いるものなんてそんなとこに入ってないから

 押し入れの奥から失くしたはずのものが次々に発掘された。今はもう生産されていないシャープペンシルのロットがあった。「こち亀」最終話の号のジャンプもあったし、十年くらい前に購入した限定販売の音楽CDもあった。ほかにも、十代のころに集めていたハイソフトの食玩のメッセージカードもあったし、中学の修学旅行で秋芳洞の土産物屋で買った石英のサイコロも出てきた。とはいえ懐かしさを覚える暇もない。
「はい」といって示された箱の中に、やけくそな気持ちでそれらを突っ込む。
 表情が強張ってるのは知ってる。しかし押し入れの発掘作業は進めざるを得ない。
 そこのもいらない、これもいらない。だいたい、いるものなんてそんなとこに入ってないから。
 整理をはじめてから、妻の夏凛(かりん)は隣でサポートをしつつ、ぞんざいな口ぶりでわたしに言ってよこす。
 手に入れるのが大変だった豪華装幀本も容赦なくメルカリ行きの箱に投げ込まれる。はじめから気が進まなかったが、だんだんイライラしてきた。どうして捨てなきゃならない。捨てるかどうか、じっくり考えてから決めたいのに。
「歯ぎしりしてるの」夏凛の口調はこちらを責めるようだった。
 答えずに置こうかとも思ったが、沈黙に耐えきれなかった。「……ちがう」
「嫌そうにしてるよね。昨日納得したでしょ。それとも何――何かあるなら言ってよ」
「何もない」口を利きたくなかった。
 嫌なことは早く済ませてしまうに限る。手を動かす。
「待って。言いたいことがあるなら言ってよ。私が悪いみたいじゃない」
「夏凛は悪くない。悪くないさ。ほら、続けよう。夕方までに終わらせたいんだろ」
 妻の不満はわかる。しかしそれ以上にこちらの不満がピークに達しそうだった。せめて手でも動かしてないと爆発しそうだ。衝突して弾けてしまえば事後の修復が困難だ。いまやるべきは任務の遂行だ。やることをやってしまえば夏凛の機嫌もよくなって、嫌なことからさっさと足を洗える。
 こちらの言葉に嘘はない。押し入れの中の物品を床に置かれた段ボールに投げ込むペースもあがってきた。当初は明確にあった自分の中の迷いが低減したせいだろう。すこしでもためらいがあればいらないものに分類することにした。本当にいるものは、何年も押し入れの中に眠ってやしない。妻の言葉こそ正解なのだろう。迷う自分に問題があるのだ。自分は物惜しみする性格だと思う。使いさしの歯磨きチューブも、なんどもしごいて最後のひとかけらまで出し切っても、まだ出るんじゃないかと期待して一晩寝かせてしまう。小学校のときにもっていた鉛筆も半分の長さくらいまで使ったら新しいのに乗り換える癖に、その使いさしを捨てられずに引き出しの中に何年も眠らせていた。引き出しはつねにごちゃごちゃしていたし、いつ入れたかわからないものでごったがえしていた。あるとき母親に中をあけられて、そのなかのものをだーっとごみ袋に流し込まれたときの気持ちはいまも思い出せる。あの苦み走った気持ちを憶えているからこそ、いま自分のやってる行為にも苛立ちがまじってるんだ。その苛立ちは飲みこむしかない。こっちは昨晩、妻に明日押し入れを整理すると確かに約束したのだから。
 発売日が待ち遠しくて二か月も前に予約を入れて購入したセガサターン版の『グランディア』や『バロック』もあった。もちろんいらないものだ。遊ぶための本体はすでに壊れているし、持っていたところで何に使えるわけもない。手に入れたときの手間を思えば、手放すのが惜しいというだけのこと。本来の用途を為さないものはゴミでしかない。それは真理だ。まわりをゴミであふれかえらせていると、動くべきときに動けなくなる。もっと身軽にならないと。
 身体を綺麗に洗わないと、垢が浮いて、痒くなって、へんな臭いまで漂い始める。家に居ながら浮浪者になるみたいなものね。
 妻は昨晩、整理術を扱ったテレビ番組を見ている途中でそう口にした。
 浮浪者。路上生活者。ホームレス。ゴミ屋敷。なんだろう、饐えた臭いがしてきそうだと思ったら、飲んでいた焼酎の水割りから似た臭いがしてくるように感じられて、それ以上飲めなくなった。とんとんと話の進むうちに明日(つまり今日だ)、押し入れを整理する話がまとまった。
「にしても、面白いくらいいろんなものが出てくるね。よくこんなに溜めこんだもんだわ」妻の声に呆れがまじる。「整理に無頓着な人だとは思ってたけど、ここまでとはね。まったく。大きい子供ができたみたい。って。あれ、これは」
 わたしが上半身を入れているにもかかわらず、すぐ隣に寄ってきてわたしの左肩に手を置き、もう片方の手を押し入れの中に伸ばす。
「懐かしいな」
 妻の声がはずんだ。
 彼女の手に漫画本があった。四色の線の入ったコミックス。『ちびまる子ちゃん』だった。
「それな。中学のときに買ったんだ」
「あなたが」
「へんだろ。駅前の商店街の古嶋書店で買ったんだ。かなり緊張した」
「想像もつかない」妻は破顔する。
「俺も予想外だと思うよ。周りにいえなかった。こういうの読んでるって」
「まあ、いえないね。でもこれくらいなら問題ないかな。そりゃ、がっつり恋愛物だったら引くけどね」
「どうしよっか」
「ああ。捨てるかどうかね。どうしよ。あたし、読んでみたいな」
「なら残すってことで」
 リボンコミックス十七冊は、珍しく残すものの箱に収まった。
 押し入れの中は徐々に空きスペースを広げていった。それは作業の進捗を示している。失くしたと思っていたもの、もう捨ててしまったと思いこんでいたもの、ここにあるわけがないと決めつけていたものが大量に出てきた。
 作業開始から二時間半を過ぎたころに、押し入れのものはすべてチェックが済んだ。結果、捨てるもの、売るもの、残すものに分類された。
「売れたら、こんどの週末にいいものを食べましょう」
 夏凛はうれしそうにほほ笑んだ。
「まあ、な」
 自分で決めたこととはいえ、浮かない気分だった。
 慣れた手つきで写真を何枚も撮って、つぎつぎにオンラインに商品を挙げていったようだった。メルカリにするか、ヤフオクにするかは、妻の裁量一つで決められた。臨時収入が入ることを喜ぶのが先に立つらしく、その日は晩までずっと上機嫌の夏凛を見ることになった。
 整理くらいしかしなかった一日の疲れは、湯船につかるとすぐに霧散したようだった。
 湿った髪から水のしずくが頬にしたたる。水滴のいくつかは髪の毛からダイレクトに湯船のなかへ落ちていく。
 ぽたん、ぽたん、と微かな音が聞こえる。
 自分の中から何かが失われていくようだった。潤いが抜き取られてかさかさに乾いてしまう想像が、湯船につかる自分を襲ってきた。
 焦燥に駆られる。
 湯船から出てタオルで体の水気をふき取り、脱衣所でさらに乾いたタオルでふき取る。なかば慌てるようにパジャマを着こみ、リビングにいる妻のもとに向かう。
「さっそく売れたよ」
 漫画本を手にした妻が、間髪を入れずにいった。
 言葉を失うこちらに構うことなく、夏凛はつづけた、「ヤフオクの方はまだだけど、メルカリにあげたほうはいくつか買い手がついたよ。値下げ交渉してくる人もあったけど、適度に折れて交渉はまとまったから、これで週末の焼き肉は確定ね」
「そのことだけど」
「焼き肉じゃだめかな。何が食べたい」
 楽しみにしている妻に、やっぱり売るのはやめる、とは言えない。
 結局こちらが言い出してこちらが意気阻喪して取りやめるとなったら、それに踊らされた夏凛はどう思うだろう。
 寝る時間までもやもやして、床に入ってからももやもやしていた。捨てることで気持ちに整理がついて、落ち着いた生活を取り戻すことができる、ということをテレビではいっていた。それはヨガ(瑜伽)の修法の一種だという。実行したのにモヤが晴れないのは、自分にとって物がある状態が普通だからなのか。物のない状況に慣れないから、ひとりイライラしてるのだろうか。
 ほかの目にとってはゴミに映っても――もっとも、自分にとっても実用という点ではゴミに近いのだけれど――、そのゴミみたいなものが身の回りにあるという安心感で自分は支えられていたのかもしれない。売るべきものはすっかり売られて、手元には焼き肉代だけが残るのだろう。いっとき、自分と妻のお腹を満たして、泡のように消えていく。ゴミのままがよかったか、一時の泡沫(うたかた)に夢を見るのがいいのか。少なくとも寝つきをよくしてくれるのは前者だった。心が冷えるようで落ち着かない。はじめから、俺は捨てる気はない、と言い張っていた方がましだったかもしれない。
 後悔にさいなまれながら寝付いた次の朝、目覚めは意外にすっきりしていた。

いるものなんてそんなとこに入ってないから

あらためて自分の部屋を見回すと、本やらなにやらごちゃごちゃしてるのですよね。ぜんぶ捨てたらすっきりするんだろうか、でも捨てられないなという気持ちがもやもやしてまして、それが形になったようです。

いるものなんてそんなとこに入ってないから

あらためて自分の部屋を見回すと、本やらなにやらごちゃごちゃしてるのですよね。ぜんぶ捨てたらすっきりするんだろうか、でも捨てられないなという気持ちがもやもやしてまして、それが形になったようです。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-22

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