ママエフ・クルガン(102高地)~川口ミキオの物語~

強制収容所7号室での就寝時間は、通常は9時であるが例外もある。

     『ハラショー。同志諸君。本日は対独戦勝記念日である』

収容所の大食堂には、大弾幕が張られていた。
上の文字が黄色い文字で書かれている。下地は赤。
革命で流された血の赤なんだろうが……。いかにもソ連って感じだ。
この色を見るだけで虫唾が走るぜ。クソどもめ。

「5月9日は、我々地球人類がドイツ第三帝国を打倒した、記念すべき日である。
 同志諸君らも本日は盛大に祝おうではないか。
 ささやかながら、ご馳走を用意した。遠慮なく騒ぎ、飲み食いするがよい!!」

女性のボリシェビキが音頭を取る。
いかにも金髪碧眼って感じだが、日本語に訛りがねえのが不思議だ。
日本育ちなんだろうか……? どうでもいいけどよ。

俺の名前は川口ミキオ。17歳の高校二年生だ。
一年の秋、(革命記念日の生徒会総選挙)爆破テロを決行したが、
高野ミウによって計画が未然に防がれ、収容所送りになった。
もっとも収容所に送られたのは進学コースの全クラス。
この7号室に収容されたのは総勢で200名を超える。

完全に定員割れだがな。だって、その内の2割以上はすでに粛清されたんだぞ。
主な理由は脱走を図ろうとして捕まったか、
あるいは外部と連絡を取ろうとしたからだ。中には自殺した奴もいる。

俺もかつては大事件を起こした身だ。
今は亡き副会長・高野ミウの恋人だった堀太盛を刺し殺そうとしたが失敗した。
通常なら拷問の末、死刑になるところをナツキ会長の恩情によって許された。
俺は今日にいたるも、何の処罰も受けてない。自分でも不思議だって思うぜ。

「あら、ごめんなさい」
「い、いえっ」

思わず舌を噛みそうになる。
今俺にぶつかりそうになったのは、収容所ではアイドルとされる斎藤マリエだった。
今日は立食パーティー。高校生ってことで、少し高級なジュースが振舞われている。

斎藤は、コップを持ったままうろついてて、
たまたま、ぼーっと突っ立ってる俺とぶつかりそうになった。
ただそれだけのことなんだが……。

「イズヴィニーチェ。カーク ヴァス ザヴート?」
「メニェー ザブート ミキオ カワグチ」

なんでロシア語を……?
しかもこいつの発音うめえ。ネイティブ並みじゃねえか。
今のは、なんてことないやり取りだ。
名前を聞かれたんで、フルネームで答えてやっただけだ。

「今の質問には何の意味があったんだ?」
「これといって何も。ただ、あなたの名前が知りたかったの」
「そいつは光栄だね。あんたみたいなアイドル様に興味を持ってもらえるとは」

斎藤の顔が引きつる。アイドル呼ばわりされるのをこいつは好まないのだ。
予想通りの反応だったのでこう続けた。

「Отвали(失せな)
 お前が俺と話したところで、あんたにとって何のメリットもねえだろ」

斎藤はコップに入ったぶどうジュースをグイっと飲み干した。
意外と男っぽい飲み方だな。「ぷはぁ」と下品に息を吐き、人ごみの中へ消えた。

パーティ会場となっている収容所の大食堂は、天井から壁に至るも、
まるで文化祭のように飾り立てされている。といっても、色とりどりの折り紙やシールを
切ったり張ったりした粗末なもんだが、普段の刑務所みたいな雰囲気とは大違いだ。

部屋の一角には、小規模だが管弦楽隊がいる。
アコーディオンを持った野郎がリーダーだ。ロシアの民謡をハイテンションで流し続けてる。
すると、看守共が輪になって「カカーリン・カカーリン。カカリィン、カぁマヤァ。サヌバーダァ…」
とカリンカを熱唱する。うまい。今だけは看守じゃなくて男女の合唱団。
ソ連の奴らはこんなにも歌がうまいのか。ロシア語の歌は美しい。

派手なコサックダンスを生で見れるのも貴重な体験だ。
野郎どもは、軍服(ブーツ)を着ながら踊れるんだから、かなりの身体能力だ。


「ママイの丘って知ってる?」

最初は誰に話しかけたんだと思った。
まさか俺だとは。

「ママイの丘っていうと……あれか?
 スターリングラードの激戦地の一つで有名な」

「そうそう。それだよ。さすが川口君は物知りだね」

「別に物知りって程でもねえだろ。俺ら囚人は歴史の授業で嫌でも
 覚えさせられるんだからよ。それより斎藤。なんで俺に話しかけた?」

その問いには無視して、斎藤は俺にコップをよこしてきた。
マンゴージュースらしい。今日は初夏の陽気で汗をかいた。
こんな時にフルーツジュースなんて、たまらなくうまそうじゃねえか。

俺ら囚人には水や牛乳ばかり支給される。
ジュースなんて祝い時しか飲む機会がないからな。
断る理由もないので、ありがたく頂くことにする。

「……ああ。うめえな。たった一杯のジュースがこんなにもうまく感じるとは」

「喜んでもらえてよかった。取り皿にお肉をよそってきたよ。
 川口君は、確か鶏肉しか食べないんだよね?」

「そうだが」

よく知ってるなとは、言わなかった。
この女が何を企んでるのかは知らんが、それどころじゃない。

周りの奴らの視線がやばい。
斎藤はアイドル。当然注目の的だ。

親しい友人に接するように俺と話してるもんだから、他の囚人連中から
矢のような視線が刺さる。ああ。お前らの言いたいことは分かるよ。
俺みたいなブサイクで、何のとりえもない、しかも堀太盛・殺人未遂犯が、
なんでマリーを独り占めしてるんだって言いたいんだろ。

「トイレに行きたくなった。悪いな」
「あっ……」

俺は振り返らなかったから、その時、斎藤がどんな顔をしていたのかは知らない。

斎藤のことは、適当にかわせばいい。
この時はそう思っていた。


パーティが終わる。
後片付けは明日やるとことになり、風呂を済ませて11時をもって就寝となった。

いつもの二段ベッドに横になる。俺は上の段に寝てる。
半袖のシャツに、薄い掛け布団をかける。俺は5月でも布団はしっかりかける方だ。
風邪を引かないように細心の注意を払ってるからな。

下の段の野郎なんて裸同然で寝てるが、いくら今日が夏日だったからって
明け方は冷えるんだぞ。熱でも出した日には、真っ先に仮病を疑われちまう
身分だってことを忘れてるんじゃないのか。

軍隊所の宿舎を連想させるこの広大なベッドルームには、
いつまでも小声でくっちゃべってる奴らもいる。興奮して眠れないんだろう。
いつもなら見回りに来るはずの看守が、今日は来ない。

まったく……馬鹿どもが。その油断がいつかは命取りになるぞ。

俺にとって学園での収容所生活なんてのは、三年間の修行に過ぎない。
どんな辛い出来事にもいつかは終わりがくる。
ここは生徒会(ソ連)の政治の支配下にあるが、教育機関であることに変わりはない。
品行方正に、表向きはマルクス・レーニン主義を褒め称えていれば、普通に卒業できるのだ。

俺は堀太盛の事件以来、絶対に変な気は起こさないと神に誓った。
だからこそ、どんな些細なもめごとにも細心の注意を払う。

今日の斎藤の件だってそうだ。斎藤に何の考えがあったのかは興味ない。
事実なのは、奴がナツキ会長のお気に入りってことだ。
何かの間違いで斎藤と親しくなったりでもしたら、会長の怒りを買う恐れがある。
もちろん斎藤ファンの囚人仲間からもな。

この収容所では、罪状のでっち上げなんて日常茶飯事。
仲間内で少しでも嫌われた奴は、嘘の通報をされて尋問室送りになる。
もっとも、実際はそんな簡単な話じゃないんだ。徹底した取り調べの末、
嘘の通報をしたと判断された場合は極刑に処される。

本当の監視社会は生徒会ではなく、むしろ収容所の囚人によって生み出されるものだと、
囚人共が冗談交じりに言っていた。本当に笑えない冗談だ。

……と、ここまで考えてるうちに、眠気が襲ってきた。
隣のベッドの野郎が、寝返りを打つたびにギシギシと音がして不快だったが、
もう何も気にならない。明日、起床の放送が流れるまでのわずかな間は、本当の自由な時間だ。

ママエフ・クルガン (ママイの墳丘墓)

 ・タタールのくびき。 
 
 13世紀前半から実に200年以上、ロシアの民はモンゴルの奴隷として過ごした。 
 
 チンギス・ハーンの末裔、
 ジョチ・ウルス率いるタタール族(蒙古人)の国、『キプチャク・ハン国』
 かの国が長らくロシアの人民を奴隷にしたのだ。
 時のタタール王のために築いた墓が、ママイの丘である。

 その丘は、標高が102メートルのために、ドイツ側からは102高地と呼ばれた。
 ソ連はここを死守するために温存していた精鋭部隊を結集させた。
 ドイツも次々に増援を送り込んだために、丘には両軍の死体が折り重なる地獄になった。


ママイの丘の死闘は、スターリングラード戦の局地戦である。
ドイツのヒトラーは、指導者スターリンの名を関したスターリングラードを、
ドイツの威信にかけても陥落させる気でいた。


1942年。8月。
パウルス大将率いる、ドイツ第6軍。
そして第4装甲軍が、スターリングラードを攻撃した。

戦術レベルでの戦闘能力、戦闘志気の高さ、作戦レベルの練度、
戦略レベルでの兵員、戦車動員数、航空支援の有無などで
圧倒されたソ連軍に、もはや勝ち目はないと思われた。

スターリングラードの陥落は時間の問題だと、
ソ連の同盟国であった米英首脳部でさえそう思った。

かつてのタタール族(モンゴル)に変わり、
南ロシアを支配する新たな征服者としてドイツが君臨しようとしていた。

『ソ連内に住む劣等人種は、ドイツ人の家畜とする。
 全ソ連人はドイツ人の看守のもとで農作業や資源採掘作業に従事してもらう。
 ドイツ第三帝国は、1000年間栄える帝国である。劣等人種である
 ソビエトの奴らに土地を管理させるより、ドイツ人が管理運営した方が合理的である』

上はヒトラーの言葉である。

戦争前から、ソ連を屈服させた後は、『一億を優に超えるソビエトの全ての人民』
を奴隷にすると、国家の最高権力者が宣言していたのだ。

ユダヤ系ソ連人は絶滅収容所に入れられ、戦争捕虜は劣悪な収容所に入れられるか、
戦車工場などに連行される。ゲルマン系の血筋を持つ金髪碧眼の少女は、
たとえ12歳だとしても無理やり妊娠させられ、子供を産ませられる。


1941年の開戦以後、ソ連軍は縦1000キロにわたる範囲で
ドイツ率いる枢軸国軍の侵入を許しており、この時点で主要都市である
「ハリコフ」「クルスク」は陥落。「ヴィロネジ」にもドイツ軍の総攻撃が開始されていた。

ソ連軍部隊は、ドイツ相手に敗戦を重ね、撤退を繰り返していた。
中にはドイツに包囲されて全滅。捕虜を10万人以上出してしまう部隊もいた。

世界一の国土面積を掘るソ連邦内で、敵に占領された共和国は、

ポーランド・ソビエト
ベラルーシ・ソビエト
ウクライナ・ソビエト
ラトビア ・ソビエト
エストニア・ソビエト
リトアニア・ソビエト

となっている。
無事だったのはソ連の心臓部であるロシア・ソビエト(主にウラル以東)、
カフカース・ソビエトだけだったと言っていい。
そのロシア・ソビエトの中枢まで敵の侵攻を許してしまっているのだ。

(ソ連を現在のロシア共和国と同じレベルで語る人を見かけるが、全くの見当違いである。
 ソ連とは複数のソビエト共和国の集合体であり、ロシア一国では全く成り立たない)

ドイツ軍は、交通の要所であり海軍の根拠地「ロストフ・ナ・ドヌ」を
占領し、黒海に程近い「マイコプ油田」を占領。
さらに南下して、「カフカース山脈」へ部隊を進めていた。

カフカースは、ザカフカース、コーカサスとも呼ばれる。
『アルメニア』『グルジア』『アゼルバイジャン』で構成される山岳地方である。
アゼルバイジャンに存在する「バクー油田」をドイツは狙っていた。
バクーはカスピ海西岸に面した地であり、『ソ連経済の心臓部』であった。

(学園生活シリーズの。エリカの祖先の生まれ故郷がグルジア共和国。
 スターリンの生まれ故郷もこちらであることから参考にした。
 スターリンもエリカも露系でなくアジア人なのである)

当時、世界の産油量の半分はバクーが占めていたとされている。

ヒトラーは「戦争遂行のために資源を奪う必要がある」とし、
モスクワ侵攻を諦めてでも、石油資源を奪うことに必死だった。

ドイツとは、筆者の過去作で何度も述べたように戦闘能力では世界最強だが、
所詮は小さな国にすぎず、ソ連のような巨人を相手に戦い続けるだけの体力がないのだ。
特に真珠湾奇襲攻撃の結果、アメリカが連合国側として参戦することが決まって以降、
ヒトラーはソ連の資源強奪に躍起になった。

のちの歴史評論家が口をそろえてこう言う。

「ドイツのカフカース侵攻は、ヒトラーが余計な口出しをした結果だ」
「いらん寄り道だった」
「他に戦力を回すべきだった」

筆者はそうは思わない。
第二次大戦とは国家の総力戦である以上、
一国の経済力以上の軍事作戦を展開することは不可能である。

後付けでは何とでも言える。我々は後世を生きる者だからだ。
少なくともヒトラーを含めた当時のドイツの首脳たちが、一応の納得をしたうえで
カフカース侵攻を決断をしたのだから、仕方ないことなのだ。

ヒトラーは確かに軍事の専門家でもないのに作戦指導にしつこく口出しをしたが、
そのヒトラーを民主的独裁に導いたのはドイツ自身である。したがってヒトラーの
作戦指導そのものも、ドイツ帝国の英知が導き出した結論に過ぎない。
だから作戦の良し悪しもない。ドイツは負けた。それだけが事実なのだ。

「一度の戦いで勝つことよりも、勝ち続けることが重要。もっといえば
 決定的には負けない戦いをする側が、最終的には勝利者になりえるからだ」

その決定的に負けないことを、ソ連は最後まで続けた。そして機を見て一斉に反撃し逆転した。
だからドイツに勝てた。それがどれだけ困難なことだったと言えば、高校野球で例えると、

5回の裏まで戦ってスコアが

ドイツ高校  「9」
ソ連 高校  「1」

このくらいである。

そのうえで、ソ連高校は主力選手の5割は負傷してしまい、控えの選手で戦う状態である。
一方のドイツ高校はすべての選手が絶好調である。だが、控えの選手が少々弱い。

つまり天変地異でも起きない限りは、絶対にソ連に勝ち目のない戦いだった。
今の日本で例えると、沖縄、福岡、広島、神戸、札幌、四国が全面的に占領されてしまい、
なんとか無事な東北、関東、東海地方の工場まで空爆されたら、
戦争の遂行が不可能と言った有様であった。

だが、戦争終盤となった1945年。

9回の裏になるとスコアが変わる。

ドイツ高校 「12」
ソ連 高校 「37」

もはや野球とは思えない点数になってしまった。
とにかく、ソ連高校はこのくらい点を積み重ねることに成功した。
これでは負ける方が難しい状態である。

ドイツの敗戦の理由はいくつもあるが、以下に並べてみる。

・ソ連の工業生産能力はドイツより上。
・ドイツは西側で米英とも戦っていた。
・ソ連人の数はドイツ人より圧倒的に多い。
・資源も同様。
・ソ連の広さも同様。
・何よりソ連は寒い。すごく寒い

ソ連が決定的な敗北をせず、
(主要戦力を維持する。主要な工場を維持する)
長期戦に持ち込むことが重要だった。これには成功した。

上に挙げた理由は、ソ連が長期戦に持ち込めば勝てることを意味している。
アメリカからのレンドリース(武器貸与法)で無制限に
武器弾薬などを送ってもらえたことも勝利を支えた。イギリスからの支援もあった。

もっと簡単に説明すると

枢軸国 → 短距離ランナー
連合国 → 長距離ランナー

この両者が、よーいドンをして、箱根駅伝で戦ったらどうなるか。
誰が考えたって連合国側が勝つ。ただそれだけのこと。
第二次大戦とは、人口の多さと経済力の戦争であった。

戦う前から戦争遂行能力で劣っている枢軸国には、短期決戦以外に勝つ方法がない。

ドイツは、モスクワ戦の失敗、スターリングラードでの第六軍の壊滅。
日本は、ミッドウェイ作戦で主力空母四隻を失う。ガダルカナルをめぐる消耗戦でも負けた。

以上の理由だけで、もう何をどうやっても連合国には勝てないことが決定していた。
あの戦争は実に長かったが、戦略面では1942年の時点で勝敗は決まっていた。
現に1943年にて、米英ソの三巨頭の首脳は、戦後処理について話し合ってるレベルだった。

さらにひどいことに、戦争序盤ではドイツの電撃作戦、日本の空母機動艦隊に、
全く対抗できなかった米ソだが、敵からよく学び、戦争中盤以降は戦術レベルでも両国を上回っていた。
つまり虎の子である戦術レベルの優位でさえ、のちに日独は失ったのだから、やはり勝ち目はない。

各国の英霊の皆様を侮辱するつもりはないのだが、非常に言いにくいのだが、
1942年以降の戦いは、ただの消化試合。全軍の兵士にとって無駄死にだったのが事実なのである。

川口ミキオの夢。ママイの丘

スターリングラード攻防戦は、母なる大河「ヴォルガ川」を背にソ連軍部隊が展開し、
持久戦を展開。そのソ連軍をドイツを第六軍率いる枢軸国諸国が完全に包囲した。

地獄の攻防戦は、1942年6月28日 - 1943年2月2日 まで行われ、
死傷者は枢軸側が約85万人、ソビエト側が約120万人と見積もられた。
街は瓦礫の山と化し、開戦前に60万を数えた住民が終結時点でおよそ9800名にまで減少した。

ソ連の息の根を止めるために参加した枢軸国諸国は、

ドイツ帝国。
イタリア王国。
ハンガリー王国。
ルーマニア王国。
クロアチア独立国。

以上の五ヶ国である。

これにロシア祖国解放軍(ソ連を裏切った兵)も入れると、さらに増える。
枢軸国軍の最大兵力は200万を超えた。そのうちの過半はドイツ兵である。
開戦時、圧倒的な練度を誇り、ソビエト領土を蹂躙した、
B(べー)軍集団から派生した陸戦部隊が主である。

かつてスターリンは、英国のチャーチルに苦情を言った。

「ソ連はたった一国で、これほど多くの国の攻撃を一身に受けている。
 連合国側の支援が期待できないのであれば、ソ連は単独講和することもあり得る」


※ミキオ

ママイの丘へ殺到した突撃班、第一波はすぐに撃退された。
全部で6つの班からなる部隊だった。

一つの班が、5、6名の人数で編成されている。
ドイツ歩兵を蹴散らしながら、ママイの丘の頂上付近にたどり着いたのはいいんだが、
そこへ急降下爆撃機が襲い掛かった。あの独特な風切り音。ドイツ野郎どもは、投下する爆弾に
鈴をつけることによって、俺達を恐怖させる。

シュトゥーカ爆撃機は、同じ場所に何度も爆弾を落としていった。
全部で4機の編隊……なんだろうか?
入れ代わり立ち代わりで爆弾を落としては兵隊を吹き飛ばしていく。
土が一斉に盛り上がる。ヘルメットだけが、こっちに飛んでくる。
生首か……。

「突撃命令があるまでそこで待機せよ」

上官が俺に言う。

俺が所属するのは、突撃第8班だった。
陸上から丘を見上げる位置で隠れている。
ドイツの砲撃によってめちゃくちゃにされた
トーチカの残骸(レンガ)は、身を隠すのは絶好の場所だ。

シュトゥーカが去った。
その代わりに、ドイツの歩兵共が丘の頂上に殺到し始めた。
あいつら、どこにこんなに隠れてたんだってくらいの人数だ。

まだ生きている味方の兵隊が皆殺しにされていく。
足に銃弾を食らって動けない兵隊にも、ドイツ野郎どもは容赦なく
銃弾を食らわせて殺していく。捕虜を取るつもりなんてないらしい。

頂上は完全に制圧されている。
このままじゃ、ドイツ野郎どもが、俺たちのいる側にまで降りてきてしまうぞ……。

笛が鳴った。督戦隊(NKDV)の制服を着たやつだ。
あいつらは内務人民委員部から派遣された、生粋のボリシェビキ。
戦闘中に命令違反をした奴を後ろから撃ち殺すためにいる。

「突撃第二班、第三班、第四班、残存の工兵隊!!
 一斉に丘へ突撃せよ!!」

俺は……怖い。
今目の前で起きてることが夢だってことは理解してる。
だが、それでも死ぬのが怖い。

ここからなら、ドイツ野郎の目が見える。見ろヘルメットの下から除く、あの青い目を。
奴らはソ連人のことを劣等人種(ウンターメンシェン)と呼ぶ。
俺らを殺すことに何のためらいもない。女子供も平気で銃剣で刺し殺して川に捨てる。

ソ連人なんて生きてる価値がない。平気でそう言う。だからだろうか。
俺はソ連人でもないのに、いざってときは戦おうって思ってしまうのは。

「貴様!! どこへ向かおうとしているのか!! 敵はそこにはいないぞ!!」

味方の兵隊がボリシェビキに打ち殺されていた。
どうやら隣の班の連中が、脱走しようとして失敗したようだ。
なんでそんな無駄なことをしたんだ。

俺たちの班は、「ウラアアアアアア」と奇声を発しながらドイツ軍の方へ殺到した。
俺には連射式の短機関銃がある。もう照準なんてどうでもいい。
目の前の敵に撃ち尽くすまでだ。

ヒュン。という風切り音がしたと思った。耳の横を通った……!!
ヒュンヒュンヒュン……と続けて何かが飛んでくる。重みのある音だ。

「あ……」

俺は脱力して右肩を前に出した状態で、倒れた。
ずるずると、斜面を俺の体がすべり、すぐに止まった。

撃たれたのだ。

おかしいことに、敵の正面じゃなくて、全然関係ない真横から
機関銃の射撃を受けてる。どうやら待ち伏せにあったらしいな。
ドイツの奴らは賢いから、こっちには見えない角度で機関銃を仕込んでる。

俺の軍服の胸ポケットが血でいっぱいになってる。
他の兵隊はどうなった……?

きっと殺されたか。俺は撃たれた割には頭がはっきりしていて、
付近からドイツ語が飛び交うのが分かる。はは……。
ドイツ軍に突撃しても勝てるわけねえよ。相手は戦闘のプロだぞ。

フランス軍やイギリス軍ですら一か月しか戦えなかった相手に、
生まれたばかりのソ連軍が勝てるわけねえだろ。この戦争を引き起こした
ヒトラーをぶっ殺してやりたいが、無謀な戦争を引き起こした元凶の
スターリンもいっぱつ、ぶん殴ってやらねえとな。

ドイツ兵は、俺の体を蹴り飛ばしながら前進を続けたようだ。
丘の先には守るべき工業地帯がある。だから俺たちは何としても
ママイの丘を死守しなければならなかった。くそ野郎……。
戦う気力があっても体が動かないんじゃ、どうにもならねえよ。

その時だった。
ヒューン、と風を切る音がした。どうやら大砲が飛んでいる音のようだ。
俺の死体に向けて発射したんじゃないかってくらい、
丘の周辺を爆弾が埋め尽くしていく。

ソ連側の反撃が始まったのだ。
ヴォルガ川東岸には、猛烈な数の大砲が用意されている。
そっちは地理的にドイツ側の射程外のため、
ソ連の長距離砲撃用の陣地が構築されていた。

丘の地形を変形させる勢いで砲撃が続く。
粉砕されたドイツ兵の死体が、俺の上に重なった。
内臓の一部がはみ出してる上に、右足もなかった。

……まったく、なんて砲撃の仕方だ。味方ごと撃つなんてよ。
司令部の奴らは、敵が制圧した陣地で顔を出してこないからって、俺たち歩兵を
わざと突撃させて敵をあぶりだす。そこで一斉砲撃で一網打尽にしようって魂胆だ。
とてもまともな人間の考える作戦じゃない。……悪魔だ。

15分の砲撃のあと、「ウラアアアアア」とソ連軍の突撃が開始される。
ドイツ軍部隊は完全に蹴散らされたか。丘一帯はソ連のものになった。

味方の兵隊が俺の『死体』を引きずる。
おかしな話だ。

俺は死んでいるはずなのに、意識があるんだ。
夢の中だからだろうか。夢だったら。なんで俺は戦う必要があったんだ。

それにしても荒っぽい引きずり方だ。
おい。誰だか知らねーが、英霊の体なんだ。もっと丁寧に扱えよ。

「それは失礼しました。ごめんなさいね。ミキオくん」

女の声……?
その女性兵の正体は、斎藤マリエだった。
俺の夢はそこで冷めた。

夢から覚める。変哲のない収容所での生活が続く。

※ミキオ

朝の点呼。生産体操。一斉清掃。ここまでを30分以内に終わらす。
いつもと変わらない朝だ。

代り映えがしないってのは退屈って意味にもとれるが、悪夢を見た後では
天国に違いない。戦場に比べたらここは天国だ。収容所でも天国だ。間違いない。

「おまえさん。全然ハシが進んでねえぞ? 体調不良か?」
「あっ。そうだったか? すまん。ちょっと考え事をな」

それだけ言うと、俺の隣で朝食を食べていた囚人仲間は興味を無くした。
いつものご飯とみそ汁と漬物。シンプルな食事だが、食えるだけましだ。
囚人になる前は、俺は朝ぎりぎりまで寝てたから、母親が作ってくれた
朝飯を食べてなかった。今思えば母ちゃんに申し訳ないことをした。

ここでの生活では、炊事係は当番制になっていて、だいたい5週間に一度くらいの
頻度で回ってくる。当番になったら、一週間は炊事係になる。
食堂をきれいに掃除して、皿に全員分の飯を盛るだけの仕事だ。
人数が多いので大仕事になるわけだが。

時間になると一階の搬入口へ業者の人が食料を持ってきてくれる。
学校給食と全く同じシステムだ。さっき母ちゃんの話をしたのは、
たまには母の手料理が恋しくなるからだ。これは他の囚人も同じことを言っている。

「全員、校庭へ集合せよ!!」

看守のゲキが飛ぶ。

今日の授業はマラソンか……。朝から体力を消耗させやがるぜ。
朝方やった生産体操の別バージョン(準備体操)をしっかりとさせられ、
トラックを何周も走る。走るペースは自由。フォームも自由。
20分間完走を目的にした、体力づくりの授業だ。

不思議なことに、ボリシェビキは体育の内容は寛容なことが多い。
このマラソンだけでなく筋トレにしても、回数は各人の自由。
ダンベルその他の器具も好きに使用し、制限時間内に、好きなように鍛えていいと
指示される。厳しいのは体操のフォームだけだ。これだけは徹底的に指導された。
下手なやり方でやると関節を痛めるからだそうだ。

こうなってしまっては、マラソンの授業はみんながのんびりと走る。
俺は例外だ。俺はどんな授業だとしても学生の本文を忘れるつもりはない。
昨日よりも今日、今日よりも明日、ということで一秒でも早く走れるように努力をしていた。

看守の人に頼んで、タイムを計ってもらうように頼むと、肩を叩いて褒められた。
ご褒美にミルキーのアメをもらったことは、一度や二度ではない。

真剣に走ってると20分なんてあっという間だ。
何度見てもダラダラ走ってる他の連中がアホらしくなる。
走り込みの練習なんて若いうちしかできねえんだから、
今のうちに頑張っておこうって気にはならないのかね。

「さすがだねえ。ミキオくん」

あ……? 俺に手を振ってくる女がいた。

「私の思った通りだ。やっぱりあなたは他の囚人とは違う」

「斎藤。なんでお前さんがそこにいる?」

「今日は看守さんのお仕事を手伝っているんだよ。ほら」

斎藤は生徒会に支給されたIPADを持っている。
それで俺のタイムを計っているんだろう。

「前回より確実にタイムがあがってるよ。その調子で頑張って」
「その前に俺の質問に答えろ。お前は看守の真似事でも始めたのか?」
「私はナツキ会長のお許しを得て、生徒会の仕事を手伝ってるんだよ」

そういえば……そうだったかもしれん。
俺は男子だから、女子の収容所で発生した事件には詳しくねえが、
噂によると斎藤マリーは、ナツキ会長の恩情により7号室から解放されて
ボリシェビキの一員として働いてるとか。噂はマジだったってことか。

しかしこいつも元は進学クラスのメンバー。
理系の一年五組。俺と同じクラスだったんだぞ。
元爆破犯のメンバーに偉そうにされるのは我慢ならん。

「話はそれだけか? じゃあな」
「待って」
「うるせえな」
「待たないと銃殺刑にするよ?」

思わず振り返った。
斎藤の顔は、形だけは微笑んではいるが、すごく冷たくて人形のようだった。
改めてこいつの顔を見ることも今までなかった。

俺はアイドル扱いされて、チヤホヤされてる奴に興味がない。
そもそも、囚人だろうが看守だろうが、個々の連中に興味がないから
人の顔を視界に入れることがない。

「あれ? おまえ、そんなに小さかったか?」

斎藤の身長は、急激に縮んでしまった。
俺の目が悪いのか?
それとも幻覚を見ているのか。

斎藤の身長は、俺の腰の高さほどしかない。
幼稚園児か、よくて小学校入学したての女の子の身長だ。
長い茶色の髪の毛が腰まで伸びていて、なんだか不格好にも感じる。
くりっとした大きな瞳が、俺を見上げている。まつ毛が長い。

「私もよく夢を見るんだよ」

幼児声……。本能が告げていた。
こいつに関るなと。だが、会話を続けてしまった。

「……そうか。夢か。どんな夢を見るんだ?」
「ソ連軍に入隊して、ドイツ軍と戦う夢」
「へえ。そいつはすごいな」
「あなたは見ないの?」

「俺も見たよ」
「どんなのを?」
「ソ連兵になって戦う夢だったな」
「すごいじゃん」
「すごくねえ。あんなの、最低じゃないか」

「でもすごいよ。あなたは逃げずに戦ったんでしょ?」
「たまたま逃げなかっただけだ。あの状態で逃げてどうする」
「勇敢。勇敢。ミキオくんは勇敢な兵隊だ」

斎藤の背中には天使の羽が生えいていた。
まさかと思い、目をこすっても羽が生えている。
信じられないことに宙へ浮き始めた。
そのおかげで、俺と目線の高さを合わせている。

「こことは違う世界があるとしたら、どうする?」
「はっ……?」
「だから、こことは違う世界があるんだよ」

「その冗談、ソ連ではやってるのか?」
「冗談じゃないんだけどな。思い当たることはない?」
「……夢の中の世界のことか」
「うん。そうだよ。どうだった?」
「別にどうもしねえよ。俺はそんなもんに興味ねえ」

「君なら向いてると思うな」
「なににだ?」
「兵隊。人を殺す仕事」
「……あっそ」

もう相手してられなかった。俺は収容所へ戻ろうとしたが、
信じられないことにどれだけ進んでも景色が変わらない。
俺は永遠に収容所の入口へたどり着くことができないでいた。

バカな……。さっきまでいた周りの連中も消えている。看守共は?
俺は斎藤と結構な時間を無駄話をしていた。
とっくに次の授業の時間になっているはずだが。

バサッ、バサッ、と羽根が羽ばたく音がした。

俺の目前に黒い羽根が落ちてきた。
そこまでは覚えている。俺の意識は飛んでしまった。

夢は願望を生み出すこともあるが、記憶の整理にも使われる。

  『リディア・ウラジーミロヴナ・リトヴァク』

ユダヤ系ソビエト連邦人の女性兵。生まれはモスクワ。

『ソ連邦英雄』『レーニン勲章』
『赤旗勲章一等』及び『二等祖国戦争勲章』『赤星勲章』を受章。

渾名、『スターリングラードの白百合』
ソ連空軍を代表する女性エース・パイロット。

1943年8月1日、ドイツ空軍基地への偵察任務のあと、
ドンバス基地へ帰還しなかった。軍は戦死と認定。享年21歳。
彼女の死に多くのソ連人民が奮い立ち、ドイツへの復讐を誓った。


※ ミキオ

俺は再びソ連兵となっていた。野戦病院のベッドに寝かされていた。
不思議なことに、どこにも外傷はない。撃たれたはずの胸は何ともない。
足もけがをしてない。自分がベッドに寝かされていることが不思議でならなかった。

「君は今朝のプラウダを読んだかい?」

隣のベッドにいる戦傷兵が、さめざめと泣いている。

「いや、まだだが」

「我らが白百合は、ドンバスの基地から出撃したのち行方不明となっている。
 公式には撃墜されたことになっているらしい」

その金髪のなかなかの美男子が、俺に新聞(プラウダ)を手渡してくれた。
強く握りしめたためか、くしゃくしゃになっている。

リディア・ウラジーミロヴナ・リトヴァクの死……。
確かにそう書かれている。生前の彼女の肖像。受賞した数々の勲章と偉業……。
なるほど。収容所7号室の授業でも習ったが、
どうやらこの人は本当に超有名人だったようだ。

「今日は人生最悪の日だ!! よくも我らが同志リトヴャクを!!」
「おのれえええ!! ニエェメッツの奴らめ!! 皆殺しにしてやるぞおお!!」

男たちの怒号だ。
彼らは手や足を失った傷病兵だが、頭はしっかりとしているようだ。
白衣を着た美しい看護師たちも、壁やベッドに手をついて、さめざめと泣いている。

ソ連邦英雄、リトヴャク上級中尉の死は、全ソ連に
計り知れないほどの悲しみと、ドイツに対する怒りをもたらした。

彼女はソ連国内に存在する、女性のエースパイロットの一人だった。
ソ連では開戦直後のドイツ軍の奇襲作戦により、空軍部隊が壊滅打撃を受け、
再建が困難な状態が続いた。ドイツ陸軍が破竹の進撃を続けられたのは、
ソ連空軍からのまともな反撃がなかったことが、最大の要因とされている。

これは誇張ではない。
現に西部戦線でも、太平洋戦争にしても、第二次大戦では
『制空権』を奪った側が、最終的に陸戦の勝者となるのは常識だ。

ドイツの電撃戦を支えたのも急降下爆撃機による空襲。
そして無線通信を効果的に使った、地上砲撃との連携。
ドイツの戦車戦っていうと、戦車単体ばかりにクローズアップされるが、
実際は空と地上からの砲撃が主だった。

文明の利器を運用することにおいてドイツの右に出る者はいなかった。
だが、どんな優れた運用法でも敵にそっくりマネされたら、優位は失われる。
ドイツの生み出した陸戦空戦の様々な戦術は、その後各国に模倣された。

話を女子飛行連隊に戻すが、
ソ連では男性パイロットが多数戦死したため、早くから女子の志願兵を募集していた。
初めは多くの部隊で抵抗があったそうだ。男性でも一握りのエリートでしか
パイロットにはなれない。歩兵になるのと訳が違う。

パイロットになるには、航空力学、物理学などの高度な学問が必要になる。
そもそも戦闘機や爆撃機は高価なうえに、さらにパイロットそのものが
一人前になるまでに平均で2年はかかる。

女子の志願兵はソ連中から殺到した。
まさか選考する羽目になるとはって、マリーナ・ラスコーヴァ少佐は困惑したそうだ。
驚いたことに当時女学生(17歳から22歳)年齢の人がたくさんいて、
パイロットの選考に漏れた人は、整備兵に回された。

マリーナ・ラスコーヴァは女子飛行連隊の生みの親にして、ソ連邦英雄だ。
ロシア系ソビエト連邦人の女性。最終階級は空軍中佐。

マリーナは、1941年9月に3つの女性連隊を編成した。
Yak-1を主力とする第586戦闘飛行連隊、
Pe-2を主力とする第587爆撃飛行連隊、
Po-2を主力とする第588夜間爆撃飛行連隊は、試験兵団となった。

とくに有名なのは、第588夜間爆撃連隊。
1943年2月に第46親衛夜間爆撃航空連隊と改称され、
1943年には称号を加えた第46「タマン」親衛夜間爆撃航空連隊と改称されている。

夜間爆撃は、危険な任務だ。

視界の利かない、真っ暗闇の中を敵基地まで飛ぶんだからな。
当時はレーダーのない有視界戦闘。途中で味方とはぐれるなんて日常茶飯事。
敵の迎撃機が飛んできた場合は、全力で逃げるか、自滅覚悟で爆弾を落とすしかない。

ドイツの奴らは基地にサーチライトを持っていて、低空飛行に入った彼女らを
照らしては視界を奪った。そこへ対空機銃が襲う。
たった1秒視界が奪われただけでも、飛行機乗りにとっては致命的だった。

基地まで帰るのも命懸けだ。
爆撃機には、メインの操縦士の後ろに航空士も乗っている。
敵の機銃攻撃でメインパイロットが無事でも、後ろの航空士が死んでることもよくあった。
悪天候で視界の利かない場合は、そのまま帰らぬ人になることもあった。

最悪なのは、女子飛行連隊の機体が敵地に不時着し捕虜になることだ。

ドイツ兵は、女子の捕虜に情け容赦がなかった。

『ソ連の魔女め!!』
『魔女飛行連隊の奴らだ!! 生きて返す必要はないぞ!!』

レイプは当然。生きたまま手足を切断されたり、腹を裂かれたりした。
長時間にわたる電気拷問の末、死ぬまで電気恐怖症に苦しんだ女性もいた。

ソ連軍が領地を奪還した後、
草むらに無残な姿の遺体で発見された女子隊員が、発見されたこともあった。

彼女らにとって、捕虜になるのは死ぬよりも恐ろしいことだった。
それでも戦った。

別に彼女たちがボリシェビキだったからじゃない。
実際にボリシェビキだったのは、NKVD(内務人員委員)の一部の奴らだけ。

彼女たちは、ただ祖国を守りたかった。
家族を守るため、殺された家族の恨みを晴らすため。一日でも早く
ドイツの奴らを祖国から追い出し、平和を取り戻すために戦った。

はっきり言って、ソ連の人民の9割はボリシェビキなんかじゃなかった。
社会主義や共産主義なんてどうでもよかった。
だがソビエトの人民は、超人的な粘り強さ、我慢強さ、祖国への愛を持っていた。

これは当時のフランス人が持ちえないものだった。
ドイツ軍首脳の間では、前評判ではフランス陸軍こそドイツ陸軍最大の
障壁であると同時に、最悪敗北する可能性すらあると恐れられていたが、
実は最強の陸軍国はソ連だったのだ。
その陸軍の前進を支えたのが空軍であることは上で述べたとおりだ。

さて。

リトヴャク中尉は戦闘機乗りだった。

爆撃機が爆弾を敵基地に落とすことを任務としているのに対し、
戦闘機とは空中戦がメイン。すなわち敵の撃墜が第一である。
練度の低い者は、とうぜん選ばれない。出撃しても死ぬだけだからだ。

1943年の2月になると彼女は熟練の搭乗員であると認められ、
「フリーハンター」と呼ばれる、男女混合部隊の精鋭部隊に配属された。
狩人と呼ばれるこの部隊は、全ソ連から熟練搭乗員を集めた部隊である。

男女混合部隊ということもあり、恋愛があった。
リトヴャクはアレクセイ・ソロマチンという熟練パイロットとは恋仲になったが、
のちにアレクセイが戦死。リトヴャク中尉にとってこれほどの悲劇はなかった。
実は空軍兵同士の恋愛は、他にもたくさんあったそうだ。

海軍兵同士で結婚式を挙げた人もいたらしい。
そしてその結果は、みな悲惨なものだった。

リトヴャク達が相手にしたのは、世界最強と呼ばれるドイツ空軍のパイロットだ。
平均的な練度、機体性能で劣る中、ソ連空軍は懸命に戦った。

150センチに満たない小柄なリトビャク。フットペダルに足が届かないため、
背もたれにクッションを入れて補った。知力体力に劣る女性にはパイロットは無理だと
仲間内での多くの差別と偏見と闘いながらも、ドイツ兵を倒し続けた。

彼女はソ連邦英雄になってからも
決して高圧体な態度を取らず、市民にも優しかった。

負傷し、モスクワの自宅に帰郷した時は、バスの中で貧しさからスリをした少年を
許したこともあった。逆にスリの少年に現行犯で暴行を加えるソ連兵をたしなめたのだった。

『あなた様は、英雄様でしたか!! 
  すみませんでした。今すぐこのガキを解放します!!』

『私を英雄と呼ぶのを止めなさい。
  私はソ連邦英雄だからといって、いばるつもりはない』

リトビャクを始めとした女子飛行機部隊の活躍は、
いつも新聞の見出しに乗り、スターリングラード市民を勇気づけた。

リトビャクは全ソビエト人民のあこがれだった。そんな彼女だからこそ、
その死が知らされた際の、ソビエト人民の怒りは計り知れず、
もはやドイツに対する恨みは形容しがたいほどに膨れ上がっていた。

どのソ連兵も、戦局が逆転した戦争後半にはこんな話をしていた。

『ベルリンに一番乗りしてドイツの奴らを皆殺しにしてやる』
『俺の家族がやられたように、奴らにも同じことをしてやる』
『女も子供も生きたまま解体してやる』
『ドイツ中から全てのインフラ設備を破壊しろ。奴らに文明は必要ない』
『欧州の地図からドイツを消してしまえ。奴らが二度と世界征服をしないように』

不思議なことに、西部戦線の米英兵の間でも同じことが話題になっていた。
戦争後半の1944年から55年にかけてである。
ドイツに占領されたすべての占領地域の国民も同様に考えていたことだろう。

第二次大戦とは、人類史上最大規模の戦争となったわけだが、
これほど多くの外国人から敵意を向けられたものドイツくらいであろう。

ちなみにリトビャクは撃墜されたというより、過労で死んだらしい。
恋人のアクレセイが死んでからというもの、彼女は何かに取りつかれたように
空戦にのめりこむようになったと、親友で整備士のニーナ曹長が語っている。

またリトビャクの司令官も、まるでリトビャクの死に場所を用意したかのように
無理のある連続出撃をさせたという。リトビャクは、戦死させられたのだ。
ソ連人民を奮い立たせるプロパガンダに利用されたとの見方もある。

リトビャクの母親は、ごく普通の人だった。
名前は詳しい人の資料では「アンナ」とされている。

演劇の練習をするためだと偽り、
学生の頃からカリーニン飛行クラブに隠れて通ったリトビャク。
理系の部門で成績優秀だった彼女は一時期、
母の勧めで地質学者の道を歩もうとしたこともあった。
だが、だめだった。

彼女は大空への夢をあきらめることができずに、
女子飛行機部隊の募集に応募してしまう。

『待ちなさい!! リトビャク!! 母さんはね、
 お前を人殺しにするためでも、戦死させるために産んだわけでもない!! 
 あなたが本気で飛行機乗りを目指すと言うなら、勘当するわ!!』

本当に絶縁寸前にまでなった。それでもリトビャクはパイロットになった。
「フリーハンター」部隊に配属後、負傷してモスクワの自宅で療養。
それが家族との今生の別れになった。愛する弟のユリは、まだ学生だった。

彼女の死を知った時、残された家族はどう思ったことか。
(父親はリトビャクが幼い時にKGBに罪なき罪で粛清されている)



こうした話は、出撃。女子飛行連隊、などの漫画。
インターネットのまとめサイトにも多々転がっており、
細かい内容を勝手に引用させてもらった。反省している。
どの作品にも深く感銘を受けた。涙を流さずに読むのは不可能だった。

筆者はスターリングラード戦の概要については手元の資料、
学研の歴史群像シリーズ「スターリングラード攻防戦」を参考にしている。

続き

野戦病院では、リトビャクの話題で持ちきりだった。
ソ連の人民は、本当にリトビャクのことが好きだったんだ。

誰だって人が死んだら悲しいよな……。
それが英雄だったら当然だ。

俺も寝ていらねえと思った。たとえそれが夢の中の世界だったとしてもな。

「おい、きみ? 先生の許可もなく動いたらいけないぞ」
「心配すんな。俺はケガしてねえからまだ戦えるさ」

隣のベッドの金髪美男子を制止する。

俺の名前は川口ミキオ。
日本生まれの日本育ち。典型的なゆとりだ。
何の訓練も受けてないが、弾避けくらいにはなるだろ。

俺はスターリングラードの歴史を知っている。
だからこそ、ソ連軍が今、大戦力をスターリングラードの外壁に
かき集めて一大犯行作戦を立てていることを知っている。
戦力が結集するまでの間、包囲網の中に残された兵隊には一日でも長く
抵抗し、敵の足を止めないといけない。

要するに俺たちは「捨て駒」だ。
ドイツ軍の弾を消耗させるのが目的だ。
上等だよ。何の意味もない人生を送ってる俺でも、
たとえ夢の中でもこの人たちの役に立てるなら悪くねえ。

軍の偉い人に頼んで前線に立たせてもらおうと思い、病院の入口を出ると
「なっ……?」思わずうねる。一体何者なんだ……? この人たちは。

病院の前に座り込んでいる兵隊の群れだ。結構な数だな。
俺も人のことは言えんが、そんなに重症ってわけでもなさそうだ。
手や頭に包帯を巻いてはいるがな。

「あれは神経症を負った者たちだ」
「神経症……?」

たまたま通りかかった男性の軍医が俺に説明してくれた。

「最前線で戦い、奇跡的に生き延びたが、心に深い傷を負った者たちだ。
 彼らはもうドイツ軍とは戦えない。ドイツ軍のヘルメットでも見た瞬間に
 すべてを投げだして逃げ出してしまうことだろう」

「だったら、後方にもでも非難させてあげれば……」

「同志よ。君は正気かい? 同士スターリンは、
 ソ連には逃亡者はいないとされている。
 戦いを放棄した者は反革命容疑者だ。直ちに前線に戻される」

「えっ。でも戦う気がないのに?」

「彼らにも人民の役に立つ方法があるんだよ」

……耳を疑った。

・懲罰部隊(地雷処理班)

精神薄弱者、死守命令に無視して後退した者の行く末。
地面にはいつくばって、棒で適当なところを突っつき、地雷が爆発するまで続ける。
スターリングラード市内は、ドイツ軍の砲爆撃のせいでガレキの山となっている。
そこを這って進む。

逃げようとしたら、後ろからNDVKに撃たれる。
地雷を食らえば即死か、良くて両手が根元から吹き飛ぶ。
その間、敵に見つかれば砲爆撃を食らう。敵の狙撃兵にも注意が必要だ。

「こら、きさまらぁ。立たんか!! 立てえええ!!」
「ぐおっ……ぐっ……」

件の内務人民委員の奴らが来やがった。督戦隊とも呼ばれる連中だ。
戦意を失った皆さんの腹にブーツで蹴りを入れていく。
なんて容赦のなさ。まさに鬼だ。
みなさんはトラックの荷台に乗せられ、連行された。

あの人たちの寿命は、もって1週間ってところか。
皆普通の顔をしたソ連人だった。
彼らにも故郷に家族がいるんだろうに……。
気の毒だが……感傷に浸っている暇はねえ。

俺はその後、軍の偉い人に話をつけてもらって前線部隊への復帰が許可された。
戦う場所は、またしてもママイの丘だ。
現在わが軍が占拠中の丘を死守せよとのことだった。

現在の戦局を説明させてくれ。

1942年。9月

ドイツ第六軍は、ソ連軍第62軍を包囲している。
第62軍は、ヴォルガ川を背にしながら、いくつかの拠点を必死に守っている。

・「ジェルジンスキー」トラクター(戦車)工場
・「赤いバリケード」大砲工場
・「赤い10月」武器工場
・ ママイの丘(102高地)
・ 穀物サイロ

ドイツ軍はすでに市の9割を占拠していた。
ソ連軍は、陥落寸前のところで何とか踏ん張っていたのだ。

上の陣地が敵軍に占領されたら我々第62軍は降伏する。
軍司令部は、紆余曲折を経て「石油備蓄タンク」(赤いバリケード工場付近)の地下に決定された。
石油タンクなら敵も攻撃をためらうだろうとの、司令官のお考えによるものだ。ゾッとしないね。

第62軍の司令官はワーシリー・チュイコフ中将。名将として知られる。

(実は、前回の同志リトビャクが死んだ時点と、現在のスターリングラード市の
 時間軸はリンクしてない。正確にはスターリングラードが解放されてから
 同志は亡くなっている。つまり、この時点ではまだリトビャクは生きている。
 だが小説を盛り上げるために、あえて時間軸を狂わせていることは承知してほしい)

(この後の展開も架空の部隊が登場したりと、史実の再現性に乏しいが、
 本作は小説なので、まず読み物として面白いものを優先して書くようにしている)

我がソ連軍が、半円状に包囲されながらも抵抗を続けていられるのは、
ヴォルガ川の先にある、クラスナヤ・スロボダ地区を中心とした場所から
補給を得ているためだ。ソ連軍の輸送船はそれこそ休みなしに動き続けてる。

もっと噛み砕いて説明すると、
ヴォルガ河の先にまでドイツ兵はいないから、
あちら側から川沿いに補給を受けているのだ。
ちなみに兵の補充も無制限に受けられる。

映画スターリングラード(アメリカ製)で描かれたシーンがこれだ。
シベリア鉄道経由で、どんな田舎からでも兵隊をかき集めて
死地(スターリングラード)へ送る。そして2週間以内に全員死ぬ。

「同志諸君!! 母なるヴォルガ川を背に、最後まで戦い抜け!!」

うるせえ。
鼓膜が破れるほどの大音量。
NDVKの連中は拡声器を使う。限界まで音量を上げているんだ。

「勇敢なる同志諸君!! 我がソ連軍は、スターリングラードから
 撤退することは絶対にない!! 
 たとえ敵のどんな攻撃を受けたとしても、断固死守せよ!!
 渡船場には、今なお補給物資が到着している最中である!!」

実は嘘だ。補給物資なんて満足できる数はそろってねえ。
第一停車場に設けられた、長距離砲撃部隊の弾薬だけは十分な数があるらしいが、
俺たち歩兵には最低限の装備しか与えられてない。

敵のドイツ兵には戦車、突撃砲、装甲車など何でもありだ。
敵の部隊の装備は、まさに近代兵器の博覧会のごとく。


俺の配属されたママイの丘は、半斜面陣地となっている。
半斜面陣地と言えば沖縄戦の日本陸軍が有名だが、元ネタを考えたのはソ連。
日本軍もソ連を模倣したと資料に残っているそうだ。

どんな陣地かというと、文字だけのメディアでは表現不可能なのでざっくりと。
敵に見つからないように、敵から見えない側の斜面に、機銃や大砲を用意しておく。
火力が集中する地点に敵をおびき寄せて、一網打尽にする。

これは、表向き敵の砲爆撃を回避できるだけでなく、
少ない労力でこちらの火力を集中する効果があり、
当時の要塞戦術の極みとまで評価された。

沖縄戦でのシュガーローヒルでの戦いを参考にすると、
米側では突破するのに有効な戦術が最後まで思いつかなった。
そのため、人海戦術で一つ一つの陣地にガソリンを流し込み爆破するか、
火炎放射器を使用した。理論上、一番前を進む兵隊は全員死ぬか重傷を負った。

俺は斜面陣地の重機関銃陣地に配属になった。
斜面の中にぽっかい空いた穴倉(塹壕)の中に潜んでいる格好だ。
ここの銃眼からでは、敵の側が良く見えない。斜面陣地の頂上に設けられた
観測所から、射撃場所の指示が下る仕組みだ。
この場合、無線通信が遮断されたら一巻の終わりだ。

「おい新兵。息が上がってるぞ。深呼吸して落ち着け」
「は、はい」
「俺が合図したら弾を込めろ。いいな?」
「Всё понятно フスョー パニャートナ(了解です)」

相方のソ連兵は、気さくな方だった。それに見るからに有能そうだ。

チュイコフ司令官はママイの丘を、バリケード工場やトラクター工場と同じく最重要拠点
として認識していて、虎の子の精鋭部隊をここに配置してくれたのだ。

俺は重機関銃の弾を込める係だ。弾薬はベルト式になっているから、
先輩兵が撃ち終わったら、合図の跡に俺が弾を交換する。

飛行機のプロペラ音がした。嫌な音だ……。
ドイツの飛行機は独特の音がするから一度聴いたら忘れられねえ。
結構な数のようだ。

また空爆されるのかと、耳を塞いでいたら、遠くで爆発音が聞こえる。
どうやら敵の目標はここじゃないらしい。

「こちらの陣地は強固だから無意味と判断したか。
 赤い10月工場の方がやられてるんだろう」

「はは……10月工場の方はとっくの昔に廃墟になってるってのに」

「敵は我が方の狙撃兵に敏感になっている。
 がれきの下に潜んでいる彼らを倒したい意図もあるのではないかな?」

「そいつはずいぶん贅沢な弾の使い方ですね。
 俺らにも爆弾を分けて欲しいもんですよ」

「ふはは。まったくだな!!」

気をよくしたのか、先輩は俺にクラッカーをくれた。
砂糖がたっぷり入っててうまい。俺は甘いものは大好きだ。
このご時世では甘いものは貴重だ。
角砂糖やチョコは市民の間で高値で取引されている。

飢餓が発生しているレニングラードでは
子供の人肉まで食わなきゃ生きていけないほどだ。

……ありがたく、いただきます。

タンタンタン……。
ん? なんだこの音は? 足音か?

「暗号電文だ」

塹壕の奥にいる通信兵の人が解読してくれた。

「第二停車場の部隊が壊滅した……」
「本当ですか!!」

第二停車場には砲撃陣地があった。あそこが壊滅したのか……。
するとドイツ軍は、停車場の先の穀物サイロへの道を開いたことになる。

穀物サイロを守るほどの戦力的余裕は我が方にはないはずだ。陥落は時間の問題か。

「はたしてそうかな?」

白い歯を見せて先輩は笑った。


穀物サイロの激戦は後世にまで語り継がれるほどだ。

歴史群像シリーズの文章を要約する。

ソ連側は、刻一刻と減少する守備隊を増強するため、バルト艦隊の水兵で
編成された第92海軍歩兵旅団を穀物サイロへ送る。
静観できる望みが皆無の中、
コートの中に水兵シャツを着た水兵たちは、捨て身の抵抗を続ける。
爆炎と煙が充満する、廃墟と化した穀物サイロで1週間戦った。

9月22日。建物内に残る弾薬と手りゅう弾をすべて使い切ったソ連軍のわずかな
生き残りの部隊が、闇夜に紛れて脱出。戦いは終わった。実質的な玉砕であった。
攻撃側のドイツ軍は多大な犠牲を払うことになる。

実際にこの戦いには陸軍兵士も参加していたわけだが、
陸兵だけでなく水兵までもがこの戦いぶりである。
ソ連軍の粘り強さを物語るエピソードである。


穀物サイロを占拠したドイツ軍は「赤の広場」へ進出。
これにて市の南部地域を支配。
次なる目標は、北部地域であった。

そこで新たなる門にぶち当たる。

「あのアパートが突破できません!!」
「先遣隊は全滅した模様!!」
「戦車隊の増援の必要アリ!!」

以上はドイツ兵のセリフである。
一体何が起きたのか。

ドイツ軍が問題としたのは、市内にある4階建てのアパートの事であった。
なんてことないアパートなのだが、
どういうわけかドイツ軍の攻撃部隊が次々に撃退されていた。

別にアパートが特別に頑丈だったわけではない。
そこで守備しているのが、たままたソ連邦英雄の男性だっただけである。

『ヤーコフ・フェドートヴィチ・パヴロフ』

ロシア系ソビエト連邦人。
第二次世界大戦中活躍したソビエト連邦の狙撃兵。ソ連邦英雄(1回)
スターリングラード攻防戦にて、
後に「パヴロフの家」と呼ばれたアパートで奮戦した軍人。
                         ウィキより引用。

引用を続ける。

――ドイツ軍はこの建物を陥落させるべく、一日のうちに何回も攻撃を試みた。
  ドイツ軍の歩兵や戦車がなんとか広場を横切って建物に近づこうとするたびに、
  パヴロフたちは陣地の中や窓、あるいは屋根の上から強力な砲火を浴びせて応戦した。

  広場が死体と鉄屑の山で覆われるほどになっても、
  ドイツ軍はなおここを攻め落とすべく挑戦しなければならなかった。

  反撃を開始していたソビエト軍の救援が11月25日に到着したことで、戦いは終了した。
  1942年の9月23日から続けられた激しい戦いを、
  パヴロフの部隊、そして未だそこで暮らしていたロシア人の市民たちは耐え抜いた。

以上の内容も、ソ連軍人の我慢強さを物語るエピソードである。

ドイツ軍に対し、戦闘能力で劣るソ連軍だが、
辛抱強さ、我慢強さ、最後まで勝利を信じる心においては勝っていた。

これについて、時のソ連外務人民委員部の人間はこう語った。

「ソ連国民の強さとは、何が何でも戦争に勝とうとする強い意志を
 持っていることです。これを持つ国だけが、歴史の勝者になれるのです」

さらに続き

 その後もドイツ軍の攻撃は続けられた。

パウルスら第六軍の首脳は、スターリングラード市の完全占領のためには
下の三つの工場、

・「ジェルジンスキー」トラクター(戦車)工場
・「赤いバリケード」大砲工場
・「赤い10月」武器工場

そして

・ ママイの丘(102高地)

を占領することが必要不可欠とした。

1942年。9月から11月にかけて
それらの陣地へ一斉に攻撃が開始されたが、ソ連軍は頑強に抵抗した。

ドイツ軍の一部の部隊は、ソ連軍を蹴散らしてヴォルガ川沿岸にまで到着した。
そこへ、待ってましたとばかりに対岸側から
カチューシャ連装砲や重砲の反撃を受け大混乱。大損害を受ける。

ヴォルガ川が健在である以上、ソ連軍は川沿いに補給を受け続けることができる。
また、ヴォルガ川対岸にあるソ連軍砲兵隊までを
ドイツの飛行機は空爆することができない(射程範囲外)

さらに、スターリングラード市街地はがれきの山である。
各工場群の先には、労働者の居住地があり、ここがすさまじい廃墟になっていた。
多数のソ連兵が身をひそめる格好の場所となっていたのだ。
ドイツ軍は敵地を空爆しているはずが、新しい塹壕を生み出していたのだ。

がれきと言えば狙撃戦である。
ここでスターリングラード戦ではお馴染みのスナイパーの話をしよう。

『ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフ』

ロシア系ソビエト連邦人。(現在のチェリャビンスク州出身)

第二次世界大戦中に活躍したソビエト連邦の狙撃兵。
終戦時の階級は大尉。
1943年1月に目を負傷するまでスターリングラード攻防戦で活躍。
257人の敵兵を殺害、『ソ連邦英雄』『ヴォルゴグラード名誉市民』などの称号を得た

※スターリングラードのことを、現在はヴォルゴグラードと呼ぶ。

ヴァシリの他にも、凄腕のスナイパーは何人もいたらしい。
ドイツにとって最悪なのは、高官や士官など替えの利かない軍人が
次々に狙撃されていたことだ。

永遠と続く市街戦で、何時的に狙撃されるか分からない恐怖は
発狂するほどであろう。
零下30度にも達することのあるスターリングラード市街で
身をひそめて敵を待ち構えるのは、すさまじい忍耐力が必要である。

彼ら優秀な狙撃兵の存在自体が、
ソ連の我慢強さを物語っていると言って良いだろう。


いよいよ運命の瞬間がやってくる。

あれからママイの丘でドイツ軍を何度も撃退してきたミキオ達にとって、
ようやく安心して眠れる日が来たのだ。

・天王星(ウラヌス)作戦

第二次世界大戦中の1942年11月下旬に、ソ連軍が、ドイツ軍を『逆包囲』した作戦。

ここで注目していただきたいのは、『逆包囲』である。
どういうことなのか?

すなわち、ここまでの戦局は、1942年9月の段階までドイツ軍は……
ヴォルガ川を背後にした、ソ連軍部隊を小さな輪の中に閉じ込めていじめていた。

「どうせww10日もあれば終わるっしょww」

と第六軍首脳は楽観し、始めた戦争だった。

ところが、ソ連軍は異常に粘り強い。

何回か前に語ったが、甲子園で例えると
ドイツ高校相手に5イニングまでに10点差以上をつけられても
全然諦める気配がないのである。

11月半ばになる頃には、

「あれ……? もしかして俺たち、逆に包囲されてる?」

という状態になった。

スターリングラードという名の、小さな輪の中で包囲して良い気になっていたドイツ軍は、
逆にスターリングラードを「外側から包囲するソ連軍」に囲まれていることに気づいたのだ。

ソ連軍の包囲戦力は、次の通り。
将兵 1,143,500名
戦車 894両
砲門 13,451門

詳しい資料を読んでも包囲された枢軸国軍の詳細は不明だが、
たぶん33万くらい?はいたらしい。

この外側から包囲するという表現だが、
学研の歴史群像シリーズの地図で見るととんでもない範囲である。
たぶん日本列島がぽっかり入ってしまいそうだ。
これほどの広範囲に、110万もの部隊を秘密裏に
展開したソ連軍のしたたかさは見事である。


名将・『ジューコフ』と『ヴァシレフスキー』は、9月13日の午後10時。
クレムリンでスターリンと会見し、丸一日かけて練り上げた反抗計画を披露した。

『敵の第六軍は十分に消耗したようです。
 これから敵の包囲網に対して外側から攻撃を仕掛けます
 攻撃を開始する時は、敵の一番弱いところを、一番強い兵力で叩くべきです』

ジューコフとはソ連軍最高の頭脳なわけだが、彼の持論は以下の通り。

・ドイツとの戦いでは正面からの殴り合いは不利。
・というか絶対に負ける。
・敵にあえて自軍の領土へ侵攻させ、消耗したところで反撃する。

それを実施する段階に来たというわけだ。
ちなみに上の計画は彼の頭脳をもってして、ソ連軍がドイツ軍に勝てる唯一の方法だとした。

戦前の図上演習でも、敵の消耗を待ってからの反撃作戦で敵に効果的な打撃を
与えられることが判明し、スターリンから適切な作戦だと評価され信任を得ていた。

スターリン
『これほどの大作戦を行うのに、これだけの戦力で足りるのかね?
 相手はあのドイツ軍だぞ』

今までの戦闘では、ソ連はまともにドイツに勝利したことは一度もない。
(冬将軍を味方にしたモスクワ防衛線のような戦いならともかくとして)
こちらから攻めたはずが、地図上に生起した突出部に対して
敵が逆に包囲を仕掛けた結果、ソ連軍が全滅するなど、悲惨な戦闘事例が散見された。

スターリンの心配は当然であった。

しかしながら、スターリンの心配をソ連軍首脳部は杞憂だと判断した。

ソ連は学習する軍隊であり、全てを用意周到に準備したからだ。
事実、ウラヌス作戦は、ドイツ包囲網の一番外枠、ルーマニア兵の守るところへ
第一撃を食らわせ、大混乱状態に陥れた。その他の部隊も被害が甚大である。

過酷な包囲網に耐えきれなくなった第六軍は、やがて降伏することになる。
ドイツの将軍がソ連に降伏したのは史上初であった。
降伏したのは第6軍司令官『パウルス上級大将』である。

(降伏時はヒトラーの嫌がらせで無理やり元帥に昇格していたため、
 元帥と称するのは適切ではない。こうなってしまっては階級など茶番である)

ヒトラー
「降伏したら死刑にするぞ!!
 ドイツの元帥で降伏した人はいないよぁ。わかってんだろうな!!」

パウルス
「うるせー死ね。友軍が寒くて凍死してんだよ」

という流れでパウルスは降伏し、最後はソ連に寝返った。

捕虜となった9万人近くの第六軍兵士は悲惨だった。
モスクワまで連行され、パレードの歩兵行進に参加させられ、
それが終わった後は、シベリアの強制収容所に送られたそうだ。

モスクワの戦勝パレードでは、大衆の面前でさらし者(行進させられる)
にされた第六軍の兵士を見て、気の毒に思うロシア・ソビエトの女性もいたそうだ。

『かわいそうに……あの人たちだって国の命令で戦わされたんだろうに……』

『私だってドイツは憎いけど、戦いで負けた人に、
 あそこまでするのはどうなんだろうね』

行進の当日は、捕虜に元気よく歩いてもらえと当局からの命令で、
朝からステーキや牛乳が振舞われた。
憔悴しきった兵らは、胃腸の状態が悪いのに無理やり食べさせられ、
行進中に腹を下し、糞尿を漏らしながら歩かされた人もいたという。
いくら敵兵とはいえ、涙なしには語れないエピソードである。

また、ドイツ軍というと残虐性ばかりが強調されるが、
第六軍の兵士のように国防軍に所属する兵は、ナチス思想の人ではなく、
純粋に国防の任務に就く職業軍人。半ナチスの人もたくさんいたそうだ。
残虐だったのはSS(ヒトラー親衛隊)の兵である。

特にアインザッツグルッペンは、ユダヤ人だけでなく多くのソビエト人民を
理由もなく虐殺し続けた。それを不快に眺めるドイツ兵も少なくなかった。

この小説でも残虐なドイツ兵ばかりをピックアップしていた気がするが、
中には心優しいドイツ兵もいて、不用意な残虐を止めようとした人もいたそうだ。

夢が覚めたミキオ

 『川口ミキオ君……川口君……いつまで寝てるつもりだね?』

うるせえな。今気持ちよく寝ていたんだよ。
ソ連軍が最大の勝利を得た瞬間なんだぞ。
アメリカで例えるとミッドウェイ作戦並みの大勝利だったんだぞ……。

「教師閣下が怒ってるぞ。そろそろ起きろよ」

隣の席に奴に肩を揺さぶられる。
頬図絵をついていた頭部が、ガクッとうなだれた。

クラス中の奴らが、俺に注目していた。
恥ずかしすぎて死ねるぞこれ。

「同志川口よ。私の授業はそんなに眠るくなるのかね?」
「い、いえっ。同志閣下。とんでもないっす。俺はちょっと寝不足で」
「ボリシェビキには言い訳は不要だよ。本日の放課後、指導室へ来たまえ」

まじかよ……。
指導室は尋問室よりはマシだが(口頭注意のみ)、怖いことに変わりねえ。
クソッ。寝ても覚めてもボリシェビキの恐怖におびえながら生きなきゃならないのか。

どうやら今は世界史(主にソ連)の時間だったようだ。
俺は今朝のマラソンの授業までの記憶しかねえが、
いつの間に4時間目になっていたんだ。
自分が別の世界からここにワープしたんじゃないかって思うほどだぜ。

すぐに昼食の時間になった。一階の大食堂に集合だ。

あ、昨日のデコレーション(大祖国戦争勝利)はまだ外されてねえのか。
朝方にみんなで撤去する手はずだった気がするけどな。俺の気のせいなのか。

下手くそな折り紙やシールが貼ってあるだけで、まるでクリスマス気分に
なった気分だ。ソ連は無宗教なんでクリスマスは禁止だが。

昼食はうどんやそばが多い。今日は冷やしうどんだ。具はワカメとネギと油揚げか。
シンプルだね。おかずはサラダだけかよ……。と思ったら、から揚げもあった。
意外と気が利くな。さて。今日は何分で間食できるか時計とにらめっこだ。

「こんにちわ」
「おい、この食堂は男子専用なんだが」
「私は看守の立場だから、どっちの側にいても自由なんだよ」

また斎藤マリーさんの登場だ。
食堂には俺らを見張る目的で看守が何人か立ってる。
そのうちの一人がなぜか斎藤……。
前も言ったが、元囚人のくせに偉そうにするんじゃねえよ。

だが待てよ。
そんなにも俺に話したいことがあるなら、むしろ邪険にするべきじゃないか。

「食べながら話すのも行儀がよくない。すぐ食べ終わるから待ってろ。
 だがよ。ここだと人目がちょっとな……。廊下で話をするんじゃだめか?」

「いいよ。じゃ、あっちの非常口の前で待ってるからね」

そう言って斎藤は消えていった。
つーか、まだ食事が終わってねえんだけど。囚人を見張らなくていいのかよ。

俺は7分12秒で間食し、廊下へ出た。非常口ってどっちだ?
トイレのある通路を通過して、適当に進むと……ここのようだな。
ここって食料備品の搬入口の近くなんだな。普段の俺らは近づく機会がねえわ。
脱走を疑われるのが嫌だから、こんなとこに長居したくないんだが……。

「さっきの夢。見てたよ。やっぱり川口君は勇敢な兵隊だった」
「おまえ……なんでまた小さくなってんだ?」

斎藤は幼女に変身していた。7,8歳くらいだと思う。

「私もね、前に夢の中でソ連軍に…」
「その前に俺の質問に答えろ!! なんでお前は小さくなってんだよ!!」
「誰だってたまに身長が縮む時ってあるよね?」
「ねえよ!! ふざけてねえで真面目に応えろよ」

胸ぐらをつかんでやろうかと思ったが、やめた。相手は軍服を着ているんだ。
信じられないことに、幼女サイズの看守服(軍服)があるとはね。

「私はねぇ、本当はマリンだから」

俺は10秒間考えても、意味が分からなかった。

「ミキオくんは私の名前、知ってる?」

「斎藤マリエじゃねえのか?」

「今は違うよ。マリンっていうの。堀マリン」

「……芸名か……ペンネーム?」

「本名だよ。私は太盛お父様の娘だから」

言ってる意味は分からないが、こいつの正体はマジで人じゃない気がする。
現にこいつは今俺の前で幼女に変身してしる……。
ついさっき食堂で会った時は、高校生の姿だったはずなのにだ。

それに俺の夢の話にまで口を出していた……。
俺の夢をこいつはどうやって知った? ……ありえん。
俺は誰にも話してないし、俺以外に絶対に知りえない情報だぞ。

俺は神や精霊、幽霊なんか信じるタチじゃない。
非科学的なことを俺の脳は否定してきた。
だが、この女は間違いなく人じゃない。

「あなたは、7号室の囚人の中でも特別。
 私のお父様を刺し殺そうとしたことがあるでしょ?」

重要なのは、事実を認めることだ。考えるのはそのあとでいい。
どんな時でも論理的に考える。落ち着いて。焦った時こそ深呼吸しろ。
あの時、先輩のソ連兵に教わったじゃないか。

「確かに殺そうとした。未遂で終わったがな。で、マリンさんは
 何が言いたいんだ。俺を殺せば満足するなら抵抗はしないが」

嘘だ。
俺はいつでも目の前の女を絞め殺す覚悟はできていた。
相手が誰であれ、ただで殺されてたまるもんか。

「衝動に任せて人を刺すことなら誰にだってできる。
 でもね、戦争の極限状態で人民のために戦うことができる人は勇者。
 無抵抗な相手に暴力をふるうのとは、わけが違うから」

「俺はそんな大した存在じゃねえ。ただの囚人だよ。
 夢の中だって必死に戦っただけだ。
 本当だったらチビってたし、うんこ漏らして命乞いしてたよ。
 あれは現実じゃねえって頭で分かってたから戦えただけだ」

「それでも、すごいよ」

と、ここでチャイムが鳴った。収容所とはいえ、普通の教室と同じように
5時間目の授業は用意されている。確か5時間目は……論文作成だったかな?
美術だったかもしれない。最近物覚えが悪くなったな……。夢見が悪いせいだろうか。

「悪いな。話はこれまでってことで」
「うん。またね」

自称マリンは、笑顔で手を振ってくれた。
俺には幼女趣味はないはずだが、恋愛とは無縁の囚人生活を送る身にとっては
花のように美しく感じた。斎藤は間違いなく美少女だった。

囚人にも月一でスポーツ観戦(大食堂の大型テレビ)
の日が設けられてるんだが、フィギュアスケートの女の子に
こいつそっくりの顔の娘がいたな。
名前はえっと……思い出せない。まあどうでもいいや。

そして放課後。

収容所に設けられた指導室の扉を開けると、教師閣下が腕組して待っていた。

机の前には一枚の原稿用紙。
ようは反省文を書けと言うことらしい。上等だ。
俺は文を書くのは得意だ。
理系の奴ら(同じクラス)には文才のない奴らが多いが、俺は違う。

さて。居眠りした件を、これでもかというくらいに反省しまくる。
半分まで書いたところで書くネタがなくなる。当然だ。
仕方ないので知恵を絞り、ソ連の政治制度のすばらしさを褒めておく。
本筋から外れてるように思えるだろうが、教師や看守共にコビを
売るにはこれくらいのネタしか思いつかない。

集中して書いていたら、時間が過ぎるのはあっという間だ。

さて。残り時間はどうだと、壁時計を見上げる。

「うん。よく書けてるみたいだね。満点だよ」

「なっ」

俺の目の前には中年の男性教師(馬面)が足を組んで座っているはずだった。
そこにいるのは斎藤マリエ……。
もう……なんでこいつがここにいるのかなんて、突っ込むのはやめにしよう。
何度見ても、こいつ美人だよな(現実逃避)

「それじゃ、もう宿舎(ベッドルーム)に戻ってもいいっすか?」
「だーめ。夕飯の時間まで私とお話しをしないと」
「……最近俺、女子バレーにはまってるんだよね」
「なにそれ? つまんない。そんなこと話しに来たんじゃないよ」

ぶん殴ってやろうかと思ったが我慢だ。

「私のことをあなたに話しておこうと思ってね」
「……今日は高校生の姿なことも含めて説明してくれると助かるぜ」

斎藤は凛とした姿だった。
長い茶髪の髪の毛が、看守服にかかる。こいつの髪は随分伸びたな。

俺たちが収容所にぶち込まれたのが昨年の革命記念日(11月)
あれから半年の月日が流れて今は高校二年生の5月。

斎藤の毛先にくせのかかった髪の毛は、今では腰に達するくらいの
長さになっていた。俺と同じクラスにいた時はセミロングだったのを覚えている。
少し長すぎないか? 女の髪は長すぎても不衛生に感じるぞ。

「私の正体はね」

俺は一字一句聞き漏らさないように細心の注意を払った。

斎藤マリエというのは、神様から頂いた仮の姿らしい。
こいつの正体は堀マリン。
あの堀太盛と橘エリカの間で生まれた末の娘。
三人姉妹の一番下。

この女(正確には精霊)は、時空を超えて堀太盛を不幸な運命から救おうと
頑張っている。だが、そのたびに嫌な女が現れては邪魔をした。

まず高野ミウ。堀の恋人だった女。奴は去年の冬に死んだ。生徒会で内部粛清されたのだ。
ユーリ? 知らない女性の名前だが、今この時空では存在しないらしい。
クロエ? あのボリシェビキのフランス人か。

続いて橘エリカ……。おいおい。おかしいだろ。
エリカは、お前からしたら実の母親にあたる人だろ。母親を恋敵ってのも
おかしな認識だが、母親を抹殺してどうする。
お前が生まれてこなかったことになるぞ。

「それはあなたの早とちり。
 私が殺したいのはババア(エリカ)じゃない。
 堀太盛のほうよ」

「なんだって!? そっちの方がおかしくねえか。
 自分のお父様を殺して何の得がある? 
 そもそもおまえは父親を憎んでるようには見えないが?」

「私はね。新名が思うよりもずっと多くの時間を生き続けてる。
 もうね。彼を想い続けるのも疲れたのよ」

永遠に報われない片思い……。
実に父に対して抱く感情としては異常だと思うが、
まあ好きになったもんはしょうがないだろう。
人間は過ちを犯すようにできてるんだ。
俺は聖書と同じく性悪説を支持している。

「ミキオくんなら、太盛を殺してくれるんだよね」

「はぁ!? 俺にそんなことを望んでたのかよ!!
 俺に話しかけていた理由がそれ!? 冗談じゃねえぞ!!」

「一度は刺し殺そうとしてくれたでしょう?」

「あれは……魔が差しただけだ。二度とあんなことできるかよ!!」

「でも…」

「うるせえ!! それ以上しゃべるんじゃねえ!!
 いくら指導室とはいえ、盗聴されてるかもしれねえんだぞ!!
 めったなこと口にしたら、俺は尋問室どころか地下の拷問室行きだ!!」

俺は机をちゃぶ台返ししてから逃げ出した。さすがに斎藤も怒ってるようで
怒声が響くが気にしない。もう二度と斎藤の話を聞いてやるつもりはなかった。

その日の夜だった。

俺はいつものように品行方正な囚人を演じつつ、就寝時間を迎えた。
今日もかかさず日記をつけた。さすがに斎藤との一件は伏せているが。
俺は几帳面な性格をしていると人から言われる。
日課としていることは絶対に欠かさないのが美徳だと思っている。

ベッドに横になり、布団をかけ目を閉じる。館内放送が鳴る。

『囚人番号23番。囚人番号23番。直ちに指導室へ来なさい。繰り返す~』

この手の放送はよくある。
恒例の反革命容疑者が逮捕される瞬間だから囚人共は震えてやがる。
もっとも、品行方正な俺には関係ないことなので、安心して眠る。

「23番って……あそこの奴だよな?」
「ああ、間違いねえよ」
「平気な顔で寝てるぞ……」

なん……だと……?

「おーい、放送で呼ばれてるのって、おまえのことなんじゃねえのか?」

下のベッドの奴が、やんわりと残念な事実を教えてくれる。
俺の囚人服の胸ポケットに書かれている番号は「23」だった……。

(たぶん、斎藤の呼び出しであってほしいが……確証がない)

収容所7号室では罪のでっち上げは日常茶飯事。これは前にも述べたな。
だからこそ、俺は今夜拷問される覚悟をしないといけない。
天国から地獄へ落とされた気分だ。

俺は震えながら指導室の扉を開けた。

「やっほー」

斎藤だ……!! 
安心したぞ……!!

だが……どうも怒ってるようだが……。

「これは話の途中で逃げてしまった罰ね」

ビンタされた……。

いってえ。不意打ちだったから唇を切ったぞ。
斎藤がバツの悪そうな顔でハンカチを差し出してくれた。
おしゃれなハンカチを汚すのは悪いと思い、
俺は遠慮して自分の手で血をぬぐった。

「ごめんね。手加減したつもりだったんだけど」

「いいよ。それより話の続きだろ? 
 寝不足になるのは嫌なんでさっさと話を進めるぞ」

マリーの話は長い。

「堀を殺す話の前によ、あいつって付き合ってる人がいるんだったよな?」
「黒江さんでしょう」
「あのフランス人のボリシェビキな。すげえ美人さんだ」

「他にも付き合ってる人がいるよ」
「え? まさか橘さんか?」
「その通り」

「あいつ、二股かけてんの?」
「正確にはちょっと違う。二人の女が太盛を奪い合ってる」
「……笑えるね。まさにハーレムってことか」
「そうだね」

高校一年の冬休み。人手不足の看守を手伝うために、堀のすけこまし野郎は
臨時派遣員として、7号室にやって来た。奴の本来の所属は諜報広報委員部だ。
同じく派遣員としてやってきたのはフランス人のクロエ。こいつは中央委員部の人間だ。
堀とは任務を通じて心が通い合ったのか、付き合うことになった。

だがおかしなことに、堀の野郎は橘さんに「ノリで」
愛の告白をしてしまったとかで、二股をかけている。
この件は学内でもそうらしいが、収容所7号室でも噂でもちきりになったぞ。

堀を巡っての橘とクロエの争いは、とうとう決着がつかず、
奴らが3年に進級した現在に至るも火花をまき散らしているとか。

「やっぱ俺、堀の事むかつくわ。
 美女二人もはべらせてハーレム気取りかよ。死ねっ!!」

「その堀って言い方、好きじゃない」

「あ? あっなるほど。おまえも本名は堀だからか。
 なら太盛(せまる)って呼ぶよ」

「うん、そうして。私のことはマリンでいいから」

彼女でもない女のことを下の名前で呼ぶのは少し緊張するな……。

「しかし殺すのはやりすぎなんじゃないか? 
 おまえも奴が恋しいなら太盛争奪戦に参加しろよ」

「太盛は記憶喪失だから、私のこと忘れてる」

「ミウに受けた拷問のショックだったか。あれは気の毒だったな」

「愛が……冷めちゃった。
 彼のことがどうでよくなって、マリカさんのこと好きになりかけた」

井上マリカさんは、三年生では超有名人だ。
生徒会長のナツキの元恋人だったらしい。マリンとも仲が良すぎて
レズのうわさもあったらしいが、まさか本当にそのけがあったとは。

「で、俺に奴を殺したところで何のメリットがあるのか
 説明してもらいたいね。ちなみに俺は模範的な囚人生活を送り、
 この学園を無事卒業するのを目的にしている」

「確かに。あなたにはメリットがないかも。
 私が自分のわがままを言ってるだけだから」

「もう帰っていいか? 話にならねえ」

「待って。うそうそ。あなたにとってもメリットがあるよ」

「ほう。どんな? 
 言っておくが冗談を言いやがったら今すぐ帰るぞ」

「殺意かな。殺意が満たせる」

「帰る」

「本気で言ってるんだって!!」

「……俺の殺意が満ちたとして、それがどうしたってんだよ。
 今の俺は太盛を殺したいほど憎んでない。
 そこまで奴のことに詳しくねえし興味もない」

「そうかなぁ? この学園には太盛を憎んでる人、たくさんいると思うけど。
 太盛はミウの恋人時代にも浮気を続けてミウを困らせていたんだよ。
 ミウがイライラして囚人に八つ当たりしたことあったでしょ?」

「……あったなんてもんじゃねえよ。奴のヒステリーは日常だった。
 君も被害者だったような気がするがね(前作冒頭の体育の女子野球の時間)」

「そうそう。そんなわけで堀太盛はみんなに恨まれてたんだよ。
 あいつは女をその気にさせて、最後はどの女も選ばないから、
 修羅場になっちゃう」

「だからって殺す理由にはならねえよ。暗殺者が欲しいなら
 他の奴を探せって。てかおまえがやれよ」

「私? そんなの無理だよ!! できるわけないじゃん」

「殺したいほど憎んでるならやれるだろ」

「あの人は、私の実の父親。娘が父親を殺すのって抵抗あるじゃん?
 きっと殺す直前で思いとどまっちゃうよ」

……やっぱりこいつは俺を馬鹿にしてるようにしか思えないんだよな。
なぜか現在は幼女の姿だし。

話に結論が出ない。男にとっては不快だ。女は結論の出ない話をする。
なぜなら、会話そのものがストレス解消であり、楽しみの手段だからだ。
女ってやつは、自分の言いたいことだけをバーっと話す一方で、
相手の話なんて興味がないんだ。

と、これらの心理を分析すると……

まさかとは思うが……。
こいつは俺に愚痴を聞いてもらいたかっただけ……?

こいつは父親を殺したいと言うが、本心じゃない。
ただ口にしてみただけなんだろう。

好きな人には恋人が二人もいる。自分には振り向いてくれない。
ただそのさみしさを……誰かに分かってほしいだけ?

「井上(マリカ)先輩にその話をしてやればいいんじゃねえのか?」

「うん。でも先輩は、ちょっとしつこくて」

恐ろしいことに、レズに目覚めたのは向こうが先らしい。
最近ではマリンのベッドに裸で侵入したり、一緒に長時間
お風呂に入りたがったりと、過激なスキンシップがシャレに
ならなくなってきているらしい。

俺はそういうプレイが大好物なので想像したら鼻血が出てしまいそうだ……。

「カイジみたいな顔してるけど大丈夫?」
「うるせえ。囚人連中からはアカギの方が似てるって言われるけどな……」

エロいことを考えていると、ついこうなっちまうんだ……。
井上先輩って有名人だけど話に聞くだけで顔は見たことねえんだ。
こいつと同じくらい美人だったら夜のオカズにできそうだぜ。

斎藤の話は長かったが、深夜の1時過ぎには開放してくれた。
うへえ……もうこんな時間かよ。
俺は就寝時間の一時間前からベッドで横になるほどの模範囚なんだぞ。
明日朝寝坊したとしても生徒会の奴らに文句言われたくねえな……。

あと仲間たちにどうやって言い訳しよう。
夜、生徒会に呼び出された奴が
無傷で帰ってくるってのもおかしいよな……(ふつうは拷問されている)

「また話をしましょうね」

別れ際にマリンは笑顔でそう言った。高校生にしては無垢な笑顔だった。
俺はこいつの笑顔を、いまわしき収容所に
咲く一凛の花だと思った。本気でそう思った。

あいつは俺に気がないのは分かってる。
それでも俺は、寝る前に毎日マリンのことを考えるようになった。
確証はないが、きっとこれが恋なんだろうな。

マリンはついに本心を明かした。

※ マリン

姿形を変え、時空を超えて、私はこの世界に存在する。
こんな説明をすると中二病の末期患者と勘違いされそうだけど、
私は本気で言っているのだ。

思えば……ここまで来るのにどれだけ無駄な時間を過ごしてきたのだろう。

私は堀太盛の三人目の娘として生を受けた。
私が9歳になる頃には、父と母の仲は険悪になっていた。
母のエリカがあまりにも父を束縛しようとするので、
父は嫌気がさしていたのだ。

新婚間もないカップルなら、夫を束縛してつねに
自分の監視の下に置きたがるのは分かる。
だが娘たちが小学校に上がってもそれが変わらないのは、
ちょっと異常だった。

父は愛人のメイドを連れてモンゴルへ逃げた。
私も蒙古へ追いかけた。すると母も追いかけてきた。
ロシアがモンゴルへミサイルを発射した。愛人はまきこまれて死んだ。

私たちは生き延びたが、中国当局に捕らえられた。
私たち家族三人は死んだ。無理やり入れられた北朝鮮の強制収容所の中で。

それでも運命は終わらない。

私は斎藤マリエとして再び生を受けた。生まれ変わった自覚はないまま
学生として過ごしていた。これは本当の私ではない。
母親のはずのエリカは、学園の先輩となっていた。
父もエリカと同じクラスの生徒になっていた。

堀家では新人メイドだったはずのミウは、学園の支配者となっていた。
私はミウに乱暴され、オモチャにされた。ミウは知っていたのだ。
私の正体が、かつてお父様に一番愛されていたマリンだったことを。


「マリエさん。我々生徒会は秋の総選挙に向けて準備を進めなければならない」

ここは校長室。М時ハゲの校長がイスに座り、偉そうな口調で言う。

「まだ5月の末じゃないですか」

「今からでも早すぎることはないのだよ。
 特に人事は、慎重に決めなければならん」

生徒会の総選挙は、ロシアの革命記念日に行われる。
だから毎年11月に行われるのだ。
総選挙が不正選挙なことは周知されている。

後任の会長、副会長は必ずコネで採用される。現生徒会の総意で
後継者にふさわしいとされた人間に票数が集まるシステムになっている。

『投票とは、集計する人間がすべてを決定するのである』スターリンの言葉だ。

「斎藤君はニ年生だが、ニ年生の中でも会長に立候補する人間が
 意外と多くてね。しかしだねぇ。ナツキ君やナジェージダ君の御眼鏡に
 適う人物が見当たらんのが現状なのだよ」

「それは大変ですね」

私は会長室の額縁が少し曲がっていたので、丁寧に直していた。
金色の高そうな額縁だ。フェルメールの絵画はどれも似たようなものだ。
女性が室内に描かれていて、達者に視線を向ける。
フェルメールは楽器に思い入れがあるのか、特に細密に描かれている。

「斎藤君は看守の服が実に様になっているね」

「どうも」

「今のように保安院部のお手伝いをしてもらうのも
 構わないんだが、その上の地位を目指してみたくはないかね?」

「保安委員部の代表なら、前回の会議で適切な人物を推薦したはずでしょう」

「私が言っているのは、会長職の方なんだがね?」

私はかぶりを振った。

「残念だね。名誉ある仕事なのだが。君は成績も優秀だし指導力もあることが
 認められている。今後の進学や就職活動にも有利に働くのだがねぇ」

私は自分が優秀だと思ったことは一度もない。
元囚人。革命的ニートでいるのもさすがに飽きたので、
一年生の終わり際から保安委員部のお手伝いを始めた。

配属先は強制収容所7号室。

私は会長のお気に入りだから危険な仕事は回ってこない。
収容所の見回りには男の人がたくさんついてくれたし、
モニターでの監視業務なんて眠くなるだけで脱走者なんて出なかった。

食料・備品の搬入作業もやはり男の人たちが手伝ってくれるから、
私は伝票のチェックをしてるだけだ。どんだけ甘やかされていたんだろう。

あと囚人たちの日記のチェックを月末にやるんだけど、
最近ではまじめな人が多くて驚いている。

彼らも収容されてから心を入れ替えたのか、
それとも媚を売ってるつもりなのか知らないけど、
社会主義、資本主義、民主主義って言葉がずらりと並ぶ。
高校生なのに政治や経済に詳しいこと。歴史にも詳しい。

7号室は専門教育を施す機関とはいえ、
さすがは元進学クラスのエリートたち。
彼らのような優秀な学生が革命を志したら
本気で国家転覆が出来そうな気がするから不思議だ。

彼らも収容された当初は、脱走者や反逆者が多くて多数粛清されたけど、
それが一巡する頃には学習したのか、嘘みたいに模範的な生活をするようになった。

去年の冬休みに、太盛や黒江が臨時派遣委員として派遣されていた。
彼らの期間の延長をイワノフ保安委員部代表がひそかに検討していたが、
結局、臨時派遣委員は廃止となった。

新年度になり、また新しい看守候補の人たちが海外からやって来た。
日本人もたくさんいる。人手不足だった保安委員部は、
新たな組織として生まれ変わろうとしている。

「~~~で、あるからしてぇ」

校長が何か話しているようだけど、途中から聞いてなかった。

「7号室の囚人連中の中にも、
 なかなかの逸材が混じっているようではないか」

「へえ。そんな人いるんですか?」

「いるんですかって……。あの報告書を書いたのは君ではないか。
 囚人の一部を解放し、生徒会に引き抜く件に関しては
 中央委員会の承認を得ている。女子には適格者が3名。
 男子の囚人には1人。川口ミキオくんか……例の彼だね」

ミキオくんが、堀太盛・殺害未遂事件を起こしたことは周知されている。
その彼をナツキ会長が許したことも。執行猶予付きに等しい彼には、
生徒会から厳重に警戒されていが、彼のことを知れば知るほど、
真のボリシェビキとして素養を持った人物なことが明らかになっていた。

「遅れてすまみません」
「ただいま戻りました」

ふたりの男女が部屋を開ける。一人は会長の高倉ナツキ。
彼に寄り添うのは副官のナジェージダ・アリルーエワ。
ふたりとも私の一つ年上で三年生。秋には生徒会を引退する。

校長が回転式の椅子をきしませ、そちらを向く。

「ナツキ君。例の囚人解放の件だがね」

「ああ、その話ですか。その話なら先ほどトモハル委員と
 話をつけてきたところです。
 川口ミキオ君の配属先は広報諜報委員会に決定しました」

引き抜きは……もう確定だったんだ。
良かった。また彼とお話しできる機会が増えるから。

会長は私に視線を向ける。また勧誘の話だろう。

「マリー。君にも話があるんだが」
「またですか」

ほらきた。

「会長の話ならさっき校長閣下にもされましたけど、断りましたよ。
 私は生徒会の仕事のお手伝いをしているだけで地位は欲しくありません。
 私は皆さんと違って優秀でもありませんし」

「こちらだって君にそこまでの期待はしてないから安心してくれ。
 君は学園の花だ。アイドルだ。君のような人気者が生徒会長の椅子に
 座ってくれると生徒会の支持率が上がる。実務は気にしなくていい。
 後任の副官と、副会長に全て任せるつもりだ」

ナツキと知り合って半年が経つ。あんなに私に媚を売っていたナツキも、
今では容赦のない物言いをするようになった。
はっきりと私を無能扱いして。私だって成績は優秀な方だったし、
今の仕事は保安委員部のイワノフから褒められたこともあった。

「いや、無理にとは言わない。どうせ君は会長の大役なんて無理なんだからさ」

口のうまさでは、ナツキの右に出る者はいない。こいつの頭の中では
私が反骨心から会長に立候補する未来を描いてるんだろう。
そういうの、すっごくムカつく。

「人気人気っておっしゃりますけど、
 生徒会は不正選挙で代表を選ぶじゃない。
 人気がそこまで重要なんですか?」

「会長とはボリシェビキの顔だ。昨今の若者の価値基準で考えると、
 ボリシェビキ思想を好むと好まらずにかかわらず、顔の良い人物は
 注目を浴びる。たとえそいつがどれだけ無能だったとしても、
 実務を担うのはナンバー2だから問題ない。
 君は壇上に立って生徒の前で話したり、朝校門の前で生徒に挨拶をすればいい」

「私の顔がブサイクだって思う人も中に入るんじゃないですか?
 少なくとも自分ではそんなに人気者だと思ってませんが」

「マリーは同じ学年にファンクラブがあるじゃないか」

そうだった……。うざいから忘れるようにしてたんだけど。

「あいにくですが、今も辞退したいという私の気持ちに変わりはありません。
 仮の話ですけど、もし私が適任者を見つけることが出来たら、
 会長はその人で納得していただけますか?」

「ああ。本当に中央委員会の総意に適う人物がいるとしたら……だが……」

会長は突然倒れてしまった。
倒れる際に机の角に頭を打ってしまったようで、軽く血を流している。

「ナツキ君!! どうしたんだね!!」
「ナツキ……すぐに医務室に運ビマスわ」

ナジェージダが固定電話の受話器を耳に当て、部下に連絡をする。

180センチほどの大柄な男がうつぶせに倒れてる様は異常だった。
ナツキは、青白い顔をしながら私に遺言のように告げた。

「実は今年の春に入ってから体調がすぐれないんだ。
 この通り執務中に倒れることも増えてきた。
 後任の人事は……一刻も早く決めなければならないんだ。
 そのことだけは分かってくれ。マリー」

部下共がタンカをもって駆け込んできた。
心配そうに校長とナージャ(あだ名)も付き添う。

バタバタバタ、と足音が廊下へ消えさる。
私は会長室に取り残されて一人になった。

試しにと、会長用の椅子に座る。
ふっくらした革張りのリクライニング。
座った瞬間に体重が消えたようにさっかっくするほど、
座り心地が良いけど、やっぱりこの椅子に一年も座りたいとは思えない。

去年の冬。まだ私とナツキが親しかったころ、
生徒会本部で食事を一緒に食べていた。
その時にナツキはこう言っていた。

『ミウの夢をよく見るんだ』

確かに、ナツキはよくミウの夢にうなされていた。
昨夜もうなされていた。
なぜ分かるのかというと、私には人の夢の内容が分かるのだ。

この『学園』には、亡くなった人の怨念が存在する。
非業の死を遂げた人が、
生きている者を呪って夢の中に出ることはめずらしくない。

ミキオ君は、ソビエト連邦軍で兵隊となって戦う夢を見ていた。
夢の中の彼は、惚れてしまうくらいに勇敢だった。

あれが太盛の姿だったら、きっとまた好きになっていた。
でも太盛はダメだと思う。あの人は臆病だから鉄砲の弾が振ってきたら
うずくまって一歩も動けなくなっちゃうと思う。
今の人なんてみんなそうだよ。ミキオくんがむしろ特殊な人なんだと思う。

夢を見るのは私も同じだ。

夢の中では、私もマリーでもなく、マリンでもなく、もう一人の自分になれる。
この現象は、足利市内にあるこの学園の中にいる時にだけ発生する。
不思議な現象だ。

窓を開ける。心地よい風を身に受けながら、
椅子の背もたれに体重を預ける。ゆっくりと目を閉じた。

ドイツ第三帝国の首都。ベルリン征服記念日。

   1945年の5月2日。

  ベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリング砲兵大将が降伏を宣言。

 ソ連軍のチュイコフ将軍(かつてのスターリングラード司令官)と、
 ワシーリー・ソコロフスキー(第1白ロシア方面軍参謀長)の
 命令で、ヴァトリングは降伏文書に署名した。

これにより、ドイツ帝国軍は、ソビエト連邦軍に対してすべての戦闘行為を停止した。
ドイツ帝国議事堂には、ソビエト国旗(赤字にカマとハンマー)が掲げられ、
町のいたるところでは、ウォッカを飲みながら戦勝歌を歌い、踊るソ連兵がみられた。

「さぁて。復讐の時間だな」
「おらドイツ女。いるんだろ。出て来いよ」

ソ連兵による略奪、暴行、強姦は、凄惨を極めたそうだ。
赤軍兵士によるドイツ兵への積年の恨みは、もはやどうすることもできない。

スターリンは「ベルリンは数日間にわたり、諸君らのものだ」と宣言。
国の最高指導者自らが、命を懸けた戦った兵士の慰労として略奪暴行を許可したのだ。

家の中で隠れていた女性たちは、老いも若いも関係なく犯された。
中には敵の興味をそぐために髪の毛を切り坊主頭にした人もいた。
それでもソ連兵に乱暴されたそうだ。

少なくとも10万人以上の女性が強姦され、
のちに多くの人がソ連人の子孫を身ごもることになる。
国に残された愛する家族を守るために戦うドイツ兵士もいたのだが、
負けてしまえばみじめなものである。
真っ先に敵に奪われるのは愛する妻、母親、そして娘たちなのだから。

「男たちは野蛮ねぇ」

「私たちは金目のものでも探しましょうか。
 故郷に帰ったら家族に見せびらかすのよ」

彼女たちは陸軍に所属する女性兵である。
ベルリンに侵攻したソ連兵には、女性の陸軍部隊も存在したのだ。

彼女たちは驚くべきことに、ヒトラーの地下司令部と
呼ばれた「総統地下壕」に一番乗りした兵隊の一部であった。

「ひっ……降伏します。殺さないでください」

地下壕の入り口近くには、秘書官と思われるスーツ姿のドイツ人女性が、
両手を上げて脅えていた。独語で話されているから、
ソ連人にほとんど意味は伝わらない。

「……邪魔だ。どけよ!!」
「ひいい」

その女の尻を蹴飛ばしてやると、涙を流しながら床に這いつくばり、
命乞いを始めた。(鬼畜ドイツ人どもめ……)

確かにこいつらが戦いに参加したわけじゃない。
だがここで命令を出していた奴らが、無抵抗なソ連の避難民たちの
上に爆弾を落とし、無抵抗な捕虜を収容所に送り虐殺し、
そして今日に至るまで味方の兵隊を殺し続けたのだ。

秘書だけでなく、ドイツの兵隊はみんなこうだった。
いざ自分が殺される時になったら、まっさきに命乞い。
やはりこいつらは人間のクズだとソ連兵は思った。

女性兵の何人かが、そいつを周りを囲んで、銃の裏側でさんざん殴って
こらしめてやった。そいつがボロボロになると、
めずらしい指輪をしてるのが目に入る。
さすがは相当地下壕で勤務していたエリート。
見るからに美しい金色の指輪だった。

女性兵のリーダーが瞳をギラギラさせながら言う。

「おい。指輪をよこせ」
「は……」
「指輪だよ。指輪。それはずして、よこせって言ったんだ」

ロシア語で話されているので、意味が伝わらない。

「あの……なんですか? 手がどうかしたんですか?」

「ちっ……。とろいねぇ」

銃剣で、その女の腕ごと切り落としてやった。

「っあぁあぁぁぁっぁああああああああああああ!!」

すさまじい悲鳴に、騒ぎを聞きつけた男性兵が、
隣の部屋の扉を開けてやって来た。

「ソ、ソ連兵だ……ソ連兵がもう入ってきているのか……」

男は手持ちの全ての武器を床に叩きつけるようにして捨てた。
そして両手をあげた。
肩に立派な階級章が付けられているから、
それなりの地位の兵隊なのだろう。

右手首の先がなくなった秘書を見つけると、彼女をかばうように
覆いかぶさり、「殺さないでくれ」とロシア語で繰り返した。
秘書の女性は「痛い……痛い……血が止まらない」と言い続けたが、
汚いドイツ語などソ連人の耳には入らない。

彼女らは、そいつらを全く無視して廊下を進んだ。
切り落とした手は硬直していて、結局指輪は外せなかったからあきらめた。

廊下伝いに扉を開けていく。どれも頑丈な鉄製の扉だ。

開ける。通信設備の部屋だ。ヘッドセットを頭に当てる賢そうなドイツ兵がいる。興味はない。
開ける。電気がついてない。壁に銃が立てかけてある。
開ける。男性トイレだった。見たくもない。

開ける。ここは当たりだった。女性秘書官のために用意された私室だ。
高級そうなクローゼットの中を開けてみると、

「すごいわ!! お宝よ!!」
「ドイツ製の高級毛皮よこれ!!」
「ぜんぶ山分けして故郷に持って帰りましょうか!!」

高級な服がたくさんあった。
冬ものコートからドレスまで、デパートの洋服売り場のように満載されている。
ソ連女性が好んだのが、深紅色のパーティドレスだった。ネックレスやハイヒールもある。
サイズなんてどうでもいい。せっかくベルリンを征服したのだから、ドイツ人が持っている
全財産は没収する。そのつもりで女性兵たちは略奪を楽しんだ。


同じく相当地下壕を捜査した兵隊によって、
ヒトラーらナチス幹部の遺体が発見された。

打倒ドイツを目的に戦ったすべての
将兵より先にソ連軍が確認したものである。

ドイツ第三帝国総統   アドルフ・ヒトラー
ヒトラーの愛人(恋人) エヴァ・ブラウン
宣伝大臣        ヨーゼフ・ゲッベルス
その妻         マクダ・ゲッベルス

以上の四名の焼死体が、相当地下壕付近に掘られた穴で発見された。
付近にあるベンチは、生前のエヴァが秘書たちを
連れてタバコを吸う憩いの場所でもあった。

生前のヒトラーはこう言った。

「私の遺体にガソリンをかけてくれ。絶対に敵に特定されぬよう、
 跡形もなく燃やし尽くせ。やってくれるな? ギュンシェ」

オットー・ギュンシェはSS(ヒトラー親衛隊)の少佐である。
ヒトラーから特に信頼の厚い部下であるから、死体の焼却を任された。

拳銃自殺(服毒の説もあり)した、上の四人の遺体に
ガソリンをまき、焼却したのは彼である。

この世界大戦に参加した、全ての連合国の兵がこう願い、戦ったものだ。

『俺のこの手で、ヒトラーの息の根を止めてやる』

実際に息の根を止めたのに等しいことをやったのは、ギュンシェだった。
この作品の参考にした映画「ヒトラー最後の十二日間」では、

ギュンシェ役は長身の美男子が演じている。
ヒトラーに焼却を頼まれた時、
「断腸の思いでおこないます。相当閣下」と宣言した。


ゲッペルスの妻「マクダ」も特異な人物のため、ここで紹介する。

ヒトラーをして「ドイツで一番の母」と呼ばせた彼女は、
生粋の国家社会主義者であった。

彼女は軍人ではないから、
ソ連軍に降伏しても国際司法が身の安全を保障してくれる。
それでも彼女が自殺した一番の理由は、
「非ナチ社会で子育てをしたくない」からだと言った。

浮気を繰り返した夫には、とっくに愛想をつかしている。
自殺前夜まで夫とは口も聞かないほどに険悪な仲だった。

彼女が信望したのはナチスの思想であり、
優勢人類がドイツ人であるという願いであり、
その願いを実現するヒトラーという人物そのものであった。

死ぬ直前まで彼女は熱烈なナチス党員であり、
共産主義に支配されるドイツを見るなどごめんだった。

彼女はドイツが降伏する前に、6人もいる小さな子供たちに対し、
青酸カリ入りのカプセルを飲ませて殺した。
まず子供たちに睡眠薬を服用させ、眠っているところにカプセルを一人一人
噛ませていくのだ。そばに医者を待機させながらも殺すのは自分でやった。

映画でもそのシーンが、名女優コリンナ・ハルフォーフによって演じられた。
この東ドイツ時代に数々の賞を受賞した女優の演技は、
鳥肌が立つほどの迫力であった。

未来のある子供を殺し、総統の死体を焼いて過去の栄光を捨てる。
マクダとギュンシェ。
古いドイツを滅ぼした二人の行動は、
第三帝国の崩壊を象徴していたといっていい。


※マリン

ここは夢の中の世界。
私は夜の街の中で炊き出しをしていた。

私は日本人だけどソ連兵の格好してここにいる。
ここの地理なんてさっぱり分からない。目が覚めたらここにいるのだから。
町の中央に大きな川があって、頑丈そうな橋がかけられている。

この付近には、砲撃によって爆破された家がたくさん並んでいる。
住民たちは食べるものが何もないので、私たち兵隊は炊き出しを行っていた。
軍用の食糧である肉入りスープを避難民たちに分け与えているのだ。

「ダンケ」
「ダンケシェーン」
「ダンケ」

住民たちは頭を下げて礼を言う。ダンケって言われるの飽きた。
ベルリンは五月のはじめでも冷える。
それにしても外国の人でも頭を下げるんだね。
日本人だけの文化なのだと思った。

みんなコートがホコリだらけで髪の毛もボサボサ。
すさまじい臭気を発している男性もいる。
こんな環境だもの。乞食みたいになる人もたくさんいるわけで。

ソ連兵は今夜も略奪暴行を行っているんだろうけど、私たちの部隊は違う。
私たちは補給(兵站)部隊のトラックから直接
食糧を受け取ってこの人たちに分け与えている。
ベルリンの住民に対し食料を配布するよう、軍から正式に命令が下ったのだ。
(戦後の米英に対するポーズもあったのだろう)

私はこの命令に不満はない。だが、同僚はそうでもなかった。

「ちいぃっ!! くそニェメッツ(ドイツ人の俗語)め。
 なんであんな奴らに貴重なパンと肉を分けてやるんだよ」

「お腹が減ってるなら勝手に飢え死にすればいいのに」

「死体になったら処理がめんどくさいから、
 自分で穴の中に入って死ねばいいんじゃない?」

「ほんとねwwあいつらにはお似合いの場所よね。他には肥溜めとか?」

「そもいいねぇーww」

女性兵士ですらこうなのだ。我々ソ連人の、ドイツに対する憎しみは
あと数世紀は続くんじゃないかとさえ言われている。

スヴェトラーナは白ロシア(ベラルーシ)ソビエト共和国出身の兵隊である。
首都のミンスクの郊外の村に住んでいた。酪農家だった。

ミンスクを守備していたソ連軍の大部隊は、ドイツの電撃作戦に全く対抗できずに
数十万の捕虜を出して壊滅した。そして民間のソビエト人民は無防備な姿で残された。

彼女の村にもドイツ軍の戦車部隊がやって来きた。

村民は全員捕虜となりトラックに収容される。
スヴェトラーナのおばあちゃんは、手足が不自由でベッドに寝ていた。
そうしたらドイツ兵は怒りだし、おばあちゃんをベッドのまま外へ連れ出した。
おばあちゃんのベッドの足に火をつけ、生きたまま燃やしてしまった。

ドイツ兵は、笑っていた。
タバコを吸いながら、黒煙が黙々とあがり、断末魔の叫びをあげる
おばあちゃんを、楽しそうに見ていたそうだ。

スベトラーナら村民を乗せたトラックは、別の町に潜んでいた、
ソ連軍部隊の反撃によって奇跡的に救出させられた。

その後、自ら陸戦部隊に志願したスヴェトラーナ。初めは戦車部隊に希望したが、
女性には危険すぎると当局が難色を示したため、歩兵部隊となった。

そして今日、彼女はベルリンの征服者の一人となった。

「なぁ、マリンよぉ。あんたも、こいつらは死ねって思うだろ?」
「そ、そうね……。死んで当然のことをしたんだよ!!」

女性兵らの目は据わっていた。ウォッカを飲んでいるのだ。
今日の彼女らは異様に殺気立っていて、ソ連兵のマリンでさえ、
下手なことを言ったら何をされるか分からない雰囲気が漂っていた。

「おっと、手が滑って落としちゃったw」

仲間のソ連兵が、スープの中身を地面にぶちまけたのだ。
酒の飲みすぎで顔を真っ赤にしている。

「おいそこの女、ドリンケンジー。飲めよ。そこのスープ」
「え……」

綺麗なコートに身を包んだ、いかにも育ちのよさそうなドイツ人女性だった。
金髪の美しい髪を耳元でカールさせているから、
一目見て彼女たちの嫉妬の対象となったのだろう。

(何も苦労しないで……今までベルリンで暮らしいていたお嬢様が……!!)

ドイツ女性は困惑していたが、ソ連兵に凝視されると、
奥歯がガタガタと震え始めた。漏らしているかもしれない。

女性兵らは、ドイツ女性をかこって手を叩き始めた。
早く食べろと言っているのだ。ドイツ女性はロシア語が少しだけ話せたから、
やんわりと拒否したのだが認められなかった。
言う通りにしないと、銃剣で足を切り落してやるぞと脅された。

「姉ちゃん。そんな奴らの言うことは聞くな。今日の配給食は諦めよう」

弟と思わしき小学生くらいの少年が、姉の肩をひっぱる。
だが女性は弟を無視した。

彼女は目をつむった。昨夜の雨でぬかだ地べたに、はいつくばって、
スープの残骸に口をつけた。泥の味しかしなかった。
具材の肉や野菜が無残に散らばっている。

ソ連女性たちは大笑いしながら、パンを放り投げた。
泥だらけになったそれも食べろと命じた。
仕方ないので、女性はパンもかじった。泥と涙の味しかしなかった。

(神様……)

彼女の家系はプロテスタント。
お金に不自由はしなかったが質素倹約に生きてきた。

この女性の父親は、町で音楽の教師をやっていた。
ナチス党員ではなく善良なベルリン市民だった。
ベルリン攻防戦が始まると、13歳以上の全ての男子に徴兵命令が下る。

父は成り行きで市民団に入れられた。市民団とは、軍属ではなく、
市民の代表が武装して、独自に敵と戦う民兵組織である。
戦闘は、戦闘とも呼べない一方的な虐殺となってしまった。

父は突撃命令が出たので、建物の隙間から飛び出してソ連軍部隊に突撃した。
市民団は20名の部隊だった。
制服は支給されてないので私服のコートに探偵帽をかぶって戦った。

住宅街に面した大通りに、戦車が3台並んでいた。ソ連製のT-34だ。

ソ連兵は戦車の陰に隠れている。

(あれがソ連の戦車か……)
(でかい。車幅があんなに広いのか……)
(生身で勝てるわけがない)

生まれて初めてソ連軍の主力戦車を見た市民団は、一瞬で戦意を失う。
だが命令である以上、敵に突っ込まないといけない。

戦車に備えられた重機関銃の一斉射で、市民団は1分も持たずに全滅した。
かろうじて息のある者もいるにはいた。
その後、前進を開始したT-34は、市民の死体を
キャタピラーの下敷きにしながら進む。生きたまま下敷きになった人もいた。

「あはははっ。今夜はお酒を浴びるように飲めるわね!!」
「同志閣下が気を利かせて、無制限にヴォトカを支給してくれるのよ!!」
「おらおら。ドイツのブタども!! ちゃんと順番通りに並べ。エサの時間だぞ!!」

同国人の女性へのいじめを見せられたベルリン市民たちは、
戦々恐々としながら炊き出しの列に並ぶ。
ソ連女性兵と目を合わさぬようにしながら、スープをいただいていた。

相手の機嫌を取るために、貴金属である指輪や腕時計を差し出すおじいさんもいた。
ソ連兵は一般的に腕時計を大変に欲しがった。

「おうおう。わかってるじゃねえかジジィ。
 ヒっク。おめーには肉を大盛にしてやる」

「は、はあ。ありがとうございます」
 (ロシア語だから何と言ってるのか分からんが……喜んでるらしい)

肩をバシバシと叩かれた老人は、女性兵に頭を何度も下げた。

(弱い者いじめして……本当に家族の人の憂さ晴らしになるの?
 スヴェトラーナの死んだおばあちゃんは、
 娘がこんなことをしてるって知ったら悲しむんじゃないのかな)

マリンはそう思ったが、口にはしなかった。

ソ連軍にも色々な女性がいた。
医療衛星班の女性たちは、敵も味方も関係なく、清潔な包帯とガーゼを使って
治療を施していた。玉の汗をひたいににじませながら、
夜遅くまで負傷者の治療をし続けた。

銃弾の貫通、複雑骨折、粉砕骨折。
その他の理由による傷口の化膿により、最後は切断する。

麻酔は常に不足したから、痛みは我慢してもらうしかない。
病院では夜遅くまで患者の悲鳴があがる。この世の地獄だった。
独ソの軍医たちが懸命に治療を続けたそうだ。
彼らにとって敵なのは鉄砲を持った兵隊ではなく、負傷した兵隊なのだから。

倒れた電柱。焦げた匂い。血の生臭い匂い。
戦車や大砲の残骸。まだ煙を出し続けている。

夜のベルリンでは小さな子供の鳴き声が耐えることがなかった。
トランクを手に歩く老人。乳母車を押しながら夜道を歩く母親。
男性は老人ばかりで若い男の姿は見えない。

ドイツ軍に所属していた、「戦闘可能な健康的な男子」は、
ソ連軍の捕虜となりシベリア送りになった。
手首を縄で縛られ、一直線の列につながれて駅まで歩かされた。

二度と帰ることがないドイツの大地を、噛み締めるように歩く兵士もいた。
目を閉じ、ブツブツと聖書の一節を朗読する兵士もいた。
ギラギラと、目つきが異常に鋭い兵もいた。

この兵隊たちが、ソ連国内で虐殺をしたのかは誰にもわからない。
だけどソ連にとっては関係がない。

スターリンは「人こそが最高の資産だ!!」と言い、
大量の捕虜獲得を喜んだ。

枢軸国の捕虜は、日本兵も含めておよそ400万人以上はいたとされている。
そのうちの半数がドイツだ。ルーマニア、ハンガリー、ブルガリアの兵士もいる。
彼らはソ連国内のインフラ建設に使役された。多くの人が飢えと寒さで命を落とした。

今後も人類の歴史が続く限り、永遠に語り続けるべき負の歴史である。

マリンが夢から覚めた。

ふぅー。

喉が渇いたぁ。ベッドサイドのデジタル時計は、深夜の3時を指してる。
いつもこの時間に目が覚めちゃうんだ。水のペットボトルはどこかな……。

「マリエ。目が覚めたのね」
「お姉さま……」

井上マリカさんは、私の一つ上の上級生。
私たちは生徒会本部で寝泊まりしている。
ミウが死んで空きになった、副会長室のベッドを使用している。

キングサイズのベッドだけど、さすがに小柄な女子二人
(ふたりとも150センチほど)
では手狭になる。寄り添いながら寝てるうちに、
マリカさんは私の体に平気で触ってくるようになった。

私は寝間着を脱がされて下着姿になっていた。

「また私の服を脱がせましたね?」
「ごめんね。あなたに許可もなく勝手に。ついムラムラしちゃって」
「困りますよ。私はマリカさんと違ってノーマルなんですから」
「お姉さまって呼んで」
「嫌です。マリカさんは私と距離が近すぎますよ」

私がベッドからどこうとすると、マリカさんは強引に押し倒してきた。
私の投げ出された腕を、しっかりと押さえつけながらキスしてきた。

「そんなに顔を近づけたら苦しいですぅ……息ができない」
「うふふ……あなたのそんな顔も……たまらなく愛おしいわ」

正直、うざい。別にこの人のことは嫌いじゃないし、
一時期は恋愛感情に近いものを持っていた。
でもやっぱり私は男性が好きだ。堀太盛が好きだ。

あの人の事、どんなに忘れようとしても無駄だった。
むしろ、どんどんあの人のことを好きになってしまうんだから、
わが父ながら罪な男だった。

「喉が渇いたんですよ!!」
「あっ、そうなのね。気が利かなくてごめんなさい。今お水を」

ペットボトルのふたを開けて渡してくれた。
これさぁ……どうみてもマリカの飲みかけじゃん…。まあいいや。

私がぐいぐい飲んでると、マリカは頬に手を当てて微笑んでいる。
心なしか、お肌がつやつやしてるような……?

「マリーはいつも夢でうなされているのね」
「それはもう……すごい夢ですから」
「どんな夢なのか教えてよ。ずっと秘密にしてきたじゃない」
「どうせ信じてもらえませんから、無駄かなと」
「絶対に信じてあげるから。話してよ」

ベルリン征服の話を、ざっと要約して教えてあげた。

「うーん」

あごに手を当てるマリカ。
色欲が後退したのか、いつもの知性が宿っている。

「夢というより仮想体験といったほうが適切かしら。
 どうしてそこまで生々しい体験ができたのか理解に苦しむけど、
 思えばあなたの周りで起きることって、なんでも超常現象ばかりじゃない?
 去年はミウの夢にうなされていたじゃない」

そう。ミウの夢にうなされていた時、怖いからマリカさんに添い寝を頼んだのだ。
それがきっかけで、今ではベッドの上で四肢を絡ませて
寝るようにまで発展してしまった。あれは去年の冬の出来事だった。

「あなたって普通の人間じゃないよね」
「……どうしてそう思うんですか?」
「たまに小さい子に変身するじゃない」

私にも制御できているわけではない。たまに堀マリンとして生まれ変わる瞬間がある。
ミキオくんの前では何度もマリンの姿で現れたけど、あれは狙ってやったわけじゃない。
たまたま、ああなってしまったのだ。きっと私には神の力の一部が宿っているんだと思う。

「ミウを殺したのも、その力を使ったの?」

「ちょっと待ってください。その力って何のことですか?
 それにミウを殺したのが……わたしなんですか?」

「あくまで仮説よ。あなたが人の死を願ったら、その通りになるのかなって思ってね。
 一種のおまじないみたいなものかな。神社とかであるじゃない……神頼みとか?
 なんとなくだけどね。あなたにはご利益みたいなものが備わっているのよ」

「そんな可愛らしいものじゃ、なさそうですけどね。確かにミウの死は願ってました。
 収容所7号室では寝る前に毎日ミウの惨殺死体を思い浮かべていました」

「ミウはアイスピックでおでこを刺されて死んだ。その前に保安委員部に
 暴行を受けて麻袋に入れられて、気絶するまで殴られたと聞いてるわ」

ナツキからね、とマリカさんは続けた。

「ナツキは今でもミウの夢を見続けているんだよ」

「そうらしいですね」

「病人みたいに、どんどんやつれていってる。
 今年の総選挙の前に死んでもおかしくないかも?」

「きっと死んじゃいますね」

冗談のつもりで賛同したんだけど、マリカさんは怒った顔になった。あれ?

「この学園はボリシェビキの支配下だから、内部粛清はよくあること。
 政敵は殺すべしって、古今東西の政治ではそうだった。それが当然だった。
 でも私たちはまだ学生だものね。学生の身分で卒業すらできずに
 非業の死を遂げたんだから、その怨念は想像を絶する。
 ナツキはミウに呪い殺されるのを待つだけになってしまっている」

「……この学園は狂っています。あの人もボリシェビキですから、
 死ぬ覚悟はできてると思いますよ。私は同情の余地はないと思っています。
 こんなこと言ったら、マリカさんには失礼だと思いますけど」

「気にしないと言ったらウソになるかな。
 あんな奴でも一年の頃は仲良しだったし」

マリカさんは、ナツキ会長の話になると、乙女の顔をすることがある。
きっと本心ではまだ好きなのだ。同性の反応だからすぐわかる。

「ナツキを救う方法は、たぶんないと思う。
 でもあいつの最後のお願いだけは聞いてあげてほしい」

「最後のお願いとは、まさか」

「あなたに生徒会長を引き継いでほしいんだよ」

私はそれでも嫌だと強情を張ると、マリカさんが食って掛かった。
私たちは一時間以上も口論をしたが、どちらも折れなかったため決着はつかず。
どちらともなく眠くなったので、ベッドでふて寝をしたら朝を迎えた。

目覚めると、マリカさんはもう外に出た後だった。
私は歯を磨いているときに、ふとマリカさんの言葉が頭に繰り返し浮かんだ。

『マリーったら、恩知らずの卑怯者なのね!!
 誰のおかげで収容所から解放されたのか忘れたの? 
 えっ……忘れちゃった!? 死にゆくあいつの最後の願いも
 聞いてあげないなんて非人道的!! 鬼畜よ!!』

私は、心の底からボリシェビキを憎んでいるのだ。
私はこの世で一番高野ミウが嫌いだった。エリカババアよりも大嫌いだ。
ボリシェビキは高野ミウの象徴。ミウを副会長に推薦したのはナツキ。
私は彼らの後釜に座るつもりはない。
この結論は私が私である以上、一生変わらない。


※川口ミキオ

俺は諜報広報委員部に出頭させられた。
最初は何かの冗談か、あるいはどこかへ監禁するための
偽情報なのかと思った。俺はこんな通知を受けた。

『囚人番号23番は、本日をもって破棄。
 川口ミキオは指名を名乗る権利を有する。
 諜報広報委員部にて即日勤務すること』

ボリシェビキ会長の判が押された正式な書類だ。
冷静に考えたらフェイクなわけがない。

「すみません。先輩は諜報部の方ですか? 
 えっと……俺はその……
 こちらの部屋に来るように言われて、来たんですが」

「認識票は持っているかい?」

「認識票とは何でしょうか?」

「ほら。これだよこれ。鉄製のプレート。
 君も首から下げてるんじゃないの?」

「ああっ、すみません。今すぐ出します」

「ははっ。慌てなくていいんだよ」

ニコニコと笑う美少年。困ったことに、こいつが件の堀太盛だった。
大きな丸眼鏡をしているんで、別人かと思ったぜ。しかしセンスのねえ眼鏡だ。
性根の腐ったこいつにはぴったりだな。

俺らは会議室前の廊下で話をしていた。
俺は諜報広報委員部の会議室に出頭を命じられていたんだ。

「責任者のトモハル委員が、もうすぐやってくるから。
 先に中で待っててくれないか?」

「は、はい」

野郎は、俺に殺されかかったことを忘れているらしい。
記憶喪失……。好都合だ……。
新人の俺を出迎えたのが、なんで奴なのかは知らんが、
人事にでも抜擢されたんだろ。

部屋で手持ち無沙汰にしていると、扉がドンと勢いをつけて空く。

「会議が長引いて遅れてしまったよ。すまないね!! 君!!」
「いえっ、とんでもありません。代表閣下!!」

相田トモハルは、俺と同元年のボリシェビキ。
元収容所1号室のメンバーだったが、才能を見込まれて
生徒会に引き抜かれ、今では一つの組織の長にまで上り詰めた異端児だ。

「わたくしも元囚人でありますから、
 そう恐縮することはありませんよ。同志川口」

「こ、光栄です」

無駄に体育会っぽい男だな……。裏表がなさそうで嫌いじゃねえが。

さっそく仕事の話をされた。

まず俺が今まで囚人だったことは、きれいさっぱり忘れろと言われた。
生徒会には元囚人はめずらしくねえし、何よりトモハル閣下が元囚人という経歴上、
少なくとも諜報広報委員部内ではそのことを気にする人はいないらしい。

「サイバーセキュリティの分野で、優秀な人材を募集していたのですが、
 同志川口なら適任かと思われますな」

「俺、バカなんですけど大丈夫っすかね?」

「謙遜なさるな。君の成績表は全て目を通してありますよ。
 理系コースで成績はつねに上位を維持していた。
 エリートばかりのあのクラスで立派なものです」

後で知ったことだが、トモハル氏は野球バカのため、
勉学の方はさっぱりらしい。この学園にもスポーツ特待で入ったとか。
この人って、保安委員部向けの人材だと思うんだが、
なんで頭脳労働が専門の諜報広報委員部にいるんだ?

「我が委員では、今年度からサイバー攻撃による金融機関からの
 資金強奪を目的とした、新しい組織を立ち上げたところなのです」

「金融機関からっすか。そんなに大金が必要なんすかね。
 この学園は法人経営ですが、まず理事長が元財閥の人間だし、
 保護者連中や財団法人からの寄付金だけでも相当な資金があると聞いてますけど」

「いえいえ。金が必要なのは学園ではないのです。
 足利市内では、日本の資本主義勢力を打倒するための
 市民革命組織を結成中でして、そのための資金が必要なのです」

足利市の市民革命組織というが、実際は県外からも多数の人員が集まっているらしい。

革命には、武力が必要だ。
一国の政府を武力で転覆させるには、その国の行政力を奪う必要がある。
行政の暴力の先端となるのは警察組織。そして軍隊だ。
この二つを壊滅させれば、理論上敵は身動きが取れなくなるから、
例えばすべての国会議員を抹殺することも可能だ。

だが日本の防衛力は相当に高い。倒すことよりも、警察や軍の
内部から洗脳して自ら革命に参加させた方が効率がいい。
だがそんなことは不可能だ。国家公務員の連中は暴利をむさぼっているから、
今さら政府に反旗を翻す理由がない。

「ならば、いっそ」とトモハル氏が続ける。

日本で資本主義勢力を打倒するための武力を結集した方が速い。
世界中に潜在的ボリシェビキは余るほどいる。
インターナショナルとは、世界の社会主義、共産主義者をかき集めた組織。
ソ連が生み出したものだ。実はまだそれは生きている。

自由資本主義と名を変えながら、資本主義の世の中がこれからも続くたびに、
貧富の差は悪化し、金持ち連中に敵意を抱く人は増えていく。世界レベルで。

世界中のボリシェビキが、まずこの足利市に結集して、時間を駆けながら
資本主義日本を撃退するだけの力をかき集めれば……。

とトモハル氏は力説する。

(さすがにそれは無理だろ)

とは言えなかった。

本音を言わせてもらえば、子供のママゴトにしか思えなかった。

俺の意見はこうだ。

確かに、世界中にボリシェビキが存在することは、
この学園に留学生がたくさんいることから分かる。

日本国の政治は腐敗しきり、貧富の差は拡大しまくって
貧困女性が子供と共に自殺、生理の貧困など、もはや度し難い社会が生まれてはいるが、
実は世帯ごとの家系金融資産を調査すると、金持ちがけっこういることに気づく。
平均的な資産額(マス層)もそれなりにいる。借金して家計が苦しいのはごく一部の奴らだ。

何より日本人は政治に関心がなく、基本的にはシルバー選挙。
国民=社畜。政治について考える余裕がない。
自民党が企業と組んでやってるのかもしれない。
何より日本は「平和」だ。これに尽きるんじゃないだろうか。

フランスやロシア革命を例にすると、諸外国と交戦し、
祖国が滅びる瀬戸際になって革命が生起。
最後は軍隊まで革命軍に参戦した。
戦乱の世の出来事だ。今の日本に当てはまるわけがない。

「ボリシェビキの資金集めの手段は、主に銀行強盗だったのです!!」

スターリンたちは、党の金集めのためによく国立銀行を襲撃したらしいな。
そんな一世一代のことを何度も繰り返したくせに、生きて帰れるんだからすごい。

「今はITの時代ですから、人のスマホの情報が分かれば、
 すぐに全資産を没収できます。いとも簡単にね。
 たとえばキャッシュレスサービスは、セキュリティの壁がなければ、
 ハッカー側にお金を差し出すようなもの。
 我々ボリシェビキにとっては夢のようなサービスと考えてよろしい」

「分かります。今もオレオレ詐欺が流行ってますからね。
 市民からしたら笑えない話になっちまいます」

「この国では個人の金融資産が900兆円はあると言われてます。
 まだまだ有効に活用されるお金はあるのですよ。
 わざわざ外国から奪わなくとも、
 この国には宝の山がたくさん眠っていると考えてみてください」

トモハル氏は日銀のマネーストック(M2)を参照したのだろう。
老人の休眠口座とか、シャレにならない規模らしいな……。
年々増加傾向にある「空き家」にもタンス預金がたんまり眠ってるらしい。

「良いですか? 私の話をよく聞いてください。ここは大事なことですよ。
 営業活動とは、営利目的でお金を稼ぐことを言います。狩りと同じです。
 財務活動とは、今あるお金を効果的に動かして、何かを得る行為を言います」

たとえば、財務大臣は国民から受け取った税金を使って
社会福祉サービスを展開したとする。
この場合は、財務大臣はお金を一円も稼いでない。

だが、今あるお金(税収)を使って軍隊を維持したり、
福祉サービスを提供したりする。

公共事業投資にばらまけば短期的に雇用が生まれる。
橋や高速道路が立てば物流が活発になる。

企業であれば、財務活動の一環として配当金を払って株主に還元すると、
さらに多くの株を買ってもらう効果がある。退職金もボーナスも払える。

家計のレベルの財務活動とは、投資だ。
株式投資は自分のお金を運用した結果、利益を得る錬金術。FXもそうだ。
利回りの良い貯蓄保険にでも加入して(今の日本にはないが)、
10年寝かして金が増えていたら、それも錬金術の一環として認めていいだろう。

子供の教育も投資だ。大学に進学した場合では……。
卒業までに莫大な学費がかかっても、
子供の生涯賃金が増加した場合、投資の効果は十分に取れる。

(親が学費をすべて負担した場合の例。
 奨学金の場合は投資ではなく、将来の債務を増やしただけであり、
 財務活動の定義に入れるべきではない)

「諜報広報委員部の人には、この財務活動の点をよく理解していただきたいのです。
 我々は日本からしたらテロ組織ですが、同時に政治団体なのです。
 政治団体は、営利活動でお金を得ることができません。
 したがって財務基盤が必要となるのです」

議席のある国政政党と認められたら、
国から交付金の支給とかあるんだけどな。

テロリストにそんなもんがあるわけねえ。
俺の部署(サイバー部)の目的は市民団体への資金援助。
巨大な市民団体を作るためには、信じられないほどの金が要るってわけね。

ミキオとマリンは久しぶりに会話をした。

「やあ、ミッキー」

「ディズニー好きだったとは」

「違う。君のあだ名だよ」

「悪い冗談はよしてくれよ。
 ウォルト・ディズニーは著作権王。悪しき資本主義の象徴じゃねえか。
 しかも敵性(アメリカ)文化だぞ」

「それもそうか」

「おまえなぁ……俺の職場で変な噂が流れたらどうすんだよ」

俺の名前は川口ミキオだ。
マリンは、暇なのかよく諜報広報委員部に遊びに来る。

俺はサイバー・セキュリティ部(長いのでサイバー部)に所属してから
金融の事ばかり学ばされるもんだから、自慢の頭髪に白髪が混じってしまった。
関係ないが、部の名前は漢字で書くと電子諜報部ってことになっている。

経済学ってマジムズイわ。俺理系だから関係ないんですけどって言いたいけど、
アメリカでは経済は理系の分野らしい……。
俺は物理が得意だから、数字を追う学問は決して嫌いじゃないんだけどな。

「ミキオくんは、どんな仕事をしてるの?」
「たいしたことじゃねえよ。先輩のお手伝いでスパイウェアの広告を作ってる」

スパイウェアは、インストール先のパソコンにある内部情報を不正に収集し、
外部へ送信する。これだけ情報リテラシーが進んだと思われる現代でも、
「インストールしてください」の文字に騙されて、
一瞬で全てのデータを奪われるアホが後を絶たない。

スマホが苦手な主婦や老人連中はねらい目だ。
あと親が子供が心配だからと小さい子供にスマホを持たせようものなら、
良いカモだ。そこから親や友達関係の個人情報も簡単に盗めるんだからよ。

キャッシュレスサービスも、パスワード認証を二重(ID、パス)にするなどして
良い気になってるんだろうが、テロリストに解析されるのは時間の問題だ。
サイバー技術は日の目を見ないが、光の速さで進化してるんだぜ。

種類はどうであれ、一つの金融口座に500万以上の金を
入れるのは絶対にお勧めしない。近い将来必ず詐欺の被害にあうから。
口座は徹底的に分散するのが命を守るコツだぜ?


そもそもだな……。
ソ連だったら『敵地にスパイを潜入させて工作』をする。
外部から無理やり扉をこじ開けるより、中から開けた方が効率が良いってことだ。

これはソ連の前身であるロシア帝国時代から一貫して行われていたことだ。
米大統領選挙でも内務省にスパイを潜入させて民主党勢力の敗北
(ヒラリー氏のメール流出)、米中西部のパイプラインに
不正アクセスして、パイプを一時的に凍結。
米全土へのガソリンの供給に支障をきたすなど、やりたい放題だ。

上のキャッシュレス・サービスを例にするぞ。初めからサービス部門の
管理部に、訓練されたエージェントを潜入させる。理由は転職でも出向でも左遷でも
なんでもいい。そいつを十分に油断させておいてからデータを全部盗んで、とんずら。

な? 外部から頑丈をこじ開けるより簡単に思えるだろ。

だがもちろん、これは口で言うほど簡単なことじゃない。
スパイはソ連のKGBでも最高学府を卒業してるレベルのエリートが選抜された。
当時、日本帝国に潜入したリヒャルト・ゾルゲがその典型だ。

仮に敵に捕まった場合は速やかに自殺することが求められるし、
敵に情が移って寝返らない努力も必要だ。さらに専門分野の知識が求められることから、
うちの諜報広報委員部では、最高の知性と機転の利くを持つ人物が選ばれる。

卒業後の進路は、各金融機関(証券会社含む)、日本の内務省、防衛相だ。
特に日本政府を転覆させるためには内務省への潜入業務は必須だ。

「会計の勉強もしてるんでしょ?」
「まだ初歩の段階だが、複式簿記とかな。バランスシートの作り方を学んだぜ」
「さっすがミキオ君。聡明。最初はつまずく人が多いのに、すんなり覚えちゃんだから」
「俺は頭良くねえって」
「謙そんするな」

「トモハル閣下からも同じこと言われたよ……。
 人の誉め言葉は素直に受け取った方が得だとな」

マリンは俺のデスクの横でぺらぺらしゃべってる。
この職場では男女で仲良さそうに話していても、誰も気にしてないようだ。
みんなパソコンの画面か、書類に目を通してるんだ。

隣の先輩なんてクソ分厚いフォルダーの書類を一枚一枚眺めてる。

5月~6月分の原油先物取引の見通し……?
米ドルに対する主要通貨の見通し……?
4月分のFOMCの議事要旨……? 
なんだそりゃ。うちの部に関係あんのか……?

後で聞いた話だが、諜報広報委員部には資産運用部もあって、
株やコモディティ(商品)取引によって
少しでも資産を増やす努力をしているらしい。
ちなみに資産運用部は、理事長の許可を得て結成された部署らしい。

(自分の仕事に矛盾を感じねえんだろうか?
 だって俺らって資本主義を滅ぼすために仕事してるのに。
 資本主義者の総本山である株式市場に参入するなんて)

俺には資産運用部で金もうけを企む先輩たちが、ハゲ鷹のように思えてしかたなかった。

これも後で聞いた話だが、資産運用部の連中は証券会社に潜入して
顧客から全財産を奪い取るエージェントとして教育されているとのこと。
さらに東京証券所へ不正アクセスをするための練習も兼ねている……?

まじかよ……。うちの先輩たちは頭の良い人が揃ってるとは思ったが、
ここまでとは。このシステムを思い付いた人もすげえよ。

他にもいろいろな部署がある。
生物化学兵器を研究製造する部署もあって、化学部と呼ばわれている。

爆発物、ガス、毒物、麻薬など人を殺傷する目的の、
あらゆる兵器を作ってる人たちだ。
俺は理系だから、本来ならこっちに選ばれるはずだったんだよな……。

なんでここが諜報部の名を関しているかというと、
主な情報を海外から仕入れているからだ。
平和な日本じゃ爆発物や毒ガスの設計図なんてそう手に入らねえからな。
彼らは外国語にも堪能で、ネットを通じて東アジアの社会主義国や、
アラビア諸国から直接情報を得ている。原語で……。頭良すぎて吹くわ。

以上。今までが諜報・広報委員部の前半部分、諜報部のお仕事でした。

続いて広報部。

読んで字のごとく宣伝をする部なのだが、
実は落ちこぼれのボリシェビキが配属される部署として知られていた。

「俺の顔に何かついてるかい?」

「いえ。そんなつもりはないです。じろじろ見てすみませんでした」

「はは。変な奴だなぁ君は。
 女の子と話をするのも楽しいだろうが、仕事に集中したまえよ?」

「はいっ。先輩。すみません」

「はっはっはっ。そんなに謝らなくていいって。君は面白い奴だなぁ」

俺と堀のクソ野郎のやり取りだ。
野郎は頭が悪いのか、広告作りをしていた。正確にはビラだ。
このデジタルの時代に紙かよ。資源の無駄だろ。

前会長の橘アキラ氏の時代から続く伝統で、
広報部ではビラを作成し、定期的に全校生徒に配ることにしている。
ボリシェビキの機関紙みたいなもので、
ソ連の偉人の話とか書いてあって勉強にはなる。

パソコンに慣れた時代だからこそ、
紙面の文章っていいなぁと不覚にも思っちまった。
なぜかパソコンで読むより言葉に説得力があるんだ。
ブルーライトがないから安心してじっくり読めるって利点もある。

誰が書いてるのか知らねえが、連載記事の自民党への批評が
極めて的確だとして、会長から何度も賞をもらっているらしい。


「今日も職場は平和そのものだなぁ」

堀太盛は、のんきな顔してイラストを描いてやがる。奴は元美術部だったからか、
絵心があるんだ。ソ連の偉人のイラストを鉛筆で書き、背景に水彩絵の具を塗る。
どうせ原紙を白黒コピーするんだから、丁寧に色を塗るなよとツッコみたい。

堀太盛は、職場で浮いた存在となっているらしい。
記憶を失ってから頭がますます馬鹿になったのか、極端に物覚えが悪く、
個々の能力査定では最低の1が並ぶ。

そのため諜報部からまず左遷され、広報部へ。
そうしたら文章もロクに書けないらしいので、
ホームページに飾る絵でも描いてろと言われたら、
これが中々にうまい。こいつの風景画には部内で定評があるほどだった。

だが、こいつの仕事は、ビラに絵を描くこと。
各行事に備えて飾りつけのデザイン担当、
新入生歓迎用のHPのデザインをすることなど、ようは窓際だ。

他の委員からは陰口で
「チラシ作り」「お絵描き」と呼ばれていた。
知らないのは本人だけらしい。
ここまでくると、さすがに同情したくもなる。

「太盛さまぁ。お昼の時間ですわ」

目の覚めるような美女が部に現る。学園の花とされる、橘エリカ嬢である。
完璧なプロポーションに、アジア人とも白人とも取れない絶妙な顔立ち。
ふわりとした黒い髪の毛が肩にかかる。

俺は思わず見とれた。橘先輩をちゃんと見る機会なんて今までなかったからだ。

「いつもすまないねエリカ。俺はボケてしまったのか、
 お昼のチャイムが鳴っても全然聞こえないんだ」

「それなら私がお昼を知らせに来れば問題ありませんわ。
 さっ、食堂へ行きましょう?」

橘さんが腕組みをして太盛を連れ出していくと、
部の男性から小さな苦情がこぼれる。

「ちっ。たらし野郎が」
「見せつけてんじゃねえよ。無能のくせに」

部屋の空気が変わった……。
怖え……。みなさん殺気立ってるよ。
やっぱ堀が無駄にモテることに嫉妬してるのは俺だけじゃないよな……

今気づいたんだが、この部って女子が全然いないぞ!?
ほとんど男子校じゃねえか!!
しかも、無駄に秀才な連中だからか、顔のレベルが悪すぎるぞ……。
他所の公立高校からブサイクな男子を一か所にかき集めましたって感じだ。

目が細くてガリガリ、出っ歯、サル耳、極端にデブだったりと、酷い顔が並ぶ。
うーん……。こいつらじゃ女にモテねえわけだ。
頭も顔も良い男なんてそういねえよな。俺も人のこと言えないけどな。

女子もいるにはいるが、下膨れの顔で眼鏡をかけていたり、
カエルみたいに目が離れた奴などブスばかりだ。
おいおい……。
上の人は、もうちょっとうちの部の顔面偏差値を考慮してくださいよ!!

俺は弁当を持って食堂へ行った。

ミキオはマリカと初めて会話をした。

何度も言うが、俺の名前は川口ミキオだ。

なぜ俺が食堂に行くのに弁当箱を持っていくかというと、
職場での食事は厳禁だからだ。(ちなみに俺の弁当は自分で作っている)
諜報部は特に厳しくて、アメを舐めることすら禁止されている。
保安委員の奴らなんて、しょっちゅう飲食してたけどな。

この学園では、一般生徒は教室で食べる。食堂派の人はいない。
なぜかというと、食堂はボリシェビキで占められているからだ。
そんな校則などあるわけないが、アキラ会長の時代から自然とこうなったらしい。

ボリシェビキが食堂を利用し始めると、普通の生徒は怖くて近寄れなくなる。
なにせ食事中に下手なことを言ってしまうと、反革命容疑がかかるんだからな。
そんな場所に誰が好き好んで行くかってんだよ。

ボリシェビキは普通の授業半分、専門授業(仕事)だから
普通の学生の倍は忙しい。そのため学生寮に泊まり込みの奴が多い。
よって弁当を持参できないから食堂を利用する。
俺はもう普通の授業は頭に入らなくなってきたよ。ほぼ社会人の気分だ。

さーて。空いてる席に座るか。

「おーい、マウスくーん」

マウス……。だと……? 
まさか俺の事じゃねえだろうな?
ミッキーマウスだと資本主義的になるので、マウス……?

俺に手を振るのは斎藤マリエ……否、マリンか。

「ここの席空いてるから、良かった一緒にどうかな」
「あ、ああ。そうさせてもらうけど、そちらの方は?」
「私のルームメイトの、井上マリカさん」

マリンと相席していた人が、あのマリカさんだとは!!

「こんにちわ。川口君でいいのかな?」
「は、はいっ。初めまちてっ」

噛んでしまった……。相手は上級生でしかも女子……。
俺は女性に免疫がなさすぎるぞ……。

「そんなに緊張しないで。私なんて本当に大したことない小娘なんだから」

全然そうは思えなかった。第一印象からして知的で謎の威圧感がある。
この女性からは人の上に立つ貫禄さえ感じさせる。

卒業文集とかである、卒業後は大物になってそうな
同級生ランクナンバーワンだろう。
俺は四人掛けの席に着席し、正面の二人の女に向かいあった。

井上先輩は人見知りをしない性格の人のようで、
俺みたいな小僧にも優しかった。

「お仕事はどう?」
「変な人はいない?」
「慣れないことばかりで大変だよね」

俺はそれらの質問に正直に応えて会話に花を咲かせた。

仕事はまだ不慣れだが、エリートの選抜クラスなのはよく理解した。
モテなさそうな連中ばかりだったが。
変な人といえば、堀太盛で決まりだ。
あの野郎、高校三年生のくせに痴ほう症の老人みたいになっちまってる。

「堀君なら、あそこの席にいるよ?」
「あっ。本当ですね。女子と一緒に食事してるのか」

女子と食べてるのは俺もだが……。

太盛の野郎は、予想通り美女二人をはべらせてやがる。
橘先輩の作ってきた弁当をうまそうに食べながら、
美女の口論を見守っていた。

「エリカってさぁ。毎日彼のお弁当作って来て彼女面って、
 何十年前の少女漫画のネタ? 古臭くてダサすぎっ。
 太盛も我慢して食べてあげてるんだから、やめてあげなよ」

「黙れ。あなたなんて自分で料理ができないからひがんでるんでしょ。
 太盛君があなたの化粧が濃すぎて気持ち悪いって言ってたわよ。
 トイレに行って化粧落としてくれば? そもそも学生で化粧は校則違反よ」

フランス人の美女クロエ・デュピィと、橘エリカ嬢の舌戦である。
ふたりの所属は中央委員部だ。

「校則を作ってるのはうちの部だから。責任者の校長でさえ、私のことに
 文句をつけてきませんから。あんたに言われる筋合いありませーん」

「……あなたの日本語、ところどころ訛ってるわよ。自分で気づいてないの?
 太盛君はあなたみたいな日本人のフリをした外人に興味ないから」

「はぁ? グルジアの血が入ってるあんたがそれを言うの? 
 支離滅裂なんですけどー? 
 ボリシェビキは人種国籍関係ないから。生徒手帳読めよ、バーカ」

「うるさい黙れ。今すぐ消えろ。死ね」

「そう言うあんたが死ねばぁ? ヴァーカ」

「はぁ……低能な人間と話しても時間の無駄ね。
 つまらない小言を聞かせてしまって、ごめんなさいね太盛君?
 これ言うの1000回目だと記憶しているけど、
 明日からはこの女を抜きして食事をしましょうか」

それでも太盛は、何事もなかったかのように大きな声で笑い、
「まあまあ。仲良くしようよ」と言う。

大物なのか、バカなのか。きっと後者だ。

「エリカ。クロエ。俺はふたりのことが大好きなんだよ。
 だからふたりに喧嘩なんかしてほしくないんだ」

「またそんな、あいまいなこと言って……。
 ふたりとも大好きとか、そんなの変だよ」

クロエの顔がぷくーっと膨れる。
あの顔、ユーチューブで見たことあるぞ。
クロエはユーチューバーとしての顔も持つ。
あっちの世界では国際アイドルだとか。

「太盛は優しいから、エリカの事ウザいと思ってても口にはできないんだ。
 私は太盛の優しいところも大好きだよ。ううん。愛してるの。だって
 太盛は本当は私の事だけ愛してるけど、そいつを捨てちゃったら、
 かわいそうだから気を使って……」

ここで怒った橘エリカ嬢が、クロエの制服のリボンをつかんだ。
クロエの椅子がガタリと落ちて、食堂内の視線が一気に集まる。

「相変わらず、良く回る舌ねえ。
 二度としゃべれなくしてあげましょうか?」

「太盛……見て。これがこの女の本性なんだよ。
 太盛はこんな奴と関わっちゃだめだよ」

クロエの顔色が急激に悪くなる。
まさか本気で首を絞めてるんじゃないだろうな?
また太盛が「まあまあ。落ち着いて」
と老人が孫をあやすようにエリカの背中に手を置く。

昼ドラの……撮影風景……?
さすがにやばくねえか? 流血沙汰になるかもしれねえ。
ここで食事していいのか真剣に悩む。

それなのに他の奴らときたら、平気な顔して食事を続けてやがる。
食べ終えた男子のボリシェビキらが、席を優雅に立ち上がる。
流し台で、弁当箱を洗っている女子もいた。

おまえら……もっと注目しろよ。
まさか……学園の食堂では……
これが……日常風景だって言いたいのか……?

井上先輩が言う。

「いつものことだから、川口君もすぐ慣れるよ」
「はぁ……そんなもんでしょうか」

中央委員部の女子が通りかかって、井上さんと仕事の話を始めた。
俺には関係ないことなので、マリンと話をしようかと思ったら、

「……」

マリンは太盛たちのやり取りをじっと見つめていた。
感情のこもらぬ瞳で、彼らを見ていた。
眺めていたと言った方が正しいかもしれない。

「ふん」

マリンは鼻を鳴らし、そっぽを向いた。それから食べ終わるまで
一度も太盛たちの方を見ることはなかった。俺には何となくわかるよ。
こいつだって本当は、太盛の隣に座りたいんだろう。
だけど、この世界ではかなえられない夢。それだけのことだ。

「心配しないで。マリーには私がいるでしょ?」

井上マリカ先輩に対し、マリンは本気でウザそうな顔をしていた。

ーーーー

月が替わり、7月。梅雨が明けちまったんで、地獄の暑さが襲来だ。
俺んちは住宅街の一角にある。
家の前のコンクリの照り返しだけでハンバーグが焼けるぞ。
酷暑の中、働き続けてるアリさんたちに敬礼。

俺は収容所から解放されてから、自宅通学に切り替えた。
学園までは自転車で20分の距離なんで、
寮生活をするメリットはないと思ったからだ。

「ミキオー。そろそろご飯の時間よ」

下の階から母の声。夕飯の時間だ。
俺は実家に帰ってから、積極的に料理の支度などを手伝ったが、
どうやら俺が校内でエリート組織に所属していることを知った母から

「家事は間に合ってるから、勉強に専念しなさい。
 あなたは出来がいいんだから、勉強してくれた方が最大の親孝行」

と言われ、マジで勉強に専念している。今は親に甘えておくか。
(学校用の弁当だけは意地でも自分で作っているが……)

ちなみに俺は多くの男子高校生と違い、家事全般はきちんとこなすタイプだ。
収容所時代だって、身の回りの整理整頓は特に素晴らしいと
看守からも褒められていたほどだ。料理も小学三年の時から
母親に教わっていたから、だいたいのものは作れるぞ。

俺は諜報部の仕事だけじゃなくて
通常授業の方でも全国平均レベルで上の方を維持することに成功していた。
たぶん、この調子なら大学のセンター試験もそこそこいける気がする。

ちなみに部の先輩たちのほとんどが通常授業を実質的に放棄している中、
俺は大変に勤勉だとトモハル委員からお褒めの言葉までいただいている。

夕食は基本的に家族三人で取る。母、俺、妹だ。
母は現代の日本では絶滅危惧種の専業主婦。妹は中ニで来年受験。
親父は、仕事で遅くなるからこの時間はいない。今は夜の7時ちょうどだ。
母は几帳面だから、必ず決まった時間に食事を作るのだ。

母は極端に口数が少ない人で、こちらから話しかけない限りは
絶対に話題を作ってくれない。親父も仕事で疲れ切っていて無口な人だ。
おまけに妹も思春期の気難しい年ごろで、いつもムスッとして黙ってる。
うちの家族、どうなってんだ。

残念なことに俺も話題がない……。
だって俺の話題って学園のこと以外ねえもん。
刺激的な学園生活を送っておきながら、その内容の99%は
極秘事項なので家族の前でもしゃべれない。まじで会社員だろ俺。

「あー……その、なんだ? ハルナも来年は受験だったよな?」

「うん」

「そうね。ハルナも来年の今頃は、受験を考える時期になるのよね」

「うん。そうだね」

妹の名前はハルナだ。お下げ髪に眼鏡をかけた根暗ガールだ。
外見で特に描写するようなことはない。

来年は受験だね? そうだね。
そして会話が終わる。 おい!! 終わんな!!

「うちの学園とか最高に楽しいぞ。ハルナにも勧めたいんだが」

「それはいいわね。学園は設備が豪華で楽しそうな学園生活が送れそうよね」

「でも私、バカだし。あそこ偏差値高いじゃん」

また会話が終わる。だから終わんなよ!!

「家族間だと特殊な推薦枠があってだな。
 俺がちょっと生徒会の人に頼めば、
 推薦で入れてもらうこともできるんだよなぁ」

「推薦枠なら、受験勉強をしなくていいから楽ね。
 家族間で推薦枠があるなんて知らなかったわ」

「家族間の推薦ってコネじゃね? それに入ってどうするの? 
 授業に着いていけなければ意味ないじゃん」

会話。終了。

ってわけには、いかねえんだよ!!

理由はこれだ。

校則第28条。
兄弟親せきで年の近い者がいた場合は、
積極的に学園への入学(転入)をうながすこと。
学力が足りない者の場合は、中央委員部と相談の末に推薦枠を利用しても良い。

中央委員部が余計な校則を作ってくれたおかげで、
俺は悪徳業者みたいなノリで妹のハルナをうちの学園に
入学させないといけない……。

ちなみにこの校則はかなり強い。
結果的に入学させられなかったとしても、努力義務を怠ると
処罰が下るんだ……。学力不測の奴を無理やり
入学させて学園にメリットがあるんだろうか……?

「ただいま」
「あらあなた。今日は早いお帰りなのね」

母は、父のスーツの上着を脱がせてあげた。(夏なのに上着?)
疲れ切った顔の父は、ふぅーと息を吐き、席に座る。
いきなり日本酒を開けてガブガブ飲み始めたもんだから、俺たちはあ然とした。

「親父……? 何かあったのか?」

「ミキオとハルナ。ちょうどいい。
 お前たちにもいずれ話そうと思っていたことがあるんだ」

ハルナは、妙に鼻がムズムズすると言って、ハンカチを当てた。
こいつのカンはよく当たる。悪い方にな。

「実は今日で引継ぎが終わったんだ」
「引継ぎって……?」
「父さんな。今月で会社を退職することが決まったんだ」

自己都合退職……だと……?

父の話を要約する。

明日以降は有給休暇(残り三週間分)をすべて消化するから、
実質今日付けで退職したも同然。
退職金は規定内で支給されるが、満足できる額ではない。
再就職先のメドは立ってない。
しばらく家で休んでから、転職活動を始める。

「親父。家の金のことは大丈夫なのか? 
 俺の学費は都合できるのか?」

「それは問題ない」

この日、俺は父の貯金額を初めて教えられたが、
信じられないほど少なくて震えた。
とても俺の学費を払えるレベルじゃなかったぞ……。

だが、うちの家は、株や外貨などの有価証券を多数保有していた。
父が保険会社勤務ということもあり、保険商品も無駄に多数保有。

まず現金を確保するために、中途解約手数料を払ってでも保険を解約することにする。
それを当面の生活費と、俺の学費に当てる。
うちは裕福にも車を二台所有していたが、
まだローンの支払いが残っている一台は売却することにした。

なるほど。これに加えて、現在保有中の外貨を日本円に
戻せばさらに使える現金が増えるな。
最初は貧乏かと思ったけど、実は結構な資産があるじゃないか。

貯蓄型の保険商品は、解約手数料のせいで元本割れは確実だと思われたが、
低金利ながら長年積み立てた分の利息で相殺。損はゼロ。むしろ微益だった。

外貨は、インフレ対策としてカナダ・ドル、
オーストラリア・ドルに両替していたのを日本円に戻す。
こちらもわずかながら金額が増えているらしい。円安の時で良かったな。

株は……完全に元本割れだ。日本株の運用をしていたそうだが、
最近は日経平均の低迷が続いたため、元本に対して3割も
評価額が減っている。この状態で売却するのは痛いな。

むしろ保有を継続して配当金をもらい続けた方が得らしい。
なるほどね。ただ持ってるだけでも株は利益が出せるんだな。

俺は諜報広報委員部で金の運用の仕方を教わってるから、
父の話がすんなり理解できた。
理解できすぎたことが、新たな問題を生んでしまう。

「ミキオ。おまえはずいぶんと金融の知識があるようだな」

「そうよねぇ。金融は大人の世界よ。
 高校生が理解できる話じゃないと思うんだけど」

ざわざわ……。両親の追及をどう逃れるべきか。
まさか仕事で覚えてるとは言えねえ。
俺はサイバー部の所属。世間では悪の組織に違いない。

「ど、独学で覚えたんだよ。今は株がブームだからな。
 それより親父はどうして辞めたんだ?」

無理のある話題の変換。親父は5秒間だけ間を置いてから、

「私は資産運用部で13年も勤務したが、いい加減、相場を追うのに
 疲れてしまってな。細かい話をすると、米国債の買い入れがうまくいかくなった。
 FRBが金利を引き上げる度に、我々はさらなる利回りを求めて保有中の
 国債を売り、さらに新しい国債を買い入れる。その際に発生した損失を、
 保有する別の資産を売却することで補わなければならないんだ」

「確かに米国債の金利は今年の2月に入ってから急騰したからな。
 かと思ったら、待ってましたとばかりに10年債に大量に買いが
 入って金利が急落したり、そう思うとまた一斉に売られて金利が
 戻ったりと。確かにワケの分からねえ相場だよ。
 PERで見るとデュレーションの長い、グロース株なんてすぐ急落するからな」

「ミキオ……?」

やべえ。なんで知らないふりが出来なかったんだ。
もう言い訳するのは無理だ。

「学校で、株に詳しい上級生の人に毎日勉強させてもらってるんだよ!!」

「それにしても専門的すぎないか?
 父さんは高校生の頃はデュレーションなんて
 言葉は知らなかったぞ。金融の専門家が使う言葉だ」

「私は少額で株の運用をしているけど、
 素人だからデュレーションなんて知らないわ。
 ミキオはどうして専門的なことがすらすら出るの?
 あなたは進学理系コースで学んでいる物理や数学とは
 全然違う分野の事じゃない」

「物理や数学もちゃんと学んでるよ。
 前回の期末の結果を見せようか?」

「見たから知ってるわよ」

「な、なら問題ねえな!!」

「ミキオは何かを隠しているようだな。
 お前は隠し事をするとすぐ顔に出るクセがある。
 最近のお前は高校生とは思えないほど大人びたところがある。
 いったい学校で何を学んでいるんだ。親にも言えないようなことなのか?」

父の顔は真剣で冗談を言える雰囲気じゃない……。

「この子ったらね。先月から日経新聞を読み始めたのよ。
 お父さんが読み終わった前日の分をこっそりと部屋に持ち出してるの」

やっぱり……ばれたてたか……。
サイバー部では日経新聞や産経新聞を読むのが義務なんだよ……。
部では電子版が主流だが、うちはどうせ父親が紙面を契約してるんだから
こっちの方が安上がりだと思ったら逆効果だった……。

もうこれ以上の言い訳は不可能だ!!

「すまん。どうしても言えないんだ。
 だが俺は、世の中のためになることを学校で学んでいる。信じてくれ。
 親に秘密にするのは俺に悪意があるわけじゃないんだ。この通りだ。親父。お袋」

俺がテーブルの上で頭を下げると、二人は納得したわけじゃ
ないんだろうが、これ以上の追及をやめてくれた。
俺が風呂に入る頃には、ふたりは今後の家のことで離し続けていた。
夫婦の話し合いは深夜まで続いたそうだ。俺は寝ちまったけど。

ハルナが学園に入りたいと言った。

「私も兄貴の学校に入りたいんだけど」

おい……? な、何を言って……。

「最近投資がブームじゃん? 私も株とかFXに興味あるんだよね。
 お父さんが、兄貴の学校なら投資の専門教育が行われているから
 見学に行ってくれば?って言ってくれたんだけど」

親父よ……。俺の学園を投資セミナーか何かと勘違いしてるようだな。
最近の株ブームは笑止千万だ。
ラインのアプリで100円から投資を始めるとかな。
そんな少額で運用できるほど資産運用の世界は甘くねえよ。

俺は諜報部で実施された授業でこう叩きこまれた。
資産運用は、投じた資産の額に応じて運用益が大きく変わる。
少ないのは論外。だが多すぎても資産の変動幅が広がって
精神的な苦痛が増加し、結果的には判断を誤り損失を出す例が多数ある。

親父の話から聞いた話だが、保険会社は、ボラ(変動幅)が少ない資産で
安定した利回りを求めるらしい。保険の資産運用部は、顧客から預かった
膨大な保険料を原資にしている。急な保険金の支払い、解約に備えなければ
ならないため、ポートフォリオは国債を中心とした債券が中心となる。

ちなみに債券市場において、米国債の保有数のトップが日本と中国だ。
日本は年金基金と保険会社が米国債の最大保有者。
総額は200兆円以上保有している。


「兄貴のカバンに入ってたビラを勝手に読ませてもらったよ。
 別に返さなくていいよね? 地下に屋内プール、
 四階にプラネタリウムあり。庭はイングリッシュガーデン。
 噴水広場にはお弁当を食べるベンチがたくさんある。文化芸術を推奨。
 学校行事には予算をつぎ込み、教師も生徒と一体となり常に全力で取り組む。
 楽しそうな学校じゃん」

表向きは……な。
そのビラは新入生歓迎用のものだ。俺は身内に妹がいるからってんで、
広報部から渡されてカバンに入れっぱなしにしていた。

ビラの内容ではボリシェビキや強制収容所の存在はふせてある。
広報部の奴らが巧妙に隠してるからな。
そこに書いてあるイラストは、堀の野郎のお絵描きだよ。

「それよりおまえ、俺のカバン勝手に開けんじゃねーよ」
「別にやましいものが入ってるわけじゃないんだから、いーじゃん」
「やましいものってなんだよ」
「兄貴の好きなアニメのエロ本とか? カンコレの大和が好きなんだよね」 
「……ませたこと言ってんじゃねえよ。ガキが」

ざわざわ……。
なんで……こいつは俺の秘蔵の同人誌を知ってるんだ……? 
まあいい。

機密関係の書類は絶対に持ち帰らないことが規則で決まってる。
実は家族に見つかったらやばいのはこっちなんだよ。

「来週から夏休みだから
 オープン・スクール(キャンパス)に連れて行ってよ」

何を言うのか……!!

ボリシェビキとしては喜ぶべきこと。兄貴の立場としては反対だ。

几帳面な俺と、ずぼらな妹とは幼い頃から気が合わず、喧嘩ばかりしていたが、
(何事にも面倒くさがりな妹を俺が怒鳴りつけていただけだ)
大切な肉親であることに変わりない。
ハルナみたいな奴が学園の生徒になったら、
いつ生徒会に粛清されてもおかしくない。いや、きっと粛清される。

あの学園は、入学した瞬間に世界が変わる。
自分が普通の日本の学校じゃなくて「ソビエト」に入ったのだと思い知らされ、
学内で発生したことを口外することを固く禁じられる。
不用意に学園の秘密をSNSで漏らして諜報部につかまり、
収容所行きになる奴は後を絶たない。2号室の女子の囚人の過半数がこれらしい。

「やっぱりお前には無理だ。学力が足りねえよ」
「は? 前と言ってること違くね。推薦なら学力は関係ないじゃなかったん?」
「俺だって勉強に着ていくのに必死なんだぞ。おまえテスト勉強ちゃんとできるのか?」
「頭の良い友達を作って教えてもらえばおk。最悪兄貴が教えてくれるんだよね?」

簡単に言いやがる……。これだから小娘は……。

「あまり金のことは言いたくないけどな、
 親父の再就職だってうまくいくか分からねえんだ。
 学園は日本で上から4番目に学費がかかる高校だって知ってるんだよな?」

「その話は前もしたじゃん。お父さんは46歳だから転職活動は難しいし、
 再就職先ではお給料が半分になる可能性があるんでしょ?
 だからこそだよ。私が一円でも多くのお金を稼ぐ勉強をしなくちゃ」

こいつの定義する金儲けってのは、投資だ。
ハルナは汗水を流さずに金を得る方法を知りたがっている。
投資の究極の形は不労所得。
ソ連ではな、そういう奴から全財産と生きる権利を奪うんだよ。

俺は椅子をきしませ、頭痛を押さえるためにおでこのあたりを押さえた。
エアコンの利いた快適な自室で、金融の勉強をしてたらこれだ。
ハルナが俺の部屋に入ってくるなんて、漫画を借りに来る時以外は
ありえなかったんだがな……。

「チューボーのくせに、資本主義的な考えをするなよな……」

「いいじゃん、資本主義。なんかカッコいいし。
 昨日テレビで株で46億稼いだ男性がでてたよ」

うわぁ……。

「最初は100万しかなかったのに、
 それを元手に数年で1億円まで増やしたんだって!!
 マジかっけー!! 憧れる!!
 他にもそういう話、たくさん聞くじゃない」

子供のざれ言だな……。聞くに堪えねえんだよ。

「ちょっと。途中から私の話聞いてないじゃん」

だから、聞くに値しねえんだよ。

「兄貴は投資に詳しいくせに、自分では投資をしない。
 それって兄貴がボリシェビキだから?」

え……?

「なっ……おまっ、今……なんつった? 
 ボリシェビキって言ったのか!!」

「兄貴は高ニ病だからボリシェビキなんだよね」

「高ニ病ってなんだよ!! 中二病なら聞いたことあるが!!
 ボリシェビキは高ニ病なんて粗末なもんじゃねえよ!!」

「やーい。引っかかった。兄貴はやっぱりボリシェビキなんだ」

「ばっ……おまえなっ。めったなことを口にするんじゃねえよ!!
 つかこのことは誰にも秘密……っていうか、どこでそのことを知った!?」

「学校の先輩だよ。女テニ(女子テニス部)の井上さんっているじゃん。
 今でも、たまにうちに遊びに来る人」

「ああ、アイちゃんか。井上さんって呼ぶから誰のことかと思った。
 アイちゃんが、なんでボリシェビキのことを知ってるんだ?」

同じ住宅街に住んでるから、俺とは幼馴染みたいな子だ。
浅黒い肌のスポーツ娘って感じの子。
小学校の低学年くらいの時までは俺も一緒に遊んでやった覚えがある。

「アイちゃんのお姉さんが、ボリシェビキの偉い人らしいから」
「なに!? アイちゃんって姉がいたのか」
「むしろ知らなかったの? お姉さんは兄貴と同じ学校に通ってるんだよ」
「名前は!?」

こんなに世間が狭いとは知らなかった。
人の運命を作り出している神様ってのは、たぶんどこかにいるんだろう。

それから数日後、学園の食堂にて。

「確かに面白い偶然だね。
 うちの妹が川口君の妹さんと同じ中学に通っていて、
 ふたりが先輩後輩だったとはね」

俺は井上マリカさんと食事をとるのが自然の流れとなっていた。
今日はマリンがいないので「休みなんですか?」と聞いたら、
「家の都合で休んでるそうよ」との返事が。

「井上さんも、俺の妹のことは知らなかったんですか?」

「うちの妹、家では全然しゃべらない子なんだよ。
 お母さんと仲が悪くて、顔を合わせたくないみたいで
 食事の時以外はずっと部屋でスマホいじってる。勉強も全然しないけど
 遊ぶことには一生懸命だからお父さんにお小遣いを前借りしたりして、
 それがお母さんに見つかって口論になったりして。
 私は静かに勉強や読書がしたいから迷惑なんだよね」

井上マリカ先輩の妹は、井上アイ。三歳下の妹さんだ。
俺の妹も三つ下だが、俺は高2で井上さんは高3。
面白いことに全員の学年は一個ずつずれている。

マリカさんは、自宅の勉強に集中するためだと言い、お父様に
おねだりして3万もする高級イヤホンを買ってもらったらしい。
収入に余裕のあるご家庭はうらやましいぜ。

うちなんて失業してるんだからな。

「川口君のお父さんも、学生の子供がいる身で退職を決断されたのは、
 大変な苦労があってのことだと思うよ。お金の運用のプロの人だから、
 子供が満18歳を迎えるまでの学費が払える見通しがあるからこそ、
 今の段階で失業したとも考えられるね」

「株とか保険を売っちまえば、それなりにお金は都合できるらしいですけどね。
 親父の再就職先も心配ですが、俺の大学の学費は、
 もう絶望的と考えた方がいいですかね」

「大学なら、奨学金制度があるけど……」

「あれって典型的な悪徳商売っすよね……」

「うん。残念ながらそうなのよ」

奨学金制度は、元金(借入総額)を利息付きで返済するのだ。
大学を出たばかりの若者の平均年収は想像以上に低く、
仮に都内で独り暮らしをしたと仮定すると、
実質手取り金額の過半を住居費で失われる試算になる。

親元を離れ独り暮らしをすると、食費、光熱費、租税など
生活コストが極端に上がるだけでなく、
都会の物価が高さが追い打ちをかける。
さらに若者は3年以内に離職する率が高い。

一時的に無収入になり、しかも貯蓄がない場合は、
債務の返済は繰り延べとなり、
通常の金融機関なら罰として利息を引き上げる。

これでは、返済の見通しは全く立たないと言っていい。

現在までに奨学金基金は、債務不履行者が圧倒的に増加して破綻寸前にある。
我が国においては『実質的に一生返せない借金制度』となっている。

債務の返済において最も重要なのは「元金」である。
4年私立大を例にすると、学費全額を借り入れたとして400万程度が相場。
元金を利息付きで長年かけて返済するとなると、
『20キロの重石を背負いながら箱根駅伝の完走に挑戦する』のに等しい。

以上は井上先輩の、ためになるお話だ。先輩の聡明さには本当に頭が下がる。

うちの学園では悪徳商売について学ぶこともできるから貴重だぜ。
他の学校でも金利の勉強とかさせるべきだと俺は思う。

ちなみに奨学金に代わる制度で
自民党が考えた給付型の奨学制度も、あるにはあるらしいがな……。

「井上さんの家がうらやましいっすよ。
 お父様が法律家だから高収入なんでしょ?」

「それがねぇ。実際はそうでもないのよ」

先輩のお父様は、法律事務所を運営している所長殿だ。
長年、人の事務所で働いていたが、40を過ぎたのを契機に独立。
それで商売が必ずしもうまくいったわけでもなかった。

自ら事務所(不動産)を保有したことから、経営は大赤字から始まる。
何より辛いのが「自分で看板を立てないと」仕事がもらえないことだ。
自分がそのものが店の看板なのだ。
「井上法律事務所」の名前と信用こそがすべてってわけだな。

お父様は、M&Aやファイナンスなど最先端の企業法務を取り扱う法律事務所から、
離婚や相続などの個人の法律問題を解決する弁護士へ転向した。
都会型から田舎型への転向。地域に密着した事務所を目指していた。

これは異業種へ転向したようなもので、
些細な手続が分からなかったり、顧客の人間関係で苦労したりして、
なかなか前に進めない泥沼を味わい、ストレスから金遣いが荒くなった。

(あんまり大きな声では言えないが、都会の人より田舎の人の方が
 教養のないバカが多く、対応するのに苦労するらしい)

顧客の債務整理の相談に乗る一方、
遊びに目覚めて自分の債務を増やしちまうような、
困った時代もあったそうだ。井上先輩が中三の時らしい。

「川口君の家は借金がないだけましだよ。
 うちなんて事業をやってるのと同じだから常に赤字を抱えてるんだよ。
 借金を返すために必死で働かないといけない。お父さんが
 50代になるまで借金を返し続けないと黒字にならないんだって」

「そうなんですか……。やっぱどこの家庭も苦労してるものなんすね」

「人の家庭の事情なんて、ふたを開けてみないとわからないものだよ。
 資本主義の世の中は信用と借金で成り立ってるようなものだから。
 たとえば、外見は立派な庭付きの一軒家だけど、
 実は家計が大赤字で住宅ローンを滞納していたりとかね」

井上さんは法律の専門家の父上をお持ちなので、
そっち方面はずば抜けて詳しい。

俺は今日、すげえタメになる話を聞けた。

「俺の車、って男の人は言うでしょ? 
 あれって実は正しくない表現なのね」

車を購入する人の8割はローンを使用する。

ところが法律的には、彼の車ではないとされる。
理由はこれだ。

占有権 → 彼にある。
所有権 → ローン会社(金融機関)にある。

「債務の返済が済んでない状態では、車の所有権は搭乗者に帰属しないのね。
 正確には、車の代金を払い終えてないんだから、一時的に使わせてもらっている。
 これを占有権と呼ぶ。将来、必ずローンを完済しますって約束の元、車の占有権を得ている。
 こういうシステムなの。住宅の場合も全く同じ。お金の規模が違うだけで」

例:公園のベンチに座る。
  →占有権を得ている。でも「俺のベンチだ!!」とは誰も言わない。

金を一括で払える奴は、直ちに車や住宅の所有権を得られる。
しかも金利を支払う必要もないので、
トータルで考えると、かなり金が浮いた計算になる。

まさにストレスフリー。
金融の世界ではストレスをためないことも重要だとされている。

「ずばり、資本主義の本質は金を持ってる奴が圧倒的に有利。
 資本主義の法律は、金持ちほど偉くなるように作られている」

「そういうこと。お金持ちの人ほど、生活に余裕があって
 よく勉強するから、投資が上手でさらにお金を増やせる。
 国のレベルだと、税収の多い国ほど、大胆な税制策を行って
 ますます国が豊かになる。
 これって逆に言うと、貧乏人は死ねって言ってるんだよ」

「確かに……。貧乏な国ほど、普段の生活に必死だから
 勉強する時間が取れなくて、ますます貧しくなってる感じはありますね」

「だからうちのボリシェビキの人たちは、このふざけた制度を
 まず法律の面から改革しようとしてるんだけど……その前にまずは憲法からかな。
 憲法の話をしたら止まらなくなるからここでは控えるけど、
 革命を起こして貧乏人中心の世の中にしようだなんて、夢物語なんだけどね」

「井上さんほど聡明な方でも、そう思うんですか?」

「聡明? ありがと。昔ね、イギリスのチャーチルがこういう格言を残していてね」

・経済学を学び、若くして社会主義に目覚めない者は、情熱が足りない!!
・いい歳してまだ社会主義を信じてる奴は、知性が足りない!!

「過去の判例……じゃなかった。過去の失敗事例をいくつも照らし合わせれば分かること。
 東欧、南欧、東南アジア、中南米で社会主義国家が生まれたけど、
 いずれの国も資本主義国より豊かになってないんだよ。経済学の観点から見ると、
 これは完全に失敗してる。社会主義は資本主義より劣ると結論付けるに値すると思う」

「あの、失礼ですけど、それでも井上さんはボリシェビキとして働いてるんですよね?」

「ナツキがしつこいから……仕方なくね。
 本当は今すぐ自分のクラスに復帰してクラス委員長でもやっていたいんだけど」

井上先輩は中央委員部に所属している。アドバイザー的な立場にいるらしい。
会議にはすべて出席して、代表らから相談されたことに着いて意見を言うのが仕事。

他にも助言が必要な部には幅広く対応する。
この時、初めて教えてもらったんだが、
広報部のビラで日本の政治批判の文章を書いてるのは、なんと彼女だったのだ。

「私の持論なんだけど、もし日本の政治がナツキたちの言うように本当に
 腐りきってるとしたら、勝手に崩壊するのを待てばいい。
 日本国民だって、そこまでバカじゃないだろうから、自民党が今と同じ
 悪事をあと30年も続けたら、さすがに国民も我慢の限界になるだろうし、
 他の政党を選ぶ可能性だって十分に考えられるよ。
 もちろん国政選挙ってまともな方法でね。暴力革命はダメだよ」

『腐った納屋』の話を聞かせてくれた。その昔、アドルフ・ヒトラーが
ソ連の脆弱性を揶揄して使った言葉だが、井上さんも好んで使う言葉らしい。

自民党支持基盤である、高齢層の人間も30年もすれば全員いなくなる。
その頃には自民党が第一党でいられる支持基盤を失うことになるわけだから、
別の党にも必ずチャンスが巡る。新興政党もたくさんできることだろう。

「どんな政権も長く続けば、世襲人事を採用するようになる。
 盛者必衰の理。どんな強い国も必ず滅びている。
 昔ヒトラーが言っていた千年帝国なんてものは、実は存在しない。
 大国は分裂したり合併を繰り返して衰退し、やがては他国に攻め滅ぼされている」

「今の自民党も国家の衰退期の象徴だと、
 あなたの文章(ビラ)には書かれていましたね」

「一番わかりやすい例が、為替かな」

「えっ、為替ってあれですか? 外国為替?」

「そうそう」

ここからは金融の話になった。なぜ為替が日本の政治に関係があるのか?

「スマホのリアルタイムチャートとかで調べて見なよ。
 対円で、主要通貨のここ数か月間の値動きはどうなってる?」

「今年に入ってからすげえ円安になってますね。
 円安に歯止めがかからないってことは……
 円が主要通貨に対して売られまくってるってことですか!!」

「さっすがだね。君はよく勉強してるお利口さんだ」

井上さんが楽しそうに微笑む。弟に接してるみたいな態度に少し照れ臭くなる。

「これは現実世界の話になっちゃうけど、日本政府は2021年の春前に
 発生した変異株に対するコロナ対応の遅れから、直近では1-3月期の
 GDP成長率がマイナス成長になってしまった。
 中国、アメリカ、ドイツに大きく差をつけられてしまった。
 6月以降も事態宣言が延長となれば、
 短期的には日本は景気後退期に差し掛かっているといえる」

                 ※この文章は2021/5/25 に執筆しています。

「2020年度予算案では、特別会計で10兆円の予備費を計上しながら、
 日本政府はコロナ対策について何もしなかった。だっておかしいでしょ?
 現在までにOECD加盟38か国の中で接種率が最低。生きるか死ぬかの
 内戦で苦しんでいるミャンマーと同等の接種率って」

「しかも余ったワクチンが、たくさんあったそうですね。
 消費期限が切れたのは廃棄するしかないとか。もう馬鹿すぎますよ。
 そうなる前に何で打たなかったんでしょうか?」

「さあ? 支持基盤の老人が副作用で死んだら支持率が下がると思ったんじゃない?
 今やワクチンの接種率は、国内総生産に最も影響を与える条件となった。
 接種率の高い国ほどリセッションから回復の傾向にある。でも日本は?
 今さら五輪を開催するために急いで接種会場を用意しても、
 電話回線は混乱。ネット予約は開始後30分で満員」

「接種率はイスラエルは6割、イギリスで5割、アメリカは3割でしたっけ?
 それに対して日本はたったの0.5%。話になりませんね」

「外国為替市場では、今年の2月ごろから、どんどん日本円が売られている。
 ポンド、カナダドル、スイスフラン、オーストラリアドルなど、
 どこの通貨に対しても日本の円は弱い。買われる理由がないからだよ」

「今は各国の中央銀行が盛大に規制緩和をして市場をドーピング。
 ビットコインも暴落しましたよね。
 株式市場も、いつこのバブルがはじけてもおかしくない。
 金先物価格が上昇してる状況で、
 日本円が安全通貨として買われないのはおかしいです」

「そうそう。日本は財政赤字がすごいけど、対外純資産において世界のトップ
 つまり為替市場、債券市場では日本円の価値は本来なら高いはず。
 それなのに売られてる。なぜなら……」

※ここからは三人称

外国為替市場は、こう言っているのだ。
 
「日本の政治はアホだ」
「円を買う価値などない」
「日本株も買う価値がない」
       ↑3月以降、東京市場には外資から買いが入らないどころか、
       日経平均を構成する主要な株は本決算後に「盛大に」暴落してる。
       東京市場の時価総額の7割が外人に支配されている現状では致命的である。

外貨とは、その国の政治情勢を考慮して買われるものである。
政治が不安定な国の通貨は売られるのが自然の流れだ。

たとえばトルコのような政情不安定な国は、政府が発行した
国債の信用が失われるたびに国債が大量に売られ、結果的に通貨も暴落する。

五輪開催に関しても、先進各国の新聞記事では

フランス紙「日本政府はバカだ」
ドイツ紙 「日本政府は頭が悪い」
アメリカ紙「日本政府は頭がおかしい。バッハはもっとおかしい」

と言っているのだ。
これらの記事はワイドショーやニュースでも散々ネタになってる。

我が国民の反応も

「スガ政権はバカだ」
「自民党は狂ってる」
「国民の生命と財産を守るどころか、奪ってるじゃねーか」

と言われ、5月時点でついに支持率を不支持率が上回った。
ふつうなら解散総選挙の流れである。

国民の世論の過半数が五輪を支持しないのに、強硬開催を目指すとは。
おまけに五輪のブラックボランティアの問題など、
自民党とは独裁政権と考えて間違いないだろう。

そのため、5月の日経新聞の記事に、「竹槍」で武装する女性の
イラストが公開され、全世界に波紋を呼ぶことになった。

これは、日本経済新聞社が、
「五輪に挑む無謀な政府。80年前から進化してない」
と皮肉ったものであり、正真正銘の実話である。
普段から自民寄りな記事が目立つ、
日本の金融の大御所でさえ、半自民党を表明したのである。

マネックス証券のチーフ・ステラデジストの『広木隆』さん。
専門家の中でも日本株において最も強気な見通しを示し、
2021年度初頭の日経平均三万越えを、
1年前の大暴落時から正確に予言していた「慧眼の持ち主」
と定評のあるこの人物でさえ、日本の政治をこう評価した。

「世界から見て、日本はもう後進国と見なされてると思いますよ。
 僕としても政府がここまでひどいと、もう先進国と見なすのは難しいです。
 今日本株が買われないのは、日本が後進国だからでいいと思います」

アノマリーによると日本株は、4月の強気相場で力強い外資からの
買いが入るはずが、日経225を構成する主要なグロース銘柄が
大暴落を続けた。執筆時点まで株価回復の見通しは全くなく、
活況な欧米各国の株式市場に対し、出遅れているのが現状である。

日本株に対し買いをつける外資とは

BNPパリバ
ABNアムロ
クレディ・スイス
ドイツ銀行
シティグループ
JPモルガン
ゴールドマン・サックス

などのかつての列強国(独仏英蘭瑞米)の大手金融機関である。
日経の上昇相場を支えるのは彼ら『巨人』であり、
日本の金融機関ではない。

なお、日系企業は、4、5月の本決算で過去最高益、
増配を記録した企業が目立ち、業績はすさまじく好調である。
にもかかわらず、

株式市場の答えは、「日本株は全部売っちまえ」である。
その答えは政治への不安である。

彼らの多くが東京五輪強硬開催が、日本を震源地とした新たな
クラスターの発生だと懸念。またワクチン接種も一向に進まないので
「日本政府は世界で一番頭が悪い」と評価しているのである。

この作品では諜報広報委員部のスパイが、将来国家を転覆させようと
考えているようだが、本当のスパイとは自由民主党の閣僚たちであろう。
なぜなら、誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に国家を衰退させてくれるのだから。
五輪に関して自民党は国際テロリストに匹敵すると私は考えている。

マリカは会議に参加した。

    第232回。中央委員会、定例会議

※マリカ

学園が月末にやってる会議を定例会議と呼ぶ。
月初にも別の会議をやるかど、どっちも似たようなもの。
会長、副官、副会長(粛清、不在)、各委員の代表が集まる。

ボリシェビキは、話し合いをするのが好きなインテリばかり。

「保安委員部の代表の後任は、まだ決まらないのか?」
「ええ。残念ながら立候補しようとする者が未だに現れません」

会長の問いに答えるのは、中央委員部から派遣された近藤サヤカさん。
昨年までは三つ編みだった髪をほどいてストレートにしている。
神経質なA型女性って感じで、ちょっと近寄りがたい。

「だって昨年のアレがあったんだからw
 今じゃ誰も手を上げないっすよw」

このチャラい人物の名前は、山本モチオ君。
彼も中央委員部から代表代理として選ばれて会議に参加している。
サヤカさんとは正式なカップルとして
認められており、会議には『中央委員部・共同代表』として参加している。

(本来なら中央委員部の代表は校長なのだが、校長の職務上、
 外部とのやり取りで忙しい。そのため実質的に代表権を彼らに譲っている)

モチオ君に関しては女子の間で好き嫌いが分かれるけど、私は面白いと思う。
初対面なのに家族構成とか、好きな食べ物や趣味の話を聞かれて驚いたけど、
彼がただの話好きで、しかも嘘を一切つかない人なんだと知ってからは、
かなり打ち解けた。彼は自分のプライベートなこともどんどん
話してくれるから、ナンパ好きな外国人と話してるみたいで楽しい。

「チャカすのやめなさい。モチオ」

「でも事実っすよ。サヤカw
 事実は事実として認めるのがボリシェビキですよね?」

「そりゃそうだけどさ。会長の前で口を慎みなさいよっ」

彼の言う、昨年のアレとは……。

中央委員部の規律のゆるみを正すために、
軍事顧問のアナートリー・クワッシーニを派遣したナツキの失態のことだ。
アナートリーの厳しすぎる訓練のせいで保安委員部から大量に
脱走者が出てしまい、あと一歩で崩壊するところだった。

その後、いろいろあって組織を再編した。
前代表のイワノフさんが相当な苦労をしたおかげなのだが、
彼はもう卒業してしまった。しかし後任者は
今日まで決まらなかった。これが今日の議題の一つだ。

「すまないね。中央委員部にはいつも迷惑をかける」
「そんなっ。とんでもありませんよ会長」

サヤカさんが恐縮する。心なしか顔が赤い。

「私たちの方こそ力不足だと思っています。
 人事権を与えられておきながら、
 保安委員部の代表者を未だに決定できずにいるのですから」

一応、保安委員部からは事務員?って感じの
おとなしそうな男子が三人きてるんだけど、一言もしゃべらない。
この人たちは言っちゃ悪いけど、いる意味ない。

会議に参加したくないけど、無理やり来させられた感が半端じゃない。
そのうちの一人は日本語の分からない南米の人だし。

「とにかくですね」

とトモハル委員が咳払いをする。

「現在の保安委員部には、後継者として適切な人物が現在までに
 見つかっておりません。皆さま、お忘れですか!!
 わが校はまもなくオープン・スクールを迎えるのですよ!!
 幹部候補生がわが校を訪れるこの時期に、保安委員部の代表が不在とは、
 由々しき事態であります!! もっと緊張感をもっていただきたい!!」

生徒の勧誘にも種類があって、
一般生徒と、幹部候補生には分けてある。
特に見込みのありそうな中学生は、
初めからボリシェビキとして採用するのだ。

その際に各代表は挨拶をし、早い段階から所属部を決めてもらう。
そんなわけで代表が不在だとまずいわけだ。

保安委員部は現在ボリシェビキの中で最も立場の弱い部署。
最近では学内の反乱が少なくなったことから暇な時間が多く、
『体が動けば誰でも務まる』『三流ボリシェビキの集まり』
などと他の部から馬鹿にされていた。

諜報広報委員部のエリートたちは、特に彼らを見下していた。
新入生たちから一番人気があるのも諜報広報委員部なのだから
プライドが高いのだろう。

……ん? 今思い出したけど、
ナツキの妹も幹部候補生として入学したんじゃない。

「あのさ。ナツキの妹はどうなの? 
 所属は保安委員部ってことになってるけど」

「おおっ。さすがは井上参考人殿。すばらしいご意見です!!」

トモハル君は私の太鼓持ちをしてくれる。
声デカすぎてウザい。ここ野球場じゃないから。

「妹のユウナは……ちょっとな。
 兄の僕から見て、あの子に代表になれる素質はないと思う。
 僕は推薦しないよ」

「あっそ」 ←私

「ふむ!! それは残念なことです!! 同志ユウナも会長と同様に
 大変に聡明な人物との評判ですが!! ならば代案として、
 やはり他の委員部からの引き抜きしかありませんな!!」

サヤカさんが渋い顔をした。私も同感だ。
現在までに保安委員部の評判は最悪だ。
さっきも説明した気がするけど、最近では学内で目立った反抗もなく、
仕事はほとんどない。実はこれは私の功績でもある。

私は助言役、参考人として、ボリシェビキの指導要領の一部改変を指示した。
それは今まと同じく生徒を力づくで服従させるのではなく、
生徒の教養を向上させて、自ら資本主義の矛盾に築き、
ボリシェビキを目指すように仕向けるというもの。

そうしたら自然と逮捕される人は減った。
更生して刑期を終える囚人が増えた。
考えてみれば当然の話で、まず自民党がなぜ
頭が悪いのかを理解するだけの頭もないのに、
社会主義のことがわかるわけがない。

政治のことは高校生には分かるわけがないと切り捨てるのではなく、
頭が一番柔らかい今の時期に政治の勉強をする時間をもうけ、
しっかりと政治思想を刷り込んだ方が、
洗脳するのにはベストと私が結論付け、生徒会がその通りにしたのだ。

「ちょっとあなたたち、さっきからずっと下向いてるけど」

サヤカさんから保安委員部の三人へ向けた言葉だ。
すごいアニメ声なのに口調は厳しい。

「あなたたちの委員のことで話し合いをしているのよ。
 会長なんて体調不良なのに無理をしてらっしゃるのに。
 ボリシェビキの自覚があるなら、少しは自分の意見を言ったらどうなの?」

「はいっ。すみません」
「すみませんっ」
「スミマセン」

事務員の三人は、RPGで例えると村人ABC。
とても会議に参加できるだけの器じゃない。

「イライラすんなよサヤカぁ。見ろよあいつら、びびってんじゃんw」
「イライラしてないわよ。事実を言っただけよ」
「まあ、イラつくのも分かるけどさ」
「だから、イラついてないってば」
「はいはいw」

モチサヤの夫婦漫才は置いておいて、
私が今一番気にしていることは、会長の後任の方だ。
副会長の席もミウが粛清されてから、半年以上も不在のまま。

特に副会長の席は、いっそ抹消した方がいいんじゃないかとすら
噂されていた。粛清されたミウの呪いを恐れてのことだ。

この学園では、会長の任期は三年生の11月まで存在するけど、
私が心配してるのは、ナツキがそれまで生きているか、ということだった。

「ゴホッ、ゴホッ……。ナージャ、すまないが水を」
「ナツキっ!!」

ナツキは、車イスに乗せられていた。ナツキは今年の春から
人前に出ていない。昨年まで元気だったのが嘘のように弱ってしまい、
髪の毛に白髪が混じって瞳に生気がなく、
自分の足で立つこともできなくなった。

半身不随の状態が続いているらしい。
車イスに座るのも、少し横に体を傾けないと、座れないようだ。
だらしなく座ってるように見えるけど、これが彼の精いっぱいなのだ。

日常の世話は、全て副官のナジェージダが行っている。
ボリシェビキ幹部の全員が思ってるけど口にしないことがあった。
『同志閣下のお姿は、晩年のレーニンにそっくりだ』

ナツキは要介護状態だ。
ナジェージダも変わり者の女で、イワノフと同学年だったから
本当なら卒業しているはずだが、自ら校長に頼んで留年した。
この女のナツキに対する愛は深い。
卒業してから再度この学校に就職する道もあったのに、あえて留年とは。

ナツキが弱っていくと、介護をしているこのロシア人まで
命を奪われていくような気がして、見ていられなかった。

「部下の前でみっともない顔してんじゃないわよ。ナツキ。
 あんたは会長なんだから、しゃきっとしなさい」

「ああ。マリカの言うとおりだ。だがすまないね。
 今日はいつもより頭がフラフラしてしまうんだ」

声が小さくてほとんど聞き取れなかった。
彼の指先は、不自然に震えていた。
瞳の焦点が合ってない。本当に末期だ。
私は思わず泣きそうになってしまったけど耐える。

「ふーん。風邪じゃないの? 少し休憩室で休んでなさいよ」
「しかし会議が……」
「あんたじゃ頼りないから、私が代わりにやっておいてあげるわよ。
 今日の議題は全部頭に入ってるから、あんたは休んでなさい」

ナツキは頷いた。
ナジェージダが、私に深くお辞儀をしてから車イスを押した。

彼らの背中を見送ると、また目頭が熱くなってしまう。
私の中で、彼を失いたくないって感情が爆発しそうになる。

「さてみなさん。ただいまより不肖井上が司会を務めます。
 まず保安委員部の件は代替え案が見つからないため、保留とします。
 続いての議題は、秋の生徒会総選挙に向けた
 会長と副会長の後任人事ですが……」

私はナツキから遺言状のようにお願いされたことがある。

会長と副会長は、必ず元囚人から選ぶこと。
温室育ちのエリートは除外すること。
成績が特に優秀か、学園の人気者を選ぶこと。

ナツキは自分が会長の器じゃないとよく言っていた。
この学園の会長のイスは、雲の上の存在。
雲からどれだけ下界を見下ろしても、地上の実態なんて分かりやしない。

一番愚かなのは、ミウを殺してしまったことだと言う。
あの子を生徒会に勧誘したことが、自分の一番の罰なのだと。

私はミウの親友だった時期もある。ミウは権力を握ってから性格が変わった。
ミウはあんな子じゃなかった。人の苦しむ顔を見て
笑ってられるような子じゃなかった。声が小さくてオドオドしてる子だった

『マリカ。もうボリシェビキだとか、そんなことじゃないんだ。
 今の学生は賢くなった。自分から資本主義の矛盾に気づくようになった。
 今はアキラ会長のような暴力制裁は時代遅れなんだよ。
 必要なのは人望だ。みんなの苦しみを分かってあげられる、
 優しい人物が、会長と副会長になるべきなんだ』

ナツキが、斎藤マリーを副会長に望んでいたことは知っている。
だからもう一人の候補の名前を、私は上げることにした。

「あくまで候補ですが、副会長には諜報広報委員部に所属する川口ミキオ君」

「なんですと!!」

トモハル君が席を立つ。

「彼は私の部下ですぞ!! 7号室上がりでまだ新人です!!
 彼をいきなり副会長候補にとは、いくら井上参考人とはいえ、
 正気の沙汰とは思えませんぞ!!」

「まあまあ、抑えて」

とサヤカさんが言う。上級生に言われたのでトモハル君が着席する。

「私は中央の人間ですから。その川口という人物を知りません。
 参考人がその人物を推薦する理由を教えてください」

「まず、会長の求める元囚人という条件を満たしています。
 そして成績が優秀。保安委員部のデータによると、
 囚人時代も通常授業の成績はトップクラスです。内申点もほぼ満点。
 諜報部に移籍後も、研修中の能力査定は平均が9.6点」

私は事前に用意していた書面をみんなに見せてあげた。
どんな立派な意見でも立証する手段がないと意味がないから。

「これは……文句なしに優秀な人材ですね……。
 うちの部に欲しいくらいです。
 井上さんがそこまで薦める人でしたら、
 考える余地はあると考えるのが妥当でしょうか」

「あとで彼と面談をするはどうですか?」

「いいですね。彼との面談は、中央委員会で引き受けます」

「ありがとうございます」

「それでは会長候補はどうされますか?」

「これにも推薦したい人がいます。二年生の斎藤マリエです」

トモハル君が失笑し、モチオ君があからさまに嫌そうな顔した。
サヤカさんの眼鏡の先の目つきが鋭くなる。

「失礼ですが、私の知っている限りの情報では、斎藤さんが
 これといって優れた人物だとは認識しておりません。
 彼女はどういった理由で推薦されたのでしょうか?」

「斎藤の場合は、成績というより人気ですね。彼女には
 一部の男子がファンクラブに入るほどの人気がありますから、
 組織の顔になってもらうには適切な人物かと」

「では能力は不十分でもあえて採用する。
 実務は他の人に任せると?」

「そうなります」

サヤカさんは少し考えてから、

「……私は反対します。まず、彼女の勤務実績についてです。
 昨年は各委員部を見学しながらも、結果どこにも所属せずに
 ニート期間があったことが一つ。次に保安委員部に在職中の現在も、
 勤務中にぷらぷら他所の部へ出歩いていることが報告されていますが」

「大丈夫。きっと生徒会長になれば自覚が芽生えるはずです」

「……斎藤さんの件になると急に適当になりましたね。
 斎藤さんと井上さんは懇意の仲だと聞いています。
 先ほどの川口君ともよく食事をとられているようですし、
 どちらの候補者も個人的な感情で選んでいる可能性を否定できますか?」

「個人的な感情かどうかは近藤さんの想像だと思います。
 私なりに一生懸命に知恵を絞って選んだのが、そのふたりなのです。 
 私には他の候補者は思いつきませんでした。たまたま両候補が
 私と仲の良い人物だった、という結果に過ぎないでしょう」

「そうですか。全く納得のいく回答ではありませんでしたが、
 井上さんの意見は以上でよろしいですか?
 では他の委員の意見を聞きましょう」

トモハル君は、両方の候補に容赦なくダメ出しをした。
特に川口君が自分を差し置いて偉くなるのが我慢ならないらしい。
最初は青少年ボリシェビキって感じだった彼も、
ずいぶんと政治家臭くなったものね。

保安委員部の代表三名は、トモハルの発言をオウム返しした。
きっと脳みそが入ってないのだ。彼らには初めから何も期待してない。

モチオ君は……

「それよりみんな!! すげえ大切なこと忘れてませんか?
 川口って、かつての堀太盛、暗殺未遂事件の犯人だってことww」

「た、確かに」とトモハル君。

「そういえば、そんな人いたわね!! あの時の彼か!!」
 冷静なサヤカさんでさえ感情的になる。

「彼は危険っすよww 元囚人ってことで
 実は生徒会に恨みを抱えてる可能性が高くないっすか?
 俺、一応太盛の友達なんでww 臨時派遣員として保安部に派遣されて、
 太盛が刺された時、本当に泣きそうになったんすよww 
 俺は川口の事、今でも許せねえし、大嫌いっすwwさーせん」

「モチオ委員のおっしゃる通りですな!!
 臨時派遣委員の男子を刺すなど、言語道断ですぞ!!
 彼を無罪放免にしてしまった、
 会長のご判断にも疑問を感じるところであります!!」

「なあwwサヤカはどう思うんだよ?」

「私も個人的な感情としては、彼のことは許せないわ。
 むしろ井上さんの考えていることが読めない。
 川口君や斎藤さんを後継者に選んで
 ボリシェビキのためになるとは思えないもの」

サヤカさんは、モチオ君に部下を議事録の速記を止めるように伝えた。
スマホのストップウォッチも止めるように指示した。

「ここからの話し合いは記録に残さないわ。
 これで本音で話せるわよ。
 さあ井上さん。無駄な腹の探り合いはやめて、
 あなたの本心を聞かせて頂戴」

「いいけど……そこの三人には帰ってもらってよ」

保安委員部のザコたちはすぐに消えた。
ついでに速記係の部下にも帰ってもらった。

「これから話す内容はちょっと長くなるけど、みんな時間は大丈夫かな?」

三人の代表は深くうなずいた。

会議の続き。マリカは演説をした。

※マリカ

議事録の進行を止めても、
会議室には監視カメラ、盗聴器が仕掛けられている。
この学園では、監視されていない場所などないのだ。

サヤカさんは、公式記録(議事録)に残らない程度の
暴論は認める意味で、私に発言をうながしているのだ。

それにボリシェビキ中枢である中央委員会の会議室を
盗聴する権利を有するのは会長と副官のみ……ならば。

「みなさんは、ナツキの体調不良についてはどう考えていますか?」

サヤカさんとモチオ君が顔を見合わせていた。
トモハル君は、いきなり何を言い出すんだと非難してきそうな顔だ。

「恐れながら!! 会長閣下のご体調は日々悪化していると聞いております!!」
「私も同じように聞いています」
「俺もっす。ぶっちゃけ、いつ死んでもおかしくねえよ」

無礼だぞ!! とトモハルがモチオに注意するが、スルーされた。

「私も同様に認識しています。では」

私はここでタメを作る。

「体調を崩した原因、病気の原因はなんだと思いますか?」

「むむ……」

トモハル君は答えられない。
過労だなんて言おうものなら、退席させていたところだよ。

「あの方は、冬の間からずっと悪夢を見ているんでしょう?」
「サヤカさんは心当たりがありそうですね」
「まあね……。私も冬休みは臨時派遣委員だったもの」

意外と話がすんなりと進んだ。
7号室に臨時派遣されたサヤカさん、モチオ君、クロエさん、堀君の四人は、
就寝時にミウの悪夢を見たそうだ。彼らがミウの夢を見たのは一度だけ。
私のマリーも数日間悪夢を見ていたが、今は見てない。

ナツキは違った。
ナツキは今日までミウの悪夢にうなされ続けている。
人の信念は強い。人の姿が消えても人の心は残る。
学園のボリシェビキに深い恨みを抱き、地縛霊となったミウは
今もナツキを苦しめている。

ミウだけじゃない。7号室で非業の死を遂げた
多くの魂が、今もナツキに寄りかかっている。
死んだ者の魂は、会長の席であぐらをかいているナツキを許さない。
何の苦労もせず、何の苦しみもなく、
この学園を生きたまま卒業させるつもりはないのだ。

「みなさん!! なにをおっしゃるのですか!!
 幽霊だか地縛霊だか知りませんが!!
 非現実的すぎますぞ!! って、みなさん……?」

私たちの顔は真剣だったから、
幽霊を信じないトモハル君は明らかに少数派だった。
民主制を尊ぶボリシェビキでは少数派の意見は抹殺される。

「なるほど。では元7号室出身の彼らなら、
 囚人に呪われる心配がないから、
 会長と副会長の後任にぴったりってこと?」

「まあ……ね」

「井上さん……。私がマリーさんを嫌う理由はちゃんとあるんだよ。
 今だから、ぶっちゃけて言うけど、あの人って堀君にラブじゃない。
 食堂でも堀君をすっごいにらんでたわよねぇ。
 まだ彼をあきらめてないんでしょ。
 恋愛関係のトラブルの火種が会長になるのは迷惑なんだけど」

「あっ、それに関しては俺も同感っすww
 クロエたちのガードが堅いから、
 斎藤さんはどうすることもできねえww
 情緒不安定な女に権力を持たせたら大変なことになりますよww
 零細企業の女社長とかその典型例っすよねww」

「堀先輩に対しては、私の方から注意することもできますが!!
 いくらボリシェビキ内の恋愛は自由とはいえ、
 彼の態度は目に余るものがあります!!」

問題はそれだけじゃない。たぶん川口君はマリーに気がある。
その件でマリーと堀君を巡る、新たな三角関係になったらやっかいだ。
そこで私には案がある。

「じゃあ堀太盛を暗殺しましょうか」

「な……?」
「はぁwww?」
「一体何をおっしゃる……?」

私は大まじめだ。ついに父譲りの奥義を発動することにした。

「みんな、これから言うことをよく聞きなさい!!」

私がテーブルに握った拳を叩きつけると、
その衝撃で三人は床を転がる。

壁時計は崩れ落ち、天井に仕掛けられた監視カメラ(キヤノン製)の
レンズには亀裂が生じる。机の下の盗聴器は爆発して煙を吐いた。
偶然にも足利市上空を飛行していた旅客機も、操縦を誤りそうになった。

「い、井上マリカ殿っ。いきなりご乱心か!?」

「そもそもよく考えてみなさい。ミウは決して悪い子じゃなかったのよ。
 ミウが狂ったのは、堀太盛と関わるようになってからなんだよ。
 堀太盛の件がなければ、ナツキがミウを生徒会に誘うこともなかったし、
 ミウが暴走することもなかった!!」

「な、なるほど。一理あるかもしれませんな……!!
 しかし、それで殺す理由になるのですか」

「そうよ井上さん。ちょっと落ち着いて。
 堀君を殺害するのと会長候補の件はどう関係するのよ?」

「私は日々苦しみ、老人のように弱っていくナツキを見るのが
 悲しかったら、ミウの呪いを解く方法をずっと考えたの!!
 ミウは成仏してない!! なら一番の原因は何!? それは堀太盛!! 
 奴が今も女たらしなのが原因だと考えられる!! 
 奴が死んで、ミウと天国でイチャイチャすれば、すべては解決するわ!!」

シーン。
会議室はお通夜会場となった。

太盛殺しと会長の件は関係がないのは理解している。
私の一番の望みは、ナツキを救ってあげること。
仮にナツキが死んだとしても、ナツキの願いをかなえてあげること。

ナツキの願いは、自分が死ぬまでに後任を選ぶことだった。
後任はマリーと川口君。堀太盛を殺す件は、私の勝手な願いだけどね。
でもこれだけは誰に何と言われても譲れない。真っ赤な誓い。

「悪いけど井上さんの意見は論理的に破綻…」

「いいから、黙って……全額私に投資しろおおおおおお!!」

私の叫びにより、サヤカさんは4メートルほど吹き飛び、壁に叩きつけられた。
部屋中の窓ガラスが、ハンマーで叩いたかのように割れた。
上のセリフは、妹に借りて読んだシンゲキのキヨジンの影響である。

「これを見なさい」
「な……っ!? それは……まさかっ!!」

私が見せたのは、水戸の黄門様のご印籠ではなく、
三つのスチール製のバッジだった。

・会長(仮)
・副会長(仮)
・保安委員部代表(仮)

「これは、ナツキが私に託してくれたもの。彼が執務不能な状態に
 陥った時、私がこれらの役職を一時的に掌握できるというもの。
 偽物じゃないよ。触ってみる? なお、このバッジの使用については
 事前に副官のナジェージダや校長にも許可も取っているわ」

話を最後まで聞いた三人は、椅子からひっくり返り、
陸揚げされた魚のように床の上をはねていた。
最初に元の状態に復帰したのはモチオ君だった。

「さすがの俺でも笑えないレベルっすよ。
 まさかマリカさんが独裁者になるつもりだったとは……」

「独裁者だなんて呼ばないで。私だって好きでこんなことしてるわけじゃない。
 信じてもらえないだろうけど、私は地位や名誉にこだわることはないの。
 本当なら今でも6号室の囚人でも構わないって思ってる」

「それ、本当なんすか?
 生徒会を私物化するのが目的にしか思えないんすけど」

「違う!! それは全然違うのよ!!
 私は、私なりに考えた結果、堀太盛をこの世から消し去ることが
 今後の生徒会のために最残の策だと判断したまで!!
 今すぐ保安委員部に太盛の捕縛を命じましょうか!!」

「待ってよ井上さん!! いいえ、会長代理!!
 本当に堀太盛君を殺すことが、ナツキさんのためになると考えてるの!?
 今後の生徒会はどうなるのよ!! 堀君が死んだら、
 うちの部のクロエさんとエリカさんは
 気が狂って自殺しちゃうかもしれないのよ!!」

あの二人なら太盛への恨みから反ボリシェビキへ
寝返る未来まで容易に想像できる。よって結論は一つ。

「そのふたりは直ちに逮捕するから問題ない。
 尋問室に監禁し、自殺できないよう監視すればいいことだ」

「はぁぁぁ!? 
 あなた、自分が何を言ってるか分かってるの!?」

「私は大真面目だ」

「待って待って!! 話が急展開しすぎじゃない!?
 お互い冷静に話しましょう!!
 クロエさんたちは、人手不足のうちでは貴重な人材なのよ!!
 校長だって怒ると思うわ。あとで校長も呼んで一度会議を……」

「そのような暇はない。ナツキは明日も分からぬ身なのだ。
 私は一日でも早く、堀太盛を殺したい」

「待たれよ!! 会長代理殿!! 自分から見ても!!
 代理殿が冷静な判断をしているようには思えませんぞ!!
 百歩譲って太盛先輩の逮捕までは認められますが!!」

私が貧乏ゆすりをすると、部屋がぐらぐらと揺れ始めた。
窓越しに見える足利の山々さえ揺れ始め、いよいよ建物が
倒壊する恐れさえ発生した。

サヤカさんが眼鏡をかけ直しながら、

「分かりました会長代理!! 
 とりあえず、クロエとエリカを逮捕することで手を打ちませんか!?
 堀君の件はそのあとで話し合いましょう!!
 これが私たちにできる最大限の譲歩です!!」

「ならん。逮捕するなら堀も一緒だ」

「分かりました!! 三人一緒に逮捕ですね!!」


※三人称

モチオはサヤカに耳打ちした。

(やべーぞ。太盛の身柄を確保された絶対に殺される)
(中央委員部の人間は武闘派じゃないから止められない……)

太盛はトモハルの部下であった。
トモハルはひそかに携帯で部下へ連絡し、
太盛を遠くの場所へ逃がすように指示を出した。

(一番の危険人物はマリカ殿ですぞ!!
 このような人物が独裁者になったら生徒会は終わりだ!!)

これにて会議が終了となった。昨年に続き、またしても生徒会が
内部崩壊しそうな危機的状況となってしまったのであった。

クロエとエリカに逮捕状が出された。

※三人称

7月の海の日。
全校生徒は夏休み期間に突入した。
しかしボリシェビキには休みなどなく、全員が出勤している。

月末に開かれるオープン・スクールに向け、大忙しの時期であった。

学園は学校行事を大切にするため、夏休みには校庭で
キャンプファイヤーや花火大会も行われる。主催者は生徒会。参加は自由だ。
飲食代その他はすべて無料なため、ボリシェビキを嫌わない生徒は多くが参加する。
花火大会のみ、外来の人も参加可能となっており、ここの地域では定評がある。

生徒会内部でもイベントに向けてみなの気持ちが浮つく中、
中央委員の職場にいるサヤカは、非情な命令を下さなければならなかった。

「あ、あのね……橘さん。ちょっと話があるんだけど」

「ごめん。今メールを書いてるの、あと数分で終わるから、少し待ってて」

「メールはあとでいいわ!! それって造園業者に送る依頼書でしょ?
 別に人にやってもらうからね。……廊下に来てくれる?」

「……? いいけど」

エリカの家系は旧ソ連の系譜である。
彼女の動物的なカンは、この時近藤サヤカが
自分によくない知らせを持ってきたことを察知していた。

自分の今までの仕事ぶりには非がない自信はあった。
おそらく恋人の太盛関係の事かと当たりをつける。

「ごめんなさい橘さん。現時刻をもってあなたを逮捕します。
 中央委員会にあなたの身柄を引き渡します」

廊下には、武装した保安院が多数待ち構えていた。
エリカは手錠された腕の感触の冷たさに、めまいがした。
視界が暗転し、動悸がし、立っているのがやっとの状態だった。

「逮捕……? な……ぜ……わたし……が?」
「ごめんなさい。私には答えてあげる義務がありません」

エリカは引きずられるようにして、尋問室に入れられた。
それからクロエも同じように逮捕が宣告された。
クロエは散々暴れまわった後に、
警棒で動けなくなるまで殴られてから尋問室に入れられた。

本来なら別々の部屋に閉じ込められるはずだったが、
サヤカの必死の懇願により、同じ部屋にしてあげた。

「いたた……あんなに強く殴りやがって。
 私は何も悪いことしてないのに……」

「私も……何も悪いことをしてないはずよ……」

エリカは何か規則に抵触したのかと不安になり、生徒手帳を
出そうと思ったが、ここにぶち込まれる前に私物をすべて没収されていた。

「私と……クロエが一緒に閉じ込められる理由……?
 太盛君よね? 太盛君と仲良くしてたのが誰かの気に振れた……?
 太盛君以外の理由が考えられないわ。そういえば、太盛君は無事なのかしら」

「知るか。ここじゃ外部との連絡する手段はない。
 考えるだけ無駄だって。
 私、収容されるの初めてだよ。ストレスで発狂しそう」

「私たち、殺されるのよ!!」

「だからどうした」

「あなたは怖くないの!?」

「人間、死ぬときは死ぬんだ。ただ死ぬタイミングを選べないだけ。
 それよりあんたも一緒に死んでくれるならうれしいよ。
 これで太盛があんたに独り占めされることはなくなった」

「こんな時まであなたって人は……まともじゃないわ!!」

「まともじゃない状況で、まともでいられるか。
 まだ腕が痛む……。私はそこのベッドで寝るとする。
 朝になったら起こしてね」

クロエは、簡易ベッドに横になってしまう。混乱状態のエリカに比べたら
寒気がするほど冷静だった。実はクロエも極度におびえて手の震えが
止まらないのをエリカに見られたくなかった。
エリカとは険悪の仲だから、こんな時でもつまらない意地を張るのだった。


その頃、堀太盛は必死に逃亡していた。

トモハルら諜報委員の勧めで、足利市内のホテルの一室に潜んでいた。
その後、すぐに追手がやって来たので県外のホテルを転々とし、
最後は埼玉県加須市内の道の駅でテント泊しているところを発見された。
たった9日間の逃亡劇だった。

太盛は手錠され、車に乗せられていた。車は北関東自動車道を走っている。

「こんなバカなことが……
 諜報部が支援してくれたのに、なぜ居場所がばれたんだ……」

その答えは、諜報広報委員部の内部に、マリカ派と呼ばれる新たなグループが
結成されたことだった。彼らは堀太盛が無駄に女にモテることを
前から好ましく思っておらず、仕事中は華麗にスルーするも内心では
不満を蓄積していた。そのため、堀太盛の粛清に関しては大賛成であったのだ。

得意な情報分析で太盛の居場所を瞬時に特定し、捕らえることに成功する。
一方でこの暴挙を好ましく思わない穏健派(ナツキ派)が実は多数を占める。
学内で最も優秀な頭脳を集めたとされる諜報広報委員部は、
トモハル派とマリカ派に分かれて分裂してしまった。

会長のナツキは医務室で療養中。
具合はさらに悪化し、記憶まであいまいになっている状態だ。
たまにナジェージダの顔さえ忘れてしまう。痴ほう症の初期症状とも思われた。
いずれにせよ、彼が執務に戻れる可能性は、すでに絶望的になった。

不在となった会長室の主になったのは、井上マリカである。
太盛はそこへ連行された。神聖なる生徒会本部である。

多数の警備兵と分厚いコンクリートに守られた本部は、一度入ったら最後。
ここから脱出するのは、収容所7号室以上に困難だとされている。

困ったことに、ナツキの病状が悪化するにしたがって
井上マリカの気性がどんどん荒くなり、かつての副会長
ミウに匹敵するほどの魔女となってしまうのだった。

魔女の怒りは太盛へ向けられていた。

「お久しぶりね。元クラスメイト。元6号室の囚人。
 現在は諜報広報委員部に所属する堀君。君は私のこと覚えてる?」

「覚えてるとは、とんだご挨拶だな。
 俺が有名人の井上さんを忘れるわけがないだろ」

「それは光栄だね。本題に入るが、これからおまえを拷問する。
 質問されたことに素直に応えなさい。答えなかったら何度でも繰り返す」

「な……? え……? 拷問?」

「おまえはミウのことを覚えているのか?」

「ミウ? しし、し…知ってるよ。なんでそんなこと聞くんだ?」

「ミウとお前は交際していた。間違いないか?」

「間違いないよ!! だって高2の夏から付き合って…」

マリカが部下に目配せすると、太盛の左の薬指の爪がペンチではがされた。

「あぎゃあああああ!! いてええええ!!」

太盛は全身を椅子に縛られている。拷問用の椅子である。
腕は行儀正しくひじ掛け部に固定されているから、
マリカの部下の看守が好きなように爪をはがすことができる状態だ。

「おまえは、なんでミウと交際を継続しなかったの!!」

「継続してたろおお!! 
 俺はミウと恋人同士で楽しい毎日を送っていたんだ!!
 俺とミウはボリシェビキカップルだったんだぞ!!」

「それはおまえにとって都合の良い記憶。記憶の改ざんだ!!
 おまえは一度記憶喪失になってから、自分の記憶を書き換えたんだ!!」

「な、何の話だかさっぱり分からねえよ!! 
 俺はクロエに話を聞くまでは
 ミウが死んだことも知らなかったんだぞおお!!」

「ミウが死んだのが、おまえのせいだってことも分からないのか!!」

「なんで俺のせいなんだよおお!! 俺は何もしてねえええ!!」

マリカが、太盛の鼻に拳をぶち込んだ。

「ぐっ……」

太盛の太ももに鼻血が落ちる。
マリカは太盛の顔面を殴り続けた。拳が痛くなった。
太盛の鼻はおかしな方向に曲がっている。

「うぅ……いてぇ。血が止まらなねえ。もう殺してくれよぉ。
 俺がそんなに嫌いなら殺してくれよぉお」

「うるさい。お前はもっと苦しんでから死ね。おいそこの看守。
 五寸釘とハンマーと電動ドリルを持ってきなさい。
 こいつの体に風穴を開ける」

看守は急いで外を駆けた。
拷問道具は保安委員部が一括で管理しているのだ。

「五寸釘でお前の指に風穴を開けてやる」

「へへ……楽には殺してくれないのか……ああ、俺も
 神のそばに召されていたら、どれだけ幸せだったことか……」

「そばに召されるだと? キリスト教的な表現は
 ボリシェビキでは厳罰だとわかっているのか、貴様ぁ!!」

マリカが太盛の髪を乱暴につかみ、膝蹴りを食らわせる。
何度も何度も太盛の顔を蹴ると、ついに太盛の鼻は原形をとどめず、
折れた歯が床に転がる。前髪は乱れ、涙で濡れた顔は見れたものじゃなかった。

太盛は、今日自分がここで死ぬことを理解した。
死ぬ。自分の人生の終着駅はここ。そう分かってしまうと、
脳は走馬灯を描く。彼の学園での一番の思い出は、ミウとの交際だった。

なぜか記憶喪失で、帰り道が分からなくて困っていたミウ。
迫るから話しかけたのがきっかけで仲良しになった。
ミウの家にも行ったことがった。母の名前はカコさん。
高収入な夫がいて、優雅な生活を送る専業主婦だった。

そんなどうでもいいことを思い浮かべながら、
早く神のもとへ召されるのを楽しみに待っていた。
多くの外国人ボリシェビキがそうであるように、
死ぬ瞬間だけは神様のことを考えてしまう、
ボリシェビキを気取っただけのキリスト教徒だった。

(ミウに会いたい……ミウと話がしたい……ミウの笑顔が見たい……)

彼が最後に思い浮かべたのは、高校二年生の夏。
ミウと一緒にマリーの病院に
お見舞いに言っていた頃の幸せな時間だった。

ナツキの夢(回想)

太盛がマリカに殺されかかっている頃、
ナツキもまた息を引き取ろうとしていた。

晩年のレーニンのように、知性を失い、
生きる屍として車イスの上で生きる生活はもう終わるのだ。

(ミウ……。僕もようやく……)

ナツキは夢の中にいた。ナツキがいたのは日本ではなく、
見知らぬ大平原だった。一角にアシが自生していて、
そのアシ原の先に湖があった。よく見ると沼のようだ。
そこはベラルーシ国内にある湿地帯だった。

彼はこんなところに来たこともないし、なぜ自分がこんなところに
いるのかも分からなかった。上空を、すごい音を立てて飛行機の群れが飛ぶ。
赤い星のマークを付けた、ソ連軍の戦闘機と爆撃機の編隊だった。
これからドイツ軍をやっつけるために飛んで行ったのだろう。

飛行機が飛び去るまで、ナツキはぼーっと見ていた。
夢の中でも車イスに乗っている。
後ろから押してくれるはずのナジェージダはここにはいない。

風が髪をなでた。湿った、生暖かい風だった。
たっぷりと陽光が注ぐ大地は、暑いけど不快ではない。
肌が焼かれる感触が生を実感させてくれた。

やがてソ連軍の陸上部隊がやってきた。戦車部隊だ。たくさんの
補給用トラックや、けん引された大砲をひっさげて、大部隊の移動が続く。
想像を絶する数だった。ナツキが一時間もそこに立っていても、
まだ大部隊の移動が続いていた。いったいどれほどの戦力なのか。

1944年。ソ連軍は形勢を逆転し、旧ソ連領土を奪還して
ドイツへの侵攻を目指していた。6月にはノルマンディーに上陸した
米英加軍その他により第二戦線が形成。
西から連合国、東からソ連に包囲されたドイツ帝国の敗北は完全に決定した。

大部隊の通過はまだ続いていたが、
装甲車の大騒音に負けないくらいの
大きな声で、ミウがナツキの名前を読んだ。

「ナツキ君!! 太盛君が死にそうなんだよ!!」

ナツキは車イスの車輪を回し、ミウを振り返った。

「なんだって……? 周りの音がうるさくてよく聞こえないよ」
「だから、太盛君が殺されそうなんだよ!!」
「彼を殺せる人なんているのか? 彼はボリシェビキなんだぞ」
「嘘じゃないんだって!!」
「……悪いが、僕にはもう関係ない。僕は彼のことは嫌いなんだ」

ミウは怒って、ナツキを車イスごと沼の中に落としてしまう。
ナツキはなすすべもなく、底なし沼に落ちて窒息死した。

ナツキは、また生き返った。
また、というのは、彼が夢の中では何度も死んでいるからだった。

死に方はいろいろあった。

ミウに首を絞められたこともあった。
ミウに電車のホームから突き通されたこともあった。
ミウにビルの屋上で背中を押されたこともあった。

彼を殺すのは、いつだってミウだった。
彼を許してくれるのは、アナスタシアだった。

「ナツキ君たら、またあの女にイジめられてたのね」
「……また会えたね。アナスタシア」

橘家には二人の姉妹がいた。妹のエリカ。そして姉のアナスタシア。
アナスタシアは、前会長のアキラの双子の妹でもある。
アキラとアナスタシアは二卵性双生児の兄妹だから、
顔も性格も似てなかった。

アキラは典型的な堅物で、融通が利かない。
オールドボリシェビキの校長と気が合った。
昨年の革命記念日、新副会長のミウによって粛清された。

アナスタシアは天真爛漫で、男子に対するスキンシップが
激しいことで有名だった。ナツキのことも一目で気に入ってくれて、
ナツキを(当時存在した)組織委員部に勧誘してくれた。
彼女のコネにより、ナツキは大した実績もないのに
組織委員部の代表に任命されるの至る。

ナツキはミウに一目ぼれして組織委員部に勧誘。
ボリシェビキになったミウは狂っていった。

アナスタシアもまた、副会長に就任したミウに直ちに粛清される。

任命責任を考えれば、ナツキが間接的に橘兄妹を殺したようなものだ。

アキラはナツキの夢に一度も現れたことはない。
だから彼がナツキのことをどう考えてるのかはわからない。

アナスタシアは、ナツキを許した。
彼女はナツキの優柔不断さ、判断の誤りを一度も責めたことはない。

ただし、

「もうそっちの世界のことは忘れて、こっちの世界に来なさいな」

とは言った。一度や二度ではない。
現実世界のナツキの死を願っているのだ。

「ターシャ(愛称)、だが僕にはまだ仕事が残っているんだ。
 後任の会長を決めるまでは、死にたくても死ねない」

「あなたは相変わらず堅物で真面目ねえ。
 自分が死んだ後の生徒会なんて、どうでもいいじゃない」

「僕の代で……アキラ会長から引き継いだ生徒会を終わらせたくないんだ。
 僕がこの目で引継ぎの瞬間を見るまでは……死ねない」

「残念ながら、そろそろ時は近づいてきているわ。
 あなたがいつまでも迷っていたとしても、時間は待ってくれないの。
 私は今でもナツキ君のこと、好きよ? 
 私と一緒に楽な世界に行きましょうよ」

「僕もターシャのことは好きだ。
 でもそっちの世界にはミウがいる。僕はミウに怖いんだ」

「ラッキーね。神様が条件をくれたわ」

「え?」

「あなたとミウの命(魂)を交換する。あなたが死ねば、
 ミウはもう一度、現実世界によみがえることができる」

「そんなことが可能なのかい?」

「ええ。だって神様がそうおっしゃるのだから」

「なら頼もうかな。神様に僕からの最後のお願いだ」

「わかった。伝えておくわ。今すぐにね」

真の生徒会副会長

なおも堀太盛を殴り続ける井上マリカ。
鬼と化した彼女は、太盛の左目が内出血でパンパンにはれ上がり、
あごの骨が砕けても、それでも殴るのを止めなかった。
マリカの右腕の甲にひびが生じても、
殴り続ける彼女の心は人のそれではなかった。

「い、井上会長代理!! き、緊急のお知らせがございますぅぅっ!!」

「なにごとだ!! 今取り込み中なのを承知して言っているのか!!」

「か、かかか、会長閣下がぁああ!!」

「会長!? ナツキがどうした!? 簡潔に言ええ!!」

「息を……引き取られたようです……」

つまらぬ冗談だと一笑したいが、警備兵は涙を流している。
一瞬で血の気が引いたマリカは、本部奥の医務室へ駆け込んだ。

そこには、
医者と、ナジェージダと、ベッドで死体となったナツキがいた。

「うっ……うっ……うっうっ……」

初老の医者はうなだれ、
ナージャは嗚咽し、ナツキの肌は冷たくなっていた。
ナツキの前髪にそっとマリカの手が振れた時、
感情が爆発して声をあげて泣いた。

「うわあああああああああああああ!!
 ナツキのバカ野郎ぉおおお!!
 なんで死んじゃうんだよおおお!!
 私がこんなに頑張って後任を決めようとしてたんだぞ!!
 なんでこんなにあっさり死んじゃうんだ!!」

マリカはこの時、自分がナツキのことを愛してるのだと初めて知った。
ナツキのベッドに手をついて震えているナジェージダもそうだろう。
マリカもナジェージダも、ナツキを失う悲しみに耐える術を知らない。

「だから言ったんだよおお!! ボリシェビキになるなって!!
 一年の時にさんざん言っただろうがああ!!
 なんであんたが死ななくちゃならないんだよ!! 
 会長になったのに!! そんな末端の生徒みたいに簡単に死ぬなよお!!」

マリカがどれだけ語り掛けても、ナツキの目は閉じたままだ。
心なしか、安心しきった顔で眠っているようにも見える。
校内でファンがいたほどの彼の美貌。大人っぽい声。優しい語り口調。
もう二度と、彼がマリカと話をしてくれることはない。

「くそおおお!! うおおおおおおおおおおお!!」

彼の死はミウの呪い。その遠因を作ったのは、堀太盛。
マリカは今決めた。堀太盛を今度こそ殺す。

再び拷問室と化した会長室に行こうとした彼女の足を止めたのは、
一本の電話だった。

「こんな時に……!!」

ありえない番号からコールされていた。
昔友達だったから、なんとなく保存していた名前。
二度と思い出したくもない、悪女の名前。

「久しぶりだね。マリカちゃん」

心臓が止まるかと思った。
まさか、他人のそら似か何かだろうと思いたかった。

「出てくれて良かった。
 電話越しだと伝わりにくいと思うけどさ、
 今あなたと話してる私が誰だかわかる?」

マリカの手が震え、もう携帯を握ってるのが精いっぱいの状態になった。
聡明なマリカは、今まで会ったすべての人の特徴を記憶している。
その『人物フォルダ』の中で、最も忘れがたい人物といえば彼女しかいない。

「み……う……?」
「せいかーい」

マリカは生まれて初めて超常現象に遭遇した。
半年も前に死んだはずの『高野ミウ』と電話越しに話をしているのだ。

「今からそっちに行くから、ちょっと待っててね?
 あっ私の太盛君をそれ以上殴ったらダメだからね。
 いい? 悪さをしないでおとなしく待ってるんだよ?」

学園一の頭脳を持つ秀才、井上マリカは、脳みそをフル回転させて
事態の収拾を試みた。あらゆる角度から検証した結果、
電話相手のミウは本物だと結論するに至り、
直ちに生徒会本部から逃げ出すことにした。

まずは自宅に帰ろう。
自宅でじっくりと今後のことを考えよう。

なぜミウが復活したのかは知らない。考えても分かりようがない。
ただ問題なのは、ミウが自分に深い恨みを持っていることだ。

マリカは太盛の顔面を変形するまで殴り続けた。
ミウの正体が質量を持った悪霊、神の一種なのかは不明だが、
最悪学園からの転向すべきかもしれない。
もうあの学園に関るべきではないと本能で察していた。

「そんな必死に逃げることないじゃない」

マリカの足は、どれだけ地面を蹴ろうとしても宙を浮いていた。
滑稽なことに、宙に浮いて自転車をこいでるような格好になっていた。

「やあ。マリカちゃん。It's been a while!!」

ミウは気さくにマリカの肩を叩いてくれた。
マリカの体は、全身から力が抜けるようにして地面にへたりこんだ。

「う……うそ……こんな……これ現実……?」

「うん。現実だよ。私は運が良いから生き返ったの。
 私は死んで魂だけの状態になっていたから。
 それにしても生徒会ってすごいよね。
 私の肉体を地下に冷凍保存してくれたんだから」

人の魂は、天使のラッパが鳴るまでは、一定の期間待機状態になる。
神の世界に行くためには、魂の器である肉体が必要とされる。
ミウの場合はかつての世界に蘇生した。
現実世界に残っていた肉体に、魂が呼び戻された。
肉体が冷凍保存されていなければ実現不可能なことであった。

「さっそくだけど、井上マリカ。
 あなたを太盛君を暴行した罪、
 および生徒会を私物化した罪により逮捕します」

10人を超える、保安委員部の生徒がマリカに襲い掛かる。
手首骨折、肩の脱臼、足首捻挫、前歯三本損傷、眼球破裂。
肺の一部に損傷を負ったマリカの顔を、ミウは足蹴にする。

ミウはどんな魔法を使ったのか、復活と同時に
多数の部下を以前のように従えていた。
まるで学園全体がミウの復活を待ち望んでいたのように。

「同時に、ただいまの時刻をもってあなたが
 ナツキ君から受け取ったすべての権力をはく奪し、
 私がその地位を引き継ぎます」

虫の息のマリカの前髪をつかんで持ち上げ、仰向けに寝かせる。
彼女の制服のバッジをむしり取った。
会長、副会長、保安院部代表。ミウが持てば仮ではなく本物の地位。
この瞬間にミウは生徒会の新たな独裁者となったのだ。

7月27日 火曜日

ミウは全校昼礼をかけた。

夏休み期間中のボリシェビキは午後出勤が認められるため、
メンバーの半数は午後からの勤務を選んでいた。
だが今回は特例だ。
長期で帰省している人にまで招集令が出たため、
学園の全ボリシェビキが一堂に体育館に集合した。

夏休みのため、一般生徒はいない。
ここにいるのはボリシェビキだけだ。

気温が36度を超えた。窓を全開にしても、体育館は蒸し暑く不快だ。
だが壇上に立つミウの神々しいまでの姿を拝見してしまうと、
夏の暑さなど忘れてしまい、吹雪が吹き荒れるようだった。

この貫禄、威圧感、風格。指導者として生まれた者のオーラ。
学園ボリシェビキは半年間も忘れてしまっていたのだ。
真の学園の支配者の存在を。

「嬉しいニュースと、悲しいニュースがあります。
 まずは嬉しいニュースから」

ミウの肉声を聞いたボリシェビキが動揺しざわつく。
静粛に聞いているとはとても言えない状態に
なっているが、ミウは構わず続けた。

「皆さんに会うのは半年ぶりだと思います。
 私は一時的に海外に留学していため、学園を留守にしていました。
 今日から正式に職務に復帰します。まず私の役職ですが、
 会長とします。代表が不在の保安委員部の責任者もかねます」

……留学してただと!? 絶対にデマだ!!
……確かに死んでいたはずだ!!
……私は冷凍死体を見たことがあるわ!!

「ナツキ会長の死は、すでに多くの方の耳に入っていることだと思います。
 彼を弔うための葬儀は学園葬とします。偉大なる指導者を不幸にも
 病気で失ってしまった。この悲しみを全ボリシェビキが共有しなければなりません。
 学園葬には当然全員参加。たとえ当日に高熱が出ている人でも参加を強制します」

……奴が殺したんじゃないのか?
……ちっとも悲しんでるように見えないわ!!
……学園葬だと? ボリシェビキの死は公表しないんじゃなかったのか!!

「生徒会の参考人として活躍していた井上マリカさんですが、
 取り調べの結果、半ボリシェビキのスパイということが判明したため、
 重罪人として逮捕しました。そして彼女が権力を私物化して不当逮捕した
 橘エリカ、クロエ・デュピィの両氏を解放しました」

……なんで井上さんが!?
……権力の私物化ってどういうこと!?
……どうせでっち上げに決まってる!! 奴は悪魔だ!!

「これは諜報広報委員部に対してのお知らせになりますが、
 堀太盛君はスパイ井上による暴行を受けたため、治療中です。
 しばらくの間は休学します。復帰の時期はこちらで判断します」

ミウはさらに、カップル申請書を中央委員部に提出したと報告した。
書面上ではミウと太盛が正式なカップルになったことをあえて
公表したことで、エリカたちをけん制した。
エリカとクロエにとって、太盛の顔面が過度な暴行によって
変形したことよりこっちの方が大問題であった。

ナツキ会長の死、ミウの復権。
昼礼が終わりミウが去った後も
うだるような暑さの体育館では、ざわめきがやむことがなかった。

『また奴の恐怖政治が始まるんだぞ……』
『俺は今日からどう仕事をしたらいいんだ?』
『奴の支配下でこれからどうなるの………?』

ミウの評判は悪い。
皮肉なことに学内では一般生徒よりも、
仲間のはずのボリシェビキに嫌われていたのだった。
彼らにはマリカの一時的な独裁の件は知らされて
いなかったが(サヤカたち以外)、
マリカはすでに粛清されたのだと誰もが思っていた。

実際のマリカは全治三か月以上の大けがを負って入院中だから
生きているのだが、ミウの大きな怒りを買った人物が
生きていることが過去存在しなかったことからそう思われた。

ミウの代名詞は内部粛清であるから、
ここにいるボリシェビキ全員も明日は我が身である。
穏健派のナツキ会長時代に慣れ切ったボリシェビキらには
耐えられそうもなかった。

誰もが新たな恐怖政治の幕開けに脅えきり、
生徒会から離脱しようとする者も現れ始めた。

一部でこんな声も聞かれた。

『冷静になれ。奴の任期は秋まで。あと半年間の辛抱だろ?』
『バカね。引継ぎが終わった後も、三年が裏で生徒会を操るのよ』
『じゃあ奴が卒業するまで恐怖政治が続くのか!?』
『そう考えるのが妥当だな。保安委員部は奴の支配下なんだぞ。
 奴がその気になれば、いつでもボリシェビキを粛正できる』

この流れを受け、近藤サヤカ、相田モトハルらを中心とした
反ミウ派のメンバーを筆頭に、中央委員部と諜報広報委員部から
ミウの抹殺を目的にした非常委員会が発足するなど、
すでに権力争いの火種がくすぶりはじめていた。

保安委員部の連中は新人の外国人が多いためか、ミウのカリスマに
ひれ伏すだけで、彼女の政治を疑おうとしない。
まさに愚か者だとサヤカやトモハルは見下した。

そんな彼らの思惑とは違い、
ミウは、太盛と一緒に過ごす時間を大切にしたいから、
学内での争いごとは望んでなかった。

これからの生徒会では会長の後任の件など
考えるべきことはたくさんある。
まずミウは月末に予定されている
オープン・スクールと花火大会を予定通り実行する気でいた。
驚くべきことに、この点ではサヤカたちと利害が一致していた。

7月28日 水曜日

ミキオ・KAWAGUCHI。俺の名前だ。この言い方だと、ちょっとカッコよくねえか?
あまりにもすごいことばかり起きるもんで、現実逃避してみたんだ。

さっそく現実に戻るが、俺は学園葬に参加するのは生まれて初めてだ。
部の先輩方も同じことを言っていた。
ミウの伝説の昼礼の翌日には葬儀が開始された。

門の看板から園庭、受付、待合のテント、階段の踊場に
花の装飾をほどこしている。ボリシェビキにしては以外で、
竹を用いた、和風でモダンなデザインだった。

学園全体が葬式ムード全開なんだが……。
分かりやすく言うと文化祭の葬式版。
この短時間でどうやってこれほどの飾りつけを用意したんだ?
これらの飾りつけは校門から始まり体育館へと続いている。

外は小雨が降っていてるが、傘をさすほどじゃなかった。

我々は学生のため喪服ではなく、学生服で参列する。
喪に服しているのは教師だけだ。この学園の教師って
ただ通常授業を終えて帰るだけって感じで影が薄い。
正直いてもいなくても大差ねえと思う。
30代までの若い教員しか採用してないのも謎だ。

教師連中でひときわを目引くのが、謎の太ったおじさんだ。
おじさんは故ナツキ会長の写真立てをじっと見つめていた。
写真はナツキ会長の家族が提供したもので、
受付横の長テーブルにそっと置かれている。

ナツキ会長の幼い頃からの成長記録だった。

「将来有望なボリシェビキが世ヲ去ったのだ。
 なげかわしいものだと、思わんかね君?」

……えっと……俺ですか? 俺に話しかけているんですか?
俺は諜報広報委員部の先輩たちと一緒に、
二列になって受付に並んでいたんだが、まさかおじさんが
俺に話しかけてくるとは。なんで俺なんだよ!!

先輩が、おい、あの人は理事長だぞと教えてくれた。
理事長!?

「は、はい!! 本当になげかわしいことだと思います!!
 未来ある若者が、学生の身分で命を落とすなどと!!」

「ふむ……」

この腹の出た、小柄なおじさんが理事長なのか!?
豊かな口ひげを生やし、白髪をオールバックにし、
見せつけるように高級そうな指輪を何本もつけている……。
俺よりチビなのには驚いた。

「君はなかなか良い目をしているじゃないか。
 そのバッジは諜報部の所属かね。名を何という?」

「川口ミキオでございます!! 同志閣下!!」

「ふむふむ。実に気持ちの良い敬礼である。
 語らずとも、君からは党と学園とレーニンに対する熱い忠義を感じる」

何言ってんだ、おじさん……!?
俺は流れに任せてこの場所にいるだけだ……。
忠義なんて……そんなもんあるわけが……。

「少し話過ぎたか。君の番が来ているようだぞ。受付を済ませるといい」

「は、はいっ」

受付担当の女性がニコニコした顔で俺を待っていた。
番が来てるのに全然気づかなかった。
俺の列の後ろで待ってるボリシェビキも、嫌そうな顔せずに
ニコニコしている。やっぱ理事長の前だと誰でもそうなるよな。

俺はさっさと自分の所属と名前を記入して、体育館に入った。

「それでは、施主様からご挨拶をいただきます」

司会進行は会長である高野ミウがやっている。
あの女め……葬儀屋で働いた経験があるのかってくらい様になってやがる。
今日も蒸し暑いが、幸いなことに雨なので扇風機を回せば
過ごせる気温となっている。

壇上の祭壇は立派だった。お金をかけて菊の花を集めましたって
感じで豪華絢爛の色どりになっている。
ちょっと派手過ぎてボリシェビキの葬式っぽくねえぞ。

「未来の、有望なるボリシェビキの同志諸君。
 私がこうして壇上に立ち、諸君らの前で言葉を交わすことは
 初めてかもしれないね。諸君らも知っての通り、この学園の理事長が
 私である。校長と各委員部に学園の管理を完全にゆだねているため、
 私が学園に顔を出すのは年に一度くらいだろう」

ゴクリ……。とつばを飲み込む音がそこら中で聞こえる。
体育館に所狭しと並べられたパイプ椅子に着席するボリシェビキと教師たち。
俺は諜報広報委員部の下っ端なので、先輩たちの陰に隠れるように、
一番後ろの席に座っていた。ここの先輩たちは、新人の俺にすごく
親切にしてくれて本当に感謝している。

トモハル委員の言うように、俺が元7号室の囚人だからって
差別されることは一度もなかった。
特にサイバー部のみんなは、仲間意識が高くていい職場だと思う。

本当は規則違反なんだが、上司に隠れてアメやお菓子をくれたりする。
頭脳労働には糖分は必須だ。俺も恐縮して先輩たちにお菓子を
プレゼントしたりして、なんだかお菓子の交換合戦みたいなことを毎日やってる。
地味に財布が痛いぜ。

「高倉ナツキ君が、勇敢で、誠実で、誇り高いボリシェビキであるため、
 彼を全校で偲ぶため、今回の葬儀を行うことを、高野ミウ現会長から
 提案された時、私はすぐに賛同した。大いに賛同した。本日は日程の都合で
 一日葬という、通夜を簡略する葬儀を行うことになってしまったが……」

横に座っていた先輩の一人が俺の肩を叩き、耳元でささやいた。

「川口君……。すまんが吐き気がするんだ。席を外すよ」
「大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ。俺も付き添いましょうか?」
「大丈夫だ……。保健室までは自分で歩ける」

ガタッとイスを引いた彼に、みんなが注目したが
それも一瞬のことで、彼の具合の悪そうな顔を見てすぐに察したらしい。
みんな頭が良い人の集まりだからな。

夏休み期間中は、保健の先生は休みなんじゃないのか……?
保健室は、はたして空いてるんだろうか。

「以上が理事長閣下のご挨拶でした。
 続いて、故人のご家族を代表して、
 故人のお父様にご挨拶をいただきます」

「ああ、分かったよ……」

おい……。なんか軽い感じの人だぞ。
あの人があのナツキさんの父上なのか?

「あー、みんな。やっぱ学生はわけえな。
 俺はよぉ、今ここで何を話したらいいのか、さっぱり分からねえ。
 みてのとおりヒゲもそってねえ。おまけに髪も寝起きのままで、
 白髪染めもしてねえからこの通り、アホ面ですまん」

クスクス……。生徒たちから失笑が漏れる。
笑っちゃいけないのは重々承知なんだがww
この人、いきなりコントでもしたいのかよwww

「俺の息子がよ。二日前に突然死んだって言われたんだ。
 学校から電話がかかってきてな。マジ意味わかんねえよ。
 俺も妻もショックでな。家事ができなくなってしまった。
 料理もしてくれねえ。かといって俺も料理したくねえ。
 しょがねえから俺は柿ピーを食べたんだ。
 そしたらユウナに怒られた。ユウナはそこにいる俺の娘なんだがよ」

ご遺族の皆さんは、壇上のわきに立って並んでいる。
ユウナさんからは、
「こんな時に、やめてよお父さん!!」と本気の怒声が響く。

突然始まった謎のコントに、ボリシェビキたちは笑いを
こらえるのに必死だった。シリアス全開な雰囲気の中で
ギャグをやると、その反動はすごい。

俺もご遺族には悪いと思ってるんだが、腹を抱えて今にも
笑い出しそうになるのを耐えていた。俺の前の先輩たちも
うつむきながらも肩が上下に震えている。

「まあ俺がどんだけショックかってことは、君たち学生にも
 よく伝わったと思う。おめーらにとっては他人事かもしれねえが、
 俺は肉親を失ったんだぞ……? なあ分かるか? 家族を失ったんだ。
 大切に育てた自慢の息子をな。あいつは俺みたいなロクデナシと 
 違ってよ、これからも社会の役に立つ人間だったんだ。それがよぉ……」

ゴトン!! と音がしてマイクが床を転がった。
ナツキさんの父上は、その場にしゃがみこんで嗚咽していた。
かなりヤバい状態になってるぞ……。

ミウが部下に指示して彼を壇上から引きずり下ろすことにした。
一学年後輩のユウナにマイクを渡し「即興でもいいから挨拶して」
と指示を出した。ユウナさんは「ふぅー」と息を吐いてから

「父の見苦しい姿をお見せしたことをまず謝罪いたします。
 兄の話ですが、私は幼い頃から兄を慕っていました。
 それは今でも変わりません。私は兄が会長を務めたことを
 誇りに思っています。ここにいる皆さんの多くも、
 兄を慕ってくれたのだと思っています」

ユウナさんがリモコンのスイッチを押して、天井から壇上へ白い画面を下ろす。
部屋が真っ暗になり、兄との思い出の写真をスライドショーで披露してくれた。
葬儀屋のサービスで定番のあれだな。

幼少期は父の仕事の都合でエジプトのカイロの学校で過ごし、
日本に帰ってからは二人の妹さんたちと仲良く遊んでいたようだ。

家族旅行にもたくさん行っていた。
少年自然の家でカレーライスを作って食べている写真がある。
みな幸せそうだった。彼の人生が、
まさか18歳で終わるとは誰も知らなかっただろう。

二人目の妹さんのアユミさんが、ポロポロと涙を流している。
小柄なので歳は小学生の高学年だろうか? 
ハンカチで涙をぬぐう幼い少女の姿に、ボリシェビキの先輩たちも
もらい泣きをしていた。俺も泣いた。

思えば……俺だってナツキ会長の優しさに救われた身だ。
堀太盛殺害未遂を、あの方は許してくれたんだからな。

ご遺族の方に土下座をしたいくらいだ。俺みたいな
仕事も半人前なカスが、生き残ってしまってすみませんと。

雨の降りが強くなってきた。
土の湿った匂いが、体育館の中に充満する。

壇上の挨拶が終わり、(なぜか日本式の)お焼香を済ませた。
俺はご遺影に深く深くお辞儀をさせてもらった。

次は火葬らしい。火葬場なら7号室の奥にある。
実は7号室は、もともとは野球部の寮だったこともあり、
学園の敷地の外側にある。分かりやすく言うと、
道を挟んで向こう側にあるんだ。

それにしても学校なのに火葬場があるってこと自体が、
普通に考えたら異常だろう。だが俺たちはもう慣れっこだ。
会長閣下のご遺体は、棺桶に入れられている。
簡略式の葬式のため、直ちに火葬に入るそうだ。

「絶対に落とすんじゃないぞ。諸君」

保安委員部が代表して、棺をかついだ。あんな重い物を
良くかつげるもんだ。筋肉質の軍人ぽい奴らが6人がかりで
火葬場まで運んだ。俺たちはあとから着いて行った。
ちょっとした大名行列みたいだった。

俺はしんみりとした気持ちでダラダラ歩いていると、
後ろから肩を叩かれる。

「高木先輩じゃないですか。具合は大丈夫なんですか?」

「少しベッドで寝たら回復したよ。心配かけたな。
 それより君も葬儀中は泣いていたんだな」

「何言ってるんですか。
 むしろ泣かない人の方が少ないと思いますよ。
 俺はナツキ会長には恩がありますから特にです」

「俺もナツキ会長が好きだったから同感だ。
 ところで君はミウをどう思う?」

「なんですか。こんな時に」

「いいから」

「……まあ嫌いですね。
 壇上に偉そうに立つ奴をみて腹立ちましたよ」

「それを聞いて安心した。なら君も例のあれに参加しないか?」

「例のあれって、あれは冗談で作った組織だって聞きましたけど」

「冗談なものか。オオマジだ。ここだけの話だが、俺はさっき
 体調不良をよそおって、会議室で近藤サヤカたちと話し合いをしていたんだ」

「近藤さんって?」

「中央委員部の代表の人だよ。前も言っただろ」

「す、すみません」

「別に責めてるわけじゃないからいい。
 で、今は一人でも多くの同志を集めて、
 7月中にでも作戦を実施するつもりでいるんだ」

大名行列の最中だ。俺はさすがにまずいと思い、
口元を手で隠し、高木先輩の耳元でしゃべることにした。

「ミウを暗殺するだなんて……正気ですか?
 奴は理事長にも取り入ってるようじゃないですか。
 今日の式も奴が理事長にお願いしてたみたいですよ」

「だからこそだ。これ以上奴が図に乗る前に、
 もう一度奴を地獄の底へと落としてやるのだ。
 今度は二度と復活しないように、念入りに死体を焼いておくのだ」

「も、もうこの辺でやめましょうよ。
 こんなぶっそうな話、誰かに聞かれたら
 俺らも収容所行きになってしまいますよ」

「この付近を歩いてるのは諜報部の人間だけだ。
 大丈夫。みんな俺の考えに賛同する者ばかりだよ」

その言葉に合わせるように、前を歩く先輩たちが
一斉に振り返り、うんうんと力強くうなずいている。

あー……。これダメなパターンに入ったな。
そのうち俺も同調圧力で参加させられる流れになってるぞ。

さっきも言ったが先輩たちのことは好きだけど、暗殺はちょっとな。
生徒会長で保安部も掌握してるミウを暗殺するって……
リスクが高すぎて無謀……っていうか暴挙としか思えねえ……。

奴のカンは鋭いから、暗殺計画を事前に察知して
全員が一網打尽にされるオチが見えてしまうのは俺だけだろうか?

俺は高木先輩に「あとで考えておきます」とだけ伝えておいた。
先輩は子供みたいに唇を尖らせ、ふてくされていた。

7月29日 木曜日

※マリン

昨日のお葬式の余韻がまだ続いている。
私もナツキさんにはお世話になった。
亡くなって初めて彼の優しさと偉大さに気づき、
私は式の最中に大泣きしてしまった。

式が終わった後、私はご遺族の前で
何度も何度も頭を下げてお悔やみの言葉を申し上げた。
妹のユウナさんも泣きながら私にこう言ってくれた。

「マリーさんがそう言ってくれて、
 天国にいる兄もきっと喜んでいますよ。
 兄は本当にマリーさんのことを大切に思っていたんですよ」

胸が痛む。
私は悪い子でした。
死にゆく彼の最後の願いを聞いてあげることが出来なかったのだから。
結果的に、ミウが現会長の椅子に座っているのは私のせいだ。
私はあの時、無理にでも会長の座をナツキさんから
引き継いでおけばよかったのだ。

ナツキさんからもマリカさんからも、校長からも、あんなにも
次期会長になってくれと頼まれたのに。私のわがままで拒否し続けた。

ミウはどんな魔法を使ったのかこの世によみがえった。
どんな方法なのかは考えても仕方ない。
奴がこの世に存在することが大問題なのだ


『会長の後任候補を巡る、対策非常委員会』

という長い名前の組織が発足した。
政治で例えると超党派の委員会である。

ミウに完全に支配された保安委員部は除外して、
諜報広報委員部、中央委員部から選抜したメンバーで構成した、
ミウを暗殺し直ちに会長の後任を選出することを目的にする組織である。

省略して対策委員会と呼ぶのが普通だった。

「私が委員長の近藤サヤカです。副委員長は相田トモハル君。
 現在までに有志の数は40名を超えています。高野ミウの権力は
 今のところ絶大です。保安委員部の執行委員を完全に掌握している
 ことから、生徒を何時でも自由に取り締まることが可能です」

執行委員とは、実行部隊のこと。警察みたいなもの。
彼らが直接生徒を収容所に監禁し、拷問し、粛清するのだ。
現在学園の警察権力は全てミウの手の中にある。

なぜか保安委員部の人たちはミウに従順だ。
あっちが反乱を起こしてくれたらすごい助かるんだけど、
実はミウには力強い手下がいるのだ。

「同志諸君よ!!」

トモハル君の声はデカすぎる。

「ただいまから述べるのは、ぜひとも周知していただきたい事柄です!!
 現在の保安委員部は、名前の通りの組織ではありませんぞ!!
 ミウの手下、TMFCが実効支配しているようではありませんか。
 きゃつらはミウの操り人形だと考えるべきですな!!」

高野ミウ・ファンクラブ。略してTMFC。
奴は無駄に顔が整ってるから、無駄にファンも存在した。
副会長時代に性格が豹変したが、ドSな女王もたまらないとして、
一部の男子が自らファンになる始末。

ミウが死んでからは、その活動意義を失った彼らだが、
ミウが復活したのと同時に息を吹き返し、ミウの指示によって
代表不在だった保安部を掌握してしまった。

「そこが問題なのよねぇ」サヤカさんが長い黒髪の毛先をもてあそぶ。

「今まで目立った反乱もなく、規律が乱れていた保安部の奴らも、
 ちゃんとした指導者がいたらイキイキと仕事をするように
 なるんだもん。あいつらって根本的にS。
 人を逮捕するのを生きがいにしてるような奴らだもんね」

私も発言させてもおう。

「つまり我々デスクワーク組を主体とした戦力では、
 力でミウに対抗することはできないってことなんですよね?」

「そうよ。斎藤さん。分かりやすく言うと、警察と軍隊を敵に回して
 国会議員と司法局だけで戦いを挑むようなものね」

「無理っぽくないですか……」

「うん……。私の計算では、仮に毒ガスや爆弾を使ったとしても
 九割方失敗するわね。相手もかなり警戒してるようだし、
 仮に暗殺に成功してもファンクラブの反撃でこっちは全滅させられるわね」

トモハルがテーブルを叩く。

「何を弱気なことをおっしゃるのか!! 
 やれるか、やれないかではなく、やるのです!! 
 前会長のお言葉をお忘れですか!!
 我々ボリシェビキは計画を実行に移すために
 英知を結集させる。そのために集まった集団ですぞ!!」

「あなたはいつも声がでかいわね。だからね。
 今考えられる最善の策としては、TMFCの連中とミウをまとめて
 殺すしかないんだけど、その方法が思いつかないのよ」

それだけでなく、こうも内政不安が続けば、学内は混乱する。
今は運よく夏休みで一般生徒はいない。
夏休みは8月末まであるが、待っている余裕はないのだ。

7/31には、毎年恒例のオープン・スクールが予定されている。
見学会の後は、夕方から夜にかけて花火大会が行われる。
これも学園の名物だった。見学者も参加は自由で、
夕食にはカレーライスが屋外で無料で振舞われる。

『オープン・スクール』の前に、ミウを殺して
生徒会を綺麗にしておきたい。これが彼らの願いだ。
前も言ったかもしれないけど、花火大会は
ボリシェビキ幹部候補生を最優先で歓待するのが目的なのだ。

幹部候補生たちに悪の権化であるミウを見せるわけにはいかない。
否、奴が存在してはいけないのだ。

サヤカさんが、「斎藤さん。ミウを殺したら、あなたを直ちに会長として
就任させる手はずにしたいんだけど、それでいいかしら?」

私は納得した。今だって私はボリシェビキでもなんでもないと
思っているけど、学内の平和のためならなんでもするつもりだ。
ナツキさんが守ろうとした生徒会を、私の代でも続けるためなら。

「ふむ。それは結構なことです」

トモハル君は常に敬語だけど実は態度がでかい。

「では副会長の件は、彼でよろしいですかな?」
「ええ。中央委員部では満場一致よ。ナツキ会長の遺言だもの」
「でも彼……ちょっとあれなんですよね」

ミキオ君も副会長になることに異存はないらしい。
だけど問題なのは、彼がミウ暗殺に反対の立場を取っていることだった。
彼は民主的に投票をして後任を選ぶべきだと主張して譲らず、
諜報広報委員部内で少数派になってしまっているらしい。

「うーむ」とサヤカさんが頭を押さえ、
「むむ……」トモハル君が腕組みする。

記録係その他事務として会議に出席した、四人の女子も黙り込んでいる。
彼女達にも一応発言権はあるのだが、物静かなものだ。

今日の会議は、私を含めて三人しか発言してない。
というか三人しかいないようなものだ。
ボリシェビキでは、最も優秀とされる人を最少人数で集めて
会議を進行した方が効果的だとされているからだ。

驚いたことに、サヤカさんのペアであるはずの
モチオ君もミウの粛清には反対してメンバーに入ってないのだ。
モチオは決してミウのことが嫌いではなかったらしい。

「だ、代表殿おおお!! 大変ですぅううう!!」

廊下で警備に立っていた男子が慌ててる。

「た、直ちに会議を中断して、そこから脱出してください!! 
 会長閣下が直接お越しになっているよ……ぎゃあああああああああ!!」

何が起きてるの……?

「君、邪魔だよ」と小さな声がし、警備の男子は床に転ばされた。

「やっほー。みなさん。お揃いだね」

私たちは血の気を失ってしまった。

まさかの事態。高野ミウ本人がこの会議場に来てしまったのだ。
ミウを暗殺するのを目的に秘密裏に開催したこの会議場に。

「私に内緒で話し合いをするなんてヒドいよ。
 こういうのはさ、ちゃんと学園の責任者の私に一言
 かけてからやってほしかったんだけどね?」

語尾が疑問形で終わることが多いのが英国育ちの特徴……。

サヤカさんとトモハル君の反応は対照的だった。

「か、会長閣下。こ、これは……ですね……」 

「ええい高野ミウ!! もうこれ以上隠す必要はありませんな!!
 どこからでもかかってくるが良い!!
 不肖相田トモハル。ここで命を落とす覚悟はできております!!」

万が一、トモハル君が再起不能になっても、私がやる。

私は毒針を持っていた。
ミキオ君経由で諜報部からもらった秘蔵の武器。
注射器より一回り以上小さくて制服の胸ポケットにすっぽり収まる。

右手にしっかりと毒針を握りしめ、
ミウに飛びかかろうと踏み込む足に力を込める。

「待ってくれる?」

とミウが手のひらを突き出した。
私はなぜか一歩も動けなくなってしまう。

「私はあなたたちと争うつもりはないの。
 別に暗殺計画を立てたことはどうでもいい。
 そんなことより今後のことを話し合おうよ」

ミウは連れてきた護衛の男どもを、廊下に待機させて扉を閉めた。
会議室の長テーブルの適当な場所に腰かける。
その風格に、たまたま近くにいる速記係の女の子が「ひっ」と脅える。

ミウは言った。

「喉が渇いたなぁ。
 そこの君、熱いお茶をお願いできるかな? 
 日本茶でいいよ」

と命じる。速記係は廊下へ駆け出した。
途中で転んだのか、廊下で大きな音がした。

「で。今後のことだけど、ちょっと取引をしようか。
 私を殺すのは勘弁してもらいたいんだよね。
 だって私、殺されたくないし。誰だって死ぬのは嫌だよね?」

答える人はいない。ミウが続ける。

「その代わり、そっちがこちらの要求を聞いてくれたら、
 私の方からも提案がるんだけど?」

「て……提案とは?」 ←サヤカさん。

「会長を降りようと思うんだよ。別に好きでやってるわけじゃないし、
 今はナツキ君が死んじゃったから私が代理でやってるだけ。
 もちろん副会長の地位もいらないし、保安部委員もどうでもいい。
 後任候補がすでに決まってるようだから、
 その子たちに変わってもらっていいよ。時期は任せる」

長い沈黙ののち、トモハル委員が問う。

「そ、それではミウ殿はどうされるおつもりか!!
 自らの地位を他人に譲るとしたら、あなたはまさか
 一般のボリシェビキとして過ごされるおつもりか?」

「ボリシェビキも辞めちゃおうかな」

「はぁ!? あなた、本当に高野ミウなの!?
 権力欲の塊と言われたあなたが、
 ボリシェビキを辞めるですって!?」

「そんなに驚くことじゃないでしょ。サヤカさん。
 私が偽物に見えるとしたら、あなたの目がおかしいんじゃない?
 私は正真正銘のミウ。私が自らの意志で決めたこと。
 みんなも知っての通り、私は一度死んじゃったけど
 奇跡が起きてこの世界に戻ることができた」

奇跡の内容は秘密だけどね、とミウは言い、

「権力欲の塊って言われちゃったけど、そもそも私は好きで
 生徒会に入ったわけじゃないし、副会長になったのも
 ナツキ君に推薦されてなっただけだよ。私はいつだって
 自分の彼氏のことを第一に考えて、彼のために学園を平和にしたいと
 思って行動してたんだよ? 信じてくれないだろけど」

トモハルがくってかかる。

「ええい!! 全く信じられませんな!!
 あなたの副会長時代の横暴を忘れたとは言わせませんよ!!
 一体どれだけ多くの囚人があなたに暴行されて死んでいったか。
 ここにいる斎藤氏もあなたの暴行の被害者ですぞ!!」

「ごめんね。マリエちゃん。あの時のことは謝るよ」

ミウに頭を……下げられた……。
なに……これ……?

「あ、あのぉ。お茶のご用意が」

こんな時に速記係が戻ってきてしまう。

「そこに置いておいてくれる?」
「はいっ……!!」
「あなた、指先が震えてる。私の事、怖いの?」
「そんなことはっ……」
「別にいいよ。ここの人はみんなそうだから」

速記係のショートカットの女の子は、勢いよく湯呑を置いたせいで
ミウの袖口に茶がかかってしまった。ミウは笑って許してくれた。
以前のミウだったら小さなことでも怒鳴り散らしていた。

私もしゃべらないと!!

「私からも質問。あなたは太盛先輩をどうしたいんですか?
 また彼を束縛して動けなくするのが目的なら、
 私は絶対に阻止させてもらいますよ」

「束縛っていうより、ふたりでのんびり過ごしたいかな。
 海の見える海岸とかでさ……。時間を忘れてゆっくりと。
 あと花火大会も楽しみだよねぇ」

「あんたも花火大会に出るつもりなの?」

「意外? うちの生徒の参加は自由だから問題ないよね?
 私は太盛君とのんびり花火でも眺めながら、
 おいしい屋台でも回りたいなと」

「やめてよ!! もうあなたに太盛先輩は渡さない!!」

「一昨日太盛君と再会したけど、
 彼は私に愛してるって言ってくれたよ?
 嘘だと思うなら彼に聞いてみてよ。私とのカップル申請書にも
 サインしてくれたし、申請書は校長にも確認してもらっているんだよね」

「ウソだ。ウソだぁ!! そんなの信じられるもんか!!
 あんたが無理やり太盛先輩に言わせただけの、ウソっぱちだ!!」

「あーうるさいな。やっぱり太盛君も連れてくればよかったかな。
 彼は私と再会したとき、涙を流しながら喜んでくれたのに。
 マリエちゃんは証拠でも見せないと納得しなさそうだね」

「待ってください高野さん。私からも質問があります」

とサヤカさん。顔中に汗をかいている。

「高野さんは部下を使って井上マリカさんを半殺しにしましたね?
 その一件から、あなたが権力を使って暴走するのは間違いないと
 私たちは断定しているのです。あなたに権力欲がないと主張するなら、
 なぜ井上さんを半殺しにする必要があったのですか?」

「あれはしょうがなかったんだよ。
 マリカちゃんは私の太盛君に暴行してたんだもの。
 温厚な私でもさすがにイラっときちゃうじゃん?
 まだ殺さないだけましだと考えて欲しいんだけどな」

「井上さんの一件で、多くのボリシェビキがあなたに敵意を向けてますよ。
 井上さんはあなたが思っている以上にボリシェビキに慕われてましたからね。
 もし仮に本当に、あなたが会長の座を斎藤さんに譲ったら、復讐されると
 考えるのが普通です。あなたはそのことについてはどう思っているんですか?」

「そんなの知らないよ。だってあなたの理論だと、私に殺意を向けるのは
 斎藤マリエちゃんってことになるよね。本人がここにいるんだから
 マリエちゃんに聞いてみるのが一番だよ。
 おーいマリエちゃん。君が会長になったら私を殺すの?」

八つ裂きにしてやる……。と言いたい。
でも廊下に待機しているミウの部下が怖い。

「それは……この場では言えません」

「ってことは、本当は殺したいけど、
 何か理由があって言えないってことね?」

「なんとでも言ってください!!」

「はいはい」

ミウが茶をすする。ただ飲んでるだけなのに威圧される。
すると何かを思い出したのか手を叩いた。

「あとで聞かれるだろうから先に答えるけど、クロエさんとエリカは
 ちゃんと解放してるからね。拷問してないし監禁もしてないよ。
 ただ、太盛君と距離が近いから少し遠慮してくれるって言ったけど」

「そ、そうしたら、ふたりは何と答えたのですか?」 ←サヤカさん

「分かりましたって。なんか気の毒なくらいにおびえていたけど」

「なら!! ふたりの身の安全は今後も保証していただけると
 考えてよろしいのですね!? 二人は部にとって貴重な人材です。
 彼女らを傷つけるようなことがあれば、中央委員部が
 総力を挙げてあなたに反旗を翻しますが!!」

「だからさ。ふたりに敵意はないんだって。
 むしろ井上さんに監禁された件に同情してるんだよ。
 規則に抵触してないのに閉じ込められちゃってかわいそうだよね?」

「……どこまであなたを信じればいいのか。私にはわかりかねますが」

サヤカさんの吐息が荒い。こんなに充血した彼女の目を見るのは初めてだ。
普段は冷静ぶっているけど、実は気性の荒い人物なのかもしれない。

「話を進めるけど、花火大会の日にはオープン・スクールがあるよね?
 その日までに会長と副会長を就任させておこうか。その方が世間体が
 良いし、嫌われ者の私がやるより学園のためになるってあなたたちの
 意見には賛成。少し悲しいけど、これが現実だからね」

ミウ……。
あんたの目的が……。全然わからない。
どうしてこっちの要求を素直に聞いてくれるの……?
 
考えろ。こいつは簡単に腹の内を見せないはずだ。
何か考えがあるに違いない……。

「高野さんも賛同していただけるなら、ぜひとも。ですが、
 あなたには我々に敵意がないことを証明する義務があります。
 もし可能ならば、そこにいる斎藤さんに会長のバッジを受けわた…」

「はい、どうぞ」

サヤカさんが言い終わる前に私にバッジを手渡してくれた。

私はバッジに触れた瞬間に震えが止まらなくなった。
バッジには悪魔の魂が宿っているような感じがした。
奴の命に等しいはずのこれを渡すなんて。

「な……なんで……?」

「あなたは会長になるんでしょ? だから渡しただけだよ」

「お……おい。ミウ。あんた……本気で言ってる?」

「別に返してとは言わないから。
 はい。今からあなたが生徒会長ね」

一滴の血を流すこともなく、私は生徒会長になることに成功してしまった。
今目の前で起きていることが何なのか、未だに理解できずにいる。
頭をどんなに回転させても、次々に変化する事態に理解が追い付かないのだ。

「ついでにこれも、川口君に渡しておいて」

副会長のバッジも簡単に外してしまうのだった。
こんな簡単に……? あれだけ副会長として名を馳せたこの女が……?

「これはサヤカさんにあげるね」

今度は保安委員部の代表バッジだ。
サヤカさんは両手で受け取り、しばらくの間小刻みに震えていた。
彼女も精神的に限界が近づいているのだろう。

「それとこれも」

またサヤカさんに何かを渡した。
ミウの制服のポケットの中に折りたたんでおいた一枚の書類だ。

『7/31 花火大会の参加申込書』

参加希望者は高野ミウ。そして堀太盛。
太盛くんは重傷を負い短期入院中のため、
ミウが代筆したと備考欄に書いてある。
ちゃんとふたりの印鑑も押されている。

「太盛君の分も書いちゃったけど、形式上は問題ないよね?」
「え、ええ……問題は……ないと思われます……」
「私たちは一般生徒として申し込んだけど、受理してくれるかな?」

ふたりの所属欄には、一般生徒と書いてある。
役職名がないどころか、ボリシェビキですらない!!

「確かに……受理させていただきます……。
 いちおう……校長にも確認を取らせていただきますが……?」

「うん。じゃあ、よろしくね」

ミウはお茶を全部飲んでから帰って行った。
ぴしゃりと扉が閉められ、私たちは10分近くその場で固まっていた。

7/29 夜

俺は今日は学校を休んだ。
夏休み期間中は、強制参加ってわけでもねーしな。
職場に行っても勉強会や自主学習がほとんどで、実務はないに等しい。

前日が偉大なるナツキ会長殿の葬儀だったこともあり、
仕事する気にならなかったので俺は家で一日中過ごした。

とはいえ、何もしないのも退屈だし、時間の無駄だ。
何か有意義なことをしようと考えたが、休みの日は頭を使いたくない。
そこで部屋でゲームをすることにした。
このプレステ5は妹のなんだが、勝手に使わせてもらってる。
たまにはエアコンの利いた部屋でゲームもいいもんだ。

俺がやってるのは大作RPGだ。途中で眠くなってきたので
セーブして、ベッドにダイブ。思ったよりも寝込んじまった。

「夕飯の時間よー。ミキオー。寝てるのー?」

母さんの声だ。さあ、重たい体を起こして一階に降りるかね。
今日はたっぷり3時間も昼寝しちまったぜ。

「いただきましょうか」
「うむ。いただきます」
「おっ、今日はハンバーグか」
「私太るから肉は半分要らない」

妹のセリフは思春期全開って感じだな。
母さんが揚げ物を出すとたまにキレるし、
作る側の苦労を理解しろよガキが。

「明後日はミキオの学校のオープン・スクールだな」
「ああ。それがどうした? まさか親父まで行きたいんじゃないだろうな?」
「いけないのか? 娘が心配だから私もついていくつもりだが」
「お母さんも一緒に行ってもいいかしら?」
「え? 母さんもかよ!!」

こんな流れでうちの家族はフルメンバーで出場することになった。
いわゆるご家族の人は、事前に参加申込書が要るんじゃかったか?
今から出して間に合うのか? やべっ。あとで先輩に聞いてみないと。

「うちの学校なんて、見てもそんなに楽しいもんじゃねえぞ?」

「そう言われると行きたくなるのよねぇ」

「まったくだ。親としてミキオがどんなとこで
 教育を受けてるのか知っておかないとな」

親御に紹介されるのは総合コースまでだと聞いてるから、
俺の職場のことは、たぶんバレないだろう。

ちなみにオープン・スクールで紹介されるのはこんな流れになっている。

一般生徒→ 総合コース。進学、情報、芸術の各コース。
幹部候補→ 専門コース。既出の各委員部。

専門コースは学力と内申点が一定以上の生徒のみ募集。
俺の妹のハルナはまだ中二であり、見学に行くのは一年早いわけだが、
参加するのはどの学年でも自由なのだ。もっともハルナの場合は
学力が圧倒的に足りないので総合コースしか見学できない。
よって親がついて行っても諜報広報委員部にたどり着けない。

「兄貴は部活に入ってないんだ?」
「まあ俺はちょっとな。受験に備えて今から勉強に専念したいし」

実はウソだ。専門コースに入る条件の一つとして、
部活動に入らないことがあげられる。入ってもやる暇がないのだ。
専門は、半分社会人になるようなものだからな。

うちの学園は普通の私立高と同じように部活動の設備は豪華だが、
部活に汗を流せるのは総合コースの人だけだ。
ハルナは高校でもテニスを続けたいと思っているらしい。
だったら、なおさら総合に入れ。楽そうな情報コースがオススメだ。

「あら、こんな時間に電話かしら」

母さんがスリッパをパタパタ言わせてお上品に受話器を取る。
どうせセールスだろと思い、俺はなんとなくテレビを見ていた。

「ミキオに代わってほしいって。学園の偉い人からみたいよ?」
「えええっ!? 早く貸してくれ!!」

電話はトモハル委員からだった。

「いやはや。夜分に失敬。君の携帯につながらないから、
 こちらにかけさせていただきましたぞ!!
 お食事中でしたか? すみませんね!!
 緊急の連絡事項がございまして!!」

声でけーよ。受話器を少し離すとちょうど良くなった。

「は、はあ。どういったご用件で?」

「会長と副会長の後任が、
 たった今中央委員部で正式に受理されたのですよ」

俺は耳を疑うのを通り越して、食べたハンバーグを吐きそうになった。
どうやら俺と斎藤のペアが、後任に選ばれてしまったらしい。
ミウは自らが手中に収めていた不動の地位を、俺らに渡しただと……!?

そんな……?
  俺がたった一日学校を休んだだけで……
              まさかの事態……?

「今日から君は副会長ですぞ!!」

「え、えっと……まだ頭で理解できないっす……。
 俺が本当に副会長になったんですか……?
 それで本当に中央委員部の人たちも許可したんですか……?」

「無論です!! これは正式に決まったことですぞ!! 
 明日は花火大会の準備ですが、
 その際に全体朝礼で全員に布告されます!!
 そこで君には挨拶を述べてもらいますぞ!!
 原文はこちらで用意してあるので、スマホに送ります!!」

挨拶とか想像しただけでゲロ吐くわ……。
人前で話す訓練もしたことのねえ小僧にどうしろと……?

俺がその事実を恐る恐る家族へ伝えると、
家族みんながイスからひっくり返ってしまった。

俺は専門コースで、特待生を接待する側の人間となってしまったのだ。
経験ゼロ。貫禄ゼロのデクノボウに、何ができると言うのか。
うれしくともなんともない。頼む。誰か変わってくれ。

俺は夕飯を半分以上の残して、自室のベッドにダイブした。
スマホの原文を見ると、すさまじく堅苦しくて長い口上が
並べられている。これを丸暗記して、みんなの前で読むのか……?

無理だ……胃が痛い……。

斎藤にメールしてみるかと思ったら、あっちから電話してきた。

「ど、どうしよう……やっぱり私……会長なんて無理だよ……」

あっちも俺以上に動揺していて笑えた。
会長は副会長より責任が重いからな。
お互い、今夜は一睡もできなそうじゃねえか。

それにしても、こいつとは不思議な縁があるもんだ。
去年は一年五組のクラスメイトで、7号室に収容された仲間でもある。
それが今では生徒会の最高権力に収まるんだからな。

7/30 金曜日

※ミキオ

朝。俺は体育館の壇上にいた。

「きょ、今日から正式に副会長に就任することになりました、
 カワグチミキオ……でしゅ。ちゅ、中央委員部の皆様を初め、
 他の委員部の皆さんの期待に沿えるよう、一層努力して職務を…」

そこら中のボリシェビキから失笑が漏れる。
噛み噛みなので威厳もクソもない。頼む。誰か変わってくれ。
こういうのって場数を踏めば慣れるって言うけど本当なのかね?

「がんばれー」
「かわぐちー。リラックスしろー」
「応援してるぞー」

諜報広報委員部の先輩たちは俺にエールを送ってくれる。
先輩たち……本当に優しい人たちだ。涙が出る。
先輩たちのおかげで勇気が出たぞ。

その時だった。
不思議なことに神様が頭上に降臨した気がした。
そうしたら、スラスラと言いたいことが頭に浮かんでしまう。

「みなさん!! 聞いてください!! 
 僕は明日のオープンスクールが、学園の未来を左右するほど
 重要なイベントだと認識しています!! 特待生を迎えるのは
 我々専門コースです!! 我々が未来のボリシェビキたちに
 模範となるべく、堂々とした態度で迎え入れようでありませんか!!」

おぉ……と拍手が出た。ひとつやふたつじゃない。

「斎藤も僕も、まだまだ未熟者なのは承知しています!!
 ですが、僕たちは偉大なるナツキ閣下の推薦で後任に選ばれました!!
 私は彼のことを心より慕っておりました!! ですから彼に負けぬよう、
 また彼の期待に沿えるよう、全力で努力し、この学園の繁栄に努めます!!」

「やれ逮捕する、やれ粛清するではなく、
 今後も生徒たちが自ら楽しく目的意識をもって学業に励む!! 
 そうした環境を作り出すことが、不幸にも亡くなってしまった
 会長閣下への手向けとなるのだと私は信じています!!
 優秀な先輩の皆様、どうか未熟な私に力を貸してください!!
 今夜の花火大会も絶対に成功に導きましょう!!」

台本にないことをしゃべってしまった……。
しかも怒鳴りつけるような口調で。
赤っ恥とはこれのことだ。もう死にたい。

あとでトモハル委員に真っ先に謝ろう。そう思っていたら……。

割れんばかりの拍手が鳴る。拍手の渦だ。
圧政を批判したのに、保安委員部からも拍手されている。
うれしいことに近藤サヤカさんが涙を流していた。

俺のあだ名は「ナツキの意志を引き継ぐ者」となり、
演説の名手として知られるようになった。
斎藤からは、今後も挨拶をすべてお願いねと丸投げされる始末。
喜んでいいことなんだろうか。

----

これから会場の設営が始まる。
校舎組と校庭組に別れる。

校舎組は、見学会のために徹底的に校内清掃をする。
これは別に難しいことじゃないな。

校庭組は、夜の花火大会のための設営である。
段取りは中央委員部の仕事だ。
サヤカさんとモチオさんの指示で、テキパキとテントが張られていく。

当日はカレーライスを生徒で作るが、
それとは別に業者の屋台を呼ぶので場所を区切っていく。
校庭の奥の方では、花火の打ち上げの練習もやっている。

俺と斎藤は、設営準備の段取り表に目を通しながら、
みなさんが元気に作業しているのを監視させていただいている。
立場上手伝えなくて申し訳ない。

今日は前日だと言うのに、来賓のテントにもう客が来ていた。
お偉いさんの集まりなのだが、その中の一人は……。

「やあ君、先ほどの演説は見事だったぞ」

「理事長閣下!! 恐縮でございます」

「君を始めて見た時から、只者ではないと思っていたが、
 私の目に狂いはなかったようだ」

「とんでもございませんっ。周りのボリシェビキの先輩たちは
 優秀な方ばかりで、いつもいつも助けていただいております!!」

「控えめなところもソ連の英雄にふさわしい気質だ。
 私の父も若い時はソ連のために戦ったものだ。父は空軍兵だったのだよ」

「おおっ、そうだったのですか!!
 お父上もさぞ立派な軍人だったのだろうと想像いたします!!」

「スパシーバ。私は今でも父を心から尊敬している。
 自分の生命と財産の全てを投げうってでも、祖国のために
 尽くすことができる者。その者は英雄と呼ばれるのにふさわしい」

今の日本政府は保身ばかり考えて国家のことを後回しにする
無能者の集まりだと、理事長は厳しく批判した。
彼の瞳には、自民党に対する深い恨みの感情が浮かんでいた。

「これを誰に渡すべきか長い間迷っていたのだが、
 君に託すことにしよう。手を出しなさい」

「この勲章は……?」

「ソ連では社会主義労働英雄に与えられる名誉勲章だ。
 父は戦後のソ連で空軍技師として働いた功績を認められたのだ。
 君はまだこの学園で何かを成したわけではないが、
 君の力強い意志と将来性にかけて、先にこれを渡しておく」

「し、しかしこれは……」

「どうか受け取ってほしい。ただし大切にしてくれ。
 私が父から受け継いだ大切な勲章だ。私は見た目以上に
 老け込んでいてね。先はそう長くはないと医者から言われている」

確かによく見ると、理事長はかなりのご高齢だった。
威圧感があるから実年齢が分かりにくいのか。
足も不自由で杖がないと歩けないようだ。

「私の身内には、残念ながら勲章を預けるに値する者は現れなかった
 私の不肖の息子は、闇金業の経営にうつつを抜かす愚か者でね。
 政治のことには関心を示そうとしない。だから諦めた。だが学園なら、
 私の後継者にふさわしい人間がいつか現れるのではないかと思ってね」

人を金利で苦しめ、金利で暴利をむさぼろうとする者は、
資本主義国でも共産主義国でも悪だ。あってはならないと
理事長閣下はおっしゃった。息子様はヤクザなんだろうか……?

「不思議なことに、君には従軍した者の目をしているように
 感じられるのだよ。生前の父も同じような目をしていた。
 瞳の奥に感じる、底知れぬ絶望と悲しみ。これは戦地で多くの兵の
 死を見てきた者にしか出すことはできないはずなんだが。
 君はその年で戦場の経験があるのかね?」

「夢を……見たんです。俺がスターリングラードのママイの丘で、
 ソ連兵の人たちと防衛戦に参加していた夢を。あれは夢じゃなくて
 現実世界だったのかもしれません。理事長のおっしゃるように、
 従軍の経験があるかと聞かれたら、あるのだと思います。
 こんなこと言っても頭がおかしいって思われるのは分かってますけど」

「君は見たのだろう? スターリングラードの廃墟を」

「はい。確かに見ました。今でもはっきりと思い出せます」

「ならば、それが現実ということだ。
 現実と夢の境界線など、あってなきがごとしなのだ」

今後も生徒会のことを頼むと言い残し、黒塗りの車で帰って行った。
俺は副会長だから、会長を支えるのが仕事なのだと言われた。
あの方に言わせると会長ペアが男女なのも好ましいらしい。
理由は男と女は支え合うものだから、だそうだ。

お互いの欠点を補えばいいってことなんだろうか?
俺にはよく分からん。日本でもソ連のように女性の地位向上が
早く進むことを彼は祈っているそうだ。

7/31 土曜日。オープン・スクール当日

ミキオだ。開始時刻は10時からとなっている。

校内の隅々に至るまでゴミ一つ落ちてない状態にした。
トイレなんて高級ホテルの一室並みに清掃してある。
便器とキスできるレベルだぞ。

造園業者に頼んでこの日までに庭の刈り込みは完璧に終わっている。
噴水広場のベンチはピカピカ。校長の不細工な像まで磨いてある。
整備された野球部のグラウンド、遊歩道を兼ねている弓道部の瞑想の森には
小枝ひとつ落ちてない。全てが完璧だ。

「ウフフ。そろそろお客様が来る時間ねエ」

副官のナジェージダさんは、不慣れな会長コンビのために
今日の段取りを考えてくれた。予行演習もやった。
想定される質問の対応マニュアルまで作ってくれたのだ。
本当に感謝の言葉しかない。

「ナージャ。顔が疲れてるようだけど、平気?」
「ありがとネ。マリー。開始時刻まで少し休もうかしら」

マリーは少し大きすぎる声で看護係を呼んでくれた。

ナジェージダさんは、あまり寝てないらしい。
愛するナツキさんが死んでから、この人は明らかに年を取ってしまった。
自主的に留年しているため実年齢は19歳だが、俺には29歳に見える。

「ナージャさん。俺たちだけでも頑張りますよ。
 見ての通り俺らはやる気満々ですから!!
 まじで午前中の間だけでもベッドで休んでてください」

「ありがトね。可愛い後輩たちヨ」

看護係のボリシェビキが、ナージャさんに肩を貸して歩いて行った。
あの人、本当は倒れる寸前まで無理をしていたんだ……。

「なあマリン。ナージャさんの事、心配だな」
「……私たちにはどうすることもできないのが、かなしい」

どんな名医に見せても、彼女の心の傷を癒すことはできないのだ。
俺はあとで中央委員部に彼女の長期休学を提案しようと真剣に思っている。
このままじゃ、あの人もつぶれちまうぞ……。

その後、オープン・スクールの方は終わった。
なんとまあ、ボリシェビキ養成コースとはいえ、
普通の学校見学の延長にすぎなかった。

ただ面白かったのは、エリート中学生が訪れるもんだから、
皆話は真剣に聴くし、スマホにメモを取る人が多かったことだ。
自分の説明を真剣に聞いてもらえるのってうれしいもんだな。
逆に寝てる生徒にドつく先生の気持ちが分かった気がする。

中学生の中にはこんな質問をする奴もいた。

「副会長さんは、今までの仕事で一番つらかったことは何ですか?」

まさか就任して二日目だとは言えない。
そこで適当に、部の代表の後任を選ぶことだと言っておいた。
実際に俺も渦中にいたわけだからな。具体性はあったと思う。

会長のマリンはソ連の歴史にどこまでも詳しくて、
歴史の授業をするように得意げに説明していた。
本当にこいつは空でよくそこまで言えるもんだ。
歩く教科書みたいなやつだよ。

「斎藤会長は彼氏さんはいるんですか?」

と女の子からの質問。

残念ながらいません!! と答えると、皆が意外そうな顔をした。
これだけ美人なのに彼氏無しってのも不思議だよな。

すぐにお昼になる。

お客さんは食堂の利用は禁止だ。その代わり製菓部が作った
手作りのパンとクッキーが配られる。無料だけど数は限りあり。
皆がテントの前に列を作り、あっという間になくなる。

有料のパンもあるのだが、こっちも盛況で販売開始50分で完売。
学内は食事禁止なので家に帰ってから食べてください。

オープンスクールの日程は午後3時まで。
お客さんは、だいたい一時間半ごとに入れ替わる。
午後もすぐに終わった。今日は相当な人数が訪れたと思うが、結局俺の
家族とは会えなかったな。忙しくてみんなのこと気にする余裕もなかったし。

時間が過ぎるのが速すぎるぜ。

花火大会は夕方の5時半から入場開始。
花火が撃ち上がるのは、6時半から7時半の一時間。

入場開始までまだ時間があるので、来客の皆さんは
それまで一度自宅に帰って浴衣に着替えてくるのも良し。
帰りたくない人は、園内の広場や一般開放した食堂で過ごしても良い。

この場合の食堂も飲べるのは禁止だが、
持ち込んだ飲み物なら飲んでもオーケーだ。
食堂はエアコンが強めに効いてるので暑さ除けになる。

俺らボリシェビキの中枢は休む暇などない。
続いて花火大会の設営の最終チェックに入る。

屋台業者の人が入って来て、ぞろぞろと支度を始める。
打ち上げる予定の花火の種類と数のチェックを始める。
万が一の場合の消化器等の不備がないかもチェック。

自由席の配置は完璧か? イスの数は?
来賓の用のテントには、麦茶が用意されているか?
確認することだらけで頭が混乱する……。

ナージャさんが用意してくれた段取り表に、
次々にレ点をいれていく。今のところ確認漏れはないようだ。

そういえばマリンの方は順調か?
あいつには入場門(総合受付)の方を任せてるんだが……。

「おいおい……」

信じられないことにあいつはボーっと突っ立ってた。
ナージャさんから渡された段取り表のバインダーを片手に持ったままだ。

何やってるんだよ!! 他の皆はきびきび動いているのに、
あいつだけ遊んでたら示しがつかないぞ!!
暑さのせいもあり、イライラした俺はマリンの肩を強くつかむと……

「あいつ……やっぱり殺す……」

マリンは怒りに震えていた。何がそんなにムカつくのか……?
答えはすぐにわかった。高野ミウと太盛がいたのだ。

別にふたりがマリンに何かをしたわけじゃない。
入場門の前にある、ベンチでコーラを飲んでいただけだ。

顔面複雑骨折の太盛は、顔中に包帯を巻いてるから
見た目がエヴァ零号機にそっくりだ。
ミウは奴の車イスをベンチの横に置くことで、
ふたりはベンチに横並びで座っている形になっていた。

話に花が咲いているようだ。
ミウは口をたまに抑えながら、太盛は大きな口を開けて笑う。
おそろいの缶コーラは、すぐそばにある自販機で買ったのだろう。

ちなみにコーラはアメリカの文化のため、
ボリシェビキのメンバーは飲まないようにするのが暗黙の了解。
だが今のミウは一般生徒。もう関係ないのだろう。
むしろ自分が一般生徒であることをアピールしている可能性がある。

「ちくしょう……見せつけやがって……殺してやるぅ……」

正直マリンに近づきたくはなかった。
血が出るまで唇を嚙んでるんだぞ。
周りのボリシェビキのみなさんは、見て見ぬふりをして
仕事に没頭してらっしゃる。だが俺はそうはいかねえ。

「あんなバカップル、ほっとけよ。俺たちは仕事しようぜ」
「でもあいつら、花火大会に出るんだよ」
「そりゃしょうがねえだろ。花火大会は一般生徒も参加自由だ」
「どこにいてもあいつらの姿が視界に入る。私にとっては拷問だよ!!」

「だからって、どうしようもねえだろ。会長の権限で追い出すか?
 そんなわけにもいかねえだろ。現にあいつら規則に反したわけでもねえ。
 参加届は中央委員部が受理しちまったんだ。もう諦めろ」

「あなたは……人を好きになったことがないから、
 そんな簡単に言えるんだよ!!」

ないわけじゃ……ないんだけどな。

マリンには悪いが、俺はあのふたりの恋愛を邪魔するつもりはない。
副会長に就任してから副会長室を使わせてもらっているわけだが、
部屋全体の掃除をしていると、仕事机の引き出しの奥にミウの日記が出てきた。

ミウが高2の時に書いていた日記で、
奴がまだ組織委員部にいた頃のことが(組織委員部は現在廃止されてる)
書かれていた。見ちゃいけないものを見てしまった気がした。
他人のプライベートって見てるこっちが恥ずかしくなるからな。

ミウが本当に望んでいたことが全部書いてあった。
あいつが、自分には権力欲がないと言っていたのは信じていいと思う。
あいつにとって望んでいたのは堀太盛とイチャイチャ・ラブラブすること。
恋人らしく過ごすこと。ずばりベンチで仲良くおしゃべりしてる今の状態のことだ。

ミウにとって生徒会とは自分に都合の良い権力であると同時に、
太盛との距離を遠ざける障壁でもあった。

3号室に収容された太盛を救うためにあえて
ボリシェビキに加入したのが昨年の秋。そう考えると、
奴の言っていることは論理的には間違ってないんだよ。
ミウは太盛を救うためにボリシェビキの権力を利用しようとしたが、
それが裏目に出て太盛に嫌われてしまう。ここから運命の歯車は狂った。

それだけのことなんだ。

ミウは目的を達成した。だからボリシェビキから距離を取った。
だがいざ太盛とラブラブになると、嫉妬する女が現れてしまう。

ふぅ……。やれやれ。

マリンは仕事にならないようだ。
ワガママな生徒会長さんにも困ったもんだ。
しょうがねえ。

「あの、そこの方々。すみません。実はここのベンチなのですが、
 設営の都合で撤去することになりました。ですので、
 申し訳ありませんが、立ち退いていただけると助かるのですが」

「あっ、そうなんだ。副会長さんが言うならしょうがないね。
 太盛君、あっちの木陰に行こうか? あっちの方が涼しそうだよ」

「そうだな。ミウが言うならそうしよう。俺はミウの言うことには
 なんでも従うぞ。だって俺はミウのことが大好きだからな」

「もうw太盛君ったら、恥ずかしいよ」

「減るもんじゃないからいいじゃないかw」

「愛してる」

「俺もだよ!!」

爆ぜろリア充が。近くで見たら猛烈にうぜーわ。
ジンマシンできたわ。俺なんて彼女いない歴=年齢なんだぞ。
副会長の権力を使って出入り禁止にしてやろうか。

俺は謎の殺気を感じたので振り返ると、建物の隙間から
こちらを除く二つの陰があった。

おいおい……。橘先輩とクロエさんじゃねえか……。
あの二人も全然あきらめてなかったのか。
ふたりともエプロン姿だから製菓部の仕事でも手伝ってんだろうが、
そっちの仕事は大丈夫なのか? クッキーに毒を混ぜそうな勢いだぞ。

(製菓部も屋台を出してお菓子類やジャムを販売する。
 伝統のマーマレードジャムに定評があり、
 買って帰るお客さんが多いらしい)

堀太盛が刺されるのも時間の問題と考えていいか……。
俺も一度でいいからそこまで女にモテてみてえよ。

7/31 花火大会の夜。ミウと太盛は仲良し(*'▽')

※三人称

体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下付近には人がいなかった。
そこにベンチがあったので、ミウはそこに腰かけ、横に太盛の車イスを置いた。
太盛が顔に汗をかいていたので、ミウはハンカチでふいてあげた。
夕方は虫が多くなるので腕に虫よけスプレーを吹きかけた。

「ミウは本当に優しいんだね。女神みたいだ」

「好きな人のためだから当然だよっ」

「俺みたいな、顔面が変形しちまったブサイクな男でも、
 君は好きでいてくれるのかい?」

「太盛君は今でもすっごくカッコいいよ!!
 少し顔の形がイメチェンしても太盛君は太盛君のままなんだから!!」

「ありがとう。ミウ。手を握ってもいいかな?」

「はい。どうぞ」

暖かいミウの手と冷たい太盛の手。重なり合ってちょうどよかった。
夏場でも夕方になると風が吹き始めて暑さが少しは和らぐ。
裏の林がカサカサと音を立てて揺れていた。

「キスしようか?」
「い、今はダメだよ」
「誰も見てないじゃないか」
「どこに人目があるか分からないじゃな~い。
 そういうのは帰ってからにしましょうね?」

本当に人目はあった。花火打ち上げ開始の10分前。
主催側のボリシェビキの係たちは、だいたいの準備が終わって暇になる。
これ以降は何かトラブルでも起きない限りは自由時間に等しかった。

そこで『渡り廊下のベンチにミウと太盛がいるわよ』
と誰かが噂をすると、一斉に人だかりができた。

「なんだか急に人が増えてきたな」
「ほんとだね。さっきまで誰もいなかったはずなのに」

ボリシェビキにはミウや太盛に恨みを持つ人が多くいたが、
一般人となった彼らを襲撃しようとまでは思わなかったようだ。

実はこの時点でミウを殺すのは簡単だった。

ミウの護衛であるファンクラブの連中は、
ふたりのラブラブ状況を見て発狂し自然消滅。

ミウを守るべきものはもう何もなく、こうなってしまっては
高野ミウは154センチの小柄な女の子に過ぎなかった。
運動部でもないから力も体力もない。
やろうと思えば男子中学生でも彼女を素手で殺せるだろう。

ミウはそれを承知の上で、太盛とカップルでいることにこだわった。
普通に考えれば遠くに遊びに行けばいい。なぜわざわざボリシェビキが
支配する学園でデートしたのか。理由は彼女もまたこの学園が大好きだったからだ。

彼女らは高校三年生の最後の夏を過ごしている。
ここでの思い出はたぶん一生のものになる。
彼と会えない時間が多かった去年の
思い出を取り戻すように、この夏にはこだわった。

「みんなが見てるから気まずいね」
「場所変えるか?」
「変えてもたくさん着いてきそうだよね」
「困ったなぁ。芸能人は大変だよな」
「そうかもねww」

仮にこの学園に芸能記者クラブがあれば、
ふたりの記事が一面を飾ったことだろう。

ただデートしてるだけなのに、人だかりはすでに50名を超えて
スマホで写真や動画を遠慮なく撮られている。太盛は余裕で
笑っているが、ミウは顔が真っ赤になってしまう。

そこへ意外な人物が。

「ふたりとも、そこにいたのね」
「あ、ママ」

高野カコが登場した。ミウの実の母である。

「久しぶりね太盛君。一年も会わないでいると、
 随分と凛々しい顔立ちに成長するものね」

「はは……ジェイソンのホッケーマスクみたいな顔に
 イメチェンしたんですよ。意外と似合うでしょ?」

「ママっ。太盛君に失礼だよ!!」

「冗談で言ってるのよ。ねえ太盛君?」

「ええ。カコさんのジョークはいつもキツイですからね。
 英国風って感じで」

太盛は去年の夏休みに高野家のマンションを訪れていたから、
カコとは知り合いだった。カコは顔の綺麗な太盛を一目で気に入っていた。

カコは娘が半年以上不在だったことを特に気にしておらず、
ミウが突然家に帰って来た時も「長い寮生活だったのね」と
疑う様子もなかった。とんでもない母親である。

実はそれは冗談で、娘が昨年死亡したことを学園側からは
知らされていたが、事実を受け入れられず発狂していたところ、
つう最近になって娘が生き返ったことを知った。

カコは大いに混乱して、役所に出されたはずの死亡届を取り消そうとしたが
そんなものは届いてないと言われ(粛清の場合は戸籍の記録が消される)
「初めからあの子は死んでなかったのよ。私の気のせいだった」
と究極の結論を出すに至ったのだ。

三人で入場門件受付で氏名を記入し、会場へと入る。
自由席はそこそこ埋まっていたが、まだ余裕がある。
ミウが目立つのが嫌だと言うので、目立たない端の席に座った。
できるだけ後ろの方を選んだつもりが、

「ミウの母親がいるぞー!!」
「えええ、うそおおお!? あの人が!?」
「おいマジだよ。あの人がお母さんだよ!!」
「つーかあの人たち、親公認だったの!?」
「卒業後に結婚するって噂は本当だったのね!!」
「そこの奴、俺の前で立つなよ。よく見えねえだろうが!!」

ついに時間となった。

花火大会の開催の挨拶が会長からもたらされるが
彼らのほとんどは高野カコらに夢中で誰も聞いてなかった。
まっすぐ前を向くべきなのに、花火とは関係ない席の方に
集中してるのだからおかしなものだ。

一発目の花火が上がる。重みのある低音が、空から降って来た。

ドーン。ドーン。花火が次々に上がり、空に模様を描いてく。
色彩も豊かで、間の取り方もうまい。

「きれいだね。太盛君」
「ああ、きれいだ」

さすがにこの頃になると、自由席の皆は花火に集中した。
カコはニコニコしながら娘たちの様子を横目で見守っている。
「結婚式はいつにしようかしら?」と言ってミウを照れさせた。

連続花火がさく裂し、大衆からの拍手がわく。
一連の花火が終わった後、闇夜に濃厚な煙を残したのだった。

「なあミウ」
「なぁに?」
「君はこことは違う、別の世界があることを知っているか?」
「知っているよ。私は別の世界からここに来たんだから」
「元の世界のことを覚えているか?」
「私は太盛様の家の使用人でしたけど」
「俺も君のメイド服を覚えているよ」

三発の花火が同時に上がる。全部違う色だったので、また拍手がわく。
もう太盛たちのことを誰も気にしてなかった。

「俺たちは常に何かを捨て、何かを得ている。
 数多くの選択の中に生きている。そして今回は
 君と結ばれることができた。俺はいますごく幸せだよ」

「私も幸せだよ。この学園じゃなくて別の高校で
 普通に恋愛をしていれば、こんなに遠回りすることもなかったのにね」

「ああ。君の言うとおりだな」

「これからもずっと幸せな時間が続くといいね」

「ああ。そうだな」

ミウと太盛の手のひらが重なり、唇も重なった。
打ち上げ花火の巨大な光が、二人を上から照らしていた。

学園生活シリーズから続いた、ミウの長い苦悩の歴史はこれにて
一応の決着を見た。人気者の太盛を獲得することは、他の女子にとっては
残酷な結果となった。マリンも、花火大会のふたりを遠くから監視していたが、
もう自分の出る幕はないのだとあきらめがついた。

クロエもあきらめた。エリカはその後も機会をうかがって太盛へ
近づこうとしたが、ミウによく説得された太盛の方から断りを入れた。
エリカはボリシェビキを辞めてしまい、卒業前に転校してしまった。
重大な規則違反だが、会長権限で許可された。

ミキオは、夏が終わるのを待ってからマリンに告白してみたが、
あっさり振られてしまった。その後も気まずい関係にはならず、
ふたりは真面目に仕事をこなした。

中央委員部から会長たちのコンビネーションは抜群だと評判だった。
休みの日に二人で映画を見に行くこともある。
友達以上の関係ではあったのかもしれない。

ミウと太盛は卒業するまでカップルのままだった。
同じ大学に進学し、20歳を迎えた時に学生結婚した。

彼らはボリシェビキではなく、普通の日本人として大学生活を過ごしていた。
革命がどうだの、資本主義がどうだのと、
愛し合い若い二人にとってはどうでもいいことだった。

ふと寝る前に思い出すことはある。いったい、学園で発生した
恐怖政治とは何だったのだろうと。当事者のミウでさえそう思うほど、
高校生の時の記憶は遠いものになっていた。
                      
                         終わり。

ママエフ・クルガン(102高地)~川口ミキオの物語~

ママエフ・クルガン(102高地)~川口ミキオの物語~

いつか投稿した、『斎藤マリー・ストーリー』のサイドストーリー。 脇役であった川口幹夫(ミキオ)に焦点を当てる。 彼は強制収容所7号室で不思議な夢を見るようになった。 それは高校生の彼が知るはずもない、20世紀の大戦争の歴史だった。 大祖国戦争で最大の激戦地となったスターリングラード戦、ママイの丘の激闘。 独ソ両軍が何度も占有権を奪い合い、 兵隊の屍が重なり合って丘の形が変わったと伝えられている。 ミキオは、夢の中でソ連軍の軍服を着ていた。 弾薬が満載された短機関銃を持たされた。 丘の先にいるドイツ戦車部隊に照準を合わせる。 戦争のことなど何も知らない日本人の彼が、そこで一体何ができるのだろうか。

  • 小説
  • 長編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-05-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 強制収容所7号室での就寝時間は、通常は9時であるが例外もある。
  2. ママエフ・クルガン (ママイの墳丘墓)
  3. 川口ミキオの夢。ママイの丘
  4. 夢から覚める。変哲のない収容所での生活が続く。
  5. 夢は願望を生み出すこともあるが、記憶の整理にも使われる。
  6. 続き
  7. さらに続き
  8. 夢が覚めたミキオ
  9. マリーの話は長い。
  10. マリンはついに本心を明かした。
  11. ドイツ第三帝国の首都。ベルリン征服記念日。
  12. マリンが夢から覚めた。
  13. ミキオとマリンは久しぶりに会話をした。
  14. ミキオはマリカと初めて会話をした。
  15. ハルナが学園に入りたいと言った。
  16. マリカは会議に参加した。
  17. 会議の続き。マリカは演説をした。
  18. クロエとエリカに逮捕状が出された。
  19. ナツキの夢(回想)
  20. 真の生徒会副会長
  21. 7月27日 火曜日
  22. 7月28日 水曜日
  23. 7月29日 木曜日
  24. 7/29 夜
  25. 7/30 金曜日
  26. 7/31 土曜日。オープン・スクール当日
  27. 7/31 花火大会の夜。ミウと太盛は仲良し(*'▽')