偽装仮装
1 嘘
今現在、ワタシこと天城稀伊(アマギ キイ)は非常に困っていた。
「なあ、放課後どっか行こうぜ」
それは目の前のクラスメイトのせいだった。
「ごめん。用事があって」
これは二度目の拒否だった。
「そっか、残念」
彼はそう言って、すごすごと自席に戻っていった。彼の名は亀水輝雄(キスイ テルオ)。一度話した時、気を使って話を合わせたことで気に入られてしまったようだ。
「羨ましいな~。異性に誘われるなんて」
それを見ていた隣の瀬木玲愛(セキ レア)が、独り言のように呟いた。
「どうせなら稀伊も遊びに行ってみたら?」
ロングな茶髪にツリ目が特徴で、それ以上に巨乳の部分が(特に男子)注目されていた。
「う、うん。気が向いたら・・ね」
「煮え切らないな~。遊びの一つは知っておくべきだと思うんだけど」
「身体と心が男だったら、良かったんだけど」
ワタシの身体は男だが、心は女だ・・ということになっていた。
「別に、女でも遊びに行ったらいいじゃん」
性同一性障害ならば、人との付き合いを避けられると思っていたのだが、全然そんなことはなかった。
「ワタシ、インドアだから」
「そう。それなら仕方ないね~」
玲愛は、肩を竦めながらそう言った。
朝のHRのチャイムが鳴り、教師が入ってきた。
ワタシは、極力人付き合いをしたくなかった。理由は、小学生の時に親友を失った経験をしたからだった。
親友が亡くなって、失意から何度も学校を休むようになった。
中学に上がって全く別の地域の中学校に行き、極力人と距離を置くようになった。もうあんな絶望的な気持ちになるのが怖くて、誰かと親しくなる勇気がなくなっていた。
しかし、なかなか一人になれず、高校に上がる頃には性同一性障害と嘘をつくようになった。
このことで気持ち悪がられて、他の人が距離を置くと思っていたのだが、現実はそうはならなかった。
しかも最悪なことに嘘が大きくなり、両親の耳に届いてしまった。
さらに最悪は続き、病院の診断も受けずに性同一性障害を受け入れてしまい、学校の承認まで取り付けられてしまった。なんて寛容な両親なんだろう。
そのせいもあり、制服は女子用のブレザーを着せられ、女子に囲まれて過ごすことになってしまった。
トイレも女子用を使うように言われ、着替えも女子と一緒だった。正直、かなり困っている。
身から出た錆とはいえ、こうなるとは自分の口八丁の才能が恐ろしかったが、もう後戻りはできない状況まで来てしまっていた。
いまさら嘘だとは言えず、現在はできるだけバレないように目立たないように息を潜めることに終始していた。
女になる為、ワタシはネットや女性誌を読み漁った。その結果、化粧や髪にブローを掛け、身だしなみに気を使いながら学校生活を送っていた。
授業が終わり、昼休みになった。
ここで一人になる為、教室を出ようとしたのだが、一人の女子生徒に呼び止められてしまった。
「一緒に食べよっ♪」
彼女の名前は、貝塚梨乃(カイヅカ リノ)。隣のクラスなのだが、ワタシに積極的に絡んでくる女子だ。身長は平均より低く、目がクリっとしていて人懐っこい雰囲気で、今時珍しい三つ編みをしていた。
「えへへっ、今日もおかず交換しようよ」
お互い弁当ということもあり、最近はよくお昼を一緒にするようになっていた。
「えっと、今日はちょっと・・・」
昨日までは断れずにいたが、今日は勇気を振り絞って断ることにした。
「え!何かあるの?」
すると、梨乃が驚いた顔をした後に寂しそうな顔をした。覚悟していたとはいえ、本当に申し訳ない気持ちになった。
「あ、明日は一緒に食べよ」
罪悪感に負けて、明日の約束をしてしまった。
「う、うん。わかった」
梨乃は落ち込んだ感じで、こちらを上目遣いで見つめてきた。ワタシは、この視線にかなり弱かった。
「ごめんね」
梨乃に謝ってから、教室を出た。
ワタシは、一人になれそうな場所を探した。
運の良いことに、校舎を出て目の前の体育館の裏のベンチには人がいなかった。
初めて来たところだったが、ようやく一人になれたことに溜息が漏れた。おかしい。嘘をつく前より一人になれていない。男子との交流は減ったが、逆に女子が鬱陶しいほど寄ってくる。振る舞いや話し方を勉強し、一生懸命女子に努めていたことが裏目に出ているのではないかと最近になって思うようになっていた。
昼食を食べ終わり、これからの在り方を考えていると少し眠くなってきた。
気がつくと、隣に誰か座っていた。
驚いて見ると、長い髪の女子生徒が隣で今では珍しい紙の本を読んでいた。パッと見は清楚な感じで美しいと思った。
「あら、おはよう」
ワタシが起きたことに気づき、彼女はこちらを向いて挨拶してきた。
「えっと、おはようございます」
ブレザーの左の胸ポケットを見ると、縞模様の色が3年生の赤色だった。どうやら、先輩のようだ。
「こんなところで一人で寝ていたら、襲われても文句は言えないよ」
滑らかな口調で、左手を口に当てておかしそうに言った。
「ワタシを襲う人はいませんよ」
1年ということもあり、ワタシがどういう人かわからないようだ。
「あら、こんなに可愛いらしいのに襲われないなんて、この学校の生徒は善人しかいないのかな」
「ええ、その証拠に先輩がこうして守ってくれますし」
男だということはここでは言わなくてもいい気がしたので、適当な言葉で返しておいた。
「ふふふっ、それもそうね」
ワタシの返答が面白かったようで、口を手で覆いながら優しい笑みを浮かべた。
「でも、この学校にも悪い人はいるから注意はしておいた方がいいわ」
「はい。肝に銘じます」
注意されたので、真摯に受け止めることにした。
「素直で良い子」
「そ、そうですか?」
気に入られてしまったと感じ、失敗したと思った。しかし、こういう性格だから、一人になれないことは自分が一番よくわかっていた。4、5年の月日が経っても、この性格だけは変えられずにいた。まあ、だからこそ性同一性障害という嘘を信じさせられたのだが。
「そろそろ予鈴が鳴るから、戻った方がいいかもね」
すると、ちょうどチャイムが周囲に鳴り響いた。
「見守ってくれてありがとうございました」
ワタシは、お礼を言って教室に戻ることにした。
「ええ。そうそう、名前を聞いてなかったね。私は駒沢静香(コマザワ シズカ)」
「えっと、天城稀伊です」
教えるか悩んだが、さすがに名乗らないのは失礼だと思った。
「またね。稀伊」
初対面の先輩に、いきなり下の名前で呼ばれたことには少し動揺した。
「またですね。静香先輩」
仕方がないので、こちらも下の名前で呼ぶことにした。
こうしてまた一人、天城稀伊に知り合いが増えてしまったのだった。
2 誘い
わたしのクラスに性同一性障害者がいる。彼女はとても奥ゆかしく他の女子より魅力があった。
女子トイレに躊躇しながら入る彼女を見て最初は疑っていたが、話してみると私より全然女子力が高かった。
それから仲良くなった1週間後に、なぜ挙動不審だったのか聞いてみると、今年ようやく障害者と認められたらしく、入るのに勇気がいったと話してくれた。それを聞いて、疑ったことを恥ずかしく思った。
それ以来、お昼休みは積極的に隣のクラスに行くようになっていた。
「梨乃って、最近付き合い悪くない?」
前の席の木橋瑞香(キハシ ミズカ)がこっちを向いて話しかけてきた。
「そうかな?」
すっとぼけた感じで返したが、付き合いが悪くなったのは間違いなかった。その理由は、天城稀伊が原因だった。
「天城さんと一緒が楽しいのはわかるけど、仲間はずれにするのは違うと思うんだ」
「だったら、ついてこればいいじゃん」
「紹介してくれるの?」
「・・・」
「なんで黙るのよ」
「やっぱり邪魔かも」
「酷い!っていうか、独占欲強すぎでしょ」
「いや、別に二人っきりってわけじゃないし、隣に瀬木さんもいるし」
二人っきりにして欲しいという言葉は呑み込んだ。
「もしかして、異性として好きになってない?」
「え!そ、そんなことないよ」
否定したかったが、声が小さくなり視線が宙を泳いだ。
「女だよ」
「知ってるし」
そんなことは話してみてわかっていることだった。
「長い付き合いだけど、梨乃って障害者を好きになるよね~」
確かに、瑞香とは中学校から一緒でよく遊んでいる仲だった。
「あのさ、あんまりその話はしないで欲しいな」
このままでは思い出したくない過去を掘り返されるので、先に釘を刺した。
「だったら、紹介お願いね」
除け者が嫌なのか、珍しく積極的にそう言ってきた。
「検討しておくよ」
ここで断ったら、ねちねちと過去のことをほじくられそうなので、政治家がよく使う便利な言葉で濁すことにした。
放課後になり、天城に会うために急いで隣のクラスに行ったが、もう彼女はいなかった。これはHRの担任の長話のせいだった。
「あらら、いつも通りいないね~」
隣の瑞香が、素の顔で頭を掻いた。
「前に、放課後一緒に帰ろうって、天城さんに言ったことあるんだけど、やんわり断られちゃって・・・」
今思い返すと、今日断られた時と同じぐらいショックだった。
「そう。まあ、放課後は個人の自由だし、束縛は良くないと思うよ」
「え?束縛の話なんてしてたっけ?」
「毎日一緒に帰ろうとか、昼休みは毎日一緒になんて束縛以外に表現できなくない?」
「毎日なんて言ってないし・・・」
「たまにとも言ってないでしょう」
「う、まあ、そうだけど。でも、束縛なんて表現は間違ってる気がする」
言い負かされそうなので、少し論点をずらして反発してみた。
「まあ、梨乃がそう思うなら、そう思っていればいいわ。でも、あんまりしつこいと嫌われるからやめた方がいいよ」
「そんなこと知ってるわよ。だから、昼休みだってしつこく聞かなかったんだから」
「その配慮があるなら、もう一緒に帰ろうとか言わない方がいいかもね」
「・・・」
言おうと思っていたことを、先に釘を刺されてしまったことに何も言えなくなってしまった。
「じゃあ、今日は私と一緒に帰ろっか」
「そうだね。っていうか、もう帰ってるけど」
廊下の前でこんな話しているわけもなく、もうとっくに校門を出ていた。
「そういえば、瑞香って部活入ってたよね」
「うん。行ったり行かなかったり自由だからね、あの部活は」
「数学部だっけ?」
「そうだよ」
「ピンポイントな部だよね~」
「定理の深掘りとか結構面白いよ」
「数学自体つまんない」
「残念なことだね。面白いのに」
瑞香はそう言って、溜息をついて肩を落とした。
「わたしが面白いと思うのは、女性誌ノイの恋愛講座かな。あれは面白いよ」
「アブノーマルの梨乃の恋愛観を考えると、役に立たないんじゃないかな」
「失礼な!アブノーマル・・は認めるけど、役に立たないことないよ!それに瑞香に言われたくないよ」
「まあ、一般的じゃないのは認めるけど」
瑞香は特に否定することなく、視線だけを逸らした。
「数字に恋するとかアブノーマルなんて括りにするのは個人的には嫌なんだけど。そもそも人じゃないし」
そう、彼女は数字を愛しているのだ。数字に取りつかれ、何度かどれほど素晴らしいかを説き伏せてきたことがあるほどだった。
「まあ、それは人それぞれだから」
自分が不利な立場だと、すぐに話をはぐらかそうとするのはいつものことだ。ここで責めると、ブーメランで返ってくるのが目に見えているので、この話はこれで終わらせることにした。結局のところ、アブノーマル同士の言い争いはお互いを傷つけるものだった。
「今日、どうする?私の家に寄る?」
瑞香が何気なく、そんな恐ろしい提案をしてきた。
「え、やだよ。数字の壁紙に囲まれた部屋に行きたくない」
中学の時、一度行っただけでもう二度と行きたくなかった。
「わたしの家にでも寄る?」
「まあ、たまにはいいかもね。そうそう。今度の日曜に一緒に出かけようよ」
「何かあるの?」
「うん。ちょっと、面倒なことになってね」
「・・・」
彼女の言う面倒事とはかなり珍しく、何より嫌な予感しかしなかった。
「詳細を言って」
「数学のコミニティがあるんだけど、流れでオフ会開くことになっちゃって」
「それで?」
「女子って、私しかいないんだよね」
「・・・」
行きたくないと率直に思った。
「まあ、行きたくないのはわかるけど、助けると思って一緒に行ってくれないかな」
「断ればいいでしょう」
「う~ん。数字に気持を表すと、行きたいが53%、行かないが44%、あとは細かい心情が諸々。梨乃と一緒だったら行くに80%以上にグンと上がるんだよね~」
「そうなんだ」
詳細を聞くと、長くなるのは目に見えているので軽く流すことにした。
「でも、わたしが行っても場違いで話題に乗れないよ」
「居るだけでいいの!お願い」
「そもそもオフラインで会わなくてもオンラインのコミニティでいいでしょう」
「私もそう思ったんだけど、話の流れでそうなっちゃって。友達も一緒だったらいいなんて言ったら、それが通っちゃって」
こういう隙があるのは瑞香の特徴で、好きなことになるとその場のノリで適当なことを言うのは今でも変わっていないようだ。
「無理。怖い」
男が嫌いとかじゃなくて、数学好きが集まる場に恐怖を感じた。
「そこをなんとか!」
「他の人誘えばいいじゃん」
「酷い、友達が少ない私に対してそんなこと言うなんて」
確かに数学をこよなく愛する瑞香に、人が寄ってこないのはわたしがよくわかっていた。
「あ、もしかして、天城さんを紹介してってそういうことじゃないでしょうね」
「うっ!」
どうやら、図星のようだ。基本的に他人に興味がない瑞香が、なんで積極的にそんなことを言い出したのか不思議だったのだがこれで合点がいった。
「冗談じゃないわ!そんな居心地の悪い場所に連れて行ったら、わたしまで嫌われるじゃない!」
「その時は、私が全面的に罪を被るから」
瑞香は懇願するように、わたしの片腕に縋り付いてきた。
「離してよ!そんなに頼まれても絶対に行かないし、紹介もしないんだから」
わたしは、瑞香を払い除けるように腕を振り払った。
すると、ちょうどコンビニから出てきた女子高生がアイスを咥えながら出てきた。 天城の隣の席の瀬木だった。
「何してんの?」
瀬木はわたし達を見て、不思議そうな顔をした。
「え、誰?」
声を掛けられたことに瑞香が、純粋にそんなことを言った。失礼にもほどがある。
「瀬木さんだよ。天城さんの隣の席の」
私はそう言いながら、茶髪の瀬木を瑞香に紹介した。
「あ、そう」
明らかにタイプの違う相手に、瑞香が一瞬で委縮した。
「で、何してんの?」
場が収まったところで、瀬木が不思議そうに同じ質問をしてきた。
「瑞香がオフ会に一緒に行ってくれってうるさくて」
「オフ会?なんの?」
「数学オタクの」
「何、そのピンポイントなオフ会」
瀬木はアイスを口から遠ざけ、おかしそうに笑った。
「そのオフ会に女子が瑞香しかいないみたいで」
わたしは説明しながら、後ろに隠れてしまった瑞香を見た。
「なるほど。それは行きにくいなー。っていうか、断ればいいじゃん」
「そう言ってるんだけど、食い下がられちゃって」
「よっぽど行きたいんだね。でも、一人では怖いと」
状況を察した瀬木がそう言いながら、瑞香のほうをわたし越しに見た。
「あ、それなら稀伊を連れて行ったら?」
何を思ったか、突然瀬木がとんでもないことを言い出した。
「な、何言ってるの?そんなのダメだよ」
予想外のことに、わたしは混乱しながら首を振った。
「だって、身体は男だし身に危険があれば数学オタクなんて相手にならないでしょう」
「襲われる前提で話をしないでほしい」
ここで瑞香が、嫌な顔で話に割り込んできた。
「そう言いながら、天城さんを連れて行こうとした癖に」
これには呆れて、軽蔑の眼差しを瑞香に向けた。
「いや、えっと、それを言われるとちょっと弱い」
劣勢になったと察したようで、奥歯に物が詰まったような物言いをした。
「いいじゃん。連れて行けば。まあ、本人は断りそうだけど」
瀬木はそんなことを言いながら、アイスを口に咥えた。相変わらず、無責任でいい加減な人だと思った。
「ひゃあ、かんはって」
口に物を咥えたままで、言葉を発したため緩い言い方になった。
「あ、ありがとう」
瑞香がお礼を言うと、瀬木が軽く手を振ってから横断歩道を渡って帰っていった。
「天城さんは希望薄だね」
「もう諦めたら」
「いや、まだ親友の梨乃がいる」
どうやら、オフ会自体はまだ諦めきれないらしい。そこまで行きたいのなら、一人で行けばいいのにと思ってしまった。しかし、一人だと心細いのも理解できた。
一軒家の自宅に着き、玄関で靴を脱いでリビングに行くと、弟の隆(たかし)がテレビを見ていた。
「ただいま」
「あ、おかえり、姉ちゃん」
一度だけこちらを見て、すぐにテレビに目を向けた。
「お、お邪魔します」
すると、後ろにいた瑞香が弟に一声掛けた。
「え、あ、瑞香さん。い、いらっしゃい」
先ほどとは打って変わって、緊張したような口調で挨拶した。ここまで瑞香の容姿について触れなかったのだが、かなりの美人なのだ。しかも、眼鏡をかけていてかなり理知的に見えて、男子からも結構注目されていた。が、残念なことに数字を愛しすぎて、彼女には異性は恋愛対象にならなかった。可哀想な隆。実らない恋は見ていて悲しい。
「じゃあ、わたし達は部屋に行くから」
そんな思いを胸に仕舞いながら、そう弟に言った。
「あ、うん。瑞香さん、ゆっくりしていって」
「ありがとう」
弟の気遣いに、瑞香は軽く手を振って笑顔見せた。結構な人見知りな彼女だが、知り合うと気さくで愛嬌があるのだ。が、残念なことに・・・以下略
二階にある私の部屋に入り、机に鞄を置いてから反対側にあるベッドに座った。
瑞香にはベッドの正面にある座椅子がいつもの定位置だった。
瑞香は隣に鞄を置き、スカートを両膝に手を回して皺にならないように座った。その姿は美しく、本当に様になっていて一見するとお嬢様に見えるだろう。だが・・以下略(しつこい)
「そうそう、今度ミューグに行こうよ」
瑞香が鞄を漁りながら、そんなことを言い出した。ミューグとは最近大きくなりつつゲームセンターで、いろいろなバーチャルゲームが各部屋で楽しめるというものだった。
バーチャルゲームは家庭にもあるのだが、いろんなアプリの乱立によりユーザーが一定数集まりにくくなり始めた頃、ゲームセンターのミューグがシナリオと自由度を高めた一人でも楽しめるバーチャルゲームをAI主体で開発した。それが今では小中高の間で人気になっていた。
「え、また、レベル上げ?」
「もうそれはしてない。私の好きな数字になったから、もうレベルは上がらないように設定した」
「え、そうなの?」
「うん。ステータスを0と8で埋め尽くした」
瑞香は、数字の中で0と8がお気に入りだった。
「じゃあ、目的は?」
「中級のラスボスが倒せないから、一緒に戦って攻略方法を模索して欲しい」
「え、無理。わたしはラスボスまで行けないから」
「え、あれ、あれからミューグに行ってないの?」
「うん。いろいろあって」
本音を言うと、面倒になってきただけだったが、そこは曖昧な感じにしておくことにした。
「あ、面倒臭くなったでしょう」
が、一瞬でバレてしまった。さすがは長年の友人といったところだ。
「はぁー、しょうがないなー。今度奢るから一緒にラスボスまで行こうよ」
「まあ、いいけど。別に、奢らなくていいよ」
一人だと面倒だが、瑞香と一緒なら最後まで付き合うことはできそうだ。
「じゃあ、今度の連休にしようよ」
「連休?って、3週間後?」
別に予定もないし付き合ってもいいのだが、3日もバーチャルゲームに入るのは少し抵抗があった。
「来週でよくない?」
「来週はオフ会だよ」
ちっ、なし崩しでいけると思ったが、思いのほかまだ諦めきれないようだ。
「わたしは行かないから、もう諦めようよ」
仕方がないので、友人として危険なオフ会は諦めるよう促してみた。
「そう思うなら、一緒に来てよ」
「つまんない」
心配だが、一緒に行くという選択肢はなかった。
「むぅ~」
瑞香には不満だったようで、可愛らしくふくれっ面な顔をしたが、美人なせいで嫌味ったらしい顔にしか見えなかった。
「じゃあ、梨乃のお願い一つなんでも聞くから」
「そこまで行きたいなら、一人で行け」
ここまで食い下がられたら、もう心配よりも面倒臭さが上回った。
「うぅ~、見捨てないで~」
私の冷たい対応に、瑞香がベッドまで来て可愛らしく足にしがみついてきた。が、美人なだけ・・以下略。
「そういえば、部活のメンバーじゃあダメなの」
「あ、無理」
瑞香は、即答で首を横に振った。
「どうして?」
「私がなんでたまにしか部活に顔出さないか知ってるでしょう」
「ああ、迫られるんだったね」
「そうなんだよね~。なんでだろう?」
瑞香は、自分の容姿に興味がない典型的なタイプだった。
「さあ、知らない」
そんなこと言いたくないので、知らんぷりを決め込んだ。
「あと、数学以外のこと聞いてくるし、好きな人とかよくわからないこと聞いてくるし」
「どう答えてるの?」
「当然、数字の0と8」
そこはやはりブレがなかった。
「って部員って、その人だけじゃないでしょう」
確か、部の定数は5人以上だと記憶していた。
「あとはほとんど幽霊部員。私と一緒ね」
「そう」
まあ、それは仕方ない気がした。
「だから、頼めるのは親友の梨乃しかいないの」
「だから、断るって」
「そこをなんとか」
しつこいのはわかっていたが、ここまで食い下がられたら友達やめようかと考えてしまった。
そう思いながら瑞香を見ると、泣きたいが泣けない顔をしていて、なんとも言い難い気持ちになってきた。
「こっちは何人連れて行ってもいいの?」
「え、うん。何人って言ってないから問題ないと思う」
「で、オフ会の正規の人数は?」
「わたしも含めて五人」
「四人の男性に瑞香一人ってこと」
「そう」
「五人のコミニティって少なすぎない?」
「いや、今回集まれるのは五人ってだけでコミニティ自体は十数人いる」
「って、全員じゃないなら断ってもいいじゃん」
「だから、断れそうにない流れでそうなったって言ってるでしょう」
「やっぱり無理でいいじゃん」
「それができたら、こんなにしつこく頼んでないよ」
それはもっともだと思うのだが、こちらとしてはそのやり取りを見ていないので、知らんがなという気持ちでいっぱいだった。しかし、ここまで食い下がるということはいろいろ断る口実をつくろうとしたが無理だったのだろう。
「わかった」
わたしは、瑞香の頼みに根負けするかたちで承諾した。
「い、いいの?」
「うん。わたしの知り合いに声掛けて、瀬木さんにもその責任を取ってもらおっか」
瑞香と二人だけは絶対に嫌なので、他の人も道連れにすることにした。
「え、あの人呼ぶの?」
「無責任に天城さんをやり玉に挙げるなら、その責任は取らせないとね」
「それ、完全にとばっちりだと思う」
「それ、わたしにも言える?」
「ごめんなさい」
他の人に気遣えるなら、まずは親友のわたしに気を使って欲しかった。
「正直数学好きはいないと思うから、オフ会がカオスになるのは覚悟しておいてね」
「・・・あ、うん」
その状況を思い描いたようで、苦い顔で静かに頷いた。
話がまとまったところで、女性誌ノイを見ながらお互いの意見を言い合った。といっても、言い合った部分は統計のページばかりなのは敢えて伏せることにしよう。
こんな感じでわたしの一日が終わった。
3 とばっちり
一時限目が終わり、隣の稀伊が可愛らしく背伸びした。
肩の凝らなそうな胸を見ながら、あたしは少し羨ましく思った。
次の授業の準備の為、教科書のタブレットの国語アプリを閉じて、科学のアプリを起動すると、昨日終わったページが自動的に開いた。
隣を見ると、稀伊があたしと同じ行動を取っていた。
稀伊がこちらに気づき、髪を触りながら少しだけ照れたような笑みを見せた。相変わらず、あたしより女らしい仕草に思わずドキッとした。女子同士なはずなのに、なぜそうなるのか不思議な感じだった。
昼休みになり、梨乃がテンション高めで入ってきた。ここ最近、稀伊と一緒に昼食を取っていた。
あたしは、特定の誰かと一緒に食事することはあまりなく、ただ単に稀伊の隣で食事していると必然的に話すようになっていた。
結論を言うと、稀伊は良い人だ。と、可愛らしいだった。性同一性障害だそうだが、旗から見たらただの可愛い女子高生で、あたしより女子力が高いと思った。それを稀伊に言うと、そう見えるように努力していると可愛らしい仕草で答えたことに無意識に感じていた劣等感が消し飛ばされてしまった。
正直、あたしはそんな努力なんてしてこなかったし、興味がないという理由をつけて可愛くあろうとしなかった。
それなのに、勝手に他人に嫉妬して本当に恥ずかしくなった。まあ、だからと言ってこのいい加減な性格が治るわけじゃないので、傍から見たらそんな変化など誰も知らないだろうし、興味もないだろう。
昨日、梨乃たちの話の流れで適当なことを言ったが、梨乃と一緒にいた木橋が素で美人だったから心配した結果だった。あっちからしたら、いい加減だと感じただろうが、それは仕方がないと思う。
昼食を食べ終わると、あたしの机の前に梨乃が話しかけてきた。
「瀬木さん、ちょっとお願いがあるんだけど・・・」
梨乃の表情は頼み事をする顔ではなく、強引に言うことを聞かそうとする感じの声色だった。
土曜日、あたしは数学のオフ会に参加していた。
あれ、なんで?と頭を巡らせていると、一人の数学オタクがあたしの隣に座り、数学の素晴らしさを宇宙工学の知識を用いて、したり顔で説明された。
正直何を言っているのかわからなかったが、場の雰囲気を和ませろという梨乃の無言の圧力に負けて、愛想笑いと相槌で相手を持ち上げてみた。なんかキャバクラみたいだと感じたが、キャバクラがどういうところはあまりよく知らなかった。
オフ会は駅近くのレストランで団体での飲み食いができる場所だった。
参加者は梨乃と木橋、それと面識のない梨乃の友達の笠木由良(かさき ゆら)。そして、数学オタクの四人だった。
数学オタクと木橋は楽しそうにしていたが、他は愛想笑いをしているだけで楽しそうには見えなかった。(あたしも含めて)
特に、大人しそうな笠木は梨乃の傍を絶対に離れないといった感じで彼女に身を寄せていた。おそらくだが、数学オタクに恐怖を感じているのだろう。(実際、あたしも感じている)
2時間ほど宇宙工学を聞いていると、頭の中が宇宙になった。(理解不能な表現の意味で)
解放されたのは、夕日が傾きかけた頃だった。
「しんど」
満面な笑みを浮かべながら去っていく数学オタク四人を見送った第一声がそれだった。
「そうね。ねえ、瑞香。今度安易にオフ会開いたら絶交だから」
意気消沈の梨乃が、木橋を見ずに遠い目をしてそう宣言した。
「え!」
終始満足げだった木橋が、この一言でショックを受けた表情を見せた。
「あと、ごめんね。由良」
「ホント、そうですね。木橋さんにも謝って欲しいです」
よほど精神的にダメージを負ったようで、魂の抜けたような低いトーンで言った。
「ご、ごめんなさい」
木橋は反論することなく、深々と頭を下げた。
あたしも催促しようかと思ったが、木橋の謝罪を見ているともういいかと思ってしまった。
「じゃあ、あたし帰るから」
もう疲れたので、さっさと帰ってドラマを見たい気分だった。
「あ、うん。今日はありがとね」
梨乃は、軽い感じで手を小さく振ってお礼を言った。って、笠木に謝罪であたしにはお礼って・・と思ったが、まあどっちでもいいやと思い直した。
家に帰り、持っていたバッグから眼鏡型ゴーグルを取り出した。
椅子に座り、眼鏡の縁の電源を押してから眼鏡を掛けた。眼鏡型ゴーグルは一般的にメグルと呼ばれていて、昔のスマートフォンに成り代わった携帯だった。
映像は目の前に映し出されるのではなく、1メートル先に映し出されていた。これは目の錯覚を利用した技術だったが、詳細はあたしには説明できない。ちなみに、映像を立体化する技術は相手にも見えてしまう上、電力消費も半端なかったためあまり普及しなかった。やはり立体より平面の方が省エネということだろう。
操作は両手にバングと呼ばれる腕輪を付けて指を動かすとカーソルが動く仕組みだった。って、こんな常識をあたしは誰に説明してるんだろう。
手慣れた感じで指を動かして、まだ見ていないドラマを見ることにした。
あ~、やっぱりいいなこの俳優はと思っているのだが、もうこの世にはいないので憧れでしかない。まあバーチャルで会えるのだが、ボットみたいな感じであまり好きになれなかった、
古いドラマでも脚本や役者が良ければ、コンテンツで残るのは当然だった。まあ、今と違って科学の常識が塗り替えられているので、首をひねる物も多かった。例えば、マニュアル車というギアチェンジをしながら、速度を上げる仕組みなど、これはあたしには全然理解できなかった。
そのせいもあり、リメイクで作り直すドラマも数多くあったが、あたしには違和感を覚えて一話切りすることが多かった。
ドラマを見ていると、いつの間にか夕食の時間になっていた。
メグルを取り、リビングで夕食を取った。
夕食後、家族との会話もほどほどにして、部屋に戻りドラマの続きを見ることにした。
深夜に近づき、いつもの時間に就寝した。
これがあたしの休日の過ごし方だった。(訳のわからないオフ会は除外)
月曜日になり、さっそくオフ会のことを稀伊に話した。
「で、楽しかったの?」
あたしの話を聞いた最初の質問がそれだった。
「・・・」
これには黙って真顔で稀伊を見た。
「楽しくなかったんだね」
「まあ、付き合いにも人を選ぶべきだと思った」
「格好良い人はいなかったの?」
「残念ながら、メグルを掛けてる人ばかりだったわ」
メグルはだいたいポケットか鞄に入れているのが普通だが、ファッションや人目を気にしない人はよく掛けたままだった。例えば、木橋とか。
「眼鏡フェチの人にはたまらないんじゃない?」
稀伊がからかうように、可愛らしい笑みを浮かべながらそう言った。
「そうね。でも、宇宙工学とか数学定理を聞かされたら、さすがの眼鏡フェチも引くんじゃないかな」
「ふふふっ、そうかもしれないね」
その光景を思い浮かべたのか、稀伊がおかしそうに笑みを見せた。
ホームルームが始まり、この話は打ち切りになった。
昼休み、梨乃が同じ話を稀伊にしていた。
ほとんどが木橋への愚痴で、それを稀伊が優しいフォローを入れていた。それを見て、やっぱり稀伊は優しいなと思った。
昼休みが終わる予鈴が鳴ると、梨乃が土曜日はありがとうと再度お礼を言って教室を出て行った。
「そういえば、この前ミューグから出てこなかった?」
あたしは、先週の金曜日の話を稀伊に尋ねた。
「え!」
すると、稀伊が驚きの声を上げた。こんな表情は珍しいので、少し意地悪な感情が芽生えた。
「何その反応、エッチなゲームでもしてたの?」
そう言いながら、自分の表情が緩んでいるのがわかった。稀伊からしたら、嫌な顔に見えただろう。
「ミューグにそんなゲームないでしょう」
稀伊は平静を取り繕うように、的確な指摘をしてきた。
「まあね。でも、稀伊がゲームしてるなんて以外に思ってね」
「ま、まあ、私も人並みには好きだし」
「ふぅ~ん。じゃあ、今度一緒に行こうよ」
「えっ」
何気に言ってみると、驚いたような返事が返ってきた。
「あたしとじゃあ、イヤかな?」
なんとなく拒絶しそうな空気を感じて、ちょっと落ち込んだようなトーンになった。
「う、ううん。そんなことないけど。ゲーム好きそうには見えなかったから」
これには納得して、気持ちが和らいだ。
「まあ、積極的にはしないかな」
「なら、無理してする必要ないよ」
「う~ん。そうかもね」
あたしがそう言うと、稀伊が少しほっとしたような感じ息を吐いた。
ここで本鈴が鳴り、この話は打ち切られた。
授業を聞きながら、稀伊がどういうゲームをしているのか少し気になった。
放課後になり、今日は部活に行くことにした。
部室は視聴覚室の隣で、あたしの所属している部活は文化部だった。
「こんにちは~」
部室を開け、軽く挨拶した。
「あら、久しぶりね。今日は体調は良いのかしら」
ドア正面に座っていた部長こと寺林美香利(テラバヤシ ミカリ)が、ちくりと小針のような皮肉を飛ばしてきた。相変わらず、思ったことを口にする人だなと思った。
「別に、体調は悪くなかったです」
「そう。心配して損したわ。この2日間は何してたのかしら?」
「家でドラマ見てました」
「へぇ~。テレビで?」
「いえ、メグルで」
「だったら、ここで見なさいよ」
「いや~、人がいると気が散るんで」
「そっ」
もう興味がなくなったのか、ゆっくりと顔を下に向けた。
「部長は何してるんですか」
あたしはそう言って、正面の長机から回り込んでからそう聞いた。
「ん~?昔の小説よ」
寺林は、メグルのケースをこちらに向けてきた。メグルには専用のケースがあり、それに入れて連結させると、昔のスマートフォンと同じように使える便利な物だった。ちなみに、メグケーと呼ばれている。
「昔の言葉ってたまに訳わからないことがありますよね」
「そうね。古文ほどではないけど、もう使わない言葉が結構あるかもね」
「古文はあたしにとって呪文と変わらないです」
「あははっ、そうかもね」
表現が面白かったのか、寺林が口を押えて笑った。
「そういえば、今日は部長一人ですか?」
未だに誰も来る気配がない部室を見回して、寺林に聞いてみた。
「どうだろう。そろそろシズが来ると思うけど」
「駒沢先輩ですか」
「うん。他はバイトとか瀬木みたいなサボりとか」
「そうですか」
最後が余計だったが、ここはスルーすることにした。
「文化部の活動って、基本的に自由な感じですから仕方ないですね」
「いっそ、小説部にしましょうか」
「それ、二人しか参加しないんじゃないですか」
「えっ、そこに瀬木はいないの?」
「ドラマの小説は興味ないですね」
「相変わらず、人を見るんだね」
「演技は文化ですよ」
「そうね~。格好良いもんね」
「ええ。部長もどうですか。ハマりますよ」
「昔のドラマって、過剰な気がするから、私にはどうも好きになれないのよね~」
「オーバーリアクションがいいんじゃないですか」
「凄いことはわかるけど・・・」
寺林は言いにくそうに、あたしから視線を外した。
「まあ、無理強いはしませんが、気が向いたら見てみてください」
少し自分が熱くなっていることに気づき、自己嫌悪に陥った。こういう感情的になるのが嫌で、他人に対していい加減な感じを表に出しているのだが、趣味の話になるとどうもそのコントロールができないでいた。
「小説部なんてピンポイントな部活は同好会どまりがもしれないね」
「そうですね。文化部のいいところは幅広いところですよ」
「あと懐が深い」
寺林はうまい冗談だろうといった感じで、得意げな顔をした。
「こんにちはー」
つっこむどうか悩んでいるところに、駒沢が入ってきた。
「遅かったわね。今日は可愛らしい女子と話していたから遅れたのかしら」
寺林が机に両肘を置いて指を組んでから、ちくりと小言を口にした。それを見た瞬間、古臭い演技だと思うと同時に、そういう演出が好きなら昔のドラマも好きになれると勝手に思った。
「ちょっと外回りの掃除だったから遅れただけよ」
寺林の言葉を意に返さず、しれっと理由を説明した。
「面白くない答えね」
「修辞がないのは認めるけど、言い方が酷いわ」
駒沢はそう言いながらも、表情は綻んでいた。もう寺林の扱いも手慣れたものだった。
「しゅうじって、今時そんな言葉伝わらないわよ」
「美香利は、古い小説を読むから伝わるでしょう」
「まあ、私には伝わるけど」
「なら、問題ないわ」
どうやら、人を選んで語彙を選んでいると言いたいようだ。
「今日は玲愛もいるのね」
ここでようやく駒沢が、あたしの方を見てくれた。
「部会への報告書を作成しないといけないんだけど、今回はどうしようか」
駒沢が座ったところで、困った顔で切り出してた。部会とは部活報告会の略で、一定の成果を求められていた。
「適当にでっち上げでいいんじゃないですか」
「ふむ、それで手芸部が部停されてたわ」
「今の話はなかったことにしてください」
あたしは、即座に自分の提案を棄却した。
「他の三人には、前回の部会の報告書を作ってもらったから、今回は三人で考えましょう」
「そうね。なら、この本の著者を深掘りするのはどうでしょう」
駒沢はいつも持っている紙の本を掲げて、とても嬉しそうな顔でそう言った。
「却下。文化部なのに、人物の生い立ちなんて報告したら、総勢でつっこまれるわ」
「確かに、それじゃあ、偉人伝みたいになっちゃいますね」
「偉人なのは間違いないわね」
駒沢は、真顔でこちらを見つめて言い切った。
「そうっすね。部長的には何しようと思ってるんですか」
こうなると、先日のオフ会のような別世界のお話を聞かされてしまうので、軽い感じで終わらすことにした。
「そうだね。落語なんてどうだろう」
「落語ですか・・あたしには知識のない分野ですね」
「部会まで時間はあるし、これから知っていけば問題ないわ」
「そう、ですか」
戦力外を前面に押し出したが、寺林には伝わらなかった。
「という訳で、今週の日曜とかに落語を見に行こうと思います」
「え」
突然の提案に、あたしの思考は真っ白になった。
「それって三人でってことですか?」
「当然でしょ。三人で報告書を作成するんだから」
寺林のしたり顔を見て、今日は来なければよかったと強く思ったが、よく考えると先延ばしになるだけだと気づき、その考えは改めた。
「報告書って、具体的にどういう感じにまとめるんですか」
「ああ、瀬木はまだ関わったことなかったわね」
寺林はそう言って、隣にある戸棚の小物入れを漁り、一つのマイクロチップを手渡してきた。
「なんです、これ?」
「前回、幽霊部員の三人が頑張って作ってくれた報告書よ」
「何について調べたんですか?」
「家紋」
「え?」
「だから、武家とか公家の家紋だって」
「えっと、マニアックすぎてわかりません」
おそらくだが、数百年前の城とかにある紋様だろう。それ以外の知識はあたしには全く知らなかった。
「ふふふっ、美香利と同じ反応ね」
ここで駒沢が、上品に笑いながら寺林の方を流し見た。
「これは誰でも通る道よね」
寺林はそう言って、つられるように微笑んだ。
「メグケーに差せば、誰でも見れるから」
マイクロチップをメグケーに差し込み、タッチパネルで操作した。
複数のファイルから目的のファイルを見つけて開いてみると、文字と家紋らしき画像が映し出された。
「なるほど~。こういう風にまとめるんですね~」
一通り見て、感心しながら寺林の方を見た。
「正直な話、まとめサイトに載ってるのを彼らの文章力で変えただけなんだけどね」
寺林はそう言いながら、メグケーを眺めていた。
「じゃあ、落語もそういう感じでいいんじゃないですか」
「ダメだよ。落語は生き物だから」
「生き物ですか」
「そっ!だからこそ、寄席(ナマ)で見ないと意味がないのよ」
「録画じゃあ、ダメですか」
「それもダメ♪」
「そっすか」
これは説得はダメだという諦めの言葉が口に出た。あたしって押しに弱いな~と、思う今日この頃だった。
「部長は、落語を見たことがあるんですか?」
しょうがないので、基本的なことを聞くことにした。
「ないから行くんじゃない」
「そっすか」
同じ言葉ではあったが、呆れに近い意味合いを含んでいた。
「駒沢先輩も見たことないんですか?」
「チャンネルで見たことあるぐらいかな。古い言い回しでなかなか面白かったけど、何回か見て飽きちゃったかな」
「飽きたんですか?」
「うん。定番を超える落とし噺が出てこなかったことが飽きた要因かな。でも、寄席で見たら考え方変わる可能性があるわね。楽しみだわ」
「そっすか」
話の流れ上、多数決で断念させようと思ったのだが、どうやら先に根回しされていたようだ。
こんなことなら、オフ会とバッティングすればよかったのにと思ったが、どっちも行きたくないのでこの考えは封印した。
曜日と時間を決め、今日は解散となった。
あたしは溜息をつきながら、帰路に就いた。
4 サテライト
私こと木橋瑞香は悩んでいた。 理由は明白で、あのオフ会以来梨乃の付き合いが悪くなったことだった。
「はぁ~、どうしようかな~」
私は溜息をつきながら、どう梨乃と昔のように仲良くなれるかを考えた。というか、こんなに他人のことを考えるのは自分でも驚くべきことなのだが、今はそんなことすら思い浮かべる余裕はなかった。
「数字以外でこんなに悩むなんて、しかも解がない」
まあ、解のない数式は数学界にはいくらでもあるけど。
「う~ん」
メグルで二次不等式の解なしの問題を眺めながら、首を斜めに傾けた。他人に相談しようにも、親は父親のみで相談しにくいし、他の友達なんて梨乃以外ほとんど知り合いレベルで相談できるほど親しくなかった。
「そうだ」
解がないなら、きっかけをつくろうと思った。
「放課後、ミューグ行こうよ」
休み明け、私は梨乃の机の前で弱々しい声で誘った。正直、これで断られたら私の精神はかなり傷心する。
「ああ、前に言ってたね」
「う、うん」
断られることを恐れて、視線が宙を泳いだ。
「どうしたの?なんか、いつもと違うね」
「ま、前は強引に誘ったから、その・・・」
オフ会のことを蒸し返すと、機嫌を損ねると思い言葉にはできなかった。
「いいよ。行こうか」
「え、本当!」
これには嬉しくて声のトーンがかなり上がった。
「なんでテンション上がるのよ」
それを不思議に思ったのか、梨乃が眉をひそめながら聞いてきた。
「断られるかと思って」
「なるほど、オフ会の件が効いてるのね」
「う、うん」
少し申し訳なく思って、テンションが下がった。
「そこまで消極的にならなくても、あの時は勢いで言っただけだから、あんまり思い詰めなくていいよ」
私の態度を見た梨乃が、気を使うようにそう言ってくれた。
「でも、オフ会以来素っ気ないし」
「そう?いつも通りだと思うんだけど」
「絶対に素っ気なかった」
私の経験からそこだけは断言できた。
「そっか。だとしたらゴメン」
梨乃は、私の真顔に少し戸惑いながらも謝ってくれた。
そして放課後になり、私は梨乃に説明するよう視線を送っていた。
「どうかした?」
校舎を出たところで、ようやく私の視線に気づいてくれた。
「えっと、なんで天城さんと瀬木さんがいるのかと思って」
後ろで話している二人をチラッと見てから、梨乃の方に視線を戻した。
「お昼にミューグの話したら天城さんもやってるみたいだから誘ったの♪」
「そ、そうなんだ。ちょっと意外。で、瀬木さんは?」
「行ったことないからこれを機に行ってみようってなって」
「ついてきたってこと?」
「そっ」
瀬木の方はおまけみたいな感じだったが、後ろを見る限り彼女が天城を強引に連れてきたように見えた。
ミューグに着き、カウンターにあるタッチパネルの前で立ち止まった。カウンターには店員はおらず、タッチパネルで部屋を選び、料金はメグケーで払うのが一般的だった。
「どうしよっか」
梨乃はそう言って、私たちの方を見た。部屋はシングル、ダブル(ペア)、パーティールームの三種類で、三人以上はパーティールームを使うのが常識だ。
「えっと、ワタシはシングルでいいかも」
そんな中、天城が控えめな感じでそう言い出した。
「え、なんで?パーティールームの方がシングルより安いじゃん」
これに瀬木が、不思議そうに天城を見た。
「そうだよ。パーティールームにしよう」
梨乃は天城の意見を聞かず、タッチパネルでパーティールームを選んだ。
梨乃が先に、割り勘分の料金を払い、私と瀬木がそれに続いた。天城は何か言いたそうだったが、観念したようにメグケーをかざして割り勘分の料金を支払った。
部屋は十畳ほどで、リッチなリクライニングチェア、奥にはソファがあり、左側には横になれるマットレスが敷いてあった。
「じゃあ、天城さんはどこにする?」
入ってすぐに、梨乃が聞いた。
「え、えっと、じゃあ、リクライニングで」
天城は少し困った顔で、一人用のリクライニングを選択した。まあ、無難かなと思ったが、梨乃を見ると不満そうだった。
そこから瀬木が口を挟みながら、最終的にソファに私と梨乃、瀬木と天城がリクライニングになった。
定位置が決まったところで、近くにある脳波を読み取るヘッドギアを装着して、ミューグ専用の2cmの厚みのあるゴーグルを付けた。
ゴーグルに映像が浮かび上がり、ゲームの種類が表示された。
私がサテライトというゲームを選択すると、ログインをした後、視界が開けてフロアに立っていた。
手を握ると、自分のアバターが手を握った。感度は今日も良好のようだ。
目の前を見ると、三人のアバターが立っていた。
一人は片腕のない男性で、その肩に小柄な子狐が乗っていた。
その左側には、スラっとした髪の長い女性がいて、大きな水晶玉の杖を持っていた。そして、杖の周りにはお経のような文字がグルグルとらせん状に回っていた。
そして三人目は・・・。
「っていうか、なんで天城さんはそのまんまなの」
全員が聞きたかったことを、私が一番最初に開いた。天城の姿そのまま過ぎて、さすがにこれには驚きしかなかった。
「え、えっと。アバターって選べないので」
そう。このゲームの特徴はアバターは毎回自分の脳内の状況に応じて変化する為、日によってアバターが変わる仕様になっていた。
「それより、あたしは0と8が身体全体に巻き付いているのが気になるんだけど」
髪の長い女性、おそらく瀬木が私を見て呆れたように指摘してきた。
「これはファッションです」
私は、自慢げにそう言い切った。アバターになると、なぜか不思議と強気に出れた。
「そ、そう・・・」
何か言いたそうだったが、言葉が続かなかった。
「えっと、この男性はもしかして梨乃?」
天城は周りを見てから、恐る恐る男性にそう聞いた。
「そだよ」
すると、男性ではなく子狐が応えた。
「え?」
「は?」
これには瀬木と天城が、唖然としたように子狐を見つめた。
「わたしのアバターはモフモフ系で、戦うのはこの片腕の戦士だよ」
「え、そんなことできるの!」
この事実に、瀬木が驚いた様子で一歩梨乃に近づいた。
「うん。なんでもありだからね。いろいろ対応してくれるからこのゲームは人気なんだよ」
「でも、なんで片腕なの?不便じゃない?」
これは誰しもが疑問に思うだろうが、あまり聞くことはお勧めできなかった。
「ああ、気にしないでいいよ。趣味みたいなものだから」
なので、ここは私が話を遮っておくことにした。
「片腕だからいいんじゃない」
が、梨乃が興奮しながらそう力説した。
「どういうこと?」
ここで天城が困惑したように、梨乃ではなく私に説明を求めてきた。
「あ~、そういう趣向の人としか・・・」
障害者好きとは言いにくく、自然と天城から視線を逸らした。
「んっと、要するに片腕の人が好きってこと?」
「まあ、有り体に言えばそういうこと」
「そ、そう」
あ、わかりやすく引いた。
「それにしても杖って、文字が巻き付く仕様なの?」
瀬木は自分の杖を見ながら、気持ち悪そうに文字を読もうとしていた。
「ああ、これは最近自分が見たり聞いたり読んだりしたものが具現化してるだけだから」
「え、そうなの?あ、なるほど。そういうことか」
文字の意味を理解したようで、溜息交じりに納得した。
「で、このゲームって何が目的なの?」
瀬木は、周りを見ながら聞いてきた。
「ああ、それはAIだよ」
「どういうこと?」
梨乃の簡単な説明では、瀬木には理解できなかった。
「ラスボスがAIってことよ」
ここで補足するように、天城が的確な言葉で言い直した。
「ああ、なるほど」
これには納得したようで、何度か小さく頷いた。
「一応、レベルの概念はあるけど、このゲームは基本的に何しても自由だから」
「それってゲーム性があるの?」
「一応部屋にも種類があって、初級、中級、上級があって、だいたい学生は中級が多いかな」
「無双するやつとか出てきたら、面白くなくない?」
「ああ、そういう人は超越級っていう隔離部屋に直行だから安心して」
「どういうこと?」
「基本、このゲームはAIが運営していて、個人やパーティーに合わせて部屋に招く仕組みになってるの。ちなみに、この場所はフロアっていってパーティーの待ち合わせ場所ね。個人の時はすぐにデータを読み込んで指定の場所に移動させるから」
「ふ~ん。いろいろ考えられてるのね」
私の説明に、瀬木が感心したように周りを見回した。
「っていうか、説明してたら時間なくなるんだけど」
子狐の梨乃が、不満そうに口を挟んできた。
「まあ、初心者だし。説明は必要だと思うよ」
天城はそう言って、優しい笑顔をつくった。
「ま、まあ、天城さんがそう言うなら」
梨乃は少し照れたように顔を逸らしたのだが、子狐なのでなんとも言えない愛くるしさがあった。
「なら、移動しながら説明してよ」
「じゃあ、初級から行こうか」
私はそう言って、右上にあるメニュー画面を開いた。
「え、ラスボスは?」
「今日はいいよ」
梨乃の横やりに、私は肩を竦めてそう答えた。
「まあ、瑞香がいいならそれでいいけど」
「天城さんもそれでいいよね」
私は、黙って見守っていた天城の方を流し見た。
「あ、うん。ワタシはどっちでもいいよ」
天城は、現実と変わらない表情で柔らかく微笑んだ。相変わらず、可愛い対応だ。
瀬木にルーム移動を教えてから、全員が初級の街に移動した。
移動は文字通りあっという間で、ローディング画面は出ずに一瞬真っ暗になり、すぐに建物が周りを出現した。
「凄いね」
瀬木には初めての経験だったようで、驚きを隠さず周りを見回した。
「ここでするのは、NPCと話してどのクエストをするだね」
「えっと、NPCって何?」
そこからかと思ったが、初めてなら仕方がないとも思った。
NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の説明を終え、クエストの受け方と道具屋の場所と宿屋の役割を教えた。
「武器とか防具は売ってないの?」
「それは自分のイメージでなんでも具現化できるから」
「そうなんだ」
あまり信じてないような返事だったので、試しに拳銃を何もない空間から創って見せた。
「おお、凄い」
「基本、イメージできないとこのゲームは弱小の魔物にも勝てないから注意して」
「え、そうなの?」
「うん。このゲームが学生に人気なのは、頭の固い大人が少ないことに起因してるの」
「えっと、それと勝てないことと何か繋がりがあるの?」
「ある。物理法則とか等価交換とかの常識が頭にあると、このゲームじゃあボスには一生勝てないのよ。勝つ方法は突飛な発想。人間にしかない思考の飛躍でしかないの」
「なんか難しそう」
「慣れればそうでもないけどね」
そうは言っても、このゲームに合うかどうかは本人次第なので、私がどうこう言えなかった。
街を出て、周りの草原を歩いた。
「これってさ。身体も動いてるの?」
瀬木が自分の足を見て、そんなことを呟いた。
「身体は動いてないよ」
これに天城がさらっと答えた。
「そっか。なら、安心だ」
納得したのか、それ以上は何も言わなかった。
ある程度進むと、ようやく魔物とエンカウントした。絶滅したニホンオオカミだった。
「可愛い」
それを見た瀬木が、そんな感想を漏らした。どうやら、彼女は犬派のようだ。
「まず、あれに勝てないとこのゲームは無理だね」
梨乃はそう言いながら、周りを注意深く観察した。三頭までは雑魚敵なのだが、たまに物凄い数で手に負えなくなるので、警戒するのはこのゲームでは基本中の基本だった。
「で、どうやって、倒すの?」
瀬木がそう聞くと同時に、狼が襲い掛かってきた。
「わっ」
瀬木が驚き、後ろにたじろいだ。
「ダメ」
私は冷静に、0の数字で狼から瀬木を守った。
0が狼の突進を跳ね除け、狼が後ろに下がった。
「言っておくけど、攻撃を受けて動けないとかやられたとか思った瞬間死ぬから注意して」
「え、無理ゲーじゃん」
「そうね。だからこそ面白くもあるんだけど。基本的なこと言うと、この世界の魔物と呼ばれるのは、幻獣とか絶滅した動物が多くて、生態系も現実とほとんど同じだから。あ、でも逃走はプログラムで制限されてるわ」
私がそう説明している間、狼は警戒して近寄ってこなかったが、逃げる気配はなかった。
「まあ、逃げたら面白くないし、ゲームじゃないしね」
瀬木は納得するように、狼を横目で見た。
「倒し方は人それぞれだから、瀬木さんの思うように戦ってみて。あ、でも、急所の攻撃だけは避けてね。一発で即死だから」
「えっと、まず見本を見せてくれない」
私の一通りの助言を聞いた瀬木が、申し訳なさそうにお願いしてきた。
「いいよ」
私は見本を見せる為、狼と戦った。
「こんな感じ」
正直、一撃だった。8の数字を高速回転し、狼の体力を削り切った。
「えっと、あんまり参考にならないんだけど」
瀬木は困った顔で、私の後ろにいる二人を見た。
「しょうがないな~。お手本見せてあげる」
そう言ったのは、子狐の梨乃だった。
そこからエンカウントする為に少し歩いた。
そして、私と同じように戦士が狼一頭を一撃で倒してしまった。
「二人とも、レベルの差を見せつけても意味ないと思うんだけど・・・」
見兼ねたのか、天城が控えめにそう言ってきた。
そういう訳で天城が戦うことになった。
エンカウントしたが、狼が二頭いた。
どうするか見ていると、二頭相手に天城が肉弾戦で応戦した。
「こういう風に、動いて倒せばいいから」
そう言って素手で一頭倒していたが、天城の動きは普通じゃなかった。
「えっと、うん」
人の動きを超越している天城を見て、困ったような返事になった。
「身体を動かすのが苦手なら、漫画とかの魔法でもいいから」
最後の一頭は、カウンター気味の火球で倒してしまった。
「全然参考にならない」
最終的な結論がその一言で終わってしまった。
「最弱な魔物で無理なら、このゲームは向かないかも」
「あのさ、一つ聞きたいんだけど噛みつかれたら痛いの?」
「身体に少し電流が走るから、痛みがあると言えばあるかも」
確かにダメージは実際に痛いと感じるのだが、激痛という訳でもないからあまり気にしてなかった。
「それ聞いただけで、もう戦いたくないんだけど」
痛みがあるという恐怖が、瀬木のやる気を削いでしまったようだ。
「大丈夫、軽い痛みだから。慣れてくると気持ちよくなるよ」
梨乃は安心させるためにそんなことを言ったようだが、傍から見てるとただ性癖を暴露したようにしか見えなかった。
「え、あ、うん。でも、あたし痛いのは好きじゃないんだ」
瀬木の言葉は、どう言おうが悩んだような返しだった。
「初級はメモリが1、2GBだから、簡単に対応できるはずなんだけど」
ここで天城が、専門的な助言をした。
「メモリ?何それ?」
「処理能力の話。AIは同じだけど、映像の処理能力が低いの。ちなみに、ワタシ達のメモリは最大の処理能力だから、倒せないなんてことはないよ」
「えっと、つまり、速さに限界があるってことかな」
「うん。そういうことだね」
理解してくれたことが嬉しいようで、両手を合わせて何度か頷いた。
「わかった。少し頑張ってみるよ」
ここで諦める人が多いのだが、瀬木は私たちを見てもう少し付き合うことにしたようだ。
それから1分後、ちょうどよく狼より若干動きの遅い島ワラビーが現れた。サイズは人に合わせて少し大きく設定されていた。
「可愛い」
それを見て、瀬木がポロッとそんなことを呟いた。
「これなら倒せるんじゃない?」
梨乃は、少しテンションを高めで言った。
「なんか魔物が可愛いと倒しにくいんだけど」
それは大いにわかる。
「じゃあ、メニューの設定でファニーとリアル、あとホラーの描写もあるから好きに設定したらいいよ」
ちなみに、私はリアルでグロ表示はNGにしていた。
「そういうのあるんだ」
瀬木はそう言いながら、斜め上に出ているであろうメニューの設定を見ていた。
その間、島ワラビーが攻撃を仕掛けてきていたが、私がゼロの盾で完全に防いでいた。
「変な顔」
どうやら、ファニーに設定したようでおかしそうに笑っていた。
「これなら戦えそうだわ」
見た目が違うことで、倒せるイメージが湧いたようだ。
瀬木の戦い方は、中遠距離の間合いで魔法を使うようだ。
「ねえ、倒せないんだけど」
数分後、肩で息をした瀬木が困った顔でこちらを見た。
「瀬木さんは、質量の保存の法則を意識しすぎてるんだよ」
この世界はあくまでもゲームなので、物理法則や重力は考えていたら、このゲームの魔物は絶対に倒せないという現実主義者には最高難易度のものになっていた。
「魔法は、こうするんだよ」
私はそう言って、右手から炎をイメージして具現化して見せた。
「おお」
少し大きめな火球に、瀬木が驚いたような声を出した。
「で、こうする」
その瞬間、炎が手元から消え、島ワラビーに直撃した。
「え!」
これには唖然として、瀬木が倒れた島ワラビーを見てから私を凝視した。
「当てるんじゃなくて、当たったイメージしないと回避されるから」
「ごめん、意味がわからない」
どうやら、瀬木はこのゲームには向かないようだ。
「予測より結果をイメージできるかだね」
ここで梨乃が、暇そうに男の肩で寝転がりながら言った。
「倒すイメージがないと、一生倒せないよ」
「それで倒せるんだったら、ステータスって意味なくない?」
これはなかなか鋭い指摘だった。
「そうね。ステータスはあくまで基準だから、このゲームの肝はどれだけ自分の思考能力で戦えるかだから。ちなみに、私は中級のラスボスまで行けるけど、最初は初級の魔物と地道に戦って思考能力を高めていったわ」
「ふーん。レベル的にどれくらいまでいったの?」
「え、見たい?いいよ♪」
自分の自慢のステータスに興味を持ってくれたことが嬉しくて、1オクターブ声が高くなった。
私はメニューから共有画面を開き、瀬木に頭を近づけ赤外線でデータを転送した。
「0と8しかない」
「凄いでしょ!」
予想通りの反応に、私は嬉しくて自然と笑顔になった。
「なんで0と8?」
これは当然の疑問だろうと思い、ノリノリで説明しようとすると、梨乃が間に入ってきた。
「ねえ、もう時間ヤバいんだけど」
そう言われて視線を上に向けると、規定の時間が迫ってきていた。
「なんかゴメン」
すると、瀬木が申し訳なさそうに謝ってきた。
「別に、気にしなくていいよ」
これにいち早く答えたのは梨乃だった。
「初心者が中級行っても面白くないし、何もできないからね」
「ここで慣れておかないと、このゲームは楽しめないもんね~」
梨乃に共感するように、私もフォローを入れておいた。
「ありがとう」
気を使われたことに、瀬木は素直にお礼を言った。
「ごめんね。稀伊」
「気にしなくていいよ」
天城は少し表情を緩めて、軽く片手をあげて首を横に振った。ゲーム内でも天城は天城だった。
「今度一緒に来る時は戦えるようになっとくから」
序盤に瀬木のように苦戦する人はここでやめるのだが、彼女は諦めないようだ。
「無理しなくていいよ。合わない人は合わないから」
「稀伊ができるのなら、あたしもできる」
その自信がどこから来るのかは知らないが、そういう思い込みはこのゲームでは必要なものなので、きっとできるようになるだろうと私は勝手に思った。
時間になり、強制ログアウトの表示が出て、ゲームが終了した。
目を覚まし、ゴーグルを外して隣の梨乃を見た。
「う~ん。重力を感じるね」
梨乃は、ゆっくりと立ち上がってそんなことを言った。私の方はその感想は特にないが、子狐だった梨乃には重く感じだろう。
「なんか太った感じがして嫌だね」
その気持ちはわからなくはないが、口にすると気分が重くなるので言わないで欲しかった。
「ふぅ~、なんか疲れちゃった」
瀬木がゴーグルをおでこまで上げて、首をゆっくりと左右に動かした後、左右の手で交互に肩を揉んだ。これは座りっぱなしが原因ではなく、胸のせいで肩が凝っているだけだろう。あ、なんかさらに気が重くなった。
「帰ろうか」
声の方に振り向くと、天城が鞄を持って出入り口に立っていた。
「そうだね」
梨乃は同調しながら、鞄を持って天城の方に駆け寄った。
ミューグを出て、瀬木に0と8の素晴らしさを私は語り聞かせた。特に、0の発見は人類史上最高峰の発見だと私は思っていた。
別れる時、瀬木が元気ないような感じがしたが、自分の好きなものを話せた満足感で私は満たされていた。
「可哀想に」
隣から梨乃の呟きが聞こえたが、何が可哀想なのかよくわからなかった。
今日はラスボスに挑めなかったけど、梨乃と仲直りできたことで目的は達成されたので良しとしておくことにした。
5 激闘
ワタシは家に帰り、ようやく緊張から解放された。ミューグに誘われた時はどうなることかと思ったが、事なきを得てほっとしていた。
ミューグに出入りしていることを玲愛に見つかり、なし崩しで梨乃の誘いを受けたのだが、いつものアバターになっていなかったことには安堵しかなかった。
これからも彼女たちとミューグに行くと思うと、もうサテライトはやめようかという気になってきた。しかし、あのゲームの自由度は好きなので、こっそり行くかもしれない。
そんなことを思いながら、今日の課題を片付けることにした。昔でいう宿題である。
すると、部屋のドアが開き、姉である陽菜乃(ヒナノ)が入ってきた。髪は肩より少し長く、目はワタシより少し大きいくらいで、気さくな性格だった。
「ノック」
ワタシは溜息をつきながら、動詞のみを口に出した。
「固いこと言うなよ~。姉弟なんだから」
「親しき中にも礼儀ありでしょ」
「お堅いな~。昔はもっとズボラだったでしょ」
「陽菜乃ほどじゃないけど」
ワタシは姉のことをいつも名前で呼んでいて、お姉ちゃんとか姉さんとかで呼んだことがなかった。
「もう、すっかり女の子なんだね~」
姉がワタシを見て、複雑そうな顔をした。大ごとにした張本人にそんな顔をされるのは、酷く不愉快ではあるが、自分の失態でもある分強くは責め切れないでいた。
「そうね。気が楽になったわ」
嘘である。家でも学校でも気が抜けないし、正直な話今のワタシには気が休まる場所はなかった。
「今日も遅かったね」
陽菜乃はそう言って、いつものようにベッドに腰掛けた。
「ミューグに行ってた」
だからこそ、ミューグに入り浸る生活を送っている。
「あれ、やったことあるけど、わたしには無理だったわ」
「陽菜乃は、現実主義者だからね」
「まあ、不向きなのは認めるわ」
性同一性障害と見なされてから、陽菜乃はよくワタシの部屋に来るようになった。気を使ってることは知っているが、本当に迷惑なのでやめて欲しかった。
「で、用事は何?」
早く出て行ってほしいので、さっさと用件を聞くことにした。
「ちょっと、ファンデ切らしたから、借りようかと思って」
「今から買ってこればいいでしょ」
時間的にも薬局は開いているはずだった。
「だから、買いに行くために借りにきたの♪」
「母さんの借りればいいでしょう」
「それ、本気で言ってるの?」
陽菜乃は、半目でワタシを睨んできた。まあ、これは半分冗談だったので、責められても仕方ないと思った。
「ちゃんと返してよ」
ワタシは鞄に入っているファンデを取り出して、姉に投げてよこした。
「ありがと♪」
陽菜乃は軽くお礼を言って、上機嫌で部屋から出ていった。
次の休み、朝からミューグに行った。
シングルルームを選び、いつもようにリクライニングに座ってゴーグルを掛けた。
目をつむると、すうっと意識が遠のいた。
気がつくと、上級の街に立っていた。アバターは細マッチョの男で髪はかなり長かった。これは自分が女という思い込もうとしている弊害だと思う。
毎回アバターが変わるのは、個人的に助かる仕様だったが、たまに自分の顔がそのままアバターになるのは、個人情報漏洩になるのでやめて欲しかった。というか、選べる仕様にして欲しいと思った。
シングルプレイでもイベントを発生させる為、NPCに話すことは変わらなかった。
前に、クリアできなかったNPCに声を掛け、イベントを発生させてから指定の場所まで転移で移動した。
また最奥まで行かないといけないが、これは仕様なので仕方なかった。
数十分掛けて最奥に辿り着くと、前に負けた相手がたたずんでいた。
このゲームの特徴は初見での攻撃は基本的に当たるのだが、二度目の同じ攻撃は通じにくくなっていた。これはAIの四則演算で対応しているせいで、メモリにかなり依存して動かしていた。
このイベントのボスはドラゴンで、体格が人の三倍近くあり、明らかにこちらが不利になっていた。まあ、だからこそ上級なのだが。
初手は決めていて、ダメージの高い近距離での放射型レーザーだった。
瞬間移動でドラゴンの後ろに移動し、振り返りながらレーザーを放った。
ドラゴンの片耳が吹き飛び、初手の攻撃は成功した。これでレーザーでのダメージは期待できなくなった。
正直、この攻撃ができるようになったのはここ最近で、レーザーなんて熱エネルギーの概念が邪魔をしていたが、1週間前ぐらいになんとか固定概念を払拭して撃てるようになった。
いろんな攻撃を仕掛けながら、ドラゴンの未知数の体力を削っていった。
思考が鈍り始めると、ドラゴンの攻撃が少しずつ当たり始めてきた。ドラゴンの攻撃バターンは数百にものぼり、たまに死角からの攻撃回避は激ムズだった。
そこからは激闘だった。これでも全力じゃないAIは本当に底知れないと思った。
肩で息をしながら消えていくドラゴンを見て、ワタシは満足感に浸った。これがこのゲームの醍醐味で、脳内にアドレナリンを分泌する為だけにAI主導で作ったゲームはミューグが世界初だった。
クリアしたことに満足して、今日は帰ることにした。
ミューグを出ると、最悪なことに亀水と鉢合わせてしまった。
「お、お~、天城じゃん」
ワタシとは裏腹で、凄く嬉しそうでちょっと引いた。
「私服も可愛いな」
こっちはしたくてしているわけじゃないから気持ち悪く感じた。
「き、奇遇だね」
ここで拒絶するのは、ワタシの性分に反するので、外面をまとって可愛い女子に徹することにした。自分を殺すのはもうあの日以来苦痛ではなくなっていた。
「運命かな」
もうその一言一句が気持ち悪い。誰か助けて欲しい。
「どこかに遊びに行くの?」
聞きたくもなかったが、このまま話し込むよりは数段マシだと思った。
「ああ、暇だからミューグに行こうと思って」
「あ、そうなんだ」
ワタシは、少し横にズレて道を譲った。
「天城もミューグで遊ぶんだな」
「え、あ、うん」
否定しようにも、ミューグから出てきたところなので否定はできなかった。
「だったら、もう一回一緒に行こうぜ」
「ごめん。もう帰らないと」
別に用事はなかったが、亀水と遊ぶのは身の危険を感じた。
「そっか。じゃあ、また今度一緒にミューグで遊ぼうぜ」
「う、うん。機会があれば」
ワタシは少し表情を緩めて、検討するという曖昧な言葉で返しておいた。
「ああ、じゃあな」
「うん。またね」
家では落ち着かないからミューグに来ていたが、ここ最近は気が抜けない状況が続いた。
家に帰ると、誰もいなかった。これは珍しいことなので、久しぶりに男の姿に戻ることにした。
化粧を手早く落とし、押し入れに仕舞っているTシャツ着て、リビングのソファーにドカッと腰を下ろした。
テレビを点けて、ボーっとした。もう嘘だと言おうかというぐらいリラックスしていた。
30分ほどチャンネルを変えながら見ていたが、どれも内容が入ってこなかった。理由は、再放送ばかりというのが原因だった。衰退したテレビは今では規制ばかりの低予算という最悪な状態で、大掛かりなことができないせいで再放送という苦肉の策で存続している状態だった。
そろそろ家族の誰かが帰ってくる気がしたので、名残惜しいが女を装うことにした。
そんな生活がいつまで続くのか不明だが、高校卒業したら絶対に一人暮らしをしようと心に誓っていた。
休み明けの昼休み、玲愛が自慢げにサテライトが上達したと言ってきた。どうやら、土日でやりこんできたようだ。なんでこういう余計なことは積極的にするんだろうと疑問に思った。
「だからさ、また四人で行こうよ」
そう言われてチラッと梨乃を見ると、特に拒否する表情ではなかった。
「ワタシは・・いいよ」
悩んだが、どうせこの答えしかできないので少し間を開けて頷いた。あとは梨乃と友達の木橋が断ってくれるのは祈るだけだ。
で、放課後にミューグに行くことになった。ワタシの願いは叶わなかった。
木橋はウキウキしながら、前方を梨乃と一緒に歩いていた。
「ところで、瀬木さんは中級いけそう?」
木橋は振り返って、ワタシの隣にいる玲愛の方を見た。
「あ~、それは知らない」
「あ、初級でイベントこなした感じ?」
「そんな感じ。ボス倒したよ、一人で」
「へぇ~、それならメンバー組んで中級もいけるかも」
初心者と熟練者が組めば、上級は難しいが中級なら問題なかった。おそらく、木橋が言いたのは、中級でも戦っていけるという意味だろう。
前と同じようにパーティールームを選んで、座り位置も一緒にしてもらった。最初は動揺したが、二回目になるとあまり抵抗はなかった。
ログインして画面が暗転すると、正面に三人のアバターが立っていた。今日のワタシのアバターは、前と同じような感じだった。これは強く思い願った結果といえるだろう。
木橋と梨乃は服装は違えど同じアバターだったが、玲愛は全然違うアバターになっていた。
「何をイメージしたの?」
最初に話を切り出したのは木橋だった。
「これ?ふふん♪よくぞ聞いてくれました」
玲愛は得意げな顔で、男になったアバターの胸を叩いた。
「私の好きな俳優よ」
玲愛のドヤ顔に、全員が無言になった。
「こんな俳優いたっけ?」
俳優には詳しいのか、梨乃が首をかしげながらそう言った。
「今は死んでるね。昔の俳優」
「いつの時代?」
「昭和」
「昔過ぎてわからない」
確かに、その時代の俳優の知識はワタシにもなかった。
「かなり演技派でね。私は好きなんだ~」
彼が出ているドラマをを思い出しているのか、うっとりした感じでそう独白した。
「じゃあ、わたしみたいに遠隔で動かしたら?外側から格好良い姿が見れるよ」
梨乃はそう言いながら、子狐の前足で、片腕の戦士の頬をペチッと叩いた。
「それ、試したんだけど・・あたしには無理だった」
「え、コントローラーとか使ったことないの?」
「レトロゲーム?ないね」
玲愛はそう言って、苦笑いしながら頬を掻いた。俳優の仕草がどうも女っぽくて、ホモみたいな感じになっていた。それは木橋も同じようで、何とも言えない感じの顔をしていた。子狐の梨乃は表情が読み取れなくてよくわからない。
「ま、まあ、とりあえず、中級でイベントをしてみよっか」
木橋は切り替えるように、左端に目をやった。それにつられるようにワタシも、メニューを開いた。
全員が中級を選んだようで、画面が真っ暗になり、次の瞬間には中級の街に立っていた。
「なんか変な感じだね」
移動に未だ慣れないのか、玲愛が周りを見ながらそう言った。
「そうだね。まあ、いずれ慣れるよ」
木橋はそう応えてから、すぐに歩き出した。
街のNPCに話しかけ、イベントを発生させた。このイベントはワタシもクリア経験があるのだが、少し難易度が高いような気がした。
入り口まで木橋経由で転移すると、目の前にありきたりな洞窟が口を開けていた。
中は照明が必要なほど暗かった。これが難易度が高いと思う理由だった。
「ねぇ、暗くて中が見えないんだけど」
「ちょっと難易度高くない?」
いまさらながら、梨乃が呆れたようにそう言った。
「そう、かな」
木橋は、間を置いてから玲愛の方を見た。
「松明を焚いて、原始的な照明を作るの?」
「え、そんなことしたら、片手ふさがって戦闘に支障が出るけど」
玲愛の疑問に、木橋が困った顔でそう返した。
「じゃあ、どうするのよ」
玲愛は拗ねたように、そっぽを向いて口を尖らせた。そのアバターでその仕草はホモっぽく見えるからやめて欲しかったが、それを言う勇気がワタシにはなかった。
「手軽なのは浮遊型の照明を作る」
木橋はそう言って、左上に球体を創り出してそれを洞窟まで移動させた。
「え、浮いてるんだけど、あと光ってるんだけど」
「現実じゃないから、イメージで創り出せる」
「最初は難しいけどね」
ワタシの説明に、梨乃がすぐに補足した。
「このゲームじゃあ、固定概念は意味をなさないから」
「それはわかってるけど」
梨乃の言葉に、玲愛が洞窟に入った球体を見つめながら拗ねた感じで言った。だから、その仕草は・・・以下略。
「あとは、目を暗視鏡にするとか」
「あんしきょう?何それ?」
聞いたことがないようで、不思議そうに首を傾げた。
「ナイトスコープのことよ」
ワタシは、それの別名を口にした。
「ああ、夜目に利くやつね」
「よめにきく?何それ?」
玲愛の言葉に、今度は木橋が不思議そうに首を傾げた。なんでその表現はできるのに、暗視鏡のことはわからないのか不思議だった。逆もまた然り。あれ?然りももう使われない?
「もうどうでもいいじゃん、見える!って思えば簡単に見れるから」
ここで梨乃が、面倒臭そうにいい加減なことを言った。その立ち位置は玲愛のはずなのだが、ゲームの世界では性格が逆転していた。
「わかったわよ。行くわよ」
半ばやけくそになった玲愛が、女口調で洞窟に入った。ホントにホ・・・以下略。
さっきの球体は消えていて、もう真っ暗になっていたのだが、玲愛はお構いなしに進んでいった。
そのまま行くのだろうかと不思議に思っていると、洞窟内から眩い光が溢れ出てきた。
何してるんだろうと思って、光に目が慣れてきたところで再び見ると、玲愛の全身が光っていた。
「後光が差してるね」
木橋がボソッと呟くと、子狐の梨乃がぷっと噴き出した。
「どう?これで進めるでしょう」
玲愛は得意げな言葉と態度は、ワタシたちの笑いを誘った。
「って、笑わないでよ!」
笑われていることに不満を覚えたようで、ぷくっと頬を膨らませて文句を言った。そして、恥ずかしさから発光をやめてしまった。
話し合いの結果、木橋が頭上に光の玉を創り、数百メートルぐらい先まで見えるようにしてから進むことになった。それだけでは少し不安に感じたワタシは、反響を利用した空間把握で見えない部分を補うことにした。
最初の敵はゴリラで、玲愛が進んで前に出た。戦い方は接近戦で、右手にナイフと左手に籠手という変な組み合わせだった。
ゴリラは握力が強く、体格に似合わずかなりの俊敏性があった。中級では雑魚敵だが、初級では結構苦戦する魔物だった。
玲愛は俊敏な動きで、ゴリラを翻弄しながら戦った。
「へぇ~、魔法よりこっちの方が向いているみたいだね」
戦いを見ていた木橋が、感心したようにそう呟いた。どうやら、前のアバターはゲームならこんな感じだろうというイメージで、魔法使いのようなアバターになったのだろう。
近距離戦が得意な人は運動神経が良く、遠距離系は想像力に特化していて、中距離系は二つの資質を合わせ持っているという感じで区分されていたが、これはユーザーが勝手に作ったもので公式が発表しているわけではなかった。
玲愛は相手の攻撃を籠手でうまく受け流しながら、ナイフで少しずつ体力を削っていった。
少し時間が掛かったが、玲愛は一人でゴリラを倒して見せた。前に比べたら物凄い成長である。先入観や固定概念を払拭できただけでは、ここまで戦えないことは経験済みなので、かなり運動神経がいいようだ。体育の時間は、たいしてそういう風に見えないのだが。
「いや~、胸がないと身体が軽く感じるよね」
なるほど、胸が邪魔で運動が苦手なのか。これには納得せざるを得なかった。
「何それ?嫌味?」
すると、梨乃が即座に反応した。嫉妬心丸出しなのは声でよくわかった。
「え、あ、嫌味じゃないよ。本当のことだから。胸は大きいと動く時邪魔なんだよ」
「それは羨ましいことね」
木橋も気にしているのか、少しきつい口調で言った。
「二人とも、それワタシにも言えるかな?」
このまま嫌な雰囲気になるのは避けたいので、自分を引き合いにこの話を打ち切ることにした。
「あ、ごめんなさい」
「えっと、ごめんね」
二人はワタシを見て、各々謝罪の言葉を口にした。
なんとか喧嘩には発展しなかったことに安堵して、ワタシ達は先を進んだ。
少し進むと、クビワオオコウモリ数十羽が襲ってきた。
これは近距離は不利で、玲愛には難しいと思ったが、意外にもうまく立ち回って戦えていた。
木橋の方を見ると、周りに数字が回っているので相手が勝手に当たりに来て、かなり相性が良いような感じだった。
梨乃の方は、子狐が結界のような障壁を創り出しながら、片腕の戦士を操っていてかなり特殊な戦い方だった。これはかなり難しい操作で、思考の切り替えが早くないとできない芸当だ。
そして、ワタシは近づいてくる相手を最小限の動きで倒しいていった。こういう敵は、受動の方が楽なのはもうわかっていた。
倒して先を進むと、今度は幻獣のトロルが立ち塞がった。この魔物はレトロゲームの敵キャラで、著作権は消失しているので、一般素材として使用されていた。ちなみに、ゴブリンも使用されていて、初級の中間辺りに登場する魔物だった。
トロルは一頭しか現れなかった為、玲愛が一人で戦いたいと言い出した。
正直に言うと、かなり危険だと感じた。理由は、幻獣は現実にいた絶滅種と違って身体能力が高く設定されているからだ。
ワタシは反対したが、梨乃と木橋は別にいいんじゃないといった感じで送り出してしまった。
途中まではうまく立ち回っていたが、徐々に疲れが表情に見えてきた。
玲愛の攻撃のパターンが単調になり、勝てるビジョンが見えなくなくなったと感じたワタシはすぐに動いた。このゲームの勝敗は、気持ちの揺らぎであり、勝てると思えば勝つ可能性を残してくれるのだが、追い込まれて負けると思えば勝ち筋はなくなってしまうのだ。これはやり込んでいたら必然的にわかることだった。
トロルの攻撃が玲愛に届く前に、ワタシが戦いに割って入ることができた。
「無理しても勝てないから」
ワタシはそれだけ言って、トロルに攻撃を仕掛けた。
素手での戦いは不利ではあったが、工夫すれば問題なかった。
まずはトロルの攻撃は避けつつ、間合いまで少しずつ近づいた。
拳の周りを自分の知る限りの硬度が高い物質で覆い、トロルを思いっきり殴った。
が、あまり効いていないようで、すぐに反撃された。やはり、近距離の攻撃はトロルには通じにくかった。
「助けに入ったのに、頼りない攻撃だね」
木橋はそう言いながら、数字の8でトロルの巨体を吹き飛ばした。う~ん、やっぱり変な攻撃だ。
「ありがとう」
ワタシはお礼を言って、玲愛の方に近づいた。
「大丈夫?」
「う、うん。ありがとう。死ぬかと思った」
大げさだと思ったが、表現的には間違ってなかった。
トロルとの戦いに梨乃も加わり、そこからリンチのような攻撃でトロルを倒すことができた。
ここで少し休憩する為、適当な場所で四人並んで座って談笑した。このゲームは、移動していないと魔物が出てこない優しい仕様なのだ。戦闘は鬼畜だが。
「前から思ったけど、天城さんって近距離戦が主流なんだね」
突然、木橋がそんなことを言い出した。彼女は現実とは違って、ゲーム内では積極性があった。
「まあ、身体動かすの好きだから」
ワタシは頬を掻きながら、女らしい仕草で返した。これはもう習慣なので意図的にやったわけではない。
「だったら、今度スポーツセンターに行こうよ」
梨乃は、名案とばかり手を叩いてそう言ってきた。
「え、それはちょっと・・・」
これは素で困った。理由はいろいろあるが、女子とのスポーツはこちらが有利だし、あまり女子だけでのスポーツはしたくなかった。
「あ、それならサッカーがやりたい」
ここで玲愛が、積極的に食いついた。
「え、その胸で?」
これに梨乃すぐさま反応した。
「む」
「あ、ごめん」
これは失言だと悟ったようで、即座に謝った。
「あのね。あたしは基本運動好きなんだよ」
それは戦い方を見てよくわかった。
「でも、胸のせいで走るだけで痛いし、もうマジで邪魔」
胸への鬱憤が溜まっていたようで、ここから胸に対しての不満がつらつらと出てきた。
「えっと、もういいかな」
数分ぐらいそれを聞いていたが、梨乃が耐え切れないといった感じで止めに入った。
「足りない、言わせて。これまでの不遇と男どもの嫌らしい視線を」
「う、うん。それはもうよくわかったから」
梨乃が苦笑いで、少し面倒臭そうに視線を逸らした。ワタシには何も言えないので、ここは黙って聞き流しておいた。
「もう行こうか」
ここで木橋が、立ち上がってそう言った。ナイス判断と思い、ワタシも立ち上がった。
「そうだね」
梨乃もそう思ったようで、ゆっくりと立ち上がった。
「え、ちょ、ちょっと」
ワタシたちが歩き出すと、玲愛が慌てたように追いかけてきた。
エンカウントする魔物を四人で戦いながら先へ進んでいったが、左端に時間を知らせるカウントが出てきた。
「もう時間だけど、どうする?」
先頭にいた木橋がそう言いながら、ワタシたちの方に振り返った。
「え、まだクリアしてないけど」
これには玲愛が、不満そうに言った。
「でも、時間だし」
「セーブとかできないの?」
「中間ポイントは、もう少し先だからできないかな」
「じゃあ、またやる時は最初からってこと」
「そうなるね」
「延長できない?」
「たぶん中間ポイントまで行くのに、最低でも1時間以上掛かると思うんだけど・・・」
木橋はそう言って、ワタシ達の顔を見た。
「ごめん。ワタシ、もう帰らないと」
特に用事はないが、遅くなるのは個人的に避けたかった。
「なら、しょうがないね」
玲愛は食い下がることはせず、延長を潔く諦めた。
全員がログアウトして、現実に戻った。
「ごめんね」
「気にしないで。楽しかったし」
ワタシの二度目の謝罪に、玲愛は首を振ってそう言ってくれた。
ミューグを出て、先の交差点の信号が赤になったので、ワタシたちは並んで立ち止まった。
「あら」
すると、横から何かに気づいたような声が聞こえた。
振り向くと、駒沢静香が歩いてきた。方向からして、学校帰りのようだ。
「あらあらあら、部活をサボって友達と遊んでいるなんて羨ましいことね」
「げ、駒沢先輩」
静香の言葉に、玲愛が気まずそうな顔で半歩下がった。
「私たちに部会の報告書を押し付けて、良いご身分だわ」
「い、いえ、あたしがいても邪魔なだけだと思いまして」
「ふふふ、意見の集約には基本的に人は多い方がいいから邪魔だなんてことはないはずよ」
「す、すみません」
静香の責めに、玲愛が視線を逸らしながら謝った。
「明日からはちゃんと来て、手伝って欲しいわ」
「ぜ、善処します」
「断りの常套句をここで使うなんて・・相変わらず肝が据わっているわ」
静香は微笑みながら、皮肉めいたことを口にした。この人とは争いたくないなと思った。
「あら」
玲愛との話がひと段落したところで、静香がワタシにいまさらながら気づいた。
「もしかして、玲愛と友達だったの?」
「え、あ、まあ、はい」
本人を目の前に違うとさすがに言えなかった。
「それなら言ってくれればいいのに」
「え、知り合いだったんですか」
玲愛は意外そうに、ワタシを見てからそう言った。
「うん。一回だけね。あれから全然会えなかったから、部会の報告書を書き終わったら捜してみようと思っていたところだったのよ」
それは迷惑な話だ。
「まさか玲愛の知り合いなんてね」
「じゃ、あたし達は帰るので」
この場から逃げたいようで、玲愛が進んで青になった信号を渡り始めた。どうやら、静香の返事を待たずに帰るようだ。
「はぁ~、明日は来なさいよ」
静香は、溜息をつきながらも引き留めることはしないようだ。これだけで優しい先輩だということがわかった。
「またね、稀伊。今度ゆっくり話したいわ」
「え、あ、はい」
ワタシはそう答えて、玲愛の後を追った。その後ろから黙っていた二人もついてきた。
「えっと、瀬木さんって、なんの部活に入っているの?」
気になったのか、梨乃が少し遠慮気味に聞いてきた。
「文化部だよ」
「えっ」
玲愛がそう答えると、今まで黙っていた木橋が嫌そうな低い声を上げた。
「どうかした?」
これに梨乃が、不思議そうに首を傾げた。
「いや、私とは相容れない部活だから」
「そうなの?」
「だって、文化って過去ばっかり深掘りしているだけで陰気臭いんだもん」
「それ、駒沢先輩には言わないでね」
玲愛が少し困った顔で、木橋に釘を刺した。
「初対面でそんなこというほどデリカシーがないわけじゃないわよ」
木橋はそう言いながら、つまらなそうにそっぽを向いた。
「でも、過去か・・・言いえて妙だね」
玲愛は少し考えてから、おかしそうにそう言った。
「妙じゃなくて事実でしょ」
「まあ、でも過去があるから今の生活があるわけだし、尊厳ぐらいは持ってもいいんじゃないかな」
「それは・・そうだね。陰気臭いは撤回しておく」
「うん♪それは嬉しいことだね」
ワタシはこのやり取りを見て、少しだけ二人が好きになった。
三人と別れ、自宅に帰宅した頃にはとっくに日は沈んでいた。
「どこ行ってたの?」
玄関に入るなり、トイレから出てきたであろう姉と鉢合わせてしまった。
「友達と遊んでた」
あまり言いたくなかったが、嘘をつく理由もないので事実をそのまま口にした。
「それって、男?女?」
「女子だけど」
「そっ♪それなら安心ね」
正直、ワタシ的には安心とは言い難かった。
今日が終わり、静香に目を付けられていたことに警戒心が芽生えた。彼女が玲愛の部活の先輩だというのはあまりいい話ではなかった。
明日から静香の行動によっては、学校生活が面倒になると思うと溜息しか出なかった。
6 友達
目が覚めると、いつもの真っ白な天井が見えた。
俺はゆっくりと起き上がり、不格好に頭を掻いた。別に痒かったわけじゃないが、もう癖になっているのでどうしようもなかった。
このところ夢に天城が出てくることが多かった。性同一性障害の相手をまさか自分が好きになるとは思っていなかった。
いつものように登校し、教室に入ると、最初に目がいくのは天城の席だった。
今日も可憐で可愛らしい彼女を拝めると、学校が楽しく感じていた。
「おはよう」
自分の席に鞄を置いてから、いつものように天城に挨拶した。
「うん、おはよう」
天城が微笑み挨拶を返したことに、俺のテンションが一段階上がった。
「そういえば、聞いたか。ここ最近でAI主導のゲームが広がるかもしれないって」
「ああ、知ってる。確かミューグを主体に広げていくんでしょう」
「そうそう」
昼休みや放課後は瀬木や隣のクラスの女子と話していて声を掛けづらいが、朝の時間だけは俺と天城の時間だった。
楽しい時間は僅かだが、今の俺には十分な至福の時間だった。
最近、天城がミューグにいることを知り、それからは何度もミューグに行くようになった。が、なかなか会えずにいた。
放課後に誘えばいいのだが、瀬木とか他の女子が取り巻いていて、男の俺が入れる雰囲気ではなかった。性同一性障害であるはずの彼女は、それほど魅力的なのだ。
「今日もミューグ行くのか?」
昼休み、友達の木工孝之(モク タカユキ)が呆れ気味にそんなことを言った。確かにミューグに頻繁に足を運んでいるのだが、別に孝之とは放課後にいつも遊んでいるわけじゃなかった。
「ああ、最近ハマってるんだよ」
少し嘘だったが、ハマっているのは間違いなかった。
「じゃあー、今度一緒に行ってやろうか?」
「え、孝之ってミューグのサテライトやってたっけ?」
「ああ、暇な時にやってたな。でも、1年前くらいだけど」
「もう飽きてるじゃん」
「いや、1年前から固定概念が邪魔し始めてな。全然勝てなくなったんだよ」
「ああ、大人になったってことか」
「まあ、そういうことだな」
孝之はそう言いながら、俺から少し視線を逸らした。
「1年経ってたら、違う感覚で遊べるかもしれないしな」
「なるほどな。で、前はどこまでいけてた?」
「上級かな。ブランクあるし、たぶん今は中級しか行けないかも」
「じゃあ、今度一緒に遊ぶか」
「おお」
そんな約束をしたのだが、2週間はそのことを忘れるほどミューグの話題は上がらなかった。
「あ、そういえば、今日はミューグ行こうぜ」
放課後、孝之が突然そんなことを言い出した。急にどうしたんだと思ったが、2週間前にそんな話をしてたことを思い出した。
「ああ、そうだな。あれから何回かしたのか?」
今日はいつもより授業が早く終わっていたので、少し長く遊べた。
「いや、今まで忘れてた」
「あっそ」
あまり重要視していなかったのはわかっていたので、ここは軽く流すことにした。
「そういえば、あれから輝雄はミューグ行ってたのか?」
「ああ、欠かさずな」
おかげで、上級の序盤のボスクラスは一人でなんとか倒せるようになっていた。ちなみに、天城とは未だに会えていない。
「暇人だな」
「学生だからな」
「それは言えてる」
俺たちはお互いを向き合って、含み笑いをした。
ミューグに着き、ダブルの部屋を選ぶのに少し抵抗を覚えたのだが、周りに人もいないので安くなるダブルの部屋を選んだ。
部屋に入ると、孝之が久しぶりだと言いながら部屋の物色をし始めた。そのせいでゲーム開始が遅れた。
ようやくフロアに入り、ここでもアバターがどうとかの話をした。自分のアバターは人ではなく、全身鎧姿で中身は空っぽだった。
「変わってるな」
「おまえもな」
孝之のアバターは、人型の機体だった。機体好きなのはよく知っているが、アバターにも反映させるとは思わなかった。
「一応聞くけど、それなんだ?」
「ふふっふー♪これはおれが自作して作ったんだ。格好良いだろう」
「ああ、格好良いけど、動きにくくないか?」
「ふっ、おれが緻密に作った駆動式だぞ。どう動かせばいいかなんて頭に入っている」
そう言うと、孝之がボクシングの構えを取り、鮮やかなワンツーを繰り出した。その後二回もバク転して、最後は一回半ひねりを披露した。とても機体だとは思えない動きだった。
「ふふっ♪どうよ」
「ああ、よく動けてる」
「だろう。今度作ったもん見せてやろう。3Dプリンターでパーツ一つ一つ作って組み立てた傑作だぜ」
「いや、もう見飽きた」
「おい、断るなよ。今までのよりかなりいいデキなんだって」
「わりぃ~、細かい部分の違いは俺にはわからん。だから見ても、感想は変わらないと思う」
「はぁ~、おまえはボキャブラリー豊富になるべきだぞ」
「ボキャブラリーて、ずいぶんと古臭い言い回しだな」
「そうか?普通に英語なんだが。まあ、今時は使わんか」
少し不満そうだったが、もう使われていないことには同意した。
「じゃあ、狩り行こうぜ」
「それも古い」
言葉のチョイスが古いのは、彼の特徴でもあった。いったい誰の影響なのだろうと不思議に思っているのだが、そういう話になると、はぐらかされるので未だ聞けないでいた。
今回は森に潜むライガーを狩るという利用時間でクリアできるものにした。
森に入ると、さっそくニホンオオカミが襲ってきた。
「こんなに強かったっけ?」
戦いながら、孝之がこちらを見てそう言った。
「え、そんなに強いか?」
「ここ上級じゃね?」
「思考力が低下してると思ったほうがいい」
「そうか。老化かな」
「えらく早い老化だな」
「ふん。科学的に15歳から細胞レベルで老化が始まるんだよ」
「思考能力まで落ちるとは証明されてないだろう」
「お、それは科学的だ」
そんなことを言い合いながら、俺たちはニホンオオカミを倒していった。
「ふっ~。なんか結構運動した気がするな」
「勘違いだけどな。脳が疲れているだけで身体は訛る一方だ」
「言うなよ。インドアのおれには堪える言葉だ」
「ははっ、久しぶりに卓球とかしてみるか」
「お、いいね。ピンポンなんて最近してないじゃん」
「おまえが機体づくりに没頭してるからだろう」
「これクリアしたら行こうぜ」
「まあ、いいけど」
機体づくりにハマる前の孝之に、いろいろ連れ回された記憶がよみがえった。
森を進みながら、いろんな魔物を倒していった。俺は余裕だったが、孝之は少し疲労気味だった。
このまま森を進むか悩んだが、一人でも倒せるだろうと思いそのまま進んだ。
ある程度進むと、ようやく目的のライガーがいる場所に辿り着いた。単身だと一頭から二頭なのだが、今日は二人なので五頭もいた。
「いけるか?」
「まあ、やるだけやってみるさ」
俺の言葉に、孝之は軽くそう答えた。
結果的にライガーとの戦いは死闘になってしまった。というのも、数分で孝之が戦闘不能になってしまったからだ。
軽く倒せると思っていたが、五頭のライガーとなると、さすがにきついものがあった。ちなみに、戦闘不能になると一人ならそのままゲームオーバーだが、二人以上だと全滅するまで俯瞰して見ることができるようになっていた。
斬撃から繰り出される衝撃波は、イメージ次第で性能が変わってくるのだが、俺の場合は全体を巻き込み相手が近づけないようにするいわば相手の動きを遅延させる技だった。
それを駆使しながら、ライガーとの距離を取りながら一頭ずつ確実に倒していった。
倒し切るまで、数十分の時間を要した。正直言って、一人での上級の序盤のボスより大変だった。
疲労感を感じていると、孝之が生き返った。これは敵を倒すと、自動的によみがえるシステムだった。
「いや~、簡単に殺されたな」
「もうちょい耐えろよ」
「まあ、楽しかったしいいだろ」
「こっちは疲れただけなんだが」
「次来るときは初級にしようぜ」
孝之には、このゲームを一人でする気はもうないようだ。
結構時間が掛かったと思っていたのだが、利用時間までもう少しあった。
「どうする?もうゲーム終わるか?」
孝之も時間を確認したようで、俺の方を見てそう聞いた。
「そうだな~。疲れたしログアウトしてもいいかも。どうせ、別イベントするにも時間もないし」
「じゃあ、ログアウトするか」
孝之がそう言うと、俺の視界に別の四人のプレイヤーが目に入った。
「ちょっと待った」
その四人の中に、なぜか天城がいた。アバターなのにそのままの姿で歩いていた。
「どうした?」
「しっ!」
俺は静かにするように人差し指を立てて、孝之の後ろを見るよう顎を振った。
「ん?」
孝之が振り返り、四人を視認した。
「あれ?天城さん?」
孝之も気づき、ポツリと掠れたような声で呟いた。
「アバターが天城さん?どういうこと?」
これは孝之の言う通りで、素性がバレるようなアバターは危険度も計り知れないのでそういう人は滅多にいなかった。それにも関わらず、自分自身をアバターにするのはおかしいと思った。
天城を装っているのかとも思ったが、それをするメリットがよくわからなかった。
「偽物かな?」
「不快だな」
もしそれだとするなら、俺自身が許せないと思った。
天城のアバターの他には、数字がらせん状に巻き付いている女性に肩に子狐が乗っている片腕の男の戦士、もう一人は男のタレントのような風貌で歩き方が少し女っぽいアバターだった。おそらく、中身は女なのだろう。
「せっかくのアバターなのに、なんで片腕なんだ?」
孝之の興味が天城の方にはなくなったようで、片腕の戦士を見てそう言った。
「さあな」
「まあ、帰るか」
孝之はそう言って、四人から視線を外した。
「いや、ちょっとPvPを仕掛けてみたい」
PvPとはプレイヤー同士の戦いのことで、このゲームでは特に禁止されていなかった。
「・・・なんで?」
「天城さんのアバターが気に入らない」
「まあ、あれは身バレだもんな。本人がしてるとはちょっと考えにくいし」
「まっ、残り時間で少しからかってやろう」
「えっと、おれ今生き返ったばっかりなんだけど」
「時間的にも問題ないだろう」
どうせ倒される前に、強制ログアウトされる可能性が高いだろう。
「とりあえず、あっちとの音声は切っておこう」
「なんで?」
「天城さんのアバターってことは、俺らの学校の生徒の可能性が高いだろう」
「なるほど。こっちの素性は隠すってことか」
「そうした方がお互いにいいと思う」
もしクラスメイトだったら何かと顔を合わせにくいし、天城のアバターである時点で嫌悪してしまうことは確実だ。
「四対二だし、不意打ちでも仕掛けるか」
「それすると街に戻れなくなる」
「あ、そっか。賞金首になるか」
「そういうことだ」
俺たちは他プレイヤーの音声を切ってから、四人の前に立ち塞がり、メニューを開きPvPを申し込んだ。これをしないとプレイヤー狩りと見なされ賞金首となり、街には入れなくなる仕組みになっていた。
四人は驚いた様子で、何やら話しているのだが、音声を切っているため何を話し合っているかはわからなかった。
しばらくして、挑戦が受諾され戦いが始まった。
孝之は片腕の戦士と動きのおかしいタレントを相手にして、俺の方は天城と0と8が巻き付いている女性を相手にした。
結論から言うとかなり強かった。連携はおぼつかなかったが、純粋に天城が強かった。
天城が少し距離を取ると、すかさず後ろの女性が8の数字を高速回転させながら飛ばしてきた。
天城は瞬間移動ができるようで、目の前から消えることが多々あった。
だが、それはこちらもできることで、天城が消えれば、即座に前にいる女性の後ろに移動して攻撃を仕掛けた。こうすれば、天城の攻撃も制限される。これは多数相手する時にはかなり有利に働いた。
遠距離型の女性の方を先に仕留めにかかったが、彼女もなかなかの熟練者のようで瞬時に0の盾を張られた。彼女も瞬間移動はできるのだが、少し間があり変な態勢で現れることが多かった。おそらく、肉体が移動するイメージではなく座標で移動しているのかもしれない。
中級にいたこともあり、軽くからかうつもりだったが、かなり本気の戦いになってしまった。
何気に孝之の方を見ると、一方的に攻撃されていた。
何やってんだと思ったが、次の瞬間多段式の弾道ミサイルが孝之の背中から発射された。どうやら、カウンター気味の攻撃を狙っていたようだ。
そのミサイルのうち、三つほどこちらに飛んできた。苦戦していた俺の方への牽制も狙った攻撃のようだが、こちらに一言声を掛けて欲しかった。まあ、ちょうど見ていたから対処はできたが。
天城と女性がそのミサイルを防ごうとしているのを見て、俺は刀を振るい範囲攻撃の衝撃波を生み出した。
その衝撃波がミサイルに届き、二人が対応する前に爆発させた。
それが二人にもわかったようで、爆風で身体が飛ばされた。これは防いだというイメージの直後に爆発させられたと認識すると、その通りにダメージを負うことになるのだ。これこそAIの処理能力の凄いところだった。
そこから追撃しようとしたが、時間切れで強制ログアウトになってしまい、勝敗が着かないまま終わってしまった。
「いや~、強かったな」
ゴーグルを外した孝之が、楽しそうに笑いながらそう言った。
「ああ、そっちの二人はそうでもない感じだったけど、天城さんのアバターは強かった」
これは認めざるを得ないことだった。
「PvPってAIと戦うより面白いな」
「まあ、そうだな」
「これっておまえとも戦えるのか」
「ああ、できるな」
「今度サシでやろうぜ」
「サシって、今時言わねぇよ」
「伝わるならいいだろう」
「まあ、いいけど。今のままなら一方的になる気がするぞ」
「あ~、それはそうかもな。そん時はハンデをくれ」
「ハンデの条件によるな。そこは考えといてくれ」
「おお、ちょっと勘を取り戻してから考えとくわ」
どうやら、このゲームをまた再開するようだ。一緒に遊べるのならそれはそれで嬉しい気がした。
「それよりピンポン行こうぜ」
「え?」
そのことは俺の頭になくなっていたので、思わず驚きの声が出た。
「なんだ?用事あるのか?」
「いや、できればミューグの前で天城さんのアバターが誰なのかを確認したいんだけど」
「ああ、う~ん。もういいんじゃないか。あそこまで強いってことは悪意はないと思うし」
「それは・・確かに」
これは孝之の言う通りだと思った。あそこまで強いと遊び半分であのゲームをやっているとは思えなかった。
「という訳で、球打ち行こうぜ」
孝之はそう言いながら、スマッシュの動きをした。こうなると頑固一徹になるので、もう付き合うしなかった。
ミューグを出て、数キロ先にあるスポーツアミューズメントに向かった。
「そういえば、今度の体育ってスカッシュが入ってくるんだよな」
今通っている学校は、三ヶ月ごとに体育の種目が変えられる特徴があった。そして、今回は今までの選択肢の他に新しくスカッシュが入ることになっていた。
「あれは選択でだろ。別に選ぶ必要はないと思うが」
「おまえは何選択するんだ?」
「う~ん。どうだろう。eスポーツでも選ぼうかな」
「あー、ゲームかよ。あれって体育に入らなくない?」
「指が動いてるだろ」
「指だけじゃねぇーか」
「まあ、そうだな」
これは否定できないので、適当にそう返した。っていうか、そもそも体育にeスポーツを導入したのは学校側なので、文句は学校に言うべきだと思った。
アミューズメントのワンサイドに着き、ミューグと同じように支払いをしてから卓球台のある部屋に向かった。
透明なプラスティックの壁に囲まれた部屋の前にラケットとピンポン玉があり、それを取ってから中に入った。
何回かラリーしてから、勝負ではないが本格的な卓球をした。スマッシュ、カット、ドライブ、体育で本格的な指導を受けていた俺たちは、お遊びなピンポンは緩すぎてできなかった。
「イエッス!」
ドライブをスマッシュで返され、孝之が拳を握って叫んだ。ちょっとイラっときたが、ここは冷静になってボールを取りにいった。
「今の良かったな」
「そうだな。俺が返せたらもっと良かった」
「ははっ、それだとおれが返せん」
孝之はから笑いして、ラケットをさっきと同じように振った。どうやら、さっきの感触を思い出しているようだ。
そんな卓球を約30分ほどやって、腕に乳酸がたまってきたところで帰ることにした。
孝之と別れ、ミューグの前を通ると、前方に天城といつもの三人が並んで歩いていた。最近、この四人はよく一緒にいる気がする。
あれ?30分ほど前、四人のパーティーと戦ったけどもしかしてと思ったが、アバターが天城だったのでそれはないだろうと思い直した。身バレなんて危険な行為を他の三人がするとは思えないし、本人だって危険なことぐらいわかるはずだ。
天城に声を掛けたかったが、友達と楽しそうに話しているので邪魔するのは悪いと思い、声を掛けることはやめておいた。
今日は久々に孝之と遊べて楽しかったので、自分的には満足感に浸りながら家に帰った。
7 空振り
最近、放課後は天城と一緒に帰れるのは嬉しいのだが、瑞香や瀬木という余計な付属品が付いて回るのはわたし的には複雑だった。できれば二人っきりで、デートのようなものがしたいと思うようになっていた。
「えっと、天城さん」
「何?」
昼の食事を終え、わたしの呼びかけに天城が可愛らしく応えてきた。
「明日の休み、一緒に買い物行かないかな」
「何か欲しいものあるの?」
「う、うん。ちょっと荷物が多くなりそうだから」
これは嘘だった。実際は何買うかなんて決まってないし、ただ単に天城とデートがしたかった。
「どうかな」
が、それを言うと絶対に断られるので、ここは嘘を突き通すことにした。
「それなら、まあいいけど」
少し違和感を感じたのか、言葉に淀みが見られた。
「本当!嬉しい!」
しかし、わたしにはその反応をスルーするほど心が躍った。
「なら、あたしも行こうかな」
なのに、横の席の瀬木が軽いノリで話に入ってきた。空気を読んで欲しいと強く思ったが、瀬木にそれは不可能だと悟った。
「瀬木さんって、何か買う物とかあるの?」
「ないよ」
やはり、ただ邪魔するだけのようだ。
「ないなら、別に無理して来なくてもいいじゃないかな。せっかくの休みだし」
「ん~、まあ、暇だし。たまにはウインドウショッピングしてもいいかな。最近はネットばかりで味気ないし。友達と一緒の方が楽しいし」
くっ、その返しは純粋に断りづらい。
「どうせなら、木橋も誘ったら?」
ここで更に余計なことを瀬木が言った。
「う、うん。聞いてみるけど、天城さんはそれでいいのかな」
最後の望みとして、天城の意見を聞いてみることにした。
「う、うん。まあ、いいけど」
あまり乗り気ではない感じだったが、歯切れ悪く了承されてしまった。
「じゃあ、聞いておくね」
「なんかさっきよりテンション低くない?」
わたしの態度の変化に、瀬木が不思議そうな顔をした。これには正直イラっとした。
昼休みが終わる前に、それとなく瑞香を誘うと二つ返事で行くと言った。この友人もわたしの意図を汲み取ってはくれなかった。長い付き合いでもこんなものだ。
約束の日、わたしはテンション低めで服を選んだ。それでも天城とのショッピングなので本気の服装で決めた。
しかし、自分には身長が低いうえに胸もあまりないので、可愛い系の選択肢しかないことには不満だった。誰でも思うないものねだりというやつだ。
約束した場所に行くと、もう全員揃っていた。早めに来たはずだったが、約束を取り付けた本人が最後になってしまった。
そして、一人誘ったはずのない人がいた。
「えっと、なんで?」
いろいろ考えた結果、その隣の瀬木に曖昧かつ的確に聞いた。
「あ、うん。言ったら来た」
これに簡潔かつ明確に答えてきた。
ここでなんで来たんですかなんて聞くのは野暮だし、何しろ会うのは二回目だし、話したこともない先輩に対してどう接していいかわからなかった。
「ごめんね。私もあなた達と一緒に買い物行きたくなっちゃって♪」
かなり上機嫌でどことなく上品のような物言いに、わたしの文句は喉の底に沈んでいった。
「い、いえ。ショッピングは多い方が楽しいですし」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
建前の言葉に、駒沢は笑顔で頬に右手を添えた。なんとも気品に溢れた仕草だ。こんなこと大人びた彼女でなければできないと思った。さっき思い悩んだ直後だった分、思いのほかダメージを受けた。
「遅いよ」
居心地が悪かったのか、瑞香がわたしの隣に来て文句を言ってきた。
「っていうか、瑞香が早いのよ」
「おかげで、こっちは孤独という疎外感を味わったよ」
「それはご愁傷様」
これから行く場所を駒沢に伝えて、五人で少し遠くにあるショッピングセンターへ向かった。
その道中、天城の隣はちゃっかり駒沢が陣取り、わたしの隣には瀬木と瑞香が脇を固めてきた。違う、わたしの望んでいた展開と全然違う。
「なんで、こっちに来てるの?」
瑞香はわかるが、瀬木が隣を歩くのは少し違和感あった。
「駒沢先輩、苦手で」
瀬木はそう言いながら、前を歩く駒沢を見た。
「なのに、部活は続けてるの?」
「まあ、流れで」
他にも理由があるのか、少し口角を緩めてそっぽを向いた。
ショッピングモールに着き、最初は荷物にならない小物を取り扱う店に入った。
ここでやや強引気味に、天城と小物を見せ合いながら楽しんだ。その横から頻繁に駒沢が口を挟んできたが、天城と一緒にというだけで許容できた。例え女子でも好きな人と一緒にいると、心が穏やかになるのは自分の中では新発見だった。
一通り店内を回り、気に入った物を購入した。
「それ、いる?」
購入する前に、瑞香が眉をひそめながらそんなことを言った。
「こういうのは感覚だよ」
「それ、無駄って言うんだよ」
「無駄かどうかはわたしが決める」
「・・・まあ、好きにしたらいいけど」
瑞香は諦めたように、一歩引いて肩を竦めた。
次は、メインの洋服を見に行った。買った物は無料で使用できるコインロッカーに入れて、五人で五階へ向かった。
「ねぇ、三人は部活入ってるの?」
すると、駒沢が満面な笑みでそんなことを聞いてきた。それに瀬木が、引き攣った顔で一歩遅れた。
「入ってます」
最初に答えたのは瑞香だった。前に瀬木と話していて文化部に嫌悪感を前面に出していたが、今日はそれを感じさせないよう顔を強張らせていた。
「わたしは入ってません。というか、入る気がない感じですね」
「ワタシもそんな感じです」
わたしの言葉に、天城も同調した。
「そっか~。じゃあ、幽霊部員でもいいから文化部に入ってくれない?」
「嫌です」
「ワタシもちょっと・・・」
わたしと天城は、食い気味に拒否した。
「それは残念ね」
断られる前提の頼みだったのか、一度瞬きしてから軽い感じでそう言った。
「あわよくば、部費を増額できると思ったのに」
どうやら、部の拡張を狙っての頼みだったようだ。
「駒沢先輩、そういう発言はやめた方がいいですよ」
「そうね。今のは良くなかったわね」
反省の色は見えなかったが、自戒はするようだ。
「全く。これだから文化部は」
これに瑞香が、呆れたように小さい声で毒を吐いた。
「ん?んん~。なかなかの言葉を吐くわね」
今まで話さなかった瑞香に対して、駒沢が興味深そうに迫ってきた。
「えっと、木橋瑞香さんよね」
「はい。駒沢静香さん」
「下の名前は一文字違いね」
「そうですね。それが何か」
不満なのか、瑞香がそっぽを向いてそう言った。
「まずは下の名前で呼び合いましょうか」
「え、なぜですか」
「親しくなるのに必要だと思うのよ」
「でも、瀬木さんは駒沢先輩と呼んでいるようですが」
「そうなのよね~。全然呼んでくれなくて」
駒沢は困った顔で、瀬木の方をチラ見した。
「駒沢先輩は駒沢先輩です」
瀬木はよくわからないことを言って、駒沢から目を逸らした。おそらくだが、親しくなりたくないから言いたくないのだろう。
「まあ、例外はあるけど、名前を呼び合って仲良くしましょう」
「申し訳ないですが、お断りします」
「え!面を向かれて言われたのは初めて・・ちょっとショック」
「馬が合わないと思って諦めてください」
「本当にきっぱり言うのね」
「先輩に合わせても、お互いの利益にならないですよ」
「なんで?」
「私、数学部なので」
「数学部だったらなんで利益にならないの?」
「向く方向が違うからです。具体的に言えば、過去と未来、ですかね」
「違う意見の論争は、知識の幅を広めるから利益になると思うんだけど」
「諍いをしてまでする意味がないと思うんです」
「なるほど。議論が嫌いなのね」
「ええ、文系と理系との議論は不毛です」
「瑞香は一辺倒だね。それじゃあ、幅広い知識からいろんな発想ができなくなると思うんだけど。それは数学部としては致命的だと思うわ」
「む」
瑞香は、言葉を詰まらせなんとも言えない複雑な顔をした。
「それに、文系と理系なんて過去の人が区切った差別的な思想なんて古臭いと思わない?」
「むぅ」
この人はなかなかの理屈屋のようだ。いろんな角度からの指摘には、わたしも舌を巻くほど感心した。
「弁が経ちますね。ですが、嫌いなものは嫌いです」
「それって、頭が固いって言うんだよ」
「悪いですか?」
言い勝てないと思ったようで、意固地に駒沢をつっぱねた。
「ふふっ♪可愛いわね」
どの辺が可愛いかは不明だったが、駒沢のセンサーには引っかかったようだ。
「ねぇ、今度二人でお話し合いをしない?」
「え、絶対嫌です」
瑞香の方は、心底嫌そうに首を振って断った。
「う~ん。なんとかならないかしら?」
どうしても瑞香と二人で話したいのか、わたし達の方を見てそう言った。
「あ、そうだ。今度数学部と合同合宿とかどうかな」
「なんで嫌がっているのに、そんな提案できるんですか」
「その反応が好きだからよ」
「性質悪いですよ、それ」
このやり取りを見ていると、なんとなく瀬木が親しくなりたくない理由がわかった気がした。
「もうやめましょうよ。駒沢先輩」
見るに見兼ねたのか、瀬木がたまらず駒沢を止めに入った。
「こんなことするから、部員が増えないってなんでわからないんですか」
「だって、可愛いんだもん」
瀬木の言葉に、拗ねるようにボソッと呟いた。かなり自己中心的な性格のようだ。
「しょうがない、じゃあ友達からで」
何がしょうがないのかわからないが、ここまで拒否されて友達になろうとしていることには驚愕しかなかった。
「わかりました。そこまで言うなら、友達になってあげますよ」
人見知りの瑞香の負けず嫌いがここで発動したようだ。こうなるまで、いつもならもう少し時間が掛かるのだが、駒沢のしつこさがその段階を超越したようだ。
「本当♪」
「ええ、いつか言い負かしてやります。文化より数学が上だって証明してあげます」
「それはいいね。是非とも議論していきましょう」
こうして、何やらよくわからない経緯で駒沢と瑞香が友達になったのだった。
それからは駒沢と瑞香が組み、そのおかげで天城と一緒に楽しいひと時を過ごした。瀬木もいたが、それはいないものとした。
駒沢と別れ際、瑞香は次は勝つと言い放った。相当に悔しかったのだろう。まあ、数学はあくまで数字の展開力なので、言葉での言い回しなんて難しいだろうと思ったのだが、面倒なのでわたしからは言わないでおくことにした。
休み明けの朝、なぜか瑞香がげっそりした顔で登校してきた。
「どうしたの?」
わたしは、瑞香を気遣うように聞いた。
「あの先輩。メグルで話してたら全然話が終わらなくて」
「切ればいいじゃん」
「こっちから切ったら負けじゃん」
「そこは負けていいと思う」
「・・・次からそうする」
わたしの言葉が刺さったようで、少し間をおいてからそう答えた。
昼休み、天城と一緒に昼食を食べた。
「なんか瑞香が、駒沢さんのせいで寝不足気味らしいんだけど」
わたしは、それとなく瀬木に伝えてみた。
「だろうね。あの人、いろいろイタイから。好きなものに固執するし、話も一方的になるんだよ」
「それ気に入られたら最悪ってこと?」
「そういうこと」
それを聞いていた天城が、少し嫌そうに眉を顰めた。
「だから、稀伊もあまり気に入られないようにした方がいいよ。面倒臭いから」
「胸に留めておく」
天城はそう言って、食べ終わった弁当箱を鞄に仕舞った。
「そういえば、またミューグ行こうよ」
話が区切れたところで、瀬木がまたそんなことを言い出した。このところミューグのサテライトにハマったようでかなりの頻度で誘ってきた。
「部活、たまには行った方がいいんじゃない?」
「う~ん。でも、もう報告書も書き終わってるから、しばらくは行く気しないんだよね~。それに駒沢先輩に絡まれそうだし」
それを想像したのか、すごく面倒臭そうな顔をした。
「という訳で、ミューグ行こうよ」
結局、最初の台詞に戻った。
「天城さんが行くなら、わたしは行くけど」
そう言いながら、チラッと天城を見た。
「え、あ、うん。まあ、いいけど」
言葉に迷いがあったが、視線を逸らしながらも了承した。
「よーし。じゃあ、今日は上級にいってみよう」
瀬木も中級に上がったので、上級で戦ってみたいと先週から言っていた。ちなみに、上級には中級二人以上のパーティーなら行けるようになっていた。
「という訳で、放課後ミューグ行く?」
昼休みが終わる前に、わたしは瑞香にそう聞いた。
「うん。行く」
少し疲れている感じだったが、それでも行きたいようだ。
放課後、四人でミューグに向かった。ここ最近、本当にこのメンバーでの行動が多くなっていた。
いつもの部屋を選び、いつもの定位置に座ってゲームを始めた。
「今日はどうする?」
フロアに集まったところで、わたしからそう切り出した。
「上級!」
これに瀬木が元気よく答えた。
「異論は?」
ワタシがそう聞くと、誰も反対はしなかった。
わたし達は、メニューから上級を選択した。
一瞬だけ真っ暗になり、気づくと見慣れない街が広がっていた。正直、わたしは上級に来るのは初めてだった。
「建物、豪華だね」
それはわたしも思ったことだった。
「まあ、階級が上がると、街並みも広く豪勢になるんだよ」
天城は来たことがあるようで、淡白に説明した。
「どのくらいの広さだろう?」
瀬木はそう言って、視線を左上に向けた。メニューから街の地図を開いたようだ。
「うわっ、凄いよ。絶対一日で回れない」
その感想は的確でわかりやすい広さだと思った。
「アバウトだね。数字が出てるんだからちゃんと言うべき」
が、瑞香には許せないようで、抗議するように強めに言った。
「はいはい。次からそうする」
その言い方は、絶対そうしないことを示していた。
「えっと、上級に来たことある人はどれぐらいいるの?」
ここで天城が質問をしてきた。
結果、天城以外は誰も上級に来たことがないことがわかった。
そういうことで、天城が上級の中でも難しくないクエストを選んでくれた。
NPCに声を掛けて、街を出る為にワープ装置を使った。というか、街が広すぎて使わざるを得なかった。
街を出た瞬間、周りが薄暗くなり一気に不穏な空気が漂ってきた。なかなかの演出だと思った。
「なんか今までと雰囲気が違うんだね」
「そうだね。上級は街を出ればほとんどこんな感じだよ」
瀬木の感想に、天城が応えた。
歩いていると、大型のオーガとエンカウントした。
「え、これ勝てる?」
それを見た瀬木が、不安げにこちらを振り返った。
「上級の雑魚敵は大型が多いから」
「そうなんだ」
「まあ、上級は現実と想像の乖離ができてないと無理だから」
「乖離って何?」
「結びつかないこと」
瀬木の疑問に、天城は単調に答えた。
「なるほど、現実的に考えないってことね」
瀬木が納得したところで、戦闘が始まった。
動きは巨体なのにかなり俊敏で、攻撃も複合的で二匹いたら瀬木は倒れていただろう。
「ちょっと、瀬木さん。あまり敵に近づかないで」
瑞香は、少し苛立った感じで注意した。
「わ、わかってるけど。動きが早くて振り切れない」
戦闘時での瞬間移動は瀬木にはまだ難しいようで、オーガを引き離せないでいた。ちなみに、わたしも瞬間移動は苦手で接近戦は控えていた。
「ちょっと離れて」
瀬木とオーガの間に、急に現れた天城が正拳突きがオーガに腹部に突き刺さった。
オーガが数秒動けなくなり、天城もすぐにその場を離れた。
「ナイスだね。天城さん」
瑞香はそう言うと、特大の8をフル回転させて正面ではなく横にして放った。
8がオーガの腹部に入ろうとしたが、持っていた武器という大木の棍棒で防いだ。が、8はそれを意図せず棍棒を切り裂きオーガを真っ二つにした。それをイメージできるって、瑞香は思いのほか残忍と思った。
これで倒したと思ったのだが、超高速再生という反則的な能力が発動した。
これにわたしが驚き、瀬木と瑞香が嘘と呟いたところで、天城がトドメを刺すために動いた。
瞬時にオーガの上半身に瞬間移動し、強烈な回し蹴りを放った。その攻撃でオーガの再生が部分が千切れて、上半身が横に飛んでいった。
「上級は思いもしない復活があるから注意が必要だよ。あと雑魚敵でも一筋縄じゃ倒せないから」
それは先に行って欲しかったのだが、口頭で言われても見るまではよくわからなかっただろう。
「これが雑魚敵って、かなりヤバいんだね」
瀬木はさっきの元気がなく、不安げな顔になっていた。
「まあ、やめるのも一つの選択だね。無理して行っても負けるだけだし」
確かに、今しがた倒したオーガと再び対峙したら一人で勝つことはできないだろう。それほど、わたしには勝てるイメージが湧かなかった。
「どうする?進む?やめる?」
天城はそう言って、わたし達と一人ずつ目を合わせた。
「あたしは進みたい」
予想外なことに、瀬木が積極性を見せた。
「勝てる戦いができる?」
「正直、すぐには無理。でも、今の自分の想像力を試したい」
瀬木は真剣な顔で、天城を見返した。
「わかった。梨乃と木橋さんはどうする?」
「私は付き合ってもいいわ」
「三人がいくなら、わたしも行くけど、接近戦は無理かな。遠くからの援護が精いっぱい」
これはわたしの素直な気持ちだった。
「うん。それだけでも十分助かる」
まさか天城からそんな優しい言葉を投げかけられるとは思ってなかったので、心の中がふわふわして俄然やる気が出てきた。
全員の意見がまとまったところで、先に進むことになった。
そこからは1、5倍のホッキョクグマや幻獣のアルゴス。大斧を持ったミノタウロスなどと戦った。
一回戦う度に休憩して進んだのだが、三戦しただけで2時間近く立っていた。
「上級ってこんなにきついの?」
毎回肩で息をしている瀬木が、座った態勢で全身を伸ばすように身体を反った。
「まあ、慣れればもっと短い時間で倒せるよ」
それに対して、一番動いていたはずの天城が疲れた素振りは一切見せず涼しい顔をしていた。さすがは上級者といったところだろう。
「今日はもうこれ以上はできそうにないね」
天城は、利用時間を確認ながらそう言った。
「そうだね。今日はこれで終わろうか。負けなかったのは奇跡だね」
瀬木も延長は望まず、天城に同調した。
わたしと瑞香も異論はなかったので、そのままログアウトになった。
「それにしても稀伊は凄いね」
帰り道、瀬木が天城を褒めた。
「ま、まあ、経験の差かも」
それはあのゲームにどっぷり浸かっていることを意味しているので、あまり誇らしげにはできないようだ。まあ、想像力が高くないと勝てないので、天城には妄想癖に近い思考能力があるのだろう。
天城たちと別れ、家に帰ろうとすると、なぜか瑞香がついてきた。
「どうかした?」
「ん。ちょっと相談事」
「でも、結構遅い時間だよ」
「そうだね。でも、今日話したい」
「電話じゃダメ?」
「直接話したい」
「これは珍しい」
こういうことは今まで数回あっただけで、ここ最近はなかった。予想としては、駒沢への愚痴だろうと思いながらも瑞香と一緒に自宅へ足を向けた。
8 カオス
「ふぅ~」
ようやく一人になり、ワタシは思わず大きく息を吐いた。ここ最近、女子とばかり遊んでいてなんか変な気分だった。
昔は男子ばかりだったのだが、女子との話は色恋話とか今時の流行かと思っていた。しかし、玲愛や梨乃はミューグの話ばかりで、男子とあまり変わらない感じだった。時折、女子トークをしてくるのだが、あまり盛り上がらないことが多かった。理由はよくわからないのだが、ほとんどは梨乃が何か言いにくそうに視線を泳がせて話を変えていた。
「や。今日も女子と遊んで楽しかったかい」
ノックもせず部屋に入ってきた姉のせいで、今考えていたことがすべて吹き飛んでしまった。
「ノック」
ワタシは改善しないことを知りつつも、テンプレのような指摘をした。
「ここ最近相手してくれなくて、お姉ちゃん寂しいぞ」
「もういい歳なんだから、友達と遊んでよ」
「む。歳は関係なくない?」
「それは謝るけど、あんまりワタシに構わないで欲しいんだけど」
これも何度目かの指摘だった。
「何よ~、せっかく妹の稀伊を気を使ってる姉の気持ちを蔑ろにする気?」
「気遣うなら、ワタシのコンプレックスを広めないで欲しかった」
「え~、それしたおかげでブレザーで通えるんだよ」
「それは感謝してるけど」
本音を言うと、感謝の一欠けらもなかった。
「でも、これ以上はやめて欲しい」
「はいはい、わかりましたよ。可愛い妹の頼みなら聞くわよ」
「そうしてくれると助かる」
一応、釘は刺したのでこれ以上言うのは控えることにした。
次の日、学校に行く途中で珍しく亀水と会った。
亀水はワタシを見ると、嬉しそうに近づいてきた。
「今日は遅いな」
「うん。ちょっと寝過ごしちゃって」
ワタシは亀水に対して、女という設定の返しをした。
「そう言えば、前に瀬木たちと一緒にいたのを見たけど、最近よく一緒にいるよな」
「まあ、そうだね。こんなワタシでも普通に接してくれる良い人たちだよ」
「それは良いことだ。で、俺とはいつ遊んでくれるんだ?」
「え、えっと。じゃあ、今日の放課後にでも遊びに行く?」
三度は断っているのだが、もうこれ以上の誘いを断ることは性格上難しかった。できれば、この誘いは断って欲しいと願いながら言ってみた。
「ホントか!じゃあ、どこ行く?ミューグとかアミューズメントとかがいいか?」
「そ、そこは任せるよ」
願いが叶わなかったことで、もうどうにでもなれという感じで丸投げした。こうなっては亀水に嫌われる方向で行こうと思うのだが、経験上不発になるだろうと思った。
「あ、もしいいんだったら、玲愛たちも誘っていい?」
今まで誘える友達がいなかったが、玲愛たちと仲良くなったので、彼女たちには悪いと思いつつ利用させてもらうことにした。
「え、ん~、まあ、いいよ」
なんと意外なことに、亀水がそれを許容してくれた。彼に怯えを感じていたが、これには心が軽くなった。
そういう訳で、昼食の時に二人を誘ってみた。
「え、どこ行くの?」
脊椎反射的に聞いてきたのは玲愛だった。
「あ、ごめん。それは聞いてないけど」
「は~、抜けてるね~」
「ご、ごめん」
これは謝るしかなかった。
「インドアだからって断ればよかったのに」
「う、うん。でも、最近は玲愛たちと一緒に遊んでいるからなんか断りづらくて」
もっともらしい言い訳だが、実際は八方美人の性格が仇になっているだけだった。
「あ~、それはしょうがいないね。でも、あたし達も誘っていいっていうのは意外だね」
「う、うん。ワタシもそう思った」
「その、亀水って人。どういう人?」
ここで梨乃が、少し不機嫌そうに聞いてきた。
「どういうって・・・」
ワタシは、どう説明していいか悩んでしまった。
「普通の男。それに尽きる」
玲愛がどうでもよさそうな感じで、率直な感想を口にした。ワタシもそんな感じだったので、同調するように頷いた。
「ふ~ん。まあ、いいよ。どういう男か見極めようかな」
梨乃は不機嫌なそうな顔で、よくわからないことを言って承諾してくれた。
「ありがとう。二人っきりだとなんか不安だったんだ」
ワタシは、心の底から梨乃に感謝した。
「あたしもいいよ。友達を危険にさらせないし」
まさか玲愛から友達という言葉を聞けるとは思わなかったので、これには驚いてしまった。
「な、何よ」
ワタシの表情に、玲愛が少し気まずそうにそっぽを向いた。
「う、ううん。ありがとう」
ワタシは、少し恥ずかしくなって顔を逸らした。
「ムカつくほど可愛いわね」
別に意図したわけではなかったのだが、玲愛に嫉妬されてしまった。
それからは、木橋はどうするかの話になった。
結論として、強引に連れて行こうと二人が言った。なんだろう、二人から私怨のようなものを強く感じる。
「でも、こっちが四人で亀水一人だったら、居心地悪くならないかな」
これは男であるワタシの気遣いだった。
「あっちが了承したんだから、そんなの知らないわ」
これには玲愛が、突き放すように言った。それはそうなのだが、もし亀水一人だと可哀想だと思った。
「ちょっと、亀水に場所聞いてくるね」
昼休みはまだ少しあるので、教室の廊下側にいる亀水に話を聞くことにした。
「それならわたしも行こうか?」
すると、なぜか梨乃がついてこようとした。おそらくだが、ワタシの身を案じたのだろう。
「大丈夫だよ。すぐ戻るから」
亀水には他にも連れて行った方がいいと助言もするので、付いてこられると言いにくいと思った。
亀水の席まで行くと、彼の正面にクラスメイトの木工が座っていた。
「ちょっといいかな」
ワタシは滑らかな口調で、亀水に話しかけた。我ながら、女らしくて気持ち悪い。
「な、何かな」
亀水は、緊張しながら返事をした。木工の方は少し身を引いてこちらを見上げてきた。話すのに邪魔しないような配慮に見えた。
「放課後、どこに行くのか決まっているなら教えて欲しいかな」
「え、あ、ああ。カラオケとかどうかな」
「あ、うん。わかった」
割と定番すぎて、ちょっと返事が詰まってしまった。
「あと、こっちは四人になりそうなんだ。亀水も友達を誘った方がいいよ」
「え、そうなんだ。わかった」
亀水に伝えたことで目的は達成したので、席に戻ることにした。
「えっと、天城さん」
すると、予想外なことに木工が引き止めてきた。
「何?」
ワタシは自然に振り返り、木工を見て表情を緩めた。
「本当に男なの?」
なんと失礼な質問だろうと思ったが、ここは言葉を呑んで気まずそうにスカートを押えて頷いた。
「おまえ、何聞いてるんだよ」
「あ、いや、悪い。女子にしか見えなかったから」
亀水の言葉に、木工が申し訳なさそうに弁明した。なるほど、率直な疑問だったのか。
「ごめん。天城さん」
「ううん。もう慣れてるから」
木工の謝罪に、苦笑いでそう返した。
「本当にごめん。おれにしてほしいことがあったら言って欲しい」
ワタシの演技に罪悪感が芽生えたようで、さっきとは違い深く謝罪した。う~ん、それなりの返しをしただけなので、そこまで謝られるとこっちが申し訳なく思ってしまう。
「き、気にしないで」
「傷つけたことは間違いないから」
「え、えっと、じゃあ、今日の放課後一緒にカラオケ行こうよ」
「え?」
「それでチャラってことで」
どうせ亀水から誘われるのなら、ワタシが一緒に来るように要望すればこの件は終われるだろうと思った。
「天城さんがそう言うなら」
ワタシの意図を汲んでくれたようで、迷うことなく了承してくれた。
「じゃあ、また後で」
これ以上の会話はしたくないと感じたので、そそくさと自分の席に戻った。
「どうだった?」
戻ると、玲愛がすぐに言葉を発した。
「う、うん。カラオケ行くんだって」
「歌か。あんまり得意じゃないかも」
玲愛はそう言って、梨乃の方を見た。
「わたしは得意だよ。バラードとかよく歌う」
梨乃の方はテンションが上がって、声のトーンが高くなった。
「ワタシは苦手かな」
男なので、高く出せてもテノールぐらいで結果的に男性歌手の歌が多くなっていた。
「あっ、あと、木工も来てくれるって」
「え、木工?ああ、あの影薄い人」
玲愛には木工の印象があまりないようだ。
放課後、教室で亀水を中心に集まった。
「多くないか?」
亀水は、全員を確認してからそう言った。
「それは亀水が四人も男子を連れてきたからでしょう」
「いや、そっちも四人じゃん」
玲愛の言葉に、亀水が即座に反論した。
「別にいいじゃん。多い方が楽しいだろ」
ここで一番チャラい感じの一宮和樹(イチミヤ カズキ)が割って入ってきた。結構なイケメンだが、ナルシストで若干嫌われていた。というか、亀水が彼を誘ったのが不思議だった。
「じゃあ、僕帰る」
そして、一番乗り気じゃない陰気っぽい湯川信之(ユノカワ ノブユキ)が帰ろうとした。
「ま、まあまあ。まずは五人になった経緯を聞こうかな」
ワタシは帰ろうとする湯川の肩を掴んで引き止めた。理由は一つで、多ければ多いほどワタシの存在を分散させる狙いがあるからだ。
「簡単に言うと、クラスの男子に拡散したらこうなった」
それはなんともわかりやすい答えだった。でも、それだと湯川がいるのはおかしいと思った。
「ぼ、僕は和樹が強引に・・・」
「信之は幼馴染で、引っ込み思案だからこの機を逃せないと思ってね」
要するに、余計なお世話を焼いたということのようだ。
「そっか。それは災難だったね」
ワタシは、湯川に対して同情心が芽生えた。
「え、あ、いえ。あの、そもそも発案者って天城さんじゃないの?」
「え、違うけど」
「あ、そうなんだ」
ワタシの答えに、湯川のトーンが少し下がった。どうやら、ワタシが誘ったと思っていたらしい。そんなことワタシがするわけないのだが、周りにはそう見えているようだ。それは心外以外のなにものでもなかった。
もう一人は、西谷出流(ニシノヤ イズル)で誰とも話しているところを見たことがないぼっちと命名されるほどの人物だった。
「えっと、西谷も来る?」
この場所に留まっているだけで、一向に話に入ってこない西谷にワタシは笑顔で聞いてみた。
「ああ」
それに対して、その一言だけで終わりである。本当に来たいのかどうかも怪しいものだ。
「ねぇ、これはなんの集まり?」
すると、教室の入り口から静香の声が聞こえた。これにはワタシだけではなく、玲愛の方もビクッと反応した。
「あ、えっと、駒沢先輩。こ、これはですね。今からクラスメイトと交流を・・・」
遊びに行くとは言いづらいようで、玲愛は目を泳がせながら言い訳を絞り出した。
「ふ~ん。合コンみたいな男女比率ね。一人余る感じだけど」
この指摘に、玲愛が助けを求めるようにワタシの方を見た。
「えっと、ぶっちゃけて言うと遊びに行きます」
「それはわかりやすくていいわね」
ワタシの答えに、静香は嬉しそうに納得した。
「で、静香先輩はなぜここに?」
「最近、部活に来ない誰かさんを呼びに来たんだけど」
静香はそう言いながら、流し目で玲愛の方を見た。
その視線に、玲愛が挙動不審になった。なんともわかりやすいクラスメイトだ。
「でも、今日も無理そうね」
「す、すみません」
謝りながらも行かないことは固辞するようだ。
すると、静香が何を思ったか、メグケーを取り出して誰かに連絡してから自分も行くと言い出した。
「え、来るんですか」
この行動力には驚きを隠せなかった。
「ええ、何か問題でもあるのかしら」
「え、いえ、えっと、いいのかな?」
ワタシは、男子を中心に意見を求めた。
「う、うんと、俺たちは別にいいけど」
亀水は他の男子たちを目配せしてから、その結論を口に出した。できれば断って欲しかったのだが、こうなるともう諦めるしかなかった。
「じゃ、じゃあ、まずは自己紹介してから行こうか」
同級生全員が顔見知りでも、名前は覚えてるわけでもないし、何より先輩が一人入ったことで自己紹介は必須になってしまった。
自己紹介も終え、ようやく学校を出た。
目的の場所に着くまで、男子と女子に分かれての移動になった。まあ、これは仕方がないのでいいのだが、男子の方は会話が少ない気がした。
「で、誰狙いなの?」
それを聞いたのは静香だった。
「こっちに狙いはないですよ。亀水が稀伊を狙ってる感じですね」
「えっと、誰だっけ?」
さっき静香の為に自己紹介したのに、全然覚えてくれなかった。
「一番前を歩いている人です」
場所を決めたのは亀水なので、案内役として今は先頭を歩いていた。
「ああ、一番パッとしない人ね」
酷い印象を持っていた。
「で、イケメンの方はチャラそうだね」
「実際、クラスの中じゃあチャラくて有名ですよ」
「彼は、稀伊を狙ってないの?」
「そういうことはないと思いますよ。純粋な女子が好きみたいですし」
玲愛は軽蔑の眼差しで、前にいる一宮を見た。彼は、幼馴染の湯川と話していた。
「純粋?稀伊は純粋じゃないの?」
「だって、稀伊って身体は男ですから」
「え!」
静香はわかりやすい驚きをして、ワタシの方を凝視した。
「え?知りませんでした?」
この反応を見た玲愛が、少し気まずそうにワタシを静香越しに見てきた。
「え、ほ、本当に?」
玲愛の言葉が耳に入らないようで、静香が食い気味に聞いてきた。
「は、はい。えっと、言ってなかったことは謝ります」
「それはどうでもいいわ。その容姿で男っていうのが信じられないわ。あ、よく見ると、喉仏があるわ」
静香は顔から視線を喉に移して、男という証を見つけてくれた。
「でも、そういう格好ってことは性同一性障害ってことかしら」
「そ、そういうことです」
「へぇ~、ほぉ~」
静香は、ワタシを興味深そうに全身を観察した。
「え、でも、亀水が狙ってるのって稀伊なのよね」
「はい」
「身体は男って知ってるの?」
「あたしのクラスでは全員が知ってますよ」
「それなのに狙ってるの?」
「変な奴でしょう」
「昔に流行ったBLってやつだね」
その表現は背筋が寒くなるからやめて欲しい。
「・・・興奮するね」
どうやら、そっち系は許容範囲のようだ。
「あたしはしないですね」
「同じく」
玲愛と梨乃は、冷めた目で静香を見た。
「瑞香はどう?」
「え、わ、私!えっと、まあ、わからなくはないけど」
「仲間!」
静香は、嬉しそうに木橋の手を両手で握った。
「やめてください」
一緒にされるのが嫌なのか、視線を逸らしながら手を振り払った。
「なんか先輩って、知り合うほどに見た目と違う感じがしますね」
木橋はそう言いながら、横目で静香を見た。
「あ~、それなんかよく言われるね~。どう見えているのかな」
「そうですね。まあ、常識的でおっとりして見えますね」
「何、その抽象的な印象」
「見た目なんですから抽象的なのは当たり前です」
これは木橋に一理あると思った。
「駒沢先輩は、黙っていればモテると思うんですけど」
「え、何それ。遠回しに性格に難あるって言ってる?」
「遠回しには言ってません」
玲愛は特に弁明もせずに、ありのままを口にした。先輩に対して物怖じしないというより、彼女にだけは建前を言いたくない感じが伝わってきた。
カラオケ店に着き、パーティルームを選んで全員が部屋に入った。
そこからは一宮と静香が積極的に歌い、それに乗せられて梨乃とワタシが参加した。
「天城さんって歌うまいね」
歌い終わったワタシの隣に、亀水が笑顔で座った。
亀水は、ここぞとばかりにワタシについていろいろ聞いてきた。
ワタシは当たり障りのない返事をして、飲み物を飲んだ。キャバクラってこんな感じかなと頭の片隅で思った。
そして、亀水がようやく話を切りあげてアップテンポの曲を歌った。
それを見計らって、ワタシは未だに歌う気配も話すこともしない西谷の隣に座った。
「何してるの?」
ただ座っている西谷に対して、ワタシは軽い感じに話しかけてみた。
「ふむ、交流の場というものがどういうものかを観察している」
どんな返事をするのかいろいろ予想してみたが、滅茶苦茶お堅い返事が返ってきた。
「こういう場は初めてなの?」
「誘われないからな」
「誘ってはみないの?」
「一度、誘ったことはあったが、断られて深く傷ついた」
「なるほど。で、もう誘う勇気がなくなったと」
「そうだ」
その調子の受け答えなら、誰も近寄らないだろう。ワタシも彼を見習うべきだと思ったが、大嘘のせいでもう無理だった。
「で、来てみた感想は?」
彼にちょっと興味が出て、もう少し話してみようと思った。
「うるさいな」
「ふふっ、その感想は少しおかしいね」
「む・・・」
ワタシが笑うと、西谷が少し顔を顰めて言葉を詰まらせた。
「騒ぐ所で静かにしてたら場違いだよ」
「それは確かに」
ワタシの意見に、西谷はゆっくりとした動きで同意した。
「女子と話せたのは、正直初めてだがこんなに心地良いものなのか」
「えっと、もしかして友達いないの?」
「ああ、いないな。基本、一人が好きだから極力話さないし、遊ぶのも一人でしてる」
「じゃあ、なんで今日は来ようと思ったの?」
「気まぐれというやつだ」
「そっか。いい経験になった?」
「そうだな。貴重な経験かもしれない」
「それは大切にしないとね。でも、女子と話すだけじゃなくて、同性と話してもそういう気持ちになることもあるよ。馬が合えばだけど」
「そういうものなのか」
「それも人によるけどね」
ワタシが入れた曲が流れたので、前に出て歌うことにした。曲はバラードでかなり昔の名曲だった。
それを聴いていた静香が、この曲の良さについて玲愛に語っていた。
歌い終わった後、西谷のもとには戻らず今度は湯川の隣に座った。これには深く関わるのを防ぐ狙いがあった。でも、一宮とは話す気はなかった。それはあっちも同じだろうと思っていたからに他ならない。
「な、何か?」
隣に座ったことで湯川が動揺を見せた。
「少し話してみたいと思って」
本音を言えば、亀水から離れる為だった。
「ぼ、僕と話しても楽しくないと思うけど」
「それはワタシが決めるから気にしなくていいよ」
それから湯川と他愛のない話をした。
湯川はたどたどしい返事で、何度か言葉に詰まり正直じれったかった。
「もしかして、緊張してる?」
それは火を見る限り明らかだったのだが、念のため確認してみた。
「じょ、女子と話すのが、その、は、初めてで・・・」
「でも、ワタシの身体は男だよ」
「そ、それは、そうかもしれないけど・・・」
湯川はおどおどしながら、何度かワタシの方をチラ見した。
「う~ん。じゃあ、男になってみよっか」
ワタシは、少し考えてからそう提案してみた。
「え?ど、どうやって?」
それは当然の疑問だった。
「ん、あ、あ~。これでどうだ?」
「え!」
ワタシの声のトーンと口調を変えたことに、湯川が驚きを見せた。
「話しやすくなったか?」
「えっと、違和感が凄い」
「まあ、それは許容してくれ」
ワタシは片手をひらひらと振って、仕草も男に戻した。
「湯川って、ミューグには行くのか」
「え、えっと、まあ、人並みには」
「上級まで行ったことある?」
「ええ、序盤のボスは単身で撃破したかな」
「それは凄いな」
それからはその話を中心に話が盛り上がった。
「す、凄いね。天城さんはドラゴンも倒したの?」
「たまたまだけどな。正直、もう一度戦ったら負けると思う」
「それでも凄いと思う。あのドラゴンは同じ攻撃は効かないから攻略が本当に難しいんだよ」
「そうだな。何十種類かの攻撃パターンがないと倒すのはまず無理だな」
「そうそう。よく数十種類の攻撃パターン思いつくね」
「必至に絞り出した感じだな」
「天城さん。今度是非一緒に討伐しに行きませんか」
湯川は、突然敬語でそんなことを言った。
「え、二人になるとステータスとか上がるし、敵も増えるから余計に難しくならない?」
「それなんですが、一つ良いアイテムを持ってますよ」
その言葉に、ワタシはなんとなく思い当たるアイテムが浮かんだ。そのアイテムは、上級を制覇しないと手に入らないアイテムだった。
「え、それって、かなりレアなんだけど持ってるのか?」
「ええ、実は超越級の人同士が対戦していた時に掠め取りまして」
「え、超越級行ったことあるの?」
「いえ、そこに行く前の二人という意味です」
「ああ、なるほど」
初めからぶっ飛んだ二人が戦っていたところに、湯川がこっそりとアイテムだけを盗んだということだろう。
「そのアイテムってなんなの?」
突然、横から玲愛が顔を近づけてきた。
「吃驚した」
「何その低音。似合わないから戻して」
「はい」
ワタシは玲愛の要求を素直に受けれて、女のような声に戻した。
「湯川って上級なんだね。あたしは中級だよ。前に上級に行った時、ボスにもいけなかったんだけどなんかアドバイスとかないかな」
玲愛は、積極的に湯川に話しかけた。
「そ、そうですね。基本は固定概念を取り払うんですが、い、一番効率よくなるのは思考の飛躍です」
「具体的にどうするのかな」
「えっと、極端な例えをしますと、戦いの最中に急にダンスするとかです」
「・・・それは突飛すぎてAIも動揺するね」
その光景を思い浮かべたのか、感情のない目で単調にそう言った。
「その隙をついて、不意打ちの攻撃を仕掛けるんです」
「う~ん。今度参考にしてみようかな」
その後、主軸が二人に移ったので、ワタシはその場を離れることにした。
一人になった途端、亀水が話しかけてきた。一人になるのを待っていたようだ。
亀水と他愛のない話をして、隙を見て歌を歌い、今度は木工と話すことにした。彼は歌よりもよく飲食している感じだった。
「よく食べるね」
ワタシは話のきっかけをつくりながら、木工の横に座った。
「歌は下手だから」
「いいんじゃない、下手でも。どうせカラオケなんだし」
「聞き苦しいものは、人前では披露したくないかな」
「気遣いができるのね」
「ごめん。それらしいこと言ったけど本当は恥ずかしいだけなんだ」
「それは納得」
別にさっきの理由でもいいのに、謝りながらも訂正したのは彼の優しさなのだろう。
「そういえば、さっきミューグの話してたけど、天城さんもするんだね」
「そうだね。上級の中盤のボスまでは行ってるよ」
「結構、ガチ勢なんだな」
「まあ、そうかもね」
ガチなんて今では滅多に聞かないのだが、意味が伝わらないわけではなかった。
「そういえば、おれもそのゲームした時、天城さんのアバターがいたんだけど、もし被害とかあったら報告しておいた方がいいんじゃないかな」
これにはちょっと驚いてしまった。確かに、身バレで危険なのは知っていたが、まさかクラスメイトに目撃されていたのは予想外だった。
「えっと、これ内緒にしてくれないかな」
しらを切ることも考えたが、木工は何気に信頼できそうなので口止めをお願いした。
「え、もしかして本人?」
木工が驚きを隠さずに、こちらを凝視してきた。
「は、恥ずかしいけどね」
ワタシは頬を掻いて、彼から視線を外した。
「危険だからやめた方がいい、マジで」
「そ、そうなんだけど、いつも意識してるからなんか直らなくて。ほ、ほら、ワタシ身体が男だから、アバターでは女を意識してたら今の自分になるんだよ」
これは嘘だった。あの姿は玲愛たちと一緒の時にしかなっていなかった。
「な、なるほど。潜在的にそうなりたいと思っている姿が、アバターにも反映されてしまってるんだね」
「う、うん。まあ、そんな感じ」
勝手に都合の良い解釈をしてくれたのは助かることだった。
「前に戦いを挑んだ二人組いただろう」
「え?」
それを言われても、なんのことかわからなかった。
「ほら、全身鎧姿とロボット」
「あ、あ~、いたね。って、あれ木工だったの?」
「もう一人は輝雄だ」
「そうだったんだ。でも、途中でログアウトしてたよね」
「ああ、時間切れでな」
「なるほど」
延長せずにそのまま落ちたということだろう。
「天城さんをアバターとして使ってることが輝雄には気に入らなかったみたいでな。だから、あんまり責めないでやってくれ」
どうやら、けしかけたのは亀水の方で木工の方は付き添いだったようだ。
「別に、それは気にしないけど。このことは言わないで欲しいかな」
「なんで?」
これは当然の疑問だった。
「ちょっと恥ずかしい」
身バレしてることがいまさらながらに恥ずかしく感じた。
「あ~、わかった」
こっちの気持ちを察したのか、苦笑いでそっぽを向いた。ちょっと顔が赤いのは気になったのだが、内緒にしてくれるのは有難かった。
それからはネットの話になった。端末は何かとか回線の速度の話といった専門的に近い感じの話だった。
「天城さんって、こんな話にもついてこれるんだな」
「う、うん。まあ、でもこれ以上深くなるとちょっと難しいかも」
「普通の女子はだいたい手前で終わるよ」
「まあ、好き好んで話したいとは思わないかもね」
こんなの男子でも、分かれるだろうと思ったが口には出さなかった。
時間になり、延長はせずにその場で解散となった。なんとか亀水との二人の時間は分散できて、ワタシ的には満足のいく交流会だった。
「っていうか、稀伊って好色だったんだね」
「こ、こうしょく?」
静香の言葉の意味がわからず、復唱しながら彼女を見た。
「男好きってこと」
「え、そう見えました?」
「そうとしか見えなかった」
こちらとしては、亀水を避けるための行動だったのだが、傍から見たら男好きと捉えられてしまったらしい。
「そもそも、わたし達と全然話さなかったよ」
隣を歩いていた梨乃が、不満そうに口を尖らせた。正直な話、女子と話すより男子の方が波長が合うのだが、そんなこと口が裂けても言えなかった。
「っていうか、一宮って人、うざくなかった?」
ここで玲愛が、疲れた顔でそんなことを言い出した。ワタシが唯一話さなかった男子で、ワタシ以外の女子に代わる代わる話しかけていた。つまり、ワタシと同じような動きだったのだ。
「あの人、苦手」
これに木橋も同意するように首を振りながらそう言った。
「チャラいよね~」
静香は、軽い感じでそんな感想を口にした。
「ああいうの、わたし嫌い」
梨乃のその一言は、心底思いのこもった言葉だった。今の時代、積極的な男子は嫌われるのかと、なんとも不憫な気持ちになった。というか、歴史から考えると男女均等法ができてかもしれない。
「あ、じゃあ、ワタシも一宮と同じようなことしてるから嫌わてしまったかもしれないね」
一宮と同じ行動を取っていたワタシは、話の流れでそう自虐しておいた。別に嫌われてもいいし、女子と公言している以上友達にもなれそうにないのでどうでもよかった。
「「「それはない」」」」
木橋以外の声が、ハモるように重なった。
「そ、そうかな」
ワタシの意見が三人に否定されたことに声が小さくなってしまった。
それから解散になり、ワタシは帰宅した。
9 告白
ここ最近、天城が他の男子とよく話すようになった。原因は、3日前の合コンなのは確実だった。
「天城さんって、モテるよね」
わたしは溜息をつきながら、友人の瑞香に愚痴をこぼした。
「まあ、人当たりがいいからね」
「誰にでも好かれるのは嬉しいけど、男子に好かれるのはちょっと嫌だな~」
「なんでよ」
わたしの思いに、瑞香が呆れたように指摘した。
「だって、取られる可能性あるじゃん」
「彼氏持ちが嫌なんだね」
「そうそう。なんかそれを理由に断られるのって気分悪くない?」
「幸せそうでいいじゃない」
「はぁ~。天城さんへの思いが軽い人はその程度の認識でいいよね~」
「そう?なら、これを機に、思いを軽くしてみたらどうかな。そもそも梨乃の場合、男女関係なく障害者を好きになるから、それいい加減直した方がいいよ」
「性癖なんて変えられないよ」
「んん、教室でそんな発言は控えるように。思いを軽くしてとは言ったけど、発言を軽くしてとは一言も言ってないから」
わたしの軽はずみな発言に、喉を鳴らして注意した。
「あんな健常者の男子の何がいいだろう」
「・・・梨乃の言い方には、独自性の主観が入るよね。それ、やめた方がいいよ」
「これは瑞香だから言ってるんだよ」
「そう。信頼を寄せていることは嬉しいけど、対応に困るからできるだけ控えて欲しいかも」
そんなこと言っても、モヤモヤしている時は自分を制御できる自信はなかった。
放課後になり、今日こそはと天城のクラスに行った。
「ごめん。今日約束あるから」
2日連続で断られてしまった。もう悲しくて仕方なくて、八つ当たりするように瀬木を強引に連れ出した。
「って、なんで不機嫌なんだよ」
瀬木は、不思議そうに聞いてきた。
「天城さんが一緒に帰ってくれないことが不満だからよ」
これには瑞香が、ぶっきらぼうに答えた。
「ああ、なるほど。昨日も断られてたもんな」
「ホントだよ~。なんでわたしを優先させてくれないのかな~」
「それは個人の自由だし、束縛したら余計に嫌われるよ」
「それは絶対避けたい!」
わたしはそう言って、強く決意した。
瀬木と別れて、瑞香と一緒に家に帰った。
「あ、姉ちゃんと瑞香さん!」
隆は、瑞香を見た瞬間にテンションがMAXになってソファーから立ち上がった。
「お邪魔します」
瑞香は、隆に軽く会釈して挨拶した。
「ゆっくりしていってください」
「うん。ありがとう」
「あ、あの。え、っと、瑞香さん!」
「え、何?」
隆の声の大きさに、瑞香が少し驚いた顔をした。わたしも驚いた。
「数学、教えてください!」
おお、隆が頑張ってる。
「え、うん。いいけど。いいの?」
わたしを気にしたようで、こちらを見ながら聞いてきた。
「瑞香がいいならいいよ」
「じゃあ、わかった」
そう言った瞬間、隆の表情が明るくなった。まあ、嬉しいのはわかる。
二人の邪魔はしたくないので、わたしは自分の部屋に入った。
メグルでいろんなトレンドのブログや呟きを眺めていると、一つ気になる記事を見つけた。
それを興味深く読んでいると、部屋のドアが開いた。
メグルを少し上げて確認すると瑞香だった。
「ねえ、なんか告白されたんだけど」
「は?」
これには驚いてメグルを外した。
「隆が?」
「うん」
まさか隆にそんな度胸があるとは思わなかった。
「そう。で、どうしたの?」
「断った」
予想通りの答えに、隆への同情心が芽生えた。
「それでなんか変にここに居づらくなった」
「まあ、気にしなくていいよ。思いなんて擦れ違うものだから」
「そう言ってもらえると気が楽になるんだけど、梨乃の弟とは顔合わせづらいかも」
「なら、今度からは・・瑞香の部屋には行きたくないかも」
「そんな!酷い!」
「あ~、まあ、隆とはできるだけ会わないようにするしかないかも」
「はぁ~、結局そっちに落ち着くのね」
「もし、わたしを瑞香の部屋に招きたいなら、数字の壁紙を封印するしかないかな」
「それは絶対嫌」
「だろうね」
まあ、拒絶するだろうと思っていたので、これ以上は特に言うことはなかった。
「そういえば、告白された時に受け入れたらどうなるかをいろいろ考えた」
瑞香はいつもの場所に座って、仮定の話を持ち出してきた。
「瑞香でもそんなこと考えたんだ。てっきり即答で断ったと思ってた」
「さすがにね。勇気出した告白には心揺らぐよ」
「まあ、確かにそうかも。で、考えた結果はどうだった?」
「梨乃の妹になるのには抵抗あった」
「普通、そっちは二の次でしょ」
「そうだね。でも、それが最初にきたってことは、梨乃の弟のことは最優先で考えられないと思って断った」
可哀想に。でも、仕方ないと思う。ぶっちゃけて言うと、女の許容はそんなに広くないのだ。(個人によるけど)
「あ、そうだ。これ渡しとくね」
突然、瑞香が思い出したようにメグルを操作し始めた。どうやら、データを転送するようだ。
「何これ?」
そのデータは動画のようで、サムネイルに知らないおじさんが映っていた。
「前にわからないって言ってた。因数分解の解説動画だよ。この人の解説はわかりやすいと思って」
「ああ、そういえば頼んでたね」
ここ最近、天城と遊んでいてすっかり忘れていたが、そろそろテストの時期が近付いていた。
「AIじゃないんだね」
「うん。有名な大学の講師で話し方が面白くてわかりやすいよ」
今の学校は教師が教えるのではなく、AIが個人授業をして、人に合わせて学力を上げるやり方だった。
それにより、テストの範囲も個人で全く違うものになっていた。ちなみに、学習スピードが個々で違うのだが、進級はエスカレーター式で上がっていくシステムだった。そのせいもあり、瑞香とわたしの数学の進み方は大学と中学という物凄い差がついてしまっていた。
「劣等感を感じるわ」
「ん?何が?」
「学習の差」
「ああ、そうだね」
言いたいことを察したようで、優しい顔で同調した。
「でも、長所を伸ばすなら良い教育方法だと思う」
「勉強の長所があれば・・ね」
「言いたいことはわかるけど、僻んでも空しいだけだよ」
「わかってるよ」
この教育方法には落伍者になるのを防ぐ狙いがあり、実際にはその効果があることは事実だった。
動画を見ている間、瑞香はメグルで何かをしていた。
「まあ、わかりやすいかも」
わたしは、動画を見終わった感想を口にした。
「でしょ♪この人って数学の専門家で、いろんな数学の公式の動画をアップしてるから」
今まで瑞香から教えてもらっていたが、もう教えるのが面倒になったようだ。
「なんかごめん」
そう思い、わたしは申し訳なく思って謝った。
「え、何が?」
「教えるの面倒だったよね」
「あ、ああ。別に面倒とかじゃなくて、私が教えるよりわかりやすいと思ったからだよ」
どうやら、思い違いをしていたようだ。
それからは、いつも通り誰とも知れない恋愛話に花を咲かせた。といっても、わたしと違い瑞香のテンションは特段上がることはなかったのだが。
夕食時に隆を見るとかなり落ち込んだ様子だった。ここは慰めるべきかと思ったが、告白したことを瑞香から聞いたとなると、嫌な気持ちになるだろうと考えて何も知らないということにした。
食事中、両親が隆の様子を気にしていたが、話したくないようで適当な返事をしていた。きっとわたしもフラれたらこんな感じになるんだろうなと思ってしまった。
次の日の昼休み、今度こそと思いながら天城を放課後に誘ってみた。
「う、うん。今日は別に用もないから」
その答えに、喜びの感情がわたしを包んだ。
「じゃあ、ミューグに行こうよ」
隣にいた瀬木が、率先してそう言った。なんでわたしが誘っているのに、彼女が行く場所を決めるんだと思ったが、敢えて口には出さなかった。
「うん。いいよ」
天城は、特に異論はないようで軽く頷いて了承した。少し不満に思ったが、天城と一緒ならどこでもいいかと思い直した。
放課後に瑞香も誘い、久しぶりに四人でミューグに行った。
パーティルームに入り、いつもの定位置に座った。
ログインして、四人のアバターが揃ったのだが、天城のアバターが変わっていた。
「あれ?天城さん?」
とりあえず、天城かどうかを確認してみた。
「う、うん」
少し気まずいのか、視線を逸らして頷いた。
「あれから考えたんだけど、身バレする危険あるから変えておいた」
「あ、そうだね。気が回らなかったね」
だからといって、可愛い感じの男のアバターは少し反則だと思った。思わず抱いて欲しいと言いそうになった。
「で、今日はどうするの?」
話が区切れたところで、瑞香が場を仕切るように言った。
「上級行く?」
これに天城が、わたし達を見てから聞いてきた。
「前みたいにボスに辿り着けないまま終わりそう」
瀬木は、自信なさそうにそう言った。
「じゃあ、中級の終盤のダンジョンに行ってみる?」
瑞香はそう言いながら、視線を斜め上に向けた。
「あ、それいいかも」
これにはわたしは賛成だった。
「じゃあ、今回はそこに行こっか」
瀬木も特に異論はないようで、天城も特に何も言わなかった。
行く場所が決まったところで、全員で行き先に移動した。
そして、中級の街のNPCと話して、ダンジョンを目指すことになった。
「アバターを変えた時って動かし方とか変わるの?」
ダンジョンの前に移動したところで、瀬木が天城にそう聞いた。
「変わらないかな。まあ、大幅に変えた自覚があるなら多少は動かし方は変わるかもしれないけど」
「ふ~ん。あたしも変えてみようかな」
今のアバターに飽きてきたのか、瀬木がそんなことを言った。ちなみに、わたしはかなり気に入っているので変える気がない。おそらく、瑞香もそうだろう。
ダンジョンに入ると、小さな灯りが申し訳ない程度あるだけで、奥までは照らしていなかった。
「ここも照明が必要なの?」
「ここは雰囲気を重視したクエストだから、照明の類の物は使えない仕様になってる」
瑞香は、左端に出ているクエストの内容を見ながら瀬木にそう答えた。
「ふ~ん。いろいろ考えられてるんだね」
確かに、このゲームは多岐にわたる条件があり、今でもAIが新しいクエストを月1で増やしていた。それがこのゲームの人気の理由でもあった。
ダンジョンの一層に入り、瀬木を先頭に進んでいった。
ダンジョンには幻獣ばかりで、絶滅種はいなかった。おそらくだが、ダンジョンという概念は人が創ったもので、条件的には現実の生き物では生息できないとAIが判断したのだろう。
「狭いし戦いにくいね」
そう、それがダンジョンの戦いにくいところだった。広くてもせいぜい5mの高さに周りが4㎡ぐらいしかなく、自然と動きが限定さてしまっていた。さすがは中級の終盤というところだろう。
しばらく歩きながら、魔物を倒していった。
「さすがに強いね~」
戦い疲れて休憩していると、瀬木がそんなことを言った。
「そうだね。でも、上級ほどじゃないと思うけど」
これに瑞香が、淡白にそう応じた。
「それはそうだけどさ。狭いからやりにくいと思ってね」
「そうだね。まあ、終盤だから仕方ないと思うよ」
「そういえば、この奥ってボスとかいるの?」
「いるね。というか、そもそもその討伐が今回のクエストみたいなものだし」
「ふ~ん。倒したことあるの?」
「単独では無理だった」
そういえば、前に瑞香に誘われたことがあったことを思い出した。
「え、じゃあ、厳しいじゃん」
「そうだね。多分だけど、私と瀬木さんだけじゃあ無理だね」
「だろうね」
瀬木は納得しながら、わたしと天城を流すように見た。
「天城さんがいれば、なんとかなるかも」
「あんまり期待されても困るけど」
瑞香の期待に、天城が苦笑いで頬を掻いた。
休憩が終わり、次の戦闘は中ボスクラスの白虎だった。
「可愛い」
ファニー視点の瀬木の第一声がそれだった。毎回思うのだが、なぜいちいち感想を口にするのか不思議に思った。
「気を付けて。もう一頭いる」
奥が薄暗くよく見えなかったが、天城がそういうならいるのだろう。わたしには視認できないが。
「やっぱりパーティーだと難易度も上がるね」
その発言だと、一人の時は一頭だったようだ。
白虎は口からブレスを吐き、広範囲攻撃をダンジョン内でするという反則じみた行動をしてきた。しかも二頭とも。
「何これ!どうやって倒すの!」
瀬木が焦りながら、瑞香の隣に移動した。
「正直、素早く動くだけだと勝てないかな。瞬間移動は必須かも」
慌てている瀬木とは違い、瑞香は冷静だった。
「え、あれ、酔うから嫌なんだけど」
試したことがあるようで、苦い顔でそう言った。
「同感」
それはわたしも同じだった。
「ここで慣れておかないと、ボスなんて倒せないから」
「それって、反則じみた攻撃してくるってこと?」
「うん。広範囲攻撃のオンパレード」
瑞香の言葉に、瀬木が再び苦い顔をした。
そんな話をしている間に、天城は白虎の一頭を圧倒していた。
「す、凄いね」
これはさすがとしか言えなかった。
「瞬間移動って、木橋はどうやってるの?」
「え、座標を決めて移動してる」
「・・・」
瀬木は、真顔で瑞香を凝視した。
「瑞香のやり方は参考にならないから、自分なりに移動方法を考えた方がいいよ」
「そ、そうだね」
わたしの助言に、瀬木は苦笑いで頷いた。
それからは、三人で連携を取りながら戦った。
十数分後、先に白虎を倒したのは天城だった。しかも一人で。
その数分後、最後の白虎を三人でようやく倒せた。正直、瑞香がいなかったら負けていたのは確実だった。
「二人とも結構いい感じになったね」
瑞香はそう言ったが、わたしは結構酔っていて気分が悪かった。
「三半規管がどうにかなりそう」
瀬木は、足元がフラフラの状態で立っているのがやっとという感じだった。
「う~ん。少し休憩しようか」
天城は、わたしと瀬木に気を使ってそう言ってくれた。もうこれだけで好き。
しばらく休憩していると、なんと天城が傍に座ってくれた。今まで避けられている感じだったので、これにはかなり驚いた。が、それ以上に嬉しかった。
「大丈夫?」
「う、うん」
「前より動きが良くなってるね」
「そ、そうかな」
これには本気で照れた。
「そ、そういえば、天城さんって最近他の男子と仲良いね」
わたしは、無意識に今一番聞きたいことを口にしていた。
「え、あ、うん。なんか前のカラオケで距離感が縮まった感じかな」
「そうなんだ。わたしは特に話しかけられないけど」
「だって、隣のクラスだし。それに積極的に話してなかったでしょ」
「そうだけど」
「正直な話、あの五人に興味ないでしょ」
驚いたことに、天城がずばり言い当ててきた。
「えっと、わかった?」
「まあ、態度に出てたよ」
そう言われると不愛想な対応してた気がする。主に一宮に対してで、他の男子とは特に話しをすることもなかったのだが。
「天城さんは凄いね。誰とでも仲良くなれて」
これはただの嫉妬で、別に男女共に大勢と仲良くなりたいとは思っていなかった。
「そ、そうかな。でも、ワタシは他の人と少し違うから」
性同一性障害のことを気にしているようで、言葉が少したどたどしくなった。
「今の時代、そんなの関係ないよ」
わたしは、本心でそう言った。
休憩を終え、さらに進むと魔物も強くなっていった。
「これ、奥までいけなくない?」
歩いていると、瀬木がそう言いながらわたし達の方を振り返った。
「確かに」
これには瑞香が答えた。時間を見ると、あと30分と表示されていた。
「どうする?」
「中間ポイントとかないの?」
「さっき通り過ぎた」
「え、そうなの?」
「ほら、白虎を倒して少し進んだ小部屋ぐらいのフロア。灯りが強かったでしょ」
「あそこなんだ」
「一応、あそこから再開はできるかな」
そうは言っても、白虎を倒してから結構進んでいた。
「またここまで来るのしんどいかも」
瀬木はそう言って、来た道を後ろを振り返った。
「あとどれぐらいなの?」
「今のペースだと40分は掛かりそう」
「で、ボスの前には帰ってこれるの?」
「一度クリアしないとできないね。初級ならできるんだけど」
「それは面倒臭いね」
これは瀬木の言う通りだと思った。
「あ、でも、稀伊ってここクリアしたんだよね」
「え、あ、うん。でも、パーティーだと条件が変わってくるから来れないかな」
「あ、そうなんだ。いまさらだけど、どういう基準になってるか聞いてもいい」
確かにいまさらだし、マニュアルにも載っているのだが、開いて読むのが面倒のようだ。
「一応、初級はクリアしなくても中間と終盤にポイントがあって、中級になると中間ポイントのみで、クリアすると終盤ポイントが追加される感じかな。上級だとクリアしない限り中間ポイントもないよ」
天城は、特に嫌な顔もせずに丁寧に教えた。
「あとパーティーの人数が変わると、敵の強さとか変わるから中間ポイントとかはその人数でクリアしないと飛べない」
「なるほど。良く出来たゲームね」
それはわたしも同感だった。
「なら、今日は帰ろうか。疲れたし」
「う~ん。残念だけど仕方ないね」
瑞香はそう言いながら、瀬木の判断に賛同した。正直わたしも疲れていたので、それは有難かった。
そういう感じで、あと一戦だけして帰ることになった。
最後の敵はなんと滅多に遭遇しないゴールドマウスだった。これはサテライトのオリジナルの魔物で、倒すとかなり高額のお金になるネズミだった。
「これ、どうやって倒すの?」
ゴールドマウスは、ネズミの実寸大で小さく素早かった。
「絶対逃がさないで!」
瑞香は目の色を変えて、一匹のネズミに血眼になっていた。このゲームでのお金は大抵は消耗品に使うのだが、それが重要でもあった。
「あ、闇雲に攻撃すると、倒すどころか全滅するから」
すると、天城が落ち着くように言った。
「大丈夫。もうそろそろ時間だし、全滅覚悟だから」
瑞香もそれはわかっているようで、天城の言葉を軽く流した。このネズミは素早さが半端ないのだが、一撃当てれば倒せる反面、強襲という唯一の攻撃手段があり、これを受ければ即死だった。
ネズミとの戦い・・否、ネズミ狩りは思いのほか長かった。
「くっ、素早さは一級品ね」
瑞香と天城は瞬間移動で、何度も攻撃を仕掛けるのだが移動した時にはネズミはもうその場にいないことが多かった。
わたしと瀬木は、高速移動で追いかけるのだが全然追いつかないし、薄暗いダンジョンということもあり見失うことが多かった。もし、わたしと瀬木二人だけなら、完全に逃げられていただろう。
「木橋さん。ちょっと中央に来るよう仕向けて欲しいんだけど」
「・・・何かあるのね。わかった」
天城の頼みに、少し間をおいて頷いた。
そこからは、わたしの目では追い切れない攻防だった。
そして、天城がネズミに一撃を食らわせたようだが、わたしには見えなかった。
「凄い」
瑞香には見えたようで、驚いた顔で天城を見つめていた。
「えっと、見えた?」
いつの間にかわたしの横に立っていた瀬木が、天城を見つめながらそう聞いてきた。
「わからないかな」
わたしは、素直にそう答えた。
「だよね」
自分だけが見えなかったのではないことを知って、瀬木が安堵の表情を見せた。
ゴールドネズミを倒したことで、パーティー全員に獲得金が手に入った。
「何これ。普通の敵から貰える額の数百倍はあるんだけど」
「まあ、その分逃げられる確率が高いから。っていうか、討伐した人初めて見た」
瑞香はそう言いながら、天城を見つめた。それに気づいた天城が、照れたように視線を逸らした。
「今度、見つけても倒そうとは思わないかも」
天城の倒し方を見て、瑞香には無理だと判断したようだ。わたしには倒し方すら見えなかったのだが。
時間になり、ログアウトしていつものように帰宅した。
今日は天城と一緒に遊べて嬉しかった。
明日もそうだといいなと思いながら、ベッドに就くのだった。
10 傷心
今日は快調で気分良く起きたのだが、朝食の時に姉との会話で気分が悪くなった。もうワタシには気分良く過ごすことは、姉がいる限りできないだろうと悟った。
「おはよう」
ワタシを見かけた木工が、隣に来て話しかけてきた。
「うん。おはよう」
ワタシは、いつものように柔らかい笑顔でそう答えた。カラオケ以降、一宮以外の男子から気さくに話しかけられるようになった。
ワタシにとっては彼らはただの友達だと思っているのだが、亀水だけは身の危険を感じていた。
「なあ、聞いてくれよ。昨日ミューグで遊んでいたら、絡まれちゃってさ」
「それはゲーム?現実?」
「ゲーム内だよ。現実はさすがにないな」
「そう、それは良かった」
「でな、PvP仕掛けられたんだけど、明らかな異常者なんだよ」
「木工って中級だっけ?」
「最近少し感覚戻ってきて、上級までは行けるようになった」
「で、その異常者はそこで会ったの?」
「そうなんだよ。馬鹿みたいに強くて、攻撃しても倒せる感じがしなくてな」
「ふぅ~ん。それは不運だったね。たぶんだけど、その人はもう超級に飛ばされてるかもね」
「そう願いたいね。ああいうのがはびこると、ゲームする人が少なくなる」
木工は、はびこるという今では古い小説にしか載っていない単語を使って愚痴った。
「そうだね。そういう意味じゃあ、AIは優秀だね」
「それは同感だ」
同じ考えなのが嬉しいのか、ワタシに笑顔を見せた。
「なあ、今度ミューグでPvPしてみないか」
「え?」
「前は他の二人だったからさ」
「ワタシと戦ってみたいの?」
「ああ、今ならいい勝負できる気がする」
「一つ聞くけど、瞬間移動はできる」
正直、この移動手段ができないと互角には戦えないと思った。
「ああ、問題なく」
「わかった。いいよ」
正直PvPは好きではないのだが、知り合いと戦うのは少し楽しそうに思えた。
「手加減とかはしなくていいから」
「ふふ、もちろん。全力の方がお互い楽しめるでしょう」
「わかってるじゃねぇか」
ワタシの言葉に、木工が嬉しそうにこちらを見た。
「それ、自分も観戦していいか」
突然、後ろから声が聞こえた。
驚いて振り向くと、西谷が後ろにいた。
「聞いてたの?」
「すまない。盗み聞ぎするつもりはなかった」
「まあ、いいけど。西谷ってミューグ行くの?」
「いや、行ってみたいと思っていたが、一人では行きにくくて行けてない」
「で、ちょうどいいから一緒に行こうと?」
「ああ、そうなる」
「まあ、ワタシはいいけど。木工はどう?」
ワタシはそう言って、木工の方を見た。
「邪魔しなければ、構わない」
「それはしないし。初心者だからどう動かしていいかもわからん」
それはそれでお荷物なような気がした。
「じゃあ、放課後に一緒に行こうか」
「ああ」
西谷は表情はあまり変えず頷いたが、ワタシには嬉しそうに見えた。
放課後、なぜか亀水と湯川がついてきた。理由を聞くと、湯川は興味本位で、亀水の方は強引についていくと豪語したそうだ。
「PvPなんてそんな楽しいイベントを二人だけで進めないで欲しいな」
湯川は、いつもより積極的に話しかけてきた。
「ドラゴンを倒せるほどの戦い方を一度是非見てみたかったんだ」
前に話していたことを持ち出して、興奮気味にそう言った。
「あんまり期待されると、気負いしちゃうよ」
「稀伊は強いんだからもっと自信もっていいとあたしは思う」
ワタシの横にいた玲愛が、なぜが自慢げにそんなことを言った。さらにその後ろに梨乃と木橋が並んで歩いていた。
三人がついてきた理由は、ワタシが放課後にミューグに行くと言ったせいだった。
最初に梨乃が食いつき、そして玲愛が茶化しながらも一緒に行くといい、木工に許可を取ると別に構わないと言われ、放課後に梨乃が木橋を連れてきたというわけだ。
男子が四人、女子が四人でまたカラオケのようなメンツになってしまった。一宮と静香がいないのが、ワタシには少しだけ気が楽だった。
大人数になってしまった為、パーティールームになるのだが、女子が警戒して男女に別れることになった。まあ、これは妥当だと思った。ワタシはシングルの部屋が良かったのだが、梨乃に押し切られてしまった。
女子同士でフロアに集まると、噴水の反対側に男子たちがいた。
「あれ?その格好って」
「あ、前に戦った人」
「だね」
最初に玲愛が気づき、梨乃も木橋も気づいた。
「え、あれ?」
一番混乱していたのは、全身鎧姿の亀水だった。ああ、そういえば、内緒にして欲しいって言ってたんだっけ。このメンツ見たら、あの時のワタシのアバターが誰だったかなんてバレるよね。
「あれ、もしかしてこのアバターが天城さん?」
「う、うん」
ワタシのアバターに最初に気づいたのは、木工だった。まあ、他の三人のアバターは服装は変わっているが、キャラ自体は変わってないからわかったのだろう。
「へぇー、天城さんのアバターって・・男?」
ショタな風貌に魔法使いらしき出で立ちの湯川が、困惑しながら聞いてきた。
「ま、まあ。うん。こっちの方が動きやすいから」
これは本当だった。
「え、湯川?」
「え、なんですか?って、誰?」
玲愛のアバターが男だった為、湯川には誰かはわからないようだった。
「ああ、瀬木よ」
「あ、そうなんだ」
「それより可愛いアバターね。あたしのタイプだわ」
玲愛は湯川を見て、興奮気味にそう言った。
「あ、そうなんだ」
玲愛の突然の告白に、湯川が動揺して視線を泳がせた。女子に言われてるにしても、玲愛のアバターが男だったことに複雑さを覚えだのだろう。
「まず自己紹介しない?」
いちいち確認するのが面倒に思えたのか、子狐の梨乃がそう提案してきた。
「わぁ、珍しいアバター」
これには湯川が食いついた。
「撫でてみたい」
「え、ちょっとやめて」
梨乃は、引き気味に拒絶した。この態度に、湯川が傷ついた表情を見せた。
そして、自己紹介になった。女子たちが簡単に自己紹介して、全身鎧姿の亀水とロボットの木工。そして、ショタの湯川に最後は西谷?だった。
「えっと、何そのアバター?」
全員の疑問を、玲愛が代表して聞いてくれた。
「さあ、わからん」
西谷はそう言って首を傾げたのだが、顔が黒いモヤで覆われていて全く見えなかった。
「もしかして、顔の認識ができないのか」
これには木工が、少し躊躇いながら聞いた。
「ああ、そうだな。医者には相貌失認って言われたな」
「だから、顔がそんな感じになるのか」
亀水がそう言いながら、西谷の顔のモヤを払おうとした。
「やめてくれ」
それが煩わしかったようで、片手で払いのけた。
「え、西谷って障害者なの?」
なぜか梨乃が、声のトーンを少し上げて食いついた。
「う~ん。あまり自分が障害者とは思っていない。声でだいたい認識できるし」
「もしかして顔が見えないからどんな表情をしていいかわからないのか?」
亀水はそう言って、西谷から少し離れた。
「それはあるかもしれない」
「そうか。大変だな」
「もう慣れた」
これにはワタシも心の中で同情した。
「えっと、じゃあ、おれ達はPvPしてくるな」
変な雰囲気になっていることに少し戸惑いながら、木工が言いづらそうに口を開いた。
「そ、そうだね。どこで戦う?」
ワタシも同調するように、場の空気を変えるように少し声を張った。
「西谷もいるし、初級でいいだろ」
PvPは、戦いを申し込んで受諾すればどこでも戦えるのだが、この場所だけはできなかった。
全員異論がなかったので、西谷にやり方を教えてから初級に転移した。ちなみに、教えたのは意外なことに梨乃だった。
初級の街に切り替わり、場所を探そうとすると、木工がどの街にもある闘技場で戦おうと言い出した。ワタシ的には、あそこは他のプレイヤーも観戦するのであまり気が進まかった。
回りくどく渋ったが、木工の強引さに負けてしまった。
闘技場は昔ながらの円形で、大人数が観戦できるようになっていた。
闘技場の受付で戦いの申請すると、先客がいたようで控室で待つことになった。
控室は左右に分かれていて、対戦相手の木工は反対側の控室に歩いて行った。他の四人はもう観客席に行っていた。
数分後、戦いが終わったようでリングの方から歓声が聞こえた。
次はワタシ達の番で、アナウンスで呼ばれた。
リング中央まで歩いていくと、正面から木工も歩いてきた。
「全力で戦おう」
そんな古臭い台詞を言った木工に対して、ワタシはそうだねとしか答えられなかった。
別に審判とかはいないので、少し距離を取ってから戦いを始めた。
ワタシは、すぐさま木工の後ろに瞬間移動して攻撃を仕掛けた。
しかしそれは予想されてたようで、しゃがみ込むように姿勢を低くしてかわした。
なるほど、これはうまいと思った。
そこからも瞬間移動をしながら攻撃をするのだが、木工の方は距離を取るように移動して遠距離攻撃の多段ミサイルを何度も撃ってきた。
木工の戦い方は非常にわかりやすかったが、ミサイルの中身が爆発だけではなく超音波や爆風だけのもの、さらにはミサイルの中にいろんな金属を仕込む広範囲の攻撃もあった。
こういうのは瞬間移動だけでは回避が難しく、なかなかうまい攻撃だと思った。
しかし、それはあくまで距離を取って戦う場合であって、近距離を主体としているワタシとの相性はあまり良くなかった。
瞬間移動から連撃を繰り出し、防がれたらすぐに移動して別角度からの連撃を繰り出した。
木工はなんとか距離を取ろうとするのだが、そんなことさせるわけなかった。近距離に慣てきたようなので、今度は中距離の攻撃を仕掛けてみることにした。
長槍を瞬時に具現化して、高速の突きを繰り出した。
「なっ!」
急激な変化に、木工が動揺が見せた。
連続で放った突きが何発が当たり、その流れから大きく横に薙ぐと、木工が瞬間移動でその場から消えた。これは予想通りの動きだった。
ワタシは移動する前に、後ろに火球を飛ばし、その火球の前に飛ぶかたちで瞬間移動した。
「え!」
予想通り、木工が火球の前に移動してきた。その後ろにはもうワタシも移動していた。
「終わりだね」
火球とワタシの渾身の一撃が、木工の装甲に直撃した。
凄まじい音と共に、木工が地面に倒れた。
これでPvPが終わった。結構楽しかったのだが、ちょっと物足りなさもあった。
「いや~、完敗だ」
「まあ、相性が良くなかったね」
「ははっ、それだけじゃないけどな。でも、楽しかったよ」
「うん。ワタシも」
ワタシは、素直にそう返した。
「凄かったよ、天城さん」
観客席から駆け寄ってきた湯川が、興奮しながらそう言った。
「あ、ありがとう」
ワタシは、少し引き気味にお礼を言った。
それからは、西谷の初心者講座が始まった。
初級のクエストを受け、西谷に戦ってもらうと思った以上の強さだった。
「凄い。あたしより強い」
それを見た玲愛が、嫉妬心を全面に出した。
「筋がいいね」
湯川は感心して、西谷にいろいろアドバイスした。
「思いのほか面白いな。特にホラーにすると雰囲気が出ていいかも」
「動物の顔は視認できるの?」
西谷の言葉に、梨乃が不思議そうに聞いた。
「ああ、動物は問題ない。認識できないのは人だけだ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、わたしはわかるんだね」
「ああ、可愛い子狐だな」
西谷は、さらっと梨乃を褒めた。
「あ、ありがと」
子狐は無表情に見えたが、梨乃の声から恥じらいと嬉しさが伝わってきた。
「良かったね」
「うるさい」
木橋の小声に、梨乃も小声で返していた。これはもしかして恋愛の予感、とワタシは勝手に思った。
「あの、天城さん」
すると、亀水が気まずそうに声を掛けてきた。
「も、もしかしてなんだけど、前に俺と戦った?」
「うん。木工より強かったね」
「そ、その。ごめん。あの時、天城さんのアバターと思わなくて」
「ううん、気にしないで。ワタシも身バレのことなんて考えてなかったから」
嘘だったが、亀水が悪いわけじゃないのでそう言い繕うことにした。
「でも、今日天城さんの強さを再確認できたよ」
「そうかな?でも、ありがとう」
ここは素直にお礼を言うことにした。
それから西谷がクエストのボスと戦い、軽く勝ってしまった。
「く、悔しい」
これに玲愛が嫉妬した。
時間になり、今日は帰ることになった。
「みんな、今日はありがとう」
西谷は、ワタシ達に深くお礼を言ってきた。
これには各々返礼や気遣いな言葉を返していった。
今日はいろいろあったが、特に悪い日ではなかった。
それからは、定期的にミューグに行き、玲愛と梨乃と遊んだり、湯川と亀水に木工の四人でPvPしたりするようになった。あれ、中学より友達増えてる気がする。
休日、久しぶりに姉の陽菜乃と一緒に買い物に出かけた。
「稀伊との買い物は初めてだね」
陽菜乃は、なぜか上機嫌だった。
「で、なんで誘ったの?」
今までそんなことは微塵もなかったので、何か裏があるんじゃないかと勘繰っていた。
「ん?本当は性同一性障害とわかった時から一緒に買い物行きたかったんだけど、気を使って今までしなかったのよ」
「別に、今まで通りでいいよ。急に距離を詰めてこられると、ただただ戸惑うだけだから」
「つれないな~。もっとお姉ちゃんを頼りにしてもいいんだよ」
「もういい歳なんだし、さすがにお互い離れるでしょ」
「まあ、弟だったらそうかもしれないね。でも、稀伊はもう妹なんだし女同士語り合うのもいいと思うんだよ」
中身は男なので、語り合うのはワタシ自身嫌でしかなかった。
「要するに、頼りにされたいと」
「見透かさないでよ。恥ずかしくなるでしょう」
図星だったようで、照れを隠すように前を向いた。
ワタシはどうするかを考えて、姉のことを思い返した。性同一性障害のことは姉のせいだが、それ以外では姉との仲は良いも悪いもあった。
「仕方ないか」
この頃ワタシに対して気遣ってくれてるので、今日は特別に姉孝行してみようと思った。
ワタシは学校と同じように、女として姉と接した。
カラオケに行き、買い物をして、喫茶店に入りいろいろ話を合わせた。
そして、気づけば午後4時まで姉と一緒に遊んでいた。こんなことは小学生低学年以来なかったことだ。
「楽しかったね♪」
姉は、弾むような声でそう言った。どうやら、満足してくれたようだ。ちなみに、ワタシは姉に合わせていただけでそんなに楽しくはなかった。が、それは心に仕舞っておこう。
「またこんな風に遊びたいね」
その言葉は、なぜか切なそうに感じた。
「そうだね」
おそらく、それが出来るのはワタシが高校を卒業するまでの間だろう。
「なんかさ、今まで家族に対して無関心だったんだけど、稀伊が障害者って知ってから少し考えを改めてみようと思ってるんだ」
「その言い方はやめた方がいいよ。同情にしか聞こえないから」
「そうかもしれないけど、自分のことばかり考えてたことが恥ずかしく思えてね」
「知らなかったことを思っても、無意味だと思うんだけど、気づけたならそれはそれでいいと思う」
「小学生の時、覚えてる?」
「どうだったかな」
それはもう思い出したくもなかった。
「稀伊があの時一番傷ついてたのに、それを知ってて何もしなかった」
「それが正解だったから気にしなくていいと思う」
「・・・それは嘘だね」
そう、それは嘘だった。だけど、それはもう昔のことだ。
「拒絶したのはワタシだから」
「それを強引に引っ張り上げるのが、家族だと思うよ。いまさらだけどね」
本当にそれはいまさらだった。姉がもしワタシを立ち直らそうと頑張っていたなら、変わっていただろうか。いや、きっと変わらなかっただろう。こんなものはタラレバだ、意味がない。
「今があるんだから間違ってなかった、でいいじゃないかな」
「もう戻れないしね」
何か思うことがあるようだが、敢えて言葉にしなかった。
「でも、今度はもう間違えないから」
姉はそう言って、ワタシを正面から見つめてきた。もう間違えてると言いたかったが、雰囲気的に言えなかった。
それから家に帰り、自分の部屋に入った。
「はぁ~」
姉の決意を聞いて、ワタシは複雑な気分になっていた。
日も沈み始めてきたが、出かけたい気持ちになり、一人で家を出た。
電車に乗り、隣駅で降りた。
懐かしい風景を見ながら、ワタシは目的の場所へ向かった。
近づくにつれ、夕日と共に気持ちが沈んでいった。
今まで避けてきた墓地に、ワタシはゆっくりと足を踏み入れた。まさか姉の影響でここに来るとは思わなかった。
一つの墓石の前に、ワタシは立ち止まった。
墓石はあまり手入れしていなく、一輪挿しにも花は供えていなかった。
一度だけ手を合わせて、その場でいろいろと想いを馳せた。
これからは親友の死に向き合うことを決して、もう一度だけ手を合わせた。
帰ろうとすると、前から一人こちらに歩いてきた。
「あ、兄の知り合いの方ですか」
墓石の前にいたワタシを見て、少し足を速めて声を掛けてきた。
その顔を見て、ワタシは懐かしく思った。彼女は亡くなった親友の妹で、名前は笠原由良。妹だけあって、亡くなった親友と瓜二つだった。
「もう亡くなって、かなりの月日が経ってるからこうやってお墓参りする人は珍しいです」
ワタシのことは忘れているのか、気さくに話してきた。
「そうですね。なかなか来る決意ができなくて、ようやく来ることができた感じですね」
忘れているのならそれは仕方ないと思い、ワタシも敬語で対応することにした。
「そうですか。兄には親友がいたんですが、お葬式以来顔を見せてくれませんでした」
突然の自分の話に、ワタシの思考はかき乱された。
「彼と兄は、親友でありライバルで勉強も遊びも競い合う仲でした。だから、兄の死は彼にとっては大きかったんだと思います」
由良はそう言うと、身を屈めて一度だけ墓石に手を合わせてから再び立ち上がった。
「でも、あの時の私は薄情者と思って軽蔑してました。親友だった癖に、兄の死をいたわれない最低な人だと・・そう思っていました」
ワタシは何も言えず、ただ由良の話を聞いていた。
「でも、今は違います。私は何もわかっていなかった。兄を彼がどれだけ思っていたのかを」
由良がこちらを振り向くと、少し涙目になっていた。
「ごめんなさい。稀伊さん。まさか兄のことを異性としてみていたなんて思っていなくて・・・」
由良は涙を拭って、深々と頭を下げて謝ってきた。どうやら、ワタシのことはわかっていたようだ。でも、ごめん。それは違うんだ。
「勝手に思い込んで、勝手に恨んで、最低ですよね」
最低なのはワタシです。だから、泣かないでください。罪悪感が募るから。ホントやめてください。
「えっと、ワタシのことを誰から?」
もうこれ以上、由良の懺悔は聞きたくないので話を逸らすことにした。
「貝塚梨乃さんからです」
「え、知り合いなの?」
「はい。中学から親しくさせてもらってます。学校は離れてしまいましたが」
「そ、そうなんだ」
これは意外だった。まさかワタシの近くに繋がりがあるなんて思っていなかった。
「本当にごめんなさい」
「ううん。もういいから」
本当にもういいから頭上げて、そしてワタシに頭を下げさせて。
正直、もう心がぐちゃぐちゃだった。せっかく決意したのに、なんでこうなるの。お墓参りしなかったから?親友の死に向き合わなかったから?ダメだ、しばらく一人になりたい。
「もう行くね」
もう耐え切れない。この場から消え去りたい。その思いでいっぱいだった。
「気が向いたらでいいので、家に遊びに来てください」
そんな気遣いは、ワタシの心に追い打ちなだけで余計に気が引けた。
なんとか墓地から抜け出し、ワタシは魂が抜けた状態で駅まで歩いた。
気がつくと、家の前にいた。電車を乗った記憶も降りた記憶もなかった。
玄関を上がり、部屋に直行して、すぐさまベッドにうつぶせで倒れた。もう何も考えたくなかった。このまま目覚めたくない一心でワタシは目を閉じた。
次の日、夕食も食べていなかったこともあり、ワタシの体調は絶不調だった。
この日、ワタシは高校になって初めて休んだ。
2日後、なんとか気持ちを持ち直して、次の日学校に行った。
教室に入ると、亀水たちが気遣ってくれた。これは素直に嬉しかった。
それから2週間経つと、玲愛と湯川がよく話しているのを見たり、梨乃と西谷が一緒にいるのを見ることが多くなった。
玲愛と梨乃より、木橋と静香とミューグに行くことが少しだけ多くなった。まさか静香がミューグに興味を持つなんて思っていなかったのだが、中級の熟練者だった。
そんな日々が過ぎゆく中、これからワタシは、笠原由良と正面から向かい合う日が来るだろう。だからこそ、今は少しでも心を鍛えようと思うのだった。
X年後、天城稀伊と笠原由良が結婚することはまた別の話である。
偽装仮装