騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第四章 悪の軍

第十話の四章です。
魔王についてと、魔王軍との戦いです。

第四章 悪の軍

 その男の子は力持ちだった。周りの子供たちはもちろん、大人でも敵わないほどの怪力だった。
 だがそれは男の子にとってそれほど特別な事ではなかった。周りの子供たちは男の子とは違う点で優れていたり、他の子が持っていないモノを持っていたりしていて、むしろ男の子の怪力は地味な方だったのだ。
 しかしそれらはただの個性であり、物心ついた時からずっと一緒に過ごしている、それぞれに特技を持った子供たちは仲が良く、毎日楽しく過ごしていた。
 そんなある日、子供たちを世話してくれている人が知らない大人を連れてきた。
 その人物は騎士と名乗り、子供たちに「良いこと」と「悪いこと」についてのお話を始めた。子供たちのように特別な力を持った人はそれの使い方を間違えてはいけない。暴力で人を不幸にするような事はせず、力のない人たちをそういうモノから守ることが義務なのだと。
 騎士が正義と呼ぶその精神が、子供たちに与えられている本の一つ、とある物語に出てくる勇者のようだと、多くの子供たちが目を輝かせた。特別な力を持った自分たちは勇者のようになれる――そのことが嬉しかったのだ。
 だが男の子は違った。確かに騎士とは勇者のようだが、男の子は、勇者の敵として登場する魔王の方が好きだったのだ。

 勇者は、王様や女神様からすごい鎧やすごい剣をもらい、たくさんの仲間を連れて魔王に挑む。
 だが魔王は、たくさんの部下はいても戦う時は一人。その身一つで勇者チームの挑戦を受ける。
 もちろん、人間である勇者とすごい存在である魔王ではそもそもの差が存在しているという話もあるが、男の子は魔王の心意気をカッコイイと思ったのだ。

 それから騎士の人はちょくちょくやって来て、先の道徳的な教えに加えて体術や魔法についての指導も始めた。どうやら騎士の人は子供たちを未来の勇者として育てたいらしく、魔王に憧れる男の子としては微妙なところではあったのだが、新しいことを学ぶことは楽しかったので、男の子は騎士の人の指導を素直に受けていた。
 だがある時、男の子は自分の頭に角が生えてきたことに気がついた。左右の側頭部から出て、直角に曲がって天へと伸びるそれは、まさに物語に出てくる魔王そのもの。周りの子供たちが勇者を目指す中、男の子は、自分こそが魔王なのだと確信した。

 魔王である自分は何をするべきなのか。男の子はたくさんの物語を読んだ。
 罪のない人たちを攻撃して高笑いをする。部下であっても失敗すれば容赦しない。残虐さや冷酷さなどの悪い点が目立つ魔王ではあるが、男の子が注目したのは最後の最後――勇者によって倒されるという点だった。
 多くの人々や神様のような存在の願いを受け、世界最強の戦士として挑んでくる勇者の力によってようやく敗北する魔王。逆に言えば、それほどの存在でなければ倒せない強さを持っているということ。魔王が行う全ての悪事も、その強さがなければなしえない。
 そう、何はともあれ圧倒的な力がなければ魔王は名乗れない。男の子は、まずその強さを得ることを目標とした。
 騎士の人が指導する体術や魔法の自主トレーニングを始め、どうしても「勇者っぽい」モノになってしまう騎士の人からの教えを「魔王っぽい」それにする為に試行錯誤を繰り返した。
 暗闇を切り裂く光の一閃は全てを飲み込む暗黒の一撃に。皆を守る光の盾は相手を全滅させる無数の矛に。仮にも魔王がこそこそ修行するのはどうかとも思ったが、勇者を育てる騎士の人や未来の勇者たる周りの子供たちの前で名乗りを上げるにはまだまだ自分の魔王レベルは低い――いつか大きな声で宣言する事を夢見て、男の子は修行を続けた。

 そうして子供たちが初等で言うところの最上級生くらいになった頃、男の子は周りの子供たちや騎士の人を超えていた。
 怪力が片鱗だったのか、男の子の身体能力は見る見る内に向上し、華麗な体術とそれぞれの特技に合った魔法を組み合わせる、騎士の人からすれば充分に上位クラスの悪党や魔法生物と戦える周りの子供たちを、体術のみで圧倒するようになっていたのだ。騎士の人も敵わず、将来有望な勇者であると男の子を高く評価した。
 加えて、みんなには依然として秘密ではあるが、魔王としての魔法もかなり高まっていた。目標としている「魔王っぽい」圧倒的な魔法にはまだ至っていないが、確実に近づきつつある自身の力量に男の子は喜びを感じていた。それは既に、もしも騎士の人が見たなら真っ青になるか恐怖で動けなくなるだろう凶悪無慈悲にして強力なモノだった。
 当時の男の子は知らなかったが、自分が魔王であるという確信は魔法をより強力にする鍵であるイメージ力の基盤となっており、「魔王である自分がやるのだからこうなって当然」という認識が男の子のイメージする魔王の魔法を現実のモノへとしていったのだ。

 こうして、子供たちが青年と呼べる年齢になり、男の子――彼の角も身体も立派に育った頃、騎士の人は実戦を行うと言った。とある場所に潜伏しているとある悪者を退治するというのだ。
 子供たちの中で一番強いゆえにリーダーとなった彼だったが、周りからの拍手を受けながら全く別の決断をしていた。
 これからは実戦。つまり騎士の人から何かを教わることはもうない。まだまだ目標とするレベルの力には至っていないが、周りの子供たちは勇者候補――いつまでも一緒にはいられないのだから、これを区切りとして今まで育ってきたその場所を出るべきだと判断したのだ。
 実戦を行うと言われたその日の夜、彼はその場所を抜け出して外に出た。途中、世話をしてくれていた人でも騎士の人でもない変な人たちが追ってきたが全てを撃退し、彼は生まれて初めてその場所の外に出た。
 そういえば魔王として支配するべき世界というモノをきちんと理解していない事に気づいた彼は、今の世界について勉強する事にした。
 基本的な知識は抜け出してきたその場所で教わっており、騎士の人が言っていた「悪いこと」をすれば衣食住や金銭にも困らないため、彼は正義の味方――勇者と呼ぶには物足りなさすぎる騎士たちを蹴散らしながら世界を見て回った。

 しばらくの後、とある二つ名で指名手配された辺りで勉強はこんなものかと判断した彼は、次に魔王の部下を集める事にした。
 魔王には、どの物語においても魔王のように残虐かつ人間ではない部下がたくさんいる。特に魔王のいる玉座の間に常にいるような幹部クラスは強さも相応で、メンバーは厳選しなければならない。
 そういう者たちを効率よく探す為にも、最初に部下にするべきは頭脳担当の「参謀」であると彼は考えた。
 強く、賢く、冷酷で、魔王の部下たち――彼を頂点とする魔王軍の参謀にふさわしい者を彼は探し始めた。勿論、闇雲に歩き回ったわけではない。彼は集中することでかつて共に過ごした仲間たちのような特殊な力を持った存在を感じ取ることができたのだ。
 自身の部下に最適な者を探す為に魔王に備わっている能力だと信じているその力で、彼は一つの裏組織にたどり着いた。それは彼がイメージする魔王軍とはかけ離れた、人間たちの悪党集団だったが、その組織の頭脳としてボスの傍らに立つ男がおでこに巻いているバンダナの下に何を隠しているのかを、彼は感じ取ったのだ。
 騎士がつけた位で言えばA級の犯罪者集団だったそれを一人で壊滅させた彼は、最後に残った男に、自身の角を自慢気に見せながら考えていたセリフを言った。

「共に世界を手に入れようぞ!」

 彼に忠誠を誓ったその男――参謀は彼に提案した。部下を集める上で優先的に欲しい能力は二つあると。
 一つは魔王軍の一般兵や強力な魔獣を生み出す能力。魔王軍にふさわしい者、即ち彼や参謀のような存在はその絶対数が少なく、そういった者たちだけで軍を組織するというのはあまり現実的ではない。その辺にうじゃうじゃといる人間や魔法生物をそういった存在に変えることができる者が必要なのだ。
 もう一つは建造の能力。魔王と言えば魔王城であるが、それも都合よくあるわけではないので自分たちで作らなければならない。勇者たちを迎える数々のトラップも用意できるような力を持った者が求められる。
 この二つを条件として、彼は魔王の特殊な力と参謀が集めた情報から候補を探して回った。

 とある大都会。賑やかな表側とは違う暗く湿った裏側の世界にうずくまる人物。目にも止まらぬ速度で人混みを駆け抜け、通り過ぎた通行人全てから財布を盗み取るその人物が身体をすっぽりと覆うローブと頭にかぶった紙袋の下に何を隠しているのかを感じ取った彼は言う。

「共に世界を手に入れようぞ!」

 とある軍。特技を活かしてはいるが常に周りの騎士たちに怯えている人物。捉えた罪人たちを収容する施設を作る際に呼ばれ、言われるがままに建物を作るその人物が大きめのズボンの中に何を隠しているのかを感じ取った彼は言う。

「共に世界を手に入れようぞ!」

 こうして三人の部下を迎えた彼は、強力な魔王軍とカッコイイ魔王城を用意していざ勇者に宣戦布告――と思ったのだが、ふと気がつく。この世界には、「この人物こそが勇者だ」と言われるようなたった一人のすごい人物というのがいないのだ。
 魔王である自分がいるのだから勇者もどこかにいるはず。真っ先に思い浮かんだのはかつての仲間たちだが、そういえばあれから彼らの存在は耳にしていない。彼らの誰かが勇者であれば知った名前が世界に轟いているはずなのだ。
 もしかしたら勇者はまだ自分がそうだと気がついていないのではないか。まだ幼い為、魔王である彼に知られないように周りが隠していたり、そもそも生まれ育った環境の影響で勇者や魔王という存在を知らない場合もある。
 思い返してみると、魔王の事を学ぶために読んだ数々の物語において、勇者は初めから「自分が勇者である」とは宣言していない。偉業を成し遂げ、周りから言われて気がついたり、ピンチに陥った時に自身の底に眠る力に気がついたりと、何かしらのキッカケがあった。魔王である自分は部下をそろえたりと準備が進んでいるが、勇者の方は剣すら握っていない可能性があるのだ。
 数々の死闘の先に待つ勇者との最終決戦。それが世界を支配した後なのか直前なのかはわからないが、ともかく魔王は勇者によって倒される。生きるものは全て死ぬのだからそれ自体はどうでもよく、むしろ華々しい死に方が用意されている運命に、彼は誇りを持っていた。
 だがそれらは全て勇者あっての事。その力に覚醒するのがいつなのか、魔王の名が世に知れ渡ってからなのかどうなのか。魔王としてするべき事をしていれば自然と現れると確信してはいるのだが、「そういえば勇者はどこにいるのだろう?」という疑問を覚えてからというもの、彼はずっとソワソワしっぱなしになってしまった。
 このままでは魔王軍を作り上げる事に支障が出る。そう考えた彼の参謀は勇者が誰なのかを特定してしまう事を提案した。
 本来、魔王が勇者を探すとしたらそれは抹殺する目的以外にはありえないのだが、このままでは魔王としての使命に関わる。微妙に魔王としての在り方から外れるが致し方ないとしてこの提案を受けた彼は、三人の部下と共に勇者を探すことにした。
 勇者としての力に覚醒していなくとも、その精神は勇者としてふさわしいモノであるはず。ゆえに彼らはその者の強さに関係なく「勇者っぽい」性格の人物を探した。そしてそれっぽい人物を見つけたらその者が「勇者っぽい」行動をしやすくする為に大切な何かを奪い、返して欲しければと言って魔王城――その者を試す為に用意した即席の城に招待した。
 その城にはその者の強さに合わせた数々の障害――勇者にふさわしい精神力や正義感を持っていれば突破できる壁を用意した。それらを乗り越えてたどり着く最後の間にて彼が直接見定め、仮にその者が勇者であったならば魔王城へ招いた事に関する記憶を全て消し、利用したその者の大切な者なども全て元に戻す。こうすれば彼のソワソワも収まり、勇者は運命が用意したキッカケによって自然と覚醒する。こうして彼らの勇者探し――騎士たちが言うところの「勇者ごっこ」、「魔王ごっこ」が始まったのだ。

 彼の魔王城という試練を突破したならば全てが元通りになって元の生活に戻れるという事なのだが、未だ勇者は見つかっていない。結果勇者探しの犠牲者だけが増えていき、既にとある二つ名で指名手配されていた彼だが、その時の彼とはやっている事が全く違うために別の犯罪者として指名手配され、ある時選んだ勇者候補がたまたま十二騎士であった事から、彼はS級犯罪者の一人、『魔王』となったのだ。

 魔王の名が広まっていく事に満足しつつ勇者探しをしていた彼のところに、ある日『マダム』と呼ばれる女性が現れ、『世界の悪』と呼ばれる犯罪者を倒す為に手を借りたいと言ってきた。
 彼も『世界の悪』の事は知っていた。現状、悪党の王とされている――即ち魔王と同等の立場で見られている存在だが、真なる魔王は自分である為に特に気にしていなかった彼は『マダム』の依頼を断った。
 だがその時、『マダム』はこう言った。

「そうか。偽魔王の存在を許すとは、魔王も寛大なのだな。」

 その一言が彼を煽る為の言葉であったことは理解していた。だが確かにと、彼は再考する。数々の物語の中で偽の勇者はそれなりに登場したが、偽の魔王というモノが登場した事はなかった為に深く考えていなかったが、魔王としてはどうするべきなのか。
 魔王の名を語る不届き者を、戯言として無視するか不遜として処罰するか。どうするべきかと悩んでいたところ、魔獣を生み出す能力を持つ部下が提案した。
 偽魔王やその下に集った悪党たちはどれも粒ぞろい。それらを元にして魔獣などを作れば魔王軍の強力な戦力となるだろうと。
 偽魔王の抹殺だけは確実にしたいが、その部下は好きにしていいという『マダム』の条件を飲み、彼は偽魔王の討伐に協力する事にした。
 同時に何人かの悪党が『マダム』の下に集まったがその中にはビビッと来る者はおらず、むしろこの共闘が終わったら『マダム』を魔王軍の料理長に迎えようと考えていると、一人の協力者がミスをした。
 とある場所の封印を壊す役割だったのだが、現地にいた者に邪魔されたというのだ。その話の中に魔人族という、魔王軍に相応しい存在の名を聞き、彼は部下と共にその場所へやってきた。
 途中、魔獣を生み出す能力を持つ部下が興味を抱く程度には強い騎士と遭遇し、それらを魔獣にし、彼らは今、その場所を守る騎士と魔人族と相対したのだ。


「魔王様は十二騎士と魔人族だからあたしたちはその他ってことになるけど、どーするー?」
「ふむ。せっかくだから新たな魔王軍の力を見ておきたい。オーディショナー、魔獣部隊を前へ。」
「りょーかーい。」
 ズシンと、地面を震わせて迫ってくる四つの巨体を前に、サルビアがヘロヘロながらもランスを構えているオリアナに指示を出す。
「オリアナ、あなたはここにいてくれるかしらん。」
「そんな、自分も戦います!」
「戦ってはもらうけどちょっと違う役割よん。まともに動けそうにないあなたには魔法であの四体――いえ、四人を足止めして欲しいのよん。」
「足、止め……」
 オリアナは、面識はないが同じ十二騎士、《オウガスト》の『ムーンナイツ』である四人の変わり果てた姿に震える。
「あ、別に攻撃はしないでいいわん。ただ動きを封じて欲しいのよん。あなたもお姉さんたちも、あの四人にはまともに攻撃できないからねん。」
「し、しかしあの巨体――風の力ではどうにも……」
「あらん、お姉さん知ってるのよん? あなたにはフィリウス直伝の『バスター・ゼロ』があるでしょん?」
「!」

 十二騎士であるフィリウスが使う魔法、『バスター・ゼロ』。破壊力の点では他の魔法に劣る風からあらゆるモノを一撃で撃破する力を引き出すオリジナルの技。田舎者の青年に継いでフィリウスの弟子となったオリアナはそれを教わり、修行し、オズマンドによる首都襲撃の際に発動を成功させた。

「魔法の負荷も相当で疲労いっぱいの身体にはきついでしょうけど、お願いできるかしらん?」
 赤色のローブの人物――オーディショナーが『ムーンナイツ』の四人を変貌させて作り上げた四体の怪物。仲間であるあの四人にはどうしたって攻撃の手が鈍る。ならばあの四人の動きを封じ、操っているらしいオーディショナーを速攻で叩く。まともな戦闘は望めない自分が四人を足止めできればあちらの赤、青、黄色のローブの人物に対してこちらもサルビア、グラジオ、ドラゴンで三対三になる――そこまで理解したオリアナは、確かにかなりの負荷がかかるが今の自分の役割を受け止めて力強く頷いた。
「どれだけ止めていられるかわかりませんが、全力を尽くします!」
「大丈夫よん、心強い助っ人がいるからん。ねぇ、オレガノ・リビングストン?」
「ひひひ。」
 その名前に驚いたオリアナが振り向くと、そこにオシャレな服装でバッチリ決めた老婆――フルトブラントが作った水のドームの中にいたはずのオレガノがいた。
「やっぱり若いモンに任せっきりってのは性に合わなくてね。」
 笑いながらオリアナの肩に手を置いたオレガノは、更に楽しそうにニヤリと笑う。
「ひひひ、その身体であのバカの魔法を使うって? もって五秒ってところだろうに、いいガッツじゃないか。どれ、このババアが手を貸そう。百倍には引き延ばしてやるさね。」
「ひゃ、百――!?」
 突拍子もない数字に驚くオリアナにキレのあるウインクをするオレガノは、次にサルビアへどこか挑発するような表情を見せる。
「どうだい? 十分には届かないが五百秒あればいけるかい?」
「充分よん。そうでしょん?」
 サルビアの言葉に頷きながらグラジオが前に出る。
「あの三色ローブ、一番ガタイの良さそうな黄色はパワータイプと見た。私が相手をしよう。」
「そうなると赤色、あのジャンプ力から察するにかなりの機動力よねん。ドラゴン、任せたわよん。」
「僕ですか!? 四人をああいう姿にした張本人っぽいから責任重大……が、頑張ります。」
「んで参謀っぽい青色はお姉さんねん。」
 尖ったところがない丸い鎧の男と鳥のコスプレをしている男とかなりきわどいドレスを着ている赤い女という、何かのパーティーにやってきたような面々がそれぞれの標的の方へ歩き出す。
「んー? ねー、ライター、あいつらあたしたちと三対三で戦うつもりみたいよぉー?」
「ふむ? では魔獣は……まさか後方の桃色髪と老婆の担当か?」
「えぇー、ちょっとなめすぎ――」

「『バスター・ゼロ』っ!!」

 オリアナのよく通る声と共にまるで巨大なハンマーで地面を叩いたかのような音と振動が炸裂し、魔獣と呼ぶ内の一体の頭の上にいたオーディショナーが転がり落ちた。
「ちょ、なになに!? 重力魔法!? うわ、あたしの魔獣が動けなくされてる!」
 突然周囲の空気が鉄の塊にでもなったかのように、四つの巨体は動こうとするもわずかに身体を震わせるだけとなった。
「……後方の二人の仕業か。どうやら元お仲間の魔獣を足止めしている間に各個撃破ということのようだ。」
「えぇー? どう考えたって長続きしなさそーな足止めなのにぃー? あたしたちもなめられてるねー。」
「示さねばなるまい、魔王軍の力は魔王様だけではない事を。カーペンター、これから戦闘だが、上の雷雲は消さずにいけるか?」
 青色のローブの人物――ライターがそう言うと、黄色のローブの人物――カーペンターはグッと親指を立てた。
「当然っす。魔王軍が出張ってるのに快晴ってんじゃあかっこ悪いっすから。」
「ああ、大事なことだ。では諸君、どうやら相手は決まっているようだから、目の前の敵を倒すのだ。魔王様に恥をかかせぬようにな。」
 近づいてくる騎士の方へローブの面々も歩き出し、それぞれがそれぞれの相手と相対した。


「緑色の鎧ってのはいいとして、その丸っこさはなんなんすか?」
 自分の前に立った騎士、グラジオの独特な鎧を見てカーペンターが素朴な疑問をぶつける。
「遠目にはそう見えるだろうが、この鎧の表面には複雑な凹凸がある。それはまとった空気の圧縮率を跳ね上げ、私の魔法を強化するのだ。」
 これと言った武器を持っていないグラジオがその拳に風をまとい、それを勢いよく天に突きあげた。するとカーペンターが立っている場所のすぐ横の地面が爆炎の伴わない爆発を起こし、フィリウスと同等の体格を持つグラジオと並んでも遜色ないカーペンターの身体がすっぽり入りそうなクレーターが出来上がった。
「私の魔法は不可視の戦槌。これよりお前を叩き潰す。」
「なるほど、パワー系っすか。それはまた、戦う相手を間違えたっすね。」
 そう言ってまとっていた黄色のローブをとったカーペンターの素顔――いや、姿にグラジオはヘルムの奥で目を見開いた。
 例えるなら、イカやタコの頭部が人間の上半身になったような姿。本来二本の脚が伸びるはずの下半身にあるのは長さも太さも様々な無数の触手。何もまとっていないゴツゴツとした筋肉とそれに合う豪快な顔立ちの男は、その触手を脚として立っていた。
「もしかして自分の姿に驚いたんすか? 意識が足りないっすねぇ、自分たちは魔王軍っすよ? 人間なわけがないじゃないすか。でもって――」
 脚としている触手の数本がくいっと上を向き、カーペンターの周囲の地面が隆起し始める。
「不可視の戦槌だなんてカッコイイ名前つけてるとこ悪いっすけど、結局は空気砲。そんなモノで――」
 せり上がった地面は砲台のようなモノのついた壁となり、まるで城壁のようにカーペンターを囲んだ。
「――自分の魔王城は崩せない。」


「その出で立ち、聞いた事がある。極端に込められる魔力の薄い『エアカッター』――視認は勿論、魔法による感知も難しい風の刃で敵を切り刻む、通称『鮮血』。お前がサルビア・スプレンデスか。」
「魔王軍にも知られてるなんて、光栄ねん。」
「まぁ、私が興味を抱くのはお前が有名なもう一つの理由だがな。」
 髪から服まで赤いサルビアと対峙するライターはローブの下から手を出し、動けなくなっている四体の魔獣を指さす。
「オーディショナーが変えたモノの元の姿を見抜いた事からも間違いない。世界に数人しかいない、魂の魔法の使い手の一人というのは本当なのだな。」
「そんな魔法は存在しないわよん。位置と形状の合わせ技なだけ。」
「呼称などどうでもいい。お前が魂に干渉する技術を持つという事実が重要なのだ。」
 ライターは魔獣を指さしていた手を、今度は差し伸べるようにサルビアへと向けた。
「お前とオーディショナーが力を合わせればより完全な魔獣を作る事ができ、それは魔王軍の更なる強化へと繋がる。魔王軍へ入る気はないか? 魂の魔法を使えばその不埒な容姿も自在なのだろう? 魔王様の部下としての条件はクリアできる。」
「そんな便利なモノじゃないわん。それに騎士を魔王軍に誘うなんて、その条件とやらは随分ゆるいみたいねん。お断りよん。」
 そう言いながら右手の人差し指をピッと横に振るサルビア。対してライターはぴょんと一歩分横に飛び、その背後にあった木が切断された。
「あらん、いい反応するのねん。」
「ふむ……やはり魔王様のようにはうまくできないか。しかし三分の一で刃物の使い手がぶつかるとは妙な偶然だ。」
 まとっていた青色のローブをとるライター。そこから出てきたのはすらりとした長身の男――しかも全裸だったのだが、普段なら「あらやだいい身体ねん」とでも言うだろうサルビアは目を丸くする。
 その身体の下半身、胸部、二の腕は普通は存在しないモノ――ローブの青を更に濃くした色合いの鱗をまとっていたのだ。加えて口調や参謀という立場がしっくりくるような知的な顔には、三つ目の眼が存在していた。それは額を縦に割って覗き、紺色の白目と赤い黒目という禍々しい色彩でサルビアを見つめている。
「あらあら……さすが魔王軍ってところかしらん。それもオーディショナーの仕業?」
「魔王様直属の部下である私が? そんなわけないだろう。」
 不愉快そうな表情を浮かべたライターが両手を開くと、身体の所々を覆う鱗と同じものが手の平から湧き出し、固まり、刀のような形状となった。
「私は魔王様に仕える者として生を受けた。始めはその運命を知らず、愚かにも人間の中にいたがな。」
「確かにその身体だと色々大変でしょうけど、服を着て帽子でもかぶれば大丈夫そうよねん? 愚かって言うけど、そういう人生もあったわけでしょ? それを受け入れる人だってどこかに必ず――」
「受け入れてもらう必要などない。人間のふりをする事がそもそも間違いだ。私は、魔王軍の一員なのだから。」
 鱗によって出来上がった二振りの刀を構えるライターにサルビアは残念そうな顔を向ける。
「まぁ、あなたが心をどこに寄せようが勝手よねん。ごめんなさい。今のあなたはお姉さんの敵――その刀や三つ目のおめめの力に注意を向けなきゃねん。」
「……勘違いしているようだから言っておくが……」
 すぅっとライターが額の目以外を閉じる。すると閉じた二つの目がまるで顔の内側に埋まっていくように消え、額にあった三つ目の眼が顔の中心へと移動した。
「これは、一つ目の眼だ。」


「なぁんか得意分野がかぶってる相手を選んでる感じぃ? そっちはあたしをどんな奴だと思ってあなたみたいな鳥人間をよこしたのぉ?」
 カーペンターとライターがローブを脱いでそれぞれの相手と臨戦態勢になったのを横目に、オーディショナーは自分の前に立っている妙な男を首をかしげて眺める。
「ワンアクション見ただけだけど、そっちは機動力が高そうなんで僕が。」
「へー、脚速いんだー。」
「いや、走るのはそんなに――というかこれ、僕の恰好! どう見たって僕は飛ぶ人だろう!」
「どう見たって、ねぇー。それじゃああたしは、どんな人だと思うー?」
 ローブがばさりと地面に落ち、その内側にいたオーディショナーの姿を見た瞬間、ドラゴンは思わず呼吸が止まった。驚きや恐怖ではない。単純に、目の前の光景が理解できなかったのだ。
「うわぁー、人のすっぴん見てそんな顔とか、しっつれー。」
 オーディショナーは彼らの言う魔王軍の中で唯一の女性。背丈は一番低く、声色から察するに下手をすれば小さな女の子なのではないかとドラゴンは考えていた。だが実際は全く別。予想のはるか上を行く姿がそこにあった。
 例えるなら、フェルブランド王国では医者くらいしか見た事がないだろうが、ある程度科学技術の進んだ国であれば学校に置いてあるだろう代物――人体模型。赤々とした剥き出しの筋繊維が複雑に張り巡らされる様子がハッキリと見える異様な姿。
 だが人間の皮を剥いだ姿そのものというわけではない。腕や脚は骨のような質感のモノに覆われ、まるでリザードマンの手足のように鋭い爪を持っている。一部には皮のようなモノもあり、女性的なシルエットも表情もキチンと見て取れた。
 ――と、そこまで考えてドラゴンはハッとする。
「……! ちょ、ま、まさか――それは裸なのでは!?」
「あっは、この姿見てそれ気にしたの魔王様以外で初めてだねー。薄皮一枚で大事なところを隠してるって感じかなぁー。まーあれだよ、魔王軍に捕まった女戦士みたいに、胸と腰を覆う布だけの恰好みたいな状態をイメージすればいーんじゃないかなー。」
「ず、随分アレな恰好で戦うんだな……」
「カーペンターとライターなんて素っ裸だよー? ま、そういう風にした方が動きやすいし、あたしたちには自然な事ってだけ。ていうかアレな恰好で戦うっていうならそっちも相当でしょー? それ絶対動きづらいもん。」
「これは僕の憧れ、そして決意! 鳥のように美しく、速くあろうとする意志の表れだ!」
 首にかけていたゴーグルをかけ、ドラゴンは翼のついた両腕をぐぐっと後ろにさげる。
「鳥になれるならあんたの力も歓迎したいところだが、四人は元に戻してもらうぞ!」
「速く、ね。あたしについて来られるかどうか、お手並み拝見。」


 少し離れた三か所で戦いが始まったのを横目にニヤリとした『魔王』――ヴィランは、自身を襲う凄まじい速度と数の攻撃を前に高笑いする。
「はーっはっはっは! 部下と共に戦場に立つなどということは今まで無かった! いつか勇者率いる正義の大軍勢と戦うかもしれんしな! 良い経験であるぞ!」
 目の前で繰り出されている猛攻をモノともせず、ヴィランは右腕をグッと引いた。
「『魔王拳』!」
 黒いオーラのようなモノをまとって勢いよく突き出される拳。腕が伸び切ると同時に周囲に爆風のような衝撃が放たれ、攻撃を仕掛けていた側――ヨルムは直撃を回避するもそれに吹き飛ばされた。
「――っ、デタラメな……」
「はっはっは! そちらも大概であろう! それだけの武器を同時に操るとは、ますます欲しくなる!」
 ビシッとヴィランが指をさす先、音もなく着地したヨルムの周囲には大量の剣――いや、持ち手のない多種多様な形状の刃が無数に浮いていた。
「あれだけ攻撃してヨルムがダメージを与えられないとはな。」
 そしてそのヨルムの後方、背負った大剣に手も添えずに腕組みして立っているフィリウスが、しかし普段の豪快さのない静かな雰囲気で呟く。
「あの身体、それほど硬いのか?」
「硬い――のは確かにそうだがそれだけではない。厄介なのはあのガタイに合わない高度な体術。キチンと切り込めれば斬れるだろう感触はあるが、俺の刃を立たせないように巧みにそらしてくる。どこかお前と似ているな。」
「若干のキャラかぶりにはうすうす気がついてるし、それを言ったらお前も大将とかぶってるぞ、その魔法。」
「光栄な事だ。それよりいい加減エネルギーはたまったのか?」
「もう一息欲しいところだな。」
「そうか。ではもう少しあいつの力を引き出すとしよう。」
「? 別に無理に引き出さなくてもいいぞ。」
 そう言ったフィリウスに感情の読みづらい顔を向け、何かを思案するように視線を上に向けたヨルムは、それをフィリウスに戻して何でもないように答える。
「隠し玉や切り札は早めに使わせたいだろう。」
「なんだ今の間は。」
 怪訝な顔をするフィリウスにくるりと背を向け、ヨルムは自分の事を吟味するように見ているヴィランに向き直る。
「ふぅむ。カンの域は出ないのだが、さっきから披露している無数の武器の乱舞は本来の技ではないのではないか? それだけ素晴らしい身体でその程度という事はあるまい。」
「ほう、高度な体術を使うだけはある。魔王が武術の達人というのはイマイチイメージが合わないが。」
「はっはっは! 高度であると褒めてもらって悪いが、ワガハイにとっては嗜みよ!」
「嗜みか。いや、こちらも悪かった。お前の言う通り、さっきまでのは種類と手数を振り回す児戯。大抵の人間はこれで倒せるのでな。」
 そう言いながらパンッと手を叩くと周囲に浮いていた無数の刃が消え、同時に一つの刃がヨルムの前に出現した。
 それは先ほどまでの刃と同様に持ち手のない、細めの両刃。シンプルな一直線のデザインだが、その長さは槍と呼べるようなモノでヨルムの身長の倍はあった。
「昔、魔人族でありながら桜の国で誰もが認める大剣豪として名をはせた剣士がいた。晩年、穏やかな余生を求めてスピエルドルフへとやってきたその剣士から多くの戦士が剣技を学び、国を守る為の力を得た。俺もその一人であり、彼から教わった剣技は俺をレギオンマスターにまで導いてくれた。それを、今からお見せしよう。」
「おお! 魔人族の剣術とは素晴らしい! 実に魔王軍っぽいではな――」
 ヴィランの言葉が途切れた瞬間、超速のすり足とでも言うのか、わだちを残してヴィランの身体が姿勢を変えずに数十センチ後ろに下がった。そしてその動きに置いて行かれたかのようにヴィランの両腕の肘から先が宙に残り、直後ぼとりと地面に落下する。
「全く、本当にガタイに合わない体術を使うな。」
 無数の刃を消して一本の刃を出した時のままの恰好――両手を合わせた状態のヨルムはあきれたようにシュルリと舌を出した。そして宙に浮く一つの刃は出現した時から微動だにしていない――はずなのだが、その刃にはドロリとした血液がついていた。
「この粘性……認めたくはないが確定だな。あのミノタウロスの血族とは……」
 過程がまるで見えていないので結果からそれを予想するしかないが、ヨルムの出した長い刃がヴィランの両腕を切断したのだ。
「これは……なんという速度か。ワガハイにも一瞬しか見えなかったぞ……!」
 両腕の切り株を、しかし嬉しそうに見つめるヴィランはヨルムにその顔を向ける。
「聞いておこう! ワガハイを斬ったその剣術――剣技の名を!」
 切断された両腕をまるで気にしていないヴィランに微妙な反応をしつつ、ヨルムが答える。
「……大剣豪が残した剣技が一つ、『無尽・神千切り』。神をも千の肉片に刻む、切断の剣技だ。」
「ほう、ただ斬るのではなく切断特化の技という事か! しかし良かったのか、剣技の特性を教えてしまって!」
「知られてどうこうなるようなモノだとでも?」
 手を叩いた時からずっと合わさったままだった両手をバッと開くと、横向きに一本浮いていた刃が分裂したのか増殖したのか、今度は縦向きに二本並んでヨルムを挟む。
「身体を上と下に切断するつもりだった『一閃』を回避した事は褒めてやる。だがこの時点で両腕を斬られるようではどこまでもつか。せめて『七閃』辺りまで行かねばこの剣技の神髄は見えてこない。後ろで力をためているフィリウスに出番が来るといいが。」
「はっはっは! この魔王にその大言、実に良いぞ! ではこちらも――むん!」
 無い腕に力を入れるように二の腕に力こぶを作ると、切断されたヴィランの腕の肘から先がふわりと浮いて何事もなかったかのように元の位置にくっついた。
「ユーリのようなことを……」
「ワガハイと同じことができる者がいるのか? 素晴らしいな、魔人族!」
 元に戻った腕の感触を確かめるように肩を回した後、ヴィランは右腕に黒いオーラをまとって天に掲げた。すると手の平から先ほどヨルムの刃についていたのと同じ、ドロリとした血液が伸び、それを黒いオーラが包み込むと、そこに真っ黒な大剣が出来上がった。
「そちらが本気の剣技を出すのならば、ワガハイも応えようぞ! この『魔王剣』で!」
「血――カーミラちゃんと同じような力を使うんだな。」
「……姫様の技とは違う……」
 呼び方に文句を言いたそうにしながらも、ヨルムはやれやれと説明する。
「姫様――吸血鬼の血液はそれそのものが力の塊。純粋なエネルギーは勿論、代々より受け継がれるあらゆる技術をも溶け込んだ至高の血だ。対してあれはあのミノタウロス一族固有の特性を持ってはいるがただの血液。マナを流すことで強度や硬度が増す性質を利用し、それを骨組みとしてあの黒いオーラで武器を作るのだ。」
「オーラなどではない! ワガハイの力とは即ち、魔王力であるぞ!」
 ヨルムの解説を否定しながらヴィランがその場で黒い大剣を振り下ろすと、黒い斬撃が地面を走った。大地を斬りながら迫ったそれをヨルムがくるりと回避すると、その動きに合わせてヴィランの黒い大剣が三つに切り分けられた。
「ぬお! 恐ろしい速度とリーチの剣技だな!」
 着地と同時にいつの間にか三本に増えている刃を伴ったヨルムが跳躍する。それは位置魔法による瞬間移動にも見えるほどの速度だったが、それと同等の速さでヴィランは後退し、その手に新たな武器を得る猶予を作った。
「『魔王槍』!」
 真っ黒な槍が迫るヨルムに向かって突き出される。だがヨルムがその先端に滑らかな動きで指を添えると槍の軌道がわずかにずれ、槍先はヨルムの脇の下を素通りした。
「な――」
 一瞬の間に行われた高等技に驚いたのも束の間、ヴィランの両腕は肩口で切断され、頭が胴から離れていた。だが――
「――っ!?」
 首を切断した効果はどれほどか、ヨルムが宙に舞う魔王の頭へと視線を移した時、ニヤリと笑うヴィランと目が合い、気づいた時には頭と共に宙にあった右腕に喉をつかまれていた。
「『魔王破』!」
 そしてその右腕を黒いオーラが覆い、ヨルムを掴んでいる手へと移動した瞬間、ヨルムの首から上は黒い閃光に包まれた。
「はっはっは! 身体の強度は如何ほどだ、魔人族!」
 宙を舞いながら笑う頭をこれまた宙を舞う左腕が掴んで首の方へと持って行き、切断された箇所が何事もなかったようにくっついて接続を確かめるように首を回した――その時――

「隙ありだ。」

 首から上を黒い煙に覆われるヨルムの身体の陰から突如現れたフィリウスとその言葉に目を丸くしたヴィランは、フィリウスの振り下ろす大剣が脳天から股の間までを一直線に走ったのを感じ、次の瞬間、強大なエネルギーに全身を飲み込まれた。それは地面をえぐり、森を消し飛ばし、遥か彼方に浮かぶ雲すら散らす一撃となって天を駆けた。
「タイミングは完璧だが、これで倒せたかどうかだな。」
 振り下ろした大剣を背中に戻して再度腕を組んでそう呟くフィリウスの横に、首の辺りを片手で押さえてやれやれと舌を出しながらヨルムが着地する。
「首を掴まれたのは油断だったが、結果良い囮になったようだな。しかし倒せたかどうかとは、また不安になる事を言う。」
 ぶすぶすと煙をあげる自身の頭部にもう片方の手でパタパタと風を送る姿を見て、フィリウスはそれでもほぼ無傷のヨルムに少し驚く。
「あと何回か同じことができそうなほどケロリとしているんだな。」
「? 俺は蛇であって蛙ではないぞ。」
「誰がいきなりカエルの鳴きマネなんかするか。」
 仕様もないやり取りに互いを見合った二人はもうもうと立ち込める煙へと視線を戻し、フィリウスが風を起こしてそれを吹き飛ばす。そして見えてきた「それ」に、二人はそうなのではないかと薄々思っていたようにため息をもらした。

「ふはは、はーっはっは!」

 それは宙に浮かぶ黒いオーラの塊。どこから声が出ているのかも良くわからないが、ヴィランの高笑いが響く。
「そうか、そうなのだな! 野望を阻む存在とは言え、魔王の覇道には勇者が必要なのだ! 何故なら圧倒的な力を持つがゆえに本気を出すことの少ない魔王を勇者だけが追い詰め、更なる進化を促すことができるからだ! 勇者は魔王討伐の為に力をつけるが、魔王もまた打倒勇者の為に力を増す! 全ては来るべき最終決戦の為に!」
 黒いオーラの塊からドロリとした血液が噴き出し、うねうねと絡み合って人の形へとなっていく。
「ワガハイがここまでのダメージを受けたのはこれが初めてである! 賞賛し、感謝しよう! ワガハイは今、身体の内からこれまでにない力が湧き出すのを感じている! ワガハイは魔王として一段階進化しようとしているのだ! もしや――ああ、もしや! つまりはお前たちがそうだったのか? 探し続けた勇者とのプロローグは今この時だったとでもいうのか!?」
 ぐちゃぐちゃとうねり、混ざり合う血液の中から骨が生え、筋肉が伸びていくのを眺めるフィリウスは、同じように眺めているヨルムを見る。
「変身や進化の時に攻撃するのは粋じゃないが、お前がその辺を気にするとはな。」
「馬鹿を言え。」
 そう言って片手をあげるヨルムの周りには四本の刃が、それぞれにへし折れた状態で浮いていた。
「今あれの周りは超高密度のエネルギーで覆われている。持てる力のほとんどを防御にあてているような感じだな。これを突破するにはお前のように力をためなければならないが、そうこうしている間にあの男の再生は終わる。」
「つまりちょっとだけ暇な時間か。ならそろそろ教えろ。さっきから言ってる「あのミノタウロス」ってのを。」
「……スピエルドルフはヴラディスラウスの一族が代々治めている国だ。夜の魔法を開発したのがその一族なのだから当然の流れだが、それは満場一致の決定ではなかった。」
「反対した奴がいたのか。」
「魔人族の国に夜の魔法が必要なのは事実。ヴラディスラウス家に相応の地位が与えられる事は納得できる。が、別に王族が彼らである必要はない。多種多様な魔人族を統べるのなら、頂点にはそれに相応しい力を持った者がいなければならない。吸血鬼という時点でそれも満たしていると判断された故のヴラディスラウスを王族にという流れに反論し、当時の彼らに勝負を挑んだ一族がいくつかあったのだ。」
「勝負って、魔人族の中じゃ吸血鬼が最強なんじゃないのか?」
「最強だ。当然ヴラディスラウス家が勝利した。ただ、挑んだ者の中には王族にと選ばれた者たちに挑んで敗北したのだから自分たちは国にいてはいけないと、スピエルドルフの外に出た一族がいたのだ。その中の一つが、遺伝子的な異常なのか進化なのか、通常とは別格の力を持ったミノタウロスの一族。マナに反応する特性を持つ血液と、魔法の中では分類ができなかった黒いオーラ。そして比類なき強靭さを持つ肉体を持っていたという。」
「『魔王』はその子孫って事か。」
「混血のようだが、確実にその力を受け継いでいる。」
「だが結局はカーミラちゃんの一族に負けたんだろ?」
「勝敗は確かにそうだが余裕の勝利というわけではない。要するにあの男が持つ力というのは……お前も見た事があるだろうが、本気を出した姫様と「いい勝負」ができる代物なのだ。」
「なるほど、それはヤバイな。」

「くっくっく! どうやら待たせてしまったようだな!」

 ヨルムの話が終わったちょうど良いタイミングでヴィランの笑いが再度響く。グロテスクにうねっていたそれは完全な人型――特徴的な角や顔つきは同じだが先ほどよりも一回り大きい巨体へと組み上がり、岩のような筋肉に加えて身体の所々を動物の毛のようなモノが覆い、牛のそれに似た尻尾が揺れていた。
「……どうやら、よりミノタウロスに近づいたようだな。」
「ああ。下半身が毛で隠れてくれてよかった。」
 オーディショナーらと同様に全裸となったヴィランにそんな感想を呟いたフィリウスに肩を落とすヨルム。
「みなぎる! ワガハイはまだまだ理解していなかったようだな、魔王としての力を!」
 自身の握り拳を見つめて嬉しそうな顔をしたヴィランは、腕を組んで自分を眺める二人に視線を移してニヤリと笑う。
「果たしてそうなのか――お前たちのどちらかが勇者なのか! いつものような準備は出来ていないが、見定めなければなるまいな!」
 グッと空に掲げる剛腕、その手から噴き出す血液と黒いオーラで再度武器が作られ、刃の部分が異常に大きい戦斧となった。
「『魔王斧』! ワガハイの最も得意とする武器だ! さあさあ準備はいいか勇者候補よ!」
 どれほどの重量があるのかわからないが、準備運動のようにくるくると振り回したそれを最後に肩に乗せ、ヴィランは差し伸べるように出した手の指を挑発するかのようにくいくいっと動かす。
「魔王戦は第二形態からが本番であるぞ!」


「魔王様が新たなお姿に! カッコイイっす!」
「よそ見とは余裕だな!」
 ヴィランの進化を見て嬉しそうにガッツポーズをするカーペンターの上空、合わせた両手をハンマーのようにして落下の勢いを上乗せした一撃を振り下ろすグラジオ。だが両者の間に地面から伸びた壁が割り込み、その一撃を受け止める。どう考えても腕を振り下ろしただけではない衝撃音が響くが、壁にはひび一つ入らなかった。
「実際、余裕っすから。」
 空中からの攻撃を受け止めた壁が変形し、その表面から無数のトゲが突き出す。グラジオはその巨体からは想像のできない身軽な動きでそれを回避し、カーペンターから少し離れた所に着地すると同時にパンチを放った。
「おっと。」
 カーペンターはグラジオの腕のリーチの遥か外だが、カーペンターを守るように地面からせり出した壁は何かを受けて衝撃音を響かせた。
「はあああああっ!」
 グラジオがその場でパンチのラッシュを始めるのと無数の壁がせり上がるのはほぼ同じで、生き物のような自在さで動く壁が放たれる見えない攻撃を防いでいく。
「学習しないっすね。その空気砲じゃあ自分の魔王城は崩せないと言ったはずっすよ? しかも不可視とか言ってるっすけど、空気が圧縮されてる影響で景色が歪んで微妙に見えてるっす。」
 触手一つ一つにコントロールする壁が割り当てられているのか、グラジオの攻撃を防ぐ壁と触手の動きは連動しており、ゆったりと構えている上半身に対し、下半身の触手は機械のような正確さで動いていた。
「それにこれっす。」
 グラジオの攻撃を防ぐモノとは別の壁がせり上がり、表面に備えた砲台から一発の砲弾が放たれた。
「くっ!」
 パンチのラッシュを止めて両腕を盾のように合わせるグラジオ。砲弾はグラジオの数メートル手前で見えない何かにぶつかって勢いを止めた――ように見えたがそれは一瞬で、わずかに軌道がそれるもグラジオの近くに着弾し、まるで強力な爆弾が炸裂したかのような衝撃がグラジオの巨体を吹き飛ばした。
「そっちの攻撃は完封で、こっちの攻撃が防がれる事はない。魔王様の活躍を眺めながらでもおつりが来るってもんす。」
「……やれやれ……」
 地面に転がる事なくきれいに着地したグラジオは、無数の壁を展開させるカーペンターの方に――ヘルムをかぶっているので誰にも見えないが、「どうしたものか」という顔を向けた。
 第五系統の土の魔法によって作られた岩の壁と岩の砲弾。それ自体は珍しくなく、グラジオもそういう使い手との戦闘経験はあった。
 問題はそれぞれの硬さと重さ。あのレベルのモノを作ろうとしたらかなりの集中と相応の時間が必要になるだろうところを、カーペンターは戦闘中に一瞬で構築しているのだ。
「ま、当然と言えば当然っすよね。根本的に自分とあんたは違うんすから。」
 少し離れたところでフィリウスとヨルムのペアと戦うヴィランを見ながら、カーペンターは片手間に話し始める。
「ライターから教わったんすが……どうして人間は火の玉を撃つ時に手の平を銃口のように相手に向けてそこから放つのか、どうして風の刃を飛ばそうと思ったら腕を剣のように振るのか。答えは、そういうワンアクションを加えないと魔法を発動するっていう行為のイメージを形にできないからっす。」
「……魔法生物のように直立不動の状態でも魔法を使える者はいるがな……」
「それは凄く頑張って修行したか、天才だったかのどっちか。何にせよ大抵の人間は、魔法が使えない生き物のくせに無理やり使おうとした結果、自身の身体で実現可能な動作に魔法のイメージを乗せる必要があるわけっす。まぁ、かく言う自分も、人間として生きてしまった時期があるせいでその縛りの中にいるんすが……それでも人間であるあんたと自分の間には決定的な差がある。わかるっすよね?」
「……その触手だろう。」
「そうっす。さっきの火の玉なら人間が同時に発射できる数は二つ。対して自分は――ふふ、人間の何倍になるっすかねぇ?」
「それが強力な岩の魔法の理由だと?」
「人間が魔法のイメージを手の動きに乗せるのは、手があらゆるモノを生み出し、最も自在に動く器官だからっす。単純な話、魔法のイメージを現実に持ってくる架け橋となる腕が多いという事は、魔法の威力が、その処理速度が上がるという事。人間がこの魔王城を作ろうと思ったら必死に頑張らなきゃっすが、自分なら一瞬の事。そういう差が自分とあんたにはある――勝負になるわけがないんすよ。」
 グラジオの方を見もせず、ヴィランを眺めながら余裕の笑みを浮かべるカーペンターだったが、ふいに「コツン」という音がして視線をグラジオに方に向けた。
「なるほど、ならば問題ないな。」
 さっきの音が、グラジオが片手の拳をもう片方の手の平にポンッと乗せた音だと気づき、そしてグラジオの言葉に怪訝な顔をした。
「……話聞いてたっすか? 何をどう勘違いすれば「問題ない」なんて結論になるんすか。」
「答えを教えてくれたのはそちらだろう。そちらとこちらの差は腕の差。仮にそちらの腕の数がこちらの百倍なのだとしたら、普段よりも百倍頑張って魔法を放てばいい。」
「……バカなん――」

 ズンッ!!

 短絡的に過ぎる答えを出したグラジオにカーペンターが呆れた瞬間、グラジオの身体――丸い鎧を覆う空気に先ほどまでとは比べ物にならない魔力が流し込まれ、その足元に亀裂が走った。
「バカ? 確かに、ひと昔前なら私もそう思っただろうが今はそう思わない。そのバカを実践する男を見たからな。」
「なにを……」
「魔法はイメージに縛られる。だが逆に言えば、いかにバカバカしい事であろうとも、それが自分の中で当たり前になってしまえば魔法はそのイメージに従ってくれる。普段の百倍頑張るというのは、普段の百倍疲れるというだけの事。何も、おかしなことでは――ないっ!」
 グラジオの拳か空を切り、何度も防がれた空気の砲弾が放たれ、カーペンターが反射的に壁を出す。これまで同様に衝撃音を響かせて攻撃は止まったが――
「――!! 自分の魔王城にひびが――っ!?」
「ほう、百倍では足らなかった。ならば更に気合いを入れるのみ――はああああっ!」
 繰り出されるパンチのラッシュ。それに合わせて連射される空気の砲弾。大量の壁でそれらを防御するカーペンターだが、一撃防ぐたびに壁のひびが大きくなり、そして崩れていく。
「そんな――強引な魔法が、いつまでも続くわけ、ないっす!」
 マシンガンのように次々と飛んでくる攻撃を正確無比な触手の動きで壁を操り、ことごとくを防ぐカーペンターだったが、ふとグラジオが――いつの間にかそのラッシュを片腕だけで繰り出し、もう片方の腕に力をためている事に気がついた。
「――っ!!」
「せぇあああああっ!」
 ラッシュが途切れ、グラジオが渾身の一撃を放つのと、カーペンターがより厚く、大きくした壁をドミノのように積層させたのは同時だった。
 空気砲――そう表現されていたその攻撃は、一体どれほどの空気を圧縮してどれほどのパワーで放てばそういう事になるのか、周囲の景色を歪ませ、辺りの空気を巻き込みながら進み――何枚も重なった分厚い岩の壁を粉砕した。
「がぁっ!!」
 砕かれた壁の向こうからやってきた、まるで鉄の塊にぶつかられたかのような衝撃に呼吸を止められながら、カーペンターは初のダメージを受けてふっ飛ぶ。そして受け身も取れずにゴロゴロと地面を転がった先、息苦しさと血の味に目を開いたカーペンターは、少し前にも見た光景――上空から落下してくるグラジオを視認した。
「調子に――乗るなぁああっ!」
 上半身の人間の腕と下半身の大量の触手が地面を叩き、無数の砲台がせり上がる。そしてグラジオの防御を軽々と貫いた岩の砲弾を一斉に発射した。
「ぬん!!」
 だが落下しながら防御の態勢となったグラジオの前に展開される見えない壁――分厚い空気の盾がその全てを弾いていく。
「――この、脳筋がぁっ!」

 ドゴォンッ!!

 再度展開された岩の壁も易々と砕き、グラジオの落下攻撃が大地を揺らす。大量に巻き上がった土砂の中、地面に生じた巨大なクレーターの中心でむくりと丸い鎧が起き上がった。
「《オウガスト》の『ムーンナイツ』にそれは誉め言葉だが……筋力か。その触手そのもののパワーを、私は侮っていたようだな。」
 クレーターの中心から少し離れた場所に人間ならば片足を立て膝にしたような姿勢で――周囲にちぎれた触手を転がせて荒い呼吸をするカーペンターがいた。
「岩の砲弾と壁である程度は威力を殺されたとはいえ、今の一撃を力でそらして直撃を免れるとは思わなかった。」
「……魔法生物みたいな……超速の再生能力はないんすよ……これじゃあしばらく魔王城を作る時に支障が出るっすね……」
 ゆらりと立ち上がったカーペンターが腕と触手をバッと広げる。それに呼応するように、地面からうねる蛇のように土の塊が複数伸び、一つに凝縮していく。
「ふむ、尋常ではない圧力で岩石を固めているな。圧縮を得意とする自分には興味深いが……それが真の魔王城と言ったところか。」
「まさか一個人に魔王城の最終兵器を出すことになるとは思わなかったっすが、自分は魔王軍工作部隊長カーペンター。そこらの一騎士に負けるなんてのはあっちゃいけないんすよ!」
 兵器と言ったが武器というよりは何かの建造物に見えてきたその塊を見上げ、グラジオは首と肩をまわした。
「死ぬような目に合ってまでも貫く必要はないが、なるべくカッコイイ騎士道を歩むというのがあの男の矜持。その最終兵器、このグラジオ・ダークグリーンが全力で叩き潰そう。」
「ふん、やれるもんなら――」

「があああああああっ!」

 突如響く二人以外の声。グラジオは少し驚いて声のした方を向いただけだったが、その声の主をよく知るカーペンターは、今までに聞いた事のない絶叫に目を見開いた。
「魔王様っ!?」


「おお……なんと素晴らしい……!」
 遡る事数分。ヴィランの新たな姿にライターは感動していた。
「なんか魔人族って感じの姿になったわねん。」
 鱗で出来た刀を持ってヴィランの方を見ている、言ってしまえば隙だらけで棒立ちのライターに対し、サルビアは身体の所々に血の線――浅い切り傷の数々を浮かべ、普段よりは余裕のない顔をしていた。
「間違いは困るな。魔王様は魔王。魔人族とは違う。」
「そ。まぁ『魔王』の正体はなんだっていいけど……でもそうねん、あなたたちみたいな存在がいるっていうのはちょっと興味あるわねん。魔王様が魔王だとして、じゃああなたたちは一体何者なのかしらん? 魔王の眷属とかそういうのん?」
「何者、か。最終的な運命としては魔王様に仕える使命を持っていた誇り高き者だ。だがその始まりは……人間の言葉を借りるなら、研究成果だな。」
「それはまた良くない雰囲気の言葉ねん。」
「察しの通り、公表すれば立場を危うくする国もあるような研究だ。その内容は人間と魔法の距離を縮める事――人間の知能に魔法を負荷なく自在に扱える身体をプラスして魔人族のような存在を生み出す事が目的だ。まあ、専門に研究している人間もいるにはいるが、一般的に魔人族の存在は半信半疑なわけだから、連中がイメージしていたのは人間と魔法生物の融合だったが。」
「うちじゃ禁止されてる類の研究ねん。それじゃああなたたちは同じ研究所の出身って事なのかしらん?」
「四大国の人間らしい推測だな。そういう研究をしている国が一つだけとでも? 国同士の戦争はほぼないとは言え、内戦の続く国や、いつ大国に飲み込まれるかとビクビクしている国は少なくない。優秀な騎士を数多く育てられる環境が整っていない国が欲しいのは簡単に生み出せる即戦力――どこだって同じ研究をする。」
「そう……かもしれないわねん……」
「そういった場所で作られたり、作られた者から生まれたりした後、それぞれの事情で研究所の外に出て必死に人間の中にとけ込もうとしたのが私たち。それを間違いだと指摘し、正しい道を示してくれたのが魔王様だ。」
「それが……あなたたちが『魔王』に従う理由ってわけねん。」
「理由? 違うな、さっきも言っただろう――これは運命、なのだと!」
 ギロリと一つ目が光り、ライターはサルビアの方へ跳躍する。対してサルビアはその動きを予測していたのか、ほぼ同じタイミングで後ろに跳びながら『エアカッター』――『カマイタチ』を放つ。
 空気の刃ゆえに不可視の斬撃なのだがライターはそれらをくぐり抜け、鱗で出来た二本の刀を振るった。刀の長さから考えるとサルビアの位置は間合いの外なのだが、刀を形作る鱗と鱗の間がまるで見えない糸で繋がっているかのように大きく開き、刀は鞭のようなしなりでその長さを急激に伸ばした。
「――っ!」
 迫る鱗の鞭の軌道をそらす風と自身を移動させる風を同時に起こしてそれを回避しようとするサルビアだったが、ライターの絶妙な手の動きによって生き物のように風を避け、かつサルビアの移動先を読み切った鱗の鞭はサルビアのほほを薄皮一枚なぞり斬った。
「レディの顔を傷つけるなんて、ちょっとどうかと思うわよん!」
 鞭の一撃をかわしながら大きく腕を振って『カマイタチ』を飛ばすサルビア。その攻撃範囲や速度から回避は間に合わないと判断したのか、ライターは追撃を止め、二本の鱗の鞭を振り上げて風の刃を上空へと弾き飛ばした。
「ふぅむ……先ほどからあともう一歩が届かずにかするだけ。この回避能力の高さは第八系統の使い手ゆえか……」
「嫌味な事言うわねん。空気の流れを読めるこっちに攻撃をかすめてるだけで満足しておきなさいよん。」
 鞭となっていた刀を元に戻しながらうなるライターを、ほほから薄っすらと流れる血をふきながらサルビアが笑う。
「鱗一つ一つが小さすぎて空気があんまり動かないのよねん。しかもそれを繋げてるのは恐らく魔力――空気に引っかからないから更に厄介だわん。その上こっちの攻撃もあっさりかわしちゃって……その眼には何が見えてるのかしらねん?」
「大したモノではない。魔法が、魔力の流れが、見えているだけだ。魔法生物や魔人族にとっては当たり前であろう視覚を人間が得ようとした結果がこれなわけだが……見えない攻撃が売りのそちらにとっては相性の悪い能力かもしれないな。」
 ふふふと笑いながら、ライターは小さな子供が鉛筆で遊ぶように、鱗で出来た刀を指の間に挟んだ。そしてその手をブンッと振るとまるでマジックのように刀が増え、両手全ての指の間を合計八本の刀が埋めた。
「……あなた、剣士ってわけじゃなかったのねん。」
「刃物の使い手、と言っただけだ。さぁ、これはどうする!」
 巨大な扇を手にしているようにも見えるライターは八本の刀を大きく振る。その動きを受けてしなり、鞭状となった刀は生物のようにサルビアへと襲い掛かった。
「これはなかなか大変、ねん!」
 開けた場所では不利と考えて傍の森へと入るサルビア。だが鱗の鞭は勢いそのままに木々を切り倒して進んでいく。
「あまり逃げ続けられると森を丸刈りにする事になってしまうな。」
「ならその攻撃を、止めればいいと、思うわよん!」
 木々の間を縫いながら『カマイタチ』を飛ばすが八本の鱗の鞭のどれかに弾かれ、逆に居場所を教える事となって更なる猛攻が来る。攻撃と防御を同時に行う鞭の乱舞と魔法を視認する眼を相手にこのままではジリ貧と感じたサルビアは――
「……しょうがないわねん。」
 と、その場に立ち止まった。
「隙あり――か?」
 急に止まったサルビアに若干の疑問を覚えつつも鞭を放つライター。迫りくる八本の鱗の鞭に対し、サルビアは――その内の一本の方へと自ら突撃した。
「――!?」
 意味不明な行動に驚き、多少操作のキレが鈍るライターだったが、鱗の鞭はサルビアに深く食い込み、これまでの薄皮一枚とは比べ物にならない斬撃の痕を刻んだ。
「――っ……」
 苦悶の表情を浮かべ、鮮血をまき散らしながら宙を舞ったサルビアは危なっかしくも何とか着地し、腹部に生じた深い傷を押さえて近くの木に寄り掛かった。
「……騎士はピンチになると自殺を選ぶとは聞いた事がないし、自ら向かって行ったのは八本全てを受けるよりは一本だけの方がマシという考えなのだろうという予想もできるが……結果的には大失敗ではないか? 別にこちらの攻撃があれで終わりというわけでもないのだから。」
「ふふふ……一応成功よん……ちょっとやりすぎた感じはあるけど、急げば何とかなるわん。」
「何を言って……」
「さっきあなた、自分は剣士じゃないって言ったけど……お姉さんの方は、実は剣士、なのよん?」
 そう言ってサルビアは、傷口を押さえていない方の手を見せる。そこには何もないが、まるで何かを握っているかのような手の形をしていた。
「あなたには見えるんでしょう? これ。」
「……風の刃――いや、空気で出来た剣だな。だがそれが何だと言うのだ? 速度を持った風ならともかく、静止している空気を剣の形状にした所で切れ味は生まれな――」
 と、ライターが言葉を言いかけにしたのは何かに気づいて回避行動をとったからだ。だが一足遅く、それはサルビアとライターの間に辛うじて残っていた木々の全てを伐採すると共に――ライターの右腕を斬り飛ばした。
「な……」
 痛みを感じていないのか、それとも驚きのあまり意識がそちらに行っていないのか、ライターはぼとりと落ちた自分の右腕や血を吹き出す肩口には目もくれず、ただ真っすぐに、何の意味もない空気を固めて作っただけの剣を振った態勢で立っているサルビアを見た。
「お姉さんって、『カマイタチ』の使い手で有名だからねん……これをやっても大きな『カマイタチ』を飛ばしただけって思われるのよん。その誤解は場合によってはこっちに有利だから訂正はしないんだけど……あなたには、わかるのよねん?」
「……ありえない……」
 その特殊な眼でサルビアを凝視するライターはサルビアの傷口、そして空を見上げた。
「傷口から周囲の空気に魔力を流し込んでいる……!? 一帯の空気を支配下に――い、いやそんな馬鹿な! そんなことをしても魔力が無限に散っていくだけのはず……だというのに何だこれは……まるで神経のように魔力が張り巡らされて……!?」
「手でやるのは難しくてねん……強いイメージを得るために、自身の内側と空気とを直で繋ぐのよん。指先を切った程度じゃ意味ないから、今みたいな割と深手が必要で……正直やりたくないんだけど……あなた強いし、背に腹は、よねん。」
「そうか、これも魂の魔法の一種だな……自身とそれ以外の境界が極めてあいまい――先の一撃は辛うじて視認したが、魔力の流れがあまりに自然……見えてはいるのに攻撃の前兆、流れの変化が小さすぎる……」
「へぇ、見えてるとそういう感覚になるのねん。お姉さん的には、こうすると『カマイタチ』を撃つのがとっても速くなるし、この領域内に相手を入れてしまえば全方向から斬り放題ってだけなんだけどねん。」
「領域……なるほど、自身の身体と直結した周囲の空気を制御するモノがその意味のない空気の剣というわけか。」
「さすがねん。」
 見えない空気の剣を肩に乗せ、苦痛に顔を歪めつつもふふふと笑うサルビア。
「周りの空気は全てお姉さんの刃。あなたは頭のてっぺんから足の先まで刀を突きつけられているような状態。刃の大きさも長さも自由自在――あなたを細切れにするのとお姉さんが貧血で倒れるの、どっちが早いかしらねん?」
「問答せずに刻めばいいだろう。この腕を飛ばしたように。」
「さっきはそのつもり――というかさっきので終わらせるつもりだったのよん? でもあなたは避けた……この魔法を仕組みから理解してる敵って初めてだから、これはチャンス。長所短所を知り、進化に繋げるねん。」
「……その傷で勉強熱心だな。」
 ゆらりと立ち上がり、血を垂れ流していた右の肩口を鱗で覆うと、ライターは残った左手に刀を構えた。
「だが……それは考えが甘いな。お前の前にいるのは、魔王軍の幹部なのだぞ。」
 そう言うとライターの一つ目――紺色の白目と赤色の黒目の眼がその色合いを変化させ、白目が完全な黒に、そして黒目は輝く金色になった。
「見せてやろう、魔王軍参謀長ライターの真の力を――」

「があああああああっ!」

 突如響く叫び声。それ自体にサルビアは反応を見せなかったが、右腕をとばされた時以上に驚愕しているライターに少し驚いた。
「今のは――魔王様っ!」


「うわわ! いつの間にか魔王様がちょーかっこよくなってる!」
 遡る事数分。他の面々からは少し離れた森の中。誰の姿も見えないのだが、どこからかオーディショナーの声が聞こえてきた。
「そこだぁっ!」
 そしてこれまた姿は見えないがドラゴンの声が響くと、森の木々の間のあちこちから刃物と刃物がぶつかり合うような音が断続的に炸裂した。
 時に木が切断されて森の様子が変わっていく中、一際大きな金属音の後、別々の木の枝の上にドラゴンとオーディショナーの姿が現れた。
「ちょーっとぉ、魔王様の進化を見逃したじゃないのよぉ!」
「僕に言われても……」
 ぷんすか怒るオーディショナーに困った顔を向けながら、ドラゴンは自分の武器をちらりと見る。鳥の羽を模した幅広の片刃剣。両手に握ったそれに「欠けた」というよりは「えぐられた」と表現した方がしっくりくる傷跡がついているのを見てゴクリと唾を飲み込んだ。
 かなりの速度で切りあっているので武器にダメージが生じる事自体はわかる。だがこの傷跡は普通ではない。鋭い爪をただ叩きつけるのではなく、剣とぶつかった瞬間に指に力を込め、狙ってえぐっているのだ。
「……」
 これまでの高速の攻防。そして刹那のぶつかり合いの中、追加で行われるワンアクション。それらを理解した上で改めて見たオーディショナーの異様な姿に、ドラゴンは美しいという感想を抱いていた。
 桁違いの機動力を生む身体――高い敏捷性、持久性、精密動作。これほどまでに完成された肉体があるだろうかと、仮に自分が絵描きや彫刻家だったなら彼女の姿を形に残さなければと全身全霊を注ぐだろうという妙な確信すらあった。
「ちょっと、人の身体ジロジロ見てなぁによぉー。」
「あ、いや……」
 そういえばほとんど裸に近いという事を思い出して目をそらしたドラゴンは、田舎者の青年のように話題をそらす。
「ひ、一つ理解できない……『魔王』は自分もいつかは誰かに負けると言い、それをするのが勇者であると信じているようだが……最後には負けると考えている――いや、そう決めている男にどうして従う。」
「あっは、それってさー、いつかは死ぬんだから生きる意味ないんじゃないのって言ってるのと同じだよねぇー。」
「そんなつもりは……」
「魔王様に限らず、バトルでも何でも、誰だってどこかでは負けるし、何をしてたっていつかは死ぬの。じゃー楽しむのはその過程って事になるけど、魔王様以上に素敵な生涯は存在しないんだよねぇー。」
「……勇者に負ける生涯が……?」
「ちっちっち。正しくは、勇者にしか負けない、だよぉ。」
 新たな姿でフィリウスとヨルムと戦っているヴィランを見ながら、オーディショナーは自慢気に話す。
「大抵の人間は勇者の方がいいって言うけど、その生涯をじっくり考えた事あるのかねー。数々の苦難を乗り越えて強くなって、魔王様を倒して世界を平和にして――その後は? 世界を救った英雄としてチヤホヤされていい身分も貰うかもしれないけど、厄介な敵が出てきたら当然引っ張り出されるよねぇ? 英雄であり続けようと頑張るけど年をとって力も衰え、かつての勇者も今じゃあの様って後ろ指差されながらあっけなく戦死か、隠居してご臨終って終わり方しか見えないよねぇ? 人生の絶頂を途中で迎えてその後は落ちて落ちて最底辺で死ぬ――こんな一生の何がいいの?」
「ま、負けて死ぬ事が決まってる魔王よりはいいだろう。」
「あっは、何言ってるのぉ? その最期が素晴らしいんじゃない! 魔王様はねぇ、最終的に勇者に負けるけどそれまでは無敗なの。負けて悔しい思いとかしないの。何かを失って強くなるなんてお涙頂戴のイベントもないの。常勝の人生を歩み、最後の最後、世界の命運をかけた大一番っていう最高の舞台で唯一の敗北と死を迎えるんだよぉ? どこかの荒野で野垂れ死ぬとか、ベッドの上で眠るように死ぬとか、そんな陳腐でありきたりな死に様じゃないの! 世界最高の晴れ舞台で盛大に死ぬの! 世界中の注目を浴び、誰もがその死を忘れない最期なの! 落ちる事なく上昇しかしない生涯は絶頂で幕を閉じる――勇者なんかよりもずっといいでしょぉ?」
「それ……は……」
 どう考えたって勇者の方がいい。カッコイイし、誰もが憧れる――そのはずなのだが、オーディショナーの意見にも一理ある。勇者や魔王という、人生の流れが運命で決まっているような星があるとして、それを好きに選べるなら――果たしてどちらがよりよい人生なのか。
 自身がそういう運命にあると信じている『魔王』ヴィランは魔王としての生き方を楽しみ、オーディショナーたちは魔王の生涯の一部になりたいと願い、付き従う。これが魔王軍の在り方なのだ。
「正義だ悪だとかの話じゃないの。自分の能力をフルに発揮できて、しかも楽しい。これがあたしの、魔王軍にいる理由!」
 言い終わると同時にオーディショナーの姿が消え、とっさに枝から飛び降りたドラゴンの背後で大木の幹がえぐられる。
「今更だけどこの森の中でその速度の飛行はなかなかやるよねぇー。」
 風の魔法を使って空を飛ぶ騎士というのは結構いる――いや、第八系統の使い手ならばほぼ確実に飛行能力を持っている。だがその速度や飛行時間、旋回性能などは術者の腕によって差が生じ、この分野におけるナンバーワンとして名が挙がる一人がドラゴンである。
「こんだけ足場のある場所であたしと同等の速度が出せるって、やっぱりいい素材だよねぇ。鳥型にしてあげるから魔王軍に入りなよぉ。」
 木々が乱立する森の中を凄まじい速度で跳びまわるオーディショナーの鋭い爪を回避し、木々の合間を縫う高速飛行で攻撃を仕掛ける。再度始まる剣戟の中、速さの点ではほぼ互角だが威力の点ではやや劣る事を剣のダメージから察したドラゴンは、不意に急上昇して森を抜けた。
「ありゃりゃ? 上から攻撃する感じぃ? それだと森に隠れてあたしが見えないから一緒に飛び回ってたんじゃないのぉ?」
 キシシと笑いながら空を見上げるオーディショナーを確かに見失っているドラゴンだったが、空中で深呼吸をし、どう見ても戦闘の邪魔になるコスプレの鳥の翼を大きく広げた。
「そちらの空と同じ高さで挑んでみたが、どうにも分が悪い。ので、多少負荷は大きくなるが――僕の高さで勝負させてもらう。」
 森からかなりの高度にいるのでオーディショナーに対して言っているわけではない独り言を呟いたドラゴンだったが、聴覚も常人離れしているらしいオーディショナーはそれを聞いて再度笑う。
「そっちの高さねぇ。上空から範囲攻撃ってところかなぁ。」
 鳥の翼を広げて空中にとどまるドラゴンを見つめるオーディショナーは、ふっとドラゴンの姿が消えたのを視認し、超人的な動体視力とそれに応える身体でもって攻撃を回避しようとしたのだが――
「違ったか……」
 跳躍の為に脚に力を入れた瞬間にそんな声が聞こえ、自分から数メートル離れた場所に小さく、だが深いクレーターが出来上がっている事に気がついた。
「――!?」
 見上げるとさっきまでいた場所にドラゴンは戻っており、あごに手を当てて何かを探すように下を見ていた。
「もしかしたらこの速度でも回避を――ああいや、弱気はいけない。森の中ではともかくとしてこの空……この場所において僕は――最速だ。」
 再度消えるドラゴンの姿。先ほどと同様にそれには気づけるのだが、行動しようとする頃には別の場所にクレーターが出来上がり、ドラゴンは元の場所に戻っている。
 攻撃を開始し、それを終え、元の場所に戻る。この一連の流れをこなすのにかかる時間が、自分が攻撃開始の瞬間を知覚してから行動を起こそうとするまでの時間よりも短い――この事実にオーディショナーは驚愕していた。
 速い。あまりに速過ぎる。第三系統の光の魔法であればそういう領域もあり得るだろう。だがドラゴンが使っているのは第八系統の風の魔法。その速度は異常なのだ。
 その上ドラゴンが仕掛けているのは先ほど予想した範囲攻撃ではなく、一点狙いの直接攻撃。木々に隠れて視認できない自分の姿を、葉の揺れ方や風の流れといった極めてわずかな情報から推測し、攻撃しているのだ。
 当然精度は低く、現に二回も外している。だが、仮に遠くへ逃げようとして移動を始めればそれは木々を揺らし、自分の場所をドラゴンへと伝えてしまう。かと言ってこの場所に居続ければいつかは攻撃が直撃する。
 動けない。攻撃の跡からしてドラゴンの一撃はかなりの威力。一撃でやられるとは思わないが受けるダメージは相応で、その後の戦闘に間違いなく支障が出る。
「――っ!」
 ほんの一瞬で戦況を覆された事にギリッと歯ぎしりをするオーディショナーに対し、ドラゴンは一人、オーディショナーからすれば更に絶望的な一言を呟いた。
「うん……よしよし、準備運動はこれくらいだな。」
「準備――!?」
 思わず声を出すオーディショナーだがその声はドラゴンには届いておらず、ドラゴンは首をならして腕をぶらぶらさせながら大きな声を出した。
「あー、オーディショナーって言ったか! そっちの速さ――いや、強さには正直感動した! その身体――を見て、ひどい顔をしたのを謝る! だから今度は僕が見せよう! 僕の憧れる姿を!」
 コスプレの鳥の翼を後ろへグッと伸ばし、上体を屈めるドラゴンに、オーディショナーは息を飲む。
「これが――空の王者だっ!」
 ドラゴンの姿が消える。瞬間、まるで上空から巨大なガトリング砲を乱射しているかのように森のあちこちにクレーターが出来ていく。砕ける地面、木端となる木々。一瞬で木の混じった砂煙に覆われる森の中に連続で響く衝撃音。攻撃が始まってから二秒と経っていないのだが、既に荒地以下となりつつある森。
 このままでは確実にやられる。そう判断したオーディショナーは――
「どぉこ狙ってんのぉっ!!」
 と、声を上げた。瞬間、ドラゴンの狙いが定まり、オーディショナーへと急降下し――

 ザシュッ!
 ベギィッ!

 生々しい二つの音が響いて二つの影がそれぞれ別の場所へふっ飛び、地面に転がった。
 天変地異のような光景が止み、もうもうと立ち込める煙の中、一つの影が片膝を立てる。
「が――っは……な、なんていう反射神経……と、動体視力……まさか、僕の攻撃に、あ、合わせてくるとは……」
 そう言いながらよろよろと立ち上がったのはドラゴン。多量の血液が溢れ出る右の脇腹の深い傷に気休め程度の手を添えながら、もう片方の手に折れた剣を握っている。
「あっは……居場所がわかった途端の正確さと……速度が、そっちにあったおかげって……感じぃ? カウンターを、狙いやすいよ、ねぇー……」
 立ち上がるもう一方の影。片腕が千切れ、残った手で腹部を押さえ、尋常ではない量の血を口から吐き出しながら、オーディショナーはそれでもニヤリと笑った。
「その傷、ほっとけば死ぬ、よねぇ……? 対してあたしは……魔王様の力ですぐに、回復して……自分を治せる……あはは! 魔王様は、絶対に負けないから……そっちの負けは、確定――」

「があああああああっ!」

 重傷を負った二人の間に響く声。何事かと顔を上げるドラゴンに対し、オーディショナーの表情は信じられないという顔だった。
「この声――魔王様っ!?」


 遡る事数分。ヴィランが言うところの第二形態を前に、ヨルムは――表情のわからない顔ではあるが、困っていた。
「ぬん! ふん! はぁっ!」
 その巨体通りの剛力とそぐわない豪速で振り回される斧――『魔王斧』が放つ黒いオーラの乗った衝撃波を回避しつつも六本となった刃を視認不可能な速度で振るうヨルム。だがそれぞれがヴィランの身体の各部位を切断しても即座にくっつき、まるで刃が素通りしてしまったかのように見えるほどの超速再生で何事もなく攻撃を続けるヴィランに、ヨルムはたまらず距離を取った。
「――っはぁ……これほどのデタラメはそういないぞ……」
 直撃は未だないものの、ところどころにかすり傷が増え始めたヨルムは大きく息を吐いた。
「再生と言えば上位の魔法生物だが、このレベルは俺様も見た事ないな。」
 そんなヨルムに対し、先ほど同様に腕組みをして再度エネルギーをためているのだろうフィリウスは、しかし先ほどよりも厳しい表情をしている。
「ちなみに、アレを消し飛ばすのにどれほどそうしていればいい。」
「逆に聞くが、直接斬ってるお前からして、『魔王』の強度はどれくらい上がった?」
「相当、だな。切断は出来ているが先ほどまでとは比べ物にならん。豆腐から大木になったくらいの感触だ。」
「人間を豆腐扱いなのも、大木と言うモノをあっさり切断するのも大概だが、だとすればかなりのタメがいるな。しかも消し飛ばせたところで第三形態になるんじゃイタチごっこだぞ。」
「そうだな。ならお前は風で俺の動きをサポートしろ。リズムはわかるのだろう?」
「それはいいが、策があるのか。」
「もう少しでな。」
 そう言ってバッと両腕を開き、周囲に七本の刃を浮かせたヨルムを見て、ヴィランは嬉しそうに笑う。
「確か『七閃』で神髄が見えると言っていたな! ここからが本番というわけか!」
「そのデタラメな身体が相手だとあまり変わらないかもしれないがな。」
「はっはっは! 物は試し、この魔王に見せてみよ!」
 もはや予備動作もなしに跳躍したヴィランは『魔王斧』を持っていない方の手を引き、剛腕豪速の拳を突き出した。
「――『七閃』っ!」
 瞬間移動のような速度でヴィランの背後にまわるヨルム。それと同時にヴィランの腕は、拳の先から肩の方向へ――縦に切り開かれた。
「ぬお!?」
 あまりに痛々しく、想像するだけでゾワリとするような刃の入れ方なのだが、綺麗に七つに切り開かれた腕は花弁のようで、粘性の高い血液を散らしながら咲いたそれは芸術品のようだった。
「剣技に美しさを取り入れるとは、なかなか!」
 ただ刃を入れるだけでは切った端から再生してくっついてしまう今のヴィランの身体に対し、力の入れ方と斬る方向でもって完全に切断して見せた――いや、魅せたヨルムの技に賞賛を送ったヴィランは、背後にいるヨルムに一瞬で膨大な量のオーラをまとわせた『魔王斧』を振るった。
「――!」
 表現するなら、それはエネルギーの壁。回避する隙の一切ない超範囲攻撃。たった一人を攻撃するにはあまりに非効率と言えるその一撃を前にどうしようもなかったヨルムの身体は、しかし何かに引っ張られるようにヴィランの身体を飛び越えてそれを回避した。
「ぬ!?」
 前方の一定範囲内の全てを灰燼としたヴィランは物理法則を無視する動きを見せたヨルムに視線を戻し、そしてその背後のフィリウスを見て笑った。
「なるほど! 次はそういう連携か! よいぞよいぞ!」
 切断された瞬間は美しかったが、地面に転がればグロテスクでしかない自分の腕にちらりと視線を送り、それを合図にしたかのようにぐちゃぐちゃとくっつき、再生した腕をもう片方の手でペシペシと叩くヴィラン。
「技術一つで切り口をここまで変える技と完璧なタイミングで差し伸べられる風のサポート! 言うなればそちらも第二形態になったというわけだ、はっはっは!」
「ひとまず工夫次第で刃の素通り状態は回避できるようだな。これなら行けるだろう。」
「気持ち悪い花を見せやがって。」
「贅沢を言うな。ここから先、俺の身体はお前に任せる。八から十二辺りまで連続で斬り込むぞ。」
「任せろ。」
 八本の刃を浮かせて身を屈めるヨルムと、腕組みをやめて両手をヨルムの背へと向けるフィリウスを見て、ヴィランはぶるりと震える。
「おお、おお! 来るのだな、必殺の一撃が! 良かろう、この魔王が合図を出そうぞ!」
 そう言うと大きく息を吸い込むヴィラン。漫画のように頬とお腹を膨らませ、その状態で一瞬止まったヴィランは、叫びながら息を吐く。
「『魔王砲』っ!」
 ヴィランの口から放たれる黒いオーラの閃光。圧倒的な破壊力でもって走る一撃が経路上の全てを消し飛ばしながら二人を飲み込まんと迫る。二人の立つ場所に到達するまでは一瞬だったが、それが放たれると同時に姿を消したフィリウスとヨルムは連携攻撃を開始した。
 そこから凄まじい攻撃の応酬だった、振るわれる無数の刃とそれを放つヨルムは共に速過ぎて姿が見えず、切り飛ばされる四肢や切断される黒いオーラの一撃で攻撃が繰り出されている事が辛うじて確認できる状況。
 そんな超速の剣技の中、その速度も鋭さも物ともせずに咆哮、閃光、衝撃を高笑いと共にまき散らすヴィラン。ただしただただ破壊をばら撒くだけではなく、手にした『魔王斧』を巧みに使い、視認できないがヨルムがいるのであろう場所に鋭く斬りこみ、拳や脚も打ち込んでいく。
 傍から見れば黒いオーラをあちこちに放ちながらヴィランが演舞しているような光景。時折その身体がどう考えても即死レベルの細切れになるのだが、ドロリとした血液がうねり舞うと分割された肉体が即座に一つの身体を形成して攻撃を続ける。そんな常軌を逸した攻防が三十秒ほど続いたところでフィリウスとヨルムの姿がヴィランからかなり離れた場所に現れた。
「……おい、ちゃんとサポートしろ。腕が折れたぞ。」
 おかしな方向に曲がっている左腕をぶらりとさせたヨルムがフィリウスをにらむ。
「それは悪かったが、あんな風になるなら最初に教えとけ。」
 いい汗をかいたという風に額をぬぐうフィリウスがクイッとあごでさした先、そこに立っているヴィランは三十秒前とは異なる姿になっていた。
「おお……おおお! 素晴らしい、素晴らしいぞ! 溢れ出る力に底を感じぬ! 身体が刻まれる度に新たな扉が開いていくようだ!」
 魔王の証と呼ぶ角と岩のような筋肉をまとった強靭な肉体。体格が更に増した事に加え、腕の本数までもが増加したヴィランは四つの腕一つ一つに『魔王斧』を手にしていた。
「あのミノタウロスの一族については俺も文献で知っているだけだ。そしてそこに腕が増えるという記述はなかった。」
「頼りない情報源だ。」
「そうだな。下手をすれば無限に強くなる可能性すらありそうだが……まぁ、あれぐらいなら充分だろう。」
「策って奴か? あんなのをどうにかできるビジョンは今のところ俺様にはないぞ。」
「あの男は自身を魔王と信じているからともかくとして、お前まで忘れているのだな。」
「んん?」
「はっはっは! 何だ、まだ何か隠し玉があるのか!」
 ひそひそ話でもなく普通にされていた二人の会話を聞いていたヴィランが笑う。
「その全てを糧とし、ワガハイは更に強くなる! 魔王へ近づく! この力を部下たちにも分け与えれば魔王軍もより強大になるだろう! 今一度問おう、魔人族よ! 魔王軍に入る気はないか!」
「ない。それに……お前は強くなったが弱くもなったんだ。」
「弱く? ワガハイが? それはまた難しい理論だな!」
「単純な事だ。おいフルト!」
 位置的に三人の戦場に一番近く、まき散らされる衝撃をまともに受けていただろうが、水のドームの内側で他のスピエルドルフの面々や学院長と共に何事もなく観戦していたフルトブラントがヨルムに呼ばれてコクリと頷く。
『あいつの上だけでいいんだろう?』
「ああ、頼む。」
 トロリと、水できた身体を揺らして腕を空に伸ばすフルトブラント。それを見て空を見上げたフィリウスはそこに広がる雷雲――魔王軍登場の演出として展開されたらしいそれを見てハッとする。
「そういう事か。」
「む?」
 同様に空を見上げて首をかしげるヴィランに、ヨルムが告げる。
「お前たちが来たせいでこの有様だがな、今日は――快晴なんだ。」
 そんなヨルムの一言を合図に、フルトブラントの手から拳サイズの水の塊が空へと打ちあがる。それがちょうどヴィランの真上にある雷雲に入ると、中で破裂でもしたのか、そこに合った雷雲が散って暗い空にぽっかりと穴があいた。
 そこから差し込んだ光はスポットライトのようにヴィランだけを明るく照らし、ヴィランは突然の眩しさに目をぱちぱちさせるも、結局何がしたいのかわからずヨルムの方に視線を戻した。
「これが隠し玉なのか? 盛り上げてくれるのは有り難いが、こういう演出がなされるとすれば勇者側だろうに。」
「何を言う。勇者は……そうなったりしないだろう?」
 ピッとヨルムが指差した先。自分の腕辺りを見たヴィランは、そこから煙が出ている事に気がついた。
「? なんだこ――」

 ジュアッ!

 直後ヴィランの全身を覆った煙。体中のあちこちから肉が焼かれる音がし、表面がただれていく。
「!? こ、これは一体――があああああああっ!」
 襲い来る激痛。ヨルムの刃を受ける時に痛みがなかったわけではないが、ヴィランの感覚からすれば指先を刃物で切った程度のモノだった。だがこれは違う。見た目通りの痛みが、いや、もしかするとそれ以上の耐え難い苦痛が全身を襲っているのだ。
「これは……予想以上だな。」
 日の光を浴びているヴィランにはもはや何もできないと確信しているのか、無防備にスタスタと近づいたヨルムは苦しむヴィランの横にしゃがみ込んだ。
「魔人族は太陽の光に弱い。いかに強靭な肉体を持とうとその光の下では全身から力が抜け、まともに動けなくなる。再生能力などもその効果を低下させるから、俺たちのようにローブも羽織らずに素っ裸で光を浴びた状態なら首を斬り飛ばしてそれで終わり。あとは混血ゆえか、最初は人間側の方が強かったお前の身体から魔人族としての力を引き出し、身体の性質を魔人族寄りに持って行くだけ――というのが策だったのだが、これほどの拒絶反応を起こすとは思わなかった。」
「ぬあああああああっ!」
 本来なら痛みにもがくだろうところを、ヨルムの言う通り力が入らないのか、手足を動かす事もなくただ焼かれていくヴィランは叫ぶ事しかできず、追加された二本の腕からは骨が覗き、背中は沸騰したお湯のようにブクブクしながら溶けていく。
「まるで吸血鬼一族のような反応……本来のミノタウロスとは異なる力を得た副作用か何かなのか……?」
「「「魔王様っ!」」」
 興味深そうにヴィランを眺めていたヨルムがふっと後ろに跳躍すると、ヴィランを囲むようにその部下たち――サルビアたちと戦っていたライターらが現れた。
「雲だ、カーペンター!」
 カーペンターがライターの指示で空にあいた穴を塞ぎ、スポットライトが消える。焼かれる音は消えたが、未だヴィランの身体からは煙が上がっていた。
「無駄だ。太陽の光から逃れれば即座に回復というわけではない。ましてやそれほどのダメージとなればしばらくは動けまい。勿論、今切り刻めば確実に殺せる。」
 目の前に並んだライターたちの異形には特に驚く事もなく、十三本の刃を展開させて魔王軍の全員を囲んだヨルムの肩をフィリウスが掴む。
「少し待て。俺様の仲間を元に戻してもらわんといかん。」
「……いいだろう。魔王の部下とやらもお前の仲間から結構なダメージを受けているようだし、この戦いは俺たちの――」

「勝ち、の方向になるかはわからないぜ?」

 ヴィランら魔王軍がそれぞれに痛手を負い、それをまだまだ余力のあるヨルムが見下ろしている中、『魔境』の封印がなされている断崖絶壁の前に、さっきまでこの戦いの中には存在していなかった人物――長い青い髪をオールバックにして奇怪なゴーグルのような者を身に着けた男、『ベクター』が立っていた。

騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第四章 悪の軍

丸々VS魔王軍になりました。ロイドくんらが一切登場しないのはなかなか無いですね。

ヴィランの部下の三人は当初ローブを脱ぐ予定はなく、デザインもなかったのですがそれぞれにバトルする流れになったので各々の特技やらなんやらを考える事になったのですが、より魔王軍っぽくなって個人的には満足ですね。

フィリウスの仲間の『ムーンナイツ』の方々の力やヨルムのスタイルもここで考えて……考えてばっかりでしたね。

しかしヴィランは滅茶苦茶強い人になってしまいました。果たして勇者は現れるのでしょうかね。

騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第四章 悪の軍

『魔境』の封印を巡り始まるフィリウスたちと魔王軍との戦い。 『魔王』ヴィランの部下たちが持つ特殊な能力に苦戦する騎士たち。 そしてヴィランが持つデタラメな力について、ヨルムが明かしたその正体は――

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更新日
登録日
2021-05-05

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