静の火

この作品のお題は【花火】です。
もうどうにもできない日常のお話。生きることは悲しくて難しいけど、生きることは幸せで優しくもあるなあ、と思います。

「音のない雨を見たことある?」
 街の灯を遠くに見ながら、君は私にそう聞いた。周囲には、ピクニックシートや簡易の椅子でもって思い思いに寛ぎ、しかしわくわくとしながら賑わう多くの人がいる。ここは郊外にある高台の公園で、今は夜だ。天気は快晴。星も良く見える。
「えっと、どうだろう」
 私は夜に溶け込みそうになりながら、隣を向かずに答えた。君も、私を見てはいない。
「霧みたいなやつなら、多分」
「ちゃんと、大きな雨粒はあるんだ」
「勢いが強くない?」
「勢いは、強いことが多い。いや、力強い、かな」
「ふうん」
「ごめん。どうでも良かったね」
「どうでも良いことは、好きだよ」
 りりり、と虫が鳴いている。何かはわからない。そのものは苦手だけど、その風情は頬が綻ぶべきものと感じている。人間なんてアンバランスだ。
 私たちは草の上に直に座っていた。夕陽の残り香もだいぶ薄くなっているが、ほんのりとぬくく、柔らかだ。昔は良くこんな感触を楽しんでいた気がするのに、いつの間にか硬さに慣れている。それを成長と呼べば、よくある大人になれるかもしれない。
「どうしたの?」
 くすくすと笑うと、君は今度はこちらを見たようだった。大人にならない顔で、きっと、不思議そうに見ているのだろう。ここは、公園灯も遠い。
 私はそれに答えず、思わせぶりに首を振って、再び空を見上げた。空も、こちらを覗いている。これから起こるイベントを、楽しみにしているのかもしれない。
「僕は、見るんだよ」
 周囲のざわめきが刻限に向けて膨らんでいく中、君がぽつりと呟いた。少しの間考えて、それが連続している話なのだと気づいた。時間差攻撃なのかもしれない。
「特にこの時期は多い。いや、この時期だから、か」
「それを見ると、どうなるの?」
「どうも。ただ、きれいだなって思う」
「私も見てみたいな」
「……み──」
 ドン、と小気味良い破裂音が身体に響き、君の言葉は掻き消えてしまった。代わりに、たくさんの歓声と、咲き誇る火花と、火薬の匂いが、たった一メートルほどの空白に充満する。手を伸ばせば届くこの距離は、今、永遠かもしれない。
 花火は二十分ほどで終わった。
 興奮とさざめきが余韻となって広がり、落ち着くまで、私たちはその場を動かなかった。あたりは静かになっていって、隠れていた虫たちも、再び、りりり、とささやき始める。夜風が、夏の熱を少しずつ冷ましていく。
 隣の君は、目をつむっているようだ。今日の名残を感じているのだろうか。それとも、宇宙を受け止めているのだろうか。真似してみたけど、わからなかった。
「音のない花火を見たことは?」
 瞼の向こうの夜空から、君の声が届く。
「そんなもの、あるの?」
「正確には花火ではないけど」
「なあにそれ」
「雨も、本当は雨じゃないんだ」
「同じもの?」
「うん。今も、見えている」
 果てのない空には、光年の先にある星々が煌いている。その煌きに混じって、ふわりと空に上昇していく、白い一群が、見え隠れしている。
「ずいぶんゆっくりと上がるんだね」
「そう。ほら、どんどん増えていく」
 私の目も慣れてきたのか、音のない花火が、そこかしこであがっていくのが見えた。それらは空の一点に向かって昇り、その一点を過ぎたあとに、拡散してさらに上空へと広がっている。花火というよりは、大きな砂時計のようだ。とてもきれいだった。
 光の流れはとめどない。何千、何万、もしかしたら何十何百万もの粒が、天を目指している。音のない雨が、花火となって、帰っていく。
「そうか、帰っていくんだ」
 言葉がまず腑に落ちて、そのあと、あるべきものがあるべき場所に収まるような感覚を得た。ああなるほどという理解は、口に出すほど、それらしく聞こえる。
「そう、帰ってきて、帰っていくんだ」
「みんな寂しがり屋なんだね」
「まだ繋がっていたい、もしくは、繋がっているはずだっていう、希望だよ」
「希望?」
「うん。良しにせよ、悪しにせよ、引力のように作用しあっている」
「離れがたくなることもある?」
「もちろん。それはもう、制御できないから」
 君はふうと息を吐いて、草のしとねを足下にした。私に手を差し伸べ立ち上がらせてから、ズボンの後ろを簡単に掃う。草の香りが、夜とあいまって立ち昇る。
 多分、いやきっと、そろそろ私も行かなくてはならない。すっかり忘れていたが、私ももう、花火だった。知らぬうちに君の横にいて、ずっと一緒にいることができると信じ込んでいたけど、そうじゃない。
「私は、頑張って制御するよ?」
 なるべく笑った顔で、私は君の顔を覗き込んだ。ようやく見えた君の顔は、泣き笑いのようだった。
「行き方はわかる?」
「わかってる。……君は、知ってるの?」
「知らない。いつも、見送ってばかりだから」
「ふふ。まだ知らなくて良いよ。いずれ、嫌でも、わかるから」
「……僕だって、制御できないんだ」
「ありがとう」
 私は火粒の一つとして、他の人たち同様に空の一点を目指し、身体を浮き上がらせた。面倒くさいことだが、そこを抜けないと、ちゃんと帰ることができない。そういうことも、勝手にわかってしまう。私は初めてだから、帰るというより、旅のような感覚だけど。
 地上では、君という名の引力が、小さく手を振っていた。全く君らしくない振る舞いで、私は本当に笑ってしまった。そういうアプローチもできるんだ。
 私は大きく、手を振った。
 今はもう、さようなら。
 でも来年また、私は雨となって会いに来るから。
 絆を届けて、花火となって、帰っていくから。
 だから君は、負けないで。
 生きて。

静の火

静の火

もうどうにもできない日常のお話。生きることは悲しくて難しいけど、生きることは幸せで優しくもあるなあ、と思います。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-13

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