旧作(2021完)TOKIの神秘録三部「千火の夢」
忍の家系、望月千夜(せんや)と望月夢夜(ゆめや)の生きざま。
彼らの幸せは亡くなってから始まる。
これは亡くなる前に二人が幸せを掴もうとする物語。
一話
「千夜、お前は男になれ。女はいらんのだよ」
千夜は父の凍夜から幼い内にそう言われて育てられた。
時代は戦国期。
望月家の一番最初の子だった千夜は産まれた時から女であることを否定されていた。
彼らは甲賀忍。異端望月家という、甲賀望月の中でも変わり者の忍一家。
父親が一番上であり、三人いた凍夜の妻は父親の奴隷だった。
死後の世界で見聞を広げた千夜は父親がどれだけサイコパスであったかを知った。
異母兄弟は知らないが、千夜の弟達は年上が偉いと刷り込まれ、千夜に恐怖を抱いている。
……ひどい家系だった。
千夜はぼんやり思いながら死後の世界、弐の世界でのんびり毎日を過ごしていた。
弐の世界がある目的は魂をきれいにするためだと知った。
後悔などの負の感情を失くすと、魂は新しく生まれ変われるとか。
「私も、魂をきれいにしなければな……」
千夜は白い花畑の真ん中で横になり、目を閉じた。
※※
「千夜、今、女の言葉を使ったな」
「も、もうしわけっ……」
千夜は最後まで言い終わる前に殴られた。当時、五歳の少女だった。
何が女言葉なのかわからない千夜はとりあえず、泣きながらあやまる。
「はっ、やはり、元が女だからな。男にはほど遠い。まあ、男が産まれたらお前なんていらんが……ああ、いや、違うな、お前には跡取りを産んでもらわねばならん」
「……」
千夜は自己肯定感すら否定され、人としてもいらないと言われた。
女言葉、男言葉……千夜には父が何を言っているのか、まるでわからなかった。
男だとか女だとか、どちらでもいいと思った。
実際にはそうなのだ。
千夜が思ったことは正しい。
ただ、凍夜望月家ではそれは通用しない。
「次に使ったら今より上の仕置きだ。覚悟しておけ」
凍夜は愉快そうに笑うと去っていった。千夜は唇を噛みしめ、涙目になりながら背中を触る。
触った手が真っ赤になっていた。
血だ。
顔を殴られる前、凍夜に細い竹鞭で背中から尻にかけて酷く打たれたのだ。
着物を脱がされ、四つん這いにされて。
「ガキの仕置きはまだ、拷問ではないからこんなもんだ」
と、よくわからない言葉を言われ、心底楽しそうに鞭をふるってきた。
凍夜は鞭が好きだ。
力をかけずに人を痛め付けられるからだ。
……ああ。
……もう死にたい。
わずか五歳の千夜はもうすでに、この世からいなくなりたいと願っていた。
「痕になる……」
千夜は井戸水で体を洗い流し、手拭いで拭いてから着物を羽織った。
千夜は体に傷を負いたくはなかった。だが、もうすでに治らなかった傷も多い。痛みの感覚がもうなくなってしまい、何も感じない。
……もう嫌だ。
……男にはなれない。
だって私は女だ。
千夜はいつも心で泣いていた。
千夜は年を重ねても体が成長しなかった。男忍になるため、食事を抜き、鍛え、凍夜からの度重なる拷問により、精神もやられていた。
体が成長しないせいか、身軽であり、常に生死の境にいたため、他望月家の合同訓練でも負けなしだった。
千夜が十歳になった時、四歳下の弟が死ぬことなく立派に成長した。千夜と同じく、凍夜の駒になってはいたが。
それにより、千夜は男にならなくても良くなった。
その日の合同訓練の時、集会所前で千夜の旦那になる男、夢夜(ゆめや)が話しかけてきた。
夢夜は千夜よりも二歳上だ。
「お前、強いな。さすが凍夜様の息子だ」
「そうか。忍術のキマリはまだ悪いがな」
千夜はすっかり男言葉が染み付き、夢夜にもそう答えていた。
「仲間を殺そうとしたな、今日」
夢夜は合同訓練時に、千夜が手合わせをした忍を全員殺そうとしていたのに気がつき、鋭く尋ねた。
「……あれはお父様に全員殺せと言われたからだ。しかし、殺せなかった故、今夜もまた、罰が飛ぶな。迷いがあり、影縫いがかからず、甘かった」
千夜はそう言うと、操り人形のように屋敷へと帰っていった。
夢夜はその時、千夜の手が震えているのを見た。
……千夜はなぜいつも、震えているのか。
夢夜は不思議そうに千夜を見るのだった。
年齢を重ねた二人はやがて夫婦になる時を迎える。
千夜が二十三歳の時だ。
桜の時期だった。
正式に弟の逢夜(おうや)が跡継ぎ候補となり、千夜は婿養子を迎えることになった。
すべて凍夜の采配で、別の異端望月家の次男との婚約が決まった。
「お前はさっさと子を作り、男を産め」
そう凍夜に命令され、突然女として放り出されてしまった。
困惑したまま千夜は畳の一室で夢夜に出会った。
「……千夜、凍夜様が娘に種付けをしろと言ってきたんだが……まるで馬かなんかだな。あの男には人間の感情がないのか。……ところで、俺の嫁になる女は誰だ?」
「私です。夢夜様」
千夜は膝を折り、頭をつけ、深くお辞儀をした。
「な、なんと……お前は女だったのか……まあ、体が小さい故、もしかするととは思っていたが」
「ええ。夢夜様、さっそくではございますが」
「待て、なぜ、そんなによそよそしい? お前は俺にそんな風に話さなかったはずだ」
夢夜はいぶかしげに千夜を見た。
「はい。あなた様が上にございますから」
「……そ、そうなのか」
夢夜はやはりそうなのかと尋ねたようだ。夢夜の家系も凍夜と同じ雰囲気の家系だ。
まともな望月家はこの里にはいない。
「あなた様の子を身ごもればいいのですから、そんなに固くならず、てきとうにしてくださいませ」
「てきとうにって……できないぞ。普通は……」
夢夜は表情のない千夜を困惑した顔で見ていた。
「私が子をなせばいいのです。男忍であるならば、女を性的にさせて情報を聞き出したりなどできるはずです。その延長ですよ」
「お、俺達は夫婦になるのだぞ! そんなことできるか!」
夢夜は怒っていた。千夜の言っていることが理解できないからだ。
「……怒らせてしまい、申し訳ありません。罰は受けますゆえ、今は子を……」
千夜は子を作ろうと必死になってくる。それを見つつ、夢夜は婿養子になってから、この凍夜望月家が一番、頭がおかしいと気づくことになるのだ。
「こんなに悲しい結婚があるのか……」
「悲しいですか? そうですか。私はなんとも思いませんが」
「……そうか」
夢夜は戸惑いつつ、とりあえず頷いた。刹那、突然に凍夜が入ってきた。
「おい、千夜、さっさと子を作らんか。時間の無駄だぞ。お前が女だった故、こんなに待たされたのだ。責任をとれ」
凍夜は千夜の小さな背中を蹴り飛ばした。
「はい……申し訳ありません。しかし、夢夜様が……」
「なるほど。お前は旦那様のせいにするというわけか」
「そ、そういうわけでは……」
「では、なんだ? 言ってみろ。夢夜様がなんだ?」
凍夜は千夜の腹を蹴り飛ばした。千夜は虚ろな目で凍夜を見ていた。
「いえ……そうですね。私は夢夜様のせいにしました」
「お義父様、腹や背中を蹴るのは良くないかと思われますが」
夢夜は慌てて千夜と凍夜の間に入った。
「心配ない。こいつは慣れている。無意識に受け身をとった。お前も千夜のしつけ方を覚えると良い」
「しつけ方……? で、ですが……筋力の少ないおなごの身に下半身を鍛えた男の蹴りは……」
凍夜は夢夜をまるで視界に入れていない。
「千夜、次にまた、そのような口をきいたら、お前が一番苦手な熱した鉄での仕置きだ」
凍夜の発言に千夜の表情が恐れへと変わり、大量の汗が顔を流れていった。
「私はしばらく、仕事であける。その間に子を作れ。男でなかったら殺してかまわん。男が出るまでやれ。もう女はいらんからな」
「……はい」
凍夜は愉快そうに部屋から出ていった。
「……千夜……あれは人間なのか?」
「……なにがでしょうか?」
千夜は平然と返してきた。
「子供を殺せと言っていたぞ」
「……あなたは人殺しもやる我が一族に何を求めているのでしょうか?」
「そういうことではない!」
夢夜は再び声を荒げた。
「千夜! 目を覚ませ! あれは恐車(きょうしゃ)の術だ! わかるか? 恐怖で人を支配する術だ」
「わかりますが」
千夜は顔色を変えない。
「なぜ……そんなにも感情がないのだ。俺は添い遂げる女を幸せにしたくて来たんだぞ……」
「……そうですか。申し訳ありません」
千夜はなお、感情を出さずに夢夜を見ていた。
「……お前は何もわかっていない。そんなガリガリの体で、成長してない体で、過度の威圧にさらされ、子をなせると思うか……?」
「なせないのでしょうか。やはり……」
表情が相変わらず出ない千夜を夢夜は悲しげに見据えた。
「すまぬ。少し外の空気を吸う」
「はい」
千夜は夢夜が出ていっても黙って正座をしていた。
屋敷から出た夢夜はぼんやり考えた。
……異様だ。
生きているのに死人と話しているようだ。
思わず逃げてしまった。
あの望月凍夜が、千夜に何をしていたのか、大方予想ができてしまった。
「非道だ。あいつがやったことは非道だ。忍でもあそこまで壊れたやつは見たことがない。まあ、俺は忍らしくないとバカにされたがな」
一呼吸ついて夢夜は再び千夜と話すことにした。
屋敷の廊下を歩いていると、すすり泣く声が聞こえた。
……まさか、千夜が
夢夜は咄嗟に感情の揺れを消し、気配を消した。忍の得意技だ。
千夜がひとりで小さくつぶやいている声が聞こえた。忍は耳が良い。
かなり離れた位置から千夜の声を聞き逃さないように聞き耳を立てた。
「どういうことか全然わからない。あたしは……そういう生き方しかしてきてない。お父様があたしをしつけたのと同じように、弟達に拷問したのも、あたし。憐夜(れんや)を殺してしまったのも……あたし。今更感情を持てと、幸せを与えに来たと……あたしにその資格はないの。あたし、感情を持つと苦しいの。いままでを思い出して後戻りできなくて、悔しいの……。逢夜(おうや)、更夜(こうや)、そして憐夜(れんや)……ごめんなさい。本当は子供なんていらないの。産みたくない。またお父様に傷つけられたくない」
「……」
千夜の悲痛な独り言を聞きながら、夢夜は目を伏せた。
……そうか。
感情はあるんだな。
……泣いている。
悔しそうに、悲しそうに。
夢夜は隠さずに歩き出した。一瞬の気配の漏れに千夜が反応し、感情豊かだった気配が再びなくなった。
「千夜、お義父様はどれくらい帰ってこないのだ?」
夢夜は何事もなかったかのように部屋に戻ると千夜に尋ねた。
「……春から夏にかけてとのことです」
千夜は先程と変わらずに感情なくつぶやいた。
「……あいつに邪魔されたくないな。千夜、俺が敷地内に家を作る。あいつには、ここだと子作りができないと言っておこう。心配するな。上手く言う」
夢夜は千夜が何かを言う前に、まくしたてるように言った。
「そうですか」
「千夜、子とお前は俺が守るから頼ってくれ。戦の時代はそろそろ終わる。もう忍もいらんのだ」
「はい」
千夜はまるで感情を出さない。
「千夜、感情を出してもいいのだぞ。仕事ではないのだから」
「はい」
「妹が死んだのか?」
「……はい」
夢夜の言葉にやや詰まって千夜は答えた。
「感情を出せなくなったのは、そのせいだな? 知っているぞ。妹は抜け忍になったのだろう? 厳格な体制を続けるこの里では抜け忍は殺される。甲賀の質を上げるためだそうだ」
「ええ。その通りです。見逃した私の責任です」
心をえぐりそうな質問をしても、千夜はまるで変わらない。
夢夜は千夜の心を引き出す決心をした。
「……とりあえす、いまから……感情の確認をする」
「……?」
夢夜は千夜に近づくと、優しく抱き寄せた。
「辛かった、悔しかった、悲しかった、せつなかった、孤独だった、痛かった、逃げ出したかった。……もう後戻りができない。だから、感情を失くした」
「……っ」
夢夜は一つ一つ丁寧に千夜に確認させるように言う。
「今からでも変われ。このままではもっと苦しい」
「うう……」
初めて千夜が感情を表に出した。
「産まれてくる子供は、かわいいぞ。抱いてみろ。かわいさがわかる」
「……」
「守るのが怖いなら、俺が守る。凍夜に奪われても俺は子を守る。お前も守れたら守れ。後ろを振り返るのは、凍夜が死んで平和になってからにしろ。だが、俺は傷ついたお前に、さらに強くなれとは言わない。徐々にでいい、俺に心を開いてくれ。中から負の連鎖を断ち切ってやる」
千夜は夢夜の顔を見上げた。
千夜が見たことない、強い目をした凛々しい男の顔だった。
ついていきたい……
私も手伝いたい……
そう思える男の顔だった。
二話
そこから千夜は乙女のように恥じらいを持つようになった。
そして、いままで押し殺していた感情が彼により引き出され、彼に甘えてみたくなった。
かわいがられてみたい。
まるで幼い少女のような不思議な気持ちになっていた。
当然と言えば当然だ。
千夜は親の愛を感じたことはなく、いつも寂しい思いを奥底に隠し続けていたからだ。
夢夜は普段の業務、諜報などをこなしながら小屋のような家を敷地内に建てた。夢夜は凍夜にバカにされ、笑われていたが、敷地内に家を建てることの許可を簡単にもらっていた。
夢夜が何を言ったのか、なんとなくわかるが、千夜はあえて聞かなかった。
小屋は夏ごろに完成し、二人での生活が始まった。
千夜は子を産むために仕事を与えられず、危険な業務は弟達が行っていた。
たしか……逢夜は敵国軍師の殺害、更夜は敵国に潜入し、時期を見て城主を殺す役目だ。
憐夜が死んでから、ほとんど会っていないので、実はよく知らない。
……もう、死んでいるかもしれない。
千夜はこの世界を恨んでいた。
……私達の人生はあんまりだ。
辛くて悲しいことしか起こらないじゃないか。
千夜は夢夜と住みはじめてから緊張の糸が解かれて、よく泣くことが多くなった。
今は夕食の準備をしているが、包丁で魚を捌く手が、血にまみれた自分の人生と重なり、吐き気が襲っていた。
こんなこといままでなかった。
夢夜はしっかり食べろと言うので、ちゃんと食事を作っている。
千夜の家族は全部自分でできた。料理から医術まで。
だから、千夜も料理は得意だ。
夢夜も自分のことは自分でできる。できるのだが、夢夜は諜報の仕事に出ているため、毎日疲れている感じであった。だから、現在は千夜が料理をしている。
「千夜、大丈夫か?」
夢夜の声が聞こえた。
夕方、ようやく帰ってきた。
夢夜は家に帰るとまず、千夜の状態を見てくる。夢夜も精神をすり減らしているはずだが、千夜のことを気にかけてくれた。
「私は大丈夫です」
「具合が悪そうだな。今日は何かあったか?」
夢夜は千夜の嘘をすぐに暴いてしまう。
なので仕方なく、千夜は今の自分の感情を夢夜に話すのだ。
「魚は俺がやる。千夜は少し休め。俺の側にいた方が落ち着くならば近くにいるといい」
夢夜はいつも千夜に優しかった。千夜は夢夜の言葉ひとつに頬を染め、静かに夢夜の側にいた。
こうして毎日が過ぎていく。
夢夜の元で過ごしはじめてから千夜はややふっくらとした。
しかし、成人している彼女の身長や外見は変わらない。
夕食を食べ終わり、千夜はテキパキと布団を敷く。
「千夜、今日は……」
夢夜は千夜の頭を撫でながら初めて、閨事(ねやごと)に誘った。
「……」
千夜は悩んでいた。
「無理ならばよい。なにか……話しでもしようか」
「あの……」
千夜は夢夜の誘いを断ってしまったことになり、夢夜に恥をかかせてしまったと思った。
「いいのだ。千夜。どうせならお互い幸せな気持ちになりたいからな」
「あのっ……」
千夜には秘密があった。
気分が乗らないのではなく……
できない理由があった。
「……どうした? なんでも言ってくれ」
「あたし……あ……私は」
「言えないなら無理するな」
焦る千夜に対し、夢夜はやわらかく笑った。
「言わないといけません……」
千夜は顔を真っ赤にして夜着を握りしめた。
「……」
夢夜は黙ったまま、こちらを見ている。
「あの……私、見せられる体ではないの……です。傷だらけで……。汚い体で申し訳ございません。夢夜様……嫌かと思いますので、早々と終わらせましょう」
千夜がもじもじと恥じらっていると、夢夜は眉を寄せた。
「……嫌? そんなわけないではないか。かわいそうにな。あの男は酷すぎる。少女相手になぜ、ここまでの事ができるのか。辛さはよくわかる。俺にもわかる。俺も見せられる体ではない。こちらにおいで……俺は千夜を大切にしたい。千夜に酷いことはしないと約束する」
「夢夜様……」
千夜は溢れる涙を止められず、夢夜にすがって泣いた。千夜は止まっていた感情を溢れさせていた。子供の精神状態から時間が止まっていたのだ。
そして、千夜は一番の秘密を打ち明ける。
「あの、私……初経が……まだ……子供は作れぬかもしれませぬ」
真っ赤になりながら、千夜は一番言いたかった事を言った。
千夜には生理がきていなかった。大人の女として、くるべきものがきていない、それはいままでの千夜にとっては良かったのだが、好きな男に抱かれる寸前に告白しなければいけないことに、千夜は抵抗があった。
まだ、子供で体も精神も大人になっていない。
それを大人の男性に話す行為が千夜にはたまらなく恥ずかしかった。
「大丈夫だぞ、千夜。問題はない。今日は俺と話そうか。しかし、千夜は痩せすぎている。しっかり食べさせてやるから安心しろ。甘えてくるお前はかわいくて仕方がない。普段の雰囲気は威厳があるが。ああ、夜だけは俺に甘えてくれないか?」
夢夜は千夜の感情が手に取るようにわかった。
千夜はどこか安堵した表情で夢夜の布団へ入った。
優しく、たくましい腕が千夜を包む。千夜は初めて女で良かったと思った。夢夜は千夜の話をしっかり聞いてくれて、悲しいこと、後悔していることなどを千夜は涙を浮かべながら語った。
聞きながら夢夜は凍夜望月家が何をしていたのかを知った。
傷ついているのは千夜だけではない。すべての兄弟、凍夜の妻が不幸になった。
あの男は……いつか殺す。
夢夜の中で凍夜を引きずり下ろす気持ちが広がった。
三話
あれから少し時間が経った。夢夜と過ごす内、気持ちが安定してきた千夜に初経が来て、体もさらにふっくらとした。身長は伸びなかったが、女っぽくなった気がする。
「あたし、女の子みたい……」
自然と少女のような雰囲気になった。夢夜を思い出すと気持ちが高鳴る。
……これが恋か。
千夜は微笑みながら夢夜を見た。夢夜も笑顔でこちらを見る。
「千夜、よく笑うようになったな」
「……はい」
「顔が優しくなった」
「……はい……あの」
千夜は夢夜と寄り添い、言いたかった事をつぶやいた。
「なんだ?」
「そろそろ……」
千夜は顔を真っ赤にすると夢夜にもたれかかった。
「……ああ」
夢夜は千夜を優しく撫で、照れて顔を赤くし、微笑んだ。
「優しく……する」
「……ありがとうございます」
二人の心臓は早鐘を打っていた。
※※
しばらくして、千夜は腹の違和感を覚える。
「……?」
気がつくと下っ腹が張っているような気がした。皮が伸ばされ、力を入れていないのに固い。
「まさか」
千夜はその違和感で妊娠したと直感で思った。
最近どことなく、具合が悪いことが多かった。体が重く、ぼんやりしている。いつものようには動けず、すぐに疲れてしまう。
「これは、まさか……つわりか?」
つわりの初期症状だ。
夢夜は千夜の体調がおかしいことに、いち早く気がついた。
現在、夢夜は夜勤が続いている。夜の見張りに出ているのだ。
「食事は俺がやる。だから休むのだ」
夢夜はいつも千夜を休ませてくれたが、千夜は休みたくはなかった。彼は夜仕事をしている、助けなければと千夜は思っているところだった。
「……私はあなた様の力になりたいです。まだ、平気ですから。何もできなくなってしまいます」
「……酷くなってきたら、言ってくれ。自分を犠牲にするな」
千夜は夢夜の優しさをありがたく思いながらも、夢夜を支える気だった。
しかし、しばらく経つとそんなことを言っていられなくなった。
「……うっ」
千夜は何度も外に出て、何度も吐いた。世界が回っている。頭が重い。井戸の水を飲むが、味に気持ち悪くなりまた吐く。
「はあ……はあ……うっ」
かなり苦しかった。とりあえす、食べられるものを探す。
探さなければ、倒れてしまう。
味覚も変わってしまい、風味の強いものが食べられなくなった。
ほとんど味のない雑穀粥を毎日少量流し込む感じである。
食べることさえ苦痛だ。
「おい、大丈夫か? 俺は勝手にやる。千夜は何を食べたい? 食べられそうなものはあるか?」
夢夜も顔を青くしつつ、千夜を毎日心配する。
「夢夜様……これは、つわりのようです。苦しいですが、私にとっては幸せな苦しさです……。いままではただ、苦しかっただけですから……」
「なにもできず、すまない」
夢夜が千夜の背中を優しくさする。単純に千夜は嬉しかった。
「がんばります」
千夜は気合いで耐えた。
季節を感じる暇もなく、気がつくと夏が過ぎ、秋が来て、寒くなっていた。つわりの時期の記憶はまるでないが、意識が飛ぶくらいの、拷問のような時間だったことは間違いなかった。
ただ、違ったのは苦痛を与えられるのではなく、幸せになるための苦痛だったということだ。
これを乗り越えれば、子供に会える、だから頑張れる。
つわりを抜けた千夜のお腹は、だいぶん大きくなった。たまにお腹の中から皮膚ごしに足が出てきて、子がいることを実感できて幸せだった。
かわいい小さな足。
守らねばならない大切な子。
夢夜との子。
「私達の子が……ここに」
千夜はそっと腹を撫でる。
「ようやく、ここまできたな」
隣で夢夜も微笑んで千夜を抱き寄せた。
季節は冬。雪がちらついている。千夜は何枚も重ね着して体をあたたかくし、無理のない程度に動き、夜は夢夜に寄り添って眠った。夢夜は現在、仕事はなく、ずっと千夜の側にいた。
「春になれば、子供に会える……。はやく……会いたい」
静かな毎日が過ぎていく。
そんな中、千夜が知らないところで夢夜のある計画が動いていた。
それは、凍夜の暗殺である。
奴隷のように扱われ、無理やり子を宿し続けた三人の凍夜の妻と夢夜は何度も接触した。
三人の妻は憎悪を凍夜に抱いていた。
あいつを殺せば皆、救われる。
明確な殺意を三人の妻から感じられた。
暗殺計画は何度も練られ、短い時間で少しずつ進められた。
そして、春を迎える。
桜が咲く暖かい日に、千夜は一日かけて子を産んだ。
子を取り上げたのは夢夜だった。夢夜は陣痛が始まった段階で、千夜の側について背中をさすり続けた。
助けられる者が夢夜しかいなかったのだ。ここは異端の望月家。
ほとんどが人の心を持っていない。
誰にも頼れないまま子を産んだ凍夜の妻達にどうすればいいのか、沢山聞いた夢夜は覚悟を決めていたため、焦らなかった。
千夜は、凍夜の妻達とは違い、子を産むことが苦痛ではなかった。
子が幸せになれる道がある。
それだけで千夜は前向きに子を産んだ。
男の子だった。
夢夜は泣きながら千夜に「よく頑張った」と言った。
千夜も涙目になりながら、自分の体液で濡れた赤子を抱きしめる。しっかり泣いていた。元気に四肢を動かしていた。
愛おしさが溢れた。
……ああ、なんてかわいいんだろう。
「名は明夜(めいや)。夜を照らしてくれるはずだ」
夢夜は千夜の頭を撫でてから、赤子をお湯で洗い、布でくるんだ。
「明夜……いい名前。……めいや……」
その日の夜から、千夜にお乳が出るようになった。
赤子は飲んで寝てを繰り返す。
小さい手が千夜の指を握り、明夜は安心して眠る。
「母様に抱かれることで幸せそうだな。坊は」
夢夜はすやすや眠る赤子をそっと撫でた。
「かわいい」
千夜に母性が生まれ、母親の顔つきになっていった。
一ヶ月が過ぎた頃、凍夜が突然小屋にやってきた。
「男だったそうだな。なぜ、真っ先に報告しない。とりあえず、そいつが跡取りに決定だ。乳母はいる。お前には仕事を持ってきた」
「……」
夢夜は千夜をかばい、前に立った。
「お義父様、千夜はまだ、出産して一ヶ月です。体が元に戻っておりません」
「黙れ。俺が仕事だと言えば仕事だ。千夜には報告不足の罰を与えた後、仕事に行ってもらう。これは決定だ。ああ、夢夜、お前は千夜の旦那だ。仕置きはお前がやれ。しつけはできたんだろうな?」
「……いい気になるのもいい加減にしろよ……」
夢夜は怒りに震えながら凍夜を睨み付ける。千夜が見たことのない怖い顔つきだ。
「なにがだ? 何を言っている。まあ、いい。ひとつ、言っておく。千夜は俺には逆らえない。恐車の術はな、そう簡単に解けないようになってるのだよ。お前が何を言ってもそれはな、変わらん」
凍夜は狂気的に笑うと千夜を呼んだ。千夜は意思に反して素直に凍夜の元へと歩きだした。
「せ、千夜! 行くなっ!」
夢夜の声を聞きながら、千夜は虚ろな目でユラユラと足を踏み出す。
……ああ。
……幸せだったのに。
千夜は静かに凍夜の前に跪(ひざまつ)いた。
「申し訳ありません。お父さっ……」
千夜が最後まで言い終わる前に、凍夜が千夜を殴った。
「やめろ……。千夜は俺の女だ」
「お前は面倒なやつだな。斬り殺してやろうか」
「やってみろ。返り討ちにしてやる」
夢夜は近くに置いていた刀を抜いた。
「やめてください!」
夢夜が斬りかかろうとした刹那、千夜が鋭く叫んだ。
「せ、千夜?」
「実力を知ってください。今、私が止めなければ、あなたは死んでいました」
「……?」
千夜の言葉に夢夜は戸惑った。
「あなたは右から斬りかかろうとした。お父様はそれを読んで、糸縛りの術をかけ、あなたを操り人形にし、私に斬りかかり、反射で動いた私にあなたが殺される」
「ほう、よく見ていたな。千夜」
凍夜が笑いながらそう言った時、夢夜は凍夜との実力差を思い知った。千夜はその初動が見えていた。
だが、自分は……。
呆然としていた夢夜はあっという間に子を乱雑に奪われ、千夜に擁護されていた。
「逆らわないゆえ、どうか夢夜様だけはお許しを」
身を切り裂かれそうなはずの千夜に、再び鎖が巻かれた。
表情はなく、ただ凍夜に従う、元の千夜に戻っていた。
「夢夜様、仕事に行って参ります」
凍夜と千夜は赤子の明夜を連れ、夢夜の元から去っていった。
「ちくしょう! ちくしょう!!」
夢夜は叫び、悔し涙を流した。
……いつか絶対、家族を取り戻す……。
四話
千夜は再び感情を消し、戦の渦中で嘘の情報をばらまき、戦争をかく乱していた。
双方が嘘の情報で混乱し、相討ちになったところで、味方をしている軍が流れ込む作戦だ。
……皆、人の子だ。
……皆、赤ん坊だった。
死ぬための人生か。
相手を殺す人生か。
私はいままで何人殺してきたか。
千夜は表情なく、木の上から戦を眺めていた。
刹那、近くの村の生き残りか、逃げ遅れかの母親と幼い子が山道を走っていた。
子供は泣きながら必死で逃げている。後ろから多数の男達が追いかけていた。
「逃がすな! 男は全員殺せ! 女は犯せ!」
「ははは! どうせ、敵方だ! 敗戦した村人が我らに逆らうからだ」
……ああ。
千夜はせつなく思う。
戦は人殺し、人でなししか生まない。
なんて、悲しくて、せつないのだろうか。
あの男達には家族がいないのだろう。
そして、親の愛を受けていない。
「やめてください! 息子だけはっ!」
「関係ねぇんだよ!」
男のひとりが刀を振りかぶる。
「は……」
千夜の瞳に無邪気に眠る明夜が映る。
……あの子も……あの両親に祝福され産まれたはずだ。
なのに……
千夜は咄嗟に飛び出し、小刀で男の首を切り裂いた。
母親とその息子は怯えた目で千夜を見ていた。
……私も化け物に映っていることだろう。
「いけ! こいつらは私がやる。ここから右の道へ抜けろ! 森から抜けられる」
千夜は叫んだ。
女とその息子は咄嗟に駆け出した。それを見つつ、複数人の男と刀を交える。
この男達は向こうの国の村人だ。武士ではない。
武士はこんなところで残りを追い回したりしない。
戦により、おかしくなった男達だ。故に弱い。
千夜はあっという間に十人を斬り捨てた。
「息も上がらん」
千夜が残りの数人を殺しにかかった刹那、毒を塗った矢が千夜を貫いた。
「……ちっ」
千夜を襲ったのは千夜を監視していた望月だ。
千夜と同じく、表情のない少女だった。まだ幼い。
……私はずっとこんな顔をしていたのか。能面を被っているようだ。
そう思った千夜は抵抗する気がなくなってしまった。毒は簡単に体を巡り、手足が痺れ、動けなくなった。いずれ、呼吸器も止まる。
私は死ぬのか。
……夢夜様……明夜……。
申し訳ない……。
千夜の体から炎が上がった。少女が千夜に火をつけたのだ。
忍は首を取らせない。影の者であるが故、なんだかわからぬ間に死ななければならないのだ。
……まだ、死にたくない
千夜は生に執着し、泣いた。
もう一度、夢夜に会いたかった。明夜を大事に育てたかった。
抱きたかった。
……弟達もおそらく、もうこの世にいない。
結局なにも残らない。
私達の代はなんの目的で生きていたのだろう。
そして……これからも。
夢夜様……明夜を頼みます。
千夜は手を天に伸ばす。
空はなんの皮肉か、澄んだ青空だった。
死の前に誰かが迎えに来るというが、千夜には誰も迎えに来なかった。
彼女は死後、家族と和解し、死後の世界で望月凍夜と対立する。
この時はただ、空っぽな死だった。
最終話
夢夜はひとり千夜を待ち続けた。そして、凍夜を殺す機会をうかがっていた。
「……。絶対に明夜を奪い返してやる……」
戦は終わった。
これから平和な時代が来る。
夢夜は実力をつけていった。
確実に凍夜を殺す。
その目的だけで生きていた。
あれから十年が経過したが、千夜が帰ってこない。
産後一ヶ月で、女の身で過酷な戦争に行ったのだ。
きっと無事ではない。
夢夜は毎日苦しみながら千夜を待ち続けた。
……千夜はもう帰ってこない。
愛した女は無情にも誰かに殺されたんだ。
まだ理性は残っていた故に、すぐに短絡的には凍夜には襲いかからなかった。
まだ凍夜の息がかかった他の子孫が凍夜を守っていたからだ。
息子の明夜は跡取りとして部屋に隔離されている。
もう十歳になるだろう。
凍夜は幸い、跡取りには何もしていないようだ。明夜とは敷地内の毎回違う場所で落ち合っていた。
千夜に似た、柔らかい雰囲気の少年だ。夢夜は軽く話すだけで、凍夜暗殺はほのめかさなかった。
しかし、ある時、明夜が珍しく敷地内の事を話した。
「お父様、今日は珍しく凍夜様と配下の華夜(はなや)、雷夜(らいや)、竜夜(りゅうや)が一ヶ所に集まっております」
「……!」
いままで、凍夜に絶対服従していた彼らが、いつもどこにいるのかがわからず、凍夜に攻撃を仕掛けられなかった。忍はどこから狙ってくるかわからないからだ。
それが今日は一ヶ所にいるという。
……今日しかない。
明夜を屋敷の外に出し、夢夜は白昼堂々、抜き身の刀を持って、ひとり屋敷へと入った。
荒々しい気配を感じ取った華夜、竜夜、雷夜が前触れもなく襲ってきたが、夢夜にはすべて見えていた。
「そこをどけ!」
「やっと、凍夜様を殺しに来たわね」
代表で華夜が少女らしい声音で鋭く言った。
「千夜を殺したのは私だよ。命令に背いたから殺したの。あなたは私を殺す?」
華夜は夢夜の心を深くえぐった。
「……そうか。お前が殺したのか……」
夢夜は荒い息を漏らし、奥歯を噛みしめ耐えた。
「それはいい……」
夢夜は鬼の形相で華夜を蹴り飛ばした。
「邪魔だ」
華夜は受け身を取ったが柱に頭をぶつけ、気を失った。
「お前らも邪魔だ」
竜夜と雷夜は華夜を気にかけつつ、襲いかかった。
今度は男二人と夢夜の戦いだ。
夢夜は雷夜と竜夜を斬り殺そうとして止まった。
……こいつらの母親はあの三人の妻の内の誰かだ。
「子を殺してはいかん……」
夢夜は目に涙を浮かべ、雷夜を殴り飛ばし、竜夜を蹴りあげた。
しかし、彼らは倒れなかった。
……やはり強い。
早くしなければ凍夜が逃げてしまう。
雷夜と竜夜は刀を振りかぶり、夢夜を襲う。
刀を受け流し、先に進もうとした刹那、夢夜は華夜に、背中から刀で突き刺されていた。
「……っ!」
気を失っていたはずの華夜は、感情なく刀を引き抜く。
「これで、お仕置きされないで済む」
華夜は倒れ行く夢夜にそう言った。
……まだ、倒れない!
夢夜は口から血を吐きながら刀を廊下に刺し、立ち上がった。
竜夜と雷夜の攻撃を反射で避け、血眼になって凍夜を探す。
三人は夢夜を殺そうと飛び道具を投げてきたが、当たっても構わず走った。
必死で華夜を投げ飛ばし、竜夜の顎を突き上げ、雷夜のみぞおちを蹴りつける。
刀を振るうことはなかった。
彼らもどこかで逆らう気持ちがあったのかもしれない。夢夜を殺しきれなかった。
……千夜……千夜、千夜……
夢夜は千夜の顔を思いだし、泣きながら廊下をかけた。
最後の障子扉を乱暴に開ける。
そこには凍夜と三人の妻がいた。
「……凍夜……覚悟」
三人の妻はそれぞれ酷い怪我をしていた。皆、小刀を構え、凍夜を殺そうとしていたらしい。
刺し違えるつもりだったのか。
「夢夜様のおかげでここまでこれました。私達は戦います」
三人の妻は肩で息をしながら再び飛びかかった。凍夜はそれぞれを笑いながら殴り、蹴り、踏み潰す。
「ふふふ。お前ら、歯向かう気か。ユカイユカイ」
「俺がやる……お前は許さない」
血にまみれた夢夜は気迫のこもった表情で凍夜に刀を向けた。
「けっこう。お前はいらん。死ぬがいい。こいつらもいらん。また、孤児を拾えばいいだけのこと」
凍夜も刀を抜く。
あれから夢夜は強くなった。
十年という時間は、男を強くするのに十分な時間だった。
凍夜の術の先読みができる。
影縫いで拘束、かからねば糸縛り、影分身、背後を……。
夢夜はすぐに後ろを振り返り、凍夜の刀を受けた。
「ほう」
凍夜は楽しそうに笑っている。
凍夜の手には火傷の痕があった。千夜から聞いている。
凍夜は千夜に熱した鉄で叩く仕置きをしていた。この男は素手で熱した鉄を握っても平然としていたという。
……千夜を傷つけた手……。
まず、手を切り落としてやる……。
「手が気になるか? これはなー、千夜を……」
凍夜から楽しそうな声が出る。
「やめろ!」
夢夜は息を吐くと凍夜の腕を斬り落とした。
斬り落としたが凍夜の表情は変わらない。
……こいつ……痛覚がないのか?
夢夜が目を見開いた刹那、一瞬の隙ができ、片腕の凍夜に袈裟に斬られてしまった。
「しまっ……くっ!」
夢夜はのけ反る所を強引に踏み込み、倒れなかった。
「まだだ……まだこいつを……」
血飛沫が舞う。
……殺しきれていない!
夢夜は最期の力をふりしぼり、凍夜にぶつかっていった。
佇む女三人に、夢夜は泣きながら叫ぶ。
「俺ごとやれ! 今殺せ! 平和を掴むんだ! 今しかないんだ!」
女三人は震えながら小刀で凍夜と夢夜をめった刺しにした。
「ほう、こうすればさすがに死ぬか」
凍夜は楽観的な表情のまま死んだ。その後、致命傷をおっていた女三人は安堵した顔で自害した。
「子供の元にいきたい」
「幸せになりたい」
「愛されたい」
次は……
幸せな家庭を築きたい……。
三人はそれぞれ、泣きながら希望を言い合い、お互いの首を小刀で刺して死んだ。
夢夜は……
うっすら目を開けたまま、千夜を思い出していた。
ようやく凍夜を殺した。
明夜を守った。
千夜……お前に会いたい。
向こうでお前が苦しんでいたら助けにいく。
絶対だ。
明夜には書き置きをしておいた。
あの子は優しいよ。
お前に似てる。
これからきっと、望月を変えてくれる。
「うう……う……」
夢夜は音のない静かな屋敷でひとり、涙して死んだ。
三十六歳であった。
※※
「お父様……お母様」
しばらく経ち、明夜は二人の墓を作った。風が吹く丘の先端だ。
いずれしっかり作る予定だが、今は木の棒を立てただけだ。
父の骨と母の髪飾りを一緒に埋めた。母の髪飾りは父からの土産物で、ずっと大切にしていたと聞く。
「望月はあれから変わりましたよ。戦は終わり、平和が訪れ、誰も争わなくなりました。できれば、この平和な中、三人で……過ごしてみたかったです」
明夜は墓の前で涙ぐんだ。
「ですが、私にはやることがあります。傷ついた親族を介抱します。きっと望月を幸せにしてみせます。天から……見守ってください」
夕日が明夜を照らす。
太陽の光が明夜の涙を輝かせていた。
そして明夜は再び立ち上がる。
「俺は幸せに生きてみせる。俺から下の子孫はさらに幸せにさせてやる……。俺は父と母の意思を継ぐんだ……」
明夜は心地よい風が吹く丘を背に歩きだした。
望月家はここからようやく、前に進むのだった。
旧作(2021完)TOKIの神秘録三部「千火の夢」