天日葵

この作品のお題は【ひまわり】です。
自分の知らない世界を旅したい、見てみたいという欲求の根源はどこにあるのだろうか。

 日本中を車で一人旅していたときのこと。まだカーナビもなく、地図で道を確認しながら進んでいる際中、南方の山深い地域で陽炎に化かされ、道に迷った。空は怖いくらいの快晴である。さもありなんと思いつつ、さりとて元の道に戻れるでも無し。迷惑な話だとぶつくさ言いながら惰性で車を動かしていると、とある村に行き着いた。確か地図にはここらに村の記載はなかったはずだが、まあそもそも迷っているのだしと、気にせず、私は村の中へと車を走らせた。いくつかの家々を通り過ぎ、途中、山へと続く階段と鳥居を横目に見つつ、もう少し進んで行くと、民宿ののぼりが立っている。旅とは出会い、旅とは行き当たりばったりである。なんとなく、私はそこを今日の宿と定めた。時間はやや早いが、急ぐ旅でもない。
 幸運にも、というか予想通りだが、がらがらの宿に部屋を借り、夕食も取って、私は村へと繰り出した。折角の滞在だ。欲しいのは喧騒ではなく、この村だからこそ得られる特別である。歓楽街など必要ない。私の旅は、そういう旅でもあった。
 実は目的地は決まっている。来しなに目にした階段、の先にあるだろう神社である。
 時間もあるだろうが、夕焼けに沈もうとする村は閑散としていた。家々から賑わいや夕餉の匂いは漂ってくるが、閉じられた世界の感触は否めない。ここでは私は異分子で、きっと、団らんの中からひっそりと注意を向けられている。旅人が訪れる、この世界にとっての波止場である道と宿は、望んで作ったのか、望まれて作らざるを得なかったのか。過去の村の真意は、わからない。
 そんな思いや思い過ごしを気にもせず、黒羽の鳥が鳴きながら山へと帰っていく。道端のそこかしこに植えられた向日葵が、夕陽に横顔を染められながら皆、凛と立っている。何はともあれ、それは長閑な郷愁を誘う。どこでも見たことのない、見知った光景というやつだ。
 畦道をててと歩き、境内へと足を踏み入れた。境がはっきりあるわけではない。道に変化もない。ただ、おや、と思う感触があったのだ。階段はおろか鳥居もまだ先だが、自分の感覚を信じ、小さな道の端によって先へ向かうことにする。信心とは心がけである。人によっては思い込みと言うかもしれない。
 階段をのぼり、遠くから見えていた鳥居をくぐると、予想よりも広い空間の奥に、あまり大きくはない、しかしいかにも古く、頑丈に設えられたように見える木製の社があった。周囲は鎮守の森に囲まれており、地面は石畳で、道中とは一線を画すような厳かさに満ちている。いや、だからこそ、下で雰囲気を感じたのかもしれない。あの、おや、の場所からが、やはり結界なのだ。
 しかしその場所で一番目に付いたのは、結局、のぼりきって最初に目に入ったそれだったと思う。ここに来るまでもたくさん見ていたはずなのに、何故か気圧されるような存在感を放つ、屹立した向日葵。それが石畳の中央に一本、咲いているのだ。花の正面はこちらを向いている。首を垂れることもなく、しっかと天を仰いでいる。
 目の錯覚ではなく、近づいてみると、大層大きかった。
 私はふらふらと惹きつけられるように、その向日葵の真下に立った。身長百八十ほどの男が、首をかなりの角度にあげないと、花を見ることができない。夕焼けにいっそう燃えるその黄金は、神秘を通り越して少し怖かった。
 飽くるほど見たあと、ふと、足元に文字が彫られた控えめな石があるのに気付いた。そこには片仮名で〈ジツキ〉と書かれてある。
「ジツキ……、向日葵では、ないのか?」
「向日葵ではないよ」
 漏れ出た独り言にそう返されて、私は心底驚き、思わず後ずさってしまった。声が出なかったのは幸いと言うべきか。きまり悪さのその先には、一人の老人が立っていた。黄の狩衣に白奴袴という出で立ちのその人は、福福と笑っている。
「ご神職、驚かせないでください」
「これは申し訳ない。そんなつもりはなかったのだが」
「こちらの宮司ですか?」
「宮司ではない。此方の守護職、という方が正しい」
 老人はそう、向日葵──ジツキに頭を下げて示して、再び私の方を向いた。
「不勉強で申し訳ないのですが、此方は、ジツキと……?」
「いかにも。この社のご神体で、幾星霜の齢を生きている。まあ知らなくとも無理はない。ここにしか無いからのう」
「代々種が受け継がれる、咲き続けるというのは、素晴らしいですね」
「ほほ。此方は一代だよ」
「え?」
「数千年を生きるご神木というものがあるだろう? 此方は、そういうものだ。開闢以来、ずっと変わらずここにある。さすがにもう、成長はされないが」
 ジツキ同様、変わらぬ笑顔で言う老人の禿頭も、黄金となっている。
 私はもう一度、ジツキを見上げた。此方の生命がいかほどのものか、本当のところはわからないが、物見のような高さから睥睨するその姿は、やはり畏怖すべきものがある。巨体というだけでも、人はそれを恐れ戦くものだ。
「ありがたいものを見ることができました」
「それは重畳」
「時に、村中にある花も、ジツキですか?」
「さよう。あれは、此方の根が方々に延び、そこから芽吹いたもの。つまり、此方と同一のもの。この村は、此方に守られておるのだよ」
「一株が、全域に……?」
 つまりこの村は、言ってみればジツキの腹の中ということか。土中は、根が内臓のように入り組み、広がっている。なんというか、笑えてくる。
「それはすさまじい力強さですね」
「ご神体だからのう」
「……ご神体は神性そのものととれますが、此方は何の顕現なのでしょうか」
「ほほ。それはもちろん、彼方だよ」
 老人は、沈みゆく太陽を見遣った。
「此方は、彼方そのものだ。此方が壮健であれば、彼方も滾る。彼方が陰れば、此方も伏す。いついかなるときも。だから此方は、いたずらに耳目に触れるわけにはいかない」
「もし、ジツキが、仮に害されることがあれば、何が起こるのですか?」
「言った通りだよ。彼方が陰る。すなわち、天の日が落ちる」
 そして、西日が完全に地平の彼方に降り、残照と、いつの間にか火のついた石灯籠が、空間を赤明と染めたのを見て、私は宿へと戻った。
 たまさか足を踏み入れた村で、天そのものであるという花を見た。事の真偽はともかくとして、いずれにせよ、あの場には、畏み奉らざるを得ないような圧があった。それは相応の怪異であろう。いや、神異か。
〈日〉そのものを浴びたからか、その晩は、やけにぐっすりと眠ることができた。
 翌朝、私は早々に宿を出て、もう一度ジツキの社へと足を向けた。その日もまた、恐ろしいほどの快晴だった。
 小さなジツキに囲まれ、畦道を行き、階段を上って鳥居をくぐり、広場に出る。
 此方は、今正にその巨体を焦がすように、白く黄金に輝いていた。目がつぶれるかと思った。

 後のこと。
 別の旅の途中、その地域に立ち寄ったとき、私が再びジツキの村を目にすることはなかった。地図に載っているわけでもないから、当然と言えば当然かもしれない。現代においては、隠れ里の方が神よりも珍しい。
 あの神異は、今もひっそりと、太陽そのものとしてあるのだろう。老人も、守護として変わらず、あるのだろう。恐らく、幾星霜の昔から。
 それに拝した望外の誉、あるいは成り行きと言う名の厄難を胸に、私も今も旅を続けている。

天日葵

天日葵

自分の知らない世界を旅したい、見てみたいという欲求の根源はどこにあるのだろうか。

  • 小説
  • 掌編
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-06

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