騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第三章 悪の趣味

第十話の三章です。
料理についてと、とある場所におけるとある陣営の戦いのプロローグです。

第三章 悪の趣味

 その女の子は食べる事が好きだった。好き嫌いなくなんでも食べるというわけではなかったが、ほっぺを膨らませて幸せそうにご飯を食べるその子を見て、両親はなんて料理のしがいのある子だろうと嬉しく思っていた。
 と言うのも女の子の両親は料理人――位をつけるのであれば超一流の料理人であり、その筋では名の通った店を営んでいた。これだけ美味しそうにご飯を食べる我が子もまた、きっと立派な料理人になれるだろうと思い、幼い頃から一流の料理で舌を育てようと、両親は女の子の為に様々な料理を作ってあげた。
 ある時女の子は両親の期待通りに料理に目覚めるのだが、それは少し不思議なキッカケだった。
 毎日ご飯の時間が近づくと母親、もしくは父親がふらりといなくなり、少し経つと美味しいご飯が出てくる。幼く、まだ料理――いや、調理という過程を理解していなかった女の子は、両親はどこかにご飯を取りに行っているのだと思っていた。
 調理場には当然調理器具があり、それらは幼い子には危険だと考えた両親が相応の年齢になるまで女の子を調理場に入れないようにしていたという理由もあるのだが、ある日、たまたま、女の子は調理場に立つ母親を見つけた。
 入ってはいけない部屋なので遠くから眺める事しかできず、母親が何をしているのかわからなかったのだが、しばらく経つと母親の持つ皿にいつも見る美味しいご飯がのっているのを見て女の子は驚いた。
 どういう事なのかと母親に尋ねると、女の子の「ご飯は取りに行っている」という考えに微笑んだ彼女は、毎日のご飯は自分やお父さんが作っているのだという事を教えた。
 それは女の子にとって衝撃的な事実だった。あの美味しいご飯が、幸せな気持ちになる素敵なモノが、人の手によって作られたモノであるという事。即ち、自分でも作ることができる代物だという事実に女の子は驚いたのだ。
 すっかり料理というモノの虜になった女の子は、調理場に入って良い年齢になってから両親の指導の下、料理の勉強を始めた。両親も目を丸くするような、天才と言って差し支えない才能と情熱でメキメキと力をつけていった女の子は、中等に上がる頃には両親の店の厨房に立てるレベルの料理人になっていた。
 この才能はもっと磨くべきだと考えた両親は女の子に料理学校を勧め、女の子も更なる技を得るためにと入学を決意した。
 両親から得た知識しかない女の子――いや、彼女にとって、様々なジャンルの料理人が集まるその場所は夢のようで、そこでも彼女はメキメキと成長していった。

 そんな中、彼女はある壁にぶつかる。自分と同じように料理一家からやってきた同級生たちからも自分の知らない技術を教えてもらったりしていたわけだが、時々言われるのだ。「ごめん、そこはうちの秘伝なんだ。」と。
 そう、様々なジャンルに様々な料理人が存在し、そこには数えきれないほどの調理技術が存在するわけだが、その全てが共有されるわけではない。特に自身の店を構える者ほど他人には教えないようにしている何かを持っている場合が多いのだ。
 料理を見て味わえば秘密にされているそれの内容を解き明かす事は不可能ではないが、百パーセントの正解を導く事は難しい。
 料理についてもっと学びたい。もっと技を身につけたい。その情熱を燃やす彼女にとってそれらの秘密は非常に歯がゆいものだった。だから彼女は教えてもらえないそれらを、盗み取ることにした。
 秘密が記されたノートを盗み見る。こっそり秘伝の技を使う料理人を隠し撮る。彼女としては不本意だったが、自身の更なる成長の為、彼女はその行為を是とした。
 こうして、興味を抱いた技術があったらそれを持つ料理人に教えてくれないかと頼み、了承が得られれば教わり、断られば盗むという事を始めた彼女だったのだが、ここで更なる問題が発生する。
 それは教わる事と盗む事の違い。その技術を持つ者から直接教えてもらうのと、教えるつもりのない者から技術を盗み取ったり技術の情報のみを得るのとでは自身の習得率に大きな差が生じたのだ。
 例えるなら、数学の問題の解き方を直接教わるのと、解いている人間を傍で眺めて解き方を学ぶことの差。見よう見まねで過程を追う事はできても、その意味や目的を百パーセント理解することは難しい。特に感覚的な要素も多い調理においては、それを知っているかどうかで別の結果に至ってしまうこともあるのだ。
 他人から技術を得ようと思ったら本人から教わるのが一番良い。その結論に至った彼女は盗み取る事をやめ、無理矢理教わる事を考えた。
 社会的に、もしくは料理人として致命的となるような秘密を掴んだり作ったりして脅す、大切にしている人や物を質に取る――方法はいくらでもある。加えて、彼女の得意な系統とは異なるが、第六系統の闇の魔法の一つである幻術系の魔法を使えるようになればそれらの手段も取りやすい。相手が騎士ならばともかく、分類としては一般人である料理人相手であれば、同じくただの料理人である彼女の魔法でも充分に効果がある。
 ただ、学生の身分で同級生や先生相手にそれをやると自分の仕業であると特定される可能性が高い為、彼女はしぶしぶの我慢で卒業するまで待つ事にした。
 料理学校を卒業後、修行の為にあちこちの店の厨房を渡り歩きながら、学生時代に保留したモノも含めて頼んでも教えてもらえない技術を教わる為の活動を開始した。
 彼女は線が細く、長く艶やかな黒髪が目を引く、学生の時も評判の美人であった。だから誰かを脅迫して技術を学ぶ時は自分の姿をそれとは真逆の容姿に見えるように幻術の魔法をかけた。金髪をパーマ状にして少しばかり横に膨らんだ体躯の中年の女性――両親の店の常連の一人だったお金持ちそうな印象の人物をモデルに作り上げた姿を裏の顔とし、彼女は料理の修行を続けた。

 そうして数年が過ぎ、両親の血を受け継ぐ天才として料理界にその名が知られるようになった頃、ついに裏の顔が指名手配された。料理に情熱を燃やし、その為に必要な様々な行為を是としてきた彼女ではあるが、本質的に悪人というわけではない。要求通りにすれば質に取った人や物はきちんと返してきたし、そもそもにして狙われた料理人たちにも脅迫された状態で彼女に技術を教える事を断る者はいなかったので、事後の生活は今まで通りになっていた。
 大ケガをしたとか人命が脅かされたという類ではない、言ってしまえば教えるつもりのなかった料理の技術を教えることになってしまったというだけの事件ではあったのだが、被害者が百、二百という数に至り、料理人の間で彼女の裏の顔がただの噂から具体的な恐怖の対象となった為、料理人たちの訴えを聞いた騎士側も対応せざるを得なくなったのだ。
 目撃証言と、裏の顔を使う際に彼女が意識的にマネしていた、モデルとなった常連客の口調から、彼女の裏の顔は『マダム』と呼ばれるようになり、そのことを知った彼女は思わず吹き出したりしたのだが、これは深刻な事態だった。
 犯罪者のランクとしては一番下のC級だが、場合によっては騎士との戦闘もあり得る。勿論最低ランクの犯罪者のところに名のある凄腕の騎士がやってくる事はほぼ無いが、料理人に過ぎない彼女にとっては新米騎士も脅威だった。
 だから彼女は考えた。やってくる騎士を打倒し、できれば自分に繋がってしまうような情報を持ち帰られないようにする方法を。
 今から何かの武術や強力な攻撃魔法を身につけるというのは現実的ではないし、そもそも料理人である自分に戦闘というモノはよくわからない。悩んだ末、彼女は料理人としての結論に至った。

 やってきた騎士を、料理して、食べてしまえばいいと。

 彼女は裏の顔の為に幻術の魔法を覚えたわけだが、魔法はそれしか使えないというわけではない。料理の際に魔法を使う料理人というのは珍しくなく、彼女が学んできた数々の技術には様々な魔法も含まれているのだ。
 当然ながら、それらは料理の見た目や味を変えるような邪道なモノではなく、調理の過程で用いられるモノ――食材の加工や温度調節などを行うモノであり、これまでに得たそれらの魔法を組み合わせれば騎士を料理する魔法も作れるのではないか、と彼女は考えたのだ。
 そして彼女は、もしも犯罪者としての通称がまだ無かったならばその名で呼ばれるようになったであろう彼女独自の魔法――『グラトニー』を編み出した。

 これといって脅威ではないはずの悪徳料理人『マダム』を捕まえようとした騎士が次々と行方知れずとなり、次第に騎士たちの目的が「捕まえる」から「倒す」へと変わっていき、派遣された名のある凄腕の騎士ですら戻らず、得体のしれない料理人がA級犯罪者となった頃、彼女を倒す為に編成された騎士団が、全滅しつつも彼女の魔法『グラトニー』の存在を伝えた。
 その恐るべき魔法の脅威からついにS級犯罪者となった彼女は、そこでふと考えた。これまで裏の顔は単なる手段であり、料理人としての顔は表の顔だけだったのだが、S級にまでなれば世の悪人たちも一目置いてそうそう手出しはしてこない。ならば裏の顔は裏の料理人として使えるのではないかと。
 裏の顔である『マダム』が犯罪者として名を上げていく過程で、彼女は犯罪者たちが跋扈する裏の世界には表の世界には出回らないような食材、技術が存在する事を知り、前々から興味を抱いていたのだ。
 表の顔では特に自分の店を持たず、あちこち呼ばれた先で料理の腕を振るっていた彼女だったが、裏の世界には酒場などはあっても純粋な食事処は無かったので、自分が第一号になれば裏の料理情報を集めやすくなると考え、自分の店を構える事にした。
 様々な理由で表の世界では活躍できなくなった料理人や店の経営に必要な知識を持った専門家などをそろえ、S級犯罪者にして料理人である『マダム』の名の下、彼女は犯罪者だけが入店を許可されるレストラン――『百鬼夜行』を作り上げた。
 表の世界で天才と称される彼女がレシピを作り、調理法を指導した料理は、犯罪者ではまず入れないだろう高級料理店並かそれ以上の味であり、ちゃんとした食事に飢えていた悪党たちの間で『百鬼夜行』はすぐさま評判となった。
 彼女の狙い通り、裏の世界唯一であるレストランには裏の料理情報が集まり始めたが、思った以上の盛況ぶりに料理人としての喜びを覚えた彼女は更なる人員を集めて店舗を増やし、ついでにS級の名前を出しても店で暴れるような客に対応する為に腕利きを呼んだりしていく内に、『百鬼夜行』はレストランの名前ではなく、彼女を頂点にする巨大組織の名称となった。

 表の世界では料理の修行であちこちを渡り歩く神出鬼没の天才料理人。
 裏の世界では犯罪者専用のレストランを経営する組織『百鬼夜行』のトップ。
 これがS級犯罪者『マダム』こと、サクラ・ホシクジャクという人物である。


「入店はB級からと言われる裏レストラン、『百鬼夜行』のオーナーにして料理長であるあんたが直に振舞う料理とは嬉しいな。」
 基本的に桜の国独特の内装をしているその建物の中だと異彩を放つ部屋――立ち並ぶ最新機材が近未来的な空間にしている厨房の真ん中にある作業用の台の傍、パイプ椅子に座って頬杖をついている、これといって特徴のないシャツとジーパンとメガネを身につけて髪をオールバックにしている女がそう言った。
「久しぶりに味の気になる食材が出てきたから腕がうずいただけだ。そこにたまたまお前がいただけ。料理人は誰かに料理を出してこそだからな。」
 座っているメガネの女の前、普段なら色の異なる着物を幾重にも重ね着しているところを質素な和服に割烹着をまとって床に広がるほどの黒い髪をくるくるとまとめている女が、素人には何に使うのかさっぱりわからない調理器具を魚に刺しながら答える。
「『ベクター』の仕事が滞っている影響でお前の番はまだ先になるが、準備は万端か?」
「別に何かを用意する必要はない。自分がいつもやってる事をそれにやるだけだからな。あんたみたいな百年単位の大悪党に呼ばれた時はどんな綿密な計画をご所望なのかと思ったが、こんな簡単な仕事で拍子抜けしたもんだ。」
「『ベクター』も軽い仕事だと言っていたが今の様だ。二の舞はよしてくれよ。」
 よくわからない状態になった魚を、これまた何をするのかよくわからない装置に入れてタイマーをセットした割烹着の女は、その装置に寄りかかりながらメガネの女の方に顔を向ける。
「しかし綿密な計画か。確かにお前のそれはあのザビクの後継を名乗るに足るとは思うが……以前のお前からはかけ離れた言葉だな、『バーサーカー』?」
「名乗ってはいるが足りてるとは思ってない。目標を掲げてるだけだ。そういうあんたこそ、こうして本当の姿を知っちまうと『マダム』って二つ名が笑えてくるぞ?」
 二つ名は騎士や周りの悪党が勝手に呼び始めるモノであるが、それが定着した時と今現在とでは状況が異なっている者、もしくは事実と異なる名前がついてしまう者というのは多少なりとも存在しており、互いにそのパターンである事に軽く笑い合う。
「今更だが、お前はどうして今回の計画に乗ったのだ? アフューカスを始末したいという意思しか確認しなかったが……ザビクはあれの七つの凶星の一つだったのだろう?」
「……さっきも言ったが、自分の技術はあの方の足元にも及んでない。ここに来る前にやった計画も、あの方なら完全完璧にやった。自分にはまだ指導が必要だが、あの方は……あの女のせいで死んだ……!」
「復讐か? 話だけ聞くと随分と乙女な理由になってしまうが……」
「復讐、もある。だがメインはあの方が残したというマジックアイテムだ。それを手に入れたい。」
「ああ、ザビクが死に際に残したというあれか。あの悪魔的頭脳を使えるようになるという話だが……なるほど、それがお前の言う「指導」になるのか。理解した、納得できる理由で良かった。」
「? どういう意味だ。」
「なに、S級犯罪者なんてのは誰も彼もネジのとんだ連中だからな。悪党の道を歩いてる理由がさっぱり理解できない奴ばかりだ。」
「自分を棚上げか?」
「他人に理解できるとは思っていない。まぁ、一人同志はいるが、微妙に方向性が違う。」
「もしかして『滅国のドラグーン』か? 料理絡みの悪党って言ったらあれとあんたのツートップだからな。」
「正確に言うなら、美食絡み、だな。」
「? 違いがわからん。」
「美味しい食べ物がそこにある時、それをそれ足らしめている要素は「食材」と「調理」。あたくしは料理人だから、例え食材の質が低かろうと、それを絶品に昇華する調理技術を追い求め、磨いている。対してバーナードは、言うなれば食材ハンター。調理を軽んじているわけではないが、あれが重きを置くのは食材。至高の一口を求め、未知なる味を探しているのだ。」
「調理の『マダム』と食材の『滅国のドラグーン』って事か。なら二人が手を組めばすごい料理が出来上がりそうだな。」
「ああ、出来上がる。あたくしならこれをどう調理する? と、様々な料理を進化させそうなとんでもない食材を持ってたまにやってくるが、その度に互いの舌が新たな感動を覚えている。」
「仲いいんだな……すると今回の計画はあんたにとって微妙なところだな。」
「さてな。」
 割烹着の女がどういう意味合いにも取れそうな笑みを浮かべたところでタイマーが鳴り、謎の装置から魚が出てきた。
「完成だ。」
「……? 斬ったり刺したりしてたのに、なんで丸ごと蒸し焼きしただけみたいな状態になってるんだ?」
 調理過程と完成の見た目に首を傾げながら、メガネの女は魚にフォークを突き刺してかじりついた。
「……自分が食べてるのって魚でいいんだよな……」
「ああ、その部分は鶏肉の味がするはずだ。」



「こういうのは男女差別と言われるかもしれないが、女性がいると料理のレベルが一段階上がる。このチームに女性が加わってくれて良かった。」
「あらん? お姉さんだって女性よん?」
「え、サルビアさんは男……」
 とある森の奥、断崖絶壁の近くに建っているコテージの中、木製のテーブルに並ぶ丸い鎧と赤い女と鳥の格好をした男がキッチンで調理するピンク色の髪の女を眺めていた。
「あのクッキーはそんなに合わなかったか。」
「だっはっは! 全員舌がビリビリしてるからな! 辛いモン食べた時に水が欲しくなるみたいに、今はまともなモン食わねぇと口の中がやばい感じだ! 森の中に料理できそうな生き物がいて良かったぜ!」
 そんな面々をバルコニーから見ているのは蛇人間と筋骨隆々とした男。互いに湯気の出ているカップを手にしていて、筋骨隆々とした男のそれには紅茶が入っているが、蛇人間の方には紫色の液体が入っている。
「……今回の一件、人間側にとって一大事ゆえに十二騎士が派遣されるのは理解できるが、それがお前というのは偶然か? それとも、お前が志願したのか?」
「俺様発案だ!」
「やはりロイド様の為か。」
「俺様がお前たちと繋がりを持ってるってのは周知だからな! そんな俺様の弟子である大将も同様だろうってのは誰でもできる推測だ! 上の連中からすりゃ十二騎士の俺様よりも学生の大将の方が扱いやすい! しかもお前らは俺様じゃダメでも大将の頼みならオッケーしちまうだろう!」
「当然だ。だからこそ、我々のせいでロイド様のお立場が危うくならないようにこうして先手を打っている。」
「過保護な事だぜ!」
「お前には負ける。」
「だっはっは! ま、それはそれとして、お前たちはあれについてどれくらい知ってるんだ!?」
 筋骨隆々とした男がくるりと後ろ――フードを目深にかぶった面々が作業をしている断崖絶壁の方を向く。
「あの封印がされたのは数百年前のことだからな! 世界を滅ぼせるレベルのやばい魔法生物がうじゃうじゃいて、それがどんな感じの奴かってのがぼんやりとした記録で伝わってるだけなんだ! お前たちは見た事あるのか!?」
「見た事は無いがそちらよりは情報が正確だろう。とある代の王が中に入った事があるからな。」
「入った!? 封印を解いたのか!」
「いや、その王は今昔合わせて歴代最高の魔法技術の持ち主でな。記録を読んだが俺には勿論、フルトにもさっぱりな方法――抜け道のような方法で入り、戻って来た。魔人族の脅威となりそうな不明物を一つでも明らかにする為に、そこの『ラウトゥーノ』に限らず全ての『魔境』にな。」
「スピエルドルフの王ってのはどいつもこいつも愛国者だな! それで中はどんなだったんだ!」
「まずお前の方に伝わってる情報を訂正するが、うじゃうじゃはいない。数で言えば両手で数えられる程度だ。そして全てが魔法生物……いや、生き物というわけじゃない。」
「いきなり間違いだらけか! というかなんだ、生き物じゃないのってのは!」
「……そもそもだが、『魔境』の中にあるモノは大昔の「世界」なんだ。」
「ほう! スケールのデカイ話だな!」
「神がこの世界を創造したのか自然発生したのかは知らないが、様々な法則や関係性が調和している今とは異なり、産声を上げたばかりの「世界」は陸海空の区別もなく、あらゆる自然がそれぞれの性質を突出させて暴れ狂う混沌とした空間だったという。」
「神話みたいだな! 大昔ってそういうレベルの昔か!」
「そう、原初の「世界」だ。赤子のように泣きじゃくる自然が互いを削り、喰らい、ゆっくりと時間をかけてバランスを取って行った結果が今の「世界」なわけだが、その調和に至る過程に入らなかったモノもあった。」
「どこにでもいるはみ出し者って奴か!」
「偶然だろうがな。とにかく、今では考えられないような法則で動く自然が残ってしまったわけだ。初めの頃は調和の取れた側が勢力として圧倒的だった故に抑え込めていたようなのだが、ある時「世界」の理に干渉できる存在が誕生してしまった。我々や魔法生物、お前たち人間がな。」
「魔法ってのは法則を捻じ曲げる力だからな! それを使う奴が増えると、調和の取れた世界ってのに影響が出るわけか!」
「そうだ。別に魔法を使い続けると「世界」が崩壊するとかそういう事は起きないが、抑える力は弱まってしまい原初の自然があふれ出始めた。」
「それをなんとかしたのが昔の偉大な魔法使いってわけで、そいつらが封じた原初の自然ってのがつまり、『魔境』の中身なんだな!」
「ああ。封印を施したのが人間というのが信じ難いが、我々に匹敵するお前のような奴もいるわけだしな。」
「だっはっは! しかし中身が自然とはな! 七つある『魔境』の内、五つは異常な自然環境って事だからその話は納得だが、残りの二つ――ヤバイ魔法生物がいるっつーそこの『ラウトゥーノ』と変な魔法生物がいるっつー『プラリマ』はどういう事なんだ!?」
「そこでさっきの、魔法生物と生き物ではないモノが数えられる程度という話に戻る。その二か所に封じられたのは原初の自然の中で奇跡のように誕生し、その環境に適応した生き物。そしてうねる自然の中でこれまた奇跡のように出来上がったマジックアイテムだ。」
「まじか! 今じゃ想像できないような天変地異の中で生まれた生き物とマジック――んん? マジックアイテム? 誰が作ったんだ、そんなモノ!」
「便宜的にそう言っただけだ。尋常ではない力がその辺の石ころや木の枝に込められてしまったモノだ。」
「おお、ビックリしたぞ! すると何か、フルトが言ってた『ベクター』――ここに来たS級はそのやばい怪物かやばい石ころをゲットする為に封印を解こうとしてるって事か! ちなみに怪物も石ころもどれくらいやばいんだ!」
「頭の悪い言い方だな……そうだな、お前の国みたいな大国の繁栄の礎になったり、現状の姫様の全力でも一歩及ばないレベルの力だ。」
「んん? カーミラちゃんの方はわかるがなんだ、礎ってのは!」
「ああ……気にするな。」
 口が滑ってしまったのを誤魔化すように紫色の液体をすする蛇人間をじーっと見る筋骨隆々とした男だったが、答える気がない事を悟ってため息をつく。
「やれやれ! 今日のところは『魔境』の情報で満足してやろう!」
「そうしておけ。『魔境』の中身など、これから封印を修復する俺たちには関係ない事だ。」
「だっはっは! S級が絡むとなると少々面倒そうではあるがな! お前たちもいるし、戦力的には問題ないだろうがあいつらはネジがとんでるからな!」
「ネジか……俺からすれば、お前やお前の仲間も相当変だがな。」
「フィリウス殿と――ヨ、ヨルム殿、料理ができました。」
 エプロン姿のピンク色の髪の女がバルコニーの二人を呼び、筋骨隆々とした男がテーブルの上に並んだ料理を見て「おほー!」と声をあげる。
「そういえば俺様たちの料理ってのをお前に食わせた事はなかったな! 今度はお前が舌をビリビリさせるかもしれんが、食ってけ!」
「……フルトを呼ぶか……」
 その後、魔人族側の料理に対する独特なコメントと、食べ物を自分の顔にゴポンと突っ込んで見る見るうちに消化していくフルトブラントの食べ方に人間側は大いに盛り上がった。



 貴族の方々がやってくるという学院見学が行われる冬休みの前に立ちはだかるテスト。たまたま任務がなくて手が空いているのか、無理して来てくれているのか、我ら『ビックリ箱騎士団』の顧問でもあるパムが鍛錬のついでに勉強も見てくれるという事で、オレは……妹から勉強を教わるという兄としてどうなのだろうと思う状態になっていた。
 んまぁ、実際戦術や魔法などの騎士に関する知識はパムの方が多いわけで、優等生のローゼルさんからの質問にも答えられるくらい、我が妹は立派だった。
 例えば……今回の試験には出てこないが、火の国での一件でフェンネルさんから教わったリズムについても知っていて、本人曰く、元赤の騎士団? という実はものすごい人だったらしいフェンネルさんほどではないけれど、パムも敵のリズムは初見でもそこそこ捉えられるらしい。
 というか、そもそもリズムという概念は敵よりも味方に対して使うモノで、連携の精度を上げる為のモノなのだとか。それを初めて会う敵相手に使える方がどうかしているらしい。
 そんな感じでやっぱり色々と知っているパムだったから、この前の選挙でオレが修得した風の刃についても話したら――
「やっぱり自分と兄さんは兄妹なんですね!」
 と、妙に嬉しそうな反応をした。
「えぇっと……どういう事?」
「兄さんは自分が使うゴーレムの魔法にはいくつ種類があるか知っていますか?」
「種類? え、土を人や動物の形にして操るっていう、その一種類だけじゃないの?」
「形状によって使う術式が違うんです。人型のゴーレム用、四足歩行の獣のゴーレム用といったように。つまり、複数の形のゴーレムを同時に操ろうと思ったら、その数だけ術式を同時に使う事になるんですよ。普通は。」
「普通は――ってことはパムはそうじゃないんだ。」
「はい。自分の場合、どんな形のゴーレムを何体出そうが使う術式は一つ。土――自分の場合は砂を操るというモノしか使っていないのです。人型にしたり獣の形にしたりという過程は自分のイメージで行っているのです。」
「ほう、なるほど。」
 オレとパムの会話にずずいと入ってきたローゼルさんは、ふむふむという顔で頷く。
「たぶんロイドくんはあんまり理解できていないだろうから、この美人妻が説明してあげるぞ。」
「……いつからあなたは自分の義姉さんになったんですか……」
「未来の確定事項だとも。まぁそれはそれとして、ゴーレムを作り出す術式が二つの要素で出来上がっていると考えるとわかりやすいぞ。」
「は、はい……」
 ローゼルさんからすると未来の小姑――になってしまうパムから睨まれながら、確かにイマイチ理解が追いついていないのでいつもわかりやすいローゼルさんの解説に耳を傾ける。
「例えば人型のゴーレムを作る魔法には、「土を操る」という術式と「土の形を人型にする」という術式の二つが組み込まれているのだ。」
「えぇ……? 土を操って人型にすればいいんじゃ……」
「うむ、それはもっともな意見だし人型にするだけならそれでいい。」
「じゃあ……人の形を崩さないで動かすっていうのが難しいんですか?」
「それもそこまで難しい事ではない。それだけに集中するのなら誰にでもできるだろう。しかし折角ゴーレムを作ったのにそれを操作するだけで手いっぱいというのでは微妙に目的からズレてしまうだろう?」
 そう言われて、オレは火の国でエリルが戦った『罪人』の一人を思い出す。そいつは押し寄せる魔法生物を足止めする為にストカが作った壁を破壊しようと巨大なゴーレムを出したが、それの操作だけをしていたわけじゃない。壁の破壊をそのゴーレムに任せ、自身はエリルと戦っていた。
 そう、ゴーレムはある程度自立して動いてくれる追加戦力として作り出すモノ。遠隔操作で動くロボットでは意味がないのだ。
「えぇっとつまり……ゴーレムっていうのは命令すればある程度勝手に動いてくれるモノだから、それに集中しなきゃいけないなんて状況は本末転倒で……あ、もしかして「土の形を人型にする」っていう術式には人の形を維持するっていうのと同時に、出した命令を実行する為にその土の身体をどう動かせばいいかっていうのまで組み込まれているんですか?」
「そうだ。パンチを出すという動作を土人形にさせようと思った時、全ての動きを術者が制御するとなったら、拳を引いて、腰を落としてひねってというその動作の為に必要な動きを全て行わなければならない。そんな面倒な事を、「パンチを出せ」という命令一つで勝手にやってくれるのが「土の形を人型にする」という術式なわけだ。」
「そして……ああそうか、ゴーレムの形が違えば命令を実行するのに必要な動作も変わってくるから、形によって違う術式を使わなきゃいけないのか……えぇ、じゃあこの術式って必須なんじゃ……」
「そう、普通は必須だ。これがないとゴーレムがゴーレムでなくなってしまう。そこを強固なイメージ力のみで形の維持と必要な動作の制御を行ってしまっているのがロイドくんの妹というわけだ。」
「おお、すごいんだな、パム!」
「魔法生物や魔人族であれば普通にやっている事です。本来であればイメージ力すら必要ない行為のはずなんですが、人間には魔法を扱う器官がないのでプラスアルファで制御しなければいけないだけです……」
 何でもないように言うパムだったが……うん、ちょっと照れてるな。
「使う術式が減る分、術者への魔法負荷も軽減するから断然お得なのだが、その強固なイメージ力というのがそう簡単に手に入るモノではないのだ。人型のゴーレムにこういう命令を出したのだからこう動くのが当然という認識――口で言うのは簡単だが普通は常識などが邪魔をする。それらを塗り潰す圧倒的なイメージ……パムくんの場合は何が土台になっているのだ?」
「自分は兄さんのイメージですね。」
「え、えぇ?」
「前にも話しましたが……自分がゴーレム――いえ、土で人型を作り始めたのは第五系統の奥義の一つである『死者蘇生』で兄さんを生き返らせる為です。兄さんを完全完璧にコピーした土の身体を最終的には生身にする――自分はその土の身体が完全自律する事を当然としていました。その感覚があるので、他の形のゴーレムを作ろうとそれが一つの生命体として動く認識を持てているのです。」
「な、なるほど……が、頑張ってくれたんだな……」
 上手い言葉が思いつかず、なんとなくパムの頭をなでるオレ。パムは何とも言えない、くすぐったそうな顔をする。
「そして本題だが、この話を聞いてどこか既視感はないかなロイドくん。」
「えぇ?」
「ロイドくんの風の刃さ。あれも本来は『エアカッター』という魔法で作られるモノで「風を起こす」という術式と「風を刃状にする」という術式が組み込まれているのだが、ロイドくんはイメージ力で風を刃にしてしまったのだ。」
「そうです! 系統は違いますけど、自分と兄さんは同じ魔法の使い方をしているのです!」
 なでられていたパムが力強く頷く。
「そ、そういう事か……オレの場合のイメージの土台は……回転、になるのかな……」
「兄さんの場合はあのゴリラのせいで魔法の知識――常識からとことん距離を置かれていた影響ですね。曲芸剣術の為にやっていた事の副産物という感じでしょうか。」
「実はその辺りも狙い通りだったりするかもしれないな、フィリウス殿ならば。」
「あのゴリラにそんな知能があるとは思えませんが……ともかく、結果的に兄さんはより良い魔法の使い方を身につけたのですから、それを応用すればできる事もドンドン増えていきますよ。」
「と言われても……風の魔法って強風と風の刃くらいしか思いつかないんだけど……」
「攻撃にはあまり使われませんが、声を遠くに届ける魔法とかも第八系統ですね。」
「あんたが苦手なやつね。」
 オレにぺしっとチョップを入れながら、話にエリルが加わる。
「テストと関係ない話してんじゃないわよ。」
「う、そういえば……」
「全く関係ないとは言えないぞ、エリルくん。遠くの者と会話ができるというのなら、テストの時にカンニングし放題ではないか。全問、わたしに聞けばいい。」
「……あんた、一応クラス代表でしょ……それにそんな方法がこの学院で通用するわけないじゃない……」
「まぁな。しかしテストはともかく日常的には便利ではないか? 寝る時とかにロイドくんの声を聞きながら眠りに入るなんてことも――」
「ロイくんの子守歌!」
 何やら変な方向に話が進み始めるとリリーちゃんが素早く反応した……
「あーいいかもねー。ロイドってお兄ちゃんなわけだし、寝かしつけてもらうってありかもよー?」
 オレのお、お兄ちゃん――的な部分に惹かれたと言っていたアンジュがニンマリ笑う……
「こ、子守歌って……国とかによって全然、違うけど……ロ、ロイドくんが歌うとしたら、ど、どんな歌なのかな……」
 興味津々という顔でずずいと加わるティアナ……
「オ、オレが知ってるのなんて――」
「ダメですよ兄さん。」
 知っている子守歌の始めの辺りを歌おうかと思ったらパムにつつかれた。
「お母さんから教わった歌ですから、下手をすればベルナークに伝わる歌です。きっと秘密にしないとダメなやつです。」
「えぇ?」
「む、そんな事を言ってロイドくんの子守歌を独り占めする気だな!」
「べ、別にそんなつもりは……ありませんよ……」
 いつものように思わぬ話題から変な方向……今回はサードニクス家の子守歌についての話が始まったのだが……
「あぁん? この草が主食の魔法生物ってどいつだ? この角のやつか?」
「それはこっちの首の長い奴だぞ、アレク。」
 その横で、強化コンビは何事もなくテスト勉強を続けていた。
「あ、そういえば兄さん、お願いがあるんですが――」



「ひひ、ひひひ。さすが「剣と魔法の国」の首都だな。ガルドと比べっと何代か前の街並みだぜ。」
「けけ、けけけ。でもよ姉貴、科学っぽいモノが無い代わりにあっちこっちに魔法が使われてるぜ?」
 田舎者の青年らが子守歌について話している頃、彼らのいる学院がある街――フェルブランドの首都ラパンを独特な笑い方の男女が歩いていた。共に容姿端麗なのだが話し方や歩き方は粗暴で、妙にちぐはぐした印象を与える二人だった。
「やりてぇ事を魔法でやるか科学でやるかの違いしかねぇからな。文化水準っつー小難しい事を考えるとどっちも変わらねぇんだろうぜ。」
「けけ、けけけ。それでもオレらがあっさり入れるんじゃあ魔法の国も大した事ねぇんだな。」
「ひひ、ひひひ。そりゃお前、今のアタシらこそ大した事ねぇんだからな。」
 そう言いながら男の方――休日に街を散策するようなラフな格好の若い男が、手ぶらである事をアピールするようにズボンのポケットを裏返して外に出した。
「お前も、そんな小奇麗なお姉ちゃんじゃあマスもかけねぇだろ、文字通りよ。」
「けけ、けけけ! たまにはいいかと思ったんだけどな! やっぱ自分から立場を下げちゃいけねぇよな! 入れるモンがねぇと落ち着かねぇぜ!」
 と、かなり美人な女の方が歪んだ笑みを浮かべながらロングスカートを持ち上げてひらひらさせる。
「んで、姉貴。今のオレらなら仮に捕まっちまっても問題ねぇけど、マジで何もできねぇぜ? どうやって情報集めんだよ。」
「さぁな。とりあえず学院の方に行って、最近話題の生徒とかそんな感じのがいねぇかその辺のガキンチョに聞いて――」

「チェレーザとロンブロだな?」

 男女が学院のある方を見ながら話していると、スーツとまではいかないがジャケットとスラックスというある程度ピシッとした格好で眼鏡をかけた男が二人にそう尋ねた。
「あぁ? 姉貴、こいつオレらの事――」
「ひひ、ひひひ! バカお前、よく見ろ! 格好が違うからアレだがこいつテリオンだぜ!」
「テリオン――うお、マジだ! 悪趣味な貴族のお洋服は卒業したのか!?」
「あれは正装、今は潜入中ゆえにこの格好だ。だから名前を連呼するな。」
 やれやれとため息をつく男――テリオンを上から下まで面白そうに男女が眺める。
「ひひ、ひひひ、わりぃわりぃ。でもよくわかったな、アタシらだって。」
「そんな処理のあまい奴隷が首輪もなしに歩いているんだ、目にも留まる。その上聞き覚えのある笑い方とくればな。」
「おお、おお、さすが専門家。これが奴隷ってのもお見通しってか。つか処理だぁ? そこそこいいお値段で買ったんだがな。アタシらにはわかんねぇがお前的にはどこかアウトなのかよ。」
「素人ではないが玄人でもない腕、と言ったところだな。その程度ならお前たちが払っただろう額の三分の一で提供できる。」
「ひひ、ひひひ! こりゃバカな買い物をしちまったらしいぜ、ロンブロ! 次からこのお兄さんにお願いしねぇとだな!」
「ごひいきに。ところでお前たちは何故ここに? 騎士の膝元での情報収集は組織を持つ私たちに任せたのではなかったか?」
「アタシらはアタシらのやり方でやるって言っただけだぜ? これがそれよ。」
「なるほど、では目的は一緒だな。学院に行くのだろう? 私も行こう。」
「けけ、けけけ、別にお前は必要ないぜ?」
「お前たちみたいな規格外な上に考え無しが動いて面倒な事になるのが嫌なだけだ。」
「おいおい姉貴、こいつオレらにケンカ売ってんぞ?」
「ひひ、ひひひ! 残念だがロンブロ、この身体じゃ戦っても勝てねぇぞ。」
「そうかぁ? こいつってキシドロみてぇな戦う社長さんだったか?」
「本人の実力は知らねぇが――なぁ、テリオン。変装してるっつったってこんなところに悪党が来るんだ、万が一の用意をしないわけがねぇ。いるんだろ、その辺に。」
 男の方――いや、男の身体を操っているチェレーザが意味ありげに視線を泳がす。
「……だから名前を呼ぶな。」
 くいっと眼鏡を上げてそう言ったテリオンは、そのまま学院の方に向かって歩き出した。
「ひひ、ひひひ、こりゃアタシらが生身だったとしてもバトルしちゃダメなパターンだったぜ、ロンブロ。」
「けけ、けけけ、あれがいるのか? 見てみてぇなぁ。つかオレと姉貴の場合「生身」っつーのもちょっと間違ってねぇか?」
「ひひ、ひひひ、確かにな!」
 黙々とセイリオス学院の方へ歩くテリオンの後ろをチェレーザとロンブロが操る男女がついていき、しばらくの後、三人はセイリオス学院の正門へとやってきた。
「ひひ、ひひひ、アタシらはお前が言ったようにノープランだったが、この先はどんなご予定なんだ?」
「この中の教師の一人とアポイントメントを取っている「事にした」。そこの門番にこの身分証を見せれば私は入れる。だが当然、お前たちは入れない。そもそも他者の身体を遠隔操作するその魔法は学院の中では使えないしな。」
「おいおい先に言えよ。どうするよ姉貴。」
「中に入らなくてもできる事はあるぜ? どうせここの生徒は近場の店とかにもよく行くんだろ? アタシらはそっちだな。」
「……余計な事だけはするなよ。」
「ひひ、ひひひ。今のアタシらは善良な一般市民だぜ?」
「けけ、けけけ。ちげぇねぇ。」
 一般市民二人が悪巧み顔を浮かべて学院から一番近い大通りへ向かって歩いて行くのをため息まじりに眺めた後、テリオンは門番に書類を見せて中に入った。
 時期的には冬休み前。何人もの学生とすれ違うが何事もなく、テリオンは散歩でもするかのように敷地内をのんびり歩く。
 具体的な目的があるわけではない。『世界の悪』が目をつけるような何かがあるとして、それは何なのか、誰なのか、皆目見当もついていない。だからテリオンはゆっくりと、生徒や建物を観察しながら歩いている。
 別口で行っている情報収集の方が本命で、この見学はダメで元々。自分の目であればあるいは何かを見つけられるかもしれない――そんな軽い期待で歩を進めるテリオンはふと道端でボーッと立っている生徒に視線が行った。
 学院指定の白い制服にネクタイ――調査によればあの色は一年生。洒落っ気のない黒髪を、おそらく伸びるがままにしているのであろう髪型。整った顔立ちではあるからそれなりの格好をすればそれなりになるだろうその男子生徒に、テリオンは話しかけてみた。
「あー、失礼。ちょっといいかな。」
「へ、あ、はい。」
 妙に気の抜けた、すっとぼけた顔で返事をした男子生徒。
「私は魔法の研究をしているシャックルという者なのだが、少しお話いいだろうか。」
「研究……あ、学者さんですか……オレなんかでよければ……」
 何故そのような人間が学院にいるのか。誰かを訪ねてきたのか。その辺を聞かれると思って言葉を用意していたテリオンだったが、すんなり話を聞いてくれる状態になった男子生徒に、「この学生は警戒心がなさすぎるな」と内心思いつつ、当たり障りのない質問で情報の入手を試みる。
「最近あちこちでセイリオス学院の名前をよく耳にしてね。犯罪者の襲撃があったとか、生徒がシリカ勲章を得たとか――君も話は聞いているだろう?」
「は、はひ……」
 なぜか目が泳ぎ始めた男子生徒。もしや何かしらの情報を持っているのだろうか。だとすれば適当に話しかけたこの生徒は当たりかもしれない――そう思いながら、テリオンは話を続ける。
「王族の入学で国王軍の指導教官が教師になったりもしているそうだが……ずばり、一連の事柄に繋がりはあったりしないのだろうか。」
「つ、繋がり――ですか。」
「例えば……何か強力なマジックアイテムが敷地内で保管されるようになったとかかな。それを狙って犯罪者がやってきたとか、王族の入学もそれが関係していて、実は学生が勲章を得たのもそれの影響によるパワーアップだったとか――まぁ、数多く飛び回る噂の一つなのだけどね。別にマジックアイテムでなくても……そう、人でもいい。色々な事件が起き始める前と後で、セイリオス学院には何か大きな変化があったのではないか――そんな風な事を、この研究者の頭は妄想してしまっているのさ。」
「な、なるほど……」
「どうかな? 生徒の一人である君の意見を聞いてみたいんだ。」
「えぇっと、そ、その……」
 挙動不審な感じになる男子生徒。これはウソが下手なタイプだなと、情報を引き出す為の次の言葉を考えるテリオンは――ふと、そのわたわたしている男子生徒に、強烈な違和感を覚えた。
「……? あー……君……」
「はひ!? あの、その、とと、特にこれと言った変化はない――気がするといいますか……」
 男子生徒のどう考えてもウソな返答は、耳に入っても頭には入ってこない。テリオンの注意はその、覚えてしまった違和感に全て向いていた。
 何がおかしいのか。何が変なのか。普通ではない、それは断言できるのに違う所がわからない。どこか一部が変というのではなく、この学生の存在そのものが奇妙という感覚に、テリオンは無意識にその手を男子生徒へと伸ばした。
「ほへ? あの、シャックルさん……?」
 握手か何かと勘違いしたのか、首を傾げながらも同じように手を出す男子生徒。その手と手が触れる、その一瞬前。

「――!!!!!」

 テリオンの身体は硬直した。全身を覆う尋常ではないプレッシャー。頭のてっぺんから足の裏まで真っすぐに突き刺さる視線。仕事柄、殺意だのなんだのというモノには慣れているはずのテリオンが呼吸の仕方を忘れるほどの圧倒的――いや、絶対的な敵意。
 もしもこのままこの男子生徒の手に触れたなら、次の瞬間にはこの世にいない――それを確信してしまうほどの圧力に、テリオンは一秒以下の硬直の後、反射的に手を引っ込めた。
「?? あ、あの……?」
 瞬間、何事も無かったかのように霧散するプレッシャー。目の前の男子生徒ではない。今の敵意は空――真上から降ってきた。
「――あ……ああ……い、いやすまない。うっかり――していた。この手は……つ、ついさっき呪い系の魔法に触れていてね……ま、まだ触らない方が――いいのだ。」
「えぇ!? そ、そんな魔法があるんですか……」
 ひえーという顔をする男子生徒。咄嗟だったが我ながらそこそこ上手い言い訳をしたと思いながら、今になってやってきた全身を襲う恐怖の震えを、テリオンは全力で抑える。
「い、いやぁ、そんなに困った顔をされ――る、とはね。これは何かあると思っていいのかな?」
「びょ!? い、いえいえ、ソンナコトハ……」
「ふふふ、なに、別に糾弾しようってわけじゃない、ただの好奇心さ。とはいえ君、ウソが下手だね。」
「は、はい……」
 よく言われるのか、わかりやすく落ち込む男子生徒。だが今のテリオンにはその場から去りたい一心しかなかった。
「変な質問をして悪かったね。学生の青春を邪魔しては馬に蹴られてしまう。私はこれで失礼するよ。」
「あ、はい、えっと……さ、さよならです。」
「ふふふ、ああ。」
 何食わぬ顔で敷地内を歩き、門番に礼を言い、学院を後にする。そして離れるほどに歩く速さが増し、次第に走りにかわり、気づけばテリオンは大通りの入口で肩で息をしていた。
「――!! な、なんだったんだあれは……!」
 呼吸が荒いのも両脚が震えているのも全力疾走だけのせいではない。命からがらという表現がしっくりくる今の自分に半分笑いながら、テリオンは建物の陰に入ってぺたりと座り込んだ。
「ひひ、ひひひ、おいおいテリオン、何してんだお前は。」
「んあ? なんだよ、これ食ってから調査だぜって思ってたのにそっちはもう終わったのかよ。」
 そして、後ろ暗い何かがある人間が好みそうなその薄暗い場所に、どうやらテリオンより先にいたらしいついさっき別れた二人がホットドッグを片手に近づいてきたのを見て、こんな二人でも知り合いがいるという事にホッとしてしまった自分に、テリオンは先ほどの恐怖がどれだけのモノだったのかを認識する。
「ひひ、ひひひ! いい顔してるじゃねぇか、えぇ? 大当たりだったけど死にかけたって感じだな?」
「けけ、けけけ、そいつチビってねぇか? 一体どんな怪物に会ったんだよ。」
「……生徒――の一人に、探りを入れた……適当に、その辺を歩いていた子にな……そしたら……それ以上は殺すって感じの殺意を受けた……人間のモノとは思えない、凄まじいのをな……」
「けけ、けけけ、適当なくじ引きで大当たりだったってことか? やるじゃんか。で、その学生はどんなんだったんだ?」
「い、いや、あの学生自身は恐らく関係無い。何百人もいる生徒の中でたまたま話しかけた一人が当たりなんてあり得ないし、その殺意は……上から来た。まるで、上空にいる何かが下を監視してるみたいにな。」
「ひひ、ひひひ、なんつー面白い警備システムだ!」
「恐らく誰に話しかけようと、核心に迫る何かを尋ねると睨まれるのだろう。あんなモノが学院の警備システム――生徒を守る為の防御魔法とは思えない。あの学院に何かがあり、その為に後付けされたモノだろう……それが『世界の悪』にとっての何かかはまだわからないが――少なくともあの学院には何かがあるという事はわかったな……」
「けけ、けけけ、一先ず収穫アリか! そったらこの後はどうするよ、姉貴。」
「ひひ、ひひひ、どうすっかねぇ。何にしてもあそこは強力な防御魔法のオンパレードだからな。頭を使わねぇとだぜ。」
 二人の独特な笑い方――のおかげとは思いたくないが、だんだんと落ち着いてきたテリオンはふと思い出す。
 空から降り注いだ殺意は確かに問題だが、テリオン個人としてはあの男子生徒の方が気になる。
 あの違和感はなんだったのか。全生徒に対してあの違和感があるのか、あの生徒だけなのか。仮に後者だった場合、今回の一件に関係なく、仕事柄、テリオンにとってあの生徒はこの上ない興味の対象だった。
 そう、多種多様な人間を商品とする――奴隷商人であるテリオンにとっては。



「お待たせしました兄さん――あれ、どうかしましたか?」
 パムを職員室へ案内し、用事を済ませる間ボーッとしていたら学者さんに話しかけられて色々と答えづらい質問にあたふたしていたが……触れたらしばらく残るタイプの呪いがあるとは知らなかった。
「いやぁ……世の中には色んな魔法があるんだなぁって。先生には会えた?」
「はい。まったく、部活の顧問申請の書類がちょっと遅れたくらいで教官はクドクドと……」
「んまぁ、しょうがないよ。それじゃあ部室に戻ろうか。」
「そうですね。あっちからあっちへ遠回りしていきましょう。」
「えぇ?」
「足腰を鍛えるんですよ、兄さん。」
「えぇ……」
 学院の敷地内という普段歩いているような距離で鍛えるも何もないと思うのだが、パムが嬉しそうなのでそうした。
「そういえば教官から聞きましたよ。学院見学の手伝いをするとか。」
「うん……あ、そうだ、パムなら経験あるかな。貴族の人の護衛とかってした事ある?」
「? まぁ何度か……護衛するんですか?」
「ああいやそうじゃなくて、その学院見学に貴族の人が来るみたいでね。こう……どう接するべきなのかなぁと。」
「そういう事ですか。そうですねぇ……少なくとも兄さんの一番近くにいる貴族であるアンジュさんは参考にしてはいけません。火の国の貴族はちょっと違いますからね。それに王族ではありますがエリルさんも一般的な高貴な方とはズレがありますからこちらもダメです。」
「う、うん。二人が違うのはお兄ちゃんにもわかるよ……」
「そもそもですが、貴族がどういう人たちか兄さんは理解していますか?」
「えぇ? 何かこう……偉い人の血筋とか、昔にすごい事をした人の一族……みたいな?」
「成り立ちはそうですね。ちなみにここで言う偉い人というのは王族などの血筋にあたります。」
「えぇっと……エリルの親戚……?」
「血を辿ればそうでしょうが、それは全ての人間の血筋を最初の最初まで辿ればみんな家族、みたいな考え方です。分家を通り越してもはや他人になるのですが、与えられた特権だけは引き継がれてしまうわけですね。」
「特権?」
「貴族を貴族たらしめるモノと言いますか、貴族がどうして偉くて一般市民が逆らえない感じのイメージなのかはそこにあります。彼らには自分たちにはない権利があるのです。」
「あー……土地を治める権利とかかな。」
「それもありますね。軍事的な面ですと、一般市民を守る為に最前線に赴く事が義務付けられていたりします。日頃は豪華に過ごせているのはその代わりだったりしますね。まぁ、特権の内容は国や地域によってもバラバラで、今言った例はフェルブランドにはない制度ですが。」
「そっか。でも今の「代わりに」っていうのはわかりやすいな。何か大変な……責任のある事を任されているから、その報酬というか対価というか、それでお金持ちな感じなんだね。」
「……まぁ、そういう認識でもいいと思います。ただのお金持ちならそこらにもいますが、彼らには託されているモノがある――これが彼らの誇りに繋がるのです。ゆえに、家の名や名誉と言ったモノを重んじるのです。騎士とは少し違った方向に。」
「なるほど……じゃあパムが今まで会った貴族の人たちも誇りを大事にする感じ?」
「そうですね、基本的には。それ故の驕りと言いますか、その辺りが起因して偉そうなタイプもいましたが……まぁ、別に貴族という種族の生き物ではありませんから、十人十色ですよ。ただ、大抵の貴族に言えるのは、騎士という存在を自分たちを守る存在と認識している事でしょうか。」
「ん? なんだか似たようなのをどっかで……ああそうだ。ミラちゃんたちが来た時に来た貴族の人が言ってたんだっけか。騎士は貴族を守るのが義務とかなんとか。」
「そう、それです。例えるなら……自分や兄さんはパン屋さんの人はパンを売ってくれる人だと当たり前のように思っていますよね。お金を出せばパンをくれる人だと。」
「? んまぁ、そうだね。」
「その「当然」という感覚で、騎士は貴族を守る人と見ている場合が多いのです。確かにそれが任務となる事は多いですし、場合によっては命を賭けるでしょう。けれど常に、誰に対してもというわけではない。その認識のずれを会話の端に感じる事はありましたね。」
「それじゃあ……貴族の人たちからすれば自分たちを守る存在に自分がなろうっていうのはかなり変な事なんだな……」
「全員の目的が騎士になる事とは限りませんよ。自衛の為の強さを求めて、という考えで騎士の学校に入る貴族はそこそこいると聞きます。まぁ教官曰く、今回の学院見学に来る貴族の数は「そこそこ」というレベルではない上、自衛以外の目的だろう者が多いみたいですけど。」
「そこが大変そうなんだよね……なんかこう、怒らせちゃいけない人を怒らせたりしちゃったらどうしよう……」
「心配性ですね。それに家系という点なら自分と兄さんはそこらの貴族以上だと思いますよ? ベルナークですから。」
「お、公にできないけどね……」
「大丈夫ですよ兄さん。面倒な事を言う貴族も中にはいるかもしれませんが、そういうの、教官は大嫌いですから。」



「怪しい奴がいた?」
 国が丸ごと黒いドーム――夜の魔法に覆われている魔人族の国、スピエルドルフ。その王城、デザーク城の一室、壁一面に額縁に入った色とりどりの鳥の羽が飾られている部屋にて、窓際に立ち、別に電話をしているようには見えないのだが独り言にしては会話のように聞こえる事を呟く者――軍服に身を包み、背中から大きな翼を生やして頭部が鳥のそれになっている魔人族、レギオンマスターの一人であるヒュブリスがふむとアゴに手を置いていた。
「首都とは言えあれだけ大きな街、こっそり潜む悪党の一人や二人いるでしょうけど……そう、学院に入る直前まで遠隔操作された二人と一緒に。念のため、誰か派遣しておこうかし――」
 と、呟きながら窓から部屋の方へと身体を向けたヒュブリスは、いつの間にか少しだけ開いているドアの隙間から我らの女王がニンマリと笑ってこっちを見ているのに気がついた。
「ひ、姫様……?」
「そうですかそうですか、ロイド様の危機ですね。ヨルムもフルトもいませんし、あなたは唯一残っているレギオンマスターとしてここにいなければなりませんからこれは仕方がありません。ワタクシの出番ですね。」
「いえ、あの、姫様こそここにいていただきたいのですが――」
「では行ってきます。」
「姫様!?」



「なんだか思ってたのと違う感じになっちゃってるわねん。」
「そうだな。ここ数日、まったりとしてしまっている。」
 とある森の中にある断崖絶壁。『魔境』の一つである『ラウトゥーノ』の封印がなされているその場所で、フードを目深にかぶった者たちと立派な髭をたくわえた老人とオシャレにキメた老婆が壁の前でいそいそと作業している傍ら、木箱に座ってぼーっとしている赤い女――サルビアと、心地よい風に揺れるサルビアのスカートを地面に転がって凝視している丸い鎧――グラジオが気の抜けた雰囲気でそんな会話をしていた。
「大魔法使いが封印を修復するまでの間の護衛。きっと面倒な連中が顔を出すからそれの対応をするって話で、実際S級が来たらしいけど……お姉さんたちが来てからは何も起きてないし、封印の方もスピエルドルフの魔人族と大魔法使いとオレガノ・リビングストンが協力してるから順調そうで、結果お姉さんたちはヒマでしょうがないわねん。」
「オリアナはフィリウスと共にあの蛇――ヨルムと模擬戦を繰り返し、ドラゴンは周囲の偵察を兼ねて野鳥観察。ちょっとした休暇のようになっているな。」
「他の十二騎士が来るかもーとかフィリウスが言ってたけどその気配ないし、そもそもお姉さんたち『ムーンナイツ』もそろってないわねん。あとの四人はどこで何してるのかしらん。」
「あの四人は国外組であるし、今回の任務は急と言えば急だったからな。既に抱えている案件があったとすれば時間もかかるだろう。」
「ま、いたらいたでやかましいからこののんびり感からするとそれはそれでいいんだけどねん。」
「私もこのリラックスは良い機会だと思うが、人間側で仕事をしているのは老人二人だけという事に罪悪感があるな。」
「だっはっは! 封印に関しちゃ俺様たちは何もできないからな!」
 のんびりしている二人のところに、全身を包む筋肉を汗で光らせながら上半身裸の筋骨隆々とした男――フィリウスがやってきた。
「ま、元々学院長の力をババアが底上げして封印の解析と修復を短期集中でやっちまおうってところに学院長の話についてこれるレベルの魔法の使い手がわらわらいて一緒に作業できるってんだ! 最初の計画よりはずっといい状態だぞ!」
「おかげでヒマって話よん。魔人族との交流なんていうレアな体験はできてるけどねん。オリアナはどうしたのよん。」
「だっはっは! 俺様がいい騎士になると見込んだのと同じ感じに、ヨルムもオリアナに可能性を見たとかなんとか言ってな! ガッツリ鍛えてるぜ!」
「ほう。スピエルドルフの軍――レギオンだったか? それの指揮官直々の指導とは、なかなかだな。」
「お前らもどうだ! ああ見えてヨルムはいい感じに手加減してくれるぞ!」
「お姉さんとしては体術が凄そうな蛇ちゃんよりも、魔法が得意そうな水ちゃんの方がいいわねん。相当な使い手でしょん、彼。」
「まぁな! スピエルドルフの魔法の研究機関も任されてたりするからな! ちなみに言っとくがあいつに性別はない! 彼でも彼女でもないぞ!」
「サルビアみたいなモノか。」
「あらん? お姉さんはどう見たって女――」

 ピシャアッ!

 休暇を過ごすようにのんびりとした空気の中でされる他愛ない会話を、突然の雷鳴が止めた。
「あらん? 快晴のぽかぽか陽気が一気にどんよりしたわね。」
 雲一つない晴天をいつの間にか紫色の稲妻を蓄えた黒雲が覆い、辺りが一段階暗くなる。
「なんだこれは?」
 そしてこちらもいつの間にか、驚いた顔で目をパチクリさせているピンク色の髪の女――オリアナを小脇に抱えてフィリウスの横に立っている蛇人間――ヨルムがそう呟いた。
「だっはっは! それだと完全に得物を持ち帰るリザードマンだな!」
「鍛錬でへばっていたから連れてきただけだ。おいフルト! これは封印の影響か何かか?」
 オリアナをおろしながらそう聞いたヨルムに、人型の水――フルトブラントは首を振る。
『関係ない。どこかの誰かが空に向かって天候を変える魔法を放ったんだ。』
「敵襲の可能性が高いか……よし、お前は研究員とそこの老体二人を守れ。封印の修復にはお前たちが必要だ。戦闘には参加するなよ。」
『了解だ。というわけで、一先ず中断して待避しよう。ヨルムの言う通り、この封印の解析と修復にはお二人の力も必要だ。』
 ヨルムが老体と呼んだ二人――田舎者の青年が通う学院の学院長と寮の寮長――オレガノにフルトブランとがそう言うと、二人はやれやれと笑みを浮かべた。
「良きパートナーも得て順調だったんじゃがな。そう簡単には行かぬか。」
「ひひひ、これでもまだまだ現役のつもりなんだがね。今は若い連中に守ってもらうとするか。」
 壁際で作業していたフードを目深にかぶった者たちを近くに呼び、フルトブラントは自分たちを覆う水のドームを展開した。それを見た学院長がそのドームに追加で魔法をかけ、さらにオレガノがパチンと指を鳴らすと一瞬ドームを淡い光が覆った。
「だっはっは! なんだあの防御魔法は! 夜の魔法並の頑丈さだぞ!」
「それは言い過ぎだ。まぁ、滅多な事では壊れないだろうが。」
「フィリウスー!」
 縫い後だらけの上着を羽織って腕を回すフィリウスの横に、空から降りてきた鳥の格好をした男――ドラゴンが着地する。
「あっちからどう見ても敵な奴らが来る! 四人と四体!」
「そりゃまたなかなかの勢力だな! 俺様たちとヨルムで六対八か!」
「……そこのピンクの女も人数に入れるのか? さっきも言ったがへばっているぞ。」
「あ、あの、た、確かにそうですが……え、援護ぐらいならできます……!」
「だっはっは! オリアナのガッツを侮るなよ、ヨルム!」
 それぞれが臨戦態勢となり、ドラゴンが示した方向に視線を送る。すると森の木々がミシミシと倒されて行き、重い足音が響き始めた。そしてそれに合わせるかのように、雷鳴が激しさを増していく。
「……なんだか舞台みたいねん。まさかこの雷は演出なのかしらん? 登場の仕方にこだわるタイプ?」
「そんなのはアフューカスだけで充分だが、どうもそうらしいな!」

「はーっはっはっは!」

 サルビアが演出と表現したように、森の中からその者たちが姿を現すと同時にひと際大きな雷の光が周囲を紫色に染め、雷鳴と共に高笑いが響いた。
「城外への出陣は初めてだが、よき相手がそろっているではないか! なるほど、こういうのも悪くない!」
 森の中から現れたのはフィリウス並みの大男。過剰に装飾された貴族のような服を着てマントを翻し、髑髏で作ったようなヘルメットをかぶっているその男の背後、同じように髑髏のヘルメットをかぶってそれぞれに赤、青、黄のローブに身を包んで跪いている三人の内の一人――黄色のローブの人物が演奏を止める指揮者のように手を振ると、雷鳴がピタリと止んだ。
「……で、あれもS級犯罪者とかいう奴なのか?」
 雷鳴を止めた一人に残りの二人が拍手を送り、大男がうんうんと頷いているの見てヨルムが半分あきれたような声でそう言った。
「S級ともなれば外見で何となくの心当たりが出てくるんだが、あれは知らない奴だな!」
「雑魚だと?」
「そうは思えないな! 後ろのを見ろ、ありゃかなり強いぞ!」
 四人の後ろ、まだ全身は見せていないが森の木々を超えて立つ四つの巨体がギラリと眼を光らせている。
「強い? 当然よね! あたしが用意したんだから!」
 大男の後ろ、赤色のローブの人物が自慢気に立ち上がる。
「というかそれ以前にどういうことぉ? 魔王様を知らないとか!」
「まったくですね。十二騎士の《オウガスト》とお見受けしますが、まさか魔王様を知らないとは嘆かわしい。」
 続いて青色のローブの人物も立ち上がるが、大男はよせよせと二人をおさめる。
「魔王の書でもそうであっただろう。魔王は最後の章で登場し、その時初めて勇者は魔王の姿を見るのだ。」
「……何やら愉快な奴が来たな。」
 変わらずにあきれた反応をするヨルムだったが、フィリウスは驚いた顔をしていた。
「S級の『ベクター』が絡んでいる上で魔王という事はそうか、お前が『魔王』か。」
 語尾に常にビックリマークがつくような勢いでしゃべるフィリウスが急に声のトーンを落としたのを見てヨルムが驚く。
「なんだ急に……」
「外見を知らなくて当然だな。存在こそよく知られているが、本人を見ただろう者たちは今のところ一人も帰ってない。」
「ほう……どういう奴なんだ?」
「どういう基準かは知らないが勇者を一人選び、そいつの大切な人や物を奪って用意した魔王城に招待する。そして自らは魔王を名乗り――つまりは勇者ごっこ、あいつからすれば魔王ごっこをするんだ。」
「子供の遊びか?」
「ああ、馬鹿馬鹿しいだろう? 他のS級と比べると被害者の数も極端に少ないんだが、さっきも言った通り魔王城からは誰一人戻ってない。先々代の《ジャニアリ》も含めてな。」
「! それはお前と同じ十二騎士の名前じゃなかったか?」
「そうだ。嫌な話だが騎士側からすれば最大級の実力の証明、十二騎士を倒した――と思われる悪党。それが通称――いや、自称『魔王』だ。」
「お前レベルの騎士を……ほほう。」
 あきれた様子だったヨルムが興味深そうな視線を大男に向ける。そしてフィリウスの話を聞いていた『ムーンナイツ』の面々はそれぞれに緊張した顔になる。
「先々代の《ジャニアリ》って言ったらあのデタラメな強さで有名だった騎士よねん? ぶっちゃけ『ベクター』よりも格上じゃないのよん。」
「はっはっは! この魔王と同格というのはそうそうおらんとも! あれも中々ではあったが、魔王軍に加えるにはまだ足りん!」
「ふん、たった四人と四匹で魔王軍とは面白いが……そういえばまだ聞いていなかったな、『魔王』とやら。お前はここに何をしに来た。フルトが追い返した人間の仕返しか?」
「くっくっく、確かに『ベクター』がしくじった事を代わりにしに来たのだが――今となってはそう、まさにお主が目的だ、蛇人間よ!」
「なに?」
「魔人族! その強さも見た目も魔王軍にふさわしい! どうだ、ワガハイの部下にならないか! 共に世界を手に入れようぞ!」
「そんなモノはいらん。」
 マントをはためかせ、仰々しくポーズを決めた『魔王』に対し、ヨルムはあっさりと答えた。
「広すぎる家に興味はない。家族と共に過ごせる場所を守る事が俺の望みだ。」
 S級犯罪者の登場にピリッとしていた空気が、突然ほっこりとしたどこか家庭的な望みをその外見からはイメージしにくいヨルムが口にした事で若干ゆるむ。
「だっはっは! 大将みたいな事を言うんだな、ヨルム! ビックリしたぞ!」
「そうか? それは光栄な事だ。」
「むむ、ではそちらのスライムはどうだ! その後ろの者たちは!」
『スライムではないし、私もヨルムと同意見だ。魔人族にお前たち人間のような支配欲はあまりないのだ。もしもそうであったなら、今頃世界は姫様のモノだろうよ。』
 フルトブラントの答えに後ろにいるフードを目深にかぶった者たちもこくこくと頷いた。
「ワガハイを差し置いて世界を手にできるとは、その姫様とやらには興味があるが――そうか、残念だ! しかしワガハイは魔王! 欲するモノは全て手に入れるのだ!」
 大男が両腕を広げると、森の中にいた四体がズシンズシンと前進してその全貌をあらわにする。二体が二足で二体が四足。それぞれに種族が違うようだが、鋭い爪や牙に加えて刃物のようなウロコや強靭な剛腕などがその強さを物語っていた。
「さぁワガハイの忠実な部下たちよ! この魔王があの魔人族を手に入れるまで他の者の相手をせよ!」
 大男の命を受け、赤色のローブの人物が凄まじいジャンプ力で四体の内の一体の頭部に乗り、青色と黄色のローブの人物が大男の横に並ぶ。
「『魔王』は俺をご指名だが、お前たちはどうする?」
「まぁお前なら一人でも『魔王』の相手ができるだろう! 後ろのやばそうな四体も含めて他の奴らがどれくらいの強さかわからんから、ひとまず俺様は『ムーンナイツ』とそっちを――」
「フィリウス……」
 始まろうとしている戦いを前に戦力の割り振りを考えるフィリウスの腕に、何故か少し震えているサルビアの手が触れた。
「――! なんだ、どうしたサルビア。」
「……今言わない方がいいのかもしれなけど……知らないよりはいいと思うから言うわねん……」
「?」

「あの四体の怪物、お姉さんたちが待ってた四人よん。」

 サルビアのその言葉にフィリウスは目を見開き、同時に赤色のローブの人物が驚きの声をあげた。
「すごぉい! 装備的にそっちの関係者とは思ってたけど面影なんてないはずだよ? もしかしてお姉さん、生き物の魂でも見えるのぉ?」
「待っていた四人って……も、もしかして到着が遅れていた、残りの『ムーンナイツ』の方たちですか……!?」
 理解できないという顔のオリアナに対し、サルビアはギリッを食いしばる。
「そうよん……肉体は滅茶苦茶にされてるけど魂の形は変えられないわん……」
「馬鹿な……あの四人が四人とも負けたというのか? 信じられんぞ。」
 いつも淡々としているグラジオも、顔は見えないが言葉に動揺がのる。
「強かったよぉ、かなり! でも魔王様の敵じゃないよねぇ。あんな素体はなかなかないから魔王軍に加えたの! どう、デザインもかっこい――」
「おい。」
 ケラケラと笑う赤色のローブの人物の言葉を遮り、フィリウスが――普段の豪快な雰囲気は勿論、少し前の声のトーンが落ちた緊張した感じとも全く違う、膨大な感情のこもった凄まじい圧力を放つ。
「どうやらお前がやったみたいだが、俺様の仲間は元に戻せるんだろうな?」
 並の悪党であれば震え上がるだろう迫力を前に、しかし赤色のローブの人物は笑いを止めない。
「あっは、どーかなぁ? 変えた奴を戻した事なんかないけど、あたしくらいの使い手ならできるかもね。だ、け、どー。」
「戻る事は決してない! 何故ならあれらは既にワガハイの配下! 魔王は魔王の所有物を他者に譲る事はないのだ!」
 赤色のローブの人物の言葉を引き継いだ大男に、フィリウスがその視線を向ける。
「それならそれでも別に構わん。所有者を――お前を倒せば問題ないという事だろう。」
 ゆらりと構えを取ったフィリウスを見て、大男はニヤリと笑って同様に構えを取った――のだが、横にいた青色のローブの人物が何かに気づいて大男の肩を叩いた。
「魔王様! そういえばまだ名乗りを上げていません!」
 双方臨戦態勢の中に響く間の抜けた言葉に、しかし大男はハッとする。
「ぬ! ワガハイとした事が魔王の見せ場を忘れていたか! 礼を言うぞ!」
 構えを解き、フィリウスが向ける完全な攻撃の意思を前に、大男は姿勢を正してコホンと咳ばらいをした。
「無礼を詫びよう! そして傾聴せよ! 我ら魔王軍の名乗りを!」
 大男がそう叫ぶと、赤、青、黄のローブの人物たちがそれぞれにポーズを決めて順番に名乗り始めた。
「あたしは魔王軍魔獣部隊長、オーディショナー!」
「私は魔王軍参謀長、ライター!」
「自分は魔王軍工作部隊長、カーペンター!」
 三人の名乗りを受け、最後に大男が力強くポーズを決める。
「そしてワガハイこそがこの世の支配者! 世界の王! 魔王ヴィランである!」
 大男――ヴィランの名乗りにタイミングを合わせるように再度雷が走り、雷鳴が轟く。
「ヨルム、さっきの誰が誰とという話だが、俺様もそっちにさせてもらう。」
「怒りか? あまりお前らしくないし、以前ロイド様が呪いを受けた時と似た雰囲気を感じるが……大丈夫なんだろうな。」
「否定はしない。だがあいつら四人が仮に四人同時に挑んで負けたとなると、やはり『魔王』の強さは相当なモノだ。」
「加勢すると? 俺もか弱く見られたものだな。」
「ふはは! 十二騎士と魔人族のタッグか! よかろう! 魔王は玉座にて来るモノ拒まず、全ての挑戦を受ける者! 久しぶりに気合の入った一戦となりそうだ!」
 バサァッとまとっていたマントを外し、そのまま投げ捨て――ることはせず、きれいに畳んで足元に置き、その上に髑髏のヘルメットを外して乗せ、素顔を見せた。
「てっきりその髑髏にくっついてるんだと思ってたが、その角は自前か。」
「いかにも! これぞワガハイが魔王である証! だが臆してくれるなよ、この魔王に挑むのであれば勇者たれ!」
「徹底した魔王設定だな。だが魔王は最終的に勇者に負けるもんだ。」
「その通り! ワガハイとていつかは誰かに倒されるだろう! だがそれまでは決して負けん! その唯一に名乗りを上げるというのであれば死力を尽くせ! ワガハイは全力で応えようぞ!」
 そう言いながら拳を掲げると、ヴィランの全身から誰の目にも見えるオーラのようなモノが噴き出し、軽い衝撃波となって木々を振動させた。
「なるほど、言うだけはありそうだな。」
「……おいフィリウス。さっきの言葉は無しにした方が良いかもしれん。」
「? どの言葉だ?」
「お前の加勢は有難いかもしれん、という事だ。」
「急に弱気になったな。」
「個人的には四体のデカ物がお前の仲間という事よりも驚きの事実だ。あの人間から放たれたこの気配……これは魔人族のモノだ。」
「なに? じゃああいつは魔人族なのか。」
「いや、奴の種としての分類は人間だ。魔人族との混血か、あるいはロイド様のように身体の一部を移植したか……いずれにせよ、お前クラスの騎士が負けたというのも理解できる。あの角がもしそうだとしたら更に確実……」
「角? あれがなんだって言うんだ。魔人族にはよくあるだろ。」
「確かに角を持つ者は多いが形状には差がある。違っていて欲しいが、もしもあの人間の力がミノタウロスのモノでその力を完全に引き出せるとしたら、俺とお前のタッグはちょうどいいくらいだ。」
「ミノタウロス――牛の姿の魔人族だな。何人かに会った事あるが、そんなに強い種族だったか?」
「スピエルドルフにいるミノタウロスとは少し違う。彼らは怪力の持ち主ではあるが温厚な性格な者が多い。だが奴の身体に宿る力がかつて国外へと出たとあるミノタウロスの一族のモノだとすると話は変わる。」
「一族?」
「さっきから何をしゃべっているのだ! これより始まるは魔王との一戦だぞ! 内緒話は今度にしておくのだな!」
「そーよそーよ、魔王様に失礼でしょー!」
「はぁ……やはり厳選した勇者ではありませんから、どうにも態度がいけませんね。」
「けど強さは今までで一番なんじゃ? 魔王城に魔人族が来た事はないし。」
 自分たちだけでなく相手にも魔王と敵対する者としての在り方を求める魔王軍だが、もはや誰もあきれた反応はせず、フィリウスとヨルムはヴィランに視線を戻す。
「合わせろとは言わん。俺の動きを邪魔しない程度に攻撃しろ。」
「心配するな。お前とは何度か戦ってるからな。リズムもある程度わかる。」
 場を盛り上げるかのように雷鳴が徐々に大きくなっていき、ひと際大きな落雷を合図に、魔王軍との戦いが始まった。

騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第三章 悪の趣味

各陣営がそれぞれにちょっとずつ動くようなお話になりましたが、始めの『マダム』の物語の影響か、あちこちで料理についてのコメントが出ることになりました。意識はしていなかったのですが、誘導されたようで驚きです。

チェレーザとロンブロの二人を除くと、A級犯罪者の中ではテリオンがこの先色々と関わってきそうな気配がします。
この人にも悪党らしい信念があるので、早く書きたいところです。
そして書いていて楽しい魔王軍の皆さま。部下の三人の名前は本名ではなく役職で、つまりは「キャスト担当」「脚本」「大道具」ですね。

騎士物語 第十話 ~悪の世界~ 第三章 悪の趣味

『世界の悪』の弱みと思われる何かをつかむため、セイリオス学院へやってきたA級犯罪者たち。 偶然にも核心に迫ったが、その時予期していなかった事が起きる。 一方、『魔境』の封印を進めるフィリウスたちの前に別のS級犯罪者が現れる。 激戦の予感の中、その犯罪者が衝撃的な事を告げ――

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更新日
登録日
2021-03-28

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