オネイロスの灯

この作品のお題は【蝋燭】です。
現代の札幌、特に狸小路をその舞台とすることが多いような気がします。
あのアーケード街の奥、人目がつかぬところには、色々なお店がありそうです。

 私が入ったその店は、狸小路商店街の八丁目にある。ちょうどアーケードが途切れるその区画は狸小路の西の外れで、観光客はおろか地元民の人通りも少ないが、通りに面したとあるドアをくぐると、複雑に入り組んだ通路が広がり、種々のユニークな店が軒を連ねている。ローカルのタウン誌にも載らないそこは知る人ぞ知る隠された狸小路で、裏狸街(リリガイ)と密やかに呼ばれている。
 リリガイを歩いていた私がふらりと入ったその店──キャンドレットは、文字られた通り、キャンドルの店だった。
 カラン、とドアベルを鳴らすと、店の中には大小はもちろん、様々な形──有名な建築物を模したものや、鳥や猫などの動物、抽象的な芸術作品のようなものまで──、様々な色のキャンドルが所狭しと並べられていた。いくつかには火が灯っていて、それが暗い室内の明かり代わりにもなっている。そしてそのキャンドルからだろう、何かはわからないが、強い、独特の馥郁とした香りも漂っていた。
 私は商品名が書かれた小さなラベルを確かめつつ、店内を恐る恐る歩いた。キャンドルもこれだけ並ぶと、ある種の圧迫感がある。ディスプレイによってはもっと見栄えが良くなるだろうに、それをしないのは、店主のこだわりか、それとも実用物としての価値しか考えていないのか。いずれにせよ、キャンドルという商品と、店の装いには、大きな隔たりがあった。これではまるで、魔女の住処である。
「いらっしゃいませ」
 そう思ったときに突然声をかけられ、私は文字通りびくりと震えた。辛うじて声は出さなかったが、「ひ」と口から空気が漏れる。
 ぎこちなく声がした方を見ると、そこ──店のカウンターと思しき台の後ろに、一人の女性が立っていた。
「こ、こんにちは……その、見させてもらっています」
 取り繕うように返事をする。
 女性は嫣然と微笑んでいる。とても魅力的な笑みで、今度は逆に息を飲む。それで相殺されたのか、私はなんとか落ち着きを取り戻すことができた。
 改めて見る女性は、肌がやけに白く、髪が濡れ羽色で、三白眼の、背が高い美しい人だった。ぱっと見で年はわからないが、きっと四十は超えていないだろう。ただ、二十代前半と言われても、四十手前と言われても頷いてしまうくらい、その予想のレンジは広い。その髪のように真黒な服の胸元には、四つ足の動物を象ったように見えるペンダントがあり、揺らめくキャンドルの灯に共鳴して妖しく煌いていた。
「何か気になる商品はありましたか?」
 女性──恐らく店主だろう──は、小さいが良く通る涼やかな声で、そう尋ねてきた。
「あ、いえ……、その、通りを歩いていたらこの店がふと目に留まって、それで寄らせてもらって、見ていたので、まだちゃんとどういうものがあるかは……、すいません」
「そうでしたか」
 店主は何か納得したような様子で、変わらぬ笑みのまま、頷いた。ただ、目は真っすぐとこちらを向いているので、私は居心地が悪く耐えられず、つ、とわずかに視線を外した。
「当店には様々なキャンドルがあります。中には特別製のものもありますので、もしよろしければご覧になってください」
「……特別製、ですか?」
「はい。当店のおすすめでもあります」
「それは、その……、どういうものなんでしょうか」
 私は内心の動揺を悟られぬよう、視線を戻し、店主と向き合った。店主の顔は、写真を貼り付けたように先ほどと変わらない。色の白さと相まって、まるで、そういう蝋燭のようにも思えた。
 店主は「そうですね」と呟き、カウンターからこちら側に出てきて、一つの通路に入り一本のキャンドルを持って戻ってきた。
「こちらが当店のおすすめです」
 それは、この店にある中ではかなりオーソドックスな色と形をしている一品だった。白く、長さもさほど高くなく、いわゆるキャンドルと言えば誰もが思い浮かべるようなものである。ただ、その下部を除いて。
「それは……、蝶?」
 そのキャンドルは、下部だけが透明で、そこに蝶が、標本のように収まっていた。店内の薄暗さで、上部の白と台の間に浮いているようにも見える。
 店主は私の問いには答えず、それをカウンターのキャンドル台に置き、どこからか取り出したマッチに火をつけた。その火は、キャンドルに移った途端、青となって揺らめいた。
「あ」
 私が声を出したのは、その青の炎を見たからではなかった。その炎の周りに、同じ色の蝶が、突如として現れたからだ。わずかに明滅するそれは、まるで本物の蝶のように羽ばたき、一定の範囲を飛び回っている。不規則に思えるその飛行には光の残像が付き添い、美しく妖しい軌道を描いていた。
「これが当店のおすすめ、オネイロスの灯です」
 店主がそう言って、自らの指を青い蝶の近くに差し出すと、蝶はその指を止まり木とした。私は魅せられたように蝶に近づき、「どうぞ」と促される前に仔細を眺めた。詳しいわけではないが、羽の模様も、触覚の震えも、腹の蠕動も、生きた蝶そのもののように見えた。
 私は無意識に、店主と同じよう、自分の指を差し出していた。蝶は、何事か我関せずとしばらく留まっていたが、まるで気まぐれに飛び立ち、素知らぬふうに私の指で羽を休めた。質量は感じなかった。そしてそこで、蝶は姿を消した。店主が灯を消したのだ。
「これ、本当に……」私は呟いた。視線はキャンドルの下部に吸い寄せられる。「その蝶が……?」
「はい。この蝶が、先ほどの蝶です。正確には、この蝶の夢、もしくは残された記憶、でしょうか」
「夢?」
「当店は、生物、無機物問わず、そのものに刻まれた記憶、又は記録を蝋の中に閉じ込め、火を灯すことによりそれを出現させる技術を開発いたしました。今、この蝶が飛んだのも、この蝶の過去の記憶によるものです。簡単に言えば、〈そのもの〉を媒体とした投影型のビデオカメラのようなものですが、開発者は、これを指して『永遠の夢を見ている』と言いました。この蝶は、この蝋の中で生き、終わらない夢を見ている、と。この商品は、だから、オネイロス──夢の灯と名付けられています」
 一口に説明を終えると店主は再び通路の奥へ入り、今度は四つのキャンドルを持ってきて、台の上へと置いた。蝶と同様オーソドックスな形に、花びらが収まっているもの。同じく、懐中時計が収まっているもの。鳥の形をしたものの中に羽が収まっているもの。収まっているものはわからないが、猫の形をしたもの。
「他にも、このようなものがあります」
 次々と灯されるキャンドルからは、風になびく花、時を刻む時計、優雅に舞う鳥、すまして歩く猫の姿が、青い幻灯となって現れた。私は圧倒されながらも、ふつふつとした胸の高まりを感じ、ため息をついた。こんな素晴らしいものが、本当に、と。
「すごい。すごいです!」
「ありがとうございます」
「本当にすごいですよ! 実際に目にしたら、まさか本当に、もう、魔法みたいで……」
「そのようなお褒めの言葉も、良くいただきます」
「やっぱり! ……うわー、欲しいなあ。これは、ここでしか買えないものなんですよね?」
「はい。どこにも卸しておりませんので」
「お値段も、やっぱり、けっこうするんでしょうか」
「そうですね。ものによりますが、するものは、します」
「ものに……。例えば?」
「草木や花、昆虫は、貴重なものでなければそう高くはありません。動物になると、閉じ込めに工夫がいるので、高くなってきます。先ほどの時計や、例えば機械部品や文房具、宝石などの無機物も、少々高いです。あとは──」
「人、はどうでしょうか?」
 こらえきれず聞いていた。途中から気になって仕方なかったのだ。無意識に、自分のハンドバッグを胸にかき抱いていた。
「人も高いです」
 店主は、表情を変えることなくそう言った。つまり、ずっと笑顔のまま。
「……無理ではないんですね」
「はい。無理ではありません。そういったご相談も多いです。というか、これに限っては、その上で作ることしかないです。オーダーメイド専用ですね」
「……!」
 私は自分の目が見開かれ、口角があがるのを感じていた。喜びが身体の底から湧き上がってくる。それが可能なら、私は……、私は再び会うことができるのだ。
 興奮で声が上擦らないよう、私は小さく深呼吸をして、より強く、バッグを抱きしめた。
「……人の場合、どういったものが、媒体になるのでしょうか」
「その人に強い縁、もしくは念があるもの──例えばお気に入りのアクセサリーなどが挙げられますが、一番良いのはその人自身です」
「その人、自身?」
「有り体に言えば、体組織です。髪の毛、爪、皮膚、血など。この鳥のキャンドルの羽のようなものですね。それで、その人の夢、記録を、文字通り見ることができます」
「体組織だけで……」
「一言言い添えておきますと、生きている人のものは使うことができません。蝋の中の夢にとらわれ、本体が目を覚まさなくなってしまうので。また、すでに亡くなった人の場合でも注意が必要──」
「……あの、」私は店主の一言をそぞろに聞きながら、意を決し、バッグの中から一つの小瓶を取り出した。「これを使うことはできますか?」
 店主は気を悪くした様子もなく、にっこりと質問を返してきた。
「それは?」
「これは遺灰です。……私の、愛する兄のものです」
「お兄様のものですか」
「はい。私は兄を先月亡くして……、気持ち悪いという人もいますが、お守りとして持ち歩いているんです。これで、兄の記憶を──思い出を見ることができますか? 例え灯の見せる夢だとしても、私は兄に会いたいんです。……できますか?」
 言葉には熱がこもっていた。私は彼を亡くした日から、真実、生きて動く彼に会いたいと切望していた。どうしても、死に怯えた目で私を見て、虚空に手を伸ばす彼が、目に焼き付いて離れないのだ。次第に冷たくなっていくその体温も、忘れられない。
「もちろん、大丈夫です」
 店主はあっさりとそう答え、その場合はと、決して安くはない金額を口に出した。
 私はその金額を意に介すこともなく、「お願いします」と頭を下げた。嬉しさに笑みが漏れるのを、必死に抑えながら。

 ▼

 女性客が帰ったあと、私は残された小瓶の中身を眺めながら、カウンターの椅子に腰かけた。瓶の中でさらさらと音を立てるそれが、かつての人であるとは、わかっていても結びつかない。見も知らぬ人であればなおさらだ。
「あなたは本当に、再びこの世に、現れたいの?」
 遺灰は何も答えない。あの女性客の、熱に浮かされたような目が、そこに留まっているようにも思えた。
「本当にオーダーを受けるのかい?」
 代わりに答えたのは、目の前の猫だった。キャンドルから、いつの間にか、元の姿に戻っている。触れないでもわかる柔らかな毛の流れが、黄金の波のようだ。私がこの世でもっとも好きなものの一つである。
「もちろん。それが仕事ですから」
「……僕が見たところ、彼女は、知っててこの店に来て、最初からオネイロスの灯を探していたはずだよ」
「わかっています」
「そしてあの目、歪な笑み……、少し、危ないのではないかな?」
 それもわかっています、と私は答えた。彼女の行動や表情、振る舞いは色々とおかしかったし、彼女がついたため息は、驚きよりも安堵が勝っているように思えた。それに、『実際に目にしたら』『まさか本当に』とも言っていた。それは、話だけは聞いていたことを、実際に目の当たりにした人が使う言葉である。彼女はこの店と商品の情報をわかっていた上で、しっかりと確認し、そして、人を媒体にできるか問いかけてきたのである。
「その遺灰、本当にお兄さんのものだと思うかい?」
 店主は静かな声でそう尋ねてきた。どことなく心配そうな声音に聞こえるのは、私の願望かもしれない。
「半々、というところですね」
「僕はナナサンで違うと睨んでいるよ」
「かもしれません。しかしいずれにせよ、彼女が愛しているというのは本当でしょう」
「……自らが殺めてしまうほど、熱狂的に、かい?」
「その予想も、半々です。しかしだとすれば、彼女はいずれ自らの行いに責め苦を与えられることになるでしょう。先ほどの説明を最後まで聞いていれば、気持ちが多少変わったかもしれません。あなたもご存知の通り、人の場合、例えば殺されるなど、強烈な記憶があれば、それが灯として現れます。つまりもし彼女がそれをしたのであれば、火を灯すたび、愛しい人が自らの手で死に、恐怖する場面を、見続けることになります。……その罰については私の与り知らぬことですし、それは確実に、彼女の──」
 自業自得という奴だね、と店主が面白くなさそうに、私の最後の言葉を取った。
 私は無言で頷き、彼の人の遺灰の小瓶を、ことりと台の上に置いた。

オネイロスの灯

オネイロスの灯

現代の札幌、特に狸小路をその舞台とすることが多いような気がします。 あのアーケード街の奥、人目がつかぬところには、色々なお店がありそうです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-18

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