プリン

この作品のお題は【プリン】です。
夏の公園での一幕。
本編とは関係ないですが、もう一度学生時代に戻りたいかと言うと、戻ってみたいなあと思います。
でも今の状況が消えるのであれば、やっぱり嫌だなあとも思います。

 土曜日の昼下がり、部活が終わり、友達とも別れて、一人で北海道神宮を歩いていた。暑い盛りではあるが、公園が併設される鎮守の杜は背の高い木々が多く、それが天井となって、木漏れ日とともに爽やかな風を運んでくれている。涼気を求めて散歩をしたり、ベンチで読書をしたり、水場で遊び回る子ども達の姿もたくさんあった。
 始めは通り抜けるつもりだったが、そういう風景に誘われて、私も空いているベンチに腰掛けた。両足の負担が一気に軽くなる。あまり気にしていなかったが、思ったよりも疲労が溜まっていたらしい。今日も死ぬほど走ったもんなと、思わずふくらはぎを揉んでしまう。
「よ」
「いて」
 反射的に声が出た。痛いのは足ではなく頭で、実のところ別に痛くはない。
 軽い衝撃に振り返ると、ベンチの後ろに由美子がいた。
「花も恥じらう女子高生が、土曜の真昼間から公園で何してんのよ」
「休憩してんの。そういう由美子はどうしてこんなとこに?」
「買い物帰りに歩いてたら、目に鮮やかな髪型の女子を発見したから寄ってみた」
 そう言って由美子は隣に座り、ビニール袋を掲げた。ローソンのロゴがついているそれからは、お菓子やら飲み物やらが見え隠れしている。
「ああ、家このへんなんだっけ。……道理で」
「何よ?」
「随分簡単な格好してんな、ってさ」
 アクセもつけず、ほぼすっぴんで、無地のTシャツにデニムのショーパンである。うちの高校は私服OK、化粧も染髪もアクセサリーも許可されているが、こんな無防備で、パンツルックが稀な由美子の、さらに稀な生足ときたら、クラスの男子連中が色めき立つだろう。何だか癪に障る。写真でも撮ってやろうか。
「……そのスマホは何?」
「珍しいから記録に残そうかと」
「やめ」
 また頭を叩かれた。
 由美子とは今年から同じクラスになった。一年のときは別のクラスで、体育も一緒ではないし接点はほとんどなかったが、その存在は入学当初から知っていた。ごくごく陳腐な言い回しをすれば、由美子は美少女なのだ。きれいな子だなあ、が私の由美子への第一印象だし、初めて喋ったときも実際、「きれいな顔してんねえ、藤江は」と言ったと思う。ちなみにそのとき由美子は、「知ってる」と言ってあけすけに笑った。
 私は由美子の顔が好きだった。性格は少々面倒くさいが──顔ほどではないが外面はそれなりに良い──、それを補って余りあるほど、見ていて飽きない。こうして隣にいる今も、油断していると見つめてしまいそうになる。意志の強い切れ長の目も、筋が通って高い鼻も、小ぶりだが肉感のある唇も、やや丸めの頬も、濡羽のような髪も、全ての比率が完璧なのである。ああ、やはり癪に障る。嫉妬ではない。単純に顔が良い相手を好きになるという、輪をかけて単純な自分が、だ。
「部活?」由美子は、ビニール袋から炭酸のオレンジジュースを取り出し、一口飲んでから言葉を続けた。「お疲れ様」
「そう。私の分は?」
「ない。走るの楽しい?」
「楽しいよ。走ること以外何も考えなくていいから」
「何も考えなくていいから走るの? 走った結果無心になるのが好きなの?」
「どっちも」
「即答じゃん」
「悪い?」
「いや、すごい」
 ちょっと感心したと由美子は呟いた。
 質問には意表を突かれたが、それはたまに自問自答していたことだった。何故私は走るのか。走っていると、苦しくて、辛い。疲れもする。でも知らない脳が走れと要求する。だから、走るときは走ることだけ考えて走っている。しばらく走っていると〈走る〉という考えも消えて、私は風になる。そこから私は、〈走る〉概念そのものになる。根本的な答えにはなっていないのかもしれない。でも、私はそれが好きだった。
 目の前に由美子のジュースが差し出される。
「ご褒美」
「私は犬か」
「いらないの?」
「飲む」
 受け取ってボトルに口をつけた。思ったよりも甘酸っぱい炭酸が、刺激とともに喉を滑り落ちていった。
 それから三十分くらい、適当なことを話していた。わかんない授業に苦手な科目、クラスの誰それのコイバナ、先生方のゴシップ、バイト先のむかつく先輩、口うるさい親のこと、等々。私はもちろん、由美子のそれも変わらない。美少女だろうが普通に生きている。私たちは高校生で、世界は醜くも美しい。
「プリン食べる?」
 訪れた沈黙の後、公園の小さな喧騒の合間に、由美子がプリンを二つ取り出した。
「どしたのそれ」
「さっき買ってきたやつ。二個あるから、一個あげる」
「いいの?」
「いいよ。郁にぴったりだし」
 由美子は意味ありげに私の頭を見た。私は肩をすくめて、ありがたくプリンを受け取った。セブン限定のプリンだ。ふたを開けてスプーンを差し込み、とろとろの黄金色を口に運ぶ。幸せの味がする。
「……それ、部活の時は結んでる?」
「そう」
「邪魔じゃない?」
「それなりに」
「切ればいいじゃん」
「好きだからいいの」
「金髪ポニテランナーの鑑」
「何そのラベリング」
「ちゃんと染め直しときなよ?」
「うん」
 プリンはいつの間にか空になっていた。暑さで溶けてしまったのかもしれない。
 ごちそうさまと言って、私は立ちあがった。振り返って由美子に容器を預ける。由美子はつまらなそうな顔で受け取って、ん、と応えた。
 見知った美少女と、土曜のなんでもない午後の、ありふれた時間。そういうものがいずれ、波間の記憶を際立たせるのかもしれない。
「じゃあ、明後日、また」
「また。プリンのお礼、楽しみにしてる」
「そっちが勝手にくれたんじゃない」
「好意は好意でしか返せないのよ?」
「それ、押し売りって言わない? ま、いいけどね」
「わーお。神様仏様郁様」
「言い回しが古い。帰る──けど、そうだ」
「なに?」
「なんでローソンの袋からセブンのプリン?」
「へ? ……あ! いや……、うん、ナンデダローナ?」
「こっちが聞いてんのよ。明後日までに考えといて。じゃね」
「……じゃーねー」
 苦り切った別れの言葉を背に、私は地下鉄駅に向けて公園を歩き始めた。振り返りはしない。吹き出しそうな顔を見られてしまうから。
 あの由美子が、コンビニ帰りを装って急いで家から出てくる様を想像すると、口角が上がるのを止められない。犬はどっちだ、という話だ。
 でも──
 輪に輪をかけて単純なのは、やはり私なのだろう。
 だから私は、由美子が好きなのだ。

プリン

プリン

夏の公園での一幕。 本編とは関係ないですが、もう一度学生時代に戻りたいかと言うと、戻ってみたいなあと思います。 でも今の状況が消えるのであれば、やっぱり嫌だなあとも思います。

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  • 掌編
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更新日
登録日
2021-01-15

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