女と少年兵

少年が初めて銃を向けた相手は
少しだけ、死んだ母に似ていました。
「うう、うう」
少年はふるえました。
銃をもつ手がふるえます。
「撃っていいのよ」
女はすこし笑いました。
「ここは戦場で、私は敵なのだから」
いやだ
少年は目をみひらいたまま首をふりました。
女の言葉はわかりません。
少年は敵の言葉を知らなかったのです。
でもその表情
やさしげな微笑に
足がすくんで動けませんでした。



「私にも息子がいたの。ちょうどあなたくらいの。でもこの前、しにました」
女は銃口を向けられたまま、ちいさな写真を見つめました。
少年も目だけでそれを追います。
「あなたは何という名まえ? いくつなの?」
女が近づいてこようとするので
「ん!」
少年は女の胸に銃口を押しあてました。
そんなことできそうにないのに、必死な瞳で「動くな! 撃つぞ!」とおどすのです。
女はそのけなげさにうたれて、思わず泣きそうな顔で微笑しました。
「息子にと思って編んだの。よかったら使って」
そういって青くやわらかいマフラーを、ふるえる首にそっと巻いてくれました。



少年が困難な初陣を果たせずにいると
「おい! 首尾は上々か?」
戸口で太い男の声がしました。
少年をとらえ、しこんで兵士に育てあげた怖い長官の声です。
「ほう……いい女がいるじゃねえか。殺さなくて正解だぜ」
長官はきらりと目を光らせると、少年を押しのけ女に近づきました。
細い手首をつかんで、にやりと笑います。
女はおびえて、きゅっと身をちぢめました。
ふるえる声で、何か長官と話しています。
ああこれは例のあれではないかと少年は思いました。
敵国の女を思うさまなぶってから殺す
戦場につきもののあれではないか
そう思うと、急に耐えられなくなって、少年は銃を長官に向けました。
「何だお前? 歯向かう気か」
長官は今までで一番怖い目をして彼をにらみました。
でも彼は逃げませんでした。
女を放ってはおけない
さっきまで殺そうとしていた女を、今は守りたいと思っていました。



「ありがとう。でも、いいのよ。私は大丈夫だから」
女は少年の前に立つと、銃口をおさえてやさしく笑いました。
「坊やは、学校に行ってお友達と遊んで。もう少しゆっくり、大きくなりなさいね」
それだけ言うと、少年のポケットに何かしのばせてきゅっと抱きしめました。
少年は銃をもったまま立ち尽していました。
女の言葉はわからない
ただそのやさしそうな、寂しそうな笑みが、少年の心に残りました。
「邪魔だ! さっさとうせろ」
長官に襟首をつかまれ外に放りだされても、少年はまだぼうっとしていました。
そこへ年上の子が走ってきて
「弾はあるか?」
少年にききました。
「うん、ある」
少年はうなずきながら、そっと戸口を見つめました。
すこしでも女の悲鳴がきこえたら、今度こそあいつを撃ってやる。
でも悲鳴はきこえませんでした。
家の中はずっと、しんと静かでした。



「お前は除隊だ。どこへなりと行っちまえ」
その夜少年は、銃を取られ、着の身着のまま闇に放りだされました。
行っちまえといわれても、どこへ行くあてもありません。
少年がしょぼんとしていると
「おいで」
めがねをかけた副官が、そっと少年の手をひきました。
黒いジープに乗せて、ぶんぶん国境の駅までとばします。
「あの列車にのって終点まで行きなさい。そこに、迎えの人が待っている」
そう教えると、青い旅券を握らせてくれました。
「走って、速く! けっしてほかの軍人に見つかってはいけないよ」
そういって背を押すので、少年は後も見ずに駆けました。
そうして発車間際の三等車両に、息をきらせてすべりこみました。



終点の駅は雪のふる町でした。
女のくれたマフラーが役に立ちます。
少年は孤児院に入れてもらいました。
すぐとなりに教会があって、教会のとなりに学校があります。
少年はそこで、ふつうの子のように暮らしました。
学校に行って、友達と遊んで、マフラをまくたび女を思い出しました。
あの女はどうしているだろう
結局、放ってきてしまった
「あの女は売女なのさ」
「ちがう!」
争う声に少年ははっとしました。
「だっておかしいじゃないか。いやなら抵抗すればいい」
「抵抗なんてできるもんか! 相手は銃をもってるんだ」
「じゃあなぜ長官が言うことをきくんだ? 戦場で銃をもって、何でも思い通りにできるはずなのに、女の頼みをきくなんておかしいよ。長官はあの女にほれてるんだ。女が色じかけでほれさせたのさ」
年上の子はふふんと鼻で笑います。
「それ、藍い目のひと?」
少年は小さいほうの子にききました。
「そうだよ。藍い目をした、やさしそうな女の人。僕大きくなったらきっとあの人に会いに行くんだ」
「そりゃ無理だね」
年上の子は澄んだ目をすこし細めました。
「その頃にはその人は本物のおばさんになってるし、お前は別の女のことで頭がいっぱいにきまってる」
「だって助けてもらったんだもの。ちゃんとお礼を言わなきゃ……」
「死んだよ、その人」
「……え?」
ふだんほとんどしゃべらない男の子が、低い声で言いました。
「悪い病気をうつされて、とても痩せて。他の死者たちと同じように、服を剥かれ、坑に棄てられた」
「……」
少年はにわかに信じられませんでした。
「本当なの?」
「長官は?」
年上の子はそれが気になって、鋭い目でききました。
「長官も死んだ。副官が撃ったんだ。副官は俺たちを逃がして、国に戻った」
軍法会議にかかるんだって。
少年の胸は水をうったようにしんとしました。
女が、死んだ
いつかそうなるような気がしていた
自分はそれに気づいていたのにと少年は思いました。



「不貞な女だからそんな最期を遂げるんだ」
「でもあのひとは、そんな感じじゃなかった」
「ばかだなお前は。夫をなくして寂しかったんだよ。それだけさ」
年上の子は吐き捨てるように言いました。
彼は、自分を捨てて他の男と再婚してしまった母親をずっと恨んでいるのです。
「でも、あのひとがいなかったら俺たち、まだあそこにいたんじゃないかな。何の罪もない人たちを脅して、侵して、殺して。暴行と略奪の手伝いを、ずっとさせられてたんじゃないか」
無口な子が背をまるめて、ぼそりとつぶやきました。
「女や老人ばかりの無抵抗な村に略奪に行くなんて。俺は、あれだけは本当にいやだった。だから、あそこから解放してくれた彼女には、感謝している」
みんな思わず押し黙って
少年は深いため息をつきました。
涙が、でません。
少年は、女のことを思っても泣けませんでした。
そのかわり、ずっと忘れませんでした。
あのひとはきっと、会いたかっただけなんだ
亡くなった息子に会いたかった
ただそれだけなんだと思いました。



別れ際女がくれたのは、丸い真珠の首飾りでした。
女の嫁入り道具なのか、ほとんど使わずしまってあった、淡く美しい輝きがまだ残っています。
少年はそれを売って母の墓を建てました。
母を思うと女のことも思い出すので、ともに祈ってあげました。
女がどこかで息子に会えていますように。
女の息子が母親に会えていますように。
ただそれだけを、そっと祈りました。

女と少年兵

女と少年兵

2009年作

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-12

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