ライムライト・フォー・ミー

この作品のお題は【ピエロ】です。
心の内を隠しているのか、それとも表現しているのか。

 僕のクラスには在校ピエロがいた。名前は氏原君と言って、年齢はなんと同い年だった。大体年上の人が配属されることがほとんどで、というかほぼそうで、非常に珍しい。こういうものは、やはり年齢が同じだと色々とやりづらいことがあるのだ。
「私はちゃんと資格を持っている職業ピエロなので、そのように接してください」
 氏原君は初日にそう言ったが、クラスのみんなもどう扱ったものか戸惑っていた。生徒として一緒に授業も受けているのだ。氏原君は授業の途中や休憩時間、始業前、お昼休み等々、おどけたり、茶化したり、笑われたり、正にピエロとして八面六臂の活躍を見せつけるのだが、なんというかみんな、そういうクラスメート、として対応してしまうのだ。恐らくそれは、彼にとって忸怩たる扱いだったのだと思う。ある日の放課後、忘れ物を取りに僕が教室のドアを開けようとしたとき、氏原君が一人、自分の席に座って顔を伏しているのを見た。肩が小さく震えていて、多分、泣いていたのだと思う。
 僕はその姿に、根底に悲しみを湛える本物のピエロの姿を見た気がした。
 それからしばらく、氏原君は学校を休んだ。先生からは、彼は体調を崩したとの一言があったが、もしかしたら協会に戻ったのかもしれないと、僕は思っていた。ピエロだって、いやピエロだからこそ、迷うことがあるのだ。
「彼、戻ってくるのかな……」
 誰かが呟いた言葉が、その日の授業中、ずっと耳に残っていた。
 氏原君が戻ってきたのは、休み始めてから一週間と三日後のことだった。
「みなさん、氏原道也が帰ってきました! 今日からまたどうぞよろしくお願いいたします!」
 きれいにメイクをした氏原君は、前と変わりなく陽気に、変わらず、スマートにおどけた様子で、挨拶をした。左目の下にある涙のマークが、きらりと光ったように見えた。
 それから僕らのクラスの対応が変わったわけではない。やはり当分の間、どこかぎこちなさは消えなかった。それでも氏原君は、折れることなく、ピエロを続けた。あの休み中にきっと、何かが吹っ切れたのだと思う。その芸に迷いはなかった。僕は彼に敬意を表して、笑うべきときは大いに笑い、蔑むときはとことん見下した。
 そのうち、彼の存在は普通になっていった。みんなやっと慣れたのかもしれないし、僕と同じく彼のプロ意識に尊敬の念を持ったのかもしれない。何より大きいのは、彼が曲がらなかったことだろう。結局最後まで聞くことはなかったが、〈ただのクラスメートとして扱われる〉という悲哀を、ピエロの業に昇華できるようになったのではないかと、僕は睨んでいる。
 そう、氏原君はピエロとして、同じ高校で三年間を全うした。在校ピエロの基本任期は、本来一年だというのに。もちろんそこには、彼の年齢のこともあっただろうが、それは本当にすごいことだと思う。
 僕は二年では彼と別のクラスだったが、三年で運良くまた同じクラスになれた。違うクラスでも気にしていたとはいえ、一年ぶりに同じ教室で会う氏原君は、前よりも逞しく、自信をもって、ふざけたり、笑わせたりしていて、格好良かった。クラスのみんなの反応も、というか学年の反応も、すごく晴れた日の噴水のように、爽やかで勢いがあった。その頃には確かファンクラブもできていたはずだ。笑われるべきピエロに対して、それはいかがなものかと思わなくはないが、さもありなんとも思う。
「そこんとこ、どう思うの?」
 僕はある日、彼に聞いてみた。
「バカにしてるよね」
 彼は、殊更赤いリップを塗り直しながら、にやりとそう笑った。
 そんな成長した氏原君だが、一日だけ、何もかもが揮わなかった日があった。やることなすことが裏目に出て、面白いよりもうざったらしいが大いに勝ってしまっていたのだ。それもまたピエロと言えなくもないのだが、あろうことか彼は昼休み、いつものように校内を練り歩くこともなく、教室の自分の席に突っ伏してしまっていた。いくら調子が悪くても、さすがに様子がおかしい。一年の頃の光景が甦る。
「道也、何かあった?」
 僕は彼の前の席に座り、ただの友達として声をかけた。
 彼はしばらく何も言わず、僕もそれ以上は何も聞かず、彼の奔放に広がった巻き毛に指をくるくると絡ませていた。
「……プルチネッラが……家の猫が、死んだんだ」
 昼休みがそろそろ終わるという頃に、氏原君はぽつりと呟いた。引き絞るように掠れた声だった。だいぶ葛藤があったのだと思う。きっとそれを言うのは、彼の本分に抵触する行為だったのだろうから。
「ピエロだって人間さ。そして人間の経験が、ピエロを作るんだ」
 僕はそんなことを言った。今考えてもわかったような台詞で少し恥ずかしいし、そのときも僕は、恥ずかしくなって席を立ってしまった。
「ありがとう」
 微かに聞こえたそれは、僕の幻聴だったかもしれない。
 氏原君は、次の日からはまた、いつもの氏原君だった。
 彼は今も、ピエロとして活躍している。名前は変えてしまったが、テレビやネット動画に出ることもあり、その経歴から、一度は特集を組まれたこともあった。やはりピエロでありながら学生としても学校へ通うことは、だいぶ物珍しいのだ。
 僕はそこで、彼の両親がともにピエロであり、彼が子どもの頃に亡くなっていたことを知った。そして、彼が今飼っている猫の名も。
 特集の最後、彼は自宅の部屋で、締めのインタビューを受けていた。内容については割愛するが、その部屋の奥には何枚かの写真が飾られてあり、僕はそれを見て、少しだけ誇らしくなった。
 卒業式、彼と隣り合って撮った記念写真。僕の青春の宝物だ。

ライムライト・フォー・ミー

ライムライト・フォー・ミー

心の内を隠しているのか、それとも表現しているのか。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-01

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