有能

今回はちょっと短めなM君シリーズ。
今までとは若干異色かも。

 所謂「売れっ子」と称されるような人たちが好んで暮らすようなところは、最初から視野に入れなかった。今たまたま上手くいっているだけで、いつどんなふうに地盤が揺らぐかわからない。どんな仕事も解釈次第ではそう言えるのかもしれないけど、殊更に俺がいる世界はそれが顕著だと思う。立地と家賃とどっちを取るか、迷うことなく後者を選んでしまった自分は、端から芸能界向きの人間ではなかったのかもしれない。
 エントランスなどという洒落たものではなく、ただ部屋番号順に小さいポストが並んでいるだけだった。周りに誰もいないことを一応浅く確認した後、306号室の取っ手を引いた。広告の封筒とチラシがいくつか、それと、可愛い猫のイラストがプリントされた便箋が1枚。差出人曰く、封を切るなどという手間をかけさせないことこそが、自分の魅力らしい。
「先月引っ越してきたばっかりなのにね。もう特定されてるんだ」
「気にすることじゃないよ」
「気にするよ。もしかして声とか聞かれてたりして」
「気になるなら出てけば」
「気にならないの? いつも臆病なのに、変なところ据わってるよね」
 相手をするのも面倒なので、ダイレクトメールを雑に束ねて階段に足をかけた。こいつのこういうわざと妙な言い方をするところ、昔から気に入らない。何故か離れられないまま、ずるずるとここまで付き合ってきた。
「なんかさあ」
 冷蔵庫から未開封のお茶を取り出し、冷凍庫を漁った。今日はお弁当を買う気分じゃなかったし、カップ麺は昨日も食べた。カルボナーラの買い置きあったっけ。お、あった。お皿がいらない便利なやつ。
二十歳(はたち)ちょっとの若い男子の生活じゃなくない?」
 答えず、電子レンジのスイッチを入れた。低い唸り音とともに中身がゆっくり回り始める。止まるまで6分。テレビをつけて適当にチャンネルを合わせた。お茶を飲みながら待つ。ベッドに座らせていた首に赤いリボンを巻いたクマを、なんとなく引き寄せてから腰を下ろした。
「どうしたの? 今日は寂しい気分?」
「それ以上喋るなら出てってよ」
「あらー。今日はえらく機嫌悪いねえ」
 勢いよく右手を振った。薄型のテレビが壁を打ち、ほとんど減っていなかった中身を噴出しながら、ペットボトルが床を転がった。お気に入りのラグにお茶が染み込んでいく。洗えば綺麗になるだろうか。自分で洗うのは面倒くさい。
 画面に傷がついただけで、テレビ自体は問題なく作動していた。耳障りなゴールデンタイムのバラエティ。その電波に乗る俺の声。出てたやつだったのか。初めて気づいて顔を上げると、レギュラー番組ではなく、ゲストで呼ばれた番組だった。
 ぬいぐるみに顔を埋め、膝を抱えた。額を押し付けて黙っていた。耐え難い。脳髄の奥が疼く。
「ストーカーがさ」
 例の手紙に書いてあることは、読まなくても察しがついた。もう何通ももらってきた上に、実際、ひとりふたりの経験じゃない。実害があれば警察に駆け込めばいいし、定期的な引越しで撒くのも簡単だった。相手にするまでもなかった。
 でもただひとつ、どうしても腹立たしいことがある。
「俺を見てさ、知ってるんでしょ? 全部。何時に出かけてるかも、何時に帰ってるかも、ラジオでうっかり噛んだ回数も、最近気になってるゲームも、俺が食べたものも出したゴミも歯ブラシは硬め派なのも、恋人経験ゼロなくせに、恋人みたいなことしたことあるっていうのも」
 そんなどうでもいいたくさんのことを知っていて得意がるのに、ひとつしかない重大なことは、須らく知らない。それが許せない。嫌悪感すら抱かせない、無為で無意味で蒙昧な盲目。高尚で幸福で高慢な傲慢。ある種羨望。馬鹿な衆目。
「人格がふたつ」
「やなことはそいつ」
「代わりに適当に遊ぶ」
「他人なんか信用しない」
「俺には俺しかいない」
「女も男も大嫌い」
「だから俺から離れちゃダメ」
「出ていくなんか許さない。一人でなんかいられない」
 終盤の次回予告は、その日のゲストが感想を交えつつナレーションするのが番組のルールだった。映画やイベントの宣伝を兼ねてゲスト登場するのは定番だけど、番組自体の予告までを請け負うパターンは多くない。もともとそういう仕事をしているゲストならプロっぽい言葉になるし、駆け出しのアイドルなら素人くさい声になる。と思いきや、意外と迫真の演技めいたり、慣れているはずの声優が焦ってどもっているのがそのままオンエアされたりする。僅かな情報を渡されてのアドリブを後から映像に合わせられるので、あの数秒で普段見られない姿が見られると、視聴者からは概ね好評だそうだ。
 俺はまあ、無難にこなしたと思う。これを務めたのは俺の意思だった。声の仕事は嫌いじゃなかった。
 次の番組が始まった。今までの空気とは全然違う、頭の固そうなニュース番組だった。
「一人はやだ。一人なんかやだ。一人なんて耐えられない」
「俺がいるよ。安心して」
「最近返事しないことあるじゃん。俺が八つ当たりするから怒ってるんでしょ? お願いだから一緒にいてよ。無視しないでよ」
「落ち着いて。俺は自分の役目をちゃんと果たす。変なストーカーに付き纏われて、ちょっと疲れて悪い夢を見ちゃっただけ。レンジ止まってるよ」
「……」
 鼻を啜って、泣いていることに気付いた。ぬいぐるみをベッドに置いて、目元を手で拭った。
 レンジから容器を取り出して、大量買いしている使い捨てのフォークでかき混ぜた。美味しそうな匂い。最近の冷食パスタは美味しい――のかどうかわからないけど、初めて食べたときは感動した。施設で暮らしていた頃は、間違ってもこんなのは出てこなかった。少人数が暮らすグループホームではなく、大人数が生活する宿泊研修施設のようなところにいた俺は、一人で部屋を借りるまでお弁当用以外に冷凍食品が存在していることを知らなかった。バカみたいだけど、新しい発見だった。
 でももう、今は飽きた。味が気に入らないわけじゃないけど。
「代わりに食べて」 
 もう寝たい。お風呂も面倒だし、食べ終わったゴミを捨てるのもだるい。
「いいの? カルボナーラ、真也(しんや)君の大好物なのに」
「疲れたから」
「じゃあもらうね。あとは任せて」
「おやすみ」
「おやすみ。ゆっくり休んで」
 意識が遠のく。また明日、朝がきたときに目覚めればいい。

有能

お疲れさまでした。
お付き合いありがとうございました。
なんかちょっとずつ明かされてきたな。
他人事のように感じる。

無関係ですが。
途中の【無為で無意味で蒙昧な盲目】【高尚で幸福で高慢な傲慢】このあたりは明らかにあの有名な、アニメ化もされた某プロジェクトから影響受けてるよね。他人事のように感じるU・x・U

有能

スパン短めで再登場した【芸能人M君シリーズ】です。珍しく短め。

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-07-23

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