イッツ・ワンダフル・ワールド

柏木熊介

この作品のお題は【(道路)標識】です。
今の常識が、いついかなるときでも常識足り得るわけではないと。

「おーい、シンいるかー」
「いるよー。どうした?」
「どこ──お、いたいた。なあ、これ、なんだ?」
 店の片隅で調べ物をしているところに、ゴウが現れた。土に汚れた作業着を着て、よれよれの帽子にゴーグルを装着し、手には見慣れない大きな円状の板を持っている。少しだけ重そうだ。
「相変わらず藪から棒に……、どれ、見せて」
 ゴウは、ほい、と僕にその板を手渡した。やはり、重い。
 それは金属製で、中央に微かな白い棒線が描かれていた。背景色は、ほぼはげているが赤だ。また棒線側を表とするなら、裏はそもそも彩色がなく、ただ、何かを取り付けるような留め具の跡がついていた。サビもなく、随分と保存が良い。
「なあ、何かわかるか?」
「うん……、多分。前にも似たようなの、見たことあるよ」
「おお! さすが、過去遺物特定屋!」
「いや、ここそういうお店じゃないし。ただの趣味」
「で、何なのよ?」
「これは標識だね。道路標識」
「え? これが?」
 ゴウが驚くのも無理はないが、それは正真正銘道路標識だった。今は基本が音声心導で、ごくたまにホログラムが使われることがあるが、過去はこのような実物でのサインが主流だったのだ。まあ確かに、知っていればわかりやすいし、記号もある程度は直感的だ。色による注意喚起も効果的だったろう。ただ、世界共通ではなかったし、国による交通ルールの差異もあった。また、その土地、その場所の交通事情を鑑みた上での固定設置であるがために、時代や年月、もっと言えば日々変化するそれに柔軟に対応しづらいという面もあった。それでも、一つ一つの小さな不便は決定的なものではなかったので、ずっと使われてきたのである。しかしあるとき世界にぽっかりと平和が訪れた。そして人々は思考のリソースを便利さに傾け始めたのだ。様々なものが統一されていった。言語、通貨、国、度量衡、等々。道路標識もその一つで、少しずつ是正されていき、現在のスタイルが確立していったのである。
 そういった説明をすると、ゴウはわかったようなわかってないような顔で「ふうん」と言った。多分、そのあたりに関しては興味がないのだろう。その次の言が、それを物語っていた。
「で、価値は?」
 ゴウは過去に興味があるわけではなく、小遣い稼ぎとして遺物を掘っている。どこの世界にも物好きはいるものだ。掘る方も、買う方も。ただ、ごくたまに公の組織も買ってくれるらしい。さすがにそれは、考古学的な資料として。手続き的に良いのかどうかは知らない。
 僕は自分でまとめた遺物帳を取り出し、交通関係のページを開いた。
「……これにはないね」
「ないかー」
「保存状態が良いからそれでも多少、だけど、珍しい具合は低いもの。実はけっこう出物があるし、デザイン性も皆無だからね」
「そっか……、残念。ちなみにこれ、どういう意味なんだ?」
「車両進入禁止」
「すげー普通」
 普通、の意味はわからないが、ゴウの言いたいことはわかるような気がする。人間誰しも、自分が見つけたものには特別な意味を持っていて欲しいものだ。しかし、これは標識だ。それこそ、普通であり、普遍的でなければならない。
「……ところで、これにはない、ってことは、他にはあるってこと?」
 少し考えてから、ゴウは僕にそう聞いてきた。こういうときは予想通り耳ざとい。探る目が輝きたくてうずうずしている。
「あるよ」僕はすぐに答えた。そして遺物帳のページを開いてみせた。「これ」
「……これ、なんだ?」
「歩行者専用の道路標識。つまり、歩行者しかその道路を使えない」
「いやそれはわかるよ。説明書きもあるし。そうじゃなくて、この……、人、か? 二人並んで……、二人? なんだこれ? 人、だよな?」
「そう、人。片方は〈オトナ〉、もう片方は〈コドモ〉っていうらしい」
「〈オトナ〉と〈コドモ〉?」
 その標識には、二名の人と思われる絵が描かれていた。どちらも顔と胴、手足が単純化されており、片方の背は高く、もう片方は相対的に低い。より言えば、後者は全てのパーツが前者よりも小さい。前者が〈オトナ〉で、後者が〈コドモ〉だ。
「〈オトナ〉っていうのは、十分に体長が大きく、考え方や態度が成熟している人のことで、〈コドモ〉はその逆に、小さく、考え方や態度が幼稚だったり、庇護が必要な人のことを言うそうだよ」
「となると、この標識で言えば、俺たちはデカい方に当てはまるのか。……なあ、こんな小さい人、本当にいたのか? 空想でもなく?」
「真偽はまだ定かではないよ。世界政府の広報官は『滑稽な絵空事だ』と言ってるけどね。聞いたことない?」
「知らん」
「だと思った。まあごく小さなニュースのついでのついでで発表されたものだしね。でも、発見例が少ないにしても、実際こんなものが出てくるんだ。可能性はある。信じられないかもしれないけど」
 そう、信じられないかもしれないが、昔は〈コドモ〉という存在がいたかもしれないのだ。生まれてすぐは自ら立つことも、話すことも、言葉を理解することもできず、ただ〈オトナ〉の庇護のもと、栄養を与えられ、読み書きや立ち居振る舞いを教えられる存在が。そうして〈コドモ〉はいつしか〈オトナ〉へと変身するらしい。人は過去、昆虫のように変態する生き物だったのではないかと、ある界隈では密やかに噂されている。
「うへえ」
 ゴウは本当に嫌そうな顔だった。自分が虫のような生き物である状態を想像したのかもしれない。それは確かに、僕も少し、気持ち悪い。
「でもだから、このデザインの標識は価値がある。主にマニアに」
 公的機関は買ってくれないだろう。政府が否定しているのだ。そんなものを買ったり陳列したりすれば、人心を惑わせたとして軽くはない罰が与えられる。では民間だと許されるのかと言えば、決してそんなことはない。見つかれば同様だ。それが、この標識の価値を吊り上げる。
「ふうむ……、気持ち悪いけど、狙ってみる価値はある、か」
「狙って見つけられるものでもないけどね」
「言葉の綾だよ、綾。混ぜっ返すな」
「はは。ごめんごめん。お詫びに、見つけたら持ってきてよ。買い手を紹介できるかも」
「マジ?」
「マジ。こんな趣味をやってると、色々な繋がりもあってね」
「シン……、俺ははじめて、お前をすごいと思った」
 本気の顔で言われたので、僕は苦笑するしかなかった。まあ、称賛は素直に受けておこう。
 その後、いくつかの世間話をして、ゴウは帰っていった。すぐに発掘の準備をしようと言うので、ちゃんと仕事もするようにと釘を刺しておいた。ゴウはこれで、立派な仕事に就いているのだ。
「わかってるよ。そろそろ年に一度の死生日だ。シケンカンも掃除して、ちゃんと送って、迎えないとな」
「まったく……、今さらながら、なんで死生省の人間が〈コドモ〉の話を知らないんだろうね。しかも僕ら、もう十歳になるだろう? こんなに生きて、耳にも入ってないってのが不思議だよ」
「知らないんだから知らないんだよ。うちで生まれるのは、さっきの区分で言えばみんな〈オトナ〉だからな。〈コドモ〉なんてわけのわかんないもんが生まれたら、真っ先にイレギュラーで廃棄だぜ? ……いや、待てよ?」
「ゴウ。それはさすがに止めておきなよ?」
 ゴウはにやりと笑って、肩をすくめたのだった。
 地球歴八八五三年、夏。変わらない平和な一日の出来事である。

イッツ・ワンダフル・ワールド

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今の常識が、いついかなるときでも常識足り得るわけではないと。

  • 小説
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