愚かな国

この作品のお題は【嵐】です。
科学技術の発展が人の発展に繋がるのかと問われれば、首を大きく縦に振ることはできないんじゃないかなと思います。

 十六の成人を迎え、念願叶って旅人となったのが二年前。目標とする師匠に倣い、テント以外の荷物はバックパックに入るだけ。それも特に必須なのは、万が一のための携行食と水錠、そして餞別にもらったメタルマッチとハンドガン一式くらいだ。あとは着替えも含め、必要な物は必要な時に各地で揃えるようにしている。旅回りの情報も、知りすぎては面白味がないので、必要最低限しか集めない。金銭についても同様で、宿代が足りなくなれば──基本は野宿だが──現地で稼いでいた。ちなみに言うと、一人で旅をするくらいには腕に覚えがあるので、そういう仕事を受けることが多い。
 世界には数えきれないほどの国がある。広大な領土を持っている国もあるが、ほとんどは一日、二日で外周を周れるくらいの小国だ。旅を始めてからもう、そんな国を二十以上は訪れた。初めはもちろん不慣れな道行きだったが、歩くペースや野宿の設営、食料調達に行商人等との交渉、時折現れる野盗や化物の撃退など、経験するたびに、それらが常態となっていった。旅人という肩書や、その立居振舞い、見られ方にも随分慣れた。ベテランではないが、一端の、と形容できるくらいのレベルにはなったと思う。
 世界は本当に広い。まだまだ知らない国があり、知らない人々がいる。旅人になって良かったと、心の底から思う。私の旅の目的は、好奇心を満たすことだから。
 そんな旅の際中の話だ。
 ゴオオオォォォ──
 平原から山道に入り進んでいると、向かう先から、風が渦巻くような音が聞こえてきた。地図を見ると、音が聞こえる方角には一つの国がある。まだいくらか距離があるのにこうやって風の音が聞こえてくるとは、話に聞いた通りやっかいな国のようだ。まあ、だからこそ好奇心がそそられたわけだが。
〈科学の国〉。それが次の私の目的地だった。
 険しくはないがいくらか大変な道を辿り、その山の中腹あたりに差し掛かった頃。鬱蒼とした木々を抜けた先には、山の谷間を整備した立派な門がある広場があった。門は開かれていて、その両端には衛兵が二人、立っている。近くには詰所もあり、その中には恐らく、まだ数名の衛兵がいることだろう。どこの国の入口でも見ることができる光景だ。だが、一つだけそこが他と違うところは、凄まじい風の音が門から響き渡っているということだった。山道を歩きながら、大きくなっていくそれに気付いてはいたが、山や木という遮蔽物がない広場の音量は段違いだった。
 私は軽く耳を塞ぎつつ、あることを不思議に思いながら、詰所へと近づいて行った。衛兵たちはもちろんこちらに気付いていて、にこやかに、だが抜かりなく私に注意を払っている。彼らの職務としては当然のことだろう。ただ見たところ、この大音量に頓着している様子はなかった。気に障らないのだろうか。
 私がいよいよ門の前に立つと、左の若い衛兵が懐から何か小さなものを取り出して、私に話しかけてきた。
「まず────をみみ─つ──くだ──」
 しかし、門の傍はひときわ音がうるさく、若い衛兵の言っていることを聞き取ることができない。いくつか国を巡ってきたが──もちろん、国を巡ってくる前をいれても、これは初めての経験だった。
「なんだって?」
 私が首を捻ると、若い衛兵は心得たとばかりに頷き、自分の手に持っているものを受け取りさらにそれを耳に着けるよう、身振りで示してきた。
 内容を理解した私は、衛兵の手からそれをつまんで持ち上げた。小さく、軽く、ちょうど耳に入るくらいの大きさのそれは、耳栓のように見えた。これでは結局声の聞きづらさは解消されないのでは、と少々疑問に思ったが、なおも頷く若い衛兵に促され、私はその耳栓を両耳に装着した。
「え?」
 途端に、それまで渦巻いていた風の音が、きれいさっぱりと止んだ。山は静かで、鳥や動物の鳴き声、さらにはどこかで枝が落ちる音すらもちゃんと聞こえてくる。その急激な耳中の変化に、私は思わずあたりを見回してしまった。
「どうです? もう聞こえますか?」そんな私に向けたであろう声が聞こえた。視線を戻すと、もちろんそこには若い衛兵がいる。戸惑い気味に「ああ」と答えると、若い衛兵はにこやかに頷いた。
「これは……、どういう……?」
 耳栓をつけたり外したりしながら私が首を捻ると、右の中年の衛兵が笑いながら答えてくれた。
「ははは。あんた知らないで来たのかい? これはウィンドキラーだ。いわゆるノイズキャンセラーだよ。私らにとっては生活必需品で、文字通り無くてはならない物なんだがね」
「ああ……、なるほど」
「ここは風の音が吹きすさぶ〈科学の国〉。あんたも体験した通り、入口であるこの門でも会話が不自由なほどの音量だ。中心部はもっとひどい。風の音以外何も聞こえないくらいにな。だがウィンドキラーは、文字通りこの風の音を殺す。俺たちはこれのおかげで、日々の暮らしに安寧を見出すことができるんだ。もちろん、あんたのような旅人にもな。
 さて、あんたは我が国への入国を希望するか? またその場合、滞在目的、滞在日数は決まっているか?」
 中年の衛兵がそう言う間に、若い衛兵がスキャナーを取り出し私へ向けた。「希望する。目的は観光、日数は──」答える私に対して、眩しくない青白い光が照射される。スキャナーはその人物の犯罪歴の照会や、嘘発見器の機能がある。これの使用もまた、どこの国でも見られる光景だ。要するに、これが入国審査なのである。
 私の受け答えと、スキャナーの照会結果を確認して、衛兵二人は頷き合った。
「仔細、確認した。入国を許可する。ようこそ名ばかりの〈科学の国〉へ!」
 言い回しは気になるが、どうやら問題なく入国できるようだ。自分が入れないとは思っていないが、やはりこの瞬間は何となく構えてしまう。仕方ないとはいえ、無粋に情報を見られる据わりの悪さがあるというのもそうだが、何より、新たな扉を開く正に第一歩がここであると、気が逸るからかもしれない。
「……ところで、一つ聞きたいことがあるんだけど」
 いつもであれば、すぐに中へ入り宿を探し、腰を落ち着けてから街を探索するところだ。しかし今回は気になる、というより不思議に思うことがあり、今一度衛兵に声をかけた。
 衛兵は二人揃って私を見遣り、中年の衛兵が声をあげた。
「なんだい?」
「風はどこへいったんだ? 音は正しく暴風のそれだが、私もあなたたちも、草木も砂も何もかも、風に吹かれ倒れるどころかそよぎもしていない」
 そう、そこに風は吹いていなかったのだ。山道から始まり広場に至るまで、音は強くなっていくのに煽られることもなかった。仮に街中でのみ吹き荒んでいるにしても、少なくとも、この轟音の出口である門から毛ほどの風も漏れ出ないことはあり得ない。つまりここには、不自然にも風の音だけが存在しているのである。
「ああ、それも知らないのか」と中年の衛兵は呆れたように言った。若い衛兵も苦笑している。「珍しい旅人さんだな。これを体験する以外の土産は特にないって場所なのに。そうだな……、知らないんなら、街中の歴史館にその説明があるから、ぜひ行ってみてくれ。有料だがな」
 中年の衛兵は悪びれずにそう言った。気を持たせる口ぶりだが、察するに割と知られている話ではあるらしい。そしてそんな話でも立派な国の収入源になる。知らないならちゃんと金を払え、と。さすが一国に仕える兵士である。抜け目ない。
「わかった。ありがとう」
「ああ。良い滞在を。……っと、そうだ。ウィンドキラーは国外持ち出し禁止だ。出国のときに返してもらう。失くしたら厳罰だからそのつもりで動いてくれ」
 頷いて、私は今度こそ、街への一歩を踏み出した。

 街の歴史館で見たのは、こんな話だった。
 科学技術が発展し、平穏な暮らしを享受していたこの国に、あるとき不幸が訪れた。空高く打ち上げ、天候をコントロールしていた気象管理制御装置〈フラワ〉が突然故障したのだ。隕石の欠片がぶつかったのか、それとも人為的なミスだったのか、そのときはわかっていなかった。そしていずれにせよ、装置の故障は大変な事態を引き起こした。雨を伴う暴風。つまり、止むことのない嵐を、である。
 農業や酪農、工業については、すでに地下施設での恒常生産、恒常稼働が可能となっていたため、その点での問題は軽微だった。問題があったのは、陽光と騒音だ。国には常に黒雲が立ち込め、空は見えず、国中を打つ雨と息ができないほどの風、そしてそれらによる轟音が、絶えず地上を蹂躙していた。人々は滅多に外に出ることはせず──できず、その憂鬱ともどかしさに、次第に心を乱していった。声は聞こえづらく会話もしづらく、鬱屈が募り、国は荒れ、自殺する者も増大した。
 そんな現状を打開しようと、二人の科学者が動いていた。ティルナとポアソン。共に在野の天才で、親友同士であり、フラワの開発にも携わっていた。
 二人は初めの内フラワの修復を目指したが、遠隔での操作は不可能であることがわかり、また直接赴くにも天候が邪魔であるため、ひとまずは地上の問題を解決することを選んだ。雲も雨も風も消し去ることはできない。であるなら、まずは音だ、と。
 アイデアはティルナにあった。現在ウィンドキラーと呼ばれる、その原型である。様々な分析、設計はもちろんのこと、開発に関わる全ての工程は、他の科学者も交え急ピッチで進められた。試作機ができたのは一か月後。何次かの試験が実施され、医学的な試験もパスし、完成型が量産できるようになったのは、そこから二か月後のことで、それは国民に無料で配布された。
 嵐は相変わらずだったが、ウィンドキラーにより、人々の暮らしにはいくらか安寧がもたらされ、ティルナとポアソンは国中からの感謝と、王国科学者の名誉が与えられた。
 国民が多少落ち着いて後、二人はいよいよ本丸を攻める計画を立て始めた。つまり、いかにしてフラワを止めるか、その方法と実施である。しかし時同じくして、国中に信じがたい噂話が流れ始めた。それは、フラワの故障はポアソンの手によるもの、という噂である。どこから広まったのかわからないし、初めは誰もそんなことを信じなかった。そんなわけがないと、誰もが思っていた。
 だが、結果として、それは真実だった。何故ポアソンがそんなことをしたのか、理由は今もってわからない。しかし明らかになっていく証拠の全てが、彼の犯行を認めていた。立証したのが親友のティルナだということも、動かしがたい真実の決定打となった。彼自身は、自らの無実を訴えることはなく、しかしいくら追及されようと自らが企てたとも言わなかった。
 最終的に、ポアソンの処刑が決まった。それまでの功績を考慮して欲しいとの嘆願もあったが、国を大きく乱した咎は許されることがなかった。そして彼は結局、事件についての一切を話すことなく死んだが、処刑の直前に一つだけ、言葉を残した。
「君たちは一生悩まされるがいい」
 これが、現在でも解かれることのない、我が国の呪いである。

 ▼

「──ポアソンが処刑された後、数年がかりで、ティルナ達はフラワを止めることに成功したそうだよ。結局、修復はできず破壊という形で。そしてその後に、問題が発生した」
「つまり、嵐もないのに風の轟音が終始響き渡る、と?」
「ご名答」
「なるほど。なんとも馬鹿馬鹿しい」
〈科学の国〉を出国して数か月後、別の国でのこと。私が宿近くの料理屋で夕飯を食べていると、隣テーブルの男に声をかけられた。「あんた、旅人さんかい?」と言うその男は、名をリュカと言った。リュカは外国の話を聞くのが好きで、たまに宿近くの料理屋を利用しては旅人に声をかけ、ワインをおごり自らも飲んで、彼らの旅の物語を肴とすることを趣味としている、と話してくれた。
 私はあまり酒を飲まないのでそれは辞したが、話すことが嫌いなわけではないので、彼を自分のテーブルへと招待した。その国の国民と交流をすることもまた旅の醍醐味であるとは、師匠の言葉である。もちろん、危険もあり得るので、皮膚の下の緊張は解かない。酒を飲まないのにはそういう理由もある。
 いくつかの話の中でリュカが強く興味を示したのは〈科学の国〉の話だった。彼自身も科学者だからなのか、かの国──衛兵が「名ばかり」と言った通り、今ではごく平凡な科学力の国だった──において、科学とは真逆とも言える呪いが信じられていることを大層滑稽に思ったらしい。リュカはワインを一飲みし、馬鹿にしたように笑った。
「あの国はまだそんなことを言っているのか。そんなだから名前負けの国に成り下がるんだ。いや、自業自得という奴か」
 その言い草に、私はおや、と料理を食べる手を止めた。
「あなたは〈科学の国〉の話を知っていたのかい?」
「ああ、まあ……、一部には有名な話だからね。……いや、うん、君には色々な話を聞いて楽しませてもらったから、僕が知っている〈科学の国〉の別の話を聞かせてあげよう」
「別の話?」
「そう。〈愚かな国〉の話さ」
 そうしてリュカが語ったのは、こんな話だった。
 フラワによって天候をコントロールしていたかの国は、運用の部署を王立科学院に立ち上げ、その長に、設計と開発に携わった二人の在野の科学者を抜擢した。ティルナとポアソンである。ポアソンは真の天才だったが、ティルナの実力は、開発チームの中でもせいぜい中の中というところ。能力がないわけではないが、探せば適任は他にもまだいたはずだった。また、ポアソンは少々奇天烈だが根は優しく、仲間内からは尊敬されていた一方、ティルナは弁舌爽やかだが調子に乗りやすく少々高慢で、付き合い難い人物と見られていた。では、そのティルナがなぜそんな重要な任に就けたか。それは、ティルナの身内に国の重鎮がいたことが第一で、第二が〝話せる〟科学者だったこと、第三がポアソンと知り合いだったこと、である。ポアソンは能力はずば抜けていたが、対外向けの説明や交渉事に関してはからっきしだったので、彼の代わりに表に出る人材が必要だったのだ。ティルナは様々な要素において、適任だった。
 さて、フラワの故障による災害と、ウィンドキラーの開発、国民への配布については、いくつか間違いはあるが──ウィンドキラーの提案はポアソンだし、国民への配布は、実は後々税という形で返還されている──、流れは歴史館の説明通りだった。かの国の安寧は、ウィンドキラーにより多少戻ってきたのである。
 ここからが問題だ。先の話で一番間違っている、いや、改竄されているのは、ポアソンがフラワ故障の犯人という点である。犯人はティルナである。それがどんなミスだったのかはさすがにわからないが、恐らくティルナの、中途半端な知識と無駄な自信とプライドが、それを起こしたのではないかと考えられる。
 ポアソンがそれを知った時、彼はその事実を国に詳らかにはしなかった。事の重大性は隠しようがないが、ポアソンはいつも表に立ってくれているティルナに恩を感じていたし、元凶が誰であれ結局監督責任は自分にあると思っていたからである。二人は早急に対処策をまとめ、先の通り事を成した。
 しかし、それが一つの契機となった。ウィンドキラーによりある程度落ち着いた国民は、フラワ故障の犯人捜しを始めたのだ。何しろ、未曽有の大災害である。人もたくさん死んだ。設計開発段階からのミスにしろ、運用のミスにしろ、この当て所ない悲嘆と怒りのぶつけどころを、皆求めていたのかもしれない。
 ところで、何故隕石や雷等による偶発的な事故と思われなかったかというと、「特定の誰かのミスである」という噂がいつの間にか立ち昇っていたからだった。定かではないが、これもティルナが原因と言われている。ウィンドキラー開発の功績を、その前段、つまりフラワ故障の経緯を含めて、自慢話として吹聴していた彼の目撃談があったそうだ。
 ここまで来ればその後の予想もつくというもの。ティルナはその責をポアソン一人に被せた。人前で話すことが不得手で、ティルナのミスを告げず、共に協力して研究してきた友人を、自らの弁舌と、身内の権力を使い、有りもしない証拠でつるし上げたのだ。さすがのポアソンも事ここに至って反論を始めたが、時すでに遅し。彼は憲兵隊に逮捕され、歴史の通り処刑された。
 ちなみに、後にフラワの破壊は成功したと言われているが、それこそ実際は人為でなく自然の手によるものだった。実は一連の顛末により、本当の事情を察した有能な科学者の多くが、ティルナを信じる国と国民に愛想をつかし去ってしまい、残った科学者だけではどうしてもフラワの破壊を成し得なかったのだ。そして、手をこまねいている内に、何らかの自然現象がフラワを貫いた。ティルナたちはそれを、自らのもう一つの功績としたのだった。
「──これが、僕の知る真実さ。平凡な科学者だけになってしまった〈科学の国〉は、だから名ばかりの国になった。有能な科学者が散らばったから、他の国の科学力があがった。世界の科学の発展という意味では、その点は唯一良かったことかもしれないけど。
 ……まあいずれにせよ、ポアソンにとってみればどうでもいい話だよ。散った奴らにしたって、結局彼を助けてくれたわけじゃないしね」
 リュカは自嘲気味にそう言い、長い話を終えた。
 私は今の話をどう咀嚼すれば良いか考えながら、かの国を訪れたときのことを改めて思い出していた。あの衛兵が言っていた通り、風の音以外の土産話や名産は特になく、申し訳ないが、少々退屈な滞在であったことは否めない。科学技術の最先端を臨むことは叶わず、また、歴史館以外にもいくつかの施設を訪れたが記憶は曖昧だ。人々についても、優しく礼儀正しかったように思うが、その印象はどこか朧気だった。
「……ポアソンの呪詛の言葉は、本当のことかい?」
 思い出を泳がせながら、私は質問をした。話が本当であれば、リュカは恐らく、先の事件で国を去った科学者の子孫だろう。彼の言う「一部の人」とは、つまり、そういうことと推察できる。どちらを信じるかは置いておくとしても、情報の収集と比較という点で──あるいは単に好奇心という意味でも、もう少し話を聞きたかった。
「本当のことだよ。真の科学の徒である彼が、唯一残した非論理的な言葉さ。……いや、ちゃんと論理的な言葉か。宣言通り、まだかの国を悩ます呪いを発生させているのだから」
 可笑しそうに笑うリュカを、私は訝し気に見た。今の言い草では、まるで、ポアソンがそれを仕組んだように聞こえる。死後に発生する呪いを? 科学者が? ……いや、科学者だからこそ……?
「……リュカ。もしかして、だけど、呪いには論理的なメカニズムがあるのかな? つまり、ポアソンだからこそできた、何らかの手法が」
「うん? へえ、察しがいいね。さすがこんな世界を渡り歩く旅人さんだ。……ふふふ、そうだよ。そこには確としたメカニズムがある。と言っても、発想と原理自体は全く難しくないんだけどね」
「……教えてもらっても?」
「いいよ」と、リュカはあっさり答えた。「別に秘密でも何でもない。ちなみに、かの国のお偉方だって知っている。知っているのに対処できないんだから、〈愚かな国〉なのさ」
 今度は蔑むように笑ってから、リュカは説明してくれた。
「ノイズキャンセリングの仕組みを知ってるかい?」
「知らないよ」
「音の正体が振動であり、波であるということは?」
「昔習ったと思う」
「では簡単に言うと、ノイズの原因となる音の波と正反対の音の波をぶつけることで互いの音を打ち消すのがノイズキャンセリングだ。この正反対の音のことを、逆位相の音、と言う。ウィンドキラーの場合は、嵐の音と逆位相の音を耳中で発生させることにより、それを成していたというわけだね。
 ただ、嵐だって毎日同じ音で吹き荒れたりはしない。ウィンドキラーの──ポアソンのすごいところは、その微妙に変化する波を受ける形で、耳中に返す逆位相の音を発生させる機構を考案し、実際に作ったことだ。加えて、彼はさらに完璧を求めた。耳中ではなく、耳の外にも音を出力できるようにしたんだ。わずかに残ったノイズも、それによって淘汰された。言うのは簡単だけど、これは本当にすごい技術なんだよ。
 ところで、嵐の逆位相の音は、単体だったらどんな音になるだろう?」
「……案外、嵐と同じ音、とか?」
「やはり明察だね。その通りだよ。逆位相の音は、普通に聞けば原因となる音と変わらないものと認識される。それともう一つ補足だ。波がちゃんと逆じゃなければ、元の波に干渉して、さらに激しさを増すことになる。さて、つまり、だ。ポアソンはどうしたと思う?」
「つまり……」逆位相の音を少しずらして、ウィンドキラーから盛大に発した? いや、だとすると、ウィンドキラーを装着したときに音の打ち消しは起こり得ない。同じ理由で、さらに位相をずらして嵐の音を再現させるというのも違う。とすると──「嵐の音と逆位相の音と、逆位相から少しずれた音を発するウィンドキラーを、それぞれ作った?」
「惜しい」
 リュカは指をパチンと鳴らし、解答を告げた。
「ほとんど合ってるんだけど、正しくは、一つのウィンドキラーで全ての音を出している、となる。すごいだろ?
 ポアソンは最後の最後に捕らえられる前に、二つの命令で構成されるプログラムを完成させ、ウィンドキラーのメンテナンスソフトウェアに組み込んだんだ。一つ目の命令は、外発的な原因音が消滅した場合──つまりフラワがその機能を停止した場合、耳中には通常通り逆位相音を発生させるが、耳の外へは原因音──つまり嵐の音を、装置そのものから少し離れた場所へ通常よりも大きな出力で発生させる、というものだった。この外への出力は、ウィンドキラーを脱着しても続けられる。そして二つ目の命令は、脱着された場合、耳中の逆位相音の波形をわずかにずらし、それに伴って出力も上昇させるが、再び装着された際には波を元に戻す、というものだった。この二つの命令により、何もないところに嵐の音が再現された。ウィンドキラーの数が増えれば増えるほど、波は大きく、音は増していく。
 ポアソンは、いずれフラワが止まることを見越して、そんな時限爆弾をウィンドキラーに仕込んだってわけだ」
「……とすると、もしかして、ウィンドキラーを全て破壊すれば嵐は止まるってことかい?」
「ほう……」とリュカは目を見開いた。グラスを手に取り、底に残ったワインを飲み干す。「いやはや、君は本当に理解が早い。確かに、かの国がウィンドキラーを手放せば、積年の呪いは解ける。実際、そういう話も持ち上がったそうだよ。でも、為されなかった」
「それは何故?」
「ウィンドキラーを惜しんだからさ。……全てが終わり、始まった時、かの国には、その名を象徴するような才ある科学者たちが軒並みいなくなっていた。もちろん遺産はあったさ。去った科学者たちも、そこまで非道ではない。でも、それがあったって、そこから発展させることができなければ意味がない。〈科学の国〉を標榜しているのだからね。
 まあともかく、呪いが発生して数十年で、かの国は遺産を使い果たし──正確に言えば遺産を十全に活用できなくなり、名前負けの国になった。かつての栄光を示す物、その粋を極めた物は、ウィンドキラーしかなくなっていた。
 その頃には、残った科学者でもさすがに、音の原因がウィンドキラーそのものであることは突き止めていたさ。でもそれを破壊してしまえば、〈科学の国〉はそれこそ何でもない落ちぶれた国になってしまう。それはどうしても避けたかった。だから、為されなかった。国民にも呪いの原因は明かしていない。その結果が今さ。名ばかりの〈科学の国〉が、非科学(のろい)を観光資源として生きている。な? 愚かだろう?」
 同意を求めるように、リュカはからかうような目で私を見た。多分、その目に映っているのは私ではないだろう。
 知らぬ世界(じじょう)に口出しするは旅人で無し。
 私は肩を竦め、それを返答とした。

「今日は楽しかったよ」
「こちらこそ、興味深い話を聞けて良かった」
 店を出て握手を交わし、リュカは私に背を向けて歩き出した。鼻歌交じりに去っていくリュカはとても楽し気で陽気だったが、私はそこに、底知れぬ昏い感情があるような気がしてならなかった。
「そうだ」そんな私の視線を感じたわけではないだろうが、リュカは数十歩離れたところでくるりと振り返り、私に再び顔を向けた。「旅人さんの名前は?」
「ライサス・フドー」
「フドー、良い旅を。ちなみに次はどこへ?」
「北東の山を越えた先の、〈鳥の国〉へ」
「〈鳥の国〉か。あそこの地中鳥は美味いよ。お勧めしておく」
「ありがとう。覚えておくよ」
「うん、じゃあ、本当に」
「ああ、本当に。……いや、私も聞いていいかい? 礼儀として、フルネームを覚えておきたいんだ」
「もちろんさ」彼は朗らかに答えた。「リュカ・ポアソン」
 不甲斐ないことに、不意を突かれた私は一瞬呆けた表情をしてしまった。
 そんな私を見て、リュカはにやりと口角をあげた。
「良い名だろう?」
 そして、私の答えを待たずに、夜の街へと消えて行った。

愚かな国

愚かな国

科学技術の発展が人の発展に繋がるのかと問われれば、首を大きく縦に振ることはできないんじゃないかなと思います。 魔女の旅々とかキノの旅みたいな感じのものを、と思って書きました。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-25

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