ライフ・ハック

柏木熊介

この作品のお題は【翼】です。
人の精神にダイブできるような世界に、なって欲しいようななって欲しくないような。医療用だとしても、内心の自由は脅かされる。

 いつも通り、そこは夜の世界だった。見渡せば荒野が広がり、動くものは何もない。まばらに生える名も知れぬ草木もじっと首を垂れている。雲一つない満天の星空だけが、控えめに瞬いている。月はなく、ひときわ輝いている星の名は知らない。正確に言えば、この世界にあるもの全てについて、一つも正式な名前を知らない。ただ、その星の真下に、私の最初の目的地──地上何階とも知れない、廃墟となった高層ビルがある。
 私は背中の翼を広げ、そのビルの屋上へと飛び上がった。何度飛んでも怖さがないとは言えないが、高揚感と爽快感がそれを打ち消す。
 上昇とともに見るビルの窓は全て真っ暗だった。星は思いの外明るく、私の夜目も効いているが、各階層、各部屋には何も設置されていないのが見える。ただぼろぼろの壁と、ほとんど割れた窓、ところどころ崩れたフロアがあるばかりだ。ビル自体も崩れ落ちそうだが、そこはまだ一応保っている。遅かれ早かれ、そうなる運命になるのだろうが。
 天上が近づくほどに飛び、ようやく辿り着いた屋上は、下界とは異なり緑であふれていた。千紫万紅の花も咲き乱れている。夜の帳もその色彩を覆うことができない。
 その庭園の中央に、一人の男がいた。男は背のついた質素な木の椅子に座り、空中にいる私を見ている。生成りのシャツとズボンを履き、眼鏡をかけたこの男を、私は〈庭師〉と呼んでいた。
「やあ、〈夜の翼〉」
 屋上の縁に降り立ち、近づく私を、〈庭師〉はそう呼んだ。
「しばらくぶりだ。どうだい? 探し物は見つかったのかな?」
「さっぱりだよ」
「ご愁傷様。まだ僕をあてにしている?」
「他にあてがないからね」
 私は肩をすくめた。連鎖的に翼も動く。
〈庭師〉は声をあげずに笑い、サイドテーブルの上にあるグラスを取った。グラスは二つあり、手ぶりで片方を私に勧める。これまで数度、口をつけてきたが、いまだ中身はわからない。ただ、味は美味い。
 庭園は不思議な場所だ。植物が繁茂していることもそうだが、出所のわからない水が蛇行する流れを作り、際から滝となって落ち、土はなく、草花は一見硬質そうな床から直接生えている。また、空が天蓋の吹きさらしなのに、温度は恐らく一定に保たれている。ちなみに滝はビルの上層部で掻き消え、地上には落ちない。そして常に薄く音楽が流れ、花の匂いか空気は程よく甘く、生気に満ちている。ありていに言えば、大変居心地が良い。
 氷だけになったグラスを返し、私は〈庭師〉の横に立った。〈庭師〉の視線の先には、果てのない空と、寂しい大地がわずかに見えるだけだった。
「何か変わったことは?」
「何もないよ」
「何か感じることは?」
「前と変わらないよ」
「斜め左後ろ?」
「そう。なんて言えば良いかわからないけど、なんだか温かい」
「でも、そちらには何もなかった」
「感覚だからね。真面目にあてにしてもらってるところ、悪いけど」
「いいんだ。些細な事でも無いよりはましだ。張りが出る」
 実際、〈庭師〉をあてにするしかなかった。自覚はなくとも、ここは彼の世界で、私が探しているのは彼の罪の証拠だ。彼が何かを感じるということは、必ずそこに何かがあるということになる。
 隣にいる〈庭師〉は、いつの間にか中身が増えたグラスを手で弄びながら、目をつむっていた。音楽を聴いているのだろう。空いた指がそれに合わせて動いている。ただ私には、この音楽のどこに拍があるのか、わからない。
「行くのかい?」
「行ってみないことには始まらないからね」
「見つかることを祈ってるよ」
「君が祈り飽きないうちに見つけたいものだ」
 じゃあ、と私は翼を広げた。〈庭師〉の言う方向には、他と同様、荒野しかない。日が出ていればと思うが、それは叶わない。せめて目的物自体に存在を引き付ける要素があって欲しいが、だからと言って私が本当にそれに気付けるかもわからない。私はため息をついた。とにかく、飛ぶしかない。
「〈夜の翼〉」
 正に行こうかというとき、〈庭師〉が私の背中に声をかけてきた。
「一ついいかな?」
「なんだい?」
「井戸」
「井戸?」
「ああ。何故だか、今、ふと頭に思い浮かんだ」
「他には?」
「それだけさ」
「……そうか」
「君の一助となれば良いのだけど」
「ありがとう。恩に着るよ。また」
 私は庭園から飛び降りた。横目に見える滝が消え、内臓が全て失せるような感覚を味わってから、翼を広げる。落ちても死にはしないが、気持ち悪い気持ちの良い恐怖をもって、意識に活を入れた。このサルベージに進展があるかもしれないのだ。
 滑空と上昇を繰り返し、〈井戸〉を探しながら、星を頼みとして七時半の方角へゆっくりと飛んだ。前にも飛んだ空だが、闇雲に何かを探すのと、具体的な物を想像しながら探すのでは、発見率は段違いになる。〈庭師〉への言葉は違えるが、できればこれで最後にしたい。
 それを見つけたのは、体感で二時間ほどを進んだ頃だった。
 思わず息を飲んだそれは空から見てもわかるほどの大穴で、くり抜かれた外壁には意匠が凝られた装飾が施されており、〈井戸〉と言うよりは巨大建築物と言った方がふさわしい成りをしていた。底は見えない。地上に降り立ち、試しに石を投げ入れてみると、しばらく経ったあとに小さく水音が聞こえてきた。
 私はこんなものを見落とす可能性を考えてみた。前にも何度か、廃ビルから同じ方角に向けて飛んでいる。多少のずれはあるだろうが、それでも、これに気付かないことはないように思えた。
 穴の周りを用心深く探ると、外壁沿いに階段を見つけた。一見装飾のようだが、先を目で追うと、しっかりと下方へ続いている。
 飛ぶこともできたが、私は翼をたたみ、その階段を降り始めた。
 星明りと夜目を頼りに、階段を降っていく。見上げる空は小さく、周囲はどんどん暗くなっていく。右手で触る壁はひんやりと冷たく、左手には支えるものは何もない。自分の呼吸と足音だけがわずかに響き、中央の穴へと吸い込まれていく。まるで底なしの沼にはまるように、何もかもがわからなくなりそうだった。私は何度も立ち止まり、深呼吸をし、自らの存在を確かめた。
 そして、時間の感覚も消え失せた頃、ようやく〈井戸〉の底へと到着した。地上に比べれば直径は小さいが、それでも中央の水面は広く、静かで、わずかに発光もしているようだった。
 私は水面の周囲を歩き始めた。何かあるとすればきっとここで、ここは恐らく〈庭師〉の世界の中心核だろう。これは仕事だ。躊躇ってはいられない。
 階段の降り口を六時とすれば、ちょうど正反対、十二時の場所にわずかな四角いくぼみがあった。手で触れると、そこだけ微かに安定を欠いている。一つ息を吐き、くぼみをさらに押し込むと、音もなく、水面の真ん中へと向かう道がせり上がった。
 慎重にその道を進んでいくと、中央には、木製にみえる粗末な箱があった。一応確かめてみたが、箱は開かない。聞いていた通りだ。この中に彼の──〈庭師〉の罪が入っている。
「その通りだよ、〈夜の翼〉」
 声と同時に、私は強烈な脱力感に襲われた。身体を支えることもできず、視界も安定せず、床へと崩れ落ちる。辛うじて振り返り、見上げた先には、朧げな〈庭師〉がいた。
「それは僕の罪の証拠だ。いや、記憶、か」
「どうして、ここに」
「どうして? ここは僕の世界さ。当たり前だよ」
「最初から、わかって、いたのか」
「もちろん。例え現実で意識を奪われていようとね。君と仲良くなるのは楽しかったよ。しばらく泳がせて、ある程度の信頼を得て、ここを教えるタイミングを考えるのが、ちょっと億劫だったくらいかな」
 そう言いながら〈庭師〉は私に近づいてきた。その場を離れたくても、身体は動かない。テーブルのグラスが思い浮かぶ。
〈庭師〉は、私を抱え起こすわけもなく、翼を掴みゆっくりと引き剥がしていった。痛くはないが、巨大な喪失感とともに、意識の維持が困難になっていく。
「これはもらって行くよ」
「……どうする、つもりだ」
「戻るんだよ。君の代わりにね」
「……お前は、一体、何、なんだ」
「僕? あれ? 聞いてないのかい? 僕はただの泥棒だよ」
 近くに寄せられた顔は、にこにこと笑っていた。
 そして〈庭師〉は立ち上がり、無造作に私の身体を蹴りつけ、水へと落とした。何の躊躇いもなかった。
 人の身体を盗むのは初めてだけどね──
 目の前が真っ暗になる寸前、そんな言葉を聞いたような気がした。

   ▼

「……ふう」
「ようやく起きたか。首尾はどうだ」
「……もう少しってとこかな」
「前回も言ってなかったか? そろそろ成果を出してもらいたいもんだな」
「だったら情報を全部渡して欲しいね。いまだに奴が何者かも知らない。知ってるのと知らないのじゃ、サルベージの精度が断然違う」
「余計な詮索はするな。探し物のプロってのが売り文句だったと思ったが?」
「時と場合によるさ」
「ふん。減らず口め。いずれにせよ、このまま続けてもらう」
「わかったよ。こっちも仕事だ。もらえる分は働くよ。それに進展は本当にあったさ」
「ほう」
「奴からブツの場所らしき情報を得た。大きな穴があったよ。奴は〈井戸〉と言っていたがね」
「〈井戸〉? 入ったのか?」
「ああ。今回は見つけられなかったが、あそこが目的地で間違いない。ちゃんと次は持って帰ってきてやるよ」
「できれば今回で終わらせて欲しかったがね。まあ、連続稼働で死なれても困る」
「ありがたいお言葉で」
「次は必ずだ」
「おまかせあれ。……ふん」
「なんだ? 奴の顔に何かついてるか?」
「何も。ただ……、そうだな。改めて、ふざけた顔をしてる野郎だなと思ってね」
「気が合うな。私もそう思うよ。さあ、早く帰れ」
「はいはい。帰らせてもらうよ。僕も忙しいんだ。……っと、次はいつだい?」
「明後日だ」
「働かせるねえ。了解。じゃあ、また」

ライフ・ハック

ライフ・ハック

人の精神にダイブできるような世界に、なって欲しいようななって欲しくないような。医療用だとしても、内心の自由は脅かされる。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted