甘い果実
この作品のお題は【くすぐる】です。
お気に入りの、酸いも甘いも食べてしまいたい、と思っている子なのだと思います。
「さ、食べてみて」
「ほんとかなー……」
半信半疑でリンゴを口にした愛花は、一噛みして目を見開いた。「え……マジ……」と声を漏らし、今自分が食べたリンゴと私を見比べた後、再びリンゴに齧りつく。二噛み、三噛み、四噛み、と勢いは止まらず、そのまままるごと一個を、全て食べてしまった。その顔には、驚愕に、至福の表情が混ざっている。
「どうよ?」
私はにんまりと得意顔で愛花の頬をつついた。柔らかで張りのある頬が、しっかりと指をはね返す。
「……なにこれ、どうなってるの?」
吐息と共に、愛花がそう聞いてきた。
「どうもこうも、私にもわかんないよ。昔からそうなんだ」
「ご両親かご先祖に魔法使いとか超能力者はいない?」
「いないいない。魔法使いって、あなた──」
何言ってるの、と私は笑いながら──内心は驚いて、答えた。まさか実際に愛花がそんなことを言いだすとは思ってもみなかった。どちらかと言わなくても、愛花は、そういう、超常現象的な類に関して否定的な人間だ。魔法とか、超能力とか、現代において時に現れ、もてはやされるそういう事象にはタネがあると信じている。全てはきれいな嘘だと。
そんな愛花に自分の能力を教えたのは、それを聞いたとき彼女がどういう反応するか、ふと興味がわいたからだ。
とてもシンプルな状況で、何の小細工もできない環境で、愛花の目の前で、私はそれをやって見せた。つまり、リンゴをくすぐったのだ。
多少、彼女が宗旨替えしたら面白いな、とは思っていたが、こうも直截な言葉が出てくるとは。
「愛花、そういうの信じてないんじゃないの?」
「信じてないよ。けど、今自分の目の前で起こったことに、それ以外の理由がないなら、それは紛れもない事実だもん。操にはくすぐったものを甘くする力がある。現実に」
目を輝かせてそう言うのである。この子は案外、簡単に詐欺に引っ掛かるんじゃないだろうかと心配になる。これからはちょっと気を付けてあげる必要があるかもしれない。
「いつからそんなことができるようになったの?」
興味津々といったふうに愛花が尋ねてくる。私は苦笑しながらも答えを返していった。
「正確には覚えてないけど、七、八歳くらいかな」
「なんでそれができるって気付いたの?」
「偶然。なんか自分がくすぐったりんごが甘いなあって」
「りんごをくすぐることなんてある?」
「さあ。子どもの行動に辻褄なんかないでしょ。自分でもわかんないけど、なんか、くすぐりたかったんじゃない?」
「他の果物もいけるの?」
「いけるよ。果物どころか、他のものでも。例えば……、愛花とか!」
まだ何か言おうとしている愛花の隙をついて、私は彼女に覆いかぶさった。不意をつかれた愛花は、「わ!」と声をあげてバランスを崩し、床に倒れる。私は容赦なく、愛花の脇の下あたりをくすぐった。
驚きが勝っていた顔が一転、愛花は声をあげて笑い出した。
「あはは、ちょっと、やめ……はははは」
「よいではないかよいではないか」
「はははは、は、は……み、み、みさお!」
若干怒気が混じりそうな声に、私は手を止めた。こういうのは引き際が肝心だ。
「ごめんごめん」
「もう! 私、くすぐり弱いんだから。昔から言ってるでしょ!」
「いやー、その反応が楽しくて、つい」
「つい、じゃない!」
「やっぱ私の能力、そういうふうには効かないんだねえ」
「へ?」
「全然私に甘くない」
「……上手いこと言ったつもり?」
じと目で私を見る愛花に、私は精一杯可愛らしく舌を出してみせた。
愛花は盛大にため息を吐き、首を垂れて、呆れたように笑った。肩のあたりがリズミカルに揺れている。相変わらず変な力感で笑う子である。これも見たいがために、私は彼女をおちょくっていると言っても過言ではない。
私は彼女に共鳴するように笑いながら、まだ一つ、残っているりんごを手に取った。そしてたっぷりくすぐってから半分に切り、皮を剥いてから愛花に渡す。残った半分は皮を剥かず、自分の口に運んだ。ぷつっという抵抗の後に、甘い感触が口内を満たしていく。
愛花は、「こんなのじゃ騙されないから……うーん、美味しい」と言いながら、にこにこ顔でりんごを食べ進めていく。自分で仕掛けたとはいえ、なんだか本当に心配になってしまう。やはり、私がちゃんと、心身ともに守っていかなくてはならない。大事な子なのだ。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。私は剥いただけだけど」
「それだって操にしちゃ立派なものよ」
「私をなんだと思ってるの?」
「あはは……ふぁあ……、なんか眠くなってきちゃった」
「食べて眠くなるって、子どもか」
「私らはまだまだ子ども、ですー。……ああ、眠い……ねむいなあ……」
「寝ちゃってもいいよ?」
「……そう? じゃあ、わたし、ねる──」
唐突に言葉が途切れた。見ると、愛花は私のベッドにもたれかかってすぅすぅと寝息を立てている。わずかに傾いた頭の、長い髪からのぞくうなじ部分が、白くきれいに曲線を描いている。私は彼女の隣に移動し、そのあらわになったうなじを指先でくすぐった。しばらく続けても、彼女は起きない。
顔を近づけると、花蜜のようにとろみのある美しい匂いが、逆に私の鼻腔をくすぐった。思わず口角があがる。
私にはまだ愛花に教えていない能力がある。それは、私が手にしたものを食べると眠りに落ちる、というものだ。もちろん強度によってはそれなりの準備が必要だが、かかり慣れてくると、この通りすぐに眠ってしまう。きっと素敵な夢を見ていることだろう。そういうプレゼントつきだ。
私は愛花の体勢を少し変え、彼女を背中から抱きかかえるようにした。意識のない彼女は、支えるのにほどよい重みを持っている。もたれかかる彼女の首筋が、丁度私の口の高さに位置する。
私はもう一度その場所をくすぐった。「ん」という、寝言とも、反射ともとれない僅かな吐息が聞こえ、私の欲は最高潮に達する。血が欲しいという、私の、食欲が。
「いただきます」
私は舌なめずりして、そう言った。
私がくすぐれば、果実は甘くなる。
そして私はその果実に、皮つきのまま齧りつく。
何せ、そのわずかな抵抗が、最高のスパイスなのだ。
甘い果実