猫のきおく
捨て猫だった俺を拾ってくれた女の子との物語。猫を愛する人に
シーン1~24~エピローグ
プロローグ
今、ブロック塀の上をゆっくりと歩いている。暖かい日差しが心地よい。ただ、今は身体全体がなんだかふわふわして浮いているようだが、記憶をたどってゆくと・・・
寒い雨が降っている日だった。公園の植え込みの下でミヤーミヤー鳴いていると、女の子が近づいてきて、拾い上げてくれた。そのまま自転車の前のカゴに入れられ、今の我が家に連れて帰って、自分も濡れているのに、先にタオルで抱きかかえるように拭いてくれた。少し暖かなミルクを皿に入れてくれて、飲み干すと、少しばかりのご飯を箱みたいのから(多分お弁当の残りだったかもしれない)移して少しばかりのかつお節をかけてくれた。おいしくて、ホゴホゴうなりながら喰らいついた。
そのまま暖かいストーブの前で女の子の膝の上に乗り、うとうとした。誰かもう一人部屋に入ってきたのに気が付いた。すると、女の子と大きな声で言い合っている。女の子は すずり という名前らしい もう一人はお母さんと呼ばれていた。女の子は俺を突然抱え上げ、別のところに連れて行った。いきなり、シャワーを身体にかけ俺を洗い始めたんだ。濡れるのは嫌だ嫌だと思いつつじっとしていた。仕方ないと思ったんだ。また、暖かいタオルに包まれて拭いてもらうと気持ち良い。抱えられ、あの部屋に戻った。女の子からも石鹸だろう慣れない匂いがする。
ごはんの時間らしい。もう一人増えていた。男の子。寄ってきたから逃げた。女の子が「ダメー」って言っているのが聞こえる。三人が机に座って、食べだした。けど、お母さんが俺にもご飯に小魚を載せて俺の口元に差し出してくれた。なんという幸せな時間だろう・・・。
女の子が俺に向かって「毛の色が白黒でブチだからブチかな」なんて言い出した。顔の左側は黒いがブチじゃぁないだろうと思っていたら、「やっぱりかわいくないからプチにしょう」と言っていた。「プチ プチ 」って呼ぶんだよ。 何だい すずりチャン
シーン1
次の日から、みんなが出掛けて、最後にお母さんが俺をベランダの下のところに抱えていって、ダンボール箱を横にしてセーターみたいのを中に敷いて、その横に砂が入った箱と皿に入った少しのご飯とかつお節を置いて行った。「いい子にしているんだよ」と声をかけて出掛けて行った。いったい、いい子とはどういうんだろうと思いながら、俺はダンボールの中でじーっとうずくまっていた。
上のほうからカラスがカァカァ叫んでいるが降りてはこない。ずーと寝ていた。目が覚めて、ご飯を食べようと思ったら、半分程なくなっていた。そーなんだと思い、又、眠りについたが、玄関先から「プチプチ」って声がして、男の子が近づいてきた。かける と呼ばれていた。抱きかかえられたが乱暴だ。すずりチャンとちがうんだなぁ・・・。俺の頭を数回なでて、又、下に置いて自分だけ家ん中に入って行ってしまった。確かに、あいつを俺は少し苦手だ。何だか、砂の箱に入って用をたした。砂をかけながら、これは何なんだろう思いつつ・・・。
うす暗くなってきた頃、玄関先から声がしてすずりチャンが近寄ってきた。首元には紐みたいな細い紅色のリボン、チェックのスカートをふんわりさせながら、やわらかく抱き上げてくれた。この感じがいいんだよな・・・。部屋まで連れて行ってくれて、着替えたあと、俺の首にリボンを巻き付けた。嫌で手で取ろうとしていたら、すずりチャンが「嫌なのかぁー似合わないよね」といってはずしてくれた。わかっているよねー・・・。
シーン2
毎朝、皆が出て行って、最後に俺はお母さんに家から閉め出される。最初に帰って来るのはいつもかける だ。あんまり仲良くない。相変わらず抱き方が乱暴だ。
あの日は帰ってきて、玄関から魚の骨をポンと投げただけで、家には入れてくれなかった。ブロック塀の上に持っていってコリコリやりながらも、電柱のカラス(黒カラと名付けた)の視線を感じていた。その時、玄関先から「プチっプチ」って呼ぶ声。いつのまに帰ってきたんだろう。ブロック塀からは一生懸命に自転車をこいで帰って来る姿が見えるはずなのに。すずりチャンだ。恩人だし、一番信頼している人だもの。途中だけど骨をそのままにして、玄関に飛んで行ったょ。それ以来かな、何となく黒カラとの間に連携ができた気がするのは・・・
シーン3
ずーと雨が降ったりやんだりのどんよりした日が続いていたが、今朝は強い太陽がギラギラしている。あんまり暑いので庭の植え込みに退避して過ごした。すずりチャンが帰ってきて、車置き場の隅っこに新しいダンボールを持ってきた。中に敷くものも新しくしてくれた。ここなら風も通るし、屋根もあるから日陰になって涼しそう。砂場も木陰に移動してくれた。これは割と隠れるのでいいかも。
そのまま部屋まで連れて行ってくれた。すずりチャンは着替えたら、すぐに机に向かった。いつもこんな感じた。俺のほうから机の上に飛び乗ったりするが、「ダメー」と言ってベッドに投げられる。それでも、たまに、ベッドの上の俺と紐なんかで遊んでくれる。机に向かっているすずりチャンの足元に絡みつくこともあるが、適当にあしらわれる。いつも夕食まではこんな調子だ。
シーン4
あまり太陽が強くない。昔、すずりチャンに出会った公園の植え込みに行ってみようと思った。道路の先まで出て、ゆるやかな坂道がある。そこを下ったところのはず、そんなに遠くないと思う。坂を下りていくのは初めてだ。途中、ブロック塀の上に白い猫が寝そべりながら、こっちを見つめている。視線を感じながら注意深くその下を歩く。向こうの視線はまだ追ってきている。争いたくはないので真っ直ぐ下を目指したのだが、近づいた時、何故だか懐かしい匂いを感じた。何事も起こらなかった。
しばらくしてあの公園が見えてきた。そうだ、あの角の植え込みだ。小さな男の子がブランコに乗っていた。側で女の人がバギーを支えながら、ブランコを押している。変わらない。あとは小さな砂場とベンチがあるだけだ。植え込みも変わらない。この光景は忘れない。けど、何故俺はあの時ここに居たのかは思い出せない。それ以上は、あの雨が降って寒い日、女の子が近づいてきて、やさしく抱き上げてくれたところから猫としての生活と記憶が始まったのだと思った。帰り道、もうあの白い猫は居なかった。けど、まだあの懐かしい匂いがかすかにしている気がした。この坂道は、昔の俺と今の生活を別ける扉のようなものだったんだと思いながら、ゆっくりと歩いて我が家に向かって戻っていった。
シーン5
相変わらず、ブロック塀の上で魚の骨をむさぼっていた。電柱の上には、先ほどから、口先に赤い実のようなものを咥えて黒カラがいる。するとその実を道路の上に落とした。何台か車が通るのを見届けてから、その割れた身をついばんでる。再びカァーといって電柱に戻っていった。こっちを見下しているような視線だ。何だよと思いながら、テリトリーの巡回に出掛けることにした。しばらくして戻ってくると、元居た場所で黒カラがブロックをつついていた。俺に気づくとカァーといって電柱に戻っていった。連携か・・・
シーン6
暑い日が続いたけど、すずりチヤンが朝から居ることが多くなった。時たま、深い赤の上下の服で出てゆく。家にいるときは、俺もすずりチャンの部屋で過ごすことが多い。彼女は短パンに袖のないシャツでいつも机に向かっている。いつも勉強している。窓からは生暖かい風が入ってくる。かけるの方はだいたいテレビに向かってガチャガチャやっている。
すずりチャンは髪の毛を後ろでまとめて馬のシッポみたいにまっすぐに長くたらしている。椅子に座っていると背中の方でゆらゆらすることがあり、かまって欲しくて、俺がそれをめがけて飛びついたり遊び始めると、不愉快に思っているのかどちらかわからないが、しばらくはどっちとも楽しんだりする。
シーン7-1
夏の日の朝、お母さんが出掛けた後、すずりチャンがキッチンでなんやらガタガタしていた。お弁当を作っていた。出来たのを包んでリュックにつめた。「完了 」と言ってバタバタ部屋に戻っていった。しばらくして降りてきたら青い短パンに胸に猫の絵がかいたシャツそして頭には前にツバのついた白い帽子をかぶっていた。眼はそんなに大きくないがクリッとしていて、足がスーっと伸びているせいか、わりとかわいいと思う。そして、手には網目の袋を持っていた。そうだ昨日の夜、いきなり俺を抱え上げあの袋に入れようとした。俺は、びっくりしてすずりチヤンの手を引っ掻いたかもしれない。顔だけ出るようにして、網袋を閉めた。練習、練習とか言って「おとなしくしてるんだよ」って言っていたのを思い出した。やっぱり、今も、俺を抱えて網袋に入れた。そのまま抱きかかえて、「プチ 散歩だよ」っていって玄関を閉めて出た。表の道路に出ると、かけるが自転車に乗って待っていた。すずりチャンの自転車も用意してある。
前のカゴに俺を袋ごと入れて、「おとなしくしているんだよ」と声をかけて、こぎだした。じょうだんじゃぁない、
危ないだろう。この娘はやることが割と思い切りが良いというかなんか・・・。うしろからかけるがついてくる。すぐに、下り坂になって、スピードがあがった。ううーっ、飛び出せない。思うように動けないんだ。まてっ、まって、声もあげれない、危ない、怖いよー・・・。すずりチャンは「ひゃー〇〇〇いいー」って言ったような気がした。
あの公園の横を抜けて、大きな道路に出るとようやくゆっくりと進んでくれた。すれ違う人がおどろいたようにこっちを見ている。しばらく行って、お店の前に止まったかとおもうと、すずりチャンが中に向かって声をかけている。中からお母さんが出てきて、俺の頭を少しなでながら、「気をつけてね」と二人に言っている。でも、俺に向かっては何も声掛けがなかったように思う。気をつけなければいけないのはこっちのほうだよー・・・。もう一人女の人が中から、「可愛いわねぇー」と手を振っていた。俺かーーーすずりチャンのほうかーーー。
シーン7-2
又、自転車は進む。ゆっくりなので安心した。大きな道を二回ほど渡り、大きな長い橋も渡ったと思う。時々、すずりチャンは自転車を降りて押して歩いた。意外と慎重だったので助かった。着いたのは、大きな樹が何本も並んでいて、その向こうには、すごく白っぽく何にもないようなところが広がって見えた。
自転車を置いて、すずりチャンは俺を網のまま抱き上げて、その並んだ樹の間を歩き出した。中はひんやりして涼しい風が通っていた。かけるは先に走って抜けていった。樹の間を抜けると、白い砂がひろがっていた。その先にあるのは・・・これが海というものなのか、初めてだ。とてつもなく、大きくたくさんの水が押し寄せてくるようだ。なんだこれは、エェー、怖気づいてしまった。樹の間を抜けると、俺をおろして袋から出し、背負っていたリュックから紐みたいのを取り出して、俺の首に縛りつけ、反対側をすずりチャンは自分の腰に巻き付けた。「よしっ、いくぞ」とそのまま歩き出した、砂と海に向かって。またぁーと思っていたとたんに引っ張られて、俺も砂に足を入れてしまった。なんとなく熱い。
すずりチャンとは少し距離があるが、嫌々ながら引きづられるようについて行った。朝とは変わって、時おり陽が陰ってきている。歩くにつれ、色んなものが落ちていて、まあまあ面白くなってきた。ただ、すずりチャンは足首の少し上までバンドみたいなので縛ってある編み目靴を履いていたが、ときどき砂が入るのか、足を振るんだ。そのせいで砂が俺の顔に飛んでくるから・・・。
シーン8
海辺に着くとすずりチャンはリュックからポリ袋を取り出して、波がすれすれくるところで砂を掘り、それを浸していた。かけるは先に来ていて、靴を脱いで、波に向かって笑いながら足を蹴り上げていた。すずりチャンもそのまま波打ち際まで歩いて行ったが、俺はとんでもないと踏ん張っていた。だから紐の距離があったのかもな。
しばらくして二人は大きなボールを投げあってキャーキャー言いながら遊んでいた。すずりチャンの髪の毛が背中で興味ありげに激しく揺れていた。かけるもすずりチャンとおなじような服を着ていて、帽子だけは紺色で横に金に光る角みたいなものを付けている。こういうのを見ると遠目には、二人は仲の良い姉弟に見えるんだろうな。確かに二人がこうしているのを見るのは俺も初めてだ。少し離れたところでは、人がいっぱい居て、色んな傘が立っていて、音楽も鳴っていて、騒がしくしている。紐はもう外されていたが、俺は二人の近くで落ちているものの匂いを調べたり、砂をかいて掘ったりしていた。
もう飽きたみたいで、さっきの波に浸っていた袋を取り出して、二人座って、その中のものを食べだした。ああご飯だったんだ。すずりチャンは俺にも肉を差し出してくれた。並んで三人して食べました。帰りも同じようにして帰ったんだけど、近くの坂道に来ると、網袋から解放された。小走りに、ときおり後ろを振り返りながら駆け上がった。すずりチャンも懸命に上がって来る。日差しが当たらない反対側を頑張っているが、すずりチャンの腕や太ももがほんのり赤く光っていた。
シーン9
今夜は夕食を済ませて、子供たちはそれぞれの部屋にこもってしまった。食卓ではお父さんが独りプレートで肉を焼きながらビールを飲んでいる。お母さんは風呂にでも入っているんだろうか。俺はその光景を少し離れてなんとなく見つめていた。つまらないので、かまいたくなったのか、肉のかけらをこちらに差し出して、「ほいっプチ」と言って珍しく触れ合ってきた。俺はもちろんミャーとお愛想を言いながら足元に駆け寄ってむしゃむしゃと食べた。うまかった。この人は普段俺が何を食べているのか知っているんだろうか。とか思いつつ。
「うまいか」と言いながらもうひとかけくれた。次にくれたのはにんじんのひとかけだった。それもとりあえず食べた。肉の匂いもしたし柔らかいし、まあまあかな。すると次もにんじんだった。我慢して食べて、もうこれ以上はたまらんと思って、その場を離れた。「そうか、お前もにんじん食べるんだ」とか勝手なこと言いながらビールを楽し気に飲んでいた。
その時、お母さんが頭からタオルをかぶって部屋に入ってきた。すぐさま、「臭いこもるから窓開けてよね」といいながら、ベランダ側の窓を開けて、「ああいい風が入ってくるわー」と夜空の月を見ていた。するとお父さんがその場しのぎかもしれないが、「プチがにんじん食べるんだぞっー」と・・・なんてこと言うんだ。そんなこと、植え付けたら次の日からの俺のご飯がにんじんになってしまうかもしれないんだぞ。じょうだんじゃぁないよう。俺は肉が好きなんだよぅ・・・。
シーン10
ブロック塀の先には日陰になっているところがある。あそこまで行こう。道路の向こうの電柱のてっぺんには黒カラがこっち見ている。あいつとは何となく以前から連携している感じがある。
先の日陰に黒猫(クロスケと名付けた)がこっちを見ている。少し体つきがおらより一回り大きい気がする。あいつとは以前から顔は知っているがあんまり近づきたくないので、いまだ話をしていない。
少し敵対心もあり、ゆっくりと近づく。向こうも警戒しながら近づいてくるようだ。戦闘態勢になり、間1メートル位になった時、黒カラが羽を広げて「グァー」って雄叫びをあげた。クロスケはびっくりして飛び降りそのまま逃げて行った。今日はとっても暑い日だった。
シーン11
少し、日差しがやわらかくなってきた頃、その日は朝からお父さんお母さんかけると三人で車に乗って出て行った。俺は庭の木陰から見送った。すずりチャンはどうしたかなと思いつつ。しばらく、見なかった黒カラがいつもの場所に戻ってきた。
木陰でうずくまっていると、道路からすずりチヤンが呼び掛けてきた。「ブチ ブチッ散歩にゆくよー」って。つばの大きな帽子をかぶって、今日はひざ下までのズボンで底の厚いサンダルに編みあげたバックを肩からさげていた。声をかけるなり、坂道のほうに歩き出した。俺は、トットットと後を追いかけてついていった。すずりチャンは濃い茶のリボンで髪の毛を結んでいた。ときおり後ろを振り返っていたが、俺がついてきているのかを確かめているのかな・・・。
あの公園に入っていった。誰もいなかったせいか、ブランコブラブラしながら歌を口ずさんでいるようだった。俺は何かの匂いを探すでもなく、植え込みの下を歩き回っていた。
水色の服を着た女の子がすずりチャンに手を振りながらやってきた。髪の毛は長いが、結んでなくて、広がって風になびいていた。すずりチャンの隣に座って笑いながら話し込んでいる。たぶん友達なんだろうね。二人は大きな樹の木陰のベンチに移って、水色の女の子がバックから二つとりだして、二人で飲んでいた。ときたま、二人とも楽しそうにキャーキャーと大きな声で笑っていた。なんだか周りも光って見えた。
「プチ、プチッ」って呼ぶので、すずりチヤンの近くに姿を見せて、お愛想でニャーと泣いた。その女の子が「可愛いー」って言ってくれた。優しそうなので、安心してすずりチャンの方にすり寄ると、その女の子が俺の頭をなでて、又、「可愛いねぇー」と言っている。少し、うれしかったかな・・・。
シーン12
水色の女の子にバイバイしながら、俺を抱きかかえ、坂道を上りだした。まだ、陽は高い。すずりチャンの腕は汗ばんできている。途中、ブロック塀に差し掛かって、あの白い猫が居るかなって、少し期待したが・・・。
家にたどり着くと、すずりチャンは汗だくだって、服を全部脱いでしまって、俺を抱えて例のシャワーのある所に連れて行った。いつものように、シャワーをかけられ、洗われて、こっちは必死だったけど、すずりチャンは気持ちよさそうに頭からシャワーしていた。髪の毛が白い背中で動くように吸い付いていた。
その日は、ほかの三人は帰ってこなかった。夜になって、すずりチャンがキッチンでガタガタしていた。なんか食べるものを用意しているみたい。「できた」と言って俺を食卓の上にあがらせて、「特別だょ」って言いながらすずりチャンと同じもの(大きさは違うが)を皿で差し出してくれて、「いただきます」と俺に向かって言って食べだした。俺もフニャフンニャと声を出して食らいついた。丸っこい肉ぼっかった。なかなかおいしいじゃぁないか。すずりチャンには野菜があったけど・・・。
「今夜は君は私を守る王子様だからしっかり食べてね」とすずりチャンはつぶやいた。もしかして、俺がいるからこの娘はみんなと出掛けなかったのかな・・・。
シーン13
涼しい日が続くようになって、朝、すずりチヤンがあの紅色のリボンをつけて出掛けて行った。続いてかけるも背中に荷物を背負って勢いよく出て行った。つぎは、お母さんかなってかまえていると、ガァガァと床面をやりだした。なんだか気味が悪いので、俺はあちこちに逃げて遠巻きに監視していた。そうだ、たまにすずりチャンも自分の部屋ん中をやっていた。
あちこち一通り終えたのか静かになって、お母さんが「プチ お庭に出るわよ」って言って、ガラス戸を開けて待っていた。ピッタリとしたズボンをはいているが足がスーッとしている。すずりチャンはお母さんに似たのかー、でも髪の毛は短く切っている。大きな帽子をかぶって、庭の草をむしり始めた。隅っこのほうには、白とか黄色の小さな花が咲いている。
車庫の柵の外から「こんにちわー」と声がした。小さな白い犬を連れた女の人がほほ笑んでいる。振り返ったお母さんは「こんにちわ」と返しながらそっちに寄っていった。親しげに話をしていたけど、俺の姿を見たあの犬が柵の下からのぞきだすように、向かって吠えてきた。バカ犬め、俺は知らんふりして何気なく、花に寄る蜂を見てやりすごした。あの犬は繋がれているから自由に動けない、かわいそうに・・・。
シーン14
今夜はとても大きな月が出ていて、明るかったが、ついさっきから雨が降り出してきた。タイミングを逃してしまって、今日は閉め出されてしまっている。下から見ると、すずりチヤンの部屋も明かりがついているのがわかる。ブロック塀から車庫の上に移れば、何とか一階の出ている屋根に飛び移れるかも・・・。少し、離れすぎているかなあー。まぁ行ってみるか。まず、車庫の上まで登った。こんなに離れているところを飛んだという覚えが無かった。でも飛べると自分に言い聞かせて、身を低くして足を縮めて思いっきり飛んだ。
何とか端っこに引っかかった。飛べた。屋根伝いにすずりチャンの部屋の下から窓の出ている白い柵に飛び移った。ニャーニャァー 入れてって鳴いた。
するとすずりチャンが窓を開けて、「プチッなんでー」って言って抱きかかえて部屋ん中にいれてくれた。「どこいってたのー」ってタオルで包みながら抱きしめてくれた。柔らかく、暖かかった。
そのこと以来、俺はすずりチャンの部屋にいるとき、窓際に駆け寄ると窓を開けてくれて、夜の巡回をして、用をたして、又その窓の外で声を出すと中に入れてくれるといった感じだった。
シーン15
今日は日差しが無い。少し冷たい風が吹きつけた。ブロック塀の向こうからクロスケがゆっくりと近づいて来る。目がヤル気になっているがわかった。どうして、その気になっているのかわからない。ならばこちらもその体制にもってゆかねば・・・。
今日は黒カラは居ない。頭ん中でいろいろと想定した。やはり最初に向こうから手を出すようすればいいかな。たぶんあいつは左手で最初の一撃をかましてくる。それを左斜めにかわしながら右の一撃をかぶせて応酬する、その反動を利用してすぐさま左手でもう一撃を与える。これで向こうはそうとうダメージに思うに違いない。大丈夫だ、クロスケはカラスの鳴き声で逃げるほど気弱だ。
いきなり頭一つに間がちぢまった。ヴーとかギャーとかうなっている。俺もガァーと叫んでいたと思う。しばらく、にらみ合いが続いた。こいっ 早く手を出してこい。こっちはそれを待っているんだ。 キタァー。シャーという声とともに黒い左手が飛び出した。右耳にかかるのをかわしながらすぐさま俺は右手の一撃をかぶせた。そして渾身の左手であいつの右耳の後ろにかましてやった。どうだ クロスケはブロックからすっとんで逃げて行った。
今日は少し寒い。道路の向こうからかけるが帰ってくるのが見えた。おいっ、俺の強いの見届けたか・・・
シーン16
夕方になって、庭に面した窓を開けて外に机を置いていた。お父さんがその上で大きな肉を焼いていた。その他、野菜とか何か貝が載っている。部屋ん中の窓際に机を移動して、今日はみんなが揃っている。
さっきから、ワイワイと何か話をしたりしていた。俺は、近くのソファーに座り、その様子を眺めていたが、ずいぶんといい匂いがしてきている。お父さんが、焼けたよっていいながら、最初に貝みたいなものを、庭先からみんなにお母さんが手渡ししていた。みんなは黙って食べていたけど、お父さんが厚みのある肉をまな板に載せて切り始めて、取り分けたら、口々においしいーっとほおばっていた。すずりチャンは気づいたように、俺のほうにも切り分けて差し出してくれた。少し赤い汁がにじんでいる。おいしいーフニャフニャとうなった。お父さんもうれしそうに、「そうかプチ かぼちゃもあるぞー」と・・・。えぇー前は成り行きでにんじん食べたけど、もうごめんだよー。おかあさんは「よしなさいよ」って言ってくれたけど、すずりチヤンは肉の汁をつけて、そのかぼちゃも取り分けて差し出してきた。仕方なしに食べてみたが、やわらかくてまぁまぁだった。
食事が終わったのか、かけるはお風呂にいったみたい。すずりちゃんとお母さんは、臭いがするとかで窓を開けて扇いだり、洗いものをしたり忙しそうに動き回っていた。お父さんはソファーで何か飲みながら伸びている。俺は、それでお父さんの膝の上にのってゆくとやさしく頭から身体をさすってくれた。初めてのことだ。お母さんがそれを見て、「ヘェー」と少しおどけてみせた。
シーン17
冷たい風が車庫を吹き抜ける日が増えてきた。少し前に俺の寝床は、二階ベランダの下の風が当たらない場所にお母さんが移動してくれていた。暖かかった日には、近くの畑ん中でバッタとか追い回したりしていたが、最近はずーとうずくまって寝ていることが多い。
今は、少し出て電柱のたもとで、そろそろ帰って来るだろうすずりチャンを待っていた。ここは、坂の下まで見通せる場所だ。右手の方から、茶色の毛並みがツヤツヤと光っている大きな犬と連れ立った人が歩いて近づいて来る。身構えていたのだが、その犬はこっちを見ないようにして、無視するように前を通り過ぎて行った。この辺りは犬が多いようだが、大体は小さな犬だ。俺には大きな犬の方が安心できるようだと感じている。
見えた、すずりチャンだ。冷たい風が降りて行っているだろうに、ほっぺを赤くして。首に温かそうなのを巻き付けただけなのに、懸命にスカートを跳ね上げて、向かって上って来る。お母さんなんかはモコッとしたものを着て出てゆくのに、なんであの娘はもっと着ないのだろうか。近くまで来て、俺の姿に気づいたのか、「プチッ」って手を振った。少しよろけながら。いろんな想いもありながら、ニャーと精一杯応えた。
シーン18
ソファーの横で色んな光が点いたり消えたりしている。少し前に、かけるが、その木のようなものにいろんなものを吊り下げていた。
今夜はみんな揃って、食事をしていたが、すずりチャンは食べ終わったのか、「ごちそうさま」と言って、直ぐに自分の部屋に戻ろうとした。おそらく、又、机に向かうのだろう。お母さんは、「まだケーキがあるよ」と言って呼び止めたが、すずりチャンは「後で呼んで」って言って去ろうとした時、お父さんが、「すずり あんまり張り詰めるともたないぞ」って、声をかけた。すずりチャンは、一瞬、足を止めて何か言おうとしたが、そのまま二階へ上がっていった。
お母さんがソファーの前の机にケーキを置いて、すずりチャンを呼びに行った。すずりチャンが降りてくると、お母さんが細長い木の根っこみたいなケーキを切り分けて、みんなに手渡ししていった。お父さんとかけるは「メリークリスマス」と言っていたが、すずりチャンは黙って食べて、又、さっさと二階に戻ろうとしたところに、お父さんがソファーで座りなおして、「すずり 模擬テストでなずなチャンに負けて悔しい気持ちは解らないでもないが、人間の実力なんてものは一度や二度で決められないもんだ。実力なんて頑張って努力すれば、後からついてくる。・・・うっ・・・追い詰めるようなことを言ってすまない。君は実力があるんだから、もっと気楽にゆけばー・・・。」って言っていた。それを聞いていたすずりチャンは「ありがとう」、ニコッとして二階にとんとんとんとかけあがって行った。俺には、何のことだか解らなかったがお父さんがやさしく思えて、ひざの上に乗っかっていった。暖かかった。ケーキを少しちぎって手のひらにのせて差し出してくれた。
シーン19
その日、外は寒い。みんなは天ぷらとそばを食べている。食事が終わって、お父さんがすずりチャンをソファーのある部屋に話があると誘った。すずりチャンは俺を膝に抱いて、お父さんの向かいに座った。お母さんも横に座った。かけるは何かを察したのか来ない。
お父さんは、「今年ももうすぐ終わりだなぁー。すずりは〇ん高しか受けないそうだが、それで、いいのか。人生には予期せぬことが起こる。信用していないわけではないが、まんがいちってことがあるだろうー。〇〇学園も受けておいたらどうかな」
すずりチャンは一瞬、俺を抱いている手にギュッと力入れた。少し間を置いて、「私は絶対に〇ん高に行きます」と はっきり答えた。「なずなチャンとも二人揃って行くって約束したし・・・。絶対頑張って行く」真っ直ぐ、お父さんとお母さんの顔を見ていた。お父さんは、「そうかー君を信じるよ」と・・・。すずりチャンは「じゃー」と言って、俺を抱いたまま階段を上った。
そのまま二階のベランダに出て、星空を見ていた。寒いだろう・・・。暗い空に一筋の光が上の方に昇っていったかと思うと上の方で大きく広がって消えて行った。そして大きな音がしたが、突然、すずりチャンは俺を抱いたまま右手を上に真っ直ぐに突き上げて、「ゆくぞ、〇ん高ぉぉー」と叫んだ。俺はびっくりして腕から飛び降りて、すずりチヤンの方を見ていた。
シーン20
朝がきた。すずりチャンは夜どおし起きて机に向かっていたようだ。ときおり、窓を開けて大きく両腕を伸ばして思いっきり息を吸い込んで・・・ベッドで寝ている俺の頭をなでて、又、机に向かっていた。
その日の朝の食事はみんながソファーに揃っていた。すずりチャンは顔を洗って俺と最後に行ったんだけど、お母さんは着物姿だった。お父さんが「明けましておめでとう」と言って、皆が口々に「おめでとう」と言っていた。飲み始めたお父さんは、「すずりとかけるは上の学校に行くし、お母さんはお店を任せられるし、お父さんの事務所は移転するし、今年はみんなが頑張る年だなー」又、コップについで飲んでいた。机の上には色んなものがのっていて、すずりチャンとかけるが時々俺にも分けてくれた。
ある程度食べ終わった頃、お母さんが「みんなで初詣に行ってお願いしょ」って言い出した。お父さんも「そうだなぁー」って言ったけどすずりチャンは黙っていた。お母さんは追いかけるように、「ねぇーすずり、着物をきてほしいのよー・・・」すずりチャンは 「ごめんなさい、自分で頑張って合格するから、着物は受かったらその後お礼に行く時に着てゆくから・・・」
結局、三人で出掛けたみたいだった。残ったすずりチャンはますます気が高まっているみたいだった。で、「プチ シャワーするよ」って連れていかれた。とんだとばっちりだったが、お湯をかけながら、「共同体だょ」ってすずりチャンがつぶやいた。でも、出た後はたぶん寒いだろう・・・
シーン21
少し暖かくなってきた日。朝からいつもと雰囲気が変わっていた。
「お弁当は卵サンドとジャムサンドにしたわ、バナナとあとあなたの好きな濃いミルクティもボトルに入れといたよ 大丈夫?用意出来たら出るわよ」 とお母さんが、すずりチャンに向かって言っていた。
すずりチャンも「大丈夫」と言って二階に上って行って、しばらくして下りてきたかと思うと、俺を両手で顔まで抱き上げて、「頑張ってくるよプチ応援していてね」って言った。何か声が弱弱しい、だから勇気づける意味でニャーニヤーと二回鳴いた気がしたが、二度目は声が出なかったようだ。それでもすずりチャンはニコッと返してきたように思えた。何だか俺には解らなかっが・・・。
お母さんの運転で二人は出て行った。俺は車庫からそれを見送っていた。とにかく頑張れって・・・。電柱に止まっている黒カラをひさびさに見た。奴も見守っていたのだろうか・・・。
シーン22
桜があちこちの家からちらほらと咲き始めていた。最近は家にいたすずりチャンが、今朝はあの細いリボンの服でソファーに座っていた。何も話さない、ミルクティーを黙って飲んでいた。お父さんとお母さんは朝出掛けて行った。かけるは庭でボール遊びをしている。「良し行くぞー」と言って俺をなでながら、「プチ 君に神通力があったら力貸してほしいとか・・・」猫の力を使うのは今では無いぞと俺は感じた。。すずりチャンは出掛けて行った。
どれぐらい時間が経っただろうか、その時、おれは庭寄りの窓際で日差しを浴びながら寝ていた。バタバタっとすずりチャンが帰ってきて、いきなり俺を顔まで抱き上げて、「受かった受かったよ」って言って、ほおずりし始めた。俺はそのほっぺをペロペロした。いつもの柔らかな匂いが心地よかった。かけるも二階から降りてきて、「お姉ちゃんおめでとう」と駆け寄ってきた。
夕方近く、お母さんが帰ってきて、すずりチャンに駆け寄って、「お店の女の子も喜んでくれて、ケーキを買ってきてくれて早く帰ってお祝いしてくださいって言ってくれたから、厚いお肉も買ってきたわよ。お父さんも早く帰って来るって、ステーキでお祝いしましょ。すずりがお店に寄った時、受かったって聞いたらお母さんうれしくて涙が出てきてしまったわ。なずなチャンも一緒で本当によかったわネ。」その様子を見ていた俺は猫でありながらも幸せな気持ちになっていた。おカアチャン俺の分も肉あるのかなぁ・・・。
シーン23
向かいの家の桜がこぼれんばかりに咲きだした。隣の家のもブロック塀の上を塞いでいるようだ。あの時戦ったクロスケはあれから見ないでいる。今朝からすずりチャンとお母さんが何やらバタバタとしていた。
ソファーがある部屋の隣、俺は入ったことのないところだ。頭の左側から花の飾りが垂れている。薄いピンクに大きな花がいくつか描かれている着物を着て、可愛らしくすずりチャンが立っている。お母さんは追って細かな花の着物を着ている最中だ。
俺に向かって、すずりチヤンが両手を広げて、「どう」って言ってクルリとまわって見せた。唇も少しいつもより紅い、ずっと大人になったすずりチャンに見えた。多分、眩しくて俺の瞳は縦に一本になっていたのではないだろうか。
「プチを抱くんじゃぁないわよっ、毛がつくから」って後ろから声が掛かってきた。お父さんも出てきて、すずりチャンに見とれて、しばらく声が出ない様子で口を半分開けたままだった。かけるもこの日は普段とは違う恰好をしていた。
四人が揃って、お父さんの運転で出て行った。俺は閉め出されたが、乾いた魚を皿に入れ、「独りで留守番しててね」って言って、バイバイされた。神社へお礼参りに行ったみたい。行ってらっしゃい、本当に良かったねと見送った。
シーン24
いつもは細い赤のリボンだったが、今日は細い紺のリボンで胸元も紺色で上からスカートまで紺色だった。すずりチャンが「どう似合う」って言って俺の前に出てきた。お母さんも今日は違った。昨日の夜、お母さんも行く行かないで言い合っていたが・・・。
すずりチヤンが「行ってくるね」と言って二人で元気に出掛けて行った。すずりチャンは張り切っていた。
桜の花びらが風にのって舞い散る道を、俺はあの公園をめざして、坂道を下りて行った。何故か、すずりチヤンを迎えに行かねばと感じていた。黒カラが電柱の上でガァーガァーとうるさく鳴いていた。公園に着くと誰も居なかったが、桜の花びらがいっぱい舞って落ちてきていた。向こうの大きな道路側の植え込みの下ですずりちゃんが帰って来るのを待っていたのだ。寝ないで首を伸ばしてその方向を見つめていた。長い時が過ぎて行った。
居たっ。すずりチャン。お母さんと並んでいた。俺は道路の際まで出て行った。すずりチャンも俺を見つけたみたいで、「おおーいプチぃー」っと大きな声で叫んできた。両手を振りながら思わず道路を渡ろうとしていた。大きな車が走って来るのをまるで見ていない。気づいていない様子だ。
おいっ待てよっ・・・。危ない―。
俺はとっさに飛んだ。その瞬間、今だぞ、猫の神様が後ろから押してくれた。黒カラも支えてくれたかのように、ふわーっと車の前に飛び出した。ゆっくりと車との間が縮まってくるのを感じた。
そして、衝撃とともに頭ん中が真っ白になっていくのも感じた。すずりチヤンが俺を抱きしめて、「プチップチッ」って何度も大声で叫んでいるけど、だんだんその声が遠くなってゆくように思えた。
だけど、良かった。すずりチャンは無事だったんだ。ごめんね、俺がここに迎えに来なければ良かったんだよね。もうその声も聞こえなくなってきた。今までのきおくが頭の中でかすめてゆく。
これまで、ありがとう すずりチャン。君と出会えて幸せだったよ、すずりチャンも幸せになってください。又、どこかで・・・。
エピローグ
小雨の降る日。公園のブランコの上で一羽のカラスがガアガァーとうるさく鳴いていた。何かを感じたのか、通りがかった紺のセーラー服姿の女学生が公園の植え込みをのぞき込んで、「プチッ」て声をかけた。足の先だけが黒い白の子猫は慣れ親しんだかのように「ミャー」と返した。
その娘は子猫を抱きしめて涙ぐんでいた。そして、タオルで優しく包むようにして、自転車の前のかごに載せて、後ろに結んだ髪の毛を左右に振りながら、坂道を上って行った。
猫のきおく