夏の肉
ココア共和国3月号に掲載されているものを推敲しました。どちらもわたしの肉であり、わたしの些細な吐瀉物です。
あらゆるものへの
恍惚に
同化するひとよ
八月の魚になるのだ
砂上で
炎を
肉体にまとい
たましいとして
海に交わり
跡のない、魚になるのだ
おだやかで、ときに秘めたおそろしい波のいのちは、まるでないように、ひとは、足で、たゆたっている。足がある。ちいさなあしがあり、土を好み、いたみなどない。つねになにかが破壊されている。破壊している。意識はないあし。すべて、ひとのおもいのままに、土とこすりあっている。意識のなかでひとは、尾鰭よりやわらかな、あしで、ひとを、泳いでいる。海域に、かみさまがいる、と、いった。ひとは、たゆたって、ひとを、生きて、たゆたって、かみさまを、神域へ、おくった。神域は、ひとのなかで、たゆたっている。あしでは、たどれない、そこ、信仰は、陸の、もの。滅びを、まっている、そこ、に、いのちの恩恵が、ある。あしが、ふれる。
砂に横たわる
焼かれた肉体は
腐敗しても、失われない
循環は
そこにあるということ
そこに存在すること
同化するひとよ
ひとは
あしで、育まれた
ゆえに
あしを脱して
入水するのだ
腐敗し存在する
そのあしで
ひとは魚になる
八月の、魚に
夏の肉