ヒトとして生まれて・第2巻

第2巻・ヒトとイヌとの育て愛

はじめに

 鎌倉ファミリーから敬老の日の前触れとして昭島市のフォレストイン
昭和館のレストランに、ご招待いただいた。
(2021年8月21日:土曜日のこと)

「毎回、素晴らしい場所に招待していただいているので、地元の入間市
から近郊の昭島市に、また、あらたな魅力的エンジョイスポットを探し
出したのか?」と家内共々興味を重ねてインターネット記事を手繰ると、

「美しい日本庭園をもつ数奇屋造りの日本料理の老舗:車屋は昭和の森
の中に在り、70名様までご着席いただけるダイニングルームと大広間
から成り、結納などにも最適な個室を有し、さらに茶室やカフェテラス
など、多目的な宴席会にもご利用いただけます。また全てのお部屋から、
庭園を眺めながらお食事ができるという、お楽しみの空間を確保してい
ます」と、いうガイダンスが掲載されていた。

 当日は、少し時間に余裕を持たせて我が家を出発、入間市からは国道
16号線を辿って横田基地沿いの大通りを抜け鎌倉の若旦那のカーナビ
の案内通りに進むとフォレスト・イン昭和館には30分前に到着した。

 昭和館入り口にはコロナ・ワクチン接種会場の案内看板が掲げて在り、
コロナ対策には館を挙げて協力している様子が伝わって来る。現に今回
の和食レストランにおける食事においても直近で1か月以内にワクチン
接種を受けた食事仲間が一人でも居れば、食事代が20%引きの特典も
付いているという。

 今回の場合には、家内が該当期間に5日間の残り期間というギリギリ
の該当となりワクチン証明を持参した結果・・・

 鎌倉の娘が食事予約時にフロントからの折り返しの電話でご案内いた
だいた通り、食事代は全員に向けて20%割引が適用された。

 食事の予約時間は、午後5時からといくぶん早めに設定してあったの
で大広間には、我々5人だけがテーブルに着き、外の景色を眺めながら
ゆったりと食事した。
(午後6時頃には、客が入り始めたが、それでも少人数であった)

 晩秋になれば、紅葉が楽しみなもみじの樹木があり、その前側には大
きな池が位置していて、時折、池の中から鯉が空中に向けて飛び跳ねて
いる姿が目視出来た。
(車屋では、9月から松茸祭りが始まり、秋行事に入って行くという)

 食事の献立は、多彩な・構成となっており「前菜」「椀」「お造り」
「強肴」「冷し」「煮物」「止椀」「香り物」「甘味」と、 調理長の
献立通りに運ばれ、繊細な造りという印象であった。

〇 献立中の逸品は「鱧豆腐のスープ」でその美味は口腔に余韻として
 残った

〇 焼き大根の上に載せられた「牛ステーキ」は、小ぶりながら期待に
 応えた

〇 南瓜・小芋・人参の煮物に添えられた 「利休飴」のたれは絶品で、
 周りに人が居なければ、舌で舐めてしまいたい絶妙な味であった

 甘味が出された時には、思わず、一句を詠んだ
       「白玉の見目麗しき秋の月」 万田竜人

 そして、今回もすっかりお世話になった鎌倉ファミリーとの出会いは
20年前まで遡ることになる・・・

 鎌倉ファミリー統領との最初の出会いは、オーナー(祖母のつき氏)
が後期高齢期にあってもかくしゃくたる健在ぶりで70年超の西洋館
の建屋に、ご自身の設計で併設されたモダン茶室にて、迎えていただ
いた時まで遡ることになる。

 我が家の次女が鎌倉の若旦那と結婚することになり、当日は嫁入り
道具のタンス類を運び込む段取りとなっていて、タンスは大型サイズ
なので、邸内を熟知しているオーナーに適切な置き場所を選んでいた
だくため、お住いの藤沢市のお屋敷から、ご多忙の中、ご出馬いただ
いての段取りとなっていた。

 家具屋さんが到着すると、大型の箪笥類は、予め決められた場所に
スムーズに収まり、以降は茶室にての懇談となり、祖母のつき氏から
は豊富な話題が提供された。

 話題の中で驚かされたのは・・・

〇 この洋館には、かつて「夏目漱石の三女 栄子さんがお住まいに
なっていた」と、お聞きして、その後、鎌倉記念館を訪れて夏目漱石
による直筆の原稿用紙なども拝見、帰宅後は、数々の名作を堪能する
ことになった

〇 祖母のつき氏は「精密な仏画も趣味として描かれており」鎌倉の
菩提寺の僧侶からも頼まれて、その仏画はお寺の目立つ処に飾られて
いると云う

〇 いまだ現役のバリバリの本業は、藤沢地区で、大規模なアパート
経営を営んでおられて、迫力満点のオーナーぶりであった

 その後、私は、夏目漱石の 「吾輩は猫である」の小説家としての
目線に触発されて、私が接してきたところの、歴代の飼い犬との触れ
合いを、飼い犬「もも」、と、私(グランパ役)との、珍問答として
「吾輩は猫ではない」のパロディとして執筆してみた。
 

第一章  家族としての風景の中において吾輩は猫ではない

第一幕  兎に角走れ武蔵野の大地

 吾輩は猫ではない。ましてや自分は犬だとも思っていない。公園で、
グランパからは、吾輩と同じ種族と云われているミニチュアダックス
フンドが親し気に近づいてきても嬉しくもない。

 グランパにトリミングに連れて行ってもらってトリミングが終わる
と茜(あかね)お姉さんが、カズさん(グランパの奥さん)にお迎え
頼むの電話をかけると決まって、吾輩の耳の後ろにしっかりとリボン
を取り付ける。

 茜お姉さんは、このリボン選びが楽しいらしくて吾輩のトリミング
が仕上がった顔を見ながら、これも、茜お姉さんが考えた秘訣らしく、
次のトリミングまで、吾輩のリボンが外れないように、リボンの台座
を作って、その上に、リボンをしっかりと取りつける。

 グランパは、茜お姉さんのトリミングが完了すると大げさに迎えに
来る 「ももちゃんカッコいいね」と、云って両手を広げて来るので、
しょうがないから、いかにも嬉しそうにして、全身で喜び表現をして
グランパの胸に飛び移る。

 茜お姉さんも「やった」と、云う顔をして、私の顔を見てくるので、
感謝の気持ちを込めて、尻尾を振ることで意思表示してみせる。

 そしてグランパがお気に入りのフィールダーと云う車に乗って自宅
に戻ると・・・

「お帰り」と云って、カズさんが、出迎えてくれて、
「お腹、空いたよね!と云って夕食にありつく、いや夕食をいただく。
「夕食は鶏のむね肉を電子レンジでチンとばかりにロースト風にして、
食べやすく刻んだものと、キャベツおよびドッグフードの三種盛り」
になっている。

 この三種盛りは、先代のシェリー先輩から続くもので、ダイエット
を考えてグランパとカズさんが一緒になって工夫しながら考え出した
らしい。私の時代になってからは、ドッグフードに粉末牛乳を振りか
ける工夫が加わったと云う。

 かくして、この 「三種盛りドッグフード」の工夫には、物語風の
エピソードがあって、後述する華の話題にすることにしよう。

 私は埼玉県入間市の「入間ケ丘」で暮らしているが先代のシェリー
先輩は、入間市久保稲荷で暮らしていたので自転車で10分くらいの
距離だが住環境はだいぶ異なる。

「なんでもその事件は隣接する小学校の秋の運動会の時に起こった」
のだと云う。「シェリー先輩は昼は外で暮らして、夕刻にグランパが
帰宅すると屋内に入って、翌朝、グランパが出勤するまでは、室内犬
として暮らしていた」のだと云う。

「その日、隣接する小学校の校庭では、運動会で、お馴染みの小旗が
風に吹かれて棚引きシェリー先輩が庭の木陰で通りを見渡していると、
校庭で、騒ぎまわっている子供たちに向かって母親たちが道を急いで
いるので嫌な予感がした」のだと云う。

「やがて運動会が始まりシェリー先輩が苦手なピストル音が鳴りだし、
これは本能的に危ないと思ったのだと云う。なんとかして逃げること
は出来ないかと考えて、庭をぐるぐると巡回して、グランパが閉めて
いった鉄柵の端に鼻先が突っ込める隙間を発見した」

「ここなら、鼻先でこじ開ければ、外に出ることが出来る」と、判断
したのだと云う。

「外に出るとひたすら遠くへと思い、時折、グランパと散歩で出掛け
た林を抜けて、さらに、公園を抜けバイパス道路を必死の思い出横断
して大型パチンコ店の駐車場まで逃げた」

「このバイパス道路は、飯能市と狭山市をつなぐ道路で自動車も頻繁
に通るが、その時は、たまたま道路が空いていてすんなりと渡り切る
ことが出来た」のだと云う。

「そこから森林までは近く、ゴルフ場の森林に繋がる広い空間が果て
しなく広がっているのでしばらくはそこで昼寝をしたのだ」と云う。
「昼寝をした場所も、グランパと時々散歩したことがあるので不安感
はなかった」のだと云う。

 いいかげん、昼寝をして気持ちも落ち着いてきたので、さて帰ろう
かと考えて、大型パチンコ店の駐車場に戻りバイパス道路を横切って
家に戻ろうと考えたがどうにも車の流れが止まず右往左往していると、

 若いお兄さんが駆けて来て「危ないよ」と声をかけてくれたのだと。
「どっから来たのかな?」と云いながらお兄さんが車に乗せてくれた。
「グランパの車は4ドアだがお兄さんの車は若者らしく2ドアだった」

 しばらくして入間市のアウトレットにつながる道に出て、お兄さん
の勘が働いたらしくて林の中に人家がまばらにある地域に車を止めて、
「この辺の住宅で飼われていた犬が迷って大型パチンコ店に来たもの」
と判断して「この森の中に放してやれば自分で自宅に帰るに違いない」
と考えたらしいと云う。

「シェリー先輩にしてみれば、まったく見当違いの場所なのでお兄さん
の車から降りる訳に行かないので、車の中で両足で踏ん張って、車から
降りなかったのだと」云う。

 お兄さんも困り果てて、近くにあった自動車の修理工場に車を止めて、
修理工場の簡易事務所の窓口を覗くと修理工場の奥さんが出てきたので、
「今、バイパス道路を渡ろうとしていた犬を助けたんですが、この辺で
飼い主を探すには、どうしたらいいでしょうか?」と、助けを求めたの
だと云う。

「私の処で預かってもいいわよ」と云って、お兄さんの自動車の処まで、
来てくれて 「あら、綺麗にブラッシングされていて大事にされている
ワンちゃんじゃないかしら、とりあえず警察に届け出てうちで預かって
おくわよ」と云われ、お兄さんは安心して、シェリー先輩を無理やりと
いう感じで自動車から抱きかかえて降ろして、奥さんに抱き渡したのだ
と云う。

「うちならば、夜は修理工場の中に放し飼いに出来るので、飼い主さん
が見つかるまで預かれるので、時間がかかっても大丈夫よ」と、云われ
て安心して預け、ご自分の自動車に戻り走り去ったのだと云う。


第二幕  夕食にはセミクラシック

 我が家のグランパは一生涯学生作家として小説家を目指しているが、
最近になって「どうも、自分は小説家と云うよりも、散文家のほうが
向いているのではないか?」と考えるようになってきた節が見受けら
れる。その根拠は、

 最近になってのこと放送大学のテキスト「日本文学の名作を読む」
島内裕子放送大学教授から「名作とは長く読み継がれるもの」と云う
一文に納得、そして、

「夏目漱石は小説家、森鴎外は散文家、そして鴎外は史伝と云う独自
の世界を切り拓いた」と云う大ぐくりの解説に納得した。

そして、最近では、 平成30年(2018年)前期の授業において
「枕草子(上巻)を読む」の申し込みをして受講が認められ島内裕子
教授の楽しくて・分かりやすい授業に期待しながら、カズさんの蔵書
「枕草子」秦恒平著を借りて現代語訳で予習を進めている。

 その予習の過程で、

 枕草紙が執筆されていた時代に宮廷文化には「三つの流れ的なサロ
ン形成」が散見されると云う記事を見付け、グランパにとっては大い
なるヒントを得たようである。
(順不同で列挙すれば)

◇ 一つ目は、大斎院(だいさいいん)と呼ばれた選子内親王による
 女文化の集団で、和歌の贈答を中心に、優れて優雅な文芸的雰囲気
 を特徴としたサロンであった

◇ 二つ目は、一条天皇の中宮彰子が率い、父道長が精一杯惜しまず
 貢献を果たしたと云われている、紫式部を中心とした「源氏物語」
 づくりで後世にいたっても大いなる評価を得たサロンである

◇ 三つ目は、皇后定子に向けた以心伝心的女文化の集団で清少納言
 を文筆の中心に据えて「枕草子」を世に残したサロンである

 そして、三つのサロンを通じて、

◇ 一つ目は、もちろん「韻文的」な表現であり

◇ 二つ目は、もちろん「小説的」な表現であり

◇ 三つ目は、もちろん「散文的」な表現と云える

 そしてかつて「徒然草」兼好著を島内裕子教授の授業を通じて学ん
だことがあるが、

◇ 徒然なるままに、自由なテーマ設定で深く人生の在り方を見つめ、
 散文的でありながらも全編を通して読むと壮大な小説的とも云える
 人生観が伝わってくる。この全編の文章の流れを称して島内教授は、
 モーツアルトの楽曲のようであると云う。

 そして小説的な表現に憧れながらも散文的な表現から脱しきれない
グランパとしては「吾輩は猫である」夏目漱石著には大いなる憧れが
あり、猫の視点から小説を描くと云う着想に意表を突かれ出発点から、
グランパには小説家としての資質に、欠けるのではないかと思い知る
こととなり、しからば「吾輩は猫ではない」と云う視点から、

 大いに、もがいてみることで散文家と小説家の間を行ったり来たり
のカオス(混沌)の世界を棲家にして「ハーフ&ハーフ」な、世界を
楽しんでみたいと考えたのだと云う。

 そしてもう一つの憧れは村上春樹の世界であり、特に「1Q84」
の主人公が小見出しごとに入れ替わる表現には、読み始めた瞬間から
引き込まれて、グランパもいつかは、一つの表現方法として真似して
みたいと云う思いを持ちながら、あの三冊のシリーズ本をグランパの
蔵書に加えて、時々、読み返しているのだと云う。

 そこで、本稿においても 「吾輩は猫ではない」の私「主人公」と
脇役の「グランパ」で、交互に、文筆して行く形態にチャレンジして
みたいのだと云う。

 そのような訳で、第一幕では、私(もも)からの視点で書き綴った
ので、第二幕ではグランパの視点から書き綴っていただくことにする。
(以降は、吾輩は猫ではない私とグランパとで交互に執筆する)

 それでは、グランパ、どうぞ。
(以降は掛け声は省略して以心伝心とまいりましょう)

・・・・・・・・・・・・・・・

 ここからはグランパからの発信

 たまたま、私が、定時退場して早目に帰宅したものの、いつもなら
庭を駆けて玄関脇まで、お迎えに出て来るシェリーが顔を見せないの
で不思議に思って、鉄柵のフェンスを開けて南側に回ってみたが姿が
みえないので、念のため西側も確認。

「どうしたんだろう?」と思って、家の近所を歩き回ってみたのだが、
家の周辺にも姿は見当たらない。

「そういえば、シェリーが我が家に来て6か月目くらいの時に近所の
北さんがシェリーを抱きかかえて、我が家まで届けて下さったことが
あった」

 あの時は、カズさんが、一番目に帰宅していて、

「シェリーちゃんを預かっていました」と云って駐車場で車から降り
てきたカズさんにシェリーを抱き渡してくれたと云う。

 驚いた様子のカズさんに、北さんから、詳しい状況の説明があった
のだと云う「この辺では、あまり見たことのない子供たちが、子犬を
縄につないで、嫌がっているのに無理やり引っ張りまわしているので、
子犬の顔をみたら、見慣れた子犬なので、これ佐久間さんのところの
子犬よ」と云うと黙っていて返事がなかったと云う。

「どこから連れてきたの」と云うと、今度は、皆して一目散に逃げて
行ったと云う。

 そのような訳で、経過は良くは分からないが、我が家の誰かが帰宅
するまで気に留めながらシェリーを預かってくれていたのだと云う。

 北さんとは、以前、同じ近郊のマンションの同じ号棟に住んでいて、
一戸建住宅街にも一緒に引っ越してきたと云う間柄で、住宅の登記の
際などは同じ車に同乗して、大宮まで一緒に手続きに行ったことなど
もあり長い付き合いである。

 そのようなことを思い出しながら、北さんのお宅の脇道を通り抜け、
一通り町内を一周してみたが、シェリーらしき気配はなかった。

 その時に、一瞬、脳内をよぎった思いは、

「野犬として扱われ、保健所に届けられて、処分の対象にでもなって
いたらたいへん」と急いで車を走らせて、近郊の保健所に向かったが、
保健所の入り口は時間外のため閉鎖となっていた。

 すぐに帰宅するとカズさんが駐車場に車を入れているところだった。
「シェリーが居ないわね」と聞かれて「私が帰った時に既にシェリー
が居なかったこと」を説明した。

「二人で手分けして近所の道路づたいに探してみよう」と云うことに
なり、小走りに探し回ったが、どこにも姿はなかった。

 道路などを横切って自動車に、はねられたと云う可能性もあるので、
道路わきの茂みなどにも念のため目を走らせた。

 お互いに、かなり広範囲に探し回って家に帰るとさすがのカズさん
も疲れ切って帰ってきた。玄関に入ろうとした時、次女のヒトさんが
帰ってきた。ただならぬ様子に「どうしたの?」と、聞いてきたので
状況を出来るだけ詳しく伝えた。

「それだけ探していないと云うことは、自動車にはねられてどこかの
獣医さんの処に預けられたか、最悪の場合、片付けられてしまった」
と云う可能性も考えられるわね。

「どうしようか?」と、三人で顔を見合わせる。

「こう云う場合に一筋の手がかりとしては警察などになんらかの連絡
が届いている可能性があるかもしれない」と、云うことで意見が一致
して、最寄り駅の交番を訪ねてみることにした。

 最寄り駅では月極めでカズさんが駐車場を契約しているので駐車場
に車を止めて、三人で交番に向かったものの、正直、あまりあてには
していなかった。

「失礼します」と、三人で交番に入って行くとディスクで執務をして
いた警官が「何事ですか?」と、云う顔つきで立ち上がって対応して
くれた。

「我が家の飼い犬が行方不明でして」と、云うことで、話を始めると
「太ったコリー犬なら狭山警察署の方で預かっていますが?」と云う
説明があって、詳しい状況の説明から、ほぼ我が家のシェリーに違い
ないと判断した。

 しかし、シェリーはシェルティ犬でコリー犬には似ているが大きさ
はだいぶ違う。シェリーは近郊のダイクマ店のペットショップで購入。

「この時も、私(グランパ)とカズさんそして次女のヒトさんの三人
でダイクマに買い物に出掛けて、前々から、飼い犬願望があったため
三人でペットショップをのぞいてみたのであった。いろいろな種類の
子犬たちがショーケースの中で遊んでいた」

 その中で、シェルティーの子犬とグランパの目が合った。可愛いな
と思って、私がケースの中をのぞきこんでいると、店員の方が、

「抱っこして見ますか?」と、声をかけてきたので「お願いします」
と云うとショーケースの裏側に回って、シェルティーの子犬を抱きか
かえて来て、膝を折るようにして、床に腰を下ろしている私の目の前
に降ろしてくれた。

 すると私の側に来て差し出した私の手を盛んにしゃぶってくるので、
思わず抱き上げると、今度は、顔を舐めてくる。店員の女性の説明に
よれば「子犬は嬉しくて、手を舐めたり、顔を舐めてきているのだ」
と云う。

 私は即座に決めた。カズさんとヒトさんに向かって「いいよね」と
いうことで連れて帰ることに決めた。直後に、後ろから声がかかった。
「その子犬は、売れてしまいましたか?」

 店員が「はい」と答えると・・・

「私たちも、先程、その子犬が気に入って、その前に買い物を済ませ
ようということになって、今、戻ったところなのですが、飼い主さん
が決まってしまいましたか?」と残念そうな様子であった。

 シェルティも子犬のときは、小さいので、ケーキ箱のようなケース
に入って我が家に到着、早速(躾が出来るまでは)糞と尿との闘いに
奮闘(糞闘)することになる。

 歯が伸びる時期には歯が痒いらしくて、入れ替えて庭に出した古い
応接用のテーブルを丸ごと噛みつくした。

 名前は、シェルティ犬なので、そのまま「シェリー」と名付けた。
英国にはシェリーと云う詩人もいるので、イギリス系の風貌の子犬
には相応しいと考えた。

 元気な子犬で、健康そのもの食欲も旺盛で良く食べる。カズさんも、
子犬が喜んで良く食べるので、子犬に、ドッグフードの他にも人間の
食べるものも与え続けた。

 定期健診を兼ねた予防注射の時に、獣医さんから・・・

「ドッグフード以外の物は与えないで下さい」と常々、云われながら、
与え続けた。結果、シェルティ犬は規格外の大きさと成りコリー犬に
近づいたものと思われる。

 その様な経緯を脳内で反芻しながら「たぶんその太めのコリー犬は、
我が家の飼い犬に違いありません」と答えた。

「そうですか、分かりました」と笑顔の警察官から応答があった。

「それでは、その犬は、現在、自動車の修理工場で預かっていただい
ておりますので、明日にでも本人確認をしていただいて間違いなけれ
ば狭山警察署に出向いて引き取りの手続きを取るようにして下さい」
と云われて、自動車の修理工場の場所を教えていただき交番でお礼を
述べて、交番を後にした。

 帰宅すると、全員がリビングに集まっていた。今日は金曜日、

「カズさんのアイデアで、金曜日は、セミ・クラシックを聴きながら
夕食を摂ることにしているが、今日は夕食がだいぶ遅くなった」ので
早速、6人による夕食会が始まった。

「夕食では、家族6人から、いろいろな情報が飛び交うことになる」
「長女は、T自動車の販売店で近郊に通っている」
「次女は、都内の商社系事務」
「三女は、H自動車の事業所で総務系の事務」
「末の長男は、都内の高校に通っており下校後に同じ都内の予備校に
通っている(後に頑張り効果として都内のM大学に合格した)」
「カズさんは、都内の商社系管理職」
「私は、航空機用エンジンの事業所で管理工学の専門職として勤務」
(守備範囲となっている二つの事業所からはマイカーで1時間以内に
帰宅できるため、なにかあれば、あてにされることが多い)

「その後、4人の子供たちは伴侶を得て結婚式を機会に、我が家から
巣立っていったがカズさんのアイデアを踏襲してセミ・クラシックを
聴きながらの夕食を家族で楽しんでいるか?」聞いたことはない。

 その日は、当然、シェリーが行方不明になった話題が中心となり、
「はたして、太めのコリー犬は、ほんとうに、シェリーだろうか?」
と云うところで話の核心はそこに突き当たった。

 しばらくの沈黙の後で「今から修理工場に行って、その真相が分か
るかどうかは分からないが、行ってみた方が良いのではないか?」と
云うところに意見が集約された。

 しかし、6人も居ると風呂の順番もあり末っ子の長男はいつも夜中
に風呂に入るので番外として、カズさんとヒトさんと私の三人で現地
を確認することにして、留守役の二人(長女と三女)には、先に風呂
に入ってもらうことにした。


第三幕   大型シャッターの向う側(ももからの発信)

 自動車のナビは、便利すぎると云って、グランパが驚いていたと、
カズさんから聞いた。グランパが、太めのコリー犬を預かっている
と云う修理工場の住所をナビに登録して車を走らせると約15分間
で、該当の場所に着いたのだと云う。

 最近は、必要以上に個人情報に神経質になり過ぎていると云って
いたグランパも、この便利さを体験して個人情報には神経質になる
くらいがちょうど良いのだと考えを改めたと云う。
(今や個人情報を取り囲む環境が便利になり過ぎているのだ)

 自動車から降りた三人が、修理工場の前に立つと、辺りは薄暗く、
人の気配はなかった。この場所に間違いないと確信したグランパが
先頭に立って修理工場の建物の前に立つと、突然、非常ベルが鳴り
だした。

 しかしシェリーであることを確認したいグランパにとって、非常
ベルへの恐怖心はなく「どうしたら、確認することが出来るのか」
そのことに気持ちが走ったと云う。

 非常ベルは、ずいぶん長い時間にわたって鳴り響いていた印象が
あるが、誰も来る気配はなく、やがて鳴り止んだと云う。
(内心では誰かが来てくれることを望んでいた)

 建物の前側からでは、内部の状況は確認のしようもなく、呆然と
していると、今度は暗闇の中で建物の周囲から犬たちがいっせいに
吠え出した。犬たちが吠える声から想像して、建物の周囲には3匹
くらいの犬たちが繋がれているようである。

 一瞬、静かになったので・・・

「これじゃ確認のしようがないから帰ろうか?」
「そうね、明日、あらためて、こちらにお伺いするよりないわね」
「私は明日は用事があるのでグランパとカズさんにお願いするわ」
などと会話を交わして帰ろうとすると目の前の大きなシャッターを
内側からカリカリと引っ掻くような音が聞こえるので、

「シェリーなの?」
「シェリー?」
「シェリーね」

と声をかけながら、大型シャッターの前に、三人でしゃがみ込むと、
シャッターの向う側に犬の気配を感じ取ることが出来たのだと云う。
「これは、シェリーに、違いない」と三人で顔を見合わせた。

 それからの時間はシェリーが安心出来るようにいろいろなことを、
三人で代わる代わるに話しかけていった。そして、シェリーが安心
した気配を感じ取って、

「明日、迎えに来るからね」
「お休み、またね」
「大丈夫だよ」

などと、声をかけて帰って来たのだと云う。

 グランパにとってはシャッター越しに、シェリーの微妙な息遣い
を感じ取るに際して新入社員時代の感覚が呼び覚まされ、シェリー
であることに確信を持ったのだと云う。

・・・・・・・・・・・・

 グランパが新入社員として働き始めたときには東京都内の永福町
の寮にねぐらを構え、寮母さんたちの作る食事をかっこんで、朝夕
を忙しく過ごしていた。

 当時の新入社員教育は、大事な業務の一環として、約3か月間と
いう長期間にわたり徹底した社員教育が行われたのだと云う。
(それはまさに中長期的な人材の育成を目指すものであった)

 当時の土光社長の意を汲んだ人事部長の講話は、まさに、中長期
の指針から来るものであり、新入社員にとって、職場配属後、自由
闊達に活躍できるパラダイムが自ずと形成されるように熟慮された
教育プログラムを伴うものであったのだという。

 当時の人事部長の講話は、次のような内容で始まったのだと云う。

「皆さんが、職場に配属になると必ず『〇〇長』といって、肩書に
長が付く人が存在します。世間一般では長が付く人は偉い人と云う
印象がありますが、当社では、この長が付く人は該当の部署をまと
める責任がある人という位置付けであり、けっして偉い人とは思い
込まず、新人として気付いたことはドンドン意見具申して下さい」

 この講話を新入社員として、脳内にすりこまれ、真に受けて定年
まで、そのままに貫徹したグランパにとっては、企業人として成功
であったのか否か、本人をしていまだに定かではないようであるが、
中途半端にNHKの大河ドラマなどを世間の常識として手本にして
上司の考えだけに盲従しなかった点では、グランパが定年まで走り
抜けた感覚では良かったと考えているようである。

 ただし出世が一番と、考えている人には、この人事部長の勧めは、
建前として聞いておいたほうが無難であるとグランパは云う。

 また新入社員教育としての対象範囲も、配属部署が、既に、航空
エンジン分野に決まっていたものの、全社すべての事業部門や製品
などに接触する機会が設けられた。

 今にして思えば全社的な活動において製品群における事業部間や、
職位における上下間において壁を作らず風通しの良い社風を、新入
社員約600名に浸透させて行きたいと云う明確なポリシーの下で、
人事部長の言葉は発せられたようである。

 しかしこれは人間社会の話であって「吾輩は猫ではない」私たち
の世界では・・・

◇ 飼い主の云うことは絶対であり、その習性はDNAにすりこま
 れている

◇ 飼い主である家長は家族をまとめるために存在するのであって、
 決して偉くはないなどと云う考えはけっして持っていない

 しかし、身近なところで、例外はある・・・

◇ 猫族においては、必ずしも飼い主の云う通りにはならない傾向
 があるようである

◇ また、先日はグランパがビデオでギャング映画を観ていたので、
 昼寝をしながら側で聴いていたのだが、

 ギャング組織の一員が、組織の指示を無視した行動に出たために、
制裁を受けて革靴で顔を踏みつけられて「飼い犬なら云われた通り
にしろ」とリンチを受けている場面があったが、人間世界でも犬族
よりも酷い扱いをうけることがあることを知った。

◇ そして「飼い犬に手を噛まれた」の類の話は、人間を犬の習性
 に例えての話である。

 そのようなことを考えて当時の人事部長の講話を自分なりに振り
返ってみると社会人としての一歩を踏み出す時に、人事部長を経て
身に付けることが出来た土光イズムは「人生航路における羅針盤を
決定づけたもの」と云えるかも知れないのだと云う。

 最近における至近な例をみても・・・

◇ 日大のアメフトにおける、暴力事件においては、例え、監督や
コーチと云う集団的には長の付く立場の先輩からの暗示であっても
それが不適切なものであるなら遠慮なく

「上司に対して自分の考えを伝えよ」と云うことであり土光イズム
とは真逆の事が現代社会において起きていることは、それが日本を
代表する教育現場で起きていることだけに・・・

 新入社員の時代に、土光イズムに触れる機会を持つことが出来た
グランパにとっての貴重な体験は、なによりも得難いものであった
のだと云う。

◇ 日大の暴力行為に及んでしまったアメフト選手の場合も日大の
 アメフトチームの、一員としては、監督やコーチの暗示によって、
 暴力に及んでしまったが、

 選手自身のそれまでの経験において正しくない行為に及んだ自分
に気付いた背景には、それまでの教育過程において「それが正しく
ない行為であること」を気付かせる素地の積み重ねがあり、結果と
して「自己の行為を自ら正す」と云うことで記者会見に臨んだ姿勢
には遅ればせながらも評価に値するものがあるとグランパは云う。

◇ そして、この日大の青年の記者会見における自らの意思表示の
 行動は、是枝監督による映画「万引き家族」における自我に目覚
 めた少年の行動につながるものがあるとグランパは云う。

 万引き家族の一員として暮らしていた少年が、自ら自我に目覚め、
その葛藤の中で行動を起こす。それは正しくないことから脱出する
ための行動であり、少年の行動をきっかけとして、社会の仕組みが
少年を救い出して行く。

 しかし、その描写は正義感に溢れたものではなく、少年が未来に
向けて、自分の手で確実に正しいと思われる道筋に光明を見出した
ところで、万引き家族の長には、自分の意思で警察に捕まったこと
をさりげなく伝えていると、グランパは云う。

 この映画評として「万引きと云う犯罪を助長する恐れがあるので
はないか?」と云う意見もあるが、一方で、少年が、自我に目覚め、
自ら正しい生き方を求めて、自らの正しくない行動を自らの意思で
露見させたときには、世の中には、少年を正しい方向に向けて救い
だす仕組みが作動開始することを示しているのだと云う。

 ただし、これもギラギラとした正義感を前面に打ち出したもので
はなく、映画鑑賞後に脳内で映画のシーンを反芻することで考えが、
そこに到ると云う仕掛けが施してあるので、この映画の深みはそこ
にあるのかも知れないとグランパは云う。

 そしてこの作品の深みは認知心理学の「対象性の認知」における
図と地の分化に通じるところがあると考えて、あの有名な「ルビン
の盃」と「嫁と姑」の図柄をあらためて見直してみたが感覚的には、
近いものがあるかもしれないと云う。

 最近の映画やテレビの監督は視聴者の眼目に問い掛けて来る様な、
チャレンジを仕掛けてくることがあり、この「万引き家族」に次い
で、最近のテレビドラマにおいては「モンテ・クリスト伯の華麗な
る復讐」のラストシーンで「主人公の生還」がビデオによる再確認
によって辛うじて汲み取れたと云う経験をしたと云う。

 新入社員教育の話が、時空を越えて、現代社会にまで飛び込んで
しまったが・・・

 新入社員教育が終わって三か月後に航空エンジン事業部門に配属
になったグランパは、ちょうど区切りも良いことから、群馬の実家
に帰省することにしたのだと云う。

 帰省すると、実家では、新人が、家族に加わって出迎えてくれた。
それは、シェパード犬のジョン君であった。

 グランパの入寮が決まっていた都内の永福町までは、父親が車で
送ってくれたのだと云う。それは、日常生活に欠かせない衣類など
を竹細工の行李に詰め込んで蒲団類と一緒に自動車に積み込んでの
上京であった。
(あれから、父親とは、三か月ぶりの再会)

 グランパの学生時代は、両親とグランパ・妹・弟の五人暮らしに
猫が一匹居たと云う。弟はグランパよりも七歳年下で、グランパが
上京するときに、弟はグランパから自転車乗りを教えてもらったば
かりで二人で毎日のように自転車乗りを楽しんでいたこともあって、
母親の目から見ても、弟の寂しさは気の毒な程であったと云う。

 そのような折に、ご近所でシェパードの赤ちゃんが誕生、母親と
は仲良し家族と云うこともあって井戸端会議の席上で「シェパード
の赤ちゃんを育ててみない?」と云うことになり、寂しさいっぱい
だった弟を連れてシェパードの赤ちゃんの見学に行ったのだと云う。

 結果、一も二もなく、その足で、シェパードの赤ちゃんを連れて
帰ったのだと云う。

 帰省したグランパにもシェパード犬は良くなついて、帰省の度に、
グランパは散歩の役をかってでた。グランパも三か月に一回は帰省
をするようにしていたので、子犬も良くなついてグランパの帰省を
楽しみにしていたようであったと云う。

 シェパードは家族から「ジョン」と命名され、良く食べて、良く
育った。当時としては当然のように犬は家の外で飼われていたので、
グランパが週末の仕事を終えて帰省すると、夜遅くのタイミングで
あったため、ジョンは暗闇の中でグランパを迎えた。

 グランパの勤務先は、新入社員の三か月間は、都内の豊洲地区で
あったが、職場の配属先が決まってからは武蔵野にある事業所勤め
となったため、当時、金曜日の仕事が終わると東京駅まで出て高速
バスで群馬の実家まで帰省する方法を取っていた。

 週末の夜中に帰宅すると玄関で帰宅を知らせる前に、ジョンの犬
小屋に直行して再開を喜び合い、翌日は、農村地区の畑一面の場所
まで散歩に連れて行き、首輪から紐を外して畦道を全力疾走させる
のだが、だんだん走り方が逞しくなって行ったと云う。

 グランパがいつも面白い表現をする。

◇ 最初に接した「ジョン(シェパード犬)」は成犬になってから、
 他所の犬などがグランパに近づいた時に、グランパの前面に出て
 ガード(守る)する姿勢をとったと云う

◇ 二番目に接することになった、埼玉の初代の飼い犬「シェリー
(シェルティ犬)」は他所の犬が近づいてくるとグランパの後ろに
 廻り込むようにしていたと云う

◇ 三番目に接することになった「吾輩(ダックスフンド犬)」は
 カズさんから「もも」と命名されたが、他所の犬が、グランパに
 近づいてくると、自分よりも大きな犬であっても吠えて威嚇して、
 撃退するので、グランパとしては少し驚いているようである

 しかし、どのワンちゃんも、グランパに対しての甘え方は同じで、
特に外からの帰宅時の甘えぶりはお腹を見せての不用心ぶりで共通
していると云う。

 グランパは自動車の修理工場の大型シャッターの前で、今、向う
側にいるワンちゃんの息遣いから、あのシェパード犬「ジョン君」
の息遣いを思い出し、東京から夜中に帰省して、真っ先にジョンの
処に対面に行ったことを想い出し「シェリーに間違いない」と確信
したのだという。


第四幕  迷子の犬は落し物扱い(グランパからの発信)

 翌日の土曜日の朝はみんな早起きだった。今日こそはシェリーに
会えると云う期待感から、自然に、みんな早目に目が覚めた。朝食
を済ませてすぐにでも修理工場に車で出掛けられる準備は出来てい
たものの、手土産が必要と云うことになり、近所の和菓子店が開店
する10時頃までは待機の時間とした。

 自動車の修理工場に着くと昨日は暗がりのため気が付かなかった
が修理工場の手前には簡易事務所があり、受付の窓口の奥を覗くと、
我が家のシェリーが事務所の女性からジャーキーをもらって美味し
そうに食べていた。

 私としてはシェリーの姿を確認出来たものの複雑な心境であった。
我が家ではかかりつけの獣医さんのアドバイスもあってジャーキー
は与えない様にしていたのである。シェリーが、一時期、皮膚病に
かかったことがあり、獣医さんの診断の結果、原因としてシェリー
の大好物であったジャーキーが原因として特定され、それ以来は、
ジャーキーは与えず、結果、皮膚病は直り、それからというものは
添加物絡みのジャーキーは与えていないのであった。

 獣医さんの説明によれば、ジャーキーがすべて駄目という訳では
ないが、ジャーキーは種類も多く、品質も多様で中には添加物絡み
で、お薦め出来ないものも散見されるのだという。この品質判定を
一般家庭で行うことは難しく、シェリーが皮膚病にかかった以上は、
与えないことが安全であると云うことになっていたのであった。

 シェリーを救ってくれた恩人に向かって「ジャーキーは与えない
で下さい」などと、大人げないことも云えないので、

「この度は、たいへんお世話になりました飼い主の佐久間です」と
挨拶すると

「修理工場の〇〇〇です。主人共々、ワンちゃんが大好きですので、
良く手入れされたワンちゃんを見て二人ですぐにも飼い主の方から
連絡があると思っていました」と、笑顔で奥様からの挨拶が返って
きた。

「私たちはこれから狭山警察署に出向いて飼い犬引き取りの手続き
を済ませて再度お伺いします」と挨拶して、お礼かたがた手土産を
お渡しして警察署に向かった。

 狭山警察署に出向くと落しもの係の窓口に案内されて事情を説明。
「それでは、この書類にサインしていただいてワンちゃんの食事代
などを一緒に納めていただければ手続きは完了ですので、後は修理
工場の現地でワンちゃんを受け取っていただいてすべて完了となり
ます。修理工場には、こちらから連絡しておきます」
ということで、シェリーは、土曜日の昼頃に、無事に我が家に帰還
となった。

 夕食時に全員が揃って、シェリーを出迎え、
「確かに、シェルティ犬としては、大き過ぎるわね」
「それに加えて、太めなことも、確か」
と云うことになり、減量作戦が開始されることになる。

 担当は、私(グランパ)とカズさん、ということになり、
「ただの減量では、空腹感が先行して駄目なのでは?」
「とりあえず、食事外の間食は取りやめ」

 それではと云うことで、
「食事の量は減らさずに、主食はドッグフードで、嗜好の楽しみには
鳥の胸肉を電子レンジでチンしてローストチキン風にして細かく刻ん
だものにする、量感を保つためには、キャベツを刻んで電子レンジで
蒸したものを加える」
(ワンちゃんはどんなにたくさん食べても満腹感はないのだと云う)

 このような経過を経て後輩の「もも」にもつながるシェリーフーズ
が完成したのであった。


第五幕 シェリー先輩のリスク・マネージメント(ももからの発信)

 シェリー先輩が帰還した翌日の日曜日の朝食時は、みんなが代わる
代わるシェリー先輩に声をかけてくるので、シェリー先輩はその都度、
尻尾を振ったり仰向けになって喜んだりと感謝の気持ちを表現するの
に忙しかったのだと云う。

 それは、具体的に、こんな具合だったと云う、
「シェリーちゃん、おはよう、朝ご飯を用意するね」
「おはよう、たいへんだったね、もう落ち着いたかな?」
「シェリーおはよう心配したよ見つけてもらってよかったね」
「おはよう、久しぶりという感じね」
「あの時は、心配したよ、おはよう、もう大丈夫?」
「おはよう思ったより元気で、よかった・よかった」

 食卓に全員(6名)が揃って朝食が始まると、どういう訳か?
話題は「消火器の粉末拡散」事件に発展したのだと云う。
あの時は「リビングにシェリーが居なくてよかったわね」と次女が
口火を切る。

 あの時の第一発見者はグランパだそうで当時の実況報告が始まる。
グランパが「おはよう」といって、居室(兼)寝室からリビングに
顔を出すと辺りは白い粉が部屋中に舞っており、台所に目を移すと
先に起きて台所に立っている筈のカズさんが消火器を手に立ち尽く
していたが落ち着いた表情ではあったと云う。

「どうしたの?」と聞くと、

 消火器の位置を変えようと思って消火器の取っ手を持ちあげたら、
突然、白い粉末が飛び出してきたので咄嗟に方向を変えて台所から
リビングに向けて粉末を吹き出させたのだと云う。

 リビングの南側の奧にはシェリーの小部屋があって水を飲んだり、
排尿をしたりする開放エリアが設えてあるので、シェリーが居たら
まともに粉末を被っていたことになる。
(昨夜は幸いにもグランパ夫妻の部屋で一緒に寝ていた)

 みんなが次々に起きて来て、全員がビックリであったが幸いにも
実害はなく、手分けして台所とリビングの粉末を掃除機で吸い取り、
雑巾で拭き取って、少し遅い朝食となった。
(全員が揃っていたので、思ったよりも早く片付いたのだという)

 そんな先日の消火器噴射の顛末の話題が片付いたところで、今日
は日曜日で全員がお休みとあって、食後は、それぞれの部屋の掃除
を含めて家中の大掃除である。子供たちは、それぞれに個室を確保
出来ているので7LDKの大掃除は、それぞれの分担での拭き掃除
と云うことになる。

 子供たちの部屋の確保のためのリフォームは大規模なものとなり、
グランパの安月給で建屋の収容面積を倍増させたのだと云う。

 当然の事として一階の共有部分は、グランパとカズさんに掃除の
分担が回ってくるので二人共に日曜日の朝は大忙しである。その日
も一階の共有部分の掃除のためシェリーは庭先に出すことにした。

 一階の掃除も半ばに差し掛かった頃、庭にいたシェリーが、突然
のように吠え出した。南側の硝子戸を開けて庭先を覗くと、西側に
位置する隣家に向かって、猛然と吠えついている。
(それも異常な吠え方である)

「この吠え方だとまずいな」
「ご近所にも迷惑なことになる」
「しかも日曜日であり吠え付かれている隣家から、苦情が来るかも
しれない」と異常な吠え方にグランパは危機感を抱いたのだと云う。

「即、行動」が企業人として身についているグランパは西側の隣家
に、先ずは、お詫びに行くことに決めたのだと云う。隣家のお宅は、
位置的に隣家とは云え、自治会も異なり、通常のお付き合いがない
だけに対応は早いほうが良いと判断したのだと云う。

 隣家に行くには近道はなく、大通りをかなり遠回りして行くこと
になる。隣家が建つときには建前のときなど、威勢の良い若い衆が
高いところで声を掛け合っていたことが、グランパには昨日のこと
のように思い出されたのだと云う。

 隣家は土地の造成のときに地面をかなりかさ上げして建てている
ので、こちらからは見上げるような位置関係にある。それというの
も西側の空き地を分譲地として売り出したときには、百坪の区画と
して売り出したものの、なかなか買い手が付かず東西に二分割して
売り出したために、隣家は土地をかさ上げしないと日当たりが確保
出来と云う事情があったのだと云う。

 グランパが反対側に廻って入り口に着くと路地の入口には「瀧澤」
と云う表札が目に入ったのだと云う。グランパは路地を歩きながら、
お詫びの口上を頭の中で整理しながら「〇〇さん申し訳ありません」
と繰り返しながら、すぐに、建屋の前に到着、そこには、愕然とする
光景が展開されていた。

 隣家の奥さんがバケツから柄杓で水をすくって、グランパの庭先に
向けて投げ込んでいるのであった。しかも、バケツの脇には「枯葉剤」
と印刷された薬剤が並べてあり「なんとも異様な光景」を目撃したの
だと云う。

 グランパが後ろから奥さんに向けて「こんにちは」と声をかけると、
驚いた様子で飛びのいたのだと云う。しばし、両者の間で沈黙、突然、
奧さんが逆切れをして「また市役所に通報しますか」と、グランパは
「またとは、どういう意味ですか?」と尋ねると、

「あなた、私たちが、この土地を買って、家を建てるまでの間、期間
がかかり過ぎたこともあって、雑草がぼうぼうに生えて雑草の種子が
飛んでくるからと市役所に電話をかけて、私たちに草取りをやらせた
でしょ」と云われたのだという。

「私は市役所に電話などかけていません。それに、雑草の事など気に
している暇もないくらい忙しく日々を過ごしていますので」と返事を
したのだと云う。

「じゃ誰かしらね?」
「隣に住む住人ですと市役所には名乗った」と聞いているわよと高飛
車な態度を崩す気配はなかったと云う。

 グランパも謝罪に行って遭遇した異常事態なので適切な言葉がみつ
からず「兎に角、うちの犬に枯葉剤などかけないで下さい」と云って、
帰りかけると「雑草のことなど、直接、話してもらいたかったわ」と
疑念を解いていない様子であったと云う。

 話は、まったく噛み合わず先方としては長年の怨念のようなものを、
抱えている様子であったと云う。

 グランパが家に帰って、みんなに状況を伝えると、全員が驚愕した。
そして、カズさんが何年か前のことを思い出した。

「そういえば、お隣との境界に植えていた植木だけがいっせいに枯れ
てしまった事があったわね。あれは何年前だったかしら。あの頃から
シェリー目がけて、枯葉剤入りの水で攻撃していたと云うこと?」と
いう話になり、全員が騒然としたと云う。

 そこで、みんなで庭先に出て南側の隣家との位置関係をあらためて
確認。西側の隣家の土地とはグランパ側が半分ほど接しており、残り
半分は、グランパの南側のお宅が接している。南側のお宅は、ご主人
がグランパとはテニス仲間で性格は温厚、同じマンションから、同じ
時期に引っ越してきた間柄である。

 ここで、グランパは 「黒竹」事件のことを思い出したのだと云う。
あれはカズさんの実家から珍しい黒竹を戴いて、南側の庭先に植えた。
結果、黒竹の根が躑躅の根の下に入り込んで、躑躅が咲かなくなって、
次いで南側の隣家に入り込んで行き、隣家の玄関先の庭に黒竹がその
姿を現した。

 これについては隣家の奥さんから事情が伝えられ、お詫びかたがた、
隣家の庭を掘り起こしさせていただき、ついでに、グランパが自分の
庭先の黒竹の根っこを辿るとグランパとカズさんの居室の下まで黒竹
の根が入り込んでいることに気付いた。

 さらに黒竹の根っこを辿ると、居室中央部まで伸びた根っこは深く
地下に向けて食い込んでおり、グランパの手には負えないと判断して、
友人の水道業者の方に畳を上げて縁の下に潜っていただいて除去して
いただいたという経緯があったのだと云う。

 そのことを思い出して、西側の隣家の雑草の件は、南側の奥さんが
市役所を経由して該当のお宅に処置をお願いしたに違いないと気付い
たのだと云う。

 それは庭の花の手入れが好きな隣の奧さんにとっては、当然のこと
であり、市役所への通報を思い至ったにちがいないとグランパは推測
したのだと云う。

 しかし西側の奥さんにしてみればグランパが市役所へ通報したもの
と思い込んで、長年の恨みを抱えている上に、犬までが吠えて来ると
なれば、癪に触ってシェリーに向けて攻撃を加えてくる。犬は、一度
攻撃してきた人間には吠えまくる習性があるので、あのように懸命に
吠えまくったものと断定したのだと云う。
(しかも話し合う余地などなく逆切れしている状態である)


 ということでグランパとしては、これ以上の深追いは無用と考えて、
シェリーの日中の居場所を北側の庭に移動させて、危険な枯葉剤から
遠ざけたのだと云う。

 その後、ワクチン注射の時期となり、かかりつけの獣医さんにそれ
までの経緯をお話しすると「隣の奥さんの行動は犯罪行為ですよ」と
云ってシェリーに同情、シェリーに声掛けしてくれたのだと云う。

 ところで、最近になってグランパが「徒然草」と「枕草紙」の比較
研究を始めてみたのだと云う。グランパの着眼点はシェリー先輩や私
(吾輩の名前はもも)と一緒の生活を始めてみて思うことは、人間を
主体にした住居論のみでなく犬や猫といったペットたちと人間の共生が
本格化してきた、昨今は「ペットとの共生を大前提とした住居論が必要
ではないか?」というのである。

そこで第二章では今から千年前の犬や猫の暮らしを「枕草子」を思索の
窓にして時空を超えた探検に出掛けてみることにしようと云うのである。




第二章  千年も前の犬猫の暮らしと比べて

第一幕  枕草子の時代の犬猫の暮らし(ももからの発信)

 私(吾輩の名はもも)たちの千年も昔の先輩たち(犬猫)の暮らし
ぶりは、どのようなものであったろうか?
特に千年前の犬猫たちの居住環境はどのようなものであったろうか?

 グランパが、最近、放送大学の授業で「枕草紙(上巻)清少納言」
島内裕子教授校訂・訳のテキストを購入、徒然草(兼好)と照らし
合わせながらの画期的な授業に参加して、その学習過程で千年前の
犬猫たちの生活のひとこまを見付けてきた。

 島内裕子教授の訳文には次のような記事が掲載されていたと云う。

【枕草子(第七段)】 放送大学 島内裕子教授 訳より 抜粋

 中宮定子様の背の君でいらっしゃる一条天皇様の処には、とても
可愛らしい猫がいた。この猫は、生まれた時に、天皇様のお母様の
東三条女院(詮子)様や左大臣(道長)様から産養(うぶやしない)
をしてもらった。

 そのうえ、五位の官位を賜って 「命婦の貴婦人」と名付けられ、
養育係として乳母も任命されるなど、たいそうなご寵愛ぶりだった。
この猫が、身分の高い女性にふさわしくなく庭近くの部屋の端まで
出てきているのを、猫の飼育係(乳母)である馬の命婦が見つけて、
「まあ、何て、お行儀が悪い」「部屋の中にお入りなさいませ」と
呼んでも聞かずに、陽射しを浴びながらうとうと居眠りをしていた
のを、脅かそうとして 「翁丸(おきなまろ)や、ここえお出で、
命婦の貴婦人に食いつきなさい」と言った。

 命令かと思って、この愚かな老犬の翁丸が猫に走り懸かったので、
猫は脅え惑って、天皇様の御簾(みす)の中に逃げ込んだ。

 天皇様はその時、ご朝食を召し上がる「朝餉の間」におられ犬が
猫を追い回した騒ぎを御覧になってたいそう驚かれた。猫を天皇様
が懐にお入れになって、男たちを召すと、蔵人の源忠隆が参上した
ので、天皇様が「この翁丸を打ち懲らしめて犬島に流しなさい。今
すぐに」と、仰せられたので大勢が集まってきて皆で騒いでいる。

 馬の命婦のことも、ひどくお怒りになって「飼育係をすぐに取り
替えるように。こんなことでは、猫の今後が不安だ」と仰せになる
ので、馬の命婦は畏まって里で籠居し、天皇様の前には出てこられ
ないことに、犬はすぐに見つけ出されて、瀧口の武士たちに捕縛さ
れ、宮中から追放されて、遠くへ追い払われた。

「ああ、可哀想だったですね。翁丸は、たいそう得意げに体を揺す
りながら歩いていたものなのに。三月三日には頭の弁の藤原行成様
が、柳の枝で作った鬘を頭に被せて、桃の花をそこに挿して飾りの
花として、刀のように桜の木を腰に挿して翁丸を歩かせなさったも
のを。その時は、よもやこんな憂き目に遭うとは、思いもかけなか
っただろうに」と可哀想がる。

「天皇様が、お食事をなさる時は、必ず、翁丸が、すぐ近くの庭に、
天皇様と向かい合うようにして座り、お下がりを待っていたものな
のに、今は、寂しくなってしまった」などと皆が言っているうちに、
三、四日が経った。

 昼頃になって犬のひどく鳴く声がするので「どこの犬が、こんな
にも、長く鳴くのでしょう」と、私が聞くと、宮中にいるすべての
犬が走り騒いで鳴いている犬の周りで悲しんでいる。宮中のお掃除
をする女官である御厠人が、わたしのところに、走ってやって来て、
「ああ大変です。可哀想に蔵人が二人がかりで、犬をひどく打って
おられます。犬は死んでしまうでしょう」

「天皇様が流罪になさった犬が、戻って来たというので、懲らしめ
なさっているのです」と言う。なんて、可哀想なことだろう。あの
悲鳴は、翁丸のものだったのだ。

「忠隆様と藤原実房様が犬を打擲しています」と言うので、止める
ように言い入れたところ、ようやく犬も鳴き止んだ。

「死んでしまったので、門の外に、引きずっていって捨てました」
と言うので可哀想になどと、皆で言い合っていたところ、その日の
夕方、ひどく腫れ上がった体で、見るも無残な犬が苦しそうに震え
ながら歩いているので「おお、翁丸かい。可哀想に。これほど痛め
つけられた犬を、最近見たことがありますか、皆さん」などと口々
に言う。皆が「翁丸だ」「いや、違う」などと決めかねているので、
中宮様が「天皇様の身の周りのお世話をしている右近の内侍ならば、
翁丸のことをよく知っているでしょうから、ここに呼びなさい」と
おっしゃる。

「急ぎのことだから、すぐに」と召したところ、局に下がっていた
右近がやってきた。

 中宮様が「この犬は翁丸か」と、検分させると 「翁丸に似ては
いますけれども、これは、ひどくみすぼらしい犬のようです」また
普段なら「翁丸」と呼べば喜んで直ぐに近寄ってきますが、この犬
は呼んでも寄ってきません。ですから翁丸ではないでしょう。

「翁丸は、既に、打ち殺して、捨てました」と、蔵人が申しました。
蔵人が二人がかりで殴ったのならば、生きているはずはありません
と右近が申し上げるので、中宮様はとても可哀想だとお思いになる。

 暗くなって、この犬に食べ物などを与えたけれども、食べようと
しない。その様子を見て、皆は、やはりこの犬は翁丸ではなかった
と結論して、この件は沙汰止みになった。

 翌朝、中宮様が御髪を梳き、お手水も終え鏡を御覧になっていた。
わたしは、その鏡を持つ役として中宮様のお側に控えていたのだが、
あの犬が柱の近くに座っているのが見えた。

 わたしが思わず「ああ、可哀想に。昨日はお前も可哀想だったね。
そう言えば前にも翁丸という犬がいて、ひどく打たれちゃったのよ。
翁丸が死んでしまったのは、とても悲しい。あの犬は今頃は生まれ
変わって、いったい何になっているのだろう。どんなにか辛い気持
ちがしただろう」と、独り言のように言うと寝ていた犬がぶるぶる
体を震わせて、涙をひどく流し続けて止まらない。

「まあ何ということだろう。それでは、お前は、あの翁丸なのだね。
昨夜は、正体を隠し通そうとしていたんだね」と哀れに思い感動も
した。わたしが持っていた中宮様の鏡も下に置いて 「やはり翁丸
なのね」と言うと、ひれ伏してたいそう泣く。

 中宮様も、思わずにっこりなさる。人々が、中宮様のところに集
まってきて右近の内侍を召して、事の経緯を中宮様からじきじきに
お話しなさると、皆が、ほっとして明るい笑い声が上がる。

 それを、お聞きになって、天皇様もこちらにおいで遊ばす。
「浅ましい犬などにも、わたしたち人間と同じような心や感情が、
あるものだね」と微笑まれた。

 天皇様付きの女房たちもこの様子を聞きに集まってきた。今度
は、誰が「翁丸」と呼んでも、呼んだ人の方に寄って行く。まだ、
顔などは腫れたままのようだが、わたしが「薬を調合して傷口に
塗ってあげましょうよ」などと申し上げると、中宮様が「この犬
が翁丸であることを見破って明らかにしたのは、あなたでしたね」
と、可笑しそうにお笑いになる。

 ところが、忠隆が、この騒ぎを聞きつけて、女房たちの詰め所
である台盤所に顔を出して「翁丸が生きていたというのは、本当
でございましょうか。「どれ、みてみましょう」と聞いたりして
いるので、わたしが「まあ恐ろしい、そんな名前の犬は、ここに
はおりませんよ」と言わせると「そうは言っても、最後にはみつ
けることもございましょう。そうそうは隠し通すことはできませ
んでしょう」と、捨てぜりふを言ったとかいうのは、しつこくて、
ほんとうに嫌な人だ。

 でも、後日、天皇様のお咎めや追放処分も許されて翁丸はもと
のように、皆に可愛がられたのだった。それにしても、わたしを
はじめとして、皆に同情され、わなないて鳴いて出てきた時の姿
と言ったら、本当に、こんなことがあるかしらと思うほど、心が
揺さぶられた。

 今でも、皆からその時のことを言われると、つらい思い出がよ
みがえるのか、幸せを取り戻した翁丸が鳴き出すのである。

 それでは今度は一般庶民と一緒に暮らしていた彼ら(犬たち)
の暮らしぶりを覗いてみよう。これも、グランパが放送大学で
学んできた「徒然草」から、七百年前の犬の暮らしをォーカス
してみたものだと云う。

【徒然草(第八十九段)】放送大学 島内裕子教授訳より抜粋

「山の奧には、猫又という化物がいて、人間を食らうらしい」と、
ある人が言うと「山でなくても、このあたりでも、猫が年取って
猫又になって、人を襲うことがあるらしい」と言うものがあった
のを、何とか阿弥陀仏という名前の、連歌をする法師で、行願寺
のあたりに住んでいた者が聞いて、自分は連歌の会の帰りなどに
一人歩きをする身なのでよくよく注意しなくては、と思っていた。
ちょうどその頃、ある所で夜遅くまで連歌をしていて、ただ一人
で帰って来た。

 自宅もほど近い小川の川端で、噂に聞いた猫又が狙い澄まして、
すうっと足元に寄ってきて、いきなり自分の体に取り付いたと思
うやいなや頸のあたりをがぶりと食おうとする。肝も心もすっか
り失せて、猫又の攻撃を防ごうとするが力が抜けてしまい、足も
しっかり立たない。

 小川の中に転がり落ちて「助けてくれ猫又だあ」と叫んだので、
近所の家々から松明を燈して走り寄って見てみると、このあたり
で見知っている僧である。

「これはいったい、どうしたことか」と、川の中から抱き起して
みると連歌の会の賞品でもらった扇や小箱など懐に入れて持って
きたものも水浸しになっていた。九死に一生を得たようなあり様
で、ほうほうの体で自宅に入った。

 実は、この連歌師の飼っていた犬が暗いけれども主人が帰って
きたと知って飛びついたと言うことだった。

【グランパの所見】

 グランパが、千年も前の犬猫の暮らしぶりを踏まえて、現代に
おける犬猫の居住区の在り方について所見を述べたいと云うので、
私(吾輩の名はもも)が片棒を担いで、グランパの能書きを許す
ことにする。

「千年も古の宮廷における犬猫の生き様が、目の前に迫ってくる
清少納言のフォーカスぶり」には感嘆するばかりであるが、本章
における訳文は放送大学の島内裕子教授が、清少納言の「枕草子」
の訳文研究において北村季吟の「枕草子春曙抄本」を用いて執筆
にあたっており、あとがきとしての解説文の中で、

 大正時代末の研究によってクローズアップされ、現代において、
本文研究の主流になりつつある「三巻本」による訳文研究も紹介
されており、第二章では三巻本を本文とした訳文についても比較
研究してみた。
(日本の古典・現代語訳「枕草子」秦恒平著よりの抜粋となる)

 さて・さて・前置きが長くなったが、

 千年前の宮廷における犬猫の暮らしは「猫は内」「犬は外」と
して、その居住区は明らかになっており、それは「当たり前」の
ことであったと推測される。

 宮廷内における人間・対・動物と云う視点において、少し視野
を、広げて観て行った場合に、それぞれの動物の役割の在り方が、
それぞれの動物の居住区を決定づけた要素はあるようである。

 清少納言の「枕草子」の記述の中にも女官たちが外出時に牛車
を頻繁に活用する様子が紹介されており、この牛たちの世話をす
る牛飼いの子たちのことが、

 第三十五段に「牛飼童は大柄で髪の毛が赤みがかった白髪で顔
も赤みがかって、気の利く男がよい」と記している。

 また第三十三段では「牛は、額が、とても狭くて全体的に白み
がかっていて腹の下・足の下・しっぽの裾の方が白いのがよい」
と自分の好みを具体的に述べている。

 これらの記述からは、多くの牛は、牛飼いたちの飼育・管理の
もとで、牛舎においていつでも出動出来るように、その居住区は
保証されていたと推測される。

 それでは、馬の居住区は、どうであったろうか?

 ここでも、清少納言の「枕草子」を紐解いてみると、
(島内裕子教授の訳から抜粋)

 第三十四段に「馬は、紫色の栗毛で、斑が付いているのがよい。
白っぽい葦毛もよい。またとても黒くて、足や肩のあたりなどに、
白いところがある馬は良い。薄紅梅色の毛で鬣や尾などは真っ白
な馬がよい。木綿のように白い鬣の馬なので、木綿鬣(ゆうがみ)
と名付けるのがぴったりだ」

 凡河内躬恒に「恋すれば痩せこそすらめ物腰のゆふがみじかく
思ほゆるかな」という歌があり、 「木綿鬣」という言葉が織り
込まれている。「そのことも思い合わされて、こういう色の馬は、
なるほど、ほんとうによいなあと、わたしは思うのだ」とある。

 この時代の馬は、神や仏にもつながる存在として大切にされて
いたので、清少納言が綺麗にブラッシングされた馬たちを称賛し
たように馬の居住区は馬小屋として清潔さも保たれていて、いつ
でも出動できる体勢が整っていたものと推測される。

 それに比べると、犬猫の役割は馬や牛に比べると自由であった
と推測され、ただ重要視されたのは「猫であれば鼠退治」「犬で
あれば外からの侵入者への備え」と云う役割の性格上 「猫は内」
「犬は外」として、それぞれが、その存在感として、猫は屋内で、
可愛がられ、犬は外で可愛がられるという居住区の区分が図られて
行き、それが宮廷内において徹底されたがゆえに、前述の「翁丸」
の悲劇を招いたとも考えられる。



第二幕  現代社会における犬猫の暮らし(グランパから発信)

 本来、犬と猫の相性は良く、犬と猫が仲良く暮らす光景はあち
こちで散見される。時代は、千年の古から、現代に舞台を移すが
我が家の「もも」は、南側に走っている道路の行き来する光景を
硝子戸越しに眺めるのが好きで、いわば趣味の領域と云えるので
あるが見慣れないワンちゃんが通りかかると牽制して吠えまくる。

 これに対して、南西に位置するご近所の、お宅のワンちゃんが、
応援態勢で吠えてくる。このお宅では多頭飼いの子犬と猫が仲良
く暮らしている。とても面倒見の良い奥さんで、一時は、ご近所
で飼い主が引っ越してしまい、なんらかの事情で置いてきぼりに
なった白猫がご飯を食べに行っていた。

 その後、この猫も空き家になった自分の家をねぐらにして道路
を隔てた真向いの豚を飼っているお宅で、豚と一緒に食事にあり
つけるようになった様子で、時々、車の中から、道路を横断して
豚小屋に向かう様子が散見される。

 この豚は黒豚でペットとして可愛がられており、時々、ロープ
を体に巻き付けて散歩している姿に出くわすが、体躯を揺るがせ
て散歩する姿は愛くるしい。

 また、西側の隣家でも面倒見の良い奥さんが、毎日、朝夕二度、
柴犬の散歩に付き合っていると云うが、ある日、その柴犬くんに
そっくり似の白黒トーンの野良猫が散歩帰りに着いてきて、その
まま迎え入れられて、犬猫で仲良く暮らしている。

 最近は、ご近所の例をみても犬猫が仲良く一緒に室内で暮らす
姿が見てとれるが「猫は内」「犬も内」の傾向は強まってきてい
るようである。

 ここで、いきなり、明治の時代に舞台を移すが、

 私の父親は、明治42年に群馬県前橋市で生まれた。生家は昔の
地図で前橋市萱町一丁目一番地で生糸業を営み、萱町で製糸工場を
営みながら、生糸類の輸出商も兼業していた。

 父親の竹次郎は、次男であったが、後継者としての就業を重ねて
いた時代は、飼い犬としての「ポインター犬」の面倒を任され日中
は、人や車などの出入りがあったので犬舎につなぎ、夜間は工場内
の敷地に番犬として開放していたと云う。

 そんな訳で、私も、犬との接し方などは父親から教わった。子供
たちに話すと嫌がられるが・・・

「犬とすぐに仲良くなるコツは、自分の唾液を手の平に載せて犬に
舐めさせると、すぐに、友達になれると云うことで、自分が子供の
頃には、その効果が確かであることを確認したが、最近は子供たち
の手前もあって『シェリー』と『もも』には試したことはない」

 さて、時代を、また、七百年前に戻して・・・

 前述の「徒然草(第八十九段)」の場合は、連歌師が闇夜の中で
せっかく近くの小川付近まで迎えに来た飼い犬を猫又(化け物)と
勘違いして大慌てした訳だが、この場合も、日中の来客時などは犬
を小屋などにつないでおき、夜間は開放していたのだろうか?

 いずれにしても、古の千年前頃には「犬は外」と云う状況が続き、
いつ頃から「犬も内」の傾向に変わって来たのであろうか?

 これについては我が家の飼い犬「もも」が好んで日課にしている
彩の森入間公園における散歩仲間の話なども聞き込んで、その経緯
と今後の未来予測などにもチャレンジしてみたいものである。

「犬は外か?」「犬も内か?」その違いは、犬の居住区の在り方に、
直接的な影響を与えて来るものと考えている。例えば「犬も内」の
居住区として考えた場合に、屋内のフローリングは人間にとっては
掃除面などでは快適だが、飼い犬が上手く走れず脚を脱臼しやすい
などの問題が生じてきている。



第三章  清少納言の永遠の覚悟(グランパからの発信)

 放送大学における学びは、私が一生涯学生作家を継続させて行く
上で、プラットフォーム的な存在であるが、特に茗荷谷にある文京
学習センターは、筑波大学との合同学舎になっており、講義室など
も良く整備されていて学びには最適である。

 私の場合は、ビジネスマンとしての現役時代に管理職に登用され
ると企業内研修の機会は、激減するため、自前で研修の機会を創出
しないと時代遅れになる懸念もあり、当時、放送大学の全科履修生
として「心理学」を専攻して学び続ける形態をとった。

 当然、文部省認定の学習である以上、一定以上の単位を修得すれ
ば「卒業」となる。そこで次の選択肢として「人間学」を専攻した。
そこで出会ったのが「徒然草」の授業を通じての島内裕子教授との
出会いであった。

 ところで、放送大学の話題に関して、こんなことがあった・・・

 家内の実家に行ったときに、放送大学で学生証を受領するために、
私だけが少し遅れて実家に到着「放送大学に寄ってから来ました」
と説明すると・・・

「今の会社で管理工学(IE)の専門職として活躍出来ているのに、
今度はアナウンサーを目指すのですか?」と云う質問があって驚愕
「まだまだ一般社会においては放送大学の認知度は低いな」と痛感
した。

「そういえば、外国人の来訪者が多いと云うことで明治神宮に出掛
けて、英会話の実践研修にチャレンジした時も、放送大学の認知度
は皆無であったな」などと、遠い昔の体験談を思い出した。

 しかし、放送大学の学習カリキュラムは、約200科目も揃って
おり、私が、現在、専攻している人間学は、勿論のこと、心理学・
情報管理学・社会と産業学・そして、外国語など専攻コースは充実
しておりテキスト並びに教授陣も秀逸である。

 ちなみに平成30年度第1学期に選択した、島内裕子教授による
「枕草子」の授業は、かつての 「徒然草を読み通す」授業に比較
しても相変わらずの好授業であった。質疑応答も活発で休憩時間や
昼休みにも質問が溢れるほどであった。

 私も、昼休みの時間帯に「二項目」について質問させていただき、
その内の一つは、次の様な内容であった。

Q:枕草子の執筆についての質問

「枕草子に書かれている内容は、中宮(後に皇后)定子のサロンに
おいて交流を重ね、清少納言が見聞きしたことを書記的と云うより
も編集長的な立ち場で書き留めたものなのでしょうか?」
と云う問いに対して・・・

A:島内裕子教授からの回答

「清少納言自身が、漢学や和歌などの才能にも恵まれ文才にも秀で
ていましたから、編集長的と云うよりも、全文を通して清少納言の
才覚によるものと考えたほうが適切かもしれません。清少納言には
高次のポテンシャルがあったのだと考えられます」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここで、私が連想したことは、かつて、家内の実家にお邪魔した
時に、隣家に住む義弟から、イギリス文学の文献をお借りしたこと
がある。彼は上智大学を卒業後、イギリスに留学していてイギリス
文学に詳しいことから、なにかしら、興味深い記述があるかもしれ
ないと考えて、帰宅後に読書三昧に耽り知り得たことは・・・

 当時、イギリスでは「シェークスピアが、あれだけの名作を多作
出来た秘密は、シェークスピアなる人物が複数人・存在していての
合作であったのではないか」と、いう仮説が建てられて著名な作家
などが、作風や文脈などの検証を経て、

「やはり、シェークスピア本人による執筆であり、あの名作・多作
はシェークスピアの内に秘められたポテンシャルが常人よりも格段
に高く、優れていたことによるものである」と、結論付けていた。

 そのような外国(イギリス)の作家の事例を踏まえて考察すると、

「枕草子も、サロン内の結論を清少納言が編集長的なセンスで書き
留めた執筆と云う性格のではなく、島内裕子教授が解説された様に
枕草子は清少納言による独創的な作品と理解したほうが的確な判断
と云えそうである」

 さらに、もう一つの検証としては、恐れ多いことではあるが自分
自身の経験を踏まえての対比ということになるが・・・

「ごく身近なところで、自分自身の未熟ではあるが自分自身の経験
に照らしたときに、現役の時代に管理工学(IE)の専門職として、
『ビデオIE』という独自の動作解析技法を開発、日本IE協会に
おいて事例発表を行い、それがきっかけとなって異業種間における
『IE実践交流会』に参加する機会を得ることとなり多面的な研究
に発展する機会となった」

「IE実践交流会では、芝浦工業大学の津村豊治教授が座長となり、
管理工学(IE)と云う堅苦しい漢字や横文字表現を噛み砕くこと
で『上手な困り方』と云う親しみやすい捉え方に改めて、管理工学
への親しみ易さを基本に据えて、それぞれの企業における実践例を
交換・交流することで、自社に反映するとしたら・どのような展開
を図るかを考え、時には先進的な事例を実存の優良企業に出掛けて
学び、また問題を抱えた企業を訪問先に選んで具体的な生きた事例
から現場主義で実態を解析し問題点を明確にして改善策を練る」

 これを、16年間にわたって実践研究的に継続させていただいた。
「まさに、これは大学におけるゼミを越える存在価値であり時には
芝浦工業大学に出掛けて研究会にも参加させていただいた」

 結果、どのような成果が得られたか・・・

 管理工学(IE)と云う社内にあっては少数派で、ややもすれば
企業内にあっては、埋没しがちなミッション(機能)が、全社的な
中長期計画を見通す観点から、リーダーシップを発揮できる存在感
として、常に活躍が期待される部署にまで発展した。

 この時、それぞれの管理工学(IE)の担当者は単に従来の他社
の事例を紹介するだけの報告者から、実践的な社内コンサルタント
として自分たちの考えを基に、企業内の各部署を診断して、的確な
指針を共に打ち出せる頼りになる存在に変身した。

 これらの実企業での経験を踏まえて、あらためて枕草子の存在を
考察してみると・・・

「中宮(後の皇后)定子と清少納言と云う抜群の相性の良さを内包
したサロンにおいて、相互の知的ポテンシャルは共に高まって行き、
清少納言のオリジナリティー溢れる構想が、脳内から溢れ出たとし
ても、それは当然の帰結であった」と云える。

 一方、双璧のサロンで源氏物語を執筆した紫式部が「紫式部日記」
の中において述べているのだが・・・

「清少納言ときたら、得意顔もはなはだしい人だったといいますよ」

「あれだけ利巧ぶって漢字を書き散らしていますが、よくよく見た
ら、まだまだ未熟な点が多い。そんな風に他人とは際立って違いを
見せようとむきになっている人はきまって見劣りがするし、将来碌
なことはありませんよ」

「気取る癖のついてしまった人は、ひどく殺風景なつまらない時も、
やたらに気分を出して情趣をさえ見逃すまいとするうちに、自然と
常識はずれの軽薄な人柄になるにきまってます。その軽薄になって
しまった人の終末が、どうしてよいはずがあるものですか」

と、述べているが、これは、かつて、紫式部の夫の宣孝や従兄弟の
信経に関しての批評的な記事が、枕草子に掲載されたことへの怨み
骨髄の思いが、書き上げたことと推測されているが・・・

 清少納言の卓越した学識と和漢の才に長けた機智によって、軽妙
なやりとりを切り返されていた宮廷の男性たちからは、この紫式部
の記事に、こころすく思いをもったであろうことも推測される。

 清少納言は、父親の清原元輔が五十九歳(数え歳)の晩年に生ま
れており、男親にとっては溺愛しても足りないほどの存在であった
と考えられており、元輔は、後撰和歌集の編集や万葉集の訓解にも
従事した実力のある歌人であり、この父親の持つ豊かな和歌の知識
は幼い時の清少納言にとっては乾いた砂が水を吸い込むように吸収
されていったことに疑いの余地はないと云える。

 また、わが国最古の辞書「和名類聚抄」の著者として漢詩文にも
博識な源順が叔父の元真と親しかったことから、少女期の清少納言
に大きな感化を及ぼしたとも考えられている。

 当時、一般的に、女性の教養は和歌や書道・音楽などに限られて
いて漢学などとかかわることは、少なかったので、茶目っ気の多い
父親の元輔や、漢詩文に博識な源順が、才気煥発な少女であった清
少納言に、漢詩文の教養を仕込もうとした悪戯っ気は十分に察する
ことが出来る。

 同時に、晩年の父親の影響を受けて、清少納言が、お説教や法華
八講などにも熱心に通うようになり年配の婦人たちからは「年頃の
娘が、熱心に通う場所ではない」と、心配されていたと云うことも
記録に残されている。

 この様な少女期から蓄積を重ねた漢詩文への素養が宮廷内の男性
貴族との交流のなかで際立ってくることは、当然の成り行きであり、
そのような交流に対応できる宮廷内の男子が限られて来ると、まさ
に清少納言が晩年期に到った時に、今までは気後れしていた宮廷内
の男性から、前述のような紫式部日記の記述に同調するものが現れ
ても不思議ではないと云える。
(これらの記述は、日本の古典:現代語訳「枕草子」秦恒平著によ
るところが多い)

 しかし、考えてみれば、紫式部日記による前述の記事も精査して
拝読すれば・・・

「清少納言の『漢詩文』への際立った理解を認めた上での論評であ
り、宮廷内の交流における、清少納言の機微に溢れた感性の高さを
認めた上での、清少納言への応援歌ではなかったか?」とさえ思え
て来るから不思議ではある。

 しかし清少納言にしてみれば「枕草子」を世に出してから三百年
後に、最大の理解者となる「兼好」が登場して、「徒然草」の著書
のなかで称賛の嵐を巻き起こしたことは、日本文学の水脈が限りな
くつながっていることの証とも云うことができ、それがやがて樋口
一葉などの文学世界にも影響を及ぼしていったことを考えると文学
の水脈は、現代における文学界にも限りなくつながっていることを
示していると云える。

 ここまで、書き出して気付いたことは、前述の島内裕子教授との
昼休みにおける質疑において、島内教授から、

「清少納言自身が漢学や和歌などの才能にも恵まれ文才にも秀でて
いましたから、編集長的と云うよりも全文を通して清少納言の才覚
によるものと考えたほうが適切かもしれません。清少納言には高次
のポテンシャルがあったのだと考えられます」と云う見方には大い
に説得力を感じることになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さてここでも前述の繰り返しになるので前述の文章を再掲するが
「千年も古の宮廷における犬猫の生き様が目の前に迫ってくる清少
納言のフォーカスぶり」には感嘆するばかりであるが本章における
訳文は放送大学の島内裕子教授が、清少納言の枕草子の訳文研究に
おいて、北村季吟の「枕草子春曙抄本」を用いて、執筆にあたって
おり「あとがき」としての解説文の中において、

 大正時代末の研究によって、クローズアップされ、現代において、
本文研究の主流になりつつある「三巻本」による訳文研究も、紹介
されており、三巻本を本文とした訳文についても比較研究してみた。
(日本の古典:現代語訳「枕草子」秦恒平著よりの抜粋)


【帝のお傍近くの猫】 秦恒平著 三巻本の訳より抜粋

 帝のお傍近く飼われた猫は、五位まで頂戴して、お召名も、命婦
さんなどと、とてもかわいいので慈しんでおいでだった。

 ある日も端近に出て寝そべっていたのを、お世話申す馬の命婦は、
「まあ、お行儀の悪い。奥へお入りなさい」と、呼びかけるのだが、
日差し暖かに心地もよく、どうやら、眠っているらしい。ちょっと
おどしてみようと、

「翁丸、どこなの、お行儀の悪い命婦さんを噛んでおやり」とけし
かけた。真に受けて、大きな犬の翁丸が、一散に飛びかかったから、
猫の命婦は脅えきって悲鳴をあげ御簾の内へ逃げ込んだ。

 朝餉の間の御食膳から、折も折、帝は、この様子をぜんぶ御覧に
なってことのほか吃驚なさって、御猫をふところにお抱上げきあそ
ばし、六位蔵人などをお呼び立てになる。すぐさま忠隆となりなか
が馳せ参じたところで、

「この翁丸、打ち懲らして淀の中州の犬島へ流罪に行え。今すぐ」
と、厳しい仰せに諸衆や滝口の男どもを集めて、罪せられた翁丸を
さんざん追いまわす。馬の命婦へもお譴は厳しく、

「命婦の世話はほかのものに替えよ。安心がならぬ」と痛く御不快
の御容子に恐懼して、お前へも出られない。犬はとうとう狩り出さ
れ、滝口の武士らの手で禁中を追い放たれて行った。

「かわいそうに、あんなにいつもノシノシと歩き回っていたのに」

「三月三日、頭の弁がわざと翁丸のために、柳の輪飾りに桃の花を
その挿頭にさせ、咲いた桜の枝まで腰帯に刺させたりして練り歩か
せなさったあの時は、よもやこんな目に遭おうとあの犬も思わなか
ったでしょう」と、口々に哀れがった。

「宮がお食事の折など、きまってお庭先からこっちを見て畏まって
いたのに、寂しくなってしまった」と、顔が寄れば言い合っていた
あれから三、四日後の昼時分だった。けたたましく啼く犬の声がす
るもので、

「どの犬がこういつまでも啼くの」と人に訊くうちにも、御所中の
女たちがそっちへ駆けて行く。御厠人の女が走り寄って来て、

「まあたいへん。犬を蔵人が二人がかりで打ちのめしておいでです、
死んでしまいます。お流しになったあの犬が帰って参ったとそれで
懲らしめなさるのですよ」と泣き顔になっている。気がかりな翁丸
に違いない。

 忠隆や、実房が折檻するという話なので、その女を止めに走らせ、
やっと啼き声が止んだ。

「死んだので、御門外に棄ててしまいました」との報せで、しきり
とかわいそうがっていたその夕方になって、無残に脹れて目も当て
られない犬が、さも辛そうに胴顫いしながらよたよたあるくので、

「翁丸かしら。近ごろ、こんな犬がうろつくことなかったわね」と
言う下から、誰かが「翁丸」と呼んでみるのだが、見向きもしない。
「翁丸よ」と、言う者もあり、「違う」とも、みなまちまちなので、
宮が「右近なら見分けよう、お呼び」と、召されて、やがてお傍へ
参った。

「これは翁丸か」と、右近にお見せになる。

「似ておりますけれども、これはあんまり容子がひど過ぎますよう
でございます。それに翁丸と呼んでやりさえ致しますときっと喜ん
で寄って来ますものを、この犬は参りません。やはり違うのでござ
いましょう。先ほどの翁丸なら、打ち捨てて死骸は棄てましてござ
いますなどと、蔵人も申しておりました。男が二人がかりで打った
のでは、まさかあのまま生きていまいかと存じますが」と自信なげ
な御返辞に、宮はすっかり眉をひそめておいでだった。

 暗くなる時分に物を食べさせてみたが、食べない。やはり、違う
ようだということで、もう犬の話はおやめと、決めた翌る朝、宮が
お髪をおすきになりまたお手水を使われるなど、例の御仕度ごとの
間にも、お持ち申し上げた御鏡を、覗いていらっしゃる所へ、まぎ
れない昨日の犬がお庭先の縁の柱したまで来て座り込む。ついその
方を見やりながら、

「ああ、まあ昨日は、翁丸のことを手ひどくいじめたこと。死んだ
と聞けばほんとうにかわいそうに、何に今度は生まれ変わったやら、
あれで死ぬまぎわにはどんなに辛かったでしょう」と、問わず語り
に口をついて出た。すると、この座っていた犬がにわかにぶるぶる
総身を震わせ涙まであとからあとから流すのには魂消た(たまげた)。

 さてこそ翁丸だった。ゆうべは、これでもひた隠しに己が素性を
忍ばせていたかと分かれば、ひとしおの物哀れにもまた優って事の
次第のおもしろさは、ちょっと言い尽せそうにない。思わずお鏡を
下に置いて、

「では翁丸なのね」と、念を押してやると、ひれ伏して盛んに啼く。
宮もほっとされた御容子でお笑いになった。

 右近内侍を呼びにやられて、これこれであったと仰せになる、と
居合わせた女房もみなで大笑いになった騒ぎは畏れ多くも帝のお耳
にまで届いてしまい、宮の方へお出ましになった。

「驚いたね。犬にもそんな分別があるものとは」と、やはりお笑い
あそばす。聞き知った帝の女房がたもみなこちらへ集まって、口々
に呼んだりすると、もうそれへも、翁丸は、身を起こしてしきりに
動きまわる。

「とにもかくにも翁丸、その顔や何かの脹れ上がったのを手当てし
てほしいわね」と呟いていると、朋輩がみなで、

「あなたとうとう犬の正体を見露してしまったのね」など言い囃す。

 ちょうどそんな時に、蔵人忠隆がどう耳にしたか台盤所の方から、
「あの犬めが戻りましたとか。そんなことございますものか。ご検
分致しましょう」と呼ばわるものだから、

「おお縁起でもない。けっしてそんな一度死んだようなものはここ
には入れませんからね」と、取り次がせたが、うるさい忠隆は、

「どうお隠しになっても見つけ出す日がきっと参りますよ。お隠し
になりとおせますものか」と、にくいことをうそぶく。

 その後は、翁丸への御勘気も解けて、もとの身の上にかえった。

 それにしても「かわいそうに」と、いう言葉ひとつに身を顫わせ
声を立てたあの容子というもの、ちょっとよそにためしが無いほど
おもしろく、また心打たれたことであった。

 他人に同情の声をかけられて、啼き出したりするのは、同じ人間
同士だけ、と、つい思い込んではいたが(第六段)、

「翁丸の身上に『定子の悲運の兄』、あの内大臣伊周、世に時めき、
一転して無残に流罪され、かろうじてまた都に入ることを許された
伊周への清少納言の深い思い入れが加わっていると読める。これは
長保二年、西暦にして1000年の3月のことと思われる。定子は
この年12月13日に25歳の若さで亡くなっている。そしてその
後の清少納言について知る人はない」

 この記事は、日本の古典:現代語訳「枕草子」秦恒平著から抜粋
している。同じ記事が、島内裕子教授による枕草子春曙抄本を本文
とする訳文では第七段に配置され、秦恒平著の三巻本を本文とする
訳文では第六段に位置している。

 私は、現在 「枕草子(清少納言)」を学ぶ上で、二つの教本を
手元に置いて学習を進めている。

◯ 一つ目は、放送大学の島内裕子教授著による「枕草子(上)」
と「枕草子(下)」の二巻により構成されているテキストを愛読書
としている。

 この著書の特徴はモバイル本とも云える存在であり小型のカバン
に入れて持ち歩けるので、時間の隙間を見付けては読み続けるには
最適である。
 
 事実、既に、受講した「徒然草」のモバイル本も出掛ける際には
小型のカバンの中に入れて、歯医者の時間待ちのときなどに、繰り
返し読み返している。

◯ 二つ目は、前述の日本の古典:現代語訳「枕草子」奏恒平著の
大判本で、家内の蔵書からの借用本である。豪華版らしくカラーの
絵などによる解説や著者である清少納言の生い立ちや時代背景、更
には人物評などの説明が詳しい

 大判本の枕草子については、放送大学において6月下旬に茗荷谷
の文京センターで、島内裕子教授の授業を受ける前に、予習のため
に読みこんでおいた。

 結果、受講時の昼休みにおいて、前述のような質問に到った次第
である(下記に再掲しておく)

 私からの質問「枕草子に書かれている内容は、中宮(後に皇后)
定子のサロンにおいて交流を重ね、清少納言が見聞きしたことを、
自分の思考過程も含めて、書記的と云うよりも編集長的な立ち場
で書き留めたものなのでしょうか?」と云う問いに対して、

 教授からの回答「清少納言自身が文学の才能に恵まれ、文才にも
秀でていましたから、編集長的と云うよりも全文を通して清少納言
の才覚によるものと考えたほうが適切かもしれません。清少納言に
は、それだけのポテンシャルがあったのだと考えられます」。

 この島内裕子教授の捉まえ方については、島内教授著のモバイル
本を上巻・下巻ともに読み通すことで納得がいった。

 昼休み時の二つ目の質問は・・・

 既に、島内裕子教授とは徒然草(兼好)を読み通すと云う画期的
な授業に参画して、コミュニケーション論でいうところの「コンテ
クスト(文脈的な暗黙知)」を共有しているところから、次の様な
高次な質問を投げかけさせていただいた。

【コンテクスト(文脈的な暗黙知)共有の経緯】

◇ 徒然草のテキストの「はじめに」の記述の中で「兼好は決して
最初から人生の達人ではなかった。徒然草を執筆することによって、
成熟していった人間である」と云う表現をしていたことに着目。

 しからば、と・・・

「徒然草の最終段である第二百四十三段から、逆読みをして該当の
第四十一段に達して兼好が脱皮したと思われる章段を見付け、実際
の授業の際に全員で序段から読み始めて、再度、該当の第四十一段
で兼好が脱皮したことを共通理解として確認した」

「具体的に、兼好が徒然草を書き進める過程において第四十一段に
書かれているところの兼好が民衆の中に飛び込んで、自らが発した
言葉をきっかけにして、兼好自身が、人間として脱皮したこと」を
人間学的な見方からも確認出来た。

 この様な私自身が体験した「コンテクスト(文脈的な暗黙知)」
を踏まえて、私は、二つ目の質問させていただいた。

Q2:枕草子の執筆について、人間学の面からの質問
 私から「徒然草の兼好の場合は、第四十一段が兼好をして脱皮
して人間として成熟して行った分岐点でしたよね」
 
 島内教授「その通りでしたね」

 私「清少納言の場合は、全文を読み通しても、人間として成長
したと云う段章は見当たりませんと、島内先生は仰ってました」

 島内教授「そうですね。そこが兼好とは違いますね」

 私「私自身も、枕草子の現代語訳で予習をしてきたのですが予習
の段階で感じ取ったことは、清少納言が、中宮定子の居る宮廷から、
一時、里帰りをしたときに書いたと云われる狭本としての枕草子は
『自己実現的』な範疇の執筆であり」

「その後、世に出た広本としての枕草子は、中宮(後の皇后)定子
に向けた『他己実現』のための枕草子であり、この狭本から広本に
発展させたときに、人間学的に清少納言としての脱皮なり人間形成
があったと考えても良いのではないでしょうか?」
と、自分なりの考えを述べた。

 これに対して島内教授からは・・・

 島内教授「あなたの様に自分の考えを持って自分の考え方を明確
にしながら枕草子を学ぶことは、とても、良いことだと思います」
と云うコメントをいただいた。

 その後、私は平成30年10月に予定されている「枕草子」下巻
の受講に向けて受講申し込みが当選して受講できる場合を想定して、
枕草子の上巻・下巻を、第一段から最終の第三百二十五段まで読み
通し、合わせて、大型版の跋文にも目を通した。

 その結果・・・

 これは偶然なのか必然なのか、島内裕子教授著の枕草子(第七段)
および秦恒平著の枕草子(第六段)とは、同じ内容であるが「帝の
お傍近くの猫」で描いている、翁丸の情況描写に、こそ、清少納言
の「素の気性」が露出しており、全文を読み通した上でも清少納言
の覚悟と潔さが読み取れるものと感じ取った。

 これは深層心理的な考察となるが・・・

◯ 枕草子には、末尾に跋文の掲載があり、枕草子の誕生の秘話が
紹介されている。

【跋文から抜粋】

「この草紙は、目に見え、心に思う事を、よもや人は見まいと思い
所在ない里住みの間に書き集めておいたの」を、筆の勢いで、人に
よっては、不都合な言い過ごしと言う事になりかねぬ箇所もいくら
かあり、ちゃんと隠しておいたつもりでいたのに、まったく思いが
けなく世間に洩れ伝わってしまった」

 宮様に、内の大臣(伊周)が、りっぱな紙を献上なさった際に、
「これに何を書けばよいか、上の方では、史記という書物をお写し
になられたが」と、仰せであったので、

「それなら、鞍褥(しき)に負けない馬鞍(まくら)にも、という
ことでございましょうか」と、申し上げると、

「それなら取らせよう」と御下賜になったので、その任ではないが、
これも、あれもと、たくさんあった紙を(枕ごとで)書き尽くそう
としたものだから、まるで、筋の通らぬ言い草ばかりがいっぱいに
なってしまった。

 もともと(はじめ心がけたとおり)この草紙に、当代評判の名言
秀句、人がすばらしいと思うに違いない物の名をよく選んで、和歌
にせよ、木、草、鳥、虫のことでも、書き留めても、おこうならば、
思ったほどではない、心の浅さも見えた、と、我が身一つでふせぎ
かねる悪口を言われよう。

 それで(強って、途中から)自分一人の心に自然に思い浮かんだ
ことも、たわむれに幾らも書きつけていったから、まともな書物に
立ちまじって、人並みに扱われるような、評判など期待はしていな
かったのに「たいしたもの」などとも、読んだ人はおっしゃるよう
だから、ほんとうに妙な気がしてしまう。

 ま、それも道理で、人のきらうものをいいと言い人のほめるもの
をよくないと言う人は、心のほどが知れるというもの、ただ、この
草紙が人目にふれてしまったことが残念だ。

 佐中将(源経房)が、まだ伊勢の守と申し上げていた時分、里の
方へおいでになったことがあって、端の方にあった畳を、縁側まで
さし出したところ、置いてあった、この草紙も、一緒に外に出して
しまった。

 あわてて取り込もうとしたけど、そのまま持ち去られて、だいぶ
たってから返ってきた。その時から世間には知られ初めたらしい。

・・・・・・・・・・・・

 しかし、この跋文は、狭本として「枕草子」が思いがけず、世に
出てしまったときの思いであって、広本としての枕草子の意味合い
は隠されているものと推測する。

 何故か? 

 清少納言が、老犬「翁丸」の記事を書いたのが、長保二年(西暦
1000年)三月のことと思われ、この年の12月12日に25歳
の若さで皇后(仕えたときには中宮)定子が亡くなっている。

 話題は変わるが江戸時代に松尾芭蕉も若くして仕官して二歳年上
の若君「良忠」と共に、枕草子春曙抄本の著者である、北村季吟に、
俳諧の世界を学んでいる。

 しかし、その4年後に若君が他界、芭蕉は失意の中、若君のお骨
を背負って高野山に登っている。

 一方、清少納言は、皇后定子が他界した時に背負っていたものは、
皇后定子を取り巻く境遇の中において「なんとしても、お守りする
必要があった」のは、皇后定子の子供たちのことであった。

 当時の権力者は道長であり、その権力の圏外に置かれた皇后定子
の子供たちを守り抜くためには、なんとしても 「枕草子」という
作品の中において、皇后定子のこの上ない素晴らしさを精一杯語り
尽して、皇后の遺児三人の将来を中宮彰子をはじめとして、道長や
斉信・行成・経房たちに託して、その幸福を祈るより他なかった。

 その結論が、広本としての枕草子を、世に出すことであり、中宮
(後の皇后)定子についての、膨大な章段の存在が、狭本における
枕草子の跋文を越えた存在になっているものと推測する。

 そして、道長を中心とする権力の中枢にあるものへの怨みごとの
記述がいっさいないこととともに、自らが「一人静かに隠棲生活に
籠ったこと」も、翁丸を守り切ったときの覚悟にも通じるところが
あり、狭本の枕草子における自己実現を越えて広本としての枕草子
には「他己実現」という高次の意識に己の身を置いたということの
ように思われるが、私の思い込みであろうか?

 ~ その永遠の覚悟は遥か千年の古において飛ぶが如く ~



第四章  兼好の前世は清少納言だろうか(ももからの発信)


 最近、私は、グランパが、真顔でいう冗談が妙に気になっている。
「徒然草を書いた兼好の前世は枕草子を書いた清少納言ではないか」
などと云う冗談を真顔で言い出しているのである。

 辞書には・・・

「前世(ぜんせ)とは、仏教用語で三世(さんぜ)の一つ。この世
に生まれ出る前の世(過去世)であり『前世の報い』などという」
云い方をする。

「三世(さんぜ)とは、前世・現世・来世から成る」

 兼好は、徒然草の執筆の中で、常に、死を意識して暮らしていた
節があるが、来世については語っていない。
(一説によれば兼好は70歳過ぎまで生存したとある)

 一方で、徒然草の第七十一段には、兼好によるものとして、次の
ような記述がある(放送大学 島内裕子教授の訳から抜粋)

「人の名前を聞くと、すぐにその人の容貌が推測される気がするが、
実際にその人の顔を見ると、また、会う以前に自分が思った通りの
顔をしている人はいないものだ。昔の物語を聞いても、この頃の人
の家の、そのあたりが舞台だろうと思ったり、登場人物なども今見
る人の中から、おそらく、こんな人だったのだろうと重ね合わせて
理解されるのは、誰でもこのように思うのだろうか」

「またどのような時であったか、たった今、人が言うことも、目に
見えるものも、自分の心の中にも、このようなことが過去にあった
ように思われるが、それがいつだったかは思い出せない。けれども
確かにあった気がするのは自分だけがこのように思うのだろうか」

 この現象については島内裕子教授も「既視感(デジャ・ヴェ)」
として捉えており、既視感は、それまでに、一度も経験したことが
ないのに、かつて経験したことがあるように感じる既視体験を指し
ており、前世というところまで、グランパは、発想を飛躍させて」

 ファンタジックに・・・

「兼好の前世は、清少納言その人であったのだろうか?」と発想を
膨らませてみたのだと云う。

 話題を元に戻すが・・・

 グランパの冗談は、学習の経緯を経て、生真面目な顔で語るので
始末が悪い。

◯ グランパが、徒然草を読み通すと云う講座を島内裕子教授から
受けて感動、続けて枕草子の授業を放送大学の文京センターで受講
したことは前述した

 枕草子(上巻)の受講の印象として・・・

「島内裕子教授が枕草子(上巻)の最終段にあたる第百二十八段を
読みあげているときに、島内教授自身が清少納言に成り切っている
こと」に、気付いたのだと云う。
(島内裕子教授の前世が、清少納言ということはないだろうが?)

◯ そこで、グランパが発想したことは・・・

「自分としては、徒然草を書いた兼好の視点で、清少納言の枕草子
を読み通してみる。そのためには島内裕子教授による徒然草の訳文
を再度読み返すことで、あらためて兼好の視点を推測しながら再度、
枕草子を第一段から最終段の三百二十五段まで読み通してみる」

「それにしても島内裕子教授は、毎年、元旦の午前中に、徒然草の
第十九段を読み上げて、過ぎし一年のくさぐさと、これから始まる
新しい一年に思いを馳せ、清新な気分に、包まれるとしているので、
自分自身は、今年、茗荷谷において初めて一学期と二学期を通じて
の枕草子の講義を経て、迎える新年にはどのような境地に到るのか
大いに興味が湧く」と云う。

◯ グランパが、あらためて、徒然草を読み始めて感じたことは、

 徒然草の序段にある「徒然なるままに、日暮らし硯に向かひて、
心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あや
しうこそ物狂ほしけれ」は・・・

 兼好が、徒然草の執筆を進める過程で、途中、意識が高揚して、
「後から付け加えたものにちがいない」と、グランパは推測して
いるのだと云う。

 それを推測する根拠は枕草子の第一段に記されているところの
「春は曙。漸う白く成り行く、山際、少し明かりて、紫立ちたる
雲の、細く棚引きたる。 夏は夜。月の頃は更なり。闇も猶、蛍、
飛び違ひたる。雨など降るさえをかし。秋は夕暮。夕陽、華やか
に差して(以下、略)」の名文を、強く意識しての序段としての
後付けではなかったかと、グランパは想像しているのだと云う。

 そして、グランパは徒然草の「第一段の記述に、いきなり宮廷
における帝の話題が登場して、文中で清少納言のことを取りあげ
ている」ことの唐突さに違和感を覚えたのだと云う。

 しかし、この違和感にこそ、兼好と清少納言の関係性が如実に
表れており・・・

「枕草子においては、中宮(後に皇后)定子に仕える清少納言が、
中宮を介して宮廷内における帝のお姿などを紹介しており、これ
と『対』を成すようにして兼好は蔵人の立場から、宮廷で起こる
光景や帝のお姿を紹介すると云うコンセプト(概念)を考えるに
到ったのではないか?」

「しかも清少納言にとって、宮廷内の蔵人の立場はお気に入りの
ポジションであった」と推測される。清少納言が、もし、生まれ
変われるとしたら「今度は、蔵人に」という思いは、あったかも
しれない。

「ゆえに前世において、清少納言であった兼好が無意識のレベル
において、対の概念を脳内で想定のでは?」と云うのが、冗談で
あろうとは思うが真顔で熱く語るグランパの仮説であると云う。

 また、グランパが、徒然草を、あらためて読み返した印象では、
第一段から続く書き出しにおいて、兼好が脱皮したと推測される
第四十一段までの間に、微妙な紆余曲折を感じ取ることが出来る
と云う。

 仮に、兼好の前世が、清少納言ではないにしても、第一段から、
第三十段あたりまでは既に、現役の蔵人の時代に兼好自身が書き
留めていたと云う印象が強く、第三十一段あたりから第四十段に
かけては読書人であった兼好が、読書の世界観の中で名文をした
ためようとして、やがて、行き詰まった印象がある。

 そして、第四十一段に到って群衆に接して自らの殻を破り脱皮
することが出来た。その記念に値する段章を書き出してみること
にしよう。

【徒然草 第四十一段】放送大学 島内裕子教授訳より抜粋

「五月五日、上賀茂神社の競べ馬を見物に行ったところ、牛車の前に、
身分の低い者たちがぎっしりと立ち並んで、馬を走らせる馬場がよく
見えないので、私たちは、牛車から降りて、柵の近くまで近寄ったが、
そのあたりはとりわけ人々が混雑していて、どうにも分け入る隙間が
ない」

「ちょうどその時、向かい側の楝の木に法師が登って木の股に座って、
見物しているではないか。彼は、木にしっかりとしがみつきながらも
ひどく居眠りしていて、木から落ちそうになると目を醒ますと、いう
ことを繰り返しているのである」

「これを見ていた人が、嘲って軽蔑して 『なんて愚か者なのだろう。
あんなに危ない木の枝の上で、よくもまあ安心して眠れるものだ』と
言うので、自分の心にふと思ったままに『われわれの死の到来だって、
今この瞬間かもしれない。それを忘れて見物などして、貴重な今日と
いう日を過ごすのは、愚かしさの点で、あの法師以上ではないか』と
言うと、自分の目の前にいた人々が『まことに、ごもっともなことで
ございます』『われわれこそもっとも愚かでございます』と、言って
皆が後ろを振り返って私を見て『ここに、お入り下さい』と、場所を
空けて、呼びいれてくれたのだった」

「これくらいの道理は、誰だって、思い付かないことではあるまいが、
折からのこととて思いがけない気がして、強く胸を打たれたのであろ
うか。人間というものは木石のように非人情なものではないから場合
によっては、こんな程度の発言にも、感動することがあるのだ」

 ただし、この段章だけを読んでも、兼好自身が生まれ変わった瞬間
として、感じ取ることは難しいかもしれない。島内裕子教授は盛んに
徒然草を読み通すことの重要性を唱えているが、我々がオーケストラ
を聞いていて、感動の瞬間を感じ取ることがあるように島内裕子教授
校訂・訳の「徒然草(兼好)」を読み通す醍醐味を、味わってこその
感動なのかもしれない。

 それゆえに(前述の話題の繰り返しになるが)・・・

 グランパの心境としては、再度、兼好の徒然草を序段から、最終段
の第二百四十三段まで読み通した上で、徒然草の窓から兼好の視点で、
枕草子の第一段から上巻・下巻を通して最終段の第三百二十五段まで
読み通してみたいのだと云う。

 そのように考えると、徒然草の序段から、そして、枕草子の第一段
から、それぞれの最終段まで、我々が読みやすいように、訳文と評を
書き貫いた、島内裕子教授の熱心さとバイタリティーには心を込めて
脱帽するばかりである。

 そして、千年前の清少納言の枕草子を、より読みやすくするために、
今から七百年前に、枕草子春曙抄本を筆で、書き綴った北村季吟には
驚嘆の思いである。

 ちなみに島内裕子教授は枕草子の訳文に連なる評の記述において、

「枕草子の訳文研究における底本とした枕草子春曙抄本の著者である
北村季吟は、幕府歌学方として 『犬公方』と称された 徳川綱吉に
仕えており枕草子第七段の翁丸についての段章については将軍綱吉を
して『どんな気持ちで読んだだろう』かと、問うているところも興味
深いところであると、グランパは率直な感想を述べている。

~ ここで話題の中心は、思いがけず、お犬様の話に戻ってきた~


第五章  ペット殺処分ゼロを目指して(グランパからの発信)

 将軍 徳川綱吉の「お犬様」の時代は別格として、最近は犬猫に
代表されるペット類がたいせつにされる時代になってきた。東京都
なども小池都知事がペット殺処分をゼロとする目標を明示している。

 少子高齢化に伴い、シニア世代のお宅に家族の一員として迎えら
れたペットたちも、飼い主と共に年を重ねている。

 我が家では、私と飼い犬「もも」は彩の森入間公園における早朝
散歩を日課にしている。最近、早朝の犬仲間の散歩風景をウォッチ
(観察)したことがあるが、どうやら時間帯によって散歩する犬種
たちの仲間に特徴があるようだ。

 私と飼い犬「もも」は、朝の6時の時間帯の散歩が多いが、この
時間帯には理由までは分からないが、ダックス・フンド系の犬たち
が多く、7時の時間帯なってくると大型犬から小型犬までさまざま
な犬種が集まって来ているようだ(その根拠までは分からない)

 夏などは、理想的には陽の昇る前の5時半頃が涼しくて快適なの
だが、彩の森入間公園の運営が民間業者に任されてから、開園時間
が6時になったために夏場は早朝でもやや暑いという印象である。

 歳月の経過に伴い、当然、公園の運営形態も変わって来る。開園
時間は6時となって少し遅くはなったものの、園内の樹木や草花の
手入れはより行き届くようになり、季節の花々も増えて、園内には
ゴミひとつなく行き届いた運営になってきている。

 園内は経年に伴い、園の風景だけでなく人々の様相も加齢を帯び
て来ている「九十歳近いお年寄りが、老犬の綱を引いてゆっくりと
前屈みに歩く姿も散見される」ようになってきた。

 総じて、園内は人も犬も加齢の傾向にあり、その中で園内を走り
抜ける高校生の姿は若さが際立っており頼もしい。園内の高校生は
必ず「おはようございます」「こんにちは」と我々に声掛けをして
追い越して行く。

 これは学校の教師による体育指導の際の産物なのかもしれないが、
市民に解け込け込む光景として微笑ましい。一方でローカルな話に
なるが、市内の私立高校へつながる駅からの道において生徒が横断
歩道を渡る光景が「なんとも、ダラダラとした歩き方」で、左折車
などの渋滞を招いている。

 これなどは高校における教師からの教育が行き届いていない表れ
であると推測され、市内の同じ高校においても、教育面での差異が
感じられる。

 さて、話題が脇道にそれてしまったが、先日、夕飯時にビールで
乾杯の後で・・・

家内「今日は、スポーツジムで友達が涙を流しながら、皆に話して
いたことで、とんでもない話があったわよ」と、憤慨していた。

私「なにがあったの?」

家内「その友達のお隣で犬を飼っていて、飼い犬が目が良く見えな
くなってきて、排尿も上手く出来なくなり、この酷暑の炎天下で犬
を外に出したまま食事も与えていない様子なので、その友人が隣の
ワンちゃんに、とりあえず食事を与えて、親しい隣人でもあるので、
この暑さではワンちゃんも、たいへんだから、家に入れてあげたら
と云ったが、いっこうに改める気配がなかった」のだと云う。

私「今年の異常な暑さ中、それも炎天下では犬も死んでしまうよ」

家内「それが友人の話によると、隣家では『今度は、どんな犬種に
しようかしら?』などと、云うことを平然と話題にしているのだと
云うのよ」

私「それじゃまるで、目の良く見えない犬を、炎天下に出して死ぬ
のを待っているということ?」

家内「そうなのよ。あまりにも酷い話なので、その友人が夕食の時
に家族にその話をしたら、息子さんが『ボクは明日が休み』だから、
日除けになる様な物を買ってきて、目が良く見えなくても大丈夫な
様に、囲いも用意するよと云ってくれたのだと云う」

私「優しい息子さんだね。隣家なので、子供の頃にその犬と遊んだ
ことがあるのかもしれないねと言葉を挟んで、その話は終わった」

 翌週になって私が「あのワンちゃん、どうなったの」と、聞くと、

家内「息子さんの休日の朝に、隣家に行って、ワンちゃんのための
日除け対策の話をしにお伺いすると『ちょっと待って、お父さんと
相談するから』と云って待たされて、結果、ワンちゃんを家の中に
入れることになったそうよ」

私「それは良かった。家の中で飼っていたワンちゃんなので必要な
道具は揃っているんだろうね」ということで話は終わった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて舞台は変って・・・

 今朝も、午前6時半頃に、私と家内と飼い犬「もも」とで揃って
彩の森入間公園に出掛けると、上池の畔でベンチが並べてある場所
に犬友の常連メンバーが顔を揃えていた。

 そうだ気になっていることを皆さんにお聞きしてみようと考えた
私は「皆さんのところでは、部屋犬ですか?」とお訊ねすると、

A女史「うちは部屋犬ですよ」

B女史「我が家も部屋犬よ」と、ワンちゃんに向かって声をかける。

C氏「俺んとこは、室内犬として飼育しているが、夏冬を除いては
昼間は庭で遊ばせているよ」

私「皆さんの処では三軒のお宅で、ミニチュア・ダックス・フンド
を飼育しており、揃って部屋犬ということですね」

家内「我が家でも、ミニチュア・ダックス・フンド犬なので、当然
の様に部屋飼いにしていますが、大型犬や中型犬と違って体が細い
ので、外に置いたら柵から抜け出しますし、逃げ出したら捕まえる
のも大変なので部屋飼いにせざるをえないですよね」と云うと、

B女史「小型犬でも、芝犬は、比較的、外でも飼いやすいわね」

家内「飼い犬も四六時中、一緒の部屋で暮らすとなると、子犬の時
の糞尿の始末や躾が大変だったり、3歳までの歯の成長期には家中
の電気の線を噛み切られてその対応に追われたり、それなりの苦労
を背負わされましたが、一緒に暮らすことで家族愛のようなものが
芽生えて来ますよね」

D女史「うちはこのとおり、大型犬の代表のようなシェパード犬で
すが昼間は屋上に設えた芝生の上で遊んでいます。暑くなると屋上
には庇を付けた水飲み場があるので、そこで昼寝をしています」

私「大型犬だけに、散歩がたいへんですね」

D女史「そうなんです。うちは一階の設計事務所で主人が執務して
いるので、朝夕のどちらかは、主人が散歩に連れて行ってくれるの
ですが、夜は設計事務所は無人状態になるので、主に夕方は主人が
散歩に連れて行って『ジョン、後は頼むぜ』と、言い聞かせてから、
自宅に帰ってくることが多いですね」

家内「ジョン君も、働き手として、役割を背負っている訳ですね」

A女史「偉いわね。うちのメグなんか番犬にならないわよ。純正の
ペット犬という感じで寝てばっかりよ」

B女史「一般的に、部屋犬は生活環境に恵まれているため、外犬に
比べて寿命が3年くらいは、伸びると云われているわよね」

C氏「部屋犬にするか・外犬にするかはケースバイケースで飼い主
の居住環境とライフスタイル、それに、犬が用役犬としての役目を
背負っているのか、ペットとしての愛玩犬かによっても違ってくる
だろうね」

A女史「昔は番犬としての役目を背負わされて飼われていたケース
が多かったので、犬種も大型犬や中型犬が多く、敷地の大きなお宅
で飼われていたケースが多かったこともあり圧倒的に外犬のケース
が多かったわね」

B女史「用役犬と云えば、警察犬や麻薬犬などは専用の犬舎が用意
されていて、いつでも出番が来れば出動するので、専任の飼育係も
いて、別格的な位置付けですよね」

C氏「盲導犬なども、該当のお宅で用役に沿った犬が選ばれ、手順
に沿って飼育が行なわれていますから、これも別格的な扱いですね。
ただし、用役犬は現役の時はストレスが大きいと思うのでリタイア
した後のくつろぎは必須ですよね」

私「そのような層別をしてくると、室内犬にするか、外犬にするか
の選択肢は、ペットショップで売られている段階で三通りくらいの
選択の幅が出て来るということですね」

家内「最初から室内犬として選択するケース、最初から外犬として
選択するケース、あるいは、日中、家に誰も居なくなるケースでは
外犬にして、家族が帰ってきたら部屋に向かえ入れるケースなどと
多彩な選択も出てきそうですね」

D氏「うちの場合は、三つ目の内外折衷犬のケースですね。しかし
この場合も、外柵からは離してかなり内側のエリアで犬が過ごせる
様にしないと外からのいたずらにあったり、通行人に噛みついたり
するケースも出て来るので、犬にとっての自由圏を人間側で考える
必要がありますね。昔のように犬を鎖でつなぎっぱなしにする様な
ケースは、部屋犬化へのシフトと並行して、減ってきているのでは
ないでしょうか?」

A女史「もうひとつの選択肢としての違いは、犬を家族としてみて
行くのか、犬を獣の一種として、動物的に扱うのか、これによって
犬に対する接し方は、大きく異なってきますね」

私「たしかに犬たちも生後すぐにペットショップで売りに出されて
ケージ内で暮らし、いわば、部屋犬暮らしに近い形で暮らしていて、
飼い主の家庭に迎えられたとたん、いきなり外犬として外に出され
たら、一晩中鳴き通す犬も居る訳で、思わず家の中に入れますよね。
そして慣れてきたら外に出そうと思っても、犬は3歳児程度の知能
があると云われていますから、愛くるしい目でしたわれたりしたら、
もう室内犬確定ですよね」

家内「ですから、一度でも家族としての体験をしたら、次は家族と
して迎える。当然のこととして部屋犬、当確、ですよね」

D氏「今、住宅事情としても隣近所が密集していますから、一晩中、
犬を鳴かせておくわけにもいきませんよね」

B女史「今はマンションでも、小型犬なら家族として迎えることが
出来るようになっていて、マンションの敷地内にワンちゃんが足を
洗える場なども用意されていて、ペットショップの売り場などでも
ほとんどが小型犬で、今や、部屋犬が当たり前になってきていると
いう事情もありますね」

A女史「ワンちゃんと部屋で一緒にいたら、一晩中、鳴き通すとい
うこともないですよね。元々、人間とワンちゃんで一緒ならペット
ショップと同じ環境ですから子犬も従前通りの住環境で過ごせると
いうことになりますよね」

私「そういえば伊豆に出掛けた時に、ホテルの通りを隔てた向かい
側のお宅で一晩中、犬が鳴き通しで眠れなかったことがあったね」

家内「あのときはまいったわね。あのお宅はあの夜は留守だったの
かしらね」

D氏「やはりペットショップで飼われていた犬が、部屋犬になるか、
外犬になるかの分岐点は、受け入れる側のファミリーが家族として
迎え入れるのか、獣としてアニマルの分類で迎えるかの違いによる
ということになりますね」

私「そして犬をペットとして部屋に迎え入れる場合に、彩の森入間
公園などにおける飼い主の年齢層を考えた時に、次にまた犬を迎え
入れようとした場合、愛犬を路頭に迷わせないためには、自分たち
の平均寿命までの残された年数と犬の寿命を推し量って決めて行く
必要がありますね」

家内「我が家でも、先代のシェルティ犬を13歳で亡くしたときに
火葬場の帰途、あまりの悲しみに、もう二度と犬は飼わないと決め
ていました」

私「そのシェルティ犬は、我々とも相性が良く、我が家の子供たち
とのドライブなどにもよく連れて行くなどまさに家族の一員でした。
今でも、桜が咲く時期になると、納骨した狭山湖霊園にお墓参りに
出掛けています」

家内「それほどに思い入れの強いワンちゃんでしたので、いわゆる
ペットロスの衝撃は強く悲しみも深くて、二度とワンちゃんは飼わ
ないと決めていました」

私「しかしシェルティ犬を亡くしてから、一年後、子供たちが帰り
がけに、子はかすがいならぬ『犬は我々夫婦にとってかすがい』と
でも思ったのでしょうか?」

家内「再び飼い犬を迎えることを、あまりにも強く進めるものです
から近所のイオンのペットショップに『それほどまでに云うなら』
と、出掛けて出会ったのがミニチュア・ダックス・フンドの子犬で
した。主人にすっかりなついて色は子犬の頃はクリーム色でした」

私「とても可愛いと思いました。脚が短いので猫的でもあり部屋で
飼うことは、先代のシェリー先輩で体験済みでしたので、犬と言う
よりも猫っぽいところが部屋向きと思って、とても気に入りました。
飼い犬『ももは、吾輩は猫ではない』と、云っていますが、とても
猫ぽいところがありますよ」

 飼い犬「もも」は、皆さんから「良かったわね」と言われて尻尾
を振っていましたが「犬には、3歳児程度の知能がある」と、云わ
れているので、自分の置かれた状況がよく理解出来たのだろうか?

 さてさて、気楽な立ち話のつもりが 「長時間におよぶ犬談義と
なってしまい、お互いに再会を約しての散会となった。

・・・・・・・・・・・・・

 散歩から帰って朝食も終わり、朝の恒例の仕事が終わって徒然草
を読み返していると今から七百年も前のお宅で「番犬が活躍する」
場面に出会った。

 また、この段章「第百四段」にある光景は、私の勝手な思い込み
も手伝って、現世の兼好が前世の清少納言に出会って、まるでその
逢瀬を楽しんでいるようなファンタジー仕立てに描かれている印象
を受けて、島内裕子教授の訳文を紹介したい衝動に駆られた。

 島内教授の第百四段の訳文は、後述の評にも書かれているように、
兼好の原文の行間を溢れるほどの情感で埋め尽して、ファンタジー
のように書き上げており、優れた短編小説を読んでいるかのような
印象を受けた。

【徒然草 第百四段】 放送大学 島内裕子教授訳より抜粋

訳「廃園めいて、訪ねてくる人もいないような邸に住む女が、世間
に憚ることがある頃で、することもなくひっそりと閉じこもって暮
らしている。その女の家をあるお方が訪問なさろうと、夕月夜が空
にかかって薄ぼんやりとしている頃に人には知られぬようにこっそ
りとお訪ねになったところ、その家の飼い犬が迎々しく吠えたてた
ので、下女が出て来た『どちらからいらしたのですか』と聞くので、
男はその下女に取り次ぎをさせ、門の中にお入りになった」

「予想していたよりも室内がひどく殺風景ではないのに少しほっと
して、見るともなく部屋に目をやると、燈火は部屋の隅の方にほの
かに燈っているばかりの心憎さだが調度品や掛けてある衣裳の煌め
きなどはわかる」

「男の訪問を知ってから、急いで焚いたとも思えぬ香のよい匂いも
して、たいそう心惹かれる感じに、女は住み慣らしている。『門を
しっかりお閉めなさい。雨も降ってくるかもしれませんよ。お客様
の牛車は、門の下に、お供の方々は、そこそこの場所で休んでもら
いなさい』と、先ほどの女の声がする」

「下働きの者たちは『今夜は安心してゆっくり寝られますね』など
と、内輪で囁き合う。客人に聞こえないように、小声で忍びやかに
言っているのだが、邸もそんなに大きくないので、切れ切れにその
声がほの聞こえてくるのである」

「久しぶりに逢う女と、無沙汰続きのこれまでのことのお詫びなど、
しみじみと思いやり深く、細やかにお話しになっている。まだ暗い
のだけれども明け方が近づいてきたのか、ふと話が途切れた時など
に、鳥の鳴き声が聞こえたりする」

「女は、一人、寝覚めの床で幾度もそんな鳴き声を聞いたことなど
も心によぎるが、今は目の前に男がいる・・・今までのことやこれ
からのことなど誠実な心の籠ったお話しをしているうちに、今度は
鳥がけたたましく盛大に鳴くので、男は、もうすっかり夜が明けた
のだろうかと、その鳴き声をお聞きになるけれど、夜深いうちから、
急いで帰らなくてはならない所でもなさそうなので、安心して少し
ゆっくりしていらっしゃるといつの間にか戸の隙間が白んできた」

「それで女の心にいつまでも残るようなことを言ってお発ちになる」

「戸外は、梢も庭も珍しいくらい一面に青々と広がり初夏の四月頃
の曙が、しっとりと優美で素晴らしかった。そのお方は、その時の
ことが忘れられなくて、今でもそのあたりを通りかかると、自分が
乗っている牛車の中から邸の大きな桂の木が見えなくなって隠れる
までずっと目で追いながら眺め続けておられるということである」

評「原文と読み比べてもらえばわかるように、現代語訳は、かなり
言葉を補って、この美しい初夏の光景を描き出してみた。原文には、
直接書かれていないが 『程無ければ、閃聞こゆ』と『さて、この
程の事ども』の間で、この家の女主人と男との長い語らいがあった
のである。夜を徹して語り続けられた、二人の会話がようやくふと
途絶えた時にこそ、鳥には鳴いてもらわなければならないしその鳥
の鳴き声は、独り寝の女の歳月を思い出させるものでなければなら
ない。それが、この限りなく美しい原文が内包している世界であり、
現代語訳するに当たっては、原文に書いてないからと言って、触れ
ないわけにはいかない」

「徒然草を描いた絵画作品や、江戸時代の儒学者・広瀬淡窓が漢詩
に詠んだ徒然草の名場面は、原文に書かれていないことも描き出す
ことによって、絵画や漢詩に徒然草を新たに転生させている、それ
を痛感したことからの、私訳である」

「この『荒れたる宿の』という書き出しからして 『源氏物語』の
花散里巻を始めとして、夕顔巻や蓬生巻や東屋巻などの情景が連想
され、読者を一気に物語世界に引き込む。この優雅な一夜が、最後
の一文で一瞬にして遠景に退き、初夏の青やかに清々しい木立と庭
がいつまでも眼底に残る筆法は、徒然草に描かれた王朝的な章段の
極致に相応しく、この段を読んだ者の心から消えることなく、生き
続ける」ことになる。

・・・・・・・・

 ところで些細なことではあるが私事で「俳句の基本を学ぶ」ため
に、私が通った早稲田大学のオープンカレッジにおいて講座終了後
講座を担当された教授が主宰される「句会」に入会させていただき、
入選句として 「飼い犬や夏太りして五分刈りに」と、詠んだこと
がある。これに対して 「飼犬や夏太りして五分刈りに」と、添削
されたことがある。

 句会の主宰のご指摘は「飼い犬」ではなく「飼犬」がよろしいと
云われて辞書を引いて確かめてもみたが飼犬という表現に変えた。

 辞書では「飼(い)犬」と標記しているので、「飼犬」標記の方
が方向付けとしては強いのだと考えるが、パソコンのローマ字入力
で転換するときには「飼い犬」と出るので、その都度「い」を削除
していた。

 しかし、島内裕子教授は訳文において「飼い犬」としているので、
本稿も面倒な手を加えて「飼犬」としていたが、これからは小さな
蛮勇をふるって「飼い犬」表現に改めることにした。



 

第六章  外敵への内側からの守り(ももからの発信)

 私(吾輩の名は「もも」である)は、室内犬ではあるが、番犬と
して朝の六時から夕刻になって南側のシャッターが下ろされるまで
は、東・西・南・北の守りを内側から固めて走り廻っているので、

 グランパの「番犬として良く働いているね」と云う励ましの言葉
を支えにして、役立っていると云う自負はある。

 最近、グランパは、徒然草の段章の中で、次のような記事を見付
けたのだと云う。

【徒然草 第百二十一段】 放送大学 島内裕子教授訳より抜粋

訳「養い飼う動物として必要なのは、まず馬と牛。それらを繋いで
使役して苦しませることになるのは可哀想だが、牛馬が、なくては
人間生活が成り立たないから、この矛盾はどうにも仕方がない」

「犬は、外敵から防御してくれる能力が人間以上であるから、ぜひ
とも必須の動物である。ただし、すでにどの家でも飼っているので、
それ以上、ことさら求めて飼わなくてもよいだろう」

「その他の鳥や動物はすべて人間にとって無用のものである。野を
走る獣は逃げないように檻に閉じ込められ鎖に繋がれ、空を飛ぶ鳥
は飛べないように羽を切られ、鳥籠に入れられる」

「鳥は大空の雲を恋い、獣は野山を思って悲しむ、そういう動物た
ちの苦しく悲しい気持ちは、人間に飼われているかぎり、なくなる
ことはない」

「その辛い思いを自分自身の立場になぞらえて、自分でも我慢でき
ないと思う人なら、鳥や獣を繋ぎ閉じこめて、わが目を楽しませる
ことなど、どうして出来ようか。生き物を苦しめて自分の目を喜ば
せるのは中国古代の桀や紂のような、残酷きわまりない悪人と同じ
である」

「それに対して王氏猷が鳥を愛したのは、鳥たちが林で自由に飛び
交って楽しむのを見て、自分の散歩の友としたのであって、決して
捕獲して苦しめたのではないのだ。そもそも 『珍しい禽獣を捕獲
して国内で飼ってはならない』と『書経』にもあるではないか」

評「生き物全般に対して自分の楽しみのために飼育してはならない、
ということが強調されている。すべての生き物の気持ちを思いやる
深い心情の根底には、自由を束縛されることに対する、兼好自身の
強い忌避感があるのだろう」

「中国の古典などからの引用は、読書によって、身に付けた教養が、
自説を展開する時の基盤として、よく機能している」

「なお徒然草に関する名注釈書『徒然草文段抄』を著した北村季吟
は、幕府歌学方として江戸に招かれ、将軍綱吉に『徒然草拾穂抄』
を献上した。『生類憐みの令』を出し、動物保護を実践した綱吉は、
万感の思いで、この段を精読したことだろう」

・・・・・・・・・・・・

 さて、グランパは、昔、現役の時代にシェリー先輩を日中は庭に
出してグランパの帰宅と共に室内に入れていたので、日中の様子が
把握できないために、久保稲荷四丁目に暮らしていたころは、隣家
の奥さんから水で溶いた枯葉剤がシェリー先輩に向けてかけられて
いたなどと云う悲惨な目に合わせていたので、それを知ってからは
帰宅するまでは心配が続いたと云う。

 しかし、今は、私(吾輩の名はもも)は室内で暮らす生活様式を
とっているので安心して出掛けられるのだと云う。それに私の体調
に変化が見られた場合も、外部からの阻害要因などは考えられない
ので、原因の特定と処方が確実にとれるようになったのだと云う。

 先日、私(吾輩の名はもも)が体調を崩した時にもグランパから
的確な対応が取られて助けられた・・・

 私が、お盆休み明けに体調に異変を来した時にも「夜中に室内に
飾ってある葉物を口にして翌朝に嘔吐」これをカズさん(グランマ)
が観ていてその状況がグランパに伝えられた。もちろん食欲はなく
用意された朝食も口にしなかった。

 カズさん(グランマ)から「ももが不調の様なので、よろしくね」
と、グランパに「要ケア」の状況がしっかりと伝えられてカズさん
はフラダンスの練習に出掛けたのだと云う。

 グランパは、私(吾輩の名はもも)をパソコン机の脇に座らせて、
常時、様子を見ることが出来る状態に置くと、私は、すぐに眠って
しまったのだと云う。

 小一時間を過ぎた頃に「私は飛び起きて、また、すぐに眠った」
これを三回ほど繰り返した。グランパは、既に私のお腹が腸の辺り
で「キュルキュル」と云う音を発していたので、グランパは、この
私の飛び起きの繰り返しから「ただごとではない」と判断したのだ
と云う。

 カズさん(グランマ)から出掛けに「あまりにも異常と思われる」
ときには、病院に連れて行ったほうがいいわねと伝言を受けていた
ので、早朝にカズさんが感じ取った私の異変はカズさんの予見通り
であったと、即、グランパは受け止めたのだと云う。

 グランパは、早速、かかりつけのドクターの居る犬猫病院に電話
で連絡・・・

「受付からは、飼い犬の症状について了解しました。12時20分
に、ドクターの診察を予定しておきますので、飼い犬を連れて来て
下さい」と云う返事をいただき、私は、グランパの自動車に乗って
病院に出向いた。

ドクター「お腹の触感では堅くなった部分などはなく、特に異常も
ないと思われますが、最近、強いストレスを受ける様なことがあり
ましたか?」

グランパ「お盆休みで、名古屋のファミリ(4人家族)が帰省して、
その間はいつになく飼い犬としては、ず~と3日間、緊張した状態
が続いていました」

ドクター「普段、平穏に暮らしている飼い犬が昼夜連続で来客など
によって緊張状態が続いてストレスがかかり、ストレス性の胃腸炎
を起こすことはあります」

グランパ「しかし、年末年始の時には、7日間くらい帰省していた
ことがありますが飼い犬が体調を崩すことはありませんでした」

ドクター「ストレスの影響も、その時々の飼い犬の体調によっても
変わってきますので、一概に、比較は出来ません」

グランパ「たしかに、今夏のような酷暑の状況ではクーラの効いた
エリアに人間も飼い犬も集まって過ごしますので、ストレス度合い
は大きくなるかもしれませんね」

ドクター「他に考えられることは、飼い犬も11歳ともなりますと
人間同様に成人病にかかりやすい年齢域に入ってくるので血液検査
を受けて他に病気が発症していないかを、確認しておく必要もあり
ますね」

グランパ「検査には時間がかかりますか?」

ドクター「検査は約15分あれば済みますが、お待ちいただいても
大丈夫ですか?」

グランパ「はい、時間的には大丈夫です」

ドクター「それでは、血液を採らせていただいて、待合室でお待ち
下さい」

ドクター「お待たせしました。血液検査の結果、この検査票の上の
項目から、全て正常値ですので、特に問題はありません」

グランパ「ありがとうございました」

ドクター「飼い犬が夜中に室内の観葉植物の葉を食べて吐き、朝の
散歩の時にも草を食べたがったという行為は、飼い犬が、お腹の中
の異物と感じているものを吐き出すために、草などを食べる傾向が
あると云われています」

グランパ「草を食べたから吐くと云うのではなく、お腹の中の異物
を吐き出したい時に草を食べるということなのですね」

ドクター「今回、わかりやすい見方は、お盆休みに急に家族が増え
たために、緊張状態が続いて胃腸にストレスがかかり、ストレス性
の胃腸炎を起こしたと云う見方が一番、当たっていると云っていい
でしょうね」

グランパ「ペットホテルに一週間も預けると血便が出るくらいです
から、ストレスに弱い飼い犬と云うことですね」

ドクター「したがって処方箋的には、胃薬を注射しておきますので、
明日からは胃薬を飲ませて下さい、三日分、処方しておきます」

 かくして、二日後には食欲も回復して元気になり、朝の散歩にも
出掛けられるようになり、道端の草を食べることもなくなった。

 そして、グランパからの「ひと言」は・・・

「室内で暮らしている飼い犬は、実験室で暮らしているような環境
にあるため不調を来したときにも、ドクターの的確な診断が受けや
すいのだ」と、それに比べると、同じ飼い犬でも、先輩シェリーの
たいへんな苦労が、病歴を通じて伝わってくるのだと云う。
(詳しくはグランパから後述すると云う)


第七章 外犬から内犬へのパラダイムシフト(グランパからの発信)

 私が思うには、飼い犬「もも」は優秀な番犬だと考えている。番犬
としての働きぶりは、犬三頭に値する働きで、ある時、宅配便のお兄
さんが・・・

「お宅では、犬を室内で三匹くらい飼ってらっしゃるのですか?」と
云う質問があって、

「どうして、ですか?」と尋ねると、

「南側の硝子戸のところで犬が外を覗きながら吠えている様子を見な
がら、北側の玄関に廻り込んで、チャイムを鳴らしましたら、玄関口
からも、東側からも吠える声が聞き取れましたので、部屋には、犬が
三匹くらい居るのかと思いまして?」

 この感想は云い得て妙である・・・

 我が家は、入間市の久保稲荷から東町に引っ越す際に外構の在り方
をガラリと変えた。久保稲荷に在住の頃は外構の造りは「クローズド」
スタイルで、建屋の周りに若干の庭があり樹木を植えて花々を咲かせ、
建屋内から庭を愛でる構造にしていた。これは外構スタイルとしては
標準的な形態と云える。

 しかし東町に新たな「ついの棲家」を建設するに当たっては、この
考え方を改めた。そもそもが久保稲荷の時代もそこは「ついの棲家」
と考えて、定年退職後もリフォームを重ね、快適な住まいを目指して
日々、工夫を凝らしてきた。

 ところが、私よりも数年後に定年退職した家内が「明日からは自宅
での暮らしになる」と云う日になって、南側の隣家において、二世帯
住宅への増改築に着手することが知らされて、建物の高さおよび建屋
の横幅を想定すると、我が家はまったくの日陰となって、これからの
冬季は極寒な状況に陥ることが予想されるに到った。

 この辺の事情は「シルバーエイジの物語」として私が執筆したもの
を、星空文庫に、掲載させていただいたので詳しいことは省略するが、
当時、南北10メートル、東西20メートルの土地では、土地の広さ
は約60坪あるものの、どのように設計しても日当りの改善は見通せ
なかった。

 そして毎日の様に「ひたすら日当りの良い土地」を探して奔走して
廻った。結果「南側と西側および北側が道路の土地」を手にれること
が出来た。土地は約45坪と手狭ではあるが、設計上、道路も含めて
日当り改善のエリアとして計画すれば、概算で100坪相当の土地に
おける日照設計となるので「日当りの良い建屋設計」を考えた時には
理想的な土地の取得と云える。

 私は、この土地における外構の在り方を「セミ・オープンスタイル」
として概念化、建屋を囲むようにして低木の樹木や植木で囲い四季の
花々を咲かせて、夏季における暑さ対策はゴウヤなどの緑のカーテン
を配して風通しの良い設計にした。

 これによって、四季折々の花々は外側から愛でることでパラダイム
シフトさせる。

 セミ・オープンスタイルとしたのは、南側の大通りには、背の低い
塀を配して、スケボーなどで遊ぶ子供たちと駐車場に出入りする車と
の接触事故を防止、他の部分はオープンスタイルとして、樹木や植木
を植えるだけの設計にした。そして防犯への備えは思い切って建屋の
内側から施すことにした。

 建屋の間取りなどを建築士と、毎週、月曜日の設計ミーティングで
打ち合わせていた時期に、近郊における地域で強盗事件が報じられて
「泥棒は、二階に外側から梯子をかけて室内に侵入した」という手口
を知ることとなり、建屋の窓には一階・二階ともにシャッターを配備
採光面からシャッターが適さない場所は、人間が入り込めないように
細窓を配した。

 そして室内では番犬「もも」が待機して居るので万全な警備態勢が
確保出来たと云える。飼い犬「もも」は家族以外の人間には懐かない
ので困ったものだと思う時期もあったが、今では留守番犬として適正
な存在なのかもしれない。
(それだけに、日々の散歩には、私が必ず付き合っている)

 その点、引っ越し前の久保稲荷時代の飼い犬「シェリー」には苦労
をかけてしまったという思いがある。そもそもが、シェリーを我が家
に迎え入れた、当時の思いは・・・

 当時、私が武蔵野の事業所勤務から大手町の本社勤務となり、通勤
時間がそれまでは、二か所のそれぞれの事業所まで、約50分以内で
通っていたものが自宅から大手町まで、凡そ2時間の通勤時間となり、
週末は疲れ果ててテニスをやめる事態となった。

 結果、体重が、はじめ5キロ増えて、まもなく10キロ増となった。
まだ5キロ増の時にはズボンなどリフォームして凌いだが、10キロ
増ともなるとスーツなどは新調せざるを得なかった。それまでの過程
では、朝の体操時にズボンの尻が裂けて、ワイシャツのボタンは弾け
飛んだ。

 そして、極めつけは会社の永年勤続表彰の旅行でニュージーランド
(NZ)に出掛けて・・・

 NZの動物園に入場、暗がりの鳥舎の中で「キウイバード」の姿を
見付けて我が姿に重ね合わせて反省の念が湧き上がり、帰途の飛行機
の中で、家内に「自らの体重の減量宣言」をして、その具現策として
「犬との散歩」作戦を考え出したのであった。

 そして、早速、迎え入れられたのが、飼い犬「シェリー」であった。

 私としては新入社員時代、週末になると三か月に一回くらいの割合
で東京の寮から群馬の実家に帰り、その際に、実家の飼い犬「ジョン
(シェパード犬)」との貴重な散歩体験があるので、その時の思いが
無意識レベルにおいて「飼い犬との散歩による減量作戦」に、発想と
してつながったのかもしれない?

 かくして、我が家に迎え入れられた飼い犬「シェリー」は、子犬の
頃は、私が抱っこして近郊の富士見公園まで連れて行き、芝生で走ら
せるなどして遊んだ。

 そのせいか、私に良く懐いて安心して歩かせることが出来るように
なってからは共に良く歩き・共によく遊んだ。芝生では伴走して競争、
やがてシェリーの方が速くなり、ジグザグ走りでシェリーをオーバー
ランさせることで、速度のバランスを取るなどの工夫をした。

 当時は、現役で、週末になると奥多摩地域などにドライブに出掛け、
飼い犬シェリーも一緒に出掛けた。そして、シェリーの生まれ故郷で
ある福島県のいわきにも連れて行ったことがある。とにかくシェリー
は車に乗ることが大好きなワンちゃんであった。

 常に、一心同体的なワンちゃんであったが、全員が勤めに出てしま
う時間帯に部屋で過ごすとなると生理的な現象面から、中型犬ともな
ると排泄物の量も多いことから判断して外に出さざるを得なかった。

 群馬県の実家のジョン君は大型犬(シェパード)でもあり、当然の
ように外に繋がれていたが、田舎と違って都市部では、住宅地が隣接
しており中型犬の場合は、内外の選択肢は難しい判断を伴ってくる。

 最終的には、日中は外犬として、誰かが帰宅したら、真っ先に部屋
に入れると云う方法を取ることにしたが、武蔵野の事業所勤めで帰り
の時間が安定している私が、減量作戦という本来の目的を勘案しても、
当然、この当番は、私に廻ってくることになる。

 また、外犬として日中を庭で過ごさせるにあたって、実家のジョン
のように鎖でつないでおくという方法には抵抗感もあり、南の庭先の
20メートル幅に太目の針金を渡してそこに輪っかをかけて、最初は、
ドッグランが可能な状態に置いた。

 我ながらグッドアイデアと思っていたこのドッグラン方式も、太目
の針金があっという間に断線して、途方にくれる事態となった。その
後は、移動距離を短くするなどして対応してみたが散歩の相棒をして
くれるシェリーには申し訳ない思いが続いていた。

 その様な折に、ひょんなことから、ニュージーランドの旅でご一緒
した新所沢のご夫婦から「あちこちの外国旅行のビデオが撮ってある
ので、よかったら観にいらっしゃい」ということになり、お邪魔した。

 ビデオを拝聴しながら庭で芝犬が飛び回っている姿が目に留まった。
ビデオ鑑賞の後で紅茶をいただきながら庭の芝犬の様子をお聞きした。
「ワンちゃんは、庭に放し飼いですか?」
「はい、私たちが家に居る時は、だいたい日中は庭に出しています」
「外に出てしまったり、いたずらされたりの問題はないですか?」
「外柵などで塞いでいますから、問題が起きたことはありません」
「私の処でも、シェルティ犬を飼っているのですが、この方法ですと
心配ありませんね」

 かくして我が家でも外柵のない部分は補充して外柵を補ない玄関脇
の外柵だけを開閉出来るようにしてシェリーを庭に開放した。

 しかし、本巻の冒頭で述べた様に、問題は起きた・・・

「まだ、シェリーが三歳の頃に、遠方から近所の小学校に遊びに来て
いた子供たちが柵内からシェリーを連れ出し、首輪に縄を結んで連れ
回していた処を、ご近所の方が機転を利かせた対応で助けられ我が家
に無事に届けられた」ことがあるのだ。

「成犬になってからは、本稿の冒頭部分で、紹介させていただいたが、
我が家からは隣接する位置関係にある小学校の運動会のピストルの音
への恐怖心から柵を鼻先でこじ開けて遠方に逃げだし、迷子になった」
ことがあるのだ。


第八章   性善説と性悪説(ももからの発信)

 私(吾輩の名はもも)が六歳になった頃に、グランパが入間市の
図書館で「犬のIQ」と云う本を見付けて借りて来た。

 果たして犬のIQ(知能指数)などというものを図る尺度などは、
どのような項目によって構成されているのだろうか?

 当時、六歳になった頃の私(吾輩の名はもも)は、 グランパが
「ワイルドだな~」と呆れるほどに悪犬であったので、良い結果が
出る筈がなかった。

 結果は、予想通り? ・・・
「シェリー先輩は、優良犬」と出た。
「私(吾輩の名はもも)は、普通犬、つまり並の犬」と出た。

 計測項目は、飼い主と飼い犬との関係性などが主要項目になって
おり、私は「ダメ犬」と出ることも覚悟はしていたが、ワイルドか
否かは計測対象になっていないようである。

 飼い主と私との関係性に限れば、その間柄は、良くも悪くもない
ので「普通」と云う評価になんとか納まったようである。

 たしかに、シェリー先輩の立ち振る舞いを聞き及ぶ限りにおいて
「優良犬」と判定されるだけの風格には、充分に伝わって来るもの
があった。

◯ それだけにシェリー先輩が「迷子犬」になってしまった時には、
彼女の品性の良さから「性善説」的な環境にも救われて無事に帰還
できたのだと考える

◯ しかしながらシェリー先輩が「水に枯葉剤を溶かしたもの」を
シェリー先輩に向けて浴びせかけていたと云う事態は、彼女の品性
とは、まるで、かけ離れたところの「性悪説」的な悪魔のサイクル
から呼び起こされた災難としか云いようがない出来事であった。

 これらの出来事は、冒頭部分で、既に書き綴ってきたが、性善説
と性悪説と云う視点から、再度、振り返ってみることにしよう。

 一般的に、教育分野が行き届いた日本においては生活文化や一般
教養の面からも落ち着きのある行動を取る人々が多く、基本的には、
世の中の動きは性善説的な営みを維持しており、好循環が、天使の
サイクル的に好ましく廻っていると考えて良い。

 シェリー先輩が、迷子犬になった時にも、好青年が窮地を察して
交通事故に遭遇しかねない状況から救出してくれて、面倒見の良さ
そうな自動車修理工場の奥さんに預けてくれて、交番に連絡してい
ただき、後は、飼い主からの連絡を待つばかりの状態にして好循環
を造り上げていただき天使のサイクルを完成させた。

 飼い主は、交番に出向くと云うことに気付きさえすれば、飼い犬
共々に、救われると云う天使のサイクルに乗ることが出来る。

 これが、法治国家「日本」の優れた現状であると云える。

 しかし、これだけ好循環が日常的に溢れている法治国家「日本」
においても、そこに誤った認識による「逆恨み」のような事態が
発生してしまったときに、相手方が改めて確認を取ることは少なく
「性悪説」的な悪魔のサイクルが廻り始めることになる。

 したがって、我が家に飼い犬を迎い入れるということは、幼子を
育てるように「性善説」を前提としつつも、時には飼い犬の生命を
守ると云う意味で「性悪説」への対応も必要なのかも知れない。

(完)

ヒトとして生まれて・第2巻

ヒトとして生まれて・第2巻

第2巻【ヒトとイヌとの育て愛】昭和・平成・令和にかけて、シェパード犬「ジョン」・シェルティー犬「シェリー」・ダックス犬「もも」と三代にわたり共に育ち育てられた。千年も昔の枕草子には清少納言の飼い犬への思いが綴られている・・・

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-23

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著作権法内での利用のみを許可します。

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