝の体操の時に裂けた。そして、とうとうスーツ類
は仕立て直すことになった。
「ニュージーランドのキウイバードを見て、我がふり直せだよね」と、
自問した、私は、これをきっかけにして日常の生活習慣を大転換する
ことになるのである。
【後日談】 キウイバードの姿を見てダイエットを開始
日本に帰ってからのことであるが、飼い犬を求めて「シェリー」と
命名。この出会いが、私の生活習慣を変えて飼い犬との日々の散歩が
効果を発揮、体重を一挙に約5キロ軽減させて気になっていた肝機能
の異常も回復した。
(会社の健康診断において肝機能の正常復帰が確認された)
ただそのときの速歩きに懲りたせいか、その後は飼い犬がしばらく
の間は、私の顔を見ると散歩に行きたがらなくなった。飼い犬にして
みれば子犬のときにはまだ訳も分からずに、私と、嬉しそうに歩いて
いたが、やがて、家内との散歩によって・・・
「自分のペースで歩ける楽しさを知る」ことになり、ノンストップの
私との遠乗りは「御免こうむりたい」と、いうことになったのであろ
うかと推測する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、我々は、また大型タクシーに乗り込み水族館へと向かった。
「大きな水槽の下を、人間が通り抜けられるようになっているのね」
「これは、トンネル構造になっていて通路は自走式になっているわよ」
「わっすごい、鮫が頭の上をゆうゆうと泳いでいるわ」
と、歓声をあげる。
展示場所には、鮫が口を開けた時の状態が、標本にして飾ってある。
鮫の歯は三角形になっていて「これで噛まれたらひとたまりもないね」
と、いう感想が皆さんから寄せられた。
次の見学コースは、オークランド博物館。元セスナ機のパイロット
ならではの説明で、三階には零戦が展示してあるという説明を加えて、
私の方に顔を向けてきたので・・・
「ニュージーランドに零戦ですか」と、私はすぐさま反応した。
展示会場では、零戦は軍事品コーナーに場所を確保して、ほぼ完全な
状態で保存されていた。私は、実戦に使われたことのある零戦を見た
のは初めてのことである。
ここに零戦が展示されているということは、我々、日本人が戦後の
経過とともに戦争の記憶を風化させても、地球の反対側に零戦が展示
されている限り・・・
「日本にとっての戦後」は永久に続いて行くということである。階段
を下って一階に出ると、博物館の一階にはマオリ族の戦闘用カヌーが
展示されていた。
博物館を出ると、皆んなの顔に、秋の陽射しが強く差し込んできた。
オークランドでの観光ツアーを終わり、博物館の前においてみんなで
揃っての記念撮影は、セスナの元パイロットがシャッターを押した。
~ 博物館の外観は古典的な印象で造形されていた ~
010 身体の中心から好循環エンジンを始動開始
翌日の日本に向けたフライトは天候にも恵まれて視界も良好、機内
から、窓の下を覗くと海上をゆったりと進むタンカーが見えた。
「遥か上空からの眺めなのに、このタンカーは大きく見えるわね」と
云って、家内は、タンカーの大きさに素直に驚いていた。
今回のニュージーランドの旅では多くの年長ご夫妻の方々から大い
なるパワーをいただくことになり、お互いに 「共通の将来展望」を
描くことが出来た。
そして、ニュージーランド旅行からの帰途、機内で、家内から思い
がけない言葉が飛び出す・・・
「あの元気いっぱいのご夫妻たちの好奇心や行動力に、触れることで
感じたことは、自分たちに向けての投資がもっと必要ということね」
と、いう感想であった。
そして、帰宅してから、間もなくのことである・・・
「貴方これで思いっきり自分のやりたいと思うことをやってみたら」
と、家計費から現金で百万円がポンと手渡された。私は一瞬戸惑った
ものの、これが好循環の始まりであったような気がしている。
私は、将来に向けた、動向を熟慮の上で・・・
「これからは、自宅に居ても、必ず電子機器を活用した情報化の波が
押し寄せてくる」と、考え、先ず、パソコンを購入した。
(時に、今から32年前の1992年の春)
そして、社内で推進役を担っている「業務革新」の対象が企業経営
の領域に入ってきたことから、企業経営や企業革新のための教材など
を総量にして「大きなダンボール箱で二箱ほど」を購入した。
(教材の商品名は「経営大学院」プレジデント社による発刊)
内容的には、頭の体操にもなるテキストで、補助資料としてビデオ
およびテープ教材を伴った構成で「興味深い内容」が満載されていて
土曜・日曜日などの休日を活用して猛烈な勢いで勉強を始めた。
この学習体験がキッカケとなって、社外コンサルタントとのコラボ
での、社内コンサルタント役としての企業革新推進の活動においても、
社外コンサルタントの重鎮の方から称賛をいただくことに成る。同時
に、これは将来に向けた「生涯学習」の始まりでもあった。
今でも記憶が鮮明であるが、ニュージーランド旅行に使用した海外
旅行用のカバンのキーナンバーは「450」である。これは・家内が
45歳・私が50歳であることを基に決めた暗証番号である。
その時は、西暦「1992年」であり、私が、コンピュータ関連の
「2000年」問題がらみで、技術情報管理のデータセンター構築に
取り組むことになる約8年前のことであった。
まさに、この時を境にして、私の身体の中心から好循環エンジンが
始動を始めた自覚がある。その後の 「T&K:ついの棲家Ⅱ」 の
具現化においては、資金面からも内助の功に助けられて、大いに感謝
するものがある。
【後日談】
初夏の薫風が、二階のゲストルームから舞い降りて来る。この風は
二階の戸口から吹き込んでくる風で、ゲストルームのフローリングの
上を撫でて廊下に出た風が階段の踊り場まで下りて一階に抜けて来る。
そして踊り場の窓からの風とも合流して階下に降りて来る。
この風の仕掛けは、前述した西武池袋線ひばりが丘の邸宅で学んだ
もので「自然の風を活用した住宅設計の在り方」を摂り入れたもので
ある。狙いは、二階のゲストルームのわずかな埃を、フローリングの
滑りやすさを活用して、外に掃き出して階段の踊り場まで運び踊り場
の窓からの風によって階段下まで埃を運んでしまおうという、極めて
優れた「設計コンセプト」から学んだものである。
第2章
011 秋になり建築舞台に主役登場
秋になると建築工事の舞台にもいよいよ満を持して「主役の登場」
となる。昔風な表現をするならば、棟梁を兼ねた大工職・矢吹さんの
登場である。
住居の細部設計を設定する際に訪れたことのあるJグループの住宅
展示場のモデルハウスを建てた大工さんであり、その建築技術の技量
は「匠の境地」に達している大工さんである。
建築の主役の登場を迎えるにあたって、夏場の建築現場はその舞台
造りを急速に進めてきた。ここで、夏場の建築現場の状況を早送りで
日めくり的に振り返ってみることにしよう。
【夏場の建築現場の振り返り】
9月3日(金)酷暑 コンクリート養生の続行
今朝の入間が丘の我が家の建築現場は、コンクリート養生中である。
特に大きな変化はないが、道路を挟んだ隣家などご近所の建築が確実
に進んでいるので、彩の森入間公園に向かう通りすがりに立ち寄るに
は、変化があって飽きが来ない。
9月5日(日)酷暑 工事工程表通りの進捗
建設会社Jグループの工事責任者である中村さんから、工事工程表
を事前にいただいており基礎工事は日程通りに進捗、周辺の土砂など
もきちんと隅々に積み上げらていて、洗濯水の排水管や洗面所からの
排水管などもコンクリートの中に埋め込まれていた。
9月6日(月)酷暑 オール電化を決心
入間が丘の建築現場を通り抜けて彩の森入間公園に行く早朝の散歩
コースは、我が家における早朝のルーティンになりつつある。現在は
コンクリ養生中のために「特に、工事進捗はなくても」である。
ところで、キッチンの調理用の機器は迷いに迷った末の結論として
オール電化およびIHクッキング方式の採用を決めた。決め手は隣家
に、お邪魔した際に「IHクッキング方式で調理している限り老いて
から火に接近しすぎて、衣類に引火したりする心配がありません」と、
いうお話を聞いて、納得するものがあったことによる。
9月7日(火)酷暑 生活エリアは25%縮減
今回の入間が丘への引越しの目的は、一つ目は 「日当りの良い」
家造りである(これについては実現の見通しがついた)
二つ目は 「適正な大きさへのダウンサイジング」である。これに
ついては、日常的な生活エリアを41.5坪から、31.5坪に縮減
出来た(結果:縮減率は25%減となった)
当初の心づもりでは 「50%減」を、狙い目としたものの1階を
居住エリアにして、2階をゲストルームとして増設仕様としたために
狙いとした大幅な縮減は果たせなかった。
(平屋構想から二階建て仕様に変更)
ただし、2階を子供たちの家族が訪れた時にだけ、使うというのも
もったいない話なので南西の角部屋の開放感のある居室は書斎として
活用することにした。
書斎はコンパクトな設計にしたため、現有の蔵書は約70%を廃棄
処分にする必要がある。また、ゲストルームと決めている部屋につい
ても2階のバルコニーと隣接するので、洗濯物を干せる工夫をした。
9月9日(木)曇り(後)晴れ 本日は配筋の検査
建築現場では、本日は、配筋検査が予定されており、二人で訪れた
デザインセンターにおいては・・・
「お客様の自由設計プランがまとまれば、地域一帯の住宅地としては
完売となります」と聞いているので、我が家が完成すれば入間が丘の
戸建団地は全戸が揃う段取りのようである。
9月11日(土)再び酷暑 基礎工事の後半戦の開始
基礎工事(後半)の作業が始まった。建屋が乗ってくる基礎工事の
部分には、鉄枠が組まれてコンクリートの注入を待つ状態に段取りが
組まれている。基礎部分と建屋を連結する棒状の鋼製金具も、大空に
向かって「オイラに任せておけば50年間は大丈夫」と、叫んでいる
ようで頼もしい。
Jグループでは構造用金物は品質保証をする狙いから、建築現場に
直接、現物で支給する方式をとっている。住宅建設の設計に始まって
実際の建築の施工まで、一貫して・微に入り・細に入り・品質管理に
注力していることが良く分かる。
このような地元の優良企業の存在を私達がまったく知らなかったと
いうのも、まさに「灯台もとくらし」の諺通りである。
9月12日(日)酷暑 基礎にコンクリート注入
基礎工事も建物を直接的に支える部分にコンクリートが盛んに注入
されている。間取り図のイメージがそのまま原寸で見てとれるという
印象は新鮮である。細部レイアウトを描きながら家具類の配置を決め
て行くときには、部屋のサイズがだんだん大きく見えてきた印象とは
逆に、それぞれの、部屋のサイズが小さく見えるのが不思議である。
「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットの部分に目をやると、ここ
に季節から外れた靴を待機させる靴箱が全部納まるだろうか?」
「冬季に、お客さまを出迎える時に、コート類を預かるエリアが確保
できるだろうか?」
「お風呂のユニット類は大きさ的に上手に納まるのだろうか?」
「対面キッチンは、基礎がしっかりと作られているが、このエリア内
にIH調理器具および食器の洗い場が納まるのだろうか?」
「リビング&キッチンに20畳を割り当てたものの、このサイズでは
狭くないか?」
「和室も8畳を計画したが狭くないか?」
「周囲に植栽の引っ越しを計画している三箇所のエリアも引っ越して
来る植木類が問題なく収まるだろうか?」
「駐車エリアも自動車が2台分置けるように、図面を描いたが大丈夫
だろうか?」などと、これも広大な青空の下で見るがゆえの錯覚とは
思うが 「まことに不思議な現象」である。
9月13日(月)小雨・曇り・晴れ・豪雨と変化が激しい
後半のコンクリ養生に入ったため、建築ウォッチングは当分の間は
不要である。基礎工事後半部分のコンクリート養生に入り。基礎工事
の完了は「9月18日」と聞いている。その間に息子が残していった
本棚や整理棚のなかの物品を整理、大型ゴミ類は市役所のトラックで
引き取ってもらう準備に取りかかったが、これがなかなかの難作業で
あり思ったように進まない。
9月17日(金)晴れ 敷地内の整理・整頓が完了
久しぶりに入間が丘の建築現場に寄ってみると、設計図通りに敷地
の外周部がきちんと整地されていた。後は、今月下旬の「棟上げ」を
待つばかりである。
9月18日(土)晴れ 植栽プランの具体化
今日は、現在、暮らしている住居に庭師が来てくれることになって
いる。入間が丘の建築現場では基礎工事は完了しており植栽エリアも
整地されているので、造園の相談をするには良いタイミングといえる。
予め「外構図面」と「建屋外観図」を用意しておくことにする。
定刻の午前9時に庭師が見えて、早速「移植したい植木類を見せて
下さい」ということで、背の低い植木を中心にみていただき引っ越し
ができそうな植木を確認していただくことにする。入間が丘の現地と
植木の引っ越し先と外構図面も一緒に見ていただくことにする。
後は「現地で実際に植栽の場所を見ましょう」と、いうことになり
現地に向かう。
「りっぱな住宅にお住まいなのに、ナゼ引越しされるのですか?」と
「あまりにも近くへの引っ越しのためか?」庭師の方が車を運転しな
がら質問してくる。
「定年で朝から晩まで家に居るようになって、終日、陽の当たる家に
住みたいと思いまして」と、家内が答える。その様な会話を交わして
いるうちに、自転車でも約5分の距離なのですぐに現地に到着する。
「けっこう広い土地ですね、旧宅は60坪とお聞きしましたが、同じ
くらいの広さですか?」
「はい約45坪ですが周囲が道路のため広く感じるのだと思います」
と、答えると、
「これだけあれば十分に移植出来ますよ」と、庭師の方がさらに周囲
を見回しながら、
「南・西・北と三面が道路ですから終日にわたり陽が当たりますよ」
と云いながら、
「夏場は暑いかもしれませんね」と、続ける。
外構図面の植栽プランを見ながら・・・
「武蔵野の雰囲気で、建屋の周囲を植栽で覆うという考え方は、いい
ですね」と、褒めて下さる。
植栽場所に移動して「この西側の一列に寄せ植え風の植栽を考えて
いるのです」と、具体的な考え方を提示させていただく。
「出窓の前には、シャラ(夏椿)をシンボルツリーとして植えること
を計画しています」と、家内が具体的なプランを説明する。
「シャラは現代風の建物に似合いますね」と、庭師も助け舟を出して
くる。次に北の玄関脇に移動「ここは、坪庭風にまとめる計画です」
と、いうと・・・
「南天なども似合いますよ」と、話は弾んで、植栽のアウトラインは
ひとまずまとまった。
(結論として南天は西側の風呂場の前面に植えた)
9月25日(土)秋晴れ 棟上げ用の建材が到着
朝から風が強く台風12号の影響が予見される。久々に入間が丘の
建築現場に行くと現地では建材が南側に積み上げられていて、雨よけ
シートが建材に被せてある。隣家を建築中の職人さんに・・・
「この建材が来ているということは、間もなく棟上げでしょうか?」
と、おたずねすると、
「その建材が届いたということは、間もなく棟上げでしょう」
「たぶんその建材は、一階部分のものだと思いますよ」と、云う親切
な説明が返ってきた。
自宅に戻ると、Jグループから電話があり「棟上げが29日大安に
決まりました」と、いう連絡であった。
(隣家の職人さんの云う通りであった)
9月27日(月)雨 基礎パッキングロングの設置
我が家の上棟式は9月29日大安に決まり、基礎と土台の間に基礎
パッキングロングを挟み込む作業が始まった。
この作業は「ムラのない床下換気を可能にする」新しい工法であり、
基礎自体に換気口としての風窓は設けず厚み20mmのパッキングを
挟み込むだけで工事が済むため作業も俊敏であり「床下へのネズミの
侵入も防止できる」優れものである。
【建築における匠の世界】
建築の世界では、棟上げが完了して、大工さんに建築工事が委ねら
れれば、そこからは主として大工さんの独り舞台となる。
私達の 「T&K:ついの棲家Ⅱ」 造りでは・・・
土地探しに池田店長と云う強力な支援者に助けられ、設計段階では
我々と相性が抜群の一級建築士宮崎さんに出会い、今また「匠の世界
の大工職:矢吹さんに出会う」という望外の幸運に感謝・多謝である。
これから先も営業スタッフの松本さんから届く朗報が楽しみである。
9月29日(水)晴れ 上棟式そしてエース登場
入間が丘の建築現場を指定された午前9時前に、私と家内と二人で
訪問、建築工事は急ピッチで進められていた。
「おはようございます」
「お世話になります」
「工事部の中村です」
と、挨拶が交わされて、中村さんから名刺をいただく。
「こちらが、この度、建築を担当する矢吹です」と、ご紹介いただく。
我が家を建築して下さる「匠」の登場である。棟梁を兼ねる矢吹さん
は、入間住宅展示場の展示棟を手掛けられた匠の世界の方である。
「よろしく、お願いします」と、挨拶を交わして、地鎮祭の時に神主
さんから預かった上棟式用の「お札」と「お酒」を手渡す。
今時は、上棟式でも、お酒は駄目なようなので、別に「お茶缶」と
「お茶菓子」を用意させていただいた。建築現場では、俊敏な動作で
建材がスピード感をもって運ばれており、邪魔になるといけないので、
「それではよろしくお願いします」と、声をかけて現地を後にした。
この頃は、日暮れが早くなって来ており、屋外はすぐに暗闇になる。
しかしながら、入間が丘の建築現場では灯りが点っているため現地の
状況が手に取るように見渡せる。間もなく午後7時という時間帯にも
かかわらず、矢吹さんの仕事は休むことなく続いていた。
「棟上げが出来ましたね」
「はい、出来ました」
「一日で、屋根までかけてしまうのですね」と、その俊敏さには驚く
ばかりである。工事部の中村さんも満足顔であった。
Jグループは職人集団を約500名規模で抱えており、棟上げなど
の集中作業には、精鋭を集めてくるので、短期決戦で仕上げてしまう。
そして、建築舞台では雨天でも作業出来る様にと、いう配慮から屋根
まで、一気呵成にかけてしまうのである。
「明日は、雨だというので屋根だけでなく、全体を覆うように雨除け
を掛けておきます」と、今、仕事を終わった矢吹さんから声がかかる。
「遅くまで・ご苦労さまです」と、家内からも声掛けをして車に戻り、
飼い犬を前席に座らせて我が家に帰ることにする。
家内を駅まで迎えに行き、帰りがけに、建築現場に寄ったのだが、
「矢吹さんをはじめ我が家の棟上げを担当したJグループのメンバー
は、超一流の顔ぶれであり、朝から夕方までの作業で、屋根まで完了
させるということは、それぞれの手早さだけで、達成出来るものでは
なく、強力な組織力があってこそのこと」と、二人で話合った。
Jグループは「ISO 9001」を認証取得しており、作業手順
が確立しているからこそ出来る俊敏さと・手堅さであり、それは現地
に届けられた材木の端部の加工や細工を見て行けば、建築には経験の
ない、私にも一目で納得出来るものがある。
柱には作業の通し番号が記されており、ここでも現地だけではなく
設計から始まって、材料の加工・輸送体制そして現地での組み立てと
いう一貫した流れで作業が標準化されていることが良く理解できる。
9月30日(木)雨 屋根の防水対策を実施
家内は、ひばりヶ丘に出掛けて息子の嫁さんの出産後の応援のため、
孫の面倒見に出掛けているので、私はスポーツセンターには寄らずに
入間が丘の建築現場に寄ってから家に帰ることにした。
現地に着いた時が昼飯の時間帯のため、矢吹さんにはお会い出来な
かったが「屋根が緑色に変わっていた」ので、防水屋根を張り付けた
ようである。
矢吹さんも雨除けの対策を気にされていたので、ファイバーグラス
シングルの本屋根の設置にまでには到たっていないが、防水対策には
なるのでひとまずは安心である。
012 屋根の上のシンコペイテッド・クロック
入間が丘の建築現場には、家内の特製の昼食「ほうとうウドン」を
食べてから出掛けた。
10月1日(金)曇り(後)晴れ 二階の剛床で作業性は抜群
既に、防水屋根が掛かっていることもあり、小雨の中でも軸組作業
は順調に進んでいて、建屋内で通し柱や管柱が林立している姿は賑や
かに見える。Jグループの工法では・・・
「2階には剛床を早目に施工する」ので、大工仕事の作業性は抜群に
良く、安全性も飛躍的に向上する。
管柱には「Jグループ」と明確に記されており、供給元を明示する
ことで品質保証をしている。この集成材についてもピンからキリまで
あるので、Jグループのマーキングがあれば安心である。
建材については、プレカット工場でコンピュータ制御によって加工
されるので、高精度な構造躯体として品質保証されており、現地での
手直しはほとんどない。矢吹さんの仕事への意気込みも、直に、建材
に伝わって行く感じで気持ちが良い。
家内も「梁がりっぱね」と、感動していた。さすがに通し柱や管柱
だけでなく、梁にも目配りをしていて、家内が「抑えどころのツボを
しっかりと把握している」ことに驚いた。
ここで「21世紀は女性の時代である」と、いう言葉を思い出した。
まだ上棟が完了したばかりであり、軸組構造はこれからの細部が肝と
考えるが、外観からの構造や工法を伺い知る限り、我が家は地震には
強い剛性を持ち合わせている様である。
10月2日(土)晴れ 2階の造作が着々と進行
建築現場では、昨日から2階の造作に集中しており、内部の状況は
分からないが建屋内から聞こえてくる音響などから、矢吹さんの大工
仕事への集中ぶりが容易に想像できる。
今朝は、玄関の上部に位置する屋根の部分が骨組みされていて外観
の形状を現してきている。入間が丘の我が家は、全体的に落ち着きの
ある景観となっており、一級建築士の宮崎さんと一緒に狭山市にある
デザインセンターで描いた来た「建築イメージ」に沿って、矢吹さん
の造作が確実に展開されていることが容易に想像できる。
10月3日(日)晴れ(後)夜は雨 大工仕事と内装の並行作業
今日は日曜日でもあり「矢吹さんもお休み」と考え、建築現場には
飼い犬を連れて、散歩も兼ねた現地見学と、決め込んで出掛けてみた。
現地に着くと、驚いたことに矢吹さんの車が置いてあり2階から話声
が聞こえる。
「日曜日なのに出勤ですか」と、私が声をかけると「建屋の引渡し日
が12月10日ですから、そこから逆算して、スケジュールを建てて
作業に取りかかっています」と、いう返事が返ってきた。
引渡し前には建屋の審査もあるので、建築作業の日程面から考える
と、かなり厳しい日程が組まれていると云う。
「確かに厳しい日程が組まれていますが、審査当日の内部点検までに
住めるような、段取りになっていれば、外回りの造成工事については、
その後も施工が可能ですので、なんとしてでも間に合わせますよ」と、
云う力強い答えが返ってくる。
「それにしても、お身体には、十分、気をつけて取り組んで下さい」
と、こちらの気持ちを伝えると、
「はい、こちらの建築作業の進め方としては、大工仕事は、二階から
進めて行き、それと並行させて、一階から、内装も進めて行く段取り
ですから大丈夫ですよ」と、具体的な解決策が即答で返って来る。
私も、かつて、航空エンジンの整備期間を半減させるプロジェクト
を推進した時に同じような「並行作業」の考え方を使って完遂させた
ことがあるので納得である。
10月4日(月)曇り(後)晴れ 書斎からの風景
雨上がりの書斎からの眺めは気持が良い。現住居の久保稲荷の住い
では、書斎の北側に九州梅を植えており鮮やかな緑の葉には露が残り、
梅の蕾の小さな膨らみと共に光を放っている。この書斎では入間が丘
の引っ越し先の新居の間取り図(案)を25通りも書いた。
「芋の露連山影を正しうす」 飯田蛇笏
この俳句は、私の大好きな句調である。蛇笏が数え年30歳の時の
有名な句であり、山本健吉先生は「定本 現代俳句」の著書のなかで
「この句は蛇笏の初期の代表作であるが、若年にして確乎たる蛇笏調
を打ち立てているのを見るのである」と述べている。
「里芋の畑は近景であり連山は遠景である。爽やかな秋天の下、遠く
にある山脈の起伏が、影をくずさず正しく連なっている。澄み切った
秋空には連山が姿を正すかの様に、いささかの晦冥(かいめい)さも
とどめず浮かび上がっているのである」
「芋の露は眼前の平地の光景でもありかなりの拡がりをもった眺めで
ある。広葉の露に秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。秋の山容を
表現して遺憾がないというべきであろうと述べており『影を正しうす』
とは彼自身の心の姿でもあったのであると、前述した定本『現代俳句』
山本健吉著に詳しく記述している」
(今日は、建築工事について、書き記すことはない)
10月5日(火)曇り(後)晴れ 行き届いた品質管理の体制
朝の散歩を強く求める飼い犬に催促されて、入間が丘の建築現場に
出掛けることにした。現地の建築工事は急ピッチで進んでおり、上棟
が先月の29日で、本日は6日、指折り数えても7日目の朝の時点で
「見上げる2階には窓枠の部分がくりぬかれた外壁の板が嵌め込まれ
ており、既に、サッシ待ちの状態である」
「屋根については、2階の屋根は既に防水対策が施してあり、1階の
屋根も骨組みが完了、防水対策を待っている状態である」
「南側のバルコニーは板材で囲みが出来ており、外壁のサイディング
を待つばかりの状態である」
Jグループの工法は「在来工法」に加えて「2×4工法」の良さを
取り入れて・・・
「柱と外壁の組み合わせによって耐震強度を向上させている。外壁材
は100%リサイクル木材を原料としており、エコマークを取得して
国のグリーン購入法の指定も受けている。しかも、この外壁材は普通
の合板に比べて2倍以上のせん断剛性があり木材腐朽菌の被害も受け
にくくて、降雨などの水漏れによる膨張も、ほとんど起こさない優れ
ものである」
これを、水平側面としての剛床との関係でみれば・・・
「水平側面そのものが、剛床28mm+フローリング12mmと合わ
せて40mmの厚みとなるため、2階の床のたわみを大幅に減らせる
上に外壁との相乗効果により、更に構造の安定性を増すことが出来る」
「同時に、居住者に対しては歩行感を向上させることが出来るという
メリットを、最大限、この『BOX軸組工法』と、いう考え方で実現
させている」
「壁と床の立体パネル化によって、地震に対抗する性能を向上させて
いるという点では、二倍筋かい金物も重要な役割を果たしており柱と
横架材および筋かいの接合部を『二倍筋かい金物がしっかりと連結さ
せて』強度アップすることによりBOX軸組工法を完結させている」
Jグループの建築現場を見ていてこの二倍筋かい金物だけではなく、
「ホールダウン金物」 「柱脚柱頭金物」 「短冊金物」 他にも
「NPTワッシャー」にいたるまでの金物の全てをJグループが一貫
して、タイムリーに現物支給している面からも、品質管理が良く行き
届いていることが、建築現場をウォッチングすることで良く分かる。
10月6日(水)晴れ 冬の暖かさを生かす設計
入間が丘の我が家の土地は、南側に6m・西側と北側に4.5mの
道路が位置しており、建屋周囲の3面が、開放エリアという好条件で
あるために、他の区画に比べて、基準価格が割高な設定になっている。
しかしながら「終日にわたって陽当りの良い家に住みたい」と、云う
家内からの強い熱望もあり、私としても大いに同感であるので・・・
「この土地であればまさに望み通りであり」この土地を探してくれた
店長には、重ね重ね感謝・多謝である。陽当たりの良い家への願望を
二人で奔走して探し求めたからには、冬の暖かさを生かす設計にして、
夏場への備えとして植栽などで日除けを考えて行くことにする。
10月8日(金)晴れ 屋根工事の開始
入間が丘の建築現場では、昨日から「屋根の工事」が始まっている。
屋根の上では職人さんが身軽な動作で動き回っている。リズミカルな
動作を見ていて、アンダーソンの曲「シンコペイテッド・クロック」
を脳内に思い浮かべていた。
Jグループの設計士:宮崎さんとは次のような会話を交わしたこと
をよく覚えている・・・
「屋根材には『ファイバーグラスシングル』と『平形屋根のスレート』
があります」と、いう宮崎さんから、それぞれの屋根材の特徴を説明
していただき、私と家内は、聞き終わってすぐに考えが一致した。
「ファイバーグラスシングルで行きます」と、云うことで二人ともに
30年間保障の高耐久性に魅力を感じた。この屋根材は三拍子揃った
強みを持っている。
○ 一つ目の強みは、防水性に優れていることである。アスファルト
を基材に使っているために、水を吸わないという特徴がある
○ 二つ目の強みは、軽量で耐震性に優れていること
○ 三つ目の強みは、雨音に対して優れた消音性があるということ。
弾力のある屋根材のために雨音に悩まされることがないと云う
しかも、基材となるアスファルトには、ガラス繊維が補強材として
使われていて二層構造になっており30年間保障の耐久性を生み出す
基盤を成している。北米における、半世紀以上の実績がその耐久性を
保障しているという面からも、重要な安心材料にはなってくる。
表面はセラミックの焼付け塗装が施されているために、再塗装不要
という点も大いに魅力である。屋根部は、建屋の最上部にあり灼熱の
太陽光を受ける部分であるので、実際、今までにも「15年経過した
屋根の再塗装を経験してきており」ここにきて耐久性に優れた屋根材
に出会ったことは「幸運である」と、云える。
013 外構部は独創的なセミオープン
10月10日(日)雨(後)晴れ ジャスト・イン・タイム
彩の森入間公園からの帰路に、飼い犬を連れて入間が丘の建築現場
に立ち寄ると、3連休の中日の日曜日にも関わらずJグループの矢吹
さんの車が駐車してあり、建屋の中から建築作業の音が聞こえてくる。
矢吹さんの有言実行で、相変わらずの「建築の完了までは無休」と
いう勢いの仕事ぶりには脱帽である。
「我が家の建築を担当されている棟梁の矢吹さんは、スーパーマンの
様な大工さんだよ」と、家内に云うと「凄いことだわね」と、云って
その熱意に敬服していた。
私も企業人として多くの人と接してきたが、これほどまでに自分の
業務に対して勤勉な人には出会ったことがない。Jグループの場合は、
トヨタ生産方式で有名な「ジャスト・イン・タイム」の考え方に近い
方法で建築工事を進捗させている。
「しかも、矢吹さんの場合は、技量と熱意がまさに一つ一つの建材に
魂を吹き込んでいる様な丁寧な仕事ぶりであり」拝見している私たち
には、感動を超えたものが伝わってくるような思いがある。
工場などにおける、もの造りの現場ではこれが流れ作業になったり、
セル生産方式の方法をとったりするが、我が家の建築現場では・・・
「ジャスト・イン・タイムに近い方法で建材などが供給され」
「建屋のそれぞれのエリアで、矢吹さんによって、まさにタイミング
良く・効率良く」作業が進められている。
矢吹さんのようなスーパーマン的な大工さんに恵まれた場合には、
「通常では想定出来ない連続作業を実現させ」
「これに合わせて、内装作業を並行させて進めるという方法をとった
時にだけ」11月中旬に中間完成検査が出来るということである。
その俊敏さは現住居の隣家の建築工事と比べてみれば分かりやすい。
「隣家の場合は二世帯住宅に建て替えるため従来の住居は既に壊して、
新しい建屋の建築を5月初旬から始めているが、10月時点において
建屋の完成までになお遠いことを考えると我が家における建築ペース
が驚異的であることは良く理解できる」
私と家内が、棟梁(兼)大工さんの矢吹さんに、心から願うことは、
「くれぐれもお身体に気をつけてご自愛ください」と、祈るばかりで
ある。
10月12日(火)晴れ(夜は雨) セミ・オープンという発想
彩の森入間公園の朝は、ひんやりとした風が吹いており久々に6時
の起床ラッパを聞いた気がする。公園の隣が自衛隊の入間基地であり
朝の腕時計は不要である。
私が「今日はKホームズが来るね」と、家内に言葉を投げかけると
「南側フェンスは、縦張りと横張りタイプと、どちらが良いかしら?」
と、返してくる。
「材質も、木目調のアルミ材など多様にあるので、選択が難しいね?」
と、いうことになり、二人で相談して「最終的にどれを選ぶか?」を、
ある程度は選択しておかないと、業者に、見積もりを頼めないことに
なるということで考えが一致した。
当初の計画では「外溝はセミ・オープン」と、いう自分なりに独自
の考え方を創り出して、基本的にはオープン・スタイルの考えを取る
ものの「クローズ・スタイルの要素」も部分的に取り入れて・・・
「防犯にも安全面にも、そして目隠し効果的にも配慮」と、して自分
なりのアイデアに納得していたが、これを植栽だけで実現させること
は難しいかなと感じる様になってきた。
当初は、南側の駐車場をオープン外構にしておくとスケートボード
などに夢中になっている子供たちが、道路から駐車場に飛び込んでき
た時に、事故につながる恐れがあるので、植木の配置を考えていたが、
現状で計画している駐車場の幅を考えると、植木が大きく育って来た
時に、息子たちが帰省した時など、大型の自動車だと植木と干渉する
恐れがある。
植木の刈り込みなどで、植木の厚みを抑える方法もあるが、梅雨時
などの植木類の急激な繁茂を考えると、剪定が追いつかない可能性も
出てくる「そうなるとフェンスの方が良い」と、いうことになる。
現在、住んでいる処では、ウッドフェンスにして塗装を2年ごとに
塗り直しているが面倒なところもある。それを考えると・・・
「塗装不要の木目調のアルミ材などを選択した方が良い」と、云うこ
とになってくる。
その日の午後2時に、Kホームズの営業担当が到着、早速、現地を
見ていただき結論として「木目調のアルミ材」のフェンスで見積もり
を取ることにした。
10月13日(水)晴れ(夜は雨) 操作性は85歳超の時を想定
朝食を済ませてから建築現場に出向くと、昨日から取り付けを始め
ていた、窓ガラスやサッシ類は、ほとんど所定の位置に収まっていた。
出窓はまだ作業待ちの状態で建屋の外側に立てかけてあり、玄関ドア
は梱包材に包まれたままの状態で取り付けられていた。
今回の建築設計では、窓辺のデザインにはかなりこだわって決めて
きたので、今朝のように、窓枠のひとつひとつを外から眺めることも
楽しみのひとつである。
「北側2階の窓はクローゼットに向けて背面光線が取れる様にした」
「1階のリビングルームの大型の出窓にはシャッターを取り付けた」
「食卓のテーブル脇の出窓には最もこだわり、細窓を3連にして洒落
たイメージにすると共に、防犯を兼ねて常夜灯の灯りが自然に外部に
漏れる様な設計にした」
また、標準設計として 「居室は、すべてをペアガラスにする」と、
いう考え方には大歓迎である。それも標準仕様の示すところによれば
「断熱性を進化させたペアガラス」と、いうことで一般の複層ガラス
に比べて空気層が約2倍相当あるために、その断熱性能が格段に向上
していると云う。ガラス間の空気層は「12mmあり」冬季における
暖房効果が期待できる仕様になっている。
それに比べて現住居は約28年前に施工したものであり構造的には
1枚ガラスである。冬季になると引越し願望が出ていたくらいなので
日当たりの改善と共に「冬季対策」は万全のものになって来る。
しかしながら当然「ペアガラスとなると総重量も増して来る」ので
2階のゲストルームの横幅一間半に及ぶガラス戸は、相当の重量物に
なってくると考えて2分割から4分割に設計変更して4枚ドアにした。
2階のゲストルームは、バルコニーとの繋がりで雨天の際の洗濯物
の干場としても考えており「85歳超の女性にも片手で操作できる」
ことを考え、やがて来る高齢化に向けた対策として1枚当たりのドア
重量の軽減策として考えた。
10月15日(金)早朝雨(後)曇り 出窓は一体構造
家内は、鎌倉のお祭りと孫の運動会に招待されて、昨日から出掛け
ている。飼い犬を小脇に抱えて外に出てみるとまだ雨は降っていない。
それならばと、入間が丘の建築現場に出掛けてみることにする。
「おっ出窓が取り付けられている」リビング出窓の実物は迫力がある。
それは開口部の大きさからくる印象のようである。今回、出窓で気に
なっているのは、かつてリフォームにおいて失敗しているからである。
現住居(久保稲荷)のリフォームの際に、1階の北側の部屋に出窓を
取り付けることで開放感を出そうと考えたのであるが、これが失敗作
となった。
当時、出窓はサッシ仕様にして外側からの取り付け仕様にしたため
内側の窓部分とは、見た目では、形状的に一体感はあるものの出窓の
外周部に隙間が生じて、ここから冷たい風が吹き込んだ。
この工事は、春に施工したために、冬になってからこの失策に気が
付いた。そこで、急遽、目張りをして寒さを防いだという経験があり、
今回は、失敗しないようにと、出窓の細部設計には気配りをした。
入間が丘で取り付けた出窓は部屋の内側部分と外部に張り出す部分
が一体構造になっており、隙間風の出入りの心配はない。しかし念の
ために、予め、施工部分を確認しておく必要はあると考え慎重に点検、
結果「今回は隙間風の心配はないようであり」安心した。
10月17日(日)曇り 共同立案者として同感
この頃の早朝は爽やかな感触があって「レム睡眠」を楽しむ余裕が
出てきた。しかし、飼い犬による催促で午前5時には家内が起き出し
私は寝床の中で粘りに粘って5時半に起き出した。
いつも通り、彩の森入間公園におけるラジオ体操が終わって帰路に
つくと、このところ入間が丘の建築現場には行っていない家内が自分
から、久々に建築現場を見てみたいと云うので立ち寄った。
「出窓の細窓3連はいいわね」
「応接の出窓も広くていいわ」
「玄関前もかなり広いわね」
「風呂場のひし型格子も付いたのね」
「和室出窓の外側は無理に通り抜けると危ないわね」
「たしかに、南側のフェンスの仕様は、慎重に考えたほうがいいわね」
などなど、私自身も感じていた感想が、次々と、飛び出してきて共同
立案者としては大いに共感を覚えるものがあった。
10月18日(月)晴れ 植木類は新規購入で決着
植木の移植の見積が届いた。予想していた金額よりも、高額である。
移植の際の根っ切りの大変さを経験したことがあるので移植のための
根っ切りのたいへんさを考えると妥当な金額なのかも知れない。
一方で費用対効果の面から考えると新規に植木を買ってきて植えた
方が経済的かも知れない。そのような思いもあり近くのガーデニング
ショップに植木の苗木を見に行くと、小さな苗木でも縄を巻き付けた
根っこは予想を超えて大きいことに気付き結論は出た。
「植木類はガーデニングショップで若い植木を買ったほうが良い」
「草花については根が浅いので自分たちでも移植できる」
「楽しいガーデニングは、自分たちで楽しんだ方が良い」
と、いうことになり、迷っていた課題に上手な答が出た。
014 引っ越し業者の手配
入間が丘の 「T&K:ついの棲家」の予定通りの完成を見越して
引っ越し準備に取り掛かる必要がある。
10月21日(木)雨(後)曇り サイディングの色合いは成功
小雨の庭に薄日が射しはじめてきて、午前中には雨上りかと思って
いたが、実際に雨が止んだのは午後3時過ぎであった。今朝は早目に
彩の森入間公園に出掛けたため雨には降られずにすんだ。
入間が丘の建築現場では、一昨日から、外壁のサイディング工事が
始まっている。
「サイディングの施工が、今の季節で良かったね」などと二人で会話
を交わしながら、同時に湧き上がってくる興味として・・・
「自分たちで選択したサイディングがイメージ通りに仕上がるといい
わね」と、カラーコーディネート担当の家内が云う。
願望通りの仕上がりが楽しみな瞬間である・・・
「外壁材はシュトレーゼSXという製品をカタログ見本から選択した」
そして、現物見本を、狭山台のデザインセンターで確認、
「設計士の宮崎さんが、外に出て、太陽光の下で確認した方が良い」
と、いうことで、私と家内は、デザインセンターの外に出て外壁材の
印象を太陽光の下で確認した。
「小片からの想像で全体像をイメージしての判断」になるが、暖かな
感じの材質感が良いということになり決定した。
入間が丘の現地では・・・
「実際にサイディングがある程度まで仕上がり、現物確認が出来そう
な時間に合わせて」建築現場に出掛けてみた。
「あら良い色合いだわね」
「全体的に暖かい感じがするね」
と、二人で納得して、嬉しい気持ちを交わす。
「落ち着いた色合いである」
「かといって、地味な色合いでもない」と、云う具合に現地での会話
が弾み、サイディングのエレガントな仕上がりに見通しがついた。
10月22日(金)曇り 引っ越し業者の決定
朝の5時半に雨戸を開けて外を見ると、まだ暗がりそのものである。
半月前に比べても日増しに日の出が遅くなっていることが良く分かる。
ウォーキング用のウェアも、厚手のものに換えて行く必要がある。
同時に、クローゼット用のチェスト類の中身も夏物から冬物に切り
替えて行く必要がある。引越しは12月中旬なので夏物は来年の夏に
向けて、先に梱包することになる。
冬の衣類はハンガーなどに掛けておき、引越し直前にダンボール箱
などに格納、優先的に開梱出来るように箱を識別しておく必要がある。
当初から、引越し用のダンボール箱には引越し先の部屋と梱包の内容
が分かる識別票をパソコンで作成しておくので手抜かりはない。
これは、企業戦士として、引越しプロジェクトに参画して・・・
「航空機用ジェットエンジンの組立工場および運転試験場の大移動を
手掛けたことがある」ので、この分野の支度には手慣れている。
ここにきて、ようやく、引越し業者を「N通運」に決めた。最初は
地元の引越し業者に気軽に電話したところ・・・
「引越し日が決まりましたら1ヶ月前に電話をして下さい」と云われ
「あっ、この引っ越し業者には事務処理能力に限界がある」と、即断
して引越しの依頼を止めた。
N通運では、近距離の引越し料金サービスを行っていることもあり
「娘が残していった鎌倉行きのタンスやベッドの引越し」も、含めて、
総額の見積りを入手したが見積額も妥当であり、来週には、引っ越し
用のダンボールなどを届けていただけるというのも大助かりである。
10月23日(土)快晴 万燈祭りと来客
彩の森入間公園の上池の周辺を鳩の群れが舞うように飛び、時には
急降下してきて、池面をすれすれに飛んで行く。池の周辺は木々が色
付いてきて、絵に描いたような風景に変わってきた。
公園内では入間市「万燈祭り」の演奏会場が準備を完了。市内総出
のお祭りに、彩の森入間公園も一翼を担う段取りが出来たようである。
万燈祭りは年毎に内容が充実してきており、外国人居住者による出店
なども定着してきて、入間市お馴染みのお祭りとなってきた。
また姉妹都市という関係性から佐渡おけさは「お祭りに興を添える
イベント」と、して、佐渡のお酒と共に不可欠な存在になりつつある。
今日は「息子の嫁さんの母親が、鹿児島県から上京してきているので
この万燈祭りに招待した」入間が丘の建築現場のことも良くご存じの
様子であり、せっかく入間市にお邪魔したので「入間が丘の建築現場
も見学したい」と、いうことで、当日は建築現場に案内した。
入間が丘の建築現場に着き「矢吹さ~ん」と階下から声をかけると、
たまたま建築現場に来ていた職人さんが・・・
「矢吹さんなら2階に居るから、玄関口から声を掛けたらいいですよ」
と、云われるままに玄関口まで廻り込んで行くと、既に、矢吹さんが
玄関口で待っていてくれて、私と家内が・・・
「玄関ドアの前の部分も、広々としていますが、玄関に入ったときの
感じも、ゆったりとしていて、良い仕上がりですね」と、私と家内が
まさに初めて見た印象を伝えると・・・
「それぞれの部屋が標準サイズに比べて広い設計になっていますから
造作していてやりがいがあります」と、いう嬉しい言葉が返ってきた。
外壁のサイディング工事は最終の仕上げの段階に入ってきており出窓
の造作なども巧みで微に入り細に入り丁寧な出来栄えに感謝である。
全体的に外壁の出来上がりは想像を超えた感じの良い色具合であり
「落ち着きのある色合いと華やかさを兼ね備えた仕上がりになったね」
と、カラーコーディネートを担当した家内に感謝の言葉を伝えた。
10月25日(月)曇り 南側フェンスの設計完了
今日は、午前10時からデザインセンターで、設計士の宮崎さんと
外構の打合せがあるので、図面類をバッグに詰め込んで午前9時半に
は狭山台に到着出来るように車を発進させた。
デザインセンターに着くと受付の女性に案内されて、1番ブースで
設計士の宮崎さんを待つことになった。「丁度、定刻の5分前ね」と
云うことで、壁に貼られた建物の風景などを見ながら、待っていると
「お待たせしました」と、いつもの穏やかな口調で宮崎さんがみえた。
テーブルの向い側に宮崎さんが座り対面スタイルで打合せが始まる。
「お忙しいところをありがとうございます」と、宮崎さん、
「今日は、南側の目隠しフェンスおよび花壇の確認などで伺いました」
と、私からの口上を述べて打合せに入る。
概略の案はメールで伝えてあるので、宮崎さんも、既に、アイデア
をまとめてある様子であり、順次、アドバイスをいただくことにする。
当方も外構部分については未確認事項なども多く、逐一、確認をしな
がら意見交換を繰り返して行く。
本日の打合せにおける結論としては・・・
「南側の目隠しフェンスは道路からの高さが1.8mある」
「室内からの目線で云うと、既に、床の高さが90cmの位置にある
ことから、室内からの見え方も、念のために確認したほうが良い」
「西側の花壇の位置関係は道路から約20cmの高さになる」
「北側の花壇は道路から約16cmの高さとなる」など要確認事項も
ここで明確になった。
また、南側のフェンスについては、事前にメールで送付した図面を
基に見積もりを、お願いして打合せを完了した。
午後3時過ぎには引越し業者のN通運からダンボール箱などが届い
て、いよいよ大型書架やタンス類の廃棄に向けて・・・
○ 引越し準備を兼ねた整理と廃棄を開始する
○ 梱包作業も本格化することになった
夜になってメールを確認すると・・・
○ 娘の荷物類の引越し先について鎌倉の道路状況やトラックを駐車
出来る場所などについて問い合わせが入っていた。
10月26日(火)朝方雨(後)曇り 片付けは重作業
今朝は天気予報通り朝方に小雨が残っていて道路も湿っているため
彩の森入間公園における飼い犬とのウォーキングは中止とした。昼頃
には、リサイクル業者が来ることになっている。
○ 子供たちが残していったテレビが4台
○ 使わなくなった小型冷蔵庫が2台
それぞれの部屋に残したままになっているので、すべて廃棄処分に
することになる。そのため、予め、各部屋から集めて事務処理などを
しやすいようにしておこうと考えて両手で「よっこらしょ」と、腰を
落として持ち上げるが、けっこうな重作業である。
10月28日(木)雨 廃棄する重量物は分解が必要
書斎の庭先が雨に濡れて寒々としているがまだ紅葉は浅く秋を省略
して冬に入ったという印象である。家内に頼まれて我が家の2階から、
オイルストーブ×2台を1階に降ろした。当然、かなり重いので慎重
に運んだ。昨年の夏に、子供たち二家族と一緒に奥多摩キャンプ場に
バーベーキューに出掛けた。その時にそれぞれの家族が幼児を連れて
いたために・・・
私が「まだまだ、若いつもりで重量物の運搬を担当」帰宅してから、
肩の部分に強い痛みを感じたため、接骨院で診断してもらったところ
「これは肩鎖靭帯の損傷ですね」と、云われ全治までに約10ヶ月間
を要した。
それ以来は自己診断で「これなら持っても大丈夫な重さ」と、いう
ものだけを持つようにして気を付けているが、今朝のオイルストーブ
運びは、2階からの階段を考えても大丈夫と判断して運んだ。
大型の書架については市役所に頼んで廃棄処分にする関係で、庭先
まで搬出する必要があり、一人では動かせないので解体して家内の手
を借りて外に出した。
早朝は、雨が降っていなかったので彩の森入間公園のウォーキング
はいつも通りに出掛けたこともあって、飼い犬は満足して私の書斎の
脇の椅子で熟睡している。
10月30日(土)台風14号 鎌倉向けの荷物の引っ越しは延期
朝から雨が激しく台風14号が来るという。入間が丘の建築現場で
はサイディングおよび屋根工事といった外回り部分の工事を完了して
いるので台風の影響は心配ない。
それに棟梁を兼ねた矢吹さんが的確な判断で常駐的に作業を続けて
いることも、安心できる重要な要因である。
鎌倉への娘の荷物の引越し日程も11月20日の土曜日に決まった。
大型家具類の廃棄処分を優先させたため鎌倉向けの娘の荷物の引っ越
は、11月中旬の予定から下旬に延期したのであった。
10月31日(日)雨(後)曇り 整理ダンスの廃棄処分
午後には整理ダンス2個を2階から1階に降ろして、更に庭に出す
作業があるので、先ずは引き出し類から降ろして、最後に本体部分を
階段経由で階下に降ろした。
昔ならば、一人で一気に降ろせるが肩鎖靭帯を損傷してからは無理
な重量運びは避けてきている。庭に出しておきさえすれば、後は日程
は自由に決められるので、先ずはひと安心である。
食卓テーブルも、2階のものを1階に降ろして、1階の6人掛けの
大型テーブルを外に出す考えでいたが一部のネジが欠落しているため
に入間が丘への引越し前に持ち越した。
2階のテーブルは、池袋のシティータワーのセカンドハウスから引
き上げてきたものである。引越し業者が分解用の道具を持参していて、
分解したままにしていたものであるが、入間が丘において再利用する
ことになった。
今回も「N通運なら、組立・分解ツールを持参して来るだろう」と、
勝手に想定して、次の引っ越しのときに対応と決めたものだが、道具
一つで作業の可否が決まるというのも興味深いことではある。
015 一級建築士の古巣への人事異動
入間が丘のJグループによる住宅群の設計がすべて完了して設計士
の宮崎さんは、古巣の大泉学園オフイスに向けて人事異動となった。
一級建築士はJグループ内でもひっぱりだこの様である。
11月2日(火)晴れ 対面キッチンの出現
昨日は、家内を駅まで迎えに行き、帰り道に入間が丘の建築現場に
立ち寄るとサイディングは、既に、完了していて車の中から建築現場
の室内を覗き込むと、一階の奥には対面キッチンが姿を現していた。
駐車してある車には、金物店の名前が記されていたので、矢吹さん
が進めている大工仕事と並行的に進められている内装工事も、佳境に
入って来ているようである。
現住居でも午後には庭に出しておいた「粗大ゴミ扱いの整理ダンス
2個」を市役所の車が回収に来て、いよいよ引越し準備もまっさかり
となってきた。
11月3日(水)晴れ ブルーインパルスの曲技飛行
彩の森入間公園の駐車場は航空ファンの車でごったがえしていた。
文化の日は入間航空祭と決まっており遠隔地からも大勢の人が押し
かけるために「彩の森入間公園の駐車場も午前5時半に開門した」と
いう話をラジオ体操愛好家の仲間が教えてくれた。
久々に、入間航空祭に行ってみようかということになり、飼い犬も
連れて航空祭の会場に出掛けてみた。
入場チェックに際して「カゴをお持ちですか?」と、自衛官がたず
ねて来たので、その意味が呑込めないまま 「持っておりません」と
答えると「他の入場者への配慮からカゴに犬を入れて入場する必要が
あります」と、いう主旨の説明がありようやく理解できた。
結果、飼い犬を、自宅に連れ戻して、出直しての再度入場となった。
「ブルーインパルスの曲技飛行が良く見えるという場所」に、私達は
座り込んで「午後2時半からの航空ショーの曲技飛行に感動」自分の
齢を忘れて歓声をあげた。
そして「花形の飛行機の心臓部に当たるジェットエンジンは、私が
長年勤務していた『IHI』(石川島播磨重工業)が設計・製造した
ものだ」と、家内に伝えたところ、既に、承知していた。
11月5日(金)晴れ 建物保存登記の準備
彩の森入間公園からの帰途にカーラジオで「今朝は、一番の寒さと
なりました」と、報じていた。私の誕生日の1月下旬頃の寒さに比べ
たら、はるかに暖かいという印象ではあるが、本格的な冬支度が必要
になって来ているようである。
そこで、先ずは、引越しを迎えるにあたり・・・
「ポリタンク全数をガソリンスタンドに持って行き空にしてもらった」
そして、1個だけは満タンにしてもらって使い切ったら再補充という
作戦で引っ越し荷物を増やさないことにした。
一方で、引越しの手続きも本格的に始まる気配が近づく中で松本さん
がJグループ代表として引っ越しに必要な書類を抱えて説明に来られた。
当面、準備する書類は・・・
○ 建物表示登記と建物保存登記に関するものであり案内書きによれば、
「建物表示登記は:土地家屋調査士が登記をするもの」であり、建物に
おいては、土地とは異なり自然に存在する性質のものではないので何処
にどのような建物が建っているのかを登記するものである
○ 一方で「建物保存登記は司法書士が登記するもの」で建物表示登記
は所有権に関するものではないため、だれが所有者であるかを登記する
ものが建物保存登記であると云う。
○ この手続きに、添付する書類としては「住民票」と「印鑑証明」が
必要であるなどという、親切・丁寧な説明が、営業の松本さんからあり、
説明を終わると足早にお帰りになった。
11月6日(土)晴れ 設計士宮崎さんの人事異動
今日は狭山台のデザインセンターで設計士の宮崎さんと外構プラン
について二度目の打合せがあるので、いつも通り、午前9時30分に
私と家内は車で一緒に家を出た。途中で渋滞もあったが現地には午前
10時に到着して間に合うことが出来た。
「外構プランの一環で、南側フェンスを幅7m・高さ1.8mで設置
した場合の見積りが出た」という。結果、予想をはるかに超えた金額
であり、最上級の製品を選択した結果ではあるが「費用対効果」の面
から考えて「高額投入するフェンスでもない」ので、別の案を考える
ことにした。結果、南側フェンスは、なかなかに、計画の折り合いが
つかない案件である。
「スケートボードなどに乗った子供たちが車の前後に滑り込んで事故
を起こしても困ると云う考えから出発したもの」だが、やがて発想と
して、リビングに向けての目隠し用のフェンスにも考え方が発展して
行きフェンスの高さも背高なものになっていった。
本来の狙いからは、逸脱した感はあるが・・・
「それを発想の発展とみるか?」
「当初の計画からの逸脱とみるか?」
その判断は、難しいところではあるが、別次元の発想として・・・
「外から見えない背の高いフェンスは泥棒が潜伏しやすい」と、して
防犯のプロが指摘していることでもあり今日までの計画の経緯を振り
返ってみる必要はあるが、最終的な決定は「防犯という視点」からも
しっかりとチェックしておく必要はある。
そこで、帰宅後に、代案として考え出した答えは・・・
「幅7m・高さ1.8mのサイズは、そのまま採用とするが、外から
も見えるように横張のフェンスには隙間を設けて防犯、合わせて南風
が吹き抜ける構造にする」
「そして全体をアルミフェンスの構造体とした場合に大型台風の襲来
などによって根元から圧し折られる危険性もあり、根元部には剛性を
持たせた構造に改めることにする」
「その具現化として、土台を化粧ブロックで固めることにより強風に
対する剛性をもたせると、同時に、総体価格の大幅削減を狙う」
「結果、化粧ブロックの上にアルミフェンスを載せることになるので
高価なアルミフェンスの面積は半減、コストの削減が可能となる」
「フェンスは横張としてスリットの入ったものを採用することで塀の
外側からも内部が見えるので、防犯上も目が行き届くことになる」
「同時に室内から見たアルミフェンスの高さも点検したが、高すぎず、
低からず、的確な高さであると判断した」
これにより最終段階までなかなか決まらなかった南側のフェンスの
設計も遂に完結した。後に、これはグッドデザイン的な存在となって
大いに役立つことになる。
それにしても、一級建築士の宮崎さんとの打合せ終盤で・・・
「今月の11日に、古巣の大泉学園オフイスに帰任すること」になり
ましたという話には、私も家内も少々驚かされた。
しかし「我が家の設計が完結すれば、入間が丘の戸建団地は完売と
なります」とは聞いていたので 「やっぱり、その時が来たのか」と
私も家内も納得した。しかし古巣は「大泉学園の設計事務所です」と、
お聞きして安心した。
これからも住居が完成するまでは引き続きご支援いただけるという
ことであり、電子メールのアドレスについても、従来通りということ
を確認させていただき「心配無用」と、家内と二人で顔を見合わせた。
「今回、我が家の建築設計では良き設計士:宮崎さんに恵まれて感謝
しております」と、私と家内共々、御礼の言葉を申し上げて・・・
「今後の宮崎さんのますますのご活躍」を祈念させていただいた。
午後には建築現場に出掛け「南側フェンス関連の寸法取りの再確認」
を行った。宮崎さんの古巣への人事異動の話もあり、現地で矢吹さん
に声をかけたところ・・・
「既に、ご存知であり」設計部門と建築現場の間での意思疎通は完璧
なようである「さすがJグループ」と、云えるコミュニケーションの
良さである。
矢吹さんからは「仕事に支障のない範囲で、2階の仕上がり状態を
見て行きますか」という声が投げかけられて「喜んで」と、私と家内
は満面の笑顔で矢吹さんに付いて行き、2階に登らせていただいた。
「先ず、階段を登る歩幅が、ゆったりとしていて嬉しい」
「階段の手摺の裏側には指がかかるように細工がしてありきめ細かい
配慮を感じ取った」
「階段を登りきるとゲストルーム用に設けたクローゼットがいかにも
使い易そうである」
「ゲストルームについては、南側のガラスドアが一間半あるため明る
くて、広々としていた」
「奥の書斎も南西の眺望が開けていて開放感抜群である」
「北側のクローゼットは窓からの背面光線が目に優しい」
そして、なによりも「仕事の丁寧なことが、全体の仕上がりの良さ
から伝わってくる」
矢吹さんに「丁寧な仕上がりですね」と、声を掛けると・・・
「厳しい日程でしたが日々の時間を増やすことで良い仕事が可能とな
りました」と、匠の世界の凄い人ならではの手抜きのない仕事ぶりが
矢吹さんの笑顔とその一言によって私達には十分に伝わってきた。
第3章
016 冬が来てやがてまた春を迎える
俳句の歳時記によれば、立冬から立春の前日までを冬としている。
立冬は、11月7、8日頃であるから、匠の世界の矢吹さんは立冬が
来る前に「T&K:ついの棲家Ⅱ」に建築の目途を付けたということ
は驚異的な偉業である。
11月7日(日)曇り 大型食器棚の発注
早朝の彩の森ウォーキングの勢いをそのまま借りて、朝食後、洋服
ダンス2個を庭に出した。近日中に市役所から粗大ゴミの回収に来る
段取りである。
昨日、入間が丘の建築現場で見せていただいた2階には・・・
「収容力の確かな大型クローゼット・ルームが設えてあるのでタンス
類の引越しは不要であり」現住居で使っているタンス7本は廃棄処分
とすることになる。
午後には「新規に購入が必要な物品の手配」に出掛けた。
「これはデザイン的に優れているわね」と、いうことで大型食器棚を
発注した(キッチンにぴったりと収まるサイズであった)
「このパソコン机はデザインが斬新」と、いうことで、書斎用の机も
購入した。現在の机は大型すぎて、入間が丘に予定している書斎には
収まらないため買い替える必要があった。
11月8日(月)晴れ ダントツの決断力と直感力
彩の森入間公園におけるラジオ体操の場所を管理センターの前庭に
変えてから、朝日の昇る様子が手に取るように見える様になってきた。
入間が丘に引っ越すと彩の森入間公園までは自転車で約8分の近距離
になるので、すぐに来れることから、嬉しさも倍増である。
朝食後は久々にJグループ入間支店を訪問して営業の松本さんから、
「入居までのスケジュールと、これに合わせた資金調達のタイミング
など」を確認、引越しの準備もカウントダウンの前段という雰囲気に
なってきた。
「こういう臨戦態勢になってくると、家内の方が決断力において抜群
に優れている」と思いながら、黒部ダムのバス旅行に出掛けたときの
ことを思い出した。
「あの時は、トローリーバスに乗り込む際に家内が右方向を目指すと
ころを私は左方にそれも強引に家内の手を引っ張って乗り込ませた」
「結果は乗り込んだバスは満杯状態であり吊革を握りしめての立姿と
なった。一方で、右手のバスはガラ空き状態であった」
それからというものは、いざというときに意見が分かれた場合には、
それが、どんなに些細なことでも、家内の直感に頼ることにしている。
その選択は、必ず成功につながると決め込んでいるので、入間が丘へ
の引っ越しも、その直観を大いに当てにしている次第である。
11月9日(火)晴れ 初冬の脳内シミュレーション
彩の森入間公園も紅葉が盛りとなり、初冬という風情になってきた。
入間が丘の建築工事の進捗に伴い、関連する用件は、概ね手配を完了
したつもりであるが、抜けや漏れがないかを点検しておく必要がある。
風呂場で髪を洗いながら「脳内の点検シミュレーションのスイッチ」
をオンにした。
この脳内シミュレーションは便利なことに「いつでも録画・再生が
可能であり」反省機能も装備している。
☑ 新居の玄関に向かって左手にポストが配してあり、我が家の表札
は手配済みである
☑ Jグループが提供する郵便受けは、現住居のものに比べて小ぶり
であるがしばらく使ってみることにする。旅行などで留守にする時
のことを、別途、考える必要があるかもしれない
☑ 建物外観のサイディングは、落着きのある色調で華やかさもあり
成功と云える。ただし、玄関ドア周辺の石調のサイディングが気に
なるが、柿渋調の玄関ドアとの色合いのバランスは、ドアの梱包を
解いた後でないと判断は難しい
☑ 玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのドアの開け方は右手で
開けて、ドアを外側に押しやった場合に、少し遅れて玄関を入って
来た人がドアエッジにおでこをぶつける心配があるため勝手反対に
設計変更したが正解であったようである
☑ 玄関を入って右手のシューズボックスは、使い勝手が良さそうで
あり、台の上には生け花や飾り物を置く場所として最適である
☑ 玄関に立って奥に向かった開放感は階段下までに余裕があるので
ゆったり感は保てた印象がある
☑ 玄関からキッチン&リビングへの入り口は引き戸にしたが、軽く
操作出来て、ガラスを嵌めこんだことによる採光も抜群でほぼ成功
と云える。これは、設計士の宮崎さんがV字レールを採用した効果
でもあり感謝・多謝である
☑ 引き戸を開けて右に行くと洗面台に突き当たる。スペース的には
幅90cmあるので広々と使える。洗濯機を置く場所の上の窓辺も
大きくて明るい
☑ 浴室は西側からの採光のため、明るくて気持ちの良い入浴が期待
できる
☑ キッチンの食器棚は、高さ2.4mのものを購入したので収納力
は大きい。また幅は1.8mであり隣に冷蔵庫を並べても入浴時に
通路側にバスタオル類を置く場所はとれる
☑ キッチンはリッチグロスシリーズのホワイトゼブラを採用。品の
良い色調であり購入した食器棚も同系色なのでマッチングも良い
☑ 対面キッチンは、まだ施工がこれからだが、出来上がりが楽しみ
である
☑ ダブル出窓は開放窓と3連の細窓の組合せにして、二か所で趣向
を変えてみたが成功と云える
☑ リビングと和室の間の襖は、3連式にして、約2m幅の開放感を
維持できるようにしたが、同時に襖の位置を変えるだけで雰囲気を
変えられるのでデザイン的には大成功である
☑ 和室8畳の天井には、天然材を使ってみたが、これもデザイン的
には良かったと考えている
☑ また、和室の出窓もデザイン的に優れものであり、矢吹さんの匠
のセンスが生かされている
☑ 私がこだわった階段下の奥行きのある和室クローゼットも、使い
勝手が良さそうで安心した
これに続く2階のシミュレーションについては後述することにする。
11月10日(水)晴れ 匠の世界の大仕事が完了
冬初めという季語があるが、早朝の彩の森入間公園内は、短い靴下
では足元が寒い季節になってきた。公園からの帰宅後、書斎から外の
景色をのぞくと、気持の良い晴天がどこまでもひろがっている印象で
あり、朝食後に入間が丘の建築現場を訪れると、足場が外されており
周囲を覆うシートも取り除かれた。
昨日の夕方、建築現場に寄り道をして気付いたのであるが・・・
気になっていた「渋柿調の色合いの玄関ドアと石積調のサイディング」
の関係性から見た色合いのバランスは出来栄えの良さに納得して二人
で頷きあった。
その時、ちょうど、矢吹さんが1階和室から出てきたので・・・
「無理な日程のなかをありがとうございました」
「丁寧な仕事の積み重ねは素人の目にも良く伝わってきます」
と、二人揃って感謝の言葉をお伝えすると、
「そう云っていただけるだけでとても嬉しいです」と、矢吹さんから
も満面の笑顔が返ってきて、お互いに、それぞれの喜びを共有した。
「矢吹さんの仕事は、最終段階まで、連続操業に近かったことを知り
まして驚きました」
「矢吹さんの仕事始めの早いことを知ったのは、早朝ウォーキングの
帰りでした。あの時は腕時計を見ると、まだ午前7時であり家内共々
驚いたことがあります」
「夕方も午後7時くらいまでお仕事をされていましたよね」と、当方
は驚きの連続であったことをお伝えすると、さらに、驚くべき事実が
矢吹さんから伝えられた。
「ご近所に、気を使いながらでしたが、実は午後7時よりも遅くまで
仕事をしていました」と、云うのである。思わず二人で、言葉を失い
「そうだったのですか」と、後の言葉がやっと出てきた。
「1階の和室8畳が最後の仕上げになりましたが、明日までには大工
仕事はすべて完了しますので、明日からはクロス貼りの作業に着工の
予定です」と、いうことで話は終わった。
あの時「二人にとっての満足感」と「棟梁の矢吹さんの達成感」は
「匠の世界における大仕事が完了した」と、いう合流点において幸せ
な気持を共有することができ「心から、本当にありがとうございます」
と、挨拶を重ねて「幸せいっぱいな気分」で帰途についたことを鮮明
に覚えている。
さて「昨日の脳内シミュレーション」による総点検の続きであるが、
☑ 1階から2階へのゆるい階段の傾斜は、家内が熱望したデザイン
であり、希望通りの出来上がりには家内共々大満足である。そして
手摺を握ってキメ細かな配慮が伝わってきた
(指の腹にフィットするひだが刻んであった)
☑ 階段の踊り場も一畳相当で広めに取ったこともあり、これは階段
を遊び場所にするであろう孫たちのためにも安全設計になっている。
群馬県の実家近くに住んでいる妹が階段から滑り落ち時に、お尻を
激しく打ったという話も聞いており、洗濯物を持って階段を行き来
する家内や私には嬉しい空間設計となった
☑ 階段を登りきった右側がゲストルーム用のクローゼットになって
おり、框組の粋な扉は操作が軽やかであり、内部は幅1間半の収容
容積になっているので、現有の客用布団はすべて格納できる
☑ ゲストルームは洋室タイプで、子供たちファミリーが帰省した時
に泊まれる様に準備したものであるが、広さも7.5畳としたので
ちょうど良い広さかなと感じている
☑ このゲストルームの南側の出入口は、バルコニーを兼ねた洗濯物
の干し場につながる構造なので、引き戸を4分割にするアイデアは
成功であった
☑ 入間が丘の住宅設計の基本コンセプトは、家内が85歳になった
時にも快適に暮らせるような設計にした。この4分割のガラス戸も
そのコンセプトに沿った設計であり、1階のリビングおよび1階の
和室のシャッターを電動にしたのも同じ思考に沿った設計である。
☑ ゲストルームの東側の細窓2連および西側の細窓も、採光が良く
成功と云える。防犯を考えて細窓にしたものだが細窓のカーテンは
シェードタイプにした。
これは、池袋のセカンドハウスから引き揚げてきた大型カーテンの
生地を活用して、シェードタイプのカーテンに再利用するアイデア
を、カーテンの製作を依頼したカーテン会社の社長が考えてくれた
もので良心的なサポート体制から信頼感が伝わってきた。この社長
は、営業の松本さんからの紹介によるものであった。
☑ 洋室南側のバルコニーはL型の配置にしたが外側のサイディング
の仕上がりも良く魅力的な外観となり、生活面からも洗濯物と布団
類を2か所に分けて干せるので便利である。
このL型のバルコニーについては、当初、若手の細部設計者からは
雨天時の降水能力の処理上、バルコニーを半分にして欲しいという
希望が出されたが、航空機用ジェットエンジンの潤滑油の排出量を
増やすことを設計した時のことを思い出して、L型のバルコニーの
両側2か所に排水穴を設けることを提案して希望通りのL型の設計
を採用としていただいた。
☑ 2階の廊下の奥に書斎を配置したが、結果的に、南西の角部屋に
位置することになり、明るくて見晴らしの良い部屋となった。現在
使っているテーブルは、大きすぎて持ち込めないので、パソコン机
を新規購入、自分でキット組みして活用して行く考えである
◇ 北側クローゼットは、最も間取りを工夫したエリアで背面光線を
活用して衣類を出し入れ出来るようにして、1間半の幅で、横方向
に直線的に配列した
2階のクローゼットは考え方として、クローゼット内には入らずに
外側からの扉の開閉によって、衣類などを出し入れする方法でまと
めた。これは、航空機用ジェットエンジンの艤装や配管類を外周部
から装着することをヒントにして考案したものである
話題は変わるが引越し日程は幅を持たせて、12月12日の大安に
着手して、18日の大安に完了する予定とした。肝心のN通運による
引越し用のトラックの手配は、12月15日の友引を予定している。
その前段で娘が我が家に残していった鎌倉への荷物は11月20日
に運搬する。本格的な引越し準備の開始をする前に1階から2階まで
書籍を詰めたダンボールを一気に8箱運んでみた。
結果、膝に痛みを感じたので・・・
○ 1階の引っ越し荷物は、1階に設けた引っ越し荷物集積エリアに
集めるようにして
○ 2階のものは2階の集積エリアに集め、階段は出来るだけ使わな
いことで、引っ越し準備を計画することにした
017 引っ越しにも適齢期がある
11月12日(金)晴れ 超重量物の廃棄処分
今朝は午前6時半に起床した。そして彩の森ウォーキングは中止と
した。飼い犬にとっては期待が外れたが、家内が現役のときに通って
いた都内の歯科に行くための対応である。
私の朝一番の仕事として息子の使っていた大型タンスを廃棄処分に
するために、庭先まで出す作業を予定していたので、出掛け前の家内
に手伝ってもらって済ませた。このタンスは超重量物で通りかかった
酒屋の配達の方が「朝からたいへんですね」と、声をかけて行くほど
の重作業であった。
午後にも大事な仕事が二つある。
○ 1つ目は、外構工事に合わせて行う植木の移植(引越し)の手配
○ 2つ目は、市役所の粗大ゴミ回収への立会いと代金の支払い
設計士の宮崎さんから紹介された植木職人さんは手際が良く・・・
「それでは引越し対象の植木に印をしておきましょう」と、約10本
の植木に手早くテープを貼りつけている。
(この手際の良さなら植木の移植をお願いしても安心と思った)
11月14日(日)曇り 混沌としていた書斎の整理も完了
今朝の彩の森ウォーキングは普通に歩いていても汗ばむほどの陽気
である。飼い犬は、枯葉の中の匂い嗅ぎが、至福の喜びのようなので
飽きずに付き合うことにした。
その間に、家内は彩の森入間公園の外周をウォーキングできるので、
お互いに都合が良い。彩の森入間公園も家の書斎の庭先も、すっかり
色付いて曇り空ではあるが、映画「黄昏」を、想い出す光景である。
あの外国映画のシーンで紅葉の中における夫婦の暮らしぶりをみて、
日本人の多くが「晩年には、かくありたいものである」と、いう共感
を覚えた記憶は遥かに遠い昭和の時代の思い出であるが、感覚的には
昨日のことのように覚えている。
また、劇中で主人公が不仲であった娘との絆を取り戻すシーンでは、
「時間の経過という薬の効き目」を、あらためて再認識させてくれた。
さて、今日からは混沌としていた書斎内も片付いたので腰を据えて
引越し準備に取り掛かれる状態になった。
11月19日(金)晴れ 玄関ドアは和洋折衷のモダンタイプ
今朝は、午前5時50分の目覚ましを聞きながら、昨日のテニスで
張り切りすぎたせいか起き上がる気になれなくて、早朝の彩の森入間
公園のウォーキングはパスすることにした。
たまには陽だまりの芝生で遊ばせるのも良いかと考え、午後2時頃
に彩の森入間公園に自転車で出掛けてみた。やはり、大勢の犬連れの
方が見えていて、この季節は昼間の散歩も良いものだと感じた。
夕刻になれば家内がひばりヶ丘の孫の育児支援から帰ってくるので、
これからの飼い犬との散歩の時間を相談してみることにしようと考え
ながら、彩の森入間公園からの帰り道に、自転車の前かごに飼い犬を
乗せたままの状態で、入間が丘の建築現場に寄ってみたら・・・
「ハウスクリーニングをしていた」
「リビング内のフローリングを覆っていたシートカバー類も外されて、
綺麗に雑巾がけされ、落ち着いた色調で姿を現していた」
「天井には、シャンデリアが取り付けられていて、日常生活を過ごす
上でも、違和感のない照明器具という印象を受けた」
(しかし後にLED大型照明器具の実用化によって丸ごと交換した)
玄関に廻ると玄関ドアが開梱されていて、和洋折衷のモダンタイプ
という造りと色調で、気になっていた壁材とのバランスも良く、その
仕上がり感に満足した。玄関口の外灯にも素敵な存在感があった。
11月20日(土)晴れ 鎌倉に向けて荷物を搬出
我が家の庭先で、柚子が実を付け、どうだんつつじが紅葉の盛りに
なってくると、駐車場の脇にある散水栓に、防寒着を被せて冬支度を
する必要がある。かつて、この散水栓は北側にあるため厳寒のときに
蛇口部から水道が破裂したことがある。
今日は散水栓の上に毛布を敷いて、引っ越し荷物を搬出する必要が
ある。鎌倉に嫁いだ娘が残していった荷物で・・・
「ベッドや洋服タンス・整理ダンス、そして布団・CD・衣類」など
を入れたダンボールを一箇所にまとめて、引越し業者が仕事をしやす
いように、家内と一緒に朝から準備を進めておいた。
引越し業者は、午前9時過ぎには、我が家に到着・・・
我々は、早速、門扉を外して通路を確保。引っ越し業者は積載荷物量
の見立てと積み込み順序を決めるため、早速、2階に上がって段取り
を決め、積み込み作業に取り掛かった。
洋服ダンスは布地で覆い、これならば、傷付く心配もなく「輸送中
に傷が付いたのではないかなど」といったクレームが来る心配もない。
これこそ、長年の経験を積み重ねてクレームなどを貴重な顧客の声と
して捉えて、進化してきた証のように思われた。
引越し業者の方から「高速道路の朝比奈の出口は今の季節は混んで
いませんか?」と、聞かれて家内が鎌倉の娘に電話を入れると若旦那
が電話口に出て「今の時間なら混雑はありませんよ」と、云う回答が
あり、業者は安心して鎌倉に向けて出発した。
11月21日(日)晴れ 南側の電動シャッター設置
朝から気持ちの良い晴れ間で、引越し荷物のダンボール詰めも手際
良く進められそうだ。昨日は、鎌倉に嫁いだ娘の荷物が片付き2階の
東南の角部屋が空いた。まだリフォームしたばかりであり綺麗な部屋
である。この部屋にダンボール詰めした荷物を集積させて、各部屋を
片付けて行く段取りである。
入間が丘の建築現場は工事日程通りに外構工事が始まった。先ずは
北側に、エコキュートの台座としてのプラットフォーム造りから着手
して行き、エコキュートの貯蔵タンクや、ヒートポンプの設置を優先
するようである。後に、この台座のおかげで、2011年3月11日
の大地震による大揺れにも対応出来た。
南側の2箇所の出入り口は、内装工事が進んでいる段階では、開放
されていたが電動シャッター設置に伴い締め切られた状態に変わった。
内装は大方が完了した様子である。Kホームズで調達した「表札」は、
12月6日の内覧日に現地で現場監督に手渡すことになった。
ここまで来ると、入居までのカウントダウンも間もなく開始である。
彩の森ウォーキングも早朝から昼型に変えたので、朝方は、ゆったり
の生活スタイルとなった。スポーツ記事によれば「冬季は昼型の運動
のほうが身体には良い」と云うので適合である。
11月22日(月)曇り時々雨 都内で家具類を調達
雨がまだ降ってこないうちに家内を武蔵藤沢駅まで送り、そのまま
Jグループの入間支店まで車を走らせた。
登記上の住所の確認と、現住居を購入して下さるお客様への引渡し
のための必要書類や当日の事務手続きの時間割の確認および引渡しに
際しての午前中の飯能地域における銀行手続きから、その後の入間市
における手続きなど全体的に効率良く進める必要があるため、事前に
詳細な打合せを行った。
その後は、家内を駅まで迎えに行き「どうだった」と、たずねると、
「都内の家具店には午前10時頃には到着して、テレビ台として寸法
のちょうど良いものが見つかり、ついでに、ベージュ色のソファ類も
お気に入りのものが見つかりました」と、云うことで嬉しそうな土産
話が返ってきた。
11月25日(木)晴れ 南側アルミフェンスの発注
設計図の確定までに、長い期間がかかっていた南側フェンスの仕様
が確定したので発注した。これによりJグループの外構工事の一環と
して施工が出来ることになり、引越し前に完成出来る見通しがついた。
11月26日(金)晴れ 外構工事の開始
家内が、午前中に健康診断の結果を聞きに病院に行くということで、
病院まで家内を送った帰りに、入間が丘の建築現場に寄り道をすると
○ 外構工事の職人さんが手押し車で建材を運んでいた
○ 昨日は、つる薔薇のアーチの取り付け位置の確認のために現地に
出掛けたが、エコキュートの機器を据えるための台座のコンクリート
養生中で現場には誰もいなかった
現場では、エコキュート機器が玄関の脇に待機していた。該当機器
については真新しいスノコを下に敷いて、新品の商品が汚れないよう
に配慮していた。
北側から西側にかけての建屋外周の化粧ブロックは二段積みで綺麗
に仕上げられていた。この高さは道路から台所の勝手口に上がる場合
にも、丁度良い高さと感じた。
勝手口の正面に、つる薔薇のアーチをかければ、飾りと目かくしを
兼ねたものになるので、地面に敷石でも置けば、全体の構図としても
まとまりが良いものになる。
11月27日(土)晴れ 蔵書の廃棄まだ60%未満
入間が丘への引越しのカウントダウンは「12月1日」に開始する
考えである 「12月10日が新居の引渡予定日」なので、ちょうど
数えやすいことになる。
そのように考えると11月も残り3日間となってきており、引越し
準備も気合を入れて取り組む時期になってきた。そしてその様な状況
を判断して、今日からは、書庫の整理と荷造りを始めた。
現状では、書斎と書庫は別の部屋にしているが、入間が丘では書斎
と書庫が合体することになるので、既に、書籍の約60%は廃棄とし
たが、実際に新居に持ち込む書籍の量はさらに減らす必要がある。
11月28日(日)晴れ 郵便受けのポール設置
久々に彩の森入間公園に飼い犬を連れて行き、大好きな落葉踏みが
出来る場所を選んで歩かせた。この頃は匂い嗅ぎ専門に特化してなか
なか歩こうとしない。特に、気に入った匂いには身体を仰向けにして
自分の背中をずりずりと擦り付けているが・・・
「なにを意味しての行動なのか?」と、そんなことを考えながら、
「今日は彩の森入間公園から新居までの徒歩での時間を測ってみよう」
と、思いついて行動開始とばかりに歩くこと7分で中間位置の富士見
公園に到着、さらに、約7分間で新居の建築現場に到着した。
彩の森入間公園から「T&K:ついの棲家Ⅱ」までは約15分間と
みておけば十分な様である。入間が丘の建築現場では玄関アプローチ
のエリアに郵便受けポールが建てられ、階段のステップには色取りの
良い飾り石とレンガが貼り付けられていた。
11月29日 (月)晴れ エコキュート機器の設置完了
書庫の天袋のなかに預かっていた子供たちのカバン類を紐で括って
まとめて、月曜日扱いのゴミ類として出した。粗大ゴミの処分は早め
に済ませたが、小さな不用品などは収納エリアを整理する度に、次々
と出てくる。いよいよ、引越し準備も「ローラー作戦」の段階に入り
端からチェックして行く。
☑ これは新居に持って行くもの
☑ これはそのまま置いておくもの
☑ これはここで捨てて行くもの
この3択で決めて行くのだが中には迷うものもある。一方で、新居
の建築現場は最終の仕上げ段階に入っており、北側の外構工事の進捗
に伴って、エコキュート関連の機器が台座の上に据え付けられて稼動
待の状態である。玄関口には、装飾用の石材が届けられ・・・
現在、工事中の南側フェンスの基盤となる化粧ブロックが芯に縦筋
を通して施工に目途が付いた段階で、玄関口および南側の駐車エリア
に、コンクリートが一気に流し込まれ、それぞれに化粧用石材の貼り
付けが終われば、後は、コンクリ養生の段取りに入ると思われる。
11月30日(火)晴れ 南側フェンスの工事進行
冬晴れの気持ちの良い朝である。
明日からは師走となりだんだんと気忙しくなって来る。建築現場は
南側のフェンス工事が、既に土台となる化粧ブロックの積み上げから
始まっており、ここに来るまでに紆余曲折はあったものの、最終的に
イメージした通りに工事が進んでいる。
目かくしを兼ねた子供たちの事故防止用のフェンスとしては、良い
仕上がりが期待できそうである。建築現場では工事監督の中村さんに
久々にお会いした。ここに、到るまでの感謝の気持ちを伝えることが
出来る場が持てて良かった。
同時に、植木の移植を手配して下さった簗瀬さんにも、お会いする
ことができ、親交を深めることが出来た。
018 いよいよ待ったなしの師走を迎えた
12月1日(水)晴れ 駐車スペースの工事着工
鎌倉ファミリーの処に出掛け2泊3日を予定している家内を駅まで
送り、その後は、気分転換を兼ねて散髪に出掛けた。気分もスッキリ
したところで、飼い犬を連れて彩の森入間公園を散策した。
帰路には入間が丘の建築現場に寄って職人さんに挨拶。既に、玄関
アプローチの飾り石の敷き詰め作業が始まっていた。職人さんの手順
を拝見していてセンスの良さが伝わってくる。
最初に、大きな飾り石を配置して、その後で隙間に飾り石を砕いて、
パズルのように嵌め込んで行く。その手際が見ていて気持ちが良い。
南側のフェンスは化粧ブロックが、既に、5段積みされており上部
には、横張りフェンス用の支柱が建てられて、後は、コンクリートで
がっちりと固める段階まで来ている。
駐車スペースは、下層に相当する部分に、砂利撒きが行われており、
次の工程を待っている段階である。明日からは工事監督の中村さんが
研修に出掛けるため1階と2階の窓部を開放して、部屋の空気の入れ
換えを実施すると云う。
内覧会は「12月6日(大安)」に設定されていて、お互い日程的
に都合の良い日であった。
12月2日(木)晴れ(後)夜は雨 南側フェンスは塗装が不要
今週からテニススクールの練習は休みにして、引越し準備を最優先
とすることにした。先ずは、下駄箱の裏などのめったに空けたことの
ない処も開けて調べておかないと、引越し前に、粗大ゴミなどが出て
きてもいやだなと考えて、開けたところビックリであった。
古いテレビ、古いミシン、旧型のテニスラケットなどがぞろぞろと
出てきた。そこで、早速に処分
☑ テレビはY電機に持っていって廃棄処分(もちろん有料)
☑ テニスラケットについてはテニスショップに廃棄処分を依頼
☑ ミシンは粗大ゴミ扱いで市役所に廃棄処分を依頼(有料)
やはり、早目に、下駄箱の裏の押入れを開けて正解であった。
一方で、入間が丘の建築現場では、南側フェンスの横板が姿を現し
アルミ材なのに木材の味わいそのものなので驚いた。
(メンテナンスのためのペンキ塗りが省けることが嬉しい)
12月3日(金)雨(後)晴れ 事前にインターネットで転居届
市役所の総合クリーンセンターから、粗大ゴミを取りに来てくれる
方々が仕事がしやすいようにと考え駐車場の車を他所に移動するだけ
のことであったが、着ていた衣類がすっかり濡れてしまうほどの強い
雨脚であった。それでも、ゴミ収集車が到着したときには、すっかり
雨が止んでいて助かった。
引越し準備に伴う、粗大ゴミの発見も「これにて、終わりか」と、
思っていると出て来るので、現住居の引渡し日の12月20日まで
は、粗大ゴミの処分が続くものと覚悟を決めた。
庭で粗大ゴミを出した後の片付けをしていると顔馴染みの郵便屋
さんが見えたので、近日中に引越しする旨を伝えると・・・
「転居届は本社で受け付けてから事務手続きが始まるので出来れば
早目に出しておいたほうが良いですよ」と、貴重な助言をいただい
たので、インターネット登録で事前に済ませておいた。
午後3時頃に、家内が鎌倉の娘の処から戻るというので、駅まで
迎えに行き、その帰り道に入間が丘の建築現場に立ち寄った。南側
フェンスは既に完成、その出来栄えに私も家内も大満足した。
12月4日(土)晴れ 粗大ゴミを持ち込み処分
今朝は、暖かな陽気で庭の片付けも苦にならない。私と家内と二人
で庭の粗大ゴミを車に積み込んで、市役所の総合クリーンセンターに
出掛けてみた。
今までは、自分の車には積み込めない長尺物の類を粗大ゴミとして
出してきたため、市役所には運搬も含めて廃棄処分を依頼してきたが
今後は粗大ゴミとはいえども、自家用車で運べる大きさのものばかり
になってきたので市役所で管轄している総合クリーンセンターに直行
しての廃棄処分を体験することにした。
現地に着くと、先ずは、第1ゲートで担当スタッフから・・・
「家庭ゴミですか?」
「産業廃棄物ですか?」と、聞かれて
「家庭ゴミです」と、答えると、
「2番ゲートに向かってください」と、云われ自家用車を進めて行く
と、やがて順番が来て、車から降り廃棄物を手渡しすると、その場で
端末入力が行われて、即座に、料金票が発行された。
「さすがに素早い荷捌き」
第3ゲートが料金支払いの窓口になっていて現金の支払いが済めば、
すべての工程が完了するという手順になっており、俊敏な対応である。
これからの「粗大ゴミの廃棄処分の手順が大まかに呑み込めた」ので
今後の粗大ゴミの処分には容易に対応出来ると感じた。
12月5日(日)晴れ 駐車場のコンクリ養生
本日からは、引越し準備がまだ途中の段階の部屋から、優先させて
片付けて行こうと考えて、朝から片付け作業に着手、先ずは、書庫に
狙いを定めて書籍類のダンボール詰めから注力して行った。
家内は作業ペースが手早いので台所や衣類の整理、庭の片付けなど
早々と済ませて、フィットネスクラブに出掛けた。
私は、なにごとも、急いでものごとを進めるのは、自分の性格から
云って好まないところがあり、しばらくは、テニスを休んで、引越し
準備に集中することにしている。
どちらかというと緊張するタイプの私なので、期末試験や旅行の前
などにはいつも好きなことも止めて取り組む癖がある。これも、性分
なので気持ちが急いているなかでは、楽しめないという気の小さいと
ころが、大いに影響しているのだと自覚している。
歌手のコブクロが背の高い人と標準の背丈の人でコラボしてグッド
ハーモニーを奏でているように・・・
「我が家でも、肝っ玉の大きな家内と気の小さいボクとで、味わいの
あるハーモニーが、入間が丘の新居でも継続して楽しく奏でられれば」
と、考えている。
その入間が丘の建築現場では駐車エリアなどのコンクリートの養生
が進められており、家の周囲が広々としてきた印象である。
明日は、入間が丘の建屋の内覧が午前10時から予定されている。
12月6日(月)大安 晴れ 新築住居の内覧
入間が丘の新築住居について、内覧は、午前10時から開始された。
月曜日と云えば、かつて狭山市のデザインセンターで、間取図などを
設定する打合せが、毎週、月曜日の午前10時からであったので、
「一級建築士:宮崎さんとのデザイン・ミーティング(設計会議)を
思い出しながらの内覧となった」
内覧では、工事担当の中村さんが説明役で「引渡しの事前案内書類」
に沿って手際良く説明が行われた。
「玄関の鍵は、お客様が使用開始することで、工事関係者の鍵は無効
になる仕組みになっています」
「電気系統の使用開始時は東京電力の志木支社に電話をして下さい」
「同じく、水道関連の使用開始は、入間市水道部に連絡して下さい」
「住居の引き渡し後のアフターサービスは、Jグループ品質保証課が
担当します」などなどの説明から始まり、機器類の操作などについて
手際良くご説明いただいた。
機器操作などの説明を伺っていて・・・
「時代に応じた住宅機器の進化の状況が身近な感覚で伝わってきた」
同時に「住み心地の良い住環境で暮らせること」に、感謝である。
エコキュート機器の関連はK社の担当の方から説明があり・・・
「彼らこそが、エコキュート開発のパイオニアである」ことを初めて
知った。担当者からの説明にも大いに工夫があり、聞いていて分かり
やすかった。
12月7日(火)晴れ(後)曇り フロアスタンドの配達
朝日が眩しいほどの好天気に恵まれたが、夕刻には、雨が降り出す
天気予報である。今日は、午後2時過ぎに入間が丘で使用する予定の
フロアスタンドが、配達されるというので、彩の森入間公園における
散歩は、その後に飼い犬を連れて出掛けようと考えている。
なにしろ、最近は、彩の森入間公園に行けなかった日は、夜の寛ぎ
タイムでテレビを観ているときに、今日は、飼い犬が彩の森入間公園
に行けなかったことを思い出して吠えてくるので、天気さえ良ければ
「公園に行かない訳に行かない」ほどに・・・
「彩の森入間公園における散策は、散歩の域を超えて、今や、飼い犬
の脳内には当然の日課として、しっかりと定着している」様である。
12月8日(水)朝方雨(後)晴れ 薔薇のアーチの購入
朝方は雨が残ったが連続ドラマが始まる頃には晴れ間が出てきた。
今日も気合を入れて「引越しの準備をするぞ」と、自分自身に暗示
をかけて作業を開始した。約7割は片付いたかという感じなので今日
からは得意のローラー作戦を兼ねて、荷物ごとに行く先の部屋の表示
を予定している。
その時に、更に考え直して、捨てるものはないかと現物を前にして
ふるいにかける。 「必要と判断したもの」は、部屋ごとの配置図を
イメージして並べ方を絵にしておく。
この過程を入れておくと引越し業者とも「上手く協調作業が出来る」
ため配置のやり直しなどが減らせる。年齢的にも夫婦二人だけで後日
の再配置は無理なので、この過程は不可欠である。
引っ越し準備の途中でKホームズに出掛けて「クーラーの室外機の
木製カバー」および「つる薔薇のアーチを購入しよう」と、いうこと
になり、これも引越しの段取りと考えてフットワーク良く出掛けた。
12月9日(木)晴れ アジアンルームの整理
今朝は、食事を済ませた段階で、我々が「アジアンルーム」と呼ん
でいる部屋に陣取って、引越し荷物の集積を開始した。このアジアン
ルームという呼称は二人で名付けたもので「陽だまりの部屋を造ろう」
と、云うことになり、西側の部屋の押入れを壊してリフォームをした
部屋である。
天井や壁のクロス材を選ぶ際にアジアン調を意識してデザインした
ことから名付けたもので、二人にとっては、元気の出るお気に入りの
パワースポットである。
次いで、南西に位置する部屋に移って、家内がダンボール詰めした
荷物に、行先をマジックで明記して積み上げて行く。
次には、天袋の高いところにある荷物を整理して、ダンボール箱に
詰め込み行先を表示して作業を一段落させた。その間に家内は2階の
トイレを磨き上げて、次の居住者にも、気持ち良く使っていただける
様に、トイレの神様にも感謝の気持ちを込めて拭き掃除を完了した。
家内は休む間もなく、次いで洗面台の掃除に取り掛かった。すべて
二人だけでやりきる必要があり相変わらずやることが速い家内の手際
の良さには救われる思いである。
12月10日(金)晴れ 飯能市と入間市にて売買の事務処理
朝は寒さが厳しく防寒支度で外出したが、飯能市の銀行で現住居の
売却手続きを完了した頃には外に出ると暖かな陽気で助かった。
同じ入間市内で、ご両親と同居されていた若いSさんに、我が家を
購入していただいて、今年の5月の契約以来、長らくお待ちいただき
感謝・多謝である。
Sさんは、コンピュータが趣味でサーバーなども保有しており入居
までには、床材の補強が必要であると聞いているが、入居は、来年の
予定であり詳細なスケジュールは、まだ決まっていないという。
当面は 「荷物を置くための倉庫代わり的な存在」と、お聞きして
おり居住区として使用する必要性が明確になるまではリフォームなど
も急がれない様子である。
飯能市の銀行において、売却手続きが完了したのは、午前10時で
あったがSさんは引き続き火災保険について35年間契約があるとの
ことで保険業者と共に部屋に残り、契約手続きの詰めに入っていた。
私と家内は、Jグループ:営業担当の松本さんと3人で次の段取り
として入間市の銀行において入間が丘に完成した住居の引渡し手続き
があるので、陽だまり感が頬に伝わってくる様な、暖かな陽気の中を
入間市に向かって車を走らせた。
飯能市の該当の銀行は駐車場が狭いと聞いていたので、Jグループ
営業の松本さんが運転するクラウンに三人で同乗して出掛けたのだが
入間市の銀行支店は、駐車場が広いので、二人で自分たちの自動車に
乗り換えて銀行支店に向かった。
入間市の銀行支店では、登記準備等の手続きもスムーズに完了した。
それにしても、我が家を購入して下さったSさん宅には感謝・多謝で
ある。不動産売買については、ほんとうに、チャンスの神様の前髪を
しっかりと捕まえることが大切であり、そこに躊躇があってはならな
いというが、その通りである。
私自身の経験からも、このことには多くのエピソードを有している。
先ずは胃が痛くなるほどの経験談から、紹介することにする。あれは
私が、定年になって退職した直後のこと。ある日、読売新聞の朝刊に
大きな高層マンションの売り出し広告が載った。
売り出し現地は池袋のサンシャイン近郊で春日通りに面した一等地
の物件であった。私のビジネスコンサルタントとしての顧客とも4年
間契約がまとまり定年後も活躍出来る舞台も定まり、家内も都心勤務
でやや遠距離通勤ではあったが業務の進捗は順調であった。
その様な状況にあって、朝食後の二人の結論としては・・・
「とにかく物件を見て観るか?」と、いうことになり、その日が休日
ということも手伝って池袋まで気軽に出掛けてみた。
当時の感覚としては、私にとってのコンサルタント業のお客様への
道筋を考えた時に、池袋は我が家の玄関先のような印象であり、家内
にとっても、勤務先に向けての格好の中間的な停泊地点であった。
その様な伏線もあり現地の高層マンションのモデルルームに惹かれ
「購入する気持ちで出掛けた訳ではなかった」が・・・
購入するとしたら「どの規模の」「どの価格帯の」「どの部屋を」
選択するかに、二人の志向が動き出して「何号室を」購入対象として
下見するかにまで思考が発展して営業マンとの交渉がスタートした。
結果、購入する部屋の候補は?
「自分で、ビジネス・コンサルタント・オフイスとしても活用でき」
「家内も同様に、マイ・オフィイスとして活用できる」ことを考え、
「ワンルーム仕様に絞り込み」衝動買い的に仮契約を結んだ。
そして、営業マンがお薦めの 「高層マンションの最上階のゲスト
ルームからの夜景」を楽しんでから帰宅した。結果、事前に申し込め
ば、オーナーならいつでも楽しめるという夜景には大満足であった。
即決で、埼玉県入間市の自宅の玄関口的な存在が池袋サンシャイン
近郊に出現することになったのだが、直後、コンサルタント先の顧客
のご厚意で、本契約期間の約4年間に渡り(結果的には6年間)専用
オフイスが用意されて、正社員ではないものの講演などを主体とした
契約に対して、現地取材などのためのオフィスが用意された。
私としては、セカンドハウスを兼ねた都心オフイスとは云え、家内
が主契約者であり、投資額的にみても、私自身サブの経営パートナー
という自覚であったので経営的に様子を観ながらノウハウがある程度
取得できたら、次は、自分自身がオーナー的な存在として小規模的な
マンション経営を、手がけても良いかなという程度に考えていたので
手伝い気分というのが正直な感想であった。
それでも、ある期間(3~5年間)を過ぎた時点で賃貸物件として
マンション市場に供して試行してみる必要性は感じていたので、周辺
の不動産業に、物件としての価値として、賃貸の市場価格や顧客関係
のマーケティングなどは、サブパートナーの立場から徐々にではある
が当っていた。
一方で我が家のファミリーとしての利用状況は池袋の三越における
年始の福袋を目当てにして、正月にセカンドハウス的に、泊まり込む
などの活用はあったが、宿泊での利用頻度は少なかった。
強いて云えば、池袋にマンションを購入した時期に息子が結婚する
ことになり、私と家内と息子の三人で鹿児島まで結納に出掛けたご縁
で九州のご両親が上京された際には、セカンドハウス的にマンション
にお泊りいただき、花嫁が結婚式の打ち合わせで上京されたときにも
池袋のマンションにお泊りいただいた。
そのような過程で、息子たちと一緒の、池袋のマンションにおける
懇談のあとで・・・
「鹿児島の結納の際には、伊勢海老やヒラメなどのご馳走ずくし」で
お世話になったことからお礼に池袋の焼肉屋にご案内した。
その焼肉屋での懇談の時に池袋のマンションがすっかり気に入った
様子であったので、家内から「将来的にはマンションの活用」を託す
というニュアンスで、二人に向けてアナウンスした。
私も、傍で、聞いていて、将来的に、小規模ながらマンション賃貸
のオーナーとして、経営が軌道に乗ったらオーナーとしての小さな夢
を託すことも良いかなと考えた。
ところが、事態は一変、息子からのひと言は・・・
「マンションをもらっても、処分に困るので、現金で欲しい」という
感想であった。私の立場としては小規模な試験的なマンション経営は
まだまだ遠い先の試行錯誤の段階であり、家内から息子に譲る時期も
中長期的に遥か先の話と思っていたのでいくぶん当惑した。
私の勝手な願望としては、やがて、小規模ながらマンション賃貸の
経営に手応えとして、見通しが着いてきた頃には、オーナーとしての
権利は、まだそのまま保有出来るので、たまに最上階のゲストルーム
を借りて、俳友との「句会」を挙行したいと考えていた。
しかし、突発的な家内と息子との話し合いとなり・・・
「池袋のセカンドハウスは売却、息子に一部資金を生前贈与すること
に決まった」が、私としては、サブパートナーであり、黒部ダムへの
旅以来、私と家内の間で意見が異なったときには 「家内の直観」を
尊重すとことに徹して来たので、マンションの売却に向けて動き出す
ことになった。
しかし、その先に、とんでもない「落とし穴」が、あることは予想
もしていなかった。
019 生き馬の目を抜くと云う大江戸での商談を体験
池袋サンシャインから近郊のタワーマンションの場合は、利便性も
良くセキュリティーも確かなため、物件についての値下がりのリスク
も少なく賃貸経営についても、近郊の文京区には私立大学なども多い
ことから、賃貸物件を扱う大手も多く存在する。
中長期的に、マンションの賃貸経営について、初歩から、学ばせて
いただいていた大手S不動産の主任に、タワーマンションの物件売却
に関して窮地を救われることなどは想像もしていなかった。
最初、某不動産業者からの売却のお手伝いのチラシを頼りにタワー
マンションの売却を依頼してから、約10か月間を超えても、売却の
見通しがつかず、胃痛まで味わった私は、某不動産業者のオフイスに
電撃訪問を試みた。
その場での対応と、それまでの経過を振り返ってみて大いなる疑惑
を抱くに到ったものの先方はあくまでも正当な商法に法って不動産業
を営んでいますという主張に徹しているので、最近、お世話になった
賃貸大手の担当者に相談してみた。
結果「明らかに商法として不当性が予見されるので、実際的な被害
に遭う前に売買契約を打ち切ったほうが良い」と、云うアドバイスを
いただいた。
ついては売買契約の解除を申し入れした場合に売買物件が東京都内
であっても、売り主の地元(入間市)まで押しかけて売買契約の続行
を促すケースも、業者によってはあり得るので、地元の警察にも事情
を説明しておいた方が良いという助言をいただいた。
その後、前述した売買契約の支援業者から「某不動産業者から該当
物件について購入の意志表示があり、ついては当社の会議室で仮契約
したいので該当の権利証を持参して欲しい」と、いう連絡があり被害
に遭う可能性が、目に見える形で具象化されてきた。
当方としては、先日の申し出の通り 「売買契約を解消したい」旨
を申し入れると非常に良い話なので当方の地元(入間市)の最寄り駅
まで出向きたいと熱心に勧めてきたので・・・
「こちらとしても約10か月間の交渉経過や、権利証の持参の件など
を地元警察に相談したところ早急に売買契約を解除したほうが良い」
「必要があれば狭山警察署としても支援します」と、助言をいただい
ている旨を電話口で伝えると上司の方が電話口に替わって出てきた。
「当方は、商法に法って正当な商売をしていますので、そこのところ
は承知しておいて下さい」と、念押しされたものの、一応、売買契約
は解消となった。
しかし、その後も営業担当からは執拗なメールが届き、アドレスを
変更することで某不動産業者との売買契約は強制終了させた。その後
約10か月間の売買契約の過程を振り返り・・・
「最初は、すぐに、買い手が現れたものの銀行ローンの認可が下りず
契約が成立しなかった」という過程があったが、心理学のテキストに
紹介されている「ローボール」と、云う手口で、最初に、取りやすい
と錯覚させるローボールを投げて気を良くさせる「詐欺の常套手段」
と、いう印象を、今にして強く感じている。
また約10か月の間は定期的に月に2名程度の購入の下見があった
が、後半において、私も一役買って、物件の魅力をアッピールしたが
「もしかしたら下見を模したタレント役か?」と、云う感触もあって
違和感を感じていたが、その狙いとするところは分からなかった。
ただ、私が、某不動産業者のオフイスを電撃訪問した際に・・・
営業担当から「それでは次のステップに進めますか?」と、云われて
「業者の意志で次のステップに進めることなど出来るのだろうか?」
と、いう疑念を持つに到った。
その様な矢先で「仮契約のために、権利証を預かりたい」旨の話が
供されて更なる疑念を抱き、賃貸契約のための初歩的な相談に乗って
いただいていた不動産業者の担当者から・・・
「権利証などを、事前に不動産業者が預かることなどというケースは
あり得ないことである」と、して詐欺行為の疑念は決定的になった。
しかしながら「危機を脱したと思われる振り返りの過程」において
も、いまだに真相は闇の中である。
まさに「生き馬の目を抜く大江戸での商談」を通じてのエピソード
であるが、某不動産業者に合鍵を預けることになった約10か月の間
マンション浴室にいつも香水の残り香があったのもミステリーである。
020 不動産売買の醍醐味
池袋サンシャイン近郊のタワーマンションの売却について、手痛い
失敗を経験したが、私自身は、かつて自宅のマンションの売却経験を
通じて、不動産の売却には自信を持っていた。
現住居の入間市久保稲荷の一戸建て購入に際しては、当然のことと
して、それまでの棲家であるマンションを売却する必要があり無事に
売却することで、現住居に引っ越して来た経験がある。
家族からの希望でマンション暮らしから一戸建てに住み替える決心
をしたキッカケは、前述した通り意外な経緯からのことであったこと
を、今でも鮮明に記憶しているが、それほど強い決心ではなかった。
当時、小学校に通っている娘が学校の宿題で・・・
「自分の住んでいる家を絵に描いてきて下さい」と、云われて、悩み
に悩んでいることを私は知らなかった。
彼女は子供ながらに自分で考え抜くところがあって、次の様なこと
があった。
○ 一つ目は、学校の先生からの宿題で、次の様なことがあった
「皆さん縄跳を50回以上、続けられるよう」に、家で練習して来て
下さいと云われて、
「記録用紙と鉛筆を用意して、縄跳を開始、次々と縄の長さを変えて
行き、それぞれの長さの時に跳べた回数を記録、もっとも跳べた長さ
を選んで記録を伸ばして行った」
○ 二つ目の、次の様な想い出も、鮮明に脳裏に浮かぶ
「夏休み中の前半の登校に際して登校日の直前に、宿題のテキストの
何頁まで済ませてくるようにと、連絡があった」
「実は、彼女には、夏休みの中ほどに、お楽しみの九州の鹿児島への
旅行が計画されていて、ほとんどの宿題テキストを済ませていた」
「そこで彼女が出した『結論』は、登校日の前日に、学校の先生から
何頁までと指定された以降の解答を消しゴムで消すことであった」
そばで見ていた私は「消すこともないのに」と、思ったものの学校
の先生の意図までは測り難いことなので、ただ唖然として、気の毒に
思うばかりであった。
その様な、思考をする彼女に・・・
「自分の住んでいる家を絵に描いてきて下さい」と、いう宿題が出た。
マンション暮らしであった彼女にしてみれば、マンションの建屋全体
を絵にすれば、自分達の住んでいる家ではなく、他の皆の家も絵には
一緒に含まれることになる。
かといって、自分の家としてマンションの自宅の窓やベランダだけ
を絵にしても先生がいうところ絵に当てはまるのか・否か・ハッキリ
とは答えが得られない。
当然、彼女にしてみれば「屋根があって」「窓があって」「庭には
花が咲いていて」と、いうのが、学校の教室で「例示されたところ」
の、普通に「家の絵」にすることが出来るイメージであった。
我が家で、そのような「自分の住んでいる家を絵にする」と、いう
娘にとっての難題について、解決策を見いだせないまま日々を過ごす
中で、休日のテニス練習に出掛けた時に、テニス仲間からの情報で、
「入間市では茶畑を開墾して大規模な一戸建て団地を造成しており」
分譲地は、Ⅰ期とⅡ期に分けて売り出し、既に、Ⅰ期分は公募を完了
Ⅱ期目についても間もなく販売予定であると云う。
その話を提供してくれた友人は「Ⅰ期分に応募、抽選の結果待ち」
だという。後日、そのテニス仲間の友人から、Ⅰ期目の抽選に当たり
時々、建築現場を見に出掛けているという話題が寄せられていた。
その当時は、まだ、快適なマンション暮らしに満足していて、娘が
自分の住んでいる家を絵にするという課題について、結局は、明快な
答えは出せないまま、日々を過ごしていた。
その後、その話題も過去のこととなって、すっかり忘れていた頃に
テニス仲間の友人から・・・
「入間市の茶畑を開墾した一戸建て団地のⅡ期の公募が始まった旨」
の話題が提供され、彼らは、Ⅰ期目の住居に住み始めて「なかなか
快適なので、一度、見学に来ない?」と、お誘いいただき、お言葉に
甘えて、お邪魔してみた。
ここから先の展開は本稿においても前述した通りであるが・・・
「テニス仲間の新居における暮らしぶりを目の当たり」に、した私は
「早速、Ⅱ期の分譲に応募、落選したものの」当選者が資金繰りの面
から辞退した物件があるので 「購入を検討してみませんか?」との
問い合わせがあり家族間で話し合った。
公募案内のパンフレットから、該当の住居の外観を絵にしたものを
目にしたが外観的な印象が気に入らなかったのでお断りした。しかし
その後、一戸建て分譲の営業案内の方から・・・
「該当の住居については、家の増改築を前提とした設計になっており
将来、自在に形状を変えることも出来ると云う話を聞いて、家族間で
購入に向けて気持ちが動いた。実は、住宅内部の使い勝手のよさそう
な間取りなどには大いに興味があった。
かくて「喜んで」と、いう購入状況ではなかったが、購入に向けて
手続きを進めた。次の具体的な課題は「資金計画」の具現化であるが、
現在、我々が棲んでいるマンションの売却による「現金化」が主体と
なって来るので、ここに最大限の注力をして行く必要があった。
この具現化のために、先ずは、日頃、看板を目にしていた小手指の
大通りの不動産業者を訪ねて、販売契約を結び、ついでに販売のため
の指南をお願いした。
若い担当スタッフから親切な販売指南をいただき「それではお互い
に競争しましょう」と、背中を押されて、私は「マーケッティング・
リサーチの技法」を熟読、身近なところからマンション販売に向けて
日々、積極的な販売活動に着手していった。
マーケティング・リサーチの科学的なアプローチは販売活動におけ
る冗長な無駄を省き、かつ・最短ルートで踏破でき、自ずと・自分が
抱えている物件の魅力も際立ってくる。
そして「セールス・トーク」にも、工夫が加わって来ることになる。
そして何よりも顧客に恵まれたことも手伝って・・・
「約2週間で、若い顧客層から購買意欲を引き出すことに成功した」
不動産販売店から「貴方は不動産販売に適しているかも知れない」
と、お褒めの言葉をかけていただき・・・
「今回は特別に販売手続きの料金は半額で結構です」とのありがたい
言葉をかけていただいた。
この時に、私が確信したことは「不動産の売買におけるチャンスの
神様は前髪しかない」と、云う経験則であった。そのことを考えると
「魅力満載のタワーマンションの販売が約10か月を経過しても購入
顧客が表れない」と、いうことには、疑義を抱かざるを得ない。
したがって、優れた販売チラシを投函した、不動産業者と云えども、
電撃訪問、実態を、見聞するしかないと考えるのは当然のことである。
かつて私が生涯の師と仰いだ土光社長は工場の実情を把握するために、
「工場の正門からは入らずに湾岸を手漕ぎの船で工場に接岸して自ら
の脚で上陸して」 日常的な、佃工場の稼働状況を把握したと云うが
このことを脳内でヒントとして思い出して「暗黙知としての活用」で
不動産業者への電撃訪問に到ったのは「大正解」かも知れない。
まさに「土光スピリット恐るべし」なのである。
私が、某不動産業を電撃訪問した時に、目に入ってきた、店内での
書き出しには・・・
「暴力団関係者の入店をお断りします」と、いう看板があり違和感を
覚えたが「半詐欺的な手口」をめぐっての抗争なども過去にあったの
かもしれないが、確たる事実を持ち合わせていないので詳述は避けて
おくことにするが、ここまでに時間はかかり過ぎたが実害の一歩手前
で踏みとどまれたことは幸いであった。
021 松のことは松に聞けという俳聖芭蕉の言葉
さて、いつまでも放置できない、タワーマンションの販売について、
私自身も積極的に取り組むことを決心した。先ずはかつて学んだこと
のある「マーケティング・リサーチの技法」を、脳内に思い浮かべて
その延長上に、芭蕉の言葉「松のことは松に聞け」を想い出した。
その意味とするところは、俳句を詠む場合、眼前の松を題材にする
時に、松の木のことをトコトン熟視して「まさに眼前の松の木に学べ」
と、いう趣旨であると記憶している。
それでは、タワーマンションを販売する時に、タワーマンションの
ことを最も熟知しているのは、どなたであろうか?
「日常的に、お世話になっているタワーマンションのコンシェルジュ
を兼ねているフロント譲が的確な存在感として浮かび上がってくる」
コンシェルジュと云う役割は単なるフロントに座っている受付の役割
を超えて顧客のあらゆる相談に応える役割を担っており、マンション
の細部のことにまで精通している。
ここで 「松のことは松に聞け」を、タワーマンションに例えれば
現地におけるマンションの売買から引っ越しまで、コンシェルジュは
様々なケースに対応してきている専門職と云っても良い。
そのようなことに気付いた私は俊敏な思いでコンシェルジュの方に
今までのタワーマンションの販売に関する失敗談を、正直に吐露する
ことで、相談に乗っていただいた。
コンシェルジュの方の対応は、簡潔・かつ・明快であった・・・
「その種の課題については当方の管理センターの主任が熟知しており
ますので、主任の日程を確認して、お客様と対応出来る直近の時間を
割り出してお知らせします」と、云う明快な回答であった。
そして指定の日時に、タワーマンションのフロントにお邪魔すると
既に当方からの事情は伝わっていて「当タワーマンションを販売した
大手S不動産にアフターサービスを担当する営業マンが日参していま
すので、ご希望であれば担当に話を伝えておきます」と、いうことで
翌日には大手S不動産の営業担当と打ち合わせることが出来た。
営業担当からは、具体的に、次の様な情報が寄せられた。
○ タワーマンションの場合は、4年間程度を経過しても買値からの
値下がりはなく、そこは、安心資産といえる。通常のマンションで
あれば、約30%程度の値下がりはあるので同一には扱えない
○ しかし、中長期的にタワーマンションの賃貸経営に踏み出すこと
を想定して先行投資してきた「購入手続きの費用」「月々のローン
支払い金の内で利息としての支払い分」などはすべて損金となる
○ したがって、約4年間の先行投資額を考えるとタワーマンション
としても人気のある物件だけに「現在はサブパートナーである私が
オーナーとなる」ことも得策である旨の提案が示された
これに対しては、私も熟慮して、オーナーとなって買い上げること
も得策と考えたが「黒部ダムでの旅の教訓」からオーナーである家内
の方向性に同調する考えである旨を伝えた。
私にしても、確かに、約4年間のビジネス・コンサルタントとして
の講演料の約4割相当を先行投資として投入して来たので、その損金
は身を切られる思いではあった。大手S不動産の営業担当の方は当方
の売却の意図が固いことを確認して・・・
○ それでは「当時の購入価格での販売」は約束します
○ 私の知人から当タワーマンションの物件には中長期的に賃貸経営
の面から魅力を感じているので「良き出物」が、あったら紹介して
ほしい旨の話が、以前、あったので「気持ちが変わっていないか?」
確認しましょうという朗報がアナウンスされた
その後、2週間後に 「知人からの購入意思が確認できました」と
いう話が寄せられ、我が家のオーナーである家内と知人との間で契約
が交わされて私の任務は完了した。ただし、家内も私と同様に相当額
の先行投資分を損金として計上することになった。
022 損金の計上に加えての思わぬ出銭
池袋サンシャイン近郊のタワーマンション売却に伴い購入時の頭金
への投資の一部として、私からの支援分が返金された。その様な折に
「タイミング良く」と云えるのか否か、久保稲荷の現住居のお風呂用
の大型給湯器が壊れた。そして、それを機会に返金を生かし終の棲家
としてのリフォームの総仕上げとして・・・
○ お風呂用の大型給湯器を新品に交換すると、同時にお風呂の浴槽
ユニットなども新品と交換、洗い場も底上げしてタイル張りの床に
仕上げた
○ そして、脱衣所(兼)洗面所も好評であったトイレの全面改装に
合わせ明るい色彩に変えて洗面台も大型化が図れる様にリフォーム
を決断して気持ちの良い仕上りにした。
○ 西北の書斎は、西日からの遮光を考えて、北側に下屋を設けた
○ 大型ガスレンジは日常用の炊事用ガスレンジとペアになっている
ため、一体式として丸ごと新品に交換した
○ さらに、終の棲家としてのリフォームの締め括りは東南の角部屋
をゲストルームとして改装、子供たちがファミリーで帰省した時の
備えとした
一方で、池袋のサンシャイン近郊のタワーマンションを現金化した
家内は、その資金をプールしておき、タイミング良く生前贈与という
形で「息子家族の持ち家の具現化」に、狙いを定めて一戸建て住居の
購入をサポートした。
この「一戸建て住居の購入」に際しても、チャンスの神様の前髪を
しっかりと掴めたという感触は、この購入を積極的かつ具体的に手立
てして、サポートした、私の手にも、その感触として残っている。
その具体的な購入に到るまでの道筋にも物語性は溢れている・・・
「勤務地の大阪で家族共々暮らしていた息子家族が、東京勤務となり
横浜のマンションに引っ越して来た。当時は、私も家内も、まだまだ
体力には自信があったので、引っ越しの手伝いにも喜んで出向いた」
「その後も家内は子供たちの誕生日や運動会などに招かれ泊りがけで
出掛けていた。その後、何度かの訪問を繰り返す過程で息子から家内
に向けて、今、我々が棲んでいる西武池袋線の入間市よりも東京寄り
に住みたいと云う『夢』が語られた」
「横浜の息子の処から我が家に帰った家内は、その夢を実現させたい
と私に語りかけた」 そして、間もなくのことである・・・
西武池袋線の入間市よりも東京寄りの「小手指駅」近郊に一戸建ての
住宅群の販売広告が新聞の折り込みチラシとして入ってきた。
「なかなか魅力的な住居群だね」ということになり、私と家内は息子
の夢の具現化のために役立つのであればと考えて現地に車を走らせた。
住居群は桜満開の川堤の傍に建てられていて風光明媚な風情であった。
夫婦で興味津々な思いで販売スタッフの女性に連なって大方の住居
を見て廻った。家内から息子に電話で朗報を届けると・・・
「もう少し東京寄りが良い」と、息子から具体的な希望が寄せられた。
残念な思いで、その旨を、販売スタッフの女性に伝えると・・・
「私は、先週まで西武池袋線のひばりが丘で、一戸建て団地の販売を
行っていて残りの戸数が2戸となり、こちらの小手指の一戸建て住居
の販売に移ってきました」
「現在は、ひばりが丘の現地に販売主任が残って完売に向けてラスト
スパートをかけている段階ですので、最終段階ならではの特典もあり、
こちらからも主任宛てに電話をかけておきますので、来週にでも是非
とも行ってみて下さい」と、快く誘われた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌週、私と家内の二人で予め約束した時間に、現地にお伺いすると
「お待ちしておりました。ちょうど昨日になってのこと、当地で一番
人気だった物件がご本人の事情で解約となり、真っ先にご案内出来る
ことに成りました」
「先ずは、一番人気の物件をご覧いただいてから、他の物件をご覧い
ただくことをお薦めいたしますが、どうされますか?」
と、お声掛けいただき、
「それでは、ご案内通り、最初に一番人気の物件を拝見させて下さい」
と、云うことになり、次いで、同じ、戸建て団地内の他の物件を拝見、
さらに、少し離れた場所にある物件も拝見させていただき、それぞれ
の物件の長所と短所を把握した。
ただし、実際的に、購入するのは横浜在住の息子ファミリーであり
ましてや 「どの物件を選ぶか」も、「購入するか・否か」も、息子
ファミリが決めることであり、先ずは「その辺の事情」を販売主任に
伝えておく必要があるので、そこからの話として「その旨」を主任に
明確にお伝えした。
その上で、販売主任からは、ご両親の眼から観て・・・
「どの物件が一番のお気に入りでしたか?」
と問われて、私も家内も「一番人気の物件でした」と、答えると、
最終的には、横浜の息子さんが決めることですが、息子さんに現地
の状況をお伝えする意味からも、いったん、一番人気の建屋に戻って、
「間取りや各部屋の魅力ポイントなどを、あらためてご紹介した上で
息子さんが、こちらにお見えになるか否か・決めていただいたら如何
でしょうか?」と、いうことになり、我々夫婦としても、今回、見逃
したくない「魅力物件のポイント」を現地から息子に伝えた。
結果「息子ファミリーも興味を持つに到り」現地を訪問できる日時
が設定された。
一番人気といわれている住居の居間で、お茶などをいただきながら
我々とは相性の良さそうな営業主任と雑談を交わしていて、この住居
の購入希望者が最終段階のローンを組む段階で「親子間での相談」が
まとまらずに、購入をキャンセルすることになったのだと云う。
営業主任からの話を受けて・・・
家内から「息子が購入を決心してからの話となりますが、事前に購入
の際のローンの支払額などの計算は可能ですか?」と、問い掛けると、
主任から「購入に際しての頭金が定まれば月々の均等払いやボーナス
併用など容易にシミュレーションによって、いろいろなケースを想定
して計算が出来ます」という説明があり
家内からは「購入に際しての頭金につきましては息子への生前贈与
として、1500万円程度は用意がありますので参考までに計算して
いただけるとありがたいです」
販売主任からは「それだけの準備金があればローンを組む際に優遇
措置がありますので、息子さんもローン返済に向けて計画が取り組み
やすくなりますね」
そして私からも「ところで、その際の購入金額ですが小手指で営業
の方から、営業主任に無理を承知で値引き額を引き出してみて下さい
と背中を押されて来ました」と前置きをしてこちらの値引きの希望額
を提示させていただいた。
営業主任からは「社内において決裁が必要になってきますが、次回、
息子さんが見えた時に、即決で決めていただければ、今の状況からは
決裁が得られやすいと考えます」との朗報をいただいた。
夫婦としての現地における総論は・・・
「細部に到るまで良く設計された物件であり」
「月々のローンの返済額なども負担感は少なく」
息子ファミリーの現地における物件の選択と確認、そして購入か否か
の最終決断を待つのみの状態を準備して、その日は早目に帰宅した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後日、息子ファミリーと待ち合わせて、ひばりが丘の現地に集合
○ 建築物件としては、3つの一戸建て住居をそれぞれの現地で確認、
結果、営業主任もお薦めの物件が、息子ファミリからもお気に入り
として選択された
○ 次いで、購入時の代金支払いなどについて
「購入価格の最終的な提示」
「頭金の確定」
などに基づいたローンの返済方法などが話し合われて息子ファミリー
からの月々の支払い額などが確定され、細部の購入条件なども納得の
行く形でまとまり、家内からの生前贈与の額も最終設定された。
この後、昼食時間を挟んで「購入か・否か」に向けて、再度、息子
ファミリーとの間で相談をしたが、息子ファミリーとしては長期的に
ローンを抱えることについて、大いなる躊躇が感じられた。
これに対して、私と家内の感想は「なかなかに、得難い物件であり」
自分たちの経験からも子育てが本格的になって来る前こそが、ローン
を組みやすいタイミングである旨を伝えた。かくて、現地にて、息子
ファミリーから購入に向けて仮契約が交わされた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、正式な契約手続きの際に「契約・即・入金」が必要な契約
手続きに際してのまとまった額の資金(約180万円)が「早急には
準備出来ないという事情」が、私と家内に向けて吐露された。
ここで、私が即断したことは「ここまで・チャンスの神様の前髪を
掴んでおきながら、手放すことはない」と、私自身が心に強く決めて
「私から、即金で、180万円を支援すること」を確約した。
(当然、生前贈与の対象となる)
そして、後日になって分かったことだが、息子の嫁さんの実家から、
「私は鹿児島で義母の面倒を見る立場に置かれて、本当に苦労の連続
であった。あなたも、住居を義母の近郊に置くことで、お姑さんには
苦労させられるわよ」と、いう話が息子の嫁さんに寄せられて、真剣
に悩み「ひばりが丘」に引っ越すことに抵抗感があって、あまり賛成
の立場を取れなかったのだと云う。
(したがって貯金を取り崩してまで諸費用を準備したくなかった?)
しかし、我々夫婦は息子の結婚相手であるお嫁さんの実家:九州の
鹿児島まで出掛けて結納の場で「お嫁さんを大事にします」と、口上
を述べて約束しており、一昔前のお姑さんの様な辛辣な対応など想像
もしていないことだが・・・
鹿児島のお母さんの「私は姑で苦労した」と、いう昔話を聞かされ、
その言葉にバイアスがかかって、恐怖心を抱いていた様である。
しかし、後日になって我々夫婦からの「お嫁さんを大事にします」
と、いう約束を確実に実行するための場面に、遭遇することになる。
息子ファミリーが横浜からひばりが丘へ引っ越し当日のこと・・・
「朝方、家内の実家である東京都葛飾区に在住の父親が入院先の病院
で亡くなった旨の知らせが家内の弟から寄せられた」
(弟家族は実家の同じ敷地内に居を構えている)
「当方の対応としては、家内と息子が、葛飾区に緊急的に駆け付けて、
私は、ひばりが丘に出向いて嫁さんを手伝うという陣形でひばりが丘
の現地における引っ越し当日の緊急的な対応をとることにした」
「嫁さんだけに引っ越しの負担を負わせないという構えである」
「その後、ひばりが丘における当面の引っ越し荷物の受け入れおよび
後片付けを済ませ、葛飾区における告別式にて合流となった」
その後も我が家から「ひばりが丘駅までは電車で約20分、駅から
息子の処までは徒歩で約6分、自動車で行っても約40分の処なので、
「ひばりが丘に引っ越して来てからは、長女が生まれ、上の子(長男)
も放っておけないので、家内がひばりが丘に脚を運んで育児の支援を
するなど盛んに応援に行っているが、鹿児島の母親が恐怖心を与えた
「お姑さんはたいへんだよ」と、云うところのバイアスが、解けたか
否かは分からないままである。
その後、息子ファミリーが約5年間にわたり名古屋に赴任すること
になり、自分の家を期間限定で貸し出すことに成ったが途中で入居者
の交替があり、次の入居者がなかなか決まらないことがあった。
この時に、私の脳裏をよぎったのは「池袋のマンションの売却」が
約10か月も決まらなかったことを思い出して・・・
「なんらかの不動産屋の都合」を察知して、私と家内共々ひばりが丘
の駅前の不動産屋を電撃訪問して現地の状況を聴き出し、対策を立案
の上で、名古屋の嫁さんに連絡して「約2週間で契約」に結びつけて
いるので我が家の家内は「善きお姑さん」と認定しても良いと思う。
話題は前後するが・・・
息子たちも、ひばりが丘の地域における生活が落ち着いてきた頃に
家内も定年退職を迎えた。そして、タイミングを合わせる様な感じで、
今までに、前述してきたところの我が家の南側に、二世帯住宅建築の
知らせが寄せられた。なおこの詳細を繰りし記述する考えはないが、
最終的に、入間が丘に「T&K:ついの棲家Ⅱ」を新築することに
決まったものの、私自身としては久保稲荷の「終の棲家」に相当額の
資金投入をしてリフォームの総仕上げを行ったばかりであり・・・
「私自身『悩みに悩んだ』ことは確かである」
一方で「T&K:ついの棲家Ⅱ」の新たな建設のためには、大口の
資金源が必要であり、現住居の売却による収入は重要な資金源として
の位置付けになって来る。
したがって「これだけ大掛かりな総仕上げをした」と、いうことは
強力なセールス・ポイントとして、前面に打ち出す必要があり発想の
転換を図ることにした。具体的には営業の松本さんとの連携において
「入間が丘の土地の入手や『ついの棲家Ⅱ』の家屋の設計と並行させ
裏番組的に『現住居の販売』に向け丁寧な準備を重ねた」
販売価格の設定はJグループの不動産物件の査定部門にお願いして
市場価格を割り出していただき「査定額」を基にして売価を設定した。
また販売用のチラシについては「家屋としてのナイスビュー」を決め
て、写真撮影、物件としての「魅力ポイントを絞り込み」Jグループ
営業の松本さんにチラシを印刷していただいた。
販売開始の当日「最初の出会いで契約まで持って行くには第一印象
がたいせつ」と、考えて家の周辺の道路や庭の掃除を丁寧に済ませた。
その矢先になにやら顧客の気配を感じ取った。
我が家の前を2回ほど巡回した自動車の存在を感じ取ったので箒を
手にしたままの状態で、車内に向けて声をかけさせていただいた。
「住居と共に倉庫としても活用出来る大き目の家屋を近郊の不動産屋
さんにお願いしていたところ、昨日、住宅販売に関する広告チラシの
文面がファクシミリで送られてきて現地に来てみた」のだと云う。
「突然の訪問であり不動産屋さんを通していないのですが、屋内など
見せていただくことは出来ますか?」と、たずねてきたので・・・
「どうぞ・どうぞ」と我が家の玄関口から室内に向けてご案内した。
私としても 「終の棲家」 としての総仕上げをしたリフォームの
要所・要所には魅力と云うよりも・未練を感じていたので、その思い
をストレートにぶつけることで魅力をアッピールさせていただくこと
になった。この思いは、ご夫婦には確実に伝わったようである。
また家屋としてだけでなく、倉庫としても活用したいと云う思いは、
「7LDK」という部屋の構成からも、ご夫婦の見立てとして納得が
行った様である。
私としては、大家族向けの物件だけに「この顧客で決めて行かない
と後はないな」と、いう感触があったので、早速、Jグループ営業の
松本さんに連絡して・・・
「○○不動産からの紹介で、お客様が見えていて物件購入に前向きな
ので対応をお願いしたい旨」を、伝えた。
Jグループの松本さんは、即刻、我が家に見えて顧客と対応、購入
に向けて確かな手応えを感じ取り、入間店にご案内して店長にも話を
通すことになった。その後、松本さんから、連絡があり・・・
「実際に住むことになる若旦那さんが夕刻に勤務を終わって帰宅後に
我が家を訪問しても良いか」と、いうことになりもちろんのこと当方
は「快諾」して、その日の内に購入の意志表示があった。
その後の契約は、極めて・スムーズな展開を見せ、我が家に向けて、
契約のための内金も入金が確認され極めて俊敏な契約が締結された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、突然のことであるが、Jグループの入間店長と松本さんが
二人で連れだって緊張した面持ちで、我が家を訪問された。
(事前に訪問したい旨の連絡はいただいていた)
「今回の久保稲荷の我が家の販売契約について解約の書面にサインを
いただきたく」二人揃って、訪問したというのである。
この時に、私の脳裏をよぎったのは、かつて池袋サンシャイン近郊
のタワーマンションの売却に、手こずった苦い経験であった。
「このサインに安易に応じたら、泥沼に足を踏み入れることになるな」
と、直感したので・・・
「既に内金もいただいており契約書面上も売買が成立していますので、
簡単にはサイン出来ません」と、お答えすると、
「あれは、ただの紙切れですからどうにでもなります」と、云われて
一瞬沈黙が走る、しばらく思案して、そうだ義弟に相談しようと考え、
「家内の親戚に民事に強い弁護士(義弟のこと)が居るので相談させ
て下さい」と、答えると、二人で顔を見合わせてお帰りになった。
その後、営業の松本さんが見えて、現在、入間が丘で建築中の物件
について細部の詰めを行いながら、その後の実情を聞き出すと・・・
「今回の顧客のお姉さんが近所に住んでいて、近郊にすぐにでも入居
出来る物件を探して来て、別のJグループ営業担当に相談したところ
その担当者が、Jグループの重役のご子息ということで、入間支店に
圧力をかけてきて、支店長自ら我が家に向けて出馬することになった」
のだと云う。
それを受けて、私共としては・・・
「今回の契約に法って内金は返金しない」
「契約物件の差し換えについても、Jグループ組織内においての都合
を優先させた無理強いなので、Jグループ内で調整をしていただいて
あらためて我が家の顧客を探していただければ、当方にとって、問題
はない」と、考えていると伝えた。
「ただし、当初の約束では、当方の物件が一定の期間で売却できない
場合には一定の割引率において、Jグループが引き取ることになって
いたが、この期限を外して、Jグループ組織内の調整にて売り切って
いただきたい」と、して交渉を締めくくった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その数日後、Jグループ営業の松本さんが我が家に見えて・・・
「当初の契約通り販売を進めさせていただきます」
「つきましては、当初、顧客に譲ることになっていた物品などは全て
気にしなくて結構です」と、いうことが伝えられた。
このような「ひと悶着」があっただけに飯能の銀行において先方の
若旦那との売買契約が成立して、当方への入金が確認されたときには
本当に安堵の胸をなでおろした。
後日になって分かったことは、このひと悶着に、若旦那はまったく
かかわっていなかった。このことが判明したのは我が家で使っていた
大塚家具製の6人掛けテーブルと応接セットを若旦那に譲る話がまと
まった時に、先方からの雑談としてお聞きしたものである。
「表舞台で新築物件を建てる話は華やかだが」裏舞台における旧物件
の売却話も、それが重要な資金源になるだけにおろそかには出来ない
ということである。その面では池袋のタワーマンション販売の失敗談
も、後々に、役に立ったと云える。
023 バッテリーの残量「零」の衝撃
12月11日(土)晴れ カーテンの取り付け工事
朝一番の大事な仕事と決め込み、市役所の総合リサイクルセンター
に出掛けて粗大ゴミの処分を行った。引越し準備の過程で追加の粗大
ゴミ処分は、引き続き突発的に出てくるものと覚悟はしている。
その後に続く作業は、入間が丘のカーテンの取り付け工事の立会い。
それと並行させ、プラスチックで出来た三段重ねの植木台の組み立て
および、クーラーの室外機に取り付ける木製カバーの組み立て、つる
薔薇のアーチの組み立てと続く。
ここで「つる薔薇のアーチの組み立てにおいて問題が発生」アーチ
がてっぺんの中央部で組み付かない。パイプの内径に対して、そこに
挿入する外径の寸法が大き過ぎるために差し込むことが出来ない。
「どうしようもない」事態なのでKホームズに行って交換してもらう
ことにした。
同行した家内はちょうどKホームズに用事があったので救われたが、
引越し準備で過密な時間割を組んでおり時間ロスはもったいない。
12月12日(日)晴れ 大型食器戸棚の設置完了
引越し準備期間も残り3日間となり、作業の優先順序付けが必要に
なってきた。そのような状況のなかで先ずは午前中に・・・
「入間が丘の我が家への鉢植えの搬送」
「つる薔薇アーチ組立の再チャレンジ」
午後には「食器戸棚の配達の受入れと設置立ち合い」を予定していた。
しかし食器戸棚の配達が「午後から午前中の配達に繰り上がり」急遽
すべて並行作業にして対応することになった。
家内は新居まで自転車で応援に駆けつけた。食器戸棚の配置は当初
の計画通り進めた。そして配置の結果を点検してみた。
☑ 隣に置く冷蔵庫のコンセントの口が、食器戸棚の隣に位置してい
るので、丁度、差し込みやすい位置にある
☑ 食器戸棚の中央部には炊飯器や電子レンジ、トスターなどを配置
しやすく設計されているのでグッドデザインである
午後は引越し準備のダンボール詰めと行く先表示に集中、日曜日の
夜の大河ドラマも観ずに作業を進め午後9時になって、ようやく本日
の業務は終了とした。
12月13日(月)雨 植木の引っ越し作業
朝の小雨の中で植木類の引越作業が始まった。
大きく育ちすぎた南天の根っきり、クレーンによるトラックの荷台
への積み込みから作業が始まった。計画段階では難航することを予想
していたが思いのほか順調に進んだ。
次に取り組んだ満天星(どうだんつつじ)の根っきりが予想を超え
て大変な作業となり、プロの植木職人が2人掛かりで、時間をかけて
ようやくにして地べたから根を切り離した。私も経験しているが真下
に伸びた根はなかなか切れない。
次いで、ヒイラギ・月桂樹・紫陽花・つる薔薇と続き、家内が一番
のお気に入りの鮮やかなピンク系のつる薔薇はレンガ敷きの下に根が
入り込んでいて、その場では、諦めざるを得なかった。
なにせ雨の中の作業のため、後日、私が科学的に「上手な困り方」
を駆使して方策を考え出し、自分自身で挑戦することに腹を決めた。
(これについては、後日、チャレンジ精神でつる薔薇を無事に移植)
入間が丘の植え込みのときには雨脚はさらに強くなって、私と家内
が恐縮するなかで、植木の引っ越し作業は終わった。
12月15日(水)晴れ(友引) フル操業の15日間
引っ越しの準備はすべて完了「N通運の到着を待つばかりとなり」
入間が丘では「家内に新居で待機してもらう考え」で家内を車で送り、
その帰路で出会った「まるで軍団のようなトラック部隊」に遭遇した。
このトラック軍団こそが我が家の引っ越しのための戦闘部隊である
ことが、今まで住んでいた家に着いてから分かった。そしてここから
が引っ越しのための戦闘開始となり、「T&K:ついの棲家Ⅱ」造り
のための嬉しい時間の始まりとなった。
N通運が帰った後は、完全に二人作業となり、全て完了するまでに
約15日間を要した(師走の29日に全室の片付けを完了)
12月30日(木)晴れ お正月の準備
朝のうちに玄関の正月飾りをして、テレビの前には餅の二段重ねの
飾りを据えて、各部屋にはカレンダーを配置、これで、正月を迎える
準備は整った。
正月は、三日に鎌倉とひばりヶ丘のファミリーが同時に揃って帰省
するということで、大晦日から二日にかけては、入間が丘に完成した
「T&K:ついの棲家Ⅱ」で二人だけの正月を迎えることになった。
入間が丘の新居への引越しもその準備を約1ヶ月前から始めたので
準備作業については、概ね、悠々としたペースで、仕度にかかれたが、
「引越しの本番を迎えた12月12日から18日の間」に、ついては、
クーラーの引越しに始まり一番たいへんだったN通運による家財など
の運搬、植木の引っ越し、インターネットなどの移設手続き、電話の
引越し手続き、集合アンテナから、フレッツ光によるテレビ受信への
移行など、連日、過密スケジュールが続いた。
しかし、これらの一連の工事や作業について、手間のかかることや
難しいことなどについては、それぞれのプロフェッショナルがまさに
専門知識を駆使してこなしてくれる訳であり、我々は立ち会うだけで
良いのだが、それに伴う「問題」と「課題」は・・・
○ その後の整理・整頓や
○ 自分たちにとって使い易くアレンジするなどの調整作業は
当然のこととして、二人だけで担当することになる。それに加えて
年内にはなんとか片付けたいという思いも働いて、結果、たいへんな
集中作業となった。
それでも夏の朝に体験した5時起きの習慣を思い出し、日々早起き
して作業に取りかかることで12月29日までには、すべての片付け
作業が完了した。その成果もあって、30日には、正月飾りも出来て
ようやく気持ちに余裕が生まれた。
12月31日(金)晴れ 危機一髪だった命拾いの休養日
いよいよ大晦日となった。
まったく手抜きが出来ない思いで進めてきた、引越しも一昨日には
大方が片付き、昨日は、正月飾りをする余裕も生まれた訳だが、家財
道具などを減らしに減らした上での「4トン車×4台分という引越し
荷物の量」には、N通運の引っ越しスタッフから・・・
「この引越し荷物の量だと、片付けるのに、約1ヶ月はかかりますね」
と、云われていたので、それを約2週間で片付けて整理・整頓したと
いうことはいかに、最短期間で完遂させたかということになる。
しかし、今、思い出しても大晦日に到るまでの間で12月28日に
命にかかわる様な「バッテリー『零』状態」を体験することなど想像
もしていなかった。
当初は正月の1月3日に鎌倉とひばりヶ丘の家族が帰省するという
ので、年内にある程度の片付けが出来れば良いと考えていたが・・・
「ひばりヶ丘から電話がきて、12月28日に新居に遊びに来たい」
という話になり・・・
「大急ぎで残った引越しの片付けを繰り上げてやろう」と、いうこと
になって、日曜日は大河ドラマを見るのもやめて残りの引っ越し荷物
の開梱そして片付けと、朝早くから夜遅くまでフル操業で稼働した」
しかし、さすがに疲れ果てて、ひばりヶ丘ファミリーが来客すると
いう前日には、体力の限界を感じて 「バッテリ『零』状態」となり
機能停止の状態となった。
機能停止状態において、思い出したのが娘の嫁ぎ先の鎌倉藤沢住い
のお父さんの言葉であった・・・
「私たちの藤沢地域においても区画整理があり、私の知人もかなりの
加齢を重ねているのにも関わらず、引っ越しで無理をして亡くなった
例を見て来ているので、ついつい無理をしがちな引っ越しには、充分
に気を付けた方が良いですよ」と、私も、危ない時なのかなと考えて、
「緊急停止的に『久々に休養のための半日休暇を取る』ことにした」
緊急の休息案としては、急遽、近郊の温泉に出掛けることであった。
この温泉場は、本物の温泉かけ流し湯で、当日は混み合うこともなく
ゆっくりと湯治できた。たまたま冬至の頃とあって柚子風呂仕立てに
なっており命拾いの入浴ができた。
体力的にかなり限界ぎりぎりというエネルギーダウンを感じていた
ので入浴後はトンカツの特別コースを注文して、滋養に努め、食後は
仮眠室で身体を横たえて、兎に角「休養」に徹した。
「命の洗濯とはこういうことか」と、実感するほどに、体力の回復を
感じ取り、午後には、ひばりが丘の家族を迎えることが出来た。
「年末にダウンすることもなく引き続き整理整頓に打ち込めた」のは、
「危機一髪的な状況における『半日休暇』の過ごし方が良かったのだ」
と、今でも、あの日のことを思い出すと『危なかったなあ』と、思い
出して身震いする。
それにしても、娘が嫁いだ先の鎌倉藤沢のお父さんは、私にとっては
「命の恩人」であり、感謝・多謝はもちろんであるが、大手建設会社の
重役でありながら、今でも、現役さながらの「一級建築師」と、しての
慧眼には驚くばかりである。
私自身、見識を改める出来事として、こんなことがあった・・・
「あれは鎌倉ファミリーの孫が5歳になった時のこと、鎌倉の八幡宮で
七五三のお祝いをした時に、鎌倉駅からは近い中華料理店に祝いの席が
設けられ懇談の場」において・・・
「入間の新居の棲みごこちは、如何ですか?」と、たずねられて、
「さすがに現代建築の進歩は著しいですね。特に窓部の設計に到って
は二重窓が当たり前になって来ており、部屋の温度など凡そ20年前
の住居に比べたら10度くらい暖かいのではないでしょうか」と答え
たことを良く覚えている。
そして、そのような談話を交わしている時に鎌倉のお父さんが入間
の産科に誕生したばかりの孫の顔を見に駆け付けていただき、その時
に次の様な会話を交わしたことを思い出した・・・
「鎌倉で、孫が暮らすことになる洋館も築70年を経過しているので
いずれ建て替えようと考えている」旨の話をされていたので、洋館の
建て替えの準備を始め様とされているのかなと勝手に推測していた。
その後、間もなくして鎌倉のお父さんの一級建築士としてのセンス
が盛りだくさんの新居が、敷地200坪の土地に、南に大きな余裕を
感じさせる庭を配して家屋が完成・・・
「早速、新築された家屋内を拝見させていただいた時に私は初耳学的
に『メーターモジュール』という考え方」の新しい建築方式を、鎌倉
のお父さんから初めてお聞きした。
私のそれまでの常識では、畳1畳の大きさは「90×180cm」
と、思い込んでいたが、メーターモジュール方式の場合は畳1畳は
「1メートル×2メートル」ということになっているので全体的に
ずいぶんとゆったりとしたサイズ(大きさ)になってくる。
したがって、鎌倉に出現した鎌倉ファミリーの棲む住居は全体的
に、ゆったりとした設計になっており、この段階で私からのひと言
は「参りました」に尽きることになり「さすが、超一級建築士」と
いうことになってくる。
024 嬉しい日常生活の些細な変化
些細な変化であっても生きていることの喜びは大きい。
2011年1月11日(火)晴れ 日常的な生活に復帰
お正月からの帰省客もそれぞれに自宅に戻り我々の生活も日常的な
暮らし方に戻った。一方で、私自身は先週のテニスで風邪をもらって
きたらしくて、起き抜けの喉の痛みには閉口したが朝のうがいの励行
および風邪薬の効用でなんとか体力が回復してきた感がある。
1月15日(土)曇り 日常生活の些細な変化
今回の引越し完了後は、日常の些細なことについては、微細な変化
が起きているが、いずれも嬉しい生活の変化の訪れである。
○ 一つ目の変化は、ホームベーカリーが鎌倉ファミリーから贈られ
てきて、香ばしい自家製のパンを食することが出来るようになった
○ 二つ目の変化は、家内の料理がガス機器による調理からIH調理
器による料理に変わったが、早くも美味な食卓として定着してきた
○ 三つ目の変化は、オール電化にしたことにより、エコキュートに
よる深夜電力の活用が出来るようになった。結果、いつでも入浴が
出来るようになった。お湯も柔らかな感じがするので入浴剤の活用
と合わせて快適なお風呂が楽しめる
○ 四つ目の変化は、明るく陽当りの良いリビングが、実現したため
常時、石油ストーブを焚く必要もなく部屋の空気汚染がなくなった
○ 五つ目の変化は、エコポイントの魅力で購入したテレビであるが
LED仕様であり画面も美しく、録画も番組表から簡単に録画予約
できるため便利になった
などなどであるが、些細なことでも、その喜びは大きい。
1月16日(日)晴れ(時々)曇り NHK受信の住所変更
午前中にNHKの集金人さんが来た・・・
「住所変更が必要だったのでちょうど良かったです」と云うと住所
変更届けの用紙を取り出してくれた。
同時に、料金の納付状況も調べてくれて早速に住所変更の手続き
も済ませてくれた。
「ついでに、BS画面の案内ガイドの消去方法を教えて下さい」
と申し出ると 「消去方法の案内を差し上げます」 と云って
カバンから案内書を取り出してくれた。
案内に沿ってNHKに電話をすると、消去電波を飛ばしてくれて
結果「BS画面に掲示されていた案内版が消去された」
1月17日(月)晴れ 富士山の銀嶺の眺望
このところ、大寒を前にして寒さが続いていたが、今日は、久々に
風もなく、飼い犬との散歩の時間を少し早めて外に出てみたが思わぬ
発見があった。室内で掃除をしていた家内を外に呼び出して・・・
「その発見を共有することにした」
「あらほんとに富士山が雪をかぶって綺麗に見えるわね」ということ
で、我が家から歩いて約10メートルの圏内で銀嶺に輝く「富士山」
が見えるスポットを発見したのであった。
正確な表現をすれば、我が家の南側の6m道路を10メートル歩く
だけで、振り返れば、大通りの奥に、富士山の姿が頂上部ではあるが
くっきりと見ることが出来る。
次いで、発見したことは 「家の周囲が地形の関係もあり、暖かな
ゾーン(区画)になっていること」である。さらに、南側の庭にある
クーラーの室外機のウッディカバーの上が飼い犬の日向ぼっこに最適
の場所となっている。その後のこと、この場所は朝の飼い犬の散歩後
のブラッシングの場所として定着した。
私も、ガーデニングチェアを持参して、飼い犬の側に座り、家内が
入れてくれたお茶を呑み干し、気分良好の中で陽光を浴びた。
「住めば都とはこのことか」と、快適な住まい環境に感謝した。
黒部ダムの旅行以来は、家内の直感を信じて行動を共にしてきたが、
どうやら今回も「大当たり」のようである。
1月18日(火)晴れ 新しい蒲団でレム睡眠
明け方にめずらしく夢をみた・・・
「複雑な仕組みの公社債かなにかに取り組んで頭を働かせている内容
であったが、夢だけに論理が飛躍していて、一生懸命に分わかろうと
してもがいている光景の繰り返し」であった。
夢をみることなどは久々のことである。腰のあたりが明け方になり
少し重い感じがして敷布団を変えた影響かなと考えながら起床した。
「おはよう」と、いって、リビングに顔を出すと・・・
「新しい敷布団の寝心地はどうでしたか?」と家内が聞いてくるので、
「まだ良いとも悪いとも分らないけれど悪くはないね」と答えながら
「夢をみたのは新しい蒲団のせいかも知れない」と、結論付けた。
N布団店のキャッチフレーズは・・・
「快適な蒲団で寝ることで人生の1/3を快適に暮せる」と標示され
ていた。この言葉は額面通りに受け止めても良さそうである。
新しい蒲団で夢を見るということは・・・
「レム睡眠が規則正しく訪れている証であり望ましい眠りのパターン
である」と、プラス思考で受け止めておこう。
「その答えは、1週間もすれば分かることであろう」と、いうことで、
気分も良く朝食を摂ることにした。私は、これまでもポジティブ思考
で人生を乗り切ってきた。
1月19日(水)晴れ 飼い犬も引っ越しストレスから解放
ようやく、彩の森入間公園における飼い犬との定刻ウォーキングを
再開した。園内には早くも白梅と紅梅が咲き始めており春の桜の開花
を想像しながらのウォーキングとなった。
まだ今頃は、早朝の5時半起きだと寒すぎて飼い犬が寒さでふるえ
だすため、午前10時頃を目安にして彩の森入間公園に出掛ける様に
時間帯を工夫した。
旧住所となった隣人ご夫妻の場合は相変わらず、早朝ウォーキング
を敢行されていると想像するが、私と家内は、還暦を過ぎた脳の血管
年齢のことを考えて無理な早朝ウォーキングは避けることにしている。
冬のウォーキングで気になっていたのは「霜による影響」で、外周
のフェンス沿いの道は歩けないものと考えていたが、通り道には木屑
などが撒いてあり、彩の森入間公園の外周の小道については霜による
影響が回避されているようである。
彩の森入間公園内をウォーキングしながら二人の共通の話題として
「このフェンスの外側の森の中で暮らしていた野生の猫たちは冬の間
はどうしていたのかしら?」などと話しながら、フェンスの向こう側
を覗くと、3匹の猫が日向ぼっこをしていた。
彩の森ウォーキングから帰って、飼い犬に家屋の南側の庭先で日向
ぼっこをさせてみたが気持ち良さそうに、身体を思い切り伸ばし目を
細めていた。引っ越しの後はしばらくの間は食欲がなかったようだが、
この頃は食欲も元に戻ってきて太り気味の気配であり、飼い犬もどう
やら引越しによるストレスから開放されたようである。
1月20日(木)晴れ オーバーワークは風邪を誘因
今日は、歳時記の上では「大寒」であるが思いのほか暖かな陽気で
ありテニスをしていても軽快に走り廻れるため、ついつい自分の歳を
忘れてしまう。
「新年になってから、木曜スクールは、全員が揃ったことがない」と
テニスコーチが云っていたが、自分の歳を忘れてのオーバーワークは
怪我や風邪の原因につながるかもしれない。
「当テニスクラブでもインフルエンザにかかったコーチがおり、体調
の維持管理には皆さんも充分に気をつけて下さい」と、いうコメント
がヘッドコーチから伝えられた。
私も、師走は引越し作業優先でテニススクールを休んでいたために
正月は初回の木曜テニスから積極的に参加するようにしたが・・・
「スクール生2名が風邪を引いていた」
「風邪をもらって帰るのもいやだな」
と、思いながらも、その晩は少し心配しながら床についたが、翌朝に
喉の痛みを感じて手持ちのうがい薬でうがいを励行したが軽い症状の
風邪につかまってしまった。
「かかりつけ医に行こうかとも考えたが、かえって、インフルエンザ
などをもらってくるのもいやだなと考えて、鎌倉の娘が置いていった
風邪薬を服用した」
その後は、1週間がかりで軽い風邪に抵抗しながらなんとか2週目
もテニススクールに参加できた。
1月22日(土)晴れ 転居先の自治会に加入
午前中は、家内が入間が丘の公民館で「ヨガ」に挑戦するというこ
とになり、飼い犬と一緒に自家用車に乗り込んで、家内を公民館まで
送って帰ってきたところに・・・
「自治会ブロック長と班長さんが我が家を訪問してきたので」
「加入者名簿に住所と氏名を記入して」
「年内2ヶ月分の自治会費を納め」
入間が丘の自治会に入会した。
新しい一戸建団地の誕生に伴い現在は自治会の班長さんの担当軒数
が急激に増えてきているため、来年度からは・・・
「Jグループ関連の新築住宅の集合体で、自治会の新しい班を編成を
するように計画している」とのことであった。
私も、急ピッチで建築が進んだ地域であり「妥当な考え方ですね」
と同意した。地域としては近郊であっても今まで住んでいた地区とは
まったく関連のない自治会の様相であり・・・
「個々の行事などの運営方法にも大きな違いが見られる」様である。
「それらのことは、実際に自治会に加入してみなければ分からない」
ことである。
私が、生涯学習で学んだ「郷に入っては・郷に・従え」には元々の
言葉があると教えていただいたことがある。
「郷に入って・後に・郷に従え」というのが元々の言葉であるという。
その意味するところは・・・
「人は実際に住んでみて先ずはその土地の風俗や習慣に馴染んでみる」
ことが大切であると云う。結果として例えば「その土地の習慣を五つ
把握した」とする・・・
その中の四つのことについては「共感するものがある」と、すれば
その四つのことには自ずと従えるので、残りの一つのことだけが問題
や課題になってくる。
そこで、その一つのことについて咀嚼してみてもどうしても馴染め
なければ無理をして合わせないで「自分流の習慣」に置き換えて行く
工夫と努力をしてみる。
「郷に入って・後に・郷に従え」と、いう三段構えの生き方は、云い
換えれば、柔軟性と積極性を発揮して、ときには自ら率先して・・・
「習慣を変えて行くこと」も必要であるというアドバイスとして受け
取ることも出来る(これもポジティブ思考と云える)
1月24日(月)晴れ 固定資産税の算定
今日は、午前9時半に、市役所の税務担当者が我が家を訪問、固定
資産税の算定のための実地調査を実施した。そして「目安算」として
土地と建物とを合わせた年間の課税額が示された。
担当者として2名の方が来宅された。1人の方は身長が190cm
を超えているとかで、昔の建築法の時代には、戸口の高さが今よりも
低くて、建屋の調査のときに頭をぶつけることが多かったという。
最近は開口部の高さが標準寸法として「2mのもの」が多くなって
きており頭をぶつけることも減ってきたという。税務調査後は年初に
こまごまとした課題や宿題をたくさん抱えているので、一気に片付け
ようと考えて食卓に座り込み、大方の事務処理を一気に済ませた。
先ずは、郵便局に出掛けて放送大学の事務処理を優先的に済ませた。
「俳句をきっかけとして好奇心から専攻した感のある 『心理学』は
今年の3月末に、放送大学の学部を卒業見込みにつき、新年度からは
『人間学』を専攻して継続入学することにした」
(そのための事務手続きが必須であった)
次に、控えている「水道の蛇口の浄化装置」については、定期的に
約4ヶ月毎の交換を可能にするための振込み手続きが必要であり同じ
郵便局において一緒に手続きを済ませた。
次に自宅で記入の終わっている「新居についてのアンケート回答」
も、Jグループ宛てに、同じ郵便局から郵送を済ませた。
1月25日(火)晴れ 家電購入でエコポイント取得
午後になって2階の書斎に上がり電子メールを開くと「家電購入の
エコポイント」の手続き完了の連絡が入っていた。
「Y電機は顧客の期待を裏切らない」と、いう印象を受けた。
メールでの案内によれば、住所変更があった場合は、変更手続きを
するように記述されていたので電話をすると俊敏に受理され、ギフト
カードを発送する会社にも住所変更の連絡をするように案内があった。
早速、電話をすると手際良く対応いただいた。今回、Y電機の営業
担当の薦めで購入した「42型の液晶テレビ」は、次の3点において
「優れもの」であった・・・
○ 画面が鮮明という案内は期待を裏切らなかった
○ 番組表からの録画は、操作が簡単であり、2番組同時録画と云う
機能も期待を裏切らなかった
○ 家電のエコポイントも約束通りの日時で適用となった
これに比べると、住宅エコポイントや固定資産税優遇制度における
優良住宅の指定などは手続きが煩雑で適用には到らなかった。
1月27日(木)晴れ モーツアルトと同じ誕生日
今日は私の誕生日である。奇遇にもモーツアルトと同じ誕生日だと
いう。たまには昼食を外食でということで待ち合わせの時間を決めて
テニスに出掛けた(室内テニスコートは気温15℃で快適であった)
最近は加齢の影響なのか、太陽光に負けて涙が頻繁に出るので、
「色の薄いサングラスをかけて練習することにしている」
「テニススクールの3か月毎に期末を締めくくる実践ゲームにおいて、
最後に、スマッシュが決まり気持ちの良い汗をかいた」
「レストランにおける私と家内との昼食会は誕生祝いを兼ねたもので
出された料理も美味しく・かつ・楽しく、あらためて 『満69歳』
の自覚を持つに至った」
1月28日(金)晴れ 卒業予定者の住所の確認
放送大学から「今年度卒業予定者の住所および氏名などを確認する」
ための文書が届いた。
「昨年に引っ越したことを継続入学の手続票には記載した」が在学中
の学部には住所変更についての書類を出していなかったので、今回の
確認には救われた思いがする。
「年金」や「証券」などに関しては、先方に電話をかけて現在は住所
変更手続きに必要な書類を待っている状態である。他にも住所変更の
必要なものが多数あり、その対象は広範囲に及ぶため、夏季までには
大方を済ませたいと考えている。
1月31日(月)晴れ 飼い犬もご機嫌な終日
彩の森入間公園での散歩を楽しみにしている飼い犬は、近所の散歩
コースではすぐに帰りたがる。それが、彩の森入間公園に出掛けると
良く走り良く遊ぶのである。
本日の午前中は、先ずは彩の森ウォーキングに出掛けて、その後は
小手指の鮮魚センター(新潟から高速直行便の鮮魚)にそのまま同行、
なにしろドライブ好きでもある飼い犬には「本日は、ご機嫌マンデー」
となった様である。
この頃の飼い犬は、あまりにも「私と家内にべったり状態」で旅行
などに行き難くなってきている。かつてイタリアの旅で親しくなった
群馬県前橋市在中の友人夫妻から・・・
「フランス・スイス方面への旅を誘われた」が、躊躇せざるを得ない
状況に置かれている。
飼い犬をペットホテルに預けると、寂しがって体調を崩すために、
「イタリアの旅に出掛ける時には、ひばりが丘の息子ファミリーの処
に8日間お願いをして預けた。ただし、その時点では子供がまだ一人
であったために、飼い犬を預けることも出来たが、今は子供が二人に
なり年下の子はまだ赤ちゃんであるため育児に追われており、8日間
も飼い犬を預けるという訳にいかない」
ただし日帰り旅であればペットホテルに預ける必要もなく、飼い犬
も日常と変わらずに自宅で過ごせるのでそれは許容範囲のようである。
その点、私の処からは近郊に住んでいる友人夫妻の場合は、我が家と
同じダックス犬を飼っているが、それぞれに、交替で飼い犬の面倒を
みて、それぞれ別行動で旅行に出掛けるように工夫しているがそれも
「上手に旅する」方法なのかもしれない。
025 天から舞い降りて来たご褒美
まったく「思いがけない褒美」には・正直・驚いた。
2月1日(火)晴れ IH調理器の実習体験
川越市の「スイッチ・ステーション」に、着いたのは午前10時で
あった。開館時間にはスタッフ3名の方々に歓迎の挨拶をいただいて
の入場となった。電力会社が「IH調理器などのオール電化製品」の
普及のために設けたショールームが、このサービス・ステーションで
あり「プレゼンテーション・ルーム」を兼ねている。
実際に「IH調理器」などを使って、調理をやってみせ受講生には
実習の場を提供している。我が家でもオール電化が実現して・・・
「その便利さは、エコキュート機器類の使いやすさを、日々体験する
ことで実感として伝わってきている。同時に夜間電力を活用した自動
パン焼き機の便利さと焼き上がりの香ばしさなども体験しつつある」
料理があまり得意ではない、私も、IH調理器の便利さが分かって
多少なりとも技を習得すれば、これからの「台所のデジタル化の波」
に乗れるかなと考えた。
また、知的な好奇心からもIH調理器について電磁調理器の構造や
働きについて知りたくなり電力会社のブースに出掛けてみたのである。
(実際、この構造的な理解については大いに役立っている)
実際、ブースでは、IH調理器の内部構造をスケルトン調の現物で
見ることが出来た。調理実習では、実際に・・・
「鳥のから揚げを作る」
「シャケの切れ目を焼く」
「チャーハンを炒める」
「デザートを作る」
などの実習があった。
その調理の実習過程では、電磁調理器のシステムについても分かり
やすい説明があった。
「IHでは、調理器プレートは加熱されず、鍋が過熱されるが鍋から
の熱伝導によってプレートも熱くなる」と教わり、隣家でも安全性に
ついて説明をしていただいたことを思い出した。
2月7日(月)晴れ 新築祝いに蘭の花
暖かな陽気のため厚手のセーターを着込んで車に乗ると汗ばむほど
である。スーパーで買物を済ませて、午前11時頃に、自宅に戻ると
群馬県から妹夫婦が近くの眼科医院の駐車場に、到着した旨の電話が
かかってきた。
入間が丘に引っ越してきてから、間もないため、我が家はまだナビ
で案内されていないので、近所の眼科医院を目印にして自動車を運転
していただき、私が駐車場まで出迎えに行くことにしていたのである。
新築のお祝いに「蘭の花」をもってきてくれた。東の方向に置くと
良いというので、日当りの良い場所を選んでいると・・・
「本物の花ではないので日当たりは不要だという」
「今風に、光合成の仕掛けが施してあるとの説明があり、本物の花と
まったく瓜二つなので驚いた」
「部屋の中に早くも春が来た」と、いう印象で大ぶりの黄色い蘭だけ
に見事である。黄色の花は、東方に置くと、蓄財の効用があるという。
他にも、大葱や大根、群馬の銘菓「旅がらす」や珍しい最中などたく
さんのお土産をいただいて恐縮である。
飼い犬も、最初は吠えていたが、すぐに懐いて妹の旦那の顔をなめ
まわしているので驚いた。家内も、海老や野菜などの天ぷらを揚げて、
昨夜から準備したイカ飯やお寿司などを振る舞って・・・
「久々な出会いに積もる話も満載」で、楽しく、大いにお互いの親睦
を深めることが出来た。
2月8日(火)晴れ 大型物置の設置
朝の天気予報では夜になって雪または雨の警告が出されていたため
我が家に大型物置の設置に来ていた職人さんも、午前9時には作業を
始めて、午前10時半頃には、設置完了という猛烈な作業スピードで
仕事を仕上げた。
本日の作業は、入間・青梅・八王子と、終日で3軒分を請け負って
おり雪が降った場合、自宅の坂戸までは車では帰れないことになると
心配しながら出したお茶も大急ぎで呑んで・・・
「よかったら、お茶菓子は持って行って下さい」と、家内が声をかけ、
「大好物なのでいただいて行きます」と、車を飛ばして行った。
古い中型物置の設置場所がないので、市役所のクリーンセンターに
携帯から電話をすると・・・
「明日の午後でしたら引き取れます」
「物置の中身は、明日午後1時までには、空にしておいて下さい」
「寸法的には分解しなくて大丈夫です」
と、いうので助かったと思いながら、私と家内とで中身を大型物置の
中に移し変えた。
そして、外に出しっ放しにして不用心と思っていた長尺ものの梯子
も大型物置に収納してチェーンタイプの鍵でロックした。家の周りも
すっかり片付き「これですっきりしたわ」と、家内も喜んでいた。
「後は大型物置の設置について、事前に隣家に了解をいただいた際に
南天の植え替えを約束していたので、明日の午後にでも作業しよう」
と決めて、その日の作業はこれをもって終了とした。
2月9日(水)小雪(後)晴れ 坪庭の整理が完了
驚きの新発見である・・・
妹が新築祝いにもってきてくれた「光合成」のコーティングを施し
た黄色い蘭の花の効果で 「涙目がちなアレルギー症状」 が治って
しまったのである。もちろん妹には、お礼の電話を入れた。
そんなこともあり、本日の作業予定としていた植木類への鶏糞やり
を気持良く済ませた後で、保水用のレンガの粉砕片を植木などの根元
に撒いてたっぷりと水撒きをした。
やがて、市役所からクリーンセンターの車が到着。運転席から笑顔
で降りて来たお二人は旧住所において大型粗大ゴミの廃棄処分などで
随分お世話になった方々であった。
相変わらずの笑顔の対応で搬出しにくい場所に置いてある中型物置
を中庭から外へ、二人がかりで運び出してくれた。これにより玄関脇
の坪庭(兼)物置の場所を整理するための条件が整って、早速、敷石
の配列に取り掛かかった。この敷石により大型物置の前側での作業が
俄然やりやすくなった。
また、自転車3台の配列も整理・整頓されて物置と坪庭とのエリア
区分も整然とした。後は、春先に、草花や、植木の下草などを植えて
水遣り道具などを整えながら、夏の暑さ対策をして行けば、新居での
暮ら方については大方の目鼻がつくことになる。
2月10日(木)晴れ 航空機用ジェットエンジンを想い出す場所
狭山市祇園のテニスクラブに行く途中で、入間航空基地の脇を通り
抜けて行く。入間が丘に引っ越してからは必ずといっても良いほどに
このコースを通る様になった。
道路沿いにはリタイアした航空機が展示してありジェットエンジン
の設計や製造そして整備作業に、長年、携わってきた航空人としては
「引き寄せられる魅力のある風景」でもありテニス・スクールに行く
ときには必ずこの道を通ることになるので、日々、現役の頃を思い出
して懐かしい思いがする。
先日は、企業人としては大先輩の方が、航空関係の仕事に50年間
たずさわった記念にと書籍を記念出版された。ご自分で手掛けた50
年間のエンジンの歴史に、ご自分の半生を重ね合わせて記事にされた
ものであるが、月刊の連載記事を連ねて再編集されたものだけに濃密
な内容になっている。
同じ時代を過ごしてきた私には、大いに共感・共鳴するものがある。
かつて私が30歳代の時に同行させていただき米国・欧州の航空機や
ジェットエンジンの製造会社やエアラインを 「管理工学(IE)」
という面から実情調査させていただいたことがある。
約1か月の駆け足での実情調査ではあったが得るものは多かった。
その影響もあり書籍に示された記事の内容について身近に感じたの
かもしれない。私が、航空機用のジェットエンジン関係の仕事一筋
に定年まで、現役を過ごすことが出来たのも、大先輩のお蔭であり
「感謝・多謝」である。
2月11日(金)雪 懐かしい風景
今月の3連休の出足は雪の舞う天候でスタートした。
それならばと理髪店まで歩いて出掛けた。旧住所のときには歩いて
約5分で行けた理髪店であったが新居の我が家からは歩いて約20分
かかる。雪で滑っては危ないと考えて、長靴を履いて出掛けたところ、
結果、雪の上でも足元がしっかりと固まって具合が良かった。
帰り道は回り道をして「昔、住んでいたところに、変化はありや?」
という思いで寄り道をしてみたが、特に変化らしきものはなく、まだ、
旧住居には人々が住んでいる気配はなかった。
(たしか・引っ越しは・春先と聞いていた)
「北側のお隣のご夫妻は相変わらず3連休には伊豆の別荘にお出掛け
の状況らしく、車庫には自動車がなかった」懐かしい風景である。
2月12日(土)雪(後)曇り サイボクハムから贈り物
新築祝いにいただいたものの中で嬉しかった優れものとしては、
「鎌倉ファミリーからの自動パン製造機」「群馬県の妹夫婦からいた
だいた光合成のコーティング処理を施した黄色の蘭の花」を、挙げる
ことができる。
「朝起きた時にパンが出来ている」しかも、パンの香ばしさが部屋中
に漂う生活感は嬉しい。この喜びは、私だけが感動するものではなく
家内共々朝食の大いなる楽しみとして、共に、味わえるところがとて
も気に入った。
群馬県の妹夫婦からいただいた黄色い蘭の花による光合成の効果で、
「私の目のアレルギーが治った」群馬と鎌倉からの二つの喜びを感謝
に変えるために私と家内は一緒にサイボクハムに出掛けた。
久々のサイボクハムの店内での買物であったが、特に変わった様子
もなく、雪模様の天候の中でも、相変わらず店内は大繁盛であった。
店内では、美味しいハムやソーセージの試食が好評で、集客の秘密は
こんなところにもあるようである。家内の選択眼で、両家にサイボク
ハムの詰め合わせキットを贈ることにした。
ひばりヶ丘ファミリーは新築祝いに現金をもってきたので、それを
元手にして現金を加えて「孫のお雛さま代」として、後日、お雛様の
鑑賞会を兼ねて、家内が届けに行くことにした。
2月13日(日)晴れ 大型物置の周囲の整備
久々の晴れ間となり、飼い犬のためにと、午前10時頃から彩の森
入間公園に出掛けた。いつも通り二人だけで外周をウォーキングする。
次に、飼い犬を連れて芝生めぐりをする。午後は飯能のKホームズに
出掛けて、飼い犬には、大好きな河川敷を歩かせたが、珍しく早々に
帰りたがるので車に乗り込むことにした。
Kホームズでは、大型物置の設置完了に伴い、残金の支払を済ませ
るために、支払い期限内に店を訪れたもので、今日は、その帰り道に
河川敷に寄ってみたという経緯である。大型物置の設置場所について
は的確な候補地がなかなか絞り切れずに苦労したものの、結果的には
最適の場所を選択出来たと考えている。
先日の雪の日に物置周辺の様子を見てみたが、雪降りのなかでも雪
が積もることもなく、母屋のひさしが大型物置の前側を上手く覆って
いるようである。また、大型物置の前側に敷石や玉砂利を敷き詰めて
整備したため出入りもだいぶ楽になった。
2月15日(火)晴れ 純国産ジェットとの再会
夜半からの雪が降り積もって外は銀世界である。
所沢税務署に届ける書類があったので今日は早目に出掛けた。所沢
の登記所に寄り土地と建物の登記簿謄本を入手する必要もあったので、
先に、登記簿謄本入手の用件を済ませてから税務署に立ち寄った。
税務署に必要な書類を届けて外に出ると「所沢航空発祥記念館」の
案内看板が目に入った。かねてから興味はあったものの場所が分から
ずにいたという事情もあり、即「入場する」ことにした。
航空発祥記念館の入り口に立つと「入場料65歳以上無料」とある。
受付カウンターで、年齢証明の免許書を提示すると、
「展示会場と映画上映がありますが、どちらをご覧になりますか?」
と聞いてきたので「両方とも見たいです」と云うと、
「映画上映については20分後にはで入場できます」と、いう案内で
あったので先に 「展示会場」 を見て廻ることにした。
驚いたことに、展示会場の場内には・・・
「私たちが設計部門に居た時に馴染みのある純国産ジェットエンジン
の2007号機が展示されていた」
このジェットエンジンとの出会いには、さすがに驚いた・・・
「まるで我が子に久々に出会ったような気持ちになって半ば興奮しな
がら、純国産ジェットエンジンの周りを撫でるようにして見て回った
ことは云うまでもない。
一方、上映映画は「縦15m・横20mの大きなスクリーンで放映」
さながら、自分がヘリコプターに乗り込んで操縦しているような光景
が目の前で展開されて行く。
タイトルは「ギリシャ」として紹介されていた。噴火によって埋没
した島を考古学的に探検して行くという物語である。美しい映像と共
に興味深いストーリー展開の中で、ソクラテスの方法論の説明として
「質問と回答を繰り返し交わすことによって発想を発展させていった」
と云う具体的な解説には聴き入った。
本日(2月15日)は、私にとって貴重な「航空記念日」となった
印象がある。人生には思いがけない・・・
「ご褒美が天から舞い降りてくることがある」ことを実体験した。
026 慰労会は伊豆の河津桜
2月16日(水)晴れ 建築建屋のアフターフォロー
今日は、Jグループの中村さんが、建築建屋のアフターフォローの
ために定刻に来てくれたので、犬が大の苦手という中村さんのために
飼い犬を小脇に抱え込んで、細かいお願い事項を説明した。
☑ 1階和室の吊り型の押入れの襖の糊付けが不足していて、雨の日
などは襖が膨れてくるので直していただきたい
☑ 同じく和室の押入の襖の敷居に相当する部分の白木がささくれて
きているので、強化スプレーや強化材などがないかを調べて欲しい
などなど出来るだけ詳しく説明して、地域の工事担当(兼)現場監督
としての対処をお願いした。
(建築建屋としては概ね良き出来上がりであり感謝多謝)
2月17日(木)曇り テニスで痛めた腰の荒療治
朝の布団類の片付けで腰を少し痛めた。布団を押入れにしまう際に、
縦長に持ち押入に入れようとしたその試みがまずかった。これは腰を
支点(梃)にして重いものを長尺サイズで持ったことになり、当然の
結果として腰への負担は大きくなる。
最近の敷布団は厚みがある上に重量もある。敷布団の上にはさらに
また厚手の敷物が乗っていて、重さが加わったいたため、非常に持ち
上げ難い状態であった。
本日の木曜テニスは予定通りに決行して、テニスで腰を動かすこと
により、結果として腰を直してしまおうと荒療治を考えて取り組んで
みた。この荒療治は大成功であったが、明日からは上に重ねた敷物は
別扱いにするという是正策を考えてみた。
2月18日(金)雨(後)晴れ 慰労会は伊豆の河津桜
我が家としての「T&K:ついの棲家Ⅱ」の完成を祝して、お互い
の慰労会を兼ねて伊豆の河津桜見物に出掛けた。我が家では私と家内
は旅行などに出掛ける時に「晴れ男」と「晴れ女」であることが多い。
しかしながら今朝は起きたときに激しい雨音で二人とも驚かされた。
今日は、日帰りバスの旅で河津桜の見物に行くため目覚しアラーム
を午前5時にセットしていた。既に、天気予報で翌朝の雨予報は聞い
ていたので、昨日のうちに地元の丸大タクシー会社に時間指定で乗車
の予約はしておいたが、これほどの豪雨は考えていなかった。
それでも、午前6時30分にタクシーが、玄関前に着いたときには
すっかり小降りになっていたので助かった。しかしながら、観光バス
が指定の銀行前に到着したときにも、まだ雨が止む気配はなかった。
天気予報では、午前9時には雨は止んで河津桜の午後は晴れと云う
情報であり、半信半疑のまま車中の人となった。観光バスが首都高速
を走っていて、午前9時前に雨が止んで遠くに富士山が見えてきた時
には「車内で歓喜の声があがった」 しかし、今度は、東名高速道路
の大渋滞でバスはまったく動きがとれない状況がしばらく続いた。
最初のイベント会場である苺狩り農園には、約1時間遅れて12時
少し前にようやく到着した。渋滞のバスの中では、少し遅めの朝食と
してカレーパンが配られたので、まだ、カレーパンを食べたばかりで
あり、お腹は空いていなかった。
しかし、現地について、苺狩りともなれば・・・
「皆それぞれに別腹を持っている」ので指定された苺ハウスに向かい、
ぞろぞろと歩く。ハウス入り口では、コンデンスミルクと蔕を捨てる
ための入れ物がみんなに配られて「いざハウス内に出陣」指定された
苺ハウスの品種は「べにほっぺ」であった。
(偶然にも一昨日我が家の夕食時に味わったのもべにほっぺであった)
この苺は、今時の流行りもの・なのかも知れない・・・
「最初、コンデンスミルクなしで味わおうと考えていたものの思わず
衝動的にコンデンスミルクを付けて食べてしまった。こうなると途中
で切り替えることは難しいものである。テントの出口前までもぐもぐ
と、苺を頬張り続けた」
次に、菜の花摘みの会場に移動・・・
「私には、菜の花の若芽を見つける能力がないと判断して、後は家内
に任せ、早々に退散することにした。家内は、せっせと菜の花摘みを
続けていた。
後で聞いたことだが・・・
「食用には若芽を」
「観賞用には満開の花を」
「我が家で植えるためには根のついたもの」
を選別して摘んだという(その着眼と発想には脱帽である)
その後のランチバイキングは、午後2時頃からとなり我々が昼食を
済ませた後からも、次々と観光バスが到着していたので、本日のバス
ツアーは軒並み1時間から2時間遅れの行程となったようである。
バイキング会場からは天城越えをして、河津桜の会場にはループ橋
を経由して辿り着いた。このループ橋には、昔、自分たちの自動車を
運転して来たことがあるので懐かしい。
ずいぶんと昔のことなので来た時期は特定できないが、当時は私と
家内で二人して伊豆をドライブしようということになり、沼津で高速
を降りて伊豆半島の西側から回り込むルートで、南側の石廊崎に出て
ペンションで一泊した。
ペンションの宿では明け方に林間の鶯の声を聞いて伊豆の旅を満喫
二日目にループ橋を渡って河津桜や伊豆の七滝を見学して、その晩は
伊豆の東側の温泉宿で海鮮料理を堪能した記憶がある。
当時の河津桜周辺の賑わいはぼんやりと覚えているが、桜の咲いて
いる光景は脳内の長期記憶から引き出せないので、随分と大昔のこと
であったことには間違いない。
今回はツーリストの添乗員が同乗しており観光バスの車内から、
「これが河津桜の原木です」と、いう案内で、先ずは八分咲きの桜を
鑑賞した「またこれが原木の孫にあたる桜です」などと、いう添乗員
ならではの丁寧な説明があったので「これで、長く記憶に残せるかな」
などと感じ入りながら、川津桜を心行くまで鑑賞した。
河津桜の川沿いの桜は「咲き始めのもの」「三分咲き」「五分咲き」
くらいまでのものが、それぞれに愛くるしいピンク色の花を咲かせて、
まるで競いあって咲いているようであった。
河津桜の咲き具合はその場所の日当り条件などによって微妙に違い
が出てくる様であるが、河津桜の川沿いの景観は、主役の桜だけでは
なく菜の花と川の流れが趣を添えておりソメイヨシノなどの開花時期
よりも、1ヶ月から2ヶ月は開花が早いこともあって・・・
「春の訪れをいちはやく感じ取れる」河津桜には、大勢の人々が我先
にと駆けつける様である。
その魅力は春先の千葉の房総と同じく、観光バスや自家用車が周辺
の道路を埋め尽くすことで良く知られている。ただし、河津桜の観光
客泣かせは、早いときには1月には満開となり、遅いときには3月に
なってから咲き出すこともあるという。
これは観光客だけでなく「地元の商店街泣かせ」でもあり・・・
「その年になってみないといつ桜が咲きだすのか分からない」という
予測の難しさが、一方で「時期を特定できないビッグイベントとして
の面白さ」に、つながっている様である。
「それじゃあ、その年になって・開花を確認してから、電車で河津に
来るのが一番」と、いう声がツアー仲間から寄せられて添乗員さんも
いちおうは納得したものの・・・
「それでは今度は旅行会社や観光バスの会社が商売にならないわね」
という添乗員さんの言葉に車内は大爆笑であった。
帰路は運転手さんの好判断で「山中湖に近いルートが選択」されて、
最短時間で帰着することが出来た。結果的には1時間半の遅れを一気
に挽回することになり、入間市帰着予定の時間である午後9時を少し
過ぎる程度の遅れで帰着することが出来て、一同、運転手さんに感謝
した次第である。
そして全員が運転手さんと添乗員さんに拍手を送ったのは・・・
「夜目にも鮮やかな、真白き富士山のシルエットを見ることが出来た」
瞬間であった。
そして帰宅後にリビングの引き戸のガラス越しに飼い犬の姿を発見
「引き戸を開けると、嬉しそうに飛びついてきて仰向けになり」身体
全体で喜びを表現していた。これなら、日帰り旅行であれば大丈夫、
「日帰りであれば、飼い犬も日常通りの平常心で居られることが良く
分かり、これからは日帰り旅行だね」と、二人で納得し合った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、2022年の暮れに、飼い犬「もも」が満16歳を目前に
して天国に旅立っていった。昨年(2023年)も桜が満開の時期に
狭山湖のそばにある狭山湖犬猫霊園にお墓参りに行ったが今年も桜の
満開の時期に、先代の飼い犬「シェリー」と一緒に永遠の眠りにある
飼い犬「もも」のお墓参りに夫婦で訪れた。
例年、お花見の時期が霊園における年会費の納入時期で「もも」が
元気な時には、先輩「シェリー」のお墓参りの後で、ももを自動車に
同乗させて西武園のそばにある多摩湖の周辺まで脚を伸ばしてお花見
をしてきた。
今年(2024年)は、例年「もも」と歩いた、堤防下りの階段を
経由して、例年通りのお花見をした。いつもの桜の木の下にシートを
敷いて奥行きのあるお花見をしながら二人で談話していると、柴犬が
家内の傍に来て座り込んだ。
家内が柴犬の頭をマッサージしてあげると目を細めて満足げな表情
を見せていた。聞けば飼い主であったご夫婦が他界されて、娘さんが
引き取って面倒を見ているのだという。
見たところまだまだ元気なワンちゃんだが高齢化の兆候が出てきて、
今日のお花見でも、連れの若い二匹のワンちゃんに連なってどうにか
歩いている様子だという。それにしても初対面で家内に馴染んでいる
様子には少し驚いた。
その後も、我々はお菓子などを頬張りながら懇談、話は今年お世話
になった鎌倉ファミリーとの伊豆の旅に話がおよび・・・
「家内は喜寿(77歳)を祝っていただき、私も同じ1月生まれとい
うことで共に2月初旬に伊豆の老舗旅館で誕生日を祝っていただき」
その思い出に話が及んだ。
今年2月初旬にご招待いただいた老舗旅館は、うたい文句が食べる
お宿「浜の湯」ということで、サプライズ企画が連発の宿であった。
さすがに食べる宿「浜の湯」の献立は素晴らしく「食前酒」に始ま
り「前菜」に続く「台の物」は鮑の酒蒸しで鮑にしては柔らかく美味
で舌も驚愕、続いて運ばれてきた「船盛」には、季節の鮮魚が並んで
喜寿を祝う「和江さん丸」の祝旗が掲げてあって、喜寿の袢纏と帽子
を被った家内を囲んでの記念撮影、続く「中皿」には帆立とサーモン
の美味尽くし、次いで驚愕の「金目鯛の姿煮」これが二皿も盛り付け
てあり「食べきれないでしょう」ということで、大きな金目鯛の一尾
は冷凍にしてお土産にしてくれるというサービスぶり。
この先には「箸休め」としての鶏出汁のスープを介して「肉料理」
の和牛鉄板焼き(これがメチャ旨い)続いて「釜飯」はご飯が旨くて
具材も秀逸、「香の物」「止椀」と続いて「デザート」は紅ほっぺと
ブルーベリー、いうことなしの料理長は上島智也氏だ。
初日のドライブでは、稲取港から大島まで海路を高速ジェット船で
かっ飛んできてお腹を空かしていただけに夕餉のご馳走にはファミリ
全員大満足であった。料理案内の女性もフランス料理並の料理に対す
る説明の滑舌の良さには驚嘆した。
翌日のループ橋を下っての河津桜の観賞も丁度見頃で、私も家内も
後期高齢期まっただ中で「浄蓮の滝」巡りでは、急な坂の下り登りが
あり、それでもなんとか対応、久々に「あなたと超えた天城越え」で
あったが、お互いの元気度を測るには天城越えと浄蓮の滝を目指した
急坂の下りと「折り返しの登坂」は、加齢に向けた体力を測るのには
良いのかもしれないと感じた。
第2部 郷に入りて・後・郷に従え
はじめに
本日(2021年3月11日)は東日本大震災が発生してから丁度
10年の歳月が経過したことになる。当日は、我が家のエコキュート
(給湯器)が倒れてしまうのではないかと、いうほどに大揺れをして、
後日(3年後)に、その揺れは北欧のフィヨルドの水面の揺れに通じ
るものであったことを知った。
このエコキュート(給湯器)は、深夜に沸かした熱湯を溜めておく
ための機器である。この機器は超重量物であり土台はコンクリートで
固めて、その上に設置してあるものだが、あの日は横倒しになりそう
な揺れ方であった。
約3年を経てようやく分かったことであるが2014年2月13日
の読売新聞の記事に「3・11 フィヨルドの水面も揺れた」という
見出しで掲載された記述に・・・
「我が家のエコキュートが大揺れした原因にもつながる」と、思われ
る内容が理論付けされて掲載されていたのである。
この説明に入るには、東日本大地震(マグニチュード M9・0)
の地震波が遠く離れた北欧のノルウェーまで伝わっていたという話
から始める必要がある。
この内容については、ノルウェーのソグン・オグ・フィヨラネ大学
の研究チームがまとめたもので・・・
「東日本大震災の日に美しい風景で知られるフィヨルドの水面が大き
く揺れたのだと云う」
(フィヨルドは氷河による浸食で作られた細長い入り江で狭く深い)
ふだんは静かな水面に突然、波が立ったのは3年前の3月11日の
朝だった。一報を受けたスタイン・ボンデビック同大教授たちは最初
「水底の地滑りが起きたのだろう」と、考えていた。しかし不思議な
水面の変動は、フィヨルドのあちこちで、目撃されて、教授には次々
と情報が寄せられた。
スタイン・ボンデビック教授は、その時、局所的な地滑りではあり
えないと考え、日本を襲った巨大津波について、報道機関への説明に
追われていた教授の脳内に「セイシュ」という現象が思い浮かんだ。
これは非常に長い周期の地震動で湖などの水が大きく揺れる珍しい
現象である。その語源は「スイスのレマン湖の水の揺れを指す地元の
言葉」だといわれている。そこで教授たちは、ノルウェー国内で観測
された地震波などを解析してみた。波が届き始めたのは地震発生から
12分後の午前6時38分(日本時間午後3時58分)。
その後、同7時8~27分に届いた地震波の中にフィヨルドの水を
揺らしやすい周期50秒以上の揺れが多く含まれていた。地震動自体
は、同27分以降の方が強かったが、周期が短く、セイシュへの影響
は少なかった。
各地で撮影された映像などを分析した結果、水面の変動は同27分
に始まり、長い場所では同10時頃まで続いたと推定された。そして
ライカンゲルという場所では1・2~1・5メートルも上下していた。
観光地フロム付近での水面の変動は地震波を基にコンピューターで
再現した結果とよく合っている。この研究成果については、同年に、
米地球物理学連合の専門誌で・・・
「ジオフィジカル・リサーチ・レターズ」として報告されている。
ボンデビック教授も「地球の裏側で起きた地震がフィヨルドの水面
を動かすなんて」驚いたとしている。
(物体は、その大きさによって、揺れやすい波の周期が変わる)
周期1~2秒の小刻みな揺れは低い住宅に、5秒を超えるゆったり
とした揺れは高層ビルに、それぞれが大きな影響を与える。
鈴木猛康・山梨大教授(防災工学)は 「セイシュを起こすような
非常に長い周期の地震波は、M8・5を超える巨大地震で発生する」
と指摘している。断面の形がフィヨルドと同じように幅が狭くて深い
湖や池でもセイシュが起こる可能性がある。
また、鈴木猛康教授は・・・
「東日本大震災では、富士五湖の一つ西湖(山梨県)でもセイシュが
起き船や魚が岸に打ち上げられた」と、述べている。
「西湖のような比較的狭くて深い湖では巨大地震の際、岸から離れた
方が安全だ」と、述べている。
大地震で大量の液体が揺れ動く現象は、セイシュよりも小さい規模
で比較的よく起きている。総務省・消防庁の報告書によると、東日本
大震災では、タンク内の石油が大きく揺れる「スロッシング」による
石油の流失が計16件起きた。
同庁・消防研究センターの西春樹・原因調査室長によると・・・
「スロッシングは、周期6~12秒の地震波で起こりやすい」
「全国の大型タンクは、17年を期限として、揺れ対策が進められて
いる」と云う(これらの記述は読売新聞の記事から抜粋している)
これらのことから、我が家の 「エコキュート機器の大揺れ」 は
東日本大震災の影響によるスロッシングという現象に似たものと断定
して良さそうである。
この機器の中には、熱湯が蓄えられており、特に、目に見える被害
はなかったので、その後も問題なく使っているが機会をみてメーカー
の方に情報提供しておく必要性を感じた。
それにしても 「問題意識」 を持ち続けていれば、今回のように
約3年間近くも経過してから、その「答え」が提供されることもある
のだと、あらためて新聞記事などによる情報提供の確かさと重要性を
再認識した次第である。
そして、あれから丁度10年が経過して我が家の外壁の張替え工事
の際に、エコキュートをいったん取り外して外壁工事を済ませ再取り
付けの過程で、給湯器の担当の方に、10年前の他所のエコキュート
(給湯器)の状況をお聞きしたところ・・・
「実際に転倒したエコキュート(給湯器)もあったこと」を、お聞き
してあらためて、セイシュにも似た自然の驚異に驚かされた。
【2011年:初春に過去を振り返って】
あの時は、入間が丘に引っ越して来てから、初めての春を迎えた。
新築の「T&K:ついの棲家Ⅱ」が完成して、住み始めても、その
地域に住み慣れ、地域に馴染んで、はじめて引っ越しの完了になると
私は考えていた。
かつて、放送大学の高橋和夫教授による「現代の国際政治」の講座
を受講した時に、高橋先生からの興味深い話として、次の様な主旨の
説明に大いに共鳴したことがある。
「郷に入れば・郷に従え」と、いう言葉があるが、この本来の意味は
「郷に入りて・後・郷に従え」と、いう語源でありこれは国際間での
引っ越しにせよ、国内における他地域への引っ越しにせよ引っ越した
先の住いの環境において数々の慣習や習慣があった時にこれをすべて
「鵜呑みにして、受け入れる必要はない」
例えば「五つの慣習や習慣があった」時に、四つについては自然に
受け入れられるものの「一つだけはどうしても受け入れ難い」場合に、
自分自身で習慣としてきたものと、地域の習慣が異なる場合は、先ず
「その両者の違いに着目する必要がある」
この場合に、自分自身でひと工夫するだけで受け入れられるように
改善出来るものと、地域における相手方に、少しだけ工夫していただ
ければ応じられるものとに分けることで自身の処し方を考えてみる。
また、どうしても受け入れることが出来ないことについては相手に、
その旨を伝えて、お互いに違った処し方を工夫する。「衣・食・住」
で考えた時に、特に、食における違いは許容できないことが多い。
家庭内においても世代間での食のこだわりなどは、摂取したい養分
からして違うので「若い人の肉食好み」と「シニア層の魚介類好み」
については、大方は理解出来るところである。
しかし、朝食における「ご飯と納豆派」と「パン食とスクランブル
エッグ好み」は、世代間の違いを越えて長年の食習慣における違いで
あって、お互いに聞いてみないと分からないところである。
この聞いてみないと分からないと云うところに・・・
「郷に入りて・後・郷に従え」と、いう、時間を要する課題や難題が
潜んでいるということになってくる。また最も身近なフレーズとして
「昨日、云ってくれれば良かった」と云うのがある。
気の利いた人間なら、寝る前に 「明日の行動の段取りを決める」
一方で、朝になって子供から 「体育着に名前を刺繍してくれ」と、
云われ 「昨日、云ってよ」と、いうことで、まったく時間に余裕が
持てない光景は、子育て真っ盛りの時期には日常茶飯事の様に、散見
される光景である。
その点、天気予報士は紳士・淑女的に前夜に「明日は晴れか雨か」
云ってくれる。ところが地震の場合は「明日、大地震が来るとか津波
が来るとか」は云ってくれない。
実際に大地震が来たときに、良き慣習や習慣が定着している地域に
おいては、命が守られ・救われる。そして、個々人についても・・・
「日頃から 『郷に入りて・後・郷に従え』と、いう生活習慣が身に
ついているか・否かを問われる。これは旅行先のホテルや旅館で寝る
前に非常口を確認する習慣が身についているか・否かからも、簡単に
セルフ・チェック出来ることと云える。
201 同じ地域に住む住民同士の連携
私は、日本列島に激震が走った 「あの日のこと」を、忘れない。
2011年3月11日(金)晴れ 東日本大震災
あの日は、家内の創作による昼食を楽しみ満足感の後でゆったりと
したくつろぎの時間を過ぎしていた。そしてルーティンのように朝刊
の1面に目を通して、紙面をひっくり返し、テレビ案内欄を確認して
録画の目算をしていた。一方で、家内は午後に予約していた美容院に
出掛けていた。
そして、あの時はテレビのリモコンを取りに行こうとしてリビング
のテーブルに向かって、歩き出したところで、突然、部屋中が大きく
揺れ始めた。飼い犬「もも」に声をかけると駆け寄ってきたので小脇
に抱え、咄嗟の判断で、2階の上屋部分が乗っていないエリアで1階
だけの造りになっている場所として・・・
「玄関と洗面所・それから・風呂場が脳裏に浮かび」安全対策として
出口の場所に近い玄関口に避難した。次に、玄関の扉は開けておいた
ほうが良いと考えて、玄関の扉を外側に押し出した。
玄関口そして道路からの玄関アプローチの場所であれば、上部から
の落下物はないと判断。例え外部からの飛散物があっても屋根がある
ので安全な避難場所であると即断した。
家内が外に出ていることから外部の状況も確認しておく必要がある
と考え、外の比較的広い場所に移動して電柱の様子を見るも、電柱が
根元から折れる様な心配はなさそうである。しかしながら、電線類は
激しく揺れ動いていた。
同じ場所に近所の方々も集まってきて 「凄い地震ですね」と声を
掛け合っていると、若い奥さんが小窓から顔を出してきて・・・
「この様な時にはどうしたら良いのでしょう」と、声をかけてきた。
「奥の部屋で子供たちが午睡していて動きがとれない」様子である。
私もその声によって思わず我に返り「地震も治まってきた様です」
この様な時にはお互いに「テレビで状況を確認しましょう」という
返事をして、めいめいに家の中に入ることにした。
家の中のテレビは、つけたままにしてあったので、早速、テレビの
情報にかじりつく。
「テレビニュースによれば、津波の予報として東北地方の太平洋側に
太く長く赤い線が引かれていた」
その後も余震は続き揺れが大きい時には、外の避難場所に飼い犬を
抱えての移動を繰り返した。避難場所では隣近所の方々とも、次々に
情報を交わす・・・
「近くのスーパーマーケットでは地震の影響でスプリンクラーが作動
して店内で悲鳴が聞こえた」と云う。これはスーパーマーケットから
帰ってきたばかりの方からの情報である。
子供たちから「お家のシャンプーのビンが割れちゃったの」
若い奥さんからは「食器棚が倒れそうで懸命に支えていた」
などなど、いずれも貴重な情報であり家に戻って飼い犬を小脇に抱え
たままで室内の点検を始める・・・
「台所の食器棚の引き出しが半分近く前に迫り出している」
「棚の食器類も手前のものが落ちそうだが扉で止まっており扉を開け
れば落下するという状態」
「大型の整理ダンスのレール付の引き出しが前に迫り出している」
「液晶の薄型テレビ42型はサイズが大きいだけに大揺れしたものの
固定パッドの効果によって、なんとか倒れずに耐えた」
などのことを確認した。
ご近所との情報交換や連携を体験する過程において感じたことは、
「いざ地震という時に、全国の状況は、テレビで分かるが身近な状況
把握は近所からの情報が不可欠であることを肝に銘じた」
「それ故に、日頃からのご近所付き合いは、極めてたいせつであると
感じた」
家内も、間もなくして、買物袋を自転車の後ろに載せて帰って来た。
「美容院の隣接地にスーパーマーケットがあるので、ついでに寄って
買物をしてきたようである」
「美容院では座席に着いて髪の手入れをしている時に、大きな揺れが
来たので美容師さんと一緒に外に出たのだと云う」
地震の揺れもおさまって店内に戻りテレビを見ながら髪の手入れを
終わったというが、美容師さんの仲間には、東北地方出身の方がいて
それも、実家の母親がテレビで報じている津波注意報の海岸線付近に
暮らしていて自宅の前が海だということでもあり、ひどく心配されて
いたという。その後の確認で、母親はスーパーマーケットに買い物に
出掛けていたため無事であったという。
202 帰宅困難者と情報ネットワーク
関東全域でも2011年3月11日の地震の影響は広範囲におよび
時間の経過と共に交通網が寸断されて行き、都内では夕刻から大混乱
が始まっていた。
帰宅ラッシュの時間帯に駅の構内を閉鎖するところも出てきて事態
は、ますます大混乱に陥った。そして、東北地方の地震と津波そして
原発事故の影響は日を追うごとに、緊迫した状況となって行き、その
影響は日本列島の全域に波及していった。
これらの状況をいちはやく把握した海外の政府機関は、素早い対応
によって自国への緊急避難措置を取り、一部の人々は帰国を決行した。
そして、その時点で他の人々も着々と帰国準備を始めていた。これら
の報道を見ていて、私は日本政府が発表する報道の遅れに一抹の不安
を抱いていた。
そのような状況の中でアメリカなど諸外国の政府や、日本において
も一部の民間企業の迅速な判断や俊敏な行動力には、敬意の目でその
動向を注視した。
一方でテレビ報道などの大局的に物事を観て行く報道も、もちろん
重要であるが、このような時には「今日と・明日を・どうするか」と
いうところの日常的なレベルでの、生活情報などの入手がより重要で
あったが、それが、まったくといってよいほどに欠落していた。
私は、地震の翌日に身内に連絡をとって安否確認をした。そのとき
に最も大きな影響を受けていたのは、群馬県に、住んでいる妹家族の
ところと、迅速な対応を必要としていたのは鎌倉ファミリーのところ
であることが分かった。
たまたま妹ファミリーのところでは近所に住んでいる長女宅で長女
自身が東京都内に新人向け出張研修に出掛けており、その娘も大学の
同級生と都内で会うことになって出掛けていたという。
長女は最近になって大手のドラッグストアーに就職することになり
新人研修が、東京都内で行われることになって、群馬県からはるばる
と出掛けていた。そして、帰宅困難者になってしまったのであった。
ご主人の大活躍により、研修中の長女(ご主人の奥さん)とはなん
とか連絡が取れて、自家用車で都内まで迎えに行く段取りが取れたが
娘とは連絡が取れず同じ車で連れて帰れればと携帯電話で連絡を取り
続けたが、ついに連絡がとれず、同じ大学仲間も一緒と考え、自分で
自分を安心させて、奧さんだけをその日のうちに連れて帰ることにし
たのだと云う。
その後、娘は大学仲間たちと一緒に避難所に逃げ込むことが出来て、
翌日には無事に帰宅の運びとなったと云う。
【鎌倉ファミリーの脱出から救出までのドラマ】
一方で、鎌倉ファミリーは、若旦那が東日本大震災が発生する前日
に中国への出張で出掛けていて、帰国予定は、3月下旬が予定されて
いたため、娘が、鎌倉での家事や雑用が片付き次第、入間市まで孫を
連れて緊急的に帰省することになっていたが、入間市に、実際に到着
する日時までは未定であった。
一方、東日本大震災発生当日から、交通機関は寸断されていたので
鎌倉からタクシーを使っての帰省が一番確実ということになり、震災
の翌日には入間市に帰省した。
それから約3週間にわたって鎌倉の娘と孫は入間市の我が家で一緒
に過ごすことになった・・・
「結果的には好判断であったと今でも思っている」震災後は間もなく
して、それぞれの地区全域で計画停電が始まり前日のインターネット
上の記事をみて、停電する時間帯を把握、その情報を基に翌日の生活
の時間割を決めて行くと云う状況であった。
「朝・昼・夕刻の食事の時間帯」と、お風呂の時間帯の割り振りには
一番気を配った。その様な日々を過ごしているうちに、LED照明の
懐中電灯による強力なライトの存在を知るに到り、それを手に入れて
からは時間割の遣り繰りにも余裕が出てきた。
「T&K:ついの棲家Ⅱ」の間取り設計においてグッドデザイン的に
評判が良かったのは、2階の北側のクローゼットの存在感であった。
設計段階では背面光線が狙いであったが・・・
「計画停電時は月明かりにおいても手元が見える」と、いうことで、
クローゼットから服を取り出す時に便利であった。
私と家内と娘と孫と三世代暮らしで「計画停電から来る戦時体験」
の様な生活環境であったが 「助け合って生きて行く」絆の強さの
重要性を、お互いに感じ取った。
当時は、スーパーマーケットの店頭から・・・
「ミネラルウォーターが姿を消し」
「ヨーグルトのような日常品の入荷が途絶えて」
その都度、家族で手分けして、日常的な必需品の調達に走り廻った。
鎌倉から若旦那が迎えに来て娘家族が帰るという時には「安堵感」
とともに「もう少し泊まっていったら」と、いう家族同士の情愛の
余韻のようなものが胸中に残った。
203 緊急ネットワークによる情報交換
東日本大地震という緊急事態の後における、身内とのお互いの安否
確認のコミュニケーションの中で、群馬県の妹から日常生活にとって
重要な情報が寄せられた。
妹ファミリー近郊のスーパーマーケットの担当者の情報によれば、
「食料品やガソリンなどのあらゆる物資が東北地方に向けて緊急輸送
されている」と、云うことであり、1週間もしない内にガソリンなど
が不足してくる可能性があり、自動車の燃料だけは、早目に補充して
おいたほうが良いという話であった。
私は「すぐに、ガソリンスタンドに出掛けて燃料を補給した」それ
から間もなくして、近郊のガソリンスタンドの多くが閉鎖となった。
【米軍によるトモダチ作戦の展開】
未曾有の大災害としか云いようのない「東日本大震災の発生」から
間髪を入れずに、迅速な経営判断をして、俊敏に行動を起こしたのは
全国規模のスーパーマーケットや大手の民間企業であった。
大手スーパーマーケットは日本全国に店舗を配置しており、それら
の店舗を支える流通と情報の機能を世界的なネットワークを張り巡ら
すことでキメ細かく統括している。その上で物流部隊をダイナミック
に動かしているので、その俊敏さは身上でもある。
勿論、災害発生の現地において指揮統制をとる警察や消防・自衛隊
など国の治安維持や防衛などの使命(ミッション)を担う関係機関の
俊敏な行動は、このような大災害発生時には国民の命綱を握って離さ
ない信頼のおける組織であることは、新聞やテレビ報道などを通じて
誰の目にも鮮明に焼きついた。
またアメリカ政府によって派遣された米軍による「トモダチ作戦」
には、日米の絆の強さが想像以上のものであることをあらためて認識
させた。
しかし、そのような命がけの献身的な活動の一方で日本全体の空気
というか国民の気持ちの在り様、云い換えれば国の全体的な雰囲気と
して、東日本大震災発生から四十九日の間は、日本的な仏教観として
国民全体が喪に服したといえる。
そして震災地における四十九日の法要の報道あたりから、あらゆる
面で大きなうねりが起こり始めて「このままではいけない」と、いう
国民的な感情が高揚してきて「なんとかしなくては」という前向きな
気持ちが動き始めたことも確かである。
ここで思い出される「月は東に・蕪村の夢・漱石の幻」森本哲郎著
において紹介されているオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが説く
「人間の三つの生き方」は、ホイジンガの名著「中世の秋」のなかで
「いつの時代も遠い目標を目指し人間は三つの道をみいだしてきた」
○ 第一の道は宗教的な道
○ 第二の道は政治的な道
○ 第三の道は芸能や文化につながる道
と、している。
それでは、東日本震災後の遠い目標に向かってのうねりは・・・
「どこから始まり」
「どのようにして大きなうねりに発展していったのだろうか」
米軍によるトモダチ作戦の献身的な活躍が、引き金になったことは
間違いない。ホイジンガの唱える「三つの道」を思考の軸にしてこの
うねりを振り返ってみると第三の道といえる芸能・文化に係わる人々
がボランティア活動という方法で現地に出向いて支援や応援を始めた。
また遠隔地からテレビなどを通じてライブ中継で、被災地に向けて
支援活動をする動きも盛んになっていった。
第一の道といえる宗教界では、被災地における死者を弔う仏教的な
供養が絶え間なく行われて、被災地の方々の心を慰めた。そして被災
の規模が未曾有のものであっただけに行方不明の方々に対しては供養
の施しようもない場面も出てきた。
第二の道といえる「現世を改良・改革」して良い方向に持って行こ
うという面から政治に目を向けたときに、被災地における県のレベル
市町村のレベルでは役所の方々が、自分自身、被災している中で懸命
な支援活動をされていた。
【文学者の行動力と計り知れない影響力】
東日本大震災発生後に多くの外国人が日本を去り、多くの外国人が
日本を訪問することに躊躇していたなかで、コロンビア大学退職後の
ドナルド・キーン氏が日本への永住を決意された。
その表明には日本国内はもちろん世界中の人々が注目しかつ驚いた。
そして、2011年9月初めに、米国での家具などの処分を済ませて
遥か遠い日本の地にやってきた「ドナルド・キーン氏の永住」に向け
た行動は、計り知れないほどの影響力を発揮したと考える。
当時は世界に向けた日本からの原発事故に関する情報発信が少ない
ために、極端なケースでは、日本列島全体が原発事故による放射能の
影響を受けているという印象すら与えていた。
確かに地球儀感覚で観たら日本列島の地形は目には小さく写るので
福島県で起きている原子力発電所の事故というよりも、日本列島全体
を覆う規模で、被害が発生している原発事故という捉え方も出てくる
ので「日本列島は、全体的に危険である」と、いう認識になって来る
可能性もあり得た。
このような世界的な誤解ともいえる認識の中において・・・
「世界的に、高名な、日本文学の研究者であるドナルド・キーン氏が
まさに、ご自分の人生を掛けて 『日本への永住宣言』を、されれば
世界中の人々が日本は安全な国であることを知っていただくため」に、
これ以上の説得力はない。
ドナルド・キーン氏といえば、世界的にも良く知られた話題として
1940年にアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」を購入され・・・
「最初は、本の分厚さに比べて安価であることに魅力を感じて、この
著書を購入されたと聞いているが、やがて『この物語に感動を覚え』
漢字そのものにも興味が湧き日本研究の道に入ったと云われている」
日米開戦に伴い米海軍日本語学校に入学して日本語の訓練を積んだ
後に、情報士官として海軍に務め、太平洋戦争では日本語の通訳官を
務めた。そして復員後はコロンビア大学に戻り角田柳作の下で修士号
を取得している。
一方で「戦後の日本人の節度ある行動」に、感銘を受けたドナルド
キーン氏は、その背景にあるものを知るため日本文学にも大いに興味
を持ち研究を深めていった。
研究成果として、日本文学の多くが彼によって英語訳され、欧米に
広く紹介されている。彼の「日本文学撰集」(1955年)において
は徒然草についても言及しており「おくのほそ道」の英語訳もある。
ドナルド・キーン氏は、昭和の文豪・三島由紀夫の親友でもあった。
三島由紀夫は「日本文学小史」の中で光源氏の20歳の青春の絶頂期
である花宴巻と、36歳の壮年の絶頂期である胡蝶巻を賞賛。人間が
感じる快楽がこの二つの巻において盛りの花のように咲き誇っている
と感嘆し、優雅なるフランスの宮廷画家ワットーの世界を思わせると
述べている。
しかし、ドナルド・キーン氏は、三島由紀夫よりもいち早く自著の
「日本の文学」の中で、源氏物語の美しさと儚さをワットーに喩えて
表現している。そのドナルド・キーン氏が日本国籍を取得して東京都
北区の区役所での記者会見をした時の写真が新聞記事として報じられ
ていたが、まだ、昨日のことの様に覚えている。
204 東日本に向けて黙祷
震災から3年間が経過して、2014年3月11日には国立劇場で
「東日本大震災三周年追悼式」が行われ、その模様はNHKのテレビ
において中継が行われた。
私も3年前の大震災発生時刻「午後2時46分」に黙とうを行った。
黙とうは、死者1万5884人の方々の鎮魂をお祈りするものである。
また行方不明者2633人の方々についても、一刻も早くその身柄が
親族の元に戻ることを願うばかりである。
そして避難者26万7419人と云う大規模な人数にはただただ驚く
ばかりである。同日の特別番組では・・・
「父親と息子の二人家族が避難所から新居に移り」かつて一緒に暮ら
していた家族4人の遺影の前において息子さんの誕生日を祝うシーン
がテレビ上映されていた。
この新居に移った親子を見ていて「避難者にとって現実的な夢」は
「震災被害で失った『終の棲家』を再び取り戻すこと」ではないかと
感じた。ここ3年間でもっとも問題となっていた「がれき」の95%
が処理され、現地では地盤のかさ上げが進みつつある。復興への弾み
車を回すために政府機関の若手有力議員も熱心に被災地に通って地元
の意見を一生懸命に吸い上げている。
オランダの歴史家ホイジンガの言葉を借りれば政治の世界から若手
のエース登板ということになれば・・・
「地元の完全復興と云う時間のかかる遠い目標とはなるが若手議員が
復興への弾み車を辛抱強く回すことで、避難者の方々が一度は失った
『終の棲家』を公営住宅なども視野に入れて、再び手に入れるための
大いなる助けになって行くと考える。
第3部 久々の京都旅を振り返って
はじめに
早いもので、入間が丘の「T&K:ついの棲家」に引っ越してから
今年(2024年)で14年が経過することになる。八十路を越えて
文筆活動にもなんとなく勢いを無くしていたが、パソコンに向かった
ときの目の疲労軽減を考えて、大型版の27インチのディスプレーに
交換、パソコン本体も高速処理が出来る新鋭機に替えた。
そして、従来は、飼い犬「もも」との付き合いで旅の楽しみは家内
からの土産話で善しとしていた。これは飼い犬が晩年「ペットホテル
に預けて旅に出ると、帰宅時に人間かと思う程に愚痴を云う様に成り、
可哀想な思いもあって一緒に、留守番をする様になったという経過に
よるものだが、その後、飼い犬が天国に旅立ってからは、久々に家内
と連れだって旅に出掛ける様になり、旅の執筆などに向けて散文家と
しての心が動き始めた。
2023年初春には、九州(指宿)の「白水館」に泊まって温泉の
魅力を思い出し、初夏には青森の宿で温泉を満喫、この二つの旅で旅
の楽しさを思い出したのだが、まだ、文筆に繋げるまでのエネルギは
不足気味であった。
しかし、直近で、2023年師走の1日から4日間「京都」「滋賀」
「岐阜」および「奈良」の4県を飛び回る旅をして、かつて定年後の
11月下旬に京都に出掛けて俳句仲間のシェフさん(俳号)と永観堂
の紅葉を訪ねて感動したことや、その直後にも、家内と共に京都旅を
したことなどを想い出し、当時は、文筆活動に熱心に取り組んでいた
ことを想い出して、八十路の旅についても、散文家として旅の足跡を
を記してみようかという気持ちがもち上がってきた。
本文では、我が家から西武線に乗って、集合場所の東京八重洲口まで
時間に追われて、ドンピシャで集合時間に間に合ったことや旅の5日前
に我が家の2階からの階段を降りるにあたって残り2段で危うく大怪我
をするところだったことなども振り返りながら、執筆を始めてみること
にした。思えば、後期高齢期に到って怪我などをしない様に考え抜いて
「T&K:ついの棲家」を設計してきたつもりであるが、歳を重ねると
いうことは、家のどこにあっても油断禁物であり、足元をしっかり観て
歩を重ねることが、なによりも大切と痛感している昨今である。
301 両膝打撲の必然性
八十路の旅日記の前に、両膝の打撲について、それは必然であったの
かを自らに問う必要がありそうだ。
京都を主目的とした関西の紅葉巡りについては師走のビッグイベント
として特別な扱いをしていた。例えば、胃の内部に発見されたピロリ菌
の退治にしても、11月中に対応することも可能であったが医師の了解
を得て、関西旅が終わってからと慎重な計画を建てた。
実は、10月の定期健康診断の胃部のバリウム検査において、悪性の
可能性は少ないが、胃カメラによる精密検査を勧められたものの家内が
利用している病院などでは予約が混んでいて年明けになる見込みであり
私のかかりつけ医ではCT検査は可能であるものの、コロナ対策を重視
する主治医の判断で胃カメラは行っていない。
いずれにしても胃カメラによる精密検査を勧められたからには急いだ
ほうが良いと判断した。そこで考えた。近所の胃腸科内科医でいつでも
予約なしで胃カメラの検査が可能な処を聞いたことがあるので、病院を
外から覗いてみることにした。
外観で見る限り、特に問題はないと判断して、電話をするとこちらで
考えた該当日は主治医の研修日にあたったため第2候補の日時を伝えて
予約なしで、検査が可能であることを確認した。
当日は、早朝に一番客として病院の玄関口に立ち、胃カメラを鼻から
挿入するので痛くないと云う胃カメラ検査を受診した。検査結果は即断
で医師から伝えられて「悪性の症状は確認されない」ただし胃部の赤み
や一部の萎縮から「ピロリ菌」の可能性があるとして、血液検査による
ピロリ菌の判定検査を行った。
結果、胃部にピロリ菌が確認され、投薬による除菌の必要性が生じた
ので「1週間分のピロリ菌を除去する薬」をいただいた。この時に医師
には関西旅行が済んでからとお願いして了解をいただいた。
そんな心配はないようだが、旅行前に投薬によって身体の不調などが
生じてもと、慎重な対応をしたのだが、ドッコイ人生は甘くなかった。
旅行の出発日(12月1日)の五日前に、2階からの階段を降りる際に、
最下部の二段を残したところで階段を踏み外した?
しかし、この時に、両膝を打撲することになった経緯が思い出せない
のだ。気が付いた瞬間は左の膝で体重を支え、右に倒れて右膝で全体重
を支えていた。
階段を降りる時に、前方を家内が駆け下りていた。私はその後を急ぎ
足で降りて行き、前傾姿勢が強ければ、家内を後ろから押し倒していた
可能性もあり家内に怪我をさせていた可能性もある。そして右側に倒れ
たのは右側に空スペースがあったからだが、瞬時にそのような空エリア
を認知して着地するような判断が出来るものだろうか?
もしそれが瞬時に出来たのであれば、それは、テニスや卓球で身体を
運ぶ訓練の賜物なのだろうか?
両膝打撲の治療のために訪れた接骨院のドクターのご意見を拝聴すれ
ば、階段2段辺りからの落下事故では骨折や頭部の強打など重傷事故が
多いのだと云う。その様な説明を聞くに及んで、その瞬時の記憶がない
だけに、階段に立ってシュミレーションしてみたが、左足の打撲は瞬時
の打撲であったため内出血のみで済み、右傾斜で全体重を支えた右膝は
膝の関節内の出血と右膝の強打で痛みが生じたようだ。
旅に出掛ける5日前という図ったようなタイミングで治療に専念した
ため、旅先への出掛けに支障はなかったが、実際の旅先においては1日
約1万5千歩の競歩と神社仏閣ならではの石段の連続が待っていた。
実際に、現地では旅先で親しくなったご夫妻の奧さんが旅先の1日目
の湖東三山の寺院で、石段を降りる際に、最下段の石段で足首を捻って
捻挫をしてしまったのだ。この場合の湖東とは琵琶湖の東側に位置する
寺院だが、その後、奧さんはホテルのバスタブに水を張って足首を冷や
したり、添乗員さんのサポートで、足首にシップを貼って4日間を完歩
したが我が家で膝打撲をした私からすれば自宅で旅行前に手当て出来た
ことを不幸中の幸いと考えることも必要かも知れない?
302 初日は琵琶湖(湖畔)のホテルに宿泊
さて、長年(13年超)住み慣れた自宅の階段(最下段)を踏み外
して両膝を打撲してから20日間が経過する。京都などの関西方面の
旅からは、帰宅後10日間ほどが経過した。
師走の旅というビッグイベントに区切りがついたので、帰宅後には
早速、ピロリ菌を除菌するための投薬を1週間続けて、旅の後の宿題
は片付いた。膝の打撲の経過も良好なので昨日は接骨院通いを1日間
だけ休んでみたが、まだ膝に違和感があり膝立ちは無理なのでタンス
に洗濯物を収納する時などは、まだまだ不便である。
接骨院のドクターの診断では 「膝の腫れが引いてきた」と云うが
膝立ちでタンスに立ち向かうにはまだまだ時間がかかりそうな気配だ。
したがってテニスなどはとても無理な状態で卓球ならば無理しなけれ
ば「まあまあ付き合えるか?」といった状況までは回復してきた。
それにしても、紅葉鑑賞の旅の初日(12月1日)は琵琶湖の湖畔
のホテルに泊まり、朝方の寝不足や両膝打撲などの憂いをまさに洗い
流す思いで温泉に浸かったのだが、その効果もあり夕食のバイキング
料理を目一杯いただいて、なんとか4日間の旅に目途が付いた。
鎌倉ファミリーとの伊豆方面の老舗旅館を舞台にした3回のコロナ
前の旅と比べると、そのキメ細かな至れり尽くせりの手の込んだ料理
と比べることはムリな話だが、それでも琵琶湖のホテルのバイキング
において家内が見付けてきたローストビーフの美味を思えば善しとす
るおもてなしであった。
琵琶湖(湖畔)のホテルはかねてより泊まりたいホテルであったの
で満足の行く1泊目ではあった。湖東三山の金剛輪寺と西明寺の紅葉
を楽しんだ後に、琵琶湖の周囲を廻り込むルートで"Hotel & Resorts"
NAGAHAMAに向かったのだが、ホテルの姿を目前にしてまさに
ニュージーランドにおけるサンセットクルーズを思い出すような眩し
いばかりの夕陽に遭遇した。
ホテルに着くと、ロビーにウェルカムドリンクが用意されていたが
我々は先ずは温泉で寛ぎ早朝4時半起床からの旅程におけるストレス
からの解放を優先させて、夕食前の余裕の時間にロービに顔を出して
ビールなどの試飲を楽しんだ。
ディナーは、前述した様にバイキング形式で、大きな丸テーブルに
対面する形で他のツアー客の夫妻と同席して好きな料理を盛り合わせ
て楽しんだ。前述のローストビーフは会食の終盤に振舞われたもので
あり、同席の夫妻と共にその美味を楽しんだ。
会食の話題は、当然、湖東三山における紅葉の素晴らしさであった
が、最初に訪れた「金剛輪寺」は、両膝打撲後の試し歩き初日である
ため出来るだけ丁寧に歩いた。
東京から乗った新幹線こだまが、三河安城駅に近づく頃に降車口に
並び下車を待っているときに、今回の旅の添乗員さんが前側に立って
いたので、自宅における階段からの落下を伝えたところ、金剛輪寺は
バスで頂上の本堂まで行き、紅葉はそこから百段余りの階段を降りる
石段通りに連なっているので、膝への負担感は少ないと思いますと云
う感想を述べていたが、反面、膝には下りの方がきついのではないか
と思いながら、真っ赤な紅葉を観賞しながら、一歩一歩、足元を確認
しながら石段を下りた。
下りの階段の両側には、無数の地蔵が並び圧巻の光景であったが階段
はゆるやかな設えになっていて両膝の試運転には快適であった。
次に訪れたのが「西明寺」であった。ここは、登り階段が急な傾斜で
杖が用意されていたので拝借して杖を支えに登ったのだが、杖の使用は
慣れていないため階段を登り切ったところでよろけて危ない思いをした。
先陣を切って登っていた女性が上方で「残り一段と思いながらこけた」
と云う声を耳にはしていたのだが、どうやら同じ地点で、私もよろける
ことになったようだ(杖はかえって危ないと直感した)
西明寺の本堂内では僧侶による講話があり、かつて西明寺も織田信長
によって境内に火がはなたれ本堂も焼失の危機に晒されたものの僧侶達
の即断で本堂の前の樹々に火を放ち本堂が燃えているような様相を作り
本堂を守りきったのだという。
本堂における講話の後で、我々は本堂の奧に位置する本堂後陣に案内
されて、鎌倉時代からの重要文化財である釈迦如来立像をはじめとして
平安時代の不動明王・二童子像や阿弥陀如来三尊立像そして室町時代の
弁財天坐像・元三大師坐像また鎌倉時代の親鸞聖人坐像など、僧侶から
の詳しい解説に聞き入った。
これらの重要文化財は、織田信長の猛攻に遭遇したときに、僧侶たち
が火の粉を浴びながらもそえぞれに背負って、火傷を負いながらも仏像
の避難に献身したのだという。
本堂を出ると、目の前には、国宝となっている三重塔が位置していて
本堂と同様に釘をいっさい使用していない建築物で、屋根は桧皮葺きで
あり、総桧の建物である。
また堂内の仏像はすべて削り出しかという印象をもっていたがパズル
の様に、総師の監修の下で七人衆などによる組立構造のものもあること
を知りイタリアのレオナルドダビンチの作品を連想した。
303 紅葉ツアーの2日目は最悪のディナーに遭遇
紅葉を楽しむことが主とは云いながらも、ツアー二日目のディナーは
最悪であった。紅葉にも恵まれ、ランチには近江牛のすき焼きが振舞わ
れて、紅葉のライトアップの高揚感にも包まれて、まさにベストプラン
であったがディナーの不作為には背負い投げを喰らった印象であった。
これはツアーを企画したプランナーの不出来であると考えるが気さく
に甲斐甲斐しく世話をしていた添乗員には気の毒な印象であった。
2日目の朝の集合時間は、午前8時30分、ゆとりを持たせた時間で、
全員が集合時間よりも早めに乗車したのでホテルの従業員に見送られて
早目に出発、バスが市街地に出ると、早くも、最初の訪問先の彦根城が
遠方に姿を見せた。
彦根城は「ひこにゃん」の愛称で良く知られているがどちらかという
と小ぶりの城構であるが、現地に着くと場内は予想を超えて広々として
おり、紅葉も見事で池に映り込む紅葉と合わせて見事な景観である。
場内をガイドの方の案内で見て廻ったが、最初は、小ぶりな城だけに
景観などもあまり期待していなかったが、実際には見下ろす城下の景観
も含めて見応えがあった。
関ケ原の合戦で前哨戦に耐え抜いた大津城を移築して、あえて政治的
な意味合いから三層の小城にした経緯を聴くに及んで玄宮楽々園の茶会
なども催せる社交の場作りなどに注力していることから、いにしえの時
の流れをおもんばかると、一度も戦火に見舞われることのなかった国宝
としての名城として、その存在感を心底から感じ取ることが出来る。
(そこには藩主井伊家の知略すら感じ取れる城ともいえる)
次いで訪問した、紅葉の見どころは湖東三山の「百済寺」で日本紅葉
百選にも選ばれている。境内の鐘楼は、誰でも打ち鳴らすことが出来る
ので皆で列を成して順次、鐘楼を打ち鳴らした。境内では庭園風の紅葉
を近景でも遠景でも眺めることが出来てツアー客の満足感も高かった。
紅葉した庭園では、二季桜も花を咲かせていて、紅葉客の興を誘って
いた。日本の気候も最近は急激な温暖化により、季節の変化が四季から
二季に変わりつつあり、四季薔薇に思いを馳せながら複雑な心境に誘導
される思いがした。
百済寺の駐車場で定刻になってツアー客の全員が確認されるとバスは
昼食を摂ることになっているお土産店に向かい、店内の食事処に案内さ
れた。テーブルには、近江牛のすき焼きが用意されていて、すき焼き鍋
には火が灯されており食べるばかりの準備がされていて、まもなく食事
処一帯には牛肉独特の香ばしさが漂った。
朝食ではバイキングで好物を平らげて昼食には香ばしい近江牛を食し、
申し分のない食環境に恵まれ、この時点では地獄の夕食会など誰も想像
していなかった。
昼食後は腹熟しも兼ねて、銘菓を提供している「たね屋(本店)」に
向けてウォーキング、それぞれにお土産の銘菓を買い込んでバスに乗車、
次の出発点に向けて楽しみを膨らませた。
次の訪問地は「光明寺」であった。光明寺のもみじ参道は、両側から
楓の木々が大きく枝を伸ばして紅葉のトンネルを形作り、地上に落ちた
紅葉とも一体感を成して幽玄な美しさであった。
バスはやがて本日のビッグイベントである「大覚寺」のライトアップ
による紅葉観賞の楽しみに向かう。夕暮を待つ大覚寺の大沢池は静寂の
なかで、閑にその時を待つ。
定刻の午後五時に大沢池の周辺に配置されたライトがいっせいに灯る
と静けさの中に、突如、いっせいに紅葉の姿が浮かび上がる。周囲から
拍手が沸き起こり、既に、ライトアップされた紅葉を観るのとは臨場感
が違う。ライトがいっせいに点灯される瞬間にこそ価値があるのだ。
この瞬間は、夜間の特別な優待客だけに用意されたもので事前に説明
に当たった僧侶の顔までも神々しい印象である。
我々は紅葉眩い大沢池の周囲をそれぞれに散策した後で本堂に上って
参拝、参拝後はバスに乗車、京都市内の渋滞の中を走ってイオンモール
に到着、このイオンにおけるディナーが、バイキング形式で提供されて
いたのだが食事処は混雑していて、料理も若者向けといった印象で待ち
行列も長く最悪のディナーであった。このディナーの料金は2500円
と聞いているので、ならば高級弁当の選択肢もあるのではと考えた。
終日が、ご機嫌な旅であったためホテルに向かうツアー仲間には落胆
と共にどっと疲れがおそった印象であったが、それでもホテルでルーム
カードを受け取るといっせいに、各自の部屋に向かい、我々も気分転換
も兼ねて風呂に浸かり明日に向けての行動計画と明日の身支度を整えて
眠りについた。
304 魅力の尽きない永観堂とみかえりの阿弥陀さま
紅葉ツアーも三日目ともなると、ツアー客同士で親しみも湧いて来る。
ホテルのレストランは、スペースが限られているため、午前7時からは
入場制限があるというので「まだ早いかなと思いながら」レストランに
足を運ぶと、顔見知りの方々が、既に、列を作っていてこちらに向けて
いっせいに会釈をしてくる。
間もなくして、入り口で、係の案内に連なってテーブルに着くと前菜
コーナーには、既に長蛇の列が出来ていて、どうやら限られたスペース
にバイキング形式の食材の配置をしているため、前菜を前にして種々の
選択を迫られるスペースの連続には自ずと渋滞が生じているようだ。
京都市内の大きなホテルは、慢性的に、紅葉見物の顧客で混み合って
いるため、自ずと、大小を問わず、宿泊施設は、どこも満席状態にあり、
今回のホテルも連泊の設定になっているが、どこの旅行会社もホテルの
確保には、大いに苦戦しているようだ。
今回、一泊目を琵琶湖(湖畔)のホテルとしたのも京都中心部の宿泊
施設の確保は極めて難しく対応策としての琵琶湖周辺での宿泊の選択と
思われる。しかし、今日の様に南禅寺辺りの紅葉見学を考えると、予め
京都市内に前泊して渋滞の起きる前の時間帯にツアー客を紅葉の中心部
に送り届けることを考えると、兎に角、紅葉処の中心部の近郊に泊まる
ことの出来るホテルを確保することが最優先なのだろう。
我々が泊まったホテル直営のレストランもイタリアンの店であり前夜
の時点では、翌日のディナー席は予約満杯であった。したがって周辺の
「食事処も事前の予約で埋まっていないか?」 ホテルのフロントでは
前日に出掛ける前の時点での確認を促していた。
(当日の夕食は、各自の自由食として、プランニングされていた)
そのような事情で、前夜のディナーに懲りたツアー仲間の面々は手際
良く朝食を済ませ、遅滞することなく、朝の集合時間の午前8時よりも
早めに集合して、京都の紅葉の中心部に向けてバスを出発させた。
紅葉ツアー3日目の最初の訪問地は「下鴨神社」であった、我々とし
ては初めての訪問地でもあり、今までの石段を踏んでの訪問とは違って
砂地を撒いた平坦地を軽快に歩き、本殿の前のそれぞれの干支の守護神
に御参りをしてから本殿内部への参拝に向かった。
本殿の内部は豪華絢爛な雰囲気で、本殿から望む周囲の樹々の森の奧
を思わせるエリアには神聖な空気を感じ取った。そして、バスに戻った
我々は清水寺へと向かった。何度も登ったことのある懐かしい緩やかな
坂道ではあるが、人垣を縫って行く様な道程であるため、入り口に辿り
着くまでにはだいぶ時間がかかった。
やがて辿り着いた清水寺の舞台からの紅葉の眺めは視界に大きな広が
りをみせて見事であった。そして、そこをまた人垣を抜けて、今度は脇
から清水寺の舞台を観るのだが、その紅葉の景色もまた見事であった。
その後は、京都の紅葉の中心地である南禅寺方面に、バスで向かった。
バスに乗車する前に、添乗員の遠藤さんに南禅寺方面では今回のツアー
の対象にはなっていないが「永観堂を参拝する余裕はありますか?」と
訪ねたところ・・・
「現地にバスが着いた時点で、永観堂の拝観を希望する方々には、私が
最初に、入り口まで、ご案内します」という嬉しい返事をいただいた。
そして現地に到着すると「ほとんど全員が永観堂の拝観を希望する」
ことが分かって、全員が添乗員の遠藤さんに連なって永観堂に着いた。
現地のガイド役の女性の説明によれば・・・
「今年は、紅葉の時期が10日間ほど遅れていて、永観堂では、今が
一番の見頃を迎えている」との嬉しい説明があった。
私は、かつて定年(60歳)後の11月下旬に京都在住の俳句仲間
に迎えられ、京都駅から地下鉄を利用して南禅寺を訪れて、哲学の道
などを散策して脇道に入り込み漬物をうどんに載せて食す「うどん店」
で美味しくいただいたが、食すまでには長々と並んだ行列に並んだが、
おいしくて・また・珍しい「うどん体験」をした。
その後はまた哲学の道に戻り道沿いにシナモンの香りを嗅ぎながら、
永観堂まで足を延ばして、参拝したことがあるが、その時の永観堂の
紅葉は幽玄な光景で 「紅葉が陽光を浴びながらハラハラと散って」
それは見事な紅葉観賞であった。
その後も、家内と一緒に、永観堂を拝観したことがあるが・・・
「みかえり阿弥陀さまのお姿は忘れがたく」
「何度でも訪ねて拝観したくなる魅力的なお姿だ」
また永観堂の案内書にもあるが・・・
「遅れるものを待っていてくれるお姿」
「思いやり深くまわりをみつめる姿勢」
「そして人々と共に正しく前に進んで行かれるお姿」
これらの阿弥陀さまの思いが私たちに伝わってくる様な眼差しは
なんど、拝観しても、また拝観したくなる魅力なのだ。
その様なことを想い出しながら、今度も、また家内と共々永観堂
を拝観出来た喜びは今回の紅葉ツアーの核心であったと云える。
紅葉観賞ツアーの3日目のライトアップは 「光明寺」であった。
光明寺は尊王攘夷運動の嵐が吹き荒れる中で松平容保公が京都市中
警護の命を受け京都守護職に任じられて、文久2年(1862年)
に入洛、この地に本陣を構えた。
境内の北東には会津藩の墓地などもあり、新選組の前身にあたる
集団が境内で、武術の訓練に当たったことも、テレビドラマなどで
良く知られている。その時の宿坊における収容人数は千人を越えて
いたというから驚くばかりである。
光明寺のライトアップが始まるまでには時間的な余裕があるため
説明役の専従者がお二人、案内役として付き添い多くの重要文化財
などをご紹介いただいた。なかでも中山文殊と云われる京都市指定
文化財は運慶作と伝えられており、本尊が獅子に跨ったお姿はまさ
に躍動感あふれる印象で脳裏に深く刻まれた。
天井に龍の姿を描いた部屋には思わず魅入ったが、高名な画家の
作品で親子二代で龍を描く作家として良く知られている方なのだと
云う。案内者の方の説明ぶりは巧みで、皆で、聴き入ったがあっと
いう間にライトアップの庭園に到着して、それぞれにビニール袋に
入れて持参していた靴を履いて、庭先に降り、庭園のライトアップ
の紅葉に魅入った。
ライトアップされた庭園の紅葉を満喫した後は、本堂に皆で戻り、
篠笛の独奏に聞き入った。それはそれは見事な独奏で独特な雰囲気
の奏者に拍手を送って、大満足な紅葉ツアー三日目を終了した。
305 奈良からは特急「ひのとり(朱色の列車)」に乗車
紅葉ツアー最終日(4日目)は、バスで奈良の「薬師寺」まで一気
に向かった。世界遺産となっている薬師寺の東塔・西塔では特別公開
を行なっていて「釈迦八相像」を展示、お釈迦様の入胎・受生・受楽・
苦行・成道・転法輪・涅槃・分舎利として、八つの場面が八つのお姿
を介して明快に描かれていて圧巻であった。
分かりやすく説明すれば、東塔にはお釈迦様が釈迦国の王子として
生れながらも、出家して悟りに至る前半生(因相)が、西塔には悟り
の後半生(果相)が表現されているのだが、お釈迦様の大いなる苦悩
をも知ることになり、その後の悟りの宇宙観に引き込まれて行く過程
を説得力に充ちた誰もが眼を見開くことになる展開で紹介している
その後、バスは春日大社に向かったが、春日大社の駐車場でツアー
客は二つのチームに分かれて行動した。全体的に約8割のツアー客は
春日大社の本殿に向かって歩を進めたが、せっかく、奈良に来たので
奈良の大仏を拝観したいと云う勇者が、早足で大仏殿に向かった。
バスが春日大社の駐車場に近づいた頃に、奈良の大仏殿を拝観した
い人たちは、先ずは、大仏殿を拝観して、春日大社本殿に引き返せば
時間的には目一杯だが充分に間に合うと云うガイダンスをいただいて
いたので、少人数であったがチームワーク良く、速歩に近い歩き方で
奈良の大仏殿に行き着いた。途中で鹿たちにも「よし・よし」と声を
かけながら一気に歩を進めた。
仰ぎ見る奈良の大仏を拝観しながら、来観して良かったという思い
を強くしながら、大仏様の周囲を一周して、家内は大仏殿の御朱印を
いただき、その足で、春日大社に向かった。
春日大社に向かう道のりで、春日大社本殿の参拝を済ませこれから
奈良の大仏殿に向かうというツアー客に出会った。
我々は春日大社本殿を参拝した後で脇道にそれて坂を下って行くと、
うどん店に辿り着き、店内に入ると間もなくしてツアー仲間がうどん
を食したいといって入店してきた。我々は先に名物と云われるうどん
を食べてバスに戻ると集合の定刻10分前であった。
(添乗員の遠藤さんの案内通りムダのないスケジュールであった)
その後は、昔、女人高野と云われた「室生寺」を参拝、内陣の厨子
に安置された重要文化財「本尊 如意輪観音菩薩像」は榧の一木造り
で穏やかな作風、日本三如意輪の一つと称されているという。
国宝の「釈迦如来立像」は平安時代初期を代表する一木造りで均整
のとれた堂々たるお姿であり、光背は華やかな彩色が用いられており、
真言宗の修行をする重要な道場の中心的な存在感となっている。
本尊から感じ取れる穏やかな印象は、室生寺を包むような紅葉の姿
にも通じるものがあり、室生寺の紅葉を観賞して穏やかな気持ちにな
るのは、本尊の存在感から来るものなのかもしれない。
本堂から一歩外に出ると国宝となっている五重塔の姿に圧倒される。
それでも屋外に建つ五重塔では国内最少の規模なのだという。近づい
てもっと仔細に見て観たいという気持ちになるが石段の傾斜はきつく
手摺もないので「最後の最期に石段から落ちても」と危惧して、石段
の下から総高16メートルの国宝を観賞した。
こうして紅葉観賞ツアーは無事に全日程をこなして、特急ひのとり
の乗車に向けて津駅に向かった。特急ひのとりは漫画家手塚治虫から
名前をもらった列車で車両は朱色に塗られた印象的なものであった。
津駅に到着すると、近鉄から新幹線に乗り換えて、もてあますほど
の待ち時間をいただいて東京駅に向かった。夕飯は好物の「鰻弁当」
を家内が用意してくれて帰宅まで疲労感もなく帰ることが出来た。
(ちなみに家内は好物の海鮮弁当であった)
夏旅の青森の時にも、帰路の弁当は、鰻弁当だったので、どうやら
帰りの新幹線は鰻弁当で定着しそうだが、飛行機の便だと弁当の種類
も限られていて、最近は新幹線の旅のほうが気に入ってきている。
かつては飛行便が大好きの印象があって、これも長年(40年近く)
航空マンとして航空機用のジェットエンジンに携わり航空マンとして
の誇りの様なものもあって「飛行機の離陸・着陸の快感がたまらない」
などといって意気がっていた感があるが、最近、八十路の旅を重ねる
に当たっては、新幹線のゆったり感が気に入ってきている。
新幹線の旅は、朝の出発が早いケースが多く、家を出発する時間も
当然、早いので抵抗感があったが、西武鉄道においては始発も5時台
から在り、一時、4時半や5時起すれば済むことと云う気持ちに変わ
りつつあり、八十路の旅は「朝は手早く・昼はゆっくリズム」にすれ
ば、新幹線こそ一番という気持ちに変わってきている。
(完)
ヒトとして生まれて・第3巻